シュミットさんにならない法

音楽、映画、ネット、NPOを中心に多様な団塊ライフを考える

映画

 最終日ぎりぎりに駆け込みました。ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」。米国ニュージャージー州のパターソンという街に住むパターソンさんを主人公に、周囲の人たちとの日々の触れ合いを淡々と描いています。奇妙で、今や懐かしい「ストレンジャー・ザン・パラダイス」以来、ずっと追いかけている監督ですが、気負いや力こぶがどこにも感じられない、それでいてしみじみと迫ってくる作風は好きだなあ。

 パターソンは著名な詩人の生まれ故郷として知られています。その詩人ゆかりの街に奥さんと二人で暮らすパターソンさんを、アダム・ドライバーさんが演じます。パターソンさんの職業はバスのドライバー。時間を見つけては自分の秘密のノートに詩を書き続けている詩人でもあります。

 詩作も巧みなバスドライバーの物語として見るか、バスの運転もする詩人の物語として見るかによって、印象がやや異なるなるかもしれません。ひょっとしたら何の変哲もないかもしれない日常の中で、得意なことを一つ続ける贅沢さに気付かされる点で、個人的には断然前者です。

 ラスト近くなって、パターソンさんを落胆させる出来事が起きますが、何の心配もありません。日々の暮らしがある限り、そこに詩が生まれ、お金や名誉とは関係のない世界なのですから。そのことに気付かせてくれる日本の詩人を永瀬正敏さんが演じています。

 いたるところにユーモアが織り込まれことに、あとで気付く楽しみもあり、全体としてパターソン出身の詩人へのリスペクトを表現する作品になっていました。

 音楽を通してペルーという国を描いた「わたしはここにいる(I Still Being) 」(ハビエル・コルクエラ監督、ペルー、スペイン、2013年)を山形国際ドキュメンタリー映画祭で見ました。ペルーの首都リマ在住のバイオリン奏者を黒子に、高地から海岸まで、さまざまな表情を浮き彫りにしています。

 キューバを舞台にした「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(ヴィム・ヴェンダース監督、1999年、ドイツ、米国、フランス、キューバ)を思い出しましたが、バイオリン奏者を進行役に登場させている分だけ視点が定まっています。見やすい。

 高地にある彼の故郷に向かう旅を経て、海岸に近いリマ市に戻ります。ペルー音楽をたっぷり聴きながらの上質な紀行作品といっていいでしょう。バイオリン奏者は、すっかり荒れ果てた生家をながめ、畑を管理してくれている老女と束の間の再会を喜びます。

 音楽仲間との会話。ギタリストだった父親が息子がたずねても教えたがらなかったそうです。その理由は、一人は「飲んだくれになるから」。もう一人は「放浪する暮らしになるに決まっているから」。何だか分かるような気がします。

 山岳地帯の冷涼な空気感から都会の場末の雑踏まで、ペルーの音楽は幅広い魅力を備えています。特に女性ボーカリストたちの質感の多彩なことに驚かされました。「マリアはただ人のために働くだけ」と繰り返す生活感漂う歌も印象的でした。

 そう言えば、南米ペルーと言えばすぐ浮かんでくる「ケーナ」を吹くシーンは1カ所しかありませんでした。タップダンスとの合奏は、その由来も含めて、興味深いお話でした。
 


第71回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受けた「さよなら、人類」(ロイ・アンダーソン監督、2014年、スウェーデン・ノルウェー・フランス・ドイツ合作)を見ました。人間が生きる不条理を、「シュール」とも「ブラック」とも言える感覚で見せてくれるコメディーといっていいんでしょうね。

 「笑い袋」や「ドラキュラの牙」「歯抜けおやじ」といった「お笑いグッズ」を売り歩くセールスマン二人が主人公です。一風変わった印象の役者とお話が次々に出てくるので、戸惑いましたが、主人公中心に物語を感じるのが、いい見方のようです。

 主人公のうち、ホルゲル・アンデション演じるヨナタンが何とも悲しくて、目を背けられないほどに誠実です。深刻なのにどこかおかしい、って自分の人生のことではないかと思えれば、見る価値があったということになるはずです。

 スウェーデンのお話なので、予備知識があった方がいいです。ロイ・アンダーソン監督の感性と映画技法をフル動員した作品だそうなので、そのあたりも事前に何かで調べた方がいいです。オフィシャルサイトでもこんな情報提供しています。


 いつものように事前準備皆無の状態で見たので、かなり苦戦しました。見た後にあれこれ調べているうちにじんわりときて、オフィシャルサイトの予告編を見て大笑いするという、不思議な体験でした。

 ちなみに沖縄のグループ「たま」のデビュー曲「さよなら人類」とは関係ありません。



ルシアンの青春 Blu-ray ルイ・マル監督の「ルシアンの青春」をほぼ40年ぶりに見ました。1944年、ドイツ占領下のフランスでのお話。フランスの片田舎で育った素朴な少年、ルシアンが主人公です。レジスタンスへの参加を希望したのに、どう考えても、ものの弾みとしか言えない経緯で、ルシアンはドイツ軍(警察)に協力することになります。判断力の幼さと「強さ」への憧れ。二つが相まって、非常に危うい立場にルシアンは追い込まれます。

 そのルシアンがユダヤ人の娘に恋をします。当時、ナチスドイツのユダヤ人迫害が最高潮に達していました。同郷の人びとから「裏切者」呼ばわりされるルシアンです。ユダヤ娘との恋などありえるはずもないのですが、ルイ・マル監督は、不安に満ちた青春を容赦なく描き出します。

 ルシアンに少しでも分別があればと思います。教育の問題でしょうか。ルシアン自身がその言葉に耳を傾けたくなるような大人が一人でもいればまた変わったのではないかと思います。愚かで、哀れな少年の恋は、破局に向かって自ら飛び込むような形で展開します。破局を破局としてあえて描かないラストシーンは、重苦しく、切実です。

 最近見直した「追想」(ロベール・アンリコ監督)と印象が重なっています。「追想」はフィリップ・ノワレとロミー・シュナイダーの共演。1975年に製作された作品でした。「ルシアンの青春」は1973年に製作され、公開が1975年。どちらもドイツ軍とレジスタンスの関係を下敷きにした作品なので、印象がつながっていますが、「ルシアンの青春」の方が何倍も見ごたえがあります。色あせない作品ということの意味が、よく分かる比較になりました。

tokyo_koibito 千葉泰樹監督の「東京の恋人」(1952年)を見ました。古くからの邦画ファンには懐かしい原節子、三船敏郎が共演しています。森繁久弥、清川虹子、十朱久雄ら、味があって達者な役者さんが東京・銀座を舞台に人情喜劇を繰り広げます。

 千葉監督は当時、東宝の人。この作品の4年後に森繁の社長シリーズの第1作「へそくり社長」(1956年)を撮った監督さんです。

 原節子がベレー帽の似顔絵画家を演じ、「三銃士」を気取った靴磨きの青年3人組が街頭を歌いながら歩きます。今では稼働しなくなった勝鬨橋が実際に開閉するシーンが出てきます。1952年(昭和27年)という時代の風景として考えれば、確かに「東京」を名乗るだけのことはあったんでしょう。

 それにしてもなぜ「東京の恋人」?普通に考えれば、原、三船の主役二人を売り出す作戦ですが「恋人」路線を打ち出すには、二人とも年齢的に少々、キャリアがありすぎです。当時、千葉監督は年に5本ぐらい撮っていた時期です。タイトルを十分に練る余裕もなく、お手軽につけられたアイドル路線風のようにも見えます。それでいて話の展開はなかなかの凝りようだし、森繁の「社長シリーズ」の味が濃厚な作品でもあるのですから、手ごわい作品です。

 ひょっとしたらオードリー・ヘプバーンの有名な「パリの恋人」にあやかったのかと思って調べました。しかし、「パリ」は1957年でした。その影響を受けたわけでもないのです。

jersey クリント・イーストウッド監督の新作「ジャージー・ボーイズ」(2014年、米国)は「シェリー」の世界的なヒットで知られる「ザ・フォー・シーズンズ」の成長物語です。ビートルズ以前のポピュラー音楽は人間臭くて魅力的だったことを思い出させてくれます。

 もともと舞台のヒット作を映画化した作品です。映画化するにあたって、実際に舞台で出演した俳優さんを起用しています。
 
 だから、歌えて、踊れるのは当たり前。しかも監督は実際のバンド演奏を重視したそうです。音楽シーンがライブ感に満ちているのはそのためです。これは重要なポイントです。音楽系の作品の場合、この原則から外れることが珍しくはありません。歌は吹き替えだけれども、身振り手振り(演技)が本物とそっくり、なんてことがセールスポイントになったりする不思議な世界でもあります。

 1951年、ニュージャージー州の片田舎から物語は始まります。犯罪や貧困の中で暮らす若者たちが、自分たちに与えられたチャンスを追い続けます。フランキー・ヴァリを演じるジョン・ロイド・ヤングのファルセットと表情は聞きごたえ、見ごたえが十分。人気絶頂のとき、お定まりの深刻な仲違いの末に、グループは分裂しますが、人としての道はそれぞれに開け、再会セッションも用意されています。イーストウッド監督の余裕たっぷりの演出が伝わってきます。

 日本ではコーラスグループ「ダニー飯田とパラダイス・キング」が「シェリー」をヒットさせました。ボーカルは九重佑三子でした。1963年のことです。「ザ・フォー・シーズンズ」の「シェリー」は1962年です。1年後にはしっかりカバーして、ヒットさせていたんだなあ。昔々のことを考えるのが楽しい作品でした。

jasmine ウッディ・アレン監督の「ブルージャスミン」(米国、2013年)は、主人公のジャスミンを演じるケイト・ブランシェットさんを見るための作品です。アカデミーの主演女優賞を受けた理由がよく分かります。ヘレン・ハント、エマ・トンプソンとともに「次が気になる女優」の一人となりました。

 ジャスミンはニューヨークのセレブな境遇から一転、没落の道をたどります。本名の「ジャネットはありふれている」と「ジャスミン」に変えてしまうほどの見栄っ張り。詐欺師同然の夫の悪行に知らぬふりを決め込み、身近な人びとのおためごかしにコロリとだまされてしまいます。虚飾に満ちた女性の傷心と改心の物語かと思えば、ジャスミンのためにアレン監督が準備したラストは意外なものでした。続きを読む

 beautiful「美しき世界」(パク・フンジョン監督、2013年、韓国)はいわゆる暗黒街ものです。組織的な暴力団への潜入捜査という、テーマ自体が持つ緊張感や非情な組織論理を圧倒的な迫力で描いています。

 冒頭、あの「仁義なき戦い」(古い?)に似た、暴力で押し切った作品かと思いきや、潜入捜査官ジャソンを演じた主演のイ・ジョンジェさんを中心に「人」をじっくり描いた魅力ある展開でした。組織の会長だった実父の死後、その後継争いを演じるチョン・チョン役のファン・ジョンミンさんも個性的で、幅の広い演技を見せています。

 暴力的なシーンに弱い方にはおすすめできません。それにしても狭いエレベーター内での血みどろの死闘は印象に残りました。物語の展開を追ううちに、最後まで残る疑問、なぜジャソンはあんな選択をしたのか?それを可能にしたチョン・チョンの振る舞いは何に起因するのか?−について、短い回顧シーンで鮮やかに説明する手腕にも感心しました。

 最近、ちょっと遠のいたけれど、やはり可能な限り映画館に通うことにしよう。そう思わせる作品でした。

街角 桃色の店 [DVD] FRT-143 ジェームズ・スチュアートという役者さんは、本当に細い人だなあと、見るたびに思います。スクリーンを通して見ても、あんなに細く見えるんだから実際に見たら・・。エルンスト・ルビッチ監督の「街角 桃色の店」(米国、1947年)でのスチュアートさんもまるで鉛筆のような・・。

 ハンガリー・ブダペストにあるマトチェック商会で働く店員たちのお話。いわゆる「ルビッチタッチ」と言われるような技法上の特徴が際立っているわけではありません。調子を外した、おふざけのない、正調なラブコメディーを楽しめます。

 本筋からは少しずれるかもしれませんが、何よりも感心したのは終盤に出てくる雪のシーンです。映画には印象に残る雪景色がいろいろあるものですが、この作品の雪が降る情景を何と表現すればいいのでしょう。あんなにふわふわと降るものなのでしょうか。クリスマス・イヴというムード的な要因を割り引いても素晴らしい。

 ルビッチ監督は、これほどの魅力的なシーンをなぜラストに使わなかったかなあ、と思います。あえて陳腐なハッピーエンドで締めくくった意味はきっとあるんでしょう。

 トム・ハンクスとメグ・ライアンが共演した「ユー・ガット・メール」はリメイク版。

 それにしても「桃色の店」とは妙な邦題です。

キリマンジャロの雪 [DVD] 「キリマンジャロの雪 LES NEIGES DU KILIMANDJARO/THE SNOWS OF KILIMANJARO」(ロベール・ケディギャン監督、2011年、フランス)は団塊の世代前後の人たちにとっては特に心にしみる作品だろうと思います。

 港町マルセイユを舞台に、労働組合運動を長い間続けてきた主人公ミシェルをジャン=ピエール・ダルッサンさんが演じています。「画家と庭師とカンパーニュ」(ジャン・ベッケル監督、2007年)で、庭師を演じた役者さんです。セリフが少なくとも存在感のある人です。

 その道一筋の生き方には、当事者しか知りえない多くの葛藤や事情があるものです。ミシェルとマリ=クレール(アリアンヌ・アスカリッド)の夫婦は、キャリアの最終盤になって、ちょっとした手違いはあったけれども、多くの仲間に祝福され、引退と結婚30周年を記念する旅にそろって出かけることになりました。目的地はもちろんアフリカ。キリマンジャロの雪を見に行く旅でした。夫婦としてのキャリアも長い二人に突然プレゼントされた「旅」の結末が最大の見せ場です。

 アーネスト・ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」を映画化した作品かと思っていたらそうではありませんでした。英語名では同じ表題の映画が製作されているようです。1952年。

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