2005年11月
2005年11月30日
姉歯偽造で国会質疑
今朝の朝刊は再び姉歯偽造事件を国会質疑の内容として大々的に取り上げていた。いずれが今回の隠蔽工作に拘わったかか問題の焦点の様だ。問題の姉歯建築士は欠席していた。出席したのはデベロッパーのヒューザーの小嶋社長、シノケンの篠原社長、民間確認検査機関イーホームズの藤田社長、平塚市の渡辺都市政策部長、木村建設の木村社長、同東京支店の篠塚支店長の7名。新聞のそれぞれの関係図を見ると役所の機構図とも同じ様にも見えるのだが、それぞれ利害が絡み合っている点では単なる官庁組織とは異なる。だからそれぞれの答弁は齟齬しお互いに責任を隠蔽しようとしている。「私は法律の許す範囲内で鉄筋量を減らすようには云った」とか「道徳的には責任を感じている」とか、法の責任は逃れようとしていると伺える。後は云ったとか云わないとかお互いの牽制に終始していた。そもそもこれ程問題が大きくなってきた原因は国民意識の中に地震に対する危機管理意識が急激に増加している背景があるのではないか。私の記憶では平成5年の奥尻島の津波火災の頃は未だ意識が低かった様に思う。当時私は火災保険の代理店もやっていたが、地震保険を付加するように呼びかけたが、それに応じてきたのは僅か3%位だったと記憶する。それが現在では急速に延びているとのことて゛ある。又最近では耐震の偽リフォーム業者に引っかかるお年寄り被害者の多いとのニュースもあった。これからも国民の不安が増長していることが伺える。だからこの隠蔽事件は外国人の報道の目からすると未だ被害が発生してもいないのにこれ程大騒ぎになるのは奇異にも見える様である。皮肉にもこの報道と同じ考え方をしていたのがヒューザーの小嶋社長であることも分かった。
2005年11月25日
リベート&キックバック
今新聞を賑わしている姉歯一級建築士による構造計画書偽造事件の正体が明るみに出てきたが、今朝のリポートには昔常識としてよく耳にしたリベート&キックバックと云う文字が出ていた。建設業界の仕事は重層下請け構造によって遂行されるので下請け業者からの請負金額の引き下げ、手形サイトの引き延ばし、労災の未払い等と云うのは常識で、又建築資材納入業者にはこのリベート&キックバックを要求するのが常識となっている。これは私が30年ほど前に経験した事実だが最近はかなり改善していると信じていた。然し、現状は全く変わっていないようだ。もう一つ注意しなければいけないのは、卑しくも士の名のつく業で仕事を行う者は、このリベートに絶対応じてはいけないと云うことだ。私は今回全面的にこの士業から手を引いたが
この様な場面には何回か遭遇した。二三度払った経験はあるが深追いせず寧ろそういう注文は避ける様に努力した。顧問先を増やすので一見他の人には派手に見えるが、今回の事の様になる危険がある。最近公取が協会が規定する報酬表がカルテルに相当すると言うことで、報酬は自らの判断で決めるとなってから、こういった事態を生みやすくしている。消費者の立場から云うと私は、公共料金と同じように、依頼者には
はっきり分かる金額を示した方が好いと思うだが。
この様な場面には何回か遭遇した。二三度払った経験はあるが深追いせず寧ろそういう注文は避ける様に努力した。顧問先を増やすので一見他の人には派手に見えるが、今回の事の様になる危険がある。最近公取が協会が規定する報酬表がカルテルに相当すると言うことで、報酬は自らの判断で決めるとなってから、こういった事態を生みやすくしている。消費者の立場から云うと私は、公共料金と同じように、依頼者には
はっきり分かる金額を示した方が好いと思うだが。
2005年11月24日
2005年11月21日
孫娘の馬術
昨日は天気もよく、孫娘が関東学生代表で馬術の選手に選ばれて出場するというので
世田谷の馬事公苑まで行って来た。私も昔は馬が好きで騎兵になりたかった事があったから、今日の一日を楽しみにしていた。試合は関東と関西の学生対抗で、それぞれ
10名程の参加で、孫娘は9番目に出場した。関東はそれまで僅差で勝っていたが、孫娘はスタートで初めのバーを落としてしまった。後は順調に飛躍したが初めのバーは減点が大きく、逆転を許してしまった。飛躍の写真を入れる予定でこのブログを書こうと思っていたのだが、私もシャッターのタイミングを誤ってここに掲載出来なくて残念である。このブログは2稿目、書きたいことは山程有るけれど、ライブドアのブログの体裁に会わせることにはまだテスト中であるので少しづつ書いていくことになるだろう。
世田谷の馬事公苑まで行って来た。私も昔は馬が好きで騎兵になりたかった事があったから、今日の一日を楽しみにしていた。試合は関東と関西の学生対抗で、それぞれ
10名程の参加で、孫娘は9番目に出場した。関東はそれまで僅差で勝っていたが、孫娘はスタートで初めのバーを落としてしまった。後は順調に飛躍したが初めのバーは減点が大きく、逆転を許してしまった。飛躍の写真を入れる予定でこのブログを書こうと思っていたのだが、私もシャッターのタイミングを誤ってここに掲載出来なくて残念である。このブログは2稿目、書きたいことは山程有るけれど、ライブドアのブログの体裁に会わせることにはまだテスト中であるので少しづつ書いていくことになるだろう。
2005年11月16日
一寸窓明けて
92df5017.avi前のブログで最終宣言をしてからもう2月もすぎてしまいました。一寸趣向を変えて新しいホームでブログを始めてみました。未だテスト中です。タイトルは今までと同じにして有りますが内容をどうするか思案中です。