2016年10月01日

なぜ日本は原発と核を手放せないのか<米国は日本を守らない=日米同盟の「神話」>

以下は、月刊誌『むすぶ』9月号(ロシナンテ社)に掲載した、同名のタイトルの文章全文。1部加筆してある。

アメリカ共和党の大統領候補トランプが、
「東アジアから米軍を撤退し、日本と韓国に核武装を許す」
と発言して問題となった。
しかし、戦後の米国の日本への一貫した対応は「ビンのふた」論(後述)である。
最近、バイデン米副大統領が中国の習近平国家主席に次のように語ったことが米テレビで報道された(6月30日付毎日新聞)。
「日本が明日にでも核を保有したらどうなるか。
彼らはほとんど一夜で核を開発する能力がある」。
バイデン発言は日米が進めるミサイル防衛の必要性を訴え、中国に北朝鮮の核開発阻止に影響力を行使するよう求めるネライがあったとされる。
またブッシュ前大統領は2003年1月、当時の江沢民国家主席との電話協議で
「北朝鮮に核開発を続けさせれば、日本の核開発を止められなくなる」
と主張したことが回顧録で明らかにされている。
「ビンのふた」とは日米安保条約のことである。
日米安保条約はビンの中に閉じ込められた「日本軍国主義」が外に吹き出すのを抑える役割をしている。
米軍が撤退すれば日本はいっそう軍備を強化するから、在日米軍の駐留が必要だという米国の伝統的な考え方である。
米国の「ビンのふた」論は1972年の米中国交正常化の際に展開された。
1971年、ニクソン政権の国務長官キンシンジャーが中国に極秘訪問し、周恩来首相と会談した。
(以下『周恩来キッシンジャー機密会談録』参照)。
中国は日米安保条約に反対し、米軍の日本からの撤退を要求していた。
周は日本が第四次防衛力整備計画で軍事的膨張の道を歩み始めているとして、日本は中立政策を取るべきだと安保条約の廃棄を主張した。
それに対してキッシンジャーは次のように答える。
日本が自力で防衛するようになると周辺国にとって危険な存在になる。
現在の日米関係(=日米安保条約)は日本の軍事力を抑制している。
日本の防衛力は通常兵器で四島を防衛する程度に限定すべきであると。
つまり日米安保条約が日本の軍備増強の抑止力=「ビンのふた」になっているとの見解である
。さらにキッシンジャーは次のようにも述べている。
「原子力の平和利用計画によって日本は十分なプルトニウムを保有しているから、とても簡単に核兵器を造ることができる。
われわれの撤退にとって代わるのは日本の核計画であり、米国はそれに反対だ」
周は米国は日本の核武装に反対だというが、日本に「核の傘」をあたえ他国の脅威になっているのはどういうことかと詰問する。
キッシンジャーは「日本の核武装の方がずっと危険だ」として、「米国が核の傘を撤去すれば日本は急速に核兵器を製造するだろう」とのべる。
さらに次のように答える。
「核の傘について言えば、日本が攻撃されたときに米国が日本を防衛したいと思えば防衛することができる。核の時代には国家がほかの国を防衛するのは条約があるからではない。
自国の国益が危機にさらされるからだ」    
キッシンジャーは「日本の自衛力を抑制するには現在の(日米)関係の方がよりよい」と周を説得した。
周は米中国交正常化に前向きであった。
中国は米国の主張する「ビンのふた」論に説得されて日米安保体制を容認することになる。
米国は中国の核戦略の拡大を望んでいなかった。
同時に日本が再び米国の脅威になることも望んでいなかった。
そこで中国を封じ込めるために日本に核武装させないと確約して、中国の核戦略の拡大を牽制しようとした。これを「二重封じ込め」と専門家は呼ぶ(東谷暁『戦略的思考の虚妄』)。
ところで春名幹男『仮面の日米同盟』によれば、在日米軍は日本を防衛するために日本に駐留しているわけではなく、韓国・台湾・東南アジアの戦略的防衛のために駐留しているという(以下同書参照)。
安倍首相は集団的自衛権行使で日米同盟が強化され日本の抑止力が強化されると強弁してきた。
日本が攻撃されたとき米軍が守ってくれる。
しかし米軍が攻撃されたとき日本は米軍を守れない。
日米同盟強化のために日本は米軍を後方支援するため法改正が必要だ。
だから、集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈を変更し、安保関連法案の法律を改正するのだと暴走してきた。
2015年4月に発表された「新ガイドライン」がある。
ガイドラインとは自衛隊と米軍の協力や役割分担を決めた日米政府間文書である。
安倍政権の集団的自衛権行使容認を反映させ自衛隊と米軍の協力を地球規模に拡大している。
(ガイドラインは1回目が1978年、2回目が1998年である)。
それでは新ガイドラインは米軍による日本防衛をどう記しているか。
「日本に対する武力攻撃が発生した場合」は、「自衛隊が主たる責任をもつ」とし、「米軍は自衛隊の作戦を支援し補完するための作戦を実施する」と記す。
英文では自衛隊に日本防衛の「第1次的責任がある」と明記しているが、日本語訳は「責任」を「主体的に実施する」と自衛隊の関与を弱めて作為的に翻訳している。
新ガイドラインでは日本が武力攻撃を受けた場合、自衛隊が「防衛」し米軍は自衛隊を「支援・補完」するだけである。
米軍がどのように「支援・補完」するか、あるいは実際に「支援・補完」をするかしないかは米国の判断である。「米国の若者が日本を守るために命をかける」という安倍の期待とはかけ離れて、真っ先に血を流す可能性が大きいのは自衛隊員である。
1978年の最初のガイドラインでは、
「日本に対する武力攻撃がなされた場合」、「日本は小規模侵略は独力で排除する」が、「独力で排除することが困難な場合には、米国の協力で排除する」
と明記していた。
そして陸海空の戦闘ではいずれも、米軍と自衛隊は「共同して作戦を実施する」と明記されていた。
ところが1998年のガイドラインでは記述が次のように一変する。
「日本は、日本の武力攻撃に即応して主体的に行動し、極力早期にこれを排除する。
その際、米国は日本に対して適切に協力する」。
基本的には2015年ガイドラインとほぼ同じである。
「米軍が日本を守ってくれる」というのは過大評価である。
1960年に締結された日米安保条約は概要次のように規定している。
〈第5条〉日米両国は、日本国の施政下にある領域に対する武力攻撃に対し、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するよう行動する。
〈第6条〉日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、米国が日本の基地及び区域を使用できる。
日米安保条約は米国による日本防衛義務と、日本による在日米軍基地の提供という形で権利と義務が均衡して双方の利益が合致する。
したがって安保条約は安倍首相がいうように「片務的」ではなく「双務的」である。
安保条約は第5条で「日本国の施政下にある領域」、つまり日本の領土が武力攻撃された時は日米が共同で防衛する。
しかし、日本の領土以外で米国・米軍が攻撃された時は日本に防衛の義務はない。
日本側が負うのは米国への基地提供義務(第6条)である。
「物(基地)と人(米軍)の協力」とも呼ばれ、米軍の日本防衛が明文化されたと評価されてきた。
春名が2007年に米国立公文書館で発見した文書に、1971年にジョンソン国務次官がニクソン大統領に提出したメモがある。
メモは翌1972年の「ニクソン・佐藤会談」に向けて準備したものだ。メモにはこう書いてある。
「在日米軍は日本本土を防衛するために日本に駐留しているわけではなく(それは日本自身の責任である)、韓国、台湾、および東南アジアの戦略的防衛のために駐留している。
…在日および在沖縄米軍基地はほとんどすべてが米軍の兵屯の目的のためであり、戦略的な広い意味においてのみ日本防衛に務める」
この文書で明確なのは在日米軍は日本防衛のために駐留しているわけではなく、韓国・台湾・東南アジアの防衛のために駐留している事実である。
そして日本を防衛するのは日本自身の責任とされている。
さらに在日米軍基地の目的は兵屯だとしている。
兵屯とは物資や装備の調達・補給・輸送・修理などの後方支援のことである。
つまり、米軍が韓国・台湾・東南アジアへの防衛出動時、軍艦・航空機などの修理・整備・燃料補給などを日本で行うということだ。
「戦略的に広い意味」では日本を防衛することもあり得るとしているが、具体的にどんな状況下なら日本を防衛するか例示していない。
これは先述したキッシンジャー発言のいうように「米国の国益が危機にさらされた時」であろう。
日本が侵略を受けて在日米軍基地が使用不可能な状態になり、米国の安保戦略が危機に陥った時に米軍は日本防衛のために行動すると考えてよいだろう。
さらに1971年に国務省がキッシンジャー国務長官に提出した文書には次のように明記されている。
「日本国内およびその周辺に配備された米軍部隊は、アジアにおける米国の他の防衛公約を満たすのが第1の目的であり、日本防衛のためではない」。
また1974年のフォード政権文書でも、「在日米軍および基地は日本の防衛に直接関与しない」と明記されている。
元自衛官は在日米軍には「(日本を)守るための装備はなく、攻撃用の装備しかない」と証言している。
在日米軍は日本防衛のための直接的戦闘能力を持たないのだ。
「在日米軍は日本防衛のために駐留していない」
─こうした事実を外務省・防衛省の高官は知っているはずだが知らないふりをしている。
政治家はだれも知らないと春名は記している。
米国は日本を守らない。
日米同盟は「神話」である。























  
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2016年09月26日

山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』を読む=原子力を信仰してきた戦後日本

広島・長崎の原爆投下になぜ日本人は怒らないのか。
政府はもちろん国民も。
それがわたしの長年の疑問であった。
だが、この本を読むとその辺のいきさつが少し見えてくる。
戦後の日本は原子力(=原発)を信仰の対象とし、国民的宗教としてきた。
そのイデオロギーは「原子力の平和利用」である。
そして、この宗教に異議をとなえるものは「異端者」として排除されてきた。
敗戦直後、日本では核エネルギーを新たな時代の到来と受け止めた。
占領期にピカドンもアトムも、よいもの・スケールの大きなものとして登場した。
1950年代は原子力の平和利用が官民あげて大々的に宣伝された。
台風の進路の変更、暖房、鉱物採取、生産への応用が夢物語として語られた。
1954年のビキニ事件後でさえも、原子力エネルギーを平和利用すれば、人類に巨大な貢献をすると科学者は説いた。
原子力の展覧会や博覧会が全国的に催され、新聞は「原子力讃歌」を書きたてた。
マンガでも「鉄腕アトム」「ピカドン兄さん」「水素ばくちゃん」などが描かれた。
また柔道やレスリングのマンガでは、「原爆投げ」「原爆頭突き」「人間水爆」「核分裂投げ」などの技が登場した。
原爆を否定するマンガは中沢啓治「はだしのゲン」などわずかだ。
1960年代は原発は日本の成長を支えるエネルギーだと宣伝された。
核の軍事利用は悪だが、平和利用は善である。
そして、日本は世界で唯一の被曝国として、平和利用を推進する正当性があるとされた。
1970年代は原発時代の幕開けとなる。
10年間で20基の原発が新設された。
世論調査で原発反対が賛成を上回るのは、1986年のチェルノブイリ事件以降である。
だが原発には反対でも、原発を止めるべきだは10%で、現状のままが50%ほどであった。
チェルノブイリ以後の反原発運動も2〜3年で下火となった。
大塚英は反原発も流行であり、「メディアは放射能さえ無臭化し漂白する」と論評した。
テレビが映すのは「リピングルーム・ウォー」、すなわち「お茶の間戦争」だ。
テレビでくり返し映し出されることで、惨劇はオリジナルではなくなり記号化する。
テロも戦争も巨大災害も大津波も、現実ではあってもどこか遠い出来事だ。
やがて人びとは戦争や災害のイメージになれていく。
核エネルギーの破壊力や放射線の影響を恐れながら、人びとは同時にそれを愉しんでもきた。
多様な「終末論」にかこまれながら、それを楽しんできた。
戦後の日本は核の軍事利用を否定し、平和利用を肯定してきた。
世界で唯一の被曝国だから、原子力の平和利用を推進する特権を持つとして正当化してきた。
しかし、核の軍事利用と平和利用はメダルの裏表である。
原発に対して「原爆は日本の公害の原点」(宇井純)、「死の灰は処理できない」(三宅泰雄)と、まっとうに批判した科学者はわずかであった。
日本国民は戦前の「天皇教」から「原発教」へと宗旨変更し、「戦争バンザイ」を「原発バンザイ」といいかえて信仰してきた。
ヒロシマもナガサキもそしてフクシマも、「原発教」を棄教する体験とはならなかった。
日本軍の「不敗神話」同様、「安全神話」とは無責任・無関心の別名である。
  
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2016年09月25日

NHKスペシャル=縮小ニッポンの衝撃

9月25日放映のNHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」をみた。
1920年5600万人だった日本の人口は、その後増え続け1・3億人まで増加した。
だが直近の国勢調査では、この100年間ではじめて94・7万人の人口減少となった。
全国の自治体の80%以上で人口減となっている。
東京オリンピックが行われる2020年には、東京の人口も減少に転ずる。
11区で人口が減となる。
さらに、2040年には東京全区で人口減となる。
そもそも地方から東京へと転入してくる20代の若者の年収は200万円である。
これでは結婚はできないし、子どもを持つことは困難だ。
人口が減ると税収が減り財源不足となる。
財源が不足すれば行政サービスが困難となる。
それゆえ、人口減少にそなえた行政改革が必至となる。
東京でさえそうなのだから、全国すべての自治体の喫緊の課題である。
人口減少で財源が不足し、行政サービスが困難になったとき、どのような方策があるのか。
行政サービスの削減か、住民への行政サービスの移管である。
北海道夕張市は10年前に財政破綻し、350億円の赤字をかかえこんだ。
かつては11万人が住んでいた夕張市は、現在9000人以下となっている。
夕張市で行われていることは、行政サービスの削減である。
職員を削減し、公園や図書館・病院などを廃止している。
市長の月給は手取りで15・8万円だ。
こうした行政サービスの削減は、深刻な問題も引き起こしている。
たとえば、市内の中学生で地元の高校に進学を希望しているのは30%程度で、約70%の生徒は市外の高校への進学を希望している。
子どもたちは市の将来に希望がもてなくなり、まちから出て行こうとしているのだ。
夕張市だけの問題ではない。
アンケート調査によると、北海道の179自治体の60%以上が道路・水道・学校などの行政サービスの維持が困難だと答えている。
島根県の雲南市では、行政サービスの住民への移管が進められている。
雲南市は2005年に財政非常事態宣言を発し、全市を30の地域に分けた。
そして、それぞれの地域に住民組織を立ち上げて、行政サービスの移管を行っている。
地域の循環バスの運行はそれまで市が行っていたが、住民組織に移管し、住民が交代で循環バスの運転を担っている。
さらに、水道の検診やひとり暮らしの高齢者の見守りなども住民組織が担っている。
だが、この住民組織にも深刻な問題が起きている。
住民組織のメンバーが高齢で、つぎつぎに死亡していく事例が相ついでいるのだ。
ある地区の代表は島根大学作野広和教授を招いて、地域の生き残り対策の知恵を拝借していた。
作野教授は集落の集約化を提案していた。
そうしなければ集落の維持はますます困難になるだろう。
みながまだ元気なうちに取り組むべきだと作野教授のべる。
しかし、この提案もひと筋縄ではいかないだろう。
住民の意見を集約するのは大変なことにちがいない。
夕張市も雲南市も縮小日本の未来図である。
人口減少はこの国のかたちを根底からくつがえす事態をひきおこす。
それにどう対処するか。
国・自治体そして地域住民が真剣に考えていかなければならない問題だ。
  
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2016年09月22日

映画『いまを生きる』を観る

すばらしい映画だ。
ことし観た映画の中では最高である。
「午前10時の映画祭7」の上映から。
1989年のアメリカ映画。
映画の舞台は1959年の全寮制学院ウェルトン・アカデミー。
名門校で厳格な教育が行われている。
そこに1人の同校OB教師キーティングが赴任してくる。
口笛を吹いて教室に入ってきたキーティングは、詩の授業を始めると、「こんなものはクソだ」といって教科書を破り捨てさせる。
「いまを生きろ」
「自分で考えろ」
「若者たちよ、すばらしい人生をつかめ」
キーティングの破天荒な授業がはじまる。
最初はとまどっていた生徒たちも、しだいにキーティングの言葉の魔術にとらわれていく。
あるときは机の上にのって、ものごとや景色を違った視点から見ることを説く。
そして生徒1人1人を机に上がらせてながめさせる。
またある時は何年か前の生徒たちが映った写真の前で、お前たちと同じだ。目がギラギラしている。
バラのつぼみはすぐに摘め。
やりたいことをやるのだと説く。
キーティングは授業で静かに情熱をこめて生徒に語りかける。
わたしたちが詩を読み書くのは人間だからだ。
人間は情熱に満ちている。
美しさ、愛、ロマンス…それをわたしたちが求めているからだ。
言葉は何のためにあるか。
人に想いを伝えるためか? 
ちがう。
女を口説くためだ。
君たちの瞳がこう言っているのがわかる。
人とちがう生き方がしたいと。
森を歩いて行くと路が分かれている。
さてどの路を行くのか。
だれも歩いていない路を行ってみよう。
君たちの人生が変わるだろう。
校庭で3人の生徒を歩かせる。
歩調が同じになり、見ている生徒たちから手拍子がおきる。
キーティングがいう。
なぜ同じ歩き方になるか。
わたしたちは同化したいという欲求があるからだ。
人と違う自分を信じなければならない。
君たちには自分らしい歩き方を見つけてほしい。
あるとき、生徒たちがキーティングの履歴を手に入れる。
そこにはキーティングたちがかつて「死せる詩人の会」というのを作ったことが書いてある。
生徒のニールは「死せる詩人の会」を作ろうと仲間によびかける。
そして「死せる詩人の会」が行われた洞穴を探しだす。
そこにたどり着くまでの森の景色が幻想的でじつにうつくしい。
洞穴に生徒たちが集まり、語りあう。夢を、恋を、詩を。
そして1人1人が自分の道をあるきだす。
ニールは演劇にはまり、役者として舞台に立つ。
見事な演技に観客の拍手もひときわ盛大だ。
しかし、厳格に父親にみつかり、陸軍士官学校の転向をいいわたされる。
その夜、ニールは自らの命を断つ。
学校ではニール自殺の犯人探しがはじまる。
そしてキーティングが扇動者として学校を追われることになる。  
学校を去る最後の日、教室に忘れ物を取りにきたキーティングに、生徒たちが机上に上がって送り出す感動的場面で映画は終わる。
いままでの人生で映画を見ることはめったになかった。
ことしは2週間に1度、「午前10時の映画祭」を中心に映画を見ている。
ことし観た映画では『トップライト』『ポセイドンアドベンチャー』が特によかった。
だが、『いまを生きる』が1番である。
主演のロビン・ウィリアムズが千両役者ぶりを発揮して教師を熱演している。
  
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2016年09月18日

米国の核兵器使用の検討と鳩山民主党政権打倒の舞台裏

東西関係が緊張した1950年代、米国は東アジアで5回にわたり核兵器の使用を検討している。
(以下春名幹男『仮面の日米同盟』参照)。
。隠坑毅闇、朝鮮戦争初期に米海兵隊が包囲された際、トルーマン大統領が中国に対して核兵器を使用すると威嚇。
■隠坑毅映、朝鮮戦争に大規模な中国人民解放軍が参加すれば、中国東北部に核兵器を使用するとの米軍部の要請をトルーマンが承認した。
1953年、アイゼンハワー大統領が核兵器を使用すると威嚇して、中国に対して朝鮮戦争停戦の条件を飲むように要求した。
ぃ隠坑毅看、ダレス国務長官がベトナム・ディエンビエンフーでのフランス軍包囲網を三発の核兵器で突破するよう提案し、ニクソン副大統領が支持した。
ィ隠坑毅固、アイゼンハワーが統合参謀本部に対して、中国が金門島に侵攻すれば核兵器を使用する準備をするように命令した。
こうした事実をふまえて米中央情報局(CIA)が1958年に国家情報評価をまとめた。
タイトルは「極東における限定戦争での米国の核兵器使用に対する中ソと自由世界の反応」。
1961年半ばまでに
)鳴鮮による韓国侵攻、
中国による金門・馬祖攻撃、
C羚颪砲茲訛耋儿況癲
に魅戰肇淵爐砲茲詁逎戰肇淵爐肇薀ス攻撃
─といった4つのシナリオが発生した場合、米軍が核兵器を使用すれば「世界各国がどのように態度をとるか」について分析した。
この分析で注目されるのは日本の反応だ。
それによると日本国民は「核兵器使用に対する深い感情的敵対心」を持っているため強く反発し、「おそらく在日米軍基地の使用を認めなくなるだろう」と予測している。
米軍が在日米軍基地を核攻撃の出撃に使用するのは確実で、朝鮮半島以外に空爆を拡大すれば「日本は米軍の完全撤退さえ要求する可能性がある」としている。
つまり分析の結論は、在日米軍基地を維持するためには極東で核兵器を使うべきではないということだ。
逆にいえばそれほど在日米軍基地を維持することが米国の長期戦略にとって重要であるという判断である。
1970年代初め、米ソのデタント(緊張緩和)、米中国交回復、日中国交正常化と雪解けが進行した。
これを受けて日本の保守層の中からも米軍の「有事駐留論」が登場した。
有事駐留論は米側にとっても驚きであった。
1972年、在京米大使館は日米安保関係を見直し、米軍基地の統合・削減の検討を求めたという。
有事駐留論を言いだしたのは自民党の宮沢喜一・愛知揆一、久保卓也防衛局長らだった。
当時はデタントにより日本が直接侵略される可能性が低下した。
そこで「米軍が恒常的に駐留するのは、むしろ反基地感情に油を注ぎ、ひいては日米安保を危うくさせる」という主張だった。
有事駐留論は民主党の鳩山由紀夫が米軍の「常時駐留なき安保」を選択肢のひとつとして提案した(『文藝春秋』1996年11月号)。
2009年の総選挙で民主党が勝利し、鳩山が首相に就任した。
アメリカは鳩山の「東アジア共同体論」や「有事駐留論」「普天間移設問題」等に警戒の目をむけた。
2010年に鳩山首相とオバマ大統領の会談が行われた。
その舞台裏をオバマを補佐したジェフリー・ベーダ―NSCアジア担当上級部長が回想録に書いている。
米国にとって鳩山政権は危険な存在であった。
第1に鳩山が普天間移設合意の再交渉を求めた。
第2に米国に依存せず中国に傾斜する、もっとバランスのとれた外交にしたいと主張した。
第3に数十年来の米国の核ドクトリンを改めるよう、同盟関係を揺るがす考えを示した。
岡田外相は米国の核先制使用放棄を公言するように主張し、核搭載米艦船の入港を認めた日米密約合意の調査を始めた。
第4に恐らく最も困ることだが、鳩山が東アジア共同体への支持を表明した。
つまり、米国にとって鳩山政権は打倒すべき対象とされたのだ。
そしてこうしたアメリカの意向を受けて、普天間移設問題での鳩山発言を追求し、退陣に追い込んだのは日本のメデイァであった。
  
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2016年09月15日

核兵器の先制不使用宣言

オバマ政権が核兵器の先制不使用を検討中だが、米政権内では先制不使用政策は「日本・韓国などの同盟国が独自の核保有に踏み切る可能性がある」として反対論も根強い。
1998年、ドイツ外相が北大西洋条約機構(NATO)の先制不使用を提言したが、米国の反対で実現しなかった。
オバマ大統領は2010年と2013年の2度、先制不使用の採用を検討したが安全保障上問題があるとして採用を見送った経緯がある。
中国は1964年の核実験後に核兵器先制不使用を宣言している。
ソ連は1982年、グロムイコ外相がニューヨーク国連本部で
「ソ連は核兵器を第1に使う国にはならないとの義務を負う」
と不使用宣言。
さらにソ連崩壊後の1992年、中国とロシアは共同宣言で先制不使用を明言した。
(その後プーチン大統領は核兵器使用に言及している)。
米国主導で米英仏中露が核兵器の先制使用に合意すれば核戦争のリスクを大きく回避できるだろう。
9月14日付毎日新聞が「核兵器先制不使用」について識者のオピニオンを掲載している。
オバマ大統領の元核政策顧問ジョセフ・シリンシオーネは次のように語る。
先制不使用は核軍縮にも重要な一歩となる。
米国の核戦争計画は、相手国の核基地を先制攻撃するために必要量より数百発も多い核弾頭を保有することを前提としている。
だが先制不使用を導入すれば、こうした核弾頭は不要になる。
核兵器の大幅削減となる。
日本では米国は同盟国を守るために危機の際に核兵器を先制使用すると考えている人がいる。
だがこれは間違いだ。
米国はそうした事態がおきないよう「核の傘」を同盟国にかざしている。
米国の先制不使用宣言を受けて、中国や北朝鮮が同様の宣言をすれば、日本の安全保障はより強固なものになる。
オバマ政権は2010年に核戦略の方針を示す「核態勢見直し」をまとめ、その中で核拡散防止条約に非核国として加入する国の190国には核兵器を使用しないと明記した。
ただ米国内には先制不使用宣言や核兵器削減には根強い反発がある。
国防総省はつねに核政策の変更に反対し、核兵器ビジネスにかかわる人々も自らの利権を守りたいために反対する。
核兵器先制使用は四半世紀前に集結した東西冷戦の遺物だ。
米国は冷戦当時、ソ連の欧州侵攻を止めるにはこの手段以外ないと考えていたと、シリンシオーネは語る。
一方、児玉克哉・社会貢献推進国際機構理事長は次のように語っている。
非核国や国際NGOで「核先制不使用・威嚇禁止条約」の制定をめざしている。
現状では核兵器を使ってはいけないという雰囲気はあるが、国際法に触れるかどうか明確ではない。
だからまず核による威嚇や先制使用を禁止するルールをつくらなければならない。
核兵器先制不使用となれば、核を持たない国は核で攻撃されない。
核保有国にとっても核戦争のリスクを減らせる。核による威嚇外交も禁止する必要がある。
国連安保理常任理事国の拒否権で制裁が機能しないこともあるが、条約ができればルールを破った国は国際社会の批判を受け、きびしい状況におかれる。
核兵器先制不使用が世界的な流れになれば、核先制不使用宣言の話が出ている米国も積極的に反対しない可能性がある。
米国が核兵器先制不使用宣言をすると同盟国にたいする「核の傘」が弱まるとの指摘がある。
しかし、同盟国が攻撃されたら核で反撃できると決めておけば、先制不使用にしても何の問題もない。
「核の傘」を残しながら核を先制使用せず、他国への脅しにも使わないというルールができれば、中国や北朝鮮などの核を「禁じ手」にすることができ、日本の国益にも合致する。
また核で攻撃されるのは基本的に核保有国だけとなるため、その国民は核をもつデメリットを感じるようになる。
核を維持するコストに見合った利益が得られず、逆に核攻撃を受けるリスクが高まるのであれば、国内で「もう核はやめよう」という議論がでてくるかもしれない。
核保有国は自らの核の価値を下げることはやりたくない。
核を持たない国で国際ルールを作ってしまい、核保有国がそれにしたがわざるを得ない形にするのが現実的だ。
核兵器先制不使用・威嚇禁止に続いて、核の数を減らしていけば最終的に核廃絶への流れをつくることができると児玉は語っている。
  
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2016年09月11日

戦場で人を殺すということ

戦場心理学の専門家デーブ・グロスマンが9月9日付朝日新聞のインタビューにこたえている。
戦場で戦うとき人は殺される恐怖より殺すことへの抵抗感が大きい。
第2次世界大戦後、米軍では米兵に大戦中に「いつ・何を撃ったか」と質問した。
おどろいたことに、わざとあて損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、敵に発砲したのはわずか15─20%であった。
発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となった。
まず、射撃でねらう標的を従来の丸型から人型のリアルなものに変えた。
それが目の前に飛びだし、弾が当たれば倒れる。
成績がいいと休暇が3日もらえる。
刺激─反応─刺激─反応と何百回も射撃を繰り返すと、抵抗なく撃てるようになる。
発砲率は朝鮮戦争で50─55%、ベトナム戦争では95%前後に上がった。
人は本能的に人を殺すことへの抵抗感がある。
だが心身を追いこむ訓練でストレス耐性をつけることにより兵士を変えることができる。
「戦場の革命」といわれる。
だが米国はベトナム戦争で大失敗した。
PTSD(心的外傷ストレス障害)問題である。
徴兵制によって戦場に送り込んだ若者たちは、帰国後、つばを吐かれ人殺しと呼ばれ心の傷を負った。
PTSDにつながる要素は3つある。
〕鳥期に健康に育ったか。
∪鐺体験の衝撃度の度合い。
5国後に十分なサボートを受けたか。
たとえば幼児期の虐待ですでにトラウマを抱えていた兵士が戦場で罪のない民を虐殺すればリスクは高まる。3要素の掛け算になる。
PTSDは何のために戦うのかという戦争の大義も大きく関係する。
イラク戦争では戦争の大義に疑問を抱き、帰還後に良心の呵責に苦しんでいる若者が大勢いるという。
戦闘で死んだ米兵より、自殺した帰還兵のほうが多いというデータもある。
米国はベトナム戦争で学んだとされる。
世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則である。
国防長官の名前から「ワインバーガードクトリン」と呼ばれている。
戦争をするとき世論が大きく分裂していないこと。
もし兵を送るなら彼らを全力で支援することだとグロスマンは語っている。
だが、米国がベトナム戦争から学んだというのは本当か。
すべての戦争は「大義なき戦争」ではないのか。
わたしは歴史を学んできて不思議に思っていたことがあった。
「戦争神経症」すなわちPTSDのことである。
欧米では2度の大戦で多くの兵士が「戦争神経症」を発病した。
しかし、日本の戦争記録を読む限り、PTSDの症例はわずかしか出てこないのだ。
日本軍兵士は特別だったのか、それとも隠しているのか。
この点ついて一橋大学専任講師の中村江里が次のように書いている。
日本では戦争を直視しない傾向があった。
大戦後、米軍の研究に接した日本の元軍医は、兵士が恐怖心を表にだすのを米軍が重視していることに驚いた。
旧日本軍は「恥」として否定していたからだ。
口に出せず、抑え込まれた感情は、手足のふるえや、声が出ないといった形で表れ、「戦争神経症」を示す兵士は日中戦争以降問題化していた。
その存在が極力隠されたのは、心の病は国民精神の堕落の象徴と位置付けられたためである。
こうした病は「皇軍」には存在しないとまで報じられた。
戦争による心の傷は戦後も長く「見えない問題」のままだった。
トラウマやPTSDといった言葉が人々の関心を集めたのは1995年の阪神・淡路大震災がきっかけとなる。
激戦だった沖縄戦や被爆地について心の傷という観点から研究が広がったのもそれ以降である。
戦争への忌避感がそれほどと強かったからだ。
中村は自衛隊が戦える組織へと変貌した安保関連法制定以後、「敵」と殺し殺される関係に陥ったとき、人の心や社会にどんな影響をもたらされるか、も知っておくべきだという。
暴力が存在するところでは、トラウマは決してなくならないからだ。

  
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2016年09月10日

皇室典範誕生の記録

前回の続き。
臨時法制調査会第1部会では、天皇退位についてはどのように議論されたのか(前掲書より)。
〇法制局A事務官「天皇はやむ得ない理由があるときは、その希望により皇室会議の同意を得て皇位を去る」
〇宮沢俊美東大教授「天皇はその脂肪により国会の承認を経て退位することを認める」
〇杉村章三郎東大教授「天皇発意の退位を認める。国務偉人の助言か承認を要し、退位の原因について法文化の必要はない」
1946年、部会では天皇の生前退位位を認める案がだされた。
女帝と並ぶ大きなテーマだった。
憲法学の大家・佐々木惣一京大名誉教授も「退位は天皇自身が決めること。
国民が拘束すべきではない」との意見を表明した。
退位容認論はいずれも天皇の自由意思を重視していた。
いっぽう、次のような反対論もでた。
〇加藤進宮内次官「退位は有量の責任を前提とするが、天皇の責任は無量なのではないか」
〇佐藤達夫法制局次長「退位条項が規定されると、現実の種々の邪悪がつきまとうのではないか。
非常の場合には、これに応ずる措置が別に考えられる」
佐藤は退位が必要な場合、特別立法で対処すべきだと示唆しているが、反対理由は「種々の邪悪」だった。
同じ反対論者だった関谷貞三郎会長代理は次のように述べている。
「現実の問題といたしまして従来と甚だしく異なった原則(退位)を法文に掲げることによりまして、現実態に対して種々の憶測と雰囲気を生ぜしめまして、困難な事態が招来する恐れがある」
佐藤の「種々の邪悪」、関谷の「種々の困難」とは天皇の戦争責任にともなう退位問題である。
「退位の問題は、天皇の戦争責任問題とも微妙に関連」(前掲書)していたのだ。
敗戦直後から昭和天皇の退位が問題とされていた。
「法的責任はないが、道義的責任により退位すべきだ」という論は説得力をもって受け止められた。
皇室内にも天皇制を守るため、戦争責任のつきまとう昭和天皇の退位を容認する考えがあった。
皇室典範に退位条項が規定されると天皇退位論が勢いづく可能性がある。
退位論を沈静化させたい側にとっては認めてはならないものだった。
立法審議に昭和天皇に戦争責任問題が絡んでいた。
退位反対論は賛成論が重視した「天皇の自由意思」を逆手にとって展開する。
退位の自由を認めるならば「不就任の自由も認めなければ首尾一貫しない」として、退位条項とともに不就任条項も必要と主張した。
皇位継承資格者すべてが就任を拒否すれば天皇制が成り立たなくなる。
よって「世襲による就任は自由意思の介入と調和しがたい」との結論に導いた。
極端に想定だが時代の空気も作用して「皇位継承の原因は崩御に限る」ことで決着した。
1946年1021日、皇室典範要綱が内閣総理大臣に答申された。
その後帝国議会の審議でほぼ要綱通り典範は成立した。
新憲法の精神「男女平等」「自由意思」は反英されなかった。
現在問題となっている天皇の高齢化にともなう退位議論はまったくなかった。
  
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2016年09月09日

皇室典範誕生の記録

安倍政権は天皇退位を1代限りに適用される特措法により対処する方針だという。
皇室典範改正による退位だと、安倍がめざす改憲に支障をきたすからだとみられる。
9月7─8日付日経新聞が「皇室典範誕生の記録」で敗戦直後の皇室典範の議論を紹介している(「皇室典範の制定過程」1962年)。
1946年7月以降、臨時法制調査会の第1部会は新皇室典範の立案・審議を行った。
部会は学識経験者や法制関係者など委員・幹事40人。
議論の基本は日本国憲法の下位法である皇室典範を憲法の精神に沿うものとすることだった。
憲法は2条で皇位が世襲であること、5条で摂政を規定し、詳細は「皇室典範の定めるところ」としていた。
この憲法の要請に応じることが重視された。
憲法では天皇は統治権を失い政治的権能を持たない象徴とされた。
新典範の立案も白熱した議論となった。
とくに「女帝」については憲法14条「すべての国民は法の下に平等であり、性別により差別されない」の原則から容認論が相次いだ。
法制局からも皇位継承者は「男系・男子に限らず」という案がだされた。
これに対して宮内省の高尾亮一文書課長は、
「憲法14条は社会的身分、門地による差別も否定しているので、厳格に解釈すれば皇位の世襲も否定される。しかし、2条が世襲を規定しており、明らかに14条の例外。
世襲は伝統的歴史観念であり、女系はその観念にふくまれない」
との意見を提出した。
また、「皇位継承者は国民の1部。その不平等は必ずしも男女同権原則の否定とは言い得ない」とも主張した。
このほかの女系天皇否定の論拠として、
「国民感情に適合しない」
「日本には皇配(女帝の配偶者)となる階層がいない」
「女帝となった未婚の女子が自由意思によって結婚できる社会的基盤が成熟していない」
などがあげられた。
ただ高尾課長はのちに「消極的に男系男子皇位継承が憲法違反ではないと論じたにすぎない」として、立法論で女系天皇が否定されたのではないと語っている(前掲書)。
この時期、男系男子の皇位継承資格者が多数いたため、女帝論議には切迫感がなく、「観念上の争点となって終わりをつげた」(前掲書)という。
女系天皇容認論は「伝統と歴史」や現実の状況を押しやるほど強いものではなく、皇位継承は旧典範どおり男系男子原則でまとまる。
また、改正手続きを「天皇の発議により国会の議決を経て決する」との意見があったが、「一般法と同列に」との声があり否定された。
一方で「一般法とおなじなら名称は皇室法とすべき」との意見については、さしたる議論もなく旧法と同じ皇室典範となる。
  
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2016年09月08日

差別行為に新法制定必要=毎日「記者の目」林田記者

在日韓国人らの排除を扇動するヘイトスピーチに対して、「ヘイトスピーチ対策法」が6月に施行された。
対策法は差別的意識を助長・誘発する目的で生命・身体・自由・名誉・財産などに危害を加えると告げることや、もしくは侮蔑するなどして地域社会からの排除を扇動する差別的言動を解消する責務を自治体に努力義務として課した法である。
対策法は努力義務であり罰則規定はないが、施行以後一定の効果を発揮しているという。
9月7日付毎日新聞「記者の目」で林田七恵記者が「新法で負の連鎖断て」を書いているので紹介しておこう。
6月に川崎市で予告された「日本浄化」デモが市民の抗議で中止された。
これを受けてある在日韓国人は
「私たちは法によって守られるべき存在だと示された。初めて尊厳が大切にされた」
と涙ながら語った。
「日本浄化」デモの主催者は新たなデモを予告したが、川崎市は公園の使用を許可せず、横浜地裁川崎支部もデモを禁止する仮処分決定をだした。
主催者はさらに別の場所でデモをしようとしたが、抗議の市民が集まり、警察に「これが国民世論の力だ」と説得されて断念した。
いっぽう、7月に実施された東京都知事選で、「在日特権を許さない市民の会」元会長の桜井誠が都知事選に立候補し、「犯罪朝鮮人をたたきだす」などと訴える選挙運動が繰り広げた。
桜井は選挙運動の妨害が公職選挙法違反になることを念頭に、
「選挙が終わるまでの16日間は無敵」
と宣言し、選挙戦で排外主義的言動を繰り返した。
桜井は21人の候補者中、5番目の11万票以上を獲得した。
有権者の1・7%が支持した計算だ。
排外主義者は「在日外国人の犯罪が多い」などと扇動する。
だが、起訴された外国人の数はピークの2003年の3割強と減っている。
差別的言動は法規制がなければさらに広がり、在日外国人を社会から排除することにつながる。
2000年当時の石原慎太郎知事が「不法入国した3国人が凶悪な犯罪を繰り返している」と発言し問題となった。
この知事の発言で差別を許容する空気が日本社会に流れた。
公人の発言は差別を再生産し拡大する。
ヘイトスピーチは人種差別・民族差別の一端にすぎない。
差別表現だけでなく、人種や民族を理由にした差別行為を包括的に禁止する法律の制定が必要だ。
国連人種差別撤廃委員会は日本に対し、外国人技能実習生や長期滞留者が公職につく際の制限について是正を勧告しているが、こうした法律は是正に有効だろう。
法があってこそ差別が許されないというコンセンサスも生まれる。
実効性をもたせるために差別行為を定義して禁止し、被害者救済を明記する。
差別根絶に向けた基本計画の策定を国に義務づけ、教育や予算措置に道筋をつけるべきだ。
国は「人権大国の構築」を掲げている。
看板倒れに終わってはいけないと林田記者は論じている。
ヘイトスピーチは法律で対処するよりも、民衆のモラル向上で対処すべきだとする法学者もいる。
しかし、林田記者がいうように法があってこそ差別が許されないという国民のコンセンサスが生まれる。
「人権大国」を標榜する日本が「人権後進国」であってはまさに「看板倒れ」である。
毎日新聞「記者の目」はいつも愛読している。
記者自らが取材した内容で読み応えがある記事が多い。
他の全国紙に「記者の目」のような記事がないこと憂慮する。

  
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