2008年12月29日

長時間労働こそが諸悪の根源

 長時間労働が諸悪の根源であることは多くの国民の共通認識である。
 第一には精神疾患・病休の主因である。教員は一〇年前にくらべて病休者は二倍に、精神疾患は三倍にふえている。うつ病患者は全国で一〇〇万人と推定され一〇年前の二倍である。
 第二に過労死・過労自殺の要因である。自殺者は過去一〇年間三万人台で推移してきているが、そのうち一万人が過労自殺と推定されている。また現業死の原因の第二位は民間・公務員ともにつねに自殺である。
 第三に少子化の最大の原因である。日本の出生率は一・三四(〇七年)で先進国でも最低クラスだ。仮に若者が結婚しても出産や育児ができる環境にはほど遠い社会である。
 第四に未婚率増大の原因でもある。未婚率は男性の三〇歳台前半で五割、女性の二〇歳代後半で六割にのぼる。長時間労働が若い男女の出会いをうばい、その結果として未婚率の増加となっている。
 第五に労働組合運動の停滞である。日本の労働組合組織率は一八%。だがいまや労組は終業後に組合会議さえまともに開催できない状況だ。これでは組合活動は衰退するばかりだ。
 第六に民主主義の衰退である。民主主義に必要なのは多様な人々の出会いと論議を保障する自由な時間である。自由な時間がなければ民主主義は育たない。
 第七に市民生活の阻害要因である。日本では夕方には帰宅して家族とともに食事できる労働者がどれだけいるだろうか。ヨーロッパの労働者は午後四時か五時には帰宅し、その後一〇時すぎまでくらしをエンジョイする。それがふつうの市民生活だろう。
 第八に雇用の維持・拡大をはかるためにも時短は必要だ。ワークシェアリングこそはリストラや長時間労働、非正社員差別と対抗できる希望である。
 さらに長時間労働は愚民化政策だという人もいる。
「貧しさが、権力に対して反抗的にさせることはない。労働で身を擦り減らしている人は、その日一日の労働に精一杯で、他人の苦痛や社会の矛盾に関心を向けるには余りにも疲れているからである。だから、労働者階級はいやおうなく保守的になるとヴェブレンは言った。世の中を保守的にしようと思えば、国民みんなを半・肉体労働に従事させ、競争させればいい。現在の日本はだんだんそうなってきている」(小倉千加子『結婚の条件』)。(月刊『むすぶ』ロシナンテ社連載「時短勧告を時短社会の第一歩に!」08年12月号より抜粋)  

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2008年12月27日

教師よ、がんばるな!

 07年度の全国の教職員(小・中・高91.6万人)の病気休職者は8069人で06年度より414人増。精神疾患は4995人で06年度より320人増で、休職者の62%を占めている。文科省・各教委があげた休職者増の要因は、(1)生徒・保護者との関係の変化、(2)職場の協働性の希薄化、(3)多忙化、(4)本人の家庭事情等だという(朝日新聞 08年12月26日)。
 これがどんなに大変な数値か、「企業なら大問題であり、人事の役員は各職場のマネジメントの総点検を行う」(野田正彰)だろう。
 病気休職者は80―83年の校内暴力時4000人をこえた時期があるが、70年代後半―90年代半ばまで3000人台で推移してきた。それが4000人を突破したのが97年(4171 人)。以後、01年(5200人)→03年(6017人)とふえつづけて10年前の約2倍である。精神疾患は80年代―90年代半ばまで1000―1200人前後で推移してきた。これも97年に1609人と急増。以後、00年(2262人)→03年(3194人)とふえつづけて10年前の約3倍である。
 ただ文科省調査の数値も実態からほど遠いだろう。『地方公務員月報』(07年12月号)が、「平成18年度職員の健康状況に関する調査結果について」を掲載している。これは警察官・教職員をのぞく一般の地方公務員の健康調査である。
 この調査によると10万人当りの病気休職者率は全体で2356。この数値で全国約92万人の教職員の休職者を推計すると、病気休職者数2万16752人、精神疾患1万3439人となる。おそらく潜在的病気休職者・精神性疾患は文科省調査の数倍いるが、実際休職しているのはその数分の一と推測される。精神疾患は「倒れてしまって学校に行けない先生の数で短期通院者はさらに増えて」おり全体の患者数は相当の数になる(東京都三楽病院 中島一憲医師)。
 職員10万人当りの死亡率は全体で110。この数値で教職員の現職死を推計すると1008。そのうち自殺件数は約200人である。ちなみに自殺は一般労働者・公務員とも悪性新生物についで一貫して死因の第2位(一般公務員の20%)を占めている。「教師の自殺件数は公式にはこの数年間100前後で推移しているが、実際にはさらに多い」だろう(勝野正章「教員の魂の統治を超えて」『教育』07年1月号)。
 文科省の委託でウェルリンク社が行った教員のメンタルヘルスに関する調査結果はつぎのとおりだ(以下、『月刊 労働組合』08年12月号より)。
 仕事で「とても疲れる」と回答した教員は44.9%で、一般会社員の14.1%の3倍以上。「やや疲れる」も含めると92.5%の教員が仕事による疲労を訴えている。「1週間の中で休める日がない」に「あてはまる」という回答が12.4%。「まあ、あてはまる」を含めると43.8%が休める日がないと回答。これは一般社員の15.1%の2.9倍。「児童生徒の話や訴えを十分にきく余裕がない」に「あてはまる」は22.3%、「まあ、あてはまる」の39.2%とあわせると60%以上になる。 うつ病と関係の深い自覚症状についても、一般社員の1.5倍ー4倍の高率である。「気持が沈んで憂うつ」(教員27.5%、一般9.5%)、「食欲がない」(教員11.4%、一般3.4%)、「人の言動や物音が気にさわったりイライラする」(教員28.6%、一般13%)、「ぼんやりして作業に集中できない」(教員23.7%、一般4.8%)、「身体がだるい」(教員61.1%、一般43.6%)。「生きていたくない」(教員6.2%、一般3.6%)。なお教育委員会に聞いた項目では、「教員のためのメンタルヘルス対策に十分取り組んでいるか」という設問では、「十分に取り組んでいる」が0.8%、「まあ、取り組んでいる」が17.8%である。
 いいたいことは山ほどあるがひとつだけいっておこう。 「教師よ、がんばるな! いい教師になろうとするな!」。命をすり減らしてまで子どもに尽くすことはない。子どもより自分(の命と健康)を大事にしてほしい。

  
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2008年12月24日

『むすぶ』連載が200回に!

 月刊『むすぶ』(ロシナンテ社)連載の「僕らは愛知の学校労働者」が、2008年12月号で194回になる。連載開始が1991年からだからもう20年近くになる。そして2009年6月号は記念すべき連載200回となる。いままで年1回ぐらいしか休まずに連載してきた。これは大変な快挙だ(とだれもほめてくれないから自分でほめておこう)。1回の原稿枚数が12枚程度だが毎回全力投球してきた。最初のころは毎回テーマを変えて書いていた。これはなかなかシンドかった。締め切りを前に何を書くかテーマが決まらず七転八倒することが多かった。文章を書くにあたって1番むずかしいのはテーマを決めることだ。そしてテーマさえ決まればあとは一気呵成である。現在はあるテーマで連載しているので、かつてほど追いつめられることはないが。
 私の文章の書き方はつぎのとおりだ。まずテーマに関連する論文を集めてひたすら読む。つぎは読んだ論文をノート10ページぐらいまとめる。さらにノートからB4の紙に要点を書きだす。それをどのように書くか配列を考える。書く順番が決まったらノートとB4に書いた要点を読み直して頭にたたきこむ。そして書きたいことが熟成したらあとは一気呵成に書く。苦労せずに書けたときほど論旨明快な文章になる。
 文章を書くとき一番心がけたことはわかりやすい文章である。「おばさんにもわかる文章」を目標にした。だから書いた後、おばさん代表の相棒に必ず読んでもらった。相棒にわからない文章はペケである。そして相棒のわからないところ・わかりにくいところは書き改めるようにした。自分の書きたいことが明確な場合は相棒にもすんなりと伝わる。しかし論点が明確でない場合は、論旨がぶれて相棒にもわかりにくい文章となる。文章を書くにあたってつぎに苦労したのは、簡潔な文章にすることである。長い文章を書くのはある意味やさしい。枚数が限られているなかで、わかりやすく書くというのはなかなかむずかしい。中身をけずっていく作業がきついのだ。 
 私の文章に対してある読者からつぎのような感想をいただいた。「舘崎さんの文章には、いつも感心させられています。その視点の確かさ、膨大な資料を駆使した明快な論理、そして、切れのよい簡潔な文体にも」と。過分なお言葉である。
 それにしてもロシンナンテ社も月刊『地域闘争』から40年目になる。貧乏出版社ながらよくぞここまで健闘してきたとおもう。そしてよくぞ私のようなものに20年近くも連載させてきたと感謝したい。連載によってずいぶん私も鍛えられた。こんごとも全国のさまざまな取り組みやたたかいを「むすぶ」稀少雑誌として活躍していってもらいたい。

  
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2008年12月18日

賃金カットは許さんぞ!ー県教委交渉(4)

地域手当交渉5回目。県は最終提示として県下一律8%を提案してきた。なぜ前回の6%から8%へアップしたのか。カラクリはこうだ。12月16日の中日新聞によれば、神田知事は「財政危機非常事態宣言」を議会に報告した。これ自体法を無視した違法行為だ。しかも現状は非常事態宣言をだす財政状況ではない。財政危機を県民にアピールして、賃金カットを画策しようというおなじみの手法だ。しかし地域手当を6%にカットし、なおかつ賃金もカットではいくらなんでも組合が納得しないだろう。地域手当問題を早急に決着をつけて賃金カット交渉を実施したい。大手組合に妥結してもらうために8%を提案したのだ。おそらく大手組合はこの提案をのむだろう。われわれ関係組合は白紙撤回を要求した。撤回以外妥結方途はないと主張した。人事委員会が勧告した地域手当支給割合を、当局がかってに変更することは憲法上も制度上も許されないと。
 ところで新年早々から賃金カット交渉が開始される予定だ。私の予見をいっておく。まず大手組合は地域手当8%で妥結するだろう。なにしろ県下一律支給堅持が彼らの要求だからだ。当局は当初5%の賃金カット案を提案してくるだろう。当然組合は反対するだろう。そこで当局は段階的に3%まで賃金カットを引き下げる提案をするだろう。そして大手組合に3%で妥結をせまるだろう。その際当局は1日15分の時短と抱き合わせで提案してくるだろう。なぜなら15分の時短はちょうど3%の賃金アップに匹敵するからだ。そしてこの提案を3%ならつりあうとして大手組合はのむだろう。おそらくこんごの賃金カット交渉はこんな筋書きで進んでいくだろう。
 それに対して、われわれはどんな場合も職員の賃金カットは許されないとして交渉にのぞむつもりだ。第1に財政危機非常事態宣言がまやかしだ。第2に百歩ゆずって財政危機だとしてもわれわれ職員には一切責任はない。第3に仮に財政危機なら財政を動かしてきた責任者が責任をとるべきだ。賃金カットは断じて許さんぞ!
 それにしても新年早々からの賃金カット交渉でお屠蘇気分もぶっとぶぜ!
  
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2008年12月16日

地域手当削減も賃金カットもー県教委交渉(3) 

地域手当交渉の4回目。県は県下一律6%の地域手当とする提案をしてきた。大手組合が現行支給率堅持から、県下一律支給なら妥結する方向へとシフトしたからだ。おそらく最終的には大手組合は6.5%前後で妥結するだろう。前回われわれ組合側は、09年度に人事院勧告がでて2010年度から新たな地域手当の支給割合が実施されることを指摘した。この組合の指摘を受けて県は提示文書に、「2010年度からの支給地域及び支給割合については今後も引き続き話し合う」との文言をとってつけたように入れてきた。それならなぜ09年度人勧をまたずに、09年4月から強行実施するのかと各組合の怒りが爆発した。
 さらに昨日の朝日新聞を夕刊では、神田知事は3500億円の税収減が予測されるので、不足分は県債や基金の取り崩しや人件費抑制等でまかなうと議会に報告している。そのことを問題にした。地域手当について組合と当局の交渉中に、地域手当削減=賃金カットが既成事実であるかのように議会に報告し、マスコミにぶち上げるのは許されないと。10年前の賃金カットと同じ手法で、法を無視した違法な行為だと糾弾した。そして本来なら当局は、地域手当削減よりも賃金カットをしたかったのではないか。現在の経済状況が1年で好転することは考えられない。少なくとも3年は続くだろう。そうなると来年度は間違いなく賃金カットが行われるだろう。今年の地域手当削減はそのスタートであり、10年前同様こんご賃金カットは3年ぐらい続くだろうとの私見をのべた。
 ところが私のヨミは甘かった。なんとなんと神田知事の「賃金抑制」発言は、地域手当削減とはべつの賃金カットだっのだ。つまり県は08年度中に、地域手当削減と賃金カットをダブルで行うつもりなのだ。そのために知事はわざわざこの時期を選んでマスコミにぶち上げたのだ。そして当局は、地域手当問題は年内に決着をつけて、年明け早々には賃金カット交渉を行う腹づもりなのだ。
 風雲急を告げる事態になってきた。いよいよ組合の正念場である。
  
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2008年12月14日

労働者がたたかわなければ日本社会はよくならないぜ!

  このサイトで県交渉の経過についていろいろ書いている。それに対して「あんなことを書いていいのか」といった意見があるときく。バカをいっちゃいけねえや。書かないでどうする? われわれは労働組合を作って運動している。このサイトは私の所属する職員団体「やまなみ」の活動報告でもあるのだ。労働組合が当局と対等に渡り合う唯一の合法闘争は交渉しかない。ストライキという手もあるがそれは処分覚悟の実力闘争だ。時短凍結にしろ賃金カットにしろ、人勧を無視し、組合交渉を軽視した当局の横暴が全国各地でまかり通っている。それに対して全国の労組は少しでも歯止めをかけようとがんばっている。そうした組合活動の報告をネットやブログで読むと勇気づけられる。この欄でも書いたが、北教組は08年1月、賃金カットに対し1時間のストライキを敢行し、1万数千人の処分者をだしている。このご時勢にすごい組合があったものだと鼓舞される。
 私たちの組合もこの間、時短凍結や地域手当削減を阻止すべく全力で取り組んできた。そして完敗したといっていい。時短については県は「国や他県の動向を見てから」と一歩もゆずらなかった。地域手当の削減(実質賃金カット)についても風雲急をつげているが、削減されることは間違いないだろう。そうしたたたかいの報告を、このサイトで全国のたたかう仲間に発信してきた。全国各地で同じ課題で取り組んでいる仲間に、私たちが今どのような取り組んでいるか発信するのは労働組合として当然だろう。長時間労働が諸悪の根源であることは国民の共通認識だ。それゆえ時短は全労働者にとっても喫緊の課題である。さらに労働者の賃金カットはどんなことがあっても許されない。だから時短も賃金カットも全労働者の問題なのだ。
 私たち8組合の交渉について、「こんなの組合交渉じゃあねえ」と啖呵をきる出席組合もある。大手4組合の交渉には教育長などトップが出席しているのに、少数派8組合の交渉には課長補佐クラスしかでてこず差別されているからだ。たしかにそうした差別を8組合は打破できずにきた。それは大きな課題である。だが自ら出席している交渉を「交渉じゃねえ」というのは天に唾する行為だろう。それなら交渉になるよう貴組合は何を努力してきたかが問われるだろう。「こんなの交渉じゃねえ」という少数派組合が、交渉たらしめんと具体的に何をしてきたかとんときいたことはない。それこそ毎月のように県当局と単独交渉しているのか、県庁を包囲して抗議行動を敢行しているのか、知事室や教育長室を占拠して果敢にたたかっているのか、寡聞にして知らないが。
 われわれ少数派組合は少数派組合なりに現状を打開しようと精一杯取り組んでいるのだ。いまの交渉スタイルを変えるべく、人事委員会や審査課・財政課など出席させ、現状変革の努力もしてきた。しかしトップが出てくりゃ交渉が成立するなどとノー天気には考えない。現状はそんな生やさしいものじゃない。じゃあききたいが、当局と交渉が成立している組合が全国でどこにあるのだ。現在賃金カットをしているのは全国の自治体の半数近くある。いずれも組合の反対を押し切って賃金カットをしている。時短凍結にしろ賃金カットにしろ、当局のやりたい放題なのだ。組合が当局と互角にわたりあうには、ストライキといった実力闘争が必要だ。しかしストライキをしても北教組のように賃金カットを阻止することは出来ず、大量の処分者をだしているが現状なのだ。現代はそうした凶暴な時代なのだ。
 組合は交渉という合法闘争を最大限に活用して、当局の暴走に歯止めをかけていくしかないのだ。そのために他の取り組に学びつつ、やれるところで全力を上げて取り組んでいくしかない。そうした地道な活動を続けていくしか活路はないのだ。そんな「やまなみ」の取り組みにつて、こんごもこのサイトで報告していこうと思う。  
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2008年12月09日

県教委交渉ー地域手当(2)

地域手当交渉の3回目。前回、県は尾張と東三河の地域手当を5%に訂正して提示した。だがこんな提案で組合が納得するわけがない。しかし、不況で県税収入3000億円減収かと報道されている県としては、なにがなんでも地域手当を削減したい。そこでなりふりかまわずガムシャラに突っ走ろうとしている。10年前の賃金カットの時と同じである。あの時も税収3000億円減などと報道されて、職員は3年間賃金カットされた。ところがフタをあけたら決算は黒字であった。そこで職員の怒りが爆発した。10年前と同じテは食わないゾ。
 交渉の過程で県のウソが明確になった。県は地域手当削減の根拠として国の指導をあげていた。国に退職手当債の起債を認めてもらうには、地域手当の一律支給見直しと、国の基準を上回る分の解消が絶対条件だとしていた。ところがこれが真っ赤なウソだとわかった。11月14日の朝日新聞に退職手当債の記事が載った。退職手当債を起債しているのは33都道府県(06年度)である。その中で一律支給が13自治体ある。さらに国を上回って支給している県もいくつかある。一律支給であろうと国の基準を上回ろうと、起債は認められているのだ。これは地域手当の趣旨からいっても当然である。こういうウソで職員の賃金カットをすることは断じて許されない。
 さらに、09年度に人事院は新たな地域手当の支給割合について勧告する予定だ。人事院も現行の支給割合は09年度までの暫定措置で、2010年度から新たな支給割合で実施するとしている。県人事委員会も09人勧をふまえて、来年度は新たな支給割合を勧告するだろう。総務省も09人勧を念頭において、2010年までに国の支給を上回る分については見直すように指導している。だとしたら(仮に国の指導にしたがうとしても)、県もあわてることはないのだ。09年度の人事委員会勧告をふまえて来年度に支給割合見直し、2010年度から新たに支給割合を実施すればよい。それが地域手当の立法趣旨である。出席した関係組合はそう主張した。
 ところが県は組合の意見になど耳を傾けようとはしない。なんと年内決着を目指すとしてゴリ押ししようとしている。各組合は全力でこれを阻止しなければならない。
  
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2008年12月07日

「アイヌ民族を先住民族とする国会決議」シンポ

 東京で開催された「アイヌ民族を先住民族とする国会決議」シンポジウムに参加した。07年11月に「国連先住民族権利宣言」が賛成141カ国、反対4カ国で採択された。これを受けて日本でも08年6月、国会で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択された。国連の「権利宣言」は、人類の共同の遺産としての文化の多様性、人種差別撤廃条約の非差別化の基本原則の確認、植民地主義への反省と非植民地化のプロセス、先住民族の「発展の権利」などをうたっている。さらに先住民族の言語の権利・安全の権利・労働の権利・資源の権利・自己決定権の権利など保障をしている画期的なものだ。
 ボリビアではモラレス大統領が国連の「権利宣言」を国内法として認定した。オーストラリアのラツド首相は08年2月に先住民族に公式謝罪した。カナダのハーバー首相も08年6月先住民族に公式謝罪している。日本の国会決議は原案の「アイヌ民族を先住民族とする決議」が先述したように「求める決議」に変質した。さらに原文にあった「同化政策」によるアイヌ民族への差別・収奪・迫害の部文章が削除された。その意味で極めて不十分なものだ。
 日本政府はアイヌなどの先住民族への公式謝罪をしていない。パネラーのひとりアイヌ民族の島崎直美さんは、日本政府の謝罪がアイヌの人々が生きていく上で力を与えてくれるとのべていた。日本政府が過去の過ちを率直に認めて謝罪することがとても大事なことなのだ。また上村英明さんは、「あなたの国の先住民族問題はどうなっているか」、という問いかけに答えられなければ国際交流は失敗するとのべる。そして日本の政治家は先住民族について不勉強すぎるとも。さらに藤岡美恵子さんは、日本の「多文化共生」の政策は内容が何もないだけでなく、アイヌ・在日・沖縄などが視野に入っていないと批判する。
 アイヌ民族について考えることは、日本の歴史と現在について考えることである。世界の先住民族について考えることは、世界の歴史と現在について考えることである。そしてアイヌや世界の先住民族について考えることは、現在の世界の差別と不正を問い質すことにつながる。過去の過ちを認めること、そして過去から現在につらなる不正義をただすことが、未来へ踏み出す第一歩となる。集会でそのようなことを学んだ。

  
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2008年12月04日

トーマス・バーゲンソール『幸せな子』を読む

副題に「アウシュビッツを一人で生きぬいた少年」とある。5歳で強制収容所に入れられ、10歳で強制収容所から奇跡的に生還した少年トミーの自伝である。強制収容所に入れられて生きのびた子供はほとんどいなかった。収容所では働けるものしか生かしておかず、子供は役に立たないとして皆殺しされたからだ。
 著者は生きのびることができたのは「幸運だった」と書いている。たしかに幸運もあった。アウシュビッツからザクセンハウゼンへの「死の行進」中たくさんの人が死んでいく。あと1−2日で自分も死ぬだろうと思っていた時奇跡が起きる。屋根のない貨車が線路を進んでいる時、線路の橋の上の人々が何度もパンを投げてくれたのだ。この「天からの贈り物」がなかったら生きのびなかっただろうと著者は書いている。同時にトミーは多くの人に助けられた。アウシュビッツの医師は皮膚病にかからないように石鹸を渡してくれただけでなく、親衛隊の殺害からも救ってくれた。またザクセンハウゼンで出会ったノルウェー人は、末期の病気患者リストに載らないようにして救ってくれた。ではなぜ多くの人がトミーを助けてくれたのか。訳者は直接著者に会い、著者が持っていた明るさによるものではないかと書いている。極限状況で絶望している人々に、天使のような明るさが生きる希望を与えたのではないかと。さらにトミー自身が生きのびる力を持っていた。子供達が選別される時、一歩前に出て「大尉殿、僕は働けます」といって助かる。カンを働かせ、知恵を働かせ、自分で考え行動して生きのびることができた。そうした知恵と力をトミーに与えたのは両親だった。「父は私を守り続けてくれただけでなく、どうしたらガス室に行かずにすむかを教えてくれた」「命の危険が迫っているときに父が見せてくれた氷のような冷静さは、私にいつも力を与えてくれた」「彼女(母)の強さと勇気、無償の愛、そして人生への愛情・・・恐怖に怯えて当然な状況の中で、私に恐れない勇気を与えてくれた」と著者は書いている。トミーが生きる希望を失わなかったのは両親の存在が大きかったことがわかる。父親は絶望するなやがて戦争は終わると息子に語り続けた。母親は無限の愛情で息子がが生きぬくことを信じた。トミーは戦後父親とは会えなかったが、母親とは再会する。
 著者は成長して国際法学者となる。法や制度を作ることがナチスが人類に与えたような悲劇から人々を救うことができる信じたからだ。00年からは国際司法裁判所の判事として活躍している。そしてどんなに進歩が遅くても法と正義の成り立つ世界をつくる努力をやめてはならないと強調する。世界にはいまも現代の「トミー」たちが無数にいるだろう。そうした子供たちにもぜひこの本を読んでもらいたい。一読に値するすスバラシイ本である。
  
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2008年12月01日

世界金融危機ー本山美彦講演会

名古屋市で開かれた本山美彦講演会をききにいった。本山の本は何冊か読んでいるが、今日の「世界金融危機」の話はバツグンに面白かった。ホンモノの学者の底力をみせつけられて圧倒された。最近の雑誌論文はどれも面白くない。なぜか。言いたいこを書くとホサレてしまうからだ。真の意味での在野の学者がいなくなったのだ。そんな連中の書く文章が面白いわけがない。しかし本山は在野精神あふれる学者だ。その忌憚のない発言は知的好奇心を限りなく喚起する。
 米国の金融派生商品は「金融における大量破壊兵器」とよばれてきた。実態のないものがさもあるかのように取引されるという詐欺商法、つまりギャンブルである。その時限爆弾がついに爆発したのが米国の金融危機である。問題はなぜこんな事態になったかだ。それは1970年代の変動相場制までさかのぼる。金本位制をやめてカネの流通をを完全自由化した。その結果、米国はモノを造るよりも手っ取り早くカネもうけできることを考えた。自国をギャンブル場にして、世界からカネをかき集めてカネモウケできるやり方をつぎつぎに開発した。その行き着いた先が金融派生商品である。しかし結局バケの皮がはがれて米国発の世界金融危機となった。金利の高い米国に最もカネをつぎこんだのが日本だ。日本→米国→ヨーロッパと還流していたカネが、現在、ヨーロッパ→米国→日本と逆流してユーロ安・ドル安・円高を引き起こしている。ファンドとは金持ちクラブのことで、会員になるには一口10億円の会費がいるという。そしてすべてが秘密のクラブだ。米国の投資銀行はファンドからカネを預かりギャンブルへ投資して荒稼ぎしてきた。それゆえ諸悪の根源はファンドであり、すべてを公開すべきだと本山はいう。
 新自由主経済学者は小さな政府にせよ、すべて市場にまかせよ、民営化せよと主張してきた。ところがいざ経営破綻したら企業は自己責任を放棄し、政府にカネを出せと要求している。その結果50兆円という米国史上最大の国家予算投入された。それに対して新自由主義経済学者のだれ一人としておかしいと言わない。本山はそう怒る。
 モノ造りをしていない米国は今後10年以上にわたって長期不況へと向かうだろう。日本経済の強さはモノ造りにある。日本は米国一辺倒を改め、多極化外交を進めなければならない。特にアジアに友だちを作ってアジア貿易圏を構築せよというのが本山の主張である。それ以外にも、日本が購入している巨額米国債が1円も使えない話、従業員株式保有(ESOP)による経営参加の話、中国の精華大学をつくった米国ユダヤ人の話など、興味深い話をいくつもきいたが割愛しておく。
  
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