2009年06月30日

遠藤実『涙の川を渉るとき』―涙の人生、涙を友に

ふとした出会いで手にした本である。職場の本棚の教育書の横に、なぜかこの本がぽつんと置いてあった。遠藤実? 舟木一夫の歌う「高校三年生」の作曲家だな!本の帯には「こんなにも貧しい日々を生きた少年がいた」「貧しさに挫けず夢を抱き続けた青年がいた」「心の歌は彼の掌の中で温められた小さな希望から生まれた」と書いてある。どんな人生だったのだろう!
読み出したらとてつもない破天荒な人生なのだ。少年時代の貧乏生活は想像を絶する。14歳で紡績工場に就職するも、歌の好きな少年は地方に来た楽団に入団し、星幸男として歌手デビュー。しかし楽団もすぐに解散し、その後は日雇い仕事やら門付け芸人の放浪芸、農家の年季奉公と極貧生活がつづく。だが歌手になりたくて17歳の時、家族に黙って東京へと出奔する。   
東京では「流しのえんちゃん」として売れない流しの歌手生活。その間オーディションを受けるもことごとく落ちる。あるとき審査会場からきり忘れたマイクを通して声がする。「あんな汚い格好で、しかもあの顔で歌手になれると思っているのかね」。レコード会社の連中は見てくれで判断していたのか。よし、歌手は諦める。作曲家になると決意。だが楽譜が読めないし書けない。そのためギターで1音1音確かめながら地のにじむような努力でマスターしたという。
作曲家としての初ヒットは「お月さん今晩わ」。その後島倉千代子の「からたち日記」、こまどり姉妹の「三味線姉妹」と続く。舟木一夫の「高校三年生」を作曲した時のようすはこんなふうだ。
「「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声」
歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い、校章に似た付録のバッジを防止につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。…そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。私自身の「失われた青春」に対するオマージュでもあるのだから」
私も高校時代に「高校三年生」を口ずさんでいたが、あの明るいテンポのいい曲は、遠藤実の「失われた青春」へのオマージュであったとは露知らなかった。
あとがきでこう書いている。「本書のタイトルを『涙の川を渉るとき』としたのは、私の人生は音楽を心の支えにして夥しい涙の川を越える旅であったように思えるからだ。…私にとって涙は人生の友であった」。本書を読むと、まさに「涙の人生、涙を友に」の苦労人生であったことがよくわかる。本書の出版が2007年。翌2008年、遠藤実は76歳で逝去している。
私は遠藤実の曲は好きだ。「すきま風」「くちなしの花」「みちづれ」「北国の春」などよくカラオケで歌う。
  

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2009年06月29日

指導力不足教員制度(4)―国会論議と文科省通知で制度確認

「指導力不足教員」制度について、国会論議で確認されたことおよび文科省通知(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律について」)によりまとめておこう。
 第一に「免職」と「採用」は一体不可分で、「免職」だけが行われて「採用」されないということはない。
公立小・中学校教員の身分は市町村職員であるが、任命権は都道府県教育委員会にある。市町村から都道府県に身分を移す場合、通常の人事でも市町村職員を免職し、都道府県職員として採用する。「指導力不足教員」制度もこれにならっている。公立小・中学校教員を都道府県職員に異動させる場合、法形式上市町村職員を免職にし、都道府県職員に採用することになる。
文科省通知でも「「免職」と「採用」という独立した二つの処分ではなく、法律上、一体不可分に実施されるもの」と記している。通常の人事と異なるのは本人の「同意を必要とせず」、異動先については「指導主事並びに校長、園長及び教員の職を除く」と規定していることである。
第二に異動に当たっては法律が規定しているように、当該教員の「適性、知識等について十分に考慮」して実施される。
「適性、知識等」があわず、都道府県職員として異動する先がない場合はどうなるのか。その場合にはこの法律は適用されない。免職と採用は一体なのだから転職先がなければ異動させることはできない。国会論議で「転職先がなければどうするのか」との野党議員の質問に、文科省が「適性や知識にマッチした新しいポストがなければ転職させることができない」と回答していたことを想起されたい(六月二六日参議院)。
第三にどのような場合に「指導力不足教員」に認定されるのか。改定地教行法では二つの要件を定めている。つぎのどちらかひとつに該当するだけでなく、いずれにも該当した場合に認定される。
(1)児童又は生徒に対する指導が不適切であること。
(2)研修等必要な措置が講じられたとしてもなお児童又は生徒に対する指導を適切に行うことができないと認められること。
「指導が不適切」だからといって直ちに「指導力不足教員」にされるわけではない。第二の要件である「研修等必要な措置」が講じられなければならない。文科省通知によれば、「研修等必要な措置」とは具体的にはつぎのようなことだ。
1.学校内における校長、教頭等による指導。
2.学級担任を外すなどの校務分掌の変更。
3.都道府県教育委員会または市町村教育委員会による研修。
4.他の学校への転任。
これらの措置がとられてもなお「指導が不適切」な教員に対象を限定している。文科省通知はこの点についてつぎのように記している。
「児童生徒に対する指導が不適切な状態に一時的に陥ったとしても、校務分掌の変更や転任、研修等の措置により、指導を適切に行うことができると認められる場合には、本措置は適用されません」。
第四に「指導が不適切」に該当する具体例はつぎのようなものである(以下文科相通知より)。
1.教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童生徒の質問に正確に答えることができないなど。)
2.指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童生徒の質問を受け付けないなど。)
3.児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童生徒の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童生生徒とのコミュニケーションをとろうとしないなど。)
校長や教育委員会による恣意的な制度運用が行われないよう、適用要件を明確にすることが国会附帯決議で確認された。この附帯決議を受けて文科省は、適用要件を明確にする必要から右の三事例を各都道府県教育委員会に指導したものである。
第五に適用要件が「児童生徒の指導」に限定されており、「服務規律上の問題」は適用対象外であるということだ。
遠山大臣が国会で、「本法案の措置は児童生徒に対する指導が不適切か否かのみに基いて判断される」と答弁していたことを想起されたい(六月一日衆議院)。さらに文科省は、「分限処分や懲戒処分の対象になるようなものは、法律の趣旨にのっとり適切に指導していく」と答弁していた(六月に六日参議院) 。文科省通知もこの点についてつぎのように記している。
「無断欠勤や遅刻等本人の服務懈怠や非違行為等、本来、懲戒処分により対応すべき事項については、今後も、懲戒処分により対応すべきであり、このような行為自体は「児童又は生徒に対する指導が不適切であること」の内容には含まれません」
「教員として適格性に欠ける者や勤務実績が良くない者、精神疾患等により職務の遂行に支障があったり、長期の休業を要する者等については、現行制度上、分限免職や分限休職等の処分を行うことができることとされており、これらに該当する者については、今後も、当該処分を的確かつ厳正に行うべきであることから、本措置の対象からは明文上除かれています。」(以下続きはサイト「むすぶ」連載欄参照)
  
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2009年06月28日

刈谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』―戦後日本の「階層と教育」の問題に着目した先駆的教育書

1995年出版された刈谷剛彦著『大衆教育社会のゆくえ』はいい本だった。なぜ十数年も前にかいた書評を再公開するのか。それは刈谷が『大衆教育社会のゆくへ』の続編として書いた近著『教育と平等』があまりにも駄作だったからだ。『教育と平等』については改めて辛口の書評を書くつもりだが、以下は月刊『むすぶ』(95年9月号)に掲載した書評である。

日本の社会では、一流高校→流大学→一流企業→幸福な人生というサクセス・ストーリーが広く庶民に定着している。社会での成功は教育によって決まるという学校信仰。
著者は今日の日本の社会を「大衆教育社会」と規定する。大衆の教育への動員、メリトタラシーの大衆化、明確な文化的アイデンティティをもたない学歴エリートの創出、教育における<不平等>を不問に付す平等信仰。こうした諸特徴をそなえた大衆教育社会の成立時期を、著者は中流意識をもつ人びとが九割をこえた一九七〇年代半ばとしている。
それでは、こうした大衆教育社会はどのようにして成立したのだろうか。その解明が本著のテーマである。
たとえば、著者が重要な論点として提起している、「階層と教育」の問題は、欧米諸国では今日も重要な社会問題である。一九六〇〜七〇年代、教育によって社会の平等化をはかろうとしたアメリカやイギリスの教育改革は失敗に終わる。
労働者階級や人種的マイノリティの子どもたちが学校でよい成績をとれないのは、家庭で伝達される文化の差異にあるとする「文化剥奪説」が主張される。親から子へと家庭で伝達される階層文化を媒介として、社会的不平等が再生産されるという文化的再生産論だ。
欧米諸国では、学校はこの文化的再生産の中で相続された階層文化を、学校での成功に変換し、それによって不平等を正当化する重要な機関であるとみなされたのだ。
日本でも、高度経済成長までは社会の階層差は、貧困という形で目にみえていた。したがって、経済成長以前は貧困と学力の問題は、教育の重要なテーマであった。ところが、経済成長以後貧困の問題が目立たなくると、貧困に代表される階層問題は教育のテーマからフェイドアウトしていく。
それでは、今日の日本の社会では「階層と教育」の問題は消滅したのだろうか。東大入学者の保護者の職業構成をみると、上層ノンマニュアル(弁護士・医者・大学教授・大企業や官公庁の管理職など)と呼ばれる特定階層出身者の割合が、一九七〇年代から現在まで一貫して高い数値(七〇ー七五%)を示しているる
戦後の教育のスタートから現在に至るまで、特定階層による有力大学の寡占状況が、著者の提示する詳細なデータによって裏づけられる。さらに、所得などの経済的格差よりも、親の学歴や職業といった文化的要素が、より成績に影響していることも指摘される。 
日本の社会においても、どのような家庭に生まれたかが学歴取得に大きな影響をおよぼしているのだ。その意味で、家庭で伝達される文化資本が学校での学力に変換され、社会的不平等が再生産されつづけてきたのだ。
それでは、なぜ日本の社会ではこうした「階層と教育」の問題がフェイドアウトしていったのか。階層文化を媒介にした不平等の再生産が可視的な欧米社会と異なり、日本の社会では学校が不平等の再生産に寄与していることは見えにくい。そうした不可視の要因を、著者は戦後教育の「学歴主義」と「平等主義」にあるとみる。
欧米諸国では、階級・人種・民族といった生まれによる刻印を、学歴の取得によって取り消すことは容易ではない。反対に、日本では入学試験という一見公平無比な選抜装置で、生まれの刻印を消すことができる社会だと広く信じられている。氏や育ちよりも学歴がものをいう社会。その意味で、日本の学歴主義は「生まれ変われるものなら生まれ変わりたい」という人びとの願いを、教育・学校へと誘導するイデオロギーの作用をはたしてきたと著者はいう。
もうひとつの「平等主義」は、本書の中心テーマである。今日常識とされている、能力主義教育が差別選別教育であるとの批判は、どのような社全的歴史的背景で生まれてきたのか。著者はそのことを多くの資料をもとに解明していく。
戦後教育の合言葉は、「科学化」と「個性の尊重」であった。そして、個性を重視した新しい教育実践として期待されたのが、今日ではタブー視されている能力別学級であった。一九五〇代、生徒の個性をのばす民主的教育手段として、全国の多くの学校に導入された。
それが劇的に逆転していくのが一九五〇年代未である。学力は子どもの努力で変わりうるものとみる能力=平等観が登場してくる。同時に、生徒に差別感を与えない教育が平等な教育であるとの見方も強まっていく。こうした認識の普及とともに、学力差による生徒の差別感が問題にされる。かくして、能力別学級は差別教育であるとの批判を受けて、六〇年代には義務教育の舞台から退場していく。
このような背景には、教育の五五年体制ともいえる文部省対日教組の対立の構図があったともいう。財界=文部省の提唱する能力主義教育に対し、危機感を深めた日教組は能力=平等観で対決していく。序列化をめざす上からの能力主義への対抗策として、「子どもたちの無限の可能性」という能力観・平等主義が打ちたてられる。そして、「能力主義こそは今日の教育荒廃の元凶、教育諸悪の根源」との共通認識が形づくられていった。
それでは、学歴主義と平等主義を基盤に成立した大衆教育社会は、戦後の日本の社会にどのような影響をあたえたのだろうか。
第一に、経済成長にきわめて適合的な条件を提供した。労働力の配置をスムーズにおこない、業績主義の心情をもつ労働者をふやし、組織の統合性を高めて組織内の葛藤をおさえ、労使間の良好な関係をつくりあげた。そのような意味で、大衆教育社会は高度で柔軟な経済運営を可能にした。
第二に、社会階層の秩序の形成に重要な役割を演じた。学歴が社会での成功に結びつく度合は、日本だけが極端に大きいわけではない。にもかかわらず、学校での成功が将来の成功につながるという見方が、客観的に測定された学歴の効果以上に人びとに強く意識されて、社会の階層化に大きな役割をはたした。
第三に、社会の階層性の正当化にも大きく寄与した。人びとの意識に平等意識を植えつけ、しかも学校を通じて形成される社会的不平等を、正当的なものとして受容する心理的基盤をつくりあげた。
このあたりの著者の分析はひじょうに興味ぶかい。今日の日本の社会と教育がかかえている問題の多くが、大衆教育社会の完成とゆらぎにあるとみる著者の視点は新鮮だ。
文部省の新しい教育改革ー偏差値追放や新学力観、個性重視の教育や多様な評価の導入ーが、社会階層の教育格差をいっそうおしすすめることになるだろうとも指摘する。
それでは、ポスト大衆教育社会にむけてなすべきことは何か。教育へのまなざしが、教育という世界に釘づけされているかぎり、不平等をはじめとする社会構造問題との接点を失った教育論議がくり返される。「学歴社会」や「能力主義」、「個性」や「発達」といった教育の世界で語られてきた神話の解体作業が必要なのだ。「教育に何ができるのかを考えるのではなく、何ができないかを考えること。教育に何を期待すべきかではなく、何を期待してはいけないかを論じること」という著者の問題提起は重要である。
日教組と文部省の和解が成立して教育の五五年体制が終焉した今日、わたし自身の二〇年におよぶ教育史を検証してみたいと、本書に触発されて思っている。
  
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2009年06月27日

田中克彦『ノモハン戦争』―戦争の実相を鋭く描写した問題提起の書

1939年、満州国とモンゴル人民共和国の国境付近で、日ソ両軍により4か月にわたる死闘が繰り返された。大量の戦車と航空機を出動させ、双方の正規軍にそれぞれ2万人の死傷者をだした大規模な軍事衝突だ。日本では「ノモハン事件」と呼んできたが、著者は「ノモハン戦争」と呼んでいる。
モンゴル諸族は中ソ両大国により歴史的に分断されてきた。国境線で分断されたモンゴル諸族にとって、いかに諸部族の統一を回復するかが大きな課題であった。1921年に外モンゴルが独立し、1924年にモンゴル人民共和国となったが、ソ連の傀儡国家であった。モンゴル独立よりほぼ10年遅れて満州国が成立したが、こちらも日本の傀儡国家であった。
モンゴル遊牧民は満州国の出現に期待した。仏教を禁圧し、牧畜の集団化を強行するソ連に比べ、満州国は楽園のように見えた。満州国はモンゴル諸族に特別の地位を与え、「民族政策にうとい日本が国外で行った民族政策の中ではかなりできのいい方策だった」。モンゴルの指導者も満州国との交流を渇望し、満州国もモンゴルとの外交関係を樹立しようと要求した。しかし日本の要求を受け入れたら、モンゴル政治家は死を覚悟しなければならかった。ノモハン戦争勃発までに、反ソ・反革命・日本の手先として2万人以上のモンゴル人がソ連により銃殺されたという。当時のモンゴル人口が70万人であるから、これは恐るべき数字である。
ノモハン戦争に先立って、1935年にハルハ廟事件が起きている。日本のモンゴル国内への国境侵入による武力衝突事件である。この事件を解決するために開催された国境画定会議がマンチェーリ会議である。著者は、ノモハン戦争に至るまでの一連の国境紛争は、日ソの支配者の目を欺いてモンゴル諸族が手をつなごうとした事件だとみている。そしてマンチェーリ会議という絶好のチャンスにたどりついたところで、日ソ両国に察知されてそれぞれの指導者が粛清された。モンゴル代表は日本のスパイとしてソ連に粛清され、満州国代表のモンゴル人たちはモンゴルと通敵したとして関東軍により死刑にされた。
ノモハン戦争に先立って、関東軍は越境攻撃を鼓舞する「満ソ国境紛争処理要綱」という通達をだしている。内容は国境にとらわれず思うとおりやれというものだ。関東軍作戦課参謀の辻政信が作製したといわれる。ノモハン戦争はこの要綱の実現であった。ノモハン戦争は失敗に終わったが、敗北の責任者として辻は前線の指導者たちに罪をなすりつけ、自殺を強要した。さらに捕虜交換で戻ってきた将校たちも自刃させられた。
著者は本書で次の点を強調している。第1「満蒙」という言葉の問題である。広辞苑では「満州と蒙古との併称」とのべている。しかし「満蒙」とは満州とモンゴルではない。満州国に組み込まれたモンゴル地帯、すなわち東部内モンゴルである。満州国の境界をカムフラージユする役割を演じたのが、「満蒙」という不透明で欺瞞的に地域名であったことを、「満州」を論ずる人は銘記しておくべきであると。
第2に辻に代表される戦争責任問題である。辻政信その後悲惨な南方作戦を企画し、敗戦後は戦犯追及を逃れるため僧侶になりすまし、東南アジア各地に潜伏した。帰国後は政治家となったが、自らの功名心から軍隊を利用し、戦争が終わると日本を利用し、日本を食いものにしてきた。日本人が裁かなければならないのはこのような人物である。このような人物は今なお日本文化の本質的要素として、政界・経済界・学界に巣くっていると。
第3にソ連の功罪である。モンゴルではソ連支配下で粛清された人々の大規模調査が現在も進行中だという。一方日本敗戦時、モンゴル人民共和国に独立国としての国際的承認を得るためにスターリンが払った努力は並々ならぬものがあった。ヤルタ会談で樺太・千島をソ連引き渡すことを英米に認めさせたが、協定第1条には外モンゴルの現状維持が謳われていた。モンゴル国の独立に日ソどちらが責任を果たしたか明白であると。

  
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2009年06月25日

河合幹雄『日本の殺人』ー日本の犯罪者更正システムの危機に警鐘

日本の年間死者数は約100万人である。病気や老衰等を除く死者は約7万人。7万人の内訳はつぎのとおりだ(02年)。
(1)自殺者3.2万人
(2)交通事故1.1万人
(3)不慮の事故2.7万人
不慮の事故の内訳は、家庭内事故1.13万人、水難事故894人、山岳遭難267人、火災1000人、ハチ27人、クマ15人、毒ヘビ8人などである。
(4)他殺705人
なお、他殺のうち過半数が親族による殺人である。80年代以降現在まで殺人事件が大きく減少してきているが、その減少分の半分は嬰児殺しの減少による。凶悪事件は129人、言い訳できない殺人は凶悪事件をふくめ318人である(04年)。
敗戦直後の殺人件数は3000件ぐらいあった。70年代に2000件を切り、現在では未遂を除けば実質600件をきっている。殺人だけでなく、強盗・強姦・傷害・暴行・脅迫等あらゆる犯罪が減少している。その理由として専門家は、失業率の低下と経済が豊かになったことであると結論付けている。
著者は殺人事件についてつぎのようにまとめている。(1)戦後減少している。(2)家族がらみが過半数をこえている。(3)底辺社会で失敗人生の末に起きてしまっていることが多い。見ず知らずの通り魔に殺される人は、年間一桁という先進国でもまれにみる安全な社会である。マスコミ報道からえる印象とは大きく違うことを確認してほしいと。
日本の殺人は発生率は欧米諸国の数分の1(アメリカ5倍、フランス3.5、イギリス3倍)。アメリカの強姦と強盗は、それぞれ日本100倍である。一見日本の殺人も多いようにみえる。だが日本の殺人で1番多いのが心中である。家族がらみの殺人を除けば、凶悪殺人は欧米諸国の方がけた違いに多い。
検察官に送致される犯罪者は年間220万人もいる。だが刑務所入所者数は全部で約3万人。アメリカの200万人に比較してもごく少ない。一般には窃盗犯など警察に逮捕されると刑務所に入れられると信じられてきた。実際には窃盗犯のほとんどはすぐ釈放されるし、殺人犯も無期刑になった者まで多数出所している。
犯罪者はなるべく刑務所に入れない、入れても仮釈放で早く出して更正させるという政策がとられている。犯人を刑務所で鍛え直すより、早く出して更正を助けることにしている。その結果が他の先進諸国と比較にならない成功を収めてきている。
日本には強盗殺人などで無期刑になったが仮釈放されている人が600人ぐらいる。そのうち殺人または強盗の再犯者は3人である。殺人事件の仮釈放者が事件を起こしていないという奇跡的現象で、他国と比較できないすばらしい実績である。
著者はこうした日本の更正の仕組みが危機に瀕しているという。第1に日本の伝統的更正パターンには民間人の力が不可欠であった。保護司や出所後世話をやく民間人、出所者の雇用主などである。だが人間関係の希薄化や地域の衰退でこうした更正力が弱体化している。第2に刑罰よりも恐ろしい冷たい世間が存続しなくなってきた。日本の犯罪が極端に少ない背景には、日本の地域共同体によるきびしい社会的制裁があったと推測される。同時に地域共同体は犯罪者を更正させてもきた。しかし、社会に出ても頼るところがなければ再び犯行におよぶだろう。全犯罪者で出所後5年以内で再び刑務所に戻るのは37%にもおよぶ。そうした比率が今後さらに高くなると予想される。
著者は死刑制度と裁判員制度にも紙数をさいて論及している。だがこの問題についてはべつの機会に論評したい。

  
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2009年06月23日

武田邦彦『大麻ヒステリー』ー大麻を犯罪視してきた歴史を読み解く好著

なぜ日本で大麻が厳しく取り締まられるのか。疑問に思ってきたがこの本を読んで氷解した。
アメリカで1937年に成立した大麻課税法は、禁酒法廃止後の役人の失業対策と、マリファナ・タバコを吸う移民排斥の目的で作られたという。その大麻取締法が占領下の日本にそのまま適用された。GHQの指令で大麻は麻薬だとして全面禁止されたのだ。
これには当時の日本政府も仰天したようだ。大麻はアサだよ、大麻の麻と麻薬の麻を間違えたんじゃないかという反応だったようだ。しかし日本政府はいわれたとおり大麻取締法を制定した。国会での科学的論議など皆無だったようだ。その後何度か法改定しながらより厳罰化してきた。
大麻は麻でケナフと同じだが、一般に大麻は恐ろしくケナフは環境に優しいと誤解されている。大麻にふくまれて精神的作用をするのが「カンナビノール」(以下カンナビ)。大麻にはカンナビが多いインド大麻と、カンナビをほとんどふくまない日本大麻などがある。前者が薬用で後者が繊維用だ。
だから大麻が問題なのではない。問題なのは、第1にカンナビがふくまれているかどうかなのだ。第2にカンナビがヘロインなどと同様に麻薬性があるかどうかである。
第1に関していえば、日本ではカンナビがふくまれるかどうかではなく、大麻そのものを取り締まりの対象にしている。第2に関していえば、カンナビは酒やタバコより安全だということだ。
本書でも紹介されているが、カンナビについてはいくつかの研究がある。それらの研究によれば、カンナビの身体的・精神的影響はわずかで、WHOも健康上問題ないとしている。アルコールやタバコに比較しても、大麻は依存性・禁断性がほとんどなく、嗜好品としても安全だとされている。したがって麻薬とは影響が違うのだ。
だからオランダ・デンマーク・イタリアなどでは公に使用が認められている。イタリアでは大麻は薬局で売られているし、オランダでは喫茶店でマリファナを吸える。ヨーロッパ諸国では社会的問題にないものを厳しく罰すると、社会を混乱させるという判断から規制していない。日本のように大麻を取り締まると、罪のない人を犯罪者にすることになる。
日本では大麻は麻薬だという社会的錯覚で規制されてきた。著者はいますぐ大麻取締法を廃止できないとして2つの提案をしている。第1に、とりあえずはカンナビの少ない大麻を規制から外すべきだ。第2に、カンナビを麻薬として取り締まるべきかどうか、検討委員会をつくって検討すべきだと。
日本社会は歴史的に大麻を大切にしてきた文化がある。日常の衣類だけでなく、産着や神儀・魔よけなどで使用してきた。さらに麻のつく地名や名字も多い。著者は日本は、「大麻を麻薬としてではなく、貴重な資源の一つとして生活の中で有効に使い、それを文化にまで高めた世界でもまれにみる国」だとのべている。
日本で大麻を犯罪視したのはつい60年ほど前からなのだ。大麻を犯罪として取締りの対象にするのが、いかに馬鹿げているか本書を読むとよくわかる。大麻を犯罪視してきた歴史を読み解く好著である。
  
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2009年06月21日

力のある日本語の復権が必要だ

内田樹「英語なんていらない奇跡の国、ニッポン」(『新潮45』09年7月号)によると、日本は英語ができなくても日常生活に何の支障もなく生活できる世界的にも希に国だという。日本では英語ができなくても知識人であることが可能なアジアでは例外的な国である。日本人の学者は母語だけで本を書いても一生食べていける。これがどれほど例外的な幸運であるか日本人は気がついていない。日本以外のアジアの多くの国では、自国語だけでは知的職業に就くことは困難だ。
文科省が日本の子どもたちの英語力を上達させようといろんな教育政策を行っている。だが子どもたちの英語力はいっこうにつかない。日本社会が英語をしゃべれなければ困る状況になれば、みんな英語がしゃべれるようになるだろう。アジア諸国のように、英語が使えないと知的職業や公務員につけないとなれば日本人も英語が得意になるだろう。内田は日本の子ども達が英語ができない背景には、日本の英語教育の問題以前に何か巨大な心理的=文化的ブロックがかかっている可能性があるとしている。それは「攘夷」という心性が日本人の魂の古層に生きているからではないかという仮説をだしている。幕末日本の欧米の植民地になりたくない、洋夷に屈しないという抵抗の心性が魂の古層にあるのではないかというのだ。そして日本が近代化に成功したのは漢語による翻訳文化があったからだというのが内田の仮説である。
内田の仮説の当否についてはこのさい置いておこう。英語や英語教育の問題は私の関心外だ。私の関心は英語の氾濫と日本の言論や抵抗勢力の衰退がつながっているのではないかということだ。
昨今の学者・知識人の論文はどれも外来語の氾濫である。一般庶民が読む論文なのだ。なんでこんな言葉まで英語で書かなきゃならんのだと思うほどに多用されている。そしてそうした論文に限って読後は何も残らない。日本人は日本語でしかイメージは喚起されないのだ。こんな論文が力を持つわけがない。ゴミのようなものだ。外来語は一時的に流行してもやがてゴミ箱行きになる。まっとうな日本語で力のある論文を書くのが「幸運」な学者・知識人の使命ではないのか。
同時にそれは対抗主体の側にもいえることだ。90年代以降からだろうか、市民運動などでもさかんに外来語が使用されるようになった。一見ハイカラに見えたそうした外来語の多用こそ、日本の社会運動が衰退していったことと表裏一体の関係ではないのか。運動主体がイメージ豊かな日本語を創出できなかったことが、運動を減速させていった原因ではないのか。
かつて「階級」とか「変革」とか「革命」という言葉には力があった。それが人々を突き動かした時代があった。だがいまやそうした言葉は色褪せてしまい、挙げ句のはてに権力に簒奪されている。湯浅誠たちは知識人やメディアが多様した「格差社会」という言葉に対して、「貧困」という言葉を対置して日本の社会状況をくっきりと浮き彫りした。そして新たな運動を創りだした。 
そうした力のある日本語を学者・知識人、さらに対抗主体が創出していかなければ日本の対抗運動はジリ貧になるだけだ。そのためには英語に依拠している限りだめだ。力のあるイメージ豊かな日本語を復権していかなければならない。そしてそれは歴史から学ぶしかないのだ。
かつての吉本隆明の文章に迫力があったのは強靭な論理力だけではない。吉本独特の造語の巧みさにあった。内田も吉本ほどではないにせよ言葉遣いの巧みさが光る。内田はどこかで力のある日本語(漢語)の復権を提唱していた。ぜひ尽力してほしい。



  
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2009年06月20日

室井尚『タバコ狩り』を読むー本格的禁煙ファシズム批判の本

WHOはここ10年ほどタバコ撲滅運動に取り組んできた。背景にはつぎのような事情がある。ブルントラントは元ノルウェーの女性首相で1998年にWHO事務局長に就任した。彼女は就任演説でいきなり「タバコは人殺しだ」と宣言し、WHOの総力を挙げて全世界のタバコ絶滅に取り組み始めた。その前まで「受動喫煙の害はまだ科学的には証明されていない」という立場を取っていたWHO傘下の国際ガン研究機関は、タバコの副流煙を「発ガン性のあるグループ1」であると発表した。その後WHOは非科学的反タバコ・キャンペーンを精力的に展開してきた。ブルントラントによる反タバコ・キャンペーンの総仕上げが、03年にWHO総会で議決されたタバコ規制枠組条約だ。2010年までにすべての締約国は完全禁煙の法制化を行わなくてはならない。
室井は本書で、喫煙の健康被害は極端に誇張されたものであり、受動喫煙の害に関してはそのほとんどがでっちあげであることを論証している。そして「なぜ私は嫌煙論に反対するのか」つぎのように書いている。
「タバコの害について…多くの嫌煙論者が群がってきてバッシングを受けるという現在の状況はあまりにもグロテスクと言うしかありません。このまま進んでいくと、2010年には日本でも完全禁煙法が施行されることになります。…もうここまで来てしまうと、もはや国家間の争いではなく、喫煙を愛する人々と、それを憎み地球上から絶滅させようとする人々との間の長くて過酷な戦争になることでしょう。実際にそれは中世の宗教戦争ととてもよく似ています。問題は後者の人々がWHOや国連のような国際機関で主導権を握り、偏った「健康」イデオロギーと「浄化」の思想によって、全く反論や異質性を認めない不寛容な政策を全世界に押しつけようとしている点にあります。いわゆる「ゼロリスク社会化」が世界を窒息させようとしています。これは、グローバル資本主義というシステムに従属する人々が、そこに属さない(せない)第三世界の人々や格差社会の中で置き去りにされた人々を、「余計者」「他者」「社会に害をなすもの」と見なして、徹底的に排除しようとする欲望の高まりがそうさせているようにも思えます。」
「SARSと鳥インフルエンザの両方の場合に共通しているのは、ある脅威に対して、それが「人類共通の敵」であると名指しされると、他のすべての活動を犠牲にしたり、人々の自由を奪ったりしても、その「敵」を排除するためならばどんなことでも容認されるという態度です。「防疫学化する世界」とか、「文明の免疫不全症候群」、あるいは「AIDS化した世界」と私が呼んでいるのは、こうした現在の文明状況にほかなりません。そして、それは「9・11」事件以降の「テロとの戦い」に方向づけられた世界が陥ってしまった強度の神経症なのではないかと思います。国家間の戦争と違って、「テロとの戦い」には国境という空間的境界線はありません。…「テロとの戦い」においては、「外と内」の区別が溶解してしまっているのです。「外」の敵ではなく、内側に何気ない顔をして潜んでいるかもしれない敵であるテロリストという「悪」を排除し、絶命させることが、「人類共通の」義務であるというのが、ブッシュ政権の言う「テロとの(長期的な)戦い」でてあったわけです…そして、言うまでもなくタバコに対する極端な規制強化もまた、そのような「あなたにもできる対テロ戦争」のひとつだったのではないかと思います。それはまさしくWHOによる防疫学的な政策決定のひとつであり、そのためには個人の嗜好品を楽しむ自由を奪い取ってもかまわないのだとするような思考に支配されています。」
愛煙家の室井は最後にこう書いている。
「私は喫煙を擁護します。それはネイティヴ・アメリカンたちがもたらしてくれた、他に此類のない快楽であり、人類の歴史の中で長い時間をかけて熟成されてきた文化だからです。…それは法律や規制の問題はなくて、異質な他者と触れ合うマナーの問題であり、そしてまた異なる価値観や文化の多様性を擁護するための抵抗だからです。」
やっと待ち望んでいた本格的禁煙ファシズム批判の本が登場した。

  
Posted by sho923utg at 18:53Comments(1)TrackBack(0)

2009年06月18日

進歩が終わった世界をどう生きるのか

見田宗介×三浦展対談「進歩が終わった世界を若者はどう生きるか」(『中央公論』09年7月号)を興味深く読んだ。
1985年以降に生まれた世代では、「近代合理主義」「進歩」「夢」「未来」といった価値意識が溶解しているという。それは以下の調査結果を見るとよくわかる。
「あの世を信じる」1973年 5%→2008年23%
「奇跡を信じる」 1973年15%→2008年36%
ウェーバーは人々があの世や奇跡といった呪術的なものを信じなくなることが近代化だとした。しかし近年の日本人の意識調査では、若者の「再呪術化」が進行している。それは近代合理主義の世界観がゆらいでいる証拠だ。見田はそれを「合理主義の限界をわきまえた」合理主義に向かいつつあると肯定的にとらえている。
20世紀を支えた大量消費による高度成長が、もはや資源・環境の面で不可能だとわかってきた。だがつぎの世界が見えない。いま日本社会全体が、近代という高度成長期を終えて何をすればいいのかわからなくなっている。
21世紀的生き方として見田が推奨しているのが、メキシコにあるという「よい人生を送った人に与える賞」。これからの時代は「よい人生を送る」ことが大事な価値になる。「よい人生」とは、自分も幸福な人生を送り、周りの人も幸福にするということ。地位や富にかかわらず、そういう人が尊敬される文化が生まれないと21世紀の方向は見えてこない。 
日本は前近代社会では中国をモデルとし、近代社会では欧米をモデルにしてきた。近代後はラテンアメリカの文化がモデルになる。ラテンアメリカの文化の基本は人間関係それ自体を楽しむこと。人間関係楽しむには、あまり資源を浪費しなくてすむと。
見田が『朝日ジャーナル』(創刊50年緊急増刊号)に書いた「現代社会はどこに向かうか」は、最近読んだ論文では最もインパクトがあった。見田は現代は高度成長という近代が終わり、近代後へと移行する過渡期であるとし、その精神的変容を「近代家父長制家族の解体」と「近代合理主義的な世界像のゆらぎ」にみていた。
見田のつぎの文章は圧巻である。
「「近代」という高度成長期の人間にとって自然は、「無限」の環境容量として現象し、開発と発展のための「征服」の対象であった。「近代」の高度成長の成功の後の局面の人間にとって自然は、「有限」の環境容量として立ち現れ、安定した生存の持続のための「共生」の対象である。
かつて交易と都市と貨幣のシステムという、「近代」に至る文明の始動期に、この新しい社会システムは、人びとの生と思考を、共同体という閉域から解き放ち、世界の「無限性」という真実の前に立たせた。…
この交易と都市と貨幣のシステムの普遍化である「近代」はその高度成長の極限の形態である<情報による消費の無限創出>と世界の一体化自体を通して、球表の新しい閉域性を、人間の生きる世界の有限性を再び露呈してしまう。
かつて「文明」の始動の時に世界の「無限」という真実に戦慄した人間は今、この歴史の高度成長の成就の時に、もう一度世界の「有限」という真実の前に戦慄する。
宇宙は無限かもしれないけれども、人間が生きることのできる空間も時間も有限である。「軸の時代」の大胆な思考の冒険者たちが、世界の「無限」という真実にたじろぐことなく立ち向かって次の局面の思想とシステムを構築していったことと同じに、今人間はもういちど世界の「有限」という真実にたじろぐことなく立ち向かい、新しい局面を生きる思想とシステムを構築してゆかねばならない。」
  
Posted by sho923utg at 22:32Comments(0)TrackBack(0)

2009年06月17日

戸井十月、カッコイイゼ!

戸井十月が7月からユーラシア大陸横断の旅を始めるという。ポルトガルから東京まで4カ月かけてバイクで辿る4万kmの旅は5大陸走破の最終ステージである。6月17日朝日新聞夕刊に、戸井自身が「世界が、少しだけ見えてくる」としてそのことを書いている。引用してみよう。
「バイクで旅すると、体で風景と出会える。体は日晒し、雨晒し。だから温度や湿度を五体で感じ、音や匂いが皮膚から沁み込む。…バイクで走ると風景は風のように飛んでいく、などというのは嘘で、実は足元の小石から地平線に沈む夕日まで、大いなる広がりと奥行きの細部がよく見える。そして、毎日毎日積み重なっていく風景の断片が集まって、世界が、少しだけ見えてくる。
…バイクの旅の面白さや深さを知らなかったら、私の人生はずいぶんと薄っぺらなものになっていただろう。悪戦苦闘の揚げ句にささやかな、しかし確かな真実と希望とに出会う体験、それが旅だと私は思う。それを信じて、私は私の旅ををする。…たとえそれが壮大な無駄であったとしても、どこへも辿り着かない徒労であったとしても、私には旅への衝動を押し殺すことができない。
人は誰も、生から死へ至る途上を生きている。人生は過程(プロセス)だ。どこに辿り着いたか、何を得たかではなく、今、どこへ向かおうとしているのかが肝要ではないだろうか。…旅を始める時が来た」
これほどみごとな文章を最近私は読んだことがない。戸井十月カッコイイゼ! 60歳でユーラシア大陸横断なんて団塊世代の希望の星だぜ。
 
以下、私の「のサイト」に書いた戸井十月『遥かなるゲバラの大地』の書評を再掲載しておく。

「戸井十月54歳。5大陸走破行の第4弾、南米大陸1周2万キロの記録だ。旅の途中、ブエノスアイレスでアルゼンチン対ブラジル戦のサッカーの試合を観戦する。ラテンアメリカのサッカーは単なるスポーツ以上の何かである。人生に欠かせない娯楽であり、文化であり民族主義や愛国心の発露でもある。チームが敗けたため崩壊したり打倒された政権もある、敗けたチームの選手が殺されたりもする。試合前に100人ほどの人々が胸に大きな写真を掲げてグランドを1周した。アルゼンチンは70年代のペロン独裁政権の時代、1年間で3万人が闇に消えた。なかでも将来反体制になりそうな少年少女まで連れ去ったという。30年前に失踪したわが子をさがす親族たちなのだ。「政治失踪」はブラジル・チリ・ウルグアイなどの軍事政権が多用した。スポーツイベントの前に、こんなパフォーマンスが繰り広げられることなど日本では考えられない。人々の心にサッカーが位置する場所がまるで違うのだ。
 圧巻はゲバラが殺された村と、その遺体が30年間秘密裏に埋められた村を訪問するところだ。ボリビア国軍とアメリカCIAはその場所をひた隠しにしてきた。そこが「聖地」になることを恐れたためだ。ゲバラに最後の食事を運んだという元教師にインタビューしている。ゲバラは射殺される直前に、何でこんなことをしているのと問う19歳の娘に、理想を実現するためだよ、貧しい人が人間らしく暮らしていける社会を実現するために闘ってきた、覚悟はできているとこたえる。ゲバラの遺体は95年に発掘されてキューバへ運ばれた。カストロはゲバラ追悼式典でこういった。「君たちが勝ち取ろうとした理想を実現するため、いまも困難な闘いを続けている我々を助けるために君たちが戻ってきてくれたことを感謝します」。今ラテンアメリカが面白い。ベネズエラ、ボリビア、チリ・・・と反米政権が相次いで誕生している。ラテンアメリカはゲバラが追い求めた理想に少しずつ近づいていくだろうとゲバラ信者の著者は期待している。
 それにしても戸井十月恐るべし、おれと1歳しか違わないが、南米2万キロを1周した気力・体力・知力には脱帽。しかも60歳にはユーラシアを1周するという。まさに団塊の世代のヒーローだぜ。」
  
Posted by sho923utg at 21:02Comments(0)TrackBack(0)