2009年11月30日

イギリスの教員評価ー教育労働者の法律論(48)

こんかいから断続的に世界の教員評価と「指導力不足教員」制度について報告する。最初にイギリスとフランスの教員評価・「指導力不足教員」制度につい4回にわたって連載する。日本のそれとの大きな違いにおどろくだろう。(月刊『むすぶ』ロシナンテ社09年11月号掲載)

最初にイギリスをとりあげる。イギリスの学校の最高決定機関は学校理事会で、学校予算・教育課程・教員給与・教員評価・校長や教員人事等広範な権限をもっている。
イギリスでは「1986年教育法」で教員評価の導入が規定され、「1991年教員評価規則」で教員評価が全面実施、さらに「2000年教員評価規則」で新たな教員評価制度が導入された。
学校理事会は教員評価の方針を決定して定期的に評価することが定められている。校長は学校理事会に対して毎年教員評価の運用状況、評価の効果、教員に必要な研修について報告する義務を負っている。
教員評価の目的は、(1)個人や集団レベルで教員の仕事を支援して改善すること、(2)効果的な授業やリーダーシップが発揮できるようにすることにある。
そして学校全体の改善計画の中で教師集団が教育目標について検討し合意するための枠組みを提供するものだとされている。
初等学校では校長が教員を評価する。中等学校では教科主任が教員を評価し、校長が教科主任を評価する。校長の評価は学校理事会が行う。
評価者と被評家者は年度始めに教育目標について話し合う。この目標には生徒の成績向上や教員自身の職能成長などがふくまれていて合意すれば文書化される。
年度中の評価は授業観察と簡単な聞き取りによって行われる。年度末には両者で一年間をふり返ってこんごの課題が確認される。
これらの評価結果は評価者と被評価者の話し合いによって確認され、評価書の内容について合意すれば両者が署名する。
被評価者は評価結果に納得がいかない場合、評価者が教科主任の場合は校長に申立て、評価者が校長の場合は学校理事会議長に申立てる。評価者は申立てがあってから10日以内に再検討し、再評価をするか再度話し合うか評価を変更しないか決定する。
こうした教員評価は雇用や待遇と直結しているわけではなく、教員の資質向上や学校の教育目標達成として行われている。
教員評価について教員がおおむね肯定的にとらえているのは、職能成長を目ざしたものであると同時に学校改善と結びついていることが明確なためである(参考文後出)。
  

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2009年11月27日

ほっこりにっこり快適床暖房生活

昨日、「家のリフォーム騒動」と書いた。
わが家の居間と和室を床暖房にしたのだ。家を建ててから30年近くたっている。居間の床板が劣化してフワフワするわ、和室の畳が傷んでいるわで、だいぶ前からリフォームしなけりゃならんなと考えていた。
たまたま電気釜をガス釜に買い替えるために、近くのガス屋さんに行ったら、床暖房の宣伝をしていた。「いまがオトク、2部屋なら20%引きの工事費」だという。
そこで床暖房についてネツトで調べてみた。床暖房には電気とガスがある。電気の光熱料が安いという電気派もいれば、ガスがいいよというガス派もいて、賛否両論である。
そこで汐見文隆さんの『低周波音症候群 聞こえない騒音の被害を問う』(アットワークス)を読んでみた。風力発電の低周波公害とともに、エコキュートの低周波公害に苦しんでいる人々の体験談が紹介されていた。
それで迷わずガスの床暖房にすることにした。床暖房工事は2日間ですむのだが、それよりも家の片づけが大変だった。あっちのものをこっちに移し、こっちのいらないものを捨ててと、1週間ぐらいかかっってしまった。
なによりも、捨てるべきゴミのあまりの多さに呆然とした。ゴミのでることでること。よくぞこんなにもいらないものをしまいこんでいたもんだとなかば感嘆した。
そして、あまりにもハードな片付け作業で、登山よりも体重を減らしてしまった。
ガスの床暖房は快適である。あたたまるまで、居間なら30分、和室なら1時間程度ときいていたが、実際には居間が5分、和室が10分ほどであたたかくなる(冬場はもう少しかかるだろうが)。
足元からホカホカとあたたかく、体全体がポカポカあたたまってくる。床の上に寝転んでも気持がいい。あまりの気持良さについうたた寝してしまう。畳の暖房はさらにが気持よい。座ってよし、寝転んでよし。部屋全体があたたまるので他の暖房はいらないほどだ。
ほっこり・にっこりの快適床暖房生活である。

  
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2009年11月26日

日本300名山登山ー鷲ガ岳(1672m 日本300名山)

家のリオォーム無騒動で一ヶ月ほど山籠りができずにいた。久しぶりの山行である。
東海北陸自動車道の高鷲インターでおりて、鷲が岳スキー場から桑ガ谷林道を終点まで進む。道には雪が積もっているが、四駆の強みでまったく問題にならない。
終点には「はち・まむし注意」の大きな看板はあるが、登山道の看板は消しゴム程度の大きさで気がつかない。
10cm以上雪の積もった登山道を歩き出す。アイゼンは持参したが必要なさそうだ。
40分ほどで「いっぷく平」に着く。ここからは真っ白に雪化粧した白山・別山が展望できる。特に白山の白さは周りの山の中で群をぬいている。
途中で猟銃を肩から下げた3人の猟師に出会った。猪がいるというのだ。親子連れの6頭が群れで移動しているという。
「流れ弾に気をつけてくださいよ」といったら、「大丈夫ですよ」との返事が返ってきた。
鷲ガ岳は頂上付近まで道路が通り、すっかり景観が損なわれている。道路ををしばらく歩き、やがて頂上直下の最後の急坂となる。久しぶりの山行でさすがに息があがる。1時間20分ほどで頂上に着く。
頂上からの景色は圧巻である。1700mに満たない山ながら、360度の大展望である。
北アルプスから乗鞍・御岳、そして中央アルプス、さらに伊吹山・能郷白山・毘沙門岳・大日ガ岳・白山と見渡せる。特に御岳山は三つの嶺がくっきりと聳えて、他の場所から見るのとは趣が違う。
下山は往路。天気が良くて山道の雪もほとんど解けていた。
  
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2009年11月25日

がんは生命そのものだ!―NHKスペシャル「立花隆ががんの謎に挑む」

11月23日放映のNHKスペシャル、「立花隆ががんの謎に挑む」は見応えのある番組だった。膀胱がんになった立花隆が、がん医療最前線を訪ねてがんの謎にせまる番組だ。
1971年にニクソン大統領が「がん戦争宣言」をして以来、世界で100万種におよぶがん撲滅薬をさがしてきたがみつからない。
はたして人類はがんを征服できるのか。がん学界は現時点であと50―100年はかかると予測している。
しかし、人類はがんを克服することは出来ないだろう。なぜなら、がんは生命が孕んでいる宿命のようなものだからだ。がんの謎が解明されればされるほど、がんは生命が進化の過程で獲得してきた遺伝子と深いつながりがあることがわかってきた。
仮にがんの原因がわかっても直すのは非常にむずかしい。人間が生きていることががんを発生させるからだ。3億年前の恐竜にもがんが見つかっている。
生命進化の過程で多細胞は自己を再生産をするようになる。だが細胞のコピーミスは避けられない。コピーミスががんを発生させる。だからがんにならないのが不思議なのだ。
HIF−1=低酸素誘導因子。HIF−1は低酸素の地球を生きぬくために多くの生命が獲得してきたものだ。このHIF−1が低酸素状態でもがん細胞を延命させ、さらにがんが移動できるように援助している。
マクロファージという免疫細胞がある。マクロファージは本来ならがん細胞を食べて増殖を防いでくれるはずだ。ところが逆にがんの進行を手助けしている。
HIF−1やマクロファージだけでなく、さまざまな細胞ががんに栄養を与え、成長を助けていることがわかってきた。がんは進化の過程で獲得してきたたくさんの遺伝子を、みずからの増殖に使っている。こうなるとがんと正常細胞の関係を絶つのは困難だ。
がん幹細胞というのがある。がん細胞にもいろいろあるが、がん幹細胞はすぐに増殖し抗がん剤がきかない。しかもがん幹細胞は生命の根源である幹細胞ととても良く似ている。
世界で初めてips細胞を生成した山中教授は、ips細胞はがん細胞にとても良く似ているという。そして人間がイモリのように再生能力がないのは、がんにならないために進化の過程で獲得してきた能力ではないのか。つまり人間はがんにならないために進化の過程で再生能力を犠牲にしてきたのではないかという。
立花隆は番組の最後で末期がん患者を治療している徳永進医師を訪ねる。そして患者ががんと折り合いをつけて生きている姿に接する。
死を迎えてもジタバタしない。抗がん剤を使わない。人間はみな死ぬ力を持っている。死ぬまできちんと生きることこそががんを克服することだ。
立花隆はそう結論している。
  
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2009年11月24日

「日の丸・君が代」闘争(5)ー教育労働者の法律論(47)

「日の丸・君が代」強制とどうたたかうか。5回にわたって掲載する(月刊『むすぶ』04年2月号、05年3月号、本ブログ掲載文章より)

教職員は処分覚悟で「君が代」闘争をたたかえ! 
メデイァで繰り返される論調だ。週刊金曜日743号の「論争」欄にもこの手の意見が掲載されている。北教組の賃金カット反対のスト処分者が13000人、君が代処分が年54人。自分の給料のためには闘うが、生徒の命のためには闘わない。教職員は「君が代」闘争を処分覚悟で闘えと檄を飛ばしている。
こうした人々は自ら安全な場所にいて気楽な発言をしていることが多い。私は「君が代」闘争より、北教組の賃金カット反対のストをはるかに大事と思うし、労組が労働条件闘争で大量の処分者をだして闘うことを立派だと尊敬する。私は「君が代」闘争に比べたら労働条件闘争の方がはるかに重要だと考える。
  
日本人は玉砕が好きなのだろう。潔く散る「散華の思想」である。「日の丸・君が代」闘争もそうだ。 
東京都では石原都政の「戒厳令下」で「日の丸・君が代」闘争がたたかわれている。東京の闘いのシンボルが家庭科教師Nさんだ。Nさんは今年の卒業式も不起立で免職の恐れがあったが、Nさんを支援する闘いで停職6カ月にふみとどまった。
「クビになっても君が代に反対する」というのがNさんの気概だが、私はそこに危うさを感じてきた。そのことを文芸評論家の斉藤美奈子が週刊金曜日で書いている。
「彼女の闘いは支持するし、教育実践にも敬意を評する。…が権力との闘い方はそれしかなかったのかとの思いも禁じえない」(NO693)。
これに対して読者から反論が寄せられている。「弾圧が激しくなるほど闘いを貶めるこの手のかしこぶった言説が横行し、闘いから世論を離反させ」「闘っている者に冷水をぶっかける」と(NO695)。
そうだろうか。
権力が総力をあげて国旗・国歌を強制しようとしているとき教職員だけでは闘えない。圧倒的な不利な情況で後退戦をどう闘うか。クビや処分覚悟で闘う「玉砕」だけでは情況は切り拓けない。
一歩ひきながらも情況と対峙する「後退戦の思想」が問われる。戦中でも不転向を貫いた人々もいたが、一見転向したかにみえてしぶとく後退戦を続けた人々もいた。
吉本隆明は共産党員の不転向は時代情況に目を閉ざした転向であったと書いた。国鉄民営化も同様である。
動労の民営化路線は「生きのびるリアリズム」で「裏切りと言うことはできない」(熊沢誠『自治研』08年5月号。同趣旨樋口篤三論文『情況』08年1・2月号)。
教育労働者は後退戦を強いられても現場にふみとどまってこそ存在価値がある。
Nさんを支援する人々も彼女の闘いを英雄視するのではなく現場に踏みとどまる勇気をこそ助言してほしい。「直接抵抗している人だけが抵抗しているのではない」(佐高信 週刊金曜日700号)のだ。
週刊金曜日にNさんの支援にかけつけたという春日井市の小学校教員Oの談話が載っている。「(愛知)県での不起立はもう私1人です」だって(週刊金曜日699号)。
おい、おまえ1人が不起立だってのはホントか? ったくよくいうぜ。愛知県下でたたかっている教育労働者が怒るぜ!



  
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2009年11月19日

「日の丸・君が代」闘争(4)ー教育労働者の法律論(46)

「日の丸・君が代」強制とどうたたかうか。5回にわたって掲載する(月刊『むすぶ』04年2月号、05年3月号、本ブログ掲載文章より)


腹が立つことなのではっきりと書いておきたい。「日の丸・君が代」をめぐる学者・評論家の発言である。『法学セミナー』(04年7月号)が「現場から考える教育基本法」の特集をしている。
そのなかで野田正彰・斎藤貴男・西原博史が「教育をめぐる現状、何が問題か」のタイトルで鼎談している。このなかで野田はつぎのように発言している。「とにかく歯がゆいですね。斎藤さんがはじめに、全員クビになったら困るからといったけれど、全員座ったら絶対、全員クビにならないですよ。少なくとも9割の教師が立たなかったら、彼らも九割は処分できない。要は一割しか抵抗していないので処分できるわけです。」
これをうけて斎藤はつぎのようにいう。「生徒が立たないのも教師のせいだと、そこまで都教委が人間というものをナメきっている以上、もうこれは何が何でも徹底的に闘わなければいけないということと、やはり教師になろうと思ったときの気持ちを思い出してほしいですね。「でもしか教師」と昔言ったけれど、そう簡単になれる仕事でもないわけです。やはりそれなりの理想とか夢があったはず。」
わたしは3人の仕事からいままで多くのことを学んできた。3人とも現在の言論界では良心的な学者・評論家諸氏であると思う。だがこの発言はいただけない。というか現状がまったくわかっていない。野田は9割の教師が座ったら処分できないという。わたしはそうは思わない。東京都の教育現場はいまや戒厳令下にある。教職員は治安維持法下の「戦時中」に生きているといってもよい。石原都政は本気で教職員に処分攻撃をかけてきている。立たなかった9割の教師をまちがいなく処分するだろう。野田の認識は甘いというほかない。斎藤にいたっては、「教師よ、処分覚悟で徹底抗戦せよ」とアジっているが無責任である。
それでは大学教員である野田と西原にきくが、あなたがたは大学で同様の事態に遭遇したとき(ないとはいわせない)、処分覚悟でたたかうのか、いやたたかってきたのか。ましてや戒厳令下にあってもその勇気があるのか。自分ができもしないことを人に要求してはいけない。いわんや処分覚悟の徹底抗戦など戦術的にもまちがっている。
なんどもいうが、「日の丸・君が代」問題は「学校問題」ではない。つまり教職員だけの問題ではない。なぜいま権力が「日の丸・君が代」を「踏み絵」にしながら、教職員を徹底的に弾圧してきているか。憲法・教育基本法を改悪し「戦時体制」を構築するためである。そのことはあなたたちの方がよく知っているだろうから繰り返さない。権力が総力をあげて国旗・国歌を強制しようとしているとき、教職員だけでは抵抗できないし、教職員だけに責任を負わせるべきではない。いま一度内心の自由に照らし、国旗・国歌は強制できるのか、裁判闘争をふくめてあらゆる方面で国民的論議をまきおこすべきだ。それを社会に訴えるのが言論人としてのあなたがたの責任ではないか。
本連載でも書いたが(「日の丸・君が代とどうたたかうか」04年2月号)、権力の「日の丸・君が代」の強制に対し、いまもっとも有効な反対闘争は父母・生徒の「卒業式・入学式ボイコット運動」だ。もう少しやわらかくいえば、父母・生徒をふくむ地域住民や市民の学校包囲網だ。そうした包囲網の陣形が形成されないかぎり、処分攻撃をかけられている教職員だけではたたかえない。だがふしぎなことに、革新政党や労働組合・市民運動からもそうした問題提起はない。野田や斎藤・西原ら著名人が、「日の丸・君が代を強制するような卒業式・入学式なんか、ボイコットしようぜ!」と、市民にアナウンスしてくれたほうがはるかに運動として効果的だ。
学校現場の教職員でも卒業式や入学式に異様にこだわるひとたちがいる。問われるべきは卒業式・入学式が本当に必要なのかということだ。卒業式も入学式もなくてもいっこうにこまらない。現にヨーロッパ諸国では卒業式も入学式もない。学校行事があるかぎり権力は必ずそれを利用しようとする。それは天皇の存在と同じだ。教育学など現場の教員にはほとんど役に立たないが、西原ら教育学者には、明治以来連綿と続く学校行事の「脱構築」といった実践的課題にこそ取り組んでほしい。

  
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2009年11月18日

「日の丸・君が代」闘争(3)ー教育労働者の法律論(45)

「日の丸・君が代」強制とどうたたかうか。5回にわたって掲載する(月刊『むすぶ』04年2月号、05年3月号、本ブログ掲載文章より)

戦後の「日の丸・君が代」闘争の歴史をふりかえるとき、いくつかの疑問がわいてくる。
第1に、なぜ革新勢力は「日の丸・君が代」を国民的課題として問題提起してこなかったのか。たしかに新しい国歌をつくる運動も戦後の一時期にはあった。しかし、「日の丸・君が代」はつねに「学校問題」としてだけ論議されてきた。
わたしは「日の丸・君が代」を国旗・国歌とするか否か、革新勢力が国民投票を提起するなどして、積極的に国民的論議をまきおこすべきだったと考える。「日の丸・君が代」問題に、日教組も革新政党も臆病であったといえよう。こうした国民的論議をおこたったツケが、99年の国旗・国歌法の成立となり、現在の困難な事態を引きおこしている第1の要因だと思う。
権力が総力をあげて国旗・国歌を強制しようとしているとき、教職員だけでは抵抗できないし、教職員だけに責任を負わせるべきではない。いま一度内心の自由に照らし、国旗・国歌は強制できるのか否か、裁判闘争をふくめてあらゆる方面で国民的論議をまきおこすべきだ。
第2に、なぜ「日の丸・君が代」のたたかいが学校現場の教職員だけに限定され、労働者・市民をまきこんだ広範な運動に発展しなかったのか。その点にかかわって思いだすのが、1950年代の勤務評定反対闘争である。勤評闘争では、解放同盟などを中心に「同盟休校」が取り組まれた。子どもたちの同盟休校は、教職員の勤評反対のたたかいに連帯する労働者の支援運動だった。
「日の丸・君が代」の押しつけに対しもっとも有効な反対闘争は、子どもたちや父母の卒業式・入学式ボイコット運動だ。教職員のたたかいに連帯する同盟休校である。しかしわたしの知るかぎり、教組や革新政党・労働組合からもそのような問題提起はなかった。「日の丸・君が代」が義務化された八〇年代以降、学校現場のきびしいたたかいに連帯しようとする同盟休校運動は、労働者や市民からついにおきなかった。
第3に、「日の丸・君が代」は問題にされても、卒業式・入学式といった学校行事そのものを問う視点が欠落していたのではなかったか。明治の教育制度以来、学校行事は子どもたちに国家観をたきこむ最良の場であった。しかし、戦後教育は卒業式・入学式だけでなく、運動会や修学旅行などの戦前の学校行事をなんの反省もなくそのまま踏襲してきた。形式的にも内容的にも戦前とほとんど変わらない学校行事が戦後もつづいてきた
問われるべきは、卒業式・入学式がほんとうに必要なのかということだ。卒業式も入学式もなくてもいっこうに困らない。現にドイツでは、入学式といっても母親が子どもをつれていきなり教室へいき、担任と顔合わせするだけのかんたんなものだ。卒業式だってない。担任と子どもたちの卒業旅行があるだけだ。
学校行事があるかぎり、権力はかならずそれを利用しようとする。それは天皇の存在とおなじだ。卒業式も入学式も必要ない。子どもたちと先生の出会いと別れ、それだけの簡素なものでよい。教職員組合は戦前から連綿とつづく学校行事を再度問い直し、その是非についてひろく問題提起していくべきではないか。
第4に、戦後の「日の丸・君が代」反対闘争は、イデオロギー面にシフトしすぎて、問題の本質を見あやまったのではなかったか。「日の丸・君が代」問題の本質は「強制」問題である。「日の丸・君が代」が戦前のように国民統合のシンボルとなることもないし、天皇制イデオロギーを注入することもない。単に権力に服従するかどうかの「踏絵」として利用しているだけだ。しかし戦後の反対闘争は、「日の丸・君が代」が天皇や戦争につながるものとしてイデオロギー面からの反対に終始し、国旗・国歌の強制がなぜ許されないか、思想・良心の自由の問題としてきちんと理論化する作業をおこたってきた。
いまわたしたちは、戦後の50年代に匹敵する教育反動の時代を生きている。保守支配層が50年代にやろうとしてできなかった国家構造改革が、着々と達成されつつある。教育改革もそのひとつだ。わたしはこれを「50年代体制の確立」とよんでいる。しかし現在進行している凶暴な教育改革は、かならず頓挫するときがくると確信している。わたしたちはその日がくるときを、教育改革の嵐が吹き荒れる荒涼とした風景のなかに佇んで、目を凝らしてみつづけていよう。         

  
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2009年11月17日

「日の丸・君が代」闘争(2)ー教育労働者の法律論(44)

「日の丸・君が代」強制とどうたたかうか。5回にわたって掲載する(月刊『むすぶ』04年2月号、05年3月号、本ブログ掲載文章より)

「日の丸・君が代」に対する現在のわたしのスタンスはつぎの2点だ。
第1に、「日の丸・君が代」闘争よりも労働条件闘争のほうがはるかに大事だということだ。
現在の教組の弱体化は、労働条件闘争への取り組みの弱さに起因している。教育問題は教員問題であり、教員問題とは教育労働問題である。
教育荒廃や学力低下は、教育学者の藤田英典が指摘するように先進国共通の問題である。教育荒廃や学力低下に対処するには、教職員の労働条件の改善が最優先されなければならない。
教職員にとって労働条件闘争こそ喫緊の課題であり、新たな労働運動の展望を切り拓くたたかいとなる。
一例をあげれば年休闘争である。年休二〇日間完全取得をめざす運動を、なぜ日教組などの大労組は提起しないのか。これは政府も奨励している合法闘争なのだ。年休闘争は教職員増や代替要員、ワークシェアリングなどの時短にかかわる労働運動の最重要課題のひとつだ。
これに比較したら、「日の丸・君が代」闘争の意味はさほど大きくない。
第2に、卒業式・入学式の「日の丸・君が代」の全国実施率が100%だということは、全国の愛知化が完了したということだ。
組織的抵抗の時代はおわり、個人的不服従の抵抗しかのこされていない。組織にたよるたたかいではなく、個々人の創意工夫をいかした闘争があるだけだ。
ちなみにわたしはここ20数年、卒業式・入学式には休暇をとって休むことにしている。どんなに反対してもわたしの意思に反して強制するなら、「日の丸・君が代」のある風景には立ち会わない。これが長年のたたかいの結果たどりついた結論だ。
卒業式・入学式に休むもよし、会場に入らぬもよし、やむなく会場に入るならさまざまな抵抗も可能だろう。職場の状況や力関係、各人の力量に応じてたたかうしかない。
わたしも仮に職務命令がでて、式当日の休暇を承認しないということになれば、年休権の侵害として裁判に訴えるだろう。職務命令がでたらいったん受けたあとで、その違法性を国家賠償法で争う道をえらぶ。
「日の丸・君が代」のたたかいは、違法な職務命令に対しては裁判闘争を対置することで、新たな展望を切り拓いていけるだろう。
その意味で、「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟は大きな意義がある。「予防訴訟」は、卒業式・入学式の国家斉唱のさいに、起立・斉唱・ピアノ伴奏を強制する職務命令に対して、事前に義務不存在をもとめる訴訟で、「日の丸・君が代強制反対 予防訴訟を進める会」の原告200人以上によって提訴されている(『週刊金曜日』2004年1月30日号)。
  
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2009年11月16日

「日の丸・君が代」闘争(1)ー教育労働者の法律論(43)

「日の丸・君が代」強制とどうたたかうか。5回にわたって掲載する(月刊『むすぶ』04年2月号、05年3月号、本ブログ掲載文章より)

「日の丸・君が代」の季節がやってきた。2003年10月、東京都教育委員会の卒業式・入学式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施についての通達がでて、メディアで話題になっている。通達は戦前をほうふつさせるつぎのような内容だ。
(1)国旗の場所は舞台正面に掲揚。(2)司会者が「国家斉唱」と発声して、「起立」をうながす。(3)教職員は会場の指定された席で国旗にむかって起立し、国歌を斉唱する。(4)国歌斉唱はピアノ伴奏によりおこなう。(5)卒業証書の授与は舞台壇上でおこない、児童・生徒は正面をむいて着席。(6)教職員の服装は、厳粛かつ清新な式典にふさわしいものとする。
都教委は職務命令にしたがわない教職員は処分するとし、休暇も認めない方針だという。どんな手段を使ってでも「日の丸・君が代」を定着させようという、およそ法治国家では考えられぬ違法「通達」だ。そこまでしてどんな教育効果があがるのか。職場に混乱と不信とあきらめを生みだし、教職員の教育意欲を打ちくだき、教育荒廃がいっそう進むだけではないか。      
だがおどろかれるだろうが、愛知県の小中学校では戦後50年以上、東京都の通達のように卒業式等は実施されてきた。「去年今年貫く棒の如きもの」(高浜虚子)。戦前戦後をつらぬく「棒の如きもの」こそ「日の丸・君が代」なのだ。愛知の教育界に「戦後」はない。かんたんに歴史をふりかえっておこう。
1950年、天野文相は「国民の祝日」に学校で「日の丸」を掲げ、「君が代」を斉唱するように全国の教育委員会と大学に通知した。この「天野通達」は、文部省が学校現場に「日の丸・君が代」をもちこもうとした最初の試みである。文部省は58年に学習指導要領を改訂し、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがのぞましい」と明記し、強制にのりだす。
この政府の強制策動にいちはやく歩調をあわせたのが、文部省のモデル県といわれた愛知県である。愛知県では51年に渡辺教育長が就任以来、学校現場での「国旗掲揚」をすすめ、53年には「国旗を掲揚し、国歌を斉唱」するように、各学校あてに通知をだしている。これ以後愛知県の小中学校では、学校行事での「日の丸・君が代」が100%定着してきた。
抵抗主体である教職員組合が無力だったからだ。愛知県教組は組織率ほぼ100%をほこる大組合だが、御用組合で管理職になるための出世の手段となっている。わたしが教員になった70年代には、各学校ではなんの疑問もなく前述の東京都の通達のように学校行事は実施されていた。もちろん職員会議での議論はいっさいなかった。わたしの「日の丸・君が代」闘争については、連載で何度か書いたので割愛する。
  
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2009年11月12日

定期健康診断とエックス線検査(4)ー教育労働者の法律論(42)

教職員に定期健康診断の受診義務はあるのか。特に人体に有害とされるエックス線検査の受診義務はあるのか。「教職員の定期健康診断とエックス線検査」について4回にわたって報告する(以下、月刊『むすぶ』01年7月号、05年4月号掲載文章、『なぜ日教組はたたかえなくなったか』所収)

【結核予防法(2007年に廃止され感染症法へ統合)】7条に、「健康診断の対象者は・・・健康診断を受けなければならない」とある。法の目的は結核が社会に害をおよぼすことを防止することにあり、同法による受診義務の拘束力は強いといわれる。ただし結核検査の受診義務はデインジャー・グループ(万一発病した場合周囲の未感染者に感染させる恐れの高い職業)に限定されるべきだとされる。前記最高裁判決はデインジャー・グループである教職員の受診義務を肯定したものだ(同じデインジャー・グループである生徒の集団検診が廃止されたのに、なぜ教職員だけ継続されているのかという根本的疑問はのこる)。ただし前記最高裁判決もいうように、「エックス線検査を行うことが相当でない身体状態ないし健康状態」の場合受診しなくてよい。
労安法にも結核予防法にも罰則規定はないから、受診義務の法令違反は職務命令によって具体化する。上司の命令を拒否して受診しないとき、職務命令違反が問われるだけだ(職務命令がでなければ受検しなくてよい)。前記最高裁判決から導かれる結論は、結核検査以外の法定診断項目には受診義務はないとされる。仮に結核検査に対して職務命令がだせるとしても、(1)プライバシー保護の点から職務命令による拘束力は弱い、(2)職務命令違反に対し処分が可能だとしても処分は軽いものとされるべきである、(3)受診が有害であることが立証されたときは職務命令違反による処分は違法である(渡辺・前掲論文)。
【エックス線検査】日本の結核患者は約4万人である。患者の発見は健康診断で20%、有症状診断で80%である。そのうち胸部間接撮影での発見は1万人に1人〜数人だという(森亨『なぜいま結核か』岩波ブックレット)。2000万人を超える受検者99.99・・・%がムダな被曝をしていることになる。患者発見の利益とエックス線暴露の不利益を比較するとはるかに不利益が大きい。それでは集団検診での患者発見率がかくも低率なのはなぜか。結核患者の多くがラピッドケース(急速進展例)といわれて、10カ月以内に発病するため検診でとりこぼしてしまうからだ。
エックス線集団検診に医学的有効性のないことは明らかだ。WHOが勧告するように有症状者診断にすればよい。有症状者治療で結核は一100%治癒する。使用者が健康な人間をつかまえて結核検査を受けろと命令することにどんな意味があるのか。そんなことより咳・痰・熱といった結核特有の症状がでたらすぐに医者にかかれる職場環境が大事だ。仕事が忙しくて休暇すらとれない職場こそ問題である。治療法が確立されている現在、集団検診自体が見直されるべきだ。
【放射線】国際放射線防護委員会は、一般人の年間被曝上限線量を1ミリシーベルトとしている[胸部間接撮影(0.5)、歯(3)、胃(4)]。日本人の年間医療被曝線量は1人平均2.3七ミリシーベルト。世界平均が0.4ミリシーベルト。日本の被曝線量は世界平均の6倍で世界最高である。日本では診断用のエックス線撮影が世界一多用されている。中西準子によれば、年間の全がん発症者の3.2%が検査被曝によるもので、検査の見直しが必要だという(『環境リスク学』日本評論者)。
放射線はどんなに微量であっても安全だという閾値は存在しない。遺伝的障害や晩成障害については、低線量被曝でも発生することが証明されている。放射線による遺伝的障害は、人類集団が浴びた放射線総量に比例するから、個々人の被曝線量より集団全体の総被曝線量を可能な限り低く抑えるのが、今日の被曝管理の根本的考え方といわれる。
【結核検査方法】02年の結核死亡者数は2316人。欧米諸国と比較して日本の死亡率は依然として高く、フランスのふ倍、オランダの10倍となっている。残業に追われて休暇も取れず、病気になっても仕事を休めない職場が結核の温床になっていると専門家は指摘している。日本は欧米のように住宅・賃金・労働時間短縮といった社会政策のかわりに、ツ反陰性者にBCG接種をし、強制的に胸部間接エックス線撮影をおこない、社会から結核患者をしめだそうとしたがいまだ完全に成功していない。結核対策は第1に社会政策、第2に予防的治療、第3に早期発見・早期治療だとされているが、日本は第3を柱にしているため結核が減少しないといわれる。
結核検査方法はエックス線検査・喀痰・ツベルクリン反応・核酸増幅法などいろいろあるが、長短あって完璧な方法は現在もない。調べたなかで一番いい方法はツベルクリン反応だ。ツ反が陰性であれば結核に罹患していない。BCG接種歴のある場合、発赤径が40ミリ以上、ない場合30ミリ以上あれば感染したと判定する。現時点ではツ反が最も安上がりで簡単かつ有効だろう。
池田清彦がいうように、近代国家は「好コントロール装置」である。この装置は世界を人びとの生死までふくめてコントロールしたいという欲望をもつ。好コントロール装置の目的は人びとを管理すること自体にあり、個々人の幸福や健康などはどうでもいい。だから健康診断が人びとの寿命をのばしてものばさなくてもべつにどうでもよいのだ。池田は健康診断についてつぎのようにいう。  
「私は1年に1回やる職場での健康診断の血液検査は受けることの方が多いが、レントゲン検診やがん検診は受けない。がん検診を受けて、何でもないと言われて、3ヶ月後に手おくれでしたと言われた人を私は何人も知っている。」「そうは言っても、職場での集団検診を拒否するのはなかなか難しいという人もいるだろう。その場合は、体の調子が悪かったので医者に行って検診を受けたばかりだ、とか適当なウソをつけばよい。」「がん検診を受ける金と時間を使って、本マグロの中トロをサカナに、久保田の万寿でも飲んでいる方が絶対に長生きすると、私は思う」(『やがて消えゆく我が身なら』角川書店)。
池田の過激なエッセイをこよなく愛する者のひとりとして、この意見には全面的に賛成である。
  
Posted by sho923utg at 06:26Comments(0)TrackBack(0)