2010年01月29日

社会的連帯の創出こそが労組の役割だ

いままで書いてきたことに、ふたつだけ付言しておく。
第1に、私は賃金カットに絶対反対の立場ではない。
たとえば、非常勤や再任用、20―30代の低賃金・子育て世代の職員の賃金カットをしないかわりに、50代の職員の賃金カットをするというなら協力するだろう。
あるいは、非常勤職員を正規職員に採用するために、職員の賃金カットをするというなら賛成するだろう。
1月23日朝日新聞に広島電鉄労働組合の話が載っていた。正社員の給料を削って非正社員を正社員にした労組の取り組みである。日本にもこんな「志ある組合」があるのだと感激して読んだ。
第2に大手組合にきびしい批判をしてきたが、その存在価値について十分認めている。
当局が4月から実施しようとした時短を1月に前倒しさせたのも、この間の住居手当の存続や賃金カット率の削減も、大手組合の力があったからこそだ。
所詮、われわれ少数派組合の力などたがが知れている。
それゆえ、大手組合へのきびしい批判は、「もっと、しっかりせよ!」というエールだと受け止めてほしい。
かつて、マイナス勧告による人件費削減で公務員を雇えとして次のように書いたので再掲載しておく。
「(県当局との人勧交渉で)マイナス勧告については前記の理由から反対であることを表明した。ただわたし個人は、マイナス勧告をうけいれる唯一の条件を提案した。人件費削減分労働時間をへらせ、すべての公務員に有給休暇を完全取得させよ、そして人件費削減分で失業者を雇用せよ、そうすれば妥結してもよいと。
先月号でもふれたが今日の失業問題は深刻だ。とくに若年失業者の増加は、少年犯罪率を上昇させ、階層化や少子化を進行させると危惧されている。失業者がふえれば税収もへり、社会保障費もふえる。年金や医療、社会保険などの制度が維持できなくなるおそれもある。
マイナス勧告による人件費削減は、前述したように7000億円だ。労組はこの7000億円を財政赤字の補填に使わせてはならない。人件費削減分で失業者を雇えと主張すべきだ。
いま公務労働はどこも人手不足である。単純計算してみよう。仮に年収300万円でひとりの若年失業者を雇用するとすれば、7000億円で20数万人の雇用が生みだせる。愛知県なら人件費170億円で5700人の失業者を雇用できる。雇用がふえれば景気もよくなり税収もふえる。
全国のどの自治体でもよい、人勧による人件費削減分で雇用をふやすと宣言すれば、住民はまちがいなく支持するだろう。
景気を回復するには、時短によるワークシェアリングしかない。だが企業の腰は重い。ならば公務員労働こそ率先して実施したらどうか。労組はやむを得ず賃金削減に合意するなら、その代わりに労働時間をへらし、有給休暇も完全取得しよう。代替要員には賃金削減分で失業者を雇用してもらおう。
現在の失業問題を解決するには、税金のむだづかいをやめ、そのお金で公務員をふやすしかない。人口880万人のスウェーデンでは、労働者の3分の1が公務員などの公共労働者だという。…
失業や貧困対策は政治の最優先課題だ。そのためにも社会保障政策と同時に、公務員労働者をふやすことが重要だと考える。労組は人件費の削減に合意するなら時短を実現し、失業者の雇用を最重要課題とすべきだ。」(月刊『むすぶ』03年12月号)
現在、全国各地で「貧困という名の戦場」で生存権をかけた若者たちのたたかいがおきている。労働者を人間あつかいしない企業に対する「怒り」が噴出している。労働者を人間として尊重しない日本の労働現場で、生存権闘争としての新たな労働運動が蠢動しだしている。そこに未来への希望が視えてくる。
国民の連帯を創出するのが労働運動の役割である。労働運動が元気にならないと日本はよくならない。いまほど労組の役割が重要な時はない。大労組よ、もっとしっかりせよ!

  

Posted by sho923utg at 05:54Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月28日

みんなゆたかになりすぎた?

愛知県は組合に対し、最終交渉で以下の提示をしてきた。
○給料△3%(管理職3%)
○ボーナス△3%(管理職7%)
○住居手当 2010年(7200円)→2011年(3600円)→2012年(廃止)
年1人平均28万円の削減額である。県の人件費削減総額は253億円。
大手組合は、給料・ボーナス4%の当初案を3%におしかえし、住居手当廃止案を来年度はとりあえず存続させたことで妥結したようだ。
われわれは提示案すべてに反対したのだが、当局に押し切られてしまった。完敗である。
もともと彼我の力の差はおよそ100対1。100回たたかって1回勝つか勝たないかだ。30回たたかって1回微調整できればよいほうだ。
10年前の賃金カット時、次のように書いた。
「仮に既成組合が県の給与削減政策を断固拒否したら、いかに愛知県といえどもこれほどひどい給与削減など断行できるものではない。
その意味でも御用組合執行部のボス交による妥結は、反組合的裏切り行為として歴史に刻銘されてよい。…しかし奇妙なことに、全国的にも例をみない賃金カットに対し職場からは粛として怒りの声が湧き上がらない。… 
寂寥とした荒野に死屍累々として腐臭が漂う。たたかいを忘れた労働組合の末路である。労働者が賃金を減らされて怒らぬなら、労働運動は死刑を宣告されたも同然である。…」(月刊『むすぶ』99年2月号)。
事態は10年前となにも変わらない。いやもっと悪くなっている。
10年前、愛知県は全国の先頭を切って賃金カットを断行した。だが今では全国の自治体の60%以上で賃金カットが行われている。ありふれた賃金カット風景の中で、組合の取り組みも緩みがちだ。
昨年の賃金カットの時は次のように書いた。
「だが「怒りがない、やる気がない、危機感がない」のは大手組合だけではない。少数派組合とて同様である。動員力といい怒りといい、10年前よりはるかにレベルダウンしている。
10年前は教育長への抗議行動や県庁前の抗議集会を敢行した。また賃金カットを違法として48人の原告団で00年・01年と2次にわたり愛知県知事を相手に損害賠償の裁判を提訴した。
耳を澄ませば怒りの声などどこからもきこえてこない。県政の暴挙にだれも本気で怒ってなどいないのだ。
賃金カットは09年度だけですむわけがない。愛知県のように製造業の多い県では、世界同時不況の影響は他県より長く続くだろう。賃金カットは5年は続くと労組は覚悟しておくべきだ。」(09年1月号組合機関紙)
みんな豊になりすぎたのだ。
ところで、2003年の時点で次のように予測した。
「こんご春闘と人勧の賃下げスパイラルで、労働者の労働条件はさいげんなく引き下げられていくだろう。少なくとも団塊の世代が退場していく09年まで、マイナス勧告という「打出の小槌」は政治的に利用されるだろう。人件費のもっとも高い50歳台の年収は、やがて手取りで500万円台まで引き下げられていくだろうと予測する。」(月刊『むすぶ』03年12月号)
さてこの予測だが、結果的には外れた。当方の年収は02年をピークに現時点で120万円以上の減収である。月平均で10万円強だ。1年間で17万円ずつ減ってきた計算だから、10年では170万円の減額となる。
年収500万円までとはいかなかったが、月収30万円台はすぐそこまできている。
  
Posted by sho923utg at 06:07Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月27日

人勧制度の問題点と方向性

前回、マイナス勧告が代償措置制度足りうるかは疑問だと書いた。「マイナスの代償措置」というのは語義矛盾である。それでは労働基本権が回復されていない現時点で、人勧制度についてどのように考えるべきだろうか。
以下、人勧制度の問題点と方向性について、「再び公務員に労働基本権を!」(『むすぶ』06年11月号掲載 『なぜ日教組はたたかわなくなったか』所収)から抜粋する。

すでに人勧制度の労働基本権代償措置論に対しては、つぎのような根本的疑問が提起されてきた。(以下中山和久「国際労働基準、代償措置論」『法律時報』61巻11号参照)。
第1に人事院・人事委員会が中立・公平な第三者機関かという問題である。労働委員会が仲裁をおこなう場合、中立公平な公益委員3人の合議によることを定め、労・使委員も会議に出席して意見をのべることができる。それに対し、与党が多数を占める国会や議会の同意を条件とする人事官の選出は、中立で公平な第三者機関であるための制度的保障に欠けている。
 第2に勧告の拘束性の問題である。勧告は法的拘束力をもたず、国会・議会に応諾義務を課すものではない。この点は代償措置としての致命的欠陥である。過去に勧告が不完全にしか実施されず、あるいはまったく実施されなかった事実は数多くある。したがって勧告は単に代償としての「可能性」を提供しているにすぎない。
第3に勧告による労働条件の切り下げは代償たりうるかという根源的問題である。勧告は公務員労働者の手のとどかないところで作成される。仮に労働条件の向上については保障的性格をもつとしよう。しかし、賃金削減といった最大利害の労働条件の引き下げについて、公務員労働者の意思とかかわりなしにおこなわれるとしたら、なにを「代償」しているといえるのか。それは労働基本権制約の代償制度とはまったく関係ないというほかはない。
さらに付言しておけば、現行の官民比較方法は多くの技術的問題をかかえている(以下『公務員の制度と賃金』大月書店参照)。(1)調査時期、(2)調査対象事業所の選定、(3)調査対象給与の条件と範囲、(4)調査結果の分類・集計方法、(5)官民賃金比較の方法、(6)官民較差算出の計算方法など、官民比較のすべての段階でいくつもの不合理な方法が滞積している。
第1に比較対象企業規模の問題である。労使交渉で賃金を決定している300人以上の事業所に限定して調査すべきである。特に事務・技術系職員が100人以上いなければ同一職務の科学的比較はできない。
第2に勤続年数を調査対象から除外している問題である。勤続年数は賃金水準の重要な要素であるが、人事院は「年齢要素が勤続を反映している」として意図的に調査対象から外してきた。しかし年齢と勤続年数が一致しないことは自明のことである。
第3にラスパイレス方式の問題である。ラスパイレスは年齢・学歴・役職・勤務地の同種同格な者を官民比較する方法である。だが年齢・勤続・昇進速度など労務構成が著しく異なる場合、ラスパイレスの算出結果は誤差が大きく使いものにならない。
第4に職務分類の問題である。課長という同一の役職でも、国・都道府県・市町村では格がちがうし、民間でも企業規模で異なる。単純・機械的な役職比較は中止して正確な職務対応関係を確立すべきだ。
以上みてきたように、人勧制度の代償措置には大きな限界がある。だから人勧制度は無意味だという人もいるが私はそうは思わない。
人事院も50年代末以降、労働運動による検証・批判を受けて何度か制度を改善をしてきた。また人勧には法的拘束力はないが、政府は憲法28条の制約上60年代末以降国内的にも国際的にも人勧完全実施を公約せざるをえなかった。人勧制度は大きな限界をもちながらも、70年代から90年代後半まで、公務員の労働条件向上に一定の寄与をしてきたと評価できるだろう。  
だが比較方法の変更で人勧制度は半世紀さかのぼって50年代まで逆もどりしてしまった。人事院は「民間準拠」を伝家の宝刀として賃下げ機関となった。
早川征一郎は形骸化するいっぽうの人勧制度についてつぎのようにのべている(以下「国公賃金闘争の軌跡と現段階における課題に寄せて」国公労連編『国公調査情報』04年8月号参照)。
公務員賃金の決定要素として、(1)生活費原則、(2)民間賃金との均衡(民間準拠)、(3)国民の納得性がある。仮に労働基本権が保障されて賃金水準が使用者との直接交渉で決まるとしても、民間準拠をぬきにした公務員賃金決定はありえない。
なぜなら公務部門における賃金決定は、民間部門における賃金との均衡なくしてありえないからである。問題は人勧制度下の民間準拠方式にある。民間準拠は人事院の専権事項であり、対等な交渉で公務員労組の意見を反映できない。民間準拠決定方式を労使対等交渉で実現するためにも労働基本権の回復が必要となる。
それでは、労働基本権が回復されていない段階で民間準拠方式にどう対処すればよいいか。(1)民間準拠方式をこれ以上下方修正させないよう、準拠内容に立ち入って検討し効果的な批判を強めること。(2)可能な上方修正の方途をさぐること。(3)労働基本権の回復を視野に入れつつ、民間準拠方式の内容および交渉手続き・ルートの検討をおこなうこと。(4)そのうえで、民間準拠でマイナスとなるような民間賃金水準の低下傾向を打破するように、官民一体の「総労働」的賃金闘争を展開して情勢を変えていくことであると。
労働条件は労使の力関係と社会的経済的諸情勢で決まる。労働条件を改善するためには、労働運動が主体的力量を強める以外にないという結論になる(以下略)。
  
Posted by sho923utg at 05:52Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月26日

人勧による賃金決定原則に戻るべきだ

「大ウラワザ」と大風呂敷を広げたが、ことはかんたんである。人件費削減額300億円を人勧のマイナス勧告で調整するという手法である。
日本経団連の調査では、2009年12月のボースは前年比マイナス16%で16万円の減額だという。愛知県内の企業調査では、ボ−ナスは前年比マイナス19%で約17万円の減額である。
これは1964年の調査開始以来最大の下げ幅である。2010年夏のボーナスも下がることは間違いないだろう。ボーナスだけでな、賃金のマイナス勧告もほぼ確実だろう。
そうなると2010年勧告は、2003年の平均年間給与16.5万円の減額を超える、人勧史上最大のマイナス勧告が予想される。
2009年の人勧は給料マイナス0.2%、ボーナスマイナス0.35月分であった。平均年間給与15.4万円(2.4%)の減額である。
このマイナス勧告で、愛知県は2009年の人件費300億円の削減分がほぼ解消された。
それゆえ、愛知県が予定している300億円の賃金カットは、2010年のマイナス勧告で解消されることはまちがいないだろう。
したがって、4月から賃金カットせずともよい。マイナス勧告で12月に300億円を調整することが可能なのだ。
愛知県の予算編成をみていると、数百億円規模のカネが増えたり減ったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、一体これはどうなっているのだろうかと目も眩むようだ。
このことを私は交渉の席で「数字のトリック」だといっている。財政課お得意の「数字のトリック」で、300億円の賃金カットをせずとも予算編成は可能なのだ。
同時に組合も今までの交渉スタイルを改める必要がある。従来、2月議会の予算審議に間に合わせるために、当局は組合との交渉を1月末で強行的に打ち切ってきた。
しかし、これはおかしい。歳出歳入の財政状況は1年間変動するのだ。したがって、財政課はそのつど組合に財政状況を説明する必要がある。
組合も年間を通じて交渉し、財政事情に応じて見直しを要求していくべきだ。10年前の3年間の賃金カットのうち、2年間は黒字だったという轍を踏まないためにも。
本来なら組合を予算編成に参加させるのがベストなのだ。「事業仕分け」ではないが、教育予算の何が必要で何が無駄か、現場の教職員が一番よく知っている。
まとめておこう。結論は単純である。
愛知県は今までの人勧無視のやり方を改めて、人勧制度という公務員の賃金決定原則に戻るべきである。
制度・法律上、財政赤字を理由に公務員の賃金カットをできないことは詳論してきた。人勧制度は公務員の賃金を財政事情から切り離して決定するためルールなのだ。
人勧は給与等の勤務条件を情勢適応の原則にもとづき勧告する。
民間の賃金が下がれば、民間準拠で公務員の賃金も引き下げられる。公務員の勤務条件はこの「情勢適応の原則」で決定する以外にないのだ。
もっともマイナス勧告が代償措置たりうるかは疑問だが。
  
Posted by sho923utg at 06:57Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月25日

賃金カットは「失われた10年」のスケープゴート

前回、職員の賃金カットはスケープゴートだと書いた。
10年前も愛知県は全国に先駆けて賃金カットを断行した。99年度から3年間、県は毎年巨額の赤字見積りをして財政危機を演出して賃金カットを実施した。
しかも00年・01年は単年度決算で黒字であった。したがって賃金カットの必要などまったくなかったのだ。 
歴史はくり返す。10年前に書いた文章を掲載しておこう。
「愛知県では98年度末に知事名で財政危機非常事態宣言が発表され、財政再建団体転落回避の名目で99年度から3年間職員の賃金カットが実施された。
それではなぜ賃金カットを実施したのか。第1に万博・中部国際空港といった大型プロジェクトへの県民の批判をそらすためである。第2に財政危機をあおることで県民にそのしわよせをするためである。第3にそのうえで大型プロジェクトを計画どおり推進するためである。」(月刊『むすぶ』99年2月号)。
10年前の賃金カットは、万博・新空港推進のためのスケープゴートであった。
当時私は「財政危機非常事態宣言」を「県民総ザンゲ論」と批判した。責任をとるべき人間が責任をとらず、県民・職員に責任転嫁しているからだ。
それでは09年からの賃金カットとはなにか。「失われた10年」のスケープゴートである。
愛知県は10年前の財政危機から何も学んでいないのだ。県政が解決すべき課題を放置して、財政危機の責任を再び県民・職員に押し付けている。
10年前の不況は、アジア金融恐慌と法人税率引き下げによる税収減であった。09年からの財政危機の原因は何か。
第1に世界同時不況の影響である。愛知県のように製造業の多い県では、好不況で法人税収が3000―4000億円規模で上下する。
これでは好況時はいいが、不況になると賃金カットに頼るという「姑息な対症療法」を繰り返すことになる。  
こうした事態は10年前の財政危機の時から予測されていたことだ。それに対して県政は何の対策もたててこなかった。
世界同時不況の影響はこんごも長く続くだろう。日本経済は不況脱出の根本的施策がないのだ。
第2に相変わらずの公共事業依存体質である。再び10年前の文章を引用する。
「(不況の根本原因は)産業構造調整力の限界である。戦後の日本経済は、鉄鋼・造船から自動車・電気製品へ、さらに情報産業・半導体へとキャッチ・アップ型の産業構造調整により発展してきた。だが、日本経済を牽引するつぎなる産業はみあたらず、さしあたりは介護・医療・環境などのサービス産業以外雇用を吸収できる産業はない。…公共事業や減税といった景気対策では今回の不況は脱出できない。」(月刊『むすぶ』99年4月号)
今風にいえば、「コンクリートからヒトへ」だ。日本経済はこの10年間、公共事業依存体質のままで産業構造の転換を怠ってきた。その典型が愛知県である。
そのために世界同時不況の痛手をより大きく蒙ったのだ。
第3に中央集権型の税財政システムである。国と地方の税源配分が約6対4である。それに対して行政事務配分は約4対6と逆転している。みたび10年前の文章から引用する。
「自治体財政危機の根源的要因としては、こうした税源配分の問題がある。その根源には各自治体に、(1)独自の財源がないこと、(2)課税裁量権がないこと、(3)行政の裁量権がないこと、すなわち「自治」がないことがある。戦後一貫して中央は地方を支配下におき、「自治」を剥奪してきた。政府による「自治」の剥奪こそが自治体財政危機の根源にある。…中央集権システムから地方分権システムへと税財政システムを変換しないかぎり、自治体財政危機の根本的解決策にはならないだろう。」
こうした課題に対処するのが本来政治の役割である。それゆえ、自治体財政の危機とは「財政の危機ではなく、政治の危機」なのだ。
職員に財政赤字の責任を押し付けるべきではないし、実際にも賃金カットの必要などまったくない。
次回はいよいよその大ウラワザを紹介しよう。

  
Posted by sho923utg at 07:26Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月22日

賃金カット=財政の危機ではない、政治の危機なのだ

愛知県は組合交渉で次のような新たに提示してきた。
○給料マイナス3.5%
○ボーナス4%
○自宅住居手当3600円
1人平均年31万の削減額である。住居手当を含めれば35万円程度の減額になるだろう。
当局は組合との交渉で、来週中にもこれで決着をはかろうとしている。
財政課が組合交渉に出席して、2010年度の歳出歳入について説明した。愛知県は2010年度は2800億円の歳入不足だという。
しかしこの赤字積算額は不確定要素が大きすぎるのだ。例えば、地方交付税がいくらになるかさえも未定である(7月確定)。他もおして知るべしだ。
問題なのは歳出抑制である。明確なのは人件費削減の300億円だけ。人件費以外に何をどれだけ削減するか具体的予算案を示せといっても、まったく答えられないのだ。
つまり最初に人件費削減ありきで、他はあとから数字合わせで予算編成していく本末転倒の手法である。こんなバカな話があるだろうか。
賃金カットをするというなら、まず投資的経費や単独事業等を抑制した具体的予算案を示すべきだ。その上で、いくら足りないからこれだけ人件費を削減したいという提案をすべきではないか。
さらに、賃金カットをするというなら、知事・県議ら県の財政運営の責任者をいくら削減するか、先に数値を示すべきだ。職員の賃金カットは最後の手段である。
ところが県のやり方は、最初に職員の賃金カットありきだ。職員の賃金カット案提示後に、知事・副知事・県議らの削減額が提示される。これも本末転倒だ。
財政赤字の責任は職員には一切ない。責任は知事・副知事・県議ら財政運営の責任者がとるべきだ。知事の給料10%・ボーナス20%、副知事の給料7%・ボーナス10%、県議報酬8%のカットで済む話ではない。
知事・県議らは、給料50%カット、ボーナス全額カットぐらいの責任をとるべきだろう。
責任をとるべき人間が責任をとらず、下の者に責任を取らせるやり方は、旧日本軍の構造そのものである。
私は昨年の賃金カット時に次のように書いた。
「職員給与削減は姑息な対症療法にすぎず、なんら根本的な解決にはならない。大型公共事業を見直し、ムダ遣いをなくし、不必要な経費を削減し、県債の利率を引き下げるだけで財政再建は十分可能である。…
根本にあるのは財政の危機ではない。政治の危機である。「非常事態宣言」は県政に対してこそなされるべきである。.…
メディアをにぎわした巨額な不正経理問題、設楽ダムに代表される不必要な大型公共事業、ムダ遣いの最たるトリエンナーレ2010。…
正すべきこと・やるべきことをせずに安易に職員に賃金カットを押し付けるやり方は亡国ならぬ亡県への道である。…」
実際にも職員の賃金カットはまったく必要ない。職員の賃金カットはスケープゴートなのだ。それについては次回詳論。
  
Posted by sho923utg at 19:30Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月20日

住居手当は官民格差で解消すべきだ

自宅住居手当は「手当」というより実質「賃金」だと書いた。つまり人勧で賃金をアップすべきところを、住居手当を上げることで調整してきたのだ。
それでは住居手当を廃止するとどうなるか。自宅居住者と賃貸居住者の賃金バランスがくずれることになる。これは住居手当廃止をいう当局にとっても実は頭の痛い問題なのだ。
賃貸居住者が給与カットだけされるのに対し、自宅居住者は住居手当廃止と給与カットという二重の賃金カットをうけることになる。当然自宅居住者の不満が噴出するだろう(それなら賃貸も下げろというのは論外だ)。
それではこの問題を解決する方法はあるのか。一番いいのは住居手当廃止も給与カットもやめることだ。
それ以外の方法はあるのか。ある。それは他の都道府県がすでに実施したように、人勧による官民格差で解消するやり方である。
2010年度はボーナス・給料ともマイナス勧告がだされることはまちがいないだろう。仮にマイナス勧告が出された場合、マイナス分を住居手当の削減で官民格差を解消する方法である。
これが一番合理的なのだ。なぜなら、景気のいい時に賃金アップをせずに住居手当を上げることで官民格差を解消してきたのだ。
景気が悪いときはその反対に、マイナス分を住居手当削減で官民格差の解消するのは当然である。
好意的に解釈すれば、住居手当はこのようなマイナス勧告時のセーフィティネットとして制度化されたものだとも考えられる。
これなら給料本体に手をつけずにすむ(給料が削減されると退職金等に大きくはねかえるのだ)。
住居手当は人勧の官民格差の解消でやるのがセカンドベストなのだ。制度の廃止など論外である。
何度もいうが、47都道府県中制度を廃止したのは6団体にすぎない。8団体は人勧による官民格差解消だ。のこり33団体は存続・ないし検討中なのだ。
じつは愛知県が断行しようとしている給与カットも本来必要ない。その大ウラワザについてはまた明日。
  
Posted by sho923utg at 20:00Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月19日

財政難を理由に公務員の賃金カットはできない

愛知県は1月14日、職員に「給与抑制に関するお願い」という知事名の文章を配布した。「緊急避難措置」として賃金カットをせざるを得ないので協力してほしいという内容だ。
10年前の賃金カット時も「緊急避難措置」という言葉が使われた。その時は「財政再建団体」に転落するのを回避するための緊急避難措置だと説明された。
ところで2007年に地方財政健全化法という法律が施行された。その法律では新たに「早期健全化団体」と「財政再生団体」に関する4つの財政指標が示された。
実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率、将来負担比率である(各数値は煩雑になるので省略)。
早期健全化団体とされると、各自治体は自主的改善努力で財政再建しなければならない。財政再生団体とされれば、夕張市のように国の管理下におかれて財政再建をしなければならない。
それでは愛知県の4つの財政指標はどうか。文句なしにすべて健全である。それだけでなく財政力指数全国2位、経常収支比率全国2位(2007年度数値)。
つまり財政再生団体への転落危機もなければ、早期健全化団体にすらなる心配もない。だとすれば「緊急避難措置」とは何からの緊急避難なのか。
カネがが足りないので予算編成ができないというだけなのだ。そんなものは緊急避難でもなんでもない。財政難で予算編成が難航しているというなら、全国の自治体はほとんどそうだ。国などその典型だ。
それでは財政難を理由に職員の賃金カットが許されるのか。これは制度的・法律的にできない。国が巨額の借金を抱えながら、国家公務員の賃金カットを実施しないのにはそれなりの法律的根拠があるのだ。
国家公務員・地方公務員の賃金は人勧で決定される。人勧制度は公務員の賃金を財政事情から切り離して決定するためのルールである。財政難を理由にしたら人勧は半永久的に実施できない。
ところが全国の自治体は法を無視してやりたい放題だ。
以前書いた「公務員の賃金カットは許されるか」という文章を再掲しておくので、読んでない人は目を通してほしい。

公務員の賃金カットは許されるか(1)

財政難を理由に職員の賃金カットができるのか。法的に考察してみよう。
地方公務員の給与決定の原則はつぎの通りだ(以下柳克樹編『地方公務員法』参照)。地方公務員法二四条六項は、「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める」と規定している。また同法一四条では職員の勤務条件について適切な措置を講ずるよう「情勢適応の原則」を掲げている。地方公務員の給与もこの原則に則り行われる。
同法二四条三項では職員の給与について「均衡の原則」を掲げている。均衡の原則は、(1)生計費、(2)国家公務員の給与、(3)他の地方公共団体の給与、(4)民間事業の従業者の給与、(5)その他の事情を考慮することによって実現される。
実際には国家公務員の給与に準ずることで実現されると解されている。なぜなら国家公務員の給与は人事院勧告で決定されるからである。人事院勧告は生計費や民間賃金等を考慮して毎年勧告が行われている。地方公務員の給与は人事委員会勧告により、国や他の地方公共協団体・民間賃金とも均衡がとれるとされている。 
地方公務員は憲法28条の労働基本権が剥奪され、労使交渉によって賃金を決定することはできない。その代償として国には人事院、各自治体には人事委員会が設置され、民間賃金に準拠して勧告がだされる。この人勧制度は労働基本権剥奪の代償措置といわれる。
代償措置については最高裁でつぎのような法理が確立している。公務員の争議行為をきびしく制限する以上代償措置の履行もきびしく要請される。したがって人勧が実施されないときは代償措置が本来の機能を果たさず違憲となる。1973年全農林警職法事件最高裁判決で確定した法理だ。
1960年代以降、国会で人勧完全実施の決議が再三行われ、政府も財政事情その他で特別な措置はとらないと答弁してきた。そして70年代以降現在まで、80年代前半の2―3年をのぞき人勧は完全実施されてきた。
憲法99条により憲法尊重擁護義務を負う国会・政府は人勧を完全実施しなければならない。それは各自治体の首長・議会も同様である。財政事情がどうであれ、政府や自治体の首長・議会の判断で人勧を実施するか否かを決定できない。人勧制度を破棄するならまず労働基本権を返上するという憲法上の手続きが必要だからだ。それゆえ人勧を無視して賃金カットを実施すれば知事・議員らは憲法28条・99条違反になる。
現に80年代初頭の人勧凍結をめぐる裁判では、「自治体及び議会は憲法九九条により憲法尊重擁護義務を負うもので、人勧は使用者たる自治体当局を拘束する」との憲法判断をしていた(99年北教組人勧スト事件・札幌地裁判決)。
それでは各自治体は財政難を理由に人勧によらず賃金カットができるのか。この点を争点とした裁判が2000年初頭に愛知県で提訴された賃金カット裁判である。
1999年から3年間、愛知県は財政危機を理由に職員の賃金カットを強行した。賃金カットを違法として私たち48人の原告団で2000年・2001年と2次にわたり愛知県知事を相手に損害賠償の裁判を提訴した。
裁判の争点は財政再建団体に転落するほどの財政事情であったか、組合との交渉等手続きに瑕疵はなかったかなど多岐にわたる。だが最大の争点は人勧を無視して自治体単独で賃金カットをできるのかという点にあった(続く)。

公務員の賃金カットは許されるか(2)

名古屋地裁判決(05年)はつぎのようにいう。議会は広範な裁量を有しており、裁量権を逸脱・濫用しないかぎり議会の裁量は尊重される。また人勧には法的拘束力はない。県議会は最高意思決定機関であり、給与抑制条例を制定したのだから何ら問題ない。さらに組合と交渉しなくても条例制定できるし違法ではない。
つまり議会で条例を制定すれば人勧を無視してよい、憲法・法律違反をしてもよいというデタラメな判決だ。
「判決は国家意思の先取りである。…財政難に悩む自治体はこの判決にとびつくだろう。判決は財政難の自治体に(条例を制定すれば)人勧も組合合意も無視してよい、憲法違反をしてもよいと政府の意思を先取りしてアナウンスした。…判決は人勧の労働基本権代償機能を完全否定して人勧に死刑宣告をしたのだ。戦後の公務員労働法や労働判例を根底から覆す反動的判決だ。自治体のつごうで人勧を無視してよいなら、公務員の労働基本権の代償など微塵もないことは明らかで従来の公権力の主張は破綻する。」(月刊『むすぶ』連載05年2月号)
つぎに労働法上賃金カットは自由か考察してみよう。
資本主義社会の市民法では雇用関係は使用者と労働者の自由な契約(雇用契約)によって成立する。
労働者について労基法九条は、「職業の種類を問わず」「使用される者で、賃金を支払われる者」と規定している。また賃金について同法一一条は、「労働の対象として使用者が労働者に支払うすべてのもの」と規定している。
労働契約にもとづいて使用者は労働者に対して労働指揮権を取得し賃金支払義務を負う。労働者は使用者に対して労働義務を負い賃金請求権を取得する。労働義務とは使用者の指揮命令に服して労働することを意味する。「指揮命令に服す」るとは「経営上の責任を負わない」という意味である。労働者は雇用契約上の労務提供についてのみ義務を負いそれ以外の労働義務は負わない。
労働者の労働義務に対応する使用者の主たる義務が賃金支払義務である。労働者の賃金請求権に対して使用者は賃金支払義務を免れることができない。
それでは経営難等から賃金カットをしなければならない事態が発生した場合はどうか。使用者は賃金削減分に見合う労働義務を免除するしかない。労使交渉による合意で、時短なり休業措置をとることで賃金削減分相当の労務提供を削減せざるをえない。
現在、財政難を理由に賃金カットを実施している自治体は全国で六〇%におよぶ。太田肇は「赤字だから給与カットは短絡」としてブログでつぎのように書いている。
「財政事情が厳しい自治体で、公務員の給与をカットすべきだという声が聞かれる。「民間企業だったら、赤字経営なら賃金カットは当たり前。だから公務員の賃金もカットするのが当然」という主張は単純でわかりやすく、一般受けする。しかし、よく考えてみるとこの論理はおかしい。赤字経営の企業に対応するのは自治体であり、社員に対応するのは住民のはずである。公務員は住民の委託を受けて仕事を行っているにすぎないのである。したがって、赤字は住民全体が負担しなければならない。
…赤字の責任を公務員に取らせようというのは、実は地方自治の否定につながる危険な考え方だ。公務員が自治の主役で、住民は「お客さん」だという前提に立っているからである。かりに赤字の責任を公務員に押し付けるのなら、自治の権限をすべて公務員に委ねることになってしまう。それが「公務員は公僕である」という原則と真っ向から対立することはいうまでもない。
このような問題が生じるのを避けるため、公務員の給与は財政事情から切り離して決められる仕組みになっているのだということを忘れてはいけない。」
赤字を理由に「公僕」にすぎない職員の賃金カットをすることは太田がいうように地方自治の否定につながる。緊急避難でやむをえず賃金カットをする場合、使用者は職員の労働義務を免除するしかない。労使合意で賃金カット分に相当する時短や休暇拡大・休業等の措置をとり、職員の労務提供を削減するしか手立てはないのだ。それが憲法・労基法・地公法上にいう労働法の論理である。
アメリカ・カリフォルニア州で、財政難から公務員の時短を実施した事例が新聞報道された。
賃金カットはするが労務提供は削減しないというのであれば、労働基本権の代償措置としての人勧制度は完全に破綻したのだ。政府はその責任をとり、直ちに公務員労働者に労働基本権を返還すべきだ。


  
Posted by sho923utg at 19:57Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月17日

愛知県2年連続賃金カットー住居手当廃止は第2の賃金カット

愛知県は2010年度も賃金カットを継続するという。
当局は1月14日の交渉で、職員団体に次のように提示してきた。
○給料4%(管理職4%)
○ボーナス4%(管理職7%)
○1人平均年33.5万円(管理職53万円)の減額。
○人件費削減総額308億円。
ちなみに2009年度は1人平均年38万円の減額である。
これとは別途に住居手当の廃止が提示されている。
住居手当は現行7500円からすでに7200円に減額されたが、2010年4月から全額廃止するという内容だ。
この住居手当をめぐって、3回ほど県と組合の交渉が行われてきた。もちろん組合は大反対である。
現在、住居手当の廃止を決定しているのは14都道府県。のこり33県は存続か検討中である(なおここでいう住居手当とは自宅住居手当をさす。以下も同じ)。
なお14団体中、制度の廃止が6団体、人勧による官民格差解消が8団体である。
組合側は当局との交渉で、県のいう住居手当廃止の根拠をすべて論破した。
第1に住居手当を廃止せよという人事委員会勧告は出されていない。住居手当は人事委員会の権限であり、県当局が介入する余地などない。
第2に自民党政権時代の住居手当廃止通達は、政権交代で事実上撤回発言がされ、地域のことは地域で決定すべきだとされた。
第3に国の住居手当制度と地方公務員の住居手当制度は根本的に違う。それゆえ国が制度廃止したから県も廃止とはならない。
国の住居手当制度は財形持家個人融資制度として導入されたものだ。ところが持家個人融資の利用者が大幅に減ったため、2010年度に廃止することは規定方針であった。
住居手当支給者率は国家公務員は8.5%。それに対し地方公務員は54%。制度を廃止した場合の影響度が決定的に違うのだ。
より根本的な理由は、地方公務員の住居手当は「手当」ではなく賃金の一部なのだ。
地方公務員の場合、国家公務員と違い官舎完備率が低かったために、住居手当は生活給として支給されてきた。だから「手当」ではあっても実質的には「賃金」である。
人事院勧告では官民の比較種目の五者ベースというのがある。現在の五者ベースは、賃金・扶養手当・地域手当・住居手当・管理職手当である。
ところで住居手当は人勧で、賃金上昇を抑制するために利用されてきた。
人事委員会勧告で、官民格差を解消するため給料を上げるべきところを、住居手当によって調整してきたのだ。交渉でそう当局を追及すると「その通りです」と認めた。
私は住居手当廃止を「第2の賃金カット」だといっている。
愛知県は給料削減の第1の賃金カットと、住居手当廃止の第2の賃金カットを2つ同時にやろうとしている。
そんなことが許されるわけがない(続く)。
  
Posted by sho923utg at 17:52Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月13日

60歳以降は人生の黄金期

五木寛之『遊行の門』(徳間文庫)によるとつぎの通りだ。
古代インドでは人生を4つに分ける思想があった。
「学生期」=生きるすべを学び、体をきたえ、自立にそなえる青少年の時期。
「家住期」=職業につき、結婚して一家をかまえ、子どもを生み育てる時期。
「林住期」=職業・家庭・世間のつき合いなどから解放されて、自分自身のためだけに生きる時期。現在なら60歳から75歳ぐらいに相当するだろう。
「遊行期」=人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子ども心に還っていく懐かしい時期である。現在なら75歳以降であろう。
林住期こそは人生の黄金期・クライマックスである。家族のため、仕事のため、出世のために生きるのではなく、自分自身のために生きる時期だ。好きなことをやればいいし、やりたくないことはやらなくていい。
五木寛之は老いて楽になることもあり、生きることが面白くなってくることもあるという。
たとえば、肉体的には問題だらけであっても、欲望に身をやくという苦しみは少ない。人生の煩悶や、生きることへの疑問や、競争相手に対する嫉妬の感情なども自然と衰えてくるからだ。
カネは生活するだけあればいい。名誉などいらない。美しい女性を見ても眼福、見ているだけで十分たのしい。余命が短い分、将来の不安も少ない。
年をとることは考えようによっては気楽でなかなかおもしろいことなのだ。老いるということは、世間的には自由になっていく過程である。老いるというのはなにかを失うだけでなく、新しい未知の体験をすることでもあり、新しい発見を繰り返すチャンスでもある、と。
なるほど、老化とはオイルショックだけではないのだ。金欲も色欲も物欲も名誉欲も、食欲さえも衰えて、精神的にスリムになっていくわけだ。そして新しい未知の体験や発見さえもあるのだ。
だから世古浩爾がいうように、「さわさわと風のように生き、とがめず、怒らず、争わず、羨望しない」生き方も不可能ではないのだ。
カネにもオンナにも名声にも地位にも執着しない。そして「死ぬ時は、死ぬがよろしく候」(良寛)。そんな老後を生きることができたら最高である。
  
Posted by sho923utg at 06:49Comments(0)TrackBack(0)