2011年04月27日

大政翼賛的原発推進―戦争中と変わらぬ日本=今日の新聞批評(4月27日)


週刊金曜日4月15日号が「電力会社に群がる原発文化人の罪」を特集している。
今日までどれほど多くの著名な学者・評論家・作家・芸能人・スポーツ選手が、「原発は安全」だという政府や電力会社の宣伝の片棒を担いできたか、特集を読むとよくわかる。
「原発建設」は国策として推進されてきた。その国策を寿いできたのがこれら「原発文化人」である。そして、メデイァで流布された原発安全神話は、反原発派を有無を言わさず黙らせ・排除してきた。
こんな連中がいったん原発事故が起きるや否や、何の反省もなしに「がんばれニッポン」「がんばれ東北」などといっているのを見ると反吐がでる。
東電原発事故に政治家・メディア・文化人その他有象無象の輩は、自らの責任に口をぬぐい「復興」を喚き散らすという醜悪な構図。
半世紀以上前のアジア・太平洋戦争の大政翼賛的構図とほとんど何も変わらない。

そのなかで、たとえば朝日新聞の天野祐吉「CM天気図」はこう書く。

「わかんないなあ。
風力を利用すれば原発40基分の発電可能っていうじゃないの。うそじゃない。環境省がちゃんと試算した上での発表だ。
だったら、なぜもっと早くそうして、原発を減らさなかったのか。今日本にある原発は54 基だそうだから、その7割くらいは減らせたんじゃないか。
わかんないなあ。
とにかく原発はやめようよ。一気には無理でも、5年か10年の間には全廃だ。こんど国政選挙をするときは、それを最大の争点にしなくちゃ。
で、その結果、電力がこれまでの7割ぐらいしか作れないというなら、いいじゃないか、それで暮らせる身の丈サイズの経済や生活の仕組みにすれば。
別に耐乏生活をしようっていうんじゃない。もっと知恵のある生活をしようってことだ。知恵さえ集めれば、いまの7割の電力で、いまより7倍明るい生活だってできる(かな)。」

言論人はこの程度の正論さえなぜいえないのか。
さらに同新聞の斎藤美奈子の文芸時評「原子力村と文学村」から。

1986年に朝日新聞に小林信彦の「極東セレナーデ」が連載された。ふつうの子がアイドルタレントへの階段を駆け上がるというストーリーだ。
主人公の朝倉利奈に原発の安全性を宣伝するポスターの仕事が回ってくる。広告会社の圧力に悩む利奈を育てたプロデューサー。PRを拒否した利奈…。
86年はチェルノブイリ原発事故の年だが、はたして90年代以降でもこの小説の新聞連載は可能だったのかと、斎藤は問う。
そして、この国のメディアは原発推進の側だったが、「メディアと多くの表現者は朝倉利奈の勇気をもてなかった」「先の戦争の後、「文学者の戦争責任」が取りざたされた時期があった。ならば「文学者の原発責任」だって発生しよう。安全神話に加担した責任。スルー下責任。」と書く。
今月の文芸誌にも震災をめぐる作家の言葉が多少載ったが、多くはモゴモゴと文学的内省を語るのみで、「文学村の内部の言語である点において原子力村と同質ではないか」と、斎藤の批判は手きびしい。
ひさびさ斎藤節が冴えた文章だったが、斎藤がいう「文学村」からの「勇気あるシュート」などほとんど期待できないだろう。
戦争から半世紀以上たついまも、日本をとりまく言論状況はほとんど変わらない。

  

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2011年04月24日

米国原発建設停止=日本も脱原発を!―今日の新聞批評(4月24日)

毎日新聞と中日新聞が米国の原発について取り上げている。毎日は「米原発 冬の時代」「建設計画ほぼ停止」、いっぽう中日は「米原発 後に引けず」「巨費絡む事業者・自治体」。

以下、毎日新聞の記事より引用。

米国内には現在31州に104基の原発があり、電力の約20%をまかなっている。
79年のスリーマイル島の原発事故以来、30年以上も凍結されてきた原発建設だが、オバマ政権の後押しもあり、計24 基の新設計画が進行中だ。
だが、事故後はイリノイ・テキサス・バージニア・ミシシッピなど、ほとんどの州の原発計画が停止している。
さらに東電福島原発事故に加えて、ここ数年、埋蔵量豊富なシェールガスの掘削技術の進化で、電力各社の原発への熱意は冷めているという。
シェールガスの埋蔵量は米国だけで米国内の消費量の30年分を超えるといわれている。価格も安価で「原子力より天然ガス」と、コスト面からも原発への逆風は強まっている。
米国では東電福島原発事故が重なって、「原発事業者にとっては冬の時代に入った」との見方もでている。

だが、なかには強引に原発建設を推進している州もある。以下、中日新聞の記事より引用。

米国南部の原発城下町、テネシー州チャタヌーガ市。テネシー川流域開発公社(TVA)が運営するワッツバー原発。
TVAは世界恐慌時にルーズベルト大統領の「ニューディール政策」で設立されたものだが、現在は原子炉6基を稼動させる電力会社である。
ワッツバーでは現在稼動するのは1号機だけ。2号機は完成目前にスリーマイル島の事故の影響で凍結された。しかし、07年に建設を再開させ、12年には稼動予定だ。
2号機には2000億円以上の巨費を投じており、TVAの理事会は「欧州のように計画放棄は決してやらない」と強調している。
チャタヌーガ市長も「原発関連企業は今後も市経済の主軸」と言い切る。「原発にやさしい都市」を旗印にする市長は、原発関連企業を積極的に誘致。「原発のほかに(代替エネルギーは)何があるのか」と訴える。
だが、東電福島原発事故で国民の懸念は深まるばかりだ。市民団体代表は、「すでにスリーマイル島事故で原発は破綻している。新規建設は中止し、古い原子炉は廃棄するしかない」と語る。
電力関係者のなかでも、米金融業界が中国の原発推進にこぞって融資することに疑問を持つ人もいる。「米国が躍起になって中国の原発政策を後押ししていいものだろうか」と。

世界の脱原発の流れのなかで、日本はいまだに既存の原発を停止して代替エネルギーにシフトするという国民的合意が形成されていない。
もしかりに、東海・東南海地震がおきたら、日本は廃墟となるだろう。

  
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2011年04月14日

放射線被曝の危険性―「直ちに影響はない」という政府発表のウソ(4月14日)

以下の文章は、「エックス線検査受けますか、命ちぢめますか」のタイトルで月刊『むすぶ』(ロシナンテ社 2001年7月号)に掲載したものである(後『なぜ日教組はたたかえなくなったか』所収)。
愛知県の中学校教員が職員健康診断のエックス線検査を拒否して県教委より減給処分を受け、それを不当として裁判に訴えた。1審は勝訴したが、高裁・最高裁で敗訴した。
その高裁・最高裁判決を批判した論文だが、放射線被曝の危険性に言及している箇所を抜粋しておく。

「まずこの高裁・最高裁判決は、70年代初めに否定されたまちがった科学的見解に立脚した判決である。
第1に、自然放射線と人工放射線を同一視している点である。自然放射線にくらべてエックス線の被曝量は微量であり、それゆえ安全であるかのごとき判決であるがこれは完全に否定された見解だ。
自然放射線は年2.4ミリシーベルトとされているが、生物進化の過程で獲得してきた適応の結果、人類の世代継続にとって何ら問題ないとされている。
第2に、放射線量がある限度以下であれば安全とする点である。放射線量はどんなに微量であっても安全だという「しきい値」は存在しない。
放射線障害には身体的障害(急性障害と晩性障害)と遺伝的障害がある。急性障害(確定的障害)はある程度の放射線量被曝を受けるとだれでもほぼ一様の障害が現れるが、確率的障害(晩性障害と遺伝的障害)の場合、同じ被曝を受けても障害が現れる人と現れない人がでる。
遺伝的障害は遺伝子の突然変異や染色体異常でおきる。突然変異には優性・劣性・伴性のものがある。優性は次代に伝えられると必ず現れ、劣性は次々代以降にしか現れず、伴性は次代の男性に伝えられると必ず現れるが、女性では劣性と同様である。
放射線によっておきる突然変異はほとんど生物にとって有害であり、その大部分が劣性ですぐに現れないため生物種の集団中に保存されて世代が進むにつれて突然変異固体が頻発する。
こうした遺伝的障害や晩性障害については、低線量被曝でも発生することが証明されている(市川定夫『環境学』藤原書店)。
人類全体といった大きな集団でみた場合、変異遺伝子の総量(プール)は一定の大きさに保たれている。このプールに流入する変異遺伝子の量とプールから排除される変異遺伝子の量との間に平衡が成り立っている。
ところが突然変異によってプールに流入する変異遺伝子の総量が増えると平衡がくずれてプールが膨張する。
変異遺伝子の大部分は外に現れない形(劣性)で集団内を何世代にもわたって拡散しながら、集団内のいたるところで奇形その他の疾患として発現する可能性がある。
放射線の遺伝的障害は人類集団が浴びた放射線総量に比例するから、個々人の被曝線量より集団全体の総被曝線量を可能なかぎり低く抑えるというのが新しい被曝管理の根本的考えである(佐藤満彦『猜射能瓩鷲櫃い里』文春新書)。
それゆえICRP(国際放射線防護委員会)も線量限度の一般人基準を15ミリシーベルト(54年)から5ミリシーベルト(58年)、さらに1ミリシーベルト(87年)へと低減してきた。
しかもこの線量当量限度はそこまでなら被曝してかまわないという線量ではなく、放射線が人類の幸福に対してもたらす利益が、確率的影響による健康上の不利益をはるかに凌駕することを保証しうる上限の線量とされている。
そのうえでICRPは医療被曝の基本的ルールとして、(1)不必要な放射線暴露を避けること、(2)暴露線量はできるだけ低く保つこと、(3)一定レベルを越えて暴露しないことの3つを提唱している。
ちなみに各種エックス線検査の放射線量をみておこう。胸部間接撮影が0.5ミリシーベルト、歯が3ミリシーベルト、胃が4ミリシーベルト、妊婦検診が13ミリシーベルト。
日本人の年間医療被曝線量は1人平均2.6ミリシーベルトで、欧米諸国の1人平均1ミリシーベルトにくらべても国際的におどろくほど高い線量だという。この年間国民線量でがんや白血病、遺伝的影響の現れる恐れの人が、日本全体で約2000人増えるという(朝日新聞 92年4月6日)。」


  
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2011年04月11日

原発震災―内部被曝の危険性を隠す政府発表(4月11日)

福島原発の放射性生物質について、政府は「直ちに健康に影響はないと」と「安全」を連呼しているがホントか。
全世界の病院や核施設に放射線の防護基準を提供しているのがICRP(国際放射線防護委員会)である。その基準そのものに問題があるという。
以下、琉大名誉教授・矢ヶ崎克馬「米国の各戦略が被害を隠した」(週刊金曜日4月8日号)を参照。

ICRPの基準は広島・長崎への原爆投下後、被爆した被害者の調査を基にしてつくられている。
ところで、核兵器がはじめて使われた第二次大戦後、放射線被曝によって命を奪われた人の数はどれぐらいいるのか。
ICRPの基準に基いた試算では117万人である。しかし、ECRR(欧州放射線リスク委員会)は6500万人を超すと試算している。なんと55倍以上の違いだ。
この違いは「内部被爆」を勘定に入れるか入れないかによるものだ。
ICRPは放射性物質は危険濃度以下に薄まっているから被害を与えないと主張する。いっぽう、ECRRは内部被曝こそ被曝の継続性・局所性から最も危険だと主張する。
ICRPの原子炉開発の基本思想は「利益をあげるために犠牲もやむを得ない」である。そして、原爆投下後の米国の核戦略がICRPの方向性を決定したといえよう。米国は核兵器を使用するために、放射性物質がもたらす悲惨な影響を隠そうと画策してきた。
米国は原爆投下の翌1946年、NCRP(合衆国放射線防護委員会)を設立した。ICRPはICRPの陣容とほぼ形で設置されたが、51年に突然内部被曝に関する委員会の審議を打ち切った。
さらに様々な測定や統計処理のゴマカシで内部被曝をないものにしてきた。そして内部被曝をないものにすることで、原発推進が可能となった。核兵器使用が米国の第1の核戦略なら、原発推進は第2の核戦略であった。
放射線量が「しきい値」以下なら人体に影響はないという考えはまちがっている。確率的影響にしきい値がないことは研究者の共通認識である。
大気圏の核実験が行われた時期と、日本の小児ガン死亡率の統計には明らかに関係がある。
原爆投下後5年後には死亡率は3倍に上昇した。その後、大気圏の核実験が行われるたびに、その5年後に死亡率が上昇し、65年には戦前の7倍が記録された。
63年に大気圏の核実験停止条約が締結され、死亡率は低下傾向を示している。
放射線には主にアルファ線・ベータ線・ガンマ線の3種類がある。アルファ線の飛ぶ距離は空気中で45mm、体内で0.04mmしかない。ベータ線は空気中で1m、体内で2.5mm。ガンマ線は貫通力が強いので、外部被曝はガンマ線によって起きる。
外部被曝では体外の放射性物質は四方八方に分散して放射され、身体に放射されるのはその一部である。しかし、内部被曝では体内に放射するすべての放射線によって被曝する。
アルファ線やベータ線は飛距離が短い。ということは、放射性物質の周囲を集中的に被曝させることになる。だから、外部被曝で低線量と評価されても、内部被曝の場合はケタ違いの大きな被曝になる。
内部被曝の危険性を正しく認識し、長期にわたって監視する体制が必要だ。
  
Posted by sho923utg at 06:06Comments(0)TrackBack(0)