2015年03月31日

戦後史再考―天皇戦犯論と退位論

月刊誌『むすぶ』2015年3月号に掲載した「戦後史再考ー天皇戦犯論と退位論 廚2回に分けて掲載する。

二度の世界大戦で敗戦国の君主制・王政はほんど消滅した。
第一次世界大戦の敗北でロシア・ドイツ・オーストリア・トルコの王政は倒壊し、第二次世界大戦の敗北によりイタリア・ブルガリア・ユーゴスラビア・ルーマニア・ハンガリーの王政も倒れた。日本の敗戦で天皇制も廃止の運命にあった。
それではなぜ天皇制はのこったのか。
敗戦直後の象徴天皇制は、天皇制の存続と改廃をめぐる米政府・占領軍と、天皇・日本支配層の激しい攻防の妥協点として成立した。
天皇戦犯論と退位論をめぐる日米の攻防についてみていこう。
米国の天皇制論議は第二次大戦中の一九四二年から国務省極東課ではじまっている。
天皇制廃止か保持か、天皇戦犯論と無罪論、天皇裕仁退位か否か。
天皇制論議は第一に日本との戦争を勝利に導くためであり、第二に降伏後の日本の民主化をどのように推進するかという占領構想からである。
第二次大戦中の米国では「天皇制廃止論」と「天皇制利用論」のふたつの流れが対抗していた。
国務省内では天皇制利用論が底流にあったが、それは国務省の政策に影響をあたえたグルー・元駐日大使の年来の主張でもあった。
グル―は天皇制について次のようにのべていた。
「天皇制は日本社会の安定要素です。ここで比喩を用いるなら、天皇は大勢の働き蜂が仕え、敬愛する女王蜂のような存在です。
もしも蜂の群れから女王蜂を取り除いたならば、その巣は崩壊するでありましょう」
(一九四四年一二月米外務省委員会)。
また、グル―は一九四三年一二月に行った「シカゴ演説」では、天皇制は将来米国にとって資産になるという「天皇資産論」を主張していた。
だが、グル―らの天皇制利用論は米国内では直ちに主流とはならなかった。
一九四四年一二月、米政府は国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)を設置し、対日基本政策文書を策定していく。
一九四五年六月のSWNCC「初期対日方針」では、連合国最高司令官に日本占領の最高権限をあたえ、直接軍政により占領政策を遂行していく方針を示した。
そして「天皇の憲法上の権限は停止される」ことになっていた。
だがこの時点では直接統治も天皇制存置も確定的なものではなく流動的な側面をのこしていた。
米政府が間接統治=天皇制存置の方針を固めたのは、一九四五年八月一一日―二二日の間とされている。八月一一日のSWNCC文書では、天皇を降伏文書に署名させるとしていた方針を変えて、日本政府と大本営に署名させることにした。
さらに、八月一二日の同文書では天皇に終戦の詔勅をださせ、日本の全軍隊に戦闘行為を停止し、武器を引き渡すよう天皇命令を発する方針とした。
八月二二日にはSWNCC「米国の初期対日方針」が策定された。
この文書では「最高司令官は…天皇をふくむ日本国統治機構および諸機関をつうじてその権限を行使する」と、間接統治=天皇存置の方針が決定された。
なぜ米国は間接統治=天皇制存置に政策転換をしたか(以下中村正則『戦後史と象徴天皇』参照)。
第一に日本の降伏が米政府の予測よりも数か月早く実現したためである。
米国は一九四五年一一月一日開始の九州上陸作戦(オリンピック作戦)や、一九四六年三月一日開始の関東平野制圧作戦(コロネット作戦)を計画していた。
しかし、日本の早期降伏は予想外で占領要員の養成・確保が間に合わず、天皇をふくむ既存の統治機構を利用して占領政策を遂行する以外になかった。
第二に日本軍の武装解除が天皇の命令によって迅速に行われたことである。
八月一六日、天皇は陸海軍全部隊に停戦の命令をだした。
天皇は皇族の軍人を外地に派遣して現地軍を説得するとともに、直ちに停戦協定・武装解除を行うよう命じた。
天皇の命令は絶対であり、各地の日本軍は次々に武装解除をした。
この間の推移を見ていたマッカーサーは改めて天皇の威力を知った。
こうして米政府は天皇制利用方針を固めることになった。
第三に占領コストを節約する必要からである。
米国は納税者の論理が強く働く国である。
仮に直接統治をすれば膨大な軍政管・民事行政官を投入しなければならならない。
日本占領のための巨額の費用の投入は納税者の理解を得られない。それよりも天皇と日本政府を利用して占領政策を遂行する方が、占領費用は少なくてすむからである。
「米国の初期対日方針」はトルーマン大統領の承認をへて、同年九月二二日に米国の正式方針とされホワイトハウス指令として公表された。
  

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2015年03月30日

内容はいいが、最後に腰砕けの朝日の社説

安倍首相は自衛隊を「わが軍」とよび、菅官房長官も「自衛隊も軍隊」だと発言した。
歴代自民党は自衛力は戦力に当たらないとして憲法9条との整合性を何とか保とうとしてきた。
そうした「建前」を現政権はいともたやすくぶっこわしている。
ふだんはつまらぬ社説しか書かない朝日だが、3月29日「安倍政権の激走」はなかなかシャープで歯切れがよかった。
憲法や歴史の教訓、メディアや野党による権力批判、権力者の自制などが戦後の日本政治のブレーキとして機能してきた。
しかし、安倍政権はブレーキがあるからこの国の走りが悪くなると思い込んでいる。
「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」とは、ブレーキなんか邪魔だ、エンジン全開でぶっ飛ばすぜという冒険主義のことなのか。
「いま」がすべて。
どこに向かっているのか、なぜそんなに急ぐのか、危ないではないかと問うても、いまのこの走りを見てくれ、こんなにアクセルを踏み込める政権はなかっただろうと答えが返ってくる。
とにかく前へ、ここではないどこかへと、いま必死になって走っている最中なんだ、邪魔するのかとあらゆる批判をはねのける。
「わたし」を中心に物事を都合よく把握し、他者の存在を全く考慮にいれない。
狭隘かつ粗雑な世界観が、あちこちから漏れ出している。
首相は昨年、テレビ番組に出演して報道内容を批判した。
報道内容への介入だと批判されると、「言論の自由」だと反論した。
個人の権利である言論の自由を権力者がふりかざすという倒錯だ。
ひょっとして首相は、最高権力者であるという自覚を根っこのところで欠いているのではないか。
情けないのは抑制や自制といった権力者の作法を身につけず、けたたましいクラクションを鳴らして走り回る首相である。
そうは言っても、安倍政権が激走を続けられるのは、社会の空気が何となくそれを支えているからだろう。
長びく不況。中国の台頭。格差社会の深刻化。東日本大震災…。
国ぐるみ一丸となって立ち向かわなければやられてしまう。
国家が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、政府の足を引っ張ってはいけない。
そんな気分が広がり、熟議よりもトップダウン、個人の権利や自由よりも国家の都合が優先される社会、知らずしらず招きよせていないだろうか。
昨今のメディアの委縮と呼ばれる事態も、強権的な安倍政権にたじろいでいるという単純なものではなく、道理が引っ込み、液状化した社会に足を取られているというのが、率直な実感だ。
以上が社説の論旨だ。
だが、最後がいけない。
メディアが権力批判におよび腰であることを社会の「空気」のせいにしている。
せっかくいいことを書いているのに、これでは台無しである。
メディアのトップが権力となれあいの関係で、批判の矛先が鈍っているのではないか。
そのことを朝日も率直に反省してもらいたい。
同じ日の朝日に杉田敦と長谷部恭男の対談が掲載されている。
杉田は「日教組!」という首相のヤジを、ヤジの内容が事実か否かではなく許されないもので、国会への侮辱であり、なぜ野党は不信任決議案をださないのかという。
長谷部も国会議員の国会での発言は憲法で免責特権が認められているが、国務大臣は免責されないというのが憲法学界の通説だとしている。
国務大臣は政策について説明責任を果たすため国会で答弁するのであり、一議員と同じ立場で自由に発言することは認められないと。
杉田はテレビ番組の偏向発言を国会で批判され「、言論の自由だ」と反論したことについても、一般市民の意見に首相が反論することが人権か、それこそ市民の言論の自由を委縮させると批判している。
政治学者や憲法学者のこうした指摘をまつまでもなく、メディアは首相発言の本質をするどく剔抉して報道してほしい。
池上彰が常々言っているように、新聞人の感度が著しく鈍くなっていないか!
  
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2015年03月28日

中嶋岳志「若者は何故テロリストになるか」がナイス

『文藝春秋』4月号に中嶋岳志が「若者は何故テロリストになるのか」という文章を書いている。
1990年代以降、日本の若者の心をとらえてきたモチーフのひとつに「日常こそが戦場だ!」というものがある。
実弾飛び交う戦争は自分の周りにはないが、イジメや生きる意味の欠如といった日常こそが、自分たちにとって生きづらく、戦場そのものだと考えるのだ。
小林よしのりの『戦争論』が出版されたのが1998年である。
出版当時は「大東亜戦争肯定論」「戦争賛美」などとして読まれたが、90年代以降の若者文化という文脈で読み直すとまったく違う姿がみえてくる。
『戦争論』が当時の多くの若者に受け入れられたのは、あの戦争が正しかったとか、日本はスバラシイ国だったという歴史的検証に共感したからという理由だけではない。
『戦争論』は生の実感のない現代人に、死を背景にした壮大な物語が存在することを訴えたのだ。
「この国を想って死を賭ける者にかって人々は、国は物語を用意した」と。
小林は『戦争論』のなかでもうひとつの問題を描いた。
それは「日本が左翼のマスコミ、学者によって洗脳されている、だからわれわれは普通にメディアに接しているだけでは真実を知ることができない」という主張だ。
小林はそうした者へのレジスタンスが必要だと繰り返し述べる。
この言説はネット社会と高い親和性を発揮する。
ネット空間でくりかえされる「大きなメディアは本当のことを言わない」「ネットにこそ真実がある」といったたぐいの噂は、小林以降も拡大再生産されて次第に力を持つに至った。
イスラム国に参加する若者もこうした状況と通底している。
今年1月にフランス新聞社「シャルリー・エブド」が襲撃された。
犯人は移民2世のフランス人の若者だった。
かれの事件前の声がネット上で公開されているが、そこでは「生きづらさ」や「疎外感」とともに、自分たちの声が排除されていることに対する「レジスタンス」が強調されていた。
大きな物語とは簡単に取り換えることが可能で、同時に簡単に参加することも可能なものである。
ネット右翼と呼ばれる人たちが、あるいは日本の社会で生きる意味を見いだせない人が、ある日突然「イスラーム国」という物語に参加しようとしても不思議はないのだ。
秋葉原事件の加藤智大にしても、テロに参加する若者にしても、強烈な自己承認欲求の先に暴力を生み出しているところに共通点がある。
自己を承認してくれる対象は、大きく単純な物語であればあるほどいい。
国家が成長できなくなった時代に生まれた若者は、常に鬱屈をかかえて煩悶する。
戦前の若者たちも天皇を中心とした国家を超える物語、すなわち「超国家主義」という大きな物語に参加することで、疎外感や孤独感から逃れようとした。
現代の若者が参加しようとする「イスラーム国」のカリフ制という物語は、かつての日本の「超国家主義」と同じ構造をもっている。
カリフ制は国民国家ではなく、イスラームの信仰の下に人々を統一し再編する思想である。
イスラーム国も国民国家を否定し、国家の支配を超えた相互扶助のコミューンをめざしている。
そして政治と宗教を一体化させる「政教一致」を理想としている。
昭和の煩悶青年たちが求めた大きな物語の理想は、イスラーム国の用意する物語と非常によく似た構図を持っている。
青年たちは自分が包摂され、意味づけられる大きな物語を探しているのだ。
自我の過剰が、自我を超えた全体への一体化を要求する。
そして、日本でも大きな物語を提示し組織化するカリスマが生まれ時、その物語に参加する若者を止めることは難しいだろうと中嶋は論じている。
  
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2015年03月25日

オウム事件とイスラム国とテロの蔓延

『中央公論』4月号の森達也×武田徹の対談「社会の思考停止と集団化がテロの温床となる」を興味ぶかく読んだ。
組織的暴力の双璧は国家と宗教である。
オウムもイスラム国も「国」を志向した。
森達也は対談で概要次のように話している。
オウム事件が世の中にあたえた影響のひとつは、被害者感情の共有化である。
地下鉄サリン事は無差別殺人である。
それまでの犯罪は加害者と被害者の間になんらかの因果関係があった。
ところがサリン事件は不特定多数を対象にしている。
そうしたぶきみな不安感や恐怖感から、被害者・遺族の感情を日本中が共有した。
毎年殺人事件は戦後最少を更新しているのに、体感治安は悪化するばかりだ。
その理由のひとつがメディアの過剰な事件報道だ。
そしてもうひとつは動機なき殺人の増加である。
オウム事件によって人は明確な動機がなくても人を殺すという認識が共有された。
その結果として動機なき殺人が増えたのでないか。
それによって不安や恐怖が増しているのではないか。
オウム事件の背景には3つの要因がある。
第1に宗教の持つ死と生を転倒する機能である。
だからこそ宗教は殺戮とつながりやすい。
死後の世界を担保にすればこの傾向はいっそう強くなる。
原理的に宗教ほど殺戮と近親的である。
第2に共同体内部における集団化である。
集団は内部に異物を見つけて排除する。
それにより集団内の多数派として連帯・結束できるからだ。
さらに集団の外部に敵を設定する。
敵を作ればさらに結束を強化できるからだ。
宗教は迫害を滋養とするが、信仰の持つそうした閉鎖性と社会から異物視を両輪に集団化いっそう促進される。
第3に麻原の眼の障害である。
彼は目が見えないので側近たちがメディアの役割を果たしていた。
側近たちは麻原が強く反応する危機的情報ばかりを上申し続けた。
結果として麻原の危機意識は増大し、そこにポアの思想が重なり、一連の事件につながった。
1995年にオウム事件によって起きた社会の変化が、2001年の同時多発テロ事件で一気に世界に広がり、テロが蔓延する現在に至っているのではないか。
森はそう結論している。
オウム・サリン事件の無差別殺人よって、犯罪の質が根本的に変わったということは、たしか吉本隆明が事件当時に書いていたと記憶する。
20世紀後半、戦争の意味が根本的に変わったのだ。
戦争は国家対国家による戦争が困難になった半面、国家がテロ組織や犯罪組織を戦争の対象とするようになった。
テロの蔓延はこうした戦争の変質と関連しているのだろう。
  
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2015年03月21日

安倍首相の「日教組!」ヤジ―恥ずかしきかなわが日本

2月19日の国会論戦中、安倍首相が民主党議員に「日教組!」というヤジを飛ばした。
その後、首相本人は事実誤認であったとして謝罪したので、メディアではそれほど追及されなかった。
ところで、なぜ「日教組!」が汚いヤジなのか。
ふつうの人にはわからないだろう。
わたしもわからなかった。
3月21日付毎日新聞に、批評家の濱野智史・メディア批評が「批判封じる魔法の言葉を注視せよ」を書いている。
それを読んで安倍首相の「日教組!」のヤジの意味がやっとわかった。
濱野は次のように書いている。
ネトウヨと呼ばれひとたちが好んで使う罵倒の言葉がある。
たとえば、「売国奴」「国賊」「在日」「反日」などである。「日教組」もそうした罵倒語のひとつである。
日教組はネトウヨがやり玉にあげる組織のひとつだ。
なぜなら日教組はリベラルー左翼の牙城であり、日の丸・君が代を否定し自虐史観を教える「反日」集団だからである。
なぜネトウヨはかように単純稚拙な罵倒の言葉を使うのか。
『ネットと愛国』の著者・安田浩一によれば、
「そう口にするだけで相手の言論を封じ込め、問答無用でおとしめ、自らが優位に立てる」
と考えているからだという。
安倍首相の「日教組!」はまさに「問答無用」のネトウヨの「魔法の言葉」なのだ。
そんな言葉を、一国の首相が、しかも国会という場で使ったことを、わたしたちはもっと憂慮すべきだ。
かつて安倍首相は、自身のフェイスブックでネット右翼系サイトの記事を紹介していたが、メディアはこうした「ネット言説」をふくめた動向をより注視し、批判を加えていくべきだ。
以上が濱野の論評である。
わたしもかつて日教組に所属し、そして日教組を批判して飛び出した人間である。
そのわたしからみれば、日教組が「リベラルー左翼」だなどというのは「妄想」にすぎない。
日教組がリベラルで左翼的であったのは、1970年代半ばまでである。
それ以降は日本の巨大労組同様、体制保守的人畜無害な組織になってしまった。
わたしはネトウヨの世界で、「日教組!」が「売国奴」や「国賊」なみの罵倒語だということは、トンと知らなかった(それは日教組の買い被りすぎである)。
だから、安倍首相のヤジを新聞で読んだ時は、「あいかわらず下品に野郎だな!」ていどにしか思わなかった(まあ安倍首相に上品さを求めるのはそもそもないものねだりだが)。
だが、一国の首相がネトウヨの罵倒語で野党議員をヤジったのだとしたら、濱野がいうようにメディアはきちんと批判して報道しなければならない。
(私が読んだかぎり、そんなことを書いた新聞ひとつもなかった)。
それにしても、ネトウヨ程度の頭脳しかない人間を、一国の首相にしている日本という国がただただ情けない。
  
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2015年03月19日

戦後史ノートぁ集羶娠討里罎え

戦前、各学校に「下賜」された天皇の写真「御真影」。戦後はどうなったのだろうか。
軍装の天皇の写真は新時代にふさわしくないとの宮内省の判断から、1945年11月下旬に全国の学校や官公庁に返納の通達が出された。
戦前は御真影は奉安殿や金庫内の奉安庫などに納められて出し入れされていた。
時折「奉安状態を検査する」ために文部省の係官が出張してきた。
カビひとつで校長が簡単に左遷される時代だった。
戦時中は空襲警報が鳴ると、わが家をさておいても夜でも御真影を守るために学校にかけつけなければならなかった。
宮内省に集められた約1000枚の御真影は、年末に白布で包まれ、賢所仮殿わきでおはらいをしたあと、桔梗門裏手で「奉焼」された。
さらに、翌年にかけては各府県庁の所在地でも同様に御真影が焼却された。
当時の輸送事情では、無事に東京まで運ぶのは困難だったからである。
御真影の返納をめぐって宮内省へ問い合わせが相次いだ。
「軍服姿ではない天皇の写真なら飾ってもいいのか」
「その場合、写真の大きさや、飾る場所は」
「奉安殿へ納めてはまずいのか」
などである。
出先の機関が御真影にどれだけ神経を使っていたかうかがわせる。
宮内省では問い合わせに答えるため、「取扱要綱」を決めて関係方面に配布した。
一.お写真に拝礼は強制しない
一.官庁、学校その他でお写真を掲げる場合は、日常お姿を仰ぐのに適当と思う場所に掲げ、幕でおおうような必要はない。
ただ掲げる場所はいつも清潔にしておくこと。
なお、普段奉安殿や奉安庫などのような特殊な場所に納めておくことは避けること
一.お写真の大きさは掲げる場所に応じて自由に選択してよく…(以下略)
翌1946年元旦、天皇の「人間宣言」が出されることになる。
(参考 高橋紘+鈴木邦彦『天皇家の密使たち』)
  
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2015年03月18日

性的絶食化が進む日本

つい最近の新聞で、既婚者の50%ほどはセックスレスだという記事を読んでおどろいた。
ところが、3月18日付毎日新聞の山田昌弘・中大教授の「寝た子が起きない」という文章にはさらにおどろいた。
山田教授は次のように書いている。。
学校で性教育を推進しようとすると、必ず「寝た子を起こすな」という反対意見がでてくる。
性知識を教えると興味をもち、性的に不適切な行動を取るようになるというものだ。
だが、現実はそれ以上に深刻な事態が起きている。
寝た子が起きないのだ。
東京都幼・小・中・高心性教育研究会の「児童・生徒の性に関する調査」にはおどろいた。
この調査は3年ごとに実施されている。
中3の生徒に「あなたは今まで性的接触をしたいと思ったことはありますか」という質問がある。
1987年は男子生徒86%、女子生徒36%が「ある」と答えた。
1990年代には男子生徒68%、女子生徒35%前後で推移したが、2002年以降急速に低下し、2014年は男子25・7%、女子10・9%となった。
思春期まっただ中の15歳男子の4人に3人は「異性への性的興味」がないのである。
この草食化ならぬ「絶食化」傾向は、日本性教育協会の「青少年の性行動全国調査」でも確認されている。
2005年から2011年にかけて、高校生や大学生の性に対する関心も性体験も急低下している。
青少年の絶食化傾向の原因については、研究者の間でもさまざまな議論がある。
姓情報が氾濫しすぎて興味をそそらなくなった。
ゲームやネットなど他に面白いものが増加している。
バーチャルな恋愛にはまる人が増えた。
性教育で性の危険ばかり強調され、性に対する恐怖心が植えつけられている。
―など諸説がある。
さまざまな要因が複合的にはたらいていることは確かだが、私は男女交際や性関係が楽しいものではないという意識が広がっているのもその一因だと思っている。
諸外国とちがい、日本では中高年はもちろん、若い人でも楽しそうなカップルはあまりみかけない。
これではますます少子化が進むのではないか。
山田教授は以上のように書いている。
つまり、結婚前も結婚してからも、日本の男性の絶食化が進行しているのだ。
たしかに、未婚男性の草食化や絶食化はネット社会とある種の関連があるだろう。
しかし、既婚男性のそれまでもネット社会で説明することは無理がある。
とすると、日本の社会でなにかもっと根本的な社会変動が起きているのではないだろうか。
私見では性衝動はある種の欠落感と背中合わせのものだとおもう。
日本の若者や成人が欠落感を失いつつあるとしたら、それは平和な時代であると同時に、恐ろしく活気のない社会ではないだろうか。
だから、若者や成人の性的衝動の衰退は少子化問題に還元されるものではない。
もっと大きな創造活動全般に影響するのではないだろうか。
  
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2015年03月17日

戦後史ノート―近衛文麿による天皇出家構想

近衛文麿についてはさまざまな評価があるが、歴史学者の吉田裕は次のように書いている。
「近衛文麿は、かなり明確な戦後構想を持って行動した数少ない保守政治家の一人だった。
近衛は敗戦によって戦争責任の問題が政治的にも大きな争点になることを早くから見通しており、連合国による天皇の戦争責任の追及が天皇制の廃止要求にまで発展するのを阻止するため、戦争責任のすべてを軍部、特に陸軍に意図的に押し付けることを決意していた」
(『昭和天皇の終戦史』)。
第2次大戦末期の1945年1月25日。
戦火は本土に広がり、空襲警報の合い間をぬって、各地で「決戦」にそなえる竹やり訓練が行われていた。 
この日、京都・宇多野の侯爵近衛文麿の別邸・陽明文庫で数時間の密議がつづいていた。
重臣岡田啓介、海軍大臣米内光政、仁和寺の門跡・慈航の3人。
いずれも戦局不利とみて、本格的な終戦工作に動きだした近衛に呼び集められた。
「戦局は最悪の事態を迎えている。
もはや敗戦はまぬがれられまい。
そこで国体の護持をどうするかだ」
近衛はそう切りだした。
軍部は本土を焦土としても戦うつもりで「一億玉砕」を呼号していた。
岡田・米内・近衛はいずれも和平派で、前年春ごろから東條内閣打倒をはかり、しばしば会合を重ねていた。
「和平といっても無条件降伏も覚悟しなければならない。
降伏により連合国が陛下の責任を追及してきたらどうするかだ。
万一の時は先例にならって陛下を仁和寺にお迎えし、落飾(出家)を願ってはいかがかと考えている」
近衛はきっぱりとそういった。
「連合国も出家した天皇をどうこうするとまではいうまい」
それが近衛のハラの内だった。
仁和寺は陽明文庫の東300メートルにある真言宗の大本山である。
落飾した天皇を「裕仁(ゆうにん)法皇とよび、門跡として金堂に住んでもらう計画だったという。
岡本慈航は天皇を迎え入れる準備に取りかかっていた。
密議が行われた当時は、和平を口にするだけで憲兵隊に逮捕された時代だ。
ましてや天皇出家の相談までしていたとなれば、重臣といえども憲兵隊からどのような仕打ちを受けるかもしれなかった。 
4人の間ではおそらく「この件は時機が来るまでいっさい口外しない」との申し合わせがあったのではないだろうか。
敗戦直後の近衛については後日記すこととする。
(参考 高橋紘+鈴木邦彦『天皇家の密使たち』)
  
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2015年03月16日

18歳選挙権―政府は政治教育に介入するな!

3月16日付日経新聞で、池上彰が連載「若者たちへ」で「高校生にも選挙権」を書いている。
以下の内容だ。
3年前、米国北部のアイオア州で大統領選挙の取材をした。
この年の夏に共和党大統領候補が決まる予定で、何人もの政治家が支持を求めて遊説していた。
このとき、公立高校で政治家たちの立会演説会が開かれるときき、会場をのぞいてみた。
なぜ高校で、と思いながら顔をだすと、体育館に集まった高校生たちを前に、有力候補たちが次々に演説している。
ある政治家が「11月の投票日に選挙権のある人は?」ときくと、約3分の1の生徒が手をあげた。
わたしはてっきり高校のイベントに政治家が顔を出したのだと思いこんでいたのだが、政治家たちにすれば有権者を相手にした真剣勝負の場だったのだ。
そうか。18歳から有権者になるというのは、こういうことなのだ。
思わずひざを打った。自分が通う高校に大統領になろうという候補者たちがやってきて政策を訴える。
若者たちは政治に関心を持つようになるはずだ。
今の国会に選挙権の年齢を18歳以上に引き下げる法案が提出され、成立が確実な見通しだ。
日本の若者は政治に関心がないから、選挙権を与えても意味がないという意見もある。
だが、わたしは逆だと思う。
若者が政治に関心がないから選挙権を引き下げる必要がないのではなく、選挙権を引き下げれば若者は政治や選挙に関心を持つようになるのではないか。
私の所に送られてきた福島県立相馬高校の「相馬高新聞」3月1日号のコラムは、この問題に関し、
「消費税の値上げ、憲法の改正論議など将来の私たちの生き方に大きな影響を及ぼす問題が次々に出てくる。
人まかせにできない問題に発言する権利を若い人ももつべきだ」
と主張している。頼もしいではないか。
以上が池上の文章の論旨である。
公職選挙法が18歳以上に引き下げられると、選挙人は240万人増えるという。
全体の2%である。
1945年以来の70年ぶりとなる改革で、国会議員選挙だけでなく、自治体の首長や議会選挙、最高裁判事の国民審査、自治体首長や議員のリコールなどの住民投票にもかかわる。
3月16日付中日新聞社説が「18歳選挙権法案」「成人の年齢は熟慮で」としてこの問題を取り上げている。
国立国会図書館の調査によると、198か国・地域のうち、選挙年齢を18歳以上としている国は167にのぼる。
選挙年齢は徴兵制ともからんできた。
ベトナム戦争時に選挙年齢を引き下げている国々がある。
徴兵されるのに選挙権がないのはおかしいという議論が起こったからだ。
選挙権を引き下げるならば、主権者教育をより充実せねばならない。
政治に無関心な若者に対し、憲法や立憲主義について徹底して教えてもらいたい。
これは改憲が大きな政治テーマになる以上、全世代で考えたい。
少年法との関係もある。
買収などの選挙違反があれば、成人と同様の処罰をするという。
少年法で定めた「成人の年齢」を18歳へと引き下げる動きさえでている。
少年法は健全育成を期待して、非行少年を矯正し、保護するのが目的だ。
人格の形成途上で、刑罰を科すよりも、教育により指導・支援する方が効果的だという研究結果もある。
公選法と少年法は理念も背景も異なる。
慎重に議論すべきだ。
ローン契約や飲酒・喫煙・ギャンブルなど一律に18歳に引き下げるのは問題だ。
政府によると、成人年齢を18歳にすると、法律191、政令40、省令77を見直す必要があると判明した。
憲法は「成年者による普通選挙」を保障している。
日本社会は何歳を「成年」とするか、国民的コンセンサスが必要だ。
以上が社説の論旨だ。
社説の主張にはほとんど賛成だ。
選挙権は18歳以上でよい。
しかし「成年年齢」は20歳のままで、これから時間をかけて議論していくべきだ。
ただ、ひとつだけ政治教育について述べておこう。
若者の政治離れは政治の介入の結果である。
学校での政治教育を弾圧してきたのは、政府・自治体だということだ。
1960年代末以降、全国的に学生運動が巻き起こった。 
その時、政府・自治体はさまざま通達で教員・生徒の政治活動・政治教育を禁止してきた。
その結果が若者たちの政治離れをひきおこしたのだ。
選挙年齢が18歳に引き下げられても、政府・自治体が憲法教育・政治教育に介入してくることは十分考えられる。
今日の若者の政治的無関心は、若者の責任ではなく政治の責任である。
  
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2015年03月15日

保阪正康の「太平洋戦争の欠陥」の欠陥(3月15日)

3月14日付毎日新聞に保阪正康「昭和史のかたち」が、「太平洋戦争の欠陥」を書いているので紹介する。
太平洋戦争は日本の文化、倫理に反する欠陥が4点ある。
〃鎧が政治をコントロール。
特攻作戦・玉砕を国家公認の戦術として採用。
J疥困僚莇をめぐる国際条約を無視。
だ鐐莉結の構想なき軍事行為。
個々に解説すると、,老鎧機構は勝つまで戦うという暴力に堕してしまい、もし本土決戦が行われたらどれほど悲惨な状態になったか、その案をみると慄然となる。
△呂匹旅颪侶鎧教育も「自分が命じられたら嫌だ」という命令を発してはならないといわれるが、十死霊生の戦術を兵士に強いたこの国の軍事指導者は、明らかに20世紀の軍事常識に反している。
玉砕にしても兵士の30%を失うと全滅といわれているのに、日本は最後の1人が死ぬまで全滅とはいわない。
太平洋戦争下で初めて玉砕という語が用いられたのは、1943年9月のアッツ島玉砕だが、じつはそれまで4回の全滅があった。
玉砕という語を用いることで、大本営参謀の失態を隠蔽する結果になっている。
特攻作戦にして、その本質を調べていくと、一般兵士や学徒兵をきわめて軽視していることに気づく。
については、たとえば1929年の捕虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)に日本は調印したが、たしかに批准はしていない。日本軍の捕虜虐待に怒った米国は、太平洋戦争が始まると条約の履行を迫っている。
しかし、軍部は日本軍兵士は捕虜にならないと伝えている。
い砲弔い討蓮日本の軍人が終結案を持たなかったのは、戦争に勝って賠償金を相手から獲得する、それが「御国に奉公」と固く信じていたからだ。
戦争の終結とは勝つことしかないと思い込んでいた。
日中戦争を例にとると、軍事費は勝った時にその要した軍事費を賠償金として請求するという仕組みになっていた。
その他にも天皇の軍隊といいつつも、陸海軍とも天皇に事実を伝えず、むしろ天皇を巧みに利用して戦争を進めたのも責められるべきだ。
なぜこのような戦争になったのか。
私見では近代日本国は日本伝来の軍事学を学ばなかったという点に行き着く。
米英露仏中などの国は自らの軍事学を確立している。
ところが日本はプロイセンから軍人を雇い、そして陸大教育を進めた。
陸大の成績優秀者が昭和の戦争指導を担った。
さすがに日本の欠落に気がついて、武士道の倫理をもとに「戦陣訓」をつくって兵士に押し付けた。
保阪はこう記して歴史の風化に警鐘をならしている。
だが、保阪の論理はどこか変だ。
第1に軍隊というのはどこの国であれ、上官の命令に従うのがきまりである。
そうしなければ軍隊の統制はとれないからだ。
さらに軍隊は人殺しをするところだ。
保阪のいう「20世紀の軍事常識に反している」というのは的外れである。
第2に日本の軍人が戦争終結案を持たなかったのは、戦争に勝って賠償金を取るためだというのもおかしい。日本軍も太平洋戦争のシュミレーションをしている。
結論は米英に敗北するというものであったが、大本営がそれを無視をして開戦をしたのだ。
だから敗戦の結末は見えていた。
第3に天皇に事実を伝えず、天皇を巧みに利用して戦争を進めたというのも歴史的事実とは異なる。
太平洋戦争に限っていえば、天皇は戦争経過を詳細に把握しており、むしろ主導権を発揮して戦争を遂行している。
こうした言い方は、敗戦直後の天皇の戦犯免責論でも主張された。
第4に太平洋戦争の敗北が日本の軍事学に原因があるとするのも珍妙な論理である。
そういう面も確かにないとはいえないが、それは瑣末な問題である。
本質的なことは、アジア・太平洋戦争の敗北は、明治以来の天皇制国家構造の終着点だったということだ。
保阪は保守的評論家であるが、今の日本では良心的評論家である。
だが、全国紙でこんな貧弱な歴史認識で「太平洋戦争の欠陥」を書いては、歴史評論家の名前が泣くだけである。
  
Posted by sho923utg at 22:54Comments(0)TrackBack(0)