2016年03月31日

電気料金上乗せされている原発事故処理費用

われわれは福島原発の事故処理費を、電気料金に上乗せされて支払っている。
あまり知られていない事実だ。
3月30日毎日新聞の記者の目で関谷俊介記者が、「東日本大震災5年 原発事故処理費」「国民負担 説明尽くせ」のタイトルで書いているので紹介しておこう。
東京電力の福島原発事故の処理費は、現在まで総額12兆円超で、電気料金でまかなわれている。
しかも、こんごどれだけの負担が国民に押し付けられるか不透明だ。
処理費用には中間貯蔵施設整備3300億円がふくまれている。
しかし、中間貯蔵施設は国の試算でも最終的に1・1兆円と見込まれている。
さらに、廃炉もどれだけ費用がふくらむか見通せない状況だ。
われわれが毎月支払っている電気料金に、これら原発事故処理費が含まれていることはほとんど意識されていない。
巨額の賠償金を自前で払えない東電は、事故直後に政府に救済を求め、国から資金交付を受け続けている。
被害者への賠償費用は、東電のほか全国の原発をかかえる電力会社が、事故直後に値上げした電気料金から返済している。
除染の費用は政府が肩代わりして東電に請求する。
中間貯蔵施設の費用は、約30年間にわたって年350億円の税金が投じられる。
実質は東電の負担ではなく、われわれの電気料金や税金でその費用がまかなわれている。
そのいっぽうで、東電は新潟県の柏崎刈羽原発を再稼働させようとしている。
事故処理すら自力でできず、税金を投入してもらっている会社に原発を動かす資格があるのか。
以上が関谷記者の報告だが、犯罪企業東電を国民はいつまでこのまま放置するつもりか。
  

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2016年03月29日

民意を反映しない選挙制度

3月28日付朝日新聞に、杉田敦放題教授と長谷部恭男早大教授の対談が掲載されている。
そのなかで、民意を反映しない小選挙区制度の欠陥が分かりやすく解説されているので紹介しておこう。
9つの小選挙区がある。
有権者は各9人とする。
全人口は81人である。
ある政策について国民投票をすると、過半数41人を獲得しないと成立しない。
ところが、小選挙区制度では各選挙区で5人を獲得すれば勝てる。
全体で5つの選挙区で勝てば過半数を獲得できる。
5×5=25、81人中25人(30%)を獲得できればよい。
しかも右は投票率100%である。
投票率が6割をきり、各選挙区で5人しか投票しないとしよう。
すると、各選挙区で3人まとめれば過半数を獲得できる。
3×5=15、81人中15人(18%)獲得できればよい。
つまり小選挙区制度は、20%以下、5人中1人が支持するだけで過半数を獲得できるきわめていびつな選挙制度である。
これで民意を反映しているといえるだろうか。
ところが、国会では国民の過半数の支持をえたとして、ゴリおしがまかり通っているのだ。
  
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2016年03月24日

江戸時代の百姓はどんな米を作っていたか

武井弘一著『江戸日本の転換点』を読んでいたら、江戸時代の百姓がどんな米を作っていたか、くわしく書いてあり興味深く読んだ。
米には早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)の3種類あり、品種はなんと百種類以上もあったとされる。
そして、籾の色で「白「赤」「黒」の3種類に分けていた。
白米は籾の色が現在の米と同じものである。
赤米とはインディカ米で当時は大唐米と呼ばれていた。
黒米は古代米のことだろう。
江戸時代には白米が約5割、赤米・黒米が約5割で、半々であった。
水田を埋める稲穂の色は、一色ではなかった。
白米だけでなく、赤や黒などあるバラエティに富んだ米が育てられていた。
それが田園風景の現実の姿だった。
それでは、江戸時代の百姓は何を食べていたのか。百姓は雑穀を食べていたという学説と、江戸後半では雑穀と米がほぼ半分ずつ入った飯を食べていたという学説がある。
各藩では百姓のくらしを統制した掟を定めており、百姓の食べ物は雑穀とし、米をむやみに食べてはならないとしていた。
しかし、実際は雑穀だけ食べていたわけではないようだ。
時には雑食の中に米を入れて食べていたのが実情のようだ。
では百姓はどんな米を食べていたのか。
一般的には大唐米を食べていたとされる。
赤米は耕作地で条件の悪い所でも短期間でも育つ。
そこで、新田を拓くとまずこの品種を作付けし、その後新田が耕地として安定すると、ふつうのコメへの転換がはかられた。
赤米は新田における稲作のパイオニアとしての役割をはたしていた。
ただし、おいしくないため、一般的には餅類・漢方薬・菓子類などの材料として利用されていた。
百姓は赤米を植えればその分だけコメの収穫量がへる。
それでも、秋に早く収穫できるので「百姓食物」となる。
さらに、その藁で家を修理し、屋根をふくことができる。そのため大唐米を植えた。
江戸時代、粒の短いジャポニカ米は北海道・東北・中部山岳地帯の寒冷地で主に栽培された。
それ以西では、ジャポニカ米とインディカ米が共存して作付されていた。
では、新田開発がピークとなった18世紀前半以降、大唐米は食べられなくなったのか。
どうやら、その後も百姓は夕食時には大唐米を食べていたようだ。
もうひとつ、本書から貨幣経済と年貢の話をとりあげておこう。
鎌倉時代以降、日本では宋銭などが使用されて、貨幣経済が発達していた。
また、16世紀の日本は世界有数の銀の産出国であり、海外への輸出も行われていた。
ふつうに考えたら、江戸時代はさらに貨幣経済が発達すると思うだろう。
それなのになぜ江戸自体は貨幣から米に転じたのか。
豊富な銀を通過として使う選択肢があったにもかかわらず、経済の発展から逆行していないか。
米で年貢が納められた理由として、軍事目的があげられている。
秀吉が天下統一をしていくなかで、軍を率いるために膨大な食糧が必要となった。
それを確保するため、年貢として米を納めさせたというのだ。
しかし、近年別の見解も出されている。
銭の輸入先である明では、日本から銀が輸出されたこともあり、基準通貨が銭から銀へ移行し始め、銭の発行・流通が不安定になった。
これに追い打ちをかけたのが、南米産の銀である。
1571年、スペインがメキシコ─フィリピン間に定期航路をひらくと、世界最大の銀山地の南米から明へ銀が集中的に流入した。
その結果、日本に銭を輸出していた明の福建省が銀経済圏になってしまい、これ以後日本への銭の供給が途絶えてしまった。
そのため、貨幣経済から物納経済へと後戻りしたというのだ。
もっとも江戸幕府は鎖国政策を採用していた。
開国していたら、当然貨幣経済へと転換していただろう。
世界経済から孤立していたがゆえ、物納経済でもやっていけたと考えるのが常識だろう。
  
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2016年03月10日

3・11を語ること─語ることで記憶を整え次の1歩を踏み出せる

3月8日付朝日新聞に、心療内科医の桑山紀彦が「あの日を語ることで次へ」と題してインタビューを受けている。
桑山は「記憶と忘却」について重要なことを語っている。
内容を紹介しておこう。
震災後、心療内科医として約800人の患者をみてきた。
5年過ぎても心の中で「あの日」のまま止まっている人たちが少なくない。
人間は忘れる生き物というけれど、あれほどの体験を忘れられるはずがない。
悲しみや悔いを封じたままでは、心の傷は癒やされない。
つらい記憶にさいなまされ続ける。
心的外傷後ストレス障害を薬で治すことはできない。
重要なのは記憶に支配されるのではなく、記憶を支配できるようになることだ。
そのために必要なのは語ること。
語って現実と向き合うことである。
震災から半年後、地元で手芸教室を始めた。
全員が被災者である。
編み物をしながら、ポリポツリと「あの日」のことを語り、次第に胸の内を吐き出すようになる。
家族でも友人でもいい、まずは語りを聞いてもらう。
それが第1ステージだ。
トラウマの特徴は断片の記憶しかないことだ。
重要な記憶がいくつか欠落している。
でも、体験を語り、現場に足を運んだりするうちに、欠落していた記憶を埋めることができる。
同時に自分を守るために切り離していた感情もよみがえる。
そうやって記憶に感情が伴い、つながり、物語が完成すると、記憶は角が取れて丸くなり、心の引出にすっぽりと収まる。
もう苦しむことはない。
つらい記憶を自分で出し入れできるよう、記憶を整えるのが第2ステージだ。
手芸教室を始めて数か月、女性たちはサークルを立ち上げ、7色の台所用タワシを作り始めた。
「虹色タワシ」は評判をよび、1万個以上売れた。
自分たちの手で生み出した商品が誰かの役に立つと実感できると、負の記憶が生の遺産に変わる。
第3ステージ「社会的気再結合」とよばれる瞬間だ。
そうすれば、失ったものの違いから悲しみを比べて傷つけあうようこともなくなる。
語る言葉を持たない子どもたちには表現してもらう。
2次元の描画、3次元のジオラマ、そして音楽や映画製作など通じて思いを吐き出させると、その過程で自然と語りが生まれる。
これまで、大地震の起きたイランやパキスタン、大津波のあったインドネシアのほか、戦下にあるアフガニスタンやパレスチナなどで支援活動を続けてきた。
このアプローチは世界40か国以上で成果を上げてきた。
ただ、日本では語ることの価値が十分認められていない。
いまだに「そっとしておこう」という空気さえある。
切り立った記憶をそのまま放っておいたら、刃のように心を傷つけ続ける。
語ることで記憶を紡ぎ、記憶を整える。
それができれば、次の一歩を踏み出せるはずだ。
以上が桑山のインタビュー要旨だ。
桑山はNPO法人「地球のステージ」代表理事として、国内外の被災地などで医療支援活動も続けている。
その体験から被災者のケアとして、「第1ステージ=語ること」「第2ステージ=記憶を整理すること」「第3ステージ=社会的再結合」の提唱しているが、説得力がある。
  
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2016年03月09日

福島の子どもたちのがん多発─放射線被曝か過剰診断か

福島原発事故のあと、子どもたちの健康調査で甲状腺がんが全国平均の約30倍多く見つかっている。
その原因について、「過剰診断」か「放射線被曝」かで専門家の見解が分かれている。
以下、3月7日付毎日新聞より。
原発事故のあと、30万人以上を対象に始めた甲状腺検査で、子どもたち166人に甲状腺がんが発見されている。
全国平均の約30倍である。
過去に子ども数十万人を対象に甲状腺がんの有無を調べる試みはない。
このため当初は、「いずれ発症する患者を前倒しで見つけ、一時的に患者が増えただけ」との指摘があった。たしかに「前倒しの発見による患者増」は、他のがん検診でも事例はあるが、数倍程度にとどまる。
「30倍は説明できない」というのが専門家の見方だ。
「過剰診断」とは、体内にかくれている「放置しても無害ながん細胞」を、検診で見つけて「がん」と診断することだ。
韓国では1990年代後半から成人の甲状腺検診がさかんに行われ、患者数が15倍に増えた。
しかし、死亡率は横ばいで、この結果「無害ながんを、検診で余計に見つけた」と解釈された。
福島県の検診は子どもが対象だが、「多発の理由は韓国同様過剰診断と考えるのが合理的だ」との専門家らの指摘がある。
その根拠に、
(‥腓里海匹發旅綻腺被曝線量は最大数十ミリシーベルトとされ、 30倍もの患者増をもたらす量ではない、
被曝量が高い地域ほど患者数が多い現象は起きていない、という点があげられている。福島県も同様の見解だ。
ただ、この見解でも放射線の影響を全面的に否定しているわけではない。
「ごく一部は被曝が原因でもおかしくはないが、その割合機性格には分からない」とする。
これに対して放射線被曝が原因だとする専門家は、「原発に近い双葉郡などでは、遠い須賀川市などに比べて発生率が4・6倍高い」として被曝が主因と主張している。
過剰診断も否定はしないが、患者の92%はリンパ節などへの転移や他の組織への広がりがみられたとされることから、「過剰診断は最大8%」とみる。
また、1986年のチェルノブイリ原発事故では、事故後に生まれた被曝していない4・7万人の検診で甲状腺がんが1人も見つからなかったとする論文などをあげ、子どもの検診での過剰診断を否定する。
さらに、「かくれた無害ながんは、1順目で発見し終えたはずた」と指摘し、1昨年から始まった2順目検診でも患者51人がみつかったことに注目する。
2011年10月から始まった1順目の検査では、30万人が検診を受け、115人ががんと診断された。
また、2014年から始まった2順目の検査では24万人が検診を受け、51人ががんと診断された。
合計で166人になる。
これらの調査結果から、全国平均より「約30倍多い」とされている。
チェルノブイリ原発事故では、当時18歳以下の甲状腺がん患者が2008年時点で8000人以上と報告され、現在もふえている。
被曝量が高い人ほどかかりやすく、特に子どもへの影響が大きいことが分かっている。
福島原発事故で最大の問題は、事故後の混乱で甲状腺の被曝量をほとんど実測できなかったことだ。
ヨウ素131は半減期が約8日と短く、事故後すぐでなければ測定はむずかしい。
チェルノブイリでは約35万人が測定を受けたが、福島では1100人程度の測定とわずかのデータしかない。
ただ、甲状腺がんの10年生存率は91%で、がん全体の58%を大きく上回る。
とくに9割近くは「乳頭がん」で、進行が遅く経過も良いとされている。
福島で見つかったものの大半がこの種類であるとされている。
  
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2016年03月07日

弘兼憲史『「新老人」のススメ』を読む─老後をラクに生きる指南書

最近いそがしいので、むつかしい本をさけてラクに読める本を手にしている。
弘兼憲史著『「新老人」のススメ』は、団塊の世代が老後をラクに生きるための指南書である。
ボケるということは、決して悪い事ばかりではない。
人間はボケると楽しい記憶はのこして、つらいことから順番に忘れていくという。
そして、男性に妻の名前をきくと、ほとんどの人がおぼえている。
ところが、女性は真っ先に亭主の名前を忘れているのだという。
つまり、多くの女性にとって亭主とは「つらい記憶」でしかないのだ。
著者は熟年夫婦が円満でいるヒケツは、「なるべく一緒にいないことだ」という。
また、妻との旅行は「接待だと思うべし」とも。
妻に楽しんでもらうことに全力をそそぐ。
それが夫婦で旅行に行く時の男性の心得なのだとのべている。
そして、老いたら第1に謙虚になること。
年上だからとエラそうに話すのではなく、若者に対しても敬語を使う。
第2に人から嫌われないようにする。
いつもニコニコおおらかにしていて、かつしたたかであること。
第3に「かわいい」老人になること。
そのためには、周りの人をよく観察し、自分がその人のどんなところをかわいいと思うかを研究すること。
この3つはけっこう大事なことだ。
さらに著者は、高齢者の恋愛・結婚はむずかしいという。
なぜなら、金銭問題が絡んでくるからだ。
つまり、遺産の問題などで、話がややこしくなることが多い。
それを理解したうえで行動に移すべきだと指南している。
人生のテストに合格するというのはなかなか大変だ。
わたしは仕事を全うし、子どもを育てるだけで合格点だとおもっている。
仕事に成功しても家庭で失敗する場合もあるし、その反対もある。
人生とはなかなか思うようにはいかないものだ。
ところで、わたしが考える老後のよい所を上げておこう。
第1に性欲から解放されることだ。
これでずいぶん生きるのがラクになる。
第2に人づき合いから解放されることだ。
つき合いがへると、出費もへる。
第3に仕事から解放されることだ(解放されない人もいるだろうが)。
つまり、やりたくないことはやらなくていいし、やりたいことだけをやればいい。
そして、第4にソロ活をたのしむこと。
群れずに、ひとりで活動するのをたのしむ。
つまり、老後はけっこうたのしくくらせるのだ。
あとは著者がいうように、「死」をどうむかえるかという問題がある。
それはまだわたしには答えが出ていないが。
  
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2016年03月02日

ドローンで宅配?


ヤマト運輸や楽天などはドローンを使って宅配事業に乗り出すことを計画しているという。
(以下、3月3日付日経新聞より)。
ヤマトや楽天は千葉市と組み、同市の国家戦略特区の枠組みを活用して4月から実証実験を行う。
実験を進めて2020年を目標に、千葉県市川市などの物流施設から住宅地域まで荷物を運ぶ事業を始める計画だ。
地上部からマンション屋上にドローンを使って配達する。
千葉市の特区ではアマゾンも宅配事業の実験を検討している。
宅配業界では人手不足が深刻になっており、ドローンの活用で荷物の配送に必要な人材を削減できる。
都心部などは交通渋滞が慢性化しており、空輸で渋滞を避けて正確な時間に配送することも可能となる。
千葉市の実験では受取人が不在でも荷物を受け入れる手法について検討する。
政府は昨年4月に首相官邸の屋上で放射性物質を積んだドローンが見つかったのを機に安全性を強化し、昨年12月に改正航空法を施行した。
東京23区や都道府県所在地、空港周辺を飛行禁止区域に指定している。
同区域の飛行は国土交通省の許可・承認が必要になるが、許可申請はすでに1000件を超えている。
政府は安全性に配慮しながら普及を後押しする考えだ。
海外でも配送事業へのドローン活用の動きがひろがっている。
カナダではアマゾンが商品の配達実験を手がけている。
フランスでは仏郵政公社・ポストが災害時などを念頭にドローンの開発を進めている。
なお、ドローンの活用だが、セコムは自社開発のドローンで不審な車両や人物の監視サービスを行う事を計画している。
コマツは上空から測量して3次元データを作成し、工事の作業量を把握することを検討中だ。
また、大林組は上空撮影から3次元の立体画像を再現して、土木工事の進み具合を調査する。
さらに、NTT東日本は作業員が近づくのが難しい地点の設備点検などに活用する計画だ。
  
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