2016年08月26日

「未熟児」が生まれすぎる日本

『選択8月号』「「未熟児」が生まれ過ぎる日本」に、未熟児が増加する深刻な問題が報告されている。
日本では少子化と反比例して未熟児が増加している。
第2次ベビーブームで出生数がピークだった1970年は年間約193・4万件の出産があり、2500グラム未満の未熟児は5・7%。
2013年の出生数は約103万件で、未熟児は9・6%にたっした。
2014年時点で日本の未熟児の比率は世界第2位。
首位はインドネシアで11%。
米国は8・0%、英国は6・9%、ドイツは6・6%。
日本は先進国で突出している。
なぜ未熟児がこんなに増えたか。
元凶は高齢出産とダイエットにつきる。
女性の社会進出とともに出産年齢は高齢化の一途だ。
初産の年齢は1980年に26歳、2013年には30歳に上昇。
35歳以上での出産を高齢出産と定義するが、その割合は1980年の3・7%から、2014年には22・5%へとはねあがった。
未熟児を出産するリスクは母体の加齢に連動している。
25─29歳の妊婦7・7%が未熟児を生み、35─39歳では9・0%、40─44歳では10・8%、45歳以上では14・1%となる。
高齢出産が増えれば未熟児の確率も高まるが、これには別の要因も絡んでいる。
まず不妊治療である。
女性は加齢とともに妊娠率が低下していく。
20歳代では1回の性周期での自然妊娠率は25%だが、35歳は18%、40歳が5%、45歳では1%と低下する。
いまや不妊治療市場は1000億円を超えるが、不妊治療は双子など多胎を生じやすく、未熟児も生まれやすい。
もうひとつの危険因子がダイエットだ。
現在日本の若年女性の6割が何らかのダイエットに取り組んでいる。
厚労省が発表した2013年度の「国民健康・栄養調査」によると、20代女性の平均エネルギー摂取量は1628キロカロリー。
これは戦後の食糧難の時期である1946年の都市部のエネルギー摂取量(1699キロカロリー)をも下回る。
ダイエットは栄養バランスをくずす。
鉄分不足は貧血に直結する。
米ハーバード大学の研究調査によれば、妊婦が貧血のケースでは未熟児が生まれるリスクは30%も高くなる。
栄養状態の悪い女性が高齢出産すれば、未熟児が増えるのも自然の摂理である。
ある女医は「太っていることは自己抑制できない証と考える女性が多い」と語り、米国の女医も「米国のキャリアウーマンで太っている人はいない」という。
女性の社会進出が進めば晩婚化・高齢出産は不可避だ。
いっぽう、社会で認められるにはダイエットにはげまなければならない。
─いまのままでは働く女性の多くが負の矛盾からぬけだせない。
海外では未熟児を減らす臨床研究がさかんだが、日本はお寒いかぎりだ。
2004年に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた妊婦が亡くなった事案で主治医が逮捕されて以降、産婦人科を志望する若手医師は減り、全国の産婦人科は医師不足で閉鎖が相ついでいる。
日本の産婦人科は人手不足で臨床研究などやっている余裕がないのが現状だ。
米国では未熟児の延命をめぐるいくつもの事件を経て、社会的な合意が形成された。
2002年には死産でないかぎり、すべての赤ちゃんは医学的に合理的な治療を受ける権利があると保証する「生存出産児保護法」が成立した。
そのうえで、脳の発達が期待できる24週以降の出産なら基本的に救命措置をほどこし、23週未満は実施しないこと医師たちのコンセンサスとなった。
23週は個別に対応する。
限りある医療と予算を有効に活用するため、米国はこの問題をタブー視せず、指針を策定した。
逆に日本では23週未満の出産が急増している。
1980年には139例だったのが、2013年には446例に増えた。
正確なデータはないが「多くの赤ちゃんが植物状態にあるか、重大な障害を抱えているのではないか」と指摘されている。
だが日本の産婦人科医の大半はこの問題から目を背けている。
日本人は「人の命は地球より重い」という建前だけで思考停止からぬけ出せず、目の前の重大問題に目をつむっていると『選択』は警告を発している。
  

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2016年08月23日

カント『永遠平和のために』=萱野教授の解説

NHK教育テレビ「100分で名著」で、カントの『永遠平和のために』を萱野稔人・津田塾大教授が解説していた。
人間は邪悪な存在であり、戦争するのが人間の本性である。
だから、戦争が自然状態であって、平和は自然状態ではないというのがカントの基本的なスタンスである。
それゆえ平和は創出すべきものである。
ではどうすれば永遠平和を実現できるか。
カントは平和をつくるためはルールとシステムが必要だとする。
それでは平和を実現するシステムは、世界国家か国家連合か。
たしかに世界国家による平和実現はうまくいきそうだ。
人びとは世界政府で戦争を防止できるのではないかと考える。
しかし、カントは世界国家ではうまくいかないと考える。
なぜなら世界統一政府では、目的が手段を正当化する恐れがあるからだ。
つまり、強者が弱者を抑圧する可能性が高いからだ。
そこでカントは国際的平和連合を提唱する。
各国の主権や自主性、文化や慣習をのこした、平等でゆるやかな国家連合構想である。
国際的平和連合は平和をやわらかく実現していく消極的理念である。
人間は邪悪な存在である。
しかし、人間の邪悪さこそが平和の条件でもある。
つまり、戦争が平和をつくる条件になる。
逆にいえば、道徳や理性では平和をつくれないということでもある。
国家は利己的な存在である。
自分の国を繁栄させたいという欲望がある。
たしかに国家にとって、短期的には暴力による収奪、植民地獲得などで利益を得ることができる。
しかし長期的にみれば、友好的な交易の方が双方の利益となる。
すなわち、戦争は双方にとって不利益である。
そうであれば、戦争しないでお互い得になるルールをつくった方がよいことになる。
そのためには行政権と立法権が分離された共和国がのぞましい。
つまり、ルールを作る人と、ルールを執行する人を分離すべきだ。
一部の人間が勝手放題できないようにすることで、国家の暴走を防ぐことができる。
永遠平和は道徳をベースにした法がなくてはならない。
つまり各国が法を尊重してそれに従うためには、道徳的に裏付けられた法が存在しなければならない。
カントは道徳を内容ではなく、形式で考えるべきだとする。
法を守るためには法が公平でなくてはならない。
公平とは道徳を形式で考えることである。
だれがやっても同じになるという形式こそが公平性の実現となる。
そして、公平性の実現は終わりがないと考える。
法律の公平性のためには公開性が必要とされる。
公開は公平の条件であり、公開なくしていかなる正義もないし、法としての意味がない。
永遠平和のためには国と国に公法の強制が必要となる。
各国が公法を受け入れるためには法が尊重されなければならない。
法が尊重されるためには法が公平でなければならない。
法が公平であるためには公開性が実現されなければならない。
それがカントのいう政治と道徳の一致である。
カントは永遠平和を努力目標としている。
邪悪な人間の欲望に注目し、それをうまく活用することで平和を実現する道を模索するのがカントの「永遠平和」である。
  
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2016年08月20日

なぜ核兵器は使用されないのか

オバマ大統領が「核兵器なき世界」への一歩となる核兵器の先制不使用宣言を検討中である。
それに対して安倍首相が「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として米政府に反対の意向を伝えたことが報道された(8月17日付中日新聞)。
日本政府は米国の先制不使用政策に対し、北朝鮮の核開発や中国の軍事的台頭を念頭に反対の姿勢だ。米政権内でも先制不使用政策は「日本・韓国などの同盟国が独自の核保有に踏み切る可能性がある」として反対論も根強い。
だが、広島・長崎の被爆者からは、唯一の被爆国として核廃絶を世界に訴えながら核兵器先制使用宣言に政府が反対したことに「被爆地の思いに逆行する」と強い憤りと反発が起きている。
核廃絶を訴えるアジア太平洋地域の15か国40人の国元閣僚・軍人が、オバマ政権に核兵器の先制不使用政策を採用するよう声明を発表した。
声明は核の先制不使用は米核戦略の一大転換となるとして歓迎している。
オバマ大統領は2010年と2013年の2度、先制不使用の採用を検討したが、採用を見送った経緯がある。
話は変わるが、オバマ大統領は5月に広島を訪問した。
オバマ大統領は2009年にもルース駐日大使を通じて広島訪問を日本に打診させている。
同年10月にノーベル平和賞を受賞しているので、もし実現していれば大きなインパクトがあった。
ところが、日本の藪内三十二という外務次官に、平和勢力を力づけるのでやめてもらいたいと制止され、実現しなかった。
アホな日本政府の横やりのため、オバマ大統領の広島訪問は予定より7年おくれで実現された。
安倍政権は2015年の8月、広島・長崎への原爆投下について「謝罪や反省を求めない」という閣議決定をしている。
アメリカの原爆投下が国際法違反だという訴えを起こせるのは政府だけであるが、原爆投下はいまだに国際法上違反とされていない。
戦後70年、核兵器が使用されなかった。
核兵器の不使用を相互確証破壊(MAD)によって説明されてきた。
相互確証破壊とは、自分も相手も核兵器を持っている場合、こちらが先制攻撃をしかけると、仮に相手に大きな被害を与えても、必ずその相手から核兵器による報復を受ける。
それを恐れて核兵器による先制攻撃ができなくなるという原理だ。
この相互確証破壊による核兵器不使用に対して、加藤典洋が大澤真幸との対談で非常に興味深い反論をしている。
(「明後日のことまで考える」『憲法9条とわれらが日本』所収)。
核兵器が使用されなかった理由は、相互確証破壊とはべつのところにある。
核兵器が国際法に照らして違法であること、非戦闘員に対する無差別の大量破壊兵器であるという兵器の性格に大きな要因である。
核兵器が使用されて国際法違反の兵器と認定されたら、核兵器は戦略兵器として著しく弱体化してしまう。
核の抑止力による覇権確立という目的が損なわれる。
相手国から猛烈な抗議がされ、反対の国際世論が高まったら、核は少なくとも法的には使えなくなめる。
そう考えると、核廃絶に向けた国際世論とその運動が、この70年間、大きな抑止力となってきた。
核保有国では抑止論が有効だが、世界的にみると違法化という壁が立ちふさがる。
70年間にわたって核兵器が使われなかったということが抑止力となっていると加藤は述べている。
つまり、核兵器が国際法違反とされ、2度と使えなくなることを恐れて使用されてこなかったというのだ。
NHKスペシャル「決断なき原爆投下」(8月5日放映)でも、トルーマン大統領が原爆投下による無差別大量殺戮への国際批判を恐れている場面があった。
さらに話は変わるが、日本は日米安保があるからアメリカの核の傘で守られていると信じている。
これは「神話」である。
前掲の本で大澤幸が書いているが、日米安保には日本が統治する区域が攻撃を受けた時、日米で防衛すると書いてある。
しかし専門家によれば、在日米軍は日本防衛のために直接戦闘行為を行う能力を持たない。
在日米軍基地は韓国・台湾・東南アジアで何かあった時出動するための基地である。
在日米軍基地は兵器の修理・整備をしたり、燃料を補給したりするために存在している。
外務省や防衛省は知っていても知らないふりをしてきた。
政治家はだれも知らないという。
いざとなったらアメリカが日本を助けてくれると思いこんでいたらおおまちがいだ。
アメリカ人が血をながしてまで日本人を守ることなどない。
だから日米安保は「神話」なのだ。
  
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2016年08月18日

戦後を戦前にしないために─山室信一論文に学ぶ

『「戦後80年」はあるのか』という本が出版されている。
その本で歴史学者の山室信一が「戦後が戦前に転じるとき」という論文を書いているので紹介しよう。
明治以降、日本が外国に出兵したのは1874年の台湾出兵から16回におよぶ。
林房雄が「東亜百年戦争」と呼んだ戦争が、1945年9月2日の降伏文書調印で終焉した。
従来8月15日は「終戦の日」とされてきた。
では、戦争が始まったのはいつか。
1941年12月8日の真珠湾攻撃からか、1937年7月7日の盧溝橋事件からか、1931年9月18日の満州事変からか。
天皇による「終戦の詔勅」では1941年12月8日から戦争が始まったとしている。
それでは、1941年12月8日から始まった戦争であれば、なぜ日本は台湾・朝鮮・南洋諸島などから退去しなければならなかったか。
それを解くカギはポツダム宣言にある。
ポツダム宣言8項に「カイロ宣言の履行」と「日本国の主権は本州・北海道・九州・四国と、その他われわれが認める小諸島に限定する」と書いてある。
カイロ宣言とは1943年に米英中3か国がだした宣言である。
カイロ宣言には、第1次世界大戦後日本が占領した太平洋諸島・満州・台湾など中国から盗取した一切の地域を中国に返還すると書いてある。
さらに朝鮮の解放・独立も明記されている。
ポツダム宣言により下関条約(台湾)もポーツマス条約(樺太)もベルサイユ条約(南洋諸島)もすべて否定された。
国際法的には遡及効となるが、日本はそれを承知で受諾した。
つまり日本は日清戦争以来の過去50年間の戦争について清算を求められた。
第1次世界大戦で戦争の意味が大きく変わった。
では何が変わったか。
1907年オランダのハーグで開催された万国平和会議で「開戦に関する条約」が成立した。
この条約により宣戦布告が戦争の条件とされ、宣戦布告をしないで戦争はできなくなった。
さらに1928年のパリ不戦条約で、国際紛争を解決する手段として武力の行使および武力による威嚇を行わないことが規定された。
東京裁判は1928年から1945年までに行われた戦争行為に対する裁判となっている(15年戦争ではなく17年戦争である)。
東京裁判が1928年以降の日本の行為を対象としたのは不戦条約の規定にもとづいている。
不戦条約があるからこそ自衛戦争と侵略戦争の区別が必要となり、戦争犯罪が問題となる。
それまでの戦争には自衛も侵略もなかった。
いわば第1次世界大戦後は、国際社会が国際機関を通じて戦争の正当性を判断するようになったのだ。
戦後が戦前にかわる契機は3つある。
ひとつは仮想敵国と軍事同盟。
平和を守るためには軍備が必要だという主張は、戦後から戦前に転換する時に必ず現れる。
そして「武装的平和」のためには軍事同盟が不可欠だという議論がでてくる。
軍事同盟には仮想敵国が必要だ。
問題は平和が戦争の口実となることだ。
平和のために戦争するというのは歴史の鉄則である。
ふたつ目は平和を脅かす脅威をあおり、敵を侮蔑し憎悪する集団心理が現れてくる。
なぜ戦争が必要なのかといえば、平和を脅かす脅威があるからだという。
平和の危機を訴え、戦争の脅威を煽り、武装が必要だと説く。
その一方で、敵が自分たちより野蛮で劣っていると侮蔑し憎悪する。そうした集団心理が表れてくる。
三つ目は一線を踏み越える時である。
国際情勢の大きな変化などで、突如、ある一線を飛び越える。
危険だとわかっていても、それで何かが一挙に解決されるように考えてしまう。
「この道しかない」という思考停止である。
その思考停止に一種の安堵感をおぼえ、「死の跳躍」をあえて選択してしまう心理メカニズムだ。
戦後を戦前にしないためには、歴史に学び、想像力をもち、可能性を見出して踏みとどまる道を模索すべきだと山室は論じている。
  
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2016年08月15日

戦後71年─山田洋次×堀川恵子「広島長崎は過去ではない」

「何百年経ても8月15日」。読売寸評が引用していた俳句である。
8月15日は戦後71年。
敗戦70年目の昨年と打ってかわって、マスコミで戦争特集はほとんど報道されない。
各新聞の社説を読んでみた。
<朝日新聞>「記憶を新時代へ渡す責任」。
「この71年間、日本は何とか平和であり続けたが、世界では幾多の戦争が繰り返された。
戦火は過去のもではなく、現在も多くの悲劇を生み続けている現実を忘れてはなるまい」。
まったく中身のない社説で、義務感だけで書いている空疎な内容で、読むだけで脱力してしまう。
<毎日新聞>「歴史に学ぶ力を蓄える」。
「71年続く日本の平和は至高の財産だ。
これが、80年、90年と続くようにするには、やはり努力がいる。歴史に学ぶ力を蓄えること」。
「歴史に学ぶ力を蓄える」といいながら、何をどう学ぶのか社説を読んでもさっぱりわからない。
<読売新聞>「確かな平和と繁栄を築こう」。
「各国との建設的な関係を追求して、戦後日本が築いてきた平和と繁栄をより確かなものとしたい」。
「各国との建設的な関係」といいながら、日米同盟を讃美し、中国を批判するだけの社説で読むに値しない。
<中日新聞>「戦争は今も続いている」。
「8月15日は先の大戦の犠牲者を悼む日である。同時に戦争の罪過をかみしめる日でもある。世界では戦争は今も続いている」。
英国議会の原潜更新の議論を紹介し、「核保有国の中に核を持たなくてもいいのではないかという議論が正面から出てきた」こと、さらに「議会で核兵器の使用はおびただしい無辜の人の血を流させるという具体的指摘がなされたこと」に注目している。
各社の社説の中では最も読み応えがあった。
中日新聞は「山田洋次×堀川恵子」の対談「広島長崎は過去ではない」を2ページにわたって掲載している。
この対談が大変な中身が濃い。
山田洋次いわく。
映画「幸せの黄色いハンカチ」の原案はピート・ハミルというアメリカのジャーナリストのコラムだという。
彼の両親はアイルランドの貧しい移民で、米国で懸命に働いて子どもたちを育てた。
ある日お母さんが子どもたちに新聞記事の話をした。
「昨日、日本のヒロシマという都市で罪のない人が大勢、アメリカの爆弾で死んだ。不幸な人たちのために祈りましょう」。
母親の言葉にしたがい、子どもたちは手を合わせた。
山田洋次が直接ピート・ハミルから聞いた話だという。
そして次のように話している。
「重慶爆撃で亡くなった中国人のために祈った家族が日本にいたのかな、と思います。
少なくとも少年の僕は爪のあかほども考えなかった。
日本人は中国人やアメリカ人を殺して当たり前と思っていたんです。
そのことを反省しないで、オバマさんの悪口は言えないなというのが、正直な気持ちですね」
山田「あの戦争を昔話と考えてはいけない。
ヒロシマ、ナガサキの大きな罪を人類史、世界史の中で原点とすべきではないか。
それを過去にしてはいけない、というより、過去ではないのだと思います」
堀川「最新の小型核兵器は歩兵が持ち運べるほど小さく、ピンポイントで目標を狙えます。
2014年のウクライナ内戦でのロシアもそうでしたが、核大国が「核を使うぞ」と脅かすのは、国や大都市を消滅させるのではなく、小さな核をいつでも狙った場所に撃ち込めるということです。
権力者が核のボタンを押すハードルがかつてなく低くなっている」
また、ジャーナリストの堀川は次のようにも話している。
「被爆地でも変化があります。
つい数年前までは、8月6日の広島で右翼の街宣車が走るなんてあり得なかった。
今は朝から走っています。
ヘイトスピーチの集団が5日から原爆ドームの近くに陣取って、「核武装」「核武装」とマイクで叫んでいます」
カントがいうように人類史は戦争が自然状態であり、平和はつくりだすべきものであるが、「戦後」が71年続いた日本では、平和に退屈して核や戦争を欲望する輩が表舞台に堂々と登場している。
  
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2016年08月10日

天皇の「退位の自由」再論─横田耕一論文に学ぶ

「生前退位」を希望する天皇メッセージについて、共同通信が世論調査を実施している。
(8月10日付毎日新聞)。
天皇の生前退位を「できるようにした方がよい」86・6%、
「現行制度のままでよい」10・4%。
生前の法整備については「直ちに手続を進めた方がよい」54・1%、
「慎重に検討した方がよい」42・8%。
法整備を進める場合、1代にかぎらず「今後のすべての天皇を対象にした方がよい」76・6%、
「今の天皇にかぎった方がよい」17・8%。
公務と天皇の関係については「公務を行うのが困難になれば退位した方がよい」81・9%、
「退位しなくてもよい」13・4%。
天皇は国政に関与できないとする憲法との関係では、「問題ない」72・6%、「問題がある」16・2%。
憲法学者の横田耕一が『世界』9月号に「憲法からみた天皇の「公務」そして「生前退位」」という論文を書いているので紹介しておこう。
現在天皇が行っている「公務」は多岐にわたっているが、そのかなりの部分が現天皇になって増加したものだ。
それらの「公務」は天皇がなすべき公務なのか。
日本国憲法は天皇の権能を「国事行為」に限定している。
そのことから「国事行為」は、「内閣の助言と承認」で行う形式的・儀礼的行為であるというのが憲法学の通説である。
国事行為以外の天皇が個人的に行う「私的行為」は否定されない。
議論が分かれるのはそれ以外に「第3の行為」を認めるかどうかである。
憲法の規定通りなら「第3の行為」はありえず、天皇の「公務」は「国事行為」だけである。
しかし、現実の天皇は「国事行為」では説明のできない行為を数多く行っている。
宮内庁は国民体育大会や植樹祭への出席、園遊会、外国訪問、外国元首との懇談、被災者のお見舞い等を天皇の公務としている。
これらの行為は「国事行為」として正当化することはできないが、政府の見解は「象徴としての地位にもとづいて、公的な立場で行われるもの」であり、「象徴たる地位にある天皇の行為として当然認められるところ」の「公的行為」であるとして「公務」と位置づけている。
憲法学説でもこれらを「象徴としての行為」であるとか「行人としての行為」であるとし、「第3の行為」として合憲化する傾向にある。
しかもこれらの「公的行為」は法的になんら限定がなく拡大が許されるとともに、内閣の助言と承認も必要ないとされている。
そうなると天皇の意思が「公的」意味を持ち、ある場合には高度の政治的意味を持つことにもなる。
実際、現天皇に対して多くの国民が敬意と共感を寄せているのは、慰霊行為や被災地訪問といった「公的行為」によるものである。
さらに、歴史認識や原発再稼働・改憲問題で天皇に期待する者まで現れて、「公的行為」によって天皇は「政治的無色」ではなくなっている。
「公的行為」を違憲とし「公務」を国事行為にかぎる説からは、天皇の「公務」は限定され、その多くは署名と押印であるから、「公務」はとくに負担を強いるものではない。
また「公的行為」を容認する説からも、「公務」は国事行為だけで「公的行為」はいわばおまけであるから、重い負担になるなら整理すればいいだけの話である。
付言すれば憲法学の通説では、「国民統合の象徴」とは「国民を統合する象徴」ではなく、「国民の統合を表す象徴」である。
それゆえ、天皇が積極的に統合機能を果たす行動をすることは憲法上要請されていない。
天皇に積極的統合機能を期待することこそ天皇の過重負担を強いることになり、ひいては「政治的無色」であるべき象徴天皇をくずすことにもなる。
以上をふまえれば、もし「生前退位」が「公務」の過重負担から出ているなら、法的な問題解決は簡単である。「国事行為」に限定するか「公的行為」を整理するかですむ。
もしそれでも負担が重い時は、摂政設置は天皇に意思能力が欠けている場合の制度(政府見解)とするなら、「国事行為の臨時代行に関する法律」によって臨時代行をおけばよい。
生前退位を認めるべきかどうかは特別法ではなく皇室典範の改定として政治サイドで取り組むべき問題である。
天皇も1人の人間であるから天皇の意思による退位を認めるべきだとする論も制定時からある。
しかしこの人権尊重論は、自発的意思による退位を認めることは天皇に就任しない自由を認めることにもなり、天皇の存立基盤を失わせると今日まで強く反対されてきた。
皇室典範制定時には、国民統合の象徴としてゆるぎなき天皇に対する国民の確信・信念が退位を否定するとの反対論が政府により説かれた(金物徳次郎)。
天皇に強力な国民統合作用を期待する者にとっては今日においてもこれは核心的な反対理由になる。
「天に二日なし」の言に示されるように、国民統合を図るためには、統合軸は確固不動でなければならず、天皇と前天皇とで統合軸が二分される事態は望ましくないからである。
将来「生前退位」を認めるとしても、どういう理由で認めるか、天皇に発意を認めるか、だれが退位を認めるか、退位後の天皇の処遇をどうするか、解決しなければならない難問が多い。
以上が横田論文の主旨である。
考えさせられる内容である。
  
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2016年08月09日

天皇の「退位の自由」─ふつうの人間として生きる権利を!

8月8日発表の天皇メッセージは、公務の削減に反論し、摂政を置くことを否定して、生前退位を強く望んでいることを表明した。
さらに、全身全霊で象徴の務めを果たすことが、国民の統合にとって重要だとの認識を示した。
天皇のメッセージを「平成の玉音放送」「天皇の人権宣言」(保阪正康)と評価する声もあった。
しかし「生前退位」問題は、敗戦時に解決しておくべき課題が70年以上放置され続けてきたこと表している。
生前の退位については、明治の旧皇室典範の原案を作成した井上毅は「生前譲位は日本の慣習だ」として典範に入れるよう主張した。
伊藤博文はそれを許さなかった。
伊藤の反対理由は、薩長藩閥勢力以外の政治勢力が政権をにぎった時に、天皇が政治利用されることに危機感を持ったからだとされる。
また、敗戦直後の皇室典範改正時の議論では、南原繁らが生前の退位が認められないのは非人間的で不自然だと反対意見をのべている。
しかし当時の政府は、昭和天皇が戦犯として訴追される可能性があったため、退位論が勢いづくことを恐れて生前退位を排斥したとされる。
かように生前退位問題は政治に翻弄されてきた。
本来なら女系天皇問題とともに敗戦直後に解決されるべき問題であった。
8月9日各新聞に掲載された識者の意見を載せておく。
〇古川隆久・日大教授(読売)。
「天皇の高齢化に伴う公務の負担が挙げられているが、解決方法が生前退位しかない、とは限らない。
公務の見直しや儀式の簡略化など、法改正を伴わない対応で解決できないか検討する選択肢があり得るからだ。」
〇大原康男・国学院大名誉教授(朝日)。
「皇室典範を改正し、高齢により国事に関する行為を自らできない時にも摂政をおけるようにする方策が妥当ではないか」
〇君塚直隆・関東学院大教授。
「今回の陛下のお言葉は、皇室典範を見直す約70年ぶりのチャンスだ。
日本の皇室は世界の情勢から取り残されている。
時代の変化に合わせ、女性皇族の位置づけや公務分担の在り方も含めて議論し、対応することが、結果的に皇室を守ることにつながる」
吉田裕・一橋大教授(毎日)。
「今回のお言葉で注目したいのは天皇陛下が公務を減らすつもりはなく、それを通じて積極的に国民統合を果たそうとする意志を示していることだ。
すでに統合されている「国民の象徴」ではなく、国民を精神的に統合する、能動的な役割だととらえていることが伝わってきた。
戦前的、権威的な面があった昭和天皇に対し、天皇陛下はここ十数年、開かれた皇室と、いわゆる皇室外交、戦争の犠牲者への慰霊追悼という平和希求、国民、特に弱者に寄り添うという4つの柱をたてて、象徴天皇としての内実を築くのに大きな役割をはたしてきた。
しかし、憲法学者の通説では、それらの中には、憲法上天皇に期待されていないこともある。
たとえば皇室外交という言葉自体、「外交」という政治を含んだ形容矛盾となっている。
憲法上の根拠があいまいなまま、公務が拡大してきた危うさは、平和希求などへの強い思いなどから見てももろ刃の剣だ。
今後の議論では単なる負担軽減ではなく、公務をどう位置づけるか問われるべきだ」
〇西村裕一・北大准教授(朝日)。
「(憲法の規定で天皇は国事行為以外を行うことはできないが)現天皇は積極的に「象徴としての務め」の範囲を広げてきました。
とくに先の大戦にまつわる「慰霊の旅」のように、「平成流」に好ましい効果があることはたしかです。
しかしそれは、民主的な政治プロセスが果たすべき役割を天皇にアウトソーシングするものともいえます。
まず問われるべきは、天皇に一定の「能力」を要求するような、現天皇が行ってきた「象徴としての務め」のあり方でしょう。…
天皇制は1人の人間に非人間的な生を要求するもので、「個人の尊厳」を核とする立憲主義とは原理的に矛盾します。
生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民につきつけらける、ということを意味します。」
西村の師である奥平康弘は、「脱出の権利」としての「退位の自由」を論じたという。
つまり天皇にも「ふつうの人間」になる権利が認められなければならないとした。
「生前退位」問題はこうした人権の視点から論じられるべきだろう。
いずれにしても敗戦時の課題が、天皇自身によって改めて政府と国民に突きつけられたということだろう。

  
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2016年08月06日

NHKスペシャル「決断なき原爆投下」ートルーマン政権と軍の原爆投下をめぐる攻防ー

8月6日放映のNHKスペシャル「決断なき原爆投下」をみた。
広島・長崎への原爆投下はトルーマンの明確な決断なしに行われた。
トルーマンは原爆投下を後悔していたというドキュメントである。
1945年4月12日、ルーズベルト大統領が急死した。
副大統領だったトルーマンは戦争がどう進んでいるか知らずに大統領に就任し、マンハッタン計画を引きついだ。
4月25日、マンハッタン計画の責任者グローブス准将はトルーマンに原爆計画について報告した。
しかし、トルーマンは原爆計画の詳細を知ろうとはしなかった。
グローブスは大統領が原爆計画を承認したものと考えて計画を遂行する。
原爆投下計画では1発目を7月に準備。
2発目は8月1日ごろ準備。
さらに1945年暮れまでには17発の原爆をつくることが予定されていた。
米国防総省は目標検討委員会を設置し、原爆を日本のどこに落とすか、いつ投下するか検討している。
投下目標は17か所。
そのなかで広島・京都が最有力とされた。  
8月までに空襲を受けずに破壊されていない都市で、原爆の威力が最も発揮される都市が目標とされた。
検討委員会は広島が大きな効果をあげるとしたが、グローブスは京都をおした。
5月30日、スティムソン陸軍長官はグローブスと会談した。
スティムソンは京都に原爆を投下をすることには反対だった。
グローブスは京都に軍事施設があるとウソの報告をして何度かスティムソンを説得したが、スティムソンは首をタテにふらなかった。
スティムソンは大戦後、国際社会からアメリカがヒトラーをしのぐ汚名を着せられことを危惧していた。
7月16日、ニューメキシコ州で原爆実験に成功。
グローブスは日本が敗戦する前に何としても原爆を使用したかった。
原爆を使わなければ22億ドルもかけたマンハッタン計画に対し、議会できびしい追及を受けるのは必至だったからだ。
7月21日、軍は1発目の原爆投下を京都とした。
しかし、スティムソンは大戦後に日本との和解の目をつみ、日本が反米国家になるとしてトルーマンに京都を外すよう進言した。
トルーマンもスティムソンの意見に同感であった。
トルーマンは原爆投下は軍事施設に限ると考えていた。
市民をターゲットにすることは反対だった。
軍の報告書では広島は軍事都市とされ、市民の上に落とすことが意図的にかくされていた。
そのためトルーマンは広島に原爆を投下しても市民の犠牲はないと思いこんだ。
7月25日、軍は投下指令報告書を発した。
1発目は広島・小倉・新潟・長崎のどれか。
2発目以降は準備ができ次第投下せよというものだった。
しかし、トルーマンが承認した文書はのこされていない。
8月6日、午前1時45分、テニアン島を出発した原爆投下特殊部隊は、8時15分、広島に原爆投下。
相生橋を目標とした半径5キロメートの円は、原爆の威力を最大にするためであった。
広島に原爆投下された時、トルーマンはポツダム会談の帰路で大西洋の船の上だった。
彼はラジオ演説で原爆は軍事施設に投下したと強調した。
しかし、帰国してスティムソンに広島の被害の写真を見せられて、こんな破壊をした責任は私にあると語っている。
だが、軍の作戦は止まることなく、8月9日に長崎に2発目の原爆を投下。
8月10日、トルーマンは全閣僚を集め、これ以上原爆を投下することは中止すると命令をだした。
3発目の準備をしていたグローブスは、大統領命令で3発目を投下できなくなった。
初めて降した大統領命令だが、21万人以上の命を奪った後の遅すぎる決断であった。
トルーマンは長崎への原爆投下の後の演説で、原爆投下は戦争を早く終わらせ、多くのアメリカ兵を救うためだったとのべた。
市民に投下した責任を問われないために考えたつごうの良い理屈であった。
原爆は多くの命を救うために使ったという世論操作で、アメリカ国民の80%は原爆投下を支持した。
NHKスペシャル「決断無き原爆投下」は、原爆投下をめぐるトルーマン政権と軍の攻防を新たな資料をもとに作成したドキュメントである。
トルーマンが無能な大統領だったというより、軍産複合体の支配するアメリカで、大統領がいかに無力かを象徴しているドキュメントだ。
(米国の軍産複合体はマンハッタン計画からとされる)。
梅林宏道は「核兵器・法的禁止への分水嶺」(『世界』8月号)で核兵器の政策において大統領や国防長官・総司令官は無力だと書いている。
なぜなら「軍部の高官が征服を脱ぐと主要な軍事産業に入り、逆に主要な軍事産業の役員が国防総省の高官になる」。
これが「庇い合いや甘い取り引き、軍の要求の膨張、そして大量契約」が生まれる土壌となる。
核兵器が国家安全保障の名の下に、その周りに巨大な聖域が作られ、そこに「核の聖職者」が支配するアンタッチャブルなプロセスが存在しているからだと梅林は書いている。
本ブログ「ポツダム宣言─日本降伏を遅らせるためにアメリカが仕かけた4つのワナ」(7月7日)、「原爆神話=早期降伏説と人命救済説のウソ」(7月8日)、「広島・長崎への原爆投下の真実」(7月9日)、「日本降伏の真実─ソ連参戦か原爆投下か」(7月10日)も読んでいただきたい。

  
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2016年08月05日

外山滋比古『長生きに負けない生き方』を読む─自己責任で花も実もある老後を生きる─

老人の心がけとして「転ぶな、風邪をひくな、義理を欠け」という言葉がある。
これは岸信介の言葉だという。「昭和の妖怪」といわれた岸だが、さすがは老獪である。
ところで老人は風邪がもとで亡くなることがよくある。
よく風邪をひくので「風邪の研究」をしていたのが司馬遼太郎である。
司馬は風邪予防の方法をいろいろと実験した。
1番よいのは首に布を巻きつけることだという。
寝るときに長い布を首に巻きつけて寝ると効果があるとのこと。
 老人は急性肺炎もあれば誤嚥性肺炎・窒息死もある。
久保田万太郎は親しい人とすしを食べて歓談している時、ネタを気管につまらせて窒息死した。
すしを食べ、談論風発、われを忘れているうちに息がつまって5分したら冷たくなっていた。
すごいフィナーレである。
外山は風邪こわくない、肺炎ひるまない、窒息死すらおそれない、という心境に達すれば人間到ところ青山ありと書いている。
だがなかなかそこまでの心境にはなれないだろう。
死にたくないと思ってジタバタするのが凡人である。
ある町の有力議員が危篤に陥った。
もうダメだと思ったとき、市長が自分の受けた勲章を病床へ持っていって議員のものとして受勲を祝った。
寝たきりだった議員は起き出して寝台の上で正座し、うやうやしく勲章を拝受して大感激した。
それを境に病状はにわかに好転し、退院することになったという。実際の話である。
これに類する話はあちこちにある。
つまり、勲章だけでなく、めでたいこと、喜ばしいこと、ほめられることで人間の寿命がのびる延命効果があるのだ
アメリカのある社会学者が、人間の死期の調査をした。
それによると、人間は自分の誕生日前1か月くらいから死亡率が低下し、誕生日が最も低い。
ところが、その翌日から死亡率が急上昇し、1か月ぐらいの間になくなる人が多いという。
人は祝福されることで延命効果につながる。
だから、年をとったらまわりにホメてくれる人がほしい。
信頼でき尊敬される人からホメられると、勲章同様延命効果をもつ。
老後はホメてくれる人が少なくとも1人、できれば2人ほしい。
もし見つかったら人生の幸運と思ってよい。
適当にはげましてまくれる人がいれば老いの細道は、またたのしい。
老後は新しいモラルで生きる。
われの先に人なく、わが後に人なし、ひとりわが道を行く。
美田も残せないが、借金も残さない。
寝ついてまわりに迷惑をかけない。
好きなことはひとの迷惑にならない限りなんでもする。
老いの細道を命ある限り力いっぱい歩いてゆく。
先のことは考えない。
時間の浪費である。
夢中になることを見つけて、それに向かってひたすら歩む。
独立自尊、自助の精神、楽天主義で生きれば、老後もおそれるに足りない、と92歳の外山は気焔をあげている。

生くることやうやく楽し老いの春 風生

こんな心境になれたら老後も最高である。
そして最後はもちでものどにつまらせてあの世に行けたらめんどうがなくてなによりだ。
  
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2016年08月01日

なぜ日本は原発と核を手放せないのか※\在的核保有国への道=佐藤政権で「準核保有国」の国家体制確立─

月刊誌『むすぶ』(ロシナンテ社 2016年7月号)掲載。

ではなぜ日本政府は「核の傘」論を受け入れたのか。
米国が日本の核武装を望んでいない以上、日本は核武装の意思のないことを見せないといけない。
同時に国内の核アレルギー対策のためにも核の傘論を信じる演技が必要であった。
だが日本政府は核武装を放棄してはいない。
そこで核の傘を隠れ蓑にして核武装の条件を整備しようとした。
原子力の平和利用は核武装の必要条件であった。
支配層は主権回復後の核武装は国家として当然の権利であり、核兵器を持てなければ永久に2流国のままだとしていた。
核武装を対外的にも対内的にもカモフラージュするために日米安保と核の傘が利用された(布川・前掲論文)。
1964年の中国の核実験に驚愕した米英ソは、さらなる核保有国の出現を国際条約で阻止しようとした。
特に警戒されたのは日本と西ドイツである。
両国は技術面からも資金面からも核保有の最短距離にあるとみなされていた。
そこで米英ソ3か国は世界各国に核不拡散条約(NPT)への加盟を呼びかけた。
条約の目的は核兵器を米英仏ソ中5大国で独占し、5か国以外の国への核兵器の拡散を防止しようとするものであった。
中国の核実験の成功は日本政府にも深刻な対応をせまることになる。
中国の核保有に危機感を持った佐藤内閣は、「核の傘による抑止力だけでは不十分」との見方が広まり、首相直轄の内閣調査室が極秘裏に核保有の可能性について研究を始めた。
内閣調査室は学者グループに委託して日本は核武装が可能かどうか、核兵器を保有した場合に予想される国内外の影響などについて多角的に検討した。
その結果をまとめた報告書「日本の核政策に関する基礎的研究」(1968年)は次の4点をあげて日本の核武装を否定していた。
➀プルトニウムを取り出す再処理プラントが日本にはない。
➁核武装のための国民的規模の支持獲得が困難。
➂日本の財政状況から見てもきわめて困難。
➃核戦争になった場合縦深性のない日本の地勢では核保有しても抑止になり得ない。
報告書は大要次のように述べている。
日本は数発の核爆弾を製造できるが核戦力は持ちえない。
また、それを持とうとすれば米国や同盟国に見放され、孤立した状態でソ連や中国の脅威にさらされることになる。
さらに、核戦力を保持することは経済的にも人的にも大きな負担を負う。
したがって日本が核武装することは得策ではなく、米国の核の傘と国際的安全保障の枠組みによって仮想敵国の脅威に対処していくべきだ。
日本はとりあえず核武装を断念し核不拡散条約に加盟する。
だが将来核武装が必要な情況が生まれるだろうから、ウラン濃縮施設やプルトニウム再処理施設を建設して潜在的核保有力を持つべきであると。
この時、のちに佐藤のブレーンとして沖縄返還交渉の密使を務めた若泉敬は、「中共の核実験と日本の安全保障」という報告書を内閣調査室に提出している。
その報告書は、「核武装の能力はあるが、自らの信念で核武装はしない」という意思を内外に示す「潜在的核保有国」を目ざすという主張だった。
そのための具体的方策として、「原子力の平和利用に大いに力を注ぐと共に、他方では日本が国産のロケットによって日本の人工衛星を打ち上げる計画を優先的に検討するよう提案したい」とあった。。
(中日新聞社会部編『日米同盟と原発』)。
1960年代末にはNPTに対抗して政府内で核武装計画が提起された。
当時の日本政府はNPTの目的を日本と西ドイツに核武装させないためのものと受け止めていた。
実際にNPTは核武装技術を持つ「日独封じ込め」政策であった。
したがって政府内ではNPTに加盟することは核武装を放棄するものだとして批判的な意見も多かった。
こうしたNPT体制への不満が日本を潜在的核保有国への道へと走らせた。
1969年、日本と西ドイツの秘密協議が行われた。
この日独政策企画協議で、日本側は自国の利益のために核武装が必要なこと、日本は核武装できることを明言した。
そしてNPTの意図をくつがえし、日独が核保有できるよう協力しようと呼びかけた。
具体的には核兵器を持たないが核保有能力のある「中等国」(イタリア・カナダ・アルゼンチン・ブラジル・スウェーデン等)が協力して超大国に対抗する構想が日本側から秘密裏に示され、西独側をおどろかせた。
それに対する西ドイツの回答は、核兵器が無意味になるよう国際政治を転換すべきだというものであった。
核兵器のない世界を作ろうというスタンスだった(NHK『核を求めた日本』)。
1969年、外務省の外交政策企画委員会がまとめた「わが国の外交政策大綱」には次のように書かれている。「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘を受けないよう配慮する。
又核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する」。
1970年に発行したNPTは、米英ソ仏中を公式な核兵器国とし、それ以外の国を非核兵器国と定めている。
核兵器国は他国へ核兵器を移譲してはならず、非核兵器国は核兵器を開発・製造・保有してはならない。
NPTに加盟すると核の平和利用の権利が保障され、その担保として包括的保障措置(国際査察や軍事転用禁止の諸制度)の受け入れが義務付けられる。
つまりNPTは5か国だけに核兵器の特権を認めた差別的条約である。
日本も1970年にNPTに署名した。
しかし、核保有国を5か国に限定する条約に対して、保守的議員からは
「独立国家が核保有のオプションを放棄してよいのか」
「NPTに加入すると永久に2流国として格付けされる」
との強硬な反対意見がだされた。
政府もNPT署名にあたりNPT10条(脱退条項)を根拠に、
「日米安全保障条約が廃棄されるなどわが国の安全が危うくなった場合には脱退しうることは当然」
だとしていた。
日本政府がNPT条約に調印したのは1976年である。
6年の歳月を要したのは国内に根強い反対意見があったからだ。
当時外務省は
「現時点では核武装しないことは国民の総意だが、核武装するかどうかの最終決定は将来の世代が決めるべきだ」
とのべていた。
政府は国連常任理事国入りを目指していたが、常任理事国5か国が核保有国であることから、核保有の権利を否定されることは超大国への道が閉ざされるという判断があった。
その後の日本政府の政策は前述の外務省の「外交政策大綱」に規定された3つの路線を忠実に遂行するものであった。
非核3原則(当面核兵器は保有しない)、動力炉核燃料開発事業団と宇宙開発事業団の設立(核兵器製造能力の保持)、軍事的野心を隠蔽して電力生産を強調した核燃料サイクル計画(これに対する掣肘を受けない)などである。
話は前後するが1967年、佐藤首相は衆議院予算委員会で「核は持たない・作らない・持ち込まない」という「非核3原則」を表明した。
さらに翌1968年の衆議院本会議では➀非核三原則、➁核軍縮、➂米国の核抑止力への依存、➃原子力の平和利用の「非核4政策」を表明した。
非核4政策は現在日本の基本政策だが起草したのは若泉である。
佐藤は「非核3原則」で1974年にノーベル平和賞を受賞している。
日本の核政策は岸から佐藤に引き継がれて道筋が定められ現在に至っている。
日本の自立的核武装を計画しそれを可能にする原発を本格的に稼働させたのは佐藤首相であった。
佐藤内閣で本格的に始動した核武装計画は、「準核保有国」としての国家体制として確立する。
  
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