2018年02月28日

日々雑感2月〈2〉

。裡裡砲茲蝪丕丕法
NNKは「ネンネンコロリ」。
PPKは「ピンピンコロリ」。
吉本式勉強法。
〕招廚覆海箸呂靴覆ぁ
△垢任某佑やったことはしない。
自分の考えが入っていない文章は書かない。
げ鮴睨椶任垢泙気左極椶砲△燭襦
テ匹澆覆らメモをとり感想を書く。
吉本隆明×茂木健一郎『すべてを引き受ける思想』より。
B真決で決められることと決められないことがある。
ルソーは多数決が有効なのは、そう決めるという全会一致の合意が先行的に存在するからだといった。
ぅ▲瓮螢、カナダ、ドイツの70人を超える専門家は、トランプの精神面の検査を求める書簡を送付。
彼らによると、トランプ発言はまとまりがなく、呂律が回らず、古くからの友人の顔が分からず、同じ内容の発言を繰り返すという。
また、読んだり聞いたり理解したりするのが困難で、判断力や計画立案、問題解決、衝動抑制の能力が疑わしく、語彙力が低下しているとのこと。
これに対してトランプはツイッターで「(自分は)極めて情緒が安定した天才」と反論。
わが国にも
「法案についての説明は全く正しいと思いますよ。
私は総理大臣なんですから」
と反論した語彙力が極度に乏しい男がいたが、ここまでくると言論の「虚しさ」を感じざるを得ない。
適菜収「だからあれほど言ったのに」『新潮45』3月号より。
ス駝嬰衂爾侶佝顳牽毅芦円。
法学の世界では後から書き加えられた条文が前からある条文に優先するという一般原則がある。
憲法9条の3項の新たな追加で、2項が空文化し自衛隊の活動が拡大すると専門家は指摘。
アベのアベによるアベのための改憲
γ暴格差はなぜなくならないかとの記者の質問にー
「このシステムで利益を得ている政官財労のがっちりした「おっさん同盟」の壁が牢固として崩せないからです」と上野千鶴子。
老人は青年の敵、強い敵 筑紫磐井  毎日坪内稔典。
┐澆匹蠅瓦里舛鵑椶海弔泙牴討良磧ゞ盪匈太
 酒やめようかどの本能と遊ぼうか 同
 おおかみに蛍が1つ付いていた 同
文学的美しい言葉をいくら並べても偽りにすぎない。
生の人間が生の言葉を率直に語ることに意味がある。
金子兜太。
私は右でも左でも個人の思想は大事にすべきだと思っています。
でも、大きな権力に便乗して自分の鬱憤を晴らそうとする人たちは許せない。
金子兜太
米国の政治学者170人が米国歴代大統領44人を評価した。
44位の最下位はトランプ。
1位リンカーン。
2位ワシントン。
3位ルーズベルト。…
8位オバマ。
オリンピックはもともと政治と不可分だ。
あらゆる大会は政治利用されてきた。
しかし、2016年のリオ五輪の閉会式で、安倍首相がキャラクターのマリオに扮したのは、自分の人気取りに五輪を利用したもので、個人的政治利用はこれまでにないもので、恥ずべき行為だった。
スポーツライター・玉木正之。
平成に入り「濃ゆい」人間がいなくなった。
怒り泣き叫びさえできない不自由さ。
昭和の時代はまだそうした感情が許容されていた。
時代のしめつけがきびしく、生きたいように生きることが難しくなった。
映画監督・原田一男。
政治は声なき者に声を与えることだ。
フランス哲学者ジャック・ランシエール。
降る雪や明治はそんなによかったか。
朝日川柳
明治50年は寺内首相、明治100年は佐藤首相、そして明治150年はアベと山口県出身者をねらっているという。
飴犲圓呂い覆なったのではなく、死者となって存在している。
生者は必ず死者と出会い直す時がくる。
中島岳志 
  

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2018年02月24日

日々雑感■卸遏劭院

日々読んでいる新聞・雑誌・本などから心に残る言葉を羅列してみよう。

_縄は自分たちのことを自分たちで決める権利を政府によって奪われている。
米軍基地は国防問題であり国の専管事項とすることで、政府は選挙結果を無視してきたが、それでは知事や市長は基地被害から住民を守れない。 熊本博之・明星大殉教樹。
日米ガイドラインで、尖閣を守るのは自衛隊の任務。
米国は尖閣の領有については中立で、中国と無人島をめぐって戦争することはあり得ない。
抑止力強化一辺倒では古典的軍拡競争に陥るだけ。
近隣諸国との緊張を政治外交の努力で極小化し、アジアの活力を取りこむ以外に日本の活路は開けない。
内外の専門家は、海兵隊を沖縄から海外に移す案や、機能分散で基地建設を不要にする案を提起するが、それに対して政府高官は
「技術的に可能だ。ただ、それを最後までやりとげる政治が日本にない」
と言う。
結局、政治の能力の問題なのだ。
日米安保を持続可能なものにするためにも、新基地建設なき問題解決が重要だ。 宮城太蔵・上智大教授。
いま、夢や希望がなくても、焦る必要はない。
結果がでなくても、頑張ったことを否定する必要もない。
人生には無駄な時間なんてないんだから。
自分が何物でもない時にたくさんの人に出会って、自分がどんな人間なのか考えることができたことは良かった。 俳優・六角精児。
せ劼匹發燭舛鯊仂櫃砲靴森岷蕕任蓮◆嵋椶領蓮∨椶量粥廚鬚い弔皀董璽泙砲靴討い襦
ぼくは本からいろんな夢を得てきた。
本を読んで想像し考える時間。
それが自分自身の力になるんだよ、とそういう話をする。 椎名誠。
ザ賚や弱さを取り除くのではなく共有し、「大切な苦労」の主役となって生きていく。 鷲田清一。
Δ海譴覆てほかにたのしみなにありや酒のみに酒ありてうれしき  船橋市 藤井元基  朝日歌壇
Э靴靴そ于颪い麓分のなかにひそかに眠っている「新しい自分」を発見させてくれる。
恋愛のステキなのは新しいもしくは未知の自分を知ることができるところ。
高橋源一郎の毎日新聞人生相談。
┝分のなかにある無慈悲や冷酷さから目を逸らすために、はるか遠方にいる人たちに情けをかけるのはやめた方がいい。エマーソン。
高齢化社会なにが悪い。
分別ある大人がふえることはいいことだ。
若者を守る大人がたくさんいることはいいことだ。
ファシストは若者が大好きだ。
だましやすいから。
大人と若者を分断する言説に気をつけろ。  浜矩子教授講演会より。
「病い、市に出せ」。心の痛みや家庭内のもめごとなど、どんな困難も公開の場に持ち込め。
ヤセガマンは無用。
弱音は堂々と吐けばいい。
周りがなんだかんだと対処法を教えてくれる。
取り返しのつかない事態になる前に、周囲に相談する。  高知県海部町  『生き心地の良い町』。
「ないもの」ではなく「あるもの」に注目する。
「できない」ことではなく「できる」ことに注目する。
苦境を打開する何かを「外から引っ張ってくる」そんな発想では地域の活性化はできない。
湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』より。
外圧による危機にさらされた時、新しい「ヴィジョン」を掲げる。
それが日本の歴史における天皇の役割だ。  本郷和人『日本史のツボ』。
なぜ天皇家を滅ぼさなかったか。
室町時代の武士は、土地の権利をめぐる論理として、「職の体系」以上のものをまだ構築できなかった。
もし、天皇家を滅ぼしてしまったら、土地の権利は大混乱をきたす。
領主たちの自力救済にまかせたら武力抗争が頻発し、幕府の信用は丸潰れになる。 本郷・同。
現金が完全電子化されるということは、大きな問題がある。
端的にいえば「見えない化」がもたらす「見える化」問題である。
紙幣や硬貨がなくなれば、現金はわれわれにとって見えない存在になる。
そうなったとたんに、われわれの懐の中身は、中央銀行にとってそのすべてが見える存在になる。
すべての現金が電子化されれば、匿名性は消滅する。
見える現金ならわれわれは銀行から引き出してタンス預金に切り替えることができる。
穴を掘って現金を隠しもつことだってできる。
だが、見えない現金の世界では、それはできない。
どうしたって足がついてしまう。
まじめな人たちが政策運営に当たっているなら、それでもいい。
だが、われわれの懐に手を突っ込みたがるような勢力が、見えない現金体制下で権力を握った時、何が起きるか。
それを考えると不眠症になる。  中日新聞・浜教授。
  
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2018年02月22日

河谷史夫「形影譚」より

河谷史夫が『新潮45』に連載している「形影譚」が読み応えがある。
3月号は「上野英信と葉室麟、そして…」である。
以下紹介しておこう。
葉室凛が急逝した。
享年67歳。
司馬遼太郎・藤沢周平亡きあとの歴史小説を担う数少ない一人だった。
葉室は2012年、60歳のとき『蜩ノ記』で直木賞を受賞した時の会見で、「創作の秘密」を明らかにした。
この小説には学生時代に上野英信を訪ねた時のイメージを反映させたというのだった。
葉室は学生時代、尊敬する上野英信の自宅(筑豊文庫)を訪ねた。
上野は自ら摘んだ土筆と焼酎でもてなしてくれた。
葉室は「若いだけで、いまだ何者でもないわたしをもてなすために土筆を摘んでくれた」上野に、「かくありたいと心の底から思った。
土筆は私の生きていく指針になった」と話す。
そして、『蜩ノ記』の主人公・戸田秋谷に上野英信のイメージを重ねているという。
葉室は上野英信との邂逅は「青春の一番大事な思い出」だとしている。
上野英信は知る人ぞ知る記録文学者である。
上野は1945年8月6日、広島に原爆が投下されたとき、爆心地から3・5キロメートルの地点で被曝した。
被曝しながら、ただちに犠牲者の救護活動にあたった。
後日原爆症を発症する。
上野は次のように書いている。
「私はアメリカ人をひとり残らず殺してしまいたい、というくらい情念にとらわれつづけてきた」
「「三たび許すまじ原爆を」という歌があるが、そんな歌さえ口ずさめない気分なのだ。
三たびも四たびもない。
私はいまなお1度目を許すことができないのである」
上野は「酒闘、武闘、文闘」という言葉を好み、「文士たる者、文闘はいわずもがな、武闘であれ酒闘であれ、いささかも遅れをとってはならぬ」と言っていた。
上野は「金を惜しむな、時間を惜しむな、命を惜しむな」を信条とした。
作家の松下竜一は上野から大きな影響を受けた。
松下は臼杵のセメント工場建設反対の記録、『風成の女たち』を書いた。
ところが地元の人たちから絶版を要求された。
うろたえた松下に上野は言った。
「命を張らずに記録文学がやれるなどとは、思わないことだ」。
真っ向から叱責され、作家の覚悟を叩きこまれたと松下は言う。
石牟礼道子たちと東京のチッソ本社前で抗議のハンスト中
「お前もついにトロツキストになりさがったな」
と面罵した者がいた。
上野は言いかえした。
「お前には気の毒だが、おれはトロツキストとなどという、生やさしい人種などではないぞ。
おれはドロツキストというんだっ」。
わたしは河谷のファンである。
河谷が『選択』に連載している「本に遇う」と「形影譚」を毎月たのしみにしている。

  
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2018年02月18日

明治150年=問われているのは「暗」の直視

明治から150年。政府だけでなく、明治維新に所縁の山口・鹿児島・高知などでも、さまざまなイベントが企画されていて、これを機に国をあげての明治セレモニーが開催されることになるという。
政府広報の「明治150年関連施策の推進について」では、
「明治150年を機に、明治以降の日本の歩みを改めて整理し、未来に遺すことによって、次世代を担う若者に、これからの日本の在り方を考えてもらう契機とする」
とある。
姜尚中は『維新の影』で次のように書いている。
「原発事故から7年、まるで何事もなかったかのように、明治150年のセレモニーが愛国心の鼓舞とともに、「和魂洋才」のオプティミズムを振りまこうとしている…
悲劇が何によって生まれ、誰がその責任を負い、何をなすことで悲劇のなかから希望の仄かな光を見いだしていけるのか。
こうしたプロセスを曖昧にしたまま、悲劇をまるで自然災害であるかのようにやり過ごし、忘却の安全地帯に逃れることで、再び喜劇的な日常を取り戻す、そうしたサイクルの繰り返しが、日本の近代の基本的パターンではないか」
2月14日付毎日新聞・記者の目で、栗原俊雄記者が「明治150年を考える」「負の遺産 清算の緒に」を書いている。
以下要旨を紹介しておく。
他の時代と同じく、明治には国民にとっていいこともあったし、良くないこともあった。
しかし、後者はいまだに当事者たちを苦しめている。
その反省と問題解決を後回しにしたまま、「150年」を祝うことに、わたしは反対する。
私たちの身の回りには明治に連なる「大日本帝国」の負の遺産がある。
その最たるものが第2次世界大戦の被害者たちへの未補償問題だ。
軍人・軍属は「国と雇用関係にあった」という理由で、累計約60兆円の補償を受けてきた。
一方、民間人にはまったく補償がない。
昭和の戦争は明治以来の海外膨張政策の帰結であり、明治の負の遺産だ。
沖縄戦や空襲による戦争被害者が国に賠償を求めて裁判に訴えてきた。
だがすべて敗訴している。
高い壁になっているのが「国家無答責の法理」だ。
これは明治憲法下で国や自治体の賠償責任を認めた法律(国家賠償法)がなかったことから、国が戦争行為よる被害の損害賠償を負わないとする論理だ。
明治憲法の論理が何の罪もない戦争被害者たちを苦しめていることを、国のリーダーたちはどれほど知っているのか。
150年を祝う前に、戦争という国策で苦しめられ、今も補償を求めて命を削りながら闘っている高齢者たちを救済すべきだろう。
内閣官房「明治150年」関連施策推進室ホームページには、
「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことである」
とある。
作家の司馬遼太郎も明治を高く評価した。
しかし『坂の上の雲』第1巻のあとがきで明治ついて書いている。
「庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう」
司馬は明治の暗い部分を知った上で、あえて明るい部分を描いた。
歴史を直視し、教訓を得るべき国の指導者たちは、明るい過去だけに目を向けるべきではない。
過去の成功体験を振り返って未来への活力にすることに異論はない。
しかし、明るい部分だけを強調するあまり、暗部が「なかったこと」になってしまう危機感があると栗原記者は書いている。
2月17日付毎日新聞に浜矩子・同社大教授「危機の真相」は次のように書いている。
明治150年は第1次世界大戦終結100年でもある。
明治期の偉人を回顧するのもいい。
だが、あの第1次大戦が一体何だったのかを振り返ることも重要だ。
あの大戦が終わった後、20年もたたないうちに次の大戦の扉が開いたのはなぜか。
人類はどこで何をどう間違ったのか。
向こう100年の間に同じ過ちが犯さないために、いま気を付けておくべきことは何なのか。
100年後に対してわれわれは一定の責任を追っている。
明治150年ばかりでお祭り騒ぎしている場合でもないだろうと浜教授は警告している。
政府は歴史を直視して、明だけでなく暗からも教訓を学ぶべきだろう。
  
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2018年02月15日

浜矩子教授講演会

2月15日に春日井女性連盟が主催した「浜矩子教授講演会」に参加した。
浜教授といえばアベノミクスを批判する論壇きっての論客で、「アホノミクス」「ドアホのミクス」の命名者でもある。
浜教授は講演で、政府の政策がもたらす「呼吸困難」を、「ヒト・カネ・モノ」の3点から分析した。
そして、このままでは日本経済は窒息死すると明言した。
たとえば「カネ」の問題。
国債を買うのはだれか。
国債の最大の債権者は日銀である。
国の中央銀行が国債の最大の債権者である国は世界のどこにもない。
会社の株を買うのはだれか。
これもまた最大の株主は日銀である。
最大の株主が中央銀行である国も世界のどこにもない。
日銀は通貨価値の番人とされる。
また、政府から独立した組織とされている。
だが、日銀が最大の債権者にして最大の株主なら、債権の価格も株価の上昇も何の意味もない。
日本は北朝鮮化して市場が死んでいるのだ。
政府は金融と財政の一体運営という。
アベ首相は政府と日銀は親子のようなものだとして、連結決算で考えべきだとしている。
連結決算とは丼勘定ということだ。これは明確な法律違反である。
アベノミクスはデフレからの脱却を目標としている。
そのために各種成長戦略を掲げている。
それではなぜデフレ脱却か。
アベは国の安全保障環境を整備するためだとしている。
つまり、デフレ脱却・成長戦略は軍事費を増やすためなのだ。
そして、日銀はいまや政府にカネをみつぐために存在している。
アベのいう「戦後レジームからの脱却」とは、戦後体制の脱却、すなわち戦前にもどるということだ。
つまりアベは「21世紀大日本帝国」を建設しようとしているのだ。
そのために改憲がぜひとも必要なのだ。
ヒトについて、政府は「生産性革命」「人づくり革命」「働き方改革」を掲げている。
この不気味な構造物をもって、人々を「1億総活躍社会」、すなわち1億総動員体制へと追いたてようとしている。
「地方創生」もこの構造物の補強材として位置づけられている。
「ギグ・エコノミー」という言葉がある。
日本語では「御座敷経済」だ。
お座敷がかかればそこへいって芸を演じる。
特定の会社に雇用されているわけではない。
声がかかればどこへでもいく。
これがギグ・ワーカーだ。
このギグ・スタイルの働き方がすさまじい勢いで広がっている。
ギグ・ワーカーは労働者としての権利がまったく守られていない。
長時間労働も事故も自己責任とされる。
ギグ・ワーカーの人権をどう守るか。
企業にどのような責任をもたせるか。
これらのことが世界の国々の政府が頭を悩ませて、現在対応を検討している。
ところが日本では政府が積極的にフリーランサー化を推奨している。
新しい働き方。
柔軟な働き方。
多様な働き方。
フリーランスの世界にはそれがある。
兼業・副業おおいにけっこう。
みなさん、どんどんフリーランサーになりましょう。
そんなお座敷経済化を政府が後押ししている。
お座敷の世界に足をふみいれれば、労働法制で守られる世界から出て行くことになる。
世界の政治はそのことへの対応に腐心しているが、日本では政治がお座敷へと誘導している。
浜教授は1月14日付中日新聞で「100年後の平和を守る」と題して次のように書いている。
肩越しに過去を見る時、われわれはみんな賢くなれる。
問題はまっすぐ未来に顔を向けながらどこまで賢くなれるかだ。
それを決めるのが今を見る目だ。
今を見る目を偽預言者たちが張る煙幕からどれだけしっかり守りぬけるか。
このことが未来を見通す目の確かさを決める。
今を見る目を磨いてくれるものは何か。
それは結局のところ過去の記憶と記録だ。
十分に過去を知っている者には、その知識と比較から今が見えてくる。
今が見えれば、未来もまた見える。
百年前、人間は次の戦争を阻止することに失敗した。
あの時、戦争を阻止してくれてありがとう。
百年後の人間たちに、そう言ってもらえるわれらになる。
これを年初の決意としよう。
「100年後の平和を守る」。
新年の浜教授の決意である。
  
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2018年02月12日

石牟礼道子の死


石牟礼道子が亡くなった。
わたしが尊敬する作家がひとりまたひとりと消えていく。
危機の時代にもっと生きて、警世の言論を発表してほしかった。
2月11日付読売新聞に若松英輔が追悼文を書いているので紹介しておこう。
「石牟礼さんの言葉は誰にも似ていない律動を有している。
それがいわゆる学習の結果なら、あの無常をたたえた響きは生まれることはなかっただろう。
彼女は類を見ない、優れた歴史感覚の持ち主だった。
言葉を歴史の奥底からくみ上げる特異の才能に恵まれていた。
その感覚は、島原の乱で亡くなったキリシタンと水俣病事件をめぐる運動に参加した人々をつなぎ、水俣病事件と足尾銅山鉱毒事件をつないだ。
その言葉は、現代が危機に直面したとき、いっそう力強く浮かび上がった。
東日本大震災のあと
「花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり」
という一節がある「花を奉る」と題する彼女の詩に、慰めを見出した人も少なかったのではないだろうか。
 『苦海浄土』をどのような心持で書いたかを尋ねたことがある。
しばらく沈黙したあと彼女は、静かにこう語り始めた。
これまでにないことが起こったのだから、これまでにない様式で書かねばならないと思った。
詩のつもりで書きました。
書くことは、独りで行う闘いです、と言った。
そして最後に、今も闘っています、とも語った。
あの時の佇まいを忘れることができない。
石牟礼道子は現代日本で、語らないまま逝った者たちの嘆きを受け止めるという、最も大きな問いを生きた書き手の一人であり、真の意味における闘士だった。
また『苦海浄土』は詩で、石牟礼道子は稀代の詩人だった。
また、しばしば彼女と語りあったのは亡き者たちのことだった。
石牟礼さんにとって書くことは、自らの思いを表現する以前に、語ることを奪われた者たちの言葉をわが身に宿し、世に送り出すことだった。」
同じく同日付読売新聞・高橋睦楼朗の言葉。
「石牟礼さんは民衆、それも「受苦者」を主人公とする、これまでにない叙事詩の詩人だった。
しかも、時には人間だけでなく、動物や植物も含めた生命全体が主人公iなっている。
そういう詩が、頭で作ってやろうというのではなく、魂の深い所から湧き出ているのも独特で、日本文学だけでなく世界文学でも前例のない詩人だったのではないか。」
2月12日付朝日新聞には、池澤夏樹が追悼文を書いている。
「この人自身が半分まで異界に属していた。
それゆえ現生での生きづらさが前半生での文学の軸になった。
その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが「近代」によって異域に押し出された者たちだったから。…
でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界に異界にいた。
そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう。」
米本浩二著『評伝 石牟礼道子』を読んでいるが、若いころから妥協しない、はげしい性格の人だったことがわかる。
「書くことはひとりで行う闘い」だということを、生涯実践した人なのだろう。
  
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2018年02月11日

元号・天皇=日本のナサケナイ言論事情

 「新元号に「安」の字入るとうはさありてそれが冗談に聞こえぬ不幸」。
1月22日朝日新聞歌壇に載った郡山市・鈴木次郎さんの短歌だ。
インターネットでは新元号の予想合戦が盛り上がっているという。
新元号制定の反対運動などどこからも聞こえてこないが、2月10日付中日新聞が「元号のある風景」を掲載している。
大学准教授・鈴木洋仁は、次のように話している。
明治・大正・昭和とくらべ、「平成」は特有のイメージをもたない。
新元号の議論にもタブーはない。
もはや、「元号使用は伝統的で、西暦だと進歩的」などと分けることに意味はない。
元号が良くも悪くも権威を失ってカジュアルになり、廃止する動機もさほどないと。
鈴木は30代後半の大学准教授だ。
「平成」が昭和などにくらべて特有のイメージがないというのはその通りだ。
鈴木も自身の著書でそのことを分析していた。
しかし、元号が「権威を失った」とか「廃止する動機もない」とは、それでも大学の先生なのかねと言いたい。
鈴木の『元号と戦後日本』は読んだが、じつにつまらないない本だった。
作家・投資家の山本一郎は次のように話している。
投資や調査業務をしていると和暦が使われている官公庁の書類を活用することがある。
他国のデータと比較するため和暦から西暦に直す作業をするが、不便なだけでなくミスもふえてしまう。
分かりやすさや合理性という点からは、元号を使うメリットはない。
公文書には西暦を使うよう提案したこともあるが、「引き継いできた伝統だから」「前例に乏しい」と言われ、議論する気は感じられなかった。
公文書や統計データ・各種届出は西暦にした方が経済効率は格段に向上する。
海外とのデータとの整合性もあり、元号が変わるごとの独自のシステムに投資する必要もなくなる。
ただ、元号をなくすというのも言い過ぎで、元号は日本固有の文化だ。
元号も文化や教養としてのこし、場面ごとに元号と西暦が必要に応じて選択できるようにすべきだ。
天皇退位が元号に関する議論の始まるきっかけになるといいと。
だが、山本が言うように「天皇退位が元号に関する議論が始まるきっかけになる」様相は現在のところない。
(付言しておけば、中日の「元号のある風景」も腰が引けた特集である。
「話し手」の選定からして「どうかな」と思う。
元号・天皇に関してはメディア全体が腰が引けているのだが。)
佐藤優は『一冊の本』(2月号 朝日新聞)で、1972年の映画『軍旗はためく下に』を紹介している。
『軍旗はためく下に』は、戦争中敵前逃亡により処刑された兵士の妻が、その真相を追求する映画である。
(映画の中では高校の校舎に米軍基地反対の垂れ幕が映されるシーンが出てくる)。
佐藤は現在の日本で『軍旗はためく下に』をテレビ局が放映できるかと問うている。
そして次のように書いている。
「1972年に(天皇の)生前退位の話が出たとするならば、日本の論壇の一部、あるいは社会党の左派と日本共産党によって、共和制移行についての問題提起がなされたと思います。
日本国憲法の第1条(から)…天皇は主権者たる日本国民の総意があるから存在するわけで、それならば、日本国民の総意として天皇なき日本もありうるのではないか、ということが議論になったはずです」。
佐藤のいうとおり、日本の論壇は元号についても天皇についても、「さわらぬ神にたたりなし」というナサケナイ状態である。
  
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2018年02月02日

平成の終わりに元号を考えるー法制化に消極的だった政府を変えた草の根保守運動

下記の文章は、月刊誌『むすぶ』ロシナンテ社2018年1月号掲載
「時代を駆ける第302回」「平成の終わりに元号を考えるー法制化に消極的だった政府を変えた草の根保守運動」
である。

政府は一九五〇年代から七〇年代にかけて、元号法制化には極めて慎重であった。
歴代首相も、「自分がやめてからにしてほしい」(佐藤首相)
「この問題は慎重にあつかってほしい」(田中首相・三木首相)
「慎重に検討すべき問題」(福田首相)と法制化には消極的だった。
歴代政権は元号は天皇制の問題ではなく、国民の長い慣習の問題であって、元号存続もその時に内閣告示で行えばよいという考えだった。
これなら法的措置の必要もなく、国会論議も避けられる。政府はいざとなったら内閣告示で元号を存続する方針だった。
元号法が制定されたのは一九七九年である。
なぜ政府は一九七〇年代末に法制化へ踏み切ったのか。
政府の方針転換の経過を見ていこう(以下大森和夫『元号問題』等参照)。
政府は一九六一年の衆院内閣委員会での野党の質問に、
「昭和の元号の法的根拠はなく、一般的な慣習に基づいている」
と答弁している。
さらに、六八年の同委員会での野党の質問に、内閣法制局は次のように答えている。
「元号は事実たる慣習」「使う人は使う、使わない人は使わないでいい」
「行政機関に提出する文書も西暦でも有効」
「天皇崩御という事態になれば昭和はなくなる」
「法律を作らなくても内閣告示で元号制度を維持できる」
一九六一年、政府は元号・国旗・国歌等を検討する機関として「公式制度連絡調査会義」を設置した。
この会議は六五年に一度簡単な打ち合わせをしただけで、本格的協議は行われなかった。
そして七五年、「昭和」のあとの元号をどうするか検討するため、一〇年ぶりに「公式制度連絡調査会義」が開催された。
しかし会議では、「早急に結論をださず、慎重に検討する」「急いで決めるのは具合が悪い」として問題をタナ上げした。
元号問題が天皇制論争に発展することを恐れたのと、「天皇のご逝去」を前提にしているので好ましくないといった配慮が働いたためである。
一九七四年、自民党議員が元号法制化について質問書を提出した。
それに対する政府(三木内閣)の答弁書は、
「元号使用を国民に強制するのであれば法制化は必要だが、そうでなければ法制化は必要としない」
「国民世論の動向を見極めつつ、慎重に検討する」
というものだった。
七七年の自民党議員の質問書にも、福田内閣は同様の答弁書を発表している。
一九七五年の衆院内閣委員会で、内閣法制局第一部長角田礼次郎は次のように答弁している。
「昭和という元号は、法律上の基礎はなく、慣習として用いられている」
「陛下に万一のことがございましたら、昭和という元号がその瞬間に消え、空白の時代が始まる」
政府が元号に関して選択できる道は、
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内閣告示による存続
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仮に政府が結論を出さずにいたら「昭和」はどうなるか。
内閣法制局の解釈は天皇の死で「昭和」は消える。
従って政府は公文書で「昭和」を使用できないとした。
それゆえ、必然的に西暦が使用されるだろうという見通しだった。
三木内閣は一九七六年の天皇在位五〇年式典を契機に、「昭和」後の元号制度を閣議決定による内閣告示で存続していく方針を決めた。
そして、同年の参院内閣委員会で内閣告示方式による元号存続を初めて公式に打ち出した。
ところが一九七八年、福田内閣は「昭和」の後の元号問題について従来の内閣告示方式を改め、法制化で存続させる方針へと転換した。
内閣告示方式だと内閣が変わるとホゴにされる恐れがあり、元号の権威安定性が損なわれる。
さらに、内閣告示方式では元号に強制力はないが、法制化で国民の元号使用の義務化ができるとの理由からだった。
政府の消極的姿勢を変えたのが「草の根」保守運動である。
元号法制化については神社本庁・神道政治連盟などが早くから積極的な運動を展開した。
神社界が本格的に元号法制化に取り組んだのは、明治百年記念式典が挙行された一九六八年からである。一世一元が定められてから百年目のこの年、神社界は全国の神職・氏子五万人の署名を集めて一世一元の法制化を政府に要望した。
翌六九年には神道政治連盟が結成され、元号法制化が運動方針の最重点目標とされた。
そして七五年には六八万人の署名を集めて政府に働きかけた。
こうした神社界の運動に連動したのが、椛島有三らの日本青年協議会(日青協)である。
(以下藤生明『日本会議』等参照)。
現在の「日本会議」事務総長・椛島は、七五年当時は日青協代表である。
椛島は七五年の内閣法制局の答弁について、
「元号は新帝陛下の御代になっても存続するだろうという認識だった。答弁で強い衝撃を受けた」
という。
当時の椛島の時代認識では、日本は有志以来最大の国難に直面していた。
左翼勢力による戦犯天皇論がエスカレートし、天皇Xデーを狙った天皇制解体論が横行し、天皇と国民の紐帯である元号空白化の危機が生じていた。
彼らは占領憲法打倒というそれまでの運動方針を転換し、天皇在位五〇年奉祝運動や、元号法制化運動を積み上げ、改憲に向けた状況を一歩ずつ作りだす戦略へとシフトした。
そのため「草の根保守運動」へと着手する。
日青協は七六年の天皇在位五〇年式典で、提灯行列や奉祝パレードといった地方を巻き込んだ運動スタイルを作った。
翌七七年には元号法制化運動を本格化させる。
「地方から中央へ」を合言葉に中央政府を動かす運動スタイルは、その後の保守運動の原形となった。
日青協はこの運動について、
「左翼の運動から学び、地方決議が目的達成の早道だと徹底した」
と述べている。
署名を集め、地方組織をつくり、地方議会の決議を積み上げる。
活動スタイルは左翼のコピーだが、使命感と地道な活動で彼らは展望を切り開いていった。
椛島ら日青協は、その後結成される「日本を守る会」「日本を守る国民会議」「日本会議」の事務局として、運動を実質的に取り仕切る。
元号法制化運動の中核を担った組織が、一九七四年に結成された「日本を守る会」である。
この組織はさまざまな民族派・右翼組織が結集してできたものだ。
日本を守る会はそれまでの自民党への陳情運動を見直し、下からの草の根運動により法制化を目ざした。
その結果、元号法制化の気運は高まっていった。
一九七八年五月には「元号法制化実現国民大会」が東京で開催され、七月には法制化に賛成する七〇〇団体により「元号法制化実現国民会議」が結成された。
国民会議は運動方針として、四七都道府県に都道府県民会議を結成することを打ち出した。
そして、地方議会から政府包囲網を形成して、国会での法制化を実現する国民運動を展開した。
同年一〇月には二万人を結集して「元号法制化実現総決起国民大会」を開催し、「元号法の早期実現」を決議した。
国民会議は都道府県・市町村レベルで法制化要求運動を繰り広げ、大平首相に通常国会での法制化実現を要望した。
地方議会では元号法制化決議が相次ぎ、七九年二月には四六都道府県議会、一三二三市町村議会(四〇%)で実現した。
「地方から中央へ」を合言葉に、地方議会決議による中央制圧の運動スタイルは元号法制化運動が作り上げたもので、その後の保守運動の定石となる。
この草の根保守運動が政府を元号法制化へと方針転換させた。
  
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2018年02月01日

アベはなぜ改憲を急ぐのか

1月31日付日経新聞「安倍氏、なぜ改憲急ぐ」より。
自民党は3月の党大会までに党独自の改憲案を取りまとめる方針だ。
改憲を急ぐウラにはどんな戦略があるのか。
安倍首相は自ら打ち出した2020年新憲法施行から逆算して2018年に国会発議をめざし、不調なら2019年にする2段構え戦略とみられる。
これまでは2019年の参院選に合わせて憲法改正の投票を実施する「ダブル投票」だった。
改憲の是非だけが焦点となる国民投票単独よりも、集票の相乗効果が見込める。
ただし、19年は天皇退位や改元・参院選・G20首脳会議などの大きな行事が相次ぐ。
日本で初めての国民投票が窮屈な日程で実施されるべきではないとの党内批判がある。
そこで、プランAとして参院選前の2019年までに国民投票を実施するシナリオだ。
改憲についての世論が盛り上がれば、国会で改憲を発議し国民投票を実施する。
プランBは、改憲への理解が思うように深まらないときは、参院選に合わせて国会発議し国民投票を実施する。
2段構えで備えるなら、いまから議論を本格化させなければならない。
国民投票は国会での改憲発議から60日以後180日以内に実施する。
2019年初めまでに実施するには、今秋の臨時国会が改憲の山場となるとみて、3月の党大会までに党独自の改憲案をまとめようとしている。
1月30日付朝日新聞が、国民投票を実施したイギリス・イタリアの「経験国からの警鐘」を掲載している。 
イギリスの議員は、賛成票が全有権者の50%以上なければ国民投票の正統性がない。
最低投票率も66%とか70%に設定すべきだと述べている。
さらにケンブリッジ大学教授は、英国の政治家・企業人・学者にきけば、ほぼ100%の人たちが「もう国民投票をする必要はない」という強い意見を持っているだろうと話している。
イタリアの議員は、国民投票は多数派が自己の権力を強化する手段として使ってはいけないということが指摘できるとしている。
イギリスもイタリアも、国民投票で社会に疲労感が広がっていると朝日は報道している。
権力者がつごうよく政治を動かすために、国民投票を手段としてはいけないということだ。
憲法9条に3項を付け加える国民投票などやる必要はない。
ところで、1月29日付朝日新聞に高橋順子記者が「施政方針演説 消えた私」を書いているので、紹介しておこう。
アベ首相演説に2016年から「私」がない。
「私」がまず立ちあがってこそ、賛であれ否であれ、聴く者の感情を喚起する。
本気で他者に何事かを訴えたいと思えば、おのずと「私」が出てくるはずなのだ。
「私」が声高に訴えずとも、望めばかなう、絶対的権力者となりおおせたることの証左か。
あるいは、15年に安全保障法制を成立させ、「私」が真にやりたいことはやったという感があるのだろうか。
唯一、憲法改正を除いては。
高橋記者が書いているように、アベはもはや政治に熱意を失っている。唯一、改憲を行い歴史に名を残したいという野望以外は。
  
Posted by sho923utg at 21:08Comments(0)