2009年08月11日

特攻を計画推進した海軍軍令部の戦争責任

8月10日放映のNHKスペシャル「海軍400時間の証言 明かされた特攻の真実」を興味深くみた。番組はだれが・なぜ・何の目的で特攻を始めたのかを明らかにしようとした意欲的なものだっだ。
従来の説では大西滝治郎海軍中佐の発案だとされてきた。たとえば木坂順一郎著『昭和の歴史7 太平洋戦争』(小学館)は、特攻は「体当たり以外に方法がない、という大西滝治郎中将の提唱によってはじめられた。…特攻兵器は、人間を軽視または無視し、死の哲学で武装していた日本軍だからこそつくりえたものであり、連合国軍の将兵は特攻機を「自殺機」とよんでおそれた」と書く。
1944年10月のレイテ海戦から開始された特攻で死んだ若者は、敗戦までに陸海軍あわせて5000人以上だという。しかし軍令部は大西提唱のはるか以前から人間を特攻にする計画を建てていた。1943年8月の時点で海軍は、「必死必殺の体当り戦闘機」の開発を進めていた。番組で鳥巣海軍元中佐が証言している。大西のはるか前から回天も桜花も震洋も伏龍も建造していたのだから、特攻計画を知らないというのはおかしいと。軍令部は1944年8月に回天の特攻隊員を募集している。しかし、募集内容には「戦局打開の新兵器」としか書かず、人間魚雷であることは伏せていた。兵士を兵器にする特攻作戦は軍令部の組織的作戦として行われていたのだ。
そしてレイテ海戦での決定的敗北以来、海軍は特攻作戦に比重を移しその戦果を国民に報道してきた。しかも1945年1月の最高戦争指導会議では、軍令部により「1億総特攻」が提唱され、特攻で本土を守る作戦であった。しかしこの非人間的作戦がどんなに悲劇をもたらしたか。回天の敵艦命中率は2%だったというから、無駄死に以外のなにものでもなかった。
軍令部は特攻作戦については知らなかった、地方がかってにやったことだと一貫して責任回避してきた。なぜか。戦犯の追及を免れるためである。GHQの戦犯追及に対し、軍令部は裁判対策をしている。特攻は上の命令ではないと口裏あわせをしたのだ。そして関係書類をすべて焼却し証拠隠滅をはかった。番組でも軍令部が組織的に特攻に関与した文書はなかったとしている。当時の海軍関係者が発言している。「やましき沈黙」と。まちがっていると思っても、組織の空気に飲み込まれて口に出せなかったと。
20歳前後で死んでいった当時の若者たちの写真を見ていると涙がとまらない。こんな馬鹿げた作戦を計画して若者を死地に追いやった連中が、敗戦後も口をぬぐって責任逃れをし、日本の政財界に巣くってきたことに満腔の怒りがこみあげてくる。そして戦後の日本社会はこうした連中をのさばらせてきたのだ。田中克彦が『ノモハン戦争』で書いている。「私たちが、占領軍としてではなく、日本人として裁かなければならないのは、このような人物である。このような人物は、過去の歴史の中で消えてしまったわけでは決してない。今もなお日本文化の本質的要素として、政界、経済界のみならず、学界の中にまで巣くっているのである」。


Posted by sho923utg at 00:28│Comments(0)TrackBack(0)政治・社会 | 時代のアゴラ

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