2010年06月04日

日露戦争は回避できたー日本近代史散策(6)

2004年に日露戦争100年キャンペーンが行われた。キャンペーンは20世紀初頭の国難を克服した日本と21世紀初頭の国難を重ね、あわせて日露戦争を祖国防衛戦争と位置づけることで、現在およびこんごの戦争を正当化したいという支配層の願望がみえた。2007年のNHK大河ドラマが司馬遼太郎の『坂の上の雲』に決まったのもそうした意図があったからだろう。
当時『論座』(2004年9月号)が「開戦100年 日露戦争再考」を特集した。日露戦争キャンペーンは1930年前後にも大々的に行われた。当時のメディアでも「非常時」と日露戦争の臥薪嘗胆が重ね合わせて論じられたという。
戦争は戦争を呼び起こす。しかし同時に運動もまた運動を呼び起こす。『論座』特集で成田龍一は、イラク派兵のいまこそ戦争反対の運動の歴史を呼び起こすことが大事だとのべている(成田龍一「記憶の場としての日露戦争」。以下、同特集より)。
日露戦争は朝鮮へのロシアの脅威に対して、日本が自国の利害を守るためにやむを得ず起こした戦争だとされてきた。
だが日露戦争は回避できた。当時ロシアはドイツの台頭で極東から西部国境防衛に重点を移していた。さらに朝鮮半島支配の放棄も決定していた。ニコライ2世は日本との戦争を回避するため、朝鮮の日本支配を容認するつもりだった。こうしたロシア外交の変更に気づかず、日本は開戦に踏み切ったという(大江志乃夫「行き違いが招いた世界史の中の戦争」)。
1904年1月、ロシアで重臣会議が開かれた。その席で陸軍大臣クロパトキンは、朝鮮問題を理由に日本と戦争するのは大きな国難だとして開戦に反対した。
ところが日本は2月6日にロシアとの外交断絶を通告した。これは宣戦布告に等しく、ニコライ2世は飛び上がらんばかりに驚いたという(コンスタンチン・サルキソフ「日本は戦争に踏み切らない ロシア皇帝は信じていた」)。
大江は日露戦争は「大義なき戦争」で「無意味な戦争」だったとのべている。
日本の動員兵力109万人。戦死6万、戦傷入院13万、病気入院25万ー内病死2万。それ以上に国外の韓国・中国・サハリンの被害は甚大であった。
特集の末延芳春「日露戦争と文学者」が読み応えがある。夏目漱石は、ロンドン留学中日露関係に並々ならぬ関心を寄せていた。そして、「日本はロシアと戦って負けた方がいい」と話していた。日本が国際社会での地位を正しく認識し、文明国家として成長するには戦争に負けることでおのれの限界を知る必要がある思っていたのだ。また「朝鮮こそいい迷惑だ」と、日露のとばっちりを受けざるを得ない弱小国朝鮮に思いやりを示していた。
ところが、戦勝後満州・朝鮮を旅行した際の紀行文には、被抑圧民族への配慮や思いやりがまったくみられない。末延はつぎのように記している。「近代日本が犯した最大の誤りとして、アジアへの侵略戦争を根底において許した他者意識の決定的欠落…。夏目漱石ですら、侵略者として上から見下す視線でしか、アジアの現実を見られなかったことの意味は深刻である」。
日露戦争関連の歴史文献を読んでも、大江のように日露戦争は回避できたという視点はない。大江には『世界史としての日露戦争』(立風書房)という大作がある。


Posted by sho923utg at 21:27│Comments(0)TrackBack(0)政治・社会 | 時代のアゴラ

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