2010年06月05日

日露戦争と日比谷焼打事件―日本近代史散策(7)

小森陽一・成田龍一編著『日露戦争スタディーズ』(紀伊国屋書店)が、多面的に日露戦争を分析している。
成田は日露戦争でいかに国民が熱狂的に戦争を支持したか多くの事例をあげ、それまで臣民だった日本人が、日露戦争で国家のために命を提供する「国民」が形成されたとのべる(「国民のは行的形成」)。だが「国民」の創出は同時に国民の政治への参加をうながし、「大正デモクラシー」の始点にもなった。
アンドルー・ゴードンはそれを「帝国民主主義=インペリアルデモクラシー」とよぶ。民衆は対外的には帝国を支持し、国内的には経済的公正さや政治改革を求める。それが日比谷焼打事件から米騒動までの都市民衆騒擾であった(「日本とアメリカの世紀をへだてた類似性」)。
大日方純夫は(「戦争国家はどのようにつくられたか」『前衛』2004年10月号)、日露戦争はどのような戦争だったか、4点あげている。
第1に日本の戦争国家化によるアジアへの従属強制路線。第2に戦争は「防衛」を掲げながら朝鮮・満州の国外で行われた。第3に日露の朝鮮・満州の支配をめぐる植民地戦争。第4にその後に続く国家総力戦の最初のものだった。
原敬は開戦直前の日記に、政府も国民も平和を望んでいるのに、強硬論が支配する言論状況で皆黙っていると書いている。
戦争を特にあおったのは新聞である。戦争中新聞には政府を叱咤激励する主張が連日載ったという。日露戦後は教科書に忠君愛国や軍事教材が大量にふえる。いつの時代もメディアと教育が戦争推進に大きな役割りを果たす。
藤野裕子の「都市民衆騒擾期の出発ー再考・日比谷焼打事件」(歴史学研究第729号)は、日露講和条約に反対した最初の都市騒擾である日比谷焼打事件の詳細な研究である(ちなみに日比谷焼打事件から米騒動までを「都市民衆騒擾期」とよぶ)。
藤野は焼打事件と暴力の関係について次のようにいう。第1に抗議・演説と暴力の関係である。現場で繰り返される抗議や演説に後押しされて、暴力は継続・激化する。第2に襲撃の対象は明確に講和支持勢力である。焼打は無秩序ではなく明らかに対象を限定していた。第3に類焼への配慮と、酒・石油・現金などの物品の強要である。それは民衆が焼打の正当性を認識していた証拠でもある。
日比谷焼打事件で民衆の政治行動は初めて暴力と結びつき、その後の政治運動と民衆暴力との関係性を形づくる都市民衆騒擾期の始点となる。
藤野の論文は膨大な史料を渉猟して日比谷焼打事件の真相を明らかにした力作である。



Posted by sho923utg at 19:15│Comments(0)TrackBack(0) 政治・社会 | 時代のアゴラ

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