2005年01月

谷川棋王の近著紹介


 谷川さんが最近書かれた本を、何冊かまとめて紹介しておきます。特に対談本など読んでいて感じるのは、本当に谷川さんって素直な方なんだなあということです。決して自分の主張のみ押し通したりすることがありません。

古田敦也氏との対談「心を読み 駆け引きに勝つ」
 谷川さんの発言は勿論のこと、古田さんがイロイロ興味深いことを述べられています。
 例えば、情報の処理について。以前おさえた配球の記憶にいつまでも頼っていてはだめで、当然打者の対応力も状況も変わってくるから、常に情報を更新し、多数存在する情報から役に立たないものをどんどん捨てていくべき、また、いかに実践的に役に立つ情報を選択するかが大切など。
 野球のデータということでは、最近大リーグ関係で話題になった「マネーボール」も、とても面白い本です。アスレチックスの名物GM、ビリー・ビーンが、少ない資金力でヤンキースなどにいかに対抗しているかの秘密を探った本。特に、既製の「情報」のあり方を徹底的に洗いなおす話は、興味が尽きません。
 (直接関係ないのですが、情報化社会で人間性が失われていくという常套論をよく耳にしますが、果たしてそうでしょうか。むしろ、自分では自由だと思い込んでいる「人間」こそが、様々な条件付け、伝統や知識や心理的傾向に縛られて、決まりきった思考、行動に縛られていることのほうが実際には多いと思います。むしろ、テクノロジーの力で、徹底的に情報化を推し進めて、人間的な習慣のくびきを解きほぐしたほうが、「自由」に近づくことのできる可能性があると思います。無論、テクノロジーも用い方次第のもろ刃の剣なのですが。)

谷岡一郎氏との対談「勝負運の法則」
 ツキと実力の関係などを、ギャンブル学の権威、谷岡氏と語られています。谷岡氏の基本主張はきわめて明快、ツキについては、「ゆらぎ」によるばらつきがあるにしても、長期にデータを取れば確率的に、間違いなく平準化されていく。まあ、なんというか、ごくフツーの、反論の余地のない考え方です。ただ、出来ればその「ゆらぎ」の部分をどうコントロールできるかを、もっと突っ込んで話してもらえると、さらに面白かったと思います。「復活」で紹介した通りに、谷川さんも、実は運と対処する自分なりのシステムを持っていますし、例えば、羽生さんなど、そういう「ゆらぎ」を自分の加勢につける能力に、とても長けていると思うので。

「集中力」
谷川流の、能力開発法を「集中力」「思考力」「記憶力」「気力」といった様々な側面から論じておられます。
その中で、いわゆる「脳内将棋」について述べているくだりが面白い。谷川さんの場合、「将棋の駒が一文字で、黒地に白という感じで浮き上がってくる」そうです。恐らく、プロ棋士によって浮かぶ映像が違うのでしょうね。とにかく、強い人は、頭の中にそういうイメージ映像を作り出す力も優れているのだと思います。

「四十歳までに何を学び、どう生かすか」
 四十台でタイトルを獲得したのを機に、歳とどう付き合い経験を活かすか、同世代への励ましを含めて書かれています。
 将棋で、「本筋」の手だけにとらわれていては駄目で、「無筋」の手を勇気を持って検討する必要性があるなど、興味深い話が紹介されています。
 それと、これらの本で谷川さんが何度も言及されているのですが、指し手というのは局面を見た第一感でほとんど決まってしまうとの事です。無論、その上で読みの検討を加えて、選択修正していくわけですが、ほとんど第一感が正しいそうです。その「第一感」がどのように導き出されるのかについての秘密が知りたいところです。それが「才能」の差だといってしまえば、それまでなのですが。

NHK杯、録画して見ようと思っていたのですが、その前に「将棋連盟」サイトの「今後の対局予定」をついウッカリ見てしまったら「羽生対佐藤」の文字が目に飛び込んできた。やはり、結果が分かっていて見るのは、なんとも味気ないのですが、完全に自己責任なので、どうしようもない・・。

「竜王は二十歳」連載第四回について

 読売夕刊に連載された「竜王は二十歳」、全六回で完結しました。前回は、第二回の研究法について取り上げたが、今回は第四回の「勝負師向き 立ち直りの早さ」について。
 羽生さんの渡辺観が紹介されている。渡辺将棋について、以下のように述べている。

「現代の若者らしく多くのデータの中から良質のものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている。」

「現代的な棋士渡辺」のイメージ通りの分析である。しかし、第二回の記事で紹介したとおり、研究法に関しては、実は「根っからのアナログ棋士」なのだ。パソコンによる検索より、実際に盤に並べて考えることを重視するという。この事実と、羽生さんの発言内容の違いのようなものをどう考えればよいのか?
 多分こういうことではないだろうか。実際に、渡辺竜王は、あまり実際にはパソコンに頼らないタイプなのにしても、やはり同世代と物事に対する価値観、感覚、考え方を無意識に共有している。だから、年をとった人間が、過大な情報量の海に溺れてしまうのに対して、それを楽々と泳ぎぬけて、膨大な情報量を処理して、役に立つものだけを「しっかり、ちゃっかり」自分のものにすることが出来る。それが、彼に限らない世代共通のものにしても、特に情報処理能力の迅速さ、選択能力が並外れているのだろう。恐らく、実際にパソコンを使うかどうかという問題ではないのだ。
「盤に並べる」研究法にしても、誰もが同じ思考回路、方式を取っているわけではないだろう。同じ棋譜を並べるにしても、その局のポイントを即座に見つける能力、その対局の精髄を感知して徹底的に考える能力などが、優れているのではないだろうか。あくまで盤に並べるのは「集中して考えるのに都合が良い」だけのことであって、アナログかデジタルかという問題ではないのだと思う。
 将棋指し以前の「頭のよさ」で、羽生二冠と渡辺竜王には共通するものを感じるが、その質は二人では違う気がする。羽生さんの場合、どちらかというと「理論的・抽象的に盤面の真理を追究する能力の高さ、抜群のあかるさ」という感じ、渡辺さんのほうは「理論的というより、実践的・実際的に、局面局面の最善をつかみ取る頭のよさ、それは理論的というより一見素朴にすら思える」という感じだと思うのだが、どうだろう。
 さて、話は変わって勝負師としての資質についても、羽生さんは渡辺さんを高く評価しているようだ。「立ち直りが早くて勝負師向きの資質」といっている。これについては、竜王戦をテレビや新聞などで楽しみながら、自分が何より強く感じたことだ。生まれついての勝負師という感じがする。しかし、実は「勝負師としての資質」ということでは、羽生さんも決して負けていない。ああいうスマートな外見だけれども、その内に秘めた勝負師根性たるや、本当にすさまじいものがあって、一時期谷川さんが完全にやられてしまっていたのも、実力差というより、その面での差ではないかと思う。順位戦での「上座事件」ひとつとっても、羽生さんの勝負師としての度胸のすわり方は明らかである。 
 羽生VS渡辺は、王座戦で一度実現しているわけだが、その時は、まだ羽生さんも「勝負師渡辺」をそれほど意識していたわけではないだろう。だから、今度二人がぶつかるときは、将棋以外の部分でも大注目である。恐らく、盤外戦でも、二人とも一歩も譲らないのではないだろうか。根っからの勝負師同士の激突、衝突が見られるのではないかと期待してしまう。
 自分は、このブログで、何度も渡辺竜王と若き日の大山の類似性についてふれてきたのだが、最後に実際に坂口安吾の文章を引用しておこうと思う。「大山」を「渡辺」と入れかえても、そのまま通用するところがある気がするので。

「勝負師という点では、大山はちょッと頭抜けているようだ」
「大山にはハッタリめいたものがないのである。非常に平静で、それを若年からの修練で身につけたミガキがかかっている。(中略) 温室育ちという生易しいものがないのである。勝負師の逞しさ、粘り強さは、升田の比ではない(以下略)。」
「この図太さは、棋士多しといえども、大山をもって随一とする。頭抜けたアクターであり、その底にひそむ勝負師の根性ははかり知れないものがあるようである。」
「私は大山と(中略)酒を飲んだ。私はまだ二十七の風采のあがらぬこの小男の平静な勝負師が、なんともミズミズしく澄んで見えて、ちょッと一日つきあいたい気持ちがしたからであった。」 
 ( 坂口安吾「勝負師」より)

Livedoor 将棋ブログ・コレクション

 Livedoorで将棋フログを書き始めたのは、まったくの偶然です。無料なのをよいことに、他にジャンルごとにいくつものプロバイダーでレンタルブログを借りまくった際、将棋がたまたまココでした。(そーいえば、あの頃プロ野球参入で、ムチャクチャ話題になってました。)竜王戦の真っ最中だったこともあり、結局ここにばかり書く破目になり、実は自分が将棋より興味があるジャンルのブログはほとんど放置状態です。キッカケなんて分からないものです。
 さて、同じLivedoorの将棋ブログをいくつか紹介しておきます。(右のリンクには、知るかぎりのほとんどのLivedoorのサイトをリンクしてあります。)

「陽のあたる場所」
 ある時は投資研究家、ある時は「ハッシー」橋本四段の広報部長?といろいろな顔をお持ちなのですが、一番注目したいのは、駒作りをされていることです。カテゴリー「将棋」で、まとめて、駒を作る過程についての記事を読むことが出来ます。美しい駒の写真も、多数アップされています。実際に駒を作っておられる方が、その過程などを書いているブログは、とても貴重だと思います。

「日々の勉強@将棋」
 正当派将棋ブログ。言葉少なく簡潔に語られることが多いのですが、将棋に対する知識の深さと知性の高さを隠すべくもありません。

「ねこのおさんぽ2」
こんなところで取り上げてよいのか分かりませんが、北尾まどか女流の、どちらかというと私的なブログです。前から書かれていたようですが、最近Livedoorに引っ越してこられました。これ以外に、「将棋ブログ」という、単刀直入な題名のブログも書かれています。
 なお「ごきげんDEブログ」の石橋女流と交流が深いようです。石橋さんについては、ドキュメンタリーなどで気になる存在でしたが、ブログの、なんと言うか、すとーんと突き抜けるような明るさが、何かいいなぁとおもいます。

「はんぴんちぇん」
 詰め将棋についての本格的なブログ。内容、文章ともに、はっきり言ってむちゃくちゃレベルが高いです。
 自分は詰め将棋については全くのシロウト。看寿か宗看の、例の有名な長手数「煙詰め」を盤面に並べて「すげー」とか言っている無邪気なファンに過ぎません。しかし、「詰め将棋」の世界が「指し将棋」と同様、いやそれ以上の芸術的な空間を作り上げていることくらいは理解しているつもりです。昔、まだ強くなろうという気持ちがあった頃、「詰め将棋パラダイス」を短期間ですが購読していたこともあります。
 詰め将棋よりも、自分は詰め将棋関係の方々の書く文章に興味があります。皆さん、ものすごくこだわりのある完成度の高い文章をかかれます。ここも、その例外ではありません。でも、ただ堅苦しいだけでなく、一種の俳味のような軽妙な味わいもあるのです。そういえば、谷川棋王の文章というのは、あれって基本的に「詰め将棋作家」の文章だと思います。ご自分でつくられたり他の人の文章を読む過程で身につけられた文体だと思います。
 なお、「勝手に将棋トピックス」の去年の記事で、自分のブログに少しだけふれていただいた時、「はんぴんちぇん」についても美しい紹介文を書かれています。

昨日の羽生さんの終盤、谷川浩司著「復活」

昨日の羽生さんの終盤

 NHK杯の羽生さんの終盤について、「きよきよのしょうぎばんBLOG」で、本当に羽生さんの寄せは正しかったのかという疑問を呈しておられた。確かに、終局直後の羽生さんの表情は、とても納得いく指し方を出来たという感じには見えなかった。羽生さんの終盤術をほめていた藤井さんにしても、途中からは「本当にこれでいいのか」という感じになっていたし。
 つまり、藤井九段の「羽生の終盤論」は、一般的な分析としては正しくても、昨日に限っては、そうともいえなかったということなのだろう。ただ、羽生さんの指し方に問題があったのか、橋本四段の抵抗の仕方が見事だったのかは、自分の棋力では全く判断できない。とにかく、一時橋本陣が、金銀で固まって立ち直った時に「ああ、自分じゃ、とてもじゃないけど勝ちきれないだろうなぁ」と思ったのだけは、確かである。


谷川浩司著 「復活」

 羽生さんに無冠に追いやられてから、十七世名人を獲得して「復活」するまであたりについて書かれた本。震災直後の様子も、かなり生々しく描かれている。月日が経つのは早いもので、もはや結構前のことのように感じてしまう。
 今、谷川さんは、必ずしも調子が良くない。しかし、この本のように、何度も起き上がり、立ち直ってきた人なので、対処の仕方は十分かっているだろう。棋王戦がもうすぐ始まる。現在羽生さんの勢いがすごいが、今までの経験をいかして、どう谷川さんが、対抗していくのかに注目したいところである。
 何度も戦ってきた羽生さんについて、いくつか印象的なことを言われている。「羽生さんの発する『気』には独特のものがあって、その『気』を前にしていると、どっと疲れる。」「お互いに最強の手を指そうとするところが共通している。自分の手に、もっとも敏感に反応するのが羽生さんである」など。特に「気」の話が面白い。テレビで見ていても、羽生さんの、あの指す手つきとか、対極姿に、独特の圧迫感とか、甘えを許さない緊迫感とかを、確かに感じる。そういえば、大山さんも、すごく人に緊張感を与える方だったらしい。昔、山田女流が、普段ちょっと目の前に来るだけですごくカチカチになってしまうと言っていたのを、今思い出した。
 さて、一番面白いと思ったのは「勝負運」について語った部分である。すなわち、トッププロなら、第一感で最善手を見つけられる。しかし、それを長考せずに、即指してしまっては「運」を無駄遣いすることになる。そういう時こそ、しっかりした読みの裏づけをしておいて「運」を節約しないといけない。もっと大事なときに「運」を残しておくべきだ、と谷川さんは主張する。

「指運」を使うのは、勝負がぎりぎりのところに入ったときだ。自分の考えや、経験、知識、技術、全てを総動員して戦っているのだが、最後の最後で迷うところがある。どちらが最善なのかわからない。そうした時に、つまらないところで「運」を使ってしまっている人には、使える「運」が残っていない。

 厳密に考えると、本当の意味では「合理的」でないようにも感じてしまう考え方である。「運」というと、例えば、麻雀ではその占める役割がはるかに大きい。スカパーのモンドで放送している、プロの麻雀棋戦を見ていると、ベテランの「オカルト派」と、若手の「デジタル派」の対立というのがある。「オカルト派」は、麻雀のいわゆる「流れ」を重視して、どういう打ち方をすれば運を自分に引き寄せられるかを意識する。一方、「デジタル派」は、「流れ」などは確率的には存在せず、ただ、一局一局の勝負のみがあるだけなので、正しい手順を尽くすことだけに専念すればよいという。一見、「デジタル派」の主張の方が、合理的で正しいように思える。
 ところが、見ていると、若手の連中は、結局ベテランの連中に、ほとんど歯が立たない。一見、不合理な考え方をしている「経験的」な打ち方をするベテランが、やはり強いのだ。その辺「運」という、得体の知れないものと戦わざるをえない麻雀の面白さを感じる。
 将棋の場合、「運」の占める割合は、はるかに小さい。むしろ、いかに「運」が顔を出さない指し方をするかを競うゲームといえるかもしれない。しかし、谷川さんのような、トップ中のトップが、そういう考え方をしているのは、とても興味深い。ギリギリの勝負をしていると、そういう要素も考えざるを得ないのだろうか。また、羽生さんの世代や、さらに若くて合理的な渡辺さんの世代は、どのような考え方をするのだろうか。ものすごく知りたいところである。

NHK杯の「ハッシー」、ごきげん・DE・ブログ、「竜王は二十歳」

NHK杯の「ハッシー」

 「ハッシー」ファンには残念な内容と結果でした。橋本四段、無論ファッションも「オモロイ」んですが、彼が対局中に見せる表情がとてもよいと思う。今回は、あまり出なかったが、下品さがそのままチャーミングとでもいうべき彼の表情、キャラクターは、なかなか得がたいものだと思う。
 とにかく、「将棋」ファン以外も連れてきてくれるわけだから、やはり将棋界は、彼のことを素直に大切にするべきでしょう。思えば「坂田三吉」以来、将棋は庶民が素直に熱狂できる人間性がウリだったわけだから、橋本四段は、由緒正しき伝統的将棋棋士、いや「将棋指し」だという言い方も出来るかもしれない。
 但し、将棋については、完全に羽生さんのものでした。3六歩以降、着実に駒得を拡大していくだけの手順である。でも、そのパズル的精巧さが、たまらなく美しい。羽生さんの将棋には、見る側の美的感覚を満足させる、形式感・論理性があるように思う。無論、先日書いた「羽生さんだから」という先入観もあるのかもしれないが、それを差し引いても、素人にもはっきりとわかる「他との違い」が確かにあるのだ。
 藤井九段が指摘していた、羽生の終盤の話もとても興味深かった。
「良くなると、ゆるめるような寄せ方をする。」「当たり前の手を積み重ねていく。」「他人とは違う終盤の寄せ方をよく考えている。」「ゆるめているようで、絶対に逆転されることがない。」
立派な、「羽生の終盤論」になっていました。安易な「羽生マジック」論より、断然優れている。藤井九段、本人には不本意かもしれないが「名解説者」の資質が十分だと思う。
(関連記事については、「勝手に将棋トピックス」の今日の記事をどうぞ。)

「ごきげん・DE・ブログ」

 女流棋士関係のリンクを若干追加しておきました。といっても「もずいろ」「五十音別将棋棋士一覧」を見て、面白いところをピックアップしただけですが。
 石橋幸緒女流四段の「ごきげん・DE・ブログ」が、とてもよい。とにかく大変なエネルギーを、体内に抱え込んでいる人のようで、文章からそのパワーが目に見えるくらいに溢れかえっている。読んでいるほうまで、何か元気になってしまいます。まさしく「ゴキゲン」です。石橋さんは、無論前から気になる女流の一人でしたが、文章を読んでいっぺんにファンになってしまった。その辺竜王とも通じるものを感じます。実際、最新の日記あたりでは、竜王の話題も出ているので興味のある方は、どうぞ。
 今年は、是非タイトルのひとつでも取ってもらいたいものです。自分は中井ファンでもあるので、出来れば「師匠」から。

「竜王は二十歳」

 読売夕刊の連載、まだ完結していないようです。自分は他の新聞なので、毎日連載して、とっとと終わらせてくれー。
 第二回では、将棋の研究法、パソコンの利用法などについて紹介している。自分は「情熱大陸」のパソコンを利用した棋譜検索の場面を見て、「あれぞ、現代的な渡辺将棋の象徴」みたいなことを、このブログでトクトクと説いてしまったことがある。実は、これが大ハズレ。奨励会時代は、研究には全くパソコンを使わなかったそうである。谷川や羽生の棋譜を、実際に盤に何度も並べて、体で覚えたという。

 「パソコンで他の棋士の棋譜を全部並べるのは趣味。イメージと現実は違うんです」といって渡辺はけらけら笑った。

だってさ。まいったね。まあ、本人には何の責任もないわけだが、「情熱大陸」見て騙されたのは、多分自分だけではないはずだぞ。その意味でも、盤に並べる研究法を紹介していたNHKのほうが、やはりしっかりした内容だったといわざるをえない。(もっとも、両者では狙うところが違うんでしょうけどね。)
それでも、あえて言っておくと、たとえ「趣味」であっても、すごい速度で棋譜を見ながら、ちゃんと各将棋のポイントや将棋界の趨勢を的確に把握していて、無意識のうちに実際の将棋にきちんと役立てているのに違いない。(「まだ、そんな事いうか!」自己ツッコミ。やっぱりちょっと苦しいね。)
あくまで「イメージ」に過ぎないのかもしれないが、彼の話や文章にふれていると、将棋指し以前の「聡明さ」とか「あかるさ」を感じるので、パソコンがピッタリ来てしまうのだよ。本人も気づいていない自己の本質ということだってあるし(「そんなこと言うのは負け惜しみだよ!」再度、自己ツッコミ。)

谷川浩司著「ちょっと早いけど僕の自叙伝です」

 最近谷川棋王が、すごい勢いで本を出版している。それも、将棋本以外の、古田選手との対談本など、人生論的なものを。不惑を迎えて、そうしたことを大いに語りたくなっているのだろうか。
 そういえば、最近「勝手に将棋トピックス」でも紹介されていた読売大阪のインタビューの記事印象的でした。「『一番にならなくてもよい』ではなく、一番を必死に目指すべきであって、その結果なれなかった場合はしょうがない」という発言、ちょっと「すごい」っすね。スポ根ドラマで、例えば「エースにねらえ」(古い)の宗方コーチあたりが言いそうである。いや、宗方コーチなら、「一番になれなかったら死ね!」というか。 
 いかに谷川さんの発言とはいえ、老荘思想をフェイクで愛する自分としては、ちょっと「ハイそうですか」といって受け入れる気にはならないです。もっとも、あのまっすぐな谷川さんが言われると、ぜんぜんイヤミでないし、ある程度納得してしまうのですが。やはり人柄ですね(ヨイショ)。
 ところで、実は自分にとって谷川将棋というのは、分かりやすそうでよく分からないところがあります。昔は「光速の寄せ」の表現通りの将棋だっただろう。しかし、羽生世代と戦い続け、将棋の質自体が変化するのに応じて、当然谷川将棋も大きく進歩、変質しているはずだ。谷川将棋をテレビなどで見たり、プロの言っていることを総合すると、むしろ「老獪」という表現が、今は適切なくらいなのではないだろうか。その辺、そろそろ谷川将棋の現在について、誰かプロの方に再分析してもらいたいものです。
 さて、谷川本を、少し前のものから手当たり次第に読んでみて、谷川将棋を考えるきっかけにしてみたいと思っています。「谷川浩司全集」のほうは、「ものぐさ」なので後回しに・・(笑)。(少し読んだことがあって、芹沢八段との対局戦記がとても印象的だったことくらいは、一応言い訳がましくいっておこう。)
 さて、今日はタイトルの本について。(自分が読んだのは、大幅に加筆した角川文庫版。)羽生さんが出だした頃とはいえ、まだ第一人者としての自信にあふれている頃に書かれた本である。タイトル通り、幼少時時代から現在に至るまでを、自叙伝的に述べている。
 自分は、谷川さんは、すごく真面目でデリケートな人間だと思っていた。しかし、それは、羽生さんとの戦いを通じて醸成されたイメージなのかもしれない。実は、「心臓に毛の生えた」ところもあるようだ。例えば、書道の練習をするのに、テレビが回っているときには、見事な筆の運びをしていたのが、カメラが止まったとたんに、字の生気が失われたそうである。 それ以外にも、何事にも動じない、実は図太い神経であるエピソードが紹介されている。もっとも、あれだけの大棋士になるには、そういう要素がなければ無理なので、当たり前ともいえるが。
 それと、谷川さんのユーモア、サービス精神も知ることが出来る。谷川さんは、若い頃に田中虎彦八段や森九段に、かなり挑発的な発言をされた。それはそれでファンサービスとしてよいことだと断ったうえで、次のように書いている。

私自身もこれからはそんな発言もしようかと、いろいろ考えてはみたのである。
 田中八段にはこんなところではどうか。
「髪伸ばして、髭なんか生やして、悪い子ぶっちゃって、このォ。知ってるぞ、ほんとは優しい人だって」
 森王位には、
「いきなり坊主頭にしても誰も驚かないぞ。坊主にしたってもとがいい男なんだからな」
・ ・・・・どうも、これでは太鼓持ちのヨイショである。

 これって、全然谷川さんらしくなくて、すごくないですか。引用を書き写しながら、笑いをこらえることが出来なかった。谷川さんも、やっぱり「関西」の棋士なのだと再認識してしまう。実は、谷川さん、こういうことを、もっと言いたくて仕方ないのではないだろうか。そうしても許される年齢になったのだから、今後大いに期待したいところです。

王将戦第一局、週刊将棋渡辺明単独インタビュー

 今頃、もう王将戦第二局の結果も出ていると思いますが、いまさらながら第一局について。
 なんといっても、「5一桂」の羽生マジックが話題の的になっていた。「ジャーナル」「丸ごと90分」「週刊将棋」ともに、素直に「マジック」を認めていました。しかし、自分には、安易に「羽生マジック」と呼ぶことに疑問を呈していたネット上のブログのほうが、説得力があって深いように感じた。(しかも、対局直後に書かれているのだ。)
「せんすぶろぐ」の2005-1-12「と金通信局」の2005-1-15、それにしても、このお二人、めっちゃ強いね(笑)。
 ジャズなど音楽の世界に「ブラインド・テスト」というのがある。演奏者を言わずに音楽を流して、誰なのかを当てて耳の確かさを競い合うというマニアックな遊びである。将棋の棋譜でも、適用可能だろう。「羽生マジック」についても、たぶん「羽生さんが指したから」、という先入観が大きいのではないか。羽生さんの棋譜を、アマチュアの棋譜だといって見せたら、「特にどうって事ない」とか「奇をてらいすぎ」とか、酷評する輩が出てくるのでは(笑)
ちなみに、自分など、アマチュアトップの棋譜を、過去のプロのタイトル戦だといって見せられても全く分からないだろう。それだけ、プロの将棋の場合、解説するプロの役割と責任も大きいのだ。「羽生マジック」、便利な言葉だけど、なぜ羽生の終盤がすごいのかを、出来るだけ具体的に解説してもらいたいものである。
 それ以外に、目に付いたのは、伊藤果七段が、羽生さんの「1五香」、下段からではなくうった柔軟性に感心していたこと、それと、鈴木八段が、森内さんの「5六歩」以降の構想に感心していたこと。特に、鈴木八段の指摘は、いかにもプロらしいところに着目していると感じた。
 今回、第一局のこともあって、圧倒的に羽生ノリの声が多いようだが、第一局も、初日森内さんが巧妙な構想でリードを奪うという展開は変わっていない。必ずしも、二局目以降、すんなり羽生さんが勝つとも思えないんですけどね。
 それと、自分は羽生さんの初日の時間の使い方に注目していたのですが、特に今までと変わりないようです。考える必要のある「相振り」だったからかもしれないが・・。竜王戦の渡辺さんのようなやり方を参考にするかとも思ったが、よく考えたら、もし有効だと思っていても、「真似」するようなことは羽生さんのプライドが許さないでしょうね。

週刊将棋渡辺明単独インタビュー

 とにかく、言うことに曖昧なところが少しもない。竜王ともなったら、少し気取ったことのひとつも言いたくなるところなんじゃないかと思うが、なんのてらいもない言葉が続く。そういう明快さは、そのまま渡辺将棋の特徴だと思う。 
 羽生二冠などは、もう少し抽象化、理論化して発言する傾向がある。勿論、話す相手次第だけど、吉増剛造氏との対談など、ほとんど将棋指しの発言の範疇をはるかに超えてしまっていた。
 一方、渡辺竜王の発言は、常に地に足がついていて、「渡辺流プラグマティズム」とでも呼ぶべき態度を徹底させている。根っから、合理的で、実際的な勝負師なのだと感じる。そういうシンプルで明晰な姿勢を貫くことは、実は結構難しいことではないだろうか。
 自分など、個人ブログなのをいいことに、色々推測などを交えて、渡辺竜王について勝手に書きまくっているわけだが、もし本人が目にしたら、「それは違いますね。」と、片っ端から冷静に訂正されてしまうこと間違い無しである(笑)。

 前回、眞鍋かをりを、「セクシー・アイドル」と書いたら、ある人間から、そんな言い方をするのは完全にオヤジであって「グラビア・アイドル」が正しいと指摘されました。ほっといてくれ!知らんわ、そんなこと。

中平邦彦著 「西からきた凄い男たち」と再び「棋士・その世界」について

 
 中平氏の近作は「続・棋士・その世界」とでもいうべき本である。地元の関西の現役棋士、往年の名棋士、羽生などの現代棋士、そして地元の谷川について存分に語っている。とても楽しいし、読む価値は十分ある。しかし、その一方で「棋士・その世界」が、それ以上にいかに優れた本かを感じずにはいられなかった。
 思うに、「棋士・その世界」を書いたときに、著者の心には書きたいことが山ほどたまっていたのではないだろうか。それが、ごく自然に、飾らない文章として形を成したといった印象がある。博識や雑学に邪魔されない、純粋な文章の喜びがあり、また、描く対象の往年の棋士たちが、筆者のスタイルに見事なまでにマッチして絵のようにはまり込んでいる。文章のスタイルとしては、坂口安吾の将棋観戦記のようなタイプがはるかに自分の性には合うのだが、個人的な趣味とは関係なく、直接心に訴えかけてくる力がある。いろいろな条件がうまく組み合わさって出来た名著だと思う。(特に、後半の各棋士論の部分。)

NHK杯、先崎八段の「ウッカリ」が出てしまって残念。わりと先崎さんは、その辺正直に言う方なので、多いようにも感じるが、全てをありのままに告白すると、プロ棋士って、どの程度対局中に「ウッカリ」するものなのだろうか。
 
 今日は、古田さんのブログに行った勢いで、トラックバック数のライバル、眞鍋かをりさんのブログにまで出向いたよき日でした。セクシーアイドルだからって、なめる事なかれ。これがなかなか面白いし、読ませるのだよ。クセになりそうな自分が怖いです。
 もし、今後自分の文体に微妙な変化が現れたり、絵文字を使い出したりしたら、眞鍋かをりの影響だと思っていただいて結構です♡♪

「反則」の古田敦也公式ブログトラックバック用記事

 今日はネタがないので、完全な反則攻撃に出ます。古田さんが将棋ファンなのをいいことに、臆面なくタイトル通りのことをやらせていただきます。

古田さん、谷川棋王の自筆原稿が、ファンサイトで読めるってご存知でしたか。最新ノートでは、今岡選手との駒落ち戦のことを書いていて、古田さんの話題もちょっと出ていますよ。
「光よりも速く」の光速ノート65
古田さん、今話題の渡辺竜王が、ネットで日記書いているってご存知でしたか。これがまた面白くて、また、竜王戦の「読み」の内容も紹介されたりしていて、絶対古田さんなら読まれたいのでは。
「若手棋士の日記」
古田さん、それ以外にも、実に面白い将棋ブログを個人で書いておられる方がたくさんおられるんですよ。右のリンクの欄など参考にして、よかったら遊びに行かれてください。

さて、今日のこの記事、個人的には大満足であり、会心の出来なのですが、恐らく「将棋ブログ界」(そんなものがあるとしたら)内での信用失墜は間違いなく、こんなことを書いているようでは、本サイトは近日中に閉鎖に追い込まれるものと思われます。
それでは、皆さんのサイトを古田さんがご覧になることを祈りつつ。残念ながらその可能性は、きわめて低いものと思われます。さようなら。

持将棋ルール、棋士別成績一覧、Googleについて


持将棋ルールについて
 持将棋ルールについて、「と金通信局」の エリオスさんが、「無条件の引き分け」案を提唱されている。「相手の玉を詰める」という将棋の基本ルールを考えると、本質的には「引き分け」が理にかなっている。ただ、なるべく勝負をつけようということで、現行の「判定ルール」が出来たのだろう。しかし、誰がどう考えても、心底納得いく判定法でないのが問題なわけだ。
 また、「相手玉位置への自玉トライルール」だと、勝敗に二つの基準が混在してしまうという、エリオス氏の指摘ももっともである。面白いアイディアであるのは確かなので、簡単に捨ててしまうのはもったいないとは思うが。
 自分には、どうすべきか正直よく分からないが、とにかく再検討の必要があるのだけは間違いない。将棋連盟や、棋士たちは真剣に議論してみたらどうだろう。ルールの改善につながるだけでなく、話題づくりにもなってよいと思うのだが。

棋士別成績一覧
 「将棋連盟 棋士別成績一覧」というすごいサイトがある。見ていただけければ分かるが、男女問わず文字通り「成績一覧」が一目瞭然である。どこかのサイトみたいに意味のない長文を量産しているところとは違って(すなわちココ)、確実に「役に立つ」サイトである。
 例えば、自分は前に少し書いた岩根忍の全成績を見てみた。知らなかったのだが、既に清水さんと二度戦って負けている。矢内さんにもやられている。でも、それ以外は全勝だけど。やはり、「有望だけど、タイトル取るのはそう簡単じゃなさそう」ということだ。
 清水vs岩根は、「鹿島杯」で実現していたようだ。そういえば、最近見るのを忘れていた。昔、目黒貴子さんが司会のころは、彼女のボケボケぶり(失礼)が可憐でよく見ていたんですけどね。

Googleについて
 最後に超個人的な話題を。少し前から、ここにGoogleの検索経由で来てくれる方もチラホラ出てきた。ちょっと気になって、自分でも「将棋 ブログ」とか「将棋 ものぐさ」で検索をかけると、随分早い段階で、本サイトが出てくるので驚いた。ところが、ある時期からURL (http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/)
だけ表示されて、サイト名も本文紹介も出ないという変な状態になってしまっているのだ。
自分は、サイト登録の作業など、一切していない。多分、Livedoorでブログを書くと、自動的に登録作業等をしてくれているのだろう。だから、Googleに出てくるだけで、個人的には大満足なのである。しかし、なぜそんなことが起こるのか、Googleでのサイトの表示順位の基準がどうなっているのかなど、謎が多い。
 どちらにしろ、ただ文章書いているだけでよいのだから、皆さんブログを始めるならLivedoorにしましょう。(笑)
 
 王将戦第一局、すばやくふれているブログが結構ある。ネットならではなのだが、残念ながら自分には、そうする「棋力」も「有料契約」も「生観戦する時間」もない。くやしー。いいのさ、「ジャーナル」や「丸ごと」や「週刊将棋」をじっくり見てから「後出しジャンケン」してやるんだから。(あんまり意味なさそうだなあ。)

中平邦彦著 「棋士・その世界」

 
 誰にでも、なんとなく訳がわかないけれども、ぴったりくるという本があるだろう。自分にとってはこの本が、まさしくそう。この本を始めて読んだのは、高校生のときか大学生の時か、忘れてしまったくらい昔のことだ。初版が、それよりも前の昭和49年というのだから、三十年前の本だ。
 一言でいうと、古きよき時代の棋士たちを、淡々とした筆致でしみじみと描いた本である。しかし、鋭い人間観察の裏づけがあって、決して「退屈」ではない。筆者独特の美学とスタイルに支えられた文章が本当に好きだった。久しぶりに読み返してみたが、やはり素晴らしいと思った。最近、自分はこのブログで「新時代の将棋」というようなことを、少し力みがちに書き連ねてきたわけだが、そんなことがどうでもよいと感じられるくらい、懐かしさがこみ上げてきて「やっぱり、昔は良かったなあ」という禁句がつい口からこぼれ出てしまう。 
 特に後半の、個別の棋士をとり上げた部分は、いったい何度繰りかえし読んだことだろう。将棋学徒小堀の一途さと孤独。天才芹沢の華やかさと自虐と絶望。大野の毒舌と子供のような人のよさ。謙信と良寛を兼ね備えた原田の人間的魅力。関根の実直さ。灘の昔かたぎの頑固さと豪快さ。塚田の飄々とした姿。有吉の熱血と明るさ。真善美を追及する加藤の純粋さ。まれにみる才人丸田。正直者の佐藤大五郎。人の良さと世代特有の屈折を共有する二上。さわやかで自由奔放な米長。繊細で華やかな内藤。そして、巨匠大山、大スター升田、若き日の中原。どれもこれも忘れがたい。本当に読むのは久しぶりだが、ほとんど全部記憶していたので我ながら驚いてしまった。
 勿論、昔の棋士だって、ただきれい事だけで済んでいたわけではないだろう。しかし、この本は、棋士の美点だけを、決して表面的な建前に陥ることなく、しっかり浮かびあがらせていると思う。現代の、何もかもが知れわたってしまうジャーナリズムでは到底不可能だろう。自分が、本当に懐かしく感じたのは、昔の棋士に対してというより、棋士に対する書き手の絶妙な距離のとり方、書き手と棋士の関係性に対してなのかもしれない。別に、ファンは棋士と日常付き合うわけではないのだから、何もかも全て知る必要などなく、棋士の本質的な美質だけを知ることが出来ればそれで十分なのだ。
 あーあ、本当に昔が懐かしいという気持ちが、どんどんこみあげてきて、どうにも抑えることが出来ない。自分もそれだけ歳をとったということか。

渡辺竜王成人の日、「一葉の写真」「聖の青春」

米長永世棋聖がHPで、渡辺竜王のことを書かれています。それに対する渡辺竜王の日記での返事が、何というか、実に彼らしくて明快です。
 渡辺竜王は、将棋の技術をどんどん新しく進化させつつも、将棋界の伝統をしっかり踏まえて王道を行く人間なのだろうと感じました。勝つために、将棋の内容はシビアに追及し続けながらも、将棋界が今まで築き上げてきた伝統に対する素直な尊敬や畏敬の念も、しっかり抱いているようです。もともと、すごく素直な人間性をしていると思いますし。
 それにしても、米長永世棋聖に遠慮せずに反論したり議論をできるのは、やはり「大物」だし、大したものです。
 NHKのミニドキュメント、凝縮されたよい出来でした。「情熱大陸」では、パソコンでの棋譜並べ、NHKでは、実際に盤に並べる棋譜研究が紹介されていました。「精読」と「乱読」をうまく組み合わせるのがポイントなのは言うまでもない。両方大事なのだろうが、やはりパソコンの利用法の方に人とは違う情報処理能力が発揮されているような気もします。「谷川将棋を並べた」のは、無論精読の方だが、「羽生ではなく谷川」というチョイスの理由を知りたいところです。
 「自分より強い人がいる」というのは、前にも書きましたが、冷静な自己客観視能力の現われであって、恐らく社交辞令でなく本音でしょう。その一方で、努力すれば誰をも超えられるという深い確信は心にしまっているのだと思います。

先崎学著「一葉の写真」
 いまや、「印税生活者」?の先崎八段の、ごく初期の本。基本的には、おなじみの「先崎スタイル」だが、若いだけにより率直に真情を吐露している側面が強くて面白い。特に、若い頃、麻雀に明け暮れ、思いっきり遊び、将棋に命をかける姿は、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」を実生活で地で行くといった趣がある。今本人が、読んだら少し恥ずかしいのではないかというくらい「青春」している。現在の先崎さんの文章が好きな人は、是非読まれるとよいと思う。
 本とは直接関係ないのだが、麻雀に関連して、先崎八段も仲良くされていた安藤満プロが若くして亡くなった。スカパーのモンドで、プロの麻雀棋戦が見られるのだが、安藤プロ、非常にオーラが強くて魅力的な人だった。また、麻雀の技術を、単なる博打でなく、プロとして高め、極めようとする姿勢も強く持っていたようだ。先崎八段も、「男はつらかバイ」(「フフフの歩」所収)で、安藤プロの姿を活写している。また、自分が大ファンの西原理恵子の漫画にも、よく登場していた。えらい、ムチャクチャな人間として描かれているのだが、西原女史、本当に安藤プロのこと好きなんだなあという感じがよく出ていた。

大崎善生著「聖の青春」
 何でいまさら改めて紹介する必要があるのかという本だが、実は自分はごく最近になって読んだ。自分は、村山聖が亡くなった時の、棋士仲間や将棋ファンの真情を、これっぽっちも疑うものではない。しかし、それが一般の世界にまで、あまりに美化して語られ始めるにいたって、天邪鬼な自分は、少しさめた気分になってしまった。この本についても、すぐに読まずに、しばらくたってから、一人落ち着いて読もうと思っていて、そのまま忘れていたのだ。しかし、やっぱり、素直にすぐ読むべきでした。読めば分かるという種類の本であって、余計なコメントや解説は一切必要ない。もし、自分のように読みそびれた人がいるなら、書店に直行して黙って読むべき。
 もしも、何かひとつ内容について言うとしたら、題名を「森信雄=村山聖師弟物語」と変えてもよいということ。村山聖とともに、森信雄も間違いなく主役である。読んでいて、森と村山は、まさしく出会うべきして出会ったのだと、思わずにはいられなかった。ちなみに、今話題の山崎隆之は、森の弟子。彼の、独特のキャラクターは、本人がもともと持っている以外に、森や村山の大きな影響無しに語れないのではないかという気がする。

現代将棋の変化や将棋ルールなどをめぐって(羽生新春対談について)

 今日やっと、近所の図書館で羽生=小林研一郎対談のオリジナルを読みました。(梅田氏の要約で、ほぼ十分紹介されきっています。)相変わらず、ちゃんとした考えがまとまっているわけではないが、以下いくつかの論点について書き散らしておきます。

 崗棋というゲームを突きつめると、つまらなくなる可能性がある」ことについて。
(参考「勝手に将棋トピックス2005-1-6」「My Life Between Silicon Valley and Japan2005-1-3」
「お互いにミスがなく、完璧に近いとかえってドラマチックでなくなる可能性がある」(羽生二冠)
 現代将棋一般について述べているのだろうが、「もず」氏の指摘の通り、先日の竜王戦のことを、すぐ連想してしまう。「お互い将棋が、かみ合っていない」という言い方がされていたが、恐らくそういうことではないのだろう。すなわち、二人とも、最短距離の紛れのない勝ち筋を発見する能力が並外れて高いために、一度差がつくと、紆余曲折の生じる余地がなくなり、一見つまらなく見えてしまう。しかし、それはあくまで二人が最善を尽くして、また能力が高いためである。つまり、「つまらなく」見えても、プロが内容をしっかり説明してくれさえすれば、アマチュアにも水面下のスリリングさ、将棋の厳しさ、芸術性の高さを味わうことは可能であろう。 
 よく、「将棋の醍醐味は終盤のねじりあいにある」といわれるが、その考え方も再検討すべき時点にまで、将棋が進化しつつあるのかもしれない。確かにもどちらが勝つのか分からない終盤くらい見ていて楽しいものはない。しかし、そういう終盤の混乱を事前に封じこんでしまうというのも、立派なプロの技術だと思う。「もず」氏が、「羽生二冠こそ中盤を圧縮して、終盤を考えることができる能力が高いといわれる」と指摘していたが、今回の渡辺竜王の将棋を見ていて、同じようなことを強く感じた。
 お互いミスをしたほうが面白くなるといっても、指す棋士の立場としては意図的にそうするわけには行かないし、またミスの少ない将棋のほうが当然レベルが高いわけである。よく、「最近の将棋は人間味がなくてつまらない」という言い方を耳にする。確かに、表面的にはそういうことも言えるかもしれないが、「一見つまらなく」見える将棋に隠された、プロとしての将棋への突き詰め方のすごさとか、高い技術などを理解すれば、十分楽しむことはできるのではないだろうか。そして、それは別に将棋が強い人間だけに可能なのでなく、プロの棋士やプロ棋戦について書く人間が、きちんとアマチュアに説明しさえすれば、最低限の棋力さえあれば、「普通の将棋ファン」にも可能だと思う。
 ついでに言えば、将棋に人間的な戦いの味「だけ」を求めるのは、どんなものかと思う。自分は結構古いファンなので、中原、米長、加藤といった諸先生方の「人間的過ぎる」戦いの面白さはよく分かっているつもりである。しかし、それは、あくまで将棋の技術をきちんと追及した上での付加的部分に過ぎない。むしろ、将棋の技術を追求することを度外視して、ただ「人間味」を求めたり「昔は良かった」というのは、あまりに皮相的ではないだろうか。また、現代の棋士についても、将棋自体はシビアで「一見つまらなく」見えるにしても、例えば日記を書いている渡辺竜王にしても、関西の山崎六段にしても、実は人間的魅力は十分なのである。
 とにかく大切なのは、内実、実質の充実を追及して高めることである。それが、一見合理的過ぎて、つまらなく見えても、本当に合理性を追求したものには、確実に「美」が存在すると思う。大山に関連して何度も名前を挙げている坂口安吾も「日本文化私観」で、そのような意味のことを述べていて、自分は昔から深く影響されている。日本文化の場合、何かと内実の伴わない「伝統文化」が称揚されたりするが、どんなに外見が麗しくなくても、内実さえ伴っていれば良いのだ。
 先日、渡辺竜王の竜王戦の総括について書いたときにも、そのことをいいたかった。渡辺竜王の将棋は、徹底的に合理性を追求しているのではないかと思う。そして、そういう将棋はえてして「つまらない」と言われがちなのかもしれないが、そうした徹底的な合理性の追及にこそ、自分は本当の「美」を感じるのだ。極端な話、和服を着て対局しようがどうしようが、本当は、そんなことはどうでもよいことなのである。
 棋王戦で実現した、谷川vs羽生戦は、ゴールデンカードのわりには、将棋が一方的になってしまってつまらないことが多いといわれる。その原因も、実は今述べてきたことに関連があるのではないかという気がする。つまり、お互いに完璧度が高いので、一度差がつくと「つまらなく」見える将棋になるという意味で。
 羽部二冠と「かみ合って」面白い終盤になるといわれるのは、佐藤棋聖、郷田九段あたりである。郷田九段は、現代的な棋士とは程遠い個性的な存在である。また、佐藤棋聖も「緻密流」といわれるが、それは読む力が恐ろしく深いという意味であって、先崎八段が評していたが「実は良い意味でアバウトな将棋」というのが、正確なのかもしれない。要するに、終盤の力自慢の者同士が戦うと、やはり面白い終盤になるということではないだろうか。

⊂棋というゲームのルールについて
梅田氏の指摘の通り「突きつめるとつまらなくなる」のは、将棋だけのことでなく、あらゆるゲームに言えることなのかもしれない。その意味では、将棋のルールについても、タブー視せず検討を加える価値がある。
当面、第一に検討の対象になるのは「持将棋」についてであろう。現行ルールだと、持将棋になると、突然まったく別のゲームになってしまう。24などで「点数足りていますか」などとチャットしながら指すのくらいバカバカしいことはない。 
これについては、前回も紹介したが、鉄人六十八号氏の「持将棋と千日手」が、とても参考になる。実は、「相手玉の位置に自玉がトライしたら勝ち」というのは、先崎八段も、確かエッセイの中で主張していたと思う。最初、先崎八段の秘密サイトかと思ったくらいである。(笑)しかし、氏は、二十年前に既にそのルールを提唱し、なおかつ、改善修正案まで考えておられるのだ。先崎八段に教えてあげたいものである。
ちなみに、そういうルールになったら、実際どの程度の影響が出るのかは、自分の棋力では全く予測不能である。ただ、丸山九段あたりは、そのルールをいかした「定石」を生み出すくらいのことはしかねないのではないかという気がする。(ちょっと失礼な冗談)
 
F本将棋の美学について
羽生二冠の発言。「日本の将棋は、凝縮と純度の高さが特徴、俳句や短歌に通じる行間を読む日本文化らしさ」「チェスが、ダイナミックで直接的な力のぶつかり合いなのに対し、将棋は微細な違いが大きい違いになる。」いまさらながら、これだけ質の高い内容を対談で言える羽生二冠の表現力に感心させられる。
ただ、将棋の特徴についての説明はちょっと意外だった。将棋は一度死んだ駒を再利用できる特殊なルールなので、将棋が、もっとも直接的な力のゲームなのではないかと思い込んでいたので。(なにしろ、自分は将棋以外のゲームに無知なので困ってしまう。)それよりも「駒の力を小さくした」というのが、ポイントとして大きいのだろう。ただ、俳句や短歌との具体的なつながりや共通性、行間を読む、ということについては、もう少し説明を聞きたかったところである。

小林研一郎氏の、プラハの春については、やはり日経の記事でも紹介されていました。(ちなみに、自分が行ったのは去年の来日でなく、もっと数年も前の公演です。)テンポの速さについて述べていることなど、古楽器派の主張と関連させて論じてみたいのですが、これ以上書いたらさすがに迷惑だと思うのでやめておきます。(笑)
 
古田捕手が、ブログを始めたそうです。野球のことだけでなく、将棋のことにもたまにはふれてもらいたいものです。
古田敦也公式ブログ
たくさんトラックバックが欲しいということなので、早速この記事を送ってしまおう。有名人のブログにトラックバックするのは、自分が他で書いている音楽関係ブログで、奥田民生の「OTブログ」にして以来です。ああいう有名人のブログの場合、トラックバック数が多いので、わりと気楽にできるのがよいところです。

羽生二冠の年頭対談について

 「勝手に将棋トピックス」を、真面目に読んでいます。とても勉強になる一方で、ブログを書く意欲がどんどん失われていきます。(笑)
 最近では、羽生二冠とコバケンさんの対談についての記事が白眉。 
 (コバケンさんの方で言うと、なんと言っても、プラハの春でチェコフィルを振った「我が祖国」が最高でした。実は、それより前のチェコフィルの日本公演の時、自分はコバケン指揮の「わが祖国」を聴いた果報者である。普段、某ピアニストとは全く違う低俗な意味で「コンサートは死んでいる」とうそぶいて、めったに出かけないのに、気まぐれ起こして行ったのが、大当たりでした。) 
 さて、「勝手に将棋トピックス」で紹介されている、ご本人を含めた三人のきわめてハイレベルな意見は次の通り。
 「もず」氏  「羽生善治二冠の対談」「将棋の最善と面白さと」
 梅田望夫氏 「羽生さんの日経元旦対談が深いなあ」「ゲームの本質」
 将棋のルールに関して鉄人68号氏 「規則と戦法」「持将棋と千日手」 
 ハッキリいって、これだけ読めば、もうお腹いっぱいです。それでも、どんなに幼稚でもいいから自分なりの意見を書こうと思いましたが、考えがまだまとまりません。特に、将棋のルール自体に話が及んでは、全く手が出ない感じです。まあ、気が向いたら、何か書いてみるかも知れませんし、あっさり断念してしまうかもしれません。 
 梅田氏と、鉄人68号氏のサイト、リンクに加えさせていただきました。我ながら、ムチャクチャなリンク集です。 
 うーん、今日の記事で、自分が書いたのは「コバケンのコンサート行きました」ということだけだなあ。

将棋サイト紹介など

 年末の「将棋丸ごと90分」、加藤一二三先生がゲスト。「自画自賛型解説」、サイコーでした。ほとんど笑い死にしそうになってしまった。あれだけ自慢して全然イヤミにならないのは、人徳としか言いようがありません。

 NHKの新春お好み対局、「岩根忍」の御披露目の場になっていました。地力が違う上に、穴熊で暴れるという作戦を取られては、他のペアーはなすすべがないでしょう。「4一角」の瞬間、羽生二冠が思わずもらした「強い・・」が、全てを物語っていた。
 ただ、彼女が、女流のタイトルを、すぐにでもどんどん取るかについては自分は疑問視しています。われわれアマチュアは、奨励会員を過大評価しがちなので、「一級」と聞くと、驚いてしまう。しかし、千葉女流や矢内女流の例もあるように、中井さんも清水さんも、「奨励会員」にビビったり、すぐ負けるほどヤワとは思えないのですが、どうなることでしょう。

 突然ですが、リンクについて。色々考え方があるのでしょうが、インターネットでは、自由にリンクしあってよいという原則を尊重したいと思います。よく日本では「このサイトはリンクフリーです。」という文句を目にしますが、アメリカなどでは、そもそもそれは無条件の前提になっていて、そうした言い方自体が日本的でおかしいという意見もあるようです。やはり、日本の場合「認可制」的思考様式が、実際の官僚制のみならず、一般の人間の考え方にまで、無意識に浸透しているのかもしれません。(但し、将棋について、例えばファンサイトを運営している人が、棋士に迷惑をかけないよう、リンクをチェックするということなどは、心情的によく分かります。)
 とにかく、そうした考え方にのっとって、もったいぶらずに、気がついた将棋関係のサイトへのリンクを、右の欄にどんどん張ることにします。今回は、一覧だけですが、気が向いたら、サイト紹介文も書いたりして、さらにおいおいサイトも追加もしていくつもりです。お世話になっているLivedoorの将棋ブログも、律儀にも(笑)ちゃんと紹介しておきます。(「Livedoor Blogの将棋」のページで、記事を全部見ることができるようになっています。)
 ちなみに、「当サイトはリンクフリーです。」(笑)

また、ブログをせっかく書いているのだから、「トラックバック」と「コメント」機能をもっと使いたいと思っています。特に「トラックバック」は、自分の書いた記事を、ただ送ればよいだけなので、気楽でネットらしい良い機能だと思います。もっとも、自分もイザ送ろうとは思っても、やはりつい遠慮してしまっているのが現実なのですが。恐らく、日記とブログの根本的な違いだし、インターネット的な自由で活発な情報交換のための優れものの機能といえるでしょう。しかし、このサイトに限らず、有名将棋ブログでも、まだ十分活用されてないのが現状のようです。
 ちなみに、自分のところは「トラックバック」も「コメント」も大歓迎なので、よろしかったら気楽にされてみてください。(笑)あと、渡辺竜王あたりが「日記」から「ブログ」に転向してくれるとうれしいんですけどねぇ・・。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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