2007年08月

王位戦第五局、銀河戦 佐藤二冠vs中田宏樹八段、将棋世界2006/7「佐藤新手の謎」

王位戦第五局、なんと言ってもインド人もビックリ?なのが、▲9七同玉!(いくつくらいこのマークをつければいいのでしょう)でした。私が深夜酔っ払って24で30秒将棋を指しているような手である(笑、いや我ながら笑えない)。
銀桂交換でも、相手が歩切れということ以外思いつかないわけだが、深浦さんが怒ったように?猛攻をかけた最強の手順できたところを、きっちりカウンターして、最後は私でも分かるような一気の寄せで完勝。もっとも、深浦さんの指し方も、平然と銀桂交換を許したのをとがめようという意図、歩切れなのでゆっくり出来ないということで、方針としては理にかなっているのかもしれません。なんか、第三局の終わり方と似ていますね。
▲9七玉は、羽生さんらしい常識にとらわれない手といってしまえばそれまでですが、無論、きちんとした合理的根拠があるわけで、それを詳しく具体的に知りたいところです。

銀河戦、佐藤さんがまた新趣向を見せてくれました。後手無理矢理矢倉のような出だしから、△4三金から向かい飛車で、しかも穴熊!(また、このマークいくらあっても足りません)。どシロウトでも、この形で穴熊にするのは「バランス悪っ」と言いたくなってしまうのですが。
以前、佐藤将棋について書いたとき、佐藤ファンの方から、「佐藤将棋の序盤は、少しでも得を追求しようとする合理性だ」という意味の指摘をいただいて納得しました。本局の場合、居飛車側に穴熊に組ませず、自分は最後まで囲えなくても、とにかく玉を攻めから遠くして、玉形の差で戦うといったことなのでしょうか。いや、そんな大雑把な話のわけはありませんが。
しかも、解説の森内名人もビックリの△5四歩の最強のツッパリで乱戦に持ち込み、最後は戦いながら鉄壁の遠い、遠い穴熊囲いを作り上げて圧勝。佐藤将棋も、やっぱり魅せてくれます。

この前、調べものがあって図書館に言ったときに、将棋世界のバックナンバーに「佐藤新種の謎」があったので読んでみました。週刊将棋の特集以上に踏み込んだ内容で面白かった。
王位戦対羽生での△1二飛車の「ニート飛車」(週刊将棋記事の命名)。王座戦対羽生の「モノレール向かい飛車」。どれもこれもすごいのだが、佐藤二冠自身の具体的説明を聞くと、やはり「合理性」を考えて指しているようです。いくつか、佐藤将棋を考えるポイントになりそうな部分を引用してみます。
「力戦とか奇襲とか言われますが、自分としてはいつも理論的に最善の手を積み重ねているつもりなんです。それがたまたま、変わった形になるだけで」
この記事を読んで、具体的にこの発言の意味が、なんとなく分かった気がしました。
「(初手△3二金をタイトル戦のかどばんで指したことについて)大事な将棋だからこそ試す価値があるんです。」
最近羽生さんが負けると苦しくなる王位戦で、勝率の悪い後手角換わり腰掛銀同型を採用したのを連想しました。
「僕は序盤で思い切った手を指す時はその前に必ず自問自答するんです。これで負けても悔いはないか、と。そして悔いがないと確信がもてたときだけ、その手を指すようにしているんです。」
うーーん、男らしい(笑)。
「僕の場合、無駄な手を指しているかどうかが、序盤の形勢判断の基準になっている気がします。」
多分これが一番のポイントなのだろう。この考えを本当に徹底して推進すると、一見「普通じゃない」佐藤序盤になるということのようです。
「(あるインタビューの中で「自分の目標は将棋の必勝法を見つけることだ」と言ったことについて)あきらめることはしたくない。じぶんがやっていけば、なんとか見つかるのではないかと思っています。将棋を勉強しようという意欲も、好奇心も探究心も、つまるところそういう意識から生まれるものだと僕は思っているんですけど。」
佐藤康光とは、羽生善治とは、また違った道をたどって、将棋の神様に近づこうとしている棋士なのだ。
NHKの講座で、高橋和さんをアシスタントに入門講座をされるそうです。どうしても「普通じゃない」のを期待してしまうんですけどね(笑)。

銀河戦 渡辺竜王vs片上五段

いきなり片上五段の和服姿が目に飛び込んできました。気合とサービス精神なのでしょう。ただ、はきなれない袴がすこし乱れてしまったのを、森下=伊藤の明るい解説コンビにすかさずツッコまれていたのは、ご愛嬌でした。
戦形は矢倉。話題の勝又清和著「最新戦法の話」を最近読み始めたところ。誰もが褒めているので、何か違うことを言いたいところですが、やはり素晴らしい名著のようです。第二章が矢倉。自分が振り飛車党なこともあって、複雑で変化が多くて、プロの矢倉を理解するのはあきらめていたのですが、約20ページの矢倉の章だけで、現代矢倉のポイントがバッチリ理解できてしまいました。勿論、細かいところは分かりませんが、戦形変遷の流れや主要戦術を、実に簡潔にエキスを集約して説明しています。
例えば、本局で言うと、片上五段が△8五歩を先に伸ばす形を選び、それに対し渡辺竜王が穴熊を目指し、△6四角と追い払われるのを承知で牽制する理由などが、ちゃんと分かってしまうのです。ちなみに、▲4六銀▲3七桂型での竜王の先手後手を合わせての勝率が、この本出版時ではなんと八割だということも記されていました。
先入観もあるのでしょうが、いかにも現代的な棋士同士の密度の濃い戦いでした。十二分な研究が行き届いた者同士が、バランスをとってそのまま中終盤になだれこみ、ほんの少しの手順の差で勝負が決まるという厳しい将棋。本局は、渡辺竜王がうまく終盤をまとめましたが、△5五角のタイミングを早めれば、まだまだ難しい将棋だったとのこと。
竜王は終始自然な指し手に見えましたが、片上さんのほうに、△2六桂、△3五歩、△8五飛、△6二金など印象的な手が多かったようです。逆に言うと、若干苦しぎみだったのでしょうか。
片上五段、ブログでは冷静な理知的な印象がありますが、対局姿は没頭型であきらめずに粘り強く指すタイプに見えました。
最後のインタビューで竜王が▲5四香で勝ちがはっきりした瞬間の心境を聞かれて「やっぱりチョッと負けたくなかったのでホッとしました」と言われてました。きわどい将棋だった本局に勝ててよかったという意味なのかもしれませんが、ある程度認めている相手に対するコメントと私は勝手に解釈しました。この二人の対局、これからもどんどん増えていくでしょうし、ネットファンとしてはもっともっと見たいところです。

将棋における直感思考について理研、富士通が共同研究プロジェクトを開始

すこし前の話題なのだが、とても興味深いテーマ。

理研、富士通、将棋連盟が共同プロジェクトを開始プロ棋士の小脳を研究して情報システムに活用
理研-富士通が脳機能活動に関する共同研究プロジェクトを開始

棋士が直感で手が浮かぶというのは、考えてみれば不思議なことである。その直感思考に科学的にメスを入れようという試みで、「小脳理論」という仮説を用いる。
人間の小脳は運動に関係する情報処理を行っているとされるが、直感やひらめきも小脳が行っているというのが「小脳仮説」。直感は人間にとって無意識の思考だが、それが可能なのは、大脳が意識的に考えた観念、概念が、小脳に内部モデルとして転写されるためである。プロ棋士の直感思考が可能なのも、この小脳の働きに関係があるのではないかとして、4テスラfMRIという高精度の計測機器を使って、棋士が考えている際の脳の働きを科学的に調査する。
富士通は複雑化する情報化システムの安定運用のための知見を期待して協力する。将棋連盟も全面協力の構えとのこと。将来的にはタイトル保持者も実験に参加させることを考えているそうである。
(詳しくは、一つ目のリンクで分かりやすく説明されているので参照ください。)
将棋界から見て期待できるのは、「直感」「第1感」「手が見える」として片付けられている思考プロセスが、少しでも明らかになること。いくら定跡の整備が進んでいても、個人個人の棋士がある局面で、なぜ最善手がパッと見えるのかは、全く分かっていない。よく見える人については「才能」として片付けられてしまう。しかし、「直感」機能といっても、合理的には莫大な意識的な理論的思考、手の読みが凝縮されて「直感」となって現れてくるわけである。「小脳仮説」を踏まえると、各個人棋士ごとに、意識的に考える作業を積み重ねることで形成された「内部モデル」が存在するはずだ。その内部システムの思考方式を、この研究を通じて少しでも明らかにして欲しいと思う。
もっとも、科学が行うのは計測器を使って、脳のどの部位が働いているのかを調べることだけだ。実際に、棋士の具体的思考を測定することは出来ない。ただ、今回、科学的測定と平行して、当然補足データとして、棋士が何をどのように考えているかのデータが集まるはずだ。それらを参加するプロ棋士が、理論的に体系化することで、「直感」ですまされている思考を意識化することが可能かもしれない。棋士が具体的思考のデータを提供して、研究に参加する科学者が、それを理論的にまとめる助けをしてくれるかもしれない。
先日紹介した保坂氏の著書が実験的にやっていることを、もっと具体的な棋士の思考に即して行うというのが理想だ。といっても、実際にうまくやるのは相当大変そうなのだが。
現在話題になっているコンピューターの人工知能も、要するに棋士が無意識にやっていることを、徹底的に言語化して意識化しようとする試みである。現在相当強くなったといっても、評価関数は、全く人間と比べるとお話にならないくらい質が低く、それを処理能力の力技で補っている段階だが。もしソフト側が、完全に力技だけで人間を凌駕しようとするのなら話は別だが、将棋の手の数の無限に近い多さを考えると現実的ではないようだ。どうしても、「将棋の考え方」、棋士が小脳の内部モデルとして保持しているシステムを言語化して評価関数に反映させる作業がソフトが本当に強くなるためには必要だという気もする。
とにかく「直感」の意識化、言語化というのは、人間の脳の働きを科学的に解明するという一方の道でも、ソフトを開発することで人間と擬似的な思考モデルを作成しようとするもうひとつの道でも、共通のテーマといえそうだ。

一二三ブラヴォーー!!!!!、ご主人様、王手です、PDG

いやーー、ネット対局、加藤vs千葉戦、楽しかったです。
何より。ネット対局見てこんなにハラハラしたことありませんでした。だって、本当に加藤先生の時間が切れちゃうんじゃないかと、心配で心配で・・・。
感想戦で「残り2秒になっていて慌てました」だって。現場を見てみたかったなあ、すごい勢いで指したんだろうなあ。
まず、四間飛車に振って、棒銀を受けた千葉さん、偉い!加藤先生の▲9八香、「一二三の玉手箱」で読んだばかりだったので感動しました。室岡六段との対局で、新手として指されたそうです。
こういう急戦で、気合良く仕掛けて、折衝してきりあう将棋って、やっぱり面白いと感じました。プロ対局では持久戦が多いので、新鮮で。「一二三の玉手箱」を読むと、いかに加藤先生が精魂込めて将棋を指しているか、芸術作品をつくるつもりで指しているのが改めてよく分かります。そう思ってみると、加藤先生の一手一手に、いつも以上に集中して見ることが出来ました。
そもそも、最後まで熱戦のいい将棋というのが、珍しかったんでした。最後も、千葉さんが△6一銀の手稼ぎから、△6八金でなく、△6九銀不成、▲同玉、△5七銀の勝負手があったそうです。それに対する加藤先生のリアクションが・・・。
「うーっ とうなりますね」
「へへー なるほどね」
「おおー ほどけないですか」
「おおー 困ったもんだね」
「いやいやいやいや」
だって。きっと、勝ったからさぞ嬉しそうに言われてたんでしょうねえ。
昨日ちょっと紹介しましたが、加藤先生愛聴のモーツアルトのピアノ協奏曲22番をかけて、気合入れて応戦していました。なるほど、加藤先生が「心が弾むような喜々とした名曲」といわれているのは、多分第三楽章のロンド主題なんじゃないかと。確かにクセになりそうな魅惑的なメロディです。この曲、他の協奏曲と比べると有名でもないし人気もないみたいだが、加藤先生のオリジナルな「耳」は確かだと、変なところでも感服してしまいました・・・。

「ご主人様」、久々に中川、遠山コンビの上司と部下コントを見ることができた。「アレだから」って(笑)。具体的に言わずに「アレ」って言うのがいいっすね。また、取り残された遠山先生の哀愁の後姿が良かった。背中で演技してました。カメラワークなどにも凝って、スタッフも悪乗り気味?(笑)次はこんなコントはいかが。
中川「遠山クン、熱心なのはいいが、ちょっとメイドたちと仲良くやっていすぎないかね?」
遠山「とんでもありません。あくまで仕事です。先生こそ、そんなことが気になられるのですか。よろしかったら、メイドたちのメアドとかお教えいたしましょうか。先生も、まんざらお嫌いではないのでは?」
中川「分かってるねえ、遠山君。実は、私も最近、めっきり若い子達と接する機会がなくって。ありがたくメアド頂戴して・・、
って、コラ、何言わせるんだ!ノリツッコミした私が恥ずかしいじゃないか。マジメにやりなさい、マジメに!」
遠山「ハハッ、申し訳ありませんっ。」
どう考えても、使い物になりませんよね。

中倉姉妹のPositive de Go!略してPDGだそうです。今週から、隔週レギュラーとのこと。ゲストに台風娘さん登場。いきなり超テンション高く「みなさん、こんにちはーー」と入ってきたのには笑えました。でも、あとは普通のしゃべりに戻ってしまいました。あそこは、無理にでも、テンション高く続けなくっちゃ、と芸人に求めるようなことを言ってる私が頭オカシイわけで・・・。
ところで、PDGをより楽しむには、将棋プラスの過去プログラムの中倉姉妹編(2/16から3/16)は必見です。それまでは、どっちかというと優等生姉妹だと思っていたのだが、180度?イメージ転換してしまった。特に、3/9の中倉宏美画伯の「自由の女神像」のお絵かき。この企画、多分オリジナルはダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで」のお絵かき対決だと思う。浜田が、とんでもない絵を描く男で、それをみんなで突っ込んで楽しむという企画。浜田の「自由の女神」も、なんか記憶にあるので、BIGLOBEのスタッフも多分見たのだろう。ということで、宏美画伯にも、ツッコミを入れてあげないと企画は完結しないでしょう。当然、ツッコミは関西弁でいきます。
「胸に漢字で『自由』って書いてあるで、分かりやすっ」。
すみません、いくらファンだからって、中倉姉妹が相当シャレの分かる人たちのようだからって、いくらなんでも調子に乗りすぎました・・・。

加藤一二三九段1000敗の不滅の金字塔記録に寄せて

お盆休み中に将棋本をまとめて購入して、少しずつ読んでいる。その中の一冊が「一二三の玉手箱」(毎日コミュニケーションズ)。おりしも、1000敗の大記録が耳に飛び込んできた。お祝いせねばなるまい。

加藤一二三は「公平」な人である。
本の冒頭にBIGLOBEの「ザ・加藤一二三伝説」がまとめられている。「勝手に電気ストーブ伝説」。順位先で、寒いというので電気ストーブを室内に持ち込み、自分だけでなく、相手にも「公平に」熱が行くように、厳密に丹念にストーブの位置を調節した。悪意など、これっぽっちもないのだ。ただ、相手が自分と同じ寒がりかどうかは分からないということまでは、ちっとも気がつかなかったというだけのことである。
「将棋盤の位置にはこだわる伝説」。盤の位置が部屋の中央になるように、きちんと微調整する。あるとき対戦相手が、クレームをつけた。加藤先生いわく「くじ引きで決めましょう。」やはり「公平」であるだけでなく、恐らく気まずかったであろう現場においても、たくまざるユーモアが結果的に招来される。無論、悪意などみじんもないのだ。ただ、一度設置されてある盤を、いちいちいじられたら、対戦相手の神経に触るということには、全く気がつかなかっただけのことである。
私は皮肉を言いたいのではない。相手は年下だったそうだが、「対局室に入ったら、先輩も後輩もないから、くじ引きで決めるべきだ」と加藤先生が強く主張されたそうである。こういう考え方のできるベテラン棋士が、どれだけいるだろうか。加藤先生の行為の「意図」は純粋そのものである。ただ、先生の主観と、客観的な事情に齟齬があることに無頓着なだけなのだ。
かつて羽生さんが、「加藤先生は、相手と戦っているというより、自分と戦っているという印象がある」と指摘していた。

加藤一二三は「直感」の人である。
「将棋は盤面を見た瞬間に、次の一手が浮かんでくる。読む価値のある手は5通りくらいあるが、そのうち一番よい手は一つしかない。(中略)直感を重んじ、正確さを求め、深みを増すために、直感精読の心得が大切と考える。」(「一二三の玉手箱」より)
プロの本当の才能というのは、一目の直感で最善手が浮かぶかどうかということらしい。加藤先生は、言うまでもなく「直感」に秀でた人であろう。
ことは将棋にとどまらない。完全にオリジナルな感性であらゆる物事に当たり、自分の直感が正しいと信じたものを迷うことなく選ぶ。モーツアルトのピアノ協奏曲22番が好きだそうだ。他の有名曲と比べるとめだたない曲だが、「アマデウス」の一シーンで流れるのを聴いて、ピピッと来たらしい。世評など関係なく、自分の直感の働いた好きなものを愛する。
将棋の解説でも、情報化されたデータベースなど、はなっから相手にしない。あくまで、自分で盤に並べて、徹底的に考え抜いて、オリジナルの主張をする。徹底的に自分の直感を信じているのだ。
加藤先生の信仰は、真摯な本物である。そのことについて、無論他人がとやかく言うべきではない。この本でも、キリスト教について、多く語られている。読んでいて、やはり信仰も他者に説得されたり強制されたということではなく、本当に御自分が「直感」して真実だと信じた心に素直に従われているという印象を受ける。全く信仰のない私のような者が読んでいても、なにかとても気持ちがよいのだ。

加藤一二三は「喜び」の人である。
「私の角が二枚並び、大山棋聖の飛が二枚並んだ形は心を打たれるもので、まず二度と出ないと思う。私は対局中この形に進行したときに、大きな喜びを覚えていた」(同書より)
プロ棋士にとって、将棋を指すというのは、大変つらい作業のはずである。せいぜい勝った喜びで、それが消えるというのが普通だろう。しかし、加藤先生の場合は、対局の過程そのものが、恐らく大きな喜びなのだ。加藤先生くらい、素直に勝てば大喜びし、負けるとガッカリする棋士もいないかもしれない。しかし、それよりも、対局している充実感、生の喜びがはるかに勝っているのだと私は信じる。
加藤先生は、将棋は芸術だと言う。恐らく、単なる棋譜のレベルの高さだけではないのだ。対局中に大変な高揚感を覚える、モノを創造する人間にしか分からない心の動きも含めて言われているのではないだろうか。
「昭和45年の10月ごろ洗礼を受ける決心がついたので、12月のクリスマスの夜、下井草協会で私はマンテガッツァー神父からキリスト教の洗礼を受けた。真夜中のミサは人がいっぱいで、式が終わって喜ばしい気持ちで教会を出ると空に星がきらきらと輝いていた。」(同書より)
恐らく、加藤一二三にとっては、将棋を指すことも、モーツアルトを聴くことも、信仰も、生きることは全て、それ自体で充足したとてつもない喜びなのではないだろうか。
その喜びのおすそ分けにファンはあずかっているのだ。

1000敗は、その喜びの行為の結果に過ぎない。

銀河戦 森内名人vs遠山四段

いやーー、遠山先生、大魚を逃がしましたねー。
解説の森下先生も言われてましたが、名人相手にすこしもひるむことなく、グィっと△6六銀。その後の展開は、弱いアマには相当遠山四段が一方的に攻め込んでいるように見えましたが、それでもプロの場合は正しく寄せないとダメなんですね。
そッかー、△8八歩かあ。ごくごく自然に見える△7七とが疑問手なのですね。森下先生が、解説で一目△7七とでは攻めがうすいと指摘されていたし、感想戦でもお二人とも同意されてましたが、それがプロの感覚っていうものなのか。なんか感心してばっかりですが、やっぱりプロの終盤って言うのは、簡単じゃないし奥が深いですよ。
それにしても、遠山先生、負けた感想戦でも、明るくて正直でした。勝負手の△6七金を「見えてませんでした」って、正直に言われてたし(笑)。ところで、実際そうするとどうなったんですかね。
最後の森内名人のインタビュー、「負けを覚悟した」と言われてました。ああいう事いわれると、なおさら悔しいでしょうねえ(笑)。
というわけで、ネットファン期待のブロガー棋士(笑)、窪田さん、遠山さんと残念ながら敗退。当たり前ですが、さすがに当たる相手がきつすぎます。渡辺vst片上戦では、少なくとも、どちらかのブロガー棋士は生き残るんですけどね(笑)。

ちなみに銀河戦の棋譜は囲碁将棋チャンネルのHPの銀河戦のページにて無料で閲覧可能です。

NHK杯、ネット棋戦、「えみゅーカップ」、ファン倶楽部MINERVA

相変わらず暑いですなあ、体は疲れてるんですが、食欲はあまり衰えない上に、俺はドイツ人かよっていうくらい、大量にビール消費しちゃって、カンのごみの日に捨てるのが恥ずかしいくらいだ、。だいたい夏はすこしは体重が落ちて、秋口の増加に備えるパターンなのだが、今年の夏はむしろ増加気味なんで、秋はピンチである。

NHK杯、長沼vs窪田、オモロカッタですなあ。「でしたなあ」という口調で、なんとか暑さを紛らわそうとしているだけなんですなあ。えっらい、個性派対決でしたなあ。
特に、長沼流の指し回し、堪能しました。玉の囲いとは別に、金銀のスクラムが出来て、飛車まで打っちゃって、失礼ながら笑いそうになりました。でも、ちゃんとそんなことを延々としているうちに、すっかり優勢になっちゃったので、やっぱりプロの芸としか言いようがない。
また、福崎解説が絶品で。色々ってましたなあ。よくあれだけ、面白いことを次々と思いつくもんだ。正確には覚えてないけど、
「歩をとるのが好きで、二十枚取る勢いだ」とか。
「個性が二人とも強烈で指していると催眠術にかけられそうになる」とか。
「飛車の周りに王より固い囲いが出来た」とか。
「首都ではなく、どこか田舎で、えらい譲れない戦いを繰り広げている」とか。
「満を持して攻撃、というか、十分すぎるくらい持してたんですけど」とか。
他にも忘れたの、多分いっぱいあるはず。
長沼vsSコンピューターが戦ったら、どういうことになるのでしょうか。

ベテランvs若手のネット戦。土佐vs広瀬。最初に組み合わせ決まったときから楽しみにしていた。特に土佐さん、早財選手権での優勝がやっぱり鮮烈で。確か、予選からの出場で、何年も連続して出てましたよね。時間が短ければ短いほど得意なタイプなのでしょうか。天才肌で、ガツガツしたところがなくて、きりあう将棋で、魅力ある。一方の広瀬五段も、現代若手ではすこし異質な、実戦派、終盤派らしい。というわけで、天才同士のたたきあいを期待したのですが、土佐さんが早見え過ぎて?ああいう内容になったのは残念でした。
前田さんの解説、いつ聞いても面白いです。ベテランなんだけど、威張ったところがなくて、若手の将棋に対して「謙虚」なんだけど、ちゃんとベテランらしい主張もして、やっぱりご本人も早見えである。名解説の一人だと思います。
ただ観戦者の数はあんまり伸びてなかったようで。同時間帯に24は満員なんでしょ。nanaponさんも言われてたけど、将棋を指して楽しむファンが多数派で、プロ将棋のややマニアなところまで興味があるのは、やっぱり少数派なのかしら。少なくとも自分なら、見れるときには、24で指すのは休憩して、ネット戦を見るんだけどねえ。新たな将棋ファンを獲得する以前に、「指すファン」をどう取り込むかを考えたほうがいいのかもしれません。アクセス数増やすには、そのほうが手っ取り早いだろうし。

日本女子プロ将棋協会、たまに書かないと正式名称忘れちゃいそうなので書きました、の1dayトーナメント。意外な協賛者がついて、手づくり感がLPSAらしい。こういう人、多いと思うけど、さすがに一日中見ることは出来なくて、パソコンをのぞいたり、離れて用事を済ましたりしながら、断続的に見ていました。
正直言って、女子プロの将棋の棋譜など、今までそんなに知らなかった。LPSAでは、中井さんと石橋さんくらい。でも、こうやって毎月やってくれると、少しずつ分かってくるし親しみもわく。中倉宏美さんが、前回の日レス杯での△7四角を見て「へぇー、やるじゃん」と思った人は多いはず。今回も二回戦では、「うっちゃり」を見せてました。見掛けに似合わず、終盤型の勝負師タイプなのかなあ、などと勝手に考えて楽しめます。でも、あの将棋は序盤からずっと松尾さんのものでしたよね。一回戦でも、お手本のような歩の手筋できれいに寄せてました。筋のいい将棋で、って俺は何様なんだというのはおいとくとして、中倉戦でも、▲8四歩から▲8三歩で、敵の囲いをいっぺんに崩壊させて、金をボロボロ取ったときはさすがに勝ちだと思ったんですけどね。
一方、石橋さんの、一回戦、二回戦の勝ちっぷりといったら、ちょっと手合い違いなんじゃないかというくらい強かった。決勝も、どうなってるかなあ、もう終わってるかも、と思ってのぞいたら、結構中倉さんが石橋王に迫っていました。しかし、そのあと玉がするする抜け出して、完全に攻めを切らす指しまわしは憎いほどで、結局完勝だったようです。
石橋さんには、是非タイトルを取って欲しいと思うし、対外的にはLPSAの希望の星だし、頼みの綱である。でも、対内的には、今回は、やはり一人実力が抜けている感じがどうしてもしてしまった。やっぱり日本人で判官びいきなので、石橋(中井)を倒す若手に出てきて欲しいなどと思いつつ、次回も楽しみに見させてもらいます。

私的なことですが、LPSAファン倶楽部のMINERVAの会員になってみましたーー。
私、女流のファン倶楽部はおろか、他の一般のどんなファン倶楽部に見も今まで一度も入ったことがなく、初めてのお使いならぬファン倶楽部、不惑を超えてのファン倶楽部デビューっていうやつです。
寄付は実はせずじまいでした。寄付という行為にすごく抵抗がある上に、匿名では出来ないようだったので、迷っているうちにあっという間に独立してしまったという感じで。でも、ファン倶楽部ならば、サービスを受けてその対価ということで、年会費も5000円なんで、わりとすんなり入る気になれました。
ところで、聞くところによると、女流棋士会に普及目的で、けっこうな予算がついたそうで。普及ということなのでよいことなので有効に活用してもらいたいと思います。
一方LPSAはというと、予算請求して出るというわけではないわけです。今回の独立の経緯、事情とか考えたら、普段ファン倶楽部に入らない人も、たくさん入るといいなあ。別に将棋ファンだけじゃなくて、女性として(男性でもいいけど)LPSAに賛同する一般の人々とか、将棋関係者とか、場合によっては男性棋士とかもどんどん入っちゃったらなんて思うんですけどね。千人加入すれば、女流棋士会と同程度の「普及費」を捻出できるんですけどね。
まっ、単なる独り言なんで聞き流してください。

保坂和志著「羽生」

最近文庫化されたのを、梅田望夫氏が紹介していたので読んでみた。面白い。羽生将棋を、将棋の専門用語によってではなく、普遍化理論化して語ろうという労作である。
今から十年ほど前の本である。梅田氏も指摘しているが、今読むと羽生だけを特権化しすぎしているという印象はある。でも無理はない。あの七冠当時、羽生だけが唯一の棋士だと思わなかった者がいるだろうか。現在でも、無論羽生は第一人者のままだが、少なくとも「将棋職人」ということでは、羽生とほぼ互角の棋士が何人もいることを我々は知っている。しかし、彼らにしても、羽生の影響を、意識的にせよ無意識的に受けてきた事実は否定できないだろう。将棋の革新は、厳密には、羽生だけの力によるものでなく、羽生世代の共同作業によるというのが公平だろうが、その中でも、それをはっきり言語化したり理論化したりして、新境地を先頭に立って切り開いたのが羽生であることを否定するプロ棋士はしないだろう。
当時(今も)、この本は大部分のプロ棋士から黙殺されたそうである。率直に読んだ私的印象を言うと、やはり理論化するに当たって根本となる将棋理解にやや脆弱さを感じる。もし、プロ棋士が読んだら、将棋が分かっていないという印象を持つかもしれないとは思う。こういう一般的理論化に、プロ棋士が慣れていないことを、十二分に差し引いたとしても。無論私が(プロ棋士も)従来の将棋観の惰性に慣れきっていて、保坂氏の主張をきちんと理解できていないだけかも知れないが。
従来の将棋の価値観を一度括弧に入れて見直す作業は必要だろう。しかし、その一方で将棋というのは、確固たる職人芸の世界である。いくら理論を精緻に組み立てても、プロの職人に「分かっていない」と言われればそれまでだ。クラシック音楽にも通じることだ。いくら音楽を美的、哲学的に語っても、音楽の職人的形式理解が前提にないとどうしようもない。実は私自身、常々将棋ブログを書いていて、どうしてもプロ将棋を語るのに、一歩も二歩もひいて思い切ったことが言えないゆえんだ。良く言えば、プロへの敬意、悪く言えば、間違ったことを言いたくないという臆病さのためだ。
などと、いきなりネガティブなことを書いてしまったが、とにかく読んでいて面白くて仕方ないのだ。仮説に納得されたり、これはどうだろうかと疑問に思ったりしながら、触発されっぱなしだった。あえて、通常プロ以外には語ることを許されない将棋の価値観の聖域に踏み込んだことに価値があると思う。無論これだけのことが可能なのは、芥川賞受賞のプロ作家の力量あってのことである。出来れば理論的に考える能力のある現代のプロ棋士が読んで、将棋理解の弱点を部分修正しつつ、保坂氏の刺激的な仮説を止揚して欲しいなどと感じた。

本書の最後にでてくる、羽生さんのコンピューター将棋についてのインタビューが興味深いので紹介しておく。あくまで、十年前の、まだディープブルーがカスパロフにも勝ってない、将棋ソフトがどうしようもなく弱い時代の話である。現在の羽生さんの考え方とは違う部分もあるかもしれない。

「今の人間のレベルが二パーセントぐらいでは、コンピュータに凌駕される可能性もあると思います。」
「――羽生さんが(コンピューターに)将棋を教えるとしたら、どういうことを教えますか
羽生 私はその辺は詳しくないのですが、もし自分がやるとすれば、つまり定跡とか詰まし方ではなく、この形の時にはこう動かしたほうがいいとか、この形とこの形を比較したらこっちのほうがいいとか、(中略)場面、場面の形、形です。ただ勿論その中には駒得とかそういうこともあるので、形が悪くても駒得の方がいいという判断のケースとかもたくさん入れていくのがいいのではないですかねぇ。」

まず、最初の方の発言。二パーセントが、コンピューターと比較してか、人間の全能力の中でなのかは不明である。私はたぶん後者だと思うのだが。十年たった現在なら、羽生さんは何パーセントになっているというのだろうか。
後者の発言で、羽生さんが駒得よりも、「形」を真っ先に指摘しているのが特筆すべきだろう。羽生さんの、根本的な将棋観とも関係してくる話だ。もっとも「形のあかるさ」というのは、コンピューターに理解させるのが最も難しいジャンルだと思うが。
ボナンザは、評価関数設定に当たって、膨大なパラメーターを、コンピューターに自動学習させている。従来の駒得に重点を置きすぎるソフトとは、全く異なる怪物が生まれたのは、この辺が原因なのかもしれない。つまり、一応人間が指した将棋を素直に学んでいるのだから、駒得以外の要素、羽生さんの言う「形」、をきちんと汲み取る可能性があるのだから。
ボナンザ以外の従来のソフト開発者が、評価関数を手動で決定して行くやり方だと、どうしても壁にぶち当たる恐れがある。つまり、ソフト開発者は、本当の意味ではプロ将棋が分かっていないのだから。経験的に、こうすれば強くなるという方式で、手探りで修正を加えているのだろうから。残念ながら結果としてはプロの美しい将棋とは程遠い将棋しか指せていない。やはり、ボナンザが導入した自動学習というのは、今後のソフト開発においては、今後より大きい位置を占めていくのではないだろうか。
ただ、恐らくボナンザにしても、一度評価関数を決めたら、一局の中では同一の評価関数を使わざるをえないのが現状だろう。しかし、人間は、局面ごとに評価関数を柔軟に変えることが可能なのだ。序盤だから、とにかく駒損しないことに注意しようとか、中盤は、とにかく駒の配置の形に気を使って勝ちやすい形にもっていこうとか、終盤では駒得とか形とか度外視で、とにかく相手玉に一手早く到達する手順をひたすら考えるとか。レベルの差はあれ、プロ棋士だけでなく、弱いアマでも今言ったことをすんなり出来るのが人間の素晴らしいところである。
コンピューターソフトの今後の課題として、局面によって用いる評価関数を変えるということもあるのではないだろうか。一手ごとは無理でも、大雑把に、序盤、中盤、終盤で、評価関数を変えることが出来ればと思う。
本当に高いレベルのプロと対抗するのが難しいのは「終盤」の部分だと思う。現在のコンピューターの処理能力では、最後まで読みきるのは無理だが、終盤では実は「評価関数」など使っている場合ではないのだ。勝ちか負けか、オールorナッシングの評価関数しか、本当は意味がない。しかし、読める手数に制限があるので、数値化された形勢判断に過ぎない評価関数を用いざるをえない。いわば、自分の首がはねられるかどうかの間際にも、自分の手や足のことを大事にしてしまう危険があるのだ。
話がコンピューター将棋の評価関数のことにずれた。昨日、保木、渡辺のボナンザ本を読んだばかりなので、その影響がでてしまった。

保木邦仁・渡辺明「ボナンザVS勝負脳」

ボナンザ開発者の保木邦仁さんと渡辺竜王の共著。角川oneテーマ21の新書本の新刊。定価686円(税別)。保木さんと渡辺竜王がそれぞれ、単独で書いた(語った)章と、二人の対談から成り立っている。
保木さんは、ボナンザ開発の経過、プログラムの具体的内容を解説している。評価関数のパラメーターの具体的内容などにも言及している。科学者の目からみた将棋というゲームの本質も。
渡辺竜王は、ボナンザ戦の舞台裏を詳細に述べている。また、プロ棋士として、(コンピューターとは違って)どのように将棋を考えて指しているかにもふれており、渡辺将棋を考える上での貴重な資料である。当然、棋士から見たコンピューター将棋についても。
このボナンザ戦については、BSドキュメンタリー、将棋雑誌、新聞、ネットなどで、多くの情報が流れたわけだが、この本でしか知りえないことも書かれており、まとめと考えても、一読の価値は十二分にある。具体的細部の内容で言及したい点は山ほどあり、機会があったら書いてみるかもしれない。
コンピューター将棋の未来について、二人の意見は、真っ向から対立している。保木さんは、はやはり根っからの「科学者」である。冷静に将棋というゲームの、手の有限性や、「解の存在」を名言。当然、開発の仕方しだいでは、プロを超えることは勿論、「将棋の神様」のようなソフトも生まれうるという。
渡辺竜王は、コンピューターが近いうちに人間を超えることに否定的である。今回は意外に接戦になったが、感覚的には、まだ相当に差があるそうだ、その差を簡単には越えられるとは思えないとのこと。冷静な実力差の判断以外に、プロとしてのプライドや自信を正面から堂々と主張しているのが印象的。そういえば、あの羽生さんも、意外にコンピューター将棋に関しては頑固で、コンピューターと人間が完全に異なり参考にはならないこと、そう簡単には負けないともとれるニュアンスの発言を先ごろしていた。そう、トッププロはそうじゃなくっちゃいけない。そういう気持ちでやってくれれば、なおさら、今後も両者の対決も、盛り上がるだろう。
多分、合理的には保木さんの主張が正しいとは思う。問題は、あと何年後、何十年後に「その時」が来るかであって、将棋というゲームの本質上、コンピューターが人間を超えたとしても、それは、決して人間の恥ではないと思う。
むしろ、人間が直観力を駆使して、読みの絶対数でははるかに勝るコンピューターに対抗していることが驚きであり、神秘的である。科学の仕事としては、ソフトを開発する以上に、将棋を指している人間の脳の不可思議を解明するのが、重大かつ難しい仕事なのかもしれない。
とにかく、この人工知能の問題は、とてつもなく面白い。将棋ファン以外にも、是非興味を持ってもらいたいテーマである。

竜王戦、王位戦、銀河戦 渡辺vs中原、「藤井システムの極意」、「大山の受け」

竜王戦、えっ、この投了図って本当?苦しいんだろうけど、もう少し指してもらいたかったなあ。

王位戦第四局。負けるとまずい対局で、分が悪いとされる角換わり同形を選択するのが羽生さんらしいといえば、羽生さんらしい。どういう考え、心理でこの戦形を選択したのだろうか。

銀河戦は再放送で見ている。 渡辺vs中原。相がかりのスリリングな戦いで面白かった。感想戦も、お二人とも判断能力のすばやい棋士で、打てば響くような会話で聞いていて心地よかった。▲4一角を早く放てば、後手も受けが難しかったそうである。最後の詰み手順だって、ピッタリとはいってもぎりぎりだ。
微妙で今にも崩れそうなギリギリの均衡を保った相がかり緊張感のある戦いに、将棋らしい面白さ、魅力を感じた。この対局、竜王が連敗中に収録されたようで、最後のインタビーで竜王が本当にうれしそうな笑顔を見せていたのも印象に残った。

「藤井システムの極意」。まだ、最新形ではなく、基本手順の解説段階。藤井さんの語り口は味があって、聞いていて飽きさせない。とぼけたオヤジぶりとかいったら失礼だが。

「大山の受け」。勝又プロフェッサーのこの講座、とても面白い。今回の「囲いの再構築」「金銀の繰り替え」、両方とも受けながらいつの間にか自玉が鉄壁になってしまう様子は感動的ですらある。単に粘って受けるのでなく、攻め味をみせて相手にプレッシャーをかけつつ、新たに囲いを築き上げたり、受け止めてしまうのが大山流ということのようだ。とても個性的な「芸」である。現代将棋では、序盤の定跡研究や、終盤技術の向上が著しいが、こういう「大山にしか出来ない」指し回しはとても新鮮である。一通り、現代将棋の合理的追求が行き着いたところで、こういう個性的な指し方が改めて見直されてくるのかもしれない。

ジャーナル、NHK杯、囲碁将棋チャンネル、LPSA、BIGLOBE

昨日の囲碁将棋ジャーナルで、LPSAの第一回トーナメントの様子が流れていました。以前、私はジャーナルの悪口めいたことを書いた記憶があるのですが(汗)、ちゃんと公平に扱ってくれるようです。選手たちの挨拶の様子、対局場の様子、渡辺・中井コンビの解説の様子などがしっかり映っていました。オマケで、今週の解説の前のつなぎ画面で、中倉彰子さんのお茶目なピースサイン姿まで。

NHK杯、佐藤公四段のまさかのウッカリで、先崎氏によれば「勝敗は決まった」様子でつまらなかったので、久しぶりに「自分ならどう指すか」をずっとやりながら見てました。結構当たるようでもあり、大事なところではハズレまくるようでもあり。まあ、プロでも変わった手ばかり指すわけではないので、そんなところでしょう。
ただ、最後のもつれた場面では、当然のことながら全然当たらなくなりました。△7五角みたいに開き直られたら、もうどうしていいんだか。特に▲5一飛の後、△2二玉と上がられた場面、完全にパニックですが、私ならとにかく開き直って詰ましにいくしかどうしようもないでしょう。さすがに▲2三香は見えたのですが、先崎さんが当たり前のように▲1四桂を指摘していたのはさすがというか。プロならすぐ見えるんでしょうね。しかし、森内名人の▲4七銀から▲3九桂がぴったりの受けとのこと。三十秒で、相手玉に詰みがあるかを読みながら、受けも読んでいるのでしょうが、なぜそういう芸当が可能なのか、特になぜ正解の受けを指せるのか、到底理解不能です。脳の中身をのぞいてみたくなります。
ところで、私が自分はオジンだと思ったのは、佐藤公四段が、ペットボトルをがぶ飲みしているのを見て違和感を感じたこと。私だって、普段よくすることですが、テレビの対局で堂々とやられると、なんとなく変に感じます。まあ、世代差なのでしょう。

囲碁将棋チャンネル、結構色々な講座をやっています。片上夫妻の講座は、再放送の際にまとめて見るとして、今度藤井さんが藤井システムの講座をはじめるとのこと。振り飛車党としては、やっぱり見逃せません。先日竜王戦で、久保さんが対佐藤戦でシステムを使ってひどい目にあったばかりですが、藤井さんも、あんなのがシステムじゃないと思っているはず。楽しみです。あと、多分再放送ですが、プロフェッサー勝又が、大山の受けを題材にした講座をされています。もう半分終わってしまっているのですが、これもチェックしようと思います。さすがに、プロフェッサーは目のつけ所が違います。

LPSAのHPに、すこし目立たない場室なのですが、藤森さんの先日のライブログカップの優勝自戦記が掲載されています。相当気合が入った力作で、やはり彼女のようなベテランでも、うれしかったのでしょう。LPSAはネットを本当にうまく活用しています。
それと、小学生女流将棋名人戦も今日開催とのこと。女子のレベルを上げるには、絶対人口、特に子供を巻き込むことが大切なわけで、やるべきことをちゃんとやっていますね。これを機会に、多くの女の子が将棋を指すようになればと思います。レポートを読むと、プロフェッサー勝又さんも、協力されています。先日の、竜王や羽生さんのような目立つ派手な協力以外にも、こういう地道な草の根の交流、協力をされている男性棋士の方々には、本当に頭が下がります。

BIGLOBE、「ご主人様、大手です」の第二回。中川=遠山コンビの「上司と部下」ミニコント、レギュラーで見られるのでしようか。当然お二人ともプロの役者ではないので、微妙にお下手なところが(本当にごめんなさい)、なおさらおかしみを誘います。
女流のコーナーでは、矢内理絵子さんと山田久美さんが登場。私は、山田さんのファンだったりするので、見てみました。
うーん、山田さんって・・・。
別に方向音痴でも、堂々と自信満々に皆を案内してしまえばいいのさっ。
車で走るときは、飛ばせるときは、ガンガン飛ばしてしまえばいいのさっ。
駐車場がすいているときは、思いっきり車が曲がってしまって行儀悪くても、とめてしまえばいいのさっ。
もしかして、山田さんって、ものすごく豪快な方なのでしょうか・・・。
ふたりで、バッティングセンターに挑戦していましたが、ほとんどしたことがないのに、二人とも100キロに当てていたのは、大したものです。
っていうか、二人とも全然球を怖がってないじゃないですか。並の女性なら、「キャーーー、コワーーい」と、まあウソでも言うところでしょうが、お二人は平然と男らしく凛々しくボールにぶつかっていっていました。
これぞ、女流棋士魂とでもいうべきでしょうか。まあ、山田さんの、そういうところが気に入っていたりするわけなのですが。

棋士はやはり基本的には個人業主で

昨日、お気楽なことを書いてしまいましたが、なんと中井さんは王位戦リーグ陥落とのこと。いくら中堅若手が伸びていると入っても驚いてしまいます。最近、恐らく多忙ゆえにあまり調子がよくないようですが、あくまで一時的なもので、地力を考えたら別に心配する必要などないでしょう。
ただ、今はLPSAという団体を背負っているという事情があります。中井さんがどういう方なのか、実際のところは全然知らないわけですが、なんとなくいかにも責任感が強そうで、「私が団体のためにも将棋でも頑張らないと」とか思いつめそうなイメージもあります。
しかし、なんといっても将棋は、個人対個人の勝負。あまり、まじめに団体のためにとかいったことは、考えすぎて欲しくありません。無論、LPSAファンとしては、タイトルを取ってくれれば、そりゃ素直に大喜びです。でも、当面は別にタイトル保持者がいないからといって、ファンをやめようなどという野暮な人は全くといっていないはずです。まして、現在LPSAの女子プロが、恐らく将棋の研究や勉強をする余裕がほとんどないことは誰しも分かっていることですし。
それどころか、石橋さんをはじめとして、好調な人が結構多いことに驚いてしまいます。勝手に心理を推測すると、普段多忙を極めて大変なために、かえって将棋を指せることがうれしくて、余計なことを考えずに集中できたりするのではないでしょうか。そういった中で、やはり、LPSAの中でも中井さんは、もっとも「真面目」な人だという気がしてなりません。
だから、別に団体のことなど考えずに、個人として成績をあげたり、タイトルを取ることだけ考えて欲しいなどと思ったりします。完全に自己本位で、場合によっては、今回の王位戦ではしてやられた石橋さんあたりを、次回は後ろから蹴飛ばして崖から突き落とすくらいのつもりで。などというと、穏当ではないかもしれませんが。
それは、男子も女子も変わりありません。無論将棋界にはいろいろな問題があるわけですが、ファンとしてはこと将棋に関しては個人個人の戦いを見たいだけです。心を鬼にして、自分が勝つことだけ考えればいいわけで。例えば、かわいくて仕方がない?石橋さんが、崖から手一本でぶら下がって「な、なかいさん・・」とすがるような目つきで見てきても、平然と「許しませんっ」と言い放って、指をグリグリ足で踏みにじってしまえばいいのです。勿論石橋さんが逆のことをして、思いっきり返り討ちしても全然OKです。
ちょっと、調子に乗りすぎました。
それに今言ったようなことは、私みたいな、どシロウトに言われるまでもなく、賢明な女子プロ諸氏なら十二分に分かっていることに違いありませんが・・・。

今日の二言

石橋さん、女流王位戦紅組優勝おめでとうございます。

中井さん、将棋の方もがんばれーー(笑)。

王位戦第三局

王位戦というのは独特の中継方式である。棋譜解説がない代わりに、対局場の静止画像が断続的に送られてくる。棋力のない私などは、つい、その画面ばかり眺めることになってしまう。ほとんど、羽生さんの対局姿を眺める吉増剛造の気分だ。詩を書いてしまいそうになるくらいだ、というのはともかくとして。
それにしても、あっという間に深浦玉が寄って受け無しになってしまった。驚いた。あの粘りに粘る深浦さんでも、どうしようもなかったのだろうか。
見落としとは思えないし。

ところで、いくつかの棋士ブログで、最近告知することが多いと書かれている。私が最近愛用しているのはこちら。

将棋ブログリンク集

左上に、中継予定がしっかり時系列に並んでいる。これを見れば、いかにウッカリ者の私でも見逃しようがない。
また、右上には、LPSA関連情報が、きちんとのっているのが、なによりいいっすよ。さらにその下には、夏の将棋祭りの一覧まで。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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