2008年01月

LPSA日めくり詰め将棋カレンダー、行方尚史@ It’s show time

一昨日の、将棋本オールタイムベストテンの中で、結構大きな間違えがありました。次点であげた若島正「盤上のファンタジア」は、「盤上のパラダイス」の誤りでした。えらい違いや。そういう方はいらっしゃらないとは思いますが、私を難解な詰め将棋をバリバリ解く詰め将棋マニアだと勘違いしてくださった方は、即刻その誤解を解くように。
「盤上のパラダイス」は、詰将棋本ではなく、詰め将棋界についての本です。詰め将棋パラダイスのことを中心に、きわめて個性的な詰め将棋界の方々の生態をつづった興味深い本です。詰将棋の世界というのは、指し将棋以上に、純粋な芸術性の高い、恐ろしくも素晴らしい世界のようです。別に詰め将棋に関心がない人でも、十分楽しめるので、オススメです。
まあ、私もその一人なわけです。この本を読んで、「詰むや詰まざるや」、その他全く身分不相応の本を買い込み、詰めパラまで購読しました。でも、全然ついていけずに、ごく短期間で撤退、という顛末です。

ということで、詰将棋つながりで、LPSA日めくり詰将棋カレンダーの話。
どうも、私は毎日コツコツ地道にというのが、どうしても出来ない性格のようです。ほぼ、半月以上、ほっぽらかしてしまいました。で、集中的に頑張って解きましたよ。これじゃ、詰将棋の本と変わらないじゃん、と泣きながら。以降、「月めくりカレンダー」にならないよう注意します、・・と今だけ思っているけど、多分ダメでしょう。
しかし、詰将棋って言うのは、一度解けなくなるとほとんど呪われたように解けませんね(笑)。
私を苦しめぬいたのは、1/23のものです。ヒントに「4三馬の無力化を図るには?」、とあって、確かにこの馬が邪魔で邪魔で仕方がないのですが、延々と別の無力化の方法ばかり考えてしまいました。初手も、チラッと考えはしました。でも、とても続きそうにない、とすぐ読みを打ち切ってしまいました。とにもかくにも三手目が全く見えなかったんです。いい手だわーー(笑)。
ひらめいた瞬間のあの感動(笑)。まあね、こういうのは、すぐ見えた人からすれば、あんなの当然じゃん、となるんでしょうけどね。実際、私も分かったら、なーーんだ、となったし。別の筋ばっかり考えていると、もう徹底的に見えなくなるのですよ。私レベルの方なら分かってくださるでしょう(笑)。
普通の詰将棋の本なら、わりとアッサリ白旗を揚げるほうなのですが、このカレンダーに限り、全部自力で解いてみようと思います。って言っても、ある3手詰めを瞬時で解けたと思って答えを見たら間違っていたし。既にパーフェクトの夢断たれる。持っている方、特に短手数のやつは、よーーく確認してから答えをみるように(笑)。

「囲碁将棋チャンネル」で、金曜深夜にI’s show timeの再放送をやっているのを知って観ているんですが、行方さんが登場。「戦う将棋指し」に、ロッキン・オンの女性編集者が行方さんにインタビューしたのがのっていましたが、本当に将棋指しとして異色な感じで面白かったです。
この番組では、ご本人は、そういう風に思われているのが、あんまりうれしくないらしくて、ファッションや音楽の趣味で、目立っていると思われず、あくまで将棋で注目して欲しいと強調していました。でも、どこかのバーで、ビールを飲みながらの収録だったのですが、やっぱり話し方とか、感覚とか、全然将棋指しらしくないわ(笑)。棋士というよりは、ミュージシャンタイプで。まあ、そういうところが、とても個性的で面白い存在です。これも、多分結構前の収録だと思うんで、今はまた違うんでしょうけどね。
ちなみに、現在放送しているものの聞き手担当は島井さんです。

将棋本オールタイムベストテン

double crownさんの将棋本オールタイムベストテンに、参加してみます。他の人のもすごく興味あるので、皆さんぜひ参加しましょう。
じっくり考えてから、とも思いましたが、有名本しか読んでないし、候補の絶対数も大したことないんで、サラッと済ませてしまうことにしました。

1 藤井猛「四間飛車の急所1」(浅川書房)
やっぱり、藤井さんのシステマティックに考える能力、合理的な語り口はすごくて、現在将棋本執筆の第一人者でしょう。今のところ、これが代表作かと。
2 羽生善治「羽生の頭脳9」(日本将棋連盟)
オールタイムということでは、やっぱりこれは歴史的意義を考えるとはずせないでしょう。昔、全10巻読んで、今は全て忘れました。9を選んだのは、これで学んだ相横歩取りを、結構実戦で試したから。誰も興味ないと思うけど、私は昔居飛車党でした。
3 勝又清和「最新戦法の話」(浅川書房)
現代将棋の意義の解説という意味でも、アマチュアに分かりやすい語り口という意味でも、やはり歴史的名著。本当に文章がうまい。
4 羽生善治・先崎学「村山聖名局譜」(日本将棋連盟)
やっぱり思い入れ深き本。プロが終わった将棋をつつくとこれだけたくさんのことが言えるものなのか、という点でも印象的でした。
5 島朗「島ノート」(講談社)
いまだに全部は読んでいないのですが、それでも間違いなく名著でしょう(笑)。
6 羽生善治・吉増剛造「盤上の海・詩の宇宙」(河出書房新社)
羽生さんスゲー。よくわかんないけど、とにかくスゲー。
7 小林健二「スーパー四間飛車」(毎日コミュニケーションズ)
これで、私は振り飛車党に転向。やはり、現代振り飛車の中興の祖といえるのではないでしょうか。
8 加藤一二三「逆転の将棋」(青春出版)
この辺のチョイスからは、個人的思い出の世界。昔、加藤先生が青春出版から出した本で、長考のこととか語っていて、結構繰り返し読みました。昔からの一二三フリークです。
9 升田幸三「寄せ方・詰め方 初段への招待」(弘文社)
昔の絶版本で、もう私の手元にはない。検索すると新書で一度出たらしいが、それも絶版。っていうか、私のいいたい本なのかも自信ない。とにかく、必死とか寄せの問題が次々問題集形式で多数でてきて、とにかく解いていれば、寄せの基本がマスターできるという本。一番、まじめに繰り返し読んだ本です。今は、こういうのに当たるいい本あるのかな。
10 中平邦彦「棋士 その世界」 (講談社)
古き良き時代の棋士の話。芹沢、塚田、山田、佐藤大五朗、灘、二上、小堀・・、懐かしい。いい本です。

次点
若島正「盤上のパラダイス」
この本を読んで、詰め将棋の世界に興味を持ちました。指し将棋以上に、芸術的で求道的世界に、恐れを抱きながらもひきつけられます。 
「詰むや詰まざるや」
いつか鑑賞だけでもしたい本。とりあえず、有名な長手数煙詰めを盤上に並べてみて「おおっーー。」
先崎学「フフフの歩」
やっぱり、先チャンの本は面白いっすよ。
藤井猛「四間飛車を指しこなす本1」
いまだに、これを超える急戦入門書はないでしょう。
島朗他「読みの技法」
トッププロでも7手先くらいまでしかイメージできないというのに感動しました。
藤井猛・鈴木宏彦「現代に生きる大山振り飛車」
最近読んで、面白かった。大山全集にも、いつの日か・・。
森下卓「森下の矢倉」
森下さんの、各章の冒頭のエッセイとか結構面白くってねえ。矢倉の世界は奥深いです。
加藤一二三「一二三の玉手箱」
今手に入る加藤自伝的本では、これです。
加藤一二三 題名不明
私の記憶では、▲5七銀左戦法というタイトルだったと思うのだが、検索してもそういうのはなかった。これも、かなりまじめに読んだ本で、やっぱり加藤先生の本には、昔から芸術的香気のようなものがあった、と思う。

出来れば、プロ棋士の方々にも、参加していただけると、面白いと思うのですが。

(追記)若島正氏の著書は、「盤上のファンタジア」は誤りで、「盤上のパラダイス」でした。訂正しておきました。

NHK杯 渡辺vs深浦、LPS 1day Bin’s Gate Cup 島井優勝、女流ネット最強戦 中井vs里見

昨日書いた倉敷イベント関連の記事に、コメントをいただき、棋士会の話は、公益法人法改正と関連しての女流へのヒアリングなのではないかということでした。多分、その通りだと思います。私の書いたことは、的外れでした。(昨日の記事にも追記を入れておきました。)

NHK杯は、渡辺竜王の快勝でした。渡辺竜王は、羽生、佐藤、森内とは互角にやっているのですが、とにかく深浦さんだけは大の苦手にしていて、本人にとっても大きな勝利だったと思います。しかし、今まで勝ったのが、NHK杯に限っての二勝だけなので、まだまだだと思っているとは思いますが。
先手の深浦さんがゴキゲン中飛車で、ストレートに仕掛けて激しく攻め、それを渡辺竜王が受け止めようとする形に。深浦さんの重めの▲7ニ金に対して、あっさりさん飛車金交換して、先手の桂もはずしたのが、後判断だったようです。やはり、私などだと、永遠に受けが苦手なので、この辺の落ち着いた指し方は、とても勉強になりました。
というのも、その後の△5六歩の突き出しが、あまりにも味が良かったからです。▲4四歩に対しては△5五角以下の詰めろを用意しています。
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さらに、▲1八玉△5五角▲5八金左に△5七歩成と進み、▲同金なら、△3六桂▲3九金△4八金とからまれて困ります。深浦さんが苦慮しての▲3九金!も、負けたとはいえ印象的でした。
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ものすごい辛抱。森下さんが「根性の深浦」と言っていましたが、なかなかできるものじゃないと思います。こういう手を積み重ねることで、いまだに通算勝率七割を超えているのだろうなあ。と妙な感心の仕方をしてしまいました。
その後の、渡辺竜王は、勝ち急ぎませんでした。まず自玉を万全・安全にしてから攻勢に移るという、竜王のお得意の勝ちパターンでした。竜王戦第六局の、「居玉穴熊」を戦いながらつくりあげて、あとは攻めをつないでの勝ちが、記憶に新しいところです。現代将棋においては、終盤のパターン化が進んでいるといわれますが、やはり、各人に、勝ち方の個性のようなものがあるのが面白いところです。

LPSA 1dayカップ Bin’s Gate Cup

LPSA関西進出やでえ。
すみません、ただ言ってみただけです。別に関西の方をバカにしているわけではありませんので・・。
またも、島井さんが優勝。結構優勝者が偏ってきました。でも、島井さんは、やっぱり安定感があります。
決勝戦は、北尾さんと。この決勝の組み合わせも二回目です。先手島井四間飛車、後手北尾居飛車で、相穴熊になりました。コメント欄を読むと。島井さんが、自分が穴熊にすると、相手も確実に穴熊にするので、「相穴、だるいなあ」とか言っていたそうです。やっぱり、プロでも相穴は気が重いものなのですね(笑)。でも、島井さんも穴熊のスペシャリストなら「相穴大歓迎」とか宣言して欲しいものです。広瀬五段という格好のお手本がいるのですし。島井さんは「とっておきの相穴熊」とか、絶対読んでいるんでしょうね(笑)。
相穴熊にはありがちなのですが、結構最後は一方的になってしまいました。「だるい」とか言いながら、あの食いつき方の巧みさはさすがで勉強になりました。発言は本心ではなく、実は「相穴大歓迎」だったのかな(笑)。
▲2三角成が豪快な決め手。
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こういう速度をはやめる手筋が、穴熊党にはすぐ見えるのでしょうね。最近、広瀬さんの将棋を見ても感じましたが、穴熊の将棋というのは、やっぱり一種特別な感覚が必要なのでしょう。福崎さんも、かつて「妖刀」とか、谷川さんが「感覚を破壊された」とか言っていましたが、要するに福崎さんは当時から、穴熊特有の手数計算の感覚を時代に先駆けて体得していたというではないでしょうか。
敗れた北尾さんも、最近は安定して常に上の方まで勝ち進んでいます。将棋世界の千駄ヶ谷市場で、先崎さんが北尾さんを評してこう言っています。
北尾の将棋は相手にくらいついていくのがうまい。センスと大局観を磨けば大化けするのだが、この手の粘り強いタイプは、なによりも最終盤の瞬発力を鍛えることが大事である。
是非「大化け」して、LPSAのナンバー3、いやもっと上を目指していただきたいものです。

大和証券杯ネット将棋公式ホームページ
さて、ここまでこの中井vs里見戦をながめながら書きおえて、生観戦中。
いやーーー、見入ってしまいました。いい将棋でした。
先手の里見さんが、オールド・ファッションな感じの中飛車。里見さんは、この形も結構指すようで、こだわりがあるのが面白いところです。但し、こういうじっくりした戦いは、中井さんの土俵なので、損な感じもしますが。実際、うまく中井さんが立ち回って優位に。
でも、本当に面白かったのは終盤戦でした。本当に里見さんの終盤は、迫力があります。
▲5三歩から、▲9六角と打たれると、一気に嫌味な感じに。
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その後、すかさず一本▲8ニ歩を入れていたのもソツがなく、解説の高野さんもほめていました。
さらに、角が△7八の金をとった上で、後手の攻めを手抜きで▲3四まで大転換の活躍。後手玉も一気に危なくなりました。この辺の指し回しは、やっぱり才能を感じます。最後、▲4ニ金でなく、▲3三馬と居直る勝負手もあった様ですが、厳密には後手が残していたようです。
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感想戦でここにふれていましたが、里見さんは、当然▲3三馬も考えたが、ちゃんと中井さんの勝ち筋が見えてしまっていたために、指さなかったようです。勝負手を逃したのではなく、手が見えすぎていたということで、やはり強いと感じました。
ともあれ、これで中井さんはヤレヤレですね。でも、感想戦で、「里見さんは終盤が強いので、ハラハラしていました。」とは、正直すぎます(笑)。中井さんの場合、なんとなく社交辞令ではなくて、本心のような気がします。
この棋戦については、敢えて、「優勝候補敗退」と言っておきましょう(笑)。里見さんには、もっともっと強くなって、男性棋士をどんどん倒すようになってもらいたいと思います。これ言うとLPSAファン失格なのですが、里見さんならば、LPSA勢をガンガン負かしてもらっても、全然OKだと思っていますんで・・。中井勝ちで気をよくして、私も本心が出てしまいました(笑)。

明日は、棋聖戦で、久しぶりの羽生vs渡辺が実現します。大注目ですが、残念ながら中継はありません。もーーー。
「ヤイ、臨時でも何でもいいから、中継しやがれ、コノヤローーー、ダンカン!」(ビートたけしの口調で)

ちょっと、頑張って記事を書きすぎて疲れました・・・。もうしばらく将棋は見なくていいです、と今だけ思うんだと思います。
それでは皆様、おやすみなさい。

女流名人位戦の倉敷イベントについて 他

第34期女流名人位戦第2局・倉敷イベントについて (日本女子プロ将棋協会|LPSA|)
情熱の向かう先 - 松本博文ブログ

女流名人戦第二局に予定されていた、LPSAと女流棋士会の双方の棋士が合同参加する予定だったイベントにおいて、LPSA側三名の出演がキャンセルされました。理由は、日本将棋連盟から、主催者の倉敷市・倉敷市文化振興財団に対して、「現段階として連盟所属女流棋士とLPSA所属女流棋士の交流は公式戦対局以外避けてほしい」との申し出があったためということです。
女流棋士会の分裂後、ニ団体がそれぞれ独自に活動してきましたが、建前上は、LPSAと日本将棋連盟は友好団体です。しかし、ここに見られる日本将棋連盟の申し出は、それがあくまで建前に過ぎないことを露呈することになりました。
分裂騒動当時、連盟の執行部の一部、および女流棋士会の女流の一部に、LPSAを激しく敵対視する動きがあったのは、周知の事実です。しかし、分裂後にある程度時間も経過して冷却期間を置くことで、少しは関係改善が望めるのかと思いきや、連盟側と女流棋士会側の対応は、残念ながら依然として全く変化していないようです。
この件に関し、一般の人間の反応をネットで見て回ると、一様に誰もが、連盟側の態度に激しい怒りや憤りや失望を表明しています。このようなことをしたら、当然、そのような反応が起きるのは予期されることでしょう。
分裂騒動の当時から、常に感じていたのは、連盟や(ごく一部の)女流棋士というのは、世間の目というものを、なぜあれほどまでに意に介しないのかということでした。明らかに世論を逆なでする行為や言動を平然と繰り返すのが、不思議なくらいでした。本質的に、現在の将棋界は、一般ファンの考え方が全く反映されない構造になっており、今回の一件も、単なるそのひとつに過ぎないのだといえば、それまでなのですが。
男性にしろ女性にしろ、棋士になるためには、それなりの優秀な頭脳が必要なはずなのですから、その能力のほんの少しでもいいから、一般ファンがどう感じるかを考えるのに使用してもらいたいものです。そうでなければ、一般ファンは、永遠にやりきれない思いをし続けることになるでしょう。
今回の主催者側は、あくまで女流ニ団体の友好、交流を目的として、このような企画を立てたのものだと思われます。しかし、今回の主催者の場合、恐らく連盟の意に逆らうような立場にはなく、やむをえずの受諾だったものだと、一応好意的に解釈しておきます。
ただ、新聞社等の大スポンサーなどならば、全く力関係が別になってくるはずです。現在、将棋界内部には、ファンの望むような行為が全く期待できない状況である以上、ファンとしては、スポンサー側にそういう期待を託すしかありません。
実際、(スポンサーとはいえないかもしれませんが)NHKのBSなどは、囲碁将棋ジャーナルに、LPSAの中井氏(今のところただ一人ですが)を起用したり、竜王戦中継の聞き手にもLPSAの女子プロを起用しています。また、ジャーナル内のニュースでも、一応両団体のイベントを、ほぼ公平に伝えています。各スポンサーには、ファンが望むようなイベント等を、ぜひとも実施してもらいたいものです。
細かいことですが、現在「囲碁将棋チャンネル」に、LPSA側の棋士は全く出演しなくなっています。連盟と囲碁将棋チャンネルが、どういう契約を交わしているのかなど、内部事情は一切不明ですが、どうなっているのでしょうか。今まで、そのことはなるべく考えないように努力していたのですが、今回のような一件があると、非常に気になってきました。
参考にあげた松本氏の記事では、書ける範囲のことしか書かれていないため、具体的な事は外部の者には判断できません。ただ「暗い情熱の持ち主」が、男女問わず連盟側にいるのは、容易に想像できます。問題があるとしたら、「暗い情熱」の持ち主の存在ではなく、そのような人物たちの意見がまかり通っている、現在の将棋界の状況なのではないでしょうか。

初雪 - daichanの小部屋
納得と言うなら - いっつ日記

女流関連では、この二つの記事も、目を引きました。片上氏の記事によると、棋士会に「この日は女流棋士会の役員の方がお見えになり、現状の待遇には納得している、ことを伝えて行かれました。」ということだそうです。これだけの記述では、詳しい具体的状況は、判断できません。しかし、どのように想像力を補っても、なぜ女流棋士が、自分の所属する組織に対して「待遇に満足する」という発言をする必要があるのか、私の頭では全く理解できませんでした。不満があるのならともかく、満足しているのならば、組織員として、ただ黙っていればいいだけのことです。それとも、自分は、権利ばかり主張する人たちとは違う、自分は組織にあくまで忠実だということを、どうしても強調したかったのでしょうか。また、これが、その役員の個人的見解を述べただけなのか、棋士会に出席した以上は、女流棋士会の総意として言っているのかも不明です。どう考えても総意とは思えないのですが。いったいどういう立場での発言だったのでしょうね。
大庭美夏氏の記事では、別に自分の待遇に不満があったわけではなく、それどころか、勝っている人が努力や成果に応じて報われておらず、将来女流を目指す人に、自信を持って職業としてすすめることが出来なかっただけなのだと、書かれています。
両者の違いはとても分かりやすくて、自分のことを考えての発言か、他人のことを考えての発言か、ということです。恐らく、この辺が、女流のニ団体の本質の違いなのでしょう。
(追記)コメントでご指摘があり、公益法人法改正と関連して、現在の女流の待遇をヒアリングしたのではないか、ということでした。多分、その通りなのだと思います。従って、私が推測で書いたことは的外れです。削除することも考えましたが、自戒の意味を込めて、このまま残しておきます。

私は、両団体の不和を望んでこんなことを書いているのではありません。それどころか、最近は、関係改善が水面下で進んでいるのかもしれないと甘い考えを抱き、余計なことを言って邪魔をしたりすべきではないと思い、細かい問題を意図的に書かないようにしてきたくらいです。今回の一見は、完全にそんな気持ちに水をさすものでした。こうして、冷静風を装って書いてはいますが、正直な気持ちでは、もっと率直な書き方をしている他の一般の方々と全く変わりがありません。

そんな時でも、この記事を読んで、少しだけなごむことが出来ました。

あっこ&ひろみオフィシャルブログ : 和服&ボーリング

彼女も、巻き込まれた当事者の一人なのですが、「いろいろ頭を悩まし」ながらも、前向きでありたいという気持ちが、明るく語られています。私としては、こういう感じ方をしているのが、彼女やLPSAの女子プロたちでだけではなく、女流棋士会の大多数の女流棋士たちの本心なのだと信じたいところです。
最後に、中倉姉妹の「positive de go!」の一リスナーとして、彼女に対して、頭を悩ませすぎて(あるいは、そのことにかこつけて)、あんまりお酒を飲み過ぎないようにして欲しいということだけ、付け加えて言っておいて終わりにします。

王将戦第二局 羽生vs久保、銀河戦 中座vs広瀬、女流ネット最強戦 中井vs早水、マイナビ女子オープン 山田vs千葉

第57期王将戦ブログ 第二局

最近の、羽生vs久保戦で、三局も出ているゴキゲン中飛車の▲5八金右型の超急戦に。本局同様、激しく進んだのが二局、久保さんが▲2四飛に△3ニ金と穏やかに対応したのが一局。結果は全て先手の羽生さんの勝ち。
ということで、この王将戦でも一度は出るだろうと予想された形でしたが、二人とも、というか久保さんも意地でもこの形で勝ちたいところでしょう。
久保さんが用意していたのは、▲5五桂に対して△5四歩。
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今年の棋聖戦第四局で、佐藤さんが指した手。結果、佐藤さんが勝ったのですが、いつもの佐藤新手の通り?、なぜか真似する人がいませんでした(笑)。(この対局については渡辺竜王の「頭脳勝負」で、心理面に深く踏み込んだ自戦記が読めます。)
しかし、直前のC2順位戦で、遠山四段が、糸谷戦で採用して快勝しています。(遠山四段の自戦記はこちら。)当然、両対局者とも、知っているし、研究していたはずです。羽生さんの用意していたのは、▲9六角。
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これがほぼ、本局を決めてしまったようです。調べれば、難しい変化もあるのでしょうが、久保さんが▲6六香を馬でとらざるをえないのでは、私でも多分苦しいんだろうなと分かってしまいます。そして、二日目は、ただ羽生さんがきれいに勝ちきる手順を見守るだけの日になってしまいました。というか、夕方までもたずに、既に終わってしまっていました。
王座戦のときは、久保さん相手に苦戦続きでしたが、ここのところは完勝が続いています。現在、羽生さんはとても充実しているようです。

囲碁将棋チャンネルHPの銀河戦Aブロック

ということで、ちょっと物足りないので、今日は複数局紹介。まず、銀河戦、順位戦C1でもトップを走る注目の広瀬五段が登場。最近、アマ強豪の遠藤正樹さんとの共著で、「とっておきの相穴熊」を出して評判になっています。先手の中座さんも、居飛車穴熊が得意なので、本局でも相穴熊になりました。こういう方は結構多いんじゃないかと思いますが、振り飛車穴熊を指したいと思っても、居飛車にも穴熊にされると、もうそれだけでブルーになるので(笑)、私はやりません。
本局も、広瀬さんが、一直線に勝てそうにも思えるところでも、馬をしっかり作って、より負けにくい形を作ったりして、やはり、相穴熊の指し方に慣れているな、ツボを知悉しているという感じで、終盤はっきり勝ちになったように見えました。しかし、中座さんも、すごい勝負手を出して、▲7一銀△同馬としてからの、▲8三歩!
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感想戦がなかったので詳しいことが分からないのですが、後手玉を8三に呼んで、▲5六角で△7八成銀を抜いてしまうのを含みにしているようです。銀を捨ててここに歩を打つというのは、すごくかっこいい手筋です。実際、広瀬さんも、さらに△7三銀と受けに回らざるをえなくなり、次の局面では、中座さんの勝ちになっていました。
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本譜は、▲7三歩と打ったので、後手玉が詰まなくなりましたが、今打ったばかりの銀を▲7三銀と成り捨ててから、▲5一角と打つのが、詰め将棋の手順のように鮮やかで、ピッタリ詰んでいました。終局直後のチラッと映った映像では、広瀬さんが、すかさずこの筋を指摘していました。やっぱり、終盤力にはすごいものがあるようです。
聞き手の山田久美さんが「なんとなく広瀬さんの指す手の感じが分かってきました。」、と最後に言っていましたが、広瀬さんは、とにかく自玉に王手や詰めろがかからない形になるように、あるいは、何手すきの争いで自分が一手勝ちになる手順を、瞬時に見抜いて、相穴熊にあう指し手を見つける嗅覚があるようです。まさしく、相穴熊のスペシャリストで、さらに本も売れることでしょう(笑)。
Aブロックでは、櫛田さんが三連勝しているので、決勝に出てもらいたいのですが、なんとなく広瀬さんが、とんでもない連勝をするような気がしてなりませんが、どうなることでしょう。

大和証券杯ネット将棋 公式ホームページ

女流ネット最強戦。先手中井さん、後手早水さんで、角換わりの将棋に。△8三歩の保留型がいき、また△6九角が厳しくて、速水さんがかなり良くなったそうです。中井さんは、ただひたすら紛れを求めるような苦しい展開になったのですが、▲2五歩で、一気に視界が開けて逆転模様に。将棋は怖いです。以下、自玉の堅さを生かして、しっかり勝ちきりました。
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LPSA内の棋戦では、出場した大会には(多分)全て優勝している中井さんですが、やっと対外的にもいいところを見せてくれました(笑)。しかし、今度の日曜に早速対局があって、しかも里見さんが相手なのですか。このところ、二度ほど大切なところで痛い目に合わされているので、きっちり勝ってもらいたいのですが、何しろ里見さんの場合、ネット将棋がホームグラウンドですからねえ。どうなるのでしょう。とにかく楽しみな組み合わせです。
ちなみに、解説の阿久津さんは、かなりネアカな性格のように感じられました(笑)。

マイナビ女子オープンHP

マイナビ女子オープン。先手が千葉さんで、後手の山田さんが無理矢理矢倉に。千葉さんが激しく先攻しましたが、山田さんが機を見て反撃。△4五桂が実に気持ちのよさそうな手。先に、△5七歩を入れておいたのが効いています。本譜もそう進みましたが、▲同飛に△3六角と準王手飛車をかけ、以下きっちり勝ちきりました。
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これで、山田さんがベスト4入り。トーナメント表を見ると、彼女以外に残っているのは若手ばかりです、ってこういう場合、他にどういう言い方をすれば適切なのでしょうか(笑)。
とにかく、私としては、この棋戦に限らず、やっぱり中井、山田あたりに、頑張っていただきたいなどと思っている次第であります。

ロバート・ジェームズ・フィッシャー死去

ボビー・フィッシャー逝く。

YAHOO ニュース関連記事リンク

つい先日、カスパロフの新著関連記事で、フィッシャーについての否定的なコメントを紹介してしまったばかりなので、少々後味が悪い。無論、カスパロフは、フィッシャーのチェスの才能は文句なく認めている。少し皮肉な言い方だが、こういうことも言っている。

ブルックリン育ちのフィッシャーは第一級の十代の天才児だった。勝利へのとてつもない決意とあくなき練習意欲、無類の正確さを誇る技術を併せ持っていた。その実績の多くは今後も破られることはないだろう。

そのチェスの才能に匹敵するのは、彼自身の物議をかもす才能のみ。それはテレビ時代における西側初のスター棋士にとって理想的なーーあるいは破滅的なーー組み合わせだった。

羽生善治が毎日の記事のコメントで「チェスのモーツアルト」とまで言っている。やはり、モーツアルトも、とても騒々しい人物だった。無論、羽生善治はそんなことまで考えて言っているわけではないのだろうが。
私は、フィッシャーの、知らなくていいことばかり知ってしまったということになるのだろう。

王将戦第一局 羽生王将vs久保八段

棋譜等はこちら

うーーむ、なんという勝ち方なんだ。
久保さんのいきなりの勝負手、△2六歩を手抜き!で、▲4七金。
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場合によっては、銀冠に組もうということだそうですが、羽生さんは許さず。ものすごい勢いで、一気に攻めつぶすつもりなのかと思いきや、ひたすら攻めをつなぎながらも、その攻めのペースが、どんどんスローダウンしていくように見えて、どんどん久保さんの勝つ要素、主張する要素がなくなっていきました。
鬼っ!(笑)もう、そうとしか言いようがありません。
投了図が、こんな感じになってしまいました。
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久保さんは、どんな将棋でも、最後まで諦めずに執念を燃やすという印象がありますが、さすがに戦意喪失ということなのでしょうか。というか、実際どうしようもないのでしょうが・・。
二日目は、延々と受けに回らされた上に、崩壊しかけるのを、じっと我慢し続けているのに、羽生さんが、全然あせらずに、むしろ真綿で首をしめるようにジワジワやってくる。私だったら、24でこんな負かされ方されたら、挨拶ナシで去りたくなるかもしれません(,笑)。(実際には、私はどんな場合でも必ずちゃんと挨拶しておりますよ。)
最近の羽生さんは、なんだか、同じ勝つにしても、その勝ち方が鬼神の様相を呈してきました。
でも、冷静に考えると、本局については、久保さんが無理気味に主張しようとしたのに対しては、収まってはいけないので、断固たる対応をし、相手が、ただひたすら崩れないように専守防衛に戦力を注入してきたら、無理をせずに、優位の態勢を拡大していくというのは、実に合理的だったということになります。
これぞ、プロの勝ち方ということなのでしょう。

A級順位戦は、佐藤さんがやっと片目を開けました。我ながら心が汚いと思うのですが、挑戦争いの将棋のときは、途中で寝ちゃうのに、あの将棋は、最後までしっかり見てしまいました(笑)。まあ、私の心の汚さはともかくとして、とにかく降級争いにこそ、ものすごく人をひきつけるドラマがあるというのは、もう、これは、どうしようもないことです。将棋ファンとしては、しっかり、そういうのを見届けるっきゃありません。

C2は全勝者がいなくなりました。今後の対戦表を見ると、上位の一敗者が難敵を残しており、まだまだ、どうなるか分かりません。ということで、私は某ブロガー棋士の将棋を、結構ドキドキしながら応援して見ております(笑)。

順以戦は、だいたい注目局を中心に見ることになりますが、多数の対局の中で、将棋の内容がすごいことになっているというのが必ずあるはずなのですが、私レベルでは、パラパラ見て回るだけではすぐには分かりません。この将棋が今注目、「見なさい」というようなことを、応援掲示板で示唆してくれると助かるのですが、ってここに書くことじゃあありませんが・・。(どうも、あの応援掲示板は、敷居が高くて、今まで一度も投稿したことがないし、これからも、とても出来そうにありません・・。)

本日も、B1のまっ最中です。今日も、睡魔との闘いだーー。

カスパロフ「決定力を鍛える」

この本については、戎棋夷説がほぼ半月がかりで書評を書かれているので参照されたい。
この本の中で、カスパロフが、激闘を繰り広げたカルポフとの世界選手権での勝つしかない一戦で、カルポフの指し方を採用したという話がハイライトとして出てくる。将棋ファンとしては、かつての名人戦で、中原が大山の振り飛車に手を焼いて、自ら飛車を振るという奇策を取ったということが連想されるのだが、既に12/16、12/17に書かれてしまっている。純粋将棋ファンとしては悔しいので、余計なエピソードを付け加えると、そのとき中原は、名人をとることができると思って飛車を振ったのではなく、大山の振り飛車を学んでおこう、もし今期名人位を取れなくても、次期のA級でほぼ確実に自分が挑戦者になれるだろうと考えていたそうだ。この自信、図太さはやはりすごいと思う。
私は、実は読前、この本に対する期待が過大に高かった。どうも評判では将棋棋士などとは異なるレベルの教養の持ち主らしいし、すごいものが読めるのではないかと。でも、実際に読んでみるとチェス以外についての考え方は、意外に凡庸な印象を受けた。確かに物知りなのだが、それを深くチェスと結びつけるにまではいたっておらず、カスパロフ自身、現在は本物の政治家だからなのか、政治や歴史のエピソードの例えが次々出てくるのに、少し閉口しながら、読み続けたのが正直なところだ。
一方、戎棋夷説11/30でも指摘されているように、羽生善治が語る「将棋以外の話」というのは、本当に非凡である。特に、私は吉増剛造氏との対談にノックアウトされたのだが、なぜ、将棋指しがこんな豊かなことを言えるるのだろうかと、驚嘆したものである。多分、羽生善治は、世界的にも、ちょっと類を見ない存在なのだろう、と、このカスパロフの本を読みながら、思わずにはいられなかった。

とはいっても、やはり興味深い話が満載である。
例えば、チェスにおける記憶。プロの記憶力というのは、写真機のような平面的なものではないことを小林秀雄の「感想」の引用で紹介した。ここでも、チェスプレーヤーの記憶について、実際のプロの対局した局面においては、一般人を凌駕化したのに対し、ランダムに配置した意味のない局面では、ほとんど一般人と変わらなかったそうである。やはり、対局全体の流れや動きや力学を含んだ一瞬という捉え方で記憶しているらしい。
また、コンピューターチェスとの関連では、現在ソフトがチェスのグランドマスター(トッププロ)と完全にほぼ同等レベルになっているとのこと。例のディープブルーとの対決にも簡単に触れられているが、カスパロフは、「この勝負の閉鎖性からは、人間が干渉する余地が生じていた」というほのめかすような言い方で、なぜディープブルーが、あの有名な絶妙手を指せたのかに疑問を呈している。いまだにそんなことを言うカスパロフは、やはり相当な負けず嫌いなのだろう。
しかし、カスパロフは、コンピューターを単に敵視しているわけではない。彼でなくても、研究にプロがソフトを使うのはもはや当たり前になっているらしい。さらにカスパロフは「アドバンス・チェス」という、プロチェスプレイヤーとコンピュータが組んで、二組で対戦するという試みを始めたそうである。その種の大会が開かれて、やはり単独のコンピューターよりも、それに人間の判断力が加わるとさらに強いことが証明された。しかし、それより驚くべきは、トッププロの人間ではなく、コンピューターの検索や操作に慣れた一般の人間のチームが、ある大会で優勝しことである。
現在将棋界では、純粋な人間vsコンピューターしか行われていないが、例えばソフトに知悉したアマ強豪とコンピューターが組んで、プロと対戦したらどうなるのかというのは、ちょっと興味深いテーマではある。
それと関連するが、将棋においては、いくら共同研究が進んでいるといっても、最終的には棋士個人が全てやる勝負なのだが、チェスの場合は、あるプレイヤーに専門スタッフをつけてチームを作って戦かうのが普通らしい。ここら辺も、彼我の差があって面白い。
全体に、カスパロフは、チェスソフトがどれだけ強くなろうとも、人間独自の能力に対する素直な信頼が強い人物のようである。勝負における心理的要因の大きさも強調しているし、チェスで勝つためには、相手の全性格を含めた特質を知るだけでなく、己の性格自身を率直に認めて、その弱点を直すという作業にも取り組んできたそうである。さらに、彼自身の、「アタッカー」としての攻撃性、主導権をとるという性格を徹底することで勝ち抜いてきて、それを人生訓的に語りさへしている。意外なほど人間的なチャンプだという印象を受けた。
フィッシャーについては「最悪だったのは、冒涜的な反ユダヤ的発言をせずにはいられない傾向を示したことだ。フィッシャーの傷つきやすい心は、唯一理解出来たチェスという世界を長く離れている間に崩壊していた。」、とはっきり言っている。フィッシャーの911についてのーの発言などを考えると、残念ながらその通りだと言わざるをえないだろう。

カスパロフは、現在ロシアの反体制政治家として活動している。本気で戦っているのだ。このブログは、そんな政治的な話題を語る場所ではないし、私には政治状況を客観的・的確に把握分析する力も全くないのだが、この著書よりも何よりも、そういう事実こそがカスパロフの本当の非凡性なのだという、ナイーブな見方を敢えてしたい者なのである。

田辺忠幸さん、NHK杯 三浦vs丸山、LPSA日めくりカレンダー、ご主人様王手です、PDG

観戦記者の田辺忠幸さんが亡くなられたそうです。将棋ブログを見ていると、いろいろな方が書かれているのを自然に目にしますが、皆さん、田辺氏と交わした会話など、具体的エピソードをあげている場合が、とても多いように感じました。それだけ、実際の場面で強烈な印象を与えずにはいられない方だったのでしょう。全然田辺さんのことを知らない私でも、そういう記事を読んでいると、豪放磊落で、気さくで、温かい人柄が感じ取れます。無論、そういうイメージは、ご本人とは全く別物だということは忘れてはいけないのでしょうが、こういうブログ類の貴重なところではあります。以下に、エピソードをあげている記事などのリンク集を作ってみました。ご冥福をお祈りします。

MONOGUSA COLLECTION 2008/1/8から1/13まで

NHK杯は、A級順位戦でトップを走っている注目の三浦八段が登場。苦しい将棋だったようですが、終盤丸山さんが珍しく乱れたのにつけこんで制勝。図は丸山さんが、▲5九香と打った場面で、既に逆転模様だそうです。解説の先崎さんが、これは後手玉は詰めろではありません、と言っていたので、じゃあ△7八銀と普通に詰めろをかけたら、と私が思い、先崎さんもそう言われたら、実際は△8六金。
丸山さんも、苦しいながら狙っていて、▲6五歩△同玉に、△7七桂を最後の望みにかれていたとのこと。それを冷静に秒読みのさなかにに看破しての△8六金。まあプロとしては当たり前なのでしょうが、印象に残りました。以下、馬を動かさないまま、先手の守り駒の金を抜いて必死をかけて、三浦勝ち。
▲5九香まで
a

やっぱり、三浦さんは、終盤とかメチャクチャ正確だという印象があります。羽生さんの七冠の一角を崩したのも、もう遠い昔のこととなりましたが、あの時も、羽生さん相手に、終盤で勝ち筋をきっちり読みきってバッサリ切っていたのが印象的でした。といっても、私は具体的内容はすべて忘れていますが・・。あの鬼のようなA級で、これだけ勝っているのは、やはり何か特別なものがあるのに違いありませんが、急にこれだけ勝ちだした原因というのは、なんなのでしょうか。単にA級の実力が僅差で、誰しもそういう可能性があるのか、あるいは、三浦将棋に何かの変化が生じているのか。私には、残念ながら分かりません。そういえば、七冠を破った当時でしたか、宗看看寿のあの難解な詰め将棋も、筋さえ見つければ、結構パラパラ解けるものだと、あっさり言われていたのも、かすかに記憶に残っています。いくらプロでも、そういう人って、少ないんじゃないだろうかと思ったのですが、どうなのでしょう。とにかく、鬼の終盤力があることだけは、間違いありません。
名人戦、私は羽生ファンなので挑戦者になってもらいたいわけですが、三浦さんの挑戦も見てみたい気もします。多分、森内さんとは、将棋の考え方も人間的な感性でも、全く合わないんじゃないかと。個人的には、加藤一二三の後を継ぐのは、三浦弘行しかいないんじゃないだろうかなどと、本当に勝手なことを思ったりしているもので・・。
それと、順位戦では、B2で、松尾さんが二敗目を喫して大接線模様です。次回の山崎vs神谷戦が、見逃せない大勝負になります。神谷さんの、はるか昔のどーでもいいエピソードを書いて喜んでいるような場合じゃありませんでした(笑)。猛省。

LPSA日めくり詰め将棋カレンダー、今日まで解くのを全く忘れていました。破り捨てるのはもったいなくて、本のように毎日解こうと思って飾っておいたら、すっかり13日も経過。今、まとめて解こうとしたら、すぐにつまずいて、とりあえず、5手詰め以下だけ解いて、これを書いています。石橋さんの作った初心者用3手詰めには、本当に感謝せずにはいられませんでした(笑)。
ところで、なぜそんなことに急に気づいたかといいますと、最近LPSA女子プロのこの方が、新しいブログを開始、というか再開されていて、その中でカレンダーのことを書かれていたからです。ちなみに、そのブログの存在を知ったのは、この方のブログででした。

ご主人様王手ですは、もう早いもので、すぐにも卒業試験だそうです。今週配信分では、梨沙帆さんのことを、スタッフがしつこいくらいにいじっていました。ご主人様名物?の「中川・遠山コント」といい、ハチワンダイバー実写版といい、過去の名企画「加藤一二三伝説」といい、ここのスタッフは、かなりのお笑いマニアが製作している模様です(笑)。

PDGの新年初回配信では、なぜか松本博文さんが、ゲスト出演しているのが妙におかしかったです。別に普通にしゃべっていただけなんですけどね。
実は、私も、かつて自分ひとりだけがオトコで、周りが女性ばかりという状況で仕事をしていた経験があります。周りは、うらやましい、などと無責任なことを言うのですが、本人にしてみれば、あの肩身の狭さ感というのは相当なものがありました。もともと女性の扱いはそれほど得意な方ではない、いや全然得意じゃないし、結構精神的に疲れるものがありました。別に、女性どうこうという意味ではなく、女性多数に対して、男性少数の場合に醸し出される、あの独特の雰囲気のことを言っているだけなので念のため。
言うまでもなく、松本氏やLPSAについては、そんなことは微塵もないものだと心の底より私は確信しているものではありますが(笑)、松本氏が「個性の強い女子の皆様に囲まれて・・」などと、ささやかな抵抗?をしているのを聞いて、一人ニヤニヤしていたワタクシは、今年もLPSAマニア系ファンであり続けることでありましょう。松本氏を、単独でも:ゲストに呼んでもらいたいものです。

いまTVをつけたら

BSで囲碁棋聖戦をやっていました。
私は知らなかったのですが、挑戦者が趙治勲さんなのですね。
現在51歳、しかも現NHK杯なのですか!
ちょっと、今の将棋界では年齢的に考えられません。
でも、将棋界でも、こういうことが起こってほしいんですけどねえ。

小林秀雄「感想」から 将棋の記憶・イメージ能力に関連して

小林秀雄の未完のベルグソン論、「感想」を少しずつ読んでいる。小林が、生前出版を禁じたいわくつきの書物である。その中で、将棋と関連する面白い部分を見つけたので紹介しておく。ベルグソンが記憶についての叙述について小林が説明している部分からの引用を。

将棋の専門家が、幾人もの相手を並べて置いて、めくら将棋が指せるのは誰も知っている。相手のうちの誰かが、次はこう指したと報告をされる毎に、これに対応している自分の盤の駒を動かして貰い、結局、みんなに勝って了う。従来の解釈は、例えばテーヌの「知性論」にあるように、この場合、専門家には、純粋に視覚的な記憶があるとする。恐らく、彼には、心の中の鏡に映るように、最後の手順を示す各盤面のイメージが浮かんでいるのであろうと考えた。ところが、ビネの「めくら将棋」の研究は意外な結果を、はっきり示したのである。専門家の駒のイメージは、けっして鏡に映る様なものではなく、絶えず努力して、再構成しなければならないものだ、ということがわかった。では、この努力とは何か。彼の記憶に実際に現れた諸要素は何か。質問を受けた将棋の専門家たちの答えは、先ず次の点で一致していた。駒自体が心の眼に見えているということは、勝負の役には立たぬ。寧ろ勝負の邪魔になる。彼らが心に留め、心に浮かべているものは、駒の外見ではない、その力であり、射程であり、価値であり、要するに駒の機能である。見えているのは角の格好でもなければ、飛車という字でもない、斜めの力であり、直線的行進である。それは駒の話だが、勝負についても、彼らが心に浮かべているものは、様々な力の構成であり、敵方の力と味方の力の関係である。彼らは、勝負の初めからの歴史を、心のうちでやり直す。遂に現在の位置に到達するために継起した諸事件を再構成する。こうして、彼らは、全体的な表象を得たうえで、時に応じて、そこから様々な要素を視覚化する。だが、この抽象的な表象は、やはり分割の出来ぬ一つの全体を成した表象であって、それは、全ての要素の相互の浸透を含んでいる。つまり、めくら将棋を指す棋士には、それぞれの対局が、独特の印象を与える独特の顔付を持ったものと見えているのである。この顔を捕らえるのは、音楽家が、ひとつの和音全体をつかまえる様なものだ、と或る棋士は言う。幾つもの対局が混同してしまうことがないのは、この顔の違いによる。この棋士の言う顔という対局全体を指す図式(シエマ)は、対局の単なる抜粋でもなければ、要約でもあるまい。それはひとたび喚起されたイメージが完全な様に完全なものでありながら、イメージが、互いに外的な部分に展開する所以のものを、互いに関連する状態で含んでいるであろう。


引用が長くなったことをお許しいただきたい。途中で切ろうと思ったのだが、ここまで引用しないと十分に意味が明確に伝わらないと思って、ダラダラ続けてしまった。また、書き写していて、表現の美しさにホレボレしてしまったこともあるのだが。
言うまでもないが、ここで「将棋」といわれているのは「チェス」のことであるが、当然将棋にも適用できる話だろう。
将棋でもおける、脳内将棋、場合によってはそれにプラスした多面指しの場合、我々素人は、何であんなことが可能なのだろうかと驚嘆するばかりである。頭の構造がハナから違うのだ、で片付けてしまう。
しかし、この叙述を読んでみると、頭の出来というよりは、考え方とかイメージの仕方の違いの問題なのかもしれないと思えてくる。要するに、プロ棋士は、一つの局面を単なる図面として静的に映像として描いているわけではないのだ。そうではなく、その局面に至る。各駒の動き、展開、力のベクトルぶつかり合いを動的に全体として捉え、その綜合としての局面をイメージしているわけである。前者は単なる静的な俯瞰図、後者は力のベクトルを内包する立体的な映像とも言える。二次元と三次元の違いともいえるかもしれない。「一つの顔」とか「音楽家が捕らえる一つの和声」という比喩が理解するためには分かりやすいだろう。
これは、将棋の弱い強いにも関連させて考えることが出来るかもしれない。つまり、我々のようなヘボは、別に目隠しでなく普通に指していても、或る局面でどうすればよいかだけをアタフタ考えて、前後のイメージの積み重ねがきわめて貧弱である。それに対して、プロの場合ならば、ある局面だけを独立して見るのでなく、そこにいたる駒の機能や動きの状態を常に活発にイメージしながら指しているために、結果的に「直感」でよい手が見えるのかもしれない。
将棋は、単なる記憶力のゲームではないのだ。徹底的に定跡を覚えれば、ある程度までは強くなるだろうが、必ず壁にぶち当たるだろう。それに加えて、いかに将棋を豊かにイメージできるかがポイントになってくるのかもしれない。全く同じ局面を見ていても、弱いアマチュアには、単なる貧弱な符合の塊にしか見えないのに対し、プロにとっては、そこにはエネルギーの風や水流が逆巻く豊潤な絵のように見えるのかもしれない。いわば、ある風景を見て、一般の人間が素通りするのに対して、画家の目が全く違った美しさを見つけ出すのとも似ている。
将棋を上達するための「高速道路」を走りぬけた末に大渋滞に巻き込まれるとしたら、それを抜け出すためには、この種の芸術的イメージ能力が必須なのだろう。
これは、プロを目指す人に限った話ではない。アマチュアが上達するためにも、貴重な手がかりになりそうである。単に場面の一部だけを狭い視野で見て、ああすればこうすると考えるのでなく、盤面全体を力の場としてイメージ的に捉えること。抽象的な言うとそうなるが、具体的には、「盤面全体を見て指しなさい」とか、「どの駒も遊ばないように指しなさい」とか、「自分のことだけでなく、相手との関係を良く考えて指しなさい」、というのも、全部今の話につながってくるはずだ。要するに豊かにイメージして将棋を指しなさい、ということだ。
といっても、今のようなことを頭で理解したからといって、実際に急に私が強くなることは絶対ありえないわけだが(笑)、将棋というゲームを考える上で、この小林の本の引用部分には、目が覚める思いがしたのも事実である。
この引用は、チェスに関してなのだが、こういう視点で、プロの将棋棋士が、どのように将棋をイメージして指しているのか、目隠し将棋や多面指しの際に、どういう思考・イメージ方式を採用しているのかも、是非機会があったら調べてもらいたいものだと思う。

朝日オープンを横目で眺めながら書いていたのだが、今羽生さんが勝ったところである。やっぱり強い。羽生さんの眼には、盤面はどのようにイメージされているのだろうか。一度でいいから、頭の中にもぐりこんでのぞいてみたいものである。

河口俊彦「新対局日誌1から8」をまとめ読み

河口氏の「大山康晴の晩節」を読んで、やっぱり面白かった。で、正月休みを使って、新対局日誌をまとめ読みしちゃおうと思い立ち、図書館でごっそり借りこんだ。最初は、ちゃんと棋譜や指し手の解説部分も読んでいたのだが、ちょっと時間がかかりすぎそうだったので、今回はそういう部分は全部飛ばしちゃうという失礼な読み方をさせていただいき、猛スピードで全8巻を読破。私はゴシップ好きのオバサンみたいなところが多分にある将棋ファンで、将棋自体以外にも棋士のエピソードにも興味があるのだ。
考えてみれば、プロの将棋指しの世界というのは、変わった場所である。たった、百数十人の人間が、ほぼ一生付きあっていき、なおかつ、勝ち負けというはっきりしすぎた結果を伴う非人間的行為を延々繰り返していかなければならない。人間関係において、一般社会以上に、色々あって当然なのだ。
そういう場面を活写させたら、河口氏の右に出るものはいないだろう。色々面白かったが、本のごくサワリのみ紹介しておこう。
かつてのB1で、田中寅彦と前田祐司は猛烈に張りあっていた。両者の対局時の緊張感はものすごく、二人とも闘志むき出しだったらしい。前田にいたっては、「私は人間魚雷になります」と言い放ち、自分が負けて犠牲になってでも田中を昇級させまいとしたのだという。今じゃとても考えられないような、人間的な光景である。ところが、そんな二人も、直接対局の後、一緒に飲みに行って、買った方が負けた方におごったりしているというのだから、実に不思議な関係である。いわば、しょっちゅうケンカしている兄弟のようなもので、大きな意味では家族の一員ということなのだろう。
河口氏の対局日誌では、普段省みられない棋士たちの順位戦での哀歓などを主に扱っていてるのだが、晩年の大山については、さすがに大きく取り上げている。特に、A級順位戦での青野との死闘はすごい。(藤井猛「現代に生きる大山振り飛車」でも、棋譜解説されている。)序盤で大山に大ポカがでてほとんど終わった将棋を、驚異の粘りで逆転に持ち込むが、その後も二転三転し、最後は青野がはっきり勝ちに。普通なら投げてもおかしくない場面で、大山が指した▲6九銀という、ただ詰めろを受けただけの手のことを河口氏は特筆している。そういう場面で、ほとんど意味のないような手を平然とさせる大山の心の強さ。その執念が通じたのか、青野が間違えて、大山が勝つ。総手数、227手の大激闘、消耗戦、当時大山はなんと67歳であった。大山というのは、たんなる将棋指しという以上の、何者かであったことだけは間違いない。
最後に、思わず笑い転げてしまった神谷広志さんのエピソードを。神谷さんは、一言居士で、毒舌家で、なんでもストレートに言ってしまう性格だそうである。そういう性格だと、ああいう狭いムラ社会では大変そうなものだが、案外仲間内からは好かれているらしい。もう各人がどういう性格か、お互い知り尽くしているので、かえって表裏がないほうが、気持ちよいのかもしれない。私自身も、大好きな棋士の一人である。
そういえば、今年の名人戦か竜王戦か忘れたが、神谷さんが立会いでBSに出演した時のこと。アナウンサーが、神谷さんを紹介するのに、気を使って、あの何十何連勝をした神谷さんと紹介したら、神谷さんは喜ぶどころか「あんまり、そういう過去の栄光みたいなことを言われてもうれしくありませんね、今勝ちたいです。」という意味のことをのたまうた。アナウンサーだって、単に気を使ってご機嫌取りしているだけなのだから、黙って受け入れればいいところを、そんな正直な受け答えをしてしまう神谷さんが、実に好ましかった。
また、田中寅彦さんの「将棋界の真相」によると、加藤一二三先生の対局で、例によって加藤先生がいつものクセで、駒を何度も何度も触って位置を直していたら、神谷さんは耐えきれなくなって「ボクの駒にさわらないでください」と言ってしまったそうである。思ったことを言わずにはいられない性格なのである。
さて、そんなとてつもない正直者の神谷さんについての、河口本のエピソードを引用して終わりにする。

島といえば、「将棋世界」平成三年二月号のエッセイも愉快だった。中でも沖縄本島に旅行して、女の子と仲良くなりかかったとき「どうせあなた方も下心があって旅行に来ているんでしょう」と神谷が言ってはならぬことを言って、努力が水泡に帰したあたりは大笑いした。神谷の人柄がこの一言であらわされている。さらに、情景、表情など目に浮かぶようではないか。


そりゃね、若い男も女も、下心があって旅行に来ているかもしれないさ。誰しもそれは分かっているのさ。でも、なぜわざわざそれを女の子たちを誘っている最中に口に出して言う必要があるのさ。
それを言われた女の子たちの表情やリアクション、島さんたちの唖然とする表情などを想像すると、もうたまりません。

菊地成孔のネット批評についての発言を将棋と無理やり関連させて

あけまして、おめでとうございます。
元旦からブログをガンガン更新しようと思っていたのですが、やっぱり正月気分に浸ってしまいました。正月恒例の越乃寒梅もいただいたりして。なにやら本当の日本酒通には、この幻の酒をあまり評価されないむきもいると小耳に挟んだことはありますが、私にとってはやっぱり旨い酒だし、正月定番だし、クイクイ飲めてしまうし・・。というわけで、すっかり「酔ひどれ天使」と化した私には、ブログ更新など夢のまた夢でしたとさ。

さて、菊地成孔は、今をときめくジャズミュージシャンです。彼の著作「東京大学のアルバート・アイラー」は、ジャズ史を独自の切り口で俯瞰した素晴らしい講義録なのですが、その中で、一般的にネットにおける批評について語っている箇所があります。少し長めになりますが、まず引用します。

えー、批評というのは、人間が書くあらゆる散文のうちのジャンルのひとつですけども、インターネットとホームページの普及によって近年この「批評」という行為が爆発的に増えてきております。日記サイト、掲示板、その他もろもろ、状況的に見れば、ひょっとしたら日本人の書き文字が今後批評やコメントだけになってしまうのではないかというぐらい、今や日本人全員がジュースを買っては批評し、映画を観ては批評し、人物を見ては批評して発表するということを日々繰り返していますね。
ところで、批評という行為には、自分が実際に経験した事柄以外へと開かれていく、外部的な視座・視点というものが不可避的に必要になってきます。例えばこの講義で学習してきた「歴史」というのも、私たちの外部にあるものです。個人の嗜好、経験、身体性、心の問題といったパーソナルな要因が批評に必要なのは当然のことですが、実際に批評を書こうとするにあたって、そういった個人的ファクターと外部からの批評視座とのあいだには、必ずノイズや軋轢が生じます。自分の身体の反応と、外部から与えられた教育や歴史との相克というものを、記述の中にどうにかして捻じ込む、という行為が批評だと言えるわけですが、昨今ネット上などで見られる批評の多くは、外部に目を向けるのは苦しいからそういった擦り合わせをまったく放棄して、自分の身体性一辺倒で物事に当たる、といった方向に塗りつぶされつつあるのが現状だと僕は思っています。こういった態度から何が生まれてくるかというと、現在の自分の尺にあったもの、気に入ったものに関しては「偏愛」する、で、気に入らなかったものに関しては「滅茶苦茶なクレーム」をつける、といった、ある種の心理的暴力ともいえるような批評ばかりが増加することになります。これはさ、インターネットって言うツールが持っている外部遮断能力の高さにも原因があると思うんだけど、現在、どのような分野においても、いわば「分断して統治する」っていうシステムが是とされているわけですね。こうした状況が招いた事態ですが、そういった現在だからこそ「何かを勉強して批評する」という作業が非常に重要であると思っています。
(中略)
とにかくね、好き嫌いで感情的に書き飛ばしてしまうってことが習慣化してきている現在ですが、批評というものは本来非常に苦しい作業です。歴史を学ぶということは批評視座を学ぶということであり、それは自身の外側にある、これまで自分とは関係がないと思っていたものとコミュニケートするということですから、必然的に自己像の更新も必要になります。

すばらしい。本当に。もうこれ以上、何を書き加えることがあるというのでしょう。本当に、これだけでやめちゃいたいところなのですが、それだと現在の著作権法違反の恐れがあるので、やむをえず、適正な範囲の引用に見せかけるために、これが「従」となるように「主」の部分を捏造していっぱい余計なことを書かざるをえないのです。悪法といえども法は法なのですが、現在の著作権法、現在問題になることが多い映像について含めても、明らかに著作権法自体が時代に全くそぐわないものになっているのは確かだと思いますが、この問題は大きすぎて自分の手には余るのでとりあえずパス。
さてと、現在、何でもかんでも批評したがる言説がネット上に溢れかえり、なおかつそれがもっぱら自分の身体性にのみ依拠した好き嫌いレベルの印象批評にとどまりがちだという指摘、私にもグサグサ突き刺さってきます。
例えば将棋で言うと、プロの将棋をきわめて弱いアマチュアが批評するという行為には、果たしてどういう意味があるのか。当然、本当にプロの指し手を理解して客観的に「批評」することなどおよそ不可能です。結局は、プロの解説を頼りにしながら、それを追認したり要約した上で、個人的な感覚批評を付け加えるということぐらいしか出来ない。常に、こうしてプロ将棋を語るブログを書いていて、一種の後ろめたさのような気分を感じざるをえません。そんなことやって、何の意味があるの、と。実際、意味など全くないのです。
厳密にいうと、将棋の場合、本来の意味での客観的なプロ将棋の批評が可能なのはプロ棋士のみです。だから、自分などは、再開前のブログでは、自分が弱いということもあって、敢えて具体的な指し手への言及は一切捨象して、そこから、棋士のどういう心理や人間性が、感知できるのかということだけに絞って書いていたこともありました。無論、それにしたって、結局は主観的な感覚批評に過ぎないわけですが。
しかし、最近は、あんまりそういう難しいことは一切考えずに、プロの指し手についてああだこうだいったり、きわめて雑駁な形でやっています。単に開き直っているだけなのですが、そこで少し助けになるのが、渡辺明竜王の「頭脳勝負」での名言、「プロの将棋を、プロ野球やサッカーを楽しむように観て欲しい。自分では出来ないことに対しても、ああしろこうしろと、いっちゃってください」です。
そこには、いかに広い範囲のファンに将棋を楽しんでもらえるか、将棋が現在のような他にいくらでも楽しみがある世界でいかにサバイバルしていくかという痛切な問題意識があるわけですが、アマチュアファンの側としても、プロがこういうことを言ってくれるというのは、本当にありがたいことです。
厳密な意味でのプロ将棋の批評はアマには不可能、それでも楽しんでしまって構わないのだと。実際、本来の意味での批評は無理にしても、アマがプロ将棋についてブログに書く意味もいくらか考えられそうです。まず、ブログの即時性を生かして、今まさに終わったプロの対局についての感想を、ファンで共有できるということ。また、そのとき、他の人がどういう感じ方をしてみていたのか、どこに特に感動していたのか、どこがおかしいと思ったかなどなどを知ることが出来るということ。実際、何か大きなタイトル戦の後など、別にプロの人でなくてもいいから、みんなが何を感じていたのか、とても知りたいと思うものですからねえ。少なくとも、私の場合はそうです。
本来の「批評」ではないにしても、そういう価値はブログに存在するといえるのではないでしょうか。また、だから別にプロ将棋について、無理して客観的に分析しなくてもいいわけです。むしろ、たとえ間違ったことをいっていたとしても、思いっきり自分の主観をプロ将棋に遠慮なく言っているブログのほうが面白いとも言えます。それは、具体的指し手についてでもいいし、対局者の心理についてでもいいし、聞き手を担当した女流についての感想だっていいのです。そういう、あえてプロ将棋について好き勝手言うブログが、どんどん増えてもらいたいものだと思います。
ただ、繰り返しになりますが、そういうのは一切本来の「批評」などでは断じてないという自己認識は常に心の片隅で意識していなければなりませんが。

次に、批評の対象としての「将棋」の特殊な性格について。(まだまだ続くんで、もう読むのやめていただいても結構です 笑。)
クラシックの世界にアーノンクールという古楽器派の親玉みたいな人がいて、音楽の鑑賞について様々な挑発的で刺激的な発言を繰り返しています。彼が次のようなことを言っています、といってもいい加減に記憶で書くので正確ではないかもしれませんが。
今では、音楽に通暁する専門演奏家と専門知識を持たない聴衆という二分法が当たり前になってしまっている。しかし、かつてはそうではなかった、例えばモーツアルトの時代は、聴衆も自分では楽器などを演奏した音楽知識のある人達で、モーツアルトもそのことを意識して、「通のために」も書いていた。モーツアルトの書簡によると、この部分では聴衆がドッと来るといった効果を考えて書いて、しかも実際の演奏会で聴衆はちゃんと反応した。つまり、そういう作曲者と聴衆の会話が成立するのが、かつての本来の音楽の姿だったのだ、と。
なるほど、そうかもしれないと思う一方で、でも、それだと結局音楽が一部の貴族だけのものになってしまうじゃん。現代でそんなこと言われてもなあ、とちょっとばかり文句を言いたくなるところではあります。
しかし、実は将棋というのは、そういう面では結構有利な条件に置かれているのではないでしょうか。確かに習得するのは大変ですが、それでも本当に必要なのは最小限のルールだけ。実際にも、いくらでも安い駒や盤があるし、今ならネットのソフトや24だって存在します。また、将棋の場合、いくらなんでも、ある程度はゲームの性質を理解しないと楽しみようがありません。したがって、アーノンクールのいうような、一般の人間が、実践的にプロのやることに関わるように、最初から将棋は出来ているという考え方も可能です。しかも、音楽のように、実際に楽器を買ったり、先生に習ったりなどというめんどくささがなくて、やろうと思えば、一人でどこでも出来るわけです。
つまり、将棋は、ある程度学習しないと楽しめないという、ファンのスケールを広げる上での難点が存在する一方で、誰もが、ある程度は必然的に将棋を客観的に理解することを要請される、「参加型の良いファン」を獲得できるように最初からなっているということです。それが、プロ野球らサッカーなどのスポーツと根本的に違うところです。
卑近な話で言うと、最近ほとんどしないのですが、私もたまには24で指すことがあって、そのたびに「私みたいのがプロ将棋について書いちゃいけない」と毎回痛切に思います(笑)。つまり、24でひどい将棋を指すおかげで、一種客観的な批評の視座を失わないでいることが出来るわけです(笑)。
また、将棋の場合、強くなればなるほど、将棋に対する理解が深まれば深まるほど、楽しみが大きくなるのも間違いありません。だから、プロ棋士は、アマチュアにプロ将棋を理解させたり広めるのが難しいと悲観するのではなく、逆転の発想で、とにかくある程度客観的に将棋を理解し、レベルがどうであれ実際に将棋を指すことが出来るファン、一応客観的で参加型の批評が可能な層を相手にしていることを幸運と思ってみてはいかがでしょうか。
無論、それは将棋の道に入ったことにのみ当てはまる話で、いかに将棋の世界に引き込むかという一番の難題は残るわけですが。
現在努力しないで楽しめる快楽に多くの人間が流れているわけですが、必ずそういうものに人間は飽きるのではないかというのが、私の個人的見解です。将棋のように、楽しむためにはある程度の努力が必要な変わりに、深さが際限のないものに、人々はいつか必ず戻ってくるはず、と新年にふさわしく思いっきりオプティミスティックな結論で終わらせていただきます。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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