2008年05月

将棋世界6月号など

遠山四段が、「将棋を指さない将棋ファン」のことを書かれていたが、そういう人が書いた将棋本書評で面白いのを見つけたのでは紹介してみよう。少し前に私も始めたtwitterの世界では有名人らしいokadaic氏が、ブログに書いているものである。まだ将棋は勉強中で初心者の段階らしいのだが、それでも、これだけ将棋本を深くマニアックに?楽しめるという好例だと思う。
っていうか、強豪猛者ぞろいの将棋ブロガーの中にあって、棋力はたいしたことない私が、正統派でないことを逆手に取って狙っている隙間的な方向性を、さらに徹底してもっともっと面白くやって見せてくれているので、もしこういう方が本格的に参入してきたら、私などは大ピンチだ??
とにかく、別に指す将棋マニアだけでなく、完全に将棋については素人でも楽しめる要素とか妖気のようなものが間違いなく将棋には存在するように感じる。将棋の世界の方々は、そういうものをアピールする努力も、もっともっとするべきなのではないかと思う。

帝都高速度少年少女! なんでも訊いてやろう。佐藤康光vs吉川良
帝都高速度少年少女! 佐藤康光さんの文体が好きなんだ。

さて、名人戦に夢中になっているうちに、もうすぐ次号が発行されてしまうので、あせって将棋世界6月号を昨晩ざっと読んだ。
佐藤二冠が、棋王戦の最終局の読みの内容、頭の中身を徹底公開している。相当マニア向けの高度な内容で、私にはついていくのが大変だ。だが、具体的読みの中身以外でも、基本的に考え方という面で、とても興味深い部分もある。
あの将棋は、相矢倉で、後手の羽生さんが、通常は穴熊に囲うのを牽制する△6四角を指さず、△3三桂と堂々と穴熊に囲わせたのがポイントだった。結果的には、玉のかたさをいかして佐藤が圧勝した。
それについて、羽生は「(直前に)△4二銀とひいたばかりなので△3三桂が自然と思った」と述べている。それを受けて、佐藤も、あの二手はセットのような組み合わせだし、「考えようによっては△6四角も妙な手なんですよ。出て引いて、また上がって2手損して先攻行されるわけですから。」と言っている。さらに、矢倉を指さない振り飛車党にあの局面を見せたら、△3三桂と指すのが自然と感じるのではないか、とも指摘している。「そういう純粋な眼が正しい可能性もある」と。
この二人の奥行きのある考え方は素晴らしいと思う。現代的な感覚では、とにかく穴熊を阻止しようとする戦略がシビアに優先されるわけだが、二人とも、もっと深く局面の本来の姿をとらえようとする態度が根底にあるのかもしれない。結果的には、羽生は苦しい将棋にしてしまったが、こういう懐の深さとか、新しいものにチャレンジしようとする姿勢はすごいと思う。もしかすると、もっとシビアで合理的な考え方をする、さらに若い世代と微妙に異なるポイントなのかもしれない。
ちなみに、△9七角成と強襲せずに、△5三角と辛抱しておけば、むしろ羽生有望だったそうである。局後に徹底して佐藤が調べた結果である。パッと見では、相当どちらかが勝てそうになくても、徹底して調べると、将棋というものはそう簡単ではないという好例なのかもしれない。

渡辺、深浦、村山の座談会「最強羽生世代にゆらぎは見えたか?」。タイトル関連よりも、いわゆる旧式の振り飛車について、特に渡辺、村山が話していうる部分が。アマチュアのヘボ振り飛車党の私には刺激的過ぎた。現在、後手が4手目に△4四歩と止める、ごく普通の振り飛車が激減しているそうである。
村山 最近、△4四歩に負けた記憶がない。(中略)4手目△4四歩の振り飛車が消えちゃったからね。
な、ナニ―――。
渡辺 今は振り飛車より居飛車有利の時代なんだ。その証拠に、久保さんも藤井さんも矢倉を取りいれている。藤井さんなんか研究会でも矢倉ばかり指している。(中略)そこで注目されるのが久保さんと藤井さんの動向です。本当に矢倉党になっちゃうのか。だって、あの久保さんが相矢倉を指しているんですよ。振り飛車党はどこへ行くのか?
Oh my God!カンベンしてくれよーーーー。こんなんってアリかーー!(アマチュア振り飛車党の悲痛な叫び。)
もっとも、ストレートな物言いをするこの二人らしくて面白いのだが。実際、後手番の藤井システムは、居飛穴対策が相当難しくなっているらしい。しかし、だからといって、△4四歩ととめたら負けみたいなこと言われて、プロの振り飛車党は、はたして黙っていてよいのでしょうか(笑)。
普通の振り飛車に対しても居飛車が一目散に穴熊に囲えば勝てるというほど、将棋が簡単なものとは、少なくとも私にはどうしても思えない。そういう動きを受けて、ゴキゲンその他の力戦振り飛車や角道を止めない振り飛車が流行しているわけだが、普通の振り飛車でも、居飛車穴と戦えることを証明するプロがでてきて欲しいと思う。
例えば、櫛田さんは△4四銀型で、居飛車穴熊と戦えると考えているようだ。ただ、その櫛田流のある局面についても、将棋世界の「イメージと読みの大局観」で、トッププロたちが、やや厳しめの評価をしていたので、ちょっとショックだったこともあるのだが。
第二の大山が出現するまでは、もうダメなのだろうか。(再び、アマ振り飛車党の悲痛な叫び。)

付録は勝又六段の「新手ポカ妙手選2007年版」だった。例によって、当事者にマメなインタビューもしている労作である。最後に、加藤一二三先生が、端玉に対して端歩をついてゆき、8筋の歩もズンズン突いていって重戦車のごとく相手を圧倒した将棋から、解答の一部を引用して、なごんでいただくことで終わりにしよう。って、私は、なぜ最後に皆さんになごんでもらうことに、どうしてこうもこだわるのだろうか、水戸黄門じゃあるまいし。
「やっぱり端歩か、厳しいね!」
「手つきが迫力あるねえ。1手指すごとに将棋盤が揺れてない?音が聞こえてきそうだねえ(音声は入らない)」
「うわっ8筋までどんどん突いてっちゃったよ。こりゃ、村中君しびれたね!」

日本女子プロ将棋協会(LPSA)一周年

早いもので、もう一周年だそうです。これは誰もが認めると思いますが、とにかく積極的に様々な活動を積み重ねてきていました。毎月実施されネット中継される1dayカップ、LPSA単独での日本レストラン杯、小学生女子名人戦、マメな多種類のレッスン講座、キッズスクール、屋外での自由参加イベント、GSPでの女流棋士の育成、中倉姉妹のPDGのインターネットラジオ、ヒット作になった日めくり詰め将棋カレンダー等のLPSA独自製品・グッズの販売、ファンクラブ活動、等々。小回りがきく利点を生かして、とにかくやれることは何でもやってみようという姿勢で、一年間走り続けてきたという印象です。ファンもついていくのが大変なくらいでした。
この団体は広報力もすごくて、「勝手に将棋トピックス」も必要ないくらいでした。とにかく必要なことは、全て自分たちで伝えてくれます。例えば、今回行われた総会についても、これだけの記事が。

日本女子プロ将棋協会 第1回定時社員総会のご報告
いっつ日記 定時社員総会と記者会見
ぴえぶろ2号店 LPSA将棋ツアー、そして新棋戦誕生!!
あっこ&ひろみオフィシャルブログLPSA総会
将棋の輪 総会終了。

さらに、新たにLPSA単独棋戦と、各地でのファンイベントを、NTTル・パルクさんのスポンサーで始めるそうです。まだまた、突っ走り続けるようです。

NTTル・パルク杯 第1期天河戦
NTTル・パルクpresents LPSA将棋ツアー2008

ファンとしては、何も文句のつけようのないLPSAですが、あえて言うとしたら、やはりさらに将棋を強くなってもらいたいということでしょうか。中井石橋にタイトル戦にからんでもらいたいのは勿論ですが、特に若手といえる方々には、女流のタイトルホルダーと対等とはいえないまでも、下手するとくわれる負かされると脅威に感じるところまで、さらにレベルアップしていただきたいものです。今のところ、1dayカップについても、出場者を見れば、だいたい優勝者は予想できてしまう状態といわざるをえません。せっかく、これだけスポンサーにも恵まれた状況で将棋を指せているわけですし。まあ、独立の経緯があって、参加者が限られてしまったというやむをえない事情があるわけですが、今更それをどうこう言っても仕方ないでしょう。とにかく、ガンバレー。
日本将棋連盟の棋士総会も行われたそうで、今年は平穏だったようです。しかし、現在の女流の分裂状態や、倉敷イベントの際のような連盟や女流棋士会のLPSAに対する態度に、はたして問題がないといえるのでしょうか。ほんの少しは、女流の問題についても棋士総会で話し合われたのでしょうか。
この問題については、もうあまりツベコベ言いたくありません。個人的には、全ての女流棋士が、各個人の責任と判断において、二つの団体のうちどちらに所属するかを自由に心置きなく選択できる状況に、いち早くなってもらいたいと思うだけです。
私同様LPSAファンの即席の足跡さんも一周年について書かれていますが、もうひとつLPSAファンサイトを紹介しておきましょう。LPSAファンの方は皆ご存知だろうとは思いますが。

RAYの駒落ち de GO

金曜サロンに通っていらっしゃるRAYさんが、女子プロとの駒落ち戦を詳細に自戦解説されています。また、時々サロンレポートとして、女子プロたちの素顔の写真を多数掲載してくれています。松本博文氏の次に女子プロを魅力的に写す名カメラマンとも言えそうです(笑)。
早速明日も、1dayカップが行われるようです。ここでも、一日でトーナメントを全部消化する、ペア戦、アマチュアの参加、完全動画中継の初導入など、常に実験的な試みを行い続けています。勿論無料ネット中継なので、普段は見ないという方も、どんなものか一度ご覧になってみたらいかがでしょう。

第12回1DAYトーナメント・さつきカップ(5/25)

名人戦第四局 「気韻」の志と人間味と

もう亡くなってしまったのだけれども、ジョージ・アダムスという有名なジャズ・テナーサックス奏者がいた。かつて、Mt.Fujiジャズフェスティバルという日本最大級の祭典に参加した際に、ステージで演奏者に対して猛烈に風が吹き込んでいたことがあって、彼はこんなことを言った。
「こういう時は、風に向かって、戦うように吹けばいい。そうすれば、最高の演奏になるのさ」と。
まあ、こういうややクサめのことを言っても、素直にかっこいいと思えてしまう人だった。ドン・ピューレンとのパワフルな双頭グループは、聴衆を喝采させ熱狂の渦に巻き込んでいたものだ。
今回の森内の指し方には、それと似たようなものを感じた。第三局の信じられないような大逆転負けを受けて、「ここで消極的になってはいけない、むしろこういう時こそ、思い切った指し方で伸び伸び指すべきだ」、という気持ちが伝わってくるような序盤だった。
矢倉でも、居飛車系の角換わりでもなく、佐藤康光創始の力戦振り飛車。やはり、前局を受けては選択しにくい作戦だと思う。しかし、名人戦で、現代将棋を象徴するような作戦を思いっきりぶつけてきた。勝敗を気にせずに、そういう問いかけをするには最適任の羽生に答を求めるかのように。しかも、金がゴリゴリと△5四金とあがってくる「腰掛け金」の斬新な構想。
森内も、だてにキャリアを重ねているわけではないし、何度も名人を防衛しているわけではないのだ。そういうしっかりした心の持ちようは、本当に見事だったと言うよりない。たとえ結果には結びつかなかったにしても。

名人戦恒例の、名人と挑戦者が一文字ずつ書く扇子で、先に森内が「気」と書いたのに対して、羽生は「韻」と受けた。「気韻」。
優れた作品を見たり聞いたりしたときに感じられる、崇高ななにものか。

事前のインタビューを聞いても分かるように、二人の間には暗黙の了解が存在するようだ。経験を積んだ30代同士にしか指せない、とてつもなく深くて高い将棋を共同で作りあげて、芸術作品として残したいという思い。小学生のころから競い合ってきた二人の心は、恐らく余人には理解しがたいくらい通じ合っているのだろう。無論、尊敬や愛情だけではなく、対抗心や打ち負かしたいという猛烈な闘争心という、両面を含めて。
本局の、初日から二日目の夕食休憩までは、まさしく二人で「気韻」の将棋作品を作り上げようとしていたのとしか思えない。ネット中継担当の渡辺竜王や片上五段は、とても率直に物を言うタイプである。なぜ、△8二角と他の場所でなくあの場所に打ったのか、▲1八香も、あそこでの一筋の端歩の付き合いも、一体なんなのだろうか。率直に問いを投げかけ、正直に意味が分からないと告白してくれていた。
無論、弱い素人には意味など分かりっこない。ただ、具体的指し手との意味いうことでなく言うと、本局だけでなく、場合によっては激しい変化に突入できる手順を、お互いに我慢して回避するということが実に多いと感じる。実際、そういう変化を後で研究すると、簡単そうに見えても、実は複雑でなかなかどちらかがはっきり優勢になるというわけには行かないようだ。そういう変化を二人が実に深く読んでいることが、感想戦で判明するのだ。実際に指された手順よりも、捨てられた手順に凄みを感じされるという特異なシリーズでもある。
そこに、二人のこういうメッセージが秘められていると考えるのは、強引過ぎるだろうか。
将棋というのは、簡単に強引に行っても、そんなにうまくいくものじゃありませんよ。そんなに将棋は簡単なものではありませんよ。深く読めば読むほど、深く窮めれば窮めるほど、お互いに正しく指しさえすれば、どこまでいっても微妙で絶妙なバランスを、保ち続けるしかない恐ろしいゲームなのですよと。
本局からも、二人のそうした声が聞こえてくるような気がする。名人が、角を何度も使って銀のように動かして最適の場所にもっていったり、挑戦者が、場合によっては、左に持っていった玉を、まだまた囲いなおして右玉にできる含みにしたり。永遠の責め苦にして、いつ果てることとのない快楽のような二人の指し手の交差に、見るものは呆然として眺めいるしかなかった。将棋という戦闘的なゲームが、突きつめていくと、文藝の繊細な語り合いに近づいていき幽玄の趣をたたえてしまうかのようだった。
しかし、そういう芸術的な側面とともに、きわめて人間的な側面も同時にかんじずにはいられなかった。要するに、安易なことをして負けるようなことは絶対にしたくないという二人の勝負にかける鬼のような執念。超一流棋士に特有の、心底負けず嫌いな根性。
はるか昔のことだが、テレビで「我慢比べ大会」という企画をよくやっていた。何人かのチャレンジャーが、激辛カレーを何杯食べれるか争ったり、氷漬けにされたりして、最後にメインでは、どれだけ長く断食できるかを競い合う。特に断食のシーンというのは、本当に人間が限界状況で見せる姿を公開してしまっているようで、残酷この上ないが面白かったのも事実だ。この二人の、ジリシリするように神経戦には、それと似たようなものを感じてしまった。将棋の勝負というよりは、人間の心の耐久性という面で競い合っているかのようなところがあった。
そういう、将棋としての格調や志の高さと、勝負に徹する人間味という相反する両面が、違和感なく同居しているような不思議な将棋だったのではないだろうか。そもそも、私は、羽生の将棋や、あるいは人間自体がそういうものだと考えている。ものすごく格調高くて将棋の真理を真正面から追究して完全に超俗的でありながら、同時に勝負師としてのほとんど本能的とも言っていいような厳しい勝ちへのこだわりが確かにあり、その二つが羽生の中に共棲している。しかも、ごくごくあっさりと自然な形で。一面的でなく、そのどちらも欠けていないところが、私が羽生ファンである最大の理由なのだ。
羽生(の将棋)は、見るものの心を映す万華鏡である。最高の将棋技術者にも見え、勝負師的なものを見たいものにはそう見え、将棋で哲学する深遠な思想家のようにも見える。それぞれ、各人の主観に過ぎず、羽生自体は、変幻自在でひと時も同じ形にとどまらずに恐ろしいエネルギーを内に秘めて動くことをやめない得体の知れない何者かである。

しかし、そういうことも全て夕食休憩前までの話だった。森内の△3五歩によって、ダムが決壊して、堰き止められていた水が奔流となって流れ出すように様相は一変した。そして、少なくとも森内自身の感想によると、あそこで動いたのが敗因になったそうなのだ。
たまたま、今回はBSで夕食休憩後が流されたので、その場面の森内の表情をカメラを通じて観察することが出来た。聞き手の千葉涼子が「煩悶の表情」と形容していたが、まったく表情の変わらない森内にしては珍しくいことに顔は心なしか紅潮し苦しげだった。決して、自分が悪い局面ではなく、むしろ千日手にする権利はあるかもしれないのに。それまでの重苦しいまでにお互いに我慢に我慢を重ねる試合に心理的に苦しくなっていたのではないかという解釈をしたくなるのだが、どうだろうか。
(但し、渡辺竜王が、例によって冷静に分析していたように、ここで動かないと、先手の玉形ばかりよくなっていき、その結果として先手に動く機会を与えてしまうのではないかと悩んでいたのではないかという、きわめて実際的な解釈が、あくまで本筋であるのは言うまでもない。そうだとしても、やはりもう動かないと、あるいは動きたいという心理が絡んでいるともいえると思うし。)
名人が何を感じていたかは、無論部外者には分からないが、あの場面を見て、純粋に技術を競うプロの現代将棋といえども、やはりメンタルの占める意味も、馬鹿にならないのではないだろうか。徹底的に技術を純粋に追求して言った末にお互いにレベルが高くなりすぎると、究極的には人間力の勝負になってしまうとでも言うか。
ちなみに、終盤の二人の指し手には、ちょっと見ると問題があるかのように思えたし、ネット中継や各地の解説会でも疑問が呈されていたようだが、局後の感想戦によると、基本的に△3五歩以降、お互いの指し手に問題はなかったようである。▲2四歩がきかないように見えても、結局間に合ったし、△7五桂が厳しくて後手ペースに思えても、金を浮かれて後続がないようだし、△4六歩と攻めいそいだように見えても、他の辛抱する手でもやはりダメだったらしい。やはり、あの二人の終盤の読みは、限りなく正確だったということのようだ。少なくとも、現時点では△3五歩と仕掛けたのが無理だったという結論のようである。
やはり、先述したように、将棋は無理にいっては正確には勝てないものなのか。無理をしないで我慢した羽生が将棋の原理により必然的に勝ったのだという恐ろしい結論はあくまで冗談だということにしておこう。
終局直後の、とても勝者とは思えないような羽生善治の憔悴しきった様子が、本局の全てを物語っていた。

本局の影響で、私の文章まで、ガラにもなく重苦しくなってしまった。
ここは、竜王が赤福を豪快に食する様子をご覧になっていただき、なごんでいただくことで終わりにしようと思う。
プロ棋士も色々な動画を撮られるので大変な時代である・・、って紹介している私が一番悪質だよ。

名人戦第四局第一日 もうこの作戦は普通なんですか

最初見たときには奇異そのものだった、端歩突き越し一手損角換わりダイレクト向い飛車だが、名人戦で堂々と指され、いまや、あまり誰も驚かないということに驚いてしまう。時代は、やっと佐藤康光に追いつきつつあるということなのだろうか。
しかし、森内名人の指し方は積極的である。第三局の大逆転の直後、どういう指し方をするかに注目されたが、決してあの負けに萎縮などしていませんよ、むしろ堂々と強気にいきますよ、という強い意志、メッセージを感じる。
金がモリモリ出て来るのは、いかにも森内流。前期の名人戦第三局で、郷田九段が慣れない石田流を目指して流れが変わった一局があったが、あの時も金がごっつく出てきて、郷田の攻めを封じ込んでしまった。但し、今回の場合は、受けに使うというより、場合によっては攻めにも使わなければいけないというのが違うのかもしれない。
BS中継の封じ手予想で、渡辺竜王が、△4五歩といくのは、進出するのが金なので、あまり気が進まないと指摘していたのはナルホドである。具体的には、△4五金と出てきた瞬間に▲7六角などの反撃があるそうで、確かに下手をすると金が立ち往生しかねない。金が攻めに向いてないというのは将棋の基本中の基本で、いまや将棋は基本公理を疑う時代とはいえ、さすがにそこまでは崩れていないのではないだろうか。とすると、金をどう使っていくのかに、森内名人の手腕が問われるし、この将棋のポイントにもなるのかもしれない。

室田伊緒女流初段は、「尾張の美濃姫」と呼ばれているそうである。なんと素敵なネーミングなのだろう。そして、彼女の動画にちゃんとリンクをはっておく私のブログは、なんと親切で素晴らしいのだろう。

前夜祭で森内名人が言っていたが、挨拶の前の歓談で多くの人に第三局のことを聞かれたそうである。そこで笑いをとりに行くのもなかなかしたたかだが、なによりあの対局について平気で聞いてしまう人たちがいるのには驚く。畏るべし。
私だったら、一切名人戦第三局の話題など口に出せないだろう。いや、3という数字すら言わないように気を遣うかもしれない。
そういえば、「男はつらいよ」でも、マドンナが離婚して子供と会えないことを知った寅さんが、「いいか、彼女の前では、せがれとか、息子とか、坊やとか、絶対に言っちゃいけないぜ」というのがあった。倍賞千恵子のさくらさんが「わかったわよ、おにいちゃん」とか言って。
で、八千草馨のマドンナ登場。寅さんが、「おい、ヒロシ、新聞でも読め」といったら、領事館の子供が誘拐されていたり、母親が自分の息子を置き去りにして家出していたり。
あわてて「オイ、テレビをつけろ、こういうときは、テレビだよ、テレビ」といったら、その母親のニュースがおり悪く流れていたり。
さらにあわてて「歌でも歌おう、歌でも」といい、歌ったら、「カラス、なぜなくの・・、七つの子が」、であせってやめたり。
「お馬の親子は、・・ああ、最初からダメだ」という際の渥美清の表情口調動作は、ほとんど至高の芸術の域に達していた。
で、マドンナが泣き崩れ、気まずくなったと思ったら、「寅ちゃんありがとう、その気持ちがうれしいの」というという、まあ名シーンですわな。
はい、ご賢察の通り、本当のところ、今日はあんまり書くことがなかったんです。ごめんなさい。

名人戦第三局 決定的瞬間の映像と勝又教授の名解説

今日の囲碁将棋ジャーナル、名人戦第三局の解説で、途中えらくバッサリ省略したので何でだと思ったら、なんとサービス映像で△8六桂の瞬間を流してくれた。何度も巻き戻して再生してしまいましたよ。まったく、ドッキリカメラのブーブークッションにひっかかった瞬間の編集リピート映像じゃあるまいし(古っ)。
△8六桂を指す瞬間の羽生の手先はかすかに震えている。森内名人が、なにやら声にならぬ声を発して、頭に手をやってかたまる。表情が全く変わらぬ名人にしては、やはり表情にはショックの色が隠せなかった。「アチャー」という感じが映像に出ていた。
但し、名人戦中継によると、森内名人が▲9八銀を指した瞬間に、控え室から歓声が上がるのを森内は聞いてしまったそうだ。だから、さすがにその瞬間に名人は悟ったはず。羽生か指した瞬間にリアクションがあったのは、名人も指されるまでは動揺を表に出すまいと我慢していたのかもしれない。

囲碁将棋チャンネルの将棋まるごと90分の解説担当は勝又教授だった。改めて言うまでもないが、名解説である。とにかく歯切れが良くて明快。何よりよいと思うのは、将棋を楽しんで解説している感じがありありとすること。さすがに、プロが他の人の将棋を解説する場合、なおかつ生でない場合には、ある程度冷静にやるものだ。しかし、勝又教授場合は、素直に指し手に感心したり驚いたりしながら進めていく。ある程度、聞くものに楽しんでもらおうと思って、意図的にやっている面もあるのかもしれない。しかし、なんとなく教授の場合は、プロの将棋を自分が同じプロであるにもかかわらず、素直に少年の心で楽しむ能力があるのではないかと感じる。森内の構想に感嘆し、羽生の歩を使った逆転のテクニックに感心して。解説を聞きながら、再びあの逆転の興奮がよみがえってしまった。
終盤で▲7三銀成では▲4五桂、▲3四金では▲4六金が良かったのではないかと指摘していた。
▲9八銀の見落としについては、直前に△7八歩を叩かれたために△6六桂と跳ねて歩を補充するのが先入観になったのではないかという推測をしていた。
さて、私の個人的お気に入りの△6九銀以降については、少し長めに再現することをお許しいただきたい。さすがに「羽生マジック」は使わなかったが、聞いて興奮する勝又節の一端を知っていただきたいので。(途中、適当に省略しています。)
△6九銀 さらにこれが。
得意の手です。
筋悪の手です。
これ、11分くらい使っているんですよね。
よく、こんな手が浮かぶなと。いかにも筋悪なんですが、でもこの銀が大活躍するんです。この位置を良く覚えておいて。
△7八銀 まず打った銀が一回目あがる。しょうがないから上に逃げる。うまいんですよ、これからが。
△6七銀 打った銀が二回目。
△7六銀 三回目。銀の使い方の見本ですよね。銀は千鳥に使えと。斜めに下がっていくと速い。
ですけど、打った銀がここまで来ることを見越してやっているんで、疲れ果てているはずの終盤で、11分使って、この手順というのは、やっぱ、凄みがありますね。
時間を残していたのも、なんか嗅覚が働いたのかもしれません。チャンスが来て逆転するから、残しておいたほうがいいと。

今、こうして書き写して驚いたのだが、これだけのことをアドリブでスラスラ言っているのだ。大したものである。
名人戦や竜王戦のBSの解説に使ってもらえないかなあ。それだけの資格は十二分にあると思う。

遠山雄亮マイナビ観戦記のヒッチコック的手法

今週の週刊将棋で、遠山雄亮がマイナビ女子オープン第三局の観戦記を書いている。遠山は、一年半前にもこの矢内甲斐戦の観戦記も担当したことがあるそうだ。プロ棋士らしく深く正確に将棋の内容を追うことで、それが同時に、その後の二人の成長ぶりや関係性、矢内のおおらかさ・大物ぶりといった側面が自然に浮かび上がるように、うまくまとめ上げている。また、敗者に対する、優しい細やかな心遣いも感じられ、いかにも好漢遠山らしい。
(ハイっ、いつもより余計にほめております、といってももう若い人は染ノ助染太郎も知らないかもしれませんが。)
今日私が取り上げるのは、そういう記事の中心部分ではなく、あくまで個人的に気に入ったごくごくディテールの部分を拡大解釈する試みである。興味のある方は、是非記事本文に当たっていただきたい。矢内の人間分析など、とても見事なものだから。

トリュフォーがヒッチコックに徹底的にインタビューした「映画術」は、今更語るのが恥ずかしいくらい、映画本の金字塔、名作中の名作である。私はこれを読んで、ヒッチコックの映画を片っ端から借りて観る羽目になるという、きわめて幸福な、そして同じことをした人間が多数いるであろう愚行をした一人である。
「サボタージュ」という、ヒッチコックでは有名でもないし出来も必ずしも良くない作品がある。今の言葉で言うと市民生活を装う「テロリスト」が、劇場を爆弾で破壊し、自分の妻の弟の少年も巻き込んで死なせてしまう。その結果、妻が思いあまって夫を殺すのだが、その部分の撮り方が実にヒッチコック的なのだ。この映画の唯一の美点といってもよい。少し長めになるが引用する。
シルヴィア・シドニー(妻役)が食卓に野菜料理を運んでくる。そのとき、ナイフが彼女の眼を引く。彼女の手が彼女の意に反してナイフに近づき、ナイフをつかもうとする。キャメラは彼女の手の動きをとらえ、ついで彼女の目をとらえる。そしてまた手の動きをとらえ、さらに眼をとらえる。手の動きと眼の動きをこうして交互にとらえていき、やがて、突如、はっとしたような彼女のまなざしから、ナイフが何を意味しているかということ、ナイフが凶器になりうるのだということに彼女自身が気づいたことが分かる。(中略)
こんな場合、ヒロインが目と表情で巧みに演じて彼女の内面の全てー彼女の殺意までもー観客に説明してしまうというのは、いちばんまずいやり方だ。現実の生活でも、ひとが感情をすべて顔にだすようなことはないしね。映画監督としては、当然ながら、純粋に映画的な手法だけでこのヒロインの気持ちを観客に伝えたいと思うわけだ。
要するに、オーバーな表情、動作の表現など一切使わず、純粋なカメラワークだけで、彼女の心の動きのドラマがありありと観客に伝わるというテクニックである。ヒッチコックの映画の真髄は、その内容よりも、こうした徹底的に洗練された映画的文法表現にあり、トリュフォーが、それを余すところなくヒッチコックから引き出しているのだ。そこでは、大げさな動作や表情よりも、さやかなものや人の動きが、とんでもない効果を生む。
さて、前置きが長くなったが、遠山観戦記からの引用を。
開始5分前、矢内が目を開き、すぐに駒箱を開けた。
ここで小さな異変が起きた。双方大橋流で並べていたが、甲斐が途中から先行して並べている。普通は上位者に下位者が合わせていくものだ。
その様子が、私の目にはほんの僅かだが甲斐がストレスを感じているように映った。矢内の悠然とした所作にか、もしくは未だ慣れぬ大舞台にか。
対局が開始され、関係者が退出した後、甲斐は一口水を含んだ。その時彼女を覆っていた霧が晴れた気がした。目は戦う女の目になっていた。
事実として確認できるのは、甲斐の駒の並べ方が先行したということ、水を口に含んだということだけだ。二人の表情の動きがあったり、言葉がかわされているわけではない。恐らく静謐な部屋で、黙々と駒が並べられていただけなのだろう。しかし、そういう些細な動きから、遠山はみごとな心理分析を引き出してみせてくれている。
というわけで、私はこの記述に感心するとともに、ヒッチコックの本のことを思い出してしまったというのが、書きたかった全てである。強引過ぎる?
見ようによっては、これは遠山の主観解釈に過ぎないといえるかもしれない。しかし、私は、駒を早く並べる、水を口に含むという行為から、敏感にそういう心情の機微を読み取ろうとした遠山流が、単純に好きなのだ。一応断っておくが、私は必ずしも強引な心理解釈は好きではない。しかし、この遠山の書き方には読む者の心にスッと入ってくる自然さがあるように感じた。
将棋において、動き自体はきわめて少ない。盤をはさんで、大の男(女)が向き合って、黙々と手を進めていく。だからこそ。例外的な加藤一二三のパフォーマンスが目立ちすぎるわけだ。例えば、プロレス的な外に向けた表現とは対極にあるといえるだろう。
しかし、だからこそ、ヒッチコックが映画で行おうとした、抑制された行為の中に万感の意味を込めたり感じ取ったりすることが、将棋には可能なのではないだろうか。例えば、能のように、きわめて抑制された動きの中に、ささやかな動作で激しい動きを暗示するような表現。
A級順位戦最終局で、佐藤が鬼気迫る表情を見せていた際にも、そういう普段の静の中から動が突如として突出したことによる異様な感動が大きかったと思う。また、対戦相手の木村も、静の表情だったが、その微妙な変化が、見るものの限りない想像力を掻き立てていたのだ。
そういう将棋の風景の微細な動きを見逃さない理想的かつ実現不能な観戦記を、私は夢想してやまない。

仮に本文に遠山雄亮氏が目を通したら、「これって、俺はほめられているのだろうか」と悩んでしまうような、わけの分からない文章になってしまったことを心よりお詫びします。

名人戦第三局BS中継の加藤一二三

将棋が凄すぎで書くのを忘れましたが、BS中継でも加藤節は全開だったので、ダイジェストを残しておくことにしました。

対局前日の検分で、加藤先生は何種類の駒から事前に一つに絞って駒を選んでおいて、両対局者に提示したそうです。
まあ、わたくしがいい駒と言うんだったら、きっとそうだろうと思ってくれるだろうと、ウフフ、ウフフフフ。
そりゃ、加藤先生にそういわれたら、両対局者も平伏して「ハハ−」と言うしかありません。でも、確かに対局者の二人が違う駒を選ぶとアジが悪いと思うので、いい気配りなんじゃないでしょうか。「竹風」作の名品だそうです

加藤先生は、かつての名人戦の際には有楽町の大盤解説を、いつもつとめられていたそうです。
(但し)わたくしが名人戦に出ないときは、ウフフ。
そうです、加藤先生が名人戦に何度も出られたことを決して忘れてはいけないのです。特に大山名人に、二十歳の頃に挑戦した際は、まさしく眉目秀麗のクールな美青年でした。若い方はご存じないかもしれませんが、といっても私も写真で知っているだけですが。

一日目封じ手の場面で、加藤先生が赤鉛筆でサインしている場面で、加藤先生の所作動作の何かがおかしいのか、羽生さんが笑いをこらえている姿が映し出されていました。
間違いなく、羽生さんにとって、加藤先生はツボなんだと思います。いや、ほとんどの将棋ファンにとってツボなんじゃないでしょうか。勿論、皆にとって愛情に満ちた「ツボ「であります。

二日目の封じ手開封の場面で、加藤先生の予想とは違う手を羽生さんは封じていました。そのため、読み上げるのに少し間が空いてしまったそうです。
加藤 今日は、アレ、羽生さんの△5三銀はある手だけれども、△6四歩のほうがよかったんじゃないかと、率直に思ったんですね。
アナ 率直ですねー。立会人の加藤先生がそう思われるというのは。
大人しそうなNHKのアナウンサーも、思わずつっこまずにはいられないのが、加藤先生のすごいところです。でも、その後の展開を考えると確かに△6四歩の方が良かったようです。さすが。
△6四歩なら、ノータイムで「△6四歩」と言ったんですけどね。
「△6四歩」の部分を、まるで封じ手を現場で読み上げるように、力強くはっきり発音しているのをご想像ください。羽生さんじゃなくても、笑いをこらえるのが大変です。

引き続き、熱弁を振るって解説。千日手含みの手順を示して、
(そうなったら)私たち立会人は一気に緊迫感を増します。
手振りも大きく、まるで本当に千日手になってしまったかのように、驚いてあせって緊迫しているかのように目を大きく見開いて話しているのをご想像ください。ああ、自分の筆力の貧しさがもどかしい。映像を見てもらえば一発なのに。
常に加藤先生は一生懸命なのです。

熱弁を振るいすぎて、放送時間が残り二分になって、「本」解説の井上さんが戻ってきました。
もう、僕ら、出る幕ないんじゃないかと思いました


以上。

矢内理絵子、女王になる、片上五段銀河戦決勝へ

すみませんね、なんかいきなりスポーツ新聞の見出しみたいで。でも、これを称号に選んだってことは、やれって言われてるも同然だし。素直に釣られてみただけだし。せめて「私を女王様とお呼び」っていうベタなのをやらなかっただけ、よしとしてもらわないと。
矢内ファンにひっぱたかれる前に、そそくさと将棋の話に戻そう。
戦前、甲斐さんの将棋をネットで立て続けに見て、これは矢内さんもちょっと危ないんじゃないか、と思っていた。実際、随所随所にはよい手もあったけれど、シリーズ全体としては、やはり矢内さんが圧倒していたという印象が強い。経験値の違い以外に、将棋一局を組み立てていく力で、甲斐散がどうこうというより、矢内さんが非凡なところを見せていたと思う。
本局でもそうだが、現代風の、よく言えばスピード感があって鋭い、悪く言えばこせこせした棋風とは正反対の行き方である。ものすごく、ふんわりとした感じのスケールの大きい将棋である。本局でも、▲6六銀が賞賛されていたようだが、盤面全体を大きく制圧するような手が目立つ。ここは攻めるだろう、というところでも、ひとつためたり、相手の攻めを事前に察知して受け止めてしまう二枚腰の指し方をしたりする。女流ということに関係なく、そういう個性がはっきりしているのが魅力的だ。
無論、詳しいファンはそういうことを以前から知っていたのだろうが、私自身を含めてそんなに熱心に見ていたわけではないファンにとって、このマイナビ女子オープンが、熱心なネット中継等でファンの関心を引いた功績も大きいと思う。「女王」の称号を、おちょくったりしたらバチが当たるだろう。
現代将棋においては、序盤作戦において、流行でダメとされている作戦は、ほとんどの棋士はすぐ回避する。しかし、矢内さんは、全く避けない。本局も、対後手ゴキゲンで、ほとんど惨敗の内容で連敗しているにもかかわらず、基本的には同じ作戦。相手の甲斐さんが先に手を変えていた。
第三局でも、定跡本には必ずのってはいても、いまやほとんどプロの実戦では見かけない△6五歩早仕掛けを決行。急戦に対しては、振り飛車の対策もかなり徹底して整備されているので、居飛車は持久戦がどうしても中心になる。しかし、本来この早仕掛けだって、はっきり振り飛車が良くなるというわけではなく、難しい互角の変化は結構あるはずなのだ。実際、甲斐さんの指し方に問題があったらしいにしても、矢内さんは控え室を上回る読みで快勝した。流行でない戦形のなかには、はっきり悪くなるというより、ただ何となく指されていない形がたくさんある筈だ。最新の流行形ばかり指すのでなく、そういうのをつつくブロがもっといてもいいのではないだろうか。そういう意味でも、矢内さんは、女流ということをこえて、貴重な存在といえそうである。
ところで一番女王の称号が似合いそうだと思うのは、個人的には山田久・・、もう、やめろっ。

銀河戦、片上五段が杉本七段に勝って、決勝トーナメント進出を決めた将棋を遅ればせながら見た。先手ゴキゲンの杉本さんがうまく立ち回って、後手片上陣はバラバラで、相当先手がよさそうに見えた。しかし、杉本さんが端から攻めて▲1三歩成と成ったタイミングに問題があったそうで、一気に片上ペースに。
解説は中田功さんで、こういう対抗形の端攻めの関係を知悉している人なので適任者だった。「こういう端の関係ひとつで、勝敗が決まってしまうことがある。」「居飛車に桂をも渡した時には常に注意が必要、その場合、居飛車が何枚歩を持っているのかがポイント」「振り飛車側から端攻めして端を破ると、相手玉を寄せるということ以上に、入玉がのぞめて自玉が寄らなくなるのが大きい。」等等、実に勉強になった。
まあ、基本的には美濃囲いの振り飛車側から端を攻めることはまずないのだが、本局のように逆に攻める展開になることだってある。ただ、本局も結局その端を逆用されて、一気に杉本さんは苦しくなってしまった。やはり、振り飛車側からいく場合は、相当成算がないとダメだということも学べた一局だった。
片上五段も、粘り強く指して、一瞬の間隙をついて体勢を入れかえ、最後は手堅くまとめたのが見事だった。これで二年連続決勝トーナメント進出。例年通り相変わらず勝ちまくっているようなので、今年こそは決勝でも勝ち進んで、さらに大きい飛躍をはたしたいところだろう。

名人戦第三局 羽生マジックという有名すぎるが誰も本当の意味を知らない言葉

一日経って、さすがにかなり冷静を取り戻しております。
昨日自分が書いたことを改めて見て思う。人は酒だけでなく。本当に将棋に酔ってしまうことがあるのだと。完全に酔い痴れている。私の場合は、「痴」のしめる割合が、人より若干高めなだけのことである。

asahi.com:羽生、50年に1度の大逆転 将棋名人戦2勝1敗に - 将棋
将棋:羽生が激戦を制し2勝目 名人戦第3局2日目 - 毎日jp

特に朝日の方は「50年に一度の大逆転」が刺激的である。これには、プロ棋士が反応しており、渡辺竜王は「これくらいの逆転は、よくではありませんがあることなので『100年に一度』は大げさな」と、片上五段は「『50年に一度の大逆転』という声もあるようですが、個人的にはそこまでとは思いません。」と冷静に述べている。
もともとこの表現は、深浦王位の発言が元になっている。余計なお世話だが、深浦王位を勝手に擁護してみる。以下は、基本的にネット中継に書かれていた事実に基づくが、深浦氏の心中部分等は、完全に私の創作である。
記者 羽生さんが勝った場合の原稿が必要なんですが、なんて書けばいいでしょうか?
深浦 えっ、羽生さん勝ちですか。(苦笑、まあ絶対にありえないことだしな)じゃあ100年に一度の逆転劇とでもしておきましょうか(一同笑)
で、実際に局面が進行し、本当に羽生さんが勝ってしまったわけで。
記者 さっきのタイトルでよろしいんでしょうか
深浦 (弱ったな、アレは冗談だったのに、でも一応言っちゃったことだし)うーん、まあ、じゃあ50年に一度の逆転劇ということでカンベンしてください。
というような感じだったんじゃないかと推測するのだが、いかがだろうか。叩き売りも真っ青なくらい、年数が半減しているし。まあ、深浦さんも、現実的には、それほどの逆転でないことは承知しているのだろう。いや、それを受けてそのまま表現を借用した、弱いアマの私だったそれくらいは分かっている。例えば、名前を出して申し訳ないが、ネット最強線の矢内千葉戦などは、純粋な逆転度ということでは、本局など比較にならないくらいすごかったし。他に探せば、いくらでもあるのだろう。
ただ、この重要な名人戦で、森内が喰らって、羽生がすごい逆転の仕方を見せて、流れの反転ぶりが劇的だったために出てきた表現ということだろう。「言葉のアヤ」といってしまえば、身も蓋もないのだが。

さて、肝心の将棋。その深浦さんが、序盤を評して「30代にしか味の出せない、20台には指せない将棋」と評していた。確かに、本当にきめ細やかな神経戦は、見ていて疲れるくらいだ。でも、完全にそういう将棋になると、やはり森内ワールドだということを本局は証明したのではないだろうか。
▲8六歩から▲8五歩の突き出し、▲8七玉▲9七角から▲7四歩、さらに▲5七金から▲7八飛への転換。つくってもこうはできまいという完璧な構想力である。
もし勝っていれば、森内の生涯会心局となるはずだった将棋が、ああいう結末になったのは、まったく皮肉としか言いようがない。

それにしても、本局での羽生さんの辛抱は、「おしん」も真っ青だった。▲4五銀に、激しく行く順もあるのに、成算がないと見て我慢した。その後作戦負け模様になった際も、一応攻めていく手段はあったようだが、角飛車を何手もかけて動かして、大きく形勢を損ねないようにした。さらに、△7ニ歩とか△6二金は、まさしく受けただけの手で、本来羽生さんが最も嫌う手のはずだ。△2四角とでて歩を打たせてバックしたのもつらすぎる。
名人があのままうまく指し続けたら惨敗になったので、必ずしも正しい判断だったとはいえないかもしれないが、あまりに相手が耐え続けすぎるために、局面が動いた際に、名人がやや攻め急いで、それまでのペースが乱れたという心理面は、無きにしもあらずといえるのではないだろうか。
それを、名人に書ける執念の粘りといいたいところだが、実は棋王戦でも、佐藤さん相手に耐えられないような辛抱を続けて、最後猛烈に追い上げた(結果は負けたが)という将棋があった。こういう将棋が、もともと指せる、というか、場合によっては指すことを厭わない棋士なのだろうか。

ところで、なぜ羽生さんは逆転できたのか。直接的な原因の点は、森内名人が△8六桂を見落としたからだが、その点にいたるまでの線、流れが、弱い私にはよく理解できていない。少なくとも、色々あって▲4五金と打たれた時点では、私(羽生ファン)は「もう駄目だ」と思った。終盤では何度もそう思ったのだが、一番強くダメだと思ったのはあの時点だ。ところが、結果的には両取りの飛車にも銀にも逃げられて、角金交換したが、角頭の守りの弱点を解消することになってしまった。あのへんなのだろうが、具体的にはどの手が悪いのかが分からない。

しかし、昨日も書いたが△6九銀は羽生流だった。ああいう僻地に金銀を打つのは羽生さんのお家芸である。相手が入玉していて、自分の持ち駒も豊富ではなく、しかも駒を取れるところを、一番欲しい「金」という駒を追い回して入手できる手段。後から振り返れば実に合理的なのだが、あの急転直下の逆転模様の場面で、冷静に盤面全体を見てああいう手を指せるのは、やはりすごいと思う。はっきり言って、私はあの一手で、「泥酔状態」に陥ったのだが、プロや強い人たちは、どう見たのだろうか。
「羽生マジック」というのは、有名すぎるわりに、ちゃんとした意味を実は誰も知らないという奇怪な言葉である。羽生が指したからそう言われる、程度の意味しかない。また、マジックと言いながら、実は種も仕掛けもないという手だったりする。
△6九銀を、思い切って「羽生マジック」と私は図々しく呼んでしまおう。「後から冷静に考えると、実に理にかなった当然の手なのだが、実際の生きた局面の流れの中では、一見変わっていたり奇異に見えるような手」、というのが、一応ここで私が提出する「羽生マジック」の定義である。
あの一手を、私同様「羽生マジック」と呼んでいるブログ記事を紹介して終わりにする。羽生の絵が描かれているのだが、対局中に羽生からでている不思議なオーラがうまく表現されているのではないだろうか。

Habu Magic ! - はんどろやノート

名人戦第三局 こんなに将棋で興奮したことが今まであっただろうか?

(Twitterのほうに、終局直後に書き連ねたものを恥を忍んでこちらに転載しておきます。多分、誰だって私と同じような状態に陥ってしまったものと信じて・・。)

名人戦史上に残る100年に一回の世紀の大逆転劇(掛け値なし)を今見終えたところです。ふぅーー。 about 1 hour ago from web

最後羽生の手が震えたらしいが、私だって完全に息を呑んでかたまっていたよ。すごすぎるよ、これは。 ... 39 minutes ago from web

△7ニ歩と受けたときは、羽生の執念を見ただけで満足だと思ったよ。いくら辛抱したって、どう考えたって勝てるとは思えないもの。 ... 36 minutes ago from web

最後森内の見落としがあって逆転したけど、入玉してるし、どう寄せるか分からないので、私はまだまだだと思っていたよ。でも、あそこでの△6九銀が、宇宙人天才羽生の真骨頂! ... 33 minutes ago from web

入玉のはるか遠くの金に狙いを定めた銀をあそこで打てるのが人間じゃない。その後は、延々と銀で金を追い回す古典詰将棋みたいな芸術的展開になった。 ... 31 minutes ago from web

羽生は最初から▲4五銀をとがめるのを断念して以来、角飛車の無駄な動きなど、ずぅーーっと辛抱した。そのためひどい大差負けを喰らいかけたが、結局そういう全ての超人的な忍耐が報われた。ほとんど羽生のカルマとさえ言いたくなる。 ... 26 minutes ago from web

興奮しすぎて見苦しくてごめんなさい。でも、本当にすごかったんだから。 24 minutes ago from web

今頃隠れ羽生ファン?の加藤先生はどんな顔をされているのだろうか? 23 minutes ago from web

とりあえず、見逃してBSを見れる人は0時45分からのダイジェストを今からでも見るか予約すべき。これを見なくして将棋ファンとはいえない。 ... 21 minutes ago from web

各地で、これからお祭りが始まることだろう。私は、明日、もう少し落ち着いてからブログには書くことにします。20 minutes ago from web

名人戦第三局第一日 和服姿のひふみんと共に

私のようなアマチュアの振り飛車党にとっては、プロの相居飛車の将棋はどれも難しく感じる。だけど、この森内、羽生の二人については、それにも増して、この深遠感、難解感、晦渋感、重苦しい感、駆け引き感、繊細感、哲学感、手細工の工芸品感、緻密感等々、は一体何?
まあ、そういう先入観があるからなのかもしれませんけれどね。
本局でも、森内名人が▲4語銀と出て揺さぶりをかけたら、羽生二冠が、△7五歩と最強の手順で応じるのかと思いきや、△3五歩と肩透かしのようなチェンジペース、名人も銀をバックするという、手順の屈折感とかコクには、何かたまらないものがある。しかも、解説によると、羽生さんの△3五歩には、△1四歩から、先手の主張の端の位を逆襲するという遠大な構想も秘めているらしいというから驚きだ。
前局でもあったが、激しい手順に行くのを回避したわけだが(今回は羽生さん)、水面下で「捨てられた」読み筋にも興味がわく。なぜ、そういう筋を捨てたのかを含めて。
そういう意味では、第二局で森内名人が回避した△3四歩と打った場合の激しい変化について、谷川先生が光速ノートで解説されていたのも興味深かった。▲2五飛!!!

光よりも速く 光速ノート137

BS中継では、島井女流初段が、大好きな博多ラーメンを顔がむくんだら困るから我慢したという女心でホロリとさせたかと思えば(なんでだよ)、加藤一二三九段が、和服姿で登場。なんなのでしょうか、あのカワイサは。私のようなおじさんでも、加藤一二三先生などと堅苦しい呼び方ではなく、「ひふみん」と呼びなくなる誘惑に抗い難くて困ってしまいます(だから、なんでだよ)。
とりあえず、前夜祭の加藤一二三独演会動画へのリンクをはるという、将棋ブロガーの至上任務を果たして、今日は終わりにさせていただきます。

第18回世界コンピューター将棋選手権雑感

もう少し情報が出揃ってから書こうと思っていたのだが、とりあえず気づいたことだけメモ書きしておく。関連リンクは、こちらを参照。

詰将棋メモ 第18回世界コンピューター将棋選手権

アマトップがコンピューターに連敗したのは、歴史的な事実ではある。しかし、将棋ファンなら周知の通り、将棋というのは、かなり実力差があっても、一発入って勝てるゲームである。大駒一枚くらい強い相手に勝つこともあれば、逆の相手に負けることもある。一度形勢を損じてしまうと挽回不能になりやすく、それと矛盾するようだが、恐ろしく大差でもひとつ間違えるとあっという間にひっくり返るゲームである。それが将棋のスリリングな面白さだが、一度や二度負けたからといって、実力とはすぐにはいえない。
今回の、コンピューター将棋の内容は、素晴らしくて決して恥ずかしくない内容だった。また、敗れたアマの方々は、お二人ともとても人柄がよくて、潔く負けを認めていた。しかし、ソフト開発者側が、しっかり謙虚に認めていたように、感覚としては、まだアマトップのほうが上だということなのではないかと思う。
アマトップ相手の将棋の内容は素晴らしかったのだが、コンピューター同士の将棋の棋譜を見ると、少なくとも人間の感覚から言うと「あまり筋がよろしくない」手が散見される。これは、弱い私だけでなくアマ高段者の英さんも、同じような感想を書かれていた。恐らく、トップアマやプロが見たら、そういうソフトの将棋の荒さのようなものは、一目瞭然だろう。そういう弱点の多い将棋をたくさん見た後、アマの二人は対局したので、ちょっと油断のようなものもあったのではないかと、推測してしまう。
とにかく、ソフトの指す将棋は、人間の指す将棋とは、やはり相当違う。その原因としては、コンピューターは読む手の多さでは人間を凌駕しているが、局面判断の「評価関数」が人間と比べるとまだまだ粗雑で未熟なのだということが言われる。また、どんなに弱い人間でもある程度は感覚的に分かる「筋のよさ」というようなことをコンピューターは、まったく理解不能なのである。
ということで、少なくとも人間の目からすると、いまだにコンピューターは「強くても筋悪」だと思える。しかし、このように、かなり実力で人間に肉薄してくると、そういう価値判断自体にも自信が薄れてくる。人間が「筋がよい」と思い込んでいるのは、実は人間の思考や感覚の習性惰性に過ぎず、シンプルな評価関数で、(人間の)いわゆる筋や形にこだわらないで指してくるソフトのほうが、実は将棋の正しい指し方なのではないかと。そういう仮説を一応立てることは出来るが、やはり個人的には、まだコンピューターは手が読めるが、将棋は分かっていないと考えている。果たして、これは人間の傲慢、思い上がりなのだろうか。今後のコンピューターの進歩ぶりが、答えを出してくれるだろう。
プロ棋士たちは、わりと素直にコンピューターの強さに驚いて認めているようだ。ただ、コンピューターの指す将棋を見て、その将棋の質をどう考えているのかを、知りたいところではある。
勝又六段が、コンピュータの強さは、ソフトだけでなく、ハードが飛躍的に進歩していることにも原因があると指摘していた。これは、さすがにきわめて重要なポイントである。コンピューターの感覚的な筋悪と実際の強さのギャップについても、このことは有効な説明になるだろう。但し、そういうハードの力技に頼って、コンピューターが人間を追い抜くというのは、望ましいことではない。要するに、将棋の本質をコンピューターがよく分からないままに、計算力だけで負かすということだから。そうなったら。人間にとっては、悪夢であり屈辱である。しかし、そういうハードの飛躍的な進歩というのは、厳然たる事実として存在するのだ。
それと、今回決勝に残った8ソフトのうち、5つがボナンザ式の「自動学習」を取り入れていたそうだ。人間の利職人的で芸術的作業で強くなってきたYSSの開発者が、学習が強いかもしれないといっていたのは象徴的だった。ただ、「学習」といっても、良く誤解されがちなように、プロの多くの棋譜を学べば学ぶほど、ソフトが強くなるというわけではない。プロの将棋の感覚を上手にとりいれるためには、棋譜をうまく消化して学習する必要がある。自動学習といっても、今のところは大元の基準は人間が設定しているはずなので、本当の意味でコンピューターが自力で学習しているというわけではないのだ。
ただ、なるべく人間が余計なことをせず、手をかけないようにするほうが強くなりやすいというのは、きわめて示唆的ではある。
それにしても、相変わらずボナンザは良く攻める。そんなに攻めなくたっていいじゃないかというくらい攻める。今回も、上位ソフトには勝ち越したが、下位ソフトに足をすくわれて三位だった。やはり、とびっきり「人間的」なソフトであることは間違いない。
棚瀬将棋は、前回はプログラムの不都合で詰みを逃し、今回は時間切れの負けで優勝を逃したが、やはりこのソフトが今後最強になってくる可能性が高いのではないかと感じた。ちなみに、このソフトも確か「学習」ソフトである。
全体の印象としては、人間が考えるよりもコンピューターは勝手にどんどん強くなっているという感じを受ける。それも、将棋のセンスをデリケートに学ぶというよりは、ひたすら力技で。なんとなく、人間には望ましくない方向で、ソフトが強くなってしまっているのではないかというのが、ごくごく個人的な感想である。

LPSA1day 柳月カップ、Minerva会報、中倉姉妹のPDGの蛸島女流五段

コンピューター将棋選手権でも、フルに活用されていたUstream動画ですが、本格的に始めて導入したのは、この柳月カップだったようです。将棋ファンにとっては、かねてからの夢でありながら、当分無理だろうと思っていた完全動画中継が、あっさり実現してしまいました。もう、私のようなおじさんには信じられない技術革新の速さですが(だいたいこういう表現からして、もう十分おじさんだ)、とにかく嬉しいかぎりです。
しかもサイトを見ると、生中継するだけではなく、長時間の録画を残すことも可能なようです。決勝の、中井カメラ、石橋カメラ、盤面カメラ、さらに野月七段による大判解説の模様が、ちゃんと残っています。一時間以上の長尺。すごいものです。各棋戦への導入が、本当に楽しみ。

ファン倶楽部の会報、café Minervaが届きました。-面白かったのが、一期生の山下さん、多田さんへのインタビュー。お二人の若き日の秘蔵お宝写真?も載っています。とにかく、お二人とも元気いっぱいで、若き日の思い出を嬉々として語っているのには、すっかり和んでしまいました。

中倉姉妹のPDGのゲストは、二回にわたって蛸島先生でした。奨励会在籍時代の話から。
私に負けたら坊主とか、負けたら仲間に罰金を払うとか、悲しいことには、私に負けてやめた男の子もいました。
今でもまだ女子は少ないわけですが、当時は想像を絶する雰囲気の中で指されていたのでしょう。
独立については、とにかく女性がいつか独立団体を作ればいいなという基本的な考え方が、かねてからあったそうです。思ったより早い時期になったとも言われていました。
本来は、そういうわかりやすいことだったのだと思います。今は、余計な問題が付加されすぎて本質が見えなくなっているわけですが。

中倉姉妹は相変わらずです。いえ、面白いという意味です。彰子さんは、サボテンを枯らしたことのある豪の者だそうだし、宏美さんはちょっとした一言一言が面白いと仲間に評判だそうで、食事に仲間で行って大皿が多数あり交換するときに「これって物々交換?」とつぶやいてウケたとかウケなかったとか。
蛸島さんに対しても、
蛸島さんは、本当に全然変わらないですね。私が小学生だったころから。

と、なんともいえない絶妙の間で言っていて、確かになんだかワケが分からないけどおかしい。
蛸島先生は、本当に昔からまったく変わらないという印象はあるのですけどね。これには言われた蛸島先生も笑ってしまい、三人で大笑いという和やかなひと時でしたとさ。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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