2008年07月

阪口悟「ナニワ流・ワンパク中飛車」(毎日コミュニケーションズ)

最近は将棋ファンもなかなか忙しいのである。ほぼ毎日のようにネット中継があるし、他に週刊将棋や将棋世界を買ったりしようものなら、もうそれだけでおなかいっぱい、時間が足りやしないのである。
まして、本格的に棋書など読む時間などなかなか取れない。実は、読みたい棋書が手元にワンサカあるのだが、かなり積読放置状態にあった。普通の本なら、わりと気楽にドンドン読んでしまうのだが、特に将棋の定跡本などは、真面目に身につけようと思うと、なかなか手に取れないし、読み進めもしない。と言っていると、いつまでも読めそうにないので、とにかく普通の本同様に気楽に通読して感想を記しておこうと思い立ったのである。あくまで読書メモレベルです。
まずは、今話題の力戦振り飛車、先手中飛車の本である。初手▲5六歩と突く中飛車を、関西期待の若手阪口悟四段が分かりやすく解説している。なるべく多くの形の変化を、それぞれコンパクトに幹の部分の変化を、明快に説明していく。
具体的には、角交換型、対左美濃、対居飛車穴熊、相振り、さらに居飛車の各作戦、自戦解説の章立てである。
基本的に、振り飛車側から角道を止めることがないのが、従来の振り飛車と違うところである。しかし、その一点だけで、同じ振り飛車でも、全く感覚が異なる別世界になってしまう。従来の振り飛車が、居飛車の攻めを受け、相手の力を利用して反撃したり捌いたりするのに対し、振り飛車側から常に積極的に攻めかかろうとし、出来うるかぎり守りだけの手を指そうとはしない。別に近藤さんが指すという理由ではなく、明らかに従来の振り飛車より「ゴキゲン」なのだ。
最近は、私はほとんど実際に指さないのだが、まれに24のフリーで30秒将棋を指す場合、実は全て先手後手でもゴキゲン系中飛車である。正直言って、一度この味を占めてしまうと、真面目に四間飛車を指す気がなくなる。「四間飛車、そんな戦法も確かありましたかねえ」という感じである。ヤレヤレ、我ながらプロの流行に弱い困ったアマチュアファンだけれども、それ以外にも、確かに指す上での自由な爽快感のようなものがあると思う。プロよりも、むしろ勝敗にそれほどこだわらなくてもいいアマ向けの作戦かもしれない。
角交換を拒まないだけではない。第一章の角交換型で、いくつも変化が出てくるのだが、とにかく居飛車の飛車先交換を一切恐れないのである。常に逆襲反撃するオイシイ筋が用意されている。無論、角筋を開けっ放しにして、なおかつ飛車が8筋から遠い5筋にいるから可能なことである。
それと、当然居飛車穴熊対策がなんと言っても売りだろう。6筋の歩を突いてなくて、角道が開けっ放しなので、藤井システムのような歩を二回突く手間がない上に、居飛車が△1二香の瞬間に、▲4五歩とする(あるいはその前に五筋交換してしまう)いう、実にシンプルにして破壊力のある攻撃法である。
いまや藤井システムがあまりに高度に専門化しているのに対して、攻めの狙いが分かりやすい。これも、いろいろな変化をとても覚えきれない、我々のような弱いアマチュア向けだと思う。
将棋世界4月号の勝又教授の最新戦法スペシャルでも、このワンパク中飛車は紹介されていて、この本が書かれた後の基本手順変化も説明されているのを参照されるといいだろう。例えば、NHK杯で、先手の深浦さんで、後手の渡辺さんが居飛穴模様のところに、いきなりつっかけていったのも、その一つだ。結果は竜王がしぶとく受けて勝ったが、先手の攻めも十分有効だという印象だった。まして、アマレベルなら攻めているほうが、勝ちやすいし気分もいいだろう。
本書に戻って、阪口さんは関西の人間らしく、気取らずに普段着で、ざっくばらんに書いているのも魅力である。
穴熊に囲われて将棋が勝てなくなった振り飛車党は多いはず。私もその一人で、昔は勝てなくて悩んだ時期もあったが、ワンパク中飛車を指すようになってだいぶ勝てるようになった。
そうである。得意戦法を持ちたい方にも、現代振り飛車を象徴するワンパク流のエッセンスを味わいたい方にもおすすめ。決して、プロとか感覚が変わっている人のみの作戦という感じはしない。勝又教授もこう言っている。
(ゴキゲンを)「普通の振り飛車にアレンジできないか」と考える棋士が出てきます。こうして広がっていったのが阪口流「ワンパク中飛車」です。

プロフェッショナル/仕事の流儀「最強の二人、宿命の対決ー名人戦 森内俊之vs羽生善治」 断章

(未見の方で、DVD等入手可能予定の方は読まれないでください。この番組はとても完成度が高いので、余計な予備知識など一切なしに実際に見るのが一番なので。)

番組中、カメラが二人のそれぞれのアップをふんだんにとらえ続ける。人間の俗悪な感情があらわに出る顔になどお面をしてしまえと能は考える。しかし、この二人のギリギリの対局時の表情は、その喜びと悲しみと興奮と絶望の全てが、そのまま感情が昇華された聖なる絵画である。もともと人間の表情は美しいものなのである。
一般的なイメージでは、「将棋指し」とは対極ともいえそうな、kokuaの「Progress」が流れだすが、二人の対局姿は少しの違和感もなく現代風の音楽にはまっている。

本当に若き日の羽生の対局姿がチラリと映る。今以上に、あの羽生独特のオーラの透明感が尋常じゃない。サロメがヨハネに欲情するような純粋無垢さ、というとわけ分からないが。しかし、指し方はあくまでビシっと厳しく。しびれる。

森内俊之 (羽生さんに)劣等感を持っている自分がすごくいやだった。なんかイヤな人間になっていく気がして。
イヤな人間になりそうだと考えるのが、いかにも森内らしい。そういう自己認識のある人間は、実際にはイヤな人間になりようがないのだ。

羽生善治 お互いに力をふりしぼって考えて、やっとそういう一手が見つかるわけなんです。
本当に「力を振り絞って」いるように一生懸命言っている姿が、健気であるよ。

森内も、実は対局中には、怖い眼で羽生をにらみつけているのだな。「森内ニラミ」だ。

森内俊之 私は音に弱いほうなんで。

全将棋ファンが、「去年の名人戦のせんす事件!」と合唱したに違いない。

森内俊之 自分が気がつかなかったすごいいい手をさされると感心する。実際には困っているんですけど、喜びとかありますね。
森内の羽生に対する発言は、常にやや無防備である。人がよいいといってしまえばそれまでなのだけれど、これが森内の個性なのだ。

森内俊之 (嬉しそうに)負けず嫌いでは羽生さんのほうが上じゃないですかね。

そういうところでもかなわないやという一種のコンプレックスとでも言うべきか。

森内俊之 若いころは、完璧主義で間違えるのが許せなかったが、最近はゆるくなって、思うように指している。
あくまで、相対的な話であって、森内の完璧主義は、現在でも他の棋士と比べたら、遠くかけ離れて傑出している。要するに自分に厳しすぎるのだ。

羽生善治 (小学生のときの森内の初印象について)なんか、体格のいい、フフ、フフフ、そういう印象がありましたけれどね。
羽生の中では、体格がよくて「大きい」将棋の強い人というイメージは、いまだもそのままなのだろう。羽生が、他のライバルたちに対する態度とはどこか違っていて、やっぱり「幼い時からのツレ」というのが、森内に対してはあるような気がする。当然、あの森内の人の良さとも無関係ではありえないだろう。

羽生善治 (どちらが負けず嫌いかについては)よくわかりません、と笑う。
多分、ハイ、私のほうが負けず嫌いです、と受け取ってもいいんでしょうね。

羽生善治 (森内さんと)デパートの屋上で指すのも、名人戦で指すのも基本的にはかわりありません。ビニール盤で指すのも、五寸盤で指すのも。
将棋だけで純粋につながっている二人の関係性に嫉妬せずにはいられない。

羽生が傷心で宙を見つめている写真の挿入。カメラが切り取る一瞬というのは、一万語費やして表現するよりも、簡潔にして雄弁である。

第三局で、羽生が、眼鏡をはずして目を押さえて、うなだれる姿。羽生は素直に気持ちを表現する達人でもある。

羽生善治 メンタルな部分は、年齢を重ねれば重ねるだけ、上がっていく部分だと私は思っています。長老の知恵、年配の人間のもっている揺るぎ無い知恵というか。
羽生が、大山のことを高く評価するのも、そういうメンタルな部分と、大きく関係しているのだろう。大山の揺れない心については、多くの伝説や証言が伝わるところである。

(お互いをどう思うか)
羽生善治 自分にないものを提示してくれる相手。1+1=2じゃない。掛け算とか二乗だと、思っています。
森内俊之 自分がここまで来れた恩人だと思っています。
またまた、二人の関係に嫉妬せずにはいられないではないか。それにしても、森内は正直すぎるよ。

第三局の大逆転の直後に、森内がバッティングセンターで、気晴らしをする場面。決してきれいなフォームとはいえないが、力づくで球をひっぱたいていた。羽生の言うとおり体格のいい「大きい」人である。

森内俊之 理詰めでやることも今でも大切だとは思っていますが、今は自分の心の底からわきあがってくるものに素直にやったほうが、自分の能力を発揮しやすいと思っています。
つい、超一流のプロに対しては、純粋な技術だけで考えたくなるが、指しているのは生身の人間である。森内も、「技術的な完璧主義」だけでは駄目なことを身をもって体験した人なのだろう、羽生の言うように、メンタルのしめる割合は、予想以上に大きいのかもしれない。

羽生の第六局での、鬼の表情もちょっと映った。羽生の将棋には、指し手にも対局姿にも、日常の時間にズカズカと非日常が踏み込んでくるように瞬間が確かにある。とてもスリリングな時間である。しかし、羽生が時折言う、「狂気」の世界に足を踏み込みすぎると、もはや元に戻ってくることはできない。

羽生善治 (プロとは)24時間、365日、プロであり続けること。つまり、そういう、プロであることを、常に意識の片隅に置き続けているということ。
こんなすごいこと、サラッといわないでくれー。やはり羽生は、単なる将棋指しではなく、将棋に仕える「聖職者」なのかもしれない。

第二局で、観戦記者と記録係が二人とも寝てしまい、どちらかが、大イビキをかきだす。森内が、「困ったな」という感じで、そちらを見やると、羽生のほうにチラリと一瞥をくれて。下を向いて笑う。羽生も、快活に対局中とは思えない様子で、大きく笑う。
あの森内の羽生への一瞥の瞬間に、私は全てを読み取ってしまったよ。ああ、この二人は、小学生のときに、どっかのデパートで、おっさんたちに混じって指していた時と、今でも全く変わらない関係なのだなと。

羽生と大山の弁証法

梅田望夫氏の棋聖戦総括記事がネットでも読めるようになった。その中で、羽生と佐藤の戦いを、現代における大山と升田の戦いと表現されている。佐藤を升田に例えることについては、恐らく誰もそれほど異論はあるまい。新手魂で独創的な将棋を指す二人。
しかし、羽生と大山については、異論があるファンも多いことだろう。基本的に、あまりにタイプが違いすぎるので。無論、梅田氏はその辺は十分承知の上で書かれているのだろうが、二人の共通性の理由についてまでは、ここでは具体的には言及されていない。で、推理タイ−ム。
少なくとも、若き日の羽生は「反大山」だったのではないかと思う。(無論、将棋の指し方の話だ。)大山は、「将棋はは必ず間違えるものだ」という信念の元に指していた、盤外戦術もふんだんに使い、正確な指し手をするというより、相手の嫌がる手や間違いやすい手を選択するようなところもあった。実際に大山と対戦した羽生が証言しているように、「盤を見ているけれども、明らかに読んでいない。でも、急所急所に手が伸びてくる。大局観がすごい。」
つまり、盤上の真理を一途に求めるというより、実戦での勝負にこだわるタイプだった。若き日の羽生は、むしろそういう実線的な指し方を徹底的に排除し、合理的に盤上の真理を求め、最善手を正しく指すことのみに専念していたように思える。また、盤外作戦なども、基本的には用いない。さらに、将棋の強さと人間性の関係などもアッサリ否定し、盤上の技術を磨くことのみが全てだという明快な割り切りがあった。それまで、強いプロは序盤の研究などしなくても大丈夫だという考えを否定し、序盤戦術を体系的に整理する作業も徹底的に推進した。「羽生の頭脳」全十巻は、その美しい結実である。
大山的な勝負術、「人間的な将棋」に真っ向から対抗して、若き日の羽生は盤上の技術のみを見据えた「合理的な将棋」を一途に目指していたように思う。そのことによって、現代将棋は、飛躍的な技術革新を遂げ、ブロ将棋のレベルは格段に高まった。
しかし、近年の羽生の発言を聞くと、そういう方向性に、若干変化が現れてきているのだ。例えば、将棋世界2006/8月号での発言。
あるひとつの局面を前にして、なにかしら答えがあるだろう、ベストがあるだろうという気持ちは、昔のほうが強く持っていたと思います。今は、そういうことはあまり求めないで考えたほうがいいんじゃないか、と思っているんですよね。答えを求めないようなアプローチのほうが大事なんじゃないかと。
言っていることは矛盾しているんです。でも、明快な理論で「こうだ」ということを求めようとしてしまうことで、選択が狭まってしまうのではないか。今はそんなことを考えています。
必ずしも、発言内容は分かりやすくない。他にも、それこそ大山将棋や、職人の微妙に包丁さばきとの比較で、説明を補おうとしていたと記憶する。(その将棋世界が現在、私の手元になく確認できない。)
とにかく、単なる盤上の正しい一手のみを追求するという、かつての合理主義的スタンスからは方向変換しようとしていることだけは分かる。そのことについて、東公平氏が羽生vs三浦戦のA級順位戦の観戦記で、次のように書かれていた。
水は方円の器に従う」という。円熟期の今の羽生将棋は、水の流れのように常に自然である。相手が四角ならその形を取り、丸ければ丸く応じ、最後は急流と化して相手を押し流す。本局はその棋風を、そして人生観までを表現したような、「羽生善治の名局」であったと思う。
あまりに高い境地に達した羽生のような棋士の考えていることについて、私のような弱い素人があれこれ忖度するのが無謀すぎるのは承知の上で敢えて述べてみるとこうなるだろうか。
若き日に、盤上の真理を徹底的に合理的に追究してみた。出来ることは全てやりつくしてみた。しかし、合理的に追求すればするほど、将棋には分からない部分があることが分かってきた。大山先生が、ほとんど読まないで大局観で指した手が正しかったことの凄さが、ようやく理解できて来た。人間の指す将棋はコンピューターとは、全く異なるのだ。ただ、膨大な手を読んで、その中から機械的に選択していくものではない。相手があり、その局面の生きた流れがあり、その中で、今まで培ってきた経験を全て生かした上で、次の一手が見えてくるものなのではないか。かつて、私は将棋と人生は別物だと考えていたが、実は将棋とは、その人間の人生全てを反映しているのではないだろうか。
もう一度断っておくが、今書いたことは全て私の妄想であって、羽生が実際に考えていることとは全く無関係である。ただ、とにかく羽生がかつてとは違う考え方をしているらしいことを、ここでは確認しておけば十分だろう。
梅田端も紹介しているが、文芸春秋の最新手記の中で、羽生は大山について次のように述べている。
対局していてびっくりしたのは、大山先生はただ盤面を眺めているという感じで明らかに手を読んではいないことでした。しかしそれでも、なぜか指は急所急所に伸びてくるのです。卓越した大局観のなせる業でしょう。
棋譜だけからは計り知れない独特の勝負術をお持ちでした。史上最強の棋士は誰かと問われれば、私は大山先生の名を上げます。私もあんな境地に達したいものです。
これは、歳をとって大山のすごさが分かったというような通俗ストーリーでは決してない。むしろ、若き日に、徹底的に合理性を追求して「反大山」的な将棋を追求してきた羽生が、経験をつんでようやく大山のすごさを実感したということなのではないかと思う。
古臭い喩えだけれども、羽生は大山を否定した上で止揚する弁証法の手続きを行っているのではないだろうか。否定の否定を行うことによって、大山的な経験的な将棋の弱点を合理的に否定した上で、大山的な大局観の真の凄みも持ち合わせているのが、羽生の将棋である。
現代将棋の合理的要素については、ほとんど全ての棋士がよく理解しているだろう。しかし、大山的な大局観に対して、羽生は他の棋士たちよりも、はるかに敏感なのではないかと思う。それが、羽生が他の棋士とほとんど同じようで居て「違う」秘密のポイントなのではないかと思うのだが、どうだろうか。
ということで、羽生は多くの人間が感じている以上に、実は大山にも奥深いところの水脈で豊かに通じている棋士なのではないかと思う。

LPSA 1day マンデーカップ 船戸女流二段が初参加初優勝、NHK杯解説の福崎文吾

LPSAの1day マンデーカップは、船戸さんがいきなり優勝をかっさらって華々しいデビューを飾りました。一日で三局勝ってですから、たいしたものです。しかも、決勝の相手は石橋さんでした。
先手石橋で、後手の船戸さんがゴキゲン中飛車に。石橋さんが▲5八金右で超急戦を誘うと、船戸さんも真っ向から受けてたちました。こういう超乱戦は、石橋さんがもっとも力を発揮する形といえるでしょう。
定跡から△2一歩と船戸さんが変化したのですが、石橋さんに龍引きからと金つくりを目指され、船戸さんが相当忙しくなってしまいました。かなり先手が余せそうな形になったのですが、バッサリきめにいった石橋さんに、船戸さんも必死に抗戦。△2四角と攻防に打ったり、やむをえずながらの△2二香打ちで頑張ります。
とはいえ、石橋さんが確実に詰めろをかけて結局勝ちきったのかと思いきや、船戸さんが王手攻撃をかけだすと、眠っていた馬と飛車が働き、先述の△2二香まで役立って、一気に詰ましてしまいました。つらい受けの香打ちが、最後には役立ったのは、執念が通じたという感じです。
銀河戦の聞き手などでも、すぐによく手が見える棋士だと思っていたのですが、やるものです。他のLPSAの女子プロたちも、さぞ刺激を受けたことでしょう。

NHK杯の井上vs山崎戦は、井上さんが惜しい将棋を落としました。しかし、主役は解説の福崎文吾さんでしょう。さっそく聞き手の中倉宏美さんとのちょっと風変わりな漫才を紹介してみましょう。
福崎 (山崎さんの将棋は)宇宙空間で指しているような。どこが上かどこが下か分からない、トリッキーな感じです。
中倉 あぁ、ちょっと分かりやすいです。
あのー、全然わかりやすくないんですけどー。
福崎 (山崎さんは桂頭二つに傷を作ったりして)いじめられるのがすきなのかもしれません
福崎 (山崎さんの将棋は):元気というか積極的というか無謀というかムチャというかやりすぎというか
中倉 山崎さんはNHK杯優勝していますよ。
福崎 (過去)三年くらいしか覚えていません。
福崎 上着を脱いでいますから。体温が上昇しているんですね。なんか虎みたいでしょう。豹とか。ゴロゴロ、獲物を狙っているというか。
あ、△9五歩いきましたね。やっぱり何か狙っていると思いました。
   狙いは分かりませんけど。
一番肝心なところ、分からないんすか。
福崎 井上さんはC2から上がり損ねて、泣いていたんですね。そうしたら兄弟子の谷川さんから手紙が来て立ち直ったそうなんですね。私もそんな兄弟子が欲しいです。
中倉 あっ、わたしもそのお話、どこかで聞いたような気が。
福崎 確か今月の雑誌にのっていたと思うんですけど。
情報元は将棋世界7月号かい。一般ファンと同じじゃないですか。
福崎 歩が三つ以上当たると初段以上といいますね。この二人とも初段以上ということですか。
中倉 あっ、それは多分特には・・。
福崎 ほめていることにはなりませんか。
福崎 プロでも王手といってもいいんですよ。別に。
中倉 いいことはいいんですか。
福崎 無視されますけどね。
真面目に答えていた中倉さんが気の毒です。
井上さんが頭を抱えて必死に考えてる画。あれっ、若干頭頂部付近の頭髪が・・。
福崎 頭がフル回転ですよ。ハゲていくかも、あまり考えたらね。アブないかも、考えすぎたら。
中倉、あっ(思わず噴き出して)、○△×☐・・。(言葉にならず)
福崎さん。見たことにそのまま反応して口に出すのはやめましょう。
感想戦も三人で賑やかでした。関西では、普段からこんな感じでやっているんでしょうね。

今週のtwitter

最近はブログよりもtwitterをマメに更新したりしてます。ただ、twitterはシステムが常に不安定で、過去ログが全ては見れなかったりするので、ここに一週間分を残しておくことにしました。残す価値などない内容なのですが、やっぱり残しておきたいという心理です。

shogitygoo今日のNHk杯、井上vs山崎より。井上さんが頭を抱えて必死に考えてる画。あれっ、若干頭頂部付近の頭髪が・・。解説の福崎「頭がフル回転ですよ。ハゲていくかも、あまり考えたらね。アブないかも、考えすぎたら。」中倉、「あっ(思わず噴出して)、○△×☐・・。」言葉にならず。
about 1 hour ago from web
shogitygoo @yt_shogi  無論実証不能ですが、色々立論してみるのは楽しいです。やはり先に一手指した方が必勝のはずだとか、いや将棋は余計なことを指すと悪くなるゲームでとがめる権利のある後手必勝だとか。 ... about 10 hours ago from web in reply to yt_shogi
shogitygoo 岩根さんは石橋さんを破ってもなんら不思議ではない実力者。それより他であと何枠か欲しかった。船戸さんは一日に二局も指して大丈夫だったんでしょうか。 ... about 10 hours ago from web
shogitygoo 「勝手に将棋アンテナ」にもはられてるけど、ここは現在の「勝手に将棋トピックス」的サイトといえる。良質でレベル高く大人のサイトという印象。「指さない将棋ファン」にもおすすめ。http://d.hatena.ne.jp/readi... ... 06:56 PM July 19, 2008 from web
shogitygoo 「将棋の神様同士が指したら」問題について、内藤先生が昔言われてることはさすがに鋭い。http://tinyurl.com/6bk2bw ... 06:47 PM July 19, 2008 from web
shogitygoo それにしても矢内理絵子さんは紅白歌合戦にそのまま出れそうですね。(他意とか一切ないので、笑って読んでくださること希望) ... 06:44 PM July 19, 2008 from web
shogitygoo 石橋vs岩根くらい中継しましょうよ。どうみても一番の好カード・注目局でしょ。 06:42 PM July 19, 2008 from web
shogitygoo やっと少し落ち着いた。いい年して興奮しやすい。阿久津さんは、久保さんに堂々と勝ってた。あの世代が、少しずつだけど、ようやく本格的に壁をぶち破りつあるような感じだ。プロフェッショナルを睡眠薬代わりに寝る。ここんとこの日課になってる。 ... 11:00 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo はっきり言って、羽生さんが連敗後の三たてで棋聖位奪取したので、現在軽躁状態。 09:07 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo @okadaic  ええ、気にされるような方じゃないと最初から分かっております(笑)。ちなみに、金髪美人のjessy_slayeさんはウチのタイムランにも乱入してくれていました。本当に「あんた。誰?」 ... 08:58 PM July 18, 2008 from web in reply to okadaic
shogitygoo おっ、谷川先生が王座戦挑決に進出だ。久々に谷川vs羽生観たいなー。今の羽生さんをタニー(愛称呼びごめんなさい)が打ち負かしたら、これまた盛り上がるだろうし。 ... 08:38 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo @okadaic はてブのコメントを見ました。「徹底的に拡大解釈」というのは、無論最大限のほめ言葉のつもりなのですが、我ながら、なんか他に表現のしようがあっただろうが、と改めて思った次第です(汗)。 ... 08:07 PM July 18, 2008 from web in reply to okadaic
shogitygoo 羽生森内は、重厚でジリジリするような神経戦。羽生佐藤は、いきなり殴りあう華々しい将棋。羽生深浦は、じっくりお互い組みつつも、隙あらば鋭く攻めようと虎視眈々と狙いあう将棋。どれも違った味で面白いです。どれにも対応できるのは羽生さんだけ、というのは羽生ファンの贔屓目ですか。 ... 08:01 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo ということで。その後は少し羽生ペースだったのでしょうか。でも終盤の手際のいいこと。プロでもなかなか寄せきれない将棋を山ほど見ているだけに、この収束の鮮やかさは、やっぱりさすがだなーと思う。本局では、それが一番印象に残った。 ... 08:01 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo 佐藤が敢えて馬を作らない工夫。→羽生が大長考の末に決断の開戦。この長考凄みあるね。→羽生の馬を佐藤が消して、どちらがいいのかなんだかよく分からない。→飛車銀両取りを放置しての△8六歩。これを佐藤は軽視したらしい。桂をもたれてあそこに手がつくと穴熊ももろいですもんね。 ... 08:00 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo パソコン開いてタイムラン見たら、いきなり縁もゆかりもない人たちの発言が流れてきていて驚いた。皆におきてる現象らしい。twitter本気でやばいかも。 ... 07:15 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo 最後は差がついちゃった。△5七とのあたりから、きれいに寄せちゃった。見ていると簡単そうに見えてしまうくらい終盤の切れ味抜群だった。強いなあ。 ... 07:11 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo 佐藤さん投了した。四冠はいつ以来だろう。 07:06 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo 今回の中継室は機能放棄しているなー。 06:56 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo おー、Jessica久しぶり。ってタイムランに見知らぬパツキン美女が。ってなこと喜んでる場合じゃない。棋聖戦終盤の大佳境なのにっ。 ... 06:30 PM July 18, 2008 from web
shogitygoo 今日こそ中継ないと思ったらLPSAで島井vs神田を動画中継中だよ。http://joshi-shogi.com/nrs/ 07:16 PM July 16, 2008 from web
shogitygoo (続き)二人は対照的に、静と動。陰と陽。しかし、二人の通じ合う心が丸見えの瞬間をカメラはとらえきっていたのだった。 見逃した方。ご安心あれ。NHK総合/デジタル総合7月21日(月) 25:10〜26:10(60分)でちゃんと再放送があります。 ... 07:09 PM July 16, 2008 from web
shogitygoo 緊迫した対局室で観戦記者が眠りこんで大イビキをかきだす。森内が困ったなというように記者のほうに目をやると、チラリと羽生の方を見やり、下を向いてとてもいい笑顔で静かに笑いをこらえる。羽生も記者に眼を向けると、対局時とは思えない優しい眼で、大きな動作で陽性に笑いをこらえる。(続く) ... 07:08 PM July 16, 2008 from web
shogitygoo テーマ音楽のkokuakのProgressにまでハマってしまった。あの前奏部分、たまらん。 とはいえ、一箇所だけ、番組のサワリを紹介してみようか。 ... 07:04 PM July 16, 2008 from web
shogitygoo 昨日のプロフェッショナルのことを、ブログ記事にしようと思ったけれど無理。二人が語った全ての言葉について語りつくし、カメラがちらえた二人の表情仕草の全てを詳細に描写したくなるし、本当に魅力を伝えようとしたら、そうするしかないから。 ... 07:04 PM July 16, 2008 from web
shogitygoo プロフェッショナルを見終えた。二人の話す内容もすごけりゃ、両者の対局中の表情を克明にとらえたカメラがなにより雄弁だった。 ... 11:05 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo @mochioumeda  梅田さんなら、パソコン10台くらい使って全局開いているのかと思いました(笑)。プロフェッショナルをライブで見られなくてお気の毒です。 ... 09:50 PM July 15, 2008 from web in reply to mochioumeda
shogitygoo 順位戦も気になる。森内vs木村と片上vs広瀬を画面に出しっぱなしにしてある。森内さんが順位戦を指しているのが新鮮すぎ。 ... 08:35 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo ということで、羽生さんが勝って気分もいいし、プロフェッショナルをのんびり見てから寝ます。 08:15 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo ↓この記事より。http://business.nikkeibp.co... 08:14 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo 茂木健一郎「あの表情は普通では絶対に出ないものだ。それをカメラが捕らえていることがすごい。普通の文明の中にいる人の表情ではない。サバンナの中でハイエナが獲物を狙っているようだった。 ... 08:14 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo ↓タイトル戦の経験豊富な中原先生ならではの深い言葉だ。いかにも悠然と自然に構えている中原流で王者の風格ありすぎ。さすがの竜王もこれには「そういう考え方は初めて知りました」と素直に感心するしかなかったようだ。 ... 08:12 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo 中原誠「ところで七番勝負は二局、しっかり自分の将棋が指せれば、勝つ権利を手にできると私は考えているんです。四番きっちり勝とうとしても相手も強い。」http://tinyurl.com/6ntoq6 ... 08:11 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo @knu @gnf Pemlinkの件、フォローしていただき、ありがとうございました。 08:10 PM July 15, 2008 from web in reply to knu
shogitygoo @shogidaichan 問題が大きすぎるので、書いていることにあんまり自信はないです。個別記事へのリンクは、各記事の最後のところにあるpermalinkか右欄の最新記事一覧のところから、各記事に飛べます。昨日は早々にパソコンを閉じたので、返事が遅れてすみませんでした。 ... 08:08 PM July 15, 2008 from web in reply to shogidaichan
shogitygoo @KIYO_KIYO すみません、正直に言います。もっと私は単純で、片上ブログで紹介されていたこの記事に触発されて書きました。http://tinyurl.com/6gezgc ... 08:06 PM July 15, 2008 from web in reply to KIYO_KIYO
shogitygoo 王位戦、この二人はがっぷり四つの難しい戦いになることよ。北海道新聞さんが精力的に控え室情報を伝えてくれているが、それ読んでもなんとなくすっきりしない。終盤は深浦さんが少し足りないのかなあ。でも当たり前のように指されている▲2八飛も、私には十分感動ものだ。 ... 08:05 PM July 15, 2008 from web
shogitygoo 棋聖戦終わる前に王位戦始まるのね。 07:44 PM July 14, 2008 from web

文藝春秋の羽生善治名人手記

文藝春秋8月号に、羽生名人が「永世名人 この一手に震えた」と題した手記を書いている。「指さない将棋ファン」のokadaicさんがブログで取り上げていたので知った。例によって「神ならぬ身」の一言に着目して徹底的に拡大解釈していく「らしい」内容で面白い。ああいうのを真似してみたいところだが、とても板につきそうにないので、私は「普通の将棋ファン」らしく地味に紹介してみよう。
具体的将棋の内容として、大逆転の第三局について、あの△8六桂の見落としの後の手順についてこのように述べている。
諦めていたところ、とつぜん局面が好転して、私も慌てました。状況の変化に思考の切り替えがうまくいかず、そこで指したのはのちの検討では悪手の烙印を押される手でした。
恐らく、△6九銀のことだと思う。結果的にはこの銀が大活躍したのだが、実は△7八銀不成りの時に△7一角成りとしておけば、なかなか寄せが難しかったらしい。朝日の観戦記その他で、その指摘は何度か聞いた。私は、あの△6九銀をライブで見て、その僻地に銀を打つ常識はずれのセンスに興奮して感動したのだが、実は下手をすると敗着になりかねなかったわけだ。
しかし、あくまでそれは結果論であって、森内さんからしてみれば、大ポカの直後に、あのようなわけの分からない銀を打たれたら、頭がクラクラしてしまうだろう。そういう異常な心理状態のもとでは、正確に冷静に対応するのは至難の業だ。心理的には、あの銀打ちは、もっとも対応しにくい手ともいえる。勿論、羽生さんはそういう意図で指しているわけではないだろうが。だから、少し強引かもしれないが、△6九銀というのは、あの流れの中では最善手だったのだと、私は言ってみたい。
第一局のポイントになった△8六飛についても、実は似たことがいえる。朝日の観戦記が、あの周辺を詳細に検討していて、△8六飛の時点では、実はまだ羽生さんが良くなる変化があったとのこと。さらに進んで▲4四歩の踏み込みに、△6七歩成りと応じたのが真の(最後の)敗着で、あそこで△4四同銀としていればまだまだ難しかったそうである。
しかし、そうは言っても、△8六飛が、それまでの流れを急に断ち切ってしまった一手だということには間違いない。他に良くする手もそう簡単ではないようなのだが、あのまま穏やかな流れで指して、少なくとも簡単に負けるということだけはなかったはずである。だから、△8六飛は、具体的には敗着でないとしても、それまでの流れを急に変えて、なおかつ羽生自身がその流れに対応し損ねたという点では、やはり実質的な敗着というべきではないだろうか。
言葉の使い方が難しいのだが、「指し手を振り返って検討した上での具体的な敗着」と、「対局中の流れの上での生きた敗着」という二つものがあるとでも言うか。「勝着」についても同様である。
他にも年齢とともに磨かれていく「大局観」の話も興味深い。大山さんを、その大局観の達人として称えている。他の著作でも言っていることだが、「大山先生は、盤面を眺めている感じで、明らかに読んでいない。でも手は急所に伸びてくる。」と。「史上最強の棋士は大山先生だ」とまで言っている。
最近の、角換わりの力戦振り飛車に象徴される現代将棋についても、またしても卓抜した比喩能力を発揮している。勝又教授によれば「今までの公理や常識を一度徹底的に疑ってみる時代」羽生さん自身の表現によると「モダンアート」としての、見ていてとても分かりにくい将棋である。
ここ十年ほどでは、少し前までは、徹底的に深く定跡を研究して、それをあとはいかに実戦で発揮するかという時代だった。
たとえていえばきれいに舗装された高速道路のような研究手順が整備されると、先手はリードを保ちやすく、その勝率は上がります。
しかし、その事態に後手番で対応するために、現代将棋ではいきなり序盤で工夫を凝らし、見たこともないような局面になることも多い。
こちらは未開のジャングルのなかで行われる野戦、とでも表現すればいいでしょうか。
相変わらず、何が起きているのかを的確に把握している。いうまでもないことだが、最新戦法講義の勝又教授以外にあの手の仕事をする適任者は羽生さん以外にいないだろう。ただ、こういう現状認識までだったら、特に若手棋士なら誰でも出来ているのかもしれないが、羽生が非凡なのは、そういう状態にどう対処すべきかも、冷静に客観的に理解していることである。
一方でまた、全ての情報をインプットしてもきりがないので、この戦法はいずれ廃れるだろうとか、自分には向いていないとか、どこかで取捨選択をするという見極めも大事です。情報に自分のアイディアをどう付け加え、どのように切り取るかも個性のうちなのだと思います。
情報化社会においては、新たな情報を貪欲に吸収するのも欠かせないが、それ以上に重要なのは、いかに情報を「捨てる」かなのだと思う。現代将棋の革新性に鈍感ならば、少なくとも将棋のトッププロとして生き延びるのは不可能だろう。しかし、その一方で、ひたすらに流行を追ったり、意味も分からないまま、人の将棋を真似して指したりしているだけではダメなのだ。羽生さんのすごいところは、情報を迅速に収集して的確に現状認識が出来る一方で、それらの膨大な情報に溺れず、いかに実質的に生かすかを冷静に判断できるところだ。バランスがいいのだ。
最後の部分も、将棋ファンにとってはうれしい。ライバルたちとの「マラソン」についてはokadaicさんも言及していたが、マラソンと関連して加藤一二三先生について愛情と尊敬をこめて語っているのも見逃せない。「プロフェッショナル」の、羽生森内特番でも、やはりその点について触れていた。最後に引用するこの羽生さんの言葉は、全ての棋士、全ての将棋関係者、全ての将棋ファンの気持ちを代弁してくれているといえるだろう。こういうことをいってくれる人が、将棋界のトップにいることを、一将棋ファンとして、心から誇らしいと思う。
加藤一二三先生は今年、六十八歳になられましたが、将棋に対する情熱をまったく失っていらっしゃらないことには脱帽するばかりです。いまだに持ち時間をすべて使いきり、深夜まで秒読みに追われながら指し続けています。加藤先生は「神武以来の天才」といわれて十四歳で棋士になっていますからもう五十年以上、あれだけの集中力を保ち、高いテンションを維持している。あの真摯な姿勢を見習わなければなりません。なんといっても1000敗というのは空前絶後の記録だと思います。

将棋における人間とコンピューター雑感

小林秀雄の「考えるヒント」の「常識」で、小林が中谷宇吉郎博士に問う。

―もし、将棋の神様同士が対局したらどうなるだろう。
―馬鹿なことを言うな。
―とにかくどんなに時間がかかってもいいから、もししたらどうなる。
―無意味な結果になるだけだ。
―先手必勝か後手必勝か千日手になるんだな。
―そういうことだ。
―じゃあ振り駒で決まるんだな。
―無論そうだ。
―もし、神様なら振り駒の結果もお見通しだな。
―そうだ。
―じゃあ、神様を二人仮定したのが間違いだったということだな。

(そのままの引用でなく私の要約です)
きれいなオチがついているが、これが将棋というゲームの変わらぬ本質なのである。どんなに指し手の可能性が天文学的数字で、人間にも現在のコンピューターにも計算不能だとしても、あくまで組み合わせの可能性は有限である。究極的には計算可能だし、結果も分かっている(はずの)ゲームなのである。
もし無限の時間をかけたら、人間にもコンピューターにも、答えを出すことは可能なことには変わりない。現実的には、そんな時間がないだけだ。
人間とコンピューターを対立させて考えがちだが、本質的に両者の置かれている立場は全く同じなのである。つまり、本来は有限なのだが、現実的な制約で、全てを読むことは不可能な者同士が、別の方法で「解」に近いものを手探りしている状態である。両者の手法にはなはだして違いがあるだけのことだ。
では、両者の手法には具体的にどのような差があるか。人間ならば、局面の「流れ」を読みとったり自分で構成することが出来る、ある局面を見て、その意味を数値位的でなく豊かな意味関連図として直感的にきめ細やかに把握できる。等々。一方、コンピュータのやり方は、もっと野蛮で力づくだと。
ある程度、それは正しい。しかし、実は人間の「流れを読む能力とか「直感的な把握能力」というのは、実は突き詰めて考えると人間だけの特権ではない。現在、コンピューターが局面を評価するのはある点における「評価関数」である。点で評価しているのだから、コンピューターに流れは理解不能だ。
しかし、それはあくまで、現在のコンピューターのレベルの問題に過ぎない。人間が漠然と「流れ」と言っているものだって、細かく詳しく分割して思考過程をたどれば、具体的要素に還元きるはずである。まして、将棋は芸術と違って、ルールがきちんと決まっていて、究極的には計算可能な世界なのである。つまり、人間の言語をコンピューターの言語に翻訳する手間さえ惜しまなければ、「流れ」だって、一応理論上はコンピューターにも理解可能なはずなのである。他の人間の「直感能力」についても同じことが言える。あくまで、計算可能な将棋の世界においてという限定付きだが。
人間というのは、どうしようもなく自惚れの強い生き物である。将棋という、本来人間がコンピュータに負けても、なんら不思議がないゲームにおいても、実際そうなったとしたらプライドを傷つけられるだろう。
むしろ、現在人間が将棋に対して取っているアプローチには、多分には恣意的な側面があるのではないかと思う。それまでの伝統的な指し方、「かくあるべし」とか、主観的な美意識に無意識のうちにとらわれてしまっている。将棋を指すのが現在はほとんどが日本人なので、当然日本人特有の思考様式や感性の歪みだって、知らず知らずのうちに混入しているに違いないのだ。
現代将棋において「常識を疑え」という考え方が、雪崩を打ったように現場にもちこまれている真っ最中である。それも、あくまで旧来の人間的バイアスを正そうとする、ごくごく自然な欲求に基づいているのかもしれないのだ。
そういう意味で、コンピューターは、人間の敵になるどころか、人間的な主観の誤りを正してくれる貴重な存在とさえいえるだろう。コンピューターは、「先入観」など存在しない、まっさらな心の持ち主だからである。基本的に、コンピューターは人間の敵ではなく、人間の物事の理解を正したり深めたりしてくれるきわめて有能な助手と考えるべきなのではないだろうか。
但し、そういう原理とは別に現実の問題点が存在する。それは、現在のコンピューター将棋が、必ずしも王道を行って強くなっているとは言えないからだ。現在コンピューターが使用している「評価関数」は、膨大な要素の組み合わせによって成り立ち、コンピュータ自身の「学習」によって厳密な検証作業を経ているとはいえ、まだまだ未熟である。と、少なくとも人間の私は思う。その評価関数の成熟の足りなさを、圧倒的な計算能力で補って、力技で現時点まで強くなっているのではないかと思う。(この点については、特にコンピューター将棋に詳しい人間には異論があるところかもしれないが。)
つまり、人間が経験や直感によって蓄積してくることによって、たとえ人間的な主観による過ちを内包しているとしても、少なく現時点では、コンピューターよりは、はるかに「正しく」将棋を理解しているのである。あくまで相対的な話だが。
もし理想を言うとするならば、人間は自らの自惚れをサッパリ捨て去ってコンピューターに謙虚に学ぶべきだ。しかし、存念ながら、現時点のコンピュータの将棋理解が、それに値していないのだ。今後のコンピュータが、正しく人間に役立とうとするならば、現在の方向性で計算力を高めていく以上に、人間の思考を出来うるかぎり意識化して、コンピュータの言語に翻訳するよう努めるべきといえるだろう。
渡辺明と保木邦仁の「ボナンザvs勝負脳」で、保木さんが印象深いことをいっていた。
面白いのは、当初、コンピューターチェスの指し手は、チェスプレイヤーたちからすれば、揶揄すべきような手であった。「あんな手を指すなんて、やっぱり機械だな」「美しくない、ただ力ずくの手だ」というわけである。ところがそんな中傷に対して文字通り聞く耳を持たないコンピューターはどんどん強くなっていった。そしてディープブルーが世界チャンピオンを負かすにいたって、「コンピューターチェスの指し手には知性を感じる」という印象に変わってきたのだ。これは意外なことだが、人間というものはそんなものなのかもしれない。コンピューターにしてみれば、単なる計算結果なのだが、その一手、たとえばポーンをひとつ前に進めた手に、人間は奥深さを感じた。「渋い!」というわけである。
現在のコンピューター将棋についても、ある程度これと同じことが言えるかもしれない。人間の美意識とか価値判断能力などというものは、案外当てにならないものなので。しかし、先述したように、あくまで「人間」の判断能力によれば、まだまだ将棋はチェスレベルには達していないと思う。人間の自惚れに過ぎなくないことを望むが。
さて、ここまで意図的にコンピュータを評価する方向で書いてきた。あくまで、私はいわゆる(悪しき幻想としての)「人間的要素」をあまり高く評価しない立場だからである。しかし、当たり前だが人間は、コンピュータに劣る存在ではない。では、今日コンピューターになくて人間にあるものとは何か。曰く、感情、意志の力、芸術的な構想力。少なくとも将棋という計算可能な世界から飛び出せば、そこは人間の一人舞台のように思える。
しかし、意地悪な見方をする誰かが言うだろう。感情とか芸術制作力とかいっても、現実の具体的材料や各人の肉体に制約された性向の組み合わせに過ぎない。それが自由に思えるのは人間の幻想だ。人間は、徹底的に隅々まで条件付けられた存在に過ぎないのだと。そこから宿命論や、ある種の宗教へはあと一歩である。
確かに、実は人間は自分で思うほどは自由な存在ではない。様々な条件付けや刷り込みの結果の、行動や感情の発露を、自由意志と勘違いしがちな悲しい動物である。しかし、そういう事実を徹底的に直視しぬいたところに、恐らく人間の本当の自由は訪れるのだ。自らの不自由を徹底的に知る者のみが、本当の自由を知ることが出来るのである。
その意味で、将棋の世界というのは、加算可能な有限の世界であって、究極的には「不自由」な世界なのだが、人間が「自由」を知るためには、逆説的に好条件ともいえるのだ。あくまで、限界を認識した上で、その中で人間がギリギリの何が出来るのかを生体実験できるのだから。
私は、現在のトッププロ棋士たちは、まさしく自らの身を将棋に捧げきってそういうことを行っている人たちなのだと思う。将棋に対する興味以外に、彼らに対するきわめて「人間的」な共感や憧れが根底にあるのだ。
いや、現在のトップだけではない。加藤一二三先生は、まさしく、不自由な世界で自由を見つけようとして、いつまでたっても楽しく戦い続けている勇者である。
分かりにくい文章の流れかもしれないが、私が本当に言いたかったのは、将棋に対して、決してコンピュータには不可能で、人間だけにしか存在しない特権的な「人間味」に対する徹底肯定だったのである。

モダンアートとしての現代将棋を素人が本当に理解するのは可能か

週刊将棋の鈴木宏彦氏の「いま、将棋界の話題」が、最近のプロ将棋の「分かりにくさ」について取り上げていて面白い。羽生名人の最近のインタビューの発言を紹介している。
現代将棋はモダンアート。古典派の芸術のほうが見た目は分かりやすかった。今はプロでも何をやっているのかわからない。

羽生さんでも、完全に理解した上で指しているというわけではないらしい。さらに、様々な棋士の証言も興味深い。
藤井九段によると、頭では最新流行を理解していても、実際に指しこなすのは別である、本当に理解して指しているのは羽生さんくらいだろう、6・7割の棋士はただ真似しているだけ。
泉七段によると、勝又教授の最新戦法講義はプロの自分でも何が書いているか分からない、トッププロのタイトル戦も、実は半数以上のプロは分かってないだろう。
当の勝又教授によると、自分でも書いている講座の内容は難しいと思う、でもそれをやらないとプロとアマの接点がなくなってしまう、先端についていっているのは若手中心。中堅ベテランは、対応が分かれ、自分の世界を追及する人も多い。
とにかく、プロたちでも、「モダンアート」の内容を全て完全に理解しているわけではないというのが、共通認識のようである。
ところで、その勝又講義について、ヘボアマの私は、先週のプログでどのように言っていたか。
今回は、一手損角換わりの歴史なのだが、やはり面白くて分かりやすい。

だってさ。プロの方々が皆さん謙虚に分からないと言われているというのに、一体何なんかだ、この見栄っぱりぶり、半知半解ぶり、知ったかぶりは。あんまり、恥かかせなさんなってーの。
と、逆上してみた上で、言い訳しよう。
弱いアマチュアの私が、現在の難解な最新戦法を、本当に理解しているかというと、当然否。また。実際な指しこなせるかというと、それ以上に否。当たり前のことである。
しかし、そもそも最初からプロ将棋を専門的に理解しようと思って読んでいるわけではないのだ。羽生がモダン・アートの例を出していたが、例えば、ピカソやダリやキュビズムやフォビズムやシュールリアリズムの絵画を完全な素人が見たら、いきなり理解するのはむつかしい。その場合、入門者向けの解説書があって、その種の絵画のコンセプトを分かりやすく説明しているとする。少なくとも、そういうものを読めば、最低限、どういう狙いで分かりにくい絵を描いているのかだけは「頭では理解できる」だろう。とはいっても、本当にそれらの絵画をきちんと理解したことには全然ならないし、まして自分で描けるようになるわけでもないが。
勝又教授の講義というのは、その種の「モダン・アート入門書」なのである。勝又講義を読んで、本当に現代将棋をアマチュアが理解したと思うなら、それは愚かだ。「擬似理解」に過ぎないだろう。しかし、もとからそこまで目指さずに、大枠の流れとコンセプトのみ、一応知っておこうとして謙虚に読むのならば、あれほど優れたものはないと思う。実際、一般の読者にも理解しやすいよう、ブリッジ、リンク等、他ジャンルとの比喩を多用しているし。
「モダン・アート」を、本当に理解している人間は少ないとしても、そういう芸術の持つ意義や歴史的必然を、もはや誰しみ否定できないのと同様、現代将棋の革新の本当の意味を、アマは勿論プロすらちゃんと理解していないとしても、巨視的には現代将棋の変質にはきちんとした歴史的意義があるものなのだろうと、私は考えている。
一方、人間というのは「流行」に極端に弱い生き物である。現代将棋の最先端においても、そういう理由で隆盛している部分も当然あるだろうが、その種の単なるモードは、時間を減るうち自然に淘汰されていくだろう。現在将棋は明らかに過渡期なので、様々な混乱や偽の先端流行も含みつつ、大きな流れとしては、確かに底流では地殻変動が進んでするということなのではないだろうか。
なので、プロが分からないというからといって、勝又講義をアマは読むのをやめたりする必要はない。おおまかに流れだけ理解しようと思うなら、アマチュア初段もあれば十分だろう。場合によっては、級位者だって大丈夫だ。むしろ、話についていけるかどうかは、他ジャンルでの時代の動きを理解している人間かどうかということなのではないかという気がする。プロ棋士に、ついていけない人が多いというのも、その辺に理由があるのかもしれない。
但し、今言ったのは外部から楽しむアマチュアの立場からの話である。実際に将棋を指して勝たなければいけないプロ、特にそういう概念に慣れずに長年指し続けてきたベテラン・中堅が、流行を追わないのは、むしろ当然である。また、アマチュアも、そういう「頑固」なプロが実は好きなのである。
振り飛車相手に、いまだにクラシックな急戦で戦って見せている加藤一二三先生、居飛穴に堂々と組ませて、▲6六銀戦法で、芸術的に戦ってみせている櫛田六段など。NHK杯も、負けたけれども、居飛車穴熊をきちんと攻略しかれるところまでは、ちゃんとみせてくれていた。

棋聖戦第二局・第三局、将棋世界7月号勝又講座

棋聖戦は、一局ずつ勝ったわけだが、両方とも似たところのある将棋である。
表層的には、自玉を十分にかためて攻撃する態勢をとったほうが、結局は一方的に攻めて勝っている。例えば、アマチュアのごく普通のレベルなら多分勝つであろう側が、トッププロ二人の対局でも勝っている。
しかし、局後の感想などを見ると、そう簡単な話ではなく、守勢を取ったほうにも十分にチャンスがあったようである。単に玉をかためて攻めたから勝てるという単純な話ではないようにも思える。「見た感じ」では判断できないレベルの将棋を二人は指しているようだし、そういうところを観戦記等では伝えて欲しい。
第二局については、週刊将棋を読んでみた。羽生さんが△5三銀と引いたのが敗着で、△5六歩とすれば後手も面白かったとのこと。但し、後手が押さえ込みに失敗すれば、たちまち穴熊の猛威がふるう将棋なわけで、実際羽生名人の上手の手からも水がもれてしまい、佐藤棋聖が豪快に勝ちきった。
記事中では触れてなかったが、▲5六角などは一見随分乱暴な手のように見えたのだが、あのあたりでは既に後手はどうしようもなかったらしい。穴熊のかたさをフルに生かして、佐藤さんが豪腕を発揮して力強く押し切ったということのようだ。
第三局も、佐藤新手の「いきなり△5二玉」も、羽生さんがしっかり玉をかためて、玉頭付近を争点にしてしまっては、後手が相当勝ちにくそうに見える。佐藤さんの玉の動きというのは、まるで駒落ちの上手のようだった。でも、控え室もかなり最後のほうまでどちらが勝ちか分かりかねていたそうだし、羽生さんの手もまたもや震えたらしい。一方的な将棋では、さすがにそういうことはないだろうから、「(やっと)▲7三歩成で勝ちになったと思った」、というのは本当なのだろう。しかし、あんなに後手の玉が危なくて一方的に攻められているように見えても、まだ難しいのだというから、プロの将棋はすごいと素直に思う。
相変わらず、佐藤さんの新手魂は健在である。竜王ブログによると、通常は4一から5二とやるのを、いきなり△5二玉とやったのが佐藤流の工夫だそうだ。しかし、当然いきなり玉が動くと、先手も当然それに応じた攻める場所を考えるわけで、今回は羽生さんにきっちり答を出されてしまったということなのだろう。
第二局では、羽生さんが、四手目△3三角戦法を採用。最近、週刊将棋でも、勝又六段の講義があった。丸山さんの得意戦法というイメージがあるが、実は第一局は羽生さんが加藤先生相手に指した将棋である。一応は「羽生新手」で、佐藤さんに対策を投げかけたわけで、第三局とは逆の立場になっている。
この戦法は、後手は居飛車・振り飛車両方の指し方があるのだが、先手が▲7八金とすると、後手は振り飛車にすることが多いらしい。いきなり穴熊に囲ったのが、佐藤さん考案の対策ということで、一応結果的には玉のかたさが生きる展開になった。
ということで、お互いの新手をつぶしあったわけである。この二人は、あらゆる点で張り合っていて面白い。

やっと、将棋世界7月号に手をつけた。最近は、次号が出るのであせって読むパターンばかりだ。やばい。
とりあえず、勝又教授の最新戦法講義だけは、真面目に読んだ。今回は、一手損角換わりの歴史なのだが、やはり面白くて分かりやすい。ネットのおかげで、最近は見ようと思えば、プロの将棋をそれこそイヤになるくらい観ることが可能だ。ただ、一局一局の内容は、なんとなくおぼろげに印象に残っても、それを戦法の歴史の流れの中で理解するのは、普通の素人には到底無理だ。それが、これを読むと分かってしまうのだからありがたい。例に採用されている将棋は最近の有名なものが結構多くて、ああアレかと思うのだが、体系的にどう位置づけられるのかが、私などははじめてこれを読んで知る次第である。
しかも、今回の名人戦の、戦法選択の意味も明快に理解推測できてしまうのだ。第一局で、後手の羽生が、一手損角換わりと見せかけて、ウソ矢倉にしたのは、一手損後手に問題を感じているからではないか。第二局で、森内が「ワンクッション一手損」を採用したのに対して、早繰り銀で対応した(さらに佐藤新手を取り入れた)のが、この戦形に対する現時点での「羽生の頭脳」の中身(この部分は私の勝手な表現です)なのではないか。というのが勝又教授の推理分析である。ナルホドー、そういうことだったのかと納得してしまう。
本記事は第二局終了時点で書かれている。勝又教授の、第三局以降の分析も是非知りたくなってしまう。第四局の、後手森内の一手損角換わり振り飛車も、
第二局を踏まえてのものなのだろう。但し、一番注目すべきは、名人戦だけで三局も出てきた相がかりだろう。どう考えても、これが今後の注目戦法になりそうな気がする。

船戸陽子さん関連記事リンク

追加しておきました。今日が、正式な移籍日です。
LPSAでブログを持っている人達は、全員移籍に言及していて、相変わらず結束が固いです。
船戸さんのワインブログは、隠れ家的にそっとしておいてあげたかったような気がしないでもありませんが、一般公開の可否を知人に聞かれて断ったりせずに快諾するのも、いかにも船戸流だという感じがしました。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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