2008年10月

渡辺の現代後手矢倉―竜王戦第二局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

先手羽生で初手▲7六歩、後手渡辺が二手目△8四歩で相矢倉に。渡辺は、後手では基本的に先手の作戦を全て受けてたつ。羽生をはじめとして、後手では趣向をこらして主導権を握ろうとするのが大勢なので(但し羽生は先手の作戦を受けることもあり、結局は全ての戦形を指しこなすオールラウンダーである)、今時珍しい古風なやり方ともいえるが、将棋の内容自体は当然現代的である。
渡辺が取った作戦は△9五歩形だった。それに対する▲6五歩が、宮田敦史五段が指した「宮田新手」。
竜王戦第二局ddddd08103045手

この辺の現代矢倉の動向については、将棋世界2008/5の勝又教授の最新戦法講義スペシャルがくわしい。
この宮田新手により、先手良しとされていたが、後手にも工夫が生まれ、十分に戦えるとされている。但し、紹介されているのは銀冠に組み替えて徹底的に受けに回る順である。この回には渡辺竜王も登場している。
勝又 後手9五歩形はどう思います?
渡辺 後手が好ましくないと思う。
勝又 銀冠に組み替える手法もありますが。
渡辺 後手がかなり守勢になので、自分ではあまり指す気がしません。
ということで、渡辺が本譜で選んでいるのは、受ける順ではなく、△9五桂から△8五桂と跳ねて先攻する順なのである。
竜王戦第二局eeeee08103048手
この将棋は、今年9月のB1順位戦で先手行方、後手渡辺で指されている。若干手順に違いがあるが、先手が7五の歩を交換して銀を進出して押さえ込もうとする形になっている。
渡辺の場合は、基本的に棋風ゆえに、守勢一方になる作戦を嫌うようである。後手で矢倉を受けてはいるが、決して先手の言いなりにはならず積極的に攻めにいくのが現代風なのかもしれない。通常の角換わりでも、桂頭を守るために6三に上がった金を、そのまま前進して攻めに用いる渡辺新手も印象的だった。
さらに、行方戦で驚いたのは、先手が入玉があるかもしれない将棋なのに、渡辺はこのあと後手でも穴熊に組み替えていた。攻めておいて、穴熊に囲いなおすという、渡辺らしい指し方だった。主導権を握り、なおかつ玉もかたくという欲張った指し方ともいえるが、やはり、合理的で実戦的な渡辺将棋の特徴がよく出ているのかもしれない。
但し、行方戦は、内容・結果ともに良くなかったので、当然研究修正を加えてきているのだろう。
とりあえず、飛車を9三でなく9四にひいたのが違いである。ただし、▲5七角に対しての大長考は、いったい何を意味しているのだろうか。
竜王戦第二局fffff08103067手
局面が漠然としていて指し手が難しいそうだが、このあたりまでは想定できそうなだけに、敢えて腰を入れて考えているところに、何か重みを感じる。前局「何とかなるだろう」で失敗しているので、徹底的に構想を固めて練ってから指そうということなのだろうか。
やはり穴熊にもぐろうとするのか、あるいは局面に応じた柔軟な手を指すのか。なんとなく、私は後者なのではないかという気がしている。

一方、羽生の矢倉で印象的だったのは、佐藤との棋王戦第5局である。現代矢倉の主流△8五歩形に対して先手が穴熊を見せる順で、通常▲9九玉に△6四角と穴熊を牽制するのに、羽生は△3三桂と、先手に穴熊に十分組ませる順を選択した。結果的には、佐藤が一方的に攻めて勝ったのだが、実はよく調べると後手も指せる順があったそうである。(将棋世界2008/6の、小暮克洋氏が佐藤将棋王に手取材した記事に詳しい。)
とにかく穴熊を阻止するというのが通常の考え方だが、羽生がきわめて重要な勝負でそれに敢えて別の指し方・考え方でチャレンジしているのが注目される。佐藤の話も、そういう羽生の意図に敏感に呼応するかのようで、とても興味深かった。羽生世代と渡辺世代の、微妙な考えの違いを理解するために、役に立つかもしれない。

但し、対局者二人の話を聞くと、「世代対決」というよりは、あくまで「個人と個人」という意識が強いようである。BSで流れた第一局の事前インタビューより。
渡辺 世代というよりは、羽生さんと久々に大きな舞台で戦うので、まあそれがどうなるかなというところですね。
羽生 勿論最初の王座戦の時は少し感じましたが、今は年の差を感じるということはなくて、同じ土俵で対戦するという心境ですね。
ファンとしても、世代による将棋観の違いにも興味はあるが、無論究極的には、渡辺と羽生、羽生と渡辺の個人の戦いが見たいのである。

竜王戦中継plusでは、質問コーナーが新設された。この藤井さんの言葉は、システム構築で「しっかり準備」して対局に臨んだ人の言葉なので重みがあるし、橋本さんの「なぜ深浦は羽生に強いのか」の分析も興味深い。
そして、この橋本のサービス精神あふれるポーズ・・・。

「目立ちたがりだっていいじゃないか、ハッシーだもの(みつを)」

Let's take in Shogi! ―梅田望夫の竜王戦特別観戦記

【梅田望夫観戦記】 (3) F1と装甲車
ところで「野球術」という本がある。熱狂的野球ファンで政治評論家のジョージ・ウィルが、四人の野球知性に密着取材して現代野球の神髄を解き明かした不朽の名著である。その中にこんな言葉がある。

 『ほんとうの野球ファン、すなわち深い知識と豊かな想像力と鋭い観察力にめぐまれた野球ファンになるのは、そう容易なことではない。ぼんやりと野球見物するファンがナイフで木を削っている人々だとしたら、ほんとうの野球ファンとは、石を彫り刻んでいる存在に近い。石を彫り刻むという行為は、彫る人の心に、たえずなにかを問いかける。そもそも、ゲームを見にいく際に、「テイク・イン」という言葉の使われるスポーツが野球以外にあるだろうか? 野球の場合、われわれは「明日の晩の試合、テイク・インしようぜ」などという。ほかの競技だと、こんな言い方はしない。これは野球特有の言いまわしだ。野球というスポーツには摂取するべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある(といっても、ありあまっているわけではない)。だからこそ、こういう言い方が生まれたのかもしれない。』

将棋を見る楽しみは、純粋に将棋の内容についてのみではない。根底には将棋というゲームの無限の奥深さがあるにしても、ただストイックに指し手のことのみ考えるのは、なんと貧しい将棋の楽しみ方だろう。
大の男二人が、盤面をはさんで、とんでもなく長い時間を過ごすのだ。そこには、「人間的なあまりに人間的な」要素が横溢する。
無心に読みふける美しい姿、髪をかきむしりボヤいて何とか必死に勝負手を発見しようと模索する姿、何時間も駒が一つも動かない大長考、各棋士に固有の独特のクセ・習慣、控え室での軽口、食事に何を頼むのか、何を盤側に持ち込むのか、普段どういう人間でどういう性格なのか、職人芸によるとびっきりの駒と盤、誰と誰が仲が良くて誰と誰が犬猿の仲なのか、等々、あらゆる人間的な要素が将棋を楽しむ格好の材料になる。
野球と将棋は似ている。どちらにもね「間」が存在する。野球は、のべつまくなしに走り回るサッカーと違って、投球投球ごとに間があく。その間に、ある者は次の配給を推測し、ある者は守備体系を確認し、ある者はプレーとは一切関係なくひいきの選手に熱視線を送り続け、ある者はバッターに猛烈な野次を飛ばす。しかし、投球の瞬間だけは、誰しもがプレーのみに集中する。
将棋も、指し手指し手の間に「間」が生じる。そして、それは野球の場合よりもはるかに長く退屈だ。もし、その間中、ひたすら将棋の指し手についてのみ考え続けているという人間がもしいたら、私は彼に(あるいは、最近は彼女かもしれない)、こう言い渡すだろう。
「将棋指しになりなさい、あるいは心の病院に即刻入院しなさい。」と。
竜王戦第一局は、テレビ中継がなかった。私にとっては「間」を楽しむ大切な手がかりなので、とてつもない痛手であった。しかし、今回は幸い梅田望夫の、とてつもない観戦記が存在する。「間」を楽しむために、これを利用しない手はあるまい。そこには、将棋を「テイク・イン」する、あらゆる材料が贅沢なまでに用意されている。
それでは、
Let's take in Shogi!

【梅田望夫観戦記】 (1) 正しいことが正しく行われている街で

そして今年の6月12日、棋聖戦第一局の観戦記を書いた翌朝、燕三条から東京に帰る新幹線の中で、羽生さんが突然、私にこう言ったのだ。
 「今年の竜王戦は、パリでやるんですよ。」
 羽生さんが名人位を奪取して永世名人の資格を獲得する5日前のことである。
 私はふと答に窮し「ああ、そうなんですか」と、少し気の抜けた返事をしてしまった。なぜなら、渡辺明竜王への挑戦者はぜんぜん決まっていない段階だったし、羽生さんの1組5位ギリギリでの挑戦者決定トーナメント進出がやっと決まったのもその3日前(6月9日)のことで、「渡辺羽生戦が確実」などというような状況ではまったくなかったからだった。
 しかしその後も、羽生さんは新幹線の車内でしきりにパリの話をしていた。そして東京駅で別れたあとすぐに、パリ対局の日程についてのメールまで届いたのだった。
 「ああ、羽生さんは今年、名人と竜王の両方を取って永世七冠になるぞと、固い決意をしているんだなあ」
 と私は思った。

羽生には二つの顔がある。将棋についてまるで批評家のように冷静に語る羽生、そしてもう一つは徹底的な勝負師であり勝ちに誰よりも執着する羽生。梅田とのプライベートな場面で、羽生のとてつもない勝利への強固な意志が、やわらかな日常的な会話に露出した瞬間。全く普通の人間にしか見えない羽生の、とんでもない勝負師としての自負がポロリとこぼれ出た瞬間。そんなものを目撃してしまっては、梅田が是が非でもパリにいかざるをえなくなったのも当然である。

一方、渡辺のエピソードで、今回もっとも印象的だったのはこれだ。

ベルサイユ宮殿にて羽生善治名人と

昼食後、ベルサイユからホテルへの帰途、渡辺竜王は「せっかくパリに来たんだから、サンクルー競馬場に行きたい」と、パスをとめて途中下車。
今日は午後五時から対局室検分、それから前夜祭がありますが、それまでに戻ると言って出かけて行きました。
「いやあ、対局前日に競馬場に行くなんて、考えられないですよ」とは、佐藤棋王の感想。渡辺竜王の神経はとても図太く、じつにリラックスしています。

竜王戦でも、渡辺は、二十歳で登場したときから、「自分の家のようにふるまった」そうである。この勝負師としての線の太さが、渡辺の変えがたい魅力である。しかし、「妻の小言」を愛読している者なら、誰もが知っているだろう。渡辺が、きわめて繊細にしてデリケートな神経の持ち主であることを。渡辺は、勝負師としての資質を完全に兼ね備えている。「豪胆にして細心な男」なのである。
「妻の小言」は将棋界きっての名ブログだが、唯一の欠点といえば、渡辺が極端な虫嫌い・弱点だということを、恐らく羽生にも伝えてしまったことであろう。

【梅田望夫観戦記】 (3) F1と装甲車
 ちなみに、今日明日の対局にのぞむ羽生さんの抱負は「パリらしく芸術ともいえる将棋を指したい」である。

この抱負がまさしく現実のものとなったのは、昨日の記事で書いたとおりだ。一方、囲碁将棋ジャーナルで棋聖就位式の羽生善治スピーチが流れていた。
将棋というのは長い歴史があって、日本的なものを実感することが多いんですね。これは将棋に限らずに、日本が持っている伝統文化、お茶でもお花でも歌舞伎でも能でも、全部そうなんですけれども、共通する何かがあるのかなと思っています。 そういうものを見直そうとか再発見しようとかする風潮とか流れが出てきているのかなと、感じていますし、私自身も棋士ですので、将棋を指していく中で、そういうものを表現していければと思っております。
羽生は、一体何を、そしてどこまで遠くを見て将棋を指しているのだろうか。

【梅田望夫観戦記】 (7) 羽生世代の信頼関係

私がこれまで読んだ羽生世代についての文章でいちばん感動したのは、羽生世代より三、四歳若い行方尚史八段が、13年前に、19歳の時に書いた文章だ(ちなみに私は、将棋の本や雑誌を読んで感動した部分があると必ず筆写して、ネットの「あちら側」に置いてある。だから必要なときにすぐ引用ができる。たとえそれがパリからであっても)。

 『羽生名人、佐藤康竜王ら「57年組」の存在は、僕に重たくのしかかってくる。ただ、漠然と奨励会生活を過ごした僕と比べて、奨励会入会時あるいはそれより前からのライバル関係を、十年以上続けている彼らは、考えられる上で最良の環境に、あらかじめ祝福されていた。
 一種の桃源郷に自意識が芽生える前から身をおいた彼らは、夢想におぼれることもなくリアルな少年時代を過ごすことに成功するのだ。ほしいものは、すでに分かっている。その道のりを歩むことによって、大抵の大人よりも面白い人生を生きることになるだろう。うぬぼれがちな少年ならば、ここで鼻にかかって達観してしまうのだが、彼らはさきに自らを律することによってそれを防いだ。うぬぼれると、すぐに置いてけぼりにあったから。将棋に乗っとられ、なんだか体が重たくなっていき、街の空気が肌に合わなくなったが、奨励会で競い合うことが楽しかったから、日常なんてどうでも良かった。普通であることに、軽蔑にも似たあこがれも持ったが、「ジャンプ」を買って読むなんてことは想像もつかないことだった。
 こうして彼らは棋士になり、次第に勢力を拡げ、ブランド名までつけられた。』(将棋世界95年1月号)

これ、十九歳の行方が書いたというのだ。あまりに名文過ぎて何もつけ足す言葉が見つからない。行方は、たまたま将棋指しになったが、そうでなければ、ミュージシャンなり、漫画家なり、もの書きなり、とにかく芸術家系統の職業についていた人なのだと思う。間違っても、勤め人は無理だと思う。
そして、そういう行方のようなタイプが退屈して投げ出してしまわない魅力が将棋には確かにあるのだ。実際にプロになった者にしか分からない将棋のとてつもない魔力をこの一節ほど見事に伝えているものはないと思う。「将棋に乗っとられ、なんだか体が重たくなっていき、街の空気が肌に合わなくなったが、奨励会で競い合うことが楽しかったから、日常なんてどうでも良かった。普通であることに、軽蔑にも似たあこがれも持ったが、「ジャンプ」を買って読むなんてことは想像もつかないことだった。」
このような将棋のプロたちに、我々は無限に嫉妬せずにいられないではないか。

そして、そのプロのトップを争っているのが、今回の渡辺と羽生、羽生と渡辺の二人なのだ・・。

いきなり世代対決=将棋思想対決にー竜王戦第一局 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

羽生世代と渡辺世代という言葉があるが、第一局は、両世代の将棋に対する考え方の本質の違いが、図らずも端的にあらわれた将棋になった。
後手羽生の採用した作戦は、一手損角換わり。先手の渡辺は、羽生が右玉含みをみせて警戒しているのにもかかわらず、敢えて棒銀にでた。
羽生渡辺竜王1aaaaa08101825手
しかし、渡辺の作戦は恐らく当初から棒銀で攻め倒すということではなかったのだろう。羽生が右玉に態度を決めると、銀を組み替えて、仕掛けずに駒組みを続ける柔軟な指し方にした。右玉というのは、本質的にかたくすることが出来ない囲いなので、後手に形を決めさせてしまってから、自分だけどんどんかたく囲おうという狙いなのだろう。
この辺、どちらかが若いのか分からないような、渡辺の老獪極まりない指し回しだった。そして、渡辺の代名詞、穴熊への組みかえをみせる。放置していては、先手のみどんどんかたくなるので、羽生も動かざるをえなくなった。
その動きを利用して、渡辺は二筋から襲いかかる。
羽生渡辺竜王1bbbbb08101853手
▲2三角と打ち込んで竜をつくり、なおかつ駒わりも角と銀桂の二枚がえ、さらに玉形も穴熊と右玉、先手の渡辺にすれ場、何も不満のない展開だろう。
渡辺が、綿密に立てたプランを見事に実行に移し、局面の主導権を完全に握ったはずだった。
しかし、羽生の懐の深さが、渡辺の前に立ちふさがる。
渡辺が勢いよく▲4三金と打ち込んで攻めの継続を図ったところで出た、羽生の△6四角。
羽生渡辺竜王ccccc108101864手
単に5三の地点を受けただけの手のように見えるが、この一手で、突然先手の渡辺の攻めの継続がむつかしくなった。指されてみると△6四角が光り輝いて見える。渡辺は、この△6四角を指されて、事の重大さに気づいたのだという。
このあたりの折衝について、佐藤棋王が世代間の将棋観の違いと関連させて論じているのを、特別観戦記の梅田望夫氏が紹介している。

【梅田望夫観戦記】 (12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る

これ(玉の堅さ、遠さ)で簡単に勝ちと即断することはありますね。現代棋士なら。
▲ 2三角で単純にわかりやすく勝てそうというのが現代感覚なんですね。ちょっと形勢判断を誤ってしまう可能性がある。
佐藤の話は、もっと具体的に実際の局面に即した「緻密流」なのだが、敢えて端的に「現代棋士」=渡辺について語っている部分を引用した。
(一つ大事な点として、佐藤が羽生の指し方で感心していたのは△6四角自体でなく、その前の△6七歩成から△6九角で間に合うという感覚である。)
羽生世代と渡辺世代の違いとしてよく指摘されるのは、玉のかたさの重視の度合いである。とにかく、渡辺を代表とする現代棋士は、玉をかたくすることを最優先する。渡辺が、隙あらばすぐ穴熊に組み替えようとするのは、将棋ファンならば誰でも知っているだろう。
一方、羽生世代が、玉のかたさを重視しないというわけではない。むしろ、玉のかたさを重視しないのは、もっと世代が上のベテラン棋士たちである。かつては「穴熊は邪道」という考え方が正論としてまかり通っていたことすらあるのだ。羽生世代は、そうした偏見を打ち破ってきたし、玉のかたさも従来よりは相対的には、はるかに重要視するのだが、渡辺世代ほど極端ではないということである。
佐藤は、このインタビューでははっきり言っていないが、本当はこういいたいのではないだろうか。お断りしておくが、以下は完全に私の推測であって、佐藤の実際の考えとは関係ない。
「確かに玉のかたさは重要だ。私たちの世代だって、そのことは分かっている。でも、渡辺世代は、あまりに安易に玉をかたくすればよいと考えすぎていないだろうか。将棋は、玉をかたくすれば勝てるというほど簡単なものではない。もっと、具体的な精緻な読みと大局観に裏付けられていなければならない。渡辺世代の合理主義を徹底的に追及する姿勢は認めるが、ちょっと将棋を簡単に考えすぎていないだろうか。もっと、将棋というのは、奥行きの深いものなのではないか。また、そのように考えて指すべきではないか。」
佐藤の名を借りるのは失礼だから、はっきり告白しておこう。今のは、私自身が普段から漠然と感じていることである。ただ、あまりに弱すぎるアマチュアがえらそうに言うような話ではないので、心のうちにしまっていたただけである。
しかし、勿論渡辺だって、そんな単純な考え方をしているわけではないのは言うまでもないだろう。今のは、あくまで世代比較ということで、ごく大雑把に単純化してくくって言えばという話だ。一局一局、もっと具体的な読みに基づいて、どの棋士も世代に関係なく戦っているはずだ。

【梅田望夫観戦記】 (13) 羽生名人、大局観の勝利

これを読むと、渡辺は、△6四角と指されて手がないことに愕然としたこと、さらにさかのぼって▲2三角と踏み込んだ大局観に問題があったかもしれない
こと、さらにそれでも何度指しても▲2三角と指してしまうであろうと、かなり正直に述べている。このあたりの率直さは、とても渡辺の好感の持てるところである。
実際、佐藤だって、実戦なら▲2三角と指してしまうだろうと正直に言っているのだ。
ただ、羽生が考えていることについては、佐藤も読みきれていなかったようだ。佐藤も、羽生も本譜の展開でよいと思っているわけではなく、ちょっとやりそこなったと思いながらも、自滅せずにじっと△6四角と打ち据えたのを称えるという言い方だった。
しかし、恐ろしいことに、どうも羽生は、やりそこなったとも悪いとも思っていなかったらしい。
立会人の米長会長は「二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいのにねえ」と羽生に問うたが、羽生は「ふつうはそうですけどね……」と答えた。
竜をつくり、二枚がえで、玉のかたさが大差なら、先手がよいというのが「普通の」大局観である。しかし、羽生はそういう先入観でないレベルで将棋を指していた。将棋が、そんなに簡単じゃないことを、本局を通じて身をもって証明したのである。
この、後半の負かされ方は、渡辺にとっては多少はショックだろう。しかし、立会いの佐藤の読みと比べても、やはり渡辺の読みの深さはただ事ではない。むしろ、羽生が相手でも、十分深い具体的の読みあいの勝負ができるという手ごたえを感じ取ったのではないだろうか。
ただ一点、△6四角とされて手がなかったこと、さかのぼって誰でもやりそうな▲2三角が問題だったかもしれない「大局観」の問題を除いては。
とはいえ、まだ一局戦っただけである。将棋に対する世代間の考え方の違い、「大局観」について判断してしまっては、あまりに早計過ぎるとの誹りを受けるだろう。具体的読みのぶつかり合いでも、世帯間の考え方の違いでも、本当に見逃せないシリーズになったと感じる。第二局以降も本当に楽しみだ。
一番大切なことを言い忘れていたが、本局は、大変密度の濃い好局だった。
羽生は本局にのぞんで「パリらしく芸術ともいえる将棋を指したい」と抱負を述べたが、本局は、まさに羽生一人が作り上げた芸術だったと言えるのかもしれない。
この梅田氏の言葉が、本局を総括するのにふさわしいだろう。

星野野球に騙されたかった日本人としての私

将棋ファンとしては、開幕直前の竜王戦について書くべきだろうか。いやいや、野球について語らずにいられない。

オリンピックでの星野野球というのは、良くも悪くも日本的精神主義がかなり露骨に出てしまっていた。
結果的には惨敗して批判の嵐が巻き起こったわけだが、あの時の星野の采配や選手起用は、もしも勝っていたとしたら、実は日本人がこぞって褒め称える種類のものだったと思う。
例えば、韓国戦の大事な場面で、調子も悪い上に普段より多く投げさせている岩瀬を使った。
結果的には、韓国のイ・スンヨプに一発を浴びて、あの継投が一番批判された。
しかし、もしあそこで岩瀬が抑えていたら、どうだっただろうか。恐らく、このように言われたのではないだろうか。
「結果のでてない岩瀬をあの場面でよく使った。選手を信頼しきって監督が責任を負おうとする勇気を褒め称えるべきである。」
いかにも、日本人が好みそうなストーリーではないか。
岩瀬という投手の調子や方コンディションを冷徹に考慮する「現実主義」よりも、選手に対する信頼や、それまでの選手としての格を重視して一種の無謀な賭けに出る「精神主義」が、優先されていた。
それは、他の様々な点でも目立った。そもそも、選手の選考の時点で、それまで全く結果を残せていなかった上原を、「自分が再生させる」と豪語して選んだりした。結果を残せなかったり大きな失敗をした選手を、「信頼」して使い続けて、かえって傷を深めた。また、かつての自分の配下にあった、岩瀬や川上にたくさん投げさせすぎた。日本的な親分と子分のように。さらに、コーチ起用でも、実質的な機能を考えるよりも、法政時代の仲良しの田淵と山本を選んだ。
しかし、今書いたことは、もし勝ってしたならば、全て逆に賞賛されていたに違いないのである。
要するに、日本に現在も根強く生き残っている「精神主義」を、星野は現実に極端な形で遂行したのに過ぎない。星野の敗北は、そもそも、ああいう戦い方が好きで仕方がない日本人の敗北だったのだと思う。いつかの戦争の時のように。
いや、かく言う私も、実は批判する資格などこれっぽっちもないのだ。もう誰もが忘れ果てているかもしれないが、五輪アジア予選では、星野ジャパンは見事な戦いぶりで勝った。そして、私自身、星野ジャパンを絶賛する記事を書いている・・。
私のこの文章は、自己批判でもある。
あの予選の時にも、やはり「日本的美談」が横溢していた。主将の宮本が、コーチ何人分もの働きをして選手を束ね、気を抜いたプレーをした選手をしかりつけてチームに喝を入れた。そして。その選手は、大事な場面で見事にスクイズを決めた。
正直言って、そのストーリーに私は感心してしまったのだ。要するに勝利の美酒に酔いしれて、私自身現実的な判断ができていなかった。
本来なら、こう言うべきだったろう。
そもそも、一選手に過ぎない宮本が、そこまでやらなければいけないチームというのは、おかしいのではないか。そういうのは、本来コーチの仕事である。宮本がコーチ何人分の仕事をしたというのは、コーチが現実的に機能していなかった証拠ではないか。
しかし、そういうことをいうのは、日本では「野暮」なのである。私も、まあ勝ったからいいやといって、日本的ストーリーの快感に浸っていた一人なのだから、何も言う資格はない。
それと、「日本的」なるものの典型としては、五輪敗退後のマスコミの批判の仕方も挙げることができる。
某大手新聞は、五輪敗退後の記事で、山本が走塁守備コーチとして機能していなかったことを指摘し、そもそも仲良しグループで組閣したのが誤りだったのだと批判していた。
よくもまあ、それだけ結果論が臆面もなく言えるものである。山本がコーチに選ばれたのは、五輪直前ではない。星野ジャパンが発足した当時から山本はコーチであり続けた。なぜ、その時に言わないのか。五輪の予選で勝った時に、もしちゃんと批判したのならえらい。しかし、よりによって、あの五輪の直後に、そのようなあ安易な批判を、何の恥ずかしげもなくできるものだ。問題点を指摘するのはいいのだが、批判の仕方が安直過ぎるのだ。
オームのサリン事件の際に、容疑者のように報道された人物に対して、某テレビが「反省番組」を組んだが、ああいう手のひら返しの結果論の臆面のなさは、日本的なるものの特徴である。

さて、星野仙一氏が、WBCの監督になりそうである。
今度の日本的ストーリーは、「一度失敗したものにもチャンス挽回の機会を与える」だろうか。
というような皮肉ばかり言っていても仕方ない。
星野さんは、ある種日本的精神主義を象徴する人物だとは思うが、しかし、あの五輪での戦いぶりは、極限状況で自分を完全に見失って、合理的な現実的判断が全く出来ていなかったという面もあると思う。いくらなんでも、普段からあんな無謀な采配をする人物だとは、さすがに思わない。
わたしは「精神主義」を一概に否定するのではない。ああいうギリギリの場面では、ある程度勢いに乗った思い切った決断も必要だ。星野はそういうことが出来る能力はあると思う。ただ、それを、あくまで現実的な冷徹な判断の上にバランスをとって行う必要があるのだ。今回は、さすがにある程度冷静にやるだろう。コーチや選手の選出や起用でも、同じ轍を踏むこともないだろうし。
また、もし星野以外の日本人で誰にするのかと問われても、まったく思い浮かばないのが、残念ながら現実でもある。日本野球が、もっぱら名選手に監督をやらせて、専門的な監督を育成してこなかったツケだが、今はその事を言っても仕方ない。
そもそも、前回WBCで日本が優勝できたのが奇跡に近いのだ。星野WBCに過大に期待したりしないように、現在の世界野球ランキングを、私的につけてみよう。
1位 ドミニカ
2位 アメリカ
3位 ベネズエラ
4位 キューバ、プエルトリコ、メキシコ、日本、韓国がほぼ一線
だから、間違っても星野に絶対優勝など期待してはいけない。4位以内の決勝トーナメントに何とか進出して、もし進めたらあとはオマケという程度の現実的な目標をまず掲げるべきだと思う。

雑談です

特にネタはないのですが、あまり更新しないでいると、ますますしなくなりそうなので無理やりしておきます。

日めくり詰将棋カレンダー、LPSAオンラインショップで注文した来年のものがもう届きました。やばっ、今年のサボりまくってる。
ということで、8月9月10月上旬分とまとめ解きしましたよ。私の場合、やらないときは全然やらないが、いったんやりだすと取り付かれたように続けてやる性格なのだ。フフッ、ってまじめに普段からコツコツやれっ。100年インタビューで、羽生さんが「才能とは?」という質問に「継続です」とズバリ答えていましたが、あれは本当にそうだと思う。羽生さんだけでなく、イチローとか見ていても、天才はとにかく自分のしごとに並外れて熱心だし、全然イヤイヤやってないじゃないですか。
あと詰将棋を苦労して解いていて思ったのは、自分の場合、とにかく盤面脳内再生能力が足りないということ。基本的には盤駒を使わないで頭の中で解いているのですが、次の一手で詰みという手が盲点になってなかなか見えなかったりして、へこみます。要するに盤面全体が頭の中でクリアに画像として再現されていなくて、漠然とコマの関連だけで考えているのですね。私の場合は。プロとかははどうなんでしょう。きっと、はっきり全部ちゃんと見えているのに違いありません。ふと思ったのですが、純粋に脳内盤面再生能力を訓練するというのは、特に私のようにある程度から全く強くならなくなったオジサンにとって、有効な勉強法・上達法なんじゃないでしょうか。

上達法ということでいうと、「14へ行け」のdoublecrownさんが、ネット将棋倶楽部24で四段に昇段されたそうで(道場の四段と違ってメチャクチャ強いですわ)、自らの勉強方を紹介されています。
その中で、とにかく毎日一局、集中して真剣に指して、自分でしっかり感想戦をするというのがありました。これはとてもよさそうなので、私も見習ってみることにしました。ただ、ネットでやると、私の場合負けたら絶対勝つまでやめられない性格でいらっしゃるので(オイっ)、ダウンロードしたボナンザを相手に毎日一局、わりと真面目に指しています。まあ、なかなか勝たせてもらえませんが、一応ソフト相手なら冷静に負けを分析する気にもなるので。
(あっ、ボナンザ開発者の保木さん、本当にありがとうございます。御礼にこのボナンザと互角に指せるようになったら、市販ソフトを購入しようと思っているのですが、どうもいつのことになるやら分かりません。)
さて、ボナンザとの実戦から、たまたま本に出で来るような基本的な寄せの手順が指せたので、次の一手問題で出題してみます。決して難しくなく、初級者向きの問題なので、是非どうぞ。出来れば、必死がかかるところまで。
ただし、今再検討したら、私の指し方より簡明な必死のかけ方があったので、二通りの正解とします。(他にも勝ち方はありそう)。
必死aaaaaavZd081012146手

答えはこちら↓





私が実戦で指したのは▲8一角。
△同玉だと、▲7ニ銀△9一玉▲9二歩△同玉▲8三銀成以下即詰みです。
従って、△9三玉と逃げるしかありませんが、以下▲7二角成△7三桂▲同銀成らず△同銀▲同馬
必死bbbbb081012153手

これは、典型的な必死の形で、次に先手から▲8五桂と▲8二銀の二つの詰み筋があって受けがききません。
以下△9七香成▲9五歩でボナンザ投了になりました。
ただ、最初に▲8一角とせず、▲8三銀成△同銀▲7一角△9三銀▲8二銀の方が簡明です。こちらが、どちらかというと本当の正解です。

さて、もうひとつだけ、蛇足?の話題を。

将棋ニュースプラス
将棋常識クイズ・・・!!これかっ・・・!片上五段が恥ずかしいから絶対にブログに書かないようにと仲間のプロ棋士に頼んでいたそうなのですが、確かにこれは照れる、絶対やりたくない(笑)でも、知ってしまった以上、自分だけ楽しむのもあれなので、書いておきます。どうせだから大きい字で。片上先生、「クイズ 将棋でQ!」のポーズ、サイコーっす。(笑)

何のことやら、という方はこちらをご覧ください。
我ながら、地雷を踏みたくなる自分の性格が憎いです・・・。




「声に出して読みたい手筋」を勝手に真似してみよう!

「将棋の神様〜0と1の世界」さんの「声に出して読みたい手筋」が面白い。
そう、そもそも将棋の世界には特許というものがないのである。意味が違うような気もしないでもありませんが、とにかく私も勝手に真似してやってみました。勿論、私の場合は、手筋よりもあくまで妄想部分に全力集中しております・・。

問題

▲7一飛成△同玉
▲6一歩成△8二玉
▲7一馬△9二玉
▲8二金

ノーヒント

答えはこちら↓







関西のプロ野球球団XXXの監督Xと関東のプロ野球球団YYYの監督Yは将棋のライバルである。二人とも初段あるかないか程度の腕前だが、とにかく野球のことをすっかり忘れて、盤をはさんで指すのが楽しくて仕方ないのである。
今シーズンは、関西球団XXXが当初は独走して、夏場には第二位のYYYに十数ゲーム差つけたのだが、XXXが息切れし、YYYは故障者も戻り猛追してきて、大詰めの今は、もうどちらが優勝するか全く分からない。
そんな時でも、なぜかこの二人は将棋をは指すのだけは、やめられないのだ。
先手が関東球団のY、後手が関西球団のXである。居飛車対振り飛車の急戦から、今後手が△8七銀と打って、先手玉に必死をかけたところ。
関東関西(新規棋譜)1手

X「ふう、ヤレヤレ、やっと逃げ切れたかのう。」
Yが、ニヤリとする。「どうですかね?」
そして、問題の手順で、一気に後手玉を詰ましてしまったのだった。
X「あちゃちゃ、そんな詰まし方あるんかいな。」
Y「イヤ、すみません。最近手筋の本で勉強したばかりなんです。」
X「ひどいわ、これ、こんなの知りたくなかったわ。あかんで、こんなの。詐欺やがな。」
ボヤくことしきりである。王座戦の木村八段のように。
Y「勝負は最後まで分からないということですよ。フフフ。」
X「ナニー、野球は、こういうわけにはいかんでー。」
Y「分かってます。お互い頑張りましょう。」

最後は、爽やかに仲良く分かれる二人であった。
さて、肝心の野球がどういう結果になったのかは、皆さんのご想像に任せることにしよう。

以上、登場人物等は、現実とは一切関係のない完全なフィクションです。

なお、私は私自身に、妄想「しょうもなさ六段」を自己贈呈します・・。

「百年インタビュー 羽生善治」感想

羽生の再度の七冠騒動は、一応終わった。棋王戦決勝トーナメントで久保に破れ、挑戦の目がなくなった。王位戦でも、深浦が第七局の死闘を制した。深浦の戦いぶりについては、梅田望夫氏が本質をついた分析をされている。「大きなリスクを取った」というのは、まさしく今回の深浦の戦いぶりそのものであり、羽生相手であろうと、少しも気合負けもせず、弱気にもならず、自らを危険な場所に追い込み、羽生を打ち破ったのは見事であった。一羽生ファンとしては、最終局直後は悔しくてたまらなかったが、もしかしたら羽生のことだから、負けたことよりも、あの深浦のギリギリに自分を追い込む戦いぶりに、感心し何かを学んでしたのではないだろうかとさえ思う。
羽生が、竜王奪取し、全タイトルを防衛し続け、王位に挑戦し奪取し、再来年の棋王をとればという可能性があるが、流石に現実的な話ではない。一応、七冠騒動はひとまず終結ということでいいだろう。
私だって、ある程度現在の将棋界の状況を理解している。現在のトップ棋士はとても層が厚く、羽生とほとんど実力で遜色のない棋士がゴロゴロしている。だから、いくらなんでも再度の七冠なんて無理だろうと最初は思っていた。しかし、棋聖戦の奪取のしかたとか、竜王挑戦のプロセスとか、王位戦の逆襲を見て、私まで「もしかして」と思ってしまったのは事実だ。そういう夢を見させてもらっただけでも、羽生に感謝するべきだろう。
羽生の健康のことを考えても、今程度でよかったと考えよう。現在程度の過半数タイトルを維持しながら、魅力的な将棋を見せ続けてくれるだけで、文句を言ったらバチがあたるだろう。
当面は大注目の竜王戦がある。ここでは、羽生より渡辺の戦いぶりがきになる。竜王戦前でも、渡辺は大事な将棋を落とし続けている。ブログでは、将棋について悩んでいると率直に告白もしている。実績や勢いだけなら羽生が圧倒的なのだが、渡辺は、こういう時こそ、何かやって何かをつかんでくれる棋士だと私は信じている。結果どちらが勝っても個人的にはOKだ。それよりも、この戦いの中身の全てに注目しよう。

さて、百年インタビュー。
「△8五飛戦法」を「高飛車」と言うなど、将棋ファンだけでなく、一般ファンにも理解できる話のないようにするというスタンスでつくられていた。聞き手の坪倉義彦アナも、きちんとよく下調べをした上で、あまりマニアックにもなり過ぎないように話を持っていき、とても賢い人で、ことの他優秀な聞き手であった。良いインタビューをしてくれていたと思う。
羽生の話を90分も聞き続けるという濃密な時間を、他の視聴者と共有したわけだが、やはり羽生というの、自然体でありながら普通じゃない人という印象を強く持った。名人戦特番のとき、茂木健一郎氏が、こんなことを言われていた。
あの表情は普通では絶対に出ないものだ。それをカメラが捕らえていることがすごい。普通の文明の中にいる人の表情ではない。サバンナの中でハイエナが獲物を狙っているようだった。
また、同時に羽生にはどこか不安的なところがあるという意味のことも言われていたと記憶する。羽生は、一見、とても爽やかだし穏やかだし、勝負師らしからぬ常識人である。少なくとも、一時代前の、いかにも勝負師らしい棋士とは全然違う。しかし、羽生の話に耳を傾けていると、羽生の内面というのは、将棋を巡って常に高い緊張・テンションを保っており、場合によっては危なげとも言えるような突き詰め張り詰めたモノに対する態度・感性を保っていると感じる。
吉増氏との対談では、将棋を通じて垣間見る狂気の世界について、かなりおおっぴらに語っていた。無論、羽生だって、常にそういう世界ばかり意識しているわけではないに決まっているが、なんというか内面にとんでもない嵐を抱え込んでいる人だという印象を受ける。本人にしてみれば、別にごくごく普通に将棋に取り組んでいるだけですよ、ということなのだろうが、凡庸な人間からすると、その取り組みが、あまりに真摯であまりに緊迫感に満ちあまりに一瞬一瞬が新鮮だと感じる。
外面的にメチャクチャだった昔の棋士よりも、内面に恐ろしい感性を秘めている羽生のほうに、私は凄みを感じる。うまくいえないが、羽生が、ごくごく普通に話していても、凡人にとっては常に日常の退屈な時間を超絶した異空間を感じるのだ。常に強く張っている弓矢の弓のように。

紹介したい箇所はいくつもある。ただ、ここでは話として重要というよりは、個人的に強く反応した部分を紹介してみようと思う。
感情について
アツくなりすぎるとか、冷静を失うというのは、良くない時もあるんですけど、感情があるからこそ、いろいろな発想であるとかアイディアとか、集中力とか瞬発力を生むということもあるので、一概にサイボーグのように感情を排除してやるのがいいとは思わないのです。感情をうまく使うというか、一つの起爆剤のようにする。それが大きな集中力やモチベーションを生むことは、良くあることなんです。人為的には、どうこうできるものじゃないじゃですか。今起こらないでおこうとか、調節できません。悲しい気分でいようとか。そうなった時に、どうするかを、その場合その場面で、自分なりに対応するということ。
ちょっと大げさに言うと、高い境地に達した修行者のような感情に対する対処である。感情を無理に撓めようとしたり、コントロールするのでなく、今生まれる感情のままに、それを生かしてしまうやり方。あの名人戦の鬼気迫る表情を、誰もが忘れられないだろう。通俗的には、あのように気合を入れすぎるのは冷静さを欠いてよくないと言われるかもしれない。しかし、羽生の場合は、あの極限的な緊張状態を、最大の集中力へとプラスに転化させてしまうのだ。
人間には様々な感情がある。美しかったり醜かったり、高貴だったり卑属だったり、闘争的だったり平和だったり。そういう感情を、無理に抑制するのでなく、それぞれの感情に自然に花開かせ、自分の建設的な行為に役立ててしまおうとすること。
こういう話を聞いていると、羽生本人は全く意識していないかもしれないが、深い思想家や宗教家のような感性を自然に持っているように感じてしまう。
七冠達成当時について。
自分も一つの波に乗っている感じで、自分のことなんだけど、自分のことでないことのような状態になるんですよ。つまり、対局の指し手一手一手を決めていくのは自分の責任で、介入の余地はないのですが、周りの雰囲気とか、ムードとか、そういう大きな流れというとか、そういうのに乗っているという感じなので、自分で成し遂げたという感じはなかったですね。
羽生が言っていたのだが、将棋は相手があるので自分でどうしようとか思ってもどうしようもなるものではない。相手次第で他力だという意味のことを言っていた。(梅田氏の棋聖戦観戦記だったと思う。)
こういうのを聞くと、羽生はほとんど「絶対他力」の人なのかもしれないと思ってしまう。ほとんど自力そのものとしか思えない将棋を職業としていながら。不思議な人である。
冒険的な手を指すということについて。
今日勝つ確率が一番高いというやり方は、十年後では、一番リスクが高くなるんですよ。十年後では、進歩に遅れているというか、時代に取り残されているやり方なんです。今日勝つ一番勝率の高いやり方は。つまり、どこまでリスクをとって、どこまで取らないかという、リスクマネージメンとのことだと思うんです。どこまでアクセルをかけて、どこまでブレーキをかけるかかが大事なこと。一番手堅くやり続けるというのは。長い目で見たら、一番駄目なやり方だと思うんです。勝率の高いやり方にこだわるというのは、未来を見ているのではなく、過去を見ているということですから。
そんなことまで考えて将棋を指しているのかと驚くのは、私のような一般ファンだけではないだろう。特にプロ棋士がこの言葉を聞いたらどう思うだろうか。羽生は、最近よく将棋はマラソンだというが、近視眼的に目の前の勝負に勝つことだけ考えているわけではないのだ。まだ、これから何十年先に、第一位でマラソンのゴールをきればいいと考えているのかもしれない。恐ろしい話だ。
どの話を通じても感じるのは、羽生の場合、常に自分を客観視する能力が並外れているということ。常に、将棋を指している羽生を高みから見下ろしているもう一人の羽生がいるとでもいうか。
だから、今回七冠を逃がした事について我々ファンは悲嘆にくれている一方、羽生はもっと遠くを見ているのに違いない。このインタビューを聞いていて、私も七冠を逃したことなんて、なんでもないような気がしてきた(笑)。
私が一番痺れたエピソードを紹介して終わりにする。
小学生の頃の話
羽生 将棋は、いくらやってもコツが分からなかったんです。全然分からなかった。いくらやっても。まあ、今でも全然分かってないんですけど。
坪倉アナ (笑って)イヤイヤ・・。
羽生 いや、ホントに。

100年インタビュー 羽生 善治

珍しく番組告知。

100年インタビュー 羽生 善治

BShi 10月2日(木) 午後8:00〜9:30

地上波、地デジ等での再放送などあるとよいと思うのですが、今のところ未定なので、見られる方はチェックされておいた方が良いと思います。

羽生は、情報化時代における将棋で勝敗を分けるのは「人間力」であると話す。どうやって人間力を高め、「勝つ頭脳」はどう決断しているのか?

と言うことなので、将棋ファンに限らず、現代の情報化社会を生きる全ての人間にとって必見といえそうです(笑)。
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