2008年12月

正直者の強靭な勝負師――「情熱大陸」の渡辺明

将棋は純粋な技術の戦いであると同時に、総合的な人間力の勝負でもある。今回の「情熱大陸」で、渡辺明は従来の勝負師からすると型破りな側面を見せてくれた。とにかく発言がストレートで率直でとんでもない正直者なのである。なおかつ正直に発言しながらしたたかであり、勝負師として恐ろしいまでの線の太さを感じさせた。
いきなり大切な第一局のパリ対局の前日に、渡辺明は競馬場にいた。いくら競馬好きだからといっても、気分転換になるからといっても、羽生相手の竜王戦の前日である。しかも、渡辺は馬券を的中させてしまう。
競馬はいいから、将棋の一勝が欲しいっす。
渡辺はそういうと屈託なく笑った。梅田望夫が紹介していたが、同行の佐藤康光も驚きを隠せなかったそうである。
その第一局では、羽生が卓越した大局観で渡辺に大きなダメージを与える。将棋の大局観というのは、その個人の根本思想・感性が問われるものであって、それを否定されるというのは全てを否定されるのに等しい。第一局から渡辺はショックな負け方をしたのである。
しかし、渡辺は取材者をホテルの自室に招きいれ、率直に心中を語る。
最初はうまくいってるかなと思ったんですけど、実はそうじゃなくて、全部見抜かれていた感じですね。ああいう読み筋で組み立てる人は多分なかなかいないんじゃないかな。多分羽生さんの他にあれを指してくる人はいないんじゃないかなと。なんか、さすがというところを見せられましたね。今日は。
アッサリと羽生のすごさを認めてしまっているのである。そこが渡辺の非凡なところである。普通なら大局観の差を見せつけられても、何か理由をつけて今回は偶然と思い込もうとしたりするだろうし、まして他人にペラペラ喋ったりしないだろう。しかし、渡辺は認めた上で口にも出してしまう。要するに現実は現実として、ありのままに受け止めているのだ。実は、人間という生き物にとって、事実を主観的にではなく客観的にありのままに受け止めるのは実に難しいことなのだが。
パリでの渡辺の率直な発言については、梅田も紹介している。誰にも彼にも本心を言い過ぎではないだろうか(笑)。
第三局。初日から羽生がほとんど勝ちを決め、そのまま押しきった。渡辺三連敗である。さすがの渡辺にとっても、結果内容ともにつらすぎる。渡辺は当日最終の電車で一人帰宅の徒につく。取材スタッフが、あわてて駅にかけつけると、そこには渡辺が一人ホームに佇む姿があった。
渡辺はスタッフに気づき、驚いたような、見つかってしまったかというような、バツの悪そうな表情を見せた。しかし、それでも渡辺はスタッフに努めて明るく言う。
わざわざすみません。
敗者はひっそりと帰るんです。
そして、電車に乗り込む際、渡辺は何度も何度スタッフに律儀にお辞儀を繰り返すのだった。ショックはショックでも、誰かと話す時は気遣いや余裕を忘れないのである。
さらに、第四局直前の移動中の車内で渡辺は語る。
(第三局までのことは)忘れられないですよ。なかなか。同じ相手と短期間に何局も戦うんで。
やはりウソがつけないのである。
第四局では、あの最終盤の場面をカメラが捉えていたのが、きわめてスリリングだった。渡辺は△3七成桂としたときは完全に負けを覚悟していて、もし羽生がすぐに指したら投了しようとも考えていたそうである。(多分、もしそうなっても実際にはやはり投了はしなかったとは思うが。)
実際に、渡辺はその手を指す時は、口に手をあてガクリと下を向いて指している。言葉に偽りはない。しかし、羽生が次の手を指すまでに少し間が空いた。その間、渡辺はうなだれて頭を抱える。しかし、ふと何かに気づいたように、もう一度盤面を見直し、何かを一心に読み出す。そう、その瞬間に渡辺は自玉の打ち歩詰めの順に気づいたのだ。
それをカメラは捉えていた。渡辺のちょっとした仕草の変化が心中の動きを語っていたきわめてスリリングな映像である。映画監督がこういうのを撮ろうと思ってもなかなか撮れないようなことが、将棋の終盤の映像ではたまに起きるのだ。
第四局後もやはり渡辺は率直である。
今日、なんで勝てたのか分からないですね。だって終わる五分くらいの前まで負けだと思ってやっていたので。最後、打ち歩詰めのところまでは、ボクも負けだと思っていたし。羽生さんも勝ちだと思ってやっていたと思うんですよね。
すごい報道陣の数だったなあ。でもあれ、背中に回られたらきついなあ。
背中にというのは、カメラが勝者の渡辺ではなく、羽生の方をパチパチやっていたということである。
このことについては即席の足跡さんが、渡辺がスポーツ新聞の一面に登場した際のことを紹介している。そういう報道陣の雰囲気を感じて、「反骨心」を大逆転の秘訣としてあげていたそうである。周りの雰囲気にへこんだりすることなく、ひそかに闘争心を燃やす勝負師としての強さ・たくましさも兼ね備えているのである。
第七局の終了直後、さすがに渡辺も感極まったという表情をみせていた。後に本人が言ったからというわけではなく、本当に「自分でも信じられない」と、その正直な表情には確かに書いてあった。
最後の渡辺の正直発言。
信じられないですね。いや羽生さん相手に四連勝するなんて、やっぱり信じられないです。そんなことがあるとは思わなかったですからね。
終わったとき、夢じゃないかと。
いや、結構竜王戦の夢とか見るんで。なんか夢じゃなくて欲しいなあと思いましたけどね。
そして、とてもいい笑顔を見せた。渡辺は竜王戦を通じて、負けている時も、勝った時も、変わらず渡辺らしさを貫いたといえるだろう。

渡辺と羽生、羽生と渡辺の勝負は、ようやく本格的に幕開けしたばかりである。
第一章は、期待以上のド派手な展開だったが、まだまだ大長編小説は続いていくはずである。いや、続いてもらわないとつまらない。また、続いてもらわなくては困る。

囲碁将棋ジャーナルの羽生善治

あの百年に一度の対局を、敗れた羽生が自戦解説することに。あまりに過酷な運命のめぐり合わせだが、やはり、羽生はいつもの通りの羽生だった。あの笑顔も時折見せ、淡々と解説の仕事をこなしていた。
戎棋夷説さんも08/12/22に書かれている通りである。「一流の敗者」の姿であり、将棋界の「尊い伝統の一つ」である。
むしろ、だらしなかったのは私の方だ。もう最初からジャーナルを見るのがつらかったが、見ないのもかえって失礼だと思い、テレビの前に正座した。羽生の笑顔に少しホッとしたが、さすがに自戦解説の部分では、淡々と進めているのが、かえって見ていてつらかった。羽生にしてみれば、自分は普通にやっているのに、勝手に胸を痛めたりしないでくださいと、笑いたくなるところだろう。
というわけで、最初からブログ記事にする予定だったのだが、気が進まず遅れてしまった。しかし、やはりある意味歴史的な放送だったともいえるので、メモくらいは残しておこう。

冒頭で聞き手の中井広恵が、羽生を紹介する。
(いかにも気を遣って、年末もお忙しいのでしょう、と言ったのに対し)
でも、ねぇ、中井さんの方が大変なんじゃないですか。切り盛りするのが。それに比べれば私はたいしたことはありません。
そう言う羽生さんのとても爽やかな笑顔が神様のように見えた。もう私はダメである。まったくもってだらしがない。

一週間の結果コーナーでは、直前の朝日杯オープンの結果表まで映しだされる。無論、羽生は淡々として、A級二人を連破した差若手の佐藤和俊のことをほめる。

ネット女流最強戦では、中井が里見を破ったことが話題に。
中井 最近里見さんに勝つと、すごく周りが、あの里見さんに勝ったんですかというんです。
羽生 そうですか。反響が大きいですか。それは、それは。
番組中で羽生が一番よい笑顔を見せた瞬間である。

NHK杯の予告は、羽生vs飯島。本当に重なる時は徹底的に重なるものである。
まあ、自分の将棋なんで、見どころとかは言いづらいんで、なんとも言えません。これは。
やはり笑顔。(結果は羽生勝ち。)

しかし、ここからが本番である。
竜王戦第七局の自戦解説。
さすがに羽生の表情も、少し硬いように見える。いきなりここまでの展開ということで、羽生の白丸が三つ続いた後黒丸が三つ続いたボードが映し出される。ほとんど嫌がらせのようだが、こればかりはどうしようもない。
中井が、対局していて渡辺に変化があったかと問う。
いや、特に変化ということはないのですが、初めて対戦したのは(渡辺が)十代の頃、今は竜王戦の舞台にも慣れて落ち着いて対局していたと思います。

以下具体的内容について箇条書きで羽生の発言要旨メモ。
急戦矢倉は、十年以上前に大流行したが廃れた。それがまた新しい工夫で二局でた。

▲2五歩 ▲7九角が作戦的にうまくいかなかったので、ここで手を変えてみた。

△3三銀(渡辺新手) パッと見、ちょっとあぶない手。収まれば、後手作戦勝ち。この瞬間は怖い。思い切った一手。

▲7五歩 もう囲いあう将棋ではない。仕掛けるタイミングはここ。

▲8六歩 普通の手じゃないが、最近の将棋は普通じゃないのが多い。(笑う)

△5五歩 指されてみて、手がなくて、ここは自信がなかった。先手は8六歩など、傷が多い。

▲9二と 中央から先手が行くと反動がきつい。つらい手だが、8二から8三の活用にかけた。仕方ないという感じ。
(本人は、そう言っていたが本局では一番「羽生らしさ」が出たすごい手だったと思う。)

▲2三歩 ここで▲5二金もあるが、△2二玉と早逃げされる。その変化もあまり自信はなかった。

▲6ニ金 疑問だったかもしれない。▲6四角△8七歩成▲5二金に△5三香が、気になった。しかし▲5四歩としておけば、よかった。

△6五桂 多分最善手。

▲6六金 これも多分最善手。例えば▲5四歩△6ニ角▲5三歩成△8七金▲7九玉△5三角は先手負け筋になってしまう。

▲6一飛 問題だった。これでまずくした。はっきり負けにしてしまった。ここは▲2二銀△同銀▲同歩成△同玉▲2三銀△3一玉▲4八飛、とした方がよかった。はっきり勝ちとは言い切れないが。

(負けにしたが)まだまだ続きます。といって羽生は笑った。こんなつらい場面を解説していて羽生は笑った・・。

△6四歩は後手も問題だった。▲6六角が詰めろ逃れの詰めろになった。
(これは、もし羽生が勝っていたら歴史的妙手と言われたであろうと思う。)

▲2四飛が敗着。▲4八飛△5二金で、難解ながらその方がまさった。ただし、勝ち負けは指してみないと分からない。

二転三転した将棋なので、当然まずい手も指している訳だが、やはり本人に言わせるのは酷だ。さすがに私はこの終盤の解説を聞いていてつらくなってしまったのだ。しかし、本当に羽生の態度は淡々として立派だったと思う。

終局後の渡辺のインタビューも流れたが、これも実に率直で渡辺らしくてよかった。
羽生さんというのは、僕というか僕ら若手にとって特別な存在なので、びびっている部分があった。ただ、相手が強いからといって無難に指していると勝てないと思ったので、四局目からは積極的に指すようにしたのが良かった。(勝てたのはまだ)信じられない。一年間、竜王を名乗れるのはうれしい。
素直に「羽生は特別」と言ってしまうのが渡辺流である。しかし、だからといって恐れたままでないのも渡辺流である。
中井が羽生に戦ってみての渡辺将棋の印象を聞く。
非常に力強いし、ピンチにも動じない強さを感じました。
その後はNHKもさすがに気を遣って、羽生永世六冠獲得の歴史の映像を流していた。
最後に羽生に新年の抱負を聞く。
今年は一年間あっという間も間に終わりましたが、来年も時が早く立つような充実した一年にしたいと思っています。
――来年度竜王に挑戦して欲しいがと聞かれて
(笑って)まあ、今から言うのは鬼が笑うという感じなのですが、また、遠い目標として頑張りたいと思っています。

気が早すぎるが、来年も同一カードが見たいというのが、多くのファンの願いだろう。
試練の時、ピンチの時、失意の時にどのように振舞えるかで、その人間の価値は分かってしまう。やはり羽生は一流の人物だった。

羽生はかつて王将戦でも佐藤に三連勝後三連敗した経験がある。第七局は佐渡での対局だったが、あいにく大荒れの天候だった。

羽生名人,担当記者,観戦記者が語る王将戦裏面史@第35回近鉄将棋まつり より

羽生さんが3連勝した後に,佐藤康光さんが3連勝して迎えた2006年3月の王将戦第7局。対局場は佐渡島。あいにく天候は大荒れで,通常であれば欠航するような波の高さ(3メートルから4メートルとのこと。)であるにもかかわらず,スケジュールの都合上,その波をこえて佐渡島に向かった船の中。(悠然と)本を読んでいた羽生さんには驚いた,と観戦記者さん。
「でも,佐渡汽船のエース中のエースが操船されるということでしたよね。」と羽生さん。

羽生は、どんな人生の嵐の真っ只中でも、こうなのだろう。今も多分・・。

竜王戦第七局をめぐる幻想――渡辺明と羽生善治に捧げる

二人の勝負を見守っていたのは人間だけではない。
将棋の歴史上、最大の勝負が行われるという噂を聞きつけて、天に住む神々も、阿修羅も、畜生も、餓鬼も、地獄の住人も、こぞってかけつけてきた。普段は永遠の責め苦に苦しむ地獄の住人たちも、こういう特別な時だけは、神々の計らいによって一時の休息を与えられ、六道の世界全ての生きとし生ける者たちが、二人の勝負を見守ったのである。
二人の対局者以外に、きわめて重要な役割を担っている存在がいる。将棋の神様だ。天の世界では、残念ながらマイナーな存在に過ぎず、普段は肩身も狭く暮らしている。性格も地味でおとなしいのだが、この時ばかりは彼が主役である。我々人間が想像するのとは違って意外に口の悪い同僚の神々に散々冷やかされながらも、将棋の神様もまんざらではない様子である。
彼の役目は、勝負をある程度までは見守り、最後のところでどちらが勝つかを決めることである。彼がその権限を一手に握っている。
さあ、対局が始まった。
戦うために生きている阿修羅たちは、勿論のこと大喜びで叫ぶ。

――戦え、戦え、ひたすら殴りあいつぶしあえ!ボコボコにしてしまえ!やってまえ!

畜生たちは、残念ながら将棋を理解認識する能力を奪われているのだが、周りの普通でない雰囲気だけは感じ取ることが出来るのだ。

――ワンワン、ニャーニャー、モーモー、メーメー、ガアカア

ああ、喧しいったらありゃしない。
餓鬼や地獄の住人たちは、最初は大人しく見ていたが、すぐに本性が出てしまう。二人の気に入らない点を見つけて、口々にののしりだす。

――あんなやつ負けてしまえ!ああ気にくわねえ!くたばってしまえ!

しまいには、どちらが負けるかで賭けを始め、喧嘩小競り合いが絶えない。地獄の衆生は所詮地獄の衆生である。一時の休息を得てのんびり煙草をふかしていた閻魔大王が、あわてて仲裁に入る。
そんな騒ぎの中、対局はどんどん進んでいく。ことの他激しい展開である。もうすぐにも勝負が決まってもおかしくない。
神々が将棋の神様にちょっかいをだす。ここだけの話だが、六道の世界広しといえど、一番迷惑で厄介な存在は、実は天の神々なのである。

――ほら、もうは勝負を決めていいよ。やっぱりあの年上のほうに勝たせてやれよ。あの品格、将棋に対する真摯な姿勢、将棋の神に身を捧げきっているストイックな姿勢、立派じゃないか。

他の神が反論する。

――いやいや、あの若いやつが勝つべき。生意気そうだけど、本当はいいやつだ。将棋に対する姿勢も年上の奴と変わらないくらい真摯だ。しかも、いかに将棋が世間に受け入れるカなども、若いのに常に考えている。今後の時代を託すことが出来るのはヤツしかいないよ。なあ、将棋の神様さんよ。

寡黙な将棋の神様は、口も挟めずにただ当惑して聞くだけである。いや、将棋の神は、神々の意見だけを聞けばよいのではない。六界に生きる者たち全ての思考、感情を受け止め、考慮に入れなければいけないのである。
無論、将棋の神もそれら全てに耳を傾けることなど無理だ、しかし、六道の世界に生きる全ての生き物の、思考や考え感情は、巨大な雲になって、二人の対局者の上に黙々と立ち上っていて、それを見れば分かるようになっている。その、賞賛や敵意や尊敬や軽蔑や愛情や憎悪が混然一体となった巨大な雲は、刻々と微妙に豊かな色合い歩変化させていた。その壮観な姿は、対局に必死に打ち込む二人には、勿論あずかり知らぬところである。
そんなことをしている間にも、展開の速い将棋はもはや終盤の真っ只中である。
そろそろ、将棋の神様も覚悟を決めなければいけない。雲の様子を見て、さあどちらかを勝ちに決めようとする。ところが、その瞬間に雲の姿は急激に変化をとげ、将棋の神様は勝敗の裁定をするのを何度もためらう。同僚の神々も、将棋の神様が勝利を決めるポーズをとろうとするたびに茶々を入れて、やかましいこと限りない。いつまでたっても優柔不断な将棋の神様は裁定を下せないのであった。
可哀想なのは、そんなことをあずかりしらぬ二人の対局者である。普段ならとっくに終わっていいはずの将棋が、終盤戦に入ってもいつまでたっても終わらない。どちらかが勝ちになったかと思うと、相手が絶妙な勝負手を出して決まらない。普段なら、将棋を終わらせる技術では並ぶ者のない二人なのに、果てしなく将棋が続いていくのだ。
相変わらず、将棋の神様の立ち往生は続いていた。口さがない神々の猛口撃もとどまるところを知らない。
すると、突然、耐えに耐えていた大人しい将棋の神様はぶちきれてしまったのである。

――ええぃ、もうやってらんねえ。もうオレが決めるのなんかやめてやらあ。もう。あの二人の好きなようにやらせる。二人の力で、勝手に勝敗を決めてくれればいいよ。

天の神々の世界では、かつてないことが起きたのである。神々の仕事は、どうしようもない人間の運命や宿命を厳重に管理することである。その責務を神が放棄するなどというのは前代未聞である。あってはならないことだ。それまで将棋の神様を冷やかしていた他の神々も、今度は慌てふためいて、仕事をきちんと果たすようになだめに入る。しかし、本来とてつもない頑固者の将棋の神様は、頑として聞き入れないのである。
その間も、二人の対局は続いていく。本来なら、将棋の神様が責任を放棄したので、もうすぐにどちらかが勝ってしまってもおかしくない。
ところが、驚いたことに、その後も将棋は延々と続いて終わらないのであった。完全に二人の力だけにゆだねられた将棋も、将棋の神様の関与に関係なく、素晴らしい勝負がいつ果てることもなく繰り広げられたのである。
将棋の神様を翻意させようと必死だった他の神々も、人間二人の対局のただならぬ様子に気づく。そして、彼らも自分の仕事を忘れ果てて、すっかり夢中になって、人間二人の戦いに見入るのであった。神々だけではない、阿修羅も畜生も餓鬼も地獄の衆生も、今はシーンと静まり返って対局を見つめている。
すっかりへそを曲げてしまっていた将棋の神様まで、今は目を丸くして人間だけの力による勝負を注視している。
二人の頭上に広がっていた異様な姿の雲も、今は青空に広がる白雲のように、穏やかな姿を取り戻していた。
いつ果てるとも知らぬ二人の将棋にも、ついに終わりの時が来た。若い方が死力を振り絞って勝ったのだ。
その瞬間、六界は静寂に包まれたが、すぐに歓声に変わった。大騒ぎである。
戦いが好きでたまらない阿修羅たちも口々に、もうあの二人は良く戦った、ゆっくりして欲しいと、信じられないセリフを口に出し、畜生たちは、犬と猫、牛と馬、鶏と鴨がペアを組んで浮かれて踊りだし、餓鬼や地獄の衆生も、二人の戦いにすっかり感動して皆仲直りし、明日から自分たちも心を入れ替えようと誓い合うのだった。ただ、その傍で閻魔大王だけは、明日になればどうせ元通りさと、苦虫を噛み潰したような表情を変えないままでいたが。
神々が、将棋の神様に話しかける。

――オマエのしことは正しかったのかもしれないな。オレたちは、人間どもの能力を見くびりすぎていたのかもしれない。オレたちも、あんたみたいにもう少し人間たちに好きにやらせてもいいのかもしれないな。

将棋の神様は恥ずかしかった。自分はただきれて職務放棄しただけだったからである。

――いやぁ。

と、照れ笑いを浮かべて答えるのがやっとだった。
神々が将棋の神様を、飲みにいこうと誘う。ここだけの話だが、神々は人間など比較にならないくらいノンベイなのである。もともと決して嫌いでない将棋の神様も、やっと今度は晴れやかな笑顔を見せて答える。

――いいですね。

将棋の神様が他の神々と仲良く肩を組んで天のバーへ歩いていく。
ふと、将棋の神様がこちらを振り向いて、もう一度地上の二人の方を眺めやる。
二人は、もう普段の様子に戻って、笑顔さえ浮かべて感想戦の最中である。
将棋の神様がポソリとつぶやく。

――人間って、すごいな。

石を投げあってる?―竜王戦第七局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

また随分進んだ。「まだ分からないが、間違いなくどちらかがよくなっているはずの局面」である。初日でこういう局面まで進んだのは何局目だろう。お互い意地をはりあっているかのように、闘志を燃やしあっているかのように、ほとんど将棋を決めかねないような手についての決断が早い。本局では羽生が▲7五歩から仕掛けていき、▲8二歩の激しい後戻りのきかない順を選んだこと、渡辺が△5二飛とわりとはやく△6二飛でない方を選んだこと。
今まで、勝敗の動きがドラマティックすぎたので、そのことばかりに目を奪われていたが、やはりこの二人の場合、戦っている、深いところでぶつかっているという印象を受ける。表面上は決して敵対などしていなし、二人ともそういうことを決して口に出すタイプではないのだが、例えば、羽生vs森内、羽生vs佐藤とは、やはり雰囲気が全然違うような気がする。
14へ行け等でおなじみのdoublecrown氏が、第六局の結果を受けてこのような事をtwitterでつぶやいていた。
印象だけど、竜王戦は第1局を除きその他はどうもかみ合ってないような気がしてしょうがない。一度刃をあわせて以降、お互い遠くから石を投げ合っているような。お互い認めあい、勝負を楽しむ、といった雰囲気ではないなー。
私のような単純なファンは、つい勝敗の行方にのみ目が言ってしまうのだが、成る程なー、と感心し納得もした次第である。
将棋の内容自体で言うと、本シリーズでは第四局のあの歴史に残る終盤以外は、実は名局はひとつもないのだ。どちらかが一方的に勝った将棋ばかりである。
なぜ、そうなっているのか。
やはり二人は世代を代表するので、負けたくないのは当たり前だろう。羽生が同世代と戦う時も、負けたくないのは同じにしても、将棋を作りあげていく上での一種の共犯関係、密かな安心感のようなものがあるのかもしれない。しかし、羽生vs渡辺では、そういうものは多分ない。異質なもの同士のぶつかりあいである。
将棋自体に対する感覚も多分違う。それは第一局の大局観の違いで鮮明になった。羽生の世代が始めた将棋の合理主義を、渡辺世代はさらに徹底してシビアに推し進めた。羽生の第一局や第三局の勝ち方が、常識の隙をつくような大局観によるものだったのに対し、渡辺が勝った第五、六局は、奇をてらうことのない自然な手の合理的な積み重ねだった。
あるいは、二人とも優勢になった時の勝ち方が並外れて上手なのかもしれない。一度どちらかがよくなると、厳しく差が開く方向に力学が働き、二人といえどもそれに対抗するのが容易でなさそうである。
そして、二人の対照的な個性。まるで深遠な思索にふける哲学者のようなところのある羽生に対して、渡辺は徹底的な現実主義者である。読書を好む(好みそう)な羽生と競馬愛好家の渡辺。今日の事前インタビューでもそうだったが、常に超然としている羽生と、正直すぎるくらい開けっぴろげな渡辺。近代的な羽生と現代的な渡辺。
冷静に考えれば、二人の将棋がかみ合う要素など、最初からあまりないのだ。がっぷり四つの名勝負というより、異質な者同士がぶつかりあうスリリングを楽しむべきなのかもしれない。
などと書いていたら、第七局が大変かみ合った名局になったりしてね(笑)。まあ、そうなったら歓迎である。

直前の朝日杯オープンも面白かった。
羽生vs渡辺も、羽生の執念と渡辺の冷静がぶつかりあう異様な名局だったが、それ以上に、渡辺は初戦の畠山鎮戦で、なんと後手ゴキゲン中飛車を採用した。今年一度も指していないのだ。手の内を見せないにしても徹底している。もし負けたら何を言われるか分からないのに、思い切りがいい。しかも快勝。
だからといって、羽生もさすがに竜王戦でゴキゲンをしてくるとは考えないだろう。しかし、前局急戦矢倉に変化したこともあり、本戦の矢倉、急戦矢倉以外にも、後手で何をやってくるか分からないという印象くらいは持つだろう。そして、渡辺は恐らく相手がそう考えるであろう事まで考えるタイプなのだ。あくまで推測だが。
やはり本局では、変化すると見せて矢倉。しかし、急戦矢倉を連投したのは少し意外だった。第六局がうまく行き過ぎたので、柳の下のドジョウは二匹いないと考えそうなものである。しかし、渡辺は敢えて連投してきた。合理主義者の渡辺のことだから、きちんとした具体的成算があってのことなのだろうが、同時に微妙な心理戦にもなっている。
羽生が△3一玉に再チャレンジするかも注目だったが、あっさりかわして▲2五歩。
竜王戦第七曲aaaaa081217-h25手
しかし、この手自体は大変前例が多いそうである。ちょっと調べたが、羽生は先手をもってかなり多く指しており、なんと先手では全勝していた。特に後手で「剛直」郷田が、羽生相手にこの形を何度も指しており、勝ち星を献上し続けていたのが、いかにもらしくて笑ってしまった。(勿論、私はプロ棋士の使う完全なデータベースを持ってないので、あくまで限られたデータでの話です。)
そして、直後に指された△3三銀が、またしても「渡辺新手」。
この手についての藤井情報が面白い。棋譜plusから引用させていただく。
「渡辺さんが先手を持って研究会で指したらしいんです。僕は後手の若手からその話を聞きました。その若手はこの将棋の知識が少なくて、フラフラと△3三銀としたそうなんですが、渡辺さんは有力だと見たのでしょう」(藤井九段)
やはり水面下の研究会は大切なのである。現代将棋は情報戦でもあるのだが、気になるのは羽生がどの程度それをやっているのかということだ。多分情報戦というほどにはやってないのではないかと思う。そこも多分、羽生と渡辺の違いだ。
この辺については夕方のBSの藤井解説が分かりやすかった。要旨を再現すると、

△3三銀では、前例は全て△5四銀。つまり、後手としては5筋で頑張ったので、2筋は譲るというバランス感覚。△3三銀は、飛車先交換も許さないという欲張った手。
当然羽生は反発するが、以降の数手を見ると、渡辺のみ有効度の高い手を指している印象があり、先手なのにもかかわらず、なんとかしてとがめないといけないという、少しあせらされているという意味あいがある。
従って、羽生は動いていった。この展開なら、後手番としては、一方的に受身になるわけでもなくまずまずといえる。先手は香得したが、歩切れが大きいし、後手からの反撃も残る。

今回は藤井九段は、あまりはっきり形勢判断は言わなかったが’(何でもいつも言い過ぎて後で色々言われるのを気にしているらしい?)、やはり後手持ちというニュアンスが伝わってきた。
棋譜解説でも言われていたように、△6二飛として6筋から反撃してくる筋も気になったが、実際は△5二飛。これには、先手も香車を取って▲5九香とすえる味がよく、先手もまずまず戦えるのではないかということである。
弱い素人は、プロの言うことを素直に聞くしか出来ないわけだが、印象としては、後手番の作戦としては上出来だが、先手も▲5九香の展開ならまずまずで、少なくとも第六局のように後手がかなりよいというわけではないのではないかと感じた。

それにしても、この大一番で、矢倉解説にはもってこいの藤井九段を得たことは、我々にとって僥倖である。私は皮肉が言いたいのではない。順位戦で指している藤井の矢倉は、人真似でなく面白い。しかも、結果はともかく、どれも居飛車等の「老舗」相手に「屋台を出したばかり」なのに、常にいい(以上の)勝負になっている。解説を聞いていてもとても分かりやすいし、振り飛車に限らず、やはり序盤の感覚に鋭敏な先生なのだと思う。
矢倉に革命を起こすのは、従来の居飛車党ではなく藤井猛だと、素人なりに私はひそかに期待しているのである。

すべては聖地、天童へー竜王戦第六局第二日 渡辺竜王vs羽生名人(追記あり)

竜王戦中継サイト

大変なことになった。事実は小説より奇なり・・歴史の生き証人・・将棋史上に燦然と輝く名勝負・・優曇華が花開くのを目撃する稀有な幸福・・子孫代々語り継がれる・・、と既にうわ言をつぶやきだしている私である。

本局は渡辺の優れたところのみ出た将棋だった。一方羽生にはそれらしさが少しもないまま終わった。第三局と完全に逆のことが起こったわけである。
やはり、本局を決めたのは渡辺の新手△3一玉。あの場面で、羽生が▲6五歩を長考の末に断念せざるをえなくなった時点で既に成功といえるのだが、あの手の影響が、その後もずっと続いたように見える。
初日に羽生が2筋を交換して▲同角といったのは、やはり危険だったという感想が局後にあった。
竜王戦第六局aaaaaa081210-h39手

この手には渡辺が△3一玉と守ったに対して、攻撃的に指して得をしてとがめようとしたという意味があるようだ。BSで流れた感想戦で、羽生は▲6五歩を「つけなきゃおかしいと思った」と言っていた。しかし実際に読むと後手の攻めがつながることが分かり、断念せざるを得なかった。ある種のあせりや気負いが、羽生に必要以上に危険な手をその後も選ばせたと言ったら、うがちすぎだろうか。
さらに、封じ手の局面で羽生は長考に沈む。定刻六時になって、中村立会い人がそれを告げても、羽生は「えっ」という感じですぐには普通に答えなかったそうである。読みにまだ没頭しており、指す手もはっきりまとまっていなかったのかもしれない。
その日の夕食に、羽生はあまり箸をつけなかったそうである。局面の事が頭から離れなかったのだろう。そういうところが、羽生の自然体で正直なところでもある。そういう姿をまわりに見せるのは勝負師として好ましくないともいえる。渡辺も当然見るし、観察眼では抜け目のない男だから、羽生が苦しいと考えていることも敏感に察知するだろう。
翌日、渡辺は堂々と踏み込む順を選んだ。成算があるとしても、やはり決断が必要な順である。渡辺は、前日の羽生の姿を見て、自信を持って切りこめたのかもしれないのだ。
封じ手の▲3六歩は、控え室が予想していない手だった。ただ苦しいながらも本筋を行く手だそうで、羽生の場合は、多少苦しくてもそういう手を選択することが多いような気がする。名人戦の第五局でも、誰もが驚く最強の手で封じていた。結果的にはよくなかったが。あまり無理をして耐え忍ぶような手を指さないことが多いと思う。もっとも、場合によっては信じられないような辛抱をすることもあるので、羽生の場合一概には言えないのだが。
さらに、▲7七同金としたところでは、▲7七同桂の方がまさったという感想があった。
竜王戦第六局bbbbbb081210-h47手
本譜と同じように進み、▲2二歩に対して△同玉と応じる変化の場合、6七金と7七桂の働きが大きいということだそうである。従って、▲2二歩には△同金と応じることになるが、その場合は▲8二飛と打ち込み、本譜よりは余程難しいとの事。羽生が▲7七同金としたのは、▲2二歩に△同金とした場合に有利になる変化があったからだそうである。
つまり、対局者の頭の中では、かなり先まで様々な読みの分岐があり、その微妙なところにより最善手を逃してしまったということである。勝負の微妙なアヤともいえるが、普段の羽生だったら、苦しい中でも最善手を指したのではないだろうか。本局は、渡辺の△3一玉によって、羽生にとってはすっかり流れが悪くなり、それが終局まで続いてしまったような印象を受ける。

夕方のBS中継では、対局がすぐに終了したため、しばらく感想戦の模様を流していた。その際、長い棒の先にマイクをくくりつけたものを、盤側に延ばして音声を拾っていたので、二人の発言がクリアに聞けてよかった。途中できってしまっていたけど、出来れば感想戦を全部見たかった。でも、全部見て飽きないのはやっぱりマニアだけかな?(笑)

先ほども書いたが、羽生は、初日の夕方から、ほとんど食事が喉を通らなかったそうである。昨日の夕食もほとんど箸をつけず、朝食も残し、昼食もほとんどとらず。やはり、平常通りに見えても、大変な緊張状態で対局しているのだろう。

そういうところを、無理に隠そうとしないのが羽生らしいとも思う。相手に悟られないように、無理やり食べ物を詰めこむというような不自然なことを羽生には似合わない。あくまで、盤面の上の勝負がすべて。羽生的な勝負師的則面が発揮されるのも、あくまで将棋の上でのこと。はるか昔に谷川相手に上座を占めたのも、今回の名人戦で見せた鬼のような表情も、全て意識的に計算してしたのでなく、ごく自然に内面からあふれ出る気持ちの強さや情熱が外面まで溢れかえってしまっただけではないだろうか。今回弱みを回りにみせてしまったのも、ごく自然な羽生流だったのだろう。
羽生はどんな時でも、いつもと変わらないといわれるが、無理に平静を保つというのとは全然違う。今回の食事のこと一つとっても、張り詰めたギリギリの精神状態で将棋に接しているのだと痛感する。そういう極限的な危ういバランスの状態で、なおかつ客観的な態度で将棋の最善を尽くせるのが羽生流。
最高に熱く燃えたぎる状態で「玲瓏」な将棋を指すのが羽生の魅力である。第七局でも、そういう将棋をみせてくれることだろう。

一方の渡辺。第四局で一つ返してくれたときは、ファンとして正直ホッとしてしまっていた。羽生が谷川に対して三連敗の後一つ返したのと同じで、とにかく形はついたし、今後につながったのでよかったと。正直に告白してしまう、こんなに巻き返すとは思ってなかった(笑)。やはり、一度流れをつかんだときそれを逃さないし、凡人のように一つ勝ったからいいやなどとは、全く考えないのだろう。そうでなければ、こんなに見事な将棋を二局続けて指せるわけがない。
結果的には両局とも完勝だが、羽生の場合は途轍もなく劣勢な将棋を逆転し続けることで、今までの多くのタイトル戦を乗りきってきた。それを、ほとんど付け入る隙を与えずに勝ちきれているのも、やはり渡辺の強さ、将棋の厳しさの証拠だろう。羽生といえども、渡辺相手だとなかなか大逆転勝ちをするというわけにはいかないのではないだろうか。振り返れば、羽生が三連勝したのも、全て順当に勝ちきった将棋ばかりである。
しかし、渡辺だって、負けて平然としていたわけではない。特に渡辺の場合はブログをしているので、第三局直後は、落ち込んでいるのがかなりはっきり伝わってきて痛々しいくらいだった。第三局の後、当日の最終の新幹線で帰ったそうだが、その様子が妻の小言にも書かれていて、ちょっと読んでいてグッ゛と来るものがあった。プロ棋士というのは、本当に大変な仕事だと思う。その分、勝ったときの喜びも大きいのだろうけれど。
今回BSでは時間が余ったので、過去局の様子を流していたが、第三局の投了の際、ああいう色々な意味でつらい負けにもかかわらず、渡辺ははっきり「負けました」と言葉に出し、少しも悪びれた様子も見せず、とても立派な態度だった。羽生も、本局はつらすぎる負け方だったが、BSで流れた感想戦では、いつもの研究者の姿に戻って淡々と振舞っていた。二人とも、負けた時の姿まで美しい。

さて、第七局。

勝ったほうが初代永世竜王。
羽生が勝てば永世七冠。
渡辺が勝てば、将棋界初の三連敗後の四連勝。

将棋の神様は、随分とド派手好みの演出家のようだ。
舞台は、将棋の聖地、天童である。



(追記)何人かの方からコメントでご指摘をいただいたのですが、羽生さんは恐らく本当に体調がすぐれなかった可能性の方が高いのではないかと思います。たまたま形勢と重なったので思い込みで書きすぎてしまいました。

のどかな鴨騒動をよそに風雲急―竜王戦第六局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト。

面白い展開になった。今シリーズは、意地を張ったようにお互いどんどん手を進めるところがあって、初日からのっぴきならない局面ななることも多い。ただ、今回はお互いの主張がぶつかって、なおかつ優劣不明で、二日目にどうなるのだろうと、興味が一番わく場面での封じ手になった。連続テレビドラマなら、何でここで終わってしまうのと、絶妙のタイミングで「続く」が出た感じである。
渡辺は、後手番で従来通り矢倉を受けるかと思いきや、急戦矢倉。矢倉という名前は同じだが、普段渡辺が指しているがっちりした矢倉とは基本的には別世界で。後手番で変化したといってもいいのだろうか。微妙に分かりにくいところだ。
渡辺が準備していたのが△3一玉の新手。渡辺の戦略家的側面がよく出た手だ。
竜王戦第六局11111111081210-h34手

棋譜解説で、すぐに鈴木八段が反応して、▲6五歩としたらどうするの?▲6五歩で羽生さんの手が震えたらこわいね、というジョークが飛び出していた。しかし、よく調べると、じつは後手の攻めがつながったり、うるさかったりするとの事。つまり、渡辺は羽生に対して「誘いの隙」で構えたわけである。
BS中継で、鈴木、野月コンビがかなり具体的で充実した解説をしていた。棋譜解説でもあったが、さらに進めていたので手順のみ書くと、
△3一玉▲6五歩△同銀▲7三角成△同桂▲6六歩△8六歩▲6五歩△同桂▲8六銀△5八角▲6八玉△7八飛成▲同玉△8八歩▲6八金△4九角成▲8八玉△3八金(変化参考図)
竜王戦第六局222222081210-h52手

で駒損を取り返し、桂を取っての△7六桂も厳しくて後手良しということだそうである。
鈴木八段が面白いことを言っていて、自分なら渡辺竜王がこういう手を自信満々で指してきたら、▲6五歩を考えるのを最初からやめてしまうが、羽生さんは自分の読みだけを信じている。誰も指さない手でも自分がいけると思えば指す。だから、ここで長考して▲6五歩をとことん読むのが羽生さんらしいと。
しかし、結局羽生はこの順を見送り。結果的に消費時間に約二時間という大きな差が初日で生じた。この辺は、渡辺流の巧みに勝負術が発揮されたといえそうであ。
しかし、封じ手局面は時間云々よりも、もはやのっぴきならない局面に突入している。封じ手局面についても、二人で詳しく解説していて、とても参考になった。
竜王戦第六局333333081210-h40手

まず一番激しく▲2二歩といくのは△同金▲2三歩△1二金▲4二角成△同玉▲2二歩成△2七歩▲同飛△2六歩と受ける順がある。(参考変化図)△1二金が好手らしいが、この変化はあまり掘り下げていなかったので何か他にも攻め筋があるかもしれない。
竜王戦第六局44444081210-h50手

▲6八角と下がるのが一つあって無難だが、二人が主に調べていたのは▲4六角以下の激しい順。
後手からは2筋の歩を連打しておさえて、飛車切りから2七に銀を打ち込んでくる筋が常にある。さらに△7六歩と攻め込んでくる順も気になる。
一例としては▲4六角△7三桂▲3六歩△7六歩▲同銀△7五歩▲6四角△同飛▲7五銀△5四飛▲7四歩(参考変化図)で先手良しで、後手の攻めは無理。
竜王戦第六局555555081210-h51手

ただ、2筋を組み合わせて。▲4六角△7三桂▲3六歩△2七歩▲同飛△7六歩▲同銀△2六歩▲2八飛△7五銀▲同銀△同飛▲7六歩△2五飛▲3七桂△2七歩成▲2五桂△2八と▲2二歩△4九飛▲5九銀△2六角▲3七銀△4八銀(変化参考図)で、これは後手の成功例。
竜王戦第六局666666081210-h64手

解説を聞いていると、何か後手からの攻めがありそうで、先手も相当怖い。ただし、ここをしのげれば先手が楽しみが多いという感じの解説だった。
鈴木八段は△6ニ角の感触がたまらなくよいので後手持ち、野月七段は何とかここをしのげればという条件付で先手持ちだった。基本的にはまだ優劣不明ということのようである。
封じ手予想としては、解説を聞いていると先手にこわすぎる変化が多いので、▲6八角。△7七飛成の強襲にそなえて▲同角ととって、▲6五歩の反撃を見るということだそうである。
夕方、羽生の姿をカメラが捉えていたが、眼光鋭くランランとして読みふけるという感じだった。羽生が対局中に見せる表情には、ハッとさせられるものがある。
渡辺の仕掛けた巧みな戦略に、羽生が読みと力で対抗するという形になった。この両者の対戦では、一番面白いパターンになったのではないだろうか。

あーあ、手順を書きすぎて疲れた。
鴨の写真1 2でも見てなごもう。衛星放送でも鴨の鳴き声をマイクが拾っていたが、お世辞にもデリカシーのある鳴き声とは言えないので、あれは気になり出したら結構イヤなのではないだろうか。
ある人は、対局者が昼食に鴨南蛮を頼めばよかったのにといっていましたが・・。(おいっ

大局観でもやり返した?−竜王戦第五局第二日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

渡辺快勝で本当に面白くなってきた。ただ、本局の羽生の指し方には何となく不思議なところが残る。
図の△2一玉が、宮田五段の指した新手で、羽生もこれを試してみたかったのだろう。
竜王戦大5局aaaaaa08120450手

この手については、片上五段がこのようなブログ記事を書いている。公式戦で現れたのはごく最近だが、かなり以前に実は奨励会でよく指されていた形だという。あるいは、公式戦ではない研究会などでは、現在でも指されているのかもしれない。
最近では、プロならば公式戦の棋譜全部に目を通して把握しているのは、いわば最低限の作業らしい。むしろ、様々な研究会の水面下でどういう新手が指されているか、それをどこまで把握しているかが勝負。研究会で指された新手は、若手の間ではメールによって瞬く間に伝わり広まるとも聞いたことがある。
ただ、羽生の場合はどうなのだろう。いくつか研究会はやっているようだが、忙しくて頻繁には出来ないだろう。また、羽生がメールで、研究会の新手を誰かと情報交換している図というのは、かなり想像しにくい。
だから、この△2一玉についても、公式戦で見て指してみようと思ったのではないだろうか。羽生の場合、かなり限られた情報で、なおかつ最新形の将棋にチャレンジし続けている気がして、それがすごいところだと思う。それとも、羽生は何か地下の情報ネットワークでも持っているのだろうか。あくまで冗談だが、そう思ってしまうくらい、色々な最新形を楽々と指しこなしているのが不思議なのだ。
二日目に入り、図では先手の渡辺の銀が死んで、瞬間的に銀損になっているところである。
竜王戦大5局bbbbbb08120460手

本譜の通り、端を絡めた渡辺の攻めがとても厳しく、完全に先手ペースになった。つまり、一時的には銀損になっても、それで攻めが続くと判断した渡辺の大局観が卓越していたということになるだろう。
並みの相手なら、それで話を済ましてもよい。ただ、相手は羽生なのだ。今述べた通り△2一玉までは先例がある。本局で採用する以上、羽生も当然その先を研究して臨んでいるはずだ。渡辺が7筋で歩を交換したのも、ごく自然な手だし、なおかつ一歩持って△4五歩と反撃に出るのも必然に近いように思える。さらに銀を殺しても先手が攻めをつなごうとしてくるところまでは、想定できそうなものだ。
本譜の進行を見ると、解説では羽生は入玉を目指すのかなどとも言われていた。そのよう進行を羽生が喜んで選択するとは思えない。要するに、なぜ羽生がこのような進行にはまったのか、どこが誤算だったのかがよく分からないのだ。
もしかしたら、今書いたのは弱いアマが結果論で言えることで、実際に戦うプロは、もっと色々広がりのある変化を想定しなければならず、なかなか机上の空論のようには行かないということなのかもしれないが。
タイトルに「大局観でもやり返した?」とクエッションマークをつけたのは、羽生の対応の真意がよく分からないという意味である。ただ、言うまでもなく渡辺の攻めをつなぐ正確な技術は大変なもので、本譜の進行を辿ってみていると、いとも簡単なように見えてしまうが、実は高度な読みに裏付けられているプロの芸なのに違いない。やはり、渡辺の銀損でも攻めがつながると見た大局観がすぐれていたのだといいたい。
第一局と第三局で、羽生の常識外の大局観にしてやられただけに、一応少し借りを返したといえるのではないだろうか。
本局は、前局に続いて終盤戦も面白かった。
図では後手玉に詰めろがかかっているが、ここでは羽生の側に実は色々な手段があったらしい。
竜王戦大5局cccccc081204107手

BSの夜中のダイジェストで谷川九段が簡単にこの局面にふれていた。飛車を2九から打つのと、本譜のように4九から打つ二通り。角も1三と2四の二通り。その組み合わせと先手の受け方によって、後手玉の詰めろが消えたり、受ける順が生じたりするということらしい。まるで難解なパズルのような局面である。
谷川が一つ例としてあげていたのは、まず△2九飛▲6九歩を入れてから△4一桂と受ける順。最後4五に玉が逃げたときに▲2五竜と取るのを2九の飛車が防ぐそうである!
ただ、本譜で羽生が選んだ順も、絶妙のパズルの解に思えたのだが、渡辺はそれを上回る絶妙手で応えた。▲3五歩。
竜王戦大5局dddd081204111手

この手については、さっそくご本人がブログで分かりやすく解説してくれている。
相変わらず正直だと思うのは、これを事前に読みきったのではなく、何とか見つけ出したと言っているところだ。読みきりでしたと言いたいところではないかと思うのだが(笑)、そういう虚飾は渡辺流ではない。変に謙遜もしないかわりに、つまらないハッタリも一切ない。徹底したプラグマティストなのである。

さて、羽生は今回後手番で矢倉を受けた。一手損角換わりで連勝しているので、それを連採するというのも十分あったと思うのだが、なぜだろうか。色々推測できるだろうが、一つほとんど我ながら妄想とも思える仮説をお笑いの種に書いておく。
第四局のあの負け方というのは、明らかに勝負の流れを変えかねないものだった。羽生は、恐らくそういうことに実は人一番敏感である。その流れに逆らって、一手損で無理やり勝ちに行って負けるとさらに流れがおかしくなる。敢えて、ここは後手番で矢倉を堂々と受けておいて、ごく自然に指してそれで勝てればいいということにしよう。仮に負けたとしても、それなら引きずらないですむ。勿論、この第五局で決めたいが、第四局の負け方の流れを受けて本局は無理して勝ちに行かずに、第六局の先手局も、視野に入れて見据えて指そう。
ハイっ、どれだけツッコミいれてくださっても結構です。ありえねー、そんな余裕アルわけねーだろ、実際の勝負を知らなすぎるぜ、等等。お好きなだけどうぞ(笑)。ただ、私は羽生ファンというより、ほとんど羽生信者に近いもので、こんな馬鹿げたことを言ってみたくなっただけである。本当に聞き流してやってくださいませ。
さてさて、一方の渡辺。事前インタビューでも、後手番での指し方で悩んでいると言っていた。矢倉も通常角換わりも堂々と後手で受けて立っているが、やはり作戦面でなかなか何か思うようにいかないということのようである。
現に今期のB1順位戦でも、渡辺は、先手全勝、後手全敗という極端な成績を残しているのである。それでも渡辺はかなり頑固なところがあって、後手矢倉で、行方、羽生、畠山鎮と、△9五歩型の同じ戦形を連採して三連敗している。一流の人物は、とにかくいい意味で頑固なところがあると思う。
しかし、次の後手番はとにかく勝たなければいけない。渡辺はどう出るのだろう。それも、色々な意味で実に楽しみだ。ただ、私はやはり今回は堂々と矢倉を受けるのではないかと思うが。(勿論、羽生が初手▲7六歩とやってきた場合。)
それと忘れてならないのは、今回の竜王戦では、実は後手が三勝もしているということである。なぜか渡辺のからむ竜王戦は、そうなることが多い。

次局、本当に楽しみである。現時点で言えることはただ一つ、もうこれで「情熱大陸」の制作者は苦労しないで済むだろうということである。

「ウルトラアキラ」―竜王戦第五局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

第四局の記事に、熱狂的佐藤康光ファンのBeaverさんからコメントをいただいた。
Posted by Beaver
竜王戦第4局をみていて、渡辺竜王=ウルトラマン説というのを思いつきました。初代ウルトラマンではなく、帰ってきたウルトラマンの方です。
郷秀樹は自由にウルトラマンに変身できるわけではなく、命の危機に陥ったときに自然にウルトラマンに変身する。渡辺明もピンチになると自然にウルトラアキラに変身してとんでもない力を出す。そしてウルトラマンは3分間しか地球上にいられないが、ウルトラアキラは竜王戦をやっている3ヶ月間しか地球上に居られない。
すみません。怒らないで・・・。
ということで、竜王戦面白くなってきました。ウルトラアキラの強さは昨年、一昨年と痛いほど思い知りました。
Beaverさん、怒るなんてとんでもない、私はこういうのには大喜びしてしまう人間です。
でも、一応渡辺明竜王の立場に立って、文句を言っておく必要はあるだろう。
―――「どういうことですか。人のことを竜王戦の三ヶ月だけで暮らすいい男のように言って。他の棋戦だって、ボクは一生懸命、全身全霊をこめて戦っているんです。他人様に言われるよりも、他で思うような結果を残せていないのを、誰よりもボクが残念だと思っているというのに。マッタク、ファンの人たちときたら・・。」
さてと、私自身も、そういう困ったファンの一人であることをあらかじめ素早く自分で認めてしまっておきましょうか。
それにしても、やはり竜王戦の渡辺は、やはり「ウルトラ」である。Beaverさんを歯がみさせた?先々期の竜王戦でも、豪腕佐藤相手に終盤で一歩もひけをとっていなかった。誰もがあの終盤には見惚れた。去年の竜王戦では、あの佐藤相手に終始内容で圧倒していた。(圧倒していたは言いすぎですか、Beaverさん?)
そして、あの前局の羽生相手の壮絶な終盤戦。
やはり、渡辺明はタダモノではないのである。将棋世界の竜王戦事前討論で,橋本七段が渡辺をこう評していた。
(渡辺は)ずば抜けています。子供のころから知っているけどあそこまで才能を感じた人間は他にいない。天才とは彼のことを言うんだと思う。羽生さんももちろん大天才だけど、努力家でもある。羽生さんは努力する天才。ともにやってきた佐藤さんも森内さんも努力家だと思う。もちろん、渡辺さんも努力はしているんだけど、羽生さんや佐藤さんの努力に比べたら全然量が違う。
こういう話を聞くと、渡辺にはまだまだ潜在能力が秘められているのではないかと感じる。竜王戦の「ウルトラアキラ」を見ていると、本領発揮さえすれば、羽生や佐藤でも手がつけられないところがあるのではないかと思うのだ。

戦形は相矢倉に。羽生がなぜ矢倉を選択したのかは正直よく分からないが、とにかく同じ戦法を極端に続けて指さないようにしているということなのだろうか。何を選択してもそれなりに理由づけられるような気がする。
△8五歩型でも、いちばんよく見かける穴熊に組ませかけて角を出入りして牽制するやり方でなく、△6四角のまま頑張って△4二銀と引き△3三桂と右辺からの攻めをがっちり防ぎ、さらに宮田五段新手という△2一玉からさらに銀をひきつけて固める狙いを見せるという指し方を羽生は採用した。
当然、黙っていないで渡辺が動いたところを、△4五歩の反撃。BSの解説を聞いていると、▲同桂△同桂▲同銀△4四歩で一時的に銀損になるが、▲7四歩△6ニ角をどこかでいれておいて、▲3四銀△同金▲4六桂△3三金△5四桂で、銀を取り返せて桂損にとどまる。駒損だが、後手の陣形も乱れる。但し、後手も△2一玉と一つ先に逃げてあるのが主張である。その際、▲1五歩▲6四歩といった味付けもどう入れておくか。
ということで、渡辺が駒損しながら攻めをつなぎ、羽生が受けるという展開になるのだろう。私レベルなら桂損くらいなら攻めたいというのは、この二人の場合全く参考意見にならない(汗)。きっと、「よく調べると難しい」という攻防が繰り広げられるのだろう。
あと、BSで久保八段が、△4五歩には▲5七銀とおとなしく引いておいて、さらに▲6六銀と出て好形を築きたいと言っていたのが印象的。振り飛車党の矢倉感覚と謙遜していたが、確かにそこまで組めると美しい。藤井さんあたりなら、どういう考え方をするのだろうか。

午前中のBS中継で、NHKの長野アナが、谷川先生に誰しもが聞きたいことを質問してくれていた。第三期の竜王戦で、羽生竜王に谷川が挑戦し、三連勝した後、羽生が死闘の末に一つ返した将棋のことについてである。当事者の谷川の言葉には、やはり格別な重みがある。
第四局、確か203手、二人の対局の中では最長手数で、一番の熱戦だったと思うんですね。のちに、羽生さんが、あの時に第四局で返したのが大きかったと書いていましたし、今回の第四局も、渡辺さんにとってはそういうことが言えると思うんですね。
この後、このシリーズがどうなるか分かりませんけれども、渡辺さんのこれからの将棋人生にとって、これからのお二人の戦いにとって、大きな意味を持つ一勝だと思いますね。
角番に追い込まれて、精神的には非常に厳しいのですけれども、すぐ負けてしまうと、角番の期間が十日くらいしかないわけですね。それを、一つまた一つとしのいでいくほど、それが二週間、一ヶ月と伸びていくわけで、その間、色々なことを考える、悩むわけで、それが将来の大きな財産になるのかなという気がします。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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