2009年04月

鈴木大介「角交換振り飛車(基礎編)」(浅川書房)




プロローグ
第一章 ▲7七角戦法
第二章 ダイレクト四間飛車
第三章 スピード角交換戦法

ごく最近出た新刊。近頃のプロの将棋では、角道を止める振り飛車が激減し、ほとんどが角交換(辞さず)の振り飛車になりつつある。ゴキゲン中飛車と石田流がその主流戦法だが、この本ではそれ以外の角交換振り飛車を解説している。
まえがきで、鈴木八段が角交換振り飛車の特長を説明している。
その一。まず、居飛車からの急戦を心配する必要がない。棒銀とか山田定跡は覚える必要がない。
その二。押さえるべきポイントが少ない、ひとつの戦型で覚えた筋は他の戦型でも応用できることが多い。
その三。振り飛車から攻めることができる。角交換振り飛車は受けの戦法ではなく、攻めの戦法なのだ。これが従来の振り飛車とは一番違う点である。
その四。居飛車穴熊対策が完備されている。振り飛車から急戦を見せているので、居飛車は穴熊に囲いづらいし、居飛車穴熊に組ませても、攻め筋がたくさんある。
その五。以上のような理由によって、最終的に勝ちやすい。

なかなか、鈴木八段も宣伝上手である(笑)。これを読むと、ぜひとも角交換振り飛車を指したくなるではないか。そして、実際その通りなのだけれども、公平を期すために(笑)、一応逆にアマチュアが角交換振り飛車を指す場合に問題になることを、個人的な体験に基づいてあげてみよう。
その一。常に角交換する可能性があり、角を持ち合っているため、打ち込みに神経を使う必要がある。
その二。序盤から激しい戦いになる可能性がある。力戦を覚悟しなければならない。たとえ定跡でよいとされる局面になっても、
力戦なのでそのあと勝ちきるには、ある程度の力が必要である。
その三。自分の囲いをあまりかたくすることが出来ないことがままある。金銀二枚の片美濃や片銀冠で戦いに突入することも良くある。特に左金の使い方に苦労することが多い。
いきなりネガティブなことを書いてしまったが(笑)、将棋は一人で指すものではないので、自分だけ思うようには行かないのは当たり前である。こういった長所と短所を把握しつつ、アマチュアは、従来の振り飛車と角交換振り飛車を使い分ければよいのだと思う。
しかし、とにかくプロ将棋が角交換ばかりなので、プロ将棋鑑賞の手引きとしても、本書は心強い味方になるだろう。私など、個人的な購入の主目的はそうだ。
本書で扱っているのは、基本的には後手番での作戦である。第一章の▲7七角戦法というのは、いわゆる後手4手目△3三角戦法で、振り飛車にする場合のことである。前書きにあるとおり、藤井システムのようなシステマティックな定跡というよりは、基本的な狙い筋が幾つかあって。それを場合によって使い分けるという感じである。まさしく力戦振り飛車なのである。例えば、ゴキゲンから向かい飛車に振り直した場合に良く出てくる、△2五桂と歩を掠め取る手筋も出てくる。鈴木八段の言うとおり、別の形で同じ筋を応用可能なことが多い。従来の振り飛車だと、例えば四間飛車と三間飛車は全く別世界なのだが、角交換振り飛車では、そういうはっきりした区分がないのも大きな特徴だと思う。
第二章は、角道を止めない四間飛車である。ここでは、相手が無理やり居飛車穴熊に組もうとした場合についても、詳しく解説している。通常の藤井システムだと、振り飛車から角道を止めるわけだが、この場合は、逆に居飛車穴熊にするために居飛車側から角道を止め、振り飛車は角道を開けたまま攻撃態勢を準備することが出来る。プロで角道を止める振り飛車が減った根本原因は居飛車穴熊対策での苦労である。従って、攻めることが好きな振り飛車党にはうれしいだろう。また、藤井システムのように一手が命取りになる精密きわまりない定跡というわけでもない。
第三章のスピード角交換戦法は、いわゆる後手一手損角換わりダイレクト向い飛車である。佐藤さんが指しはじめた頃は誰もが驚いたが、ついにこうして定跡書で説明されるようになったのだ(笑)。その場合に生じる▲6五角問題(居飛車が馬を必ずつくれる角打ち)についても、きちんと解説している。結論を言えば、この形では、振り飛車が十分指せるというのが鈴木八段の見解である。本書を読んでいるとそれはよく納得できるのだが、さっき述べたように最初から乱戦になるので、多少良くなっても実戦的には勝ちきるのは大変という側面もある。特にアマチュアの場合は。あくまで力戦が得意だという人が指すかと良い戦法だと思う。
本書全体を通じて、鈴木八段は、ポイントを分かりやすく説明している。まえがきの通りに、細々とした定跡を覚えるというより、基本的な狙いの形を教えてくれるのがうれしい。それは、鈴木八段の中飛車関係の書物とも共通して言えることである。また、実際の鈴木八段の棋風もその通りなのだ。
あまり細かいことにこだわらず、自由に力戦振り飛車を指してみたいという人に、おすすめの一冊といえる。
また、とにかくプロでは、時代は角交換振り飛車というくらい全盛なので、プロ将棋を観ることに興味がある人にとっても、一読の価値のある本といえるだろう。なお「応用編」も、出版予定とのことである。


やったー、買った本を何ヶ月も積読せずに、ほとんどはじめて定跡書の新刊案内ができたー(笑)。

(書評の続き)生きながら観るーー梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」

そもそも、昨日は梅田さんの本について将棋ファンとしての視点からある程度きちんとした書評をするつもりで書き始めたのである。しかし、ただ普通にするのもつまらないかと思い、まず雑談からはじめたらどんどん脱線してしまい、軌道修正不能になりそのまま力尽きて終わってしまった。今日は、昨日書ききれなかったことの補足を少ししておこうと思う。
というわけで、昨日の記事は我ながら何を言っているのかよく分からない内容に見事に仕上がったのだが、梅田さんご本人があんまり変わったことを書いているのがおかしかったのか?、ブログで取り上げてくださった。

My Life Between Silicon Valley and Japan 「観る」ことと「する」こと「生きる」こと

「シリコンバレーから将棋を観る」では、当然将棋や棋士を対象としているので、その中で梅田さん御自身の個人的なことはそれほど語られていない。しかし、この記事では梅田さんの個人史が率直に語られていて面白い。
(どうでもいいことだが、今日は「梅田さん」「梅田さん」と言っているが、オマエは昨日は「梅田」と呼び捨ての連発だったではないか思う方もいるかもしれない。しかし、言い訳するとあの呼び捨ては、例えば、羽生は、渡辺はというときと同じ意味の完全に自分とは別世界の人へのリスペクトをこめた呼び捨てである。イチロー、松井を呼び捨てにするのと同じこと。野球のブログで「イチローさん」とか書いてあったら、多分不自然でかなり気持ち悪いだろう。要するにスター性が高い固有名詞ほど呼び捨てにしやすいのである。将棋の世界では、まだ棋士が「イチロー」レベルまでいっていない。もっと将棋がメジャーになって「羽生が」と呼び捨てるのがごくごく普通になって欲しいと思う。)
さて、梅田さんは、将棋に関しては「観る」楽しみに徹しているわけだが、「生きる」方に関してはシリコンバレーでの多忙かつ過酷な実生活を生き抜いてこられたようである。
会社を創業してからの日常は、ぜんぜん意識していなかったけれどじつは勝負・勝負の連続で、ブラックジャックのテーブルの上のチップとは比較にならぬ金額が、自分の判断の一つ一つによって、ちょっとしたことの成功と失敗の違いによって、出て行ったり入ってきたりするものなのだということが、ブラックジャックをやり始めてまもなく、鮮やかに身体でわかってしまったからである。

12年前に会社を始めたときに、僕は本当に「自分の人生を生き」はじめ、その代償行為を必要としなくなったのだろう。

代償行為というのは、梅田さんの場合、例えば「ラスベガスで夜通しテーブルに座り続けて妻に呆れられたブラックジャック」である。梅田さんの場合、かなり高踏的な将棋ファンというイメージが強いのだが、やはり将棋が好きなだけあって、実はかなり勝負事が好きなのだと分かって、ちょっとおかしい。
それはともかくとして、「生きる」という行為が゜、賭博以上にスリリングで緊張感に満ちているような生を梅田さんは過ごしてきた。しかし、ただ必死に自分の生きているだけの者でも、必ずといっていいほど人間は自分の人生とは別のもの求めるものである。それが梅田さんの場合「将棋を観る」という行為だった。
梅田さんは羽生さんの対談で、将棋を仕事をする上での「触媒」と語っている。朝から順位戦のネット中継をつけっぱなしにしながら、仕事もこなし、将棋を観ていることでよいアイディアがぱっと浮かんだりするそうである。(その辺、やっぱり梅田さんは我々一般の怠惰な将棋ファンと違ってストイックなところを捨てきれない。笑)
私が昨日書いたことと強引に結びつけると、「生きる」という自分の主体的行為をしながら、それを「将棋を観る」という客観的な行為で補完し、生きることに役立てるとともに、逆に将棋を深く「観る」ために自分の生活体験をフルに生かしているという言い方が出来るかもしれない。
その際、面白いのが、梅田さんが会社の経営がブラックジャックのように「自分の判断の一つ一つによって、ちょっとしたことの成功と失敗の違いによって、出て行ったり入ってきたりするものなのだ」の述べていることだ。要するに自分の力で全てをあらかじめ判断できるのではなく、常に先行きが不透明な中で瞬時の決断を積み重ねていかなければならない。そして、その一つ一つの決断が、実は大局的には重要な意味を持つ。これって、将棋そのものではないか。
本の最後の対談で、羽生さんが将棋について一貫して語っているのも、「分かってないで」指しているということである。具体的内容は本を読む方の楽しみのためにここでは詳しく言わないでおくが、一般のファンが思うほど、プロは先の見通しをクリアに立てて指しているわけではない。ほとんど五里霧中の中を航海する様な感覚の言葉を、羽生さんが次々に発するのに、読者は驚くはずである。
しかし、。そうだとは言っても、漠然と指しているわけにはいかないので、全く見通しが立たない中でも、次々と決断し続けなければいけない。ここまで来ると、逆に将棋が梅田さんの会社の経営と実に性格が良く似ていることに気付くだろう。
つまり、ちょっと通俗的な表現になることを恐れずに言うならば、将棋は人生の縮図そのものなのである。従って、何も将棋が分からない人間でも、人生を各人なりに深く生きてきた人間ならば、将棋の本質を「観る」ことは可能なのだ。逆に、単なるゲームに過ぎないように思える将棋だけを指してきたプロ棋士も、もし真摯に深く追求してきたならば、「人生」についても驚くほど深い理解を示すことができるはずなのである。羽生さんが、その最たる存在といえるだろう。
だから、「将棋を観る」というよりは「生きながら将棋を観る」という表現がいいのかもしれない。そういう「観る」行為は。全く将棋と関わらずに生きてきたどのような人間にも可能なはずだし、梅田さんのこの本をキッカケにして、そういう将棋の魅力を知る人間が一人でも増えてくれればと思う。一将棋ファンとして。

さて、予定に反してもまたしても、この本の中の将棋についての具体的内容を全く書けずにもう力尽きかけている。もう一つ、どうせならやはり将棋自体とは全く関係ないことを書いて終わりにしよう。
この本の編集は、okadaicさんという女性が行っている。彼女自身「指さない将棋ファン」であり、梅田さんは「彼女の、ときには狂気さえ宿った「将棋の世界への愛情あふれる言葉」で励まされることがなければ」本書を書き上げることは出来なかったそうである。
当然然私はokadaicさんのことを全く知らないが、彼女はtwitterで盛んに活動していて、私はその読者の一人なので、彼女の「狂気」というのはひそかによく理解で来てしまう。okadaicさんのブログにこんな記事がある。

帝都高速度少年少女! 近況:相変わらず指せませんが、将棋の本を作りました。

1970年生まれの羽生善治が七冠王になったのは、1980年生まれの私が高校へ進学する頃のこと。当時、同年代の女の子たちの一部に、熱狂的な羽生ファンが生まれた。運動部のエースより軽音部のカリスマより、じーっと何か考えているメガネ君に弱いタイプ。そういう子は、当時あらゆるメディアに引っ張りだこだった「天才・羽生」の、一局ごとの勝敗から、個人的なことまで、いろいろ知りたくて、他の子たちがスポーツ選手やアイドルを追いかけるように、熱心に彼を追いかけたものである。何を隠そう、私もその一人だ。

こんな将棋の楽しみ方もあるのだ。現在のプロ棋士には男しかいない以上、女性のファンが居るのが、本当は当然のことともいえる。しかも、将棋を全くさせないタイプの女性ファンが、もっと増えていいはずなのだ。
勿論、okadaicさんは男として興味があるからだけで将棋を「観て」いるのではなく(笑)。やはり梅田さんと同じ文脈での将棋の不思議な文化性に興味があるのである。それも、我々普通のおじさん将棋ファンが全く考えもしないような将棋の文化性に着目していて面白い。「女性として生きながら将棋を観る」ことだってあっていいはずだ。

それにだいたい、将棋イベントに行くと必然おっさんの溜まり場という現状を、我々もそろそろなんとかしたいではないか(笑)。

「観る」という行為は実は恐ろしく深いのだー梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」

クルーゾー警部でおなじみのピーター・セラーズは、晩年に「チャンス」という不思議な映画を残した。知的障害をもつ「チャンス」は、ある富豪の大邸宅に庭師として住みこみ、一度も屋敷の外に出ることなく暮らしている。しかし、主人の死とともに追い出され、初めて外の世界に飛びだす。全く疑いを知らない静謐な人柄に人々はひきつけられ、誤解は誤解は招き、ついには大統領候補にまでなりかけるというコメディである。
チャンスの唯一の趣味はテレビを「観る」ことだ。外部の世界の騒ぎに巻き込まれることは決してない。屋敷の外に出ても、周りの人々や世界の喧騒をひたすら静かにテレビを観る様に見守り続ける。その落ち着きがますます人々を感心させる。本当は知的障害で、ただテレビを観る様に世界を観ているだけなのに。という皮肉。しかし、セラーズが完全になりきって演ずる「チャンス」は、まるで本物の聖人のようだ。この映画を観ている人間はいつしかこのようなに疑問を持つようになる。「果たして、人々は本当にチャンスに騙されているだけなのだろうか?」と。
人間はあくまで自分で「行為する」主体である。ひたすら「観る」だけというのは、どちらかというと神の領域に近い。半ば聖人のような「チャンス」が、そうだったように。
将棋の場合も、人生を生きることとの類比でいうならば、実際に自分で指してこそ本物である。勝ったり負けたり、読む苦しみを味わってこそ、初めて自分のものになるし、そのことで本当の喜び、充足を得ることが出来る。それと比べて単に将棋を「観る」だけというのは、なんと浅はかな行為なのだろうか?
しかしながら、ただひたすら「指す」だけが正しい行為とはいえない。もし、将棋を指すことで自分を忘れ果て、ただ勝つことに夢中になったり、自分の将棋の内容を全く省みないのならば、それは愚かしい時間の無駄、単なる気晴らしにとどまるだろう。人生を生きることに汲々として、全く自分自身を見失っている人のように。
一方、将棋を「観る」行為だけでも、それが真剣に集中する行為であれば、ほとんど芸術的な行為にまで高めることが可能だ。この梅田望夫の本は、要するにそういう観方を徹底的に自分の身をもって人体実験してしてみた人間の報告書である。梅田は謙遜しているが。無論実際は将棋の腕前も世間一般ではかなりのものなのだと思う。但し、将棋の世界のマニアというのは恐ろしいものなので、そういう連中と比べれば相対的に素人というだけのことである。とにかく、限られた時間で自分では指すことなく、どれだけ「観る」行為を深く出来るかを追求している。率直に言って、梅田は根がストイックで真面目そのものなのだ。梅田が、羽生をはじめとするストイックなヒーローたちに強く惹きつけられるのも、よく分かるような気がする。
巻末の羽生との対談で梅田はこのように言う。
梅田 ところが、そんなふうに言うのをはばかられる雰囲気が、将棋の世界にはありますね。だって「じゃあお前、指してみろよ」と言われたら、指せないわけですから(笑)。「いったいどこに感動したんだ」と問い詰められれば、言葉が浮かばない。・・でもね、たとえば絵画なら、自分で絵が描けなくても「感動した」という自由が許されているわけです。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」を見て感動した、と言って「おまえ、描けないだろう」とは言われないですよね。将棋を観て感動したと言うと「え、君どのくらい指せるの」となる(笑)。
必ずしも深い専門性がなくても、「最後の審判」に直截的な感動を受けたり、美術専門家よりも深いところを「観る」ことは十分可能なのである。なぜ、将棋でそれをしてはいけないのかと。
そうは言っても、頑固な将棋ファンはこういうかもしれない。そんなのは言葉の遊びだよ。将棋をロクに指せないのに、深く将棋を楽しむことなんて出来るわけないさ、と侮蔑的に呟くだろう。しかし、これについては対談で羽生が恐ろしい言葉で答えてくれている。(梅田のブログでご自身でも引用している。)
将棋の局面というのは、つねに揺れ動き続けているようなものなんですよ。或るプロ棋士に訊いてこっちが良いと言っても、違うプロ棋士は自信がない、と言う。タイトル戦に限らず、大部分の対局は、その微妙なギリギリのところで、ずっとずっと揺れ動き続けているものです。私は、その途中の感じを観るには、アマとプロとの差は、じつはあんまりないんじゃないか、という気がしているんです。稀にすぐ大差がついて形勢がハッキリする場合は別として、そうして競っている状態のときは、みんな見解が分かれるものです。針がどっちに振れるかわからない、切羽詰まった場面を見るには、将棋の実力は関係ない。最低限ルールさえ知っていれば、そのときの雰囲気とか「場」を、かなり捉えることができるのではないかと。もちろん、その一手に潜む裏側の意味、といったことは、プロ棋士のほうが観えていますよ。ただ、プロは将棋を観るときに、そこだけを観てしまうきらいもある。プロの見方と一般的な人の見方は、補完する感じで表現できたら、一番いいのではないかと思います。
本当にプロでも分からないような局面でも、いや、そういう局面でこそ、プロとアマの観る感じには差がないといっているのだ。将棋の第一人者が。羽生は梅田相手だからといって、リップサービスで嘘を言ったりするようなタイプではない。将棋のプロフェッショナルとして、本当に深くそう考えているはずである。
「最後の審判」のギリギリの本質を感受する能力には、玄人と素人で大差ないように、難解なプロの将棋が語りかけているものを観て感じる能力には、プロとアマで差がないという驚くべき発言。ある意味、自分たちプロの指している将棋が単なる専門的な一ゲームでなく、ある種の普遍的な美を表現し得ているという自信の現われとも言えるだろう。
とにかく「観る」という行為は、実はとてつもなく深いところまで届く行為なのである。極端に言うならば、自分で「指す」という行為が全く出来ない人間でも、「観る」達人ならば将棋の本質を全く過たずにきちんと見抜くことが出来るはずである。逆に、中途半端な専門性をもつ素人には、自分の狭隘な主観性によって将棋を素直に観ることが出来ない危険があるともいえるだろう。
単純化すると「観る」というのは客観的な行為、「する」というのは主観的な行為である。人は結局自分の人生を生きなければならない。あくまで生きるというのは自分自身の主観的な行為である。自分でしなければどうしても身につかないということは確かにある。だから「する」(生きる)という行為は尊い。だが、そこに客観的な「観る」行為が欠けるのならば、自分を失ったり自分の狭い価値観に閉じこもることになってしまう。理想の生き方は自分の「する」行為を常に同時に「観る」ことである。時分の身を持って体験しながら、それを常に冷静に俯瞰するもう一人の自分を意識し続けること。
将棋についても同じことがいえる。本当に将棋を深く楽しもうとするならば、「指す」のが良いに決まっている。しかし、「指す」達人というのは、実は常に自分の将棋を「観て」いるものである。自分の勝手な読みだけでなく、相手の指しての可能性も「観て」いる。さらに、深い大局観で指すプロならば、アマチュアがプロ将棋を観て直感的に感じるのと限りなく近い「将棋の美」を「観て」指しているかもしれないのだ。これは私の勝手な妄想だが、本当に強い一流のプロほど、弱いアマが直感的に感じる将棋伸びの感覚に対して、素朴で捉われのない感覚の共有があるのではないだろうか。
将棋では、たとえプロであっても無限の組み合わせがある将棋の指し手を全て具体的に読んで指すのは不可能だ。従って、「大局観」という一種独特な将棋に対する感覚がプロにも必要になってくる。その大局観の大元にあるのは、つまるところその人間の感性そのものである。将棋を「観る」素人と差別のない人としての能力なのだ。ギリギリのところで勝負を分けるのは、その人間の美への感覚だとまで言ったら言い過ぎだろうか。
だから、きわめて深いところでは、将棋のプロも素人も、将棋を「観る」という行為では驚くほど平等だし、専門性のない素人が、指し手を具体的によく理解しているプロよりも、将棋の本質の深いところを見抜くことがあっても全く不思議ではないといえるのかもしれない。

「チャンス」のラストシーンで、いきなりセラーズは、池の上をイエス・キリストのように歩く。もし「観る」ことを完璧に出来るのならば、人間は神に限りなく近づくのである。



名人戦第二局ー羽生名人vs郷田九段

この同世代の二人は実に将棋がかみ合うようである。最後の最後までプロ将棋らしいギリギリの均衡が保たれたまま推移する古典的名局だった。
相矢倉で、竜王戦第五局と途中まで同じ進行を辿った。あの将棋は渡辺竜王がうまく攻めをつないで快勝していた。後手が△4ニ銀とひきつける形は、いかにも守勢になりそうだが、敢えて郷田は採用。そのココロはは△8六歩からの意表を突く先攻。それに対して羽生も玉を中段に繰り出す強気な受けを見せて、双方の構想と主張がぶつかり合う面白い将棋になった。基本的に矢倉の後手番としては、一応主張が通って満足できるわかれだったのではないだろうか。
ところで、竜王戦の時は調べてみたら本局より初日でかなり進んでいた。第一局に続いて郷田の自分に妥協を許さない大長考があり、いかにも「いいくらいのところ」で封じ手に。渡辺竜王も深浦王位も、進めることができるところは進めてしまうという合理的な考え方をするタイプだが、郷田には古武士的なところがあり、不要なと思える事前の局面でとことん考え抜く。そもそも、少し前までの羽生世代同士のタイトル戦はこういう感じが多かったような気がする。最早、こういうおっとりとした戦い方、時間配分がちょっと懐かしく感じられるくらいだ。
二日目に入っても、羽生玉が桂頭に居続けて不安定な状態ながら、形勢自体は難しいという状態が続いた。控え室の検討陣も、矢倉を得意とする面々の棋士が揃っていて色々鋭い指摘をするが、指し手は必ずしも当たらない。例えば、107手目で控え室が
指摘していた▲3二桂成から▲7七角は、いかにも「絶品チーズバーガー」に思えたのだが、感想によると△5一角で難しいとのこと。当然ながら対局者の水面下の読みは深い。
印象的だったのは郷田の△3七歩。これにも控え室がすぐ反応して、▲5八飛でも本譜の▲2八飛でも後手を引いて痛そうである。ところが、結果的にはこれがきいた。△3四銀▲同歩となった時に、後手玉への響きが全然違う。また、最後に詰ましにいくところでも影響が出た。一時的には後手を引くようでも、後できくタイプの手というか、懐の深い手だと思った。但し、郷田自身の感想によれば、この手以降は「負けコース」ということなのだが。
終盤は羽生僅差ながら良しだったようだが、素人には見ていてそのようなことが理解できるはずもなく、二人の迫力たっぷりの寄せ合いを見守るばかりだった。感想戦によると▲7七金のところで、攻めても守っても羽生勝ちになる変化があったとのこと。羽生にしては珍しい終盤のミスなのだが、(羽生ファンとしては言いたくないことだが、)最近はたまに見かけるような気がする。
これをどう解釈すべきか。そもそも。トッププロのタイトル戦でも、羽生に限らず誰もが終盤でミスを犯す。それだけ将棋の終盤は難しい。ただ、羽生の場合、若い時にほとんど終盤ノーミスだったという神話があるので、つい年齢のことを言いたくなる。しかし、本当にそうなのかと思う。羽生も若い時は今と同じ程度のミスはしていたのではないだろうか。でも、当時は羽生のレベルが突出していたので、それでも勝ってしまってそれが目立たなかった。現在は、羽生に引き上げられて、回りの棋士の終盤のレベルも皆恐ろしく高い。ちょっとしたミスが即命取りになる。だから、羽生のミスも、してしまうと目立ってしまう。羽生は、自身の現代的な終盤技術によって幾多のフランケンシュタインンを作り出してしまったフランケンシュタイン博士なのではないだろうか。
とにかく、この羽生と郷田の共犯作業によって紡ぎだされる棋譜はとてつもなく美しい。第三局以降も、現代的ながらちょっぴり古風な形式感も兼ね備えている至高の芸術を堪能しようではないか。

ところで、立会いの加藤一二三先生は、いつもながら見ているだけで楽しい。将棋界の長嶋茂雄である。

名人戦中継サイトの動画より。
大げさな身振りで熱血解説する加藤一二三先生。




笠井友貴さんのブログ「きらきらひかる。」より
団子を食するのを中断して居住まいを正してバッチリ撮影に応じる凛々しい加藤一二三先生。

鈴木宏彦「イメージと読みの将棋観」(日本将棋連盟)



ある局面をトッププロ棋士たちに提示して、その読みの内容を比較検討するという企画。参加しているのは、羽生、谷川、渡辺、佐藤、森内、藤井の六名。将棋世界誌に連載していたものを一冊の本にまとめて刊行したもの。
この本の元祖としては島朗「読みの技法」がある。島研のメンバー、羽生、佐藤、森内が参加していて、かなり高度な内容の本だった。その中で、彼らが座談会で、せいぜい7手先位までイメージするのが精一杯だと共通していっていたのが印象的だった。い
かに、将棋では読むにあたって分岐が多くてきちんと読もうとするのが大変かが分かる。勿論、プロならば勝手に一直線に読むだけならば詰みまで読む事だって容易なことなのだろうが、相手があり指し手の広がりがあると、途端に読むのが大変になるということだ。
さて、本書は、島編よりは、もう少し気楽に楽しめる読み物に仕上がっている。取り上げている局面も、序盤。中盤。終盤、あるいいは、現代将棋のテーマ図、大山升田時代、江戸時代の将棋など幅広い。さらに、具体的局面だけでなく、封じ手や読みについてどう考えるかなどのテーマについても質問していて、各棋士の考え方の違いを知ることが出来る。
昔の将棋の局面について聞いているのが面白い。当然、聞かれるほうは何時の将棋か知らない。従って、過去の名棋士に対して、知らず知らずのうちに、とんでもない毒舌を吐いてしまう羽目になる。
藤井 えー、そんなの論外でしょう。どんなにえらい先生が指した将棋でも、僕の言った手のほうが正しいはずですよ。そんな手はないです。一体誰ですか、指したのは?中原先生?ひえー。

特に、渡辺竜王あたりは、指しているのが誰か分かっても、自分が納得できなければ、堂々と自分の意見を言っているのが面白い。ただ、どの棋士も特に中終盤の過去の偉大な棋士の指し手には感銘を受けるようで、その渡辺も、升田の将棋に感動して,
神田の古本屋まで足を運んで升田の対局集を購入したという。
中でも特に印象的なのは、三代目伊藤宗看(詰将棋で有名な宗看・看寿兄弟の兄の方)が終盤で指した妙手。本当に詰将棋のように作ったような一手で芸術的である。流石に現代のプロ棋士たちも発見できず、実際の指し手を教えられても感心しきりである。まるで谷川の
終盤のようだと、口を揃えているが、その谷川さえ、手を発見できていない。(渡辺だけは驚異的な直観力で指し手を言い当てているが。)
将棋の場合、基本的には、過去より現在のほうがはるかに強い。その辺、囲碁とは性格が異なる。特に序盤の洗練と体系化が凄まじく、過去の棋士がそのまま現代に現れたら、あっという間に作戦負けになってしまうだろう。
また、終盤の技術も基本的には格段に進歩しているが、しかし、過去において本当に強かった人たちが徹底的に読みを入れた指し手については。現代と遜色ない部分もあるようである。藤井も述べている通り、そもそも、宗看、看寿の詰将棋は、現代でも通用するレベルなのであり、そういう人たちが本気で考えたら終盤が弱いはずはない。
過去と現代の将棋の比較という点から、本書について紹介してみたが、他にも、各棋士の、プロならではの読み筋の一致やあるいは食い違い、同じ読みだとしても形勢判断が異なる大局観の個性、現代的な序盤についての各棋士の考え方、封じ手に対して意識的な渡辺と自然体の羽生の違いなど、様々な興味が尽きない。また、別のメンバーで機会があったら、行ってもらいたい企画である。


というわけで、かなり前に買い込んだ将棋本を、やっとこさ片付けることが出来た。全然新刊案内になってなくて申し訳ありません。あくまで、個人的な読書メモです。


ものぐさ将棋観戦日記 4/16(木) ネット最強戦、詰将棋解答選手権、宮田敦史五段、マグロ名人戦

大和証券ネット将棋公式ホームページ

ネット最強戦。序盤の駆け引きと作戦勝ちを目指すせめぎあいが、プロらしくて面白かったが、一瞬の隙を捉えて鈴木八段が一気に優勢に立ってそのまま押し切った。鈴木八段の将棋は、現代風のきちんとした将棋というよりは、豪快な力将棋で、やはり見ていて楽しい。
ちなみに、解説の藤井九段の十八番?の「絶品チーズバーガー」が飛び出していた。これには、渡辺竜王の前振り見た後での反応もあった。恐らく藤井さんも、竜王ブログくらいは読んでいるだろうから、ある程度意識しての行動だったと思われる。とは、一体何の分析か。ちなみに、私は残念ながら「絶品チーズバーガー」に出会ったことがない。ただでさえしつこいハンバーガーにチーズですか。歳とってくると、なおさら無理っす。


今週の週刊将棋に、詰将棋解答選手権の一般の部のレポートがある。初級戦と一般の部の問題とか全て掲載してある。早速、私も初級戦だけはチャレンジしてみましたよ。詰将棋を解くのが遅いことにかけてはかなり自信のある私ですが、一応時間内全問正解。ふっふっふっ、私もダテに将棋ファンを何十年もしているわけじゃないのだ。実際の大会の時間記録はどうかな、私も初級戦に出たら入賞位はできるかなと思ったら、なによ。全問解くのに3分とか。でも、こうして参加したつもりで解いてみるのも楽しいものである。そういえば、一般戦はやろうやろうと思ってまだやってないな。


将棋まるごと90分のゲストは、宮田敦史五段。前期の勝率第一位を引っさげての登場である。将棋界の一番長い日で、盤面に覆いかぶさるように読みに熱中していた姿が印象的だった。今回も、やはり存在感が抜群だった。現代の若者風に自分の姿を意識
するようなところが一切見当たらない。ひたすら目の前の将棋を指し、ひたすら出された詰将棋を解く。トークも、ありのままに飾らず喋っている感じでとても好感が持てた。少しも自分では個性的であろうと努力などしていないのに、そこにいるだけでとびっきり個性的だというタイプである。しかも、どことなくすごく人に好かれる要素がある。名人戦の解説も、朴訥ながらも、きちんと変化を掘り下げて解説していて勉強になった。
ちなみに、気晴らしにゲームセンターに行って「太鼓を叩いている」そうである。


現在の将棋界においては、もう今更多少のことが起ころうが驚きはしないが、これにはあまりのことに言葉を失った。

将棋工房「御蔵」のブログ マグロ名人戦で起こった出来事

最初、この記事で知った。

三軒茶屋 別館 日本将棋連盟が目指す”公益”って何?

杉本昌隆「相振り革命 最先端」(マイコミ)



第一章 現代相振りの基礎知識
第二章 後手三間5五歩・5四銀型
第三章 先手中飛車VB向かい飛車・三間飛車
第四章 後手△3五歩保留三間
第五章 ▲6七銀保留向い飛車
第六章 感覚を磨く次の一手


藤井の相振りシリーズを紹介したが、そもそも相振り本のパイオニア的存在は杉本昌隆七段である。「相振り革命」「新相振り革命」「相振り革命3」に続いて。本書がシリーズ四作目。かつて金無双が主流だった相振りに美濃囲いでの戦いを持ち込み紹介した。それをこの杉本シリーズで学んだというアマチュアファンも多いようである。
本書は、そうした相振りの歴史を踏まえて、現在指されている最新形に絞って解説している。藤井本でも部分的に現れていた形もあるのだが、進化の歴史というよりは、最新形そのものを集中的に書いている。最近は、最新定跡を書いているプロの本も多いが、その相振りバージョンといえるだろう。
後手三間で5筋位取りの指し方(第2章)、やはり後手で3筋の位をとらずに攻撃態勢をコンパクトに築く指し方(第4章)、先手向い飛車で銀を6八銀のまま保留する指し方など。やはり、相振りの歴史を通じて、自分の形を保留する戦形が、ここでも生き残っている。その辺は、やはり藤井本で流れを確認できたところである。
本書の内容自体は、かなり難しい部類だと思う。プロの実戦の最新形を、そのまま解説している場合が多い。杉本さんの旧著や、藤井本で相振りの基本を理解した上で読むべき本といえるかもしれない。また、とにかく即効性で現在役に立つ戦形のみ知りたい人にもおすすめだろう。
なお、第3章では、先手中飛車の時、後手が相振りにしてきた場合に、先手がどう指すかを解説している。先手中飛車で、初手▲5六歩とするアマチュアにとって、相振りは決して避けることの出来ない道である。先手中飛車党にとって、特にこの章は貴重だと思う。但し、指し方自体は決して簡単ではない。やはり、ここでもプロの最新形を叙述しており、いかに互角に戦えるかを学ぶという感じである。
ちなみに、第一章では、きわめて簡潔に、相振りの現在に至る歴史を概説している。
杉本七段らしく、誠実に研究成果をそのままきちんと本にまとめているという印象。プロの相振りを鑑賞する為にも役立つかもしれない。
杉本七段のコラムも随所に交えられているが、あるファンの方が、杉本さんの相振りの本を全て読んでいます、図書館で借りて、と堂々と言い放ったという話は笑える。杉本さんも、反応に困ったとのこと。やっぱり、なんといっても買ってあげないとね。そういうのをギャグにしてしまうのは、やはり杉本さんも西の人ということなのかなと思った。

名人戦第一局 羽生名人vs郷田九段

名人戦棋譜速報

相矢倉らしい熱戦になった。すごく将棋がかみ合っているという印象である。ここのところ、羽生さんは、渡辺竜王とか深浦王位とか、将棋が一方的になりがちだったり、将棋観に異質なものがある人たちとのタイトル戦が続いた。それはそれで、とてもスリリングで面白かった。久々に羽生世代同士、なおかつ正統派のまっすぐな将棋を指す郷田さんを迎えて、会話が成り立っているという感じか。羽生さんの場合、相手に合わせて自分の姿を変幻自在に変えるようなところがあり、郷田さん好みの一直線の斬りあいにも付き合うこともあれば、そこに曲線的に柔軟性を付加することも出来る。但し、本局の前半部分は、二人が三十代に入ったならではの成熟を感じさせる、じっくりしたせめぎあいだった。去年の羽生vs森内戦と似たものを感じる。
本局は、郷田さんのはっきりした敗着がよく分からない。こうすればより良かったのではないかというポイントはいくつかあるのだが、はっきりした悪手というわけではない。羽生さんの方も同じである。やはり、二人とも筋をはずさない能力がきわめて高く、なお読みの感覚も基本的に共通なので、こういう将棋が出来上がるのだろう。渡辺竜王がブログで書かれていたが、やはり羽生世代の先崎さんとの会話で、世代間ギャップを感じたというのも、素人なりになんとなく肯く事が出来る。
本局全体を通じて、本当に最後の最後まで、梅田望夫さんの言われるところの「均衡の美」が続いた将棋といえるだろう。内容の濃密で、高度な二人の会話を、今シリーズを通じて楽しむことが出来そうである。
郷田さんの大長考について、Beaverさんが、このようなコメントをくださった。その通りだと思う。
第1局から記録的な大長考が出ましたが、おそらく△35同歩〜△53銀が郷田九段的には最善手とは思えないのでしょう。(50点の手?)何かリードする手があるはずという確信が長考につながっているように思います。2年ぶりの名人戦、久し振りの羽生さん
とのタイトル戦が考えるのが楽しくてしかたないだけかもしれません。
最後のところで、郷田さんが、もし香車を手順にもう一枚手に入れていれば、羽生玉が詰んでいたかもしれないという場面があった。ネット中継でも大盛り上がりだったし、プロの言いなりの弱い私も一緒になって痺れていた(苦笑)。でも、その後ソフトで調べてみたら、仮に香車がもう一枚あっても、羽生玉は詰まないようである。単に、逃げ間違えると詰む筋が生じるだけのようだ。あの時は、控え室にはかなり強いプロが揃っていたと思うのだが、流石にすぐに全てを読みきる者はいなかったようだ。仮に、将棋ソフトが人間のようにあの場にいたら、こう冷たく言い放ったことだろう。「詰みませんよ。」で、ジ・エンド。いやはや。

東公平さんの件については、某動画サイトにアップされたために、大変な騒ぎになったようだ。私もBSの映像を見たが、やはり問題があったのは確かだし、朝日新聞社の取った措置も基本的には正しいと思う。でも、将棋界で、こういうことをちゃんと書いてくれている人がいて、すごくホッとした。

お仕事ブログ 私的名人戦第1局

ものぐさ将棋観戦日記 4/9(木)−名人戦開幕、アンケートばやり、将棋世界、(おまけ)豊川語録

名人戦棋譜速報

桜の季節に名人戦開幕。今年はいやに桜が美しいような気がしたり、去年の名人戦からもう一年も経ったのか、早いものだと感慨を覚えたりするのは、単に私が着実に歳をとってきているせいなのだろう。
将棋世界に、郷田挑戦者のインタビューが掲載されている。去年の森内さん同様、小学生の時にどこかの大会で戦っていた羽生とこうして名人戦であいまみえることには、やはり感慨のようなものがあるようだ。その一方で、同じ世代の人間なので、他世代と戦うのとは違って、余計なことを考えずに勝負に集中できるとも。現在の気持ちがかっこよすぎる。
(名人に)なるもよし、ならぬもよし。

よしっ、どっかで真似して使ってみよう。でも、私が言うとギャグになってしまいそうだ。
週刊将棋にも、二人のインタビューがあるのだが、郷田さんのこの発言もちょっとすごい。
例えば、私の場合100点の将棋、100点の手を指すこともあるが、逆に10点、20点のこともある。羽生さんの将棋は100点は多くなくても、悪くても50点、常に平均点が高いイメージ。

正直に思うところを述べただけなのだろうが、羽生さんはこれを聞いたらどう思うのだろう。オレは平均50点以上の将棋か、というようなことは我々俗人と違って羽生さんは思わないだろうが。郷田九段は、とてもおおらかなのだが、その一方結構図らずも相手に対して思い切ったことを言ってしまうようなところがある。無論一切悪気などはないのだろうが、例えばそういう点では繊細きわまりない森内九段とは対照的なところがあり、一昨年の名人戦はそういうところも面白かった。
片上五段の分析もあり、矢倉の先手で郷田が羽生に勝ったことがないという驚愕のデータや、対局地で成績、昼のおやつでの勝率など、ものすごくマニアックな分析も披露している。かなり指さない将棋ファンも意識しての発言、というよりはそういう人たちの影響も受けているのだろうか。
初日は、郷田九段の大長考がでた。雰囲気は、じっくりした格調の高い感じ。羽生世代の戦いである。但し、二日目はこの二人らしい壮絶な斬り合いになるのだろうか。それとも、意外にねちっこい超手数の将棋になるのだろうか。


以前紹介したアンケートの結果が出た。

将棋ペンクラブログ 「あなたは将棋では何党ですか?」アンケートの最終結果

やはり、将棋を見るファン(指さない将棋ファン)の多さが印象的である。この記事の中でも分析されているように、ネットを利用する将棋ファンの中では、こういう人たちの占める割合が高いということで、実際の将棋ファン全体でもそう言えるかどうかは慎重に判断しないといけないだろう。しかしながら、プロ将棋を観て楽しむファンが、プロ野球やサッカー同様に増えてきていることは、多分間違いないのではないだろうか。実際に将棋をある程度指しこなすというのはファンとして敷居が高いが、単にいきなり将棋を観て楽しむというのは誰にでも可能だ。そういう人たちをひきつける努力が今後は必要になってくるのだろう。一方で、やはり将棋は専門性の高さゆえの魅力があるのも間違いなく、そのバランスを取るのが難しいのだろうが。
今回のアンケートの本来の趣旨は、居飛車党か振り飛車党かということで、「将棋を見るファン」の一つの選択肢だった。でも、多分その中には、将棋も指すけれども見て楽しむことが多いという人もいれば、将棋はルールしか分からないが、それでも見ているだけで楽しいという人もいるだろう。その割合がどのくらいなのかにも興味がある。普通のサラリーマン(ウーマン)は大抵多忙で、なかなかゆっくり将棋を指す時間など取れないので、息抜きにネットでプロの将棋をのぞくという人も多いだろう。一口に「将棋を見るファン」といっても、様々のはずである。
最近はアンケートばやりで、詰将棋解答選手権 速報ブログでも、チャンピオン戦速報について、ブログの仕掛け人で熱血中継もされていたkeyさんが行われている。アンケートの選択肢が面白いので、ここにもはってしまおう。「こんなんありえへん」というのがおかしくて、これに投票するのを我慢するのが大変でした(笑)。

というわけで、今は誰でもアンケートを手軽に出来るようなので、私も何かやってみたいと思っています。


将棋世界5月号。先述の郷田九段の名人戦挑戦インタビュー以外に、渡辺明物語の後編で、二人とも後手一手損角換わりについて興味深いことを述べていた。
郷田 一手損角換わりは棋理に合わない戦法だと思っていますし、僕の感性に合わない部分が多いです。最近はなんというか、「勝つために指している」という現実的なにおいがするので、将棋のロマンからかけ離れた戦法と思っています。だから僕はできないし指したいとも思わない。
渡辺 後手番一手損角換わりも、神様の目から見たらありえない戦法。

二人とも、指せばそれなりに勝負になるけれども、本来の棋理から考えると、正しい作戦とはいえないと考えているようである。例えば、羽生さんや佐藤さんたちのように、実際に指しているトッププロはどのように考えているのだろうか。彼らは単に「勝つために」一戦形を選ぶ人たちでないことは間違いないので、一手損選択にあたっても、必ずきちんとした理論的裏づけがあるはずだ。そういうところを、肯定派と否定派で議論させてみたら面白いのではないだろうか。
ブロでもなければとても歯の立たない問題なのだが、雑談を少しだけ。一手損が棋理に合わないというのは、基本的に、やはり将棋は一手指す価値が必ずあるだから、最初から後手が自分から手をさらに一手遅らせるのは確実に損になるはずだという合理
的な考え方だろう。
一方、後手一手損角換わりの具体的根拠として言われるのは、自分から角交換することで飛車先を保留して桂を跳ねる余地を作る、通常角換わりと違って飛車先を突くのを保留できるということである。現代将棋の特徴である、後回しに出来る手は後に回す、形をなるべく決めないでおくという考え方である。さらに、それを極端なところまで飛躍させてしまうと、将棋というのは、果たして先に一手指した方が価値のある手をさせるのかという根本的な疑問に行き着く。何か先に指して形を決めると、それに相手に的確に対応する権利を与えるので、実は先に手を指さない方がよいのではないかと。つまり、将棋において自明中の自明とされる「先に指した一手に価値がある」という一見合理的で揺るぎようのなさそうな考え方が本当なのだろかということだ。現在の人間の将棋のレベルでは分からないが、将棋の神様レベルまで行くと、それこそ飛車先を保留するどころか、金銀を動かして囲いの形を決める事だって、実はできるだけ保留したほうがいいのではないか。
勿論、今書いたのは妄想の類である。しかし、現代将棋を観ていると、ちょっとそんなことも考えたくなってしまうのである。



(おまけ)豊川語録

将棋まるごと90分のゲストは豊川七段。もう、面白すぎて困りました。こんなところをピックアップして申し訳ないが、豊川節の真骨頂を。これぞオヤジギャグ。
最近は筋トレ、一切してないです。子供ダッコするくらいで。
ーお忙しいでしょうし。

そうですね、やっぱカミサンとの対戦もありますし。

ものぐさ将棋観戦日記 4/6(月)−ネット最強戦、愛穴熊講座、梅田望夫さんの「シリコンバレーから将棋を観る」

大和證券杯ネット将棋公式ホームページ

羽生名人が、いきなり登場。山崎七段との好カードである。羽生先手で、やや意表のノーマル三間飛車から石田流に。飛車交換になって、屋敷解説者のニュアンスでは、難しそうだがやや居飛車ペースかという分かれになった。
それにしても、羽生さんの▲7三歩にはビックリしたなあ。自陣にもと金が迫ってきているのに、あそこでと金作りを目指して間にあわそうというのは。しかし、羽生さんの場合、こういう到底間にあいそうにもない手を結局は間に合わせてしまう技術とマジックに定評があるので、山崎七段も、指された時はさぞ驚いただろうし、羽生さんなのでちょっとイヤな気もしたのではないだろうか。でも、山崎さんは少しもひるむことなく、直線的な攻め合いに持ち込み、(感想戦でのご自身の指摘によると)、その後羽生さんにも疑問手がでで、最後ははっきり山崎勝ちになった。一時期の勢いがない(ごめんなさい)山崎七段だが、やはり瞬発力とか潜在能力で非凡なところをみせた一局だった。
それにしても、羽生さんは、ネット対局と相性が悪い。去年は時間切れで渡辺竜王に敗れてしまい、今回の感想戦でも、最後まできちんとさせたのは良かったという言葉があった。無論、それが敗戦の原因になったとは言わない。だが、少し強引に言うと、羽生さんの場合、実際に将棋盤の前に座り、相手と対座して指すという形式が、将棋を指す上ですごく大切なタイプなのではないだろうか。将棋盤で指そうが、、ネットで指そうが、あんまり変わらないよ、という人もいるだろう。しかし、羽生さんの場合、盤の前に座って、基本的には盤上の真理の追求に没頭しながらも、同時に対戦相手の様子や対局場の雰囲気といったものを、全て敏感に感じ取りながら指すタイプのような気がする。将棋は、単にゲームだからネットで指してもおんなじさ、という考え方はしないような気がするのだが、どうだろうか。
と言った瞬間、谷川先生とのネット対局がとんでもない名局だったことを思い出してしまった。あんまり、私のいうことは当てにならない。でも、名局ながら、あれも、やはり谷川勝ちでしたけどね。
羽生さんは、最近、良く大山先生について、手を読まないで相手を見て指していた、そういう大局観指しでも間違いなく手が急所に行っていた、と述べているが、羽生さんも大山先生と共通するところがあるのかもしれない。勿論、基本的なタイプとしては正反対なのだけれども。


囲碁将棋チャンネル

囲碁将棋チャンネルで、銀河戦の後の時間帯で、「広瀬章人の「ボクの愛穴熊」」という講座が四月から始まった。「相」じゃなくて「愛」かよ、というさまーず三村のようなストレートすぎるお決まりのツッコミはともかくとして、とても楽しみな講座である。現在、相穴熊で、振り飛車を持って勝ちまくっているのは、何しろ広瀬五段一人しかいないのだ。振り穴のスペシャリストにして、現役ナンバーワン棋士の講座なので、要注目である。最初の二回を見たが、三間飛車相穴熊がなぜ減ったのかについて、序盤の解説をしていて勉強になった。その二回分については、今週の金曜昼の12時半から再放送があるので、見逃された方で興味のある方はどうぞ。


梅田望夫さんが、将棋についての新刊を出されるそうである。タイトルは「シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代」。我々将棋ファンには、棋聖戦や竜王戦のリアルタイムネット観戦記が記憶に新しいが、それに加えて大部分を書き下ろしされたとのこと。いわゆる将棋ファン以外にも、将棋の魅力を伝えたいと意図で書かれたそうで、これを機会にまた将棋ファンが増えて将棋界が盛り上がるきっかけになって欲しいものである。
無論、我々将棋ファンにとっては、なおさら楽しみである。具体的内容については、遠山四段が紹介していたこのページの概要に詳しい。現代将棋で起こっていることが一般社会の未来を先駆けしていることについての考察、梅田さんが個人的に深く付き合っている、羽生、渡辺、佐藤、深浦といった一流棋士についてのエピソード、そして羽生さんとの50ページに及ぶ対談等。羽生さんのインタビューは数多いが、梅田さんがどういう切り口で羽生さんから新たな話を聞きだしているのだろうか。
amazonでの予約も、既に受付を開始したようである。
梅田さんはtwitterもされていて、やはり有名人なので多数のfollower(読者)を抱えているのだが、そういう人たちをまるで無視するかのように(笑)、将棋のことばかり呟かれている。梅田さんの将棋への熱中ぶりは驚くばかりで、「午前3(4)時に起きて順位戦を観戦中」という類の呟きを、followerの一人として、私自身、何度も目撃した。氏のこの言葉は、恐らく本心なのだろう。
「私が本当に書きたかったのは、この本でした」――梅田望夫



藤井猛「相振り飛車を指しこなす本 4」(浅川書房)



(第三巻第五章 △3三角戦法(基礎編))
第一章 △3三角戦法(中級編)
第二章 △3三角戦法(上級編)
第三章 △3三角戦法の考え方
第四章 作戦選択と駆け引き

シリーズの完結編。中心に扱っているのは△3三角戦法。と言っても、居飛車相手の四手目△3三角でなく、先手が三手目に▲6六歩と角道を止めた場合に、自分はは道を開けたまま後手で相振り飛車にする作戦である。
第三巻で基礎編を説明していて、後手の立場に立って早めに2筋の飛車先の歩を突いて、\莠蠅料蠖兇蠅鮓制角道を開けたまま駒組みする自分の左銀の動きを保留して自由に動かす、という積極的な指し方である。相手が受け方を間違えると、一気に攻め込んで優位に立つことが出来て、破壊力がある。
この第四巻では、先手の対応を含めて本格的に説明している。先手が矢倉に組んで、相手の飛車先交換を拒否した場合に、後手にどういう攻め筋があり、それに先手がどう対応するか。さらに、そもそも先手が矢倉に組むと分かっているなら、後手も飛車先を一つ突くだけにして保留してみてはどうか。さらに、現代矢倉のように飛車不突きでさらに作戦に含みをもたせてみてはどうか、という形で作戦が「進化」していく。本シリーズを通じて一貫しているように、「なるべく形を決めない」という現代将棋の思想にのっとって作戦が進化洗練していく様子を、この巻でも説明している。
ただ、「上級編」は、名前の通りに高度な内容になっている。ここまで実戦で指しこなすことが出来れば、本当に上級者だろうが、あまりこだわらずに相振りの考え方の講義として気楽に読み進めたほうが良いかもしれない、
さらに、第三章では、さらに緻密な相振りの考え方を説明している。序盤のちょっとした手順が、いかにすぐに損得に結びつくか、プロレベルの序盤の解説である。やはり、内容は高度だが、プロの考え方に興味のある方にとっては、たまらない内容といえるかもしれない。
第四章では、本シリーズを通じて説明できなかった。様々な相振りの形について、藤井の実戦をもとに解説している。現在流行の初手△5六歩中飛車に対する、後手の相振り策など。
相振りというのは、。本当に様々な形があって、広大な原野のような世界である。体系化が難しいのだが、藤井はこのシリーズ四巻を通じて、そこに鮮やかな鳥瞰図を提出することに成功しているといえるだろう。
また、その体系化にあたって、現代将棋の思想が背景にあり、それを自然に学べるのも、このシリーズの魅力的な特徴である。大変なボリュームだが、藤井猛の相振り飛車抗議を受講するつもりで読めば、知的満足と実際の棋力アップに役立つシリーズといえそうである。



但し、私の場合は、ひと月がかりで全四巻を読み終えるうちに、もう第一巻の内容をあらかた忘れてしまっているのが、重大な問題だ・・。

ものぐさ将棋観戦日記 4/2(木)ー棋王戦、将棋大賞、LPSA初のツアープロ、将棋何党アンケート、後手勝率

最近、月、木と決めて、将棋日記を書いているのだが、主要な話題はプロ棋士も一般将棋ブログもすかさず即時に取り上げているので、あんまり意味なくなっている感も。まあ。個人的な日記だからいいっか。


棋王戦中継サイト

棋王戦。久保さんが五度目の正直で念願の初タイトルを獲得した。考えてみれば、これだけ挑戦できるというのが即実力の証明なのだから、もとしもと当然タイトルを取る資格があったということなのだろう。関西のタイトルも振り飛車党のタイトルも久しぶり。特に藤井さん以来、振り飛車等のタイトルホルダーがいなかったというのには、ちょっと驚いた。将棋は居飛車か振り飛車かというのは、先手必勝か後手必勝かというくらい、重大なテーマだと思うのだけれど、最近若手に力戦振り飛車党が増えているのが、例えば十年後、居飛車と振り飛車等がどういう力関係になっているのかも、興味深い。
竜王ブログによると、B1にタイトルホルダーが三人というのが実は初めてでなく、それどころかB2にタイトルホルダーが三人という時代もあったそうである。しかし、あれは旧来の将棋に対して、羽生世代の少し前の島世代あたりが将棋革命を起こしていたということもあって、現在とは比較にならない。現在トップが、本当に実力や将棋観で申し分のない羽生世代の時代にあって、その状況が揺らぎかけているかのかもしれないという意味が大きいと思う。
はっきりイって、羽生世代だって、もうそんなに若くはない。彼らの若き日は、とにかく終盤になると絶対に間違えない、相手はノーチャンスという状態だった。しかし、最近は、羽生さんにしても佐藤さんにしても、相変わらず終盤が途轍も強いことは変わらないないにしても、完全にノーミスではない。彼ら自身の年齢との戦い、そして彼らの将棋を学んで終盤がとてつもなく強くなってしまった後続世代との戦いという二重の要素によって、これからも羽生世代にとっては厳しい状況が続いていくのかもしれない。でも、正直な気持ちを言うと、私が最も人間的にも将棋の内容でも好きなのは、相変わらず羽生世代なのだが。
大盤解説会を実際に見に行かれた方によると、佐藤さんは落胆の様子が激しく、▲9四桂が自分で許せず、何度も操作係に指すのをやめさせたそうである。実に佐藤さんらしいと思う。
私は羽生ファンなので、やはり佐藤さんが一番の脅威であり続けていたわけで、いつ爆発して羽生さんを追い抜いてしまうのだろうかという存在だったのだが、こうなると、やはり一つくらいはタイトルを持っていていただきたいと思う。森内さんも谷川さんについても同じことがいえる。彼らと一緒に私も年をとり続けているということである。


将棋:将棋大賞決まる 羽生名人が2年連続最優秀棋士賞  毎日jp

将棋大賞。年間トータルで考えれば、羽生さんの大賞は文句ないだろう。渡辺竜王は、ブログによるとご自身の成績に不満なようだが、あの伝説(ともう言ってしまってもいいだろう)の竜王戦いを見せてくれただけでも、十分優秀賞の価値はあると思う。
升田幸三賞は、久保さんの石田流▲7五飛。でも、あれ、あの後実戦で現れています(笑)?△8五飛と違って、誰も彼も指すというわけにはいかない。特に居飛車等は指せない、当たり前だ。でも、勿論ただ一人指すとしても、価値のある鮮やかな新手だったと思う。



LPSA公認ツアー女子プロ誕生のお知らせ

LPSAの新制度、公認ツアー女子プロの第一号が誕生した。渡部 愛(わたなべ まな)さん、15歳。今回は、女子プロ育成の中井塾の中から試験に受かった彼女が選ばれたが、今後また、一般公募があるとのこと。
勿論、彼女には今後どんどん実力をつけて、本物の女子プロ、女流棋士になっていただきたい。しかし、他にもツアープロという立場で末永く将棋と自分の生活を両立させる、あるいはまだまだ若いので、今後また新たな生き方を見つけられることだって、場合によってはあってもいいだろう。多くの将棋の才能をもつ女性が、女性という生き方と将棋をうまく両立させる受け皿になるといいなと思う。


将棋ペンクラブログ あなたは将棋では何党ですか?[アンケート]

将棋ペンクラブログさんが、面白いアンケートをされている。

あなたは将棋では何党ですか?
居飛車党
振飛車党
両方指す
ぢちらにも属さない力戦派
将棋を見るファン

アマチュアでは、振り飛車党が多いとされるが本当なのか。あるいは、最近よく言われる「見る将棋ファン」「指さない将棋ファン」は、実際どれくらいるのだろうか。とても、興味深い。私自身は、振り飛車党かつ将棋を見るファンなのだが、最近はもうボナンザとしか指していないので、後者にしてみた。現時点では、なんと「将棋を見るファン」が第一位。なんだか、無党派層が第一位の政党支持調査みたいである。しばらく、投票を続けられるそうなので、皆さんも参加されてみたらいかがでしょうか。


将棋の先手、有利じゃない? 初めて勝率5割切る asahi.com

先手の勝率がはじめて五割を割った。この話題については、プロ棋士、一般ブログとも興味感心が高く、色々な分析がなされている。基本的に後手番での作戦の幅が広がったということである。kuroumaのブログさんの、この指摘が勉強になった。
定跡が確立された近代兵器による戦争ではなく,ジャングルのなかのゲリラ戦に持ち込むこと,それが戦力で劣る(1手後に指さなくてはならない不利がある)後手の戦いの思想であり,今年度はそれがある程度の成果を挙げたといえるのではないか。

しかし,先手がこのまま5割を切る事態が続くとは思えない。未開のジャングルであった新戦法や新手法も徐々に切り開かれ(定跡化が進行して)ていき,再び先手の勝率が上がっていくと思う。それでまた後手が新しい戦い方を考え出していき・・・という循環を経て将棋はより深いレベルに達していくと予想する。
何も具体的に付け加えて言うことはないのだが、少し与太話を。
将棋の神様同士が戦ったら、結果先手と後手のどちらが勝つのかというのは、永遠のテーマだ。まあ、無意味なテーマだ。今までのプロ将棋の実績では、一応基本的には、やはり一手先に指す先手が主導権を握りやすくて、ほんのわずかながら有利なのではないかということだった。人間の実力レベルでは、少しの有利でも将棋の神レベルならば、その先手の有利を絶対的なものに拡大してしまうだろうと。
しかし、最近の将棋を見ていると、本当に将棋というのは一手指すのがいいのかが疑われつつある。飛車先を保留するなど、「自分の形をなるべく決めない」というのが、重要な思想になりつつある。だから、先に何か指さなければならない先手は、形を決めなければいけないので不利という考え方も出来る。極論すると、将棋の場合、何か余計なことを指した方が不利になるという可能性だってないわけじゃない。
だから、将棋の神様同士が対局したらこういうことになるかもしれないのだ。
「どうぞ、お先に。」
「いえいえ、あなたこそ、どうぞお先に。」
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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