2010年11月

書評 梅田望夫「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」――現代将棋と進化の物語



まず、刺激的なタイトルについて説明する必要があるだろう。この問いは梅田望夫が発したものではいし、この本に登場するプロ棋士たちによるものでないし、恐らく将棋関係者や詳しい将棋ファンがするような類の質問でもない。
「はじめに」に書かれているように、将棋の「インサイダー」とそれに近い人たちは羽生善治だけが突出して強いわけではなく、羽生と本当に首の皮一枚の差でしのぎを削るプロ棋士が多数存在することを認識している。「羽生さんだけが強い」などというのは素人の考え方に過ぎない、と。
この質問は、将棋の世界の「アウトサイダー」が将棋の世界をみて素朴に発する問いである。しかし、何も偏見のないまっさらな目の方が鋭い質問をすることもある。現に、実力差がほとんどない世界で羽生だけが今のところ圧倒的な結果を残し続けている。その理由は何かと問われたら、「インサイダー」もきちんと説明できずに口ごもってしまうのではないだろうか。
梅田の立ち位置は独特だ。現在かなり深く将棋の世界に関わっていて「インサイダー」的な側面も大きいが、基本的には「アウトサイダー」である。そして、梅田は将棋の世界との関わりながら、将棋をマニアだけのものでなく、一般の人間が楽しめるものにしようと努力を続けている。とすれば、「アウトサイダー」の立場からの究極の問いに、―もしかすると無謀かもしれないが―立ち向かうのが、一般の人間に対してなすべきことではないかと考えることになる。
同時に、梅田本人が「インサイダー」かつ「アウトサイダー」という境界線上に位置する以上、本人も一ファンとして楽しみながらこの問いにぶつかれる筈だ。梅田の本にもし意味があるとしたら、それは「インサイダー」によマニア向け将棋本ではなく、「アウトサイダー」的な素朴ながらも新鮮な視点を失わない本だという一点に尽きるのではないだろうか。
だから恐らく、本のタイトルが敢えてこういう挑発的なものなのだ。あくまで、将棋ファンだけでなく、全ての人間に将棋の世界の魅力を開放して解き放つために。

1、現代将棋の世界と一般の世界

梅田は、現代将棋の進化の過程で起こっていることが、ウェブなど一般の世界の出来事と通底することを常々指摘し続けてきた。この本でも、そうした観点から読み解くことが可能なテーマが扱われている。
一番分かりやすい例は、現代将棋における猛烈な「研究合戦」についてだろう。若手が努力した研究成果をトップ棋士が取り入れて将棋に生かしている現状について、深浦康市が「素材」と「調理」という秀逸な比喩で説明している。それを、インターネットのオープンソース・ソフトウェアを使って企業が収益をあげている問題と関連させて論じている。
それ以外にも、一般の世界と通ずるテーマが隠されている筈だ。私が気づいた例を一つ挙げてみる。膨大な広い内容をカバーする必要がある研究合戦を通じて、研究に通じているとされる有力な若手研究家の意見が権威主義的に盲目的に信仰され、定跡に疑いをもたれなくなり、実戦でその穴が発見されるということがあるという弊害が本書で指摘されている。研究が膨大すぎるために生じることである。これは、我々が日常身を晒している情報社会についても同じことが言えそうだ。あまりにも消化しなければいけない情報量が多すぎるために、自分の力で情報を吟味して確認する作業を怠り、特定の権威者の発言に頼って盲目的に信じてしまいがちではないだろうかか。
これは一例にすぎず、各人が自分の世界と関連するテーマを発見することが可能なはずだ。

2、将棋の言語の一般の言語への翻訳

プロ棋士の思考は、あくまで将棋に即して符号・記号を通じて行われる。それをそのままでは一般の人間は勿論のこと、ほとんと゛の将棋ファンにも理解不能だ。従って、それを理解させるためには、それを日常の言語に翻訳する必要がある。
この本では、五人のプロ棋士がインタビューを受けているが、全員がそれぞれ見事な翻訳作業を行ってくれている。
先述した、深浦の卓抜した比喩もその一例である。行方尚志もその「研究」について専門的な話がらも一般の出来事に通じそうな鮮やかな言語化を行っている。
勿論、将棋ファンが興味のある、もっと具体的な話についてはなおさらである。例えば、行方が羽生の指した▲5三歩という手に加えている説明はプロ棋士ならではの見事なものだ。
しかし、翻訳による言語化といえば、やはり羽生が際立つ。この本では、各章にインタビュー棋士以外に対局者本人の羽生の言葉がでてくるのだが、その明晰な論理と表現の分かりやすさには唖然とするばかりだ。急戦矢倉の現状、現代的な大局観、角換わりの現状といった概括的な話から、具体的な指し手の話に至るまで、全てがそのまま美しい言語表現になっている。少し先走りすると、もしタイトルの「なぜ羽生さんだけが」の理由を挙げるとしたら、私は羽生の言語化能力を真っ先に言うだろう。

3、棋士という不思議で魅力的な生き物

羽生がタイトル名になっているが、強さだけでなく人間的でも羽生にまさるとも劣らないタレントがプロ将棋の世界にはいくらでもいる。今回、タイトル戦に登場したためにたまたま取り上げられた、木村一基、山崎隆之、三浦弘行、深浦康市、全員が例外なく魅力的な「濃いキャラ」なのである。
本書で、その人間的な魅力を引き出すことに成功しているのはななんといっても山崎だろう。一切説明する必要がない楽しいインタビューなので、具体的な説明は省くが、将棋を知らない人が読んでも、恐らくなんて面白くて魅力的な奴なんだろうと思わずにはいられないのではないだろうか。
それと、羽生が将棋の内容を語る過程で、突然垣間見せる「狂気」の瞬間も、なんとも印象的である。
梅田の書いたりまとめたりしている文章の特徴は「棋士の人間」をよく描き出していることだ。それも、やはり梅田が常に「アウトサイダー」的な視点を失わずに、常に新鮮な姿勢でプロ棋士と向き合っているからではないだろうか。そして、「アウトサイダー」として、梅田はプロ棋士のことが好きで仕方がないのだ。分かりやすく言うと、思いきりミーハーなファン目線なのである。勿論、これは最大限の賛辞のつもりだ。

4、対局当時と時間を置いての感想

一般的な話題から書いてきたが、実はこの本の最大の特徴は、いわゆる将棋ファンが十分楽しんで読める内容になっているということだ。各章が梅田によるリアルタイム観戦記とそれに関連するインタビューを対にするという形式をとっている。そのため、インタビュー部分では、将棋の具体的内容により踏み込むことが可能になっている。
具体的には、棋聖戦での羽生の△8四飛について本人の後で振り返っての述懐、山崎の対局途中での読みと心理の詳細、名人戦での羽生の▲5三桂成について後日の研究で明らかにされた手順、同じく澤田新手をめぐる舞台裏の話、深浦の△3三桂についての、やはり後日発見された決め手の手順など。
これだけあげれば将棋ファンには分かっていただけるだろうが、純粋な将棋書としても大変充実した内容になっているのだ。
つい、対局が終わるとすべてを忘れてしまいがちだが、こうして時間を置いて振り返ることで、その将棋の内容をより明晰な分析することが可能になっている。

さて、冒頭のテーマの話を再び論じて終わりにしよう。
梅田は、最後にタイトルの問いに自分なりの解答を提出している。それは、いかにも梅田らしい徹底したものだ。しかし、それを必ずしも読者は無条件に受け入れる必要などない。各自が、その問いに答えようとすればよいのだ。梅田も、自分の考えが受け入れられることなどよりも、本書を通読してこのテーマに興味をもって色々考えはじめることを望んでいるのではないだろうか。
例えば、私ならこう言ってみよう、羽生の強さの理由は、羽生が究極のインサイダーでありながら、常にアウトサイダー的な新鮮な視点を失わずにいられるからだ、と。
さらに、読者の興味関心が羽生だけに限定される必要など全くない。梅田は「はじめに」でも「あとがき」でもはっきりこういっている。最終的には、誰もが将棋の「全体」を愛するようになって欲しいと。
結論は分かりやすい。タイトル名は梅田望夫による巨大な「釣り」である。梅田が望むのは、将棋界最大のビッグネームの羽生を入り口として、誰もが他の色々な棋士にも興味を持ち、羽生のことにもますます興味がわき、結局将棋の世界全体を愛することである。タイトル名は、そのために梅田が自分の身を危険に晒してまでも巧妙に張り巡らせたワナだったのである。そして、読者がそうなるように本書は書かれているのだ。
最近ツイッターで、将棋を観戦することに専念して楽しむ「観る将棋ファン」が増えている。彼らを観察していると、まさに梅田が言うような成長の過程をたどっている。
入り口は大抵羽生だ。しかし、羽生の将棋を見ているうちに、他にも魅力的な棋士がたくさんいることに気づく。猛烈な勢いで詳しくなり、それぞれが各自の贔屓を持ちつつ、結局将棋の世界全体が好きになっていく。
本書で将棋の興味を持った読者が、そういうプロセスをたどることを梅田は切望しているはずである。
そして、将棋の世界全体が好きになったならば、今度は各自が自分の好きな問いを始めればよいのだ。別にそれは、「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」などである必要など全くない。「どうして渡辺明さんだけが、そんなに強いんですか?」でも、「どうして里見香奈さんだけが、そんなに強いんですか?」でもいいだろう。
いや、別に将棋に限らなくてもよい。「どうしてマイルス・デイヴィスだけが、ジャズで特権的な位置を占めて来たんですか?」でも、「どうしてロッテだけが、そんなに日本シリーズで強いんですか?」でもいいし、「どうして鈴木京香さんだけが、そんなに美しいんですか?」でも。
なんだってよいのだ。そういう自由をこの書物は望んでいる。

2手目△8四歩問題ー2010竜王戦第四局 渡辺竜王vs羽生名人

梅田望夫の新刊「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」の中で羽生善治は一手損でない通常の角換わりの将棋の現状にについて次のように俯瞰的に述べている。
角換わり同型の研究は水面下で続いています。ただ、どの研究も「ああこの変化も後手ダメだったか」という発見が続くばかりなんです。研究が進んでいるといえば進んでいるんですけれど、後手の「ダメの上塗り」なんで。
(中略)
島さんの『角換わり腰掛け銀研究』の中で、腰掛け銀の後手番の、色々なマイナーなラインのすべてが書かれていましたよね。(中略)そういう後手の試みがことごとく全部ダメだってことがはっきりして、やっぱり角換わりの後手で戦えるのは同型だけだね、っていうことになったんですけど、いよいよ同型も旗色が悪くなってきた。それが、2手目△8四歩をめぐる進化の状況だと思います。
なるべく引用が長くなりすぎないように、これでも必要な部分にまで削ったつもりである。この章で羽生や深浦康市が語っている内容はコアな将棋ファンにとっても大変興味深いはずだ。一方で、羽生が将棋の内容を語る途中で豹変して、その「狂気」の一端を垣間見せる瞬間・・。いや、ここはこの本の書評をする場ではなかった。
さて、第四局はその角換わり腰掛け銀になった。戦前から渡辺明が後手番の際に大変注目されていた形だ。一昨年の渡辺の後手番では急戦矢倉が奏功して竜王防衛のポイントになった。今回、渡辺は角換わりで竜王戦のためだけに何かあたためているのではないか、様々な憶測を呼んでいたところである。
竜王戦の最中の王将リーグでこの二人は対戦し、やはり角換わり腰掛け銀同型になった。
後手番で角換わり腰掛け銀・先後同型。▲4四角成(富岡流)の勝率が高く有力視されていますが、その一手前に△2八馬ではなく△4三銀▲2五桂△2八馬以下の展開。17年前に1局だけ前例がある形から受け方を変化。前例よりはむしろ自然な手なので新手と言うほどではありませんが、是非はこれからの研究次第です。
(渡辺明ブログ  王将リーグ4回戦、羽生名人戦。 より)
羽生も梅田本の中で▲4四角成(富岡流)の優秀性を認めており、同型の重要ポイントと位置づけているのだが、そこに渡辺は果敢にチャレンジし、勝利もおさめたのである。
当然、これは竜王戦の重要な伏線になる。羽生がこの形を指す場合、当然のこの対局の変化について徹底的に研究して納得できる結論を出してから対局に臨むだろう。
そして、この第四局でも相腰掛け銀にまでは進んだ。ところが、・・・である。渡辺は相腰掛け銀同型を回避してその前に変化した。実に渡辺らしい緻密で用意周到な戦略家ぶりである。王将リーグでは、同型で研究がありますよと羽生にみせつけて注意を惹いておいて、本番の竜王戦ではヒラリと身をかわして、その前で変化する。渡辺の希代の作戦家ぶりが遺憾なく発揮されたといえるだろう。
しかし、そういう戦略家としての側面以外に見逃せないのは、渡辺が現在数少ない2手目△8四歩を追求する王道を行く正統派の棋士であるということだ。冒頭の羽生の言葉のように、2手目に△8四歩と指すということは、角代わりを覚悟するということとイコールである。なおかつ、現在は全般的に後手が苦しいのではないかという風潮であるにもかかわらず、渡辺は堂々と受けて立っている数少ない棋士の一人だ。そういう棋士が現在竜王でいるという事実は決して軽視してはならないだろう。
今回の作戦選択にしても、羽生の言う、ことごとくダメだとされつつある「マイナーなライン」の一つである。しかも、ほとんど先手が勝っている。そこに、渡辺は異議申し立てをして後手も指せるのではないかと敢然と立ち上がったのである。第一局と第二局では、羽生が渡辺と同じことを従来の定跡に対して行ったのだが、それを今回は渡辺がお返ししてやったわけである。
羽生と渡辺はタイプが全然違う。羽生はいつまでたっても超然とした真理追求者といった趣きがあるが、渡辺はもっと現実主義の戦略家であり人間くさい。別に昼食で、豚丼ンやかつめしを立て続けに食したことを言っているわけではないので念のため。
いや、そんなことを私は言いたかったのではない。二人はタイプこそ違うが、将棋に対する志の高さでは共通しているのだ。人真似でなく、定跡に自分の力で疑問を持ち、竜王戦という最高の舞台でぶつけてきた。まさしく、竜王と名人の名にふさわしい二人が戦っているのだ。
梅田本の中で、羽生は棋聖戦で後手の深浦が2手目△8四歩として角換わりにチャレンジしてきたのに対して「どういう新手を用意しているのが楽しみで仕方なかった」と述懐している。タイトル戦の最中にそんな風に考える羽生も羽生である。この言葉の延長で考えると、羽生はこう考えているとみて間違いないのではないだろうか。
渡辺さんは、2手目△8四歩と指してくれるので、角換わりの将棋が指せる。どんな研究、工夫をぶつけてくるのか、もう楽しみで仕方ない、と。
だから、戦略家の渡辺が同型ではなくその前に変化しても、多分「してやられた」とは思わずにこう考えたのではないだろうか。
ほとんどダメなマイナーの形なのに、これなら渡辺さんは指せると考えているのか。しかも、先手がほとんど勝っているのに。もう楽しくて仕方ない、と。
羽生という真理追求者に対して、戦略家の渡辺も結果的には真理追求の共犯者の役割を背負わされてしまっている。勿論、そんな結果になるのは、二人とも将棋に対する志が恐ろしく高いからだ。羽生と深浦が相思相愛だと言われたことがあったが、羽生と渡辺も――多分二人とも厭で仕方ないだろうが――否応なく恋人であらざるを得ないのだ。恐らく。




一歩千金ー2010竜王戦第三局 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

丸山忠久は第一次のブームの際に△8五飛戦法で勝ち星を荒稼ぎしていたが、ある時からパッタリと後手で指すのをやめた。なんでも、後手だとどうしても歩の数が足りなくなるからということだったらしい。当たり前だが、横歩取りなのだから先手は歩をパクリと取れる。それに対して後手が△8五飛を採用すると横歩は取らないが先手が飛車を2筋に戻す手間を利用して攻勢をかける。ただ、攻める際に小技を使うためにはどうしても歩が必要なので、常にその点が問題になる。横歩取り△8五飛戦法について極端に単純化して原理を述べるとこういうことになるのかもしれない。本局は、まさしくその後手の歩の数がポイントになった。
ということで、ひたすら歩の数の動きのみを追ってみよう。
先手が横歩を取る(15手目)。これで先手が一歩プラス。
後手が△7五歩の突き捨てをいれて先手が取って(37手目)、先手二歩プラス。
後手が△7六歩(62手目)と桂頭に打って、既にこの時点で後手の駒台に歩がなくなる。歩切れである。
先手が▲6五桂と後手の歩を取って(67手目)、先手三歩プラス。
後手が△7六の歩を7七に成り捨てて(68手目)、先手四歩プラス。
先手が▲5三桂成と歩を取って(71手目)、先手五歩プラス。
後手が2七に銀を打ち込んで精算して先手が歩を取り(79手目)、先手六歩プラス。
この時点で、後手は持ち駒が歩切れなだけでなく、盤上にも9三、4三、1三の三枚の歩しかなくなってしまう。このように後手がひたすら歩損を重ねながらなんとか細い攻めをつなごうとする将棋だったのである。まさしく横歩取り△8五飛の本質的な戦い。
「同歩、同歩」の森下卓は、ある時テレビ解説で歩損についてこのように説明していた。
ーーー 一歩損すると、歩の数が9対9から、8対10になります。二歩損すると7対11、三歩損で6対12・・・。つまり、一歩損するのは2歩差がつくことで、どんどん加速度的に差が開いていくのです。
「駒得は裏切らない」である。本局では、歩の数は渡辺明15羽生善治3というところまで行ったのだ。その時点で駒わりは羽生が金香交換で駒得なのだが、とてもそんなことでは追いつきそうもない歩の数の差である。歩切れが痛すぎる。
例えば、 その79手目の時点で、仮に後手が一歩でも持駒に持っていたとしたらどうだろう。すかさず、△2六歩と叩いて取れば飛車金両取りで角が打てるので飛車先を押さえ込める。後々7七や6六に叩いて攻めることも可能だろうし、じっと2三に受けておく事も出来るだろう。多分一歩でも持って入れば、後手が完全に優勢なのではないだろうか。それくらい歩切れが痛い。
そして、渡辺の主張はその点に尽きるし、実際うまく指していたのだと思う。
後手も金銀四枚が玉についていて堅いのだが、歩のふたがない。歩は将棋の皮膚だとよく言われるが、羽生の囲いは内臓だけ健常だが皮膚がなくてむき出しの状態だったわけである。攻められたら、ひとたまりもない。
羽生の歩切れをついて、渡辺はどんどんリードを広げて後は仕上げだけかというところまでこぎつけた。渡辺自身は感想戦では、当然対局者として慎重なコメントをしていたが、やはりある時点では感覚的にはかなり優勢を意識していたのではないだろうか。
問題は93手目の▲7八銀のところだったそうである。▲4五角とすると、後手は△6七金と歩をちぎって△2三歩と受けることになる。金と歩を交換しての非常手段だ。感想コメントによると、それでも難しいというが、冷静に調べると先手がよくなる順が発見されてもおかしくなさそうではある。それとも、実際は意外に難しかったのだろうか。93手目の棋譜コメントに「先手勝勢」の中継ブログ記事がはられているのが、なんとも皮肉だ。
本譜は▲7八銀と打ったために羽生に△7五金とされて一気に難しくなったそうである。こんなクソ忙しい終盤に、じっと金を引いて一歩を補充するだけの手である。しかし、本局に限ってはそれが、まさしく一歩千金となった。見て来た通りに歩の数と歩切れが常にポイントの将棋だったので、黙って歩を補充させてはいけなかったということなのだろうか、と結果論でいうのは簡単なのだが・・。△7五金は、いかにも羽生らしい、じっと慌てない手でもあった。本シリーズ初めてだろう。羽生流の感覚と現実の一歩獲得の必要性が偶然マッチしたのが、渡辺には不運だったのかもしれない。▲7八銀は結果的によく調べると疑問だっただけで、いわゆるポカとか悪手といった手では決してないだろう。
とはいえ、まだ羽生がよくなったわけではない。取った歩をすかさず2三に打って自陣を堅くすると(本当に歩を一枚打つだけで様相が一変するので不思議だ。)、今度は切りこんでいく。
△7五金と同じくらい印象的だったのが△7四飛。▲6三角成とされるのは承知の上で、とにかく攻めかかろうとする手である。結果的には▲6八桂があったので成否は微妙だが、とにかく羽生らしい「決断力」を示した一手だった。流れとして厳しかったところが、自玉が一瞬安全になったので、もうとにかくチャンスを逃さずに攻めかかるしかないと考えたのだろうか。
渡辺第二の疑問手は▲2四歩。▲2八飛で受かると考えてしまったそうだが、▲6八桂とすべきだったとのこと。但しそう打っても難しいらしい。本当に将棋は簡単じゃない。
その時点で逆転したが、渡辺第三の疑問手は△2九飛に受け方を間違ったこと。▲4九桂から▲3八金と受けていればまだ長期戦だったらしい。
渡辺は、竜王戦では本当に強い。第一第二局では、羽生が明らかに不出来だったとはいえ、終盤の強気で正確な手順は圧巻だった。たまたま、タイトル戦名が竜王戦だが、とてつもなく力強くて手のつけられない生命体ーードラゴンのようである。渡辺は竜王戦では、その名の通りドラゴンに変身するのだ、とジョークで言いたくなるくらいの強さなのである。
本局については、まず第一の疑問手▲7八銀については、結果論で責めるのは酷という気がする。逆にも勝着になってもおかしくないというレベルの手だ。第二の疑問手▲2四歩については、普通の疑問手。受けに誤算があったので仕方ない。ただ、第三の疑問手については渡辺らしくない凡ミス。やはり流れがおかしくなってでたので普段の渡辺ならこんなミスは絶対にしないだろう。
つまり、流石のドラゴンも、本局ばかりは段々変身が解けて最後は人間に戻ってしまった、というのが私のいいたかったつまらない第二のジョークである。第三のジョークはない。
とにかく、流れの変化のこわさを感じずにはいられない将棋だった。渡辺が歩を一枚一枚稼いで、それこそ皮膚をはぐようにじわじわと羽生を追いこんで行ったが、羽生が歩をたった一枚手に入れたその瞬間に流れの向きが逆方向に変り、一筋の水の流がどんどん太くなって奔流となって渡辺に襲いかかり、さすがの渡辺もその流れをとどめる事が出来ず、最後は一気に押し流されてしまった。そのきっかけが、たった一枚の歩。これぐらい「一歩千金」という言葉がピッタリくる将棋もないだろう。
これで第一局と第二局は渡辺の逆転勝ち、第三局は羽生の逆転勝ちである。全棋士中でも極端に逆転負けの少ないこの二人にしては信じられない展開である。それだけ、二人とも逆転力が凄いのだろう。
本局については、羽生は勿論素晴らしかったし、渡辺には不本意なところもあるだろが、少なくとも自分で勝手にころんだわけではないので見ごたえのある将棋だった。ファンもこういう将棋を見続けたいだろう。
渡辺ファンも羽生ファンも、一局ごとにもつれ、そして多分第七局まで続くしんどいシリーズを覚悟しなければならないのではないだろうか。




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