2011年10月

2011竜王戦第二局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

予想通り角換わりに。角換わり先手のスペシャリスト丸山忠久と角換わり後手のスペシャリスト渡辺明の激突によって、どのようなことになるかが注目された。と言っても必ずしも激しい戦いになるとは限らず、千日手も念頭に入れた渋い手の殺し合い、手の渡しあい、待ちあいにもなることもある。
昨年の竜王戦第六局でも▲羽生善治vs△渡辺で角換わりになったが、後手の渡辺が見せた工夫は△5二金として先手が最高の形とタイミングでは仕掛けることが出来ないようにするという実に渋い新手だった。そして、それが竜王防衛につながったのである。
今回のツイッター解説は糸谷哲郎が担当していたが、実に精力的に「角換わり」講座を展開してくれた。
>【角換わり】プロ間でも最近はスペシャリストの方しかされない将棋なのですが、腰掛銀同系、後手が6五歩と取る将棋、後手が同系直前で△3三銀と上がる将棋に大別できると思います。
>【角換わり】同系は最近富岡流などで先手が指しやすいのではないかという評判です。お互い切りあう将棋になって、もっとも研究量が響いてくる将棋の一つと言えるでしょう。
>【角換わり】同系直前で△3三銀と上がる将棋は同系よりは多少力戦系になりやすい将棋です。先手が先に角を手放して厚みを作る展開が多いですね。
>【角換わり】後手が6五歩と取る将棋は、本譜のように同系とは正反対に手を殺しあう将棋になります。先手がどこで打開していくかがポイントと言えるでしょう。
>【35手目】▲4八飛は▲4五歩よりも相手の動きを見て指そうとする意味を込めた手です。後手に単純なプラスの手は少ないので、動きを見てマイナスにしようということだと思います。
>この辺りのお互いの手潰しはこういう形の醍醐味と感じます。仕掛けた時には厳密にはもうどちらかが有利なことが多いので、お互い慎重にならざるを得ないのではないでしょうか。>この辺りは手損より「その手を指させた」ことが有利に働くことがあるのが角換わりの面白さです。
(以上 日本将棋連盟モバイル・ツイッターより)

具体的指し手についてではない部分を中心に引用させていただいたが、これに加えて延々と具体的な指し手の解説が続いたのである。糸谷の理論化して明晰に語る能力と将棋スタミナは尋常ではない。島朗の「角換わり腰掛け銀研究」のような著書を角換わりがテーマでなくてもいいから書いてもらいたいものである。
さて、以上の糸谷の説明の通りに、お互いに有利な条件で待って、先手としては最高のタイミングで仕掛け、後手としてはそれを封じようとする、実に渋いが高度な神経戦が繰り広げられたわけである。そして、感想コメントによると渡辺は「うまくやられた感じだった。」と感じていたそうである。
銀杏記者による41手目棋譜コメントより
丸山はいくつかある先手の成功パターンに持ち込めるように手待ちしながら間合いを詰めている。後手は待機策を取っているので仕掛けられないように慎重に指さねばならない。
※丸山の趣向により、渡辺は千日手模様にしにくくなった。いい待ち方が難しいようだ。(感想コメント)
つまり、去年の竜王戦第六局で渡辺がみせた巧みな待ち方が出来ないように、丸山が最新の手順でうまく指していたということである。地味で分かりにくいけれどもいかにもプロらしい水面下の攻防だった。やはり丸山の先手角換わりのスペシャリストぶりは並大抵のことではないのである。
そして渡辺の△1二香と形が乱れた瞬間に▲4五歩と仕掛けた。しかし、残念ながらそれで先手がいいというわけではない。丸山の深謀遠慮のプロらしい駒組はみごとだったが、将棋はまだここからではっきり良さが形にはあらわれないところが将棋の大変なところだ。この辺は、正直に言って素人には理解が大変難しいのでプロにまた後日の観戦記等でもきっちり解説してもらいたいところである。
さて、二日目の攻防も後手がよさそうと言われながらも難解な攻防が続いたようだが、とにかく渡辺が冴えわたっていて強すぎた。特に△8九龍は控室の誰も気づかなかった見事な決め手で、こんな手をアッサリ指されてしまっては丸山もお手上げだろう。もともと終盤で抜群によく手が見えるタイプだけれども、最近ますますその精度があがり、本人も自信を深めているように思える。
ツイッターである方が、最近の渡辺明の勝ちっぷりは全盛時の北の湖のようだと、つぶやかれていた。全く同感である。北の湖のそのあまりの強さに稀に負けると客が大喜びという存在だったが、渡辺も将棋界のかつての大山康晴のようにそういう存在になるのだろうか。と思わせるくらい、最近の勝ち方には迫力がある。
現在の渡辺相手に連敗スタートの丸山は当然苦しいが、本局の序盤でもみせたように、玄人好みの深いプロ的感覚はさすがである。難敵ではあるが、それをなんとか結果に結びつけて竜王戦を盛り上げていただきたいものである。次の後手では横歩も予想されるが、かつて名人を谷川相手に最終局で防衛した△4五桂のようなすごい研究をみたいものである。

さて、今回の中継ブログには岡本太郎の「太陽の塔」が何度も登場していた。以下は、岡本や太陽の塔に関するムダ話である。将棋の話とは全く関係ないので興味のある方のみどうぞ。
1970年の大阪万博の初代事務総長、新井真一はテーマ展示をつくる人間に片っ端から断られ続けて岡本太郎に声をかけたそうである。あの反逆児なら引き受けてくれるかもしれないと。そして「誰も引き受けてくれない」と聞いてムラムラと反逆心に火がついてOKし、とにかく「ベラボーなもの」をつくろうと決意してつくったのが「太陽の塔」である。それは万博のテーマの「進歩と調和」に対する徹底的なノンでもあった。進歩主義調和主義の時代背景にあって、それを嘲笑するかのように万博の中心にそそりたつ巨大な異形の像。
テーマ館を象徴する最新技術を駆使した大屋根を設計した丹下健三に反対されたが、その大屋根を太陽の塔が突き破ることを主張してひかなかった。
地下部分の展示に当初は過去の偉人像を並べる予定だったが岡本の意により、歴史上の無名な庶民たちの像が展示されることになった。
世間からは国家の金を使って日本を代表するものとして、なんであのような岡本太郎的なものをつくるのかともう批判されたが「個性的のものこそ普遍性を持つ」とやり返した。
NHKの「岡本太郎の世界」でも金井美恵子相手に「太陽の塔は、あれは嫌われようと思ってつくった。そうしたら好かれちゃった」と述べている。
岡本太郎は自宅の庭に住みついた(普通は嫌われ者の代表の)カラスと仲良くしていたが、ある時、「太陽の塔、あれはカラスだよ」とつぶやいた。
そして、当初は取り壊される予定だったが、人気が出てアンケートを取ったら90%以上の人が残す事に賛成して永久保存されることになった。
太陽の塔のエピソードを並べてみたが、中継ブログの写真を見ていても分かるように、そういうことがどうでもよくなるような不思議な存在感がある。「進歩と調和」を謳った万博はもはや昔の夢のような出来事だが、そういうスローガンを信じ込まされいていた当時の普通の人々が愛したのは「進歩と調和」を真っ向から否定する太陽の塔だった。そして太陽の塔だけが残って、「孤独に永久的に立たされている」(岡本太郎)。
私が若い頃に岡本太郎を知ったのは、タモリの「今夜は最高」だったろうか。その頃は、岡本のこともよく知らずに、「タモリ目線」で、奇矯なオモロイおっさんとして面白がっていた。今回、その懐かしい録画を見る機会があったのだけれども、あまりに岡本太郎が正論の当たり前のことばかり言っていることに驚いた。



2011竜王戦第一局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

丸山忠久が竜王挑戦を決めたインタビュー(私が見たのは「週刊将棋ステーション」)より。例によって丸山スマイルで。
二日目に夕休がない、というか食事がないんで、まぁその辺を、まぁそれを経験したことがないんで、まぁその辺をどう調整していくかは課題だと思っています。
丸山といえば健啖家で有名である。それにしても二日目の夕食を気にする挑戦者をはじめて見た。
・・などといきなり書くとお叱りを受けるかもしれない。そんなことを芸能レポーターみたいに面白がって書くな。いい将棋さえ指せばそれでいいではないか、なんとお前は通俗なのかと。
いやいや、決してそういうことではないのだ。そんなところまで気にして将棋に集中しようとする丸山のプロフェッショナリズムに私は常々感心しているのである。神や仏に誓って本当だ。
だから、丸山が夜中に夜食のカロリーメイト・チョコレート味をモグモグしようとも(私は昔からこんなことばかり書いていた)、頭を冷やす為に冷えピタ三枚を同時に貼り付けようと、ヒレかつなどの油ものに加えて生パイナップルを念入りに注文しようとも、全て対局のためであって私は尊敬しているのである。
・・やっぱり、オマエは単に面白がっているんだろうというツッコミがとんできそうである。そうさ、確かに思い切り面白がっちゃっているさ。楽しんで酒の肴にしているさ。私はその程度の人間さ。でもね、面白がりながら、同時に丸山の根底にある真摯そのものの姿勢(それは三浦弘行と双璧だと思う)に、感動しているのだよ。ホントだよ。笑いながら心打たれているんだよ。
分かっている人には分かってもらえるはずだ。人生ってそういうものだよ。

後手の丸山が採用したのは事前の予想の横歩取りではなく一手損角換わりだった。渡辺が棒銀を用いてくるのを予測した上での△3三桂の積極的な姿勢の新手。その後も丸山の攻撃的な姿勢が印象的だった。恐らく丸山のことだから事前に戦い方を熟慮した上で、現在の渡辺の充実振り勘案して強く前にでる戦い方をしようと決めていたのではないだろうか。私は丸山の竜王戦に賭ける強い意志のようなものを勝手に感じ取っていた。
しかし、△6五歩がやりすぎだった。すかさず渡辺明に▲4六歩から▲6四角ととがめられて一日目の昼から既に困っている。丸山自身率直に△6五歩を敗着と認めていた。
△6五歩では普通に△3九角から馬をつくっていれば難しかったらしい。しかし、丸山は▲8八玉とあがった先手玉があまりに堅すぎて悠長に馬つくりをする気にならなかったらしい。ところが、△3九角を誘った渡辺が感想で馬をつくられたら苦しかったと感想戦で述べている。なんとも人を喰った渡辺流である。勿論、渡辺もよく読んでみたら馬をつくられて困ることに気づいただけなのだろうが(渡辺も正直でウソはつかない)、丸山としてはそんなことを言われてはたまらないだろう。やはり現在の渡辺の信用の厚さが△3九角を打つのをためらわせたのかもしれない。その辺は解説の村山慈明も「角を打たせなかった渡辺さんの威圧感はさすがだなぁ。」と分析していた。
二日目に丸山も激しく迫ったが、渡辺の▲8六桂が憎らしいほどに冷静沈着で、丸山は指しようがなくなって戦意喪失してそのままな投了。
丸山の普段の粘りを知る人は少し意外に思ったかもしれない。しかし、丸山は結構突然投げる事もある。渡辺相手の銀河戦でも、実は丸山勝ちなのに渡辺の自信満々な態度に投了してしまったこともあった。(当時の渡辺明ブログに今では考えられないくらい詳しく指し手の解説が書かれたている)本物のプロフェッショナルなだけで、ダメだと本当に感じると指す意欲をなくす瞬間があるのかもしれない。

さて、相変わらず竜王戦での強さを渡辺がみせつける形で開幕したが、先述したように丸山の竜王戦に賭ける確固たる意志は確かに感じられた。それが本局ではすっぽぬけただけである。
そして、今回の竜王戦で最も注目するべきは、先手丸山vs後手渡辺の角換わりである。後手の渡辺については羽生相手で証明済みのように、現在の後手角換わりの使い手の最高峰である。
一方、丸山は先手の最高峰である。丸山の角換わりに後手で郷田真隆が挑み続けてどれだけ辛酸を味わい続けたかは涙なしでは語れないのである。
さらに、昨期のA級順位戦最終局で丸山は角換わりで後手の渡辺を破って、渡辺の名人挑戦を阻んでいるのだ。しかも冷えピタデビューで(余計なことだ)。
だから、第二局は勝敗以外にも本当に注目すべき一局である。

両対局者以上に存在感を発揮していたのは、言うまでもなく加藤一二三であった。二日目の封じ手開封の場面。颯爽と封じ手を開封したはいいが、動きが止まる。封じ手が分からないご様子である。
渡辺が不審げに加藤に目をやる。加藤は気を取り直したように、予備の二通目の封じ手を開封する。しかし、やはり封じ手が分からない。困惑する加藤。苦笑する渡辺。
同じ立会いの森下卓が見かねて加藤に声をかける。加藤はついに自力解読を断念して渡辺に話しかける。
加藤「えっと、すみません、これは指し手はどういうことでしょう?」
渡辺「んっ?(封じ手用紙を指さして)イヤ、これなんで、これで取るっていうことですね。」
加藤「あっ、これで取るっていうことね。分かりました。ハイ、封じ手は△8五歩です。」
丸山も笑っているように見える。ということで無事事なきを得た。
立会人が対局者に直接封じ手を尋ねることなど前代未聞、空前絶後である。昔の気難しい対局者なら怒り出していてもおかしくない。
しかし、渡辺はごく自然に笑みを浮かべて対応して、その場の空気が波立つ事もなかった。渡辺の態度は立派だった。
加藤の人徳なのかもしれないが、渡辺も丸山も加藤も基本的には天使である。

岡田武史・羽生善治「勝負哲学」



羽生はいつも通りなのだが、岡田氏の話が予想以上に面白かった。ワールドカップの裏話、具体的な戦術を含めて指導者としてあり方についても、かなり踏み込んだ内容になっており、サッカーファンの人が読めばかなり楽しめる内容になっているのではないかと思う。
以下、自分が特に興味をもった話のサワリを紹介してみる。

岡田が中田ヒデのような、サッカー場全体をまるで鳥の目のように見渡せる選手の才能について話し出す。
岡田 (ライフル射撃で銃を的に的てるために)照準や標的の周囲の景色も視野に入れながら集中するんだそうです。つまり、「全体に集中する」、それが大事なそうです。
羽生 感覚的にはわかる気がしますね。広さの把握と深さの把握を同時に行うような感覚じゃないでしょうか。もしそうなら、それこそ大局観をつかむときはそんな感じですよ。
将棋に即して言うと、まずは戦いの起きている場所についてきちんと深く徹底的に読まなければならない。プロなら当然誰もがすることだ。しかし、それだけではダメで、そういう部分を深く見つめながら、同時に局面全体を冷静に俯瞰しなければいけない。それが出来るかどうかが、恐らくプロの中でもトップといえるかどうかを分けているはずだ。
これは、将棋やサッカーに限らず、いや少し大げさに言うと人生を生きていく上でも大切なはずだ。直面する課題にきちんと向き合うことは当然必要だが、それだけに拘泥して捉われてしまうのではなく、どこか高所から自分を突き放して見つめて、冷静に受け入れて苦難も学ぶチャンスにしてしまう姿勢。

深い集中力の話になり、ジャック・マイヨールの「グラン・ブルー」を引き合いに出して二人の話は進む。
羽生 集中力が深度を増したときは雑念が消え去って、まさに深海のような森閑とした世界にあって時間の観念もほぼ消滅している。そういう状態になるときがあります。そういうときには、多くの手が読め、「これだ!」という決断も早い。
さらにそれが羽生がよく言う「玲瓏」だと説明すると、岡田がサッカーで言う「ゾーン」に近いかもしれないとこたえる。
岡田 極限の集中力が無心の状態を生み出して限界以上のパフォーマンスを可能にする。これは文字通り、無心、無意識のうちにしかなされないことで、ゾーンに「入ろう」「入りたい」と考えて入れるものではないということになっています。
岡田自身もプレーヤーの時に自身が「ゾーン」に入った経験があって、全く不得意な左足のシュート信じられないくらい見事に決めた体験があるそうである。
ここまで来ると、ほとんど宗教的な「覚醒」「一瞬の悟り」に近い。行者が激しくて過酷な修行の末に一瞬体験するような種類の。
しかし、羽生も岡田も、もちろんそういう宗教者ではなく、あくまで彼らの職業体験を徹底的に突き詰めた末に、そういう一種の異常な体験をしているわけである。恐らく、人間が日常生活で発揮している力など、その潜在能力のごく一部に過ぎず、本来はとてつもない可能性を秘めているはずだ。二人は、それをあくまで現実的な職業体験の極限として語っているのが、とても興味深いと思った。

というわけで、かなりディープな話もしているが、世俗的な楽しい話題にもこと欠かず、とても楽しく興味深く読めた対談であった。
羽生も色々な人と対談しているが、ここでは岡田武史という実際の職業人のプロフェッショナルと出会うことで、体験に照らした実のある内容になっていると思う。





将棋世界2011/11 王座戦第一局観戦記

将棋世界2011年11月号の山岸浩史氏による王座戦第一局観戦記「衝撃の新手破り」が大変面白い。以下にその感想メモを書くが、詳しい内容についは現在発売中の将棋世界を参照ください。


羽生の△9三桂が新手だったが、それは同型の棋聖第三局の後に若手の研究会では重要課題として議論の対象になっていたという。ところが、渡辺は、この手(の研究課題の重要性)を知らずに▲3五歩を指してそれが結果的に素晴らしい手で、ほとんどこの対局を決めることにもなった。そして、若手の研究ではこの▲3五歩は全く検討されていなかったという。
渡辺の大局観が素晴らしかったわけだが、山岸氏は渡辺と羽生の将棋を正反対だと指摘する。
いわゆる羽生マジックは、普通の棋士なら切り捨てる異筋の手まで拾い上げる特異な能力がもたらす妙手だ。渡辺の場合は「定跡になるならこの一手」「受けを考えても意味がない」と読みを極端に絞り込むことで、本筋に一直線に向かっていると思う。(中略)拾い上げる羽生と絞り込む渡辺、おそらく方向性は正反対なのだ。
確かに渡辺の場合は、本筋の手を決して逃さずに発見する嗅覚があるような気がする。但し、渡辺の場合は手を絞り込むのにあたって、いわゆる大局観による読みの省略という手法ではなく、むしろ徹底的に具体的に手を読み込んだ上で絞り込んでいるような気もする。
大局観と読みというのは、決して無関係ではなく不即不離の関係にある。読みの裏づけがあって大局観も成立するし、大局観がないと読みを絞り込めない。多分、渡辺の場合はまず基本としては具体的な膨大な読みがあって、その上での大局観だという気がするのだが、どうだろうか。
渡辺が▲3五歩を読んだ過程もこの観戦記で明かされているが、その思考過程はきわめて具体的かつ合理的である。決して感覚的になんとかなりそうというのではなく、常にきちんとした根拠がある。渡辺のリアリストらしいところである。
手を絞り込む大局観の持ち主として谷川の名前もここであがっている。しかし、谷川と渡辺では明らかにその性質が異なっていて、谷川らしい美意識に裏打ちされた手の絞込みに対して、さらに渡辺はそれに加えて合理性を追求しているとでもいうか。
渡辺は現代棋士の典型のように言われるが実はそうでもない。確かに戦いながら玉をかためて細い攻めをつなぐというスタイルは現代的そのものだが、それを遂行する過程の上での思考プロセスおいては意外に古風なのかもしれない。
羽生は渡辺将棋についてこのように評価しているそうである。
谷川さんに似ていると思います。
自分の価値観や美意識などを基準に読む手を絞っているところが似ているなと思いました。若い人の感覚ってもっとわからないものかと思っていましたが、そうでもないのだなと。それに気づいたのが去年の竜王戦の最大の収穫でした。
この話で思い出すのは、渡辺が修行時代に谷川の棋譜を実際に盤に並べてしっかり考えて理解しようとしたという話である。渡辺はパソコンも駆使して棋譜を調べる現代棋士の典型のようなところもあるが、その一方で最初からこういう「古風」な勉強法を取り入れていた。
恐らく、渡辺には二つの側面が共存しているのだろう。現代棋士の側面と伝統に則る棋士、デジタルとアナログ、大局観と読みのバランス、感覚面と合理性等等・・。
そして、それが他の一般的な若手と渡辺の差になっているような気もする。本局の▲3五歩を若手の共同研究は発見できなかった。それを渡辺は独力でその場で発見した。
渡辺が最近どのような研究会をしているか知らないが、インタビューを見ると自宅で一人で長時間盤に向かう時間も多いようである。現在は共同研究が全盛だが、渡辺はそうした風潮に対しても、けっして否定するのではなくある程度距離を置き始めているのだろうか。やはり独特のバランス感覚があるような気もする。
羽生将棋についてはこれまで様々なことが語り尽くされてきた。しかし、渡辺将棋の本質については、まだ十分語られていないように思うし、そもそも渡辺将棋をきちんと理解できている人間がいないのかもしれない。
そして、羽生だけがようやく渡辺将棋の本質を理解しはじめているのかもしれない。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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