2012年12月

藤沢秀行、米長邦雄「勝負の極北」



藤沢秀行は泥酔すると何の脈絡もなく、「お××こ」を連呼する癖があったそうである。いや、これをはたして癖などと言っていいものか。
藤沢が米長のタイトル戦の応援に酔って行ったが、どうしても対局室に入れてもらえず、「お××こ」を大声で連発して、それが対局室の米長にも聞こえてきたとか。あるいは、藤沢が早朝にやはりゴキゲンな状態で米長宅を訪問し、大声でやはり「お××こ」を連呼した挙句に、「おいー、米長はいるかー」と上品な住宅街に響きわたる声で叫んだとか。
そういう、強烈なエピソードが次々に出てくる本である。
この藤沢と米長の対談本で、米長は基本的には聞き役である。あの米長でも一目置いて立てる藤沢という男は大したものだ。
従って、この本では藤沢のエピソードが次々に暴露されるが、言うまでもなく米長邦雄もその種のエピソードでは決して負けていない人物だった。
いわば、似たもの同士の対談なのだけれども、改めてこの本を読んでいて、私は二人が似ているようでいて実は微妙に、と言うよりはかなり違う事に気づいてしまった。

米長が50才で名人になった頃、私も彼の無条件な大ファンの一人だった。米長の名人就位パーティは空前絶後の盛り上がりを見せた。誰もが米長の人をひきつけてやまない人柄に魅せられ、その中年熟年パワーに賛辞を惜しまなかった。
まだ、米長の政治的なアレコレやさらに後年の連盟会長としてのナンダカンダなどなかった時代の話である。
私も当時、米長が書いた自己啓発系の本を買って読んだものだ。棋士という厳しい職場環境の中から体得した智慧に学ぶところも多かったし、米長流のユーモアにも笑わされたりもした。
しかしながら、どうも当時から米長には人生の達人を気取って多少説教くさいところがあった。さらに、あとがきか何かで「私と仏様」について語ったりされると、さすがに私はさめてしまった。
私は当時からこう思った。米長さんはハチャメチャだけど、そのまま魅力的だ。棋士としても文句なしに尊敬できる。でも、なんでこんなに自分を飾ってよく見せようとしたがるんだろう。そんな事をしない方がよほどかっこいいのに、と。
以降、私の米長像は、その政治世界での発言や連盟会長としての活動によって、さらに(残念ながら)悪いほうに変わって行った。でも、そういう俗的な出来事とは関係なく、私が人間米長についてずっと感じ続けていたのは、結局今言ったことに尽きる。それは結局ずっと変わらなかった。
米長はいい意味でも悪い意味でも、常に強烈なエネルギーを周囲に放射していて回りの人間を常に竜巻のように巻き込んでいた。それが魅力にひきつけられの方向性であれ猛烈に反発する方向性であれ。
その点では藤沢秀行とよく似ているのかもしれない。
ただ、二人の違うのはある種の世俗的な能力の有無、あるいはそれに付加する世間的な名声への関心の有無の違いだったのではないだろうか。
藤沢はハチャメチャで本当に自分の好きなように行きぬいた人である。でも、逆に自分のやりたいことを何の遠慮もなくやりきっていたために、その結果としての他人からの評価や名声、どう思われるかに驚くほど無頓着だったように見える。
そして、傍若無人でありながら、自分に対しては大層厳しく囲碁という芸についても信じられないほど謙虚である。徹底的に自己を表出しきっているために、かえって一種の無私の精神に到達していた。
理屈っぽく言うとそういうことだが、そういう人間の本質を、一般人は結構鋭く見抜いているものである。その人物の「無頼」がみせかけなのか、本当に純粋な心の持ち主なのかを。藤沢が周りの人間にもファンにもあれだけ慕われた理由はその辺りにあるのだろう。
そして、この対談の中で米長も藤沢のそういう人間性にほれ込み、なおかつ実に的確に評価できている。米長はなかなか博識で、様々な比喩で藤沢のことを褒めている。
例えば、本物の宗教的な人間は藤沢のような、一見どうしようもないように見えて、実は心が澄み切って全てに謙虚な人だという意味のことを述べている。
米長は大変知的能力や洞察力が大変高い人で、その藤沢分析は本当に的を得ていると思う。
一方、米長本人の方はどうだったか。米長も藤沢に負けない魅力的な個性の人間だった。それは間違いない。
しかし、多分米長は藤沢のように(いい意味で)バカになりきるには賢すぎた。
また、藤沢が世俗的な能力が全く欠如していたのに対して、米長はそういう能力に長けすぎていた。
米長は、藤沢のように全く無意識に純粋に生きるには、あまりに自己意識が高すぎたのだ。いや、それが別に米長に限らず普通なのであって藤沢の方が本当に珍しい例なのだが。
藤沢は、どんなに米長に持ち上げられても「私は単なるヨッパライですよ」とか「まだ何も分かっていないひよっこだ」とか言う。これは決してカッコつけで言っているのではなくて、芸に本当に厳しく自分と向かいあい続けた人間の本音だと私は考える。
米長は、この対談を読んでも分かるが決して愚かではなくそういう事を頭では十分に理解していた。同じ芸の世界を究めようとする同志として。
しかしながら、実際に権力についてしまったこともあって、どうしても米長はバカになれきれず、自分を良く見せようとか立派な存在でありたいという誘惑を断ち切れなかったように思える。勿論、それはどんな人間もほとんど不可能なのだが。米長の場合、多少それが強烈に出てしまっただけである。
人は言うかもしれない。藤沢は所詮ただ一人で色々行ったりしたりしただけだが、米長は連盟会長もつとめたし政治的な人脈もつくりあげた。米長の方が結局成功者であると。
勿論、そんなわけはない。権力や政治力など屁のようなものだ。結局一人で死んでゆく人間が残すのは、その人のありのままの姿だけ。藤沢は外面的には人生の失敗者だったかもとれないが、その人間としての姿の素晴らしさという点では大成功者である。
そして、何度も言うが、恐らく米長はそういうことをちゃんと頭では理解できる人だったと私は考えている。大変世俗的な人だったが、単に権力欲だけに溺れてしまった政治的人間ではなかったと信じている。
さて、私の結論を言おう。米長邦雄は、藤沢秀行になりきれなかった藤沢秀行なのである。
私がこの本を改めて読んでそう感じた。
しかし、米長ももう肉体の鎧を脱ぎ捨てて、その世俗的な欲望もすっかり消えて、今はもう藤沢的な側面しか残っていいないのかもしれない。
二人が今どこにいるのかはしらない。藤沢がこの本で冗談めかして語っているように「地獄にもこんな奴がこられちゃ迷惑だ。」といわれながら二人で仲良くいるのか。
あるいは、本来の性格の本質が表現されて天国にいるのか。
別にどちらでもいいのだけれども、何となく二人とも同じところにいるような気がしてならない。何だかんだ言っても、やはり結局は大変似たもの同士だったので。

――米長さん、そちらではもう何も余計な心配はしないでもいいはずだから、藤沢さんと将棋でも、囲碁でも、―あるいはお二人の共通して得意な「お××こ」でもいいけれども―、本物のライバルとして思う存分競い合ってください。
どうぞ安らかに。

Yoshiharu Habu story(追記あり)

今日はブログの紹介です。
ツイッターで知り合いのハチさんという方が大学で英語の勉強をされていて、自分の好きな人について英語でまとめた量のレポートを書いたとつぶやいていました。但し、それは羽生さん以外の人でされたようです。
それで、私が軽い気持ちで「羽生さんも英語で書いてよ」と言ってみたら、次のようなブログ記事を書き上げられました。

数手先の世界 Yoshiharu Habu

羽生さんの経歴を英語でまとめられているのですが、特に最近私がブログで続けて書いていた1988のNHK杯将棋トーナメントの様子まで具体的に描写されています。
あの加藤一二三九段相手の伝説の▲5二銀も。
ちょっとだけ引用してみます。

"Ohhhh! He did it!!"

これが誰の言葉なのか、詳しい将棋ファンはすぐお分かりですよね。
もしそうでない方がいたら、こちらを参考にされてください(便乗してちゃっかり宣伝)。

ものぐさ将棋観戦ブログ 今甦る伝説の▲5二銀―NHK杯 加藤九段vs羽生五段

まだ,覆里蚤海もあるようです。とても面白いので皆様も是非お読みください。

(12/28追記)
その後四回にわたって更新されて完結されました。どれも興味深い内容になっています。ちなみに、日本語タイトルは私が勝手につけたものです。

Yoshiharu Habu◆(羽生七冠達成への軌跡)

Yoshiharu Habu (羽生の挫折と復活)

Yoshiharu Habu (羽生の直感力と大局観など。羽生概論)

第38回NHK杯決勝 中原NHK杯vs羽生五段

決勝戦なので事前インタビューもある。中原、大山、永井にはさまれて羽生はさすがに緊張気味。今と違って表情がかたくて動かない。当時はベテランにとっては無気味だったかもしれない。
羽生は一番印象に残った将棋として、準決勝の谷川戦をあげていた。負けにしたと思ったが△5五馬でいい勝負になったかと思ったと。
今は加藤戦の▲5二銀が一番有名だが確かに将棋の内容ということでは、谷川戦が一番良いい将棋だった。というか、他の名人経験者はほとんど一方的に攻めまくってバッサバッサと斬り捨ててしまったのである。
羽生が先手で相掛かりの出だしから、▲3六飛として縦歩取りを狙い△3三金と受けさせてひねり飛車。当時はよく指された形である。今以上に毎回違う形を指していた感じだ。
当時の羽生の勝率7割八分だという話になったが、解説の大山が言う。
「でも、羽生さんでも10年15年すれば6割台に落ちますよ。」
ところが、それから25年経った今でも羽生の通算勝率は七割台である。
連盟のページで調べると、現在羽生の通算勝率は07239だった。これは信じられない数字である。
同世代のトップ棋士には勿論七割台などいないし、それどころか六割の後半も数えるしかいない。かろうじて深浦と木村が六割五分をギリギリ超えているくらい。
いや、それどころか若手を含めた全棋士でも渡辺でさえ、すでに七割をきっている。新人を除くと七割台は既に豊島と菅井だけである。羽生は化け物だ。
羽生がいきなり▲6五歩と仕掛ける。とにかくこの頃の羽生は超積極的だ。その直前に大山が「羽生さんだからいくんじゃないでしょうか」と言い当てていた。大山は手も相手の性質も的確に読んでいる、というよりは何も考えずに本能的に察知している。
羽生が気持ちよく桂馬を▲6五に跳ねて▲6四歩の拠点の歩もつくり飛車角も相手陣の急所を睨んでいる。自陣は金銀四枚がついた美濃。理想的な展開である。一方の中原陣は△3三金の悪形がたたって、とてもまとめにくそうなひどい形だ。
先手の大作戦勝ちだし、現代の感覚だとほとんど先手が必勝といいたくなってしまう。中原はこの△3三金形も経験豊富で得意にしていたようだが、羽生は現代的な感覚でこれなら先手が完全にいけると見てこの形を選択したのかもしれない。
しかし、どうハッキリよくするかは別問題だが、羽生の攻め方が強烈だった。角と飛車をづ次々にたたききって、あっという間に▲6三にと金をつくってしまった。豪快でなおかつ流れるような攻めである。プロ同士の将棋ではなかなかこううまくはいかない。
当時の王者の中原をNHK杯の決勝という大舞台で、いいようにたこ殴りしてしまった感じである。
但し、大山は「まだ難しいところもある。」と指摘していた。実際中原にも勝負に持ち込む順もあったのかもしれないが、あまりに急激に攻め込まれたのでさすがに動揺したのか粘りのない順を選んでしまう。
一方、羽生はその後もゆるみなく寄せ続けて結局、羽生の完勝譜が出来上がった。
大山の解説は簡潔。ポイントの手をズバリと指摘する。しかも、それが的確そのもので羽生の指し手を途中からは最後までずっと当て続けていた。わりとわかりやすい展開になったこともあるが、やはり大山の局面の急所を一目で見抜く力は尋常ではない。
羽生が最近よく「大山先生は読んでいない。、局面をただ見ているだけで、急所に手が行く。衝撃だった」と述べている。解説ぶりを見ていても、必死に読んで手をみつけるというよりは、局面をパッと見ただけで本能的に手が正しく浮かぶという感じだった。たたき上げの職人芸だし、大山はやはり将棋の神様である。
そして、大山は自分ではあまり駒を動かさずに、モニターを見たまま符号だけを言って永井が一人で必死に駒を動かしていた。あの永井を単なる駒操作係としてあごで使ってしまうのは大山くらいのものだろう。そういう意味でも「神様」ぶりを発揮していた。
今では何と言っても加藤戦の▲5二銀が有名だが、むしろ一局全体を通じてではこちらの方が完璧だし私には衝撃的だった。あの中原をいとも簡単に粉砕してしまったのである。
中原も表彰式のインタビューで、「ちょっと、一方的にやられちゃいましたからね。あんなにどんどん来られるとは思ってなかったです。」と苦笑交じりに話していた。
羽生はインタビューで、「一番喜んでいるのは両親だと思います。」と述べていて初々しい。また、うまくいう言葉がみつからずに言葉が出てこなくなる場面もあった。常に的確な言葉が飛び出してくる今の羽生では考えられない事だ。羽生もまだ当時十八歳だったのである。

米長永世棋聖が逝去

日本将棋連盟 訃報 米長邦雄日本将棋連盟会長

大変強烈な個性の持ち主で、熱烈な信者を含めて米長先生が大好きな人間も多かった一方で、敵も多かったし米長さんを嫌う人間もたくさんいた。
勿論、我々一般ファンは米長先生の生の姿をよくは知らない。今回、棋士や女流棋士や関係者が、皆さん口を揃えて、米長先生に気さくに声をかけられて嬉しかった思い出を語られている。本当に、話すだけで心がはずむような魅力的なキャラクターの持ち主だったのだろう。
しかし、米長さんの人間的魅力については、氏と関係がこじれたり敵対したり結果的に関係が断たれてしまった人たちも皆認めていたようである。例えば、米長さんと色々あったこのお二人もこのように書かれている。ずっと米長氏と近かった人達の感想よりも、むしろちょっと胸打たれるものがある。

人生、詰んでます。〜林葉直子の波乱万丈diary 涙ぽろぽろ
松本博文ブログ 訃報
松本博文ブログ 米長邦雄永世棋聖(1)

よく、「味方にすればこれ以上心強い事はないが、敵にまわすとこわい人」などと言うが、米長さんもそういう人だった。一度敵と考えた人間に対しては、ちょっとひいてしまうくらいに過酷で徹底的な攻撃を加えることもあった。
米長先生は晩年ガンとの闘病を続けられていて、その心境をご自身のホームページで綴られている。

米長邦雄の家 まじめな私

最後の二回で闘病の末に得た澄みきった心境を語られていて心打たれる。その一方で得意のユーモアも忘れない。
しかしながら、半ばご自身の死を意識した状態でも、米長さんは「自分の葬式に呼びたくない人たち」についても語ってしまっているのだ。
私はその部分を読んで泣きたくなった。いや、私は別に批判がしたいのではない。最後まで敵を許さないのは米長さんらしいと言えば言えるかもしれない。でも、せっかく「あらゆるものへの感謝」を語りながら、なぜこんなことを言ってしまうのだろうかと。泣きたくなったというのはそういう意味だ。
しかし、私は勝手にこう考えている。むしろ、生前に米長先生と敵対したり関係を断たれた人間の中にほど、実は米長さんの人間を的確に見つめてその本当の良さを見抜いていた人間が多かったのではないかと。
米長先生も今頃はどこかで、「あぁ、そうかあの人たちは私のことを実はよく分かってくれていたんだなぁ」と思っているのではないだろうか。そう考えてみたい。

米長将棋の魅力については、今後プロ棋士たちが語ってくれるだろう。とにかく勢いのある駒が前に出る将棋だった。
私がフト思いだしたのは、昔あった民放の早
指し戦でのライバルの内藤先生との将棋。二人とも相手に負けじとつっぱりあった将棋で、そのあまりの過激さに私は見ていて笑ってしまったを覚えている。ああいう「あまりに人間的な」将棋は今ではもう見られない。
そして、サービス精神に満ち溢れた解説などの話術は本当に絶品だった。先日、囲碁将棋チャンネルで、当時羽生五段が加藤九段を伝説の▲5二銀で葬り去った懐かしいNHK杯の将棋が放映された。
その時の解説が米長先生。いや、本当に最初から最後まで私はニコニコし通しだった。その米長解説について、まとめてみた記事がこちら。

ものぐさ将棋観戦ブログ 今甦る伝説の▲5二銀―NHK杯 加藤九段vs羽生五段

日本将棋連盟会長としての米長さん、これについても色々批判はあった。正直、一般ファンの間では必ずしも評判はよくなかった。でも、その具体的アレコレについてはここでは語るまい。
しかし、少なくとも連盟会長としての仕事の成果という点では、ここ数代の会長の中では一番優秀だったのは間違いない。
色々あるだろうが、一つだけあげるとネット将棋への対応。米長先生はかなり高齢であるにもかかわらず、ネットと将棋の相性の良さを見抜いてその事業をすすめた。とても頭が柔らかくて感性が若々しい。
今では我々は当たり前のようにプロ将棋のネット中継を毎日のように楽しんでいるが、間違いなく米長先生がその功労者である。
直接は関係ないが、ボンクラーズと戦った際に二手目△6二玉が議論の対象になった。しかし、あれもコンピューター相手の戦術に徹した米長先生の頭の柔らかさの一例だったと思う。

しかし、個人的には米長先生には会長という公職よりは野にあって好きなように活動していただきたかったという思いもある。
米長先生が囲碁の藤沢秀行さんと対談した本がある。これはある意味とんでもない本であって、ちょっとPTA推薦というわけにはいかない。でも、「しょうがねぇなぁ」と思いながら、二人を愛してしまうという類の本である。
藤沢先生も最後までメチャクチャな先生だったようだけれども、野にあって一人で活動していたから全てを許せたという側面もあるように思える。
米長先生の場合も、晩年「権力」と結びついてしまったので、あの破天荒なキャラクターが様々のトラブルのもとになった。でも、もし野にあって好きなことを言い行うだけならば、あれくらい愛す事の出来る先生もまずいなかったのではないかと思う。
個人的には、米長先生には生涯の最後にはそうした生き方をしていただきたいと思っていたので残念である。

最近、何かの棋戦の就位式の写真で米長先生のやせ細って頭髪も抜けた写真を見て私もショックを受けたものである。
そして、数日前の第二回電王戦記者会見の中でながれたビデオにも米長先生は登場していた。
現在この番組は、視聴期限未定になっているので、タイムシフト予約をしなかった方でも会員登録さえしてあれば今でも誰でも見られるはずである。

ニコニコ生放送 第2回 将棋電王戦 記者発表​会

やはり、痩せていて頭髪なしでショックを受ける一方で、米長先生にしてはある種の精力的な(悪く言うと)俗気が一切消え去って、まるで子供に戻ったような邪気の全くない笑顔にハッとさせられた。
人間は病気などで体力が落ちた際に、それまでの強烈な自我の主張が消え去って、おだやかな心になってその人間の奥に隠されていた心の性質が出てくる事がある。
いや、普段から米長邦雄は、いやおうなく他人を魅了してしまう人だった。しかし、さらにそれ以上に人懐っこくて純粋な性質があの時には出ていたような気がする。
ビデオの最後の出場棋士に向けた激励の一言、「おい、みんながんばれよ。」は、今となっては私たち全員に向けられた遺言にも思える。
そして、多分生前の味方も敵もあの笑顔をどうしても憎むことなどできないはずだ。

第38回NHK杯準決勝 谷川名人vs羽生五段

司会の永井英明が、「今日は平成の将棋界を占うような大一番になるかと思います。」といきなり盛り上げる。
紹介で谷川浩司を「第十七世永世名人」に一番近い人、羽生善治を「第十八世永世名人になると噂されている。」とも。自ら「私は今日は最初からちょっと興奮状態です。」
ただ、第十八世が森内俊之になると予想できた人間はこの時点ではもしかすると誰もいなかったかもしれない。(イヤミじゃないです・・。
羽生は初期ビートルズのようなきれいなマッシュルームカット。
和服姿で気合の入っている谷川の初手▲7六歩に対して、羽生はすぐには指さない。谷川がお茶に手を伸ばす。すると、ちょっと遅れて羽生もお茶に手を伸ばす。その様子を見て、谷川が遠慮したのか、お茶を膝の上に乗せて待つ。羽生は全く気にした様子もなく、お茶を先にすする。それを待ったかのように谷川もお茶を飲む。
ちょっとしたことだが、少なくとも対局時には完全に自分の世界に入ってマイペースな若き日の羽生と、細かい気配りの谷川の対照といったら勝手読みすぎるだろうか。勝手読みついでに言ってしまうと、この後の羽生ペースで進む二人の対戦を暗示するかのようだ。
戦形は後手の羽生が相横歩取りを選択。当時は、相横歩取りは先手が指せると言われていた。そこに敢えて羽生が踏み込んだ。
「羽生の頭脳」で、羽生はあらゆる戦型で従来の定跡の再検討を行う。この頃のNHK杯の作戦選択も、従来の常識を打破って指そうとするような意志も感じる。この、相横歩取りも当然「羽生の頭脳」に取り上げられていて、詰みの段階まで書かれていた。
私も本を読んで真似をして相横歩取りを指してみたのは懐かしい思い出だ。勿論、本のようにいくわけはなかったのだが。
その羽生の研究を警戒したのか、谷川は飛車角総交換型を避けて、飛車をひく形を採用した。
羽生が先に馬をつくったが谷川も馬をつくりかえして、相横歩取りの出だしにしてはじっくりした戦いに。先手は▲5五の位をとっているが歩切れ、後手は歩を山のように持っている。
谷川は着物姿で若い頃から、やはり品のある対局姿。しかし、勿論若いことは若い。今よりも表情はやや厳しめで、闘志がある程度は表面に出ている。
昔から静謐そのものの対局姿という印象があったが、改めて昔の映像を見ると若干感じが違って面白い。現在の谷川は、さらに気品て、品格が着物を着ているようで洗練の極みに達している。。
解説の森が冗談めかして言う。
「羽生クンはまだ高校生ですからねぇ。高校生がこんなに落ち着いていちゃいけないですよ。普通はもっとね、喜んだり悲しんだり、ワッとかギャッとか言ってくれた方が高校生らしくていいと思うんですがね。どうなんでしょう。」
勿論、今は誰でも羽生の底抜けに明るい陽性な側面もよく知っている。しかし、この当時の対局姿は確かに対局だけに集中しきっていて、そういうところは見えてこない。ベテラン棋士にとっては無気味なところもあっただろう。
将棋は渋い展開が続く。若い人間同士の対局なのだが、羽生のベテラン相手の対局よりも、相手の手を殺しあっていてベテランの将棋のようだ。森も、この二人は自滅するような手を指さない、相手に手を渡すのがうまいと指摘する。
当時のNHK杯を観ていると、さすがに現在との質の違いを感じる事もあるが、この二人の対局に関しては現代将棋を見慣れた感覚でも全く違和感はない。
聞き手の永井は、わりと簡単な変化でも、実際に駒を動かしてくれる。なかなかの職人芸。やはり駒を動かしてくれた方が分かりやすいという人も多いだろう。この辺りは現在の女流の聞き手の方々にも、見習ってどんどん実践していただきたい。
それにしても、本当に二人ともじっと手を渡す手が多い。羽生の力をためる△3三桂、谷川の▲3九玉、羽生の△1五歩等等。羽生vs森内の百番勝負の本の棋譜を並べた際にも感じたが、羽生は若い頃から手をわたす手段を既に体得していた。多分、本質的にそういう将棋なのだろう。ベテラン相手にストレートに粉砕する将棋も多い一方で、こういう指し方も既に出来ている。
将棋はお互い辛抱した末に、谷川がようやく飛車をうまく捌いてよくなったように見えた。
ところが、羽生も△8五飛浮きからの△5五馬で今度は逆に豪快に捌きかえす。今度は、急に羽生がよくなったように見えた。お互い辛抱の末の派手な攻防は大変見応えがあった。
以下は羽生が正確無比な終盤の速度計算できっちり勝ちきる。
序盤の相横歩取りという作戦選択、中盤のじりじりした手渡しの続く高度なねじりあい、終盤の派手な技のかけあいと、とても内容の濃い将棋だった。
このトーナメントは、若き羽生が勢いにのって名人経験者をバッサバッサと斬って捨てた将棋も多い。しかし、この二人の将棋は、がっぷりよつに組んだ力のぶつかりあい。二十年前の将棋だが、感覚もきわめて現代的だった。
羽生が、当時の将棋界に劇的に革命を起こしたわけだが、谷川もその先駆者として現代的な感覚を持つ棋士だった。そのことを感じさせる将棋である。そして、二人は今でも第一線で活躍し続けている。

いよいよ、来週は決勝の中原戦。加藤戦があまりにも有名だが、60周年記念番組で見た際に、私はむしろこの中原戦の流れるような鮮やかな攻めに衝撃を受けた。解説は大山である。こちらも見逃せない。


今甦る伝説の▲5二銀―NHK杯 加藤九段vs羽生五段

なんて大袈裟なタイトルをつけるのだと笑わないで欲しい。昨晩の放送は期待に違わぬ、・・いやそれ以上の素晴らしさだった。

解説は米長邦雄。見所を永井英明に聞かれて、
「両天才ですね。本当の両天才。その他には加藤さんの咳の聞き所があると思うんですね。」
いきなり軽いジョーク。この頃の米長は本当に「さわやか流」で、実に楽しい解説で盛り上げる。
角換わりの出だしから△3二金のところで加藤一二三がいきなりの長考。一応△3四歩として横歩取りにする可能性もあるが、加藤はほとんど指さない。
そして考えに考えた末に、やっぱり△3二金。
勿論、米長が黙っていない。
「だいたい考えると別のことを考えるんでしょ。時間を使うと考えた手を指したくなるんですよ。でも、加藤さんは、長考して普通な手を指して平然としているんですよ。それがどうしても分からない。」
角換わりに進んで羽生がいきなり▲2七銀。棒銀の意思表示である。米長が「おぉおぉおぉ」と叫ぶ。加藤がさかんに咳きこむ。
「加藤さんの咳を聞いてください。驚いているんですよ。」
羽生善治が選択したのは居玉のままの棒銀の積極策。加藤の得意戦法、お株を奪ってしまった。
但し、この指し方は現在ではほとんど見られない。この対局に限らず、この頃の羽生は急戦でいきなり仕掛ける積極的な戦いが目立つ。ベテランの大家相手に全くものおじせず、むしろ攻撃的である。
加藤は今と比べるとかなり細いのだが、米長によるとかなり太ったそうである。当時48歳。実に若々しい。
「加藤さんと初めて対局したときの感想戦で、加藤さんは将棋盤の底まで読んでいるんじゃないかと思いましたね。よく読んでいましたね。読みの深さは天下一品ですね。ぼくの五倍以上は読んでますね。いつも。
ただ、加藤さんは誤魔化すとか、いい加減とか、省略ができないんですね。そういう面では私の方が長けているかもしれません。」
当時の米長と加藤は仲が悪い事で有名だった。対局でも盛んに当たったが、米長が「顔はあうけど気はあわない。」と言って、加藤がムッとしたという話は有名だ。
しかし、こうして認めるところはちゃんと認めている。でも、最後に自分の優位をちゃんと言っておくのも米長らしい。
ちなみに、永井によると、当時加藤は色紙に「一に読み二に読み三に読み」と書いていたそうである。
羽生が相変わらず、時折「羽生にらみ」を見せる。大変眼光が鋭い。今の羽生よりこわいくらいである。
米長が分析する。これは将棋に夢中になっていて、将棋盤を鋭く見ている視線が、そのまま相手や横に向かっているだけだと。別に相手を威圧しようとしているのではない。そして、この盤に向ける羽生の鋭い視線が羽生の猛烈な進歩の理由だと。
その通りだろう。羽生の対局姿には、時として無意識な忘我の瞬間が今でも訪れるが、若い頃は今以上に本当に将棋に集中しきっていた。その姿が映像に残っている。
将棋は羽生が棒銀からいきなり▲1五歩から仕掛けて激しい戦いになった。のっけから大変な局面である。その間も米長節は全開。
「加藤さんは読むことを楽しんでいるようなところがありますね。形勢が自分が少し苦しいかなと言うところで空咳が出るんですね。」
「172センチだそうですね。彼(羽生)は。背はどうだと聞いたら、172センチでもう止まりましたと言っていました。将棋の方はときいたら、いやそれはとか何とか言って笑っていましたよ。」
羽生が▲4八玉と玉自ら戦場に向かって受けたのも実に強気。とにかくこの頃の羽生の指し手には勢いがある。
「二人の違いというのはね。加藤さんは若い頃は大変早指しだったの。子供の頃はお喋りで、奨励会時代に先輩の有吉さんが「ピンちゃん、うるさいよ」と叱ったくらい早口で喋る少年だったらしいですね。
羽生五段の方はね、静かでしょ。ちょっと体つきから谷川浩司と似たところがありませんか。物静かで。
それがこの少年はうんと考えるの。のべつまくなし考えるの、この人は。
中原誠先生が見てね、『羽生君はあんなに考えていいのかなぁ。』と言った位考えるの。」
これも羽生の本質の一つだろう。若い頃からストイックにとにかく読みまくる習慣が出来上がっている。最近は大局観を強調するが、今でも長持ちしているのは、そういう厳しい作業を若い頃から怠ってこなかったからだろう。羽生世代皆にある程度はいえそうなことだが。
将棋は相変わらず激しいそのもの。羽生の斬り合いの▲2四歩を米長が当てる。
「この間、新人王戦の優勝戦がありましてね、羽生対森内。第二局を見ていて、終盤でここはこう指すここはこう指すと手を当てたんですよ。そしたら控え室に棋士が十人くらいいましてね、米長先生よく羽生クンとおんなじ手があたると感心して褒められたんですよ。あれ、私は喜ぶべきなんだろうか。」
そして、いよいよクライマックス。いきなり、ただ捨ての▲5二銀。伝説の一手である。
米長がまたもや咆哮する。
「おおおおおおお、やった。やったやった。」
マイクの音声が少し割れるくらいの大声。この米長の反応も伝説の一部だろう。
飛車でとっても金でとっても後手玉は即詰み。一撃必殺の一手だ。
そして、あまりに勢いよく打ったために乱れた銀を、加藤が手で触れて直す。それを、羽生がそれは私の駒ですよという感じで自分で再度触れて直す。しかし、それでも加藤はめげずにもう一度銀に手を出して直す。
伝説の▲5二銀は両対局者によって三度も触わられたのであった。
米長が、なんだかよく分からないけれどもゲラゲラ笑い出す。
「いい手だったねぇ。あそこに銀を打ったのは。」
以下、そのまま一気に羽生の勝ちである。加藤投了。
永井が「向こうにちょっと研究に」と米長を促す。
米長が「いや、研究じゃなくて勉強ですよ。」
米長は冗談めかして言っているが半ば本気だ。米長は若手に頭を下げて序盤の研究を乞い、念願の名人を獲得する原動力にしたのだった。
感想戦。
この頃の羽生は、今とは違って、言葉少なで声も小さく自分からはほとんど喋らない。でも、これは別に猫をかぶっているのではなく、当時の周囲の強烈な大人たちに本当に圧倒されていたのだろう。但し、ものおじしている様子は全くないのだが。その分盤上では全く遠慮なしなのだ。
米長がいきなり、「強い坊やだねぇ。」
羽生が▲1五歩のいきなりの仕掛けについて「昔、本で見たような。」米長「加藤さんの本で読んだんじゃないの。」
本の仕掛けのようにやられては加藤もたまったものではないだろう。羽生の序盤は今と違って結構あらっぽい。
加藤が羽生の飛車成に対して飛車をぶつける変化を検討するが思わしくなくて、すかさず米長「そんなに怒らんでもいいじゃないですか。」
▲4八玉について。米長「よくあがったねぇ。」加藤「その一手だから。でもその神経がね(と言って米長を見て笑う。)」
羽生の▲1七桂について。加藤「その桂馬を軽視していたんですよ。」米長「桂馬を軽視というのはシャレなの?」加藤「(苦笑して)そうじゃないんですけれどね。」
羽生の▲2七香について。対して△4五桂なら難しかったという検討。米長「しかし、それよりも香車を打った少年の心意気を褒めるところだね。そして▲2四歩と打っていた決死隊の。」永井「すごいですねぇ。」
本当にこの時期の羽生は激しい一直線の斬りあいの手が目立つ。
そして▲5二銀の場面。よく分かっている永井が「ちょっとそこ止めてください。もう一度見ていたいですよ。恐ろしいものですねぇ。」
そうなんだけど、加藤にとっては結構残酷である。
しかし、加藤は加藤らしく率直に認める「きっびしーーい手がありましたね。」
米長「狙っていたのか?」羽生が小声で「いや、この直前に気がつきました。」
米長が「もうここは泣きたいところだね。よく泣かなかったね。」と加藤にとどめを刺して感想戦はなごやかに終った。

懐かしのNHK杯 大山十五世名人vs羽生五段

昨日の順位戦A級の羽生vs高橋も凄まじかった。少し羽生が指せそうというところから、高橋が放った▲4四桂が中継で「怒りの桂打ち」と評された鋭い一着で、一気に高橋に形勢が傾いた。まるでランボー怒りの桂打ちである。
以降は羽生が完全に守勢に追い込まれて苦しい展開になった。必死に受け続けるがどこまでいってもつらい。
しかし、高橋も二度明快な勝ち筋を逃してしまう。それでも、▲1六角が絶妙の攻防手でついに勝ちになった・・ように見えた。
ところが、羽生の△1八角に控え室が騒然としだす。指されてみると簡単な詰み筋である。しかしプロには盲点になりやすい筋だったらしい。
羽生が勝ちのない将棋で、ほとんど唯一の逆転の筋で辛勝した。逆に高橋は魅入られたように唯一の負け筋に飛び込んでしまった。高橋にとっては無念の一局である。
本局までの二人の対戦成績を知って驚いた。高橋2勝で羽生21勝、1997年から羽生が13連勝中だそうである。
信じられない数字である。高橋は若い頃からいくつもタイトルを獲得してA級在位も長い。
その文句なしの一流プロが、羽生に二回しか勝っていない。しかも、最近は15年間勝たせてもらっていないのだ。
しかし、本局を見るとこんな将棋まで羽生が勝ってしまうからこんな結果になってしまうのだろう。羽生は本当に恐ろしい人である。

さて、懐かしのNHK杯、一回戦で山口英夫、二回戦で福崎文吾(残念ながら放送はなかった)を連破して、いよいよ大山康晴十五世名人の登場である。
今週のAERAに羽生のインタビューが掲載されていたが、その中で羽生は大山についてこのように述べている。
「大山先生は手を読んでいないんです。ただ見てるだけ。見てるだけで急所に手が行く。頭で考える感じではない。非常に感覚的なものとして捉えている。だから、何を、どう思ってその手を選んでいるのか、さっぱりわからない。衝撃的でした。大山先生のすごさです。」
この頃の羽生は「頭で考える」ことに特に徹底していたように思える。大局観と言うよりは、徹底的に具体的に読み込むことで、従来の棋士を粉砕し続けていた。
そこに、「頭では考えない」大山との邂逅である。面白くないわけがない。
先手の羽生が居飛車、後手の大山が中飛車。
羽生が棒銀のように3筋から急戦を仕掛けたのに対して、大山は飛車を7筋に振り直して袖飛車で居飛車の玉頭を攻める対策。大山はこの形の経験が豊富だそうである。
さらに、戦地が左辺に移り羽生が端にのぞいた角で後手の△6四銀を狙って後手の受けが難しそうに見えた。先手玉には金銀三枚がついているが、後手玉は金銀がバラバラでとてもまとめにくそうである。
以下も羽生も若き日の羽生らしく鋭くストレートに攻め込んで、大山陣はほとんど崩壊寸前にも見えた。
ところが、羽生が一方的に攻め込んだ瞬間に大山が△7二飛とした手が角ごしに先手玉を睨んだハッとさせる手だった。飛車が逃げつつ先手の攻めを止めてしまった。「受からないと思っていても受かっている」大山の受けである。
これには驚いた。若き羽生の剃刀のような鋭くて激しい攻めを、まるで魔法のように受け止めてしまった。大山も局後の感想戦で「ここはうまく騙したと思ったんだけどね。」と述べていた。
この辺りが羽生が大山に「衝撃を受けた」ところだろう。理詰めで論理的な攻めを、感覚的に急所をみきわめる受けでその力を吸い取ってしまったようだった。
但し、局面はまだまだ難しい。羽生はひるまずに鋭く攻め続けて、大山も勝負手を逃したようで、最後は羽生がハッキリ勝ちになって終局。
結果的には羽生の快勝だったのだが、むしろハイライトは大山の鍛えの入った受けだった。羽生もこんな受けは多分体験した事はなかっただろう。
そして、冒頭で述べたように現在の羽生は、大山のすごさを盛んに語っているし、自らも年齢を重ねるに従って、若い頃の「頭の読みの将棋」に独特の「大局観」を加味した将棋に変質してきている。
そういう羽生の原点、大山将棋の職人技も堪能できる将棋だった。

昨日も書いたが、この後夜十時から伝説の加藤一二三戦である。
また、囲碁将棋チャンネルでは月曜日の昼十二時から、10月から放送していた分の再放送を最近始めたようである。今までの分を見逃した方も、それでほとんど見ることが出来る。

懐かしのNHK杯 羽生五段vs山口七段

10月から囲碁将棋チャンネルで「懐かしのNHK杯」と称して過去のNHK杯の録画の放映が始まっている。
現在放映進行中なのが、第38回大会。羽生善治が、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と歴代名人経験者を次々に撃破して優勝して、若き天才羽生の名を天下に知らしめたトーナメントである。加藤一二三戦の▲5二銀は伝説になっている。
私的なことだが、私は実はこれらを生で見た記憶がない。いや、別に年をごまかしたいのではない。余裕で見る事が出来ているはずなのだが、なぜかを考えたら、当時は私が一番仕事と遊びに超多忙な時期で将棋どころではなかったのである。今風に入るとリア充期であった。多分、日曜の午前も多分家ほとんどいることなどなくて、完全に将棋から離れていた時期である。
だから、何とこの貴重な映像を私は多分どれも初めて見ている。なんという幸せな事だろう。よい時代になったものだ。
ここでのデビューから数年の「羽生五段」が何とも言えず鮮烈な印象を与える。現在の羽生は人格円満で陽気で誰をもひきつけずにはいられない魅力がある。対局時に見せる集中した際の「こわさ」も、羽生の一面に過ぎない。
しかし、この頃の羽生には、もっとむきだしの刀のようなところがある。黒澤明の「椿三十郎」で、三船敏郎の椿三十郎に対して入江たか子の奥方が「あなたは、むき出しの刀のような方ですね。いつもギラギラしていて。でも、本当にいい刀というのは鞘におさまっているものですよ。」と諌めるシーンがある。
この頃の羽生は、将棋に集中して相手を倒す事だけに集中しきっている。有名な「羽生ニラミ」も今より分かりやすい。でも、それは意識してやっているのではなくて、多分全部無意識なのだ。
その前の王者の谷川が、全く静謐にして上品な対局態度だったので、その差がきわだったのだろう。羽生は、(多分今でも)根底においては大変な激しさと厳しさを持っていて、それが決して俗的ではなくストレートにオーラになってあらわれている。今見ていてもドキドキしてしまう。
しかし、その激しさというのが、いわゆる普通の人間のドロドロした闘争本能といったものではなくて、あくまでピュアで澄みきったパッションなのだ。Rシュトラウスの「サロメ」で、サロメがヨハネの純粋で澄みきったオーラに欲情するシーンがあるのだが、(誠に不適切な比喩で申し訳ないけれども)、この頃の羽生のオーラももまったく混じりけのない純粋なものである。今の羽生にも見られないものだ。
当時の大変人間味溢れるベテラン棋士たちの前に座ると全く異質である。そして、将棋自体も、合理的に全く迷いなく相手を打ち倒していこうとする気概に溢れている。
現在の羽生は大変安定しているけれども、本質的には大変鋭角な気質があって、あやうい不均衡をなんとか保って維持しているようなところもあると思う。羽生のそういう部分がむきだしになって映像に保存されていて、今見ても大変スリリングなのである。
トーナメント一回戦の対戦相手は山口英夫七段。若き日に自ら開発した「ひでちゃん流中飛車」をここでも採用している。5筋の歩を突くのを保留する中飛車で、必要のない手を後回しにする現代将棋の感覚を先取りしているとも言える。
当時既に40を越えていた山口はNHK杯初出場。いきなり大変な相手とぶつかってしまった。当時の棋士では当たり前だったが、対局開始直後からいきなり煙草をふかしているのが何とも様になる。今の棋士にはないかっこよさがある。
将棋は、ひでちゃん流中飛車に対して、羽生が左美濃に組んで右銀急戦で気合よくしかけた。それに対して山口が△6五歩と伸ばして△6四角と据える余地を残す振り飛車がよくやる指し方をみせた。
しかし、この場合は6四に桂馬を金銀両取りにな打たれる傷があるのを羽生にきっちりとがめられてしまう。以下、駒得を自然に重ねながら着実にリードをひろげてゆく。全く曖昧なところのない自然で合理的な指し方である。当時の棋士が羽生にやられた典型のような将棋だったのだろうか。
最後は一手違いを完全に見切って、一手差ながら大差の完勝を決めた。こんなに気持ちよく将棋が勝てるものかとホレボレする将棋である。将棋の展開、相手にもよるのだろうが、今の羽生の曲線的な将棋とは違う、ストレートで明快で爽快な将棋だ。
解説は原田泰夫。山口の師匠である。聞いていて心地よい原田節の名調子。原田によると山口を若い頃に広島で世話したのが松浦卓造。松浦が山口の才能を見込んで、原田に弟子として世話してくれるように頼んだそうである。
ちなみに松浦卓造は左美濃の考案者。原田によると、松浦は広島の山の丘の岩に座って、景色を一望しながらどういう玉の囲いがいいかアイディアを練って、この左美濃を思いついたそうである。古き良き時代の話。それを羽生が偶然だが採用していたというわけだ。永井英明の名聞き手ぶりも懐かしい。最近亡くなられて、将棋世界にも追悼記事が載った。
さて、現在放送は三回戦の大山康晴戦まで進んでいる。明日の金曜夜十時からは、ついに伝説の加藤一二三戦の放映である。囲碁将棋チャンネルをご覧になれる方は、お見逃しのないように。

渡辺竜王が九連覇―第二十五期竜王戦

第五局の終盤、丸山が猛烈な勢いで咳き込み、何度も席を立つ。時間が切迫する中、必死の粘りを見せ、渡辺優勢と見られていた将棋がもつれてきた。やおら缶のカロリーメイトを開けると、ものすごい勢いで飲み干す。
渡辺は、そういう丸山の激しいアクションを目の前にしながら必死に盤上に集中しようとしている。
といった様子がニコ生で映し出され、ついに一時は丸山が逆転したかとも言われた。しかし、最後に渡辺が見せた△1九角成の寄せが炸裂して、一気に渡辺勝ちに。今期も防衛してついに九連覇である。
結局、終始渡辺ペースで進んだシリーズだった。第五局も、丸山が序盤で先に趣向を見せるものの、竜王にすばやく決断した対応をされて、逆に丸山の方が時間を使う羽目になった。
渡辺は、二日制全体を通じた時間配分テクニックに通暁しており、初日からとばして相手に持ち時間で差をつけて、心理的なプレッシャーをかける。相手もあまり初日から時間に差がつくのは嫌だから、つい本来しっかり考えないところで指し続けて、それが大きなミスになって、初日から大差になるケースもままあった。
早指しのリスクは渡辺にしても同じことなのだが、渡辺の場合は大局観も抜群に明るくて早い決断をしても、それが大抵的を得ている。定跡から外れた部分でもそうだ。
渡辺の指し手自体も、合理的で厳しいのだが、それ以外の部分でも場全体が渡辺ペースになってしまう。今までの渡辺竜王に対峙した挑戦者が大なり小なりそれに苦しめられている。
丸山という究極のマイペースの挑戦者をもってしても、結局渡辺ペースに巻き込まれてうまく対応しきれなかった。
去年はパパイアやカツサンド、今年はまんじゅうや缶カロリーメイトを盤の前で猛烈に摂取して、意外に神経の細かい渡辺の心を乱すのが精一杯だった。

私がこのブログを始めたのが、丁度渡辺が竜王を初獲得した頃である。つまり私のブログはずっと「渡辺竜王」の下にあった。もう8年も経つのだ。
竜王を獲得した頃から、今と変わらず斬れ味も鋭かった勝負強かった。しかし、あの頃から比べると今は本当に恐ろしいくらい強くなった。
竜王を獲得した頃は、△8五飛の研究将棋を駆使していた。若手の共同研究が盛んで、メールで新手情報を瞬く間に交換するとも言われていた。勿論、渡辺自身の力もあったが、そういう共同研究の情報をいかす現代的な若手の代表というイメージもあった。
しかし、最近の渡辺を見ていると、共同研究などしなくても最新形を自力で調べて自分で結論を出しているような迫力を感じる。今回だと、第一局の角換わりの重要課題局面がそうだが、自分の見解がはっきり事前に出来上がっていて、それをそのまま対局にぶつけるという感じ。
勿論今も共同研究はしていするのだろうが、勝手に推測すると自宅で十分に時間をとってしているという個人の勉強や研究で調べ尽くしているのではないだろうか。そして、他人の力を借りずとも、課題局面に自力で的確な答えを出す力を既に十分につけているような気がする。
丸山が後手の際の四手目の一手損角換わりは、相対的には定跡が整備されきっていない。しかし、渡辺は未知の局面でも、さほど時間をかけずに的確な答えを提出し続けていた。その場で定跡をつくる力があり、研究の定跡研究でも同じように自力で答えをだせるのではないだろうか。

とにかく渡辺の将棋というのは、相手を圧倒する、あるいはしようとする将棋である。
テニスで言うと、羽生がジミー・コナーズ、渡辺はボリス・ベッカーである。
コナーズは相手との長いラリーを続けて、相手のボールに対応しながら、そこから抜群にセンスのよいショットを決めて喝采を浴びる。
一方、ボリス・ベッカーは、強烈なサーブで相手を崩して、ラリーなど繰り返さずに一気にボレーで決めてしまう。
どれだけ古い喩えなんだと抗議しないで欲しい。私は今のテニスを全く見ておらず、しかもそもそもテニスに全然詳しくない。今思いつきで言いたくなっただけである。
ついでに言うと、クリス・エバート・ロイドやシュテフィ・グラフも好きだった。本当にどうでもいい話だ。
とにかく渡辺は相手を圧倒する将棋である。最近よく受けを見せるけれども、渡辺がやると、逆に攻めている相手をサディスティックに責めているような迫力があるのだ。
羽生も、そもそも現代将棋の代表のような存在だったが、渡辺と比べるとどことなく「古風」に感じてしまうところがある。
私などは、そういう羽生の「古風」なところが好きなのだが、勿論個人の趣味の問題に過ぎない。

丸山は、今年も後手では四手目の角換わりにこだわった。去年も序盤では渡辺にいようにやられていたし、今年も第二局はうまくいかなかった。
しかし、第四局では(渡辺の構想にも問題があって)ついに作戦勝ちして完勝した。
もともと、丸山は作戦選択に大変シビアである。横歩取りも、丸山はいち早く本格的に採用して勝ち星を荒稼ぎするとと共に、作戦にかげりが見えるといち早く横歩を棄てた。(第一期横歩取りブームの際の話。)
そんな丸山が、全く結果の出ていない四手目一手損角換わりを頑ななまでに採用し続けた。丸山らしからぬ意地のようなものを感じた。
丸山も年齢を加えて来て、やはり変化してきているのだろうか。
また、現代では定跡研究が完全に網羅整備されていて、例えば横歩で丸山のようなスペシャリストにあった情報の優位が現代ではなくなってきてしまっているのも関係しているのかもしれない。
だから、四手目一手損角換わりのような、あまり人の指さなくて自分が深く研究する形を採用したのかもしれない。
丸山得意の先手の角換わりにしてもそうで、今回丸山は最新定跡型ほをそのまま用いるのでなく、序盤から微妙な変化をしてマイナーな形に持ちこもうとしているようなところがあった。
今回の竜王戦を見ていて、丸山のような「スペシャリスト」の将棋指しにとっては大変な時代になりつつあるのかもしれないとちょっと感じた。
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