昨晩にNHKのEテレで放映された競馬騎手の福永祐一さんと渡辺明の対談番組。
渡辺明が、ちょっと腰をひけながら馬にニンジンを食べさせる姿、競馬の騎手姿に着替えて馬の模型を乗りこなして颯爽と...というわけにはいかなくて、福永さんに「かっこよくならないなぁ」と言われてしまう姿、盤の前でチョコケーキをほうばってやはり福永さんに「シュールな光景だ。」と言われてしまう姿。
渡辺の(失礼ながら)、「かわいらしさ」が端々に滲み出る番組でもあった。
福永さんは、競馬騎手というよりは、何となくストイックな格闘家のような雰囲気のある人で、二人の対談自体もとても興味深かった。二人とも大変な実力者であるにもかかわらず、羽生善治と武豊というスーパースターと戦う宿命を背負っている点でも立ち位置がちょっと似ている。
ここでは、番組の中で渡辺明が羽生善治について率直に述べている大変貴重な言葉を紹介しておこう。
「天才肌ですよ。いやボクも天才とよく言われるんですけれど、羽生さんは天才肌だとボクは思いますね。多分、他にあんまりこのヒト天才肌という人はいないですかね。羽生さんは天才肌だと思います。
何かいいとこいいところにこう・・・何と言うか説明が難しいんですけれど、当然勝率は高いわけじゃないですか、それで勿論技術的に強いんですけれど、まぁそうは言っても羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。まぁそれを全て読みきってやっているわけではないのは分かるんですけれど。
最初は本当にはじめて対戦する時はもう緊張して目の前に羽生さんがきた段階で、もうさっきの福永さんのダービーのアレじゃないですけれど、のまれますよね。二回目以降は少しは指せるようになりましたけれど。よく羽生さんの将棋ってどういう将棋かと聞かれて困るんですよね。個性がないので。弱点がないんですよね。」
渡辺らしく「自分もよく天才と言われるんですけれど。」と言い放つ。「自分も天才と言えば天才っすよ。でもそんな事はなんでもないんです。」とでも言わんばかりに。
プロ棋士の世界は天才集団である。既にプロになれる時点で十分に「天才」である。その後天才たちの戦いが始まる。
渡辺明や羽生善治やその他の超一流棋士たちは「天才中の天才」である。もう努力だけではどうしようもならないおそろしい世界だ。
その天才中の天才の中でも、さらに天才の渡辺が羽生の事を「天才肌」だと表現する。
「天才」ではなく「天才肌」である。つまり才能という意味での「天才」など(あくまで)渡辺にとっては大したことではない。天才にも理解しがたい言葉では表現できない何かが「天才肌」なのだ。渡辺は将棋だけでなく言葉の使い方も大変正確無比なのである。
「羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。」というのは何というおそろしい言葉だろう。技術や読みじゃないところでほとんど本能的に勝つ手順を選んでしまうところが羽生にはあるというのだ。それが天才中の天才中の天才の渡辺にとっても、「天才肌」としか言いようのない部分なのである。
そしてそれを本当に盤の前で向かい合って理解できているのは渡辺明他数名のプロ棋士だけのはずだ。我々凡人には伺い知る事の出来ない―限りなく嫉妬せずにはいられないと同時におっかない―世界である。

福永さんがフトこんな事を言う。
「努力している人でも楽しんでいる人には勝てないです。」
武豊さんを意識して言われた言葉のようにも思えるが、この言葉はそのまま羽生善治にも当てはまると思った。渡辺はどう感じたのだろうか。