2013年11月

竜王戦が終わって

私は最近まとまった文章を書く気力をすっかり失って、もっぱらツイッターでくだららない呟きを撒き散らしているばかりである。ただ、そのおかげで大変魅力的な将棋ファン―大変知的で感受性の鋭い人たち―と知り合うことが出来た。
その中には大変熱心な森内ファンも渡辺ファンもいる。その人たちが今回自分の事のように喜んだり失意に沈んでいるのを見ていると、ちょっと余計な事が言いにくくなる。
もともと、このブログをきわめて孤独にやっていて読者もほとんどいない頃は、結構好き勝手な事を平気で書いていたのである。今では信じられないくらいに。
前置きが長くなった。要するに、おでんをつつきながらIWハーバー飲みつつ、キース・ジャレット・スタンダーズを聴いていたらすっかりいい気分になって、好き勝手なことが書きたくなったというわけである。両対局者に対する基本的な敬意を失わずに書くつもりだけれども、両棋士のファンにとってはもしかすると面白くない部分もあるかもしれない。それでも構わないという方のみ、―いつもの酔っ払いの戯言だと思って―おつきあいいただきたい。

今回の将棋の構図は実に単純明快だった。「盾と矛」。攻め込まれて一見大変危ないような状態でも強気に引っ張り込んで受けきってしまう達人の森内vsきれそうな攻めをつなぐ達人の渡辺。どの将棋も色々な経過をたどりつつ結局はそういう分かりやすい展開になった。これからい棋風に忠実なタイトル戦は珍しかったくらいである。
そして。その結果は圧倒的なまでの「盾」の勝利。渡辺もいつものようにギリギリの攻めを的確につなごうとしていたが、結局森内がスケール大きく受け止めていて常にちょっとだけ足りないと状態が続いた。
どの対局もギリギリ。しかしながら、多分将棋の強い人間ほど、そのほんのちょっとの届かない距離が無限に近い事を感じとったのではないだろうか。森内の受けが圧巻だったのである。渡辺が近年こんな負け方をしたのは見た事がない。(棋聖戦のvs渡辺の羽生も強かったが、今回の森内はあれを上回る内容での圧倒ぶりだったのである。)

いや、実は今回の竜王戦だけではない。今春の名人戦でも、森内は羽生相手にこれと全く同じ事をやってのけていた。私のような羽生信者は、まさしくグーの音もでないくらいやられたのだ。今回はあの時のデジャブのようだった。
正直言って、森内が羽生と渡辺をおしのけて竜王名人になると誰が予想できただろう。
今までの将棋界には大変分かりやすい「王者の系譜」が存在した。すなわち、常に絶対的名太陽のような第一人者が存在する古典的な安定した宇宙構造である。
木村→大山→中原→(谷川)→羽生→(渡辺)という暗黙のダイナスティの系譜が存在して、他の棋士たちはたまにタイトルを獲得するのを許されるだけの脇役にとどまるはずだった。
そこに、劇的に割って入ったのが森内である。王家に属する羽生と渡辺を(表現はよくないが)徹底的に蹂躙してしまったのだ。
森内はまるで、往年の名画、キャロル・リード監督の「第三の男」のようである。いや、人間の(役柄の)タイプもオーソン・ウェルズとは全然似ていないしダジャレに過ぎないのだが。
とにかく、森内は予定調和の王者交代劇にわってはいった存在なのは間違いない。いや、実は今回が初めてではない。永世名人でも、森内は羽生に先んじている。
かつて、「名人は選ばれてなるものだ」という神話があった。実際永世名人もなるべき人が順番になっていた。ところが、「次は羽生が選ばれる順」のところで、森内が割って入った。永世名人は「選ばれるもの」ではなく「自力で獲得するもの」という歴史認識のコペルニクス的転換を森内がなしとげたのである。
今回もそう。そしてその内容は名人戦では羽生を竜王戦では渡辺を子供扱いするものだった。
勿論、冷静に議論するならば、森内が長時間ほどじっくり隅々までよみきって実力を十二分に発揮できるという事情がある。しかし、逆に言えば徹底的に読むことを許されれば現時点では森内がヴァン・ダ・レイ・シルバのような「絶対王者」である事を誰しも認めざるをえないだろう。
(ちなみに、最近刊行された渡辺の「勝負心」では、短い時間の将棋ほど実は実力が発揮されやすくて、羽生はNHK杯連覇などでもそれを証明しているという意味の事を書いていた。羽生と渡辺はタイプは全く違うが派手で華やかな将棋で短時間の将棋でやはり二人が突出しているのは興味深いところではある。ちなみに、正直な森内は短い時間の将棋だとミスが多いことを自分でも率直に認めているのだが。)

今回のタイトル戦で話題になったのは、いわゆる「往復ビンタ」である。渡辺が後手で採用した急戦矢倉を森内も後手で続けて採用して負かした。さらに、渡辺が先手で最近では画期的な過去に不利とされていた順をの見直し▲2五桂を採用したのを、最終局で森内が先手でやり返してまたも「往復ビンタ」。都合二度やってのけた事になる。
これについて、ある棋士が(誰が言ったか失念したが)、「森内さんはある戦形を究めたいのでしょう。タイトル戦なのに。その研究心がすごい。」という意味の事を述べていた。
なるほどそうなのかもしれない。そういう見方もあるのかと思って感心したのである。しかし、低次元な人間の私などはもっと別の心理的な解釈がどうしてもしたくなる。
そもそも、渡辺が竜王を奪取したのは10年前の森内からである。当時は、まだ厳密には森内の方がまだ真の実力では若干上回ると言われていた。そして、それは当時の渡辺自身も率直に認めていたのだ。しかし、渡辺は△8五飛という専門戦術と抜群の勝負強さで第七局までもつれた戦いを勝ちきったのである。
森内は渡辺がその後竜王を連覇し続けるに従って責任を感じるという意味の発言もしていた。自身も竜王に再挑戦するもストレートで渡辺に敗れ去ってしまったのである。
森内は棋士なのに大変デリケートで繊細なところがある。渡辺に当初竜王を奪取された際も、渡辺の(若さゆえの若干)傍若無人な振る舞いにイライラしているようなところもあった。再挑戦した際にも世代の違う渡辺に勝たないといけないという無駄な力みのようなものも感じられたのである。
ところが今回は最初から全く感じが違った。名人を羽生相手に防衛した余裕もあるし、今や渡辺の実力も巷間に完全に認知されている。もう負けたら恥ずかしいという事情など全くない。
となれば、無心に実力を思う存分ぶつける事が出来る。そうなると滅法強いのが森内なのである。
森内が名人戦で羽生にやたら強いのもそれが明らかに一因だ。森内は平素から羽生に対するリスペクトを隠さず口にしてきた。最近では、麻雀の桜井章一さんとのプライベートな会話で「羽生さんを敬愛しています」と述べたそうである。
だから、森内は羽生相手だと余計な事を考えずに全ての力を発揮できるのだ。
今回の竜王戦でも、世代の違う渡辺に対する意識過剰が全くなかった。そうなると、森内はむしろ驚くべき攻撃性を発揮するのである。
もし、「どうしても勝ちたい」と思っていたら「往復ビンタ」など考える余裕はない。しかし、今回は余裕があるのでまるで少年が何も考えずに悪戯をするかのように相手の作戦を採用して「どうだ」とやってしまう。
普通の人間なら悪意とか意地悪とか思われるだろうが、森内の場合はそういうのは微塵もない。単に子供のように「これやってみたいや、面白いや」ということなのである。子供の何も考えないイタズラが時としてとてつもなく残酷なように。
島朗の「純粋なるもの」は基本的に羽生世代に全員にあてはまるのだが、その中でも一番子供の純粋をいまだに保持しているのは多分森内だろう。
ドラえもんのジャイアンの顔だけとてつもなく善人になったのを想像していただきたい。とてつもなく力が強いのでのび太はたまったものではないのだ。

さて、渡辺明。ここ近年では「竜王」というのがそのままこの人の呼び名だった。羽生相手の三連敗四連勝も、(私のような羽生ファンにとってさえ)もはや懐かしい思い出である。
だから、この人が竜王ではいなくなるというのは大変な喪失感がある。
もしもと、渡辺はその率直な人間性が渡辺ファンには魅力的だったようである。私もそれはよく理解していたのだが、最近は羽生の強烈な仇敵だったので(苦笑)そんな余裕がなかっただけである。
そんな渡辺が最近メディアへの露出がやたら多くなり、その憎めない人柄が広く知られるところになった。
また、今まであまり言わなかった羽生へのリスペクトもあまり隠さなくなった。競馬の福永さんとのテレビ対談、囲碁の井山さんとの対談、NHKの将棋本でのエッセイ、そして最近刊行された「勝負心」で羽生への思いを率直過ぎるくらいに率直に語っている。
渡辺の正直さ、明るさ、素直さがかなり表に出るようになってきたのである。そういうタイミングでの失冠だったので、渡辺ファンでなくても一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
さきほど述べた王者の系譜の話で言うと、渡辺もまたそれにふさわしい華のある魅力的な人間なのである。それが多くのファンに周知になりつつある時点でのこの出来事は何とも皮肉だとしかいいようがない。
それと将棋自体について。今まで渡辺だけが羽生世代と孤軍奮闘している存在だった。
それについて実は二通りの見方があった。まず一つは渡辺こそが羽生世代を超える現代的な感覚の将棋を代表する存在だと。時間は掛かるが結局羽生世代をねじ伏せて王朝を継承するだろうと。
もう一つは、渡辺将棋はシビアで現代的だけれども羽生世代のような奥の深さに欠ける。若い力のある時はいいが、衰えると羽生世代の反撃を受けるのではないかという見方。
私自身は、二番目の見方も理解できるが、ずっと将棋を見ている者としては、やはり渡辺間無駄のにい現代的な将棋がどんどん魅力的に見えてきていて簡単に羽生世代は倒せないかもしれないが、ずっと激戦を続けるだろう。特に羽生とは、という折衷案だった。
ただ、今回の竜王戦は羽生世代の森内の文字通り「厚さ」を感じされる内容だった。
棋聖戦の羽生との戦いを考えても、今渡辺がピンチとは言わないまでも一つの岐路に立っているのは間違いない。
しかし、そもそも渡辺は竜王奪取もその後の次々の防衛劇も「予想を裏切る」歴史だったのである。
渡辺には逆境をはねかえすパワーがあるのだ。王将戦を控えた羽生ファンとしては、それを恐れつつも現在最高のゴールデンカードを心ゆくまで楽しもうと思っている。
羽生がよく言うように棋士の人生はマラソンのようなもの。今回の竜王戦もその一ページに過ぎない。

行方尚史痛恨のポカとその人間

この件については、さすがに気の毒なのでブログに書くという鬼のような事はやめておこうと思っていた。しかし、NHK杯をご覧になった方はお分かりだと思うが、その後の行方尚史の振る舞いが実に人間味に溢れていて魅力的で書きたいという欲望を抑えることができなくなってしまった。
あと、私が今飲んでいるのでその勢いでというのもある。同じお酒飲みという事でお許しいただきたい?

それに、行方のポカは確かに滅多に見ないものだったが、こういう事は超一流プロにだってある。一番有名なのは羽生善治の一手詰めウッカリだろう。レベルは違うが、最近の竜王戦第二局でも渡辺明が「顔から火が出そうな見落としをした」ばかりである。プロであってもこういうのはつきものなのである。ただ、それがNHK杯という大変目立つ場所で出てしまったのは行方にとって不幸ではあった。

行方がうまく指していて大石直嗣が▲8八歩と粘りの手を放った局面で事件は起きた。「事件は会議室で起きてるんじゃない 対局室で起きてるんだ」ってなものである。(ゴメンナサイ
行方は力強く△8八同馬。
解説の北浜健介が「えっ、そんな手があるんですか?」と独特な穏やかな調子で言う。▲同銀とされて後手は馬を捨てたのに何も取る事が出来ない。
でも、さすがに何か狙いがあるのだろう。行方もわりと間をおかずに△7六香。
ところが少し進むとさすがにはっきりした。後手の攻めが完全に切れている。プロの信用はあついので何か狙いがあるのかと思ったら、どうやら行方は何か完全に勘違いをしてしまったらしい。

そこから行方の果てしない苦悩が始まった。
局面はどんどん進んで大石勝ちがハッキリしていくが、行方は多分もう目の前の局面の事をほとんど考えていない。多分頭の中ではあの手のことだけが何度もグルグル回っている。
「いやぁ」と呻きつつ髪の毛をかきあげ額に手を当てる。
ミニタオルを口と目にあてて深い溜め息。
せわしなく手で額をかく。
「いやぁ」。頭をかかえてうなだれたかと思うと、お茶を飲む。何度も。
扇子をひろげて口に当てる。
目に指を当てたままでうなだれる。
そしてついに「負けました。」消え入るような声というのはこういうのを言うのだろう。
声が出てこない。深い溜め息を何度も。

という対局姿がそのまま映し出されてしまったのである。残酷だけれども美しいと勝手な事を言えるのは観ている側だけかもしれない。しかし、この素直で正直すぎて全く飾る余裕のないありのままの人間の姿には妙に観る側の
心を打つものがあった。

感想戦でも行方流の率直で正直な発言が続いた。ここでも、私はつい笑ってしまいながらも胸打たれずにはいられないのだった。以下、その発言を再現して終わりにしよう。

「この後、ちょっと並べたくないですね。さすがに。いやぁ。」
「いやぁ、こんな事やっていいるんじゃダメっすね。」
(北浜にここでは後手が少し指せましたかときかれ、苦笑気味に)
「まぁ、だいぶいいとは思いますけれどね。少しじゃないです。でも、これを勝てないというのも....」
「観た事ないよ、こんなの。」
「さすがに私もこんな事をやったのは初めてですね。」
「自分はこういうポカやる歳になっちゃったんだな、ひどいな。」
「あきれたね。いやぁすぐに取った瞬間にハッと我に返りましたけれど。」
「将棋は残酷なゲームですね。」

そう、将棋くらい残酷なゲームもない。同時にそれゆえにこれくらい美しい芸術も。


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