2014年04月

羽生善治の「右腕」長岡裕也

昨晩テレ朝で放映された番組のタイトルである。さすがに「右腕」とまで言われたら長岡も照れてしまうだろうが、そういう番組タイトルなのだから仕方ない。そして大変面白かった。
八王子の将棋道場での二人の初対面動画まで残っていた。羽生にしっかりと挨拶する長岡少年。今の長岡の落ち着いた性質は既に見て取ることができる。しかし、羽生をじっと見つめる憧れの目だけは他の少年と少しも変わらないのだった。
二人の対局、いわゆるVSの様子もカメラが追う。驚いたことに羽生は普段の公式対局の時と全く同じである。大きなモーションで将棋に没頭し、たまたま苦しい将棋だったらしく声を上げて苦吟する。これが羽生善治。練習の将棋でもタイトル戦でも一度将棋を指し始めたら100%没頭してしまう。
羽生が「負けました」と言って頭を下げる。長岡の勝ち。長岡本人によると練習対局での勝率は一割から二割とのこと。いくら羽生が強いといってもやはりこの数字は驚異的である。少なくとも羽生が少しも緩めていないのだけは間違いない。
ところで、カメラは二人の練習対局だけ追っていたが、いわゆる序盤の局面指定の最新研究手を長岡が講義するような事はやっているのだろうか。しているような気もするし、羽生はあまりそういう事を欲張ってやらないような気もする。どうなのだろう。
オマケ的に長岡と夏目三久アナが駒落ち対局。夏目アナは将棋のルールも知らず、長岡は玉だけ。プロの強さを教えようというありがちな企画で、こんなのいらないと思っていたのだが、大変面白いことに。
夏目アナが「えっ、どうしようかなぁ」とか言いながら指した手が初手▲7六歩。何も教わらないでたまたま角道を開けたらしい。これには「おおおっ」となってしまった。結構勘がよいのだろうか。
長岡二手目△4二玉に対して、夏目アナ、「いっちゃおうかなぁ」と言いながら指したのが何と▲3三角成。いきなり攻め込んだのはよいものの、残念ながら玉で取られちゃう。夏目アナ、大人しそうに見えて実は超攻撃な性格か?
というわけで大笑いしたのだが決してバカにしているわけではない。初手▲7六歩といい、この手といい展開的に盛り上げるためには理想的な指し手であって、やはりこういう人は何か持っているのかもしれない。
私はほとんどテレビを観ないので、先日豊川孝弘がやはりテレ朝番組で取り上げられた際に初めて夏目アナを見た。有吉弘行やマツコ・デラックスといった超曲者相手に、ほわーんとしたおっとりしたオーラながら、自分のペースでしっかり喋っていてなかなか大物ではないかと思ったのだが。
そして番組の締めの部分での夏目アナの発言。
「将棋は一人の世界で個人との戦いだと思っていたのですけれども、羽生さんと長岡さんのようにお互いに尊重しあってみんなで強くなっていく世界なのだと感じました。」
これには、またしても、「おおおおっ。」まさしくその通りであって、現代将棋は共同の研究によって序盤定跡、中盤の感覚、終盤の技術も猛烈な速度で進化してきたのだから。
夏目アナ、勘がよいだけでなくて大変賢いのかもしれない。
さて、今日は羽生善治についてでも長岡裕也についてでもなく、実は夏目三久アナについて書きたかったのがそろそろバレたと思うのでもう終わりにしよう。

将棋における人間とコンピュータ雑感

将棋における人間とコンピューター雑感
続・将棋における人間とコンピューター雑感

最初の記事を書いたのが六年前、二番目の記事を書いたのは四年前である。
どちらも今ほどコンピュータが人間を追いつめてはいない状況だった。別に自分の先見の明を誇るわけではないが、ある程度は現在の状況を言い当てているはずだ。いや、原理的に当たり前のことを書いただけなので外す方が難しいとも言えそうだが。
最近の電王戦では、人間とコンピュータの共存共栄が叫ばれている。それには様々な側面があり、例えば人間が実際に生活していくのをコンピュータが手助けするという意味もあるだろう。
私が以前書いた記事で別の側面から主に述べたのはこういう事だ。人間は一見自由な存在に見えるが、実は生まれ育った環境(地域・風土・民族・国家等)の習俗制度教育によって徹底的に縛られていて、その思考も感情も意志も実は自由でなく機械的に反応していることが実に多い。いや、ほとんどそうだと言っても過言ではない。
将棋という純粋な思考の世界のゲームの世界でも、その人間のそうした無意識の被規定性のせいで、本当の意味では自由に考えられていない可能性がある。
一方、コンピュータは機械で本来自由ではないのだが、そのかわり全く先入観がない。環境によって汚されてないし思考のバイアスも存在しない。だから、コンピュータ将棋は「究極の外国人」として、人間の思考の癖や盲点を明示してくれる可能性もある。
その事で人間は自らの限定性を自覚して、コンピュータの力を借りることで人間本来の自由に到達できる可能性があるのではないか。
やや、大風呂敷をひろげながら、そのような「未来」を楽観的に予測してみたのである。しかし、正直に言ってコンピュータ将棋がそこまで人間に具体的に役に立つのかは疑心暗鬼だった。
ところが、コンピュータ将棋の進歩は恐ろしいまでに迅速だった。私が何の進歩もないままのうのうと六年間を過ごしている間に、もはや夢物語とも言えなくなりつつある。
具体的にはコンピュータ将棋が次々に人間将棋の定跡を塗りかえつつある。三浦弘行と戦ったGPSの新手、名人で森内俊之が採用したポナンザ新手、そして今回YSSやポナンザが指した横歩取りでの△6二玉型。どれも、人間の先入観を排した発見だった。人間が習慣的に正しいと信じ込んできた「定跡」に新鮮な目でコンピュータが再検証の作業を進めている。まさしく、人間の不自由な思考を先入観のないコンピュータが指摘しているのだ。
豊島将之がコンピュータと数限りなく指した上で学んだと述べた事も大変印象的だった。
まず、従来豊島は序盤重視だったが中終盤の重要性をコンピュータから学んだという。人間の現代将棋は研究全盛で、序盤を深く研究すればある程度勝つ可能性を高くできるとされてきた。研究しないとあっという間に負けてしまう。
ところが、コンピュータは今でも序盤はさほど精緻ではないのだが無難に序盤を乗り切れば、その圧倒的な力によって人間を中終盤で逆転したりねじ伏せたりしてしまう。豊島も練習で痛い目にあったらしい。
つまり、人間が序盤を徹底的に解明すれば後はある程度勝ちやすいというところまで将棋を進化させたと自惚れていたところに、コンピュータが「いや、中終盤はもっともっと奥深いものだし将棋はそんなに簡単なものではないよ」と異議申し立てをしたのである。
豊島もそもそもその深くて徹底的な序盤研究でのしあがってきた典型の棋士だが、その豊島も根本的に考え方を改めたというのである。
(念のため付言すると、人間も中終盤力の重要性はもともと十二分に認識していた。豊島も序盤だけでなく「中盤終盤と隙がない」棋士である。しかし、コンピュータはそれにもまして中終盤が深くて、現在の人間のレベルよりもより正確性が必要な事を人間に思い知らせたという意味である。)
また、豊島は従来中終盤を形にはめて考えてしまいがちだったが、コンピュータにもっと中終盤も自由に考えるべきだと学んだとも述べている。
特に将棋の終盤は指し手の必然性の度合いが高まって人間が自由に指せる可能性が低くなるというのが「普通」の考え方である。しかし、豊島はコンピュータの形にとらわれない中終盤の指し手に驚いて、もっと柔軟に自由に考えなければいけないと思ったというのだ。
まさしく、人間の思考の癖を何の偏見も先入観もないコンピュータが正した一例と言えないだろうか。

最初の記事では小林秀雄の「考えるヒント」の「常識」の中から小林と中谷宇吉郎が「棋の神様」をめぐってミニ漫才をしているのを紹介した。
それ以外に「メールツェルの将棋差し」の話も出てくる。十八世紀の中頃に将棋(チェス)
を指す自動機械が現れて人間に対して連戦連勝した。それをエドガー・アラン・ポウが、機械には人間のような判断ができるわけがないので、中に人間が隠れていると確信し、その人間が隠れるトリックを解明したそうである。
小林秀雄はそれを受けて、将棋というのはあれかこれかを判断しなければいけないから、単に電子計算機をどれだけ大型にしても不可能だ、それが「常識」というものだという結論に結びつけている。
言うまでもなく現在では小林のこの結論は間違いだ。人間にしかできない「判断」を現在のコンピュータソフトは「評価関数」を用いて数値化して「判断」できるようになっている。
いや、厳密には人間の「判断」とは違う。あくまで数値化する関数を作成してその点数が一番高いものを自動的に選択しているわけである。
だから、小林の「常識」も根本では間違っていない。コンピュータは選択する自動作業は行っても、人間のような本来の意味での「判断」はしないので。
つまり、小林が間違ったのは「判断」という言葉の適用範囲である。人間の判断というものも、実は自由なものではなく単なる機械的なプロセスに過ぎない場合も多い。将棋の人間の判断思考にしても、それを徹底的に言語化して明らかにすると、駒が得で玉がかたくて駒が働いていて等々コンピュータの言語に翻訳可能なものがほとんどなはずである。それを人間は全てをいちいち意識化はしないで行うだけで。
だから、突き詰めて考えると人間の本当の「判断」と言えるものが何なのかは通常考えられているほど自明ではない。
そして、コンピュータ将棋が人間の思考ほどは柔軟で精緻ではないにしても、ある程度それを言語化して評価関数にすると、むしろ人間の思考の癖や限界を明らかにできる可能性だってないとはいえない。
勿論、両者の思考法は基本的には全く別種なのだが、両者が共有できる「指し手の正しさ」の度合いによって、コンピュータが人間の思考の盲点を教えるのは不可能ではないし、実際に最近のコンピュータ将棋はそうした事を行い出しているのである。
そして、究極的には人間が自らの本当の「判断」とは何かをしる契機も与えてくれるかもしれない。

さて、今まではコンピュータ将棋の肯定的側面だけ述べてきた。現在、コンピュータ将棋は実力的には既に人間のプロと互角か上回るかのレベルに既に達している。但し、現在のコンピュータ将棋が「将棋の神様」レベルに近づいているかというとそれは明らかに否だと思う。
今回の第五局が象徴的だったが、コンピュータが本当に正しい理想的な手順で勝っているかは大変疑問なのだ。△1六香や角を詰ましにいった順は人間的にはきわめて筋悪である。しかし、それは人間の偏見で理解がまだ及ばないだけでああいう指し方が本来正しいのだ、と言われてもそれは疑問のように思える。
つまり、あの順というのはああすれば負けにはなりにくいという順であって結果的にはコンピュータが体力勝ちしたが、実際にはあのあたりでポナンザ自身も評価をさげている。
人間が見て異筋なだけではなく、コンピュータ自身もあの指し方が素晴らしいとは言えない事を(コンピュータらしく率直に)認めているのだ。
人間の理解力には限りもあるし先入観もあるが、しかし全く間違っているわけではない。現在のコンピュータ将棋は、大変力は強いのだけれども時として粗暴で未完成な側面もみせるのである。それでも、圧倒的な力があるので結果的には勝ってしまうのだが。
よく言われるように「評価関数」についても、人間プロとコンピュータでは全く違う。これもどちらが正しいかは水掛け論になってしまうのだが、冷静に客観的に見てコンピュータの評価が激変して人間の判断の方が正しかったという事も多い。逆に実はコンピュータの評価が正しかったという場合もあるが、多分まだその種の判断では人間の方がまだ正確なのではないかと私は考えている。
(これも一応付言すると、それも人間の先入観だと言われてしまえばどうしようもないのだが。)
つまり、少なくとも私は現在のコンピュータ将棋をこう捉えている。
現在のコンピュータ将棋は、将棋の神様の完璧とは程遠いところにある。しかし、圧倒的な物量の思考力でその感覚的な弱点や鈍感さといった弱点を楽々と補って既に人間を凌駕しつつあると。
但し、従来と比べると評価関数の評価も格段に正確になったし序盤の弱点もかなり解消されて進歩の途上ではあると。
しかし、本質的なところで言うと、もしこのまま新たな技術上の大きなブレークスルーがない限り、感覚的な弱点を物量で補うという基本形式は変わらないような気がする。
だから、前半で述べたようにコンピュータは人間の先入観を正すという批判機能は果たせても、新たな将棋の積極的な価値は生み出さないままこのまま強くなり続けるのではないだろうか。
もっともそういうコンピュータに負けつつある人間側の将棋も、まだまだ不完全だと認めざるをえないだろう。
将棋の神様とは程遠い二つの存在、人間とコンピュータがお互い不完全なまま競い合っているのが現状だと言えなくもない。
誤解しないで欲しいが、人間のプロ棋士やコンピュータのプログラマーを侮辱したくてこんな事を言っているのではない。両者とも大変真剣に人間の叡智を傾けて努力しているのは誰でも知っている。
そうではないのだ。現在のコンピュータ将棋は、現在の人間将棋ひいては人間そのものの未熟さを映しだす鏡なのである。その事で人間将棋が自らを知ることが本当に最近具体的に可能になっているのだと実感する。

コンピュータ将棋には偏見や先入観がないと再三再四述べてきた。羽生善治は人間ではもっともクセのない棋士である。無個性が個性であって、決して指し手が固定した形にとどまらない。いわゆる「羽生マジック」も決して奇をてらっているのではなく、単に先入観で指し手を決めないだけである。
羽生が人類最強なのは決して偶然ではないような気がする。コンピュータという先入観のない鏡の力を借りて、人間の側も無駄な個性や自己主張やエゴを捨て去ることで進化していくのかもしれない。
最後はやはり羽生ファンの妄言になってしまった。もうやめよう。

電王戦第五局 人間屋敷伸之の将棋とコンピュータの将棋

電王戦が終わった直後からずっと体調を崩していた。あれは電王熱だったのだろうか?もう一週間以上経過してしまって今更感が強いのだが、今年の電王戦の全ての将棋について書いてきたので第5局についても振り返っておく。
屋敷伸之がいつも通りクールに登場。屋敷はプロ棋士の中でも最も感情面が安定しているタイプだと思う。
屋敷で忘れられない話。屋敷がまだ奨励会時代で若い頃、後輩の鈴木大介と一日中二人で対局し続けたことがあった。実力的には当時屋敷が上で何度やっても鈴木は勝てない。意地になった鈴木がそれでも挑み続けたが屋敷は全くゆるめてくれず鈴木はひどい目にあった。プロになってからもそのトラウマからか屋敷になかなか勝てなかったという。
その時の話について聞かれた際の屋敷の弁がふるっている。「あぁ、なかなかやめないなと思っていました。」と例のニコニコ顔で。普通ならあまりに相手が勝てなかったら少しは手加減したくなるだろう。ところが屋敷はあのニコニコ顔で平然と鈴木を負かし続けた。屋敷といえば棋士の中でも温和な人格者で通っているが、なかなかどうしてそのプロとしての勝負師根性はたいしたものだ。
しかも、屋敷の場合は意地悪して負かし続けるのではなく単に冷静に「なかなかやめないな。」と考えて相手を痛めつけ続ける事ができる人なのである。
電王戦PVに米長邦雄が登場して、コンピュータと戦う場合に、気合いでとか勝とうとかしてはよくないと述べていた。米長が実によく分かっていた先見の明に驚かされるが、屋敷こそコンピュータ相手向きの棋士とも言える。あくまで冷静にその局面での最善手を積み重ねてゆくプロフェッショナル。
将棋は相掛かり風の出だしから横歩取りに。屋敷はこうした方が横歩に誘導できる確率が高いと事前研究していたのかもしれない。屋敷らしく、きちんと冷静に序盤の準備を進めてきた感じがして頼もしい。
コンピュータは、横歩と角換わりだと他の戦型と比べてやや指し手の精度が落ちるというのがプロ共通の見方のようだ。あくまで相対的な話であって、それでも恐ろしく強いのだが。
第三局の豊島と違い、屋敷は横歩の「青野流」という早めに▲5八玉とする形を採用。プロでも最新流行の課題型である。
そして、ポナンザはまたしても△6二玉。第三局と形は違うが。ポナンザはアマチュアのチャレンジ企画でもやはり△6二玉を指していたそうである。
人間の将棋では、後手玉は△5二玉と中住まいにしてバランスを保つか、あるいは△4一玉として中原囲いにするかが玉の位置の常識である。
しかし、どうもコンピュータは総じて△6二玉として左に囲うのがよいと判断しているらしい。確かにそれは立派な考え方であって、もしそれで問題ないならコンピュータが人間定跡の常識に疑問を投げかけている一例と解釈できるのかもしれない。
実際、直近の将棋で菅井竜也は第三局の形から△2三銀を入れてからの△6二玉を、豊島将之も△5二玉△2三銀としてからの△6二玉を試している。もともと人間でもあった形ではあるのだが電王戦で本格化した感じた。まるでタイトル戦で指された手が流行するように。
(但し第三局のあのタイミングでの△6二玉だけはないようだ。あれは敗着でも悪手でもないという事だったが、やはりあそこでわざわざ▲2一角と打たせるプロはいないのではないかしら?)
その後も屋敷の指し手ははやい。この△6二玉以降の展開もある程度予想していたようである。ツイッターで西尾明もこのようにつぶやいていた。
私が連盟でponanzaと指したときと23手目まで同じ将棋で笑ってしまった。そのときは偶然にも勝てたが。屋敷九段も当然念頭に入れてある局面だと思います。
しかし、△2六歩と垂らされたあたりで屋敷の手が止まる。なるほど嫌らしい悩ましいよい手だ。やはりポナンザは強い。やはりずっと研究通りというわけにはいかないのが将棋である。
以下、さばきあって屋敷、飛車とポナンザ、金桂香の三枚換えに。屋敷にとっては大変大きい駒損なのだが、後手は遊んでいる駒も多いので駒の効率で勝負という人間らしい大局観である。そして、驚くべきことにこれだけ駒得していても現在のコンピュータは決して楽観せずそれなりに難しいと理解しているようである。基本的にコンピュータ有利の評価値だったが、駒得ほどは離れていなかった。
午後になって渡辺明がゲストで登場。いきなり、「意外にここは狭いっすね。」「それに暑いし。」とネガティブつかみで笑いを取っていた。ヒールっぽくふるまいながら決して憎めず笑ってしまう独特の芸風?を確立しつつある。
コンピュータはやはり自分が有利と判断していたが、渡辺等の検討では人間もまだまだやれるのではないかという評価だった。▲6五桂のところでじっと▲6八銀としまる手を渡辺は推奨していていかにもプロらしいよい手なのでさすがだと思った。関西で検討していた糸谷哲郎もやはり▲6八銀おしだったようである。
屋敷は▲6五桂としたが、これも悪いわけでなく本譜のように△5四金から取りにこられるのが気になるが金を打たせて重くするという終始一貫した方針とも言える。というわけで後手ポナンザの駒得はさらに広がった。
そして驚きの一手△1六香がきた。
これは人間のプロ棋士には絶対指せない手である。渡辺が言う。
「これで負けたらねぇ。△1六香は人間には絶対考えないですからね。観戦記者の方に△1六香を聞かれたら、そんな手はないでしょうと答えますからね。普通に考えると悪い手です。だから、これがもしいい手だったらコンピュータは相当強いという事になります。」
人間にとっては感覚的にはありえない手、将棋でこういう手は指してはいけないと教わる手、分かっていても恥ずかしくて指せない手なのだ。
たまたま、この手の時にポナンザ開発者の山本さんの表情が映し出されていた。どう思われているのでしょうがと聞かれて、渡辺「マジっすか」という感じですか。これには笑ってしまった。山本さんは将棋もかなり強いのでこの手がどういう意味なのかもすぐ分かるはずなので。
しかし、局後屋敷はこの△1六香もやってくるかもしれないと思ったそうである。やはり練習でコンピュータの異質性をよく理解していたようだ。解説の深浦康市も「ちょっと穿った見方かもしれませんが、屋敷さんは練習で大駒をエサにするやり方を学んだのかもしれませんね。」と述べていた。
本局は今回の電王戦を通じても内容的に一番人間将棋とコンピュータ将棋の質の違いが端的に出た。
その後も驚きの順は続く。何とポナンザは角を詰ましにくる順に出た。持駒を投資してさらに駒得は拡大できるが人間的には決して筋はよろしくない。
もしも弱いアマチュアがこれをやったら、「将棋というのは角ではなく王様を詰ませるゲームなんですよ。」「こんな役に立たないところにベタベタ駒を打ったら美しくないでしょ」なとど優しく酷評される事請け合いである。
佐藤康光もあまりのことに角の五手詰がとけなくなってしまう有様だった。
しかしながら、実際問題としてこのあたりのポナンザの指し方は決して間違いだったとは言いきれない。それが人間にとってはつらいところだ。やはり駒損は大きくて体力勝負負けしてしまうかもしれないので、このコンピュータの異筋で筋のよくない指し方も決して切り捨てる事ができないのだ。
もっとも実はポナンザ自身もこの辺の指し方に確信を持っていたわけではないらしい。山本さんが自戦記(前半後半)を書かれているが、この辺りでは評価が落ちてきていて、山本さんも不安になっていたそうである。
それは逆に言うとある意味すごいことでこれだけ駒得していてもそれほど簡単ではないのをポナンザ自身が理解していたことになるので。
その状態で△1六香、角の詰ましに続く驚きの第三弾が。△7九銀である。
これまた人間的には筋悪もいいところなのだ。弱い人間がやったら「王手は追う手、玉は逃さないように下段に落とすのが基本です。」とまたしても注意されてしまうだろう。佐藤も深浦も真意をつかみかねていたし、渡辺もあまりにも寄せが薄すぎると感じたようである。それが人間の感覚、直感というものである。いや、プロじゃなくても素人にも普通ない手だと経験的にすぐ分かる。それくらい違和感のある手なのだ。
ところがよく調べてみるとこれも決して悪い追い方ではなかった事が判明する。どうにも困ったものだ。さきほどの△1六香や角詰ましはまだ本当の終盤ではなかったが、こういう最終盤だとコンピュータはもうほとんど間違えない。人間の感覚や読みがそれに追いつかないだけ。山本さんまでもこの追い方はコンピュータの水平線効果が出たのではないかと危惧されたそうなのだが。
それでも、実はまだここまできてもまだ局面は難しかった。これはどれだけ賞賛しても足りないが、ここまで屋敷が粘り強く局面の均衡を保ち続けることに成功していた。恐るべき超人的な強さなのである。これだけ指せるプロはどれだけいるか分からず、やはり屋敷の実力が本物なのは証明していたと思う。
しかし、しかしながらだ。将棋はどれだけよい手を積み重ねても終盤で一手間違えると一気に奈落の底に落ちる。▲8一成香がウッカリで△8三歩とされてジ・エンド。
人間にはトッププロであっても常にこれがある。だって「人間だもの」(みつを)。
ところがコンピュータはどれだけ時間が切迫してももう決してこの種の大きな落手は犯さない。
というこれまた人間とコンピュータの違いを象徴する形で勝負がついてしまった。
屋敷の対局姿はこれまたかっこよかった。常にクールに感情を乱さずに盤上の最善手のみを追求する姿はまさにプロフェッショナルだった。
本局は内容的に一番人間とコンピュータの将棋の違いが出た。なおかつ、人間的には感覚的には到底容認しづらい指し方をコンピュータがしても将棋を成立させてしまうおそるべき力技を人間にみせつけたのである。ある意味、きれいに負かされるよりも人間にとってはショッキングな内容だった。
渡辺明はブログで、「とんでもないものを見た、という気分です。」と渡辺らしく率直に述べている。
電王戦の総括についてはまた改めて書きたいと思う。
最終盤でこんな会話があった。
深浦「この△8三玉の形は佐藤先生、何となくお好きじゃないですか?」
佐藤「何か皆さん私の将棋を勘違いされてないですか?」
そう、あの佐藤康光でもコンピュータ将棋にはとてもじゃないがついていけない。本局はそういう将棋だった。

電王戦第四局 森下卓と戦った森下卓

まず、第三局の補足から。船江恒平の観戦記、豊島将之の自身のツイッターでの証言などがアップされた

第3回 将棋電王戦 第3局(筆者・船江恒平 将棋棋士五段)
マイナビ 人間が勝つ鍵はどこにあるか「第3回将棋電王戦」第3局 - 豊島七段・会心の勝利に見えた横歩取りの深淵なる世界 (1) これまでの電王戦にはないオープニング
豊島七段のツイッターでの発言(アカウント 西遊棋実行委員会で)
(△6二玉について問われて)
62玉は有力な手の可能性もあると思います。少なくとも私は数時間はこの手について考えていますが、悪手と断定することはできません。
船江は△6二玉が敗着ではないと断言している。さらに、豊島自身は敗着どころか悪手と言うことすらできないと述べている。マイナビの記事によると、豊島が船江に△6二玉の後の変化を50手ほど説明したが、それでも豊島は結論が出ずに難しいと説明したという。
そして、豊島が△6二玉について数時間程度考えたというのも意外だった。もっと△6二玉を重点的に徹底的に調べたのかと思ったので。
とはいえ、プロが数時間考えるのは大変な事で実際一つの変化を50手先まで掘り下げている。但し、あらゆる変化を隅から隅まで調べ尽くすという感じではなかったらしい。実際、豊島は△3一銀では△4四角を本線に考えていた。
つまり、豊島は△6二玉があるのは知っていたがその直後に自分の研究から外れてその後はほとんど自力で指し進めたわけである。
その意味で、イメージと違って豊島は△6二玉に対してほぼ実戦だけで考えて一局全体を指しきったことになる。▲2一角を研究はしたがあれは研究しなくてもプロなら誰でもすぐ見える手なので。

第四局の舞台は小田原城。森下卓は和服姿で登場した。全く緊張している様子はない。それどころか、この大舞台を楽しもうとする余裕のようなものさえ感じられた。さすがに修羅場をくぐりぬけてきたベテランである。
他に登場した若手も度胸はそれなりに座っているが、ここまで強烈な存在感を放射してはいなかった。電王戦でこういうのは米長邦雄以来だろうか。昔の棋士には大変濃い人間味があったが森下は本当にギリギリその最後の世代なのかもしれない。
それにしても、佐藤紳哉にしても今回の森下卓にしても、正直言って普段はここまでは棋士の魅力を感じなかった。電王戦効果の一つだと思う。
ツツカナの先手で後手の森下は得意中の得意の矢倉を受けてたった。事前に宣言していた通り特別な策を準備するのでなく、普段人間と指すのと同じように。
ツツカナの方は▲1六歩が少し早い。現代では飛車先をつかない矢倉で▲4六銀▲3七桂と攻撃態勢を整えるのが主流。そうしないで、▲2六歩やこの端歩二手を優先するのが加藤一二三得意とする「加藤流矢倉」である。
加藤流は現在は少数派で飛車先を突くのを保留して形に含みを持たせる「飛車先不突き矢倉」が現代的な考え方である。
ただ、▲8八玉や▲2六歩を先にするのが加藤流では多い。だから、ツツカナは加藤流の定跡を採用したのではなく、恐らく既にここでは定跡入力をきってあってツツカナが自力で指していたのだと推測される。
そしてツツカナはさらに▲1五歩と早々に端歩を突きこした。プロでは大変珍しい。しかし、端を先に取るのが大きいと考えるのも立派な考え方なので、ここら辺も最近のコンピュータソフトが人間定跡を根本から洗い直している一例とも言えるのかもしれない。
但し直後に▲4六銀と出たのは人間の感覚だとややバランスを欠く。端をとった上にこの銀や桂馬を使おうとするのはちょっと欲張りすぎで図々しいのだ。午後にニコ生に登場した本家の加藤一二三もこの▲4六銀は問題なのではないかと指摘していた。
コンピュータらしい自由な発想だが当然後手は△4五歩と反発して矢倉を盛り上がってくる。プロの感覚だと恐らく矢倉の後手ならまずまずと考えるのではないだろうか。矢倉は基本的に先手が主導権を握って猛烈に攻めることが多いので。プロでもひたすら攻めまくられるのはあまり嬉しくないのだ。
以上述べたような微妙な「感覚的」な判断はコンピュータには理解できない。だから、今回の第三局まで全てに言えるが基本的には人間が最低でも少し作戦勝ちまでにはこぎつける事ができた。
ところがコンピュータはその後に駒がぶつかりあうと突然やたら強くなるのだ。もうその辺の素人では相当作戦勝ちできても全く無意味になってしまう。いや、最近はプロでも似た感じになりつつあるのが恐ろしい。

小田原城では丁度「おでんサミット」を開催していた。現地では理事の片上大輔やレポーターの藤田綾がおでん試食レポーターをつとめている。
昔「おれたちひょうきん族」で、片岡鶴太郎がたけしに熱いおでんを食べさせられる定番ネタをやっていた。片岡が後ろから羽交い絞めにされて、沸騰していうるおでんを「ちょっとそのガンモは」とか言いつつ最後は煮汁まで飲まされて「いい加減にしろっ」ときれるバカバカしいがつい笑ってしまうおなじみの展開。
そんな事になったら面白いなと思っていたら、
その後登場した高見泰地もやはりおでんを試食したら、たまたま?熱かったらしくて「あつつ」とまるでリアクション芸人のようなことを藤田綾とやっていた。まさかプロ棋士がひょうきん族をやる時代になるとは。驚きである。ちなみに、第四局観戦記担当の西村京太郎さんまでおでんを食わされていた。
さらに、ニコファーレでは御大加藤一二三や司会の山口恵梨子とともに、藤井猛と行方尚史が仲良くプリクラ写真に自動修正最大限のクリクリまなこでおさまっていた。プロ棋士が中心のバラエティ番組がおめみえする日はもはや遠くない。と思ったら、加藤一二三や桐谷広人は既にバラエティの常連なのだった。

そんなこんなの間にも将棋は進み、森下が気合よく先攻した。対するツツカナの▲2六歩が実に落ち着きはらった手。これを省略して端桂から急いで攻めたいところだが後手に早い手がないとみきっているかのようだ。行方もこれには驚き感心していた。現在では人間よりコンピュータの方が堂々として大きい指し方をすることもあるのだ。
さらに▲5六歩は最初から後手が突進してきたいところでなおかつ後手が歩切れを解消できるので、やはり人間の感覚では意外な手。コンピュータの指し手に悪手は少ないが人間にとっては感覚的には驚く手が多いので人間は指していてさぞ疲れるだろう。
以下進んで△6九金と打ったところでは先手の角が死んでいる。角金交換になるので普通に考えれば後手の森下がよいに決まっている。
コンピューターソフトは全般的に角金交換や角銀交換を平気でするところがある。コンピュータは駒の損得だけでなく駒の効率など総合的な基準で評価関数をつくっているのでこういう事が起きる。
特に最近のコンピュータソフトは単純な駒の損得以外を重視するようになってより強くなったのだが、実は昔からこの角金(角銀)交換をしてしまう傾向はあった。
今から七年前に渡辺明とボナンザが戦った際にも、渡辺はそれを知っていてその展開に持ち込むように狙った。実際はそうはならなかったのだが、ボナンザ開発者の保木邦仁さんなどは「そうなったら困ります」と述べたりしていたものだ。今ほどソフトが強くなかったのどかな時代の話である。
当時はソフトの単純な欠陥という事で話は済ませたのだが、現在はそうも言いきれなくなってきている。というのは、本局も後手は角金交換には成功したが、それでは実際に具体的にどうよくするのかというと大変難しかったので。
後手が良さそうだけれども全然簡単ではない。
先手の4筋5筋の位も大きい。歩も得している。だから、他の総合的な局面の要素も加味して考慮すると単純に角金交換でよいとは言えなくなりつつあるのだ。
コンピュータ将棋は単にたくさん読むだけでなく、そうした「大局観」(局面の捉え方)でも人間にとって脅威になりつつある。と言ったら言い過ぎか。
ここで後手はできれば一気に決めたいのだが、ニコ生や控え室で深く検討するとそんなにスッキリとは勝てそうにない。まして、森下はそのようにバッサリ斬りにいく棋風ではないのだ。
従って、森下は△4七金ともたれていったが、これまたコンピューターらしく▲2八角と辛抱されるとそんなに簡単に攻められない。もはや持久戦気味である。人間にとっては不安のある展開になってきた。

そのあたりでニコ生には加藤一二三が登場した。加藤は同じ話を何度も繰り返すところがあるが、電王戦で加藤を初めてみるファンも多かっただろうからよかった。もっとも加藤の話は桂文楽や古今亭志ん生の落語のように何度同じ「噺」を聞いても面白い。ほらっここでこうきた、あるいは今日はどんな感じで喋るのかなと楽しめるので、もはや古典芸能の域に達している。
加藤はもし来年も電王戦があれば出場を検討されているそうだ。その際に、「電王手くん」は熱に弱いそうなので加藤得意のストーブを相手に当てる刑の執行も考えているなどジョークも交えてと絶好調だった。すると、行方がすかさず「先生、あれ3000万円するそうですよ。」とつっこみ、これには加藤先生も「いやぁ」という感じで額に手を当てて笑うのだった。
ちなみに、ネットではそれでは対抗して電王手くんに滝の音を出す機能をつけたらどうかという対案が提出されていた。加藤はタイトル戦の際に滝の音がうるさくて何度も滝を止めている。
また、加藤と行方が対局した際に、加藤が後ろにまわって盤面を本当に見るのかという話題に。行方によると「別に迷惑ではなく、本当なんだなと感動した」との事。
他にも小田原市長が登場しておでんサミットこくち等熱弁を振るっていたが、その話が終わった瞬間にカメラがまだ現地のままなのに局面の事を話しだしたり、やはり藤田綾に好きなおやつを聞かれたら完無視でやはり局面について滔々と語りだした。
加藤一二三は心底将棋が好きでなおかつ根っからの自由人なのである。

加藤が登場して独演会を繰り広げているあたりが本局のポイントだった。
ツツカナの▲7七銀がコンピュータらしい驚きの手。後手はただでさえ△8五桂と跳ねてきたいところなのだ。森下はこれに幻惑されたのか△5八歩成。藤井が本局で疑問だったのではないかと第一にあげた手である。そして、弱い素人にも感覚的におかしいのはすぐ分かる。さらに、こういう人間側がちょっと自然でない感触のよくない手を指すとコンピュータソフトの評価値が必ずと言っていいほどすぐ反応するのだ。
本局でニコ生の評価値担当だったボナンザもこの手でコンピュータ側に評価が傾いたし、局後にツツカナ開発者の一丸さんもこの手で一番評価値が動いたと述べられていた。
わざわざ拠点の歩を消して駒を交換してしまってはもったいない。だから本譜のように△3八金とするのだがこの金がソッポに行ってしまっては普通は幸せになれないとしたものである。▲1七角と逃げられたら強引に香車を取って攻めに使おうというのかもしれないが人間的感覚だと「筋悪」であって、むしろこういう指し方は少し前までのちょっと弱いコンピュータが得意とするところだった。勿論よくないという意味である。
ところがツツカナは角を逃げずに角と金をアッサリ交換してくれる順を選んできた。これは人間側からするとラッキーである。遊んでしまいそうな金が角と交換できたのだから。
またしてもツツカナが角金交換してしまうクセがでてしまったのか。
藤井流の解説だと「すごい筋の悪いリーチであがっちゃったみたいな。」という事になる。
これは後手も何とかなったかと思ったのだが、それが冷静に局面を見直すと先手の陣形がすっきりしてしまっている。中央に位を二つはって伸び伸びとした形。歩も三歩手持ちにして、一方後手の森下は歩ぎれ(持駒に歩がない事)。
実は森下が歩ぎれになるのは大変珍しいのだ。森下は何か歩を突き捨てられたらよほどのことない限り「同歩」とありがたくいただく人だ。だから、森下の駒台には持ち歩が溢れることになり歩が五枚で業界用語では「一森下」と言われるくらいである。
さらに、そもそも先手の厚みのある陣形自体が実は森下好みなのだ。ニコ生に登場した長岡裕也もツイッターでつぶやいていた銀杏記者も「まるで先手が森下先生のように見えます。」と同じことを偶然述べていた。
これが本局では一番衝撃的な出来事だった。矢倉の達人の森下相手にツツカナがまるで森下のような指し回しをみせたのだ。人間のプロではなかなかこんな離れ業はできない。藤井も行方も言っていたがツツカナはソフトの中でも大変「人間的」な将棋を指す。本局のように中央に厚みを築いて圧倒する指し方は大変人間的なのである。行方はまるで往年の中原誠のようだとも表現していた。
森下卓は森下卓を相手に指すことを余儀なくされたのだった。
ツツカナが▲7八玉とじっと寄って自陣の金銀に近づけつつ端攻めから先逃げしたのも人間のようである。人間でも高段者くらいにならないとなかなかこんな手は落ち着いて指せるものではないだろう。
夕食休憩後の▲4四金も印象的で落ち着いたかと思うと突然攻めてくる。ソフトだから流れがないので一手ごとに何をしてくるか分からない。しかもこの攻めは的確だったらしい。以下はどんどんボナンザの評価値も開いて観戦側は何となくもはや諦めムードになっていた。
しかし△5五香がさすがの勝負手。▲同銀△3七角と進むと意外に難しい。いや、それどころかプロが寄ってたかって研究しても簡単にはツツカナ勝ちの順が発見できなかった。その間もボナンザは大差でツツカナ持ち。こういう場合、もはや最近はコンピュータを信用してしまうのだが、実はツツカナは去年終盤に大きなミスをしている。
だから、本当に先手勝ちかどうかが疑心暗鬼になったのだが、最後にツツカナが▲5四角と打ったのが決め手だった。藤井行方は結局この手を発見できなかったし控え室もギリギリになって誰かが指摘したようだ。
しかも、この手は詰めろなのだがそれも人間には(プロでも)簡単には分からない。結局行方が詰手順を発見して人間の面目を保ったが指したツツカナだけでなくボナンザもこれを指摘していた。瞬時にこれくらいの詰めろは読めてしまうのだ。全く恐れ入るというか困ってしまう。
第一局の習甦に続いてツツカナの快勝である。角金交換のあたりはむしろ後手がよいはずかもしれないが、そう簡単ではなくその後は完全に力でねじ伏せてしまった感じだった。
昨年と比べるとソフトは明らかに強くなってきている。二年連続負け越しになった事よりも将棋の内容がファンにはショックである。しかもハード統一、ソフト貸出改良禁止の条件で。
私は去年はソフトが勝ち越したがGPSの将棋をのぞけばどのソフトにも弱点があって普通に戦っても人間に勝機があると思っていた。しかし、今年は普通に戦うともう人間が勝つのは難しいのではないかというのが正直な感想である。勿論私の個人的見解だが。だから横歩で普通に(最初に書いた事情の通り結果的にはそういう事だった)戦って勝った豊島は本当にすごかったと思う。
藤井と行方がツツカナの「大局観」に感心していたが、それが現在の状況を端的に表していると思う。本来コンピューターに「大局観」はないのだが、そのように見えてしまうくらいまでにコンピュータ将棋のレベルが来たのである。
人間にとっては悲しい結論になりそうだが、絶対にコンピュータにはできない「自虐ジョーク」のとっておきを紹介して終わりにしよう。
山口「藤井先生ソックリのソフトが現れたら?」藤井「そうなったら私は最後まであきらめませんよ。最後まで何があるか分からないから。」


(付記1 森下九段の事前練習について)
対局後の森下九段の発言要旨
・最初のソフトの貸出を受けた際には持ち時間10分か20分秒読み30秒で一日に何番も指していた。
・11月末に新しいソフトがきてからは、疲れるのでソフト同士の対局を観戦するのが一ヶ月程度続いた。
・年が明けてから日が近くなりやらなければいけないと思ったが、一番指すと厳しくて何番も指すという感じはなかった。
・豊島さんの対局の後、持ち時間5時間で秒読み一分の対局を序盤から中盤の入口まで20番を四日間で指した。

この会見を受けて森下九段が練習対局不足研究不足だったのではないかという意見がネットであった。実は私も森下さんにしては少なすぎると感じた一人である。
しかし、今回もう一度メモを取りながら会見を確認すると「年が明けてから、厳しいながらも一日一局程度は指すようにしていた。但し一日数局は指していない。」という意味のようにも解釈できると感じた。
会見の印象だと豊島YSS戦の後にしか本格的な練習対局をしていないような印象を受けがちだが、もしかすると違うのかもしれない。
もし年明けに毎日一局でも指していたならば、それほど研究不足とは言えない気もする。(豊島七段と比べたら酷だろう。)
会見では森下九段も言葉を尽くせなかった可能性があるので、特に年明けの研究実態について森下九段のこれからの発言で明らかになるかもしれないので現時点での判断は差し控えようと思う。

(付記2 森下九段の盤駒使用の特別ルールについて)

森下九段は人間対コンピュータの対局について特別なルールを設定すべきという持論だそうである。人間には読みのミスがあるので、それを防止するために盤駒を使用して考えるのを許可するべきではないかという意見である。

まず本質的に人間とコンピュータの戦いは異種格闘技である。猪木vsアリと同じでそもそも両者のルールが異なるので当然共通ルールを新たに設定する必要がある。
しかも、猪木とアリは二人共人間だが今回は人間とコンピュータである。だから全く異なる存在の対戦だからどのようなルールを設定してもよいのが原則、基本だと思う。
その意味では森下九段の提案も別に退ける理由はない。また、今回のソフト貸出修正禁止ルールも原則面だけなら何ら問題はない。
そういう原則面と現実的判断は別問題としてある。
人間が普通に人間と将棋を指す際には盤駒を用いない。最高峰の名人戦でもそうだ。だから、コンピュータと指す際にもあくまで盤駒を使うのを見たくないと私は(あくまで私の主観的現実的判断として)考える。もしそれで人間のミスの可能性が増えてもそれは仕方ないだろう。
ソフトの側の制限については、原則としては人間の過去の棋譜を全て事前入力させて記憶させるのも「不公平」といえる。しかし、現実的にはソフトがどんな手段を用いるかに人間は興味がないのだから(少なくとも私はそう)、ソフトがどういう手段を使っても構わないと思う。
だから、ソフトの事前貸出しくらいはいいとして無制限にソフトの改良を許可し、ハードもクラスタ等あらゆる手段を認めて良いと思う。(勿論、これも原則論でなく私の現実的判断。)
それ以外に両者の力関係を考慮してルールを決めるという「現実的判断」もあるだろう。特にドワンゴさんが今後しばらく電王戦を続けたいなら。しかし、私自身はそんな事をしてまでもいつまでも人間とコンピュータの戦いを見続けたいとは思わないのがどうだろうか。
言うまでもなく、この問題については各人意見が異なっても全くおかしくない。私のものも含めて絶対的に正しい意見など存在しないだけで。
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