2014年09月

2015以降の電王戦に向けての雑感 その3

カスパロフはディープブルーに負けてしまったが、そのカスパロフ自身が、人間が対局中にコンピュータで指し手を調べながら戦う「アドバンス・チェス」を考え出した。将棋プロ棋士とソフトが組むタッグチーム・マッチを実はチェスの世界では既に当たり前のように行っているらしい。
将棋の世界はまだハッキリした決着がついていないので抵抗感があるのかもしれないが、今回のタッグチームマッチは別に珍奇なものでもないし変なことでもないのだ。
ソフトが既に人間トップ超えたかどうかについては議論の余地があるかもしれないが、少なくともソフトに普通のプロと少なくとも同等以上の実力があるのは電王戦で実証済である。
だとすれば、高い実力を有するソフトを人間側が何らかの形で活用しようとするのはむしろ当然のこととも言えるだろう。
私自身は、先に書いた記事の通り、将来的には人間が巻き返すことも可能だと考えていてなおかつ期待もしている。だから、こうしてプロとソフトが真剣勝負で組んでお互いの読みや大局観の違いを明確にする試みは素晴らしいし人間側にとって大変プラスになると思う。
私のパソコンにも市販の激指ソフトが入っているのだが、ある局面でソフトの考えている指し手の候補を最大10手まで提示して、なおかつ読み筋を見せてくれる機能がある。あわせてその局面での評価値も。大変興味深い。
タッグマッチでも、基本的にはそれと同じ形になると考えれば良いだろう。指し手を決めるのはプロだが、その際にソフトの指し手の候補手、具体的な読み筋、評価値を参照できるというわけである。
各プロ棋士には当然読み筋があって真剣勝負なので真面目に読む。それとソフトの読みを一局を通じて比較検証する作業を続けるわけだから、当然人間とソフトの違い、あるいは強さの違いも、人間とソフトが直接対決する以上に実は明確になる。
但し、その為には対局したプロ棋士が具体的に率直に読み筋の違いを対局後に公開すればという条件付きだが。
こうした作業を何局も行ってデータを取れば、これくらい人間に役立つものはないはずである。人間がソフトに対して巻き返す第一級の資料になるはずだ。
それぞれの棋士の対応の仕方にも興味がわくところだ。例えば、西尾のようにコンピューター将棋を知悉している棋士なら、ソフトの読み筋を冷静に客観的に受け入れて、自身の読みとすりあわせながらベストの手を選択してきそうである。
一方、加藤先生などはあくまでソフトの読みは参考意見に過ぎず、あくまでご自分自身の指し手を貫かれそうだ。(それと加藤先生とやねうらおさんがどのような会話をかわすのかも興味の尽きないところだ。)
その中間が例えば中村太地あたりで、この前のニコ生会見で「コンピューターの指し手を参考にしつつ、そのままではつまらないので自分らしい将棋にしたい。」という意味のことを述べていた。
果たして、どの程度棋士の個性がでるのかも興味深いところである。
だから、結論としてはこのタッグマッチは単なるエンターテイメントでなく、きちんとした具体的な意義があるのだ。

また、興行的にも電王戦を見れば分かるように、広い範囲のライトな将棋ファンを巻き込むことを期待できそうだ。糸谷哲郎が若い頃に述べたように、「将棋は斜陽産業」だとしたら、そういう意味でも将棋界としては歓迎しない理由はない。
実は、私は個人的には古いタイプの伝統主義の将棋ファンであって、ドワンゴ的な演出に違和感を感じることもあった。しかし、電王戦の成功を見るとそんな小さいことは言う気にならなくなった。
それに、ドワンゴは独自の煽りの演出をしてはいるが、それでもスポンサーとして高圧的に連盟に接するようなことはせず、基本的には節度を守ってやってくれていると思う。
だから、昔ながらの将棋界をオールドファッションに愛している身としてもそんなに心配はない。
(最近の「モリシタ集め」をみると若干不安を感じると言いたいところだが、実はそういう私自身が「モリシタ集めを」楽しんじゃっているので何も言う資格はなさそうである。)
また、今更だけれども、ニコ生が人間の普通のタイトル戦の動画中継をしてくれているのも本当に将棋ファンにとってはありがたいところである。ちょっと昔のことを考えると夢のような話なのだ。
今回のタッグチームマッチは、プロ棋士とコンピューターソフトの共存共栄を謳っているが、将棋ファンとしても素直に連盟とドワンゴの共存共栄を願いたいところである。
色々な意見があるのは承知しているし、ここに書いたのはあくまで私の個人的な意見に過ぎないのだが、なるべく建設的にポジティブに考えたいというのが私の今の考え方である。

2015以降の電王戦に向けての雑感 その2

今年の世界コンピューター将棋選手権をリアルタイムでは見られなかった。先日、囲碁将棋チャンネルで勝又教授による特集番組があり相変わらず名解説だったのだが、とにかくソフトがさらに強くなっているのには驚きあきれてしまった。
とにかく終盤の読みが超人的なのである。実に粘り強い。とてもじゃないがダメそうな局面から、絶妙の一手をやすやすと見つけ出してきて簡単には土俵をわらない。こんなソフト相手に人間が勝つのは本当に大変である。
ソフトはまだ強くなり続けているのだが、当然その作業をしているのは人間である。基本的にはボナンザの機械学習と激指などがおしすすめてきた選択探索を進化させる手法以外に本当に革新的な技術的なブレークスルーは出ていないにも関わらずである。
ブログラマーの方々が優秀なのだろうが、人間の努力と知恵というのはたいしたものである。
結果は事前には大馬的存在だったAperyが優勝して、電王戦に出場経験のある有力ソフトが決勝に進めない波乱もあった。今や恐ろしく強いソフトが多数存在して実力は僅差なのである。
最近注目されているソフトに、NineDayFeverというのがある。基本的にはボナンザの評価値を使いながら、その欠点(例えば入玉での評価値など)を修正しているそうで、コンピューター同士の対局場のFloodgateで高レーティングをたたき出して今回は優勝候補の一角にもあげられていた。
ところが、実戦ではそのBonanzaに二回とも敗れてしまう。Bonanzaの弱点を補ったつもりが、その本家に負けてしまうというのが面白いところだ。何となく人間と機械の関係を象徴しているようで興味深かった。

さて、こんなコンピューターの終盤を見ていると、とても人間は特に時間のない状態では終盤ではたちうちできないのではないかと思ってしまうだろう。
しかし、昨日最後にも書いたとおりに私はそうは思っていない。現実を冷静に考えると、コンピューターは膨大な数の局面数を瞬時のうちに読んでしまう。人間の読む局面数などたかがしれていて比較にもならない。
それでも、なぜ少なくともある程度は両者がいい勝負になるかというと、人間には直感能力があるからである。
よくプロ棋士は直感で浮かんだ手がたいてい正しいという。人によってパーセントは違うが60%から80%程度だろうか。その直感能力の差が即棋士の才能の差である。
そして、現実の作業としては直感的に浮かんだいくつかの候補手をもとに実際の読みで検討検証して指し手を選んでいる。
その直感で手を把握する能力については、科学的な解明の作業も進んでいて興味深い。しかし、それは人間の脳のどの部分がどういう働きをしているかについての研究であって、本質的になぜ人間が直感で正しい指し手を把握できるのかは謎である。そういう科学的作業は重要で貴重だけれども科学がその謎を本当に解明することはできないと私は考えている。そもそも、まともな科学者なら最初からそういう事は意図しないで分析の範囲を最初からきちんと限定しているのかもしれないが。
今の人間の直感能力だと、それは100%正しいわけではない。間違えることもある。だからプロ棋士にとっても実際に読む作業は必須になってくる。
しかし、当然人間はその直感能力を鍛え上げることも可能である。今のソフトはこれだけ強くなってなおかつ先入観がないので人間が思考のクセで捨ててしまう手もきちんと提示してくる。
そして、そういうソフトと戦えば、短期的にはなかなか結果に結びつかなくても長期的には人間が飛躍的に直感能力をあげるのは決して不可能ではないのではないだろうか。例えば、例えば菅井の言うように10年後なら。
そもそも、私は人間はその直感能力を現時点ではまだ全然存分には働かせていないと思っている。羽生がかろうじてよくやっているが、それでも本来の可能性と比べればまだ微々たるものにすぎないと言うくらいに。
だから、人間が100%その直感能力を働かせることが出来たら、瞬時に正解手を指摘できる。もう読む必要などない。
短い時間だと膨大な手を読む機械にはもう勝てないというのも人間の間違った思い込みである。本来人間は正着を導き出すのに時間はいらない。一方、機械は必ず手を読まないといけないので必ず時間が必要である。だから原理的にはどんなに短い持ち時間でも人間の勝利は最初から決まっている。
とはいえ、現実には人間が100%その直感能力を発揮するのはなかなか難しい。しかし、少なくともその直感能力を、強いソフトの力を借りたりすれば、「常識的に」考えられているよりも飛躍的に高めることは可能なはずである。
ところで、人間が本当に100%直感能力を発揮できるようになったら将棋はどうなるだろうか?
今の名人戦のようにわざわざ二日もかけて指す必要などなくなる。直感力の達人の二人が、最初から最後まで完全なノータイム指しを続けて勝負は決着する。
いや、そうではないな。完全な直感力の持ち主は、将棋の結論が先手勝ちか後手勝ちか千日手か持将棋なのかも分かってしまう。
だから、二人が対局場に座って、記録係が振り駒をする。その結果を受けて片方が「負けました」と深々と頭をさげる。新しい名人の誕生だ。
――そんな未来はイヤだ。だから、神様は人間に100%の直感能力を与えなかったのである。

こんなことばかり書いていると読者がいなくなりそうなので、そろそろやめよう。というか、昨日のも今日のもかなり冗談が入っているので、あまりマジメに受け取られないようにお願いいたします。
さて、本当はタッグマッチについて、もっと現実的な話を書くつもりだったのだがまたしても脱線してしまった。それについてはまた回を改めて。

2015以降の電王戦に向けての雑感 その1

電王戦は来年で一応終わりにするそうである。再来年からはプロとソフトのタッグチームによるトーナメントを行うとのこと。
来年の電王戦に出場する棋士はまだ発表されていないが、どうやら通算勝率の高い若手精鋭を揃えた「本気と書いてマジの」メンバーになる模様である。
残念ながら人間(連盟)側の打つ手は一年ごとに一手ずつ遅れてしまっている。第二回が開催された時点で、少なくともコンピューター将棋に詳しい人間は既にソフトは並のプロを超えてしまっているのではないかという見方をしていた。
だから、本来はあの時点で来年出場するようなメンバーを出さないといけなかった。とはいえそれも結果論で、あの時点ではまだ実際に戦ってみないと分からないという部分があったのも事実である。
そして選出されたのはA級からC2まで、ベテランから若手までをバランスよく?配分したメンバー。ある意味、プロ棋士集団の平均サンプルとは言えるので、ソフト対プロ棋士という視点ではよい人選だったのかもしれない。
結果は人間側の一勝三敗一持将棋。
内容的にもA級バリバリの三浦がGPSに完璧に負かされたのが衝撃だったし、唯一勝った阿部光瑠も事前研究を存分に生かした結果で(彼の徹底的な研究と実力にケチをつける気は毛頭ない)、根性で持将棋に持ちこんだ塚田も将棋の内容は完全に負けだった。数字以上に厳しいものを感じさせた。
それを受けて第三回も人間側は少しレベルアップさせたものの基本的には第二回と同じ思考様式によるメンバー構成。大丈夫かと思ったが、ルールの問題があるのでややっこしい。ハードは統一され、さらにソフトを事前貸し出しして好きなだけ研究可能になりソフトの改良も禁止された。
特にソフトの貸し出しが大きいように思えた。阿部光瑠のように徹底的にソフトの欠陥を研究してつけば、別にベストメンバーでも勝てるのではないかと私なども思ったものである。
結果は人間側の一勝四敗。そして、内容的にもハード統一には関係なくソフト側が明らかに前年よりも洗練され強くなっているのが明らかだった。
ソフトの貸し出しについても、プロ棋士側がソフトの欠陥をつかずに堂々と戦いたいという棋士がほとんどで、結果に影響を及ぼさなかった。
唯一勝った豊島は超人的な事前研究で、YSSが横歩取りで△6二玉とするクセがあるのを事前に把握してそれを想定して戦った。
しかし、実はその後も研究で勝ちと分かっていたわけでなく、豊島は難しくて実際に指してみないと分からないと考えていた。実際研究とは全く違う手順になり、豊島は実質的には研究ではなく見事に自力で勝利を獲得したのである。
さらに、その後、当初は「ありえない手」とされていた△6二玉も他のプロも徹底的に研究した結果全く悪手と言えないのが判明して何局か実戦例も現れている。
ソフト側は当初からYSSに限らず多くのソフトが△6二玉を指すクセがあって、その判断が実は正しかったのが判明したわけである。
つまり、今のソフトはかなりの序盤部分でも定跡がなくても、プロと同程度、あるいはそれ以上の手を指せるレベルに達している。
さらに、ソフトによっては研究を警戒してかなり早い段階で定跡入力を打ちきっている。だから、人間がいくらソフトを事前貸し出ししてもらって好きなだけ研究しても勝てるというわけでは全くない。その意味で、プロ棋士側はソフト対策の手順を、「採用しなかった」わけではなく「採用できなかった」というのが事実に近いのだと思う。
来年の具体的なメンバーがまだ分からないが、もし豊島クラスを五人揃えたのだとしたら(正直、本当に豊島クラスの若手など五人もいないけれど)、それは注目するべき戦いになるだろう。
人間としてはもしかしたら勝てるかもしれないと思ってしまう。しかし、冷静に現実を考えると、ベストメンバーでも人間が勝ち越すのは難しいというのが妥当と言わざるをえないのではないだろうか。
具体的な数字を見るのが一番てっとりばやい。
電王戦のコンピューターの(引退棋士の米長を一応除外した)人間に対する通算成績は、七勝二敗一持将棋。勝率は777である。
今回のプロ棋士がバランスよく平均的なプロ棋士集団であることを考慮すれば、プロ相手の通算成績と考えても構わないだろう。
人間ならば新人のうちだけ驚異的な数字を残してその後に勝率が長期的に低落していくこともある。しかし、ソフトは人間と違って今後強くなることはあっても弱くなることは決してないのだ。
人間のプロ棋士でこんな勝率の者などいない。
いや、一人だけ気になる棋士がいる。羽生善治。現在の通算勝率が722である。
しかも、羽生の場合はほとんどの期間をトップクラス、若い精鋭とばかり指してこの数字である。つまり、プロの平均的な相手に対する数字ではないので、実質的にはもっと数字は高いはずである。多分今のソフトと同程度になるはず。(はい、また羽生オタのおなじみのアレが始まったかとつっこんでいいところです。)
冗談抜きに、羽生が本気でソフト相手に戦ったらどうなるのかは誰だって見たいだろう。
しかも、羽生は危機意識もすごくて、「もしソフトと戦うならばプロ棋戦を一年休場しないといけない。」とまで述べているのである。
いや、現在タイトルを保持している渡辺や森内だって楽しみだ。終盤力について渡辺は羽生にも負けないものを持ちあわせているし、森内も持ち時間が長ければほとんど終盤で間違えない。さらに、二人とも徹底的で用意周到な序盤準備という点で共通している。
だから、羽生、森内、渡辺の三人とも、やはりソフトと戦ったら期待できるし大注目になるだろう。
問題はソフトと戦う時期を既に逸したのではないかという点である。
電王戦は一応来年で打ち止め。その後については谷川会長と川上会長の話をきくと、来年の結果次第ではタイトル保持者とソフトの団体戦ではない番勝負を含めた戦いの可能性も一応否定はしないという感じだった。
つまり、仮に実現するとしても再来年以降である。
再来年だって?その頃にはソフトはどれだけ強くなっていることやら。今年のコンピューター将棋選手権を見てもソフトは呆れたことにまだ着実に強くなり続けている。基本的には今のやり方のままでも、まだ数年このまま強くなり続けそうなのである。
その再来年以降の時点で、羽生や森内や渡辺にソフトと戦えとは、少なくとも私はとても言う気にならない。
正直に言うと、彼らの出番があるとしたらギリギリでももう来年が限度だったような気がするのである。
最初に言った通りに、残念ながら人間側のソフトに対する指し手が、一手一手常に遅れて後手後手にまわってしまった。
余裕で堂々と構えて横綱相撲をとろうとしたら、大作戦負けに陥り、さらに相手は中終盤力も鬼のようでもはや手遅れ。島朗なら、もうとっくに投了している。
先に述べてきたような具体的事情を考えると、
やむをえなかった面もある。ソフトが予想以上の速度で強くなり過ぎたのだ。
残念ながら、チェスのカスパロフvsディープブルーのような晴れ舞台をつくる機会を将棋界は既に失ってしまったかもしれないのである。

さて、ここまでが「現実的」な話である。こここから私が本当に言いたいことを書く。突然言う事が変わっても驚かないでいただきたい。
電王戦に出場しリベンジマッチも行った菅井竜也が(表現は正確ではないかもしれないが)こんな意味のことを述べていた。
「確かにソフトは強いのですが、十年後には逆に人間がソフトより強くなっています。そのイメージも出来ています。」
「常識的」に考えればバカなことをいうなという事になる。何をドンキホーテのようなことを言っているのだと。
しかし、実は私は菅井の意見に全面的に賛成なのである。
ソフトは人間とは全く別の方法で着実に強くなっている。恐らく現時点では人間を抜いているしここしばらくはその状態が続くだろう。
そして、普通に考えるならば、機械はそのまま強くなり続けるが、人間はそういかずミスだってあるし歳もとるという話になる。
しかし、機械に出来ることはあくまで機械にできることである。対して人間の学習能力と発展能力は無限だ。だから、今のソフトから謙虚に学んでその強さや指し手に慣れて適応することは決して人間には決して不可能ではない。
例えば具体的には今のソフトは終盤が恐ろしく正確で強い。なおかつ、実は人間の感覚では思いつかない妙手をなんの先入観もなくソフトはいともたやすく提示してくる。それに今のところ人間はやられてしまっている。
しかし、それは単に現在の人間の終盤レベルがまだ十分ではなかっただけである。ソフトと徹底的に戦って終盤の自由な可能性と発想に人間が慣れれば、時間をかければいつか人間はソフトに対応できるようになるはずだ。
例えば、野球で昔は150キロ台のストレートを投げる投手はあまりいなかった。今はたくさんいるが、打者は対応できるようになっている。それは、マシーンを使えばその程度のスピードのストレートで練習して慣れることができるからだ。人間の適応力をみくびっていけない。機械にはない能力なのである。
だから、長期的には現在一番ネックになっている終盤力人間はソフトに対応できるようになるはずだ。原理的には。
さらに、序盤についても述べたようにソフトの自由な発想に人間が学ぶ環境が出来つつある。こちらについては、さらに人間の得意分野だ。機械より突きつめたところでは人間の方がよりレベルの高い序盤を構築する可能性が十分ある。
あくまで、現在の人間の序盤の技術や能力がまだ伸びきってもないし完成もされていないだけ。これもソフトの力を素直に借りれば、むしろ伸びしろでは人間が圧倒的に優位にあるはずだ。
菅井の具体的イメージは分からないが自分なりに考えてみるとこういう事になる。
単純な話である。人間の可能性は無限、機械の可能性は有限。もし人間が能力をすべて発揮したら、それこそ「十年後」にはソフトより強くなっているのはむしろ当然だと私は思う。
バカを言うな、チェスを見ろよ、既に人間を超えてしまって長いがもう追いつく見込みはなさそうではないかと。それは、チェスではもう機械に勝てないと人間が信じこんでいるからだ。そう信じている限り決して勝てるようにはならない。
菅井竜也は絶対的に正しいのである。

(タッグマッチなどについての話題は回を改めて書く予定です。)

糸谷哲郎の竜王挑戦とそれとはあんまり関係ない将棋を観る行為についての一考察


竜王戦は既報の通り糸谷哲郎の挑戦が決まった。あのように糸谷は将棋もキャラクターも個性的そのものである。対して森内俊之竜王は羽生世代のなかでも意外に古風なところがある。
だから、糸谷の盤上の指し手に対しても盤外の振るまいに対しても森内が困惑戸惑いを示す局面も期待できなくはない.....などと言ったら怒られてしまうだろうか。
私は何となく、渡辺明が森内竜王に挑戦したもう10年以上前の竜王戦を思い出してしまうのだ。あれも若き渡辺の指し手や振る舞いの異質性に森内が耐えて戦うようなシリーズだった。ちょっとだけそんなものの再現にも期待してワクワクしてしまうのだ。

さてところで私はご存知の通りかなり重症の羽生ファンである。当然あの夜遅くはまるで世界の終わりのように絶望のどん底に沈んだわけである(当たり前のように言うな。)
そんな夜には当然ながら異常な妄想がとめどもなく拡がっていく。

我々の暮らす世界はこの世界だけが唯一では決してない。それ以外にも無数無限の平行世界、パラレルワールドが同時存在する。だから、この世界では羽生は負けたが他の世界では羽生が竜王に挑戦している。
そして、もし仏教の唯識のような考え方を採用するならば、この世界はこの私の心が全て生み出した夢に過ぎない。そして、世界で起きている全ての出来事は私の責任である。
だから、羽生が負けたのも私のせいだ。あまりにも羽生が負けて欲しくないという思いが強すぎてそれがネガティブな思考として実現してしまったわけだ。
いや、私だけのせいではない。この世界は基本的に私の意識が創造した所詮夢に過ぎないが、そこに登場するあなたがたが実在しないわけではない。あなたがたも、それぞれが無限のパラレルワールドを自分の中に抱えており、その中からこの世界を選んだのだ。だから、羽生が負けたのはあなたがた全員のせいである。
勿論、糸谷勝ちを切望していた人もたくさんいるだろう。その人たちの真っ直ぐな思考の願望は強力だったというわけである。おめでとう。
ところで、羽生自身はどうか?羽生も勿論自分でこの世界を無数のパラレルワールドの中から選んでいる。しかし、羽生には私たちのように「負けたらどうしよう」というようなネガティブな思考のエネルギーはほとんどない。そうでなければ、この世界で羽生が生で七冠を達成できたりするものではない。いくら羽生が強くても。
だから、真相はこういう人だ。羽生はただ純粋に竜王復位を願っていた。ところが、私あるいはあなたのようなファンが応援するあまり「負けて欲しくない」という強烈なネガティブエネルギーを放射しすぎてしまった。その総和量にさすがの羽生も勝てなかったのである。
だから、羽生ファンが「どうしても永世竜王に」というエゴ的な欲を完全に放棄しさえすれば良い。そうしたら、羽生はほっておいてもいつか勝手に永世竜王になるだろう。

・・・・というような妄想が頭の中をうずまきながら、その晩あけたジャック・ダニエルがあっという間に空き瓶になるのを眺めていたところまでは何とか覚えている。
翌日もひどい二日酔いに苦しめながら極度の憂鬱は続いた。さすがに、少しはまともな頭に回復してこのように考えた。
何で羽生本人でもないのに、赤の他人の私がこんなに苦しんでいるのだろう。バカみたいではないか。
いや、それも前々からよく分かっていた事だ。羽生を応援すると言いながら、私の愚かなエゴが羽生という勝者と自己同一視して勝利の快感を共有して味わおうとしているだけだ。羽生を応援しているわけではなく、私のエゴが快楽を追求しているだけ。
勿論、そんなものは「愛」ではない。徹底的な自己中心性であって羽生にも迷惑なだけだ。
と頭ではよく分かっている。ところが感情が納得してくれない。
しかし、今回極端な悲しみの中で(笑ってしまうが)、私の中で何かがはじけた。こんな愚かなエゴにつきあっていて何になるのだろう。何度も言うが羽生にも迷惑なだけなのに。
そんな自分が限りなくおかしくなったのである。一瞬にして悲しみは消えた。
将棋というのは勝ちと負けがハッキリしたゲームである。そもそも、そのこと自体が非人間的といえば非人間的である。そして、それに対して無邪気にこの棋士やあの棋士を応援する我々ファンの心の中にも、代理してもらって勝利の快感に浸ろうとする心理がひそんでいる。そんな野暮なことは今さら誰も言わないけれども。
いや、それは他の全ての勝負事にも言える。例えば私の愛してやまないプロ野球。
私は巨人ファンなのだが、これだってよく考えてみれば馬鹿らしいことだ。たまたま、子供の時にみた長島や王や高田や柴田や末次や土井や黒江や柳田や森が忘れられなくていまだに巨人の勝ち負けに一喜一憂している。何の関係もないのに。
さらにアンチ巨人というものがいる。巨人の親会社のオーナーが嫌いだったり金にまかせた補強が大嫌いで巨人が負けることを切望する。何かが負けることで歓喜する。「正義」の追求。単なる野球にすぎないのに。
そういう意味では、巨人ファンの方が(相対的には)まだマシである。やっぱり親会社のオーナーが嫌いだったり金の力の補強に後ろめたさを感じながらも、何かを愛そうとはしているから。親鸞も言っているではないか。
「善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」と。いや、別に巨人ファンが悪人というわけではないが、少なくとも巨人ファンもアンチもどっちもどっちだ。
話が迷走しすぎた。
さて、それでは勝負を離れたら将棋なんてつまらないものだろうか。決してそんな事はない。
私は少なくとも羽生の将棋以外は冷静に(微苦笑)見ることができる。そして、これが勝負とは関係なく面白くて仕方ないのだ。
結果的には勝負はつくが、それに至るプロセスがスリリングそのもので楽しくて仕方ないのだ。
だから、私にとっては羽生の将棋以外は観ていて無条件に楽しい。いや、実はそのプロセスにおいて一番私を夢中にさせるのが羽生の将棋なのだが、本当に大事な勝負になるとそれができなくなってしまう。
恥ずかしながら今回の竜王戦挑戦者決定戦もそうだし、実は今春の名人戦もそうだった。もう内容なんかどうでもよくて、ただ羽生が勝つことだけを祈っていた。当然観ていても全然楽しくない。
ところが、今回の竜王戦挑決で私の中で何かがついに壊れた。遅まきながら、やっと勝負だけにこだわる愚かさが理屈ではなくて体感できた。分かりやすく言うとついに悟りを開いたのである。
だから、糸谷に対しても心からおめでとうと言えるし、竜王戦も思う存分楽しめるはずである。とてつもなく高い授業料だったけれども。
今も王位戦が戦われている。勿論、羽生が勝たなくてもいいということではない。多分、羽生が勝ったら今まで以上に単純に喜べるだろう。負けたらガッカリするだろうが、相手に小声ながらおめでとうとも言えそうである。

・・・、えっ、バッカだなぁ。何を今さら分かりきったことを言っているんだ、私は以前からそうしていました、ですって?参った、私だけだったのか。大変失礼いたしました。

というわけで、私よりも数段人間的に優れた読者諸賢のためにそろそろブログも再開しようと思っております。


コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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