2014年12月

糸谷哲郎と森内俊之の竜王戦

スカパーのStar digioには山ほどチャンネルがあって好きなジャンルの音楽を聴こうと思えば一日中聴いていられる。
私の好きなJazzのチャンネルはなぜか既にクリスマスモードになっている。コーヒーを啜りながら音量を絞って流していると、部屋がちょっとしたこ洒落た喫茶店と化す。
実際のところは、コーヒーはBlendyのインスタントスティックで部屋もボロっちい狭い書斎でも。
今はDave BrubeckのしっとりとしたピアノソロでO Tannenbaumがかかっている。
というわけで、今朝は何だか気分がいいので竜王戦についてでも書くか。何となく書き方が難しいので後回しにしていた。
最初に一応お断りしておくが、私は糸谷哲郎も森内俊之も大好きである。

第五局の序盤でちょっとした事件があった。糸谷が着手する際に、森内の2三歩にふれてしまい、その歩が斜め向きになってしまった。
しかし、糸谷は気づかないのか直さない。森内の方も意地になったのか全然直そうとしない。
歩がななめになったまま、相当長いまま対局は進行して、ニコ生でもそのちょっと異常な盤面が延々と映しだし続けられた。
ようやく、森内が諦めたように?歩を直す。
糸谷は自分がしたのに気付いていたのか気づいていなかったのかはよく分からない。また、長い時間たって改めて相手の駒を直しにくいというのもあつたのかもしれない。どちらにしても、あんまり細かいことは気にせずあくまでマイペースを貫く挑戦者だった。糸谷らしい。
一方の森内。ああいう賢明な人だから、そういう糸谷のキャラクターは十分承知していて、
頭ではそれを許してしたしたぶん第三者としてみれば糸谷の振る舞いも笑ってみていたのではないだろうか。森内はそういう寛大な人である。
しかし、いざ目の前にして座って、何度も何度も離席されたり、自分が負けになったところで相手が悠々とおやつのお菓子を食べ始めたりされると、どうしても平常心ではいられなくなったのかもしれない。
それは生身の人間だから仕方ない。まして森内はそういう面で大変デリケートなのだ。なおかつ、森内はそういうのに文句を言ったりせずにひたすら我慢してしまうタイプなのである。
そういうのが積み重なって、2三歩に対してイラっときて、自分では直さなかったのである。そして、森内はデリケートであると同時に強情でもある。一度決めたらもう直さない。
しかしながら、そのように意地をはっている自分に対する批判も良心的に心の中ではどこかで行っている。「大人げない」と。だから、結局は自分の方で駒を直すことになる。
たぶん、糸谷にはそういう心理的ドラマは無縁である。そんなことはそもそも気にしない。
極論すれば、この二人の違いが今回の竜王戦の勝敗を分けたのである。
たまたま竜王戦の最中にNHKの将棋講座で過去の珍場面の特集があった。
その一つが羽生VS森内の最初の名人戦。封じ手の時刻の本当に寸前に森内が着手してしまう。
当時のNHKBSで米長邦雄が「おぉ、指した」と叫んでいるのも紹介された。さらに、この後、米長は聞き手の吉川精一アナに「いやぁ、いいものが見られた」とか言って握手を求めて吉川アナが苦笑していた。お茶目な先生だった。
森内はもちろん嫌がらせでやったわけではない。囲碁で坂田が藤沢に意図的にしたのとは全く異なる。ただ、自分で封じ手をしたくなかっただけ。その一念で指してしまって周りがみえなかった。そういう純粋さは実は糸谷と似ているところもあるのだ。そして、今回は逆に自分がその種の行為を受ける側になった。因果は巡る。
ついでに言うと、羽生は勿論少しは動揺しただろうが、わりとすぐに封じた。なかなか封じ手をせずに森内に怒りを伝えたりはしない。
羽生はそういう面では勝負師向きにできていて、受け流すところはサラリと受け流すのである。
というか、ほとんどの棋士はそうかもしれない。例えば同じ羽生世代の先崎学なら、こういう事をされても平然としているだろう。
もう一つ、森内VS郷田の名人戦も流れた。郷田が森内の考慮中に扇子をバチバチやり続けたために、森内がブチきれてしまったのである。協議のために対局は中断される。そして映像では、森内が興奮しすぎて鼻血をだして鼻にティッシュをつめている姿も紹介されていた。
これも、森内はおそらく我慢に我慢を重ねた末に、浅野内匠頭のように刃傷に及んだ・・・わけではないのだが。
これも森内がまじめすぎて人柄がよすぎるために起きた。普通ならすぐちょっと注意するか、あるいは露骨に相手にすぐ文句を言って済む。それを良心的に我慢に我慢を重ねるためにエネルギーがたまって爆発してしまうのだ。

最後の二局では糸谷の時間責めも話題になった。(「時間攻め」が正しいのかもしれないが、「時間責め」の方が何となくしっくりくる。)
両局とも初日から糸谷が劣勢になるが、そこから糸谷がビシバシと指し続ける。そして、意識的にそういう指し方をした事を、糸谷は糸谷らしく正直に認めている。
森内もまさか二日制の将棋で時間責めにあうとは思わなかっただろう。森内は羽生や渡辺相手で証明したように特に二日制の将棋で抜群に強い。それは、ひとつには時間をかけて終盤にじっくり考えられるというのも大いに関係している。
そして、二日制なら森内らしく周到に時間配分もできるのだが、糸谷はそういうところでも常識を超えていた。
そして、糸谷はおそろしく早見えなのでそれでもある程度以上の指し手を続けることができる。NHKBSで解説していた木村一基が言っていたが、普通は時間責めしている方が間違えて自滅してしまいがちなのだ。
そして、結果的には両局とも森内の大きなミスをさそって大逆転勝ち。
結果的には将棋の純粋な将棋の内容としては
クエッションマークも残った。しかし、勝負事なのだからこれくらいは当たり前とも言える。
最近のタイトル戦は羽生世代が中心であまりこういうのはなかった。崇高な神々たちの戦い。しかし、今は糸谷自身がハワイの前夜祭の挨拶でひきあいに出していたように、「神は死んだ」(ニーチェ)のである。
大変人間的な戦いをする糸谷はそういう意味ではとても面白かった。しかしながら、これで「神々の黄昏」というオペラが書かれるわけではない。というのは、相変わらず羽生世代の神々が健在すぎるくらい健在だからである。

さて、糸谷新竜王。この人くらい純粋な人も珍しいだろう。私は加藤一二三の後を継ぐのは糸谷しかいないと思っている。完全にマイペースでなおかつそれが全然憎めないところもよく似ている。
今回のたびたびの離席なども、言うまでもないが悪意とか他意などみじんもないのだ。加藤一二三が、「ひふみんアイ」で相手の後ろに立つのと同じ。
その加藤が初日のニコ生解説だったが、米長とのエピソードで米長著「将棋の天才たち」の話がメールでちょっと出ていた。
その本にも糸谷哲郎は登場する。糸谷のかつての「将棋は斜陽産業です。」発言は有名だが、何とあれは何かの会で米長当時会長を前にして言ってしまったらしい。米長は憤然として席を立ったそうである。というわけで、糸谷は計算とか何もなくてそういう事を言ってしまう人なのだ。糸谷も島朗の言うところの「純粋なるもの」の系譜の伝統に属している。ちょっと今までとは種類が違うだけで。
糸谷は現在大阪大学の哲学科の院生である。そして一応将棋部にも在籍している。「プロ」という愛称で、気さくに部室に顔をだして指導もおこなっているらしい。また、西遊記のファンサービス活動でも中心的な役割を果たしている。全然偉そうにしていないで、まわりから独特のキャラクターに対してツッコミが入っても怒りもせずに笑っている。
こんなこともあった。ニコ生中継で糸谷が「ティロホンショッキング」で電話出演する。ブールミッシュが棋聖戦のお菓子の提供をしていた。
そして、聞き手をしていたかわいい小悪魔のような?山口恵梨子が無茶ぶりしてお菓子の食レポを依頼する。
糸谷は最初は「ええっ、だって食べながら喋れないじゃないですか。」とか嫌がっていたが、結局マドレードを食べて「このレモン風味が甘みをひきたてています。」と名食レポをやってのけたのである。どうすればあんなに人柄がいいのだろうかと思ってしまうくらい人柄がよい。
いやはや、木村義雄の時代じゃ考えられない。
本当にきどりのないきさくで庶民派の新竜王である。おめでとう。

さて、こういう究極の善人同士の二人の糸谷と森内が戦うとちょっとした波乱が起きてしまったわけである。別にどうということもない。二人とも純粋でいい人すぎるためである。
ただし、こういうのと、お互いに意図的に反目した藤沢秀行と坂田栄男のようなケースのどちらがいいかと言われると、私などはそのようにチャンチャンバラバラやってほしいと思ってしまう方なのだが。

今泉健司さんの「顔晴る」

石井健太郎四段が盤におおいかぶさるように必死に考えている。しかし、もう勝ち目はない。秒を読まれる中、「負けました」と言って駒台に手をやる。
今泉健司さんも軽く礼をして駒台にソッと手をふれる。やや呆然としたようにしばらく無言で余韻に浸っている。
石井四段が何やら恐らく将棋の内容について今泉さんに話しかけると、今泉さんは崩れるように体を前に倒すと、「いやぁ」といった感じで後頭部に手を当て、一気に感情がはじけたように石井四段に笑顔で何かを答える。
バックには丁度五時を告げるチャイムが静かに祝福するかのように流れ続けていた。
ドヤドヤと報道陣やカメラマンがなだれこんでくる。毎日新聞社の山村記者によるインタビューが始まる。今泉さんは、いつものように笑顔できちんと答え続けている。
しかし、プロ試験に合格を果たした感想を聞かれて、言葉がでてこなくなる。
誰に喜びを伝えたいかと聞かれて、「お世話になった人すべてです。」とキッパリ。
最後に山村記者に、「これでよい正月を迎えられますね」(もし本局に負けていたら第五局は年越しになっていた。)とあたたかい言葉をかけられて、また素晴らしい笑顔に戻った。

今泉健司さんは、若い頃は才能も強さも認められてプロ養成期間の奨励会で三段までのぼりつめる。しかし、地獄の三段リーグの壁にぶちあたり、年齢制限によってプロ入りを断念せざるをえなくなった。
ここまでは、将棋界ではよくある話である。今までどれだけ才能のある人間がプロになれずに涙をのんだことか。
しかし、そこからの今泉さんは違った。様々な職業で働きながらアマチュアとして将棋を指し続けてアマの大会で輝かしい実績を残す。
一度は新制度により、三段リーグへの編入も果たすが、残念ながらまたしても抜けることはかなわなかった。
しかし、それでも今泉さんはまだ諦めない。アマとしてプロとの戦いで素晴らしい戦績を残して、プロ編入試験を受ける資格を獲得したのである。
今泉さんは、自虐的に「まるでゾンビ今泉です」と言って笑うのだが。

今泉さんは現在介護施設で働かれている。NHK広島がつくったミニ特集でもその模様が流れていた。その様子が大変明るい。
私も介護のことはある程度知っていて、ああいう介護士の方々の大変さはある程度分かっているつもりだ。職務の大変さや労働時間や報酬面では必ずしも恵まれているわけではない。きれいごとだけではすまない面も勿論あるだろう。
しかしながら、介護される人、あるいはその家族からは本当に感謝されるのだ。それは、私のような家族にとっても大変印象的なことなのである。
いや、私などがアレコレいうより今泉さんご本人の言葉を聞いてみよう。

みなさん優しい方ばかり。
時に叱咤、時に激励をしていただくなかで、
私自身、大きく気持ちが変化しました。
やはり、目上の方々はすごいです。
日々笑顔で、感謝して仕事に取り組めています。
こういう日々を送れたことで、将棋にもいい影響がでたのだと思っております。
今泉健司さんを応援する会公式ブログ 今泉の日常 _雜遒将棋を強くする? より

「いまの職場で働くようになってから、変にとがっていた部分が丸くなりました。プライドとかね。その代わりに増えたのが感謝の気持ちです。今まで感謝が足らんかったから、神様が環境を整えてくれたとも思います」
今泉健司さんを応援する会公式ブログ 今泉流振り飛車人生ファイル 進撃篇 より

今泉さんは若い頃、大変将棋の才能がある一方で、大変な自信家、あるいはご本人の言葉をかりると自惚れもつよかったようである。自由奔放な振る舞いもされたらしい。いまでも、その強烈な個性の余韻は残っていて感じとることができる。
しかし、それが今は苦労人特有の豊かな人間味になって花開いたかのようだ。編入試験のインタビューなんどを聞いていても、明るく元気いっぱいだが謙虚そのもの。人をひきつけずにはいられない魅力がある。ああいう今泉さんの様子を見て、誰もが今泉さんのプロ入りを願い応援するようになったのだ。

今泉さんと同年生まれの棋士は三浦弘行、行方尚史、木村一基、野月浩貴等。将棋界で実績十分でもはやベテランの域に足を踏み入れつつある人たちだ。いかに今泉さんが遅咲きだったかが分かるというものである。
しかしながら、もし今泉さんがこのように人生経験を積まなかったら、はたして今のように魅力的な人間になっていただろうか。また、将棋だって今みたいに腰のすわりきったものになりえていただろうか。
人生は何が幸いするか分からない。いや、今泉さんの言うように、神様は各人に必要な経験をちゃんと与えてくれているのかもしれない。ジタバタ生きている我々がなかなか気づかないだけで。

題名の「顔晴れ」は「がんばる」と読む。今泉さんご本人の説明を聞こう。
「頑張る、ってなんか重いです。顔晴るって書くのは、笑顔で楽しんだほうがいい結果が出やすいからなんですよ。ま、人の受け売りなんですけどね(笑)。」
今泉健司さんを応援する会公式ブログ 今泉流振り飛車人生ファイル 〕符彿 より

今泉さんにピッタリの言葉と表記だと思う。今泉さん、これからも「顔晴って」ください。


(付記 関連リンク)

今泉健司さんを応援する会公式ブログ
(今泉さんご本人が今回の編入試験、これまでの人生について語り尽くされています。必読です。)

今泉健司 最強アマ直伝! 勝てる将棋、勝てる戦法 (マイナビ将棋BOOKS)
(今泉さんが最近書かれた本。中飛車左穴熊など注目の最新型について書かれています。kindle本もあります。)

NHK広島newsweb アマ将棋強豪今泉さんプロに
(対局直後の動画が長めに見られます。多分視聴期限あり)
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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