2015年05月

「人間的、あまりに人間的な」行方尚史の名人戦 その2

第四局の終盤でも分かるように、行方は羽生とも十分互角に戦う力がある。今シリーズの第二局も行方の会心譜で、羽生もふっとばしてしまうきれ味だってある。王位戦でも結果は出なかったが、唯一だけど勝った将棋は終盤の鋭さを発揮した将棋だった。
行方は若い頃から終盤力には定評があったが、
今年度あの熾烈なA級を勝ち抜いたことでも分かるように、序盤の研究も怠りなく全局を通じて手厚く戦い抜く底力も身につけてきた。もともと、粘り強い指し回しの将棋だったが、しっかりした研究に裏打ちされた円熟の境地に達しつつあるのだ。
だから、一般の前評判とは違って、今回の名人戦ではもっと勝っても全然不思議ではなかった...はずなのである。筆者は行方がとても好きなのだけれども、正直それ以上に羽生ファンなのであって、今回かなり行方を恐れていた。
できればもつれたシリーズの末に行方の顔も立てた上で羽生さんに防衛して欲しい。でも、本当に第七局までいったらはたして心臓がもつだろうか――ファンはファンで余計なことを考える事で結構多忙なのである。

そして迎えた椿山荘での開幕局。行方が深い研究で▲6八飛を試した。正直、昔の行方では考えられないくらい(失礼だ)研究が隅々まで行き届いている。行方もある程度自信をもって、充実した気持ちで指したはずである。
ところが、羽生の柔軟な対応力がそれを上回る。形にとらわれない△4三金左から△5三金寄。地味だけれどもこの手順が今の羽生の円熟を象徴する素晴らしい着想だった。シリーズ随一と言っても良い。行方をして「しびれました」と言わしめた。
後手の羽生がよくなったが、それでもまだまだ将棋は分からない。ところが、61手目で行方は投げてしまう。
盤外でも先手がどう粘るのか難しいとはいわれていた。しかしながら、ニコ生解説の「卒直居士」森下卓が述べたように、本来行方は終盤型でこの程度の差の将棋をひっくり返すことで生き延びてきた棋士なのである。
名人戦史上最短手数記録を更新。
行方が感想で述べているように、深く研究した上で指した▲6八飛が羽生の柔軟な構想でうちくだかれたショックも大きかったのだろう。十二分に準備して勢い込んで指したところ出鼻をくじかれて嫌気がさしてしまつたのかもしれない。
しかしながら、本来そうだとしてもまだ敗勢というほどではなかったようなので、普通に考えればシリーズの今後のことを考えればベストの抵抗をして羽生に楽をさせないようにすべきだろう。多分現代の若手棋士なら必ずそうする。
しかし、多分行方は大変デリケートで人間的なのだ。名人戦舞台初登場の緊張感や、構想がいとも簡単に打ち破れたショックで戦意を喪失してしまったのかもしれない。それが行方らしいと言えば行方らしいのだけれども、羽生相手にこんな「美しい」戦い方をしていては勝つのは望み薄である。正直に告白すると、私はもうこのシリーズは終わったとまで考えてしまった。
行方にはファン(や棋士仲間)に愛されてやまない人間味がある。それが必ずしも勝負にプラスするとは限らないのだ。残念ながら。
しかし、行方はそのままズルズルしはいかなかった。なぜだかよく分からないが第二局に現れた際には第一局の事など忘れたように元気一杯意気軒昂だった。それが人間的な円熟によるものか、行方が近年もった家庭のおかげなのか――あるいは全てを忘れさせてくれるアルコールの力なのか――はよく分からないが。
行方は今シリーズの前夜祭のあいさつで、「羽生さんと違って私行方をご存知ではないかもしれませんが」とか盛んに言っていて、中継ブログで文字おこしだけ読んでいた私は、前夜祭にくるファンくらいなら行方さんくらい知っているでしょ、何を言っているのよ、なめちゃんは、と思っていた。
ところがニコ生中継で現地にいた室田伊緒によると、行方はそういう自虐的な挨拶をすることで会場の心をつかんで味方にひきこむ雰囲気をつくっていたとのこと。ナルホドである。前夜祭でも行方流で元気いっぱいだったらしい。
そして将棋の方も快勝した第二局以降は、むしろずっと行方の方が強気で押し気味だった。あの羽生もちょっとタジタジだった。
しかし、第三局は終盤の一瞬のミスで転落、第四局は前記事で書いたとおり羽生の底力に根負け、第五局も理想的に攻めていたが羽生の△2七銀打を見落としていたそうで、攻めがつながらなくなり入玉を許し、以下徹底抗戦するも羽生の冷静かつ正確無比な指しまわしの前に敗れ去った。
どれも終盤でやられたわけで基本的には技術的な問題だし、また二日制の長時間対局に対応しきれなかったとも言える。
最終局の連盟大盤解説を担当した藤井猛は、行方の敗因は41歳という年齢のせいだと述べたそうである。では羽生はと聞かれて、羽生さんは超人ですから年齢は関係ないと答えたそうな。
そうした要因もあるのだろうが、例えば最終局を観ていて私などはこう思った。行方は羽生の△2七銀打をウッカリしてすでにそこではむつかしくなっていたのかもしれない。しかし、その後▲2五桂とあまり時間をかけずに指している。この桂馬を使わないとお話にならないという自然な手に見えるが、これには羽生の△3九飛が攻防の絶妙手でさらに大きく形勢を損ねたようにも見えた。
つまり、行方は感情の起伏が大きくて充実して思いとおりに指している時は滅法強いが、一度ミスしたり予想外のことが起きると素直に動揺して悪手を重ねてしまうようなところがあるような気がする。これ以外にも終盤で似たようなことを感じることも多かった。行方の「人間的な」ところが勝負には邪魔になるのだ。
一方の羽生は先述の△3九飛をすぐにでも指したくなりそうなところ、ジックリ読みを入れて夕休をはさんで指していた。落ち着いたものである。
さらに、入玉をした後も方針考え方具体的指し手が普通の将棋と違って大変難しそうなところを、常に冷静沈着に的確な指し手を積み重ねて終局図まで見事にたどりついてみせていた。
藤井が言うように羽生は「超人」である。単に指し手が正確だということではなく、恐ろしく心の揺れをコントロールするのに長けているという点でも。
第一局では、アッサリ投げてしまった行方だが、最終局は入玉されてからも気合い十分で鋭く迫り続けていた。しかし、それをことごとく羽生に正確にかわされていたのは何とも皮肉だったが。
しかし、少なくとも羽生を最後まで苦しませ続けた。もし、あの入玉後のようにシリーズを通じて指したら本当に少なくとももっと勝てたような気もする。
それが本来もっともやらなければいけない第一局ではなく、最終局の負けが濃厚な局面で出たのが行方らしいと言えなくもない。
今回は、とてつもなく強い「人間的な、あまりに人間的な」棋士と「超人」棋士の戦いだった。将棋は基本的には技術が全てだがそれ以外の要素もやはり重要なのかもしれない。

少し前にNHK杯でハッシーの二歩が話題になった。相手は行方である。
橋本が二歩を指して直後は二人とも気づかなかったが、まず行方の方が「ああああああ」と声をあげると、顔をおおってまるで自分が二歩を指したかのように落ち込んでいた。
「ああああああ」と声をあげるおかしみと、相手を思いやる今時珍しいような心のやさしさが、あれぞ行方である。
やはり、「人間的な、あまりに人間的な」「棋士」――ではなく「人間」である。その点では羽生もかなわない。


(その1の記事はこちらです。)

「人間的、あまりに人間的な」行方尚史の名人戦 その1

今回は第四局が何といっても名局だった。序盤は行方が△8二飛など細心な配慮でうまく羽生の攻撃を完全に封じ込んでしまった…ように見えた。
純粋な二歩損で右辺も先手の羽生からとても手がだせない形のように見える。完封寸前。こういう場合、将棋界では「島朗先生なら投了してもおかしくない局面ですね。」と言うのが通例になっている?
しかし、羽生も▲2三歩と放り込み、決然と後戻りできない桂馬も跳ねてギリギリの攻めをつなごうとする。
後手は△6九角や△3六角と受けて完全にきらしにいく指し方もあったようだが、行方は強気に△3六歩。ものすごい手つきだった。
こわいところもあるがハッキリ勝ちにいった手で、行方の精神的充実を感じた。こういう踏み込みを敢えてしないと羽生には勝てないと経験で知っているのかもしれない。
とはいえ、完封寸前に見えたようだが局面がほぐれて一応先手も攻めの形になった。後手もこわい。
特に局面が進んで▲2四飛と取られそうなところを逃げたところは、ニコ生解説の渡辺明も「ここで後手にいい手がないと、アレアレこれはおかしいですよー(誰かの口調みたいだ)、ということになります。」と述べていた。
しかし、行方は△3五銀打という好手をきちんと準備していた。入玉しようとする玉の進路を塞ぐので指しにくいが飛車をいじめて取るか封じ込めば良いという好判断である。
ギリギリの終盤でこういう冴えた手が指せれば通常はもう勝ちである。但し、普通の相手ならば。これで改めて後手良しがハッキリしたように見えたが、羽生はその後も実にしぶとい。
渡辺によると、行方が△3五玉と逃げ出したのがやや危険で、すかさず▲1七銀と飛車取りに当てながら入玉を阻む手を指されてまた局面がちょっと分からなくなる。
それでも△9五歩の端攻めが確実な迫り方で、難しいながらもまだ後手か残していそうだという評判だった。次の△9六歩の取り込みが詰めろ。
それに対して▲9八歩と受けたが、渡辺は当初錯覚して97に駒を放り込んで詰みだと思ったが最初に先手が桂馬で取れば後手が△9六桂を打てず詰まない。
つまり、▲9八歩に対して、さらに後手は先手玉に詰めろを何らかの形で続けなければならない。そんなに簡単ではない。
羽生は▲9八歩を着手する際に、ほんの少しだけ震えた。これは、勝ちになったというよりは、それまでずっと負けだと思っていたのだが、もしかすると何とかなるかもしれないという意味だったのかもしれない。
その辺りを渡辺は「▲9八歩に対してどう詰めろをかけてくるんですか、と羽生さんは主張しているのかもしれないですね。」というような言い方をしていた。
渡辺の解説は手の指摘も的確な上に両対局者の考え気持ちの分析も明晰で素晴らしかった。まるで、ピエール・ブーレーズの「春の祭典」のスコアの解析のようで曖昧なところが一つもなく全てがレントゲンの光線のもとにさらされる感じだった。本局の素晴らしい終盤戦の醍醐味を渡辺のおかげでよく理解できたのである。
しかし、その時点では行方も全く不安な様子は見せず力強い手つきでの着手が続く。行方も羽生も自分が勝ちだと主張しているように見える。何とスリリングな終盤。
行方が準備していたのは端を清算して玉を7九に落としてからの△4六桂の詰めろだった。これまた気づきにくい手順の詰めろだが先手も受け方が難しい。
行方はここでは勝ちだと思っていたらしい。羽生が指した次の一手の▲6八銀打以外は。
これも銀を投入すると攻め味がうすくなるので打ちにくい銀である。また、節約して金を引いたりする事も考えられ。渡辺がその順で後手玉を頓死させる順を解説してやりたくなりそうだが、行方はそれらを全部読んでいて勝ちと見切っていたそうである。何という深い読み。
しかし、羽生の銀受けがそれをも上回っていた。羽生は「あそこはあの一手」と述べたらしいが、これは羽生にしか言えないセリフだろう。
既に一分将棋だった行方はこれに対応できなかった。△5八角に先手が5九に香車を受けて攻めがつながらなくなってしまう。ここでは後手が龍を入っていればまだ激戦が続いたようだが、それよりも羽生の▲6八銀打に凄みがありすぎたと言うべきだろう。
その後も、素人には全然簡単ではないのだが(笑)、▲9九歩とか▲7七金打ちとか当然とはいえ後手にとってはきつい手が続いて確実に先手が勝ちに歩を進める。いつものことだが、羽生の仕上げはからい。いや、そうではなく確実正確なのである。
最後の▲8八玉で、羽生の手は大きく震えた。今度こそ正真正銘の勝利宣言である。
羽生の脅威の粘りに瞠目させられたわけだが、行方のもともと定評ある終盤力にも感嘆するしかなかった。超一流プロの技術にウットリしてしまう終盤。
行方はしぼりだすように投了をつげた。その後もうつむいて顔をさかんにおしぼりで拭いている。観ていて痛々しいのだが、このように感情をストレートに表現するところが行方の魅力でもあるのだ。
渡辺によると「羽生さんは、終局後にわりとすぐ相手に声をかけるタイプなのですが、行方さんの様子を見て何も言えないのでしょうね。」このあたりも指し手だけでなく的確な解説だった。
行方のあの落胆ぶりは、あの良かった将棋を勝ちきれなかったか、落としたかという気持ちの表れである。またプロ棋士も観戦者ももともと相当後手がよくて、久々に羽生の鬼のような大逆転勝ちだという見方だった。当初は。
しかし、渡辺がブログに書いていた通り、冷静に考えると後手がよかったにしても、ハッキリ勝ちにする手順は難しくて、実はそれほどの大逆転ではなかったのかもしれない。
真の羽生マジックとは、このように一件大差に見えても実は意外に難しい順をほとんど本能的に選択できる事なのかもしれない。羽生自身も意識的には相当苦しいと考えていたのかもしれないが、結果的には意外にむつかしい順を無意識に選択できているとでもいうか。
かつて、渡辺が羽生のどういうところが天才かと問われ、「分からないところで結果的に勝ちになるような順を羽生さんは選んでいることが多くてあれは他の棋士ではありえない」という意味のことを述べていたのを思い出した。

さて、記事タイトルの内容にまだたどりついていないが、第四局を語るだけでもう力尽きた。続きはまた回を改めて。
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