まあ、素直に「なぜプロになれたのか」ということで読み始めたわけです。しかし、そのことより将棋界の具体的内情や「空気」があまりに生々しく伝わってくることのほうに興味がもっぱら向かうといった本でした。この問題に興味がある人以外にも、将棋会の内幕を知りたい人は、とりあえず一読しておいたほうがいいでしょう。
将棋界と一口に言っても、本当に様々な立場、思惑、感じ方の人間がゴタマゼに交じりあって成立しているようです。なかなかムツカシイ世界のようで、これじゃどの問題についても、まとまった形ですっきり解決に、というわけには行かない理由がよく分かった気がしました。
引退(に近い形の)年配層の棋士が、現役の若手と感覚が違うというのは最初から予想できたことでした。しかし、若手の間でも立場は様々で、かなり「内部の論理」にしがみついている若手も多いようなのには驚きました。
結局、どのような年代、実力の棋士にも、平等な一票が与えられ、将棋会内部の人間、しかも引退した人間を中心に運営が行われているという、将棋界の構造的本質問題に行きつくのでしょう。このことついては「社長さん」(だから、このキャバレーの呼び込みみたいな呼び方やめろっ!)が、例によってとてもスマートな形でまとめています。

「WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログ」 「将棋会の今後 その8日本将棋連盟理事会の構造的特質」

もし、外部の経営コンサルタントが、将棋界に呼ばれて、この点について完全に自由に改革してよいと言われたらどうするでしょう。
経営は、外部の専門家に一任すべし
「経営部門」と「棋士部門」は明快に分けて、経営に棋士がいちいち投票で口出しすることがないようにする
無論、ある程度棋士側の意見を反映させるのは当然だが、その場合の発言権(投票権)の付与については、棋士全員ではなく、将棋指しとしての実績、普及への貢献、その他形のある貢献があると認められる者に限る。
いうまでもなく、もし「すき放題することが許されたら」という話に過ぎません。私だって、こんな案が本当に実行されたらイヤです。については、その線引きが難しいし、やはり弱者切捨ての匂いがするのであまり「是非しろ」という気にはなりません。ただ、△砲弔い討蓮△△訥度検討すべきなのではないでしょうか。今のように、どの問題でも棋士会での「平等投票」が必要なスタイルだと、棋士にとっても、スポンサーにとっても、ファンにとっても、あまり幸せな結果になるとは思えないので。,砲弔い討枠妙です。本来外部に思い切って任すべきなのでしょうが、現在の将棋界の体質には重大な弊害もある一方で、一般社会にでは失われた良風のようなものがある気もするので。内部の人間が運営しているからそれが保てていて、完全に外部に任せると、合理的であっても、かなり殺伐とした世界になるかもしれないとも危惧したりします。こんな保守的なことを言うようでは、ヤッパリ自分は「オールドファン」なのでしょうね。それと少なくとも、今の世代までやらせたのですから、谷川世代、羽生世代、渡辺世代にもやらせてあげたいじゃないですか、っていうのも随分安っぽい人情論ですね、きっと。
こうした経営、運営の問題は別にして、本来将棋指しというのは、将棋を指す人です。(同語反復)。正直言って、ファンは棋士にバランスある常識人を求めているわけではありません。どんなに人間的に変わり者であっても、将棋が面白かったり、キャラクターに魅力があったら、ファンは無条件に支持するでしょう。(今、ある棋士の名前が口から出かかったのですが、この文脈ではあまりに失礼なのでやめときます。)勿論、バランスの取れた常識人でも構わないわけですが、そういう人間ばかりではやはりつまらないのです。基本的には、将棋指しには将棋指しであって欲しいというのがファンの本音です。
などと書いていると、やはりそういう「将棋指し」が幸せに将棋を指していられるためにも、「経営」の棋士からの分離独立を本気で考えるべきなのかもしれないとも思ってしまいます。すみません、全く矛盾する論理混交の分章になってしまいました。思いつきで書き散らしたのですが、やはり到底私などの手に余る問題のようです、というのが安易なオチ。