世間一般的にも、どんどん騒がれて欲しい。どんな騒がれ方だっていいじゃない。女子高生の女流名人でも何でもいいから、とにかく将棋ファンへの入り口になってくれれば。
しかし、将棋ファンにとっては、今回の里見香奈は、その将棋の内容があまりに鮮烈だつた。将棋ファンの反応をtwitterなどで見ていると、皆彼女の将棋の中身に感心しているのだ。これは凄いことだ。里見香奈についての人間的な話題よりも、将棋の質の高さでファンを魅了しているということは。
それも、とても強い人たちも十分に、そしてそれほど強くない私のような人たちもそれなりにである。(昔、樹木希林や岸本加世子がそんなCMをしていたっけ。)将棋は専門性が高いので、棋譜を本当の意味できちんと理解するのは大変だ。しかし、現在のように中継に親切な解説がついていれば、どのレベルのファンも、それぞれ自分なりに楽しむことが出来ると思う。そして、あまり棋力がない場合でも、実はある程度がどういう棋譜なのかを直感的に感じ取ることは可能なのではないだろうか。名画を本当に理解することができるのはごく一部の人間だとしても、開かれた感受性の持ち主ならば何かを確かに感じ取るのが可能なように。このテーマについては、羽生善治と梅田望夫の対談でもふれられていた。
そして、里見香奈の棋譜には、確かにそういうものがあるのではないかと思う。勿論、彼女の実力は男性プロと比べればまだまだ不十分だろう。しかし、そういう実力とは別に、見ていてプロの将棋だなあ、美しい指し方の棋譜だなあと素直に感じさせるものがあるのだ。私だけなのかと思っていたら、ネットの反応を見ていて多くの将棋ファンが似たようなことを感じているのを知って驚いたのである。
よく言われるように、男性プロと女性プロの将棋は、その実力差を度外視しても性質が異なる。それについても、多くのファン(棋力のあるなしに関わらず)何となく感じていたところである。しかし、里見の将棋は、ほとんどそういう男女差のようなものを感じさせない。序盤の作戦も、男性プロと変わらない最先端かつ自然なものだし、終盤の組み立て方も現代的でスマートである。それは、彼女がネット将棋で、相手も里見自身も全く性別を意識せずに将棋と取り組んできたことも大きく関係しているのだろう。また、彼女のとてつもなく素直な性格も寄与しているのかもしれない。
今回の女流名人戦というのは。男性で言うと、米長vs羽生の名人戦のようなものだったのではないかという気がする。単なる世代交代にはとどまらず、将棋の質自体の転換のターニング・ポイントとでもいうへきか。素人なのでうまく説明できないが、漠然とそんなことを感じている。
そして、羽生も里見も先輩に対する素直な尊敬心に欠けていないところも似ている。羽生は、名人を取った時に米長が万歳して祝ってくれたのが嬉しかったと素直に書いている。里見も、名人獲得後のブログ記事でこんなことを述べているのだ。
一日を一言で言うと、清水さんと将棋指せるのが嬉しくて楽しくて、かつ結果も出せて夢のような一日ってこのことかって思う一日でした。

キラリっ娘のそよ風日記 v(^^)vより

彼女が言うと、本当に素直にそう思っていたのだろうなと納得してしまうのである。
でも、記事のタイトル自体が絵文字って、やっぱり女子高生だよね。