藤井猛は意外なことに週刊将棋ステーション初登場だそうである。例によってボソボソ口調の独特な藤井流センス・オブ・ヒューモア世界全開だったのだけれども、それ以上に藤井の幼い頃の将棋勉強法やプロになる経緯の話が実に興味深かった。ほとんど藤井将棋の本質を悟って開眼した(と錯覚するくらい)藤井将棋を理解する上で重要な手掛かりになるトークだった。
藤井が初めて将棋を知ったのは小学生4年生の時で、友達にルールを教わったそうである。それで、その時は終わり。小学校でも将棋の流行り廃りがあって、まくた6年生の頃に流行して、友達と指したりした。でも、あくまで友達と指した程度で、本人曰くには「十級」程度だったそうである。但し、将棋の本を試しに買ってみて読んその通りに指してみたら、友達程度にはそのまま勝てたそうであある。あと、NHK杯の将棋を見るのが好きだったと。要するに現代風に言うならば、元祖「観る将棋ファン」だったわけである。道場に通うような積極的な子どもではなく、藤井流に言うと「ジャンケンをすれば負け、かけっこをすれば遅い子ども」だったそうである。羽生なとが小学生名人で既に十分強くて実戦経験も豊富だったのとは原点からして大違いなのだ。
その後、地元で将棋普及に熱心な方に出会い、実際に指してみたら、アマチュア三段程度のその方に勝ってしまったそうである。藤井は、あくまで将棋の本を読んだりテレビ将棋を見たりしていただけにもかかわらず。この辺が藤井の才能である。中学2年生の頃である。そして、奨励会の予備機関の研修会に入会する。当時14歳。そして、その頃将棋の専門誌を見ると「はにゅう」なる子どもが同い年で既に奨励会三段であることを知る。「なんだ。コイツは」と思った。それが「羽生」である。将棋エリートの羽生とは、その時点では限りない格差があったのである。
そして、研修会入会当時も、頭で覚えた将棋なので最初は全然勝てなかった。本で読んだ知識で途中まではそこそこいい勝負でも、中終盤では体で覚えた将棋でないのでボロボロにされた。そんな状態が半年ほど続いて、それに耐え抜いた。
そして、奨励会にやっと入ったのが15歳の時。羽生はその頃既にプロになっていた。

要するに藤井は将棋の世界においては、「エリート」とは程遠い「雑草」だったのである。それが、羽生などの将棋エリートたちと現在互してやっているのは、ほとんど奇跡に近いともいえる。
将棋でも、例えばプロのクラシック音楽家でもそうだが、幼い頃から肉体的に鍛錬をつんで「体で覚える」ことをしなければ普通は到底無理とされる。基本時に完全に特異なスペシャリストの世界であって、一般人には手が出しようもない世界なのだ。それを、藤井は努力と才能で突き崩したわけである。

本ブログの「ものぐさ将棋観戦ブログ」というのは、実は私が好きな岸田秀の「ものぐさ精神分析」の影響を受けている。岸田はその主張にボルクの「胎児化説」というのを置いている。簡単に言うと、人間は猿の胎児であるにもかかわらず、成人になっても猿でいうと胎児段階の特徴を残しているという説である。従って、猿などの動物においては本能によって必然的に決まったしまう部分を、人間の場合は成人になっても自由に選択できて、動物のようなきちんとした成熟がなくて世話が必要なかわりに多岐で自由な発展の可能性を残している。本能が壊れているかわりに人間的な自由の可能性があると。
私は別に岸田やボルクの説に賛同するわけではないのだけれども、藤井の話を聴いていてその話を思い出した。羽生などの将棋エリートは、「体で覚えた」将棋であって、ほとんど考えなくても直感的に将棋の「正しい」指し手を把握する。一方、藤井においては、そうした「将棋的本能」が、本人の経歴からも分かるとおりにない。「頭で覚えた」将棋なのである。
従って、藤井将棋の弱点は、将棋の「本能的部分」、すなわち終盤の指し手である。「ファンタ」と揶揄されるように、そうした部分ではいまだに羽生などの「体で覚えた将棋」に対して劣る。
しかし、その代わりに「将棋本能」が最初から崩壊しているために、自由で常識や本能に捉われない発想が可能だ。「体で覚えた将棋」が本能によって最初から拒否する指し方を、先入観なく自由に追求することが出来る。その美しい果実が「藤井システム」や「藤井矢倉」である。将棋エリートたちにちにとって、そんな指し方は最初から「ありえない」ので拒否される。しかし、藤井の場合は「将棋本能」が最初から壊れている、あるいはもともと存在しないので、そうした革命的な思考が可能なのだ。