将棋世界2011年11月号の山岸浩史氏による王座戦第一局観戦記「衝撃の新手破り」が大変面白い。以下にその感想メモを書くが、詳しい内容についは現在発売中の将棋世界を参照ください。


羽生の△9三桂が新手だったが、それは同型の棋聖第三局の後に若手の研究会では重要課題として議論の対象になっていたという。ところが、渡辺は、この手(の研究課題の重要性)を知らずに▲3五歩を指してそれが結果的に素晴らしい手で、ほとんどこの対局を決めることにもなった。そして、若手の研究ではこの▲3五歩は全く検討されていなかったという。
渡辺の大局観が素晴らしかったわけだが、山岸氏は渡辺と羽生の将棋を正反対だと指摘する。
いわゆる羽生マジックは、普通の棋士なら切り捨てる異筋の手まで拾い上げる特異な能力がもたらす妙手だ。渡辺の場合は「定跡になるならこの一手」「受けを考えても意味がない」と読みを極端に絞り込むことで、本筋に一直線に向かっていると思う。(中略)拾い上げる羽生と絞り込む渡辺、おそらく方向性は正反対なのだ。
確かに渡辺の場合は、本筋の手を決して逃さずに発見する嗅覚があるような気がする。但し、渡辺の場合は手を絞り込むのにあたって、いわゆる大局観による読みの省略という手法ではなく、むしろ徹底的に具体的に手を読み込んだ上で絞り込んでいるような気もする。
大局観と読みというのは、決して無関係ではなく不即不離の関係にある。読みの裏づけがあって大局観も成立するし、大局観がないと読みを絞り込めない。多分、渡辺の場合はまず基本としては具体的な膨大な読みがあって、その上での大局観だという気がするのだが、どうだろうか。
渡辺が▲3五歩を読んだ過程もこの観戦記で明かされているが、その思考過程はきわめて具体的かつ合理的である。決して感覚的になんとかなりそうというのではなく、常にきちんとした根拠がある。渡辺のリアリストらしいところである。
手を絞り込む大局観の持ち主として谷川の名前もここであがっている。しかし、谷川と渡辺では明らかにその性質が異なっていて、谷川らしい美意識に裏打ちされた手の絞込みに対して、さらに渡辺はそれに加えて合理性を追求しているとでもいうか。
渡辺は現代棋士の典型のように言われるが実はそうでもない。確かに戦いながら玉をかためて細い攻めをつなぐというスタイルは現代的そのものだが、それを遂行する過程の上での思考プロセスおいては意外に古風なのかもしれない。
羽生は渡辺将棋についてこのように評価しているそうである。
谷川さんに似ていると思います。
自分の価値観や美意識などを基準に読む手を絞っているところが似ているなと思いました。若い人の感覚ってもっとわからないものかと思っていましたが、そうでもないのだなと。それに気づいたのが去年の竜王戦の最大の収穫でした。
この話で思い出すのは、渡辺が修行時代に谷川の棋譜を実際に盤に並べてしっかり考えて理解しようとしたという話である。渡辺はパソコンも駆使して棋譜を調べる現代棋士の典型のようなところもあるが、その一方で最初からこういう「古風」な勉強法を取り入れていた。
恐らく、渡辺には二つの側面が共存しているのだろう。現代棋士の側面と伝統に則る棋士、デジタルとアナログ、大局観と読みのバランス、感覚面と合理性等等・・。
そして、それが他の一般的な若手と渡辺の差になっているような気もする。本局の▲3五歩を若手の共同研究は発見できなかった。それを渡辺は独力でその場で発見した。
渡辺が最近どのような研究会をしているか知らないが、インタビューを見ると自宅で一人で長時間盤に向かう時間も多いようである。現在は共同研究が全盛だが、渡辺はそうした風潮に対しても、けっして否定するのではなくある程度距離を置き始めているのだろうか。やはり独特のバランス感覚があるような気もする。
羽生将棋についてはこれまで様々なことが語り尽くされてきた。しかし、渡辺将棋の本質については、まだ十分語られていないように思うし、そもそも渡辺将棋をきちんと理解できている人間がいないのかもしれない。
そして、羽生だけがようやく渡辺将棋の本質を理解しはじめているのかもしれない。