王座戦中継サイト
棋譜(千日手局)
棋譜(指し直し局)

古い映画だけれども「ハスラー」というのがある。ポール・ニューマン扮する若きハスラー・エディ・フェルソンが、ジャッキー・グリーソン扮するベテランハスラー・ミネソタ・ファッツと戦うシーンがとても良かった。
腕前だけで言うとエディの方が既に上で、最初の方は連戦連勝し続ける。慢心したエディは酒を飲みだしてしまう。
しかし、戦いは長期戦に及んでいつしかミネソタ・ファッツが巻き返し、一昼夜を超える死闘の末にファッツが最後は完勝する。
その際、戦いが夜戦に及んでゲームの休憩時間に、エディは疲れが出てきてぐったりしているのに対して、ミネソタ・ファッツは悠々と落ち着いて歯を磨き、顔を洗い、服を調え、髪をきちんととかして次のゲームに備える。そのシーンのミネソタ・ファッツが本当にかっこよくて忘れがたい。
いや、渡辺ファンは誤解しないで欲しい。決して、エディが渡辺でファッツが羽生だなどと私は言いたいのではない。
だいたい渡辺は決して慢心なんかしていないし今でもストイックに謙虚に精進を続けているし、逆に羽生ファンの立場から言えば既に渡辺の方が腕前が上だなどどといったら、本ブログのコメント欄は抗議でたちまち炎上してしまうだろう。
そうではないのだ。二人と置き換えることなど不可能だ。敢えて言うなら、羽生と渡辺の場合は、二人とも同時にファッツ的な人間的な強靭さも持ち、エディ的な才気、才能も兼ね備えている。
大変に内容が濃密な激闘の末に夜中に千日手になり、その30分後に指し直しになった。こうなってくると、将棋の技量の勝負であると同時に、体力・精神力の勝負にもなってくる。
つまり、ファッツのように疲れきっていても身だしなみを整えて戦いに挑むことの出来る心のありようも大切になってくるような気がする。
私はニコ生中継で、深夜の対局が始まった際の羽生と渡辺の対局姿を目を皿のようにして凝視していた。将棋よりも二人の様子が知りたくて。
しかし、少なくとも私の目には二人とも、全く疲労の様子はみえず、シャキンとして戦っているように見えた。
ただ、近くで見ていた行方は「渡辺さんが疲れている感じですね。背中が丸まっています」と述べていた(21手目棋譜コメント)
一方、羽生の方には本当に全く疲れの色が見えなかった。羽生の方が渡辺よりも一回り年上なのである。羽生は最近42歳の誕生日を迎えたところだ。対局の前にはチェスの対局イベントまでこなしていた。
本当に信じられないような体力の持ち主なのである。いや、将棋の場合は普通の「体力」とはちょっと違う。盤の前に長時間座り続けて動かず、頭だけをフル稼働させ続ける。肉体と精神の両方が恐らく猛烈に疲弊するはずだ。
だから、体の基本的強さが必要であるにしても、やはり精神、心の強さが一番重要な気がする。将棋の技量だけでなく、そういう面でも羽生は並外れているのではないだろうか。

将棋は先後入れ替えて、先手の羽生が矢倉を選択。今回の王座戦では先手で全て角換わりではなく矢倉だった。先手の矢倉に自信があるのか、角換わりの後手に有効な対策があると考えているのか、多分両方のような気がする。
一方、渡辺は後手矢倉では△9五歩型を採用する事が多い。特にこの二人の戦いだと、NHK杯や竜王戦で何度も同じ形を指定局面のように戦った事がある。
ところが、モニターを見ていると渡辺が珍しくどうするか迷っているように見えた。分岐点の△8五歩のところである。気合よくとばす渡辺にしては(重要な分岐点であるにしても)やや多めに時間を使っていた。
もしかすると、渡辺は現時点では△9五歩型に今ひとつ自信をもてないのかもしれない。そういえば、今回の王座戦では後手では急戦矢倉を連採していたのも、それと関係があるのかもしれない。
この二人の戦いは迫力満点の終盤が何より魅力だが、二人とも終盤力が図抜けているだけに、序盤の作戦のもつ意味も大きい。今回は、渡辺がこの指し直し局でも急戦矢倉でも、後手矢倉で本当に自信をもって指せる作戦がなかったのかもしれない。
逆に、2008年の竜王戦では後手の急戦矢倉があの時点ではとっておきの作戦だったし、二年後の竜王戦では後手での△6五歩型の角換わりに絶妙な工夫があった。
つまり、この二人の戦いは大変高レベルなので、その時点で後手で有効な作戦を見つけられるが大変重要なポイントになっていると思う。
そして、今回の後手の羽生は王位戦でその優秀性に苦しめられた藤井流の角交換四間、さらに二手目△3二飛があった。
終盤力がほぼ互角なだけに、冷静に考えるこの二人の場合は後手番の作戦次第でタイトル戦全体の結果が決まるといっても過言ではないのかもしれない。
将棋は先手が先に銀を損するがそれを代償に攻める「先手銀損定跡」になった。行方が経験も豊富なそうで、この形のポイントを分かりやすく解説していた。
「この将棋は、後手の苦労が多い将棋なんです。つらい時間が長いので、持ち時間の長い対局では指しにくいと思っています」(行方八段)(53手目棋譜コメント)
後手は駒得しても延々と受け続けなければならず、攻め味もないので苦労の多い将棋ということのようである。
ちなみにどうでもいいことだが、行方は夜戦になってからは実にいきいきしていて解説も冴え渡っていた。さすが夜型?である。行方も永瀬を見習って千日手王をめざせばいいのではないだろうか。千日手になるくらいの時間に元気になってくるのだから。
この将棋も後手が銀を投入してがっちり受けたようにも見えたが、羽生もさすがに細そうな攻めをうまくつないで、端にと金をつくったあたりでは先手成功である。しかも、先手玉が金が二枚並ぶなかなか詰めろがかからない(矢倉ではよく出る)形になっているのが心強い。
以下、羽生がなんとなく珍しく寄せをぐずったようにも見えたし、渡辺もうまく粘ったが、▲6六桂なども落ち着いていて、どこまで行っても結局後手が苦労し続けれないといけない将棋だったのかもしれない。
羽生もその後は落ち着き払って▲3二の金で3三と3四の銀を次々に取った。どうもこの辺り以降は決して焦らずに勝ちに行く方針に決めたようだ。
渡辺の△8三馬もいかにも意表をつく手で、指された瞬間はまた終盤で何か出したのかと思った。しかし、これは普通に金を打って受けたのでは勝ち目がないと見た一種の勝負手だったのだろう。
堂々と(冷静に)▲5三飛成と銀を取られて、このあたりでハッキリしたようだ。羽生はこの辺り次々に三枚の銀を取っている。
ちなみに、この△8三馬を即座に大悪手と断じていた大内はさすがだ。誰もが渡辺の終盤力をつい信用してしまうが、自力で疑って正しい事をきちんと指摘していた。ベテランらしかった。
以下羽生は徹底的に受けに回って不敗の態勢を築き上げる。結局3二にいた金が→3三→3四→4三→5三→6三と相手の駒を取りながら着実に一歩一歩後手玉に近づいて寄せに役立った。最後はいかにも羽生らしい「決してあせらない」終盤の仕上げである。
終盤最後の方で手が進まない間に、ニコ生では、浦野が再び「ジャパネット」ぶりを発揮して自著の宣伝に余念がなかった。そして、コメントによって本人にも「ジャパネット」のあだ名がついたのが伝わったのである。さらに、Amazonで浦野本が一位を含めた上位を占めてバカ売れしていることが、ニコ生コメントを通じて伝えられた。
ニコ生視聴者数は、なんと何十万単位で今回は視聴者数の新記録を達成したそうである。浦野はその分かりやすくて独特のユーモアのセンスのある解説で、将棋普及に貢献した。本が売れたのはそのご褒美である。
但し、「ジャパネット」浦野のあだ名だけはご本人もちょっと不本意かもしれない。浦野はご本人もしているツイッターでは一部で、「アイドル」とか「マッチ」とか呼ばれていることを、大きなお世話ながら付言しておこう。
そんなこんなでの?、羽生の王座奪還である。その最後の方の様子については、一昨日の記事の冒頭で記した通りだ。

これで羽生は一年だけ足踏みしたが、王座通算20期獲得である。大山康晴の同一タイトル獲得記録である王将20期と並んだ。
そして、羽生が渡辺にタイトル戦で勝ったのは、2003年の王座戦以来。最終局で羽生の手が震えた事で有名なシリーズだ。
その後は、初代永世竜王、永世七冠をかけた伝説の2008年の竜王戦、その二年後の竜王戦、二十連覇をかけた去年の王座戦と、ことごとく渡辺がものにしてきた。
羽生にとっては常に節目の記録の際に、渡辺が立ちはだかってきたわけである。記録よりも世代が下の渡辺に敗れるのは、羽生にとっては今まで長年守ってきた第一人者の地位が脅かされるということだ。かつて、一時森内にも追いつめられた事があったが、持つ意味の重みが違う。
とはいっても、羽生ももう齢四十を超えている。下の世代のトップに世代交代していくのが自然な流れだろう。
ところが、羽生は今回その流れを自力で完全に食い止めて見せた。それも、この第四局で見せたようにあらゆる意味で若々しくてタフな将棋で。
最近の羽生の将棋を見ていると、衰えるどころか逆に若い頃にはなかった凄みさえ感じさせる。それは銀河戦の決勝でも島朗が解説で力説していた。
羽生は、今まで当初は苦手にする棋士がいても、その相手との対戦を重ねて慣れて何かを一度つかんでしまうと、その倍返し―どころ何十倍返しで完膚なきまでにやり返してきた。ここではその具体的な棋士名をあげることはやめておこう。渡辺戦についても、最近徐々に羽生が巻き返してきている。
それでは、渡辺はそういった棋士の列に名前を連ねてしまうのだろうか?
私にはそうは思えない。今回は内容的にも羽生が完全に押していた。それは渡辺自身もブログで認めている。
ただ、今回でも第一局では渡辺しか出来ないようなやり方で羽生を負かしていた。本当にこの二人の将棋は、張り詰めた緊張感がすごい。そして勝敗についても、その時々によってどちらに傾くか分からないスリルがある。
だから、多分今後も当分は互いに勝ったり負けたりを繰り返してゆくのではないだろうか。
ただ、その際に今後大変なのは、むしろ渡辺の方だろう。何しろ年は自分の方が若いのに、年上の羽生が衰えるどころか新境地を開拓してますます油断ならぬ大変な相手になっているので。

でも、結局この二人については第一局でも紹介した3月のライオンの中の名セリフを再掲するしかなさそうだ。
思いっ切り技をかけても 怪我しない
全力で殴っても同じ位の力で殴り返して来てくれる
そりゃ渡辺も羽生にあたるのはうれしかろーよ
そしてそれは羽生にしたって同じ事
お互いにお互いが相手の事を 力いっぱいブン回しても
壊れないおもちゃだと思ってるからな
ちなみに、原作では「羽生」にあたる「宗谷名人」は、いかにも羽生のイメージがある。一方、「渡辺」にあたる「隈倉九段」は、大変大柄で逞しい体格で足のサイズも30センチの巨漢である。実際の渡辺とは全然違う。
しかし、その厳しくて迫力満点な将棋は、まさしく渡辺のイメージなのである。
「隈倉九段」は「宗谷名人」に名人戦で負けて、旅館の壁を蹴破る。勿論、渡辺はそんなことはしない。(多分そんな力もない。)
しかし、渡辺のことだから、心の中では旅館の壁を蹴破るくらいのことはしているに違いなく(余計な説明かもしれないが、それくらいの悔しさを抱いてと闘志を燃やしているだろうという意味だ)、羽生ファンとしては次の渡辺とのタイトル戦が楽しみであると共に、ちょっとこわいのである。
ただし、我々ファンと違って羽生は恐らく何も恐れたりしない。
そういう二人の対決だから面白い。

(完)