羽生善治先手で第三局同様に横歩取りの将棋になった。但し、横歩とは思えないような居飛車振り飛車の対抗型のような落ち着いた展開に。
こうなると、羽生の自然にいつの間にかポイントをあげていく老練のテクニックが存分に発揮される。
途中ではかなり豊島将之が苦しいと言われていたが、決して暴発せずに我慢して機をうかがい、終盤では追い込みをみせて白熱の展開になった。
というよりは、羽生が実に思いきった寄せ方を実行したために、「事件」になりかけたのである。
まず、135手目の▲8二同龍。ここは龍をじっと引いていても十分とされていたところを、いきなり踏み込んだ。控え室では悲鳴が上がり、ニコ生解説の阿久津主税も驚いていた。
はたして、ちゃんと寄るのか?
さらに、次の羽生の手がさらなる波紋を呼ぶ。
▲9一銀!
何だこれは。
指し手が進んで、▲9三歩から▲9四歩と打ち直して9三に歩を成るという実に凝った手順だと判明。羽生の意図は理解できたし、何という歩の手筋かと思われた。
しかし、対局後に冷静に振り返ると、▲9一銀では▲9三銀が簡明。これでハッキリ先手が勝ちだったという結論がでたようである。
但し、▲9一銀で負けというわけではなく、その後豊島が最後に△5一金としたところで△5二金上としておけば難しいが、それでも先手が残せそうという結論だったようである。
だから、▲9一銀は(羽生本人が言うほどは)悪い手ではなかった。
そうは言っても、▲9三銀で明快に勝ちだったのだから、そちらの方が良かったに決まっている。
実際、歩を使って苦心惨憺して9三に成っているのだから、最初から9三に銀を打っておけばよかったという話になる。
羽生はこの時もう一分将棋だったと思うが、むしろフツーな▲9三銀でなく、フツーでない▲9一銀からの歩の手筋が見えてしまったことが驚きである。羽生の羽生たるゆえんと言えないこともない。
しかし、例えば渡辺明なら「たとえ羽生さんが指そうが、悪い手は悪い手っすよ、ハッハッハッ」と言いそうである。いや、羽生自身も実は渡辺に負けないリアリストなので、▲9一銀はひどかったと素直に認めるはずだ。というか、実際に局後にすぐ認めた。
また、恐らく最新のソフトにかけてみれば、もしかするとこの辺りはすぐ分かってしまう事なのかもしれない。

しかしながら、今まで書いたことは全て局後に判明した結果論にすぎない。
例によって、ニコニコ生放送で白熱の終盤が克明に映し出されていた。
豊島の方は、あんな終盤でも冷静そのもの。じっと静の姿勢を保ち続けている。
一方の羽生は、せわしなく動き続ける。龍をきるあたりから、苦吟して指し手を求め続け、手も震え、指した駒をきちんと置くのがやっとという感じだった。
今まで何度も修羅場をくぐりぬけてきた人とは思えないように、局面になりふり構わず没頭していた。かっこよく指そうなどという気持ちなど毛頭なくて、まさしく全身全霊を将棋に捧げきっていたのである。
だから、観戦者たちの反応も圧倒的だった。羽生の思いきった寄せに驚いたというのもあるだろうが、何よりあの羽生の姿に誰もが魅了されずにはいられなかったのである。指し手の善悪とは関係ない。
勿論、将棋は技術を競うゲームなので冷静な検討反省も必要で、▲9一銀は明らかによくない手だった。しかし、その事とあの羽生の鬼気迫る対局姿の凄みは別の話である。
竜王戦第一局のハワイでの前夜祭で糸谷哲郎が面白い挨拶をしていた。

竜王戦中継plus 対局者あいさつ

是非全文を読んでいただきたいが簡単に要約すると、
ハワイや日本にはシャーマニズムの伝統があり、一神教と違って、神そのものに語りかけようとする。将棋にも似たところがあって、神(のメタファー)を目指す。勿論、たどり着くことはできないが、それを目指そうとする。そして、そのように将棋を指したい、
という事だった。
羽生の本局の対局姿は、まさしく真摯なシャーマンそのものだった。
シャーマンは神にはたどりつかないかもしれない。しかし、真剣に近づこうとする行為自体が尊いのである。もしかすると、神自体が人間に嫉妬するかもしれないくらい。
だから、結果的にいくらソフトで解析されようが、人間の指す将棋の価値はいつまでも失われないのである。