今回の郷田真隆は全般的に決断がはやくて、しかも冴えた手を指す事が多かった。やはり本格派の格調高い将棋で美しく正々堂々と戦って防衛した感じである。
郷田流の長考もたまにはあったけれども、本当にポイントになる大事な局面が多くて、以前のような「なんでここでそんなに考えるの?」というのはあまりなかったように思う。
当然若い頃とは郷田も随分違ってきていて、わりきるところはわりきって指していて、勝手に考えすぎで時間が切迫してしまって自分で自分を追い込んでしまう事がなかったと思う。
封じ手も結果的には全部羽生がしたが、郷田が難しい局面でも決断よく、しかもよく検討するととても優れた手を指していた。ニュー郷田スタイルをちょっと感じた。
最終局の封じ手の一手前の△6一飛も、一見ボンヤリしているようでいて素晴らしい手だったそうである。
羽生は藤井と王座戦でこの形を後手で指していて、▲6四馬以下の順を試してみたかったようだが、この△6一飛で既に苦しかったようだ。角と銀を使って桂得したものの、飛車ににらまれていて角銀が身動きできない悪形になってしまっている。こういうセンスのよい手をさほど考えずに指せるのが郷田の才能なのだろう。
それと、今回の郷田はよくなってからの勝ち方が切れ味抜群だった。妥協のない組立で羽生に全く抵抗する余地を与えなかった。将棋ウォーズなら、「さすがの腕前じゃのう」というところである。あれっ、腕前じゃなくて切れ味だったっけ。忘れてしまった。
羽生の方は今回は作戦がうまくいかない事が多すぎた。
最終局もそうだし、第四局の角換わりでとてもシンプルな仕掛けを試したが郷田に的確に対応されてしまった。羽生は複雑な曲線的な指し方が得意なので、本来ああいう仕掛けはしないけれども、研究で敢えてそれでもいけると考えて決行したのだろう。だが、当初想定した進行に誤算があったようである。
恐らくプロレベルだと攻めがちょっと単調で細いという感じの攻めで、羽生らしくなかった。
大事なところで意表の四間飛車穴熊を採用したのは、それはいつもの羽生のペース、スタイルだから別に問題ない。しかし、ここでも銀冠穴熊で対抗した郷田の構想が優れていて、以下難しい変化はあったようだけれども、やはり後手が大変な将棋でお世辞にも作戦がうまくいったとは言えないだろう。
全般に序盤の作戦が羽生にしては珍しく低調だったが、大事な名人戦にむけて悪い膿を全部出してしまったのだとファンは考えたいところである。
中終盤については、羽生は絶好調とはいえないにしても普通だったと思うが、郷田の方はとても状態が良くて冴えていた。
となるとこういう結果もやむをえないだろう。
この二人に期待する終盤のギリギリのせめぎあいが結局一局もなかったのが少し残念である。どちらかが抜け出して、最後は一方的になる将棋ばかりだった。二人の良くしてからきちんと勝ちきる技術の高さゆえだろうが。

今回は有料中継で、初日は解説がなくて終日対局室を映し続けていた。それもかなり新鮮だった。二人の表情やしぐさを、まるで対局室にいる観戦記者のように観察できた。しかも、こちらは対局室にはいないので緊張せずに、対局者といっしょにくつろいでおやつを飲み食いしながらなので申し訳なくもあり天国でもある。
坂口安吾が将棋の観戦記を書いているが、安吾は囲碁はかなり打てるが将棋は指せなかった。今でいうと「観る将」である。
そして、木村と塚田の観戦記などでは、ずっと対局室にはりついて二人を観察して、その様子を書いていた。今はしようと思えば安吾と同じことを我々もできてしまうというわけだ。
 塚田五四銀、五六銀、とノータイム。ちよッと考へて四四歩。
 木村十一分考へて、極めて慎重な手つきで、五八金、パチリとやる。合計木村六十三分。
 三一王、七九王。
 塚田は自分の手番になつて考へるとき、落ちつきがない。盤上へ落ちたタバコの灰を中指でチョッと払つたり、フッと口で吹いたりする。イライラと、神経質である。二年前の名人戦で見た時は、むしろダラシがないほど無神経に見えた。午前中ごろは木村は観戦の人と喋つたり、立上つて所用に行つたり、何かと鷹揚らしい身動きが多かつたのに、塚田は袴の中へ両手を突つこんで上体を直立させたまま、盤上を見つめて、我関せず、俗事が念頭をはなれてゐた。今と同じやうにウウと咳ばらひをしたり、ショボ/\とタバコをとりだして火をつける様子は同じであるが、それが無神経、超俗といふ風に見えた。今日は我々にビリビリひゞくほど神経質に見えて、彼は始めからアガッてゐるとしか思はれない。木村が次第に平静をとりもどしたにひきかへて、塚田の神経はとがる一方に見えた。
 塚田八分考へて、七三桂。消費時間、合計三十一分。
 木村、十六分考へて、八八王。
 茶菓がでる。木村すぐ菓子を食ひ終つて、お茶をガブガブとのみほしてしまふ。
(坂口安吾 勝負師 青空文庫より)

私も第一局ではもの珍しくてちょっとメモをとったりしていた。一部公開してみよう。
対局場はすごく鳥の鳴き声がうるさい。
太宰の「駆け込み訴え」みたいに。
虫がいたみたいで、郷田さんがよけた。渡辺さんだったら大変。
郷田さんが68玉というチャレンジをしてきたので、羽生さんが初日の午前中からすごい表情をしているのを観て、こちらが震えた。
羽生さんって、やっぱり普通じゃないよ。郷田さんはまだ余裕がありそうだが、羽生さんはもう「入っている」表情を既に時々見せる。
羽生は眼鏡を外した際に、時々人をあやめてしまいかねないような、すごい目をする事がある。
柳瀬さんが観戦記で対局室に入っていて、理由もないのに羽生さんに睨みつけられて驚いたという話を思い出した。
郷田がさかんにため息をもらす。対局室には子供の声が聞こえてきて、記録の門倉さんが声の方をみやる。二人は我関せず。
羽生、ゆっくりと味わうようにお茶を飲み、郷田、何やら自分を納得させるように頷く。
室外は風が強いようで、木々が揺れている。
羽生、郷田の長考中に、記録係の門倉に棋譜をもとめる。
自分が考えている際の「はいった」ようすではなく、後輩の門倉に対して「すみません」と丁寧な普通の口調で。
郷田、ポットからお茶を注いで飲む。長考中の一休み。
羽生、ちょっとすごい表情になったかと思えば、扇子に口を当ててあくび。
おやつが届く
羽生、無造作に紅茶か何かを放り込み、ショートケーキを食べだす。ごくごくフツーである。
郷田も目薬をさして鼻をかみ、眼鏡をふく。
羽生、大クシャミ。
郷田、一瞬ビクッとする。
郷田、背中を孫の手でゴシゴシやる。
羽生、うつむい顔にてをやって熟慮。
枝雀のいう、「緊張と緩和」である。
本当に鳥がギャーギャー鳴いていてうるさい。あれで集中できるのだろうかというくらい。
羽生、門倉に時間をどれくらい使ったかを尋ねて、頭をかかえる。悩んでいる様子。
羽生が席をはずすと、郷田それを待っていたかのように、
「そっかぁー。そっかぁー。」
今度はヘリコプターの音。地獄の黙示録のように。
意外に対局室には色々な音が聞こえてくる。
きりがないのでもうやめるがこの二人の密室のドラマは見ていて飽きないのである。

スポニチさんの勝者罰ゲーム写真は相変わらず健在だった。昨日の深浦康市と内田記者の解説を聞いていたら、罰ゲーム経験のある深浦によると、あの罰ゲーム写真、何とプレートかパネルにして対局者に手渡すそうである。
羽生の安木節も果たして渡されたのかが、とても気になってしまったのである。