竜王戦

糸谷哲郎と森内俊之の竜王戦

スカパーのStar digioには山ほどチャンネルがあって好きなジャンルの音楽を聴こうと思えば一日中聴いていられる。
私の好きなJazzのチャンネルはなぜか既にクリスマスモードになっている。コーヒーを啜りながら音量を絞って流していると、部屋がちょっとしたこ洒落た喫茶店と化す。
実際のところは、コーヒーはBlendyのインスタントスティックで部屋もボロっちい狭い書斎でも。
今はDave BrubeckのしっとりとしたピアノソロでO Tannenbaumがかかっている。
というわけで、今朝は何だか気分がいいので竜王戦についてでも書くか。何となく書き方が難しいので後回しにしていた。
最初に一応お断りしておくが、私は糸谷哲郎も森内俊之も大好きである。

第五局の序盤でちょっとした事件があった。糸谷が着手する際に、森内の2三歩にふれてしまい、その歩が斜め向きになってしまった。
しかし、糸谷は気づかないのか直さない。森内の方も意地になったのか全然直そうとしない。
歩がななめになったまま、相当長いまま対局は進行して、ニコ生でもそのちょっと異常な盤面が延々と映しだし続けられた。
ようやく、森内が諦めたように?歩を直す。
糸谷は自分がしたのに気付いていたのか気づいていなかったのかはよく分からない。また、長い時間たって改めて相手の駒を直しにくいというのもあつたのかもしれない。どちらにしても、あんまり細かいことは気にせずあくまでマイペースを貫く挑戦者だった。糸谷らしい。
一方の森内。ああいう賢明な人だから、そういう糸谷のキャラクターは十分承知していて、
頭ではそれを許してしたしたぶん第三者としてみれば糸谷の振る舞いも笑ってみていたのではないだろうか。森内はそういう寛大な人である。
しかし、いざ目の前にして座って、何度も何度も離席されたり、自分が負けになったところで相手が悠々とおやつのお菓子を食べ始めたりされると、どうしても平常心ではいられなくなったのかもしれない。
それは生身の人間だから仕方ない。まして森内はそういう面で大変デリケートなのだ。なおかつ、森内はそういうのに文句を言ったりせずにひたすら我慢してしまうタイプなのである。
そういうのが積み重なって、2三歩に対してイラっときて、自分では直さなかったのである。そして、森内はデリケートであると同時に強情でもある。一度決めたらもう直さない。
しかしながら、そのように意地をはっている自分に対する批判も良心的に心の中ではどこかで行っている。「大人げない」と。だから、結局は自分の方で駒を直すことになる。
たぶん、糸谷にはそういう心理的ドラマは無縁である。そんなことはそもそも気にしない。
極論すれば、この二人の違いが今回の竜王戦の勝敗を分けたのである。
たまたま竜王戦の最中にNHKの将棋講座で過去の珍場面の特集があった。
その一つが羽生VS森内の最初の名人戦。封じ手の時刻の本当に寸前に森内が着手してしまう。
当時のNHKBSで米長邦雄が「おぉ、指した」と叫んでいるのも紹介された。さらに、この後、米長は聞き手の吉川精一アナに「いやぁ、いいものが見られた」とか言って握手を求めて吉川アナが苦笑していた。お茶目な先生だった。
森内はもちろん嫌がらせでやったわけではない。囲碁で坂田が藤沢に意図的にしたのとは全く異なる。ただ、自分で封じ手をしたくなかっただけ。その一念で指してしまって周りがみえなかった。そういう純粋さは実は糸谷と似ているところもあるのだ。そして、今回は逆に自分がその種の行為を受ける側になった。因果は巡る。
ついでに言うと、羽生は勿論少しは動揺しただろうが、わりとすぐに封じた。なかなか封じ手をせずに森内に怒りを伝えたりはしない。
羽生はそういう面では勝負師向きにできていて、受け流すところはサラリと受け流すのである。
というか、ほとんどの棋士はそうかもしれない。例えば同じ羽生世代の先崎学なら、こういう事をされても平然としているだろう。
もう一つ、森内VS郷田の名人戦も流れた。郷田が森内の考慮中に扇子をバチバチやり続けたために、森内がブチきれてしまったのである。協議のために対局は中断される。そして映像では、森内が興奮しすぎて鼻血をだして鼻にティッシュをつめている姿も紹介されていた。
これも、森内はおそらく我慢に我慢を重ねた末に、浅野内匠頭のように刃傷に及んだ・・・わけではないのだが。
これも森内がまじめすぎて人柄がよすぎるために起きた。普通ならすぐちょっと注意するか、あるいは露骨に相手にすぐ文句を言って済む。それを良心的に我慢に我慢を重ねるためにエネルギーがたまって爆発してしまうのだ。

最後の二局では糸谷の時間責めも話題になった。(「時間攻め」が正しいのかもしれないが、「時間責め」の方が何となくしっくりくる。)
両局とも初日から糸谷が劣勢になるが、そこから糸谷がビシバシと指し続ける。そして、意識的にそういう指し方をした事を、糸谷は糸谷らしく正直に認めている。
森内もまさか二日制の将棋で時間責めにあうとは思わなかっただろう。森内は羽生や渡辺相手で証明したように特に二日制の将棋で抜群に強い。それは、ひとつには時間をかけて終盤にじっくり考えられるというのも大いに関係している。
そして、二日制なら森内らしく周到に時間配分もできるのだが、糸谷はそういうところでも常識を超えていた。
そして、糸谷はおそろしく早見えなのでそれでもある程度以上の指し手を続けることができる。NHKBSで解説していた木村一基が言っていたが、普通は時間責めしている方が間違えて自滅してしまいがちなのだ。
そして、結果的には両局とも森内の大きなミスをさそって大逆転勝ち。
結果的には将棋の純粋な将棋の内容としては
クエッションマークも残った。しかし、勝負事なのだからこれくらいは当たり前とも言える。
最近のタイトル戦は羽生世代が中心であまりこういうのはなかった。崇高な神々たちの戦い。しかし、今は糸谷自身がハワイの前夜祭の挨拶でひきあいに出していたように、「神は死んだ」(ニーチェ)のである。
大変人間的な戦いをする糸谷はそういう意味ではとても面白かった。しかしながら、これで「神々の黄昏」というオペラが書かれるわけではない。というのは、相変わらず羽生世代の神々が健在すぎるくらい健在だからである。

さて、糸谷新竜王。この人くらい純粋な人も珍しいだろう。私は加藤一二三の後を継ぐのは糸谷しかいないと思っている。完全にマイペースでなおかつそれが全然憎めないところもよく似ている。
今回のたびたびの離席なども、言うまでもないが悪意とか他意などみじんもないのだ。加藤一二三が、「ひふみんアイ」で相手の後ろに立つのと同じ。
その加藤が初日のニコ生解説だったが、米長とのエピソードで米長著「将棋の天才たち」の話がメールでちょっと出ていた。
その本にも糸谷哲郎は登場する。糸谷のかつての「将棋は斜陽産業です。」発言は有名だが、何とあれは何かの会で米長当時会長を前にして言ってしまったらしい。米長は憤然として席を立ったそうである。というわけで、糸谷は計算とか何もなくてそういう事を言ってしまう人なのだ。糸谷も島朗の言うところの「純粋なるもの」の系譜の伝統に属している。ちょっと今までとは種類が違うだけで。
糸谷は現在大阪大学の哲学科の院生である。そして一応将棋部にも在籍している。「プロ」という愛称で、気さくに部室に顔をだして指導もおこなっているらしい。また、西遊記のファンサービス活動でも中心的な役割を果たしている。全然偉そうにしていないで、まわりから独特のキャラクターに対してツッコミが入っても怒りもせずに笑っている。
こんなこともあった。ニコ生中継で糸谷が「ティロホンショッキング」で電話出演する。ブールミッシュが棋聖戦のお菓子の提供をしていた。
そして、聞き手をしていたかわいい小悪魔のような?山口恵梨子が無茶ぶりしてお菓子の食レポを依頼する。
糸谷は最初は「ええっ、だって食べながら喋れないじゃないですか。」とか嫌がっていたが、結局マドレードを食べて「このレモン風味が甘みをひきたてています。」と名食レポをやってのけたのである。どうすればあんなに人柄がいいのだろうかと思ってしまうくらい人柄がよい。
いやはや、木村義雄の時代じゃ考えられない。
本当にきどりのないきさくで庶民派の新竜王である。おめでとう。

さて、こういう究極の善人同士の二人の糸谷と森内が戦うとちょっとした波乱が起きてしまったわけである。別にどうということもない。二人とも純粋でいい人すぎるためである。
ただし、こういうのと、お互いに意図的に反目した藤沢秀行と坂田栄男のようなケースのどちらがいいかと言われると、私などはそのようにチャンチャンバラバラやってほしいと思ってしまう方なのだが。

糸谷哲郎の竜王挑戦とそれとはあんまり関係ない将棋を観る行為についての一考察


竜王戦は既報の通り糸谷哲郎の挑戦が決まった。あのように糸谷は将棋もキャラクターも個性的そのものである。対して森内俊之竜王は羽生世代のなかでも意外に古風なところがある。
だから、糸谷の盤上の指し手に対しても盤外の振るまいに対しても森内が困惑戸惑いを示す局面も期待できなくはない.....などと言ったら怒られてしまうだろうか。
私は何となく、渡辺明が森内竜王に挑戦したもう10年以上前の竜王戦を思い出してしまうのだ。あれも若き渡辺の指し手や振る舞いの異質性に森内が耐えて戦うようなシリーズだった。ちょっとだけそんなものの再現にも期待してワクワクしてしまうのだ。

さてところで私はご存知の通りかなり重症の羽生ファンである。当然あの夜遅くはまるで世界の終わりのように絶望のどん底に沈んだわけである(当たり前のように言うな。)
そんな夜には当然ながら異常な妄想がとめどもなく拡がっていく。

我々の暮らす世界はこの世界だけが唯一では決してない。それ以外にも無数無限の平行世界、パラレルワールドが同時存在する。だから、この世界では羽生は負けたが他の世界では羽生が竜王に挑戦している。
そして、もし仏教の唯識のような考え方を採用するならば、この世界はこの私の心が全て生み出した夢に過ぎない。そして、世界で起きている全ての出来事は私の責任である。
だから、羽生が負けたのも私のせいだ。あまりにも羽生が負けて欲しくないという思いが強すぎてそれがネガティブな思考として実現してしまったわけだ。
いや、私だけのせいではない。この世界は基本的に私の意識が創造した所詮夢に過ぎないが、そこに登場するあなたがたが実在しないわけではない。あなたがたも、それぞれが無限のパラレルワールドを自分の中に抱えており、その中からこの世界を選んだのだ。だから、羽生が負けたのはあなたがた全員のせいである。
勿論、糸谷勝ちを切望していた人もたくさんいるだろう。その人たちの真っ直ぐな思考の願望は強力だったというわけである。おめでとう。
ところで、羽生自身はどうか?羽生も勿論自分でこの世界を無数のパラレルワールドの中から選んでいる。しかし、羽生には私たちのように「負けたらどうしよう」というようなネガティブな思考のエネルギーはほとんどない。そうでなければ、この世界で羽生が生で七冠を達成できたりするものではない。いくら羽生が強くても。
だから、真相はこういう人だ。羽生はただ純粋に竜王復位を願っていた。ところが、私あるいはあなたのようなファンが応援するあまり「負けて欲しくない」という強烈なネガティブエネルギーを放射しすぎてしまった。その総和量にさすがの羽生も勝てなかったのである。
だから、羽生ファンが「どうしても永世竜王に」というエゴ的な欲を完全に放棄しさえすれば良い。そうしたら、羽生はほっておいてもいつか勝手に永世竜王になるだろう。

・・・・というような妄想が頭の中をうずまきながら、その晩あけたジャック・ダニエルがあっという間に空き瓶になるのを眺めていたところまでは何とか覚えている。
翌日もひどい二日酔いに苦しめながら極度の憂鬱は続いた。さすがに、少しはまともな頭に回復してこのように考えた。
何で羽生本人でもないのに、赤の他人の私がこんなに苦しんでいるのだろう。バカみたいではないか。
いや、それも前々からよく分かっていた事だ。羽生を応援すると言いながら、私の愚かなエゴが羽生という勝者と自己同一視して勝利の快感を共有して味わおうとしているだけだ。羽生を応援しているわけではなく、私のエゴが快楽を追求しているだけ。
勿論、そんなものは「愛」ではない。徹底的な自己中心性であって羽生にも迷惑なだけだ。
と頭ではよく分かっている。ところが感情が納得してくれない。
しかし、今回極端な悲しみの中で(笑ってしまうが)、私の中で何かがはじけた。こんな愚かなエゴにつきあっていて何になるのだろう。何度も言うが羽生にも迷惑なだけなのに。
そんな自分が限りなくおかしくなったのである。一瞬にして悲しみは消えた。
将棋というのは勝ちと負けがハッキリしたゲームである。そもそも、そのこと自体が非人間的といえば非人間的である。そして、それに対して無邪気にこの棋士やあの棋士を応援する我々ファンの心の中にも、代理してもらって勝利の快感に浸ろうとする心理がひそんでいる。そんな野暮なことは今さら誰も言わないけれども。
いや、それは他の全ての勝負事にも言える。例えば私の愛してやまないプロ野球。
私は巨人ファンなのだが、これだってよく考えてみれば馬鹿らしいことだ。たまたま、子供の時にみた長島や王や高田や柴田や末次や土井や黒江や柳田や森が忘れられなくていまだに巨人の勝ち負けに一喜一憂している。何の関係もないのに。
さらにアンチ巨人というものがいる。巨人の親会社のオーナーが嫌いだったり金にまかせた補強が大嫌いで巨人が負けることを切望する。何かが負けることで歓喜する。「正義」の追求。単なる野球にすぎないのに。
そういう意味では、巨人ファンの方が(相対的には)まだマシである。やっぱり親会社のオーナーが嫌いだったり金の力の補強に後ろめたさを感じながらも、何かを愛そうとはしているから。親鸞も言っているではないか。
「善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」と。いや、別に巨人ファンが悪人というわけではないが、少なくとも巨人ファンもアンチもどっちもどっちだ。
話が迷走しすぎた。
さて、それでは勝負を離れたら将棋なんてつまらないものだろうか。決してそんな事はない。
私は少なくとも羽生の将棋以外は冷静に(微苦笑)見ることができる。そして、これが勝負とは関係なく面白くて仕方ないのだ。
結果的には勝負はつくが、それに至るプロセスがスリリングそのもので楽しくて仕方ないのだ。
だから、私にとっては羽生の将棋以外は観ていて無条件に楽しい。いや、実はそのプロセスにおいて一番私を夢中にさせるのが羽生の将棋なのだが、本当に大事な勝負になるとそれができなくなってしまう。
恥ずかしながら今回の竜王戦挑戦者決定戦もそうだし、実は今春の名人戦もそうだった。もう内容なんかどうでもよくて、ただ羽生が勝つことだけを祈っていた。当然観ていても全然楽しくない。
ところが、今回の竜王戦挑決で私の中で何かがついに壊れた。遅まきながら、やっと勝負だけにこだわる愚かさが理屈ではなくて体感できた。分かりやすく言うとついに悟りを開いたのである。
だから、糸谷に対しても心からおめでとうと言えるし、竜王戦も思う存分楽しめるはずである。とてつもなく高い授業料だったけれども。
今も王位戦が戦われている。勿論、羽生が勝たなくてもいいということではない。多分、羽生が勝ったら今まで以上に単純に喜べるだろう。負けたらガッカリするだろうが、相手に小声ながらおめでとうとも言えそうである。

・・・、えっ、バッカだなぁ。何を今さら分かりきったことを言っているんだ、私は以前からそうしていました、ですって?参った、私だけだったのか。大変失礼いたしました。

というわけで、私よりも数段人間的に優れた読者諸賢のためにそろそろブログも再開しようと思っております。


竜王戦が終わって

私は最近まとまった文章を書く気力をすっかり失って、もっぱらツイッターでくだららない呟きを撒き散らしているばかりである。ただ、そのおかげで大変魅力的な将棋ファン―大変知的で感受性の鋭い人たち―と知り合うことが出来た。
その中には大変熱心な森内ファンも渡辺ファンもいる。その人たちが今回自分の事のように喜んだり失意に沈んでいるのを見ていると、ちょっと余計な事が言いにくくなる。
もともと、このブログをきわめて孤独にやっていて読者もほとんどいない頃は、結構好き勝手な事を平気で書いていたのである。今では信じられないくらいに。
前置きが長くなった。要するに、おでんをつつきながらIWハーバー飲みつつ、キース・ジャレット・スタンダーズを聴いていたらすっかりいい気分になって、好き勝手なことが書きたくなったというわけである。両対局者に対する基本的な敬意を失わずに書くつもりだけれども、両棋士のファンにとってはもしかすると面白くない部分もあるかもしれない。それでも構わないという方のみ、―いつもの酔っ払いの戯言だと思って―おつきあいいただきたい。

今回の将棋の構図は実に単純明快だった。「盾と矛」。攻め込まれて一見大変危ないような状態でも強気に引っ張り込んで受けきってしまう達人の森内vsきれそうな攻めをつなぐ達人の渡辺。どの将棋も色々な経過をたどりつつ結局はそういう分かりやすい展開になった。これからい棋風に忠実なタイトル戦は珍しかったくらいである。
そして。その結果は圧倒的なまでの「盾」の勝利。渡辺もいつものようにギリギリの攻めを的確につなごうとしていたが、結局森内がスケール大きく受け止めていて常にちょっとだけ足りないと状態が続いた。
どの対局もギリギリ。しかしながら、多分将棋の強い人間ほど、そのほんのちょっとの届かない距離が無限に近い事を感じとったのではないだろうか。森内の受けが圧巻だったのである。渡辺が近年こんな負け方をしたのは見た事がない。(棋聖戦のvs渡辺の羽生も強かったが、今回の森内はあれを上回る内容での圧倒ぶりだったのである。)

いや、実は今回の竜王戦だけではない。今春の名人戦でも、森内は羽生相手にこれと全く同じ事をやってのけていた。私のような羽生信者は、まさしくグーの音もでないくらいやられたのだ。今回はあの時のデジャブのようだった。
正直言って、森内が羽生と渡辺をおしのけて竜王名人になると誰が予想できただろう。
今までの将棋界には大変分かりやすい「王者の系譜」が存在した。すなわち、常に絶対的名太陽のような第一人者が存在する古典的な安定した宇宙構造である。
木村→大山→中原→(谷川)→羽生→(渡辺)という暗黙のダイナスティの系譜が存在して、他の棋士たちはたまにタイトルを獲得するのを許されるだけの脇役にとどまるはずだった。
そこに、劇的に割って入ったのが森内である。王家に属する羽生と渡辺を(表現はよくないが)徹底的に蹂躙してしまったのだ。
森内はまるで、往年の名画、キャロル・リード監督の「第三の男」のようである。いや、人間の(役柄の)タイプもオーソン・ウェルズとは全然似ていないしダジャレに過ぎないのだが。
とにかく、森内は予定調和の王者交代劇にわってはいった存在なのは間違いない。いや、実は今回が初めてではない。永世名人でも、森内は羽生に先んじている。
かつて、「名人は選ばれてなるものだ」という神話があった。実際永世名人もなるべき人が順番になっていた。ところが、「次は羽生が選ばれる順」のところで、森内が割って入った。永世名人は「選ばれるもの」ではなく「自力で獲得するもの」という歴史認識のコペルニクス的転換を森内がなしとげたのである。
今回もそう。そしてその内容は名人戦では羽生を竜王戦では渡辺を子供扱いするものだった。
勿論、冷静に議論するならば、森内が長時間ほどじっくり隅々までよみきって実力を十二分に発揮できるという事情がある。しかし、逆に言えば徹底的に読むことを許されれば現時点では森内がヴァン・ダ・レイ・シルバのような「絶対王者」である事を誰しも認めざるをえないだろう。
(ちなみに、最近刊行された渡辺の「勝負心」では、短い時間の将棋ほど実は実力が発揮されやすくて、羽生はNHK杯連覇などでもそれを証明しているという意味の事を書いていた。羽生と渡辺はタイプは全く違うが派手で華やかな将棋で短時間の将棋でやはり二人が突出しているのは興味深いところではある。ちなみに、正直な森内は短い時間の将棋だとミスが多いことを自分でも率直に認めているのだが。)

今回のタイトル戦で話題になったのは、いわゆる「往復ビンタ」である。渡辺が後手で採用した急戦矢倉を森内も後手で続けて採用して負かした。さらに、渡辺が先手で最近では画期的な過去に不利とされていた順をの見直し▲2五桂を採用したのを、最終局で森内が先手でやり返してまたも「往復ビンタ」。都合二度やってのけた事になる。
これについて、ある棋士が(誰が言ったか失念したが)、「森内さんはある戦形を究めたいのでしょう。タイトル戦なのに。その研究心がすごい。」という意味の事を述べていた。
なるほどそうなのかもしれない。そういう見方もあるのかと思って感心したのである。しかし、低次元な人間の私などはもっと別の心理的な解釈がどうしてもしたくなる。
そもそも、渡辺が竜王を奪取したのは10年前の森内からである。当時は、まだ厳密には森内の方がまだ真の実力では若干上回ると言われていた。そして、それは当時の渡辺自身も率直に認めていたのだ。しかし、渡辺は△8五飛という専門戦術と抜群の勝負強さで第七局までもつれた戦いを勝ちきったのである。
森内は渡辺がその後竜王を連覇し続けるに従って責任を感じるという意味の発言もしていた。自身も竜王に再挑戦するもストレートで渡辺に敗れ去ってしまったのである。
森内は棋士なのに大変デリケートで繊細なところがある。渡辺に当初竜王を奪取された際も、渡辺の(若さゆえの若干)傍若無人な振る舞いにイライラしているようなところもあった。再挑戦した際にも世代の違う渡辺に勝たないといけないという無駄な力みのようなものも感じられたのである。
ところが今回は最初から全く感じが違った。名人を羽生相手に防衛した余裕もあるし、今や渡辺の実力も巷間に完全に認知されている。もう負けたら恥ずかしいという事情など全くない。
となれば、無心に実力を思う存分ぶつける事が出来る。そうなると滅法強いのが森内なのである。
森内が名人戦で羽生にやたら強いのもそれが明らかに一因だ。森内は平素から羽生に対するリスペクトを隠さず口にしてきた。最近では、麻雀の桜井章一さんとのプライベートな会話で「羽生さんを敬愛しています」と述べたそうである。
だから、森内は羽生相手だと余計な事を考えずに全ての力を発揮できるのだ。
今回の竜王戦でも、世代の違う渡辺に対する意識過剰が全くなかった。そうなると、森内はむしろ驚くべき攻撃性を発揮するのである。
もし、「どうしても勝ちたい」と思っていたら「往復ビンタ」など考える余裕はない。しかし、今回は余裕があるのでまるで少年が何も考えずに悪戯をするかのように相手の作戦を採用して「どうだ」とやってしまう。
普通の人間なら悪意とか意地悪とか思われるだろうが、森内の場合はそういうのは微塵もない。単に子供のように「これやってみたいや、面白いや」ということなのである。子供の何も考えないイタズラが時としてとてつもなく残酷なように。
島朗の「純粋なるもの」は基本的に羽生世代に全員にあてはまるのだが、その中でも一番子供の純粋をいまだに保持しているのは多分森内だろう。
ドラえもんのジャイアンの顔だけとてつもなく善人になったのを想像していただきたい。とてつもなく力が強いのでのび太はたまったものではないのだ。

さて、渡辺明。ここ近年では「竜王」というのがそのままこの人の呼び名だった。羽生相手の三連敗四連勝も、(私のような羽生ファンにとってさえ)もはや懐かしい思い出である。
だから、この人が竜王ではいなくなるというのは大変な喪失感がある。
もしもと、渡辺はその率直な人間性が渡辺ファンには魅力的だったようである。私もそれはよく理解していたのだが、最近は羽生の強烈な仇敵だったので(苦笑)そんな余裕がなかっただけである。
そんな渡辺が最近メディアへの露出がやたら多くなり、その憎めない人柄が広く知られるところになった。
また、今まであまり言わなかった羽生へのリスペクトもあまり隠さなくなった。競馬の福永さんとのテレビ対談、囲碁の井山さんとの対談、NHKの将棋本でのエッセイ、そして最近刊行された「勝負心」で羽生への思いを率直過ぎるくらいに率直に語っている。
渡辺の正直さ、明るさ、素直さがかなり表に出るようになってきたのである。そういうタイミングでの失冠だったので、渡辺ファンでなくても一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
さきほど述べた王者の系譜の話で言うと、渡辺もまたそれにふさわしい華のある魅力的な人間なのである。それが多くのファンに周知になりつつある時点でのこの出来事は何とも皮肉だとしかいいようがない。
それと将棋自体について。今まで渡辺だけが羽生世代と孤軍奮闘している存在だった。
それについて実は二通りの見方があった。まず一つは渡辺こそが羽生世代を超える現代的な感覚の将棋を代表する存在だと。時間は掛かるが結局羽生世代をねじ伏せて王朝を継承するだろうと。
もう一つは、渡辺将棋はシビアで現代的だけれども羽生世代のような奥の深さに欠ける。若い力のある時はいいが、衰えると羽生世代の反撃を受けるのではないかという見方。
私自身は、二番目の見方も理解できるが、ずっと将棋を見ている者としては、やはり渡辺間無駄のにい現代的な将棋がどんどん魅力的に見えてきていて簡単に羽生世代は倒せないかもしれないが、ずっと激戦を続けるだろう。特に羽生とは、という折衷案だった。
ただ、今回の竜王戦は羽生世代の森内の文字通り「厚さ」を感じされる内容だった。
棋聖戦の羽生との戦いを考えても、今渡辺がピンチとは言わないまでも一つの岐路に立っているのは間違いない。
しかし、そもそも渡辺は竜王奪取もその後の次々の防衛劇も「予想を裏切る」歴史だったのである。
渡辺には逆境をはねかえすパワーがあるのだ。王将戦を控えた羽生ファンとしては、それを恐れつつも現在最高のゴールデンカードを心ゆくまで楽しもうと思っている。
羽生がよく言うように棋士の人生はマラソンのようなもの。今回の竜王戦もその一ページに過ぎない。

渡辺竜王が九連覇―第二十五期竜王戦

第五局の終盤、丸山が猛烈な勢いで咳き込み、何度も席を立つ。時間が切迫する中、必死の粘りを見せ、渡辺優勢と見られていた将棋がもつれてきた。やおら缶のカロリーメイトを開けると、ものすごい勢いで飲み干す。
渡辺は、そういう丸山の激しいアクションを目の前にしながら必死に盤上に集中しようとしている。
といった様子がニコ生で映し出され、ついに一時は丸山が逆転したかとも言われた。しかし、最後に渡辺が見せた△1九角成の寄せが炸裂して、一気に渡辺勝ちに。今期も防衛してついに九連覇である。
結局、終始渡辺ペースで進んだシリーズだった。第五局も、丸山が序盤で先に趣向を見せるものの、竜王にすばやく決断した対応をされて、逆に丸山の方が時間を使う羽目になった。
渡辺は、二日制全体を通じた時間配分テクニックに通暁しており、初日からとばして相手に持ち時間で差をつけて、心理的なプレッシャーをかける。相手もあまり初日から時間に差がつくのは嫌だから、つい本来しっかり考えないところで指し続けて、それが大きなミスになって、初日から大差になるケースもままあった。
早指しのリスクは渡辺にしても同じことなのだが、渡辺の場合は大局観も抜群に明るくて早い決断をしても、それが大抵的を得ている。定跡から外れた部分でもそうだ。
渡辺の指し手自体も、合理的で厳しいのだが、それ以外の部分でも場全体が渡辺ペースになってしまう。今までの渡辺竜王に対峙した挑戦者が大なり小なりそれに苦しめられている。
丸山という究極のマイペースの挑戦者をもってしても、結局渡辺ペースに巻き込まれてうまく対応しきれなかった。
去年はパパイアやカツサンド、今年はまんじゅうや缶カロリーメイトを盤の前で猛烈に摂取して、意外に神経の細かい渡辺の心を乱すのが精一杯だった。

私がこのブログを始めたのが、丁度渡辺が竜王を初獲得した頃である。つまり私のブログはずっと「渡辺竜王」の下にあった。もう8年も経つのだ。
竜王を獲得した頃から、今と変わらず斬れ味も鋭かった勝負強かった。しかし、あの頃から比べると今は本当に恐ろしいくらい強くなった。
竜王を獲得した頃は、△8五飛の研究将棋を駆使していた。若手の共同研究が盛んで、メールで新手情報を瞬く間に交換するとも言われていた。勿論、渡辺自身の力もあったが、そういう共同研究の情報をいかす現代的な若手の代表というイメージもあった。
しかし、最近の渡辺を見ていると、共同研究などしなくても最新形を自力で調べて自分で結論を出しているような迫力を感じる。今回だと、第一局の角換わりの重要課題局面がそうだが、自分の見解がはっきり事前に出来上がっていて、それをそのまま対局にぶつけるという感じ。
勿論今も共同研究はしていするのだろうが、勝手に推測すると自宅で十分に時間をとってしているという個人の勉強や研究で調べ尽くしているのではないだろうか。そして、他人の力を借りずとも、課題局面に自力で的確な答えを出す力を既に十分につけているような気がする。
丸山が後手の際の四手目の一手損角換わりは、相対的には定跡が整備されきっていない。しかし、渡辺は未知の局面でも、さほど時間をかけずに的確な答えを提出し続けていた。その場で定跡をつくる力があり、研究の定跡研究でも同じように自力で答えをだせるのではないだろうか。

とにかく渡辺の将棋というのは、相手を圧倒する、あるいはしようとする将棋である。
テニスで言うと、羽生がジミー・コナーズ、渡辺はボリス・ベッカーである。
コナーズは相手との長いラリーを続けて、相手のボールに対応しながら、そこから抜群にセンスのよいショットを決めて喝采を浴びる。
一方、ボリス・ベッカーは、強烈なサーブで相手を崩して、ラリーなど繰り返さずに一気にボレーで決めてしまう。
どれだけ古い喩えなんだと抗議しないで欲しい。私は今のテニスを全く見ておらず、しかもそもそもテニスに全然詳しくない。今思いつきで言いたくなっただけである。
ついでに言うと、クリス・エバート・ロイドやシュテフィ・グラフも好きだった。本当にどうでもいい話だ。
とにかく渡辺は相手を圧倒する将棋である。最近よく受けを見せるけれども、渡辺がやると、逆に攻めている相手をサディスティックに責めているような迫力があるのだ。
羽生も、そもそも現代将棋の代表のような存在だったが、渡辺と比べるとどことなく「古風」に感じてしまうところがある。
私などは、そういう羽生の「古風」なところが好きなのだが、勿論個人の趣味の問題に過ぎない。

丸山は、今年も後手では四手目の角換わりにこだわった。去年も序盤では渡辺にいようにやられていたし、今年も第二局はうまくいかなかった。
しかし、第四局では(渡辺の構想にも問題があって)ついに作戦勝ちして完勝した。
もともと、丸山は作戦選択に大変シビアである。横歩取りも、丸山はいち早く本格的に採用して勝ち星を荒稼ぎするとと共に、作戦にかげりが見えるといち早く横歩を棄てた。(第一期横歩取りブームの際の話。)
そんな丸山が、全く結果の出ていない四手目一手損角換わりを頑ななまでに採用し続けた。丸山らしからぬ意地のようなものを感じた。
丸山も年齢を加えて来て、やはり変化してきているのだろうか。
また、現代では定跡研究が完全に網羅整備されていて、例えば横歩で丸山のようなスペシャリストにあった情報の優位が現代ではなくなってきてしまっているのも関係しているのかもしれない。
だから、四手目一手損角換わりのような、あまり人の指さなくて自分が深く研究する形を採用したのかもしれない。
丸山得意の先手の角換わりにしてもそうで、今回丸山は最新定跡型ほをそのまま用いるのでなく、序盤から微妙な変化をしてマイナーな形に持ちこもうとしているようなところがあった。
今回の竜王戦を見ていて、丸山のような「スペシャリスト」の将棋指しにとっては大変な時代になりつつあるのかもしれないとちょっと感じた。

竜王戦第二局第三局とブログ更新方法の若干の変更のお知らせ

竜王戦は、第二局第三局と渡辺竜王が連勝しました。
第二局は、またしても早い時間帯での終局。丸山さんが△1四歩とじっと端をついて、竜王に▲5四歩を突かせなかった研究は凄みがありました。
しかし、竜王は即座に攻める方針を転換して▲1六歩から、次に9筋の端を伸ばして逆に丸山さんに攻めさせました。この辺りの発想の転換に竜王の頭の柔らかさを感じました。しかも、一度大長考しましたが方針を決めたら
時間をかけずに指し進めていました。
丸山さんが持ち時間の差が開くのを気にしたのか、初日から攻めかかりましたが、その攻め方に問題があって初日から形勢が大きく開いて二日目はもうどうしようもありませんでした。第一局と全く同じ展開。
第三局は丸山さんの角換わりの深い研究がいきて、やっと将棋の形になりました。しかし、竜王の受けが強靭で最後は入玉して勝ち。竜王がずっと受け続けて勝った将棋ですが、竜王の受けはただ受けているのではなく、「責める受け」です。相手が少しでも攻め方を間違えたら許しませんよという迫力があります。この「渡辺の責める受け」には羽生さんも、かなり手を焼いていました。第二局も丸山さんが攻めさせられて間違えてしまいました。
最後、丸山さんに▲4七角という勝負手があったそうですが、局後の研究によると△3七玉以下△3四角という手があって後手玉が寄らないようです。感想戦では、竜王はこわいので下にさがっていく順を選んでいたかもしれないと述べていましたが、竜王のことだからいざ指されたら△3七玉を深く読んでこわい変化に勇気をもって踏み込んでいたような気もします。
渡辺竜王は、最近特に定跡手順の部分はとばして指す方法を貫いていて、それが竜王戦では奏功しているわけですが、順位戦では屋敷さん相手に研究に盲点があって時間をたくさん残して完敗していました。あくまで合理的な渡辺さんらしい指し方ですが、当然こういうリスクもあります。また、竜王戦の第一局と第二局のように見ていてつまらない将棋になることもあります。それは渡辺さんには何の責任もなくて、対応できなかった相手のせいなのですが、古いファンとしては最近の将棋があまりに合理的すぎ、ドライすぎと感じる事もあるのは事実です。
一方の丸山さんは、順位戦も調子が悪くて本調子とは程遠いようです。ただ、それ以上に渡辺竜王との相性の悪さを見ていて感じずにはいられません。
丸山さんの指し方というのはプロでも難解でよく分からないという曲線的で複雑で不思議で神秘的?なもので、それに一流プロでも手を焼くことが多い。ところが、渡辺さんの場合は、そういう丸山さんの曖昧なところを一切許さずに、合理的な根拠を問いただしてくるようなところがあります。渡辺さんの手にかかると全てが白日のもとにさらされてしまうのです。
丸山さんは一手損角換わりを用いているわけですが、あれも本来合理的ではない作戦です。渡辺さんは、自分では一手損を指しません。合理的な渡辺さんには恐らく一手損の発想が許せないのでしょう。そして、対一手損では常にそれをストレートに打破しようとする対策を取ってきます。そしてそれが的確で丸山さんは後手では常に苦しい展開になっているのです。
丸山さんの複雑で分かりにくい将棋の組み立てに対して、渡辺さんが合理的にその不備を指摘して全く許していないという印象です。蛇に睨まれた蛙のような状態になってしまっているような気がします。

さて、今までこのブログはタイトル戦の対局があるごとに何か書くというやり方で続けてきました。これからは、もう少しゆるい感じで何か書きたくなった時だけに更新するやり方にさせていただこうと思っています。
元々、ブログ本を出したらそうするつもりだったのですが、なんとなく惰性で続けていました。これからは楽隠居の身分になって、気儘に不定期更新で続けていくつもりです。これまで通りおつきあいいただければ幸いです。
なお、私の言いたいことは以下のブログ本にほとんど書いてしまっているので、更新が少なくて物足りないと言う方は、こちらにおつきあいいただければと思います。
ハイ、宣伝です。でも、我ながらジャパネット浦野さんと比べると宣伝が下手ですね・・。

ものぐさ将棋観戦ブログ集成

2012 竜王戦第一局 渡辺竜王vs丸山九段

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棋譜
ニコニコ将棋公式生放送

振り駒で丸山が先手に。角換わりで丸山は先手のスペシャリスト、渡辺は後手のスペシャリストである。両者とも棋界の最高峰といってもよい。
去年の竜王戦では、勝負では渡辺が圧倒したが、角換りでは丸山もいかにも渋いプロらしい手順の工夫を見せて、それがそのまま定跡にもなった。
今年も当然序盤では大いに期待がもたれたのだが・・。
微妙な手順の駆け引きはあったが、結局現在角換わりで最もよく指されている形に。渡辺は得意の△6五歩型にも出来る展開だったので、こちらの方により自信があるのかもしれない。
以下、タイトル戦でも最近よく出てくる定跡に。先手は▲2五桂から▲2八角と打ち後手は飛車をきってくる。当然二人とも最も深く研究している形のはずだ。
丸山が最近の王将リーグの▲豊島vs△渡辺の前例から離れる75手目▲7五同銀。ところが、これがほとんど敗着に近い手になってしまった。
後手が△2三金とした瞬間は、先手から3一に
角が打てるので相当こわいし、実際本譜のように角交換して入手できる。実は私はこの辺では先手もまずまずではないかと思っていたのだが、全然そうではなかった。でも、アマチュアが感覚的に間違えるのとトッププロでは全然違うので丸山の真意が不可解である。
具体的には、83手目で▲4四角と打つ予定だったそうだが、以下感想コメントによると△3三角▲5三角成△6五桂▲5四馬△6七歩成▲3二馬△同玉▲7二竜△4二角打。
手順は長いけれどもほぼ必然手順・・、とまで言わないにしても後手にそれほど驚くような手はない。渡辺も控えめな表現ながら「後手が少し厚そう」と自信を示している。
ここでも何が丸山の誤算だったのかがよく分からないのだ。しかも、この辺りはまだ初日の午後である。
少なくとも新手を出すまでとばすのは分からないでもない。しかし、その後も確信をもてないままどんどん手を進めて結果的には封じ手時点ではプロ的には「将棋が終っている」状態になってしまったようである。
つまり、丸山は新手が悪手だった上に、時間がまだたっぷりあるのにそのままズルズル手を進めて状況をさらに悪化させてしまう。竜王戦への期待が高いだけに、この辺りは大変残念だった。
84手目の△7七歩成に対しても▲同玉が勝負手で、先手が入玉が可能だったかもしれないそうである。丸山は全く考えてなく、入玉しても駒を取られすぎるし突然粘りに行くようなのでという意味の感想を述べている。しかし、本譜の全く見所のない展開のことを考えれば、何らかの形で勝負手を考えなければいけなかった。ここも時間が切迫しているのではなく、まだ初日の午後である。
ニコ生解説の加藤一二三もその直後の△3三角を打たれては先手が負けだと述べていた。多分プロの感覚なら既に大差なのだろう。GPS将棋も初日からとんでもない大差で後手勝勢の数字を示していた。
角換わりという研究将棋の悪いところが残念ながらはっきり出てしまった将棋である。丸山はもしかすると、渡辺に去年見せつけられた圧倒的な終盤力を警戒して時間を残したかったのかもしれない。しかし、結果的には時間がいくらあっても無駄な展開になってしまった。
一方の渡辺は全くすきがない。相手の新手に対しても△2三金から△3二金と落ち着いて的確な対応をみせた。さっきもちょっと書いたように△2三金の瞬間は気持悪いが、しっかり読みを入れて大丈夫だと見きっている感じだ。
渡辺がどの辺りまで研究していたかは不明だが、今の渡辺だと別に研究していなくてもその場できちんと正解を見つけだしそうな信用感がある。
そして、渡辺が本当にはっきり良しと自分で認めたのは94手目の△5七金のところ。慎重である。多分、そのかなり前から良さそうなのは感じつつも、きちんと様々な変化を警戒しつつ全く油断せずに読んで指している感じだ。まるで羽生善治ではないか。
これは去年の竜王戦から感じていた事だが、この二人の戦いを見ていると(大変不適切な比喩ながら)、大変強くて正確無比なコンピューターと我々のような弱いアマチュアが戦っている感じがしてしまう。
つまり、我々もそれなりに序盤は研究していて最初はそこそこ指せるのだけれども、戦いが始まると全て相手に見通されていて、しかも急に潰されると言うよりは、何かこちらがミスをすると実に敏感に的確に反応されてきちんと咎められ、それが重なって気がつけば大差。
無論、丸山も実はとんでもなく強いわけだが、その丸山相手に格の違いを感じさせる渡辺が強すぎるのだ。
渡辺はこの前の王座戦が実に人生初の失冠だったわけだが、少し自分が実力で優位に立つ相手の戦いぶりの安定感は羽生よりも勝っているかもしれない。
子供の頃、渡辺は大山康晴と外見がちょと似ているなどと言われたが、今や将棋自体は大山とはむしろ対極的である。しかし、王者として防衛を続ける凄みで言うと、ちょっと大山に似ているようなところも感じるのだ。
とはいえ、丸山も本当に超一流の棋士である。私などはそれこそ赤子の手をひねるように軽くやられてしまうのであって、本当は私などがとやかく言ってはいけない名棋士である。
実際、JT杯では渡辺相手に先手角換わりで大変な名局で勝っている。当然ながらそれだけの力はある。但し、その時もやはり序盤で少し優位を築く事が出来ていた。
渡辺相手だとどうしても序盤で模様をよくしないと苦しい感じだが、しかし逆に言えば皆が思っているほど渡辺にとって簡単な相手ではない。第二局の後手番での丸山の渾身の序盤作戦に期待しよう。
ちなみに、読売の事前特集記事によると、丸山は今回は小食宣言をしていたそうである。今回は、確かに小食・・、と言うよりは人並みか少し多めだった。しかし、こういう結果。さらなる作戦変更の余地がありそうだ。去年以上に食べてしまうか、あるいはいっそ絶食か・・。
渡辺にほとんど死角はないが、敢えて言うなら世論の雰囲気が、既に渡辺防衛で決まり、しかも今年はストレートもあるかも、という感じに既になっていることくらいだろうか。戦っている当人としてはやりにくいことだろう。しかし、そういうことで油断するような甘い人間ではないのだ。

ニコ生二日目には加藤一二三が再度登場した。残念ながら、加藤がそれまでの指し手を渾身丁寧に時間をかけて熱血解説している間に丸山が投了してしまったが・・。
しかし、対局がはやく終ったので、加藤一二三の過去の名手についてたっぷり聞くことが出来た。まるでお年寄りのお話を親身になって心から楽しそうに聞いてあげるかのような安食総子の聞き手ぶりも素晴らしかった。
第七期十段戦第四局の大山先生相手で、初日から翌日まで計7時間考えた名手▲6二歩についてである。各所で加藤は書いたり話したりしているが、盤面にきちんと局面を並べて詳しく解説したのは初めてみたかもしれない。確かに素晴らしい手だ。
そして、その手について自画自賛で嬉しそうに語り尽くす加藤一二三はいつも通りの加藤一二三であった。
渡辺のことも結構語っていた。タイトル戦の天童対局の際に渡辺と長く語り合う機会があったのだという。渡辺は人間的に安定している、ものの考え方が着実、地に足がついた生き方を若いながら既にしている、話が面白いが単なる面白さではなく深みがある、大変聡明だ、等々絶賛していた。
いや、本当にその通り。特に「聡明で安定している」というのは、私も初期の頃の渡辺明に対してずっと感じ続けていることなのである。

渡辺竜王八連覇 2011竜王戦第五局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

後手丸山の作戦は今回の竜王戦の命運をかけた飛車先不突き一手損角換わり。第三局の進行を辿って丸山忠久が先に変化した。さらに8筋の突き捨てから△7五銀と動いてきたところに渡辺明が打った▲4六角が好手だったようで、丸山は△7三角と手放して受けざるをえなかった。
渡辺は▲4六角にも、さほど時間を使ってないが本局に限らず(相対的には)定跡が整備されてない飛車先不突き一手損の形で、その場にうまく適合する指し手を決断よく導き出して毎回初日からペースを握った。
丸山が戦前予想された横歩取りを捨てて竜王戦で採用した秘策ともいえる飛車先不突き一手損だったが、渡辺の対応力の前に全く効果を発揮することが出来なかった。定跡が隅々まで整備されている横歩と比べると、この飛車先不突き一手損は採用者も多くはなく(あくまで相対的には)未開分野で力勝負になりやすいが、むしろ渡辺の局面把握能力の明るさを引き出してしまって逆効果だった。やはり横歩の定跡の穴とか裏をつく作戦の方が良かったのかもしれない。というのは結果論だが。
後手三局でいずれも初日から先手優勢(気味)になったのでは、現在の渡辺の充実ぶりを考えると、あまりにも苦しかった。戦術的には、これが今回の竜王戦の一番のポイントだったと思う。
また、激しく行く▲5五角と穏健な▲3五角の二種類あるところで、腰をおとして考えて封じ手にしたのも、渡辺らしい「封じ手巧者」ぶりだった。
両方あるので丸山は両者の対策を考えなければいけないし、渡辺は▲5五角と決めておいて本譜のように激しく一気に決めに行くか▲2五桂とするかなど一晩熟慮出来る。
二日目は、いつ将棋が終るかという雰囲気だったが、丸山も意地と底力を見せて△5一金など独特な粘り方をみせてかなり追い上げた。△8三飛のところで△8六歩としておけば難しかったそうである。但し、難しいにしても今回の渡辺の終盤の切れ味を考えると、やはり竜王に分があったような気もするが。
結果的には渡辺のいいところばかりが目立った磐石の防衛劇になった。丸山は、先手の角換わりのスペシャリストとして序盤の駆け引きでは渡辺を少し上回ったようにも思えるが、それが直接勝ちに結びつく形ではなかったのが惜しかった。△6五歩型は、ベストの形で仕掛ける、あるいは仕掛けさせない為のせめぎあいだけれども、例えば相腰掛銀先後同型のような勝敗に直結するところまでの一直線の定跡ではない。渡辺の角換わり後手で
の△6五歩型も、やはり手強いという印象が残った。

これで渡辺は八連覇。これからさらに脂が乗り切ってくる年代で、どこまで連覇が続くか分からないような竜王戦での強さである。
しかし、渡辺も最初からこんなに強かったわけではなく、森内から竜王を奪取した際には、まだ当時では実力的には少し森内が上かというところを△8五飛戦法を駆使して、また若さに似合わぬ度胸の据わり方と勝負強さでワンチャンスを見事にものにした感じだった。
同じく将来を嘱望されていて既に実力もトップクラスと思われる豊島将之が昨日の王将戦プレーオフでチャンスをものに出来なかったのと対照的である。やはり将棋の実力以外にメンタルなどを含めた総合的な人間力が大切なのかもしれない。もっとも、豊島はその実力の高さは誰もが認めるところなので、単に出世のスピードが遅れただけに過ぎず、必ず頭角を現してくるはずである。
さて、渡辺はその後も羽生世代の挑戦を次々に受けてきたが、特に初期は毎年挑戦者有利の前評判だった。今の渡辺では考えられないことかもしれないが。それを毎回実際には、深い研究や封じ手、持ち時間の使い方などを含めた細かい意識的な戦略や、持ち前の勝負度胸を用いて、その力を余すことなく発揮することで毎回下馬評を覆してきた。それを積み重ねるうちに、いつの間にか現在の誰もが認める力を蓄えてきたのだ。
だから、渡辺は天才型というよりは、むしろ努力型なのかもしれない。なぜ竜王戦だけで勝てるのかと久しく言われ続けて来たが、それは単純に言うと実力がそれくらいだったのだが、毎年他棋戦の結果にめげずに精進を続けているうちに本当に竜王にふさわしい実力を涵養してきたのだと思う。具体的には、羽生世代よりも一時期本当に苦手にしていて全く勝てなかった久保や深浦を最近は内容的にも圧倒しているのがその証拠と言えそうである。
逆に言うと、竜王戦の初期の厳しい状況を毎年乗り切ってきたのも渡辺らしい。二日制なので、封じ手、時間の使い方、思考のペース配分、食事やおやつのとり方に至るまできめ細かく意識的に戦略をたててそれを実行してきた。本来持つ実力以外に補うことが出来る部分を全て出し切っているような気がする。先ほどの話の総合的な人間力が渡辺の場合は高くて、世代交代といわれつつも今でも本当に羽生世代を倒しているのが彼一人というのもその辺と関係しているのだろう。実力だけなら彼とほぼ遜色ない若手もいるが、彼らとは人間的な線の太さに差を感じてしまうのである。
そういう、もともと人間的な力では申し分ない渡辺が、ついに将棋自体の実力も上り詰めて来た。本当にこれからが恐ろしいような気がする。

さて、一方の丸山挑戦者。
渡辺とは全く別種の人間的総合力で我々を魅了し続けてくれた。竜王戦と言えば渡辺の庭である。対局上我が家のようにリラックスして振る舞い、時には率直過ぎる物言いで対局相手を苦笑させ(特に初期)、傍若無人ともいうべき大胆な振る舞い、肉料理をがっつり食しおやつにはケーキをしっかり平らげる食欲等々で、盤外ではすっかり竜王ペースになるのが通例であった。
しかし、今回の挑戦者には全く渡辺の流儀が通用しなかった。渡辺のはるか空の上を行く食欲で度肝を抜き、対局態度もマイペースそのもの。と言うか食べ物の話ばかりで恐縮だが、丸山にとって深刻な苦しい場面でもカツサンドや南国の果物で栄養補給することに余念がないのだった。
例えば、第四局の夕方のNHKBS放送で、島朗と山崎バニラさんが解説している間に、丸山が夕食代わりのレーズンパンをモグモグする姿が映し出された。カメラが大盤に戻って島の解説が続いて無事終了。
さて、カメラが対局上に戻ると、丸山はまだ食べ続けていて新しいレーズンパンに手を出しているではないか。島が急遽、丸山の食事の解説も始める。
「これが結構終盤の急所の一打になるんですよぉ。これがですねぇ、渡辺さんが結構苦手としている丸山さんの旺盛な食欲なんですよ。食べっぷりもいいですねぇ。この時間帯は棋士の食欲が一番落ちる時間ですねぇ。終盤で。ここでものを食べるなんて考えられない人が多いと思いますよ。丸山さんの強みですよねぇ。しかも、楽しそうにおいしそうに食べていますからね。渡辺さんの視野の先に丸山さんの食欲が入っているでしょうから。丸山さんは意図していないんで盤外戦術ではないです。でも気にはなると思います。竜王がかつてなかった相手であることは間違いないですね。しかし、すごいもんですねぇ。この一番大変な局面でこれだけ食に集中できる精神力はすごいですよねぇ。」
島朗、渾身の名解説である。将棋の解説よりはるかに冴えていたと言ったら怒られるだろうか。しかも、そんな島の名解説をあざ笑うように丸山は延々とモグモグし続けたのであった。記録の門倉啓太がチラチラと丸山を見やり、丸山が食べ続ける前で渡辺が前傾姿勢で必死に読むシュールな絵であった。
第四局では朝にふぐちりを食して驚かせた丸山だが、本局でも昼食に蟹の丸揚げを含む中華フルコースを注文した。後手の丸山が相当苦しいとされていて、しかも負ければ竜王戦が終る局面である。さすがに、私もあまり食べられないしおいしくはなっかただろうと思ったのだけれども、島解説を敷衍すると、実はおいしく悠々と平らげたのかもしれない。
しかし、丸山は夕食になると豪華な食事にもあまり手をつけずに飲み物をとるくらいだったそうである。つまり丸山は単なる食いしん坊の大食漢ではなく、あくまで将棋の思考の為の栄養補給であって、食べようと思わなければ食べないでもいられる鉄の意志の持ち主なのだ。そして、周囲の目など一切気にせずに対局の為ならどんな手段も講ずる。冷えピタだって頭に三枚貼るのだ。本人にとっては、ベストを尽くして対局に専念するための真剣そのものの行為である。ただ、それが見ている周りの人間たちにとっては、たまらなくおかしいだけである。上質なコメディの条件である。そして、観る者は思い切り笑いながら、そのコメディを演じている人間の真剣な極上の芸にひそかに敬意を抱くのだ。決して馬鹿にした笑いではない、健全で根源的な笑いである。
丸山自身は常に真剣である。だから、笑いを呼ぶこともあれば、感動を呼ぶこともある。例えば、伝説の村山聖との深夜にまで及んだ順位戦の激闘。村山の体調は最悪だったが、丸山は厳しい指し手を延々と続けた。見守っていた村山の弟弟子の増田裕司には丸山が鬼に見えたそうである。しかし、結果的にあの対局は伝説として語り継がれている。
丸山にとっては、夕食代わりにカツサンドをモグモグやるのも、村山と死闘を繰り広げるのも、全く同一次元の真剣そのもの営為なのである。
今回もまた丸山が真のプロフェッショナルであることを改めて確認したシリーズであった。勝負には負けたが、多分或る意味では渡辺が初めて完敗した挑戦者だったといえるだろう。



2011 竜王戦第四局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

丸山忠久先手で、後手の渡辺明が第二局同様に角換わりを真っ向から受けて立ち、やはり相腰掛銀同型ではなく△6五歩と位を取る形に。この形になるとお互いに手の渡しあいの渋い展開になる。
今回のNHKのBSの解説は郷田真隆だった。聞き手が山崎バニラさんだったのだけれども、きちんとリードしつつ、ちゃんと山崎さんにも質問を投げかけて優しく気を遣いつつしかし決して媚びず、解説もしっかりこなしていた。郷田もなかなかの漢(おとこ)である。また独身貴族に女性ファンも増えたことであろう(余計なことである。)
さて、その郷田の初日夕方の解説がとても分かりやすかった。以下その要約。
44手目△4三金直の局面が、先手後手ともベストの布陣である。だから出来ればお互いにパスをしたいが将棋のルールにパスはない。その為に飛車を▲6九から▲5九に廻ったのが丸山の工夫。その後仮に渡辺が△8二飛なら▲2九飛とすると44手目の局面で手番が後手の渡辺になって指す手に困るという仕組みである。従って渡辺も△9二飛とひねり、さらに丸山も▲4七銀とひくなどお互いにパズルを解きあうような苦心の手順を尽くして、結局は丸山が後手に手を渡すことに成功した。渡辺は△1二香とバランスを崩す手を指さざるをえなくなった。
ということである。第二局でもそうだったが、丸山が一応うまく指して後手が千日手に出来ないようにうまく立ち回ったわけである。この形は去年の竜王戦第六局で渡辺が△5二金という絶妙な待ち方の新手を出して先手の羽生善治がベストの形で仕掛けることが出来ずに渡辺が竜王防衛につなげた。しかし、丸山は用意周到な準備で、とにかく渡辺に妥協させることに二局とも成功したわけである。竜王戦では渡辺の序盤作戦と研究の深さがめだち、常に主導権を握ってきた印象もあるのだが、丸山はそれを許しておらず彼の序盤の研究の深さとセンスは高く評価されるべきだと思う。
しかしそれだけで先手がよくなるというほど将棋は簡単ではない。丸山も仕掛けた後にさらに▲2八飛と手待ちをするという高等戦術に出たが、それがよかったどうかはよくわからないところである。
郷田が指摘していたのは、本譜では△1二香と▲1八香が入った形で仕掛けたが、香車がお互いに動かない形での▲谷川vs△森内の前例があって▲1七角としたが香車の位置の関係で本譜の▲2八飛で▲2六角とする手もあった
そうである。或いはやはり▲2八飛のところで▲2四歩△同銀▲7一角△5二飛▲4五銀△同金▲同桂△同銀▲4四金なども調べていた。
つまり、この二種類の攻めがもし有効ならこの形で先手も十分指せるということで今後の研究課題だろう。
ちなみに竜王戦二日目に行われたB級1組の▲阿久津vs△畠山鎮で早速丸山流の▲5九飛の手待ちが出現し、それに畠山が△9二香と手を変えたが結果的に阿久津が快勝した。まさしく毎日定跡が進化する現代将棋の象徴だった。
さて、本譜の進行も先手の攻めがなかなかうるさいのではないかという評判だったが渡辺も的確な受けで決め手を与えず、先手の攻めが続くかどうかギリギリの展開になった。
千日手の可能性もあったが丸山は▲2四歩と勝ちがあるとみて決めに行ったのだが、それに対する渡辺の対応が見事だった。8筋の香車の二段ロケットを発進させて飛車まで叩ききり先手玉に鋭く迫る。後手玉は絶対に詰まないいわゆるゼットなので詰めろをつなげればよい。丸山も入玉含みで必死に粘るが攻防の▲6一飛に対して中合いの△5一桂が詰めろになるピッタリの手で勝負あった。
渡辺が一瞬の斬れ味をみせつけた。これで私が思い出したのは、第19期竜王戦第三局である。挑戦者の佐藤康光が終盤で渡辺を追い詰めたが、渡辺玉が桂馬さえ渡さなければ絶対に詰まない「桂馬ゼット」になった瞬間に渡辺が伝説の名手△7九角以下、やはり一瞬の隙をついて猛攻して攻めきった将棋である。こういう終盤での瞬発力と勝負強さ、そういう手順を決して見逃さない嗅覚が渡辺の強さである。その時は佐藤連勝でスタートしていたので本当に大きな一勝で、あれがなければ渡辺の今につながる竜王連覇はなっかたかもしれないのである。ある意味羽生との第四局の打ち歩詰め逃れよりも大きかった今や歴史上の一局である。
これで渡辺が防衛に王手。今の渡辺の充実ぶりを考えると丸山はかなり苦しくなった。

丸山は本局の初日の第一手をすぐ指さずにしばらく考えていた。その模様がBS中継にも映し出されていたが、まるで瞑想して気合を高めているかに見えた。解説の郷田も指摘していたが丸山には珍しい。丸山は徹底した合理主義者であって、初手で気持ちを高めるといった精神主義とは無縁に初手から考えてもムダとばかりにサッサと指すのが流儀である。しかも駒音を立てるのもエネルギーのムダとばかりに静かにそっと。
それがまるで羽生のように初手から気合を入れていたのを見て何となくだが丸山も歳をとったのかなと思った。それが丸山の人間的成熟であると共に弱みになるのではないかと感じた。丸山のよさは過激なまでにプロに徹する―喩えが不適切だがまるで殺し屋のような―冷徹なまでの将棋への姿勢である。しかし、丸山も40を超えて人間らしさが出てきたのかと勝手に感じたりもした。
第一局の天童の前夜祭でも、丸山は若い時に来た時には感じなかったが天童の自然の美しさに感動したと述べていた。今回の前夜祭でも自然の美しさを讃えていた。こういう丸山の人間的な進歩が将棋に直結するかどうかは難しいところのような気がしてしまう。
とはいえ、やはり丸山忠久は丸山忠久だった。二日目の朝からふぐちりを食していた。あの難しい常人なら神経がピリピリしそうな局面でである。
そして、初日の午前のおやつに出されたパパイアでは全く量が足りずに増量を要求し、昼食では前日のうなぎも増量注文して飯の上にうなぎが溢れんばかりであった。
かつての大山康晴がその食欲で他を圧倒していたのは有名だけれども、丸山と勝負したらどうなっていたのだろう。いや、渡辺も手をこまねいていたわけではない。彼も生まれながらの勝負師である。二日目のおやつに得意のケーキを三個注文して、丸山に対抗した。
だが、渡辺は実際にケーキが三つ運ばれてくると、それをキャンセルして飲み物だけにしたそうである。もうそんなことに意地をはっている場合ではないという渡辺のリアリストぶりも妙におかしかった。
今までの竜王戦では将棋以外の場面では、渡辺が傍若無人ともいえる振る舞いや食欲で挑戦者を圧倒していた。ところが、今回の挑戦者は今までとはレベルが違いすぎる。はじめて盤外では渡辺が圧倒されているのである。
丸山の神経の図太さが、前半に述べたような実にプロらしい将棋に対する態度と関係しているのは言うまでもない。さらに言うと、丸山の場合、別に負けてもベストを尽くせばそれでいいのだと平気で考えそうである。だから今回渡辺が防衛したとしても、丸山は静かに去ってまた別の戦いを続けるだけという気もする。例えば、渡辺が羽生に勝てば確実に
ダメージを与えることが出来る。しかし、いくら負かしても丸山にダメージを与えることは不可能なのではないだろうか。ある意味、丸山は羽生よりも達観しているような気がする。
分かりにくかったかもしれないが、私なりに丸山の独特なプロ意識を褒めたつもりなのである。

 











2011竜王戦第二局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

予想通り角換わりに。角換わり先手のスペシャリスト丸山忠久と角換わり後手のスペシャリスト渡辺明の激突によって、どのようなことになるかが注目された。と言っても必ずしも激しい戦いになるとは限らず、千日手も念頭に入れた渋い手の殺し合い、手の渡しあい、待ちあいにもなることもある。
昨年の竜王戦第六局でも▲羽生善治vs△渡辺で角換わりになったが、後手の渡辺が見せた工夫は△5二金として先手が最高の形とタイミングでは仕掛けることが出来ないようにするという実に渋い新手だった。そして、それが竜王防衛につながったのである。
今回のツイッター解説は糸谷哲郎が担当していたが、実に精力的に「角換わり」講座を展開してくれた。
>【角換わり】プロ間でも最近はスペシャリストの方しかされない将棋なのですが、腰掛銀同系、後手が6五歩と取る将棋、後手が同系直前で△3三銀と上がる将棋に大別できると思います。
>【角換わり】同系は最近富岡流などで先手が指しやすいのではないかという評判です。お互い切りあう将棋になって、もっとも研究量が響いてくる将棋の一つと言えるでしょう。
>【角換わり】同系直前で△3三銀と上がる将棋は同系よりは多少力戦系になりやすい将棋です。先手が先に角を手放して厚みを作る展開が多いですね。
>【角換わり】後手が6五歩と取る将棋は、本譜のように同系とは正反対に手を殺しあう将棋になります。先手がどこで打開していくかがポイントと言えるでしょう。
>【35手目】▲4八飛は▲4五歩よりも相手の動きを見て指そうとする意味を込めた手です。後手に単純なプラスの手は少ないので、動きを見てマイナスにしようということだと思います。
>この辺りのお互いの手潰しはこういう形の醍醐味と感じます。仕掛けた時には厳密にはもうどちらかが有利なことが多いので、お互い慎重にならざるを得ないのではないでしょうか。>この辺りは手損より「その手を指させた」ことが有利に働くことがあるのが角換わりの面白さです。
(以上 日本将棋連盟モバイル・ツイッターより)

具体的指し手についてではない部分を中心に引用させていただいたが、これに加えて延々と具体的な指し手の解説が続いたのである。糸谷の理論化して明晰に語る能力と将棋スタミナは尋常ではない。島朗の「角換わり腰掛け銀研究」のような著書を角換わりがテーマでなくてもいいから書いてもらいたいものである。
さて、以上の糸谷の説明の通りに、お互いに有利な条件で待って、先手としては最高のタイミングで仕掛け、後手としてはそれを封じようとする、実に渋いが高度な神経戦が繰り広げられたわけである。そして、感想コメントによると渡辺は「うまくやられた感じだった。」と感じていたそうである。
銀杏記者による41手目棋譜コメントより
丸山はいくつかある先手の成功パターンに持ち込めるように手待ちしながら間合いを詰めている。後手は待機策を取っているので仕掛けられないように慎重に指さねばならない。
※丸山の趣向により、渡辺は千日手模様にしにくくなった。いい待ち方が難しいようだ。(感想コメント)
つまり、去年の竜王戦第六局で渡辺がみせた巧みな待ち方が出来ないように、丸山が最新の手順でうまく指していたということである。地味で分かりにくいけれどもいかにもプロらしい水面下の攻防だった。やはり丸山の先手角換わりのスペシャリストぶりは並大抵のことではないのである。
そして渡辺の△1二香と形が乱れた瞬間に▲4五歩と仕掛けた。しかし、残念ながらそれで先手がいいというわけではない。丸山の深謀遠慮のプロらしい駒組はみごとだったが、将棋はまだここからではっきり良さが形にはあらわれないところが将棋の大変なところだ。この辺は、正直に言って素人には理解が大変難しいのでプロにまた後日の観戦記等でもきっちり解説してもらいたいところである。
さて、二日目の攻防も後手がよさそうと言われながらも難解な攻防が続いたようだが、とにかく渡辺が冴えわたっていて強すぎた。特に△8九龍は控室の誰も気づかなかった見事な決め手で、こんな手をアッサリ指されてしまっては丸山もお手上げだろう。もともと終盤で抜群によく手が見えるタイプだけれども、最近ますますその精度があがり、本人も自信を深めているように思える。
ツイッターである方が、最近の渡辺明の勝ちっぷりは全盛時の北の湖のようだと、つぶやかれていた。全く同感である。北の湖のそのあまりの強さに稀に負けると客が大喜びという存在だったが、渡辺も将棋界のかつての大山康晴のようにそういう存在になるのだろうか。と思わせるくらい、最近の勝ち方には迫力がある。
現在の渡辺相手に連敗スタートの丸山は当然苦しいが、本局の序盤でもみせたように、玄人好みの深いプロ的感覚はさすがである。難敵ではあるが、それをなんとか結果に結びつけて竜王戦を盛り上げていただきたいものである。次の後手では横歩も予想されるが、かつて名人を谷川相手に最終局で防衛した△4五桂のようなすごい研究をみたいものである。

さて、今回の中継ブログには岡本太郎の「太陽の塔」が何度も登場していた。以下は、岡本や太陽の塔に関するムダ話である。将棋の話とは全く関係ないので興味のある方のみどうぞ。
1970年の大阪万博の初代事務総長、新井真一はテーマ展示をつくる人間に片っ端から断られ続けて岡本太郎に声をかけたそうである。あの反逆児なら引き受けてくれるかもしれないと。そして「誰も引き受けてくれない」と聞いてムラムラと反逆心に火がついてOKし、とにかく「ベラボーなもの」をつくろうと決意してつくったのが「太陽の塔」である。それは万博のテーマの「進歩と調和」に対する徹底的なノンでもあった。進歩主義調和主義の時代背景にあって、それを嘲笑するかのように万博の中心にそそりたつ巨大な異形の像。
テーマ館を象徴する最新技術を駆使した大屋根を設計した丹下健三に反対されたが、その大屋根を太陽の塔が突き破ることを主張してひかなかった。
地下部分の展示に当初は過去の偉人像を並べる予定だったが岡本の意により、歴史上の無名な庶民たちの像が展示されることになった。
世間からは国家の金を使って日本を代表するものとして、なんであのような岡本太郎的なものをつくるのかともう批判されたが「個性的のものこそ普遍性を持つ」とやり返した。
NHKの「岡本太郎の世界」でも金井美恵子相手に「太陽の塔は、あれは嫌われようと思ってつくった。そうしたら好かれちゃった」と述べている。
岡本太郎は自宅の庭に住みついた(普通は嫌われ者の代表の)カラスと仲良くしていたが、ある時、「太陽の塔、あれはカラスだよ」とつぶやいた。
そして、当初は取り壊される予定だったが、人気が出てアンケートを取ったら90%以上の人が残す事に賛成して永久保存されることになった。
太陽の塔のエピソードを並べてみたが、中継ブログの写真を見ていても分かるように、そういうことがどうでもよくなるような不思議な存在感がある。「進歩と調和」を謳った万博はもはや昔の夢のような出来事だが、そういうスローガンを信じ込まされいていた当時の普通の人々が愛したのは「進歩と調和」を真っ向から否定する太陽の塔だった。そして太陽の塔だけが残って、「孤独に永久的に立たされている」(岡本太郎)。
私が若い頃に岡本太郎を知ったのは、タモリの「今夜は最高」だったろうか。その頃は、岡本のこともよく知らずに、「タモリ目線」で、奇矯なオモロイおっさんとして面白がっていた。今回、その懐かしい録画を見る機会があったのだけれども、あまりに岡本太郎が正論の当たり前のことばかり言っていることに驚いた。



2011竜王戦第一局 渡辺竜王vs丸山九段

竜王戦中継サイト

丸山忠久が竜王挑戦を決めたインタビュー(私が見たのは「週刊将棋ステーション」)より。例によって丸山スマイルで。
二日目に夕休がない、というか食事がないんで、まぁその辺を、まぁそれを経験したことがないんで、まぁその辺をどう調整していくかは課題だと思っています。
丸山といえば健啖家で有名である。それにしても二日目の夕食を気にする挑戦者をはじめて見た。
・・などといきなり書くとお叱りを受けるかもしれない。そんなことを芸能レポーターみたいに面白がって書くな。いい将棋さえ指せばそれでいいではないか、なんとお前は通俗なのかと。
いやいや、決してそういうことではないのだ。そんなところまで気にして将棋に集中しようとする丸山のプロフェッショナリズムに私は常々感心しているのである。神や仏に誓って本当だ。
だから、丸山が夜中に夜食のカロリーメイト・チョコレート味をモグモグしようとも(私は昔からこんなことばかり書いていた)、頭を冷やす為に冷えピタ三枚を同時に貼り付けようと、ヒレかつなどの油ものに加えて生パイナップルを念入りに注文しようとも、全て対局のためであって私は尊敬しているのである。
・・やっぱり、オマエは単に面白がっているんだろうというツッコミがとんできそうである。そうさ、確かに思い切り面白がっちゃっているさ。楽しんで酒の肴にしているさ。私はその程度の人間さ。でもね、面白がりながら、同時に丸山の根底にある真摯そのものの姿勢(それは三浦弘行と双璧だと思う)に、感動しているのだよ。ホントだよ。笑いながら心打たれているんだよ。
分かっている人には分かってもらえるはずだ。人生ってそういうものだよ。

後手の丸山が採用したのは事前の予想の横歩取りではなく一手損角換わりだった。渡辺が棒銀を用いてくるのを予測した上での△3三桂の積極的な姿勢の新手。その後も丸山の攻撃的な姿勢が印象的だった。恐らく丸山のことだから事前に戦い方を熟慮した上で、現在の渡辺の充実振り勘案して強く前にでる戦い方をしようと決めていたのではないだろうか。私は丸山の竜王戦に賭ける強い意志のようなものを勝手に感じ取っていた。
しかし、△6五歩がやりすぎだった。すかさず渡辺明に▲4六歩から▲6四角ととがめられて一日目の昼から既に困っている。丸山自身率直に△6五歩を敗着と認めていた。
△6五歩では普通に△3九角から馬をつくっていれば難しかったらしい。しかし、丸山は▲8八玉とあがった先手玉があまりに堅すぎて悠長に馬つくりをする気にならなかったらしい。ところが、△3九角を誘った渡辺が感想で馬をつくられたら苦しかったと感想戦で述べている。なんとも人を喰った渡辺流である。勿論、渡辺もよく読んでみたら馬をつくられて困ることに気づいただけなのだろうが(渡辺も正直でウソはつかない)、丸山としてはそんなことを言われてはたまらないだろう。やはり現在の渡辺の信用の厚さが△3九角を打つのをためらわせたのかもしれない。その辺は解説の村山慈明も「角を打たせなかった渡辺さんの威圧感はさすがだなぁ。」と分析していた。
二日目に丸山も激しく迫ったが、渡辺の▲8六桂が憎らしいほどに冷静沈着で、丸山は指しようがなくなって戦意喪失してそのままな投了。
丸山の普段の粘りを知る人は少し意外に思ったかもしれない。しかし、丸山は結構突然投げる事もある。渡辺相手の銀河戦でも、実は丸山勝ちなのに渡辺の自信満々な態度に投了してしまったこともあった。(当時の渡辺明ブログに今では考えられないくらい詳しく指し手の解説が書かれたている)本物のプロフェッショナルなだけで、ダメだと本当に感じると指す意欲をなくす瞬間があるのかもしれない。

さて、相変わらず竜王戦での強さを渡辺がみせつける形で開幕したが、先述したように丸山の竜王戦に賭ける確固たる意志は確かに感じられた。それが本局ではすっぽぬけただけである。
そして、今回の竜王戦で最も注目するべきは、先手丸山vs後手渡辺の角換わりである。後手の渡辺については羽生相手で証明済みのように、現在の後手角換わりの使い手の最高峰である。
一方、丸山は先手の最高峰である。丸山の角換わりに後手で郷田真隆が挑み続けてどれだけ辛酸を味わい続けたかは涙なしでは語れないのである。
さらに、昨期のA級順位戦最終局で丸山は角換わりで後手の渡辺を破って、渡辺の名人挑戦を阻んでいるのだ。しかも冷えピタデビューで(余計なことだ)。
だから、第二局は勝敗以外にも本当に注目すべき一局である。

両対局者以上に存在感を発揮していたのは、言うまでもなく加藤一二三であった。二日目の封じ手開封の場面。颯爽と封じ手を開封したはいいが、動きが止まる。封じ手が分からないご様子である。
渡辺が不審げに加藤に目をやる。加藤は気を取り直したように、予備の二通目の封じ手を開封する。しかし、やはり封じ手が分からない。困惑する加藤。苦笑する渡辺。
同じ立会いの森下卓が見かねて加藤に声をかける。加藤はついに自力解読を断念して渡辺に話しかける。
加藤「えっと、すみません、これは指し手はどういうことでしょう?」
渡辺「んっ?(封じ手用紙を指さして)イヤ、これなんで、これで取るっていうことですね。」
加藤「あっ、これで取るっていうことね。分かりました。ハイ、封じ手は△8五歩です。」
丸山も笑っているように見える。ということで無事事なきを得た。
立会人が対局者に直接封じ手を尋ねることなど前代未聞、空前絶後である。昔の気難しい対局者なら怒り出していてもおかしくない。
しかし、渡辺はごく自然に笑みを浮かべて対応して、その場の空気が波立つ事もなかった。渡辺の態度は立派だった。
加藤の人徳なのかもしれないが、渡辺も丸山も加藤も基本的には天使である。

竜王戦が終わってー2010竜王戦第六局 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト。

竜王戦は、渡辺明が防衛して見事に七連覇の偉業を成し遂げた。
その記事を書いたのだが、あまりに長くなりすぎたので二章に分けた。最初に第六局や今回の竜王戦について書いて、次に今後の将棋界全体について書いたので、各自興味のある部分だけを読んでいたいただければと思う。
勿論、全国約3名のものぐさファンの方には全部読んでいただきたい。

1.再度「2手目△8四歩問題」

第四局の時にも、同じタイトルで書いたので、その繰り返しである。その時うっかり書き忘れたのだが、タイトルは梅田望夫の「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」(以下「どう羽生」と略させていただく)に収録されている第81期棋聖戦第一局のリアルタイム観戦記のタイトルを使わせていただいている。
渡辺後手で、また通常角換わりになった。その意義については第四局の際に書いたので興味のある方は参照されたい。
この竜王戦の前に実に興味深い伏線があった。A級順位戦の対郷田真隆戦でも渡辺は後手をもって角換わりを指している。その際、相腰掛け銀同型に進めて、驚天動地の、と言いたくなるくらい大胆な△8一飛という新手を見せた。本来定跡では別の手がほとんど当り前の局面で、なおかつ感覚的にもものすごく考えにくい手だった。
しかし、先手の郷田も後手で角換わりを受けて立つスペシャリストで、何とこの手を考えたことがあり、優秀な対策を提示して将棋は郷田の快勝に終わる。
ちなみに、その郷田はA級順位戦で後手で三浦弘行相手に角換わりを指し、自分が大胆な新手を披露したが、三浦がその場で的確な対応をして、やはり快勝した。
つまり、「どう羽生」で、羽生善治が述べているように角換わりの歴史は後手の対策が次々にダメになって消えていく歴史である。また、羽生がどこかで言っていたが、プロの場合新手を出しても、相手がほとんど必ず的確に対策を示してくるものなのだ。特にトッププロの場合は。
さらに、その前に王将リーグでは、渡辺が後手で羽生相手に相腰掛け銀同型で新工夫をした上で、第四局では早い時点で変化した。そのような色々なことがあっての第六局だったので、勝負の行方以外にも、将棋の内容、渡辺の対策にも大いに注目が集まったわけである。
とはいえ、▲7六歩に△8四歩としても角換わりが確定するわけではない。先手は矢倉にも出来るので羽生の作戦が注目されたが、結局角換わりを選んだ。羽生は大事な将棋では、総力戦で力を出しきれる矢倉が多いという印象もあるので、そうするのかと個人的には考えていたのだが、今まで述べたような流れを受けて、つい羽生も好奇心が勝って大事な将棋であることとも関係なく角換わりが指したくなってしまったようにも思えた。
そして、渡辺が選択したのは△6五歩とする指し方だった。その後▲6四角と据えるのを故村山聖先生が良く指していたし、何年か前にもよく指されたが最近は「消えた戦法」になりかかっていたそうである。
そして、渡辺のその後の新工夫というのが、実に地味というか玄人好みというか渋い着想だった。この形にすると、先手から全面攻撃されがちで、後手が苦しめとされていたところを、手を待つ金の位置を△5二にすることで、先手が最善のタイミングで仕掛けることができないようにしたのだ。そして、羽生も激しく攻めることが出来ず、後手番の作戦としては成功した形になった。
ここからは私の推測だが、郷田戦と羽生戦での渡辺の作戦選択は次のような感じだったのではないだろうか。どちらも大切な将棋だが、一応やはり竜王戦の方が比重が高いとする。その場合、△8一飛の方は、見た目は派手でインパクトは抜群だが、何しろノーガードで先手の攻めを許す大胆な手なので、失敗すると酷い目にあう可能性もある。だから、実験的な新手の方は順位戦の方で思い切って使ってみる。そして、△5二金の方は地味そのものだけれども、それで急に後手がつぶれるということはなく、本局でもそうなったが細かい神経戦になる方法だ。竜王戦という大きい将棋、なおかつ時間も長い将棋で用いるには△8一飛より明らかに適している。
以上は私の仮説に過ぎないが、どちらにせよ、渡辺はこういうことを細心に考慮した上で戦術を緻密に組み立てて選択したような気がする。そして、実際に成功した。やはり、今回も2手目△8四歩とした正統派の側面と、その上で戦略を張り巡らせる実戦派的側面がうまく噛み合ったといえそうだ。竜王戦全体を通じて、渡辺の作戦の組み立て方は見事だった。
そうはいっても、後手がはっきりよくなったわけではなく、二日目も難解な戦いが続いたが、本局もそうだが、渡辺の大胆かつ手厚い指し回しと受けに羽生が手を焼くという展開が、竜王戦全体を通じて目立った。簡単に言えば渡辺の地力がすごくて、最近になっても力を伸ばしたということなのだろう。羽生がこんなに苦しむのも本当に珍しかった。
しかし、渡辺の強さを率直に認めて敬意を払う一方で、今回の羽生が最後までどこかおかしくてちくはぐだった印象を与えたのも事実だ。今回で言うと、▲3五歩と早めに動いたのが波紋を呼んで、結局羽生は端をつめられてしまい、最後までそれが響く形になった。初日に渡辺流の△5二金の手待ちの有効性を認めて▲4六角と手放して、さらにあまりれ打ちたくなさそうな▲4五歩も打って、辛抱して見事に局面の均衡を保った(ここら辺は羽生の柔軟な大局観のよさが出ていたように思う)のだから、ここでも自然に▲5六歩と突いて息長く辛抱強く指せばどうだったのだろうかと、素人ながら素朴に感じた。感想戦の棋譜コメントには今のところ言及がないし、▲5六歩だと何かイヤな筋があったのかもしれないが。
この順に象徴されるように、今回の竜王戦全体を通じて、羽生が攻め急いだり、単調になったり、短気になる局面が多かったように素人なりに感じた。一番目立ったのは、第二局で桂馬を馬で食いちぎって激しく攻め立てたことだが、まるで羽生は何者かに追い立てられているのかのように錯覚するようなところもあった。
羽生も第三局から第五局の終盤で見せたように、鬼気迫る的確な追い上げぶりはいつもらしかったが、そこに至る中盤から終盤の入り口の組み立てにややあせりめいたものが感じられたのだ。一昨年の竜王戦も死闘になったが、あの時は両者とも存分に力を発揮しているという印象で、どちらかの状態が悪いなどとは全然思わなかった。
勿論、そのように仕向けた渡辺の手厚い指し回しが絶品だったし何よりも褒めてしかるべきなのだろうが、やはり今回の羽生は万全のベストだったとは言いがたいように感じる。渡辺の方は充実しきっていて、特に竜王戦では存分に力を発揮するので、羽生も万全の状態でもう一度戦わせて見たいと、どうしても考えてしまう。
立会いの桐山清澄先生が、BSで今回の羽生さんを第一局からテレビで見続けていて、いつもと違って勝ちたいという気持ちが強く出すぎているように感じたと指摘されていた。まさしく、そのような感じである。一昨年のこともあり、「永世七冠」もかかっている。いくら感情のコントロールの達人の羽生でも、手に余る部分があったとしてもおかしくはないだろう。
以下はごく個人的な話になって恐縮だが、かくいう私も、羽生ファンの一人として今回ばかりは「永世七冠」だけはとにかくなんとか獲得してもらいたいと思って、今までになかったくらい勝敗にこだわって応援してしまっていた。いくら羽生といえども、そんなにしょっちゅうチャンスがめぐってくるわけではないので。
しかし、そういう考え方がよくなかったのかもしれないとも思う。羽生は今まで七冠を初めとしてありとあらゆる記録をなし遂げてしまった。物理的に年月のかかる勝ち星をのぞけば、もう永世七冠くらいしか残っていない。だから、早くその記録を決めてあとは気楽に戦ってもらいたいなどと考えたのだが、そういう目標は一つくらい残しておいた方が動機付けになっていい。パズルの最後の一枚は楽しみにとっておけば良い。
勿論、私はいつになるかは分からないが羽生が必ず永世七冠を達成すると信じている。しかし、万が一の万が一、ほとんどありえない話だが、羽生が永世七冠を得られなかったとしても、私が伝記映画「HABU YOSHIHARU」を撮る際には、「市民ケーン」のラストのようになぞめいた伝説的なエピソードとして使うことが可能ではないか。
羽生さんにも、そう考えてもらって次は永世七冠のことなんか、これっぽっちも考えないで戦っていただきたいと思う。あくまで、対戦相手との戦いを存分に楽しんでもらって。「3月のライオン」で、宗谷名人がライバル隈倉九段のことを、「お互いにお互いが相手のことを、力いっぱいブン回しても壊れないおもちゃだと思っている」ように。

 
2.「これからの10年間」

竜王戦の最中に、豊島将之が過酷極まりない王将リーグを抜け出して挑戦を決めた。ついに、渡辺よりも、さらに若い世代のタイトル戦登場である。
さてタイトルの「これからの10年間」は、やはり梅田の第80期棋聖戦第一局のリアルタイム観戦記「割れる大局観」の中の第一部から使わせていただいた。(「どう羽生」にも収録)そこで梅田は棋士を世代別に「羽生世代」「ちょっと下の世代」「渡辺竜王を中心とする世代」「もっと若い世代」に分類している。つまり、「もっと若い世代」に属する豊島が、いよいよ桧舞台に立つ日が出現したわけである。
王将リーグは、羽生、森内俊之、佐藤康光の「羽生世代」3人、深浦康市、三浦弘行の「ちょっと下の世代」2人、渡辺の「渡辺世代」が1人に豊島が加わった7人だった。この総当りリーグで豊島が挑戦したのは画期的な出来事である。かつての羽生世代ダイナスティに陰りが見えてきたところに、一気に一番若い世代の人間が突き抜けてみせた。最終局は、「羽生世代」の佐藤を豊島が破って挑戦を決めるという劇的な結末になった。「世代交代」を象徴する出来事とも解釈したくなるだろう。
しかし、事はそんなに単純ではない。豊島は別として、王将リーグの結果を振り返るとまさに星の潰しあいである。羽生は豊島に敗れ、渡辺は豊島に勝ったが、その渡辺は、佐藤や三浦というそれぞれの世代の棋士に敗れていて、その関係は実に込み入っている。どの世代がどの世代に強いとは言えない関係なのだ。つまり、普通の「世代交代」というのは若い者が年老いた者を追いやるのだが、現在の将棋界においては、各世代の実力が均衡して大差がない、まさに「戦国時代」なのである。
なぜそういうことになるのか。要するに「羽生世代」が歳をとっても強いからだ。普通は歳が上のほうが衰えるのだが、将棋に対して若い頃から真摯にかつ現代的な科学的な方法で一番ストイックに取組んできた人たち=「羽生世代」がいる限り、それより若い世代は決して楽が出来ない仕組みになっているのである。不惑の年齢にさしかかりつつある彼らは、今までのように栄華を一身に集めることは不可能でも、相変わらず将棋界の一番のキー・ジェネレーションでありつづけるだろう、というのが私の見方だ。
とはいえ、王将戦以上に世代交代的な現象が顕著だったのが棋王戦である。挑戦者決定トーナメントのベスト8に羽生世代が一人も残らなかった。但し若手だけで占拠されたというわけではなく、羽生世代より上の「谷川世代」に近い高橋、あるいは「ちょっと下」の丸山、若い世代より上の窪田の3人が残っている。これも、世代交代というよりはやはり「戦国時代」と解釈した方が正確そうだ。
そして、王将戦も棋王戦でも「羽生世代ではない」挑戦者を受けて立つのは「ちょっと下の世代」の久保利明である。この世代は常に板ばさみで苦労が多そうだ。
つまり、現在の将棋界は、若い世代の猛烈な押しあげが起きているが、単純な若返り現象ではなく、各世代が均衡しつつ、むしろそれぞれの世代から抜け出す個が光を放つ戦国の個人武将の時代なのだ。むしろ、世代別による勢力均衡図がどんどん無効化され、個人の力だけがものをいう時代になりつつあるのかもしれない。そして、その傾向は「これからの10年間」で、どんどん加速していくのではないだろうか。これからは、世代ではなく個の存在感や個性の時代だと私は考える。そして、伸びゆく若い世代には勿論、逆に羽生世代にも全ての優れた棋士にはチャンスがあるのではないだろうか。

さて、そういう時代において羽生と渡辺はどのような位置を締めることになるのだろうか。
まず、渡辺は、文句なく新時代の最有力の天下統一武将候補になるだろう。実力は今回の竜王戦で示した通りである。現在は竜王位しか保持していないが、その実力を考えると、複数タイトルを獲得するのは時間の問題のようにも思える。何より若くてこれから一番脂がのった時期を迎えるのが強みだ。今までの、木村時代、大山時代、中原時代、羽生時代の次に来る名前の最有力候補は勿論「渡辺明」である。
しかしながら、渡辺にとって苦しいのは、今まで述べてきた通りに、他の世代にあまりにもライバルが多すぎることだろう。古い時代に遡るほど、第一人者の実力が突出していて、彼らはごく少ないライバルを徹底的に叩き潰すことだけに専念すればよかった。それだけで、自分の王座は安泰だったのだ。しかし、羽生時代以降は、将棋が個人芸でなく共同的な科学研究にも似た世界になり、その叡智が共有化されたために、棋士のレベル差が著しく小さくなり第一人者も倒さなければいけないライバルが山ほど多くなってしまった。そして、その事態は時代を追うごとに加速化していく。なおかつ、羽生世代以降は年齢による衰えが小さい。従って、渡辺にとっては厳しい条件ばかり揃いすぎている。つまり、木村時代と現在の時代では、棋士を取り巻く環境があまりにも違いすぎるのだ。その中で渡辺が、どの程度「渡辺時代」を築けるかにも大いに注目したいところである。
一方の羽生、そういう意味では今まで僅差の実力差に取り囲まれながら圧倒的な実績を羽生が残してきたことにこそ、一番驚くべきなのかもしれない。つまり、それまでの第一人者の時代とは違い、羽生自らが先頭に立って将棋の研究体系化を推し進め、将棋を個人芸から知識共有型の科学に変えてきた。しかも自分の得た知識をある程度意識的に開示して、周りのレベルをお引き上げ、その力を借りてさらに自分のレベルを上げることを行ってきた。自分が独占的な第一人者でいられる条件を、自分からどんどん放棄してきたようなものだ。それなのに、なぜ圧倒的な「羽生時代」を築き上げることがなぜ出来たのだろうか。「どう羽生」はやはり簡単に解明できるような問題ではなさそうだ。
それでは、これからの羽生はどういう位置を占めていくのだろうか。不惑を迎えて、当然今後は体力という基本要素との戦いが付き纏うだろう。そして、渡辺をはじめとして今までよりも強力な若いライバルに多く直面することにもなるだろう。しかし、羽生はそういう事態に対処する能力を持ち合わせていると思う。羽生の最近の発言を考えても、あたかもこういう時が来るのをあらかじめ予測して、その対処方法を探ってきたようにも思える。
ある時は、現代の徹底的な研究将棋を逆手にとって、その定跡の穴を突いたり(竜王戦の最初の二局で見事にやって見せたように)、逆に定跡のない道の将棋に天才的な局面の初期把握能力を発揮したりしてくれるだろう。
今月の将棋世界の糸谷哲郎の自戦記で、羽生が実戦では現れなかった意外な手を感想戦で指摘し、その研究外の手がパッと見の印象と異なり実に有効なのに糸谷が驚いたことを率直に書いていた。一昨年の竜王戦第一局が有名だが、羽生の他の誰にも真似できない独特の深い大局観も、今後大きな武器の一つになっていくはずだ。
羽生が時代の大きなうねりに直面しながらも、むしろめそれを楽しむかのようにどのように対応してくれるかが私は楽しみでならないのである。
先ほど、第一人者の時代について触れた。勿論、木村も大山も中原も偉大この上ない棋士だし、渡辺もその列に自分名前を連ねることになるかもしれない。しかし、羽生はそうした第一人者達の中にあっても特別な存在である。将棋自体の質を根本的な転換し、なおかつ羽生善治という存在にしかありえない唯一人だけの個性を輝かしく放っている。将棋界においてのみならず、羽生はワン・アンド・オンリーな稀有な存在なのだ。たとえ、今まで通りのような独占的な「羽生時代」ではなくなっても、その圧倒的な存在感は羽生が将棋をやめるまでは決して失われないはずである。

最後にまた少しだけ個人的なことを書いておこう。私は羽生ファンである。「どう羽生」で梅田が最終的に誰もが「将棋界全体」を愛するようになればいいと書いていた。そのことと個人の棋士だけを愛することは果たして矛盾するのだろうか
そんなことはない。人間を全体として皆愛していても、それぞれが特別に深い結びつきや関わり持ち付深く愛する特別に人を持ち、その両者が消して矛盾しないゆように。
羽生のことだけを特別に愛するという行為は、むしろ将棋の世界全体を深く愛することを可能にするはずだ。誰かを深く愛さないと、人類全体を愛すことなど不可能なように。
最近痛感するのだが、結局私は羽生世代のことが一番好きなようである。羽生世代全盛時には、それが当り前すぎて見えなかったが、先にも述べたように、将棋に対する常にストイックな姿勢や、島朗の名言(というか本のタイトル)のように「純粋なるもの」たる他には見られないような澄みきった人間性。それでいて、人間味がないわけでなく、明るくてユーモア溢れるとてつもなく気持ちのよい人たち。いわゆる「ちょっとしたの世代」も羽生世代に近親憎悪的な屈折的な感情を抱きながらも、基本的には羽生世代の影響を色濃く受けた素晴らしい人たちだ。そして、それらを代表するのが羽生なのであるる
たまたま、私の場合は、それが羽生であるだけだ。それぞれの将棋ファンが、それぞれ愛する棋士をみつけて、とことんその棋士を深く愛せばいい。そうすることでこそ、あるいは、そうすることによってのみ、本当に将棋の世界全体を愛することが可能になるだろう。
地球は愛の惑星なのだ。




ザ・死闘 ー2010竜王戦第五局 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト。

大変な将棋だった。終盤も、とてもきわどくて現時点では△2四角右ではなく精算して△6二銀打とすれば、難解ながらも羽生善治にも勝ちがあったということである。
ただ、生中継されていた時もそうだったが、その前に既に羽生が逆転したのではないかというムードだった。確かに渡辺明が▲7一龍と入ったあたりでは、それでは苦しくて羽生勝ちになったのではないかと素人ながら感じたのである。チャット解説でもそういわれていた。
なので、実は私も何か羽生の明快な勝ち筋がないかと、GPSツイッターや私の手元にある弱いけど詰み検索だけは可能なソフトを参考にして調べてみたのである。そして、泥沼にはまって現在に至りブログ更新が遅れたというわけである。そんなに簡単に勝ちになる順は発見できなかった。勿論、その原因の大半は私の弱さなのだけれど、局面自体が感覚的な判断より実はまだ難しかったしいうことも少しはあるのではないだろうか。
例えば、どこかで△7七歩と入れる筋が、チャット解説でも指摘されていたし、GPSも何度も主張していた。しかし、タイミングが難しくて、想像以上に▲6一金の筋が厳しくて間に合わないように感じた。本譜の最後に出てきた▲5一角で△2四角を抜く筋や、あるいは△3三玉と逃げても、王手をかけながら自玉を安全にしながら相手玉に詰めろをかける筋などがあって複雑怪奇である。逆に羽生側からすると、先に渡辺玉の辺りで精算してから△2四角とするタイミングも色々あって、結局弱い素人には、その複雑なパズルの組み合わせに眩暈がして断念せざるをえなかったのである。
もっとも、プロがよく調べれば、もう少し早い時点での羽生の明快な勝ち筋がみつかってもおかしくはないとは思うが。
最後の終わり方はあっけなかったが、一分将棋で今述べた様々な組み合わせを全て読みきるのは至難の業だったのではないだろうか。羽生にしても、最後△3三玉と逃げる筋がありそうで実は自分が負けと読みきる超絶した能力があったために、分かりやすい負け筋を選んでしまったということなのだろう。渡辺もその筋はちゃんと読んでいた。当り前だが二人とも本当に強い。
また、冒頭の勝ち筋も、無理やり受ける上に、先手に山ほど金銀をもたれて、いかにも後手玉が詰みそうなので(実際には詰まないそうだが)、実戦ではものすごく指しにくかったのではないだろうか。
羽生の追い上げは見事で、特に怪しげな△3七歩とか、△4五歩をゆっくり間に合わせて相手のあせりを誘おうとする終盤の技術は流石だった。普通の相手なら、「羽生マジック」の餌食になっていただろう。
しかし、渡辺も見事だった。▲7七桂から、あせらず遊び駒を活用し、▲7一龍から▲9一龍と時間差での活用。羽生に負けず劣らず落ち着いていた。本当にこの二人の終盤は見ごたえがある。「レベル高すぎ」、なのだ。
というわけで、羽生逆転ムードだったけれども、良く調べるともしかすると逆転までには至っていなかったのかもしれない。野球で言うと、7回までは10-0で勝っていたが、猛追されて10-9まで来たが、やはりそれまでの大量リードが大きすぎたという感じだろうか。同じく野球風に言うならば、明日につがる敗戦だったということにもなるだろう。
それにしても、羽生を負かすのは本当に大変である。「どうして羽生さんだけを負かすのが、そんなに大変なんですか?」である。
とはいえ、羽生も、流石に毎回毎回こう苦しい将棋を追い上げる展開ではしんどいだろう。次は、序盤中盤でリードを奪いたいところだろう。逆に言えば、渡辺の指し回しが冴えていて、渡辺とすれば次もリードを奪いたいはずである。
第一局第二局こそ羽生が本調子でなく、内容に不満があったが、その後の三局はどれも名局続きである。羽生も、本局についてある多程度内容には納得しているはずだ。次局も名局を期待しよう。
ところで、BS中継では、地元案内のロケで杉本昌隆がろくろを回して形をくずして失敗する微笑ましいシーンが流されていた。杉本の笑顔は、映画「千駄ヶ谷 天使の詩」(仮題)にふさわしい、憎めない素晴らしいものであった。


2手目△8四歩問題ー2010竜王戦第四局 渡辺竜王vs羽生名人

梅田望夫の新刊「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」の中で羽生善治は一手損でない通常の角換わりの将棋の現状にについて次のように俯瞰的に述べている。
角換わり同型の研究は水面下で続いています。ただ、どの研究も「ああこの変化も後手ダメだったか」という発見が続くばかりなんです。研究が進んでいるといえば進んでいるんですけれど、後手の「ダメの上塗り」なんで。
(中略)
島さんの『角換わり腰掛け銀研究』の中で、腰掛け銀の後手番の、色々なマイナーなラインのすべてが書かれていましたよね。(中略)そういう後手の試みがことごとく全部ダメだってことがはっきりして、やっぱり角換わりの後手で戦えるのは同型だけだね、っていうことになったんですけど、いよいよ同型も旗色が悪くなってきた。それが、2手目△8四歩をめぐる進化の状況だと思います。
なるべく引用が長くなりすぎないように、これでも必要な部分にまで削ったつもりである。この章で羽生や深浦康市が語っている内容はコアな将棋ファンにとっても大変興味深いはずだ。一方で、羽生が将棋の内容を語る途中で豹変して、その「狂気」の一端を垣間見せる瞬間・・。いや、ここはこの本の書評をする場ではなかった。
さて、第四局はその角換わり腰掛け銀になった。戦前から渡辺明が後手番の際に大変注目されていた形だ。一昨年の渡辺の後手番では急戦矢倉が奏功して竜王防衛のポイントになった。今回、渡辺は角換わりで竜王戦のためだけに何かあたためているのではないか、様々な憶測を呼んでいたところである。
竜王戦の最中の王将リーグでこの二人は対戦し、やはり角換わり腰掛け銀同型になった。
後手番で角換わり腰掛け銀・先後同型。▲4四角成(富岡流)の勝率が高く有力視されていますが、その一手前に△2八馬ではなく△4三銀▲2五桂△2八馬以下の展開。17年前に1局だけ前例がある形から受け方を変化。前例よりはむしろ自然な手なので新手と言うほどではありませんが、是非はこれからの研究次第です。
(渡辺明ブログ  王将リーグ4回戦、羽生名人戦。 より)
羽生も梅田本の中で▲4四角成(富岡流)の優秀性を認めており、同型の重要ポイントと位置づけているのだが、そこに渡辺は果敢にチャレンジし、勝利もおさめたのである。
当然、これは竜王戦の重要な伏線になる。羽生がこの形を指す場合、当然のこの対局の変化について徹底的に研究して納得できる結論を出してから対局に臨むだろう。
そして、この第四局でも相腰掛け銀にまでは進んだ。ところが、・・・である。渡辺は相腰掛け銀同型を回避してその前に変化した。実に渡辺らしい緻密で用意周到な戦略家ぶりである。王将リーグでは、同型で研究がありますよと羽生にみせつけて注意を惹いておいて、本番の竜王戦ではヒラリと身をかわして、その前で変化する。渡辺の希代の作戦家ぶりが遺憾なく発揮されたといえるだろう。
しかし、そういう戦略家としての側面以外に見逃せないのは、渡辺が現在数少ない2手目△8四歩を追求する王道を行く正統派の棋士であるということだ。冒頭の羽生の言葉のように、2手目に△8四歩と指すということは、角代わりを覚悟するということとイコールである。なおかつ、現在は全般的に後手が苦しいのではないかという風潮であるにもかかわらず、渡辺は堂々と受けて立っている数少ない棋士の一人だ。そういう棋士が現在竜王でいるという事実は決して軽視してはならないだろう。
今回の作戦選択にしても、羽生の言う、ことごとくダメだとされつつある「マイナーなライン」の一つである。しかも、ほとんど先手が勝っている。そこに、渡辺は異議申し立てをして後手も指せるのではないかと敢然と立ち上がったのである。第一局と第二局では、羽生が渡辺と同じことを従来の定跡に対して行ったのだが、それを今回は渡辺がお返ししてやったわけである。
羽生と渡辺はタイプが全然違う。羽生はいつまでたっても超然とした真理追求者といった趣きがあるが、渡辺はもっと現実主義の戦略家であり人間くさい。別に昼食で、豚丼ンやかつめしを立て続けに食したことを言っているわけではないので念のため。
いや、そんなことを私は言いたかったのではない。二人はタイプこそ違うが、将棋に対する志の高さでは共通しているのだ。人真似でなく、定跡に自分の力で疑問を持ち、竜王戦という最高の舞台でぶつけてきた。まさしく、竜王と名人の名にふさわしい二人が戦っているのだ。
梅田本の中で、羽生は棋聖戦で後手の深浦が2手目△8四歩として角換わりにチャレンジしてきたのに対して「どういう新手を用意しているのが楽しみで仕方なかった」と述懐している。タイトル戦の最中にそんな風に考える羽生も羽生である。この言葉の延長で考えると、羽生はこう考えているとみて間違いないのではないだろうか。
渡辺さんは、2手目△8四歩と指してくれるので、角換わりの将棋が指せる。どんな研究、工夫をぶつけてくるのか、もう楽しみで仕方ない、と。
だから、戦略家の渡辺が同型ではなくその前に変化しても、多分「してやられた」とは思わずにこう考えたのではないだろうか。
ほとんどダメなマイナーの形なのに、これなら渡辺さんは指せると考えているのか。しかも、先手がほとんど勝っているのに。もう楽しくて仕方ない、と。
羽生という真理追求者に対して、戦略家の渡辺も結果的には真理追求の共犯者の役割を背負わされてしまっている。勿論、そんな結果になるのは、二人とも将棋に対する志が恐ろしく高いからだ。羽生と深浦が相思相愛だと言われたことがあったが、羽生と渡辺も――多分二人とも厭で仕方ないだろうが――否応なく恋人であらざるを得ないのだ。恐らく。




一歩千金ー2010竜王戦第三局 渡辺竜王vs羽生名人

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丸山忠久は第一次のブームの際に△8五飛戦法で勝ち星を荒稼ぎしていたが、ある時からパッタリと後手で指すのをやめた。なんでも、後手だとどうしても歩の数が足りなくなるからということだったらしい。当たり前だが、横歩取りなのだから先手は歩をパクリと取れる。それに対して後手が△8五飛を採用すると横歩は取らないが先手が飛車を2筋に戻す手間を利用して攻勢をかける。ただ、攻める際に小技を使うためにはどうしても歩が必要なので、常にその点が問題になる。横歩取り△8五飛戦法について極端に単純化して原理を述べるとこういうことになるのかもしれない。本局は、まさしくその後手の歩の数がポイントになった。
ということで、ひたすら歩の数の動きのみを追ってみよう。
先手が横歩を取る(15手目)。これで先手が一歩プラス。
後手が△7五歩の突き捨てをいれて先手が取って(37手目)、先手二歩プラス。
後手が△7六歩(62手目)と桂頭に打って、既にこの時点で後手の駒台に歩がなくなる。歩切れである。
先手が▲6五桂と後手の歩を取って(67手目)、先手三歩プラス。
後手が△7六の歩を7七に成り捨てて(68手目)、先手四歩プラス。
先手が▲5三桂成と歩を取って(71手目)、先手五歩プラス。
後手が2七に銀を打ち込んで精算して先手が歩を取り(79手目)、先手六歩プラス。
この時点で、後手は持ち駒が歩切れなだけでなく、盤上にも9三、4三、1三の三枚の歩しかなくなってしまう。このように後手がひたすら歩損を重ねながらなんとか細い攻めをつなごうとする将棋だったのである。まさしく横歩取り△8五飛の本質的な戦い。
「同歩、同歩」の森下卓は、ある時テレビ解説で歩損についてこのように説明していた。
ーーー 一歩損すると、歩の数が9対9から、8対10になります。二歩損すると7対11、三歩損で6対12・・・。つまり、一歩損するのは2歩差がつくことで、どんどん加速度的に差が開いていくのです。
「駒得は裏切らない」である。本局では、歩の数は渡辺明15羽生善治3というところまで行ったのだ。その時点で駒わりは羽生が金香交換で駒得なのだが、とてもそんなことでは追いつきそうもない歩の数の差である。歩切れが痛すぎる。
例えば、 その79手目の時点で、仮に後手が一歩でも持駒に持っていたとしたらどうだろう。すかさず、△2六歩と叩いて取れば飛車金両取りで角が打てるので飛車先を押さえ込める。後々7七や6六に叩いて攻めることも可能だろうし、じっと2三に受けておく事も出来るだろう。多分一歩でも持って入れば、後手が完全に優勢なのではないだろうか。それくらい歩切れが痛い。
そして、渡辺の主張はその点に尽きるし、実際うまく指していたのだと思う。
後手も金銀四枚が玉についていて堅いのだが、歩のふたがない。歩は将棋の皮膚だとよく言われるが、羽生の囲いは内臓だけ健常だが皮膚がなくてむき出しの状態だったわけである。攻められたら、ひとたまりもない。
羽生の歩切れをついて、渡辺はどんどんリードを広げて後は仕上げだけかというところまでこぎつけた。渡辺自身は感想戦では、当然対局者として慎重なコメントをしていたが、やはりある時点では感覚的にはかなり優勢を意識していたのではないだろうか。
問題は93手目の▲7八銀のところだったそうである。▲4五角とすると、後手は△6七金と歩をちぎって△2三歩と受けることになる。金と歩を交換しての非常手段だ。感想コメントによると、それでも難しいというが、冷静に調べると先手がよくなる順が発見されてもおかしくなさそうではある。それとも、実際は意外に難しかったのだろうか。93手目の棋譜コメントに「先手勝勢」の中継ブログ記事がはられているのが、なんとも皮肉だ。
本譜は▲7八銀と打ったために羽生に△7五金とされて一気に難しくなったそうである。こんなクソ忙しい終盤に、じっと金を引いて一歩を補充するだけの手である。しかし、本局に限ってはそれが、まさしく一歩千金となった。見て来た通りに歩の数と歩切れが常にポイントの将棋だったので、黙って歩を補充させてはいけなかったということなのだろうか、と結果論でいうのは簡単なのだが・・。△7五金は、いかにも羽生らしい、じっと慌てない手でもあった。本シリーズ初めてだろう。羽生流の感覚と現実の一歩獲得の必要性が偶然マッチしたのが、渡辺には不運だったのかもしれない。▲7八銀は結果的によく調べると疑問だっただけで、いわゆるポカとか悪手といった手では決してないだろう。
とはいえ、まだ羽生がよくなったわけではない。取った歩をすかさず2三に打って自陣を堅くすると(本当に歩を一枚打つだけで様相が一変するので不思議だ。)、今度は切りこんでいく。
△7五金と同じくらい印象的だったのが△7四飛。▲6三角成とされるのは承知の上で、とにかく攻めかかろうとする手である。結果的には▲6八桂があったので成否は微妙だが、とにかく羽生らしい「決断力」を示した一手だった。流れとして厳しかったところが、自玉が一瞬安全になったので、もうとにかくチャンスを逃さずに攻めかかるしかないと考えたのだろうか。
渡辺第二の疑問手は▲2四歩。▲2八飛で受かると考えてしまったそうだが、▲6八桂とすべきだったとのこと。但しそう打っても難しいらしい。本当に将棋は簡単じゃない。
その時点で逆転したが、渡辺第三の疑問手は△2九飛に受け方を間違ったこと。▲4九桂から▲3八金と受けていればまだ長期戦だったらしい。
渡辺は、竜王戦では本当に強い。第一第二局では、羽生が明らかに不出来だったとはいえ、終盤の強気で正確な手順は圧巻だった。たまたま、タイトル戦名が竜王戦だが、とてつもなく力強くて手のつけられない生命体ーードラゴンのようである。渡辺は竜王戦では、その名の通りドラゴンに変身するのだ、とジョークで言いたくなるくらいの強さなのである。
本局については、まず第一の疑問手▲7八銀については、結果論で責めるのは酷という気がする。逆にも勝着になってもおかしくないというレベルの手だ。第二の疑問手▲2四歩については、普通の疑問手。受けに誤算があったので仕方ない。ただ、第三の疑問手については渡辺らしくない凡ミス。やはり流れがおかしくなってでたので普段の渡辺ならこんなミスは絶対にしないだろう。
つまり、流石のドラゴンも、本局ばかりは段々変身が解けて最後は人間に戻ってしまった、というのが私のいいたかったつまらない第二のジョークである。第三のジョークはない。
とにかく、流れの変化のこわさを感じずにはいられない将棋だった。渡辺が歩を一枚一枚稼いで、それこそ皮膚をはぐようにじわじわと羽生を追いこんで行ったが、羽生が歩をたった一枚手に入れたその瞬間に流れの向きが逆方向に変り、一筋の水の流がどんどん太くなって奔流となって渡辺に襲いかかり、さすがの渡辺もその流れをとどめる事が出来ず、最後は一気に押し流されてしまった。そのきっかけが、たった一枚の歩。これぐらい「一歩千金」という言葉がピッタリくる将棋もないだろう。
これで第一局と第二局は渡辺の逆転勝ち、第三局は羽生の逆転勝ちである。全棋士中でも極端に逆転負けの少ないこの二人にしては信じられない展開である。それだけ、二人とも逆転力が凄いのだろう。
本局については、羽生は勿論素晴らしかったし、渡辺には不本意なところもあるだろが、少なくとも自分で勝手にころんだわけではないので見ごたえのある将棋だった。ファンもこういう将棋を見続けたいだろう。
渡辺ファンも羽生ファンも、一局ごとにもつれ、そして多分第七局まで続くしんどいシリーズを覚悟しなければならないのではないだろうか。




コロンブスの卵だけに割れちゃったかー2010竜王戦第二局 渡辺竜王vs羽生名人

いきなりタイトルがオヤジギャグで申し訳ないのだけれども、今週の週刊将棋のバトルロイヤル風間氏の四コマでも、羽生善治が里見香奈に対してダジャレを言って里見が「羽生先生がオヤジギャグなんてー」と泣くというネタだったのである。羽生ももう不惑ということで。
さて(何がさてだ)、今回はくだらないーー失礼間違いました、我々国民にとっては決して欠かすことの出来ない素晴らしいことこの上ない国会中継ともぶつからずに全て将棋中継も予定通りあった。なんせ全部で5時間以上である。将棋ファンにとってはありがたいことである。録画を全部見るのも大変で、こうして感想を書くのが遅れてしまった。決して私が羽生ファンなので、まったく見る気がしなかったわけではないのである。−−−−うううぅぅぅぅぅぅ・・。
でも、初日の二人の事前インタビューからして、なかなか面白かった。
渡辺明に対して羽生への意識の変化について
ーー(特に変わりないが)最近は対局も一昨年以来そこそこあるので、特に相手が羽生さんだからといって構えることはなくなっていると思う。
羽生に対しても渡辺に対する意識について
ーー竜王戦に慣れているという印象があるが、ただ竜王戦以外のところではほとんど戦っていることがないので違いが良く分からない。
念のために断っておくと、羽生の最後の答えは質問者が「二日制で渡辺と戦うと違いを感じるか」と聞いたのに対して素直に羽生流で答えただけである。渡辺にしても同様で、事実をありのままに述べただけである。それ以上でもそれ以下でもない。
そこに、二人の間に目に見えない火花が散っているように感じてしまう、あるいは散っているのだと考えたくて仕方がない私の心が卑しいだけであります、ハイ。
さて(だから何がさてだ)、初日は羽生の▲1五香が立会いの島朗評するところの「コロンブスの卵」だった。先に香車を走っておくことで飛車が3五に走ったときに、歩を受けられても桂成から1五の香を取る事が出来て攻めをつなぐことができる。「コロンブスの卵」というのは島らしい名評で、ちょっとした手順の工夫で全く局面の景色が一変してしまう羽生らしい柔軟な発想だった。
第一局の△4五角から△2三歩といい、従来あまりよくないとされていたり、勝率がよくない変化に飛び込んで行って、そこに独自の羽生の感性と発想で従来の見解を変えてしまった。ここまでは、二局とも羽生のよさが出ていた。
羽生が将棋世界の名人戦総括インタビューで、研究というのは最後まで一直線に調べるのでなく、様々な分岐のどれを選ぶべきかを考えることだと述べていたが、二局とも正しい準備で正しい分岐を選んでいたといえるのではないだろうか。ただ、将棋はそれだけでは終わらない、多少よくなっても勝ちきるのが大変なのである。
初日のBS中継では、解説の森内俊之と聞き手の中村桃子、NHKの長野アナが福島観光をしていた。松尾芭蕉が江戸時代に入ったという「鯖湖湯」に立ち寄っていた。その隣に薬師如来像があり、なんでもお湯をかけて体の直したい部分をさすると効果があるそうである。森内は薬師如来の頭の部分をさすっていた。
「最近頭が弱くなっているので。」ということだそうである。やはり森内の他の棋士同様天使である。
さて(だから何が)、問題の二日目の展開について。
色々な事が囁かれているようである。羽生は不調なのではないか、いやそれを通り越して乱調なのではないか。やはり永世七冠へのプレッシャーなのか。渡辺のことを羽生らしくなく人間的に意識しすぎているのではないだろうか。気合が入りすぎで全然自分の将棋を指せていない。やはり羽生も人の子だったのか、等々。
私も生中継を見ている際には似たようなことを感じた。しかし、感想戦のコメントや将棋の内容を具体的に考えるとそうでもないような気が今はしている。
特に▲8四馬とバッサリ切ってしまったのには誰もが驚いた。いくらなんでもやりすぎだろうと。しかし、その後の展開をみると渡辺が普通に受けると、それなりに攻めがつながった可能性もあるようである。それを渡辺は△2五成銀と、ちょっと意表の受け方をした。控え室の評判は芳しくなかった手である。
実際、羽生が▲5七角から▲8四香と羽生らしく曲線的に盤面全体を使って指せばそれなりに難しかったようである。しかし、羽生は直接的に攻めに行って、攻めが細くなりその後はきわどくて難しいながらも渡辺勝ちのコースに入ったようである。
つまり、流石に無理のように見えた▲8四馬だけれども、その後の展開次第では成立していたかもしれないのである。「暴発」と「英断」は紙一重だ。あの馬切りは羽生にしか指せない手で、結果はかんばしくなかったが、実はそれほど悪い手ではなかったのではないかという気がしている。その辺の真相については、深く調べた上での専門誌の考察をまたないと素人には判断できないけれど。
とはいえ、将棋は結果が全てだ。二日目の羽生の指し方全般について、さすがに羽生らしくて素晴らしかったとは言うことはできない。それは恐らくご本人が一番感じていることなのだろう。
最後に一つブログ記事を紹介しておこう。

きよきよのしょうぎばんblog 真夜中に愚痴を吐く

このブログ主のきよきよ氏は、24でも5段になった実力の持ち主である。読んでいただければお分かりの通り、歯に衣着せぬ発言をされる方である。私などは気弱な性格なのでなんだかんだいって(これでも)色々遠慮して書いているのだけれど、本来我々一般ファンはこれくらいのことは書いてもいいのではないかと私は思っている。私の大好きな将棋ブログの一つだ。
とはいえ、勿論きよきよさんの「羽生さんも弱くなった」という意見には、さすがに私は同意しかねるよ(笑)。勿論、羽生さんも年齢との戦いがつきまとうだろうし昔みたいに終盤全く間違えないということは難しいのかもしれない。しかし、それを補う竜王戦の初日で見せている大局観とか、あるいは終盤での若い頃にもなかった一種の嗅覚の鋭さとかを、少なくとも私は信じている。
でも、この将棋の二日目を見る限り、きよきよさんのような見方のほうが素直なのかもしれない。というか、私はこのきよきよさんの(ある種羽生さんへの愛情に満ちた)記事を羽生さんに読ませてみたいのだ。
羽生さんなら、ニコニコしながら「そうですか、私も弱くなったんですか」と朗らかに言いなだら、眼鏡の奥の目をキラリと光らせて、第三局以降、きよきよさんに一言たりとも文句をいわせず、グーの音もでないくらいの完璧な将棋を指してくれると思うからだ。
そして、それこそ、きよきよさんが誰よりも望んでいることのはずだから・・。

パリの再現になりかけたのを阻止した竜王の底力ー2010竜王戦第一局第二日 渡辺竜王vs羽生名人

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羽生善治の△2三歩を二日目のチャット解説の佐藤康光は「驚異の大局観」と評した。そういえば一昨年のパリ対局の解説も佐藤だった。というわけで、いやが応にも「パリの再現か」と盛り上がらずにはいられなかったのである。
香損で馬もつくられているのに、じっと控えて△2三に歩を受けておいて指せるという大局観は尋常ではない。この一手を見られただけでよかった。形勢については、これで後手が指せるという控え室の評判だったが、今日の囲碁将棋ジャーナルで山崎隆之は先手をもちたいと述べていた。意見が分かれるところなのだろうが、少なくとも難しくて後手も指せることだけは間違いない。初日の段階での、一体羽生はどうするつもりなんだろう、普通に考えると先手が良くなりそうという雰囲気との違いを考えると、やはり羽生の大局観が素晴らしかったということになる。渡辺明が(もう少し後の局面でだが)素直にちょっと苦しいと認めて逆に羽生は自信がなっかたようだったのが皮肉だった。そのあたりで渡辺が対局室で一人「体育座り」をするタイムリー?な写真も中継ブログにアップされていたのである。
つまり、もしまだ形勢が微妙だとしても、初日からの流れだけで言うと渡辺にとってはイヤな感じだったはずだが、その後の渡辺の粘り方、力強い終盤が本局では特に見事だったとしか言いようがない。やはり、羽生相手にこれだけ終盤で渡り合えるのは渡辺しかいないと感じさせる内容だった。
控え室には早咲アマがいらっしゃっていたのだが、羽生の△2三歩、△2三金という評判のよい手を次々に的中させていた。その早咲さんが、羽生が△1一歩を指す前に言われていたコメントが実に印象的だった。
「ここで△1一歩は絶対にやらないです。そうやって勝ちに行くのはおかしい。飛車、馬、香を相手にして勝ちにいく手は指しません。△5二歩もおかしい。△7六歩が本筋です」(早咲アマ)--57手目棋譜コメントより
なるほどそういう風に考えるものなのかと心底納得させられた。羽生は△1一歩としたわけだが、羽生も勿論こういう考え方が本筋と理解していて△7六歩も考慮したようだが、気になる変化があって断念したようである。徹底的に読みを入れた上であまり筋がよさそうではない△1一歩を選択したのも羽生らしい。筋や常識にとらわれずに指すのが羽生の持ち味だからだ。ただ、感想戦の検討では、やはり△7六歩がまさっていたようである。今回の早咲さんはお見事だったとしか言いようがない。
渡辺も▲2一金という異筋の、しかし妙手で迫って楽をさせない。客観的な形勢はとも角として、この辺では渡辺自身は少し苦しいと感じていたようなので、離されないようについていく技術は流石だった。そもそもこういうのは昔は羽生の専売特許だったのだが。
この辺りで、△2二玉としてその後先手に▲1一飛成とさせたは素人としては分かりにくいところだった。何と言っても飛車に成られてしまうのが大きすぎるように見える。GPSもこの手に「激怒」していたようだが、実際はどうだったのだろう。今日の囲碁将棋ジャーナルでは、山崎が△1四香▲3六飛△2五角▲4三成香と後手玉が狭い状態で迫られるので香車は打ちにくいのではないかと述べていた。
終盤では△4四玉と△2五玉の二択もあったようだ。BSのダイジェストで三浦弘行が△2五玉以下に触れていた。以下▲3六金△1六玉▲3五金が▲3八角以下の詰めろだが、そこで△5七歩成▲同銀とすれば詰めろがはずれて△7七桂成で難しいということだった。いきなり王手角取りされて指しにくそうだが、棋譜コメントにもあったが一昨年の第四局のようなとんでもない展開になっていた可能性もあったのかもしれない。
さて、最終盤。棋譜コメントでスルーされているので、みなさん同様私も正確なことがサッパリ分からないのだ。ただGPSが、渡辺の▲7一竜から▲4七金までの順の手を全て的中させていた。トッププロが検討していてなかなか気づかない▲3六銀から▲4七金の、おそらく渡辺が勝ちを決めた素晴らしく力強い受け手順も、当たり前のように読んでいた。しかも、評価値でも完全に先手勝ちというレベルの判断をしていた。この辺りでは、結局色々した後に渡辺玉が詰むかどうかがポイントになるようで、それを簡単には読みきれないので人間のプロもなかなかはっきり判断できないようである。しかし、もしGPSの読みの中に、コンピューターでは絶対的な詰みの読みが加味されていて正しいものなのだとしたら恐ろしいと思う。トッププロが全然見えていない終盤を読みきれていることになるからだ。この辺も実際のところがどうなっていたのがすごく気になる。
今日のジャーナルでも、山崎が△5五香とせずに、△5七角成▲同金△4五桂▲3五角△3三玉▲2五銀で先手玉がどうなのかと述べていた。という辺りもGPSは果たして先手の不詰みを読みきっていたのだろうか。(私には詰むかどうかもも分からない。)
とにもかくにも、羽生の素晴らしい大局観、渡辺の終盤の競り合いの強さ、と両者の持ち味が出た将棋だった。やはり、この二人の将棋は(当たり前だが)とてつもなくレベルが高いと誰もが感じたのではないだろうか。
次局以降も楽しみである。

パリの再現?あるいは?ー2010竜王戦第一局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

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初日から激しい将棋で手数もかなり進んだ。その様子を観ながら一昨年のことを思い出していたのだが、やはりあの時も初日からのっぴきならない局面に突入することが多かった。どうもこの二人が対面すると、何か不可抗力の化学反応が起きて激しい火花が散るようである。互いに譲れないものを誰よりも強く内側に持っていて、それが二人があい対すると外に露骨に出てきてしまうようでもある。見ている側からするとワクワクドキドキする。こうでなくっちゃいけない。
振り駒で渡辺先手に。かつては、羽生はこういう振り駒でも絶対的に強いという「神話」もあったのだが、最近は特にそういうこともないようである。後手の羽生が採用したのは△8五飛戦法だった。名人戦でも多用していて、羽生の中では後手番において最重要戦法という位置づけなのだろう。
早めに△5二玉としたのが羽生の構想・趣向で、相手の出方次第で6三にきかしているのを生かしたり、本譜のように△4一玉と対応しようという、いかにも現代的な作戦、指し方である。自分の態度をなるべく決めないで相手の出方に応ずるという現代感覚。但し、△4一玉だと手損になるわけで、渡辺はそれを真っ向からとがめる指し方に出た。合理的な渡辺と柔軟な考え方をする羽生の特徴がよく出ていると言えるのかもしれない。
前例通りに進んで△4五角が羽生新手だそうである。しかし、解説の深浦が即座に既に水面下で研究済で先手良しとされていることを指摘。いやはや、現代の研究は恐ろしい。BS解説で三浦もこの局面を考えたことがあると話していた。
当然、両対局者も研究会などを通じてそれは知っていると考えるのが自然だろう。そして渡辺がこうつぶやく。
「これはどういうことだ?」
先手が有利とされるのに、なぜ羽生は角を打ってきたのだろう。一昨年の竜王戦第一局のパリ対局でも、明らかに渡辺が有利と思える順で羽生だけが指せると見抜いていた名局があった。羽生の大局観の秀逸さが証明された将棋だ。渡辺の頭の中には、その将棋のことがよぎったのかもしれない。なぜ、平然とこんな角を打ってくる?、また何かあるのか、と一瞬は疑心暗鬼になったのかもしれない。
しかし、その後の渡辺の指し方が実にらしかった。そうした不安を一切打ち消し否定するかのように、一直線に最強の順へと踏み込んでいく。「そんなパリのようなことは何度もないですよ。こう指せばあなた、一体どうするんですか。」と言わんばかりに。指し手だけでなく渡辺の精神面の強さを感じずにはいられなかった。
封じ手局面、プロは先手を持ちたいが、羽生が何も用意してないはずはないと考えているようである。やはり羽生の信用は絶大だ。他の棋士がこう指したら「やっちゃった」と評価されてもおかしくはない局面なだけに。
パリの再現?あるいは?については明日にならないと分からない。
ちなみに、最後も羽生が当然の手で封じたのもらしかった。有名な話だが渡辺は封じ手も重要な戦略的ポイントと捉えている。もし、後手が渡辺だったらもう一手指して相手に考えさせ迷わせて封じ手させることも考えたのかもしれない。実行するかどうかはともかくとして選択肢として。羽生は封じ手については全く戦略的なことは考えずに、その場の流れに任せるタイプなのだろう。

対局中に、羽生が記録係をずっと見ているシーンがあったようである。羽生との「恋愛流」と評されることもある?深浦が、すかさず「これが羽生睨みですね」とチャチャを入れる。(その深浦も王位転落を自らネタにするなど、なかなかのものである。)羽生睨みについては、羽生との対談で柳瀬氏が、対局室に観戦記者としている時に何もしないのに羽生に睨みつけられることがあると話されていたのを思い出した。羽生にしてみれば、全く無意識で将棋に没頭しているから起こる現象のようである。思考の「深い海」に潜ってしまっている状態なのだろう。

他にも、三浦が長崎の坂道を素敵な笑顔で歩いていたり、杉本が最後まで一般公開されていることを認識しないまま、誠実きわまりないチャット解説をしていたり、相変わらずプロ棋士たちは天使ぶりを発揮していた。

我が家のように振舞う渡辺明を久々に見たー2010竜王戦第一局前夜 渡辺竜王vs羽生名人

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若干二十歳で竜王戦に登場した頃から、渡辺明は「対局場などで我が家のように振舞う」と評されていた。恐るべき神経の太さ、大物だという評判だったのである。
その後、渡辺にはそういう図太さがあると同時に大変な繊細さも兼ね備えていることが段々分かってきた。堂々と振舞うのも、相手に弱みを見せてはいけないという意識的な計算に裏打ちされており、意識的にそういうことを実際に実行できる強さがあるのだ。最近、王位を獲得した広瀬章人とはタイプが違う。広瀬の場合は、全て自然に無意識に行動してそのまま図太いタイプのような気がする。意識的な「強さ」と天然の「強さ」。
渡辺も竜王はもう六期目なので、余裕があっても不思議ではない。だが、それにしても、である。中継ブログにアップされている渡辺明の移動や検分の様子が、恐ろしいくらいに明るくて自然で堂々としているのだ。それこそ、我が家にいるように振舞っている。
もしかすると、それはいつもの事なのかもしれない。そういえば、一昨年のパリ対局でも恐ろしくリラックスしていて競馬場見学を前日にして、解説の佐藤康光を驚かせ、苦笑させたこともあったっけ。
なぜ、私がそんなことを話すのかというと、渡辺明の事前のテレビ出演や取材を見ていると、今回の竜王戦に内心とても自信を持っているような気がして仕方ないからだ。
それは、もしかすると、いつもの相手に弱みを見せない意識的な渡辺流の振る舞いなのかもしれない。正直私には分からない。
でも、例えば将棋世界のインタビューで渡辺はこんなことを言っている。
(一応「毎回自信はありません。」と前置きしながら)5連覇が大きな区切りでしたが、それを越えた今は1期でも多く防衛し、後の人が簡単に破れない記録を作りたいと思っています。
もし自信がないなら、果たしてこんなことを言うだろうか。相手は羽生善治である、最強の挑戦者なのだが、今期は結果と内容がまさに騎虎の勢いである。勝率は8割程度、名人戦、棋聖戦、王座戦は全てストレート防衛、竜王戦挑決でも最盛期の久保を△3六歩の名手などで圧倒した。羽生の調子は、一昨年とは明らかに違うのだ。
当然、5連覇をなし遂げている自信もあるだろう。特に羽生世代の代表の佐藤康光と森内俊之を二度ずつ負かしているのだ。しかし、今回の相手は羽生善治である。
ここからは私の勝手な想像である。今年の羽生のタイトル戦はスコアこそ一方的になったが、終盤は実は際どい将棋も多かった(特に名人戦)。対戦相手がギリギリのところで間違えるケースも実は目立ったのだ。渡辺は、当然それらの対局を見ていただろう。もしかすると自分なら勝ちきれたと考えたこともあったのではないだろうか。
その点大きいのは、やはり一昨年の竜王戦の第四局と第七局である。あの壮絶な競り合いの将棋を渡辺はものにしている。羽生相手でも終盤の力勝負でもやれるという感覚を抱いていても不思議ではないだろう。こう考えると、渡辺が現在ものすごい勢いの羽生に対して自信、とまではいわなくても十分やれると考えていても不思議ではないと私は思うのだ。
勿論、渡辺も自信満々というわけではないかもしれない。また、最強の羽生が最高の状態で来たので、最初から開き直って力を出せばいいと考えているだけかもしれないが。むしろ、そのほうが素直な見方かもしれない。
それと、一昨年に羽生の永世七冠を露骨に期待する一般ジャーナリズムに対して渡辺は猛烈な反発心、反骨心を発揮したことがある。今年も状況は変わらない。渡辺は、そういう状況をバネにして力に変えるタイプなのだ。
渡辺のことを書いているだけで既に長くなった。羽生善治については、追々書いていくことにらしよう。と言っても、羽生については、本当にいつも通りなのだが。
最後に、将棋世界の羽生の事前インタビューから、一箇所だけ紹介しておこう。当たり前なのだから、一対一の人間の勝負なのだから、渡辺明の言葉と羽生善治の言葉は既に正面衝突している。
ーー初代永世竜王を逃した悔しさはありますか?
いやぁ、特にありません。なれれば初代でも2代でもどちらでも構いません(笑)。

竜王と名人、羽生善治と渡辺明ーー二度目の竜王戦対決

糸谷哲郎は「将棋にイデアがあるか」と訊ねられて、不敵な笑みを浮かべて「ないですよ。」答えた。(NHKテキスト・2010/5-観戦記、後藤元気記者より)
現代の哲学青年の糸谷が今時プラトンのイデアでもねーだろ、と思ったのかどうかは知らない。ただ、糸谷の将棋、というよりは現代将棋を見ていると、まさしくイデアなき世界である。どこかにある理想世界に恋焦がれるのではなく、それどころか理想とは無縁な秩序や常識が崩壊した、プラトンをはるかに通り越した「神は死んだ」世界の何でもありのカオス状態だ。そんな現代将棋においてイデアのような理想主義の入り込む余地はない。糸谷は哲学を専攻しているのだから、当然「思想」的にもそう考えそうだが、そんなこととは関係なく現代将棋自体が、まるで現代哲学を反映しているかのようである。むろん、こうした比喩は無意味なのかもしれないが、不思議に現代将棋は他の世界の出来ごとにーー単なる偶然にすぎないのかもしれないがーー酷似しているのである。と何を書きたいのか分からないまま書き出している、・・と小林秀雄を真似てみたが、私の場合は本当に何も考えてないのだ。

羽生善治はイメージだけで言ってしまうと「イデアリスト」である。現実の将棋を指しながらも、どことなく俗世とは無縁な美しい天上の真善美の別世界ーーイデアーーを想起しているようなところがある。「将棋の神」を常に意識しながら現世の将棋を指している将棋の神官。
というのは、あくまでイメージに過ぎない。確かに若き日の羽生には、イデアとは言わないまでも将棋の理想、真理がどこかにあると信じて、それを爽快に科学的に追求するといったところがあった。あくまで将棋は将棋というゲームであって、技術が全てで人間的な要素は一切関係ない、と。
しかし、ある時期から羽生善治の言うことにある種の変化が生じる。将棋以外の人間的な要素についての言及が増えてくる。大山康晴が、盤を眺めていながら、ほとんど手を読んでないようにみえて自然に急所に手がいく「大局観」。あるいは、将棋は自分だけが良い手を指してしても相手がいるのだから、どうしても「他力」がつきまとうという考え方。人生の達人風の羽生の言辞は、場合によっては若き日の「科学的な」羽生からの堕落、逃避行動にも思えるだろう。しかし、羽生の場合、決して科学的な真理の追求のしんどさを放棄したわけでなく、今でもそういう態度は維持しつつ、それだけでは分からない部分を真剣に考えているだけなのだ。恐らく。決して抽象的な思考ではなく、あくまで将棋に即してきわめて具体的に考えながら。
羽生善治は、イデア主義者であることを放棄したのかもしれない。なぜなら、将棋の世界は相手があってこそ成立する世界だから。キリスト教のように神と私の絶対的自我的存在で成立するのではなく、むしろ仏教的な縁、関係性、無我によってのみ成り立つ世界だから。そもそも、イデアという仮説の立て方が根本的にまちがっているのではないか。羽生善治は現代将棋にに羽生らしく柔軟に対応しながら、そんなことを考えているのではないだろうかか。羽生善治も、きわめて実践的に将棋と取組みながら、現代的な問題意識と向き合っているようにも思える。
但し、羽生が糸谷とは違うのは、イデアを否定しながらも、それでもどことなく不可視の真善美の世界に対するそこはかとない憧れを常に感じさせてしまうところである。

渡辺明。常にとことんリアリストである。「イデア」、なんですかそれは。私のこの種の駄文も恐らく彼にとっては全く無意味であり、全否定、酷評の対象だろう。今週の週刊将棋のインタビューも実に渡辺らしくて面白かった。
調子の良し悪しというものはないです。 (中略)調子がいいというと自分の実力以上のものが出ている偶然のニュアンスを含みますし、調子が悪いというと自分のむ力はこんなはずではないという言い訳みたいなので、どっちを答えるのも嫌なんです。
タイトル戦で見るべきところは盤上の技術だと思っています。
こんな調子である。イデアリストに対して徹底的なリアリストであり、プラグマティスとでもある。これが渡辺明の面白いところだと私は考えている。余計な遊びや誤魔化しを一切排した将棋そのものを、とことん追求しそれと向き合おうという姿勢。
渡辺の「すきあらば穴熊」の思想もそそんな所と関係している。現実主義なのだ。だからと言って、志が低いわけではない。むしろ、将棋については合理的な理論的な整合性をとことん追求するタイプである。例えば、角換わりにしても、大流行の一手損は好まず普通の角換わりを追求している。現実的には、一手損が流行して有利なのだが、その理論的根拠のなさに納得がいかず、むしろ苦労の多い通常角換わりでは後手が指せる筈だと理論的に考えているのだろう。
だから、渡辺は糸谷の現代性と似ているようで実は違う。糸谷は一手損が好きだし、恐らく「理論的理想」など最初から相手にしていない。しかし、渡辺は、−−むしろ若き日の羽生のようにーー将棋の理論的合理的真理を信じているようなところがあるのだ。
渡辺明は、実は現代将棋の申し子ではないと私は思う。むしろ、今の本当の若手と違って、愚直なまでに古風なところがある棋士だと考えている。リアリストでありながら、内心の奥深いところではイデアリストなのではないだろうか。

明後日から竜王戦が始まる。えっ、私の言いたかったこと?
イディアリストとかそんなことは全く関係ないし、また現代将棋という抽象的な概念では括ることが不可能な、個性際立つ魅力的な「人間」同士の対決だということさ。
最初からこれだけ言えばよかったんだ。

第23期竜王戦の挑戦者決まるー渡辺vs羽生再び

昨日の挑戦者決定戦の終局直後に渡辺竜王がおそるべき迅速さでブログ記事を更新していた。

渡辺明ブログ 挑戦者決まる。

いきなり勝手な想像だが、この更新速度をみると、竜王は第一局の羽生の△3六歩をみて、既にある程度覚悟をきめていたのではないだろうか。そして、「反響が大きかった2年前に負けない勝負が出来るように頑張ります。」と、静かな調子ながらも既にやる気十分である。羽生相手だからだといって全然ひるんでいない。こうでなくっちゃ、いけません。

さて、今期の展望は、また改めてじっくり書くこととして(笑)、今日は一昨年のあの伝説的歴史的名シリーズを私のブログ記事で振り返ろうという読者の皆様にはハタ迷惑な企画である。一昨年は私も熱狂して取り憑かれたようにブログを書きまくったので、記事の出来栄えは別にして、以下を読んでいただければ一昨年に起きたことを一通り理解できるはずである?

羽生と渡辺の物語が長い中断を経て今再び始まる
一昨年に書いた事前展望記事。羽生と渡辺のそれまでの物語を総括しています。なお、この記事はあるアルファ・ブロガーの方の目に止まりアルファ・ブロガー・アワードにノミネートされたが、当然のように落選したといういわく因縁つきの記事でもある。

いきなり世代対決=将棋思想対決にー竜王戦第一局 渡辺竜王vs羽生名人
パリで開幕した第一局は羽生の大局観がきわだつ名局となった。梅田望夫氏のリアルタイム観戦記を参照しつつ、二人の大局観、世代の感覚違いをあますところく鋭く分析する名記事である。(今思いつきで決めたのだが、こんな調子で自画自賛調で紹介していきます。加藤一二三先生の自戦解説のように。)

Let's take in Shogi! ―梅田望夫の竜王戦特別観戦記
梅田望夫氏のリアルタイム観戦記は私にとって触媒効果を常に発揮する。将棋のことをより自由に気ままに書くように触発されるのだ。梅田氏に勝るとも劣らない才気煥発にして自由奔放な巨匠(ツイッターの一部で私はこのように呼ばれている。最初はかなり恥ずかしかったが今は一種の半蔑称的愛称だと思って諦めている。そしてついにじぶんで自分をこう呼び出したので末期症状だ)の名人芸を堪能されたい。

歴史は繰り返す ー竜王戦第四局第二日 渡辺竜王vs羽生名人
ターニングポイントとなった第四局の記事。この一勝の意義について、羽生vs谷川のタイトル戦をひいて解説する巨匠の歴史感覚の確かさに驚嘆する。(もうヤケです。)さらに、有名な妻の小言の記事へのリンクを張り忘れない抜け目のなさもさすがである。正直、このあと渡辺竜王が四連勝するとは私はこの時点では夢にも思っていない。

竜王戦第四局番外編―深浦vs山崎の掛け合い解説@BS中継
まさしく番外編。深浦王位が山崎七段の毒舌の犠牲になる模様を逐一報告した名作。抱腹絶倒ものである。巨匠のまとめ方のセンスが光る。

竜王戦第七局をめぐる幻想――渡辺明と羽生善治に捧げる
伝説の第七局に圧倒されて巨匠は真面目に将棋の記事を書く気がなくなり、なんと小説を書いてオマージュにするという暴挙に打って出たのであった。ちょっと改めて読み返したが、顔から火がでるくらい恥ずかしい。しかし、いかにも私らしい総括記事なので、敢えて紹介する次第である。もしかすると、少し私はMの気があるのかもしれない。

囲碁将棋ジャーナルの羽生善治
あの時、なんと羽生があの第七局をジャーナルで自戦解説する羽目になった。涙なくしては読めない珠玉の名記事。巨匠の羽生への愛情が滲む。いや、でもあの時の羽生さんは本当に立派だったよ。

正直者の強靭な勝負師――「情熱大陸」の渡辺明
この情熱大陸は、渡辺明の人間的魅力を紹介してあまりない傑作だった。これをみて竜王のファンになった方も多いのではないだろうか。そして、巨匠がさらに渡辺の人間的魅力を倍加するように見事にまとめている大傑作記事。まさしく、こんな記事は天才にしか書けないであろう。

やれやれ、自画自賛するというのも結構疲れるものですね。自然体で自画自賛できる加藤一二三先生の偉大さを再認識した次第であります。

にしても、よくもまぁ、これだけ書いていたものです。それだけ、一昨年の竜王戦は凄かった。

2010竜王戦挑決第一局 羽生三冠vs久保二冠

竜王戦中継サイトより第一局の棋譜

あまりに凄い将棋だったので久しぶりに個別の将棋について感想を書いてみる。

先手久保で石田流、対する後手の羽生は△4二玉から、わりと温和な対策。佐藤康光が久保式石田流に対して真っ向から叩き潰そうかとするような対策を採用しているとは対照的。羽生もそういう最前線の激しい対策に進んで踏み込むタイプなのだが、そういうのは佐藤に任そうということなのか、あるいは最初から飛車角乱舞の順が石田ペース久保ペースになるので好ましくないと思っているのか。
とはいっても羽生も早々に仕掛けたのだが、それに対する久保の対応がまず第一の驚愕であった。いきなり穴熊のふたの部分の歩をとらせて馬をつくらせるとは。
最近の将棋、特にゴキゲン中飛車では平気で馬をつくらせる順もよく生じる。▲7八金型の定跡もそうだし、久保も谷川との順位戦の指し直し局でいきなり馬をつくらせる順を採用していた。馬をつくらせたら無条件にまずいという従来の常識が崩壊しつつあり、久保はゴキゲンの使い手としてそのような「普通でない」感覚の指し方が得意なのだ。
しかしながらである。今回のは馬を作らせる場所が場所だ。さすがに今回ばかりは、この指し方に共感するプロはいなかったようだ。そうでなくては困るという感じもする。そして、実際に久保も少し困っていたようだ。
ところが、それでも進んでみるとそんなにはっきり居飛車がよいという局面にはならなかった。羽生にも後悔する手があったようだが、むしろ振り飛車に攻める権利があり、なおかつ十分指せそうな展開になったから驚きだ。本当に現代将棋は訳が分からない。
そして第二の驚愕。本局最大の驚愕、羽生の△3六歩!!
羽生のこうした種類の意表をつく手には我々だってある程度は慣れている。それにしても今回のは凄すぎた。いくらと金が出来るとはいっても、角がタダで取れるではないか。さらに手抜いていくらでも攻めることが出来そうではないか。羽生側の陣形だってお世辞にも安定しているようには見えない。羽生が指しているにしても、これはいくらなんでもムチャなのではないか、本当に大丈夫なんだろうか、そう多くのファンも思ったはずだ。私も正直そうだった。
中継ブログの記事によると「おかしいでしょ、こんな終盤で手を渡すなんて」という感想もあったとのこと。羽生が得意中の得意とする手渡し、この手は攻めてはいるので純粋な手渡しではないかもしれないけれども、先手に手抜きして攻められる危険が十分にあるし、角を入手されてしまうかもしれない。要するに先手に、どうぞあなたのお好きなようにどうとでもしてくださいという大胆不敵な手なのだ。
ところがよく調べてみると、どのようにやっても実は羽生玉が見かけとは違ってそんなに簡単には寄らない事が判明する。このクソ忙しい終盤において、下手をすると緩手中の緩手になりかねないこの△3六歩が間に合ってしまうのだ。久保は、手抜いて攻める順を選んだが、それが即敗着になってしまった。角を取っておけば難しかったようだが、それでも全然久保勝ちという感じではない。こんなある種の挑発をされれば、気分的には手抜いてとがめたくなるだろう。それが負けを早めてしまったというのだから皮肉すぎる。
ところで、羽生はどうやってこんな手を思いつくのだろうか。羽生の感想コメントによると、直接急いで攻めていく手だと、全然手がつながらないということである。
つまり、推測するとこういうことではないだろうか。羽生だって、さすがにまず厳しく攻める順から読んで調べた。しかしながら、どうしてもうまくいかない。ならば、何か攻めのスピードを緩めて相手に手を渡すような種類の指し方をするしかないではないか。ということで「必然的に」△3六歩しかないという結論に達したと。
我々は羽生の指し手に皆例外なく驚愕していたわけだが、羽生はこう言いたいのではないだろうか。
ーーいえ、だって厳しく攻める順がないんだから、こうするしかないじゃないですか。

羽生マジックと周囲は騒ぎ立てるけれども、今回も羽生からしてみれば種も仕掛けもない必然手を指しただけということなのだろうか。

竜王戦第三局渡辺竜王の名手△7九銀周辺のコンピューターソフトの読み

竜王戦第三局は、通常角換わりで先手を持って指せると考える森内と、いや後手を持って指せるという渡辺が真正面からぶつかり合う、いわば思想対決の様相を呈した。意地の張り合いのように前例のある将棋を猛烈なスピードで辿り、初日の封じ手時点で、既に二日目の夕方のような局面になっていた。森内の封じ手が新手で、金をそっと逃げておく意表の手。いかにも用意周到に準備し、満を持しての一着という感じで、森内にしてみれば、渾身の研究手であり、シリーズの流れを変える会心の一手になるはずだったのではないだろうか。しかし、その後に森内に予定変更があったこともあり、渡辺の堂々とした対応と切れ味鋭い寄せによって粉砕されてしまった。渡辺の充実ぶりがうかがわれる一局であり、単なる一勝という以上に、勝ち方の内容という点でも大きな意味を持つ一局であったように思われる。
ところで、終盤に渡辺が放った△7九銀が、控え室にいたそうそうたるプロの面々も気がつかなかった名手で、その場にもいた谷川の光速流のようだとも評された手である。ところが、実はtwitterでプロ将棋の解析をしているGPS将棋がこの手を指摘していた。そのことをtwitterで指摘していた人も数名いたし、またこのブログにもまとめられている。

将棋の神様〜0と1の世界〜 第22期竜王戦第3局:将棋ボット三強による終盤の読み筋まとめ

ここでは、さらにもう少し具体的にプロとソフトの比較をして簡単にまとめてみよう。残念ながら私自身に指し手自体を分析する力はないので、表面的ななデータの対照に過ぎないことをあらかじめお断りしておく。データとして使わせていただくのは以下の通りである。

第22期竜王戦中継サイト
NHK BSの阿部八段の解説
GPSのtwitter
Bonanzaのtwitter
大槻将棋のtwitter

93手目森内△3三角の局面
渡辺森内93手

プロの検討例△8七歩▲同金△3九飛▲4九歩△2三銀でどうか。
GPSの読み[(93) ▲3三角] -595 △3九飛▲4九歩△同飛成▲8八玉△7九銀▲9八玉△6八銀成▲同金△3八龍▲7八金打△7六歩 (136sec)
いきなり△3九飛と打つ手を当てている。ただ、プロの検討では以下▲8八玉△8七歩▲9八玉とされた時にどうすればよいかが分からないということであった。また、GPSは▲4九歩と中合いして飛車の守りを消す手を考えている(それだけでも凄いと思う)が、この順はBSで阿部八段も言及してして、ここで中合いすると堂々と取られて先手は歩切れになって▲2三歩と垂らす手がなくなってしまうので無効だと解説していた。先に△8七歩としてもらうと、既に一歩手に入れているので中合いしても、まだ歩が残っていて攻めに使えるということである。
ちなみに、ここでGPSが余計な▲4九歩を途中に入れてしまっているものの、既に△7九銀を指摘していることにも注目したい。

94手目渡辺△3九飛の局面
渡辺森内94手

プロは前述の通り、このように先に飛車を打つと△8七歩▲9八玉の時の後手の手が分からないとしている。この時点でも△7九銀はどのプロも見えていない。
GPSの読み[(94) △3九飛] -741 ▲8八玉△7九銀▲同金△8七歩▲7八玉△7六桂▲6九銀△6八桂成▲同銀上△7六歩▲2二歩 (39sec)
このようにこの時点でGPSのみが驚くことに正しい手順で渡辺の名手△7九銀を指摘していたのだ。
ちなみにBonanzaと大槻将棋は△7九銀でなく先に△8七歩を入れるように推奨していて、それで後手が十分指せるという形勢判断である。さらに、形勢判断ということでは、この辺りではまだプロもはっきりしたことをいえてないが、どのソフトも二日目が開始して数手の時点で既に後手の渡辺優勢という判断を早い段階でしている。数値化しての判断なのではっきりさせざるをえないのだが、興味深いところである。

95手目森内▲8八玉の局面
渡辺森内95手

プロの検討は前手と同じ状態。
ここでGPSは読みを変えてしまっている。[(95) ▲8八玉] -634 △8七歩▲9八玉△8八銀▲4九歩△3八飛成▲2三金△3一玉▲2四角成△7七銀不成▲同桂△7六桂 (171sec)
△7九銀でなく△8七歩を第一候補に変更している。プロは▲9八玉とされた時に分からないと言っているわけだが、GPSはこの順で後手良しといっているわけである。どうなのだろうか。どちらにしろ、人間と違って「分からない」で済まさずに必ず潔く読み筋を示してくれるのがコンピューターのありがたいところと言えるだろうか(笑)。
ちなみに大槻将棋もこの筋を読んでいる。
95 手目 ▲8八玉まで (後手優勢) [-1287] ▽8七歩打 ▲9八玉 ▽8八銀打 ▲7九歩打 ▽7九銀 ▲8七金 ▽6八成銀 ▲2三歩打 ▽3二金打 ▲2二金打 ▽2二金 ▲2二と ▽2二飛 ▲6八銀 ▽1九成桂 ▲2二馬 ▽2二玉 ▲4五成銀

96手目渡辺△7九銀の局面
渡辺森内96手

ここに至ってプロは驚き感動したというわけである。詳細については棋譜解説の山崎&阿部の漫才?を参照されたい。なぜ、この手が人間プロの盲点になったかについては、安用寺孝功六段が中継プログで分かりやすく解説している。
寄せに入る場合、銀、桂、歩と持っているなら、普通銀はとどめに残し、桂と歩で何か手を作ってと組み立てるのがセオリーです。△7九銀は全くの逆ですし、しかも自玉が裸ならなおさらです。
つい△8七歩打などに目が行き、いきなり自玉も危ない状態で銀を捨てていくのに心理的抵抗があって最初から読まないということなのだろう。
逆に言うとコンピューターには全く先入観がないので△7九銀も読めるというわけである。今回はGPSが見事的中させたが、当然Bonanzaも大槻将棋も読んでいて上位候補には入っていたはずで、最高点の分岐にはその手が入っていなかっただけということなのだと思う。
但し、ここまでの分析だけでも分かる通り、コンピューターのの場合、相当いい筋はをはずさず読んでくるが、ピンポイントで精密機械のように一筋の勝ち筋を発見するという感じではない。この後も渡辺竜王は最短の厳しい寄せで一気に森内を投了に追い込むのだが、ソフトは必ずしも渡辺のスマートな寄せをこの後も指摘出来ていない。但し、恐らくこうしても勝ちという筋はきちんと指摘しているようではある。
プロが分からないと言っていた先に△8七歩打を入れての▲9八玉の変化について、人間プロがどういう結論を出すのかもちょっと知りたいところである。本譜の渡辺の△7九銀が鮮やかかつベストであることは間違いないにしても、△8七歩打 ▲9八玉の変化でもやはり渡辺勝ちだったのかどうか。
個人的にはGPSが部分的に△7九銀を指摘したことよりも、3ソフトが口をそろえて指摘して後手が良しと判断し、人間が今ひとつ分からないとした△8七歩打 ▲9八玉がどうだったのか、コンピューターの判断がもしかすると正しかったのかどうかということの方が大きい問題のような気がするのである。
全体的な印象としては、本当のトッププロというのは、唯一それしかないという一筋の勝ち筋を、素晴らしい直感と読みで探り当てるのに対して、コンピューターは安定して最善手あるいはその周辺を積み重ねてくるという感じである。そのかわり、人間のように終盤でとてつもなく大きなミスは犯さない。実際、プロの将棋をソフトが解析していて、プロが大きな疑問手を指すと、たちまち敏感にソフトが反応するのを何度も目撃した。
例えて言えば、ゴルフでプロの人間が超ロングパットを天才的に一発で沈める力があるのに対して、コンピューターは一発で入れるのは無理でも、間違いなくピンそば50cm以内に寄せてくるとでも言うか。人間の場合ワンパットで決めることもあるかわりに、強く打ちすぎてグリーンからこぼれ落ちることもあるが、コンピューターはそういう「人間らしい」ミスは絶対犯さない。
どちらにしても、コンピューターがこれだけ強くなると、もはや無視するわけにはいかない事だけは確かである。

竜王戦第七局をめぐる幻想――渡辺明と羽生善治に捧げる

二人の勝負を見守っていたのは人間だけではない。
将棋の歴史上、最大の勝負が行われるという噂を聞きつけて、天に住む神々も、阿修羅も、畜生も、餓鬼も、地獄の住人も、こぞってかけつけてきた。普段は永遠の責め苦に苦しむ地獄の住人たちも、こういう特別な時だけは、神々の計らいによって一時の休息を与えられ、六道の世界全ての生きとし生ける者たちが、二人の勝負を見守ったのである。
二人の対局者以外に、きわめて重要な役割を担っている存在がいる。将棋の神様だ。天の世界では、残念ながらマイナーな存在に過ぎず、普段は肩身も狭く暮らしている。性格も地味でおとなしいのだが、この時ばかりは彼が主役である。我々人間が想像するのとは違って意外に口の悪い同僚の神々に散々冷やかされながらも、将棋の神様もまんざらではない様子である。
彼の役目は、勝負をある程度までは見守り、最後のところでどちらが勝つかを決めることである。彼がその権限を一手に握っている。
さあ、対局が始まった。
戦うために生きている阿修羅たちは、勿論のこと大喜びで叫ぶ。

――戦え、戦え、ひたすら殴りあいつぶしあえ!ボコボコにしてしまえ!やってまえ!

畜生たちは、残念ながら将棋を理解認識する能力を奪われているのだが、周りの普通でない雰囲気だけは感じ取ることが出来るのだ。

――ワンワン、ニャーニャー、モーモー、メーメー、ガアカア

ああ、喧しいったらありゃしない。
餓鬼や地獄の住人たちは、最初は大人しく見ていたが、すぐに本性が出てしまう。二人の気に入らない点を見つけて、口々にののしりだす。

――あんなやつ負けてしまえ!ああ気にくわねえ!くたばってしまえ!

しまいには、どちらが負けるかで賭けを始め、喧嘩小競り合いが絶えない。地獄の衆生は所詮地獄の衆生である。一時の休息を得てのんびり煙草をふかしていた閻魔大王が、あわてて仲裁に入る。
そんな騒ぎの中、対局はどんどん進んでいく。ことの他激しい展開である。もうすぐにも勝負が決まってもおかしくない。
神々が将棋の神様にちょっかいをだす。ここだけの話だが、六道の世界広しといえど、一番迷惑で厄介な存在は、実は天の神々なのである。

――ほら、もうは勝負を決めていいよ。やっぱりあの年上のほうに勝たせてやれよ。あの品格、将棋に対する真摯な姿勢、将棋の神に身を捧げきっているストイックな姿勢、立派じゃないか。

他の神が反論する。

――いやいや、あの若いやつが勝つべき。生意気そうだけど、本当はいいやつだ。将棋に対する姿勢も年上の奴と変わらないくらい真摯だ。しかも、いかに将棋が世間に受け入れるカなども、若いのに常に考えている。今後の時代を託すことが出来るのはヤツしかいないよ。なあ、将棋の神様さんよ。

寡黙な将棋の神様は、口も挟めずにただ当惑して聞くだけである。いや、将棋の神は、神々の意見だけを聞けばよいのではない。六界に生きる者たち全ての思考、感情を受け止め、考慮に入れなければいけないのである。
無論、将棋の神もそれら全てに耳を傾けることなど無理だ、しかし、六道の世界に生きる全ての生き物の、思考や考え感情は、巨大な雲になって、二人の対局者の上に黙々と立ち上っていて、それを見れば分かるようになっている。その、賞賛や敵意や尊敬や軽蔑や愛情や憎悪が混然一体となった巨大な雲は、刻々と微妙に豊かな色合い歩変化させていた。その壮観な姿は、対局に必死に打ち込む二人には、勿論あずかり知らぬところである。
そんなことをしている間にも、展開の速い将棋はもはや終盤の真っ只中である。
そろそろ、将棋の神様も覚悟を決めなければいけない。雲の様子を見て、さあどちらかを勝ちに決めようとする。ところが、その瞬間に雲の姿は急激に変化をとげ、将棋の神様は勝敗の裁定をするのを何度もためらう。同僚の神々も、将棋の神様が勝利を決めるポーズをとろうとするたびに茶々を入れて、やかましいこと限りない。いつまでたっても優柔不断な将棋の神様は裁定を下せないのであった。
可哀想なのは、そんなことをあずかりしらぬ二人の対局者である。普段ならとっくに終わっていいはずの将棋が、終盤戦に入ってもいつまでたっても終わらない。どちらかが勝ちになったかと思うと、相手が絶妙な勝負手を出して決まらない。普段なら、将棋を終わらせる技術では並ぶ者のない二人なのに、果てしなく将棋が続いていくのだ。
相変わらず、将棋の神様の立ち往生は続いていた。口さがない神々の猛口撃もとどまるところを知らない。
すると、突然、耐えに耐えていた大人しい将棋の神様はぶちきれてしまったのである。

――ええぃ、もうやってらんねえ。もうオレが決めるのなんかやめてやらあ。もう。あの二人の好きなようにやらせる。二人の力で、勝手に勝敗を決めてくれればいいよ。

天の神々の世界では、かつてないことが起きたのである。神々の仕事は、どうしようもない人間の運命や宿命を厳重に管理することである。その責務を神が放棄するなどというのは前代未聞である。あってはならないことだ。それまで将棋の神様を冷やかしていた他の神々も、今度は慌てふためいて、仕事をきちんと果たすようになだめに入る。しかし、本来とてつもない頑固者の将棋の神様は、頑として聞き入れないのである。
その間も、二人の対局は続いていく。本来なら、将棋の神様が責任を放棄したので、もうすぐにどちらかが勝ってしまってもおかしくない。
ところが、驚いたことに、その後も将棋は延々と続いて終わらないのであった。完全に二人の力だけにゆだねられた将棋も、将棋の神様の関与に関係なく、素晴らしい勝負がいつ果てることもなく繰り広げられたのである。
将棋の神様を翻意させようと必死だった他の神々も、人間二人の対局のただならぬ様子に気づく。そして、彼らも自分の仕事を忘れ果てて、すっかり夢中になって、人間二人の戦いに見入るのであった。神々だけではない、阿修羅も畜生も餓鬼も地獄の衆生も、今はシーンと静まり返って対局を見つめている。
すっかりへそを曲げてしまっていた将棋の神様まで、今は目を丸くして人間だけの力による勝負を注視している。
二人の頭上に広がっていた異様な姿の雲も、今は青空に広がる白雲のように、穏やかな姿を取り戻していた。
いつ果てるとも知らぬ二人の将棋にも、ついに終わりの時が来た。若い方が死力を振り絞って勝ったのだ。
その瞬間、六界は静寂に包まれたが、すぐに歓声に変わった。大騒ぎである。
戦いが好きでたまらない阿修羅たちも口々に、もうあの二人は良く戦った、ゆっくりして欲しいと、信じられないセリフを口に出し、畜生たちは、犬と猫、牛と馬、鶏と鴨がペアを組んで浮かれて踊りだし、餓鬼や地獄の衆生も、二人の戦いにすっかり感動して皆仲直りし、明日から自分たちも心を入れ替えようと誓い合うのだった。ただ、その傍で閻魔大王だけは、明日になればどうせ元通りさと、苦虫を噛み潰したような表情を変えないままでいたが。
神々が、将棋の神様に話しかける。

――オマエのしことは正しかったのかもしれないな。オレたちは、人間どもの能力を見くびりすぎていたのかもしれない。オレたちも、あんたみたいにもう少し人間たちに好きにやらせてもいいのかもしれないな。

将棋の神様は恥ずかしかった。自分はただきれて職務放棄しただけだったからである。

――いやぁ。

と、照れ笑いを浮かべて答えるのがやっとだった。
神々が将棋の神様を、飲みにいこうと誘う。ここだけの話だが、神々は人間など比較にならないくらいノンベイなのである。もともと決して嫌いでない将棋の神様も、やっと今度は晴れやかな笑顔を見せて答える。

――いいですね。

将棋の神様が他の神々と仲良く肩を組んで天のバーへ歩いていく。
ふと、将棋の神様がこちらを振り向いて、もう一度地上の二人の方を眺めやる。
二人は、もう普段の様子に戻って、笑顔さえ浮かべて感想戦の最中である。
将棋の神様がポソリとつぶやく。

――人間って、すごいな。

石を投げあってる?―竜王戦第七局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

また随分進んだ。「まだ分からないが、間違いなくどちらかがよくなっているはずの局面」である。初日でこういう局面まで進んだのは何局目だろう。お互い意地をはりあっているかのように、闘志を燃やしあっているかのように、ほとんど将棋を決めかねないような手についての決断が早い。本局では羽生が▲7五歩から仕掛けていき、▲8二歩の激しい後戻りのきかない順を選んだこと、渡辺が△5二飛とわりとはやく△6二飛でない方を選んだこと。
今まで、勝敗の動きがドラマティックすぎたので、そのことばかりに目を奪われていたが、やはりこの二人の場合、戦っている、深いところでぶつかっているという印象を受ける。表面上は決して敵対などしていなし、二人ともそういうことを決して口に出すタイプではないのだが、例えば、羽生vs森内、羽生vs佐藤とは、やはり雰囲気が全然違うような気がする。
14へ行け等でおなじみのdoublecrown氏が、第六局の結果を受けてこのような事をtwitterでつぶやいていた。
印象だけど、竜王戦は第1局を除きその他はどうもかみ合ってないような気がしてしょうがない。一度刃をあわせて以降、お互い遠くから石を投げ合っているような。お互い認めあい、勝負を楽しむ、といった雰囲気ではないなー。
私のような単純なファンは、つい勝敗の行方にのみ目が言ってしまうのだが、成る程なー、と感心し納得もした次第である。
将棋の内容自体で言うと、本シリーズでは第四局のあの歴史に残る終盤以外は、実は名局はひとつもないのだ。どちらかが一方的に勝った将棋ばかりである。
なぜ、そうなっているのか。
やはり二人は世代を代表するので、負けたくないのは当たり前だろう。羽生が同世代と戦う時も、負けたくないのは同じにしても、将棋を作りあげていく上での一種の共犯関係、密かな安心感のようなものがあるのかもしれない。しかし、羽生vs渡辺では、そういうものは多分ない。異質なもの同士のぶつかりあいである。
将棋自体に対する感覚も多分違う。それは第一局の大局観の違いで鮮明になった。羽生の世代が始めた将棋の合理主義を、渡辺世代はさらに徹底してシビアに推し進めた。羽生の第一局や第三局の勝ち方が、常識の隙をつくような大局観によるものだったのに対し、渡辺が勝った第五、六局は、奇をてらうことのない自然な手の合理的な積み重ねだった。
あるいは、二人とも優勢になった時の勝ち方が並外れて上手なのかもしれない。一度どちらかがよくなると、厳しく差が開く方向に力学が働き、二人といえどもそれに対抗するのが容易でなさそうである。
そして、二人の対照的な個性。まるで深遠な思索にふける哲学者のようなところのある羽生に対して、渡辺は徹底的な現実主義者である。読書を好む(好みそう)な羽生と競馬愛好家の渡辺。今日の事前インタビューでもそうだったが、常に超然としている羽生と、正直すぎるくらい開けっぴろげな渡辺。近代的な羽生と現代的な渡辺。
冷静に考えれば、二人の将棋がかみ合う要素など、最初からあまりないのだ。がっぷり四つの名勝負というより、異質な者同士がぶつかりあうスリリングを楽しむべきなのかもしれない。
などと書いていたら、第七局が大変かみ合った名局になったりしてね(笑)。まあ、そうなったら歓迎である。

直前の朝日杯オープンも面白かった。
羽生vs渡辺も、羽生の執念と渡辺の冷静がぶつかりあう異様な名局だったが、それ以上に、渡辺は初戦の畠山鎮戦で、なんと後手ゴキゲン中飛車を採用した。今年一度も指していないのだ。手の内を見せないにしても徹底している。もし負けたら何を言われるか分からないのに、思い切りがいい。しかも快勝。
だからといって、羽生もさすがに竜王戦でゴキゲンをしてくるとは考えないだろう。しかし、前局急戦矢倉に変化したこともあり、本戦の矢倉、急戦矢倉以外にも、後手で何をやってくるか分からないという印象くらいは持つだろう。そして、渡辺は恐らく相手がそう考えるであろう事まで考えるタイプなのだ。あくまで推測だが。
やはり本局では、変化すると見せて矢倉。しかし、急戦矢倉を連投したのは少し意外だった。第六局がうまく行き過ぎたので、柳の下のドジョウは二匹いないと考えそうなものである。しかし、渡辺は敢えて連投してきた。合理主義者の渡辺のことだから、きちんとした具体的成算があってのことなのだろうが、同時に微妙な心理戦にもなっている。
羽生が△3一玉に再チャレンジするかも注目だったが、あっさりかわして▲2五歩。
竜王戦第七曲aaaaa081217-h25手
しかし、この手自体は大変前例が多いそうである。ちょっと調べたが、羽生は先手をもってかなり多く指しており、なんと先手では全勝していた。特に後手で「剛直」郷田が、羽生相手にこの形を何度も指しており、勝ち星を献上し続けていたのが、いかにもらしくて笑ってしまった。(勿論、私はプロ棋士の使う完全なデータベースを持ってないので、あくまで限られたデータでの話です。)
そして、直後に指された△3三銀が、またしても「渡辺新手」。
この手についての藤井情報が面白い。棋譜plusから引用させていただく。
「渡辺さんが先手を持って研究会で指したらしいんです。僕は後手の若手からその話を聞きました。その若手はこの将棋の知識が少なくて、フラフラと△3三銀としたそうなんですが、渡辺さんは有力だと見たのでしょう」(藤井九段)
やはり水面下の研究会は大切なのである。現代将棋は情報戦でもあるのだが、気になるのは羽生がどの程度それをやっているのかということだ。多分情報戦というほどにはやってないのではないかと思う。そこも多分、羽生と渡辺の違いだ。
この辺については夕方のBSの藤井解説が分かりやすかった。要旨を再現すると、

△3三銀では、前例は全て△5四銀。つまり、後手としては5筋で頑張ったので、2筋は譲るというバランス感覚。△3三銀は、飛車先交換も許さないという欲張った手。
当然羽生は反発するが、以降の数手を見ると、渡辺のみ有効度の高い手を指している印象があり、先手なのにもかかわらず、なんとかしてとがめないといけないという、少しあせらされているという意味あいがある。
従って、羽生は動いていった。この展開なら、後手番としては、一方的に受身になるわけでもなくまずまずといえる。先手は香得したが、歩切れが大きいし、後手からの反撃も残る。

今回は藤井九段は、あまりはっきり形勢判断は言わなかったが’(何でもいつも言い過ぎて後で色々言われるのを気にしているらしい?)、やはり後手持ちというニュアンスが伝わってきた。
棋譜解説でも言われていたように、△6二飛として6筋から反撃してくる筋も気になったが、実際は△5二飛。これには、先手も香車を取って▲5九香とすえる味がよく、先手もまずまず戦えるのではないかということである。
弱い素人は、プロの言うことを素直に聞くしか出来ないわけだが、印象としては、後手番の作戦としては上出来だが、先手も▲5九香の展開ならまずまずで、少なくとも第六局のように後手がかなりよいというわけではないのではないかと感じた。

それにしても、この大一番で、矢倉解説にはもってこいの藤井九段を得たことは、我々にとって僥倖である。私は皮肉が言いたいのではない。順位戦で指している藤井の矢倉は、人真似でなく面白い。しかも、結果はともかく、どれも居飛車等の「老舗」相手に「屋台を出したばかり」なのに、常にいい(以上の)勝負になっている。解説を聞いていてもとても分かりやすいし、振り飛車に限らず、やはり序盤の感覚に鋭敏な先生なのだと思う。
矢倉に革命を起こすのは、従来の居飛車党ではなく藤井猛だと、素人なりに私はひそかに期待しているのである。

すべては聖地、天童へー竜王戦第六局第二日 渡辺竜王vs羽生名人(追記あり)

竜王戦中継サイト

大変なことになった。事実は小説より奇なり・・歴史の生き証人・・将棋史上に燦然と輝く名勝負・・優曇華が花開くのを目撃する稀有な幸福・・子孫代々語り継がれる・・、と既にうわ言をつぶやきだしている私である。

本局は渡辺の優れたところのみ出た将棋だった。一方羽生にはそれらしさが少しもないまま終わった。第三局と完全に逆のことが起こったわけである。
やはり、本局を決めたのは渡辺の新手△3一玉。あの場面で、羽生が▲6五歩を長考の末に断念せざるをえなくなった時点で既に成功といえるのだが、あの手の影響が、その後もずっと続いたように見える。
初日に羽生が2筋を交換して▲同角といったのは、やはり危険だったという感想が局後にあった。
竜王戦第六局aaaaaa081210-h39手

この手には渡辺が△3一玉と守ったに対して、攻撃的に指して得をしてとがめようとしたという意味があるようだ。BSで流れた感想戦で、羽生は▲6五歩を「つけなきゃおかしいと思った」と言っていた。しかし実際に読むと後手の攻めがつながることが分かり、断念せざるを得なかった。ある種のあせりや気負いが、羽生に必要以上に危険な手をその後も選ばせたと言ったら、うがちすぎだろうか。
さらに、封じ手の局面で羽生は長考に沈む。定刻六時になって、中村立会い人がそれを告げても、羽生は「えっ」という感じですぐには普通に答えなかったそうである。読みにまだ没頭しており、指す手もはっきりまとまっていなかったのかもしれない。
その日の夕食に、羽生はあまり箸をつけなかったそうである。局面の事が頭から離れなかったのだろう。そういうところが、羽生の自然体で正直なところでもある。そういう姿をまわりに見せるのは勝負師として好ましくないともいえる。渡辺も当然見るし、観察眼では抜け目のない男だから、羽生が苦しいと考えていることも敏感に察知するだろう。
翌日、渡辺は堂々と踏み込む順を選んだ。成算があるとしても、やはり決断が必要な順である。渡辺は、前日の羽生の姿を見て、自信を持って切りこめたのかもしれないのだ。
封じ手の▲3六歩は、控え室が予想していない手だった。ただ苦しいながらも本筋を行く手だそうで、羽生の場合は、多少苦しくてもそういう手を選択することが多いような気がする。名人戦の第五局でも、誰もが驚く最強の手で封じていた。結果的にはよくなかったが。あまり無理をして耐え忍ぶような手を指さないことが多いと思う。もっとも、場合によっては信じられないような辛抱をすることもあるので、羽生の場合一概には言えないのだが。
さらに、▲7七同金としたところでは、▲7七同桂の方がまさったという感想があった。
竜王戦第六局bbbbbb081210-h47手
本譜と同じように進み、▲2二歩に対して△同玉と応じる変化の場合、6七金と7七桂の働きが大きいということだそうである。従って、▲2二歩には△同金と応じることになるが、その場合は▲8二飛と打ち込み、本譜よりは余程難しいとの事。羽生が▲7七同金としたのは、▲2二歩に△同金とした場合に有利になる変化があったからだそうである。
つまり、対局者の頭の中では、かなり先まで様々な読みの分岐があり、その微妙なところにより最善手を逃してしまったということである。勝負の微妙なアヤともいえるが、普段の羽生だったら、苦しい中でも最善手を指したのではないだろうか。本局は、渡辺の△3一玉によって、羽生にとってはすっかり流れが悪くなり、それが終局まで続いてしまったような印象を受ける。

夕方のBS中継では、対局がすぐに終了したため、しばらく感想戦の模様を流していた。その際、長い棒の先にマイクをくくりつけたものを、盤側に延ばして音声を拾っていたので、二人の発言がクリアに聞けてよかった。途中できってしまっていたけど、出来れば感想戦を全部見たかった。でも、全部見て飽きないのはやっぱりマニアだけかな?(笑)

先ほども書いたが、羽生は、初日の夕方から、ほとんど食事が喉を通らなかったそうである。昨日の夕食もほとんど箸をつけず、朝食も残し、昼食もほとんどとらず。やはり、平常通りに見えても、大変な緊張状態で対局しているのだろう。

そういうところを、無理に隠そうとしないのが羽生らしいとも思う。相手に悟られないように、無理やり食べ物を詰めこむというような不自然なことを羽生には似合わない。あくまで、盤面の上の勝負がすべて。羽生的な勝負師的則面が発揮されるのも、あくまで将棋の上でのこと。はるか昔に谷川相手に上座を占めたのも、今回の名人戦で見せた鬼のような表情も、全て意識的に計算してしたのでなく、ごく自然に内面からあふれ出る気持ちの強さや情熱が外面まで溢れかえってしまっただけではないだろうか。今回弱みを回りにみせてしまったのも、ごく自然な羽生流だったのだろう。
羽生はどんな時でも、いつもと変わらないといわれるが、無理に平静を保つというのとは全然違う。今回の食事のこと一つとっても、張り詰めたギリギリの精神状態で将棋に接しているのだと痛感する。そういう極限的な危ういバランスの状態で、なおかつ客観的な態度で将棋の最善を尽くせるのが羽生流。
最高に熱く燃えたぎる状態で「玲瓏」な将棋を指すのが羽生の魅力である。第七局でも、そういう将棋をみせてくれることだろう。

一方の渡辺。第四局で一つ返してくれたときは、ファンとして正直ホッとしてしまっていた。羽生が谷川に対して三連敗の後一つ返したのと同じで、とにかく形はついたし、今後につながったのでよかったと。正直に告白してしまう、こんなに巻き返すとは思ってなかった(笑)。やはり、一度流れをつかんだときそれを逃さないし、凡人のように一つ勝ったからいいやなどとは、全く考えないのだろう。そうでなければ、こんなに見事な将棋を二局続けて指せるわけがない。
結果的には両局とも完勝だが、羽生の場合は途轍もなく劣勢な将棋を逆転し続けることで、今までの多くのタイトル戦を乗りきってきた。それを、ほとんど付け入る隙を与えずに勝ちきれているのも、やはり渡辺の強さ、将棋の厳しさの証拠だろう。羽生といえども、渡辺相手だとなかなか大逆転勝ちをするというわけにはいかないのではないだろうか。振り返れば、羽生が三連勝したのも、全て順当に勝ちきった将棋ばかりである。
しかし、渡辺だって、負けて平然としていたわけではない。特に渡辺の場合はブログをしているので、第三局直後は、落ち込んでいるのがかなりはっきり伝わってきて痛々しいくらいだった。第三局の後、当日の最終の新幹線で帰ったそうだが、その様子が妻の小言にも書かれていて、ちょっと読んでいてグッ゛と来るものがあった。プロ棋士というのは、本当に大変な仕事だと思う。その分、勝ったときの喜びも大きいのだろうけれど。
今回BSでは時間が余ったので、過去局の様子を流していたが、第三局の投了の際、ああいう色々な意味でつらい負けにもかかわらず、渡辺ははっきり「負けました」と言葉に出し、少しも悪びれた様子も見せず、とても立派な態度だった。羽生も、本局はつらすぎる負け方だったが、BSで流れた感想戦では、いつもの研究者の姿に戻って淡々と振舞っていた。二人とも、負けた時の姿まで美しい。

さて、第七局。

勝ったほうが初代永世竜王。
羽生が勝てば永世七冠。
渡辺が勝てば、将棋界初の三連敗後の四連勝。

将棋の神様は、随分とド派手好みの演出家のようだ。
舞台は、将棋の聖地、天童である。



(追記)何人かの方からコメントでご指摘をいただいたのですが、羽生さんは恐らく本当に体調がすぐれなかった可能性の方が高いのではないかと思います。たまたま形勢と重なったので思い込みで書きすぎてしまいました。

のどかな鴨騒動をよそに風雲急―竜王戦第六局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト。

面白い展開になった。今シリーズは、意地を張ったようにお互いどんどん手を進めるところがあって、初日からのっぴきならない局面ななることも多い。ただ、今回はお互いの主張がぶつかって、なおかつ優劣不明で、二日目にどうなるのだろうと、興味が一番わく場面での封じ手になった。連続テレビドラマなら、何でここで終わってしまうのと、絶妙のタイミングで「続く」が出た感じである。
渡辺は、後手番で従来通り矢倉を受けるかと思いきや、急戦矢倉。矢倉という名前は同じだが、普段渡辺が指しているがっちりした矢倉とは基本的には別世界で。後手番で変化したといってもいいのだろうか。微妙に分かりにくいところだ。
渡辺が準備していたのが△3一玉の新手。渡辺の戦略家的側面がよく出た手だ。
竜王戦第六局11111111081210-h34手

棋譜解説で、すぐに鈴木八段が反応して、▲6五歩としたらどうするの?▲6五歩で羽生さんの手が震えたらこわいね、というジョークが飛び出していた。しかし、よく調べると、じつは後手の攻めがつながったり、うるさかったりするとの事。つまり、渡辺は羽生に対して「誘いの隙」で構えたわけである。
BS中継で、鈴木、野月コンビがかなり具体的で充実した解説をしていた。棋譜解説でもあったが、さらに進めていたので手順のみ書くと、
△3一玉▲6五歩△同銀▲7三角成△同桂▲6六歩△8六歩▲6五歩△同桂▲8六銀△5八角▲6八玉△7八飛成▲同玉△8八歩▲6八金△4九角成▲8八玉△3八金(変化参考図)
竜王戦第六局222222081210-h52手

で駒損を取り返し、桂を取っての△7六桂も厳しくて後手良しということだそうである。
鈴木八段が面白いことを言っていて、自分なら渡辺竜王がこういう手を自信満々で指してきたら、▲6五歩を考えるのを最初からやめてしまうが、羽生さんは自分の読みだけを信じている。誰も指さない手でも自分がいけると思えば指す。だから、ここで長考して▲6五歩をとことん読むのが羽生さんらしいと。
しかし、結局羽生はこの順を見送り。結果的に消費時間に約二時間という大きな差が初日で生じた。この辺は、渡辺流の巧みに勝負術が発揮されたといえそうであ。
しかし、封じ手局面は時間云々よりも、もはやのっぴきならない局面に突入している。封じ手局面についても、二人で詳しく解説していて、とても参考になった。
竜王戦第六局333333081210-h40手

まず一番激しく▲2二歩といくのは△同金▲2三歩△1二金▲4二角成△同玉▲2二歩成△2七歩▲同飛△2六歩と受ける順がある。(参考変化図)△1二金が好手らしいが、この変化はあまり掘り下げていなかったので何か他にも攻め筋があるかもしれない。
竜王戦第六局44444081210-h50手

▲6八角と下がるのが一つあって無難だが、二人が主に調べていたのは▲4六角以下の激しい順。
後手からは2筋の歩を連打しておさえて、飛車切りから2七に銀を打ち込んでくる筋が常にある。さらに△7六歩と攻め込んでくる順も気になる。
一例としては▲4六角△7三桂▲3六歩△7六歩▲同銀△7五歩▲6四角△同飛▲7五銀△5四飛▲7四歩(参考変化図)で先手良しで、後手の攻めは無理。
竜王戦第六局555555081210-h51手

ただ、2筋を組み合わせて。▲4六角△7三桂▲3六歩△2七歩▲同飛△7六歩▲同銀△2六歩▲2八飛△7五銀▲同銀△同飛▲7六歩△2五飛▲3七桂△2七歩成▲2五桂△2八と▲2二歩△4九飛▲5九銀△2六角▲3七銀△4八銀(変化参考図)で、これは後手の成功例。
竜王戦第六局666666081210-h64手

解説を聞いていると、何か後手からの攻めがありそうで、先手も相当怖い。ただし、ここをしのげれば先手が楽しみが多いという感じの解説だった。
鈴木八段は△6ニ角の感触がたまらなくよいので後手持ち、野月七段は何とかここをしのげればという条件付で先手持ちだった。基本的にはまだ優劣不明ということのようである。
封じ手予想としては、解説を聞いていると先手にこわすぎる変化が多いので、▲6八角。△7七飛成の強襲にそなえて▲同角ととって、▲6五歩の反撃を見るということだそうである。
夕方、羽生の姿をカメラが捉えていたが、眼光鋭くランランとして読みふけるという感じだった。羽生が対局中に見せる表情には、ハッとさせられるものがある。
渡辺の仕掛けた巧みな戦略に、羽生が読みと力で対抗するという形になった。この両者の対戦では、一番面白いパターンになったのではないだろうか。

あーあ、手順を書きすぎて疲れた。
鴨の写真1 2でも見てなごもう。衛星放送でも鴨の鳴き声をマイクが拾っていたが、お世辞にもデリカシーのある鳴き声とは言えないので、あれは気になり出したら結構イヤなのではないだろうか。
ある人は、対局者が昼食に鴨南蛮を頼めばよかったのにといっていましたが・・。(おいっ

大局観でもやり返した?−竜王戦第五局第二日 渡辺竜王vs羽生名人

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渡辺快勝で本当に面白くなってきた。ただ、本局の羽生の指し方には何となく不思議なところが残る。
図の△2一玉が、宮田五段の指した新手で、羽生もこれを試してみたかったのだろう。
竜王戦大5局aaaaaa08120450手

この手については、片上五段がこのようなブログ記事を書いている。公式戦で現れたのはごく最近だが、かなり以前に実は奨励会でよく指されていた形だという。あるいは、公式戦ではない研究会などでは、現在でも指されているのかもしれない。
最近では、プロならば公式戦の棋譜全部に目を通して把握しているのは、いわば最低限の作業らしい。むしろ、様々な研究会の水面下でどういう新手が指されているか、それをどこまで把握しているかが勝負。研究会で指された新手は、若手の間ではメールによって瞬く間に伝わり広まるとも聞いたことがある。
ただ、羽生の場合はどうなのだろう。いくつか研究会はやっているようだが、忙しくて頻繁には出来ないだろう。また、羽生がメールで、研究会の新手を誰かと情報交換している図というのは、かなり想像しにくい。
だから、この△2一玉についても、公式戦で見て指してみようと思ったのではないだろうか。羽生の場合、かなり限られた情報で、なおかつ最新形の将棋にチャレンジし続けている気がして、それがすごいところだと思う。それとも、羽生は何か地下の情報ネットワークでも持っているのだろうか。あくまで冗談だが、そう思ってしまうくらい、色々な最新形を楽々と指しこなしているのが不思議なのだ。
二日目に入り、図では先手の渡辺の銀が死んで、瞬間的に銀損になっているところである。
竜王戦大5局bbbbbb08120460手

本譜の通り、端を絡めた渡辺の攻めがとても厳しく、完全に先手ペースになった。つまり、一時的には銀損になっても、それで攻めが続くと判断した渡辺の大局観が卓越していたということになるだろう。
並みの相手なら、それで話を済ましてもよい。ただ、相手は羽生なのだ。今述べた通り△2一玉までは先例がある。本局で採用する以上、羽生も当然その先を研究して臨んでいるはずだ。渡辺が7筋で歩を交換したのも、ごく自然な手だし、なおかつ一歩持って△4五歩と反撃に出るのも必然に近いように思える。さらに銀を殺しても先手が攻めをつなごうとしてくるところまでは、想定できそうなものだ。
本譜の進行を見ると、解説では羽生は入玉を目指すのかなどとも言われていた。そのよう進行を羽生が喜んで選択するとは思えない。要するに、なぜ羽生がこのような進行にはまったのか、どこが誤算だったのかがよく分からないのだ。
もしかしたら、今書いたのは弱いアマが結果論で言えることで、実際に戦うプロは、もっと色々広がりのある変化を想定しなければならず、なかなか机上の空論のようには行かないということなのかもしれないが。
タイトルに「大局観でもやり返した?」とクエッションマークをつけたのは、羽生の対応の真意がよく分からないという意味である。ただ、言うまでもなく渡辺の攻めをつなぐ正確な技術は大変なもので、本譜の進行を辿ってみていると、いとも簡単なように見えてしまうが、実は高度な読みに裏付けられているプロの芸なのに違いない。やはり、渡辺の銀損でも攻めがつながると見た大局観がすぐれていたのだといいたい。
第一局と第三局で、羽生の常識外の大局観にしてやられただけに、一応少し借りを返したといえるのではないだろうか。
本局は、前局に続いて終盤戦も面白かった。
図では後手玉に詰めろがかかっているが、ここでは羽生の側に実は色々な手段があったらしい。
竜王戦大5局cccccc081204107手

BSの夜中のダイジェストで谷川九段が簡単にこの局面にふれていた。飛車を2九から打つのと、本譜のように4九から打つ二通り。角も1三と2四の二通り。その組み合わせと先手の受け方によって、後手玉の詰めろが消えたり、受ける順が生じたりするということらしい。まるで難解なパズルのような局面である。
谷川が一つ例としてあげていたのは、まず△2九飛▲6九歩を入れてから△4一桂と受ける順。最後4五に玉が逃げたときに▲2五竜と取るのを2九の飛車が防ぐそうである!
ただ、本譜で羽生が選んだ順も、絶妙のパズルの解に思えたのだが、渡辺はそれを上回る絶妙手で応えた。▲3五歩。
竜王戦大5局dddd081204111手

この手については、さっそくご本人がブログで分かりやすく解説してくれている。
相変わらず正直だと思うのは、これを事前に読みきったのではなく、何とか見つけ出したと言っているところだ。読みきりでしたと言いたいところではないかと思うのだが(笑)、そういう虚飾は渡辺流ではない。変に謙遜もしないかわりに、つまらないハッタリも一切ない。徹底したプラグマティストなのである。

さて、羽生は今回後手番で矢倉を受けた。一手損角換わりで連勝しているので、それを連採するというのも十分あったと思うのだが、なぜだろうか。色々推測できるだろうが、一つほとんど我ながら妄想とも思える仮説をお笑いの種に書いておく。
第四局のあの負け方というのは、明らかに勝負の流れを変えかねないものだった。羽生は、恐らくそういうことに実は人一番敏感である。その流れに逆らって、一手損で無理やり勝ちに行って負けるとさらに流れがおかしくなる。敢えて、ここは後手番で矢倉を堂々と受けておいて、ごく自然に指してそれで勝てればいいということにしよう。仮に負けたとしても、それなら引きずらないですむ。勿論、この第五局で決めたいが、第四局の負け方の流れを受けて本局は無理して勝ちに行かずに、第六局の先手局も、視野に入れて見据えて指そう。
ハイっ、どれだけツッコミいれてくださっても結構です。ありえねー、そんな余裕アルわけねーだろ、実際の勝負を知らなすぎるぜ、等等。お好きなだけどうぞ(笑)。ただ、私は羽生ファンというより、ほとんど羽生信者に近いもので、こんな馬鹿げたことを言ってみたくなっただけである。本当に聞き流してやってくださいませ。
さてさて、一方の渡辺。事前インタビューでも、後手番での指し方で悩んでいると言っていた。矢倉も通常角換わりも堂々と後手で受けて立っているが、やはり作戦面でなかなか何か思うようにいかないということのようである。
現に今期のB1順位戦でも、渡辺は、先手全勝、後手全敗という極端な成績を残しているのである。それでも渡辺はかなり頑固なところがあって、後手矢倉で、行方、羽生、畠山鎮と、△9五歩型の同じ戦形を連採して三連敗している。一流の人物は、とにかくいい意味で頑固なところがあると思う。
しかし、次の後手番はとにかく勝たなければいけない。渡辺はどう出るのだろう。それも、色々な意味で実に楽しみだ。ただ、私はやはり今回は堂々と矢倉を受けるのではないかと思うが。(勿論、羽生が初手▲7六歩とやってきた場合。)
それと忘れてならないのは、今回の竜王戦では、実は後手が三勝もしているということである。なぜか渡辺のからむ竜王戦は、そうなることが多い。

次局、本当に楽しみである。現時点で言えることはただ一つ、もうこれで「情熱大陸」の制作者は苦労しないで済むだろうということである。

竜王戦第四局番外編―深浦vs山崎の掛け合い解説@BS中継

最初にお断りしておきます。お二人の将棋の指し手についての解説内容を紹介する気は金輪際ございません。タイトルは「掛け合い」と遠慮した表現にしましたが「漫才」としてとても秀逸だったので、ここに記録に残しておこうと決意した所存にございます。なおかつ、お二人の役割周りも実に明確でございまして、山崎=ツッコミ、深浦=-ボケに自然に成り、というよりは、深浦氏がどんどん追い込まれていきました。それでは、論より証拠、ハイライトをお目にかけましょう。

深浦 ズバリ、どちらを持ちたいでしょう?
山崎 いきなり?いきなりですか?でも、これ逆じゃないですか?やっぱり深浦先生の・。おかしいな、解説者というのは。解説をする人だと思ったんですけど。
深浦先生、いきなりジャブを入れようと試みましたが、黙っているような山崎氏ではありませんでした。まだまだ、この辺は深浦先生も余裕だったのですが。
深浦=羽生、山崎=渡辺をもって、ある手順を検討し、深浦が劣勢を認めてアッサリ撤回すると。
山崎 ご自分がタイトル戦を戦っていたら、絶対こんな簡単にあきらめないですよね。深浦先生は将棋界の中でも、諦めの悪さでは結構かなり有名なような。
早速、山崎のストレートパンチ炸裂しました。柔らかい口調で笑顔で言うので嫌味はないのですが、言ってることは超辛口です。
ある検討手順で深浦の手が止まると。
山崎 決して、このままで終わる深浦先生じゃないですよね。
はい、この辺りからはツッコミどころを山崎氏は寸分たりとも見逃さなくなっていきます。
深浦が山崎に対して渡辺戦の対戦成績を問う。
山崎 ここ数年勝っていないです。もう数えてないです。ちなみに深浦先生は?
深浦 私ですか。まあ私が10回やって7,8局勝ちですかね。
山崎 えー。(手をパチパチやるしぐさ、そして絶妙の間を空けてやおら言い放つ)それが言いたくて私に聞いたんですかー。(場内爆笑)そうですかー。
この切り返しセンス、深浦、言い返せず。
次は羽生の話題になり。
山崎 羽生さんと互角に戦っているのは地球生命体では深浦先生だけですよね。
「地球生命体」って。
そして、山崎が深浦に羽生と戦うコツをきく。深浦も、悪い気はししない様子で、羽生と谷川は神の領域で戦っている、しかし私がやるとたまに気の抜けたような手を指してしまう、一生懸命なのだけれど変な手を指してしまう、それで羽生さんの調子が狂うんじゃないですか、などと謙遜しながら誠実に説明する。
山崎 じゃあ勝つコツは変な手を指すということですか?
真面目に深浦先生が説明してくれたのに、台無しです。この絶妙な返しのセンスは是非見習いたい。(なんでだよ)
そして、さらに検討を再開し、深浦がある手を指すと。
山崎 確かに変な手ですねー。(場内爆笑)
今度は検討して山崎側の手番。深浦が、さあどうししますかと山崎に問う。山崎困った様子だが、その瞬間に絶妙のタスイミングでモニターから「パチッ」と指す音が。山崎もモニターをチラッと見ると。
山崎 じゃあボクは玉をあがりますねー。(場内爆笑)
深浦先生の攻撃不発どころか、笑いを取るのに利用されてしまいました。
山崎の深浦に対する口撃はとどまるところを知りません。
山崎 いやっ、今後の将棋界を生きてゆくために、先ほどは深浦先生にゴマをすっておこうと思ったんです。
山崎 もう二枚取ろうということですか。欲張りですねー。もう一冠で十分なんじゃないですか。
深浦先生、言われっぱなし。サンドバック状態。それでも人のよい笑顔で耐えられている深浦先生のお姿が尊いです。
無理やり深浦に詰まされる順を選ばせたり、もう詰みがわかっているのに最後まで指させようとしたりして。
山崎 で?
深浦 もうカンベンしてください。
でも、たまには山崎も深浦先生の手をほめます。
山崎 ▲1七桂というのは、いい手ですねー。
深浦 すごくウソくさい・・。
山崎 いやいや、ボクは人をほめるのが苦手なんですよ。
しかし、これもネタ振りに過ぎませんでした。さらに他の検討手順を調べていて。
深浦 じゃあ得意の▲1七桂で。
山崎 一度味をしめたから。でも、先ほどのような感動はちょっと二度目はないですねー。
深浦 なんか、きびしいですねー。
山崎 いい手なんですけど、あまり心には響かなかったですね。
深浦 なんかケンカを売られている気が・・。
こうして文章にするときつく感じられるかもしれませんが、お二人の表情もやわらかで、場内も笑いに包まれっぱなしなのでした。

総じて深浦さんの純朴さ、人の良さが感じられました。山崎さんの猛口撃を、いやな顔一つせずに、完全に受け止めてあげていました。
一方の山崎さん、大盤解説においては、もはや竜王・名人クラスにまで達していると感じられました。本気で頑張れば、現役七冠、あるいは永世七冠も決して夢ではないでしょう。
山崎さんばかり目立ちましたが、冷静に考えると深浦さんが黙ってパンチを受け続けたからこそのことで、MVPは深浦さんでしょう。
って、何の分析だよ。

歴史は繰り返す ー竜王戦第四局第二日 渡辺竜王vs羽生名人

竜王戦中継サイト

プロ棋士たちは、普通の人間よりはるかに濃い密度の時間を生きている。あるいは、生きざるをえない。勝ちと負けがあからさまな結果の世界で、言い訳は一切きかない。基本的には運の要素が限りなく少ない実力の世界である。しかし、ぎりぎりのところでその運がとてつもない意味をもってくる。ちょっとした一つの着手、指運としか言えないほとんど賭けといってもよい指し手が、勝負に直結してしまう。そして、今回の竜王戦の舞台のように、そのプロ棋士の人生を決めかねないような舞台で、そのように勝負が決まる瞬間がある。各人間のもつ運命や宿命を、プロ棋士は必要以上にはっきりした形で顕在化して背負っている存在である。まるでギリシャ神話のように。我々一般人は、その多少残酷ながらも魅力の尽きぬ神話ドラマに、陶然として見入るしかないのだ。
本局の終盤は、本当にそのようなン運命のサイコロの一擲がどちらにころぶのかよく分からない極限の戦いだった。冷静に見れば、恐らく羽生に勝ちきる方法はあったのだろう。しかし、そういうのは全て結果論である。感想戦から伝わってくるごく一端を読んでいても、両対局者が水面下で恐ろしく深く広い読みをしていたのが分かる。様々な無限の筋が頭の中を駆け巡っている中から、分単位の短時間で決断して着手している。
例えば、本譜よりは宮田五段の指摘した▲4七飛の順のほうがよかったと結果論ではいえるかもしれない。だが、いくら残酷な性質の一般ファンでも、「そう指せばよかったのに」とあっけらかんと言い放つのはためらうはずだ。
それにしても、宮田五段の指摘とそれとは別の感想戦での検討手順を巡ってプロが言っていることは凄まじい。私は我慢して全て理解しようとしたが、ついにギブアップした。関連リンクを全部はっておくので腕に自慢の方は答えを出してください(笑)。

宮田五段が発見した寄せ(竜王戦中継plus)
山崎七段の見た第4局(竜王戦中継plus)
「宮田五段の寄せ」への羽生見解(竜王戦中継plus)
竜王戦第4局のこと(お仕事ブログ)
片上五段のtwitterより 1 2

今回の終盤は、善悪を通り越した名勝負だったのだと思う。渡辺にしても、寄せがありそうで負けを覚悟しなければいけない局面で、まさしく度胸をすえてぎりぎりの勝負手を攻撃的に放ち続けた。現時点では、厳密に良い手なのかは素人には分からないが、例えば強気に△4三玉とあがった手もその一つ。さらに、夜中のBSダイジェストで深浦王位が勝因としてあげた△8九飛。
竜王戦第四局bbbbbb081126126手

今書いた通り、それに対して▲4七飛とする変化が難解きわまりないし、深浦も多分収録時点ではそれを知らないで言ったのだと思う。従って本当は△8九飛を勝着とはいえないわけだが、しかしある意味この手はとても印象的だった。
というのは、渡辺玉が奇跡的に打ち歩詰めで詰まないと分かっていても、他に△7九角と守りにもきかして保険をかけたくなるところを、堂々と飛車を打ちきった。あのぎりぎりの場面で、あの手を放てた渡辺の決断力と肝っ玉の据わり方を、やはり賞賛するべきだろう。その結果羽生が▲4七飛の勝負手を逃して、結果的には勝ちにつながったわけだから。
一方羽生の指し手で言うと、▲5二銀。
竜王戦第四局aaaaa081126103手

玉を上がらせて竜の横効きを遮断した手だが、あそこは堂々▲7八歩と竜を取ってしまっても詰まなかったそうである。つまり、渡辺とは対照的に保険をかけたのが裏目に出た。私の書いていることこそ結果論もいいところなのは承知だが、「勝利の女神は勇者に微笑む」といえなくもなさそうである。(ちょっと強引過ぎますが。)、
そもそも、本局で渡辺の駒はこれ以上ないというくらい前に出た。「バルタン星人」とも称された超攻撃的シフトである。羽生が銀を大遠征して銀矢倉に使うという、これまた羽生らしい柔軟な構想のため、とにかく攻めるしかなくなったのも、幸いしたのかもしれない。しかし、追い込まれた場面でこのような積極的な指し方が出来たことも、やはり渡辺の勝因の一つに上げられるのではないか。
ただ、ああいう戦い方も実は渡辺の得意とするところだそうだ。最近ブログをはじめた戸辺四段がこのように指摘している。
穴熊をはじめ、堅い玉を好む渡辺竜王ですが このような薄い玉を指しこなすのも、ホントに上手いんですよね。本局の玉型はバランス重視。

さて、最近の記事で書いたことを再掲させていただく。
NHK系列で放送された「100年インタビュー」で、羽生が竜王を初獲得した後に、谷川の挑戦を受け、1-4で奪取されたシリーズのことを取り上げていた。羽生が0―3に追い込まれた第四局は、203手の激闘になり、しかも入玉や持将棋模様でなく、延々と通常の攻防が続き形勢も二転三転した。最終は羽生が名手を見つけて勝ちきった。その将棋についての羽生の発言要旨。
それまでは、前を見た戦いばかりしてきたが、初めて後ろ向きの対局をした。そういう時の心境や状態が、とても印象に残っている。何とか一局いれたいと思っているが、どうにも駒が前に進まない。形勢が何度も入れ替わり、勝ち負けの揺れがすごくて、奪取されたとも勝ったとも何度も思った。最後に懸命に手を見つけて勝った。勝負のけわしさ、厳しさを知ることが出来た。
羽生は、負けたシリーズの一局をその後の自分にとって大切な将棋として位置づけているのである。
今回の第四局は、まさしくその再現になった。羽生が谷川と戦った勝負も、純粋な名勝負というよりは二転三転する激闘だった、今回もやはり厳密にはお互い間違いが多いのかもしれないが、それを上回る終盤の迫力がきわだっていた。
羽生が谷川に対してした事を、今度は渡辺が羽生に対してやってのけたわけである。歴史は繰り返す。ある種の神話の主人公が、勝利を得るまでの過程で、艱難辛苦の旅路を辿るように、超一流の棋士も通過儀礼としてこのような困難を一度は体験する必要があるのだろうか。まるで、将棋の神様が、そういう棋士に必ず義務として与える試練のように。渡辺も羽生同様、その試練をひとまずは乗り越えた。厳密には負けのはずの本局で、目に見えない運も見方にして。
ただ、ここまで言うと、恐らく渡辺から抗議が来るだろう。

ということは、羽生さんが谷川さんにやられたように次で負けてしまうの?、だいたい一つ羽生さんに勝っただけでそんなに騒がないでよ、ボクの実力を皆さん一体どの程度だと思っているの?、まだ一つ返しただけでは全然満足なんかしていませんよ、と。

ということで、このあとのドラマの続きにもまだまだ注目しよう。

ところで、寄せられるかもしれないあの局面で粘り強く折れないで戦い続けた渡辺の胸中に、果たしてこの言葉が浮かんでいたのかどうか、残念ながら私には知る術がないのである。

やはり羽生の銀はよく動く―竜王戦第四局第一日 渡辺竜王vs羽生名人

羽生が事前に想定した順では多分ないのだろうが、それでも実戦の展開に柔軟に対応して、右銀を大旅行させて銀矢倉を作り上げたのは、やはりらしいところである。衛星放送でも紹介していたが、羽生愛用の研究用の駒では銀の裏だけがすりへっていたそうである。名人戦の相がかりでも、やはりこういう銀の大旅行があった。
しかし、とにかく渡辺が攻撃できる態勢で封じ手を迎えた。さすがに、羽生の大局観がすごくてこの時点で受けの先手が良いと言うことはないだろう。渡辺が、どう攻めを組み立てていくのか、二日目が楽しみである。
それにしても、渡辺の陣形が面白い。ネット中継では「中住まいカニカニ銀」と言われていた。ある人は「バルタン星人」と呼んでいた。私はそちらに一票(笑)。
ところで、なぜ羽生は相掛かりを採用したのか。余裕があるので矢倉ではない戦形にしたという見方もあるかもしれないが、私はズバリ決めに行くための相掛かりではないかと思う。羽生は相掛かりで先手を持ってとてつもない高勝率を記録しているのである。
名人戦でも三局も相掛かりが出て話題になったが、先手が大きい作戦勝ちをするか、あるいは難しい将棋になるかで、後手の決定的な対策はでてこなかった。もしかしたら、プロ全体でも相掛かりが流行するのかと思ったが、そのようなことはなかったようである。指す棋士が限定されているが、やはり独特の感覚感性が必要で、一歩でも間違えると一挙に転落する危険のある厳しい将棋だからなのだろうか。
前局の時にも書いたが、羽生はこの機を逃さずに永世竜王になろうとしていると思うので、三連勝でも今回は緩めようとはしないだろうと、私は勝手に考えている。この相掛かりは、ストレートで決めに行くための選択ではないかと。
衛星放送で桐山先生が指摘されていたが、今回の渡辺は封じ手直前の場面になると、袴が盤に触れそうになるくらい近づいて考えていたそうである。さすがに鋭い観察眼で、今日の夕方の中継でも封じ手直前の渡辺が、やはり盤ギリギリに袴を近づけてすごい迫力で読みふけっていた。今回は、たまたま初日の展開がはやいからなのかもしれないが。
渡辺竜王への事前インタビューも、なかなか良かった。

――(第三局までの)手ごたえは?
渡辺 (明るく笑って)いや、ないですけど、全然。

聞くほうも聞くほうだけど、明るくケロっと答えるのがらしいところである。

――第四局への抱負は?
渡辺 ここまでいい将棋になってないのは、自分のせいなので、将棋ファンの方々をガッカリさせちゃってるところがあると思うので、明日明後日と、何とかいい将棋に出来るよう頑張ります。

とても明るい調子で渡辺は語っていた。「将棋ファン」という言葉が、この追い込まれた状況でも出てきるのだ。泣かせるではないか。やはり、明日は渡辺に一ついれて欲しいと思う。
それにしても、衛星放送聞き手の中倉宏美さん、結構若い頃から衛星聞き手をやっていて、なんだか面白い子だなあと思っていたけど、聞き手ぶりも板について、すっかり立派になったなあ。←オジサンの感慨が、そのまま口からもれて出た。もうこうなったら、人間オワリである。
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