渡辺明

渡辺明のゴキゲン中飛車

少し前まで、渡辺明はゴキゲン中飛車のことを、気に入らない戦法、できれば自分の手で撲滅したい作戦(正確な表現は覚えていない)だと言っていたはずである。別に渡辺に恨みがあってこんな話を紹介しているわけではない。だから、渡辺が立て続けにゴキゲン中飛車を採用したのは本当に驚きだった。
王位リーグの佐藤康光戦、王将戦の羽生善治戦、棋王戦の三浦弘行戦と三連続の採用だから本気である。それではなぜか?
本質的な理由は恐らく(特に後手番での)作戦の幅を広げようという事ではないか。やはり、竜王位を十年ぶりに失ったのが事実として大きく、渡辺も何らかの変化の必要を感じたのだろう。
渡辺は竜王を獲得した頃は、後手では横歩取りのスペシャリストだった。しかし、その後に二手目に△8四歩と指すようになり矢倉も角換わりも受けて立つ本格居飛車正統派に変身した。その理由としても、苦労してでも作戦の幅をひろげることで自分の力を高めたいという意味の事を言っていたはずである。
だから、今回は渡辺にとっては恐らく二度目の大きな改造になるのかもしれない。具体的には居飛車の後手番はとにかく苦労が絶えないので、振り飛車も指してみようという考えだろうか。
しかし、なぜゴキゲンなのか。最初にも述べた通り、本来渡辺はゴキゲンがあまり好きではないはずだ。合理的で理路整然とした渡辺からすると、かつてはゴキゲンの悪く言うといい加減で感覚的なところが許せなかったのかもしれない。
でも、最近隆盛の角交換系の振り飛車、藤井流四間やダイレクト向かい飛車ではなくゴキゲンを選んだ。その理由もよく分からないのだが、推測すると角交換振り飛車はそもそも後手で手損するのが前提なので、その不合理性が渡辺にはゴキゲン以上に耐え難いのかもしれない。あるいは、もっと具体的な理由もあるのかもしれないが。
ゴキゲンの方は当初は変わった戦法と思われていたが、今や定跡が隅々まで体系化されて整備されている。だから、もはや普通の「戦法」の一つと言ってもよく渡辺にもそんなに抵抗感がないのかもしれない。
ゴキゲンが最近減少した理由は先手の超速▲3七銀戦法が優秀でその対応にゴキゲン側が苦慮していたためだった。佐藤も羽生もやはり超速▲3七銀だったが、渡辺はそれに対して△4四銀対抗型を採用している。この形は持久戦になり相穴熊になる事も多いが先手が少し指せると言われていたようだが、研究が進んで渡辺はこの形ならば後手でも対応できると考えているのかもしれない。渡辺は合理的なので、当然そういう具体的理由がなければ指さないはずだから。
佐藤戦と羽生戦を見ると、どちらも最初は作戦負け気味、しかし途中からかなり盛り返したりよくなったが、結局終盤は崩れた感じだった。一言でいうと、やはり振り飛車慣れしていない感じである。渡辺ほどの大天才でもやはり振り飛車は勝手が違うのだろうか。少なくとも相居飛車でのあの渡辺の油断もすきもない迫力と比べれば。でも、それはまだ指し始めたからかもしれないし、少なくともいいところなく負けたわけではなかった。
また、個人的にはやはり渡辺は、相居飛車の鋭角的な将棋が向いていて、振り飛車の場合によっては辛抱強く待ったり、時には駒の損得を度外視して捌いたりする(久保利明の様に)のは向いていないような気もするのだがどうだろうか。それとも、いつの間にか振り飛車感覚を自由に指しこなすようになって第二の大山になるのだろうか?
というのは冗談で、渡辺は本格的に振り飛車党に転向しようというのではなく、あくまでも「裏芸としてのゴキゲン」を加えて作戦に幅をもたせようとしているだけのような気がする。

棋王戦では三浦は超速▲3七銀ではなく、▲5八金右超急戦を採用してきた。三浦は渡辺の前二局を見て当然ゴキゲンをある程度予測したはず。そうなると、研究家の三浦は徹底的に事前に対策を練っただろう。そして、激しい変化で定跡研究が大切なこの超急戦を選んだ。三浦の事だから多分詰みの変化までやったのではないだろうか。
ただ、三浦の誤算は渡辺の対応だった。超急戦の最新流行は▲3三香と打つ都成流で、そのあたりの変化は三浦も徹底的に調べたはずである。
ところが、それらの変化になる前の段階で渡辺は△7二玉とした。前例は少ない。それに対して▲7五角として先手か勝っているので、三浦はその前例の変化を信じたか調べてもそれほど深くではなかった可能性が高い。
三浦は前例ではなく▲6三桂成と踏み込んで▲1八角と遠見の角を放つ新構想をみせた。これが研究だったのか、渡辺が当然▲7五角に対する準備がある事を予想してその場で考えたのかは不明である。但し、結果的にはこの三浦の構想はうまくいかなかった。
渡辺がブログで、「考えたことがない展開でしたが、」と述べているのはこの三浦の▲6三桂成以下の順のことを指していると思われる。(勿論、超急戦を想定していなかったという意味ではない。)
だから、三浦も研究していたにしても恐らくそれほど深くではない形、渡辺にとっては完全に以降は自力で指す世界になった。「研究勝負」ではなく、力の勝負、読みの勝負、「大局観」の勝負になった。
まず、先に独特な大局観を披露したのは三浦の方。▲2三歩と悠々と二枚目のと金をつくりにいった。後手玉は中央に厚い防護壁があって、普通だと到底間に合いそうにない。
さらに、後手の桂打ちに対して▲6五香。これも感覚的にはかなり普通ではない手である。香車が逃げると9九の後手の馬の筋が通って先手の1一の龍を取る事ができる。なおかつ龍を取られると先手の2一のと金が1一のソッポへ行ってしまうのだ。それでも、三浦は指せると考えたわけである。
ところが、それに対する渡辺の対応が実に秀逸だった。そのように龍をとっても十分だといわれていたところを、じっと9九の香車を拾っておいた。こうして馬筋もそのままにされると、先手は二枚目のと金をつくっても、そのと金が動くと馬で龍が取られてしまう。つまり、わざわざすぐに龍を取らなくても、この馬だけで先手の龍と二枚のと金が牽制され無効化されてしまっているのだ。
結局その後、先手は後手よりはやい攻めを見つけることが出来ず、渡辺の快勝になった。
▲6三桂成以下の「大局観」勝負で両者に主張があったものの、今回について言えば明らかに渡辺の方がまさっていた。三浦はそもそもの構想がどうだったかという将棋にさせられてしまった。
また、早めに△7二玉と変化する手を用意しておく事で、三浦の深い研究攻撃を防いだ渡辺の作戦巧者ぶりが発揮されたとも言えるだろう。
同じゴキゲンでも、渡辺はまったりとした攻防ではないこの超急戦だと持ち前の鋭さを出せるともいえるかもしれない。もっとも、三浦の方も本来こういう将棋が得意中の得意なのだから仕方ない。
感想戦は、ほとんど本譜の順を並べるだけで30分程度で終わったそうである。だから、この三浦の新手順の成否については何も分からないままである。感想戦をしながら三浦は何を思っていたのだろうか。
何とか第四局までもつれこんで、もう一度このゴキゲン超急戦の形を見てみたいような気もする。

竜王戦が終わって

私は最近まとまった文章を書く気力をすっかり失って、もっぱらツイッターでくだららない呟きを撒き散らしているばかりである。ただ、そのおかげで大変魅力的な将棋ファン―大変知的で感受性の鋭い人たち―と知り合うことが出来た。
その中には大変熱心な森内ファンも渡辺ファンもいる。その人たちが今回自分の事のように喜んだり失意に沈んでいるのを見ていると、ちょっと余計な事が言いにくくなる。
もともと、このブログをきわめて孤独にやっていて読者もほとんどいない頃は、結構好き勝手な事を平気で書いていたのである。今では信じられないくらいに。
前置きが長くなった。要するに、おでんをつつきながらIWハーバー飲みつつ、キース・ジャレット・スタンダーズを聴いていたらすっかりいい気分になって、好き勝手なことが書きたくなったというわけである。両対局者に対する基本的な敬意を失わずに書くつもりだけれども、両棋士のファンにとってはもしかすると面白くない部分もあるかもしれない。それでも構わないという方のみ、―いつもの酔っ払いの戯言だと思って―おつきあいいただきたい。

今回の将棋の構図は実に単純明快だった。「盾と矛」。攻め込まれて一見大変危ないような状態でも強気に引っ張り込んで受けきってしまう達人の森内vsきれそうな攻めをつなぐ達人の渡辺。どの将棋も色々な経過をたどりつつ結局はそういう分かりやすい展開になった。これからい棋風に忠実なタイトル戦は珍しかったくらいである。
そして。その結果は圧倒的なまでの「盾」の勝利。渡辺もいつものようにギリギリの攻めを的確につなごうとしていたが、結局森内がスケール大きく受け止めていて常にちょっとだけ足りないと状態が続いた。
どの対局もギリギリ。しかしながら、多分将棋の強い人間ほど、そのほんのちょっとの届かない距離が無限に近い事を感じとったのではないだろうか。森内の受けが圧巻だったのである。渡辺が近年こんな負け方をしたのは見た事がない。(棋聖戦のvs渡辺の羽生も強かったが、今回の森内はあれを上回る内容での圧倒ぶりだったのである。)

いや、実は今回の竜王戦だけではない。今春の名人戦でも、森内は羽生相手にこれと全く同じ事をやってのけていた。私のような羽生信者は、まさしくグーの音もでないくらいやられたのだ。今回はあの時のデジャブのようだった。
正直言って、森内が羽生と渡辺をおしのけて竜王名人になると誰が予想できただろう。
今までの将棋界には大変分かりやすい「王者の系譜」が存在した。すなわち、常に絶対的名太陽のような第一人者が存在する古典的な安定した宇宙構造である。
木村→大山→中原→(谷川)→羽生→(渡辺)という暗黙のダイナスティの系譜が存在して、他の棋士たちはたまにタイトルを獲得するのを許されるだけの脇役にとどまるはずだった。
そこに、劇的に割って入ったのが森内である。王家に属する羽生と渡辺を(表現はよくないが)徹底的に蹂躙してしまったのだ。
森内はまるで、往年の名画、キャロル・リード監督の「第三の男」のようである。いや、人間の(役柄の)タイプもオーソン・ウェルズとは全然似ていないしダジャレに過ぎないのだが。
とにかく、森内は予定調和の王者交代劇にわってはいった存在なのは間違いない。いや、実は今回が初めてではない。永世名人でも、森内は羽生に先んじている。
かつて、「名人は選ばれてなるものだ」という神話があった。実際永世名人もなるべき人が順番になっていた。ところが、「次は羽生が選ばれる順」のところで、森内が割って入った。永世名人は「選ばれるもの」ではなく「自力で獲得するもの」という歴史認識のコペルニクス的転換を森内がなしとげたのである。
今回もそう。そしてその内容は名人戦では羽生を竜王戦では渡辺を子供扱いするものだった。
勿論、冷静に議論するならば、森内が長時間ほどじっくり隅々までよみきって実力を十二分に発揮できるという事情がある。しかし、逆に言えば徹底的に読むことを許されれば現時点では森内がヴァン・ダ・レイ・シルバのような「絶対王者」である事を誰しも認めざるをえないだろう。
(ちなみに、最近刊行された渡辺の「勝負心」では、短い時間の将棋ほど実は実力が発揮されやすくて、羽生はNHK杯連覇などでもそれを証明しているという意味の事を書いていた。羽生と渡辺はタイプは全く違うが派手で華やかな将棋で短時間の将棋でやはり二人が突出しているのは興味深いところではある。ちなみに、正直な森内は短い時間の将棋だとミスが多いことを自分でも率直に認めているのだが。)

今回のタイトル戦で話題になったのは、いわゆる「往復ビンタ」である。渡辺が後手で採用した急戦矢倉を森内も後手で続けて採用して負かした。さらに、渡辺が先手で最近では画期的な過去に不利とされていた順をの見直し▲2五桂を採用したのを、最終局で森内が先手でやり返してまたも「往復ビンタ」。都合二度やってのけた事になる。
これについて、ある棋士が(誰が言ったか失念したが)、「森内さんはある戦形を究めたいのでしょう。タイトル戦なのに。その研究心がすごい。」という意味の事を述べていた。
なるほどそうなのかもしれない。そういう見方もあるのかと思って感心したのである。しかし、低次元な人間の私などはもっと別の心理的な解釈がどうしてもしたくなる。
そもそも、渡辺が竜王を奪取したのは10年前の森内からである。当時は、まだ厳密には森内の方がまだ真の実力では若干上回ると言われていた。そして、それは当時の渡辺自身も率直に認めていたのだ。しかし、渡辺は△8五飛という専門戦術と抜群の勝負強さで第七局までもつれた戦いを勝ちきったのである。
森内は渡辺がその後竜王を連覇し続けるに従って責任を感じるという意味の発言もしていた。自身も竜王に再挑戦するもストレートで渡辺に敗れ去ってしまったのである。
森内は棋士なのに大変デリケートで繊細なところがある。渡辺に当初竜王を奪取された際も、渡辺の(若さゆえの若干)傍若無人な振る舞いにイライラしているようなところもあった。再挑戦した際にも世代の違う渡辺に勝たないといけないという無駄な力みのようなものも感じられたのである。
ところが今回は最初から全く感じが違った。名人を羽生相手に防衛した余裕もあるし、今や渡辺の実力も巷間に完全に認知されている。もう負けたら恥ずかしいという事情など全くない。
となれば、無心に実力を思う存分ぶつける事が出来る。そうなると滅法強いのが森内なのである。
森内が名人戦で羽生にやたら強いのもそれが明らかに一因だ。森内は平素から羽生に対するリスペクトを隠さず口にしてきた。最近では、麻雀の桜井章一さんとのプライベートな会話で「羽生さんを敬愛しています」と述べたそうである。
だから、森内は羽生相手だと余計な事を考えずに全ての力を発揮できるのだ。
今回の竜王戦でも、世代の違う渡辺に対する意識過剰が全くなかった。そうなると、森内はむしろ驚くべき攻撃性を発揮するのである。
もし、「どうしても勝ちたい」と思っていたら「往復ビンタ」など考える余裕はない。しかし、今回は余裕があるのでまるで少年が何も考えずに悪戯をするかのように相手の作戦を採用して「どうだ」とやってしまう。
普通の人間なら悪意とか意地悪とか思われるだろうが、森内の場合はそういうのは微塵もない。単に子供のように「これやってみたいや、面白いや」ということなのである。子供の何も考えないイタズラが時としてとてつもなく残酷なように。
島朗の「純粋なるもの」は基本的に羽生世代に全員にあてはまるのだが、その中でも一番子供の純粋をいまだに保持しているのは多分森内だろう。
ドラえもんのジャイアンの顔だけとてつもなく善人になったのを想像していただきたい。とてつもなく力が強いのでのび太はたまったものではないのだ。

さて、渡辺明。ここ近年では「竜王」というのがそのままこの人の呼び名だった。羽生相手の三連敗四連勝も、(私のような羽生ファンにとってさえ)もはや懐かしい思い出である。
だから、この人が竜王ではいなくなるというのは大変な喪失感がある。
もしもと、渡辺はその率直な人間性が渡辺ファンには魅力的だったようである。私もそれはよく理解していたのだが、最近は羽生の強烈な仇敵だったので(苦笑)そんな余裕がなかっただけである。
そんな渡辺が最近メディアへの露出がやたら多くなり、その憎めない人柄が広く知られるところになった。
また、今まであまり言わなかった羽生へのリスペクトもあまり隠さなくなった。競馬の福永さんとのテレビ対談、囲碁の井山さんとの対談、NHKの将棋本でのエッセイ、そして最近刊行された「勝負心」で羽生への思いを率直過ぎるくらいに率直に語っている。
渡辺の正直さ、明るさ、素直さがかなり表に出るようになってきたのである。そういうタイミングでの失冠だったので、渡辺ファンでなくても一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
さきほど述べた王者の系譜の話で言うと、渡辺もまたそれにふさわしい華のある魅力的な人間なのである。それが多くのファンに周知になりつつある時点でのこの出来事は何とも皮肉だとしかいいようがない。
それと将棋自体について。今まで渡辺だけが羽生世代と孤軍奮闘している存在だった。
それについて実は二通りの見方があった。まず一つは渡辺こそが羽生世代を超える現代的な感覚の将棋を代表する存在だと。時間は掛かるが結局羽生世代をねじ伏せて王朝を継承するだろうと。
もう一つは、渡辺将棋はシビアで現代的だけれども羽生世代のような奥の深さに欠ける。若い力のある時はいいが、衰えると羽生世代の反撃を受けるのではないかという見方。
私自身は、二番目の見方も理解できるが、ずっと将棋を見ている者としては、やはり渡辺間無駄のにい現代的な将棋がどんどん魅力的に見えてきていて簡単に羽生世代は倒せないかもしれないが、ずっと激戦を続けるだろう。特に羽生とは、という折衷案だった。
ただ、今回の竜王戦は羽生世代の森内の文字通り「厚さ」を感じされる内容だった。
棋聖戦の羽生との戦いを考えても、今渡辺がピンチとは言わないまでも一つの岐路に立っているのは間違いない。
しかし、そもそも渡辺は竜王奪取もその後の次々の防衛劇も「予想を裏切る」歴史だったのである。
渡辺には逆境をはねかえすパワーがあるのだ。王将戦を控えた羽生ファンとしては、それを恐れつつも現在最高のゴールデンカードを心ゆくまで楽しもうと思っている。
羽生がよく言うように棋士の人生はマラソンのようなもの。今回の竜王戦もその一ページに過ぎない。

渡辺明の羽生善治観―SWITCHインタビュー達人達 福永祐一×渡辺明より

昨晩にNHKのEテレで放映された競馬騎手の福永祐一さんと渡辺明の対談番組。
渡辺明が、ちょっと腰をひけながら馬にニンジンを食べさせる姿、競馬の騎手姿に着替えて馬の模型を乗りこなして颯爽と...というわけにはいかなくて、福永さんに「かっこよくならないなぁ」と言われてしまう姿、盤の前でチョコケーキをほうばってやはり福永さんに「シュールな光景だ。」と言われてしまう姿。
渡辺の(失礼ながら)、「かわいらしさ」が端々に滲み出る番組でもあった。
福永さんは、競馬騎手というよりは、何となくストイックな格闘家のような雰囲気のある人で、二人の対談自体もとても興味深かった。二人とも大変な実力者であるにもかかわらず、羽生善治と武豊というスーパースターと戦う宿命を背負っている点でも立ち位置がちょっと似ている。
ここでは、番組の中で渡辺明が羽生善治について率直に述べている大変貴重な言葉を紹介しておこう。
「天才肌ですよ。いやボクも天才とよく言われるんですけれど、羽生さんは天才肌だとボクは思いますね。多分、他にあんまりこのヒト天才肌という人はいないですかね。羽生さんは天才肌だと思います。
何かいいとこいいところにこう・・・何と言うか説明が難しいんですけれど、当然勝率は高いわけじゃないですか、それで勿論技術的に強いんですけれど、まぁそうは言っても羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。まぁそれを全て読みきってやっているわけではないのは分かるんですけれど。
最初は本当にはじめて対戦する時はもう緊張して目の前に羽生さんがきた段階で、もうさっきの福永さんのダービーのアレじゃないですけれど、のまれますよね。二回目以降は少しは指せるようになりましたけれど。よく羽生さんの将棋ってどういう将棋かと聞かれて困るんですよね。個性がないので。弱点がないんですよね。」
渡辺らしく「自分もよく天才と言われるんですけれど。」と言い放つ。「自分も天才と言えば天才っすよ。でもそんな事はなんでもないんです。」とでも言わんばかりに。
プロ棋士の世界は天才集団である。既にプロになれる時点で十分に「天才」である。その後天才たちの戦いが始まる。
渡辺明や羽生善治やその他の超一流棋士たちは「天才中の天才」である。もう努力だけではどうしようもならないおそろしい世界だ。
その天才中の天才の中でも、さらに天才の渡辺が羽生の事を「天才肌」だと表現する。
「天才」ではなく「天才肌」である。つまり才能という意味での「天才」など(あくまで)渡辺にとっては大したことではない。天才にも理解しがたい言葉では表現できない何かが「天才肌」なのだ。渡辺は将棋だけでなく言葉の使い方も大変正確無比なのである。
「羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。」というのは何というおそろしい言葉だろう。技術や読みじゃないところでほとんど本能的に勝つ手順を選んでしまうところが羽生にはあるというのだ。それが天才中の天才中の天才の渡辺にとっても、「天才肌」としか言いようのない部分なのである。
そしてそれを本当に盤の前で向かい合って理解できているのは渡辺明他数名のプロ棋士だけのはずだ。我々凡人には伺い知る事の出来ない―限りなく嫉妬せずにはいられないと同時におっかない―世界である。

福永さんがフトこんな事を言う。
「努力している人でも楽しんでいる人には勝てないです。」
武豊さんを意識して言われた言葉のようにも思えるが、この言葉はそのまま羽生善治にも当てはまると思った。渡辺はどう感じたのだろうか。

2011JT将棋日本シリーズ決勝 羽生JT杯vs渡辺竜王

JT将棋日本シリーズ決勝結果(棋譜再生可能)
JT将棋日本シリーズトップページ

今更だけれども。

渡辺明の先手で▲7六歩に対して羽生の二手目は△8四歩。しばらくはずっと二手目△3四歩だった羽生が最近△8四歩も指し始めている。
先日の王座戦第一局でもこの出だしだったが、その時は先手の渡辺が角換わりを選んだ。今回は矢倉。この二人は去年の竜王戦第二局やNHK杯で先後逆で矢倉を指している。その時は羽生の▲4六銀▲3七桂型に対して渡辺は△9五歩型だった。
今回は渡辺が先手でも後手でもよく指して高勝率を残している▲4六銀▲3七桂型に対して羽生は△8五歩型を選択。先手が穴熊に組み替えるのが定跡になっている。
この形は今年の名人戦の第四局と第六局で▲羽生vs△森内でも指されていてどちらも羽生が快勝している。名人戦では61手目▲3五同角としてそれが定跡とされていたようだが渡辺は▲1五香とした。不勉強でこれが純粋な新手なのかは知らないが、名人戦の後にも当然研究が進んでいるのだろう。
さらに、その後も渡辺は香車を突っ込んで成り、羽生が飛車をおさえこみにきたところも飛車を見捨てて猛攻をかけ続ける。
自玉は穴熊で堅い形ではないにしても遠く、その状態で細い攻めを巧みにつなげるという渡辺お得意のパターンで大優勢になった。
しかし、羽生も△8八歩で穴熊から玉をひっばりだして必死に食らいつく。渡辺がしっかり受けてやはり玉型が大差過ぎて先手勝ちと思った瞬間に羽生の△6七金の鬼手がとんてきた。歩のきいているところに金をただ捨てである。▲同歩なら後手の飛車と角が先手玉に直通してくる。△6八金などと更にくいつくのだろうか。
渡辺は▲同金として以下△5七歩成に▲3四馬から▲7一銀としたが、これが敗着になったそうである。
今週の週刊将棋によると、△5七歩成を▲同金とはらい△6八飛成には▲7八金とがっちり受ければ先手が優勢を保てたと書かれている。
しかし、(この後の部分が私が今更記事を書く気になった理由なのだが)、実は▲7一銀のところでは▲7五桂以下後手玉に即詰みがあったそうである。
ツイッターである方がこの将棋を激指ソフトで棋譜解析した結果をつぶやかれていて、詰み手順も教えていただいた。
手順は▲7五桂打△同歩▲7四銀打△同玉▲7五銀△8三玉▲7四銀打△9三玉▲8三金打△同飛▲同銀成△同玉▲6一馬△7二銀打▲8四飛打△9三玉▲8三金打△同銀▲同馬まで
もし感想戦で出ていたら週刊将棋にも当然この詰みが載るはずだから、対局直後の時点では二人とも詰みに気づいていなかっただろうか。或いは、詰みにも後で気づいたが(羽生は対局の時からかも)前述のきっちり受ける順がより確実な勝ちという意味なのだろうか。多分その辺は将棋世界の観戦記で明らかになるだろう。どちらにしてもソフトにかかるとこういう詰む詰まないが一発で分かってしまうのは恐ろしくも味気ない話である。
さて、とはいえとてもその後、詰むとは思えない先手玉を鮮やかに詰ました羽生はやはり見事だった。あるプロも一目だとあれが詰むようには見えないと言っていた。
週刊将棋によると渡辺は△6七金に「びっくりして分からなくなった」そうである。いかにも正直な渡辺らしい感想である。ちなみにソフトだと決してああいう鬼手にも驚いてはくれないわけだが・・。
現地で解説していた豊川孝弘の講評が終盤の凄まじさを分かりやすく表現している。
大げさに言えば、今日の観客の皆さんは歴史的な対局を目撃したことになる。(中略)後世の語り草になるような勝負だった。
NHK杯の羽生vs中川を彷彿とさせるような信じられないような終盤の逆転劇だった。
先日の王座戦を見ていて私はこう思った。羽生善治をこんな負かし方をすることが出来るのは渡辺明しかいない、と。しかし、今回の将棋を見たら今度はこうも言いたくなる。渡辺明をこんな負かし方をすることが出来るのは羽生善治だけだ、と。

渡辺明「永世竜王への軌跡」(日本将棋連盟)


自戦記編はとうに読み終えたのだが、棋譜解説編がいつまでたっても読み終わらない。なかなか進まない理由があって、一局の棋譜に対して図面5つだと私の脆弱きわまりない脳内棋譜再生能力だと。ちと苦しい。きちんと理解しようと思ったら実際に盤に並べないと無理だ。本当は一局につき図面10個は欲しいのだが(我儘だなあ)、それは本の構成上無理だろう。とにかく、いつまでたっても書評が書けそうにないので、第一部自戦記編を読んだ感想をメモしておこう。
本書は第一部自戦記編で10局詳しく解説し、第二部棋譜解説編で31局の棋譜とポイントの指し手の簡潔な解説するという構成である。第一部があくまで本書の中心部分である。そして、取りあげている計41局は、竜王を獲得する17期の竜王戦の予選一回戦からの渡辺が指した竜王戦での全ての棋譜が網羅されている。他にも、羽生との王座戦など大切な将棋は多いわけだが、それらは取り上げておらず、本のタイトル通りに、渡辺の永世竜王への戦いの全ての記録である。
自戦記では、去年のあの羽生との壮絶な戦いから、第1,4,7局が取り上げられている。他には、谷川との決勝トーナメントでの1局、森内相手から1局、木村相手から2局、佐藤相手から、一年目2局、二年目1局の計10局である。
本書の特徴は、梅田望夫さんが書評で書かれているように、渡辺が戦っている上での気持ちをかなり正直に生々しく語っていることである。それは、竜王戦のネット中継や専門誌の観戦記でも決して読めない貴重な部分である。ここまで、自分の心のうちを率直に書いた例は、多分今までにはないだろう。従って、将棋マニアだけでなく、「指さない将棋ファン」でも楽しめる内容になっていると思う。特に、竜王戦の間のエピソードを記した部分については、将棋を知らない人でも読んで完全に理解できる。(当たり前だけど。)
梅田さんは、渡辺の「戦略性」について指摘している。いかに封じ手を自分に有利になるように利用できるかを徹底して考えるなど、緻密に計算して戦っているということである。普通、そういう事は黙っていたほうが有利なはずなのだが、渡辺の場合は全て自分の手の内のカードを明かしてしまう。それが渡辺流の面白いところで、昨年の竜王戦を取材した「情熱大陸」でも、渡辺の正直者ぶりが本当に印象的だった。(その番組のまとめ記事を書いたことがあるので、興味のある方はどうぞ。)
対局中の心理と実際の指し手の読みの関連を、きわめて具体的に語っている例が、佐藤との第20期竜王戦第6局の終盤での決め手となった▲9八飛の場面。他の飛車の逃げ方では全部ダメな場面で、渡辺は残り時間を全て使いきって正解の好手を指した。読んでいる内容を、まるで自分の心中を小説に書くようにリアルに再現していて面白い。そして、残り2,3分になったところで、やっと正解にたどり着いたそうである。
羽生との竜王戦第4局の終盤でも、自玉が打ち歩詰めで逃れていることを、羽生がコップに水を注いで飲んでいる間に発見したという有名になった話とともに、いかに本当のギリギリのところで戦っているかがわかる。ちなみに、その第4局についても、対局後の渡辺自身の発言についても、本書には新たな記述があって興味深い。
とにかく、こうして竜王戦での渡辺の戦いの歴史を振り返ると、ギリギリのところで恐ろしく勝負強いと感じずにはいられない。佐藤相手の△7九角にしても。その理由としては、希代の戦略家であること、徹底的に現代的な合理主義的将棋観といったものが考えられるのかもしれないが、根底においてはやはり精神面の強さ、図太さがあるように感じる。私がこのブログをはじめたのが、丁度渡辺が竜王を獲得した頃なのだが、その頃から渡辺の将棋自体は大きく変化し続けている一方、渡辺の人間に対する基本的な印象は全く変わらない。その頃の記事でも引用したことがあるのだが、坂口安吾の「勝負師」からの一節。
「勝負師という点では、大山はちょッと頭抜けているようだ」
「大山にはハッタリめいたものがないのである。非常に平静で、それを若年からの修練で身につけたミガキがかかっている。(中略) 温室育ちという生易しいものがないのである。勝負師の逞しさ、粘り強さは、升田の比ではない(以下略)。」
「この図太さは、棋士多しといえども、大山をもって随一とする。頭抜けたアクターであり、その底にひそむ勝負師の根性ははかり知れないものがあるようである。」
安吾は、若き日の大山を見てこのように評しているのだが、渡辺にもそういう勝負師的な資質があるように感じる、と当時も私は書いていたし今もそう思う。。羽生は羽生で、また別の種類の強烈な無意識派の勝負師だと思うのだが、やはり意識的に勝負に取り組んで勝つためのあらゆる努力を惜しまないという点では、大山に近いのは渡辺の方だと思う。もっとも、渡辺の場合は、大山のように露骨な盤外戦術を使うわけではないし、先述したようにきわめて「正直者」の一種爽やかな勝負師なのだけれども。
本書全体を通じて、渡辺は明らかに将棋マニア以外でも楽しんで読めることを意識して書いているのだと思う。それは「頭脳勝負」以来、広い層に将棋を楽しんでもらいたいと、渡辺が終始一貫考えているためなのだろう。そういうところまで、渡辺は「戦略家」なのである。勿論、それは将棋を多くの人間に楽しんでもらえるようにするために、素晴らしい事である。
ただ、唯一私がちょっと残念に感じた点。羽生との竜王戦の第4局と第7局の終盤というのは、とてつもなく難解で終わってからもむなかな結論がでない将棋だった。その変化手順について、本書は徹底的に詳しく解説はしていない。恐らく、そのようなことを詳しく書きすぎても多くの読者は理解できないし興味もないだろうし、この本はそういうことを書く場所ではないという渡辺流のバランス感覚なのかもしれない。ただ、やはりあの伝説の終盤の最終結論を知りたかった。ファンとは我儘なものなのである(笑)。
竜王戦のエピソードの部分については、ブログに近い渡辺流の軽やかなタッチで書いている。私としては自戦記の本文も完全にプログ調で書いて欲しかったくらいなのだが、それはいくらなんでも「指しすぎ」か(笑)。
最後に、私が思わず吹いてしまった部分を一つだけ紹介して終わりにしよう。
嬉野温泉は「日本三大美肌の湯」。対局場「和多屋別荘」の温泉施設は素晴らしく、3泊で5回は入っただろうか。勿論、美肌にはなっていない。

ものぐさ将棋観戦日記 1/21(水)―渡辺竜王まるごと90分、C1順位戦、元気ハツラツ?

囲碁将棋チャンネルの「将棋まるごと90分」は渡辺竜王がゲスト。竜王戦について、相変わらず率直に話していた。
第七局を自戦解説したのだが、新たに得た情報としては羽生の▲6ニ金では▲6四角がまさったとされていたが、実は▲6ニ銀成としていれば分かりやすく先手勝勢だったそうである。感想戦でも二人とも気づかず、後日発見されたとの事。それと、羽生が▲2四飛としたのが敗着といわれていたが、実はその後△6四歩と王手したのに対して、実際は▲5五玉としたが、▲7五玉と逆に逃げていれば、先手玉は相当危ないながらも詰まず、まだまだ難解な戦いが続いていたそうである。改めて解説を聞いていても、あの終盤というのはたった81マスが無限の広がりを持つような不思議な場面だったのだと感じた。
質問コーナーでQ怖いものは
渡辺 虫が怖いです。ハエが一番怖い。対局室にいると、窓にぶつかってくる音がイヤで、控え室のカメラを見て「虫がいますよー」とアピールするんです。すると取りに来てくれるので。その間全然集中なんて出来ません。終盤に出てこられると困るのですが、今のところそういうことはないです。
もはや有名な話だが、ここまでとは。何か幼児体験とかあったのでしょうか。

昨日の順位船C1の棋譜を、自動再生でパラパラと全局並べてみた。結構時間がかかる。それだけでも、それなりに将棋の流れとか、どっちが勝ちそうとかある程度分かるものである。――すみません、今相当見栄張りました。
それにしても広瀬五段は相穴熊で負けたのを見たことがない。一直線に穴熊に完全に囲うというのでなく、その前になんだかんだやって常に相手玉との距離感を計りながら指しているというか、独特な感覚の持ち主である。この本をいつか読みたいと思っているのだが、手元には積読の将棋本がたくさん・・。

中田功七段の三間飛車相手に勝又六段は、主流の居飛穴でなく、急戦でいどんでいた。その心意気やよしだが、コーヤン流の捌きの餌食になってしまっていた。勝又にすれば、負けて悔いなしというところか、というわけはありませんよね。
塚田九段が、竜で桂を食いちぎった手が詰めろ竜取りで相手が即投了というのをやっていた。プロでも、こういうことがあるんですね。
小林健二、福崎、西川といったベテラン、中堅勢が若手のイキのいいところを負かしている。順位戦の厳しいところだし、面白いところでもある。

さて、王将戦で忘れてならないのがスポニチさんの写真である。今年も第一局勝者の羽生王将が「元気ハツラツ、オロナミンC!」をやらされている。
将棋ファンからすれば、あの羽生さんになんて事をやらすのだ、というところだろう。巨人軍の若手の選手たちですかと。
でも、考えてみれば将棋指しだって、スポーツ選手と変わらないところがあるのだから、そういうことをやってもいいのだ。例えば、オロナミンCのCMで、羽生、渡辺、谷川が、揃ってゴクゴク飲み干して、ニッコリ笑って「元気ハツラツ・・」を唱和するとか。どうっすか、大塚製薬さん。

羽生と渡辺の物語が長い中断を経て今再び始まる

物語の発端はこうだ。
当時奨励会時代の渡辺は、低年齢なのにとてつもない勢いで勝ち続けていた。風貌がすこし似ていることから(本人がうれしかったかどうかは知らない)大山二世とも呼ばれていた。中原誠は、渡辺の活躍ぶりを知って目を輝かせていった。
「羽生さんは、この子に倒されるんだね。」

二人の対決は、最初はわり早く実現する。渡辺は、中学生でプロになりたての頃はすこし苦労したが、数年経つと頭角を現して、ものすごい勢いで勝ちだし、19歳の時に、王座戦で羽生に挑戦する。渡辺は、その若さに似合わないくらい、落ち着きはらって、イヤ、ふてぶてしいくらいの態度でタイトル戦に挑む。羽生を、あと一歩のところまで追い込むが、結局2勝3敗のスコアで惜敗する。
その際、最終局で羽生が勝ちを見つけた瞬間、指す手がブルブル震えた。渡辺は、羽生を初めて震えさせた男なのである。

王座戦では惜敗したが、竜王戦では20歳で森内に挑戦し、見事奪取する。当時流行の最盛期にあった後手△8五飛を駆使した。徹底的な最新研究と合理的な指し手の積み重ね。初日も、定跡部分はほとんど時間を使わずに指し、一日目でのっぴきならない局面に突入することもあった。また、対局態度も、19歳とは思えぬ、落ち着き、ふてぶてしさ、率直な発言。神経の細やかな森内からすれば、心が乱されることも多かったのではないかと思う。
下馬評では、まだ森内厚しだったのだが、フルセットでの奪取。
将棋界はニューヒーローの誕生に沸きたち、羽生世代と渡辺世代の戦争勃発かと喧伝された。いや、世代抗争というより、これから羽生と渡辺の戦いが始まるのだと。

ところが、物語は、ここからとてつもなく長い中断に入る。羽生は羽生で、特に森内に苦しめられ。一時はタイトルひとつにまで落ちこんでしまう。羽生は、渡辺世代との戦争以前に、羽生世代との過酷な競争で手一杯だった。
一方の渡辺、竜王戦でこそ、毎年とてつもない強さを見せつけて現在四連覇中。特に、絶好調期の佐藤を二年連続して退けたのは、渡辺の実力の証明となった。特に一回目の防衛戦は、名勝負の名に恥じない内容で、終盤の白熱したねじりあいは、将棋ファンを唸らせたものである。
ところが、竜王戦以外で、渡辺はなかなかタイトル挑戦すらままならない。それどころか、なかなか羽生と対戦することさえ出来なかった。
順位戦では確実にクラスを上げていき、早指し戦での優勝を積み重ねながら、世間が渡辺に期待するほどの活躍が出来ていなっかたのも事実である。

それにしても、あまりにも羽生と渡辺の対戦が少なすぎた。まるで、将棋の神様がファンに意地悪するように、そして「まだ早い」と、対戦を禁止しているかのように。一方、ファンのこの二人の対戦への渇望は加速度的に昂進するばかりだった。
だから、今年ネット棋戦でこの二人が対戦した際には、大変な注目と期待が集まったのである。ところが、将棋の神様は、ここでも徹底的に意地が悪い。なんと、羽生の時間切れという、誰もが予期せぬ結末を準備した。「まだダメだよ」、将棋の神様の高笑いが聞こえた。

しかし、将棋の神様は、ファンをじらすだけじらせておいて、しっかり最高の舞台を準備していた。神様なのはダテじゃない。お互いに永世竜王、しかも永遠に一人にしか与えられない「初代」の永世竜王をかけての戦いを。将棋の神様も、随分無茶をするものだ。「どうだい、これなら文句はないだろう」。将棋の神様が、イタズラっぽく微笑んでいる。

しかし本来なら、渡辺が羽生に挑戦するというのが、本来のストーリーだったはずである。しかし、羽生のほうが待ちかねたように、逆に挑戦に名乗りを上げてきた。いや、竜王戦に限らず羽生はあの七冠当時の勢いを完全に取り戻している。
それにしても、羽生の竜王挑戦への道のりは、まさしく将棋の神様が周到に準備したとしか思えなかった。1組トーナメントでは初戦敗退し、陥落の危機さえあったが、かろうじて決勝トーナメントに進出。その予選決勝の相手の中原には、佐藤と森内をつぶさせておくという将棋の神様の念入りぶりだ。
さらに、決勝トーナメント。最終盤で深浦が▲4九銀としたら、丸山が▲8三金としていたら・・。もう今の騒ぎはなかった。神の見えざる手が働いたとしか思えない。
直近の、木村との竜王戦挑戦者決定戦三番勝負も壮絶だった。木村も、持ち前の強靭な受けと、抜群の持久力で羽生を楽にさせないが、羽生もハードスケジュールの最中、長手数のねちっこい勝負をまるで楽しんでいるかのようだった。挑戦の決まった第三局は明らかにプロ的には木村必勝と思える作戦負けの将棋を、正々堂々と力でねじ伏せてしまった。王位戦第六局も似たような感じの将棋で、とにかく力が桁違いという印象を与えた。羽生ファンの私でさえこう思った、「羽生さんって、こんなに強かったっけ。」

というわけで、渡辺にとっては、恐らく世評では厳しいと判断されるのではないかと思う。しかし、実は寝渡辺は、自分が不利だとか逆境だという時にこそ、もっとも力を発揮するタイプなのだ。先述の森内相手の竜王奪取の時だって、恐らく客観的にはあの時点では、まだ実力では森内が上だったろう。しかし、タイトル戦初挑戦とは思えない堂々とした人間力、△8五飛戦法を専門的に合理的に突き詰める能力で、大仕事を難なく成し遂げてしまったのである。
△ 8五飛スペシャリストだった渡辺だが、その後、将棋の作戦面の選択を一変させる。
現代将棋では、後手番の作戦が最重要課題である。ゴキゲンにせよ、一手損の角換わりにせよ、その力戦振り飛車にせよ、いわば変化球であり、そのことで後手でも主導権を握ろうとしている。羽生も、基本的には後手ではその線で戦っているし、現在はそういう棋士が大勢だ。
しかし、渡辺は、後手でも変化球を投げない。先手の作戦を真っ向から受けて立っている。後手矢倉でも、通常角換わりでも、先手の作戦を全て受け止めて戦うという方針である。ある意味、勝負だけに徹するならばば損な意味もある。しかし、渡辺は将棋世界のインタビューで、そのように相手の作戦を受けて戦うことが、自分の力を高めるために役立つという意味のことを言っていた。これはちょっとすごいと思う。
現代のプロ将棋は、とてつもなくシビアな世界である。そういう正攻法では、並みの棋士ではやっていけない。しかし、渡辺は竜王奪取後、しばらくそういう厳しい修行を自分に課し続けてきた。そのことを考えると、渡辺が現在のような活躍を続けているのは、むしろ評価するべきなのかもしれない。単純ら勝ちにだけ徹する作戦でなく、これだけトップの地位を保っているのだから。ここ数年の渡辺は、さらに本物の実力を涵養するための時期だったという考え方も出来ると思う。

恐らく、将棋の神様は、何もかもお見通しなのだ。渡辺に、羽生と本当に対戦できる力蓄えるまでの練習期間を与えてきたのだ。そして、渡辺が少し不利な時ほど真価を発揮するのさえ折り込み済みで、この竜王戦を選んだのだと思う。言うまでもなく、現在の羽生は最強最良の状態である。問題は、渡辺がどういう戦い方を出来るかにかかっている。
そして私は、渡辺はこういう時にこそ、最高のパフォーマンスが出来る棋士だと信じる一人である。どういう戦い方をするのかも楽しみだ。今まで通り、羽生さん相手でも、堂々と相手の作戦を受けるのもいいだろう。また、もしかしてもしかすると、最近見直されつつある△8五飛で、厳しい定跡勝負を挑むのもまたよし。

将棋の神様がこう言っているのだけは間違いない。
「とにかく、この勝負だけは見逃しちゃダメだぜ」と。

棋士という人間についての漠然とした話


 どんな人間にも、善悪両面が存在する。完全な善人など存在しないし、本当に悪にだけ徹しきれるほど強い人間などいない。程度の差、両者の力のバランス、善悪の深さは別にして、どちらも内面に抱え込みながら、何とか生きているのが人間というものだろう。
 現代という時代では、「人間」を見る場合に、そのどちらかのみに照準を当てがちなところがある。
 一方では、人間の、悪、欠点、弱みばかりを嗅ぎつける姿勢。世間の奴らは何もわかってなくて、あの人間の本性は言われているようなモンじゃない。本性ごくごく汚いものだし、動機なんて所詮不純なものである。人間をよく知れば知るほど、そういうことが分かってくるものさと、うそぶく態度。
 一方では、そういう悪を一切無視して、人間性の建前、美しさのみを無邪気に信じる姿勢。人のことが悪く見えるのは、お前の心が汚れているからで、人間性とは本来美しいもので、人間を汚いもののように言うのは、単なる偽悪趣味に過ぎない、と。
 恐らくどちらにも道理があるのだ。現代において問題なのは、その両者が著しく乖離して、どちらかの見方にのみ偏ってしまっていることなのではないだろうか。理想を言えば、人間の心の、悪、汚さを余すところなく直視しながらも、総体としての人間性の美しさを、キレイ事でなく深いところで信じることの出来る強さである。とはいえ、言うは易しであって、それこそ実践するのは至難の業なのだが。
 何でこんなことを書いているのか、訝しがるむきもあるかもしれないが、将棋指しを語るときにも、本来、今述べたようないわば「複眼」のようなものが必要だと思うからである。
 どんな棋士であっても、あの過酷な奨励会を生き抜いてプロになっている。当然、ただのアマちゃんでは不可能だろう。自然自然に、人間が鍛えられて、どうしても人間的な「闘争本能」やそれに伴う「悪」の部分も必要になってくる。その一方で、いわゆる社会の中でもまれてスレているわけではないので、恐るべき純粋さや理想主義者的な面も残している。多かれ、少なかれどんなプロ棋士についてもいえることであって、そういうところが棋士という人間の魅力なのではないだろうか。
 現代棋界を代表する、羽生と渡辺。自分は、この二人にその典型を感じるのだ。心の中に、いわば善と悪の大きい振幅を内面に抱え込んでいながら、結果的に全体としては、総合力の高さ、大きさや魅力を感じさせる人間。
 渡辺については、本人が認めている通り「酷評家」の一面があり、辛辣なものの見方をする。また、徹底して合理的に勝ちにこだわる恐ろしいまでの勝負師でもある。その一方で、意外なほどの純粋さとか、周りを引きこむ明るさ、屈託のなさ、他人をひきつけてやまない人間的魅力にも欠けていない。
 羽生については、生来の明るさと華、スター性があるのは誰にも異論がないだろう。しかし、その一方で、恐ろしいほどに冷徹で残酷なまでの勝負師でもある。本当の激カラ流は羽生だという声があるように、将棋に対する姿勢も実にシビアである。
 この二人は、キレイ事でない人間性の幅を内面に隠し持っている点でも、やはり、現代の将棋界でも傑出しているのではないかと思う。そういう二人が、真正面から戦うところをファンは見てみたいのだよ。
 そして、その二人の戦いを、本当に理解して楽しむためには、見る側にも、人間性の深さを悪にも善にもかたよらずに見ることの出来る鑑識眼が必要なのではないかと思う。
 実は、坂口安吾が、木村vs升田の観戦記で実践していたのが、まさにそのことである。二人の戦いを、ただのキレイ事としてはなく、なおかつ、最高に楽しく描ききっている。しかも、安吾は将棋を全く知らずに、そのことを成し遂げているのだ。
 いつのことになるか分からないが、羽生と渡辺が本格的に戦うときには、将棋だけでなく、そうした二人の人間のせめぎあいを余すところなく描く観戦記が現れてくれることを願わずにはいられない。
 というわけで、タイトル宣言通りの、棋士という人間についての、ごく漠然とした話でした。いうまでもありませんが、羽生三冠、渡辺竜王について述べた部分は、あくまで自分が主観的に感じていることを述べただけであって、なんら客観的な根拠がないことを、一応断っておきます。

渡辺竜王関連記事、瀬川アマについて

渡辺竜王関連記事、瀬川アマについて

渡辺竜王関連記事

週刊文春 「阿川佐和子のあの人に会いたい」
 例によって、実に堂々としています。少しは緊張してくれたほうが、カワイげがあるというくらいに。王座戦の際に、羽生さんから勝ち星をあげた時の素直な喜びなど、結構私的な本音的感じの話もたくさんしていて面白いので、興味のある方はどうぞ。

将棋世界三月号
 様々な棋士が、渡辺竜王について語っています。山崎六段の渡辺人物評は、結構笑えます。青野九段がなかなか面白い分析をしているのですが、その中で、渡辺世代が通常の研究会以外に、携帯でコマメに仲間で連絡を取り合って、どんな新手が指されたか情報交換しているという話が興味深かった。

日経ビジネスアソシエ
 短いが簡潔によくまとまっていて、模範的な「渡辺紹介記事」になっています。研究法について「デジタル機器を使いこなしながらも、アナログ的感覚も大切にしている。」と記述している。研究法については、各インタビューで微妙に違っているのだが、まあこのあたりが正確なところでしょう。(別に記事ごとに矛盾しているわけでなく、聞かれ方によって答え方も違ってくるだろうし、いくら渡辺さんが正直に言うほうでも、何でもかんでもありのままに答えるわけもないし。)


瀬川アマについて
 将棋世界三月号の「盤上のトリビア」で、瀬川さんの「特例でプロになりたい」という発言が紹介されていて、また、具体的にプロ入りを働きかける行動に出るそうだ。
 ただ、例外的にというのであれば、銀河戦や対プロ対戦成績以上のものが必要といわれそうな気がする。特例ということでなく、プロ棋士になるための条件を、根本的に見直すという動きにつながらないと難しいかもしれない。
 もともと、現在の奨励会制度は、将棋指しの「超エリート性、選良性」が前提の考え方になっていると思う。あれくらい厳しい条件をクリアできるくらいでないと、プロ棋士になっても無意味だという考え方。しかし、昔と現在では状況が全く違う。色々なところで取り上げられている羽生二冠の比喩の通り、「現在は強くなるための高速道路が整備されていて、ある程度までは皆が短時間で比較的容易に目的地に達することが出来るが、出口で大渋滞が起こっている。」その後が大切だという意味なのだが、逆に言うと、三段の人間の強さは四段とそれとの違いがそれほど明確でなく、また層の厚さも並外れている。当然、瀬川さんのように、実力はあるのにプロになれない人間が出てくる。
 時代の変化、生活するための経済面などを考慮すると、そろそろ制度自体を見直してもよいのではないか。将棋界の内部の頭のよい人が考えるべきことだが、内情、現状など一切無視して、ド素人の無責任な案を書いておく。
 「プロ」の範囲を現在の四段以上でなく「初段以上」に拡大する。但し、四段になるまでは給料を出さないのは今まで通りとする。「食えないけど、アルバイトをしてでもしたいのであれば」というスタンスで。年齢制限も、現在のように極端に厳しいものではなくす。
 棋戦に、現在の予選に加えて、三段以下の参加する「予備予選」を設けて、勝ち抜いたものが予選に参加できるようにする。予選にまで進んだ段階で、対局料を出す。現在の昇段規定を残したまま、一般棋戦で目覚しい成績を残したものに、別に昇段できる規定を設ける。
 瀬川さんのように、既に退会した人間については、目覚しい実績を上げた場合、特例で「初段」以上の扱いでの参加を認める。
 まあ、乱暴そのものの、試案ともいえない代物である。ただ、とにかく、「瀬川さんのような人を、何とかしてもらいたい」というのが、ファンの素直な心情なのだ。

 棋王戦、やっぱり、谷川さんでも駄目だったかー。本当に、また七冠取ってしまうんじゃないかという勢いだ。でも、一局終わっただけだから、判断するのはまだ早い。羽生さんも、渡辺さんの登場で目が覚めてしまったのだろうか。とにかく、刺激を受けているのだけはまず間違いない。
 今日の終盤、いかにもいろいろな変化が潜んでいそうなので、解説を聞いてしっかり勉強することにしよう。

「竜王は二十歳」連載第四回について

 読売夕刊に連載された「竜王は二十歳」、全六回で完結しました。前回は、第二回の研究法について取り上げたが、今回は第四回の「勝負師向き 立ち直りの早さ」について。
 羽生さんの渡辺観が紹介されている。渡辺将棋について、以下のように述べている。

「現代の若者らしく多くのデータの中から良質のものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている。」

「現代的な棋士渡辺」のイメージ通りの分析である。しかし、第二回の記事で紹介したとおり、研究法に関しては、実は「根っからのアナログ棋士」なのだ。パソコンによる検索より、実際に盤に並べて考えることを重視するという。この事実と、羽生さんの発言内容の違いのようなものをどう考えればよいのか?
 多分こういうことではないだろうか。実際に、渡辺竜王は、あまり実際にはパソコンに頼らないタイプなのにしても、やはり同世代と物事に対する価値観、感覚、考え方を無意識に共有している。だから、年をとった人間が、過大な情報量の海に溺れてしまうのに対して、それを楽々と泳ぎぬけて、膨大な情報量を処理して、役に立つものだけを「しっかり、ちゃっかり」自分のものにすることが出来る。それが、彼に限らない世代共通のものにしても、特に情報処理能力の迅速さ、選択能力が並外れているのだろう。恐らく、実際にパソコンを使うかどうかという問題ではないのだ。
「盤に並べる」研究法にしても、誰もが同じ思考回路、方式を取っているわけではないだろう。同じ棋譜を並べるにしても、その局のポイントを即座に見つける能力、その対局の精髄を感知して徹底的に考える能力などが、優れているのではないだろうか。あくまで盤に並べるのは「集中して考えるのに都合が良い」だけのことであって、アナログかデジタルかという問題ではないのだと思う。
 将棋指し以前の「頭のよさ」で、羽生二冠と渡辺竜王には共通するものを感じるが、その質は二人では違う気がする。羽生さんの場合、どちらかというと「理論的・抽象的に盤面の真理を追究する能力の高さ、抜群のあかるさ」という感じ、渡辺さんのほうは「理論的というより、実践的・実際的に、局面局面の最善をつかみ取る頭のよさ、それは理論的というより一見素朴にすら思える」という感じだと思うのだが、どうだろう。
 さて、話は変わって勝負師としての資質についても、羽生さんは渡辺さんを高く評価しているようだ。「立ち直りが早くて勝負師向きの資質」といっている。これについては、竜王戦をテレビや新聞などで楽しみながら、自分が何より強く感じたことだ。生まれついての勝負師という感じがする。しかし、実は「勝負師としての資質」ということでは、羽生さんも決して負けていない。ああいうスマートな外見だけれども、その内に秘めた勝負師根性たるや、本当にすさまじいものがあって、一時期谷川さんが完全にやられてしまっていたのも、実力差というより、その面での差ではないかと思う。順位戦での「上座事件」ひとつとっても、羽生さんの勝負師としての度胸のすわり方は明らかである。 
 羽生VS渡辺は、王座戦で一度実現しているわけだが、その時は、まだ羽生さんも「勝負師渡辺」をそれほど意識していたわけではないだろう。だから、今度二人がぶつかるときは、将棋以外の部分でも大注目である。恐らく、盤外戦でも、二人とも一歩も譲らないのではないだろうか。根っからの勝負師同士の激突、衝突が見られるのではないかと期待してしまう。
 自分は、このブログで、何度も渡辺竜王と若き日の大山の類似性についてふれてきたのだが、最後に実際に坂口安吾の文章を引用しておこうと思う。「大山」を「渡辺」と入れかえても、そのまま通用するところがある気がするので。

「勝負師という点では、大山はちょッと頭抜けているようだ」
「大山にはハッタリめいたものがないのである。非常に平静で、それを若年からの修練で身につけたミガキがかかっている。(中略) 温室育ちという生易しいものがないのである。勝負師の逞しさ、粘り強さは、升田の比ではない(以下略)。」
「この図太さは、棋士多しといえども、大山をもって随一とする。頭抜けたアクターであり、その底にひそむ勝負師の根性ははかり知れないものがあるようである。」
「私は大山と(中略)酒を飲んだ。私はまだ二十七の風采のあがらぬこの小男の平静な勝負師が、なんともミズミズしく澄んで見えて、ちょッと一日つきあいたい気持ちがしたからであった。」 
 ( 坂口安吾「勝負師」より)

渡辺竜王成人の日、「一葉の写真」「聖の青春」

米長永世棋聖がHPで、渡辺竜王のことを書かれています。それに対する渡辺竜王の日記での返事が、何というか、実に彼らしくて明快です。
 渡辺竜王は、将棋の技術をどんどん新しく進化させつつも、将棋界の伝統をしっかり踏まえて王道を行く人間なのだろうと感じました。勝つために、将棋の内容はシビアに追及し続けながらも、将棋界が今まで築き上げてきた伝統に対する素直な尊敬や畏敬の念も、しっかり抱いているようです。もともと、すごく素直な人間性をしていると思いますし。
 それにしても、米長永世棋聖に遠慮せずに反論したり議論をできるのは、やはり「大物」だし、大したものです。
 NHKのミニドキュメント、凝縮されたよい出来でした。「情熱大陸」では、パソコンでの棋譜並べ、NHKでは、実際に盤に並べる棋譜研究が紹介されていました。「精読」と「乱読」をうまく組み合わせるのがポイントなのは言うまでもない。両方大事なのだろうが、やはりパソコンの利用法の方に人とは違う情報処理能力が発揮されているような気もします。「谷川将棋を並べた」のは、無論精読の方だが、「羽生ではなく谷川」というチョイスの理由を知りたいところです。
 「自分より強い人がいる」というのは、前にも書きましたが、冷静な自己客観視能力の現われであって、恐らく社交辞令でなく本音でしょう。その一方で、努力すれば誰をも超えられるという深い確信は心にしまっているのだと思います。

先崎学著「一葉の写真」
 いまや、「印税生活者」?の先崎八段の、ごく初期の本。基本的には、おなじみの「先崎スタイル」だが、若いだけにより率直に真情を吐露している側面が強くて面白い。特に、若い頃、麻雀に明け暮れ、思いっきり遊び、将棋に命をかける姿は、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」を実生活で地で行くといった趣がある。今本人が、読んだら少し恥ずかしいのではないかというくらい「青春」している。現在の先崎さんの文章が好きな人は、是非読まれるとよいと思う。
 本とは直接関係ないのだが、麻雀に関連して、先崎八段も仲良くされていた安藤満プロが若くして亡くなった。スカパーのモンドで、プロの麻雀棋戦が見られるのだが、安藤プロ、非常にオーラが強くて魅力的な人だった。また、麻雀の技術を、単なる博打でなく、プロとして高め、極めようとする姿勢も強く持っていたようだ。先崎八段も、「男はつらかバイ」(「フフフの歩」所収)で、安藤プロの姿を活写している。また、自分が大ファンの西原理恵子の漫画にも、よく登場していた。えらい、ムチャクチャな人間として描かれているのだが、西原女史、本当に安藤プロのこと好きなんだなあという感じがよく出ていた。

大崎善生著「聖の青春」
 何でいまさら改めて紹介する必要があるのかという本だが、実は自分はごく最近になって読んだ。自分は、村山聖が亡くなった時の、棋士仲間や将棋ファンの真情を、これっぽっちも疑うものではない。しかし、それが一般の世界にまで、あまりに美化して語られ始めるにいたって、天邪鬼な自分は、少しさめた気分になってしまった。この本についても、すぐに読まずに、しばらくたってから、一人落ち着いて読もうと思っていて、そのまま忘れていたのだ。しかし、やっぱり、素直にすぐ読むべきでした。読めば分かるという種類の本であって、余計なコメントや解説は一切必要ない。もし、自分のように読みそびれた人がいるなら、書店に直行して黙って読むべき。
 もしも、何かひとつ内容について言うとしたら、題名を「森信雄=村山聖師弟物語」と変えてもよいということ。村山聖とともに、森信雄も間違いなく主役である。読んでいて、森と村山は、まさしく出会うべきして出会ったのだと、思わずにはいられなかった。ちなみに、今話題の山崎隆之は、森の弟子。彼の、独特のキャラクターは、本人がもともと持っている以外に、森や村山の大きな影響無しに語れないのではないかという気がする。

若手棋士の日記「竜王戦総括について」

 とにかく渡辺竜王は筆マメなので、感想が追いつきません(笑)。
 二日制対策について書いていますが、棋士の立場と、見るファンの立場を同時に論じているので、二つを分けて考えてみる。
 まず、棋士としての立場について。今回の勝因の一つが、初日の時間の使い方にあったのは確か。特に最初の頃、森内さんは、少しカリカリしていたフシもあったし。
 そういう心理面だけでなく、将棋の合理性の追求という面でも理にかなっていると思う。今までのように、日記に書かれている通り「二日目の夕方、夕休以降に、少ない持ち時間で一気に進む」というのは、どう考えてもおかしい。「トップは、終盤でも、短時間で間違いなく指せる」というのも、明らかに詭弁である。難しい中終盤に時間があったほうが良いにきまっている。
 こう書いてしまうと、当たり前すぎるくらい当たり前なのだが、今までの将棋界の暗黙の了解を破るのは、かなり勇気がいることだ。革命者というのは、されてみれば当然なのだが、なかなか他人ができないことをやってのける勇気があるものだ。今回も、連盟の幹部から、封じ手時間変更の検討の声がかかるなど、色々外野から言われた。(読売が、毅然として従来どおりを貫いたのは良かった。西條記者、普段は態度がデカイけど(失礼)、ああいう時は、圧力に屈せずにスジを通してくれそうで、頼りになりそうなところがある。)結局、渡辺竜王は、最初から最後まで自分のスタイルを貫き通して、やはり意志の強さがあるように感じた。
 また、あらゆる意味で「速度アップ」をするというのが、全体的な現代的な将棋の趨勢なのだと思う。時間の使い方にしても、研究範囲の拡大にしても、終盤の寄せ方にしても、余計な「美学」などにとらわれず、無駄な部分をできるだけそぎとっていく合理的な姿勢。当然、無駄なところを省くから、「速度」はどんどん早まっていくことになる。それを渡辺竜王は貫いている。これは、何も将棋の世界だけにはとどまらないことだ。やはり、当たり前のことに過ぎないのだが、それを淡々と実践できるというのが、実はとても非凡なことなのである。勿論、渡辺竜王に、森内さんと戦える将棋の実力の高さがあってこそのことなのだが。
 王将戦で、羽生二冠が、初日どういう指し方、時間配分をするのかに、自分はすごく注目している。
 さて、見るファンの立場について。これも、日記に書かれているように「今まで、初日は見る必要もなかった」というのが、実に正論過ぎる正論である。渡辺竜王の主張には、コロンブスの卵的な説得力があると感じた。実際、自分も、今までは、初日は録画しておいて、翌日にでもゆっくり見ればよいというパターンが多かったが、今回は、初日どうなっているか気になって仕方なく、できうる限りすぐ見ていた。ファンにとっても、「二日制」の意味があるのだ。初日はじっくり駒組みをしてという美学は、昔の武士の互いに名乗りをあげるところから始まる一騎打ち、初日からいきなり戦い始めるのは、現代的な戦争という言い方ができるかもしれない。かつてが良かったという懐古の声を別にすれば、時代の趨勢であろう。今後、ますます一日目の重要性が高まっていくのではないかと思う。
 テレビの放送前に終局したのも、竜王本人も率直に認めている通り「はっきりミスをして」将棋が一方的になったりしたからで、双方が普通に指せば、むしろ放送時間内に終局が収まる可能性が高まると思う。名人戦など、大事な終盤が、今までほとんど見られなかったのだから、速度アップは、ファンにとっては大歓迎すべきといえるだろう。

 日記の後半では、渡辺竜王の、自分の実力をシビアに客観視する能力が、目についた。自分に対する、深い信頼と自信がある一方で、過信にならず、的確に自己を見つめることも出来るようだ。今だから正直に言うが、自分も、現時点では(あくまで、現時点でですが)やはり、森内さんの地力と総合力が、ほんの少しだけ上なのではないかと、素人ながら思っていた。だから、第五局が終わった時点でも、多分第六局では決まらず、勝つとしたら、最終局で、しかもギリギリの形でしかないのではないかと思っていた。結果的には、スッキリした勝ち方でしたが。まあ、こういうことは、後になって言っても無意味なんですけどね。

年末の恒例の格闘技番組を、横目で眺めながら書きました。曙のあっけない敗戦を見届けて・・。

時代が動いた日(渡辺新竜王誕生!)

 はじめて「渡辺明」の名を目にしたのは、河口俊彦氏の著書の中でだった。当時、渡辺少年は、低年齢にもかかわらず奨励会をものすごい勢いで勝ち進んでいた。風貌も大山を髣髴とさせる。当時は、羽生が栄華の絶頂にあった。渡辺少年の事を聞いた中原先生が、目を輝かせて「羽生さんは、この子に負かされるんだね。」といったという話、生々しくて忘れようにも忘れられません。
 それ以来「渡辺明」の名がすごく気になるようになり、週刊将棋の奨励会の勝敗表を、欠かさず見るようになった。しかし、実は順調に昇級していったわけではない。二級になってから、なかなか勝てずに、かなり長く停滞していたのを知っている。「この調子じゃ、中学生棋士は、チョット無理かなあ」と思ったのをよく覚えている。
 つまり、渡辺明は、実は早めに、小さい挫折経験をしているのだ。回りの期待が大きいだけに、少年なりにアセリもあっただろう。同時期、やはり低年齢で活躍していた、橋本現四段の方が、勢いがあるくらいだった。
 しかし、脱出してからは、順調にまた階段をのぼり始めて、ギリギリで「中学生棋士」に滑りこんだ。その辺、追い込まれた時の勝負強さを、当時から見てとることができる。つまり、「挫折を経験するが、決して折れることなく巻き返し、最後は勝負強く目的を達成する」という、渡辺パターンが、既に当時から確立されていたのだ。 
 四段になってからも、順風満帆だったわけではない。勝率もたいしたことはなかった。C2順位戦では、さすがに昇級には絡んだが、最後の大事なところで、昇級争いのライバルに敗れて、目標もかなわず。その対戦相手が、すごく威勢のよくて言いたいことを言う棋士で、週刊将棋か何かで「渡辺将棋は、たいしたことはないと思っていました。」と言い放っていた。
 将棋界は、ああいう狭い世界なので、勝ち負け同様、仲間の「信頼度」がきわめて重要なファクターになる。その意味で、かなり渡辺にはつらかったはずだ。また、将来の有望格としては、同門の松尾五段のほうが、はるかに注目されていた。普通の神経の持ち主なら、精神的に参ってしまうところだ。しかし、ここでも「渡辺パターン」が繰り返される。翌年度からは、勝率が極めて高くなり、仲間内の「信頼」も少しずつ、取り返していく。その辺、渡辺が、どのような考え方をし、どのように挫折を乗り越えていったのかが、すごく知りたいところである。
 最後の「渡辺パターン」は、言うまでもなく、王座戦での挑戦と惜敗、そして今回の竜王戦での、ギリギリの奪取なのは、もう言うまでもないだろう。
 かつて坂口安吾が、若き日の大山を「切っても、血が出ない男」と評した。つまり、逆境とか、挫折体験に対して、類まれなタフさを持っており、平然として努力を続けて巻き返す精神的強さがあるということだ。やはり、その意味では渡辺明は、「大山二世」なのである。現代の将棋界はきわめてシビアで、精神的な面だけで勝てるほど甘くはない。しかし、この竜王戦を通じて見てきて、渡辺明に、勝負師としての類まれな資質があることは、明らか過ぎるくらい明らかである。少なくとも、大棋士になる「必要条件」だけは、間違いなく備えている。
 大山は、ああ見えて、実はサービス精神も旺盛だったそうだ。坂口安吾と、テレビで生の対談をした際、準備不足で今ひとつ盛り上がらなかった。大山は、放送終了後「もっと、何を言うかよく相談すればよかったですねえ。」と盛んに言ったそうである。その意味では、やはり渡辺明は「大山二世」である。(笑)例の日記の公開にしても、将棋マスコミに対する、やや挑発的とも言える発言にしても、いかにファンにアピールしてサービスするかを、考えているのだと思う。
 ただ、大山とは違って、いかにもアッケラカンとして明るく、屈託がないのが渡辺の良いところである。とてもみずみずしかった竜王位奪取の瞬間が象徴するように、勝負師としての老成ぶりやフテブテしさとは相反する、普通の二十歳の若者らしいキャラクターとの共存が、彼の大きい魅力になっている。
 将棋の内容について、自分はコメントする力がないのだが、あらゆる点で合理性を追求する現代的な将棋であることは、誰にも異論がないだろう。かつて、羽生世代の出現によって、将棋の価値観が根本から覆されたが、さらに渡辺明は、それをラジカルに推し進めている。徹底した研究、時間の使い方、パソコンの利用法、言葉が矛盾するのだが「合理的な感覚的判断能力」などなど。 
 森内は、ある意味羽生世代の中でも、一番の「合理主義者」なので、今回の対決は「合理主義者対決」でもあったのだが、その程度で渡辺が、わずかに上回ったのともいえる。羽生が、王座戦を振り返って「自分の将棋も、もしかすると、意識しないうちに、古くなっているのかもしれない」と述懐していたのも、忘れがたいし、羽生ならではの鋭敏な渡辺将棋への把握能力が現れていたと思う。
 最終局が、研究戦型の「8五飛車」だったのも、象徴的である。しかも、8五飛車がもはや全盛でなく、先手の勝率が高くなっている時期に、何とか勝ち取ったのは、渡辺の底力、潜在能力の高さを証明していると思う。あのシビアな、丸山が、8五飛車を放棄したのだから、今、この戦形で後手でトップレベルで勝ちきるのは、相当な難作業だったはずだ。自分など、もしかして、最終局後手番の場合、別の戦形を選択する可能性があるのではないかと思っていたが、奇をてらわず、最後まで正攻法でいったのも、精神的なタフネスの証明である。
 渡辺は、日記を書いているように「情報公開」に積極的な棋士である。合理性ということでは、ちょっと微妙なところがある。最近、丸山について書いたとおり、むしろ、自分のことは何も他人に知らせず、判断材料を与えないのが「合理的」だともいえる。しかし、渡辺は、あえて、情報公開の道を選んでいる。それは、先ほど述べた、彼の「サービス精神」、いくら将棋が強くてもファンがいないと仕方ないという自覚の故でもあるかもしれない。
 同時に、情報を公開して、他人に色々思われても、全く平気という精神的タフネスがありそうだ。競争相手が、公開された情報を元に仮に対策を考えても、それを逆手にとってはね返すくらいの芸当をする力がありそうである。 
 来年も、日記を続けていくと本人が宣言しているので、ファンにとってはありがたい。但し、さすがに何時までも続けることは不可能だと思うので、今のうちにしっかりチェックしておこう。まさしく「ファン必読」である。
 今後、「羽生世代」と「渡辺世代の」全面抗争が始まるといわれるが、自分はそうは思わない。あくまで、羽生世代は特別なのであって、どの世界でも、才能ある人間が集中して現れる時期があるものだ。そして、そんなにしょっちゅう起こることではないと思う。「渡辺世代」の、皆が上の世代をどんどん倒すようになるとは、到底思えないのだ。渡辺を含めて、二三人だけが、トップとして生き残るのが、せいぜいよいところなのではないだろうか。  
 その意味で、渡辺は、今後も、ほとんど一人で羽生世代と戦い続けていくことになるのではないかと思っている。

 今日は、外はドカ雪です。おかげで、午前中、ゆっくり文章を書くことができました。もし、この長い文章を、最後まで付き合って読んでくださった方がいたら、本当に感謝します。(笑)

盤外の渡辺明


 週刊将棋で竜王戦第四局の詳報を読む。あまり、そのまま書くと記事の権利の侵害になりそうなので、ここでは遠慮するが、挑戦者の、食事の注文と感想戦でのエピソードには、大笑いしてしまった。なんとも痛快な挑戦者である。
 本局に関しては、挑戦者が、盤上だけでなく、盤外でも場を支配していたようだ。特に、感想戦でのエピソードでは、人の良い竜王が苦笑している姿が、目に浮かぶようである。
 前にも少し書いたが、若き日の大山康晴は、あの坂口安吾が感心してしまうくらい、勝負師としてのフテブテしさ、線の太さを感じさせたそうだ。外見が少し似ていることから(まあ本人はかなり不満かもしれないけどね)、比較される事も多いのだろうが、ややオールドファンの自分としては、どうしても、すぐ大山を連想してしまう。とにかく、今回の結果のいかんにかかわらず、挑戦者が、勝負師としての資質を存分に世にアピールしているのは確かである。
 (安吾は、将棋観戦の名文を多く残しているが、若き日の大山については、ちくま文庫版坂口安吾全集7所収の「勝負師」「九段」などがある。)
 完全に互角とはいえ、新竜王誕生の流れも少し見えてきた。とはいえ、竜王も、次局では、当然必勝の気構えで臨んでくるはず。一局一局ごとに勝った方に流れが変わるスリリングなシリーズで、将棋ファンであるならば、決して目を離すことができない。

竜王戦渡辺さるさる日記

 竜王戦第三局について、渡辺さんが「さるさる日記」で書いているのを読む。具体的な読みの内容も紹介されていて、すごく貴重で、ファンにとって、ありがたいものだと思う。特に、87桂成らずの強襲を、「全く考えてなかった」と素直に認めているのには、ちょっと感動してしまった。普通なら、「それも一応考えていたんですけどね」、ぐらいに誤魔化すところなのに。
 しかし、一方的に森内さんが攻めているように見えたが、渡辺さんの読みの紹介を見ると、結構難しい変化も潜んでいたんですね。プロ将棋のすごさの一端を痛感する。負けても、悪びれずに、ちゃんと報告してくれる渡辺さん、えらいぞ!次局以降、是非頑張って欲しいという気持ちになった。
 作家の坂口安吾が、かなり昔の大山VS塚田のタイトル戦について書いていた。当時の大山は、日の出の勢いで、自分がタイトルとって当然という雰囲気を<イヤミなくらいに明らかに回りに示していたそうだ。それを塚田が阻んで、意地を見せたのだが、大山はそれを苦い教訓として、謙虚に対局に臨むようになり、その後、大名人になった由。今の渡辺さんには、傲慢さは全然ないが、なんとなく、普通にやれば今回タイトル取れそうだと思っている様子も無きにしもあらずだという気がする。
 渡辺さんが、将棋界の次代を担うのは、まず間違いないと思うが、万が一今回苦杯を喫するようなことがあっても、成長の糧にしっかりするだろう。順風満帆がよく似合う羽生さんと違って、色々苦労を重ねた上で、大成していくタイプのようにも思う。無責任な言い方ではあるが。
 

「旬の」渡辺明

 ヘボのアマチュアが、プロの棋戦をテレビやネットなどを通じてみた感想を、無責任にブログしていくつもりです。
 昨日は、近将道場での近将カップの決勝を生で観戦。渡辺明対杉本昌隆。ほぼ三時間に近い熱戦の末、渡辺六段が二連覇を達成しました。ライブで短時間の将棋を見れるのはこれだけ。ファンにはたまらない企画である。ネットでの感想戦を見ても、渡辺六段は、自分の将棋にかなり自信を持って指しているのではないかという印象を受けた。
 今日のNHK杯の解説にも渡辺登場。今週は竜王戦もあるし、渡辺さんの顔ばかり見ることになる。(別にイヤだという意味ではありません。)要は今、旬の棋士ということだろう。解説は非常にこなれた明晰な話しぶり。多くの棋士が千葉さんの鋭いツッコミにタジタジとなるのに。何を言われても、即座にはっきり答えが返ってくる。たぶん将棋指しになってなくても、何でもできる人なのでしょう。将棋指し以前に、人間として聡明といったら褒めすぎか。
 その点では羽生さんに共通するものを感じる。人間的には二人は全然タイプは違うのだが、二人とも人をひきつける華みたいなものが確かにあるように感じる。一度王座戦で戦ったわけだが、近い将来大きい舞台で雌雄を決する時が来る予感が。
 まあ、それより何より竜王をまずとらないとね。森内さんも、簡単にタイトルを譲ってくれるようなヤワな相手じゃないし。渡辺竜王の新時代を期待する気持ちが半分、森内さんに意地を見せて欲しい気持ちも半分といった感じです。
 しかし、森内さんもやりにくいだろうね。ニューヒーロー誕生を期待する空気とも戦わなきゃいけないから。どうも、森内さんには不利な役割ばかり回ってくる気がするのだが。
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