その他

記事更新について

 更新を再開しようしようと思いつづけて、放ったらかしにしてあったのですが、当分更新できそうにないので、一応ご報告しておきます。理由はつまらないことに忙殺されているためで、将棋に対しては興味を持ち続けています。また再開したら、読んでいただく側に迷惑なくらいの長文になるかもしれませんが、その際はよろしくお願いします。

 瀬川アマ、プロテストが実施されることになって、とにかく良かったです。
 森内名人、すごすぎます。まだ終わったわけではありませんが、今回はさすがに結果が見えたと思うのですが、どうでしょう。とにかく、少しでも将棋を知っている人間ならば、もっともっと森内という棋士を尊敬しないといけませんよね。

 

NHK杯等雑記 3/29


 どうも春先は、体も心も少しヘンになって困る。歳をとるにつれて、季節の移り変わりの影響をもろに受けるようになっている気がする。昨日も、このブログを書こうと思ってパソコンを開いたのだが、スティングの「ソウル・ケージ」をうっとりしながら聴いていたら、何か書いたりするのがわずらわしくなってやめてしまった。この時期、妙に元気が出たり、何もする気がなくなったりする振幅が大きくて困る。それにしてもこのアルバムの一曲目の「アイランド・オブ・ソウルズ」はたまらなく雰囲気のある曲だ。マヌ・カッチェのドラミングが気持ちよすぎる。今さらながらスティングって、なんて清らかで澄んだ音楽をやる奴なんだろう。

NHK杯 羽生四冠vs山崎六段
 勝っただけでなく、羽生さんにああいう逆転勝ちしたっていうのがすごい。大事な戦いで羽生さんがああいう負け方するのも珍しいのでは。中盤、3九銀のような意外な手でゴチャゴチャやって逆転したようである。少し前の、週刊将棋の渡辺竜王特集記事で、森内名人が「渡辺世代は、対局の流れで線で指すというより、その場その場の点で捉えて、イロイロやってくるのが自分たちとは異質だ」といっていたのを、あの中盤の指し方を見ていて思い出した。単なる「序盤研究」だけでなく、「中終盤の感覚」が、もし羽生世代と渡辺世代で微妙に違うのだとしたら、すごく面白いんだけど。朝日オープンで、その辺のことが分かるのだろうか。
 それにしても、当然ながら中原先生というのは、即座にイロイロな手が見える先生だと思った。あと、表彰式の最後の場面で、山崎六段が、遠慮がちに優勝カップを持ち上げるしぐさをしていたように見えたのは気のせいか。どちらにしろ、優勝インタビューなど聞いていても「心臓に毛がはえている」のは間違いなく、まあいい意味で生意気なヤツである。

NHK杯予選 清水女流三冠vs中井女流王将
 いくらなんでも中井さんが勝つだろうと思って、ウトウトしてハッと目が覚めたら、「清水勝ち」の字幕が目に飛び込んできた。ああいう辛抱をして、勝ちに持ち込むというのは、心が揺れないというか、精神力が強いというか、とにかく勝負師として大変な人である。でも、正直言ってうるさいこといいっこなしで二人とも出して欲しかったなあ。

銀河戦Aブロック 桐山九段vs勝俣五段
 桐山九段の返し技が鮮やかに決まって、勝俣さんをバッサリ斬ってしまった。それにしても、勝ちを見切ってからの桐山先生の着手の早かったこと。「もう、何をやっても終わりですよ」といわんばかりに。西村先生の解説は、いつも思うのだが、重厚かつ軽妙で大好きである。

銀河戦Bブロック 渡辺竜王vs北島六段
 竜王の「研究勝ち」というやつのようだ。前例の5語銀でなく5五角とうったのが工夫の手だそうだが、当然のようにあんなところまで「研究」といわれるとやはり素人はビビッてしまう。感想戦では「最新矢倉定跡講座」の様相を帯びていたが、竜王は感想戦でも一歩も譲る気配がなかった。どちらにしてもすでに研究範囲で「先手指しやすし」ということのようで、負けた上にああいう結論を出されては北島さんは相当こたえるのではないかと感じた。ハッキリ物事を言う渡辺竜王も山崎六段も、確実に「生意気」である。しかし、勿論「若いうちはそれくらいじゃないといけない」と、一応オジサンらしく分かったようなことを言っておこう。羽生さんも、今はいいことばかりのようだが、今後はああいう厄介な若手の相手をしていかないといけないわけで、どの道勝負の世界は厳しいものである。
 ちなみに「研究将棋はつまらない」というのは、将棋というゲームの本質を分かっていない人間のいうことだ、と挑発的なことを言ってみる。もっとも、全然「研究」しない弱い素人がこういうこと言うと我ながら笑止千万なのだけど。

 別にチェスに興味があるわけじゃないのだが、フィッシャーというのはどうにも気になって仕方ない人物である。困ったものだ。また、アイスランドへ向かう機内で、イロイロ発言をかましたようである。「インディアンを殲滅したアメリカは不法国家」ねえ。正論といえば正論なのだけれど、それを言い出すと、現在の世界の主要国のほとんどがそういうことになると思うんですけど。しかし、一般人はフィッシャーの発言を聞いて「頭のおかしい人」と思うかもしれないが、「アメリカは不法国家、イスラエルは無法国家」というのは、例えばチョムスキーあたりなら正当だと認めるかも知れなかったりするのが、彼の発言の困ったところである。きわめて雑駁に何でも言いたい放題に発言するので、ある程度正しいことと実に馬鹿げたことが混ざっているのだ。でも、しつこいようだが、911についての発言は、カチンと来てしまう、あまりにもひどすぎるものだった。
 もっとも、自分もフィッシャーと似たようなことを言いがちなところがある。例えば、ジョン・フォードの「駅馬車」は実にいい映画だとは思うけれど、あのインディアンの描写の仕方はひどすぎる、と野暮なことを言ってしまったり。あるいは、グリフィスがいかに映画の開祖として偉大でも「国民の創生」という露骨な黒人差別映画をとった人間は、とても評価する気にはならないとか。「正論」というのは、実につまらないものである。まあ、フィッシャーのようなタイプの老人にならないように注意することにしよう。

 その話題とちょっと関連するのだが、ライブドアとフジの問題、野次馬的に高みの見物を決め込んでいるが、唯一不安なのは、その過程で外国資本、投資家に日本メディアが実質的に占拠されないかということである。それさえなければ、まあ見ていて楽しい出来事である。ライブドアで、ただで書かせてもらっていて、こんなこと書いちゃいけないけれども。

 パリーグ開幕。ソフトバンクに来た、ボティースタは大物大リーガー、カブレラも去年マリナーズでなかなかの実績を残した実力者。ああいう選手が日本に来る時代になったということか。特に注目したいのはオリックスのガルシア。大リーグ時代から実力は折り紙つきだったのだが、アティテュードが悪くてなかなか定着できないでいた。仰木さんがうまく手綱さばき出来れば、谷、ガルシアの中軸は脅威だと思う。

フィッシャー氏問題についての雑感


 911の後、現代音楽作曲家のシュトックハウゼンが、自身のキャリアを記念する音楽祭を開催しようとしたのだが、事前の記者会見で「911はルシファー(堕天使)の演じた壮大なアートだった」という意味のことを述べた。無論、悲しむべき悪夢のようなアートという意味で。ところが、あるジャーナリストが悪意で「911はアートだった」という部分だけを抜き出して報道したため大問題になり、結局音楽祭自体が中止に追い込まれる事態になった。911以降、過敏なまでに言論統制的な傾向があることを象徴する出来事だった。
 自分が、フィッシャー氏の「反ユダヤ」的な発言を最初知ったときにも、もしかして政治的にゆがめられた報道がなされているのではないかと疑った。特にアメリカ系のメジャーメディアは、その種の問題についてはあまり信用できないので。(特に・・まあ具体的局名をあげるのはやめておこう。)しかし、彼の発言については、どのように文脈を補って考えても、弁護の余地はなさそうである。しかも、私的にいっているのでなく、ことあるごとに公的な場でその種の発言を繰り返しているそうだ。はっきり言って、「政治的思想」といえるような代物ではないと感じる。世の中には、もっと過激で本格的な「ユダヤ陰謀説」があふれているので、彼の主張自体にはそれほど驚きはしない。しかし、チェスの伝説的な人物が、そんな発言を繰り返しているのを知ると正直悲しくなる。
 彼自身ユダヤ人なのだが、同じユダヤ人のチョムスキーが、全く感傷を交えず、具体的事実だけをきちんと積み上げて、現在のアメリカとイスラエルを厳しく批判しているのとは大違いである。チョムスキーの言うには、「アメリカはテロリストの親玉であり、現在の事態も、組織的な国家の名を借りたテロリストとそれに対抗するテロリストの争いだ」ということになる。無論、チョムスキーはイスラム過激派のテロリストをきちんと否定した上で、アメリカも厳しくかつ冷静に批判しているわけである。また、パレスチナ系のサイードも、「現在のイスラエル政府がアメリカのバックアップの元にパレスチナに対して長年行い続けている圧政と歴史的暴挙」について、きわめて具体的に批判し続けていた。
 フィッシャーの発言は、そうしたまとものものとは全然違う。現在のアメリカ政府にも、フィッシャーにも、到底どちらにも加担する気にはならない。
 勿論、現在のフィッシャー氏の問題は、そうした「個人的な思想」とは関係なく、出入国の法的な見地から冷静に扱うべき問題である。社民党の今回の発言は、言うべき当たり前のことを言ったということで、素直に評価できるし、政党の存在価値も認めざるをえない。国会で質問した民主党議員についても同様である。また、日本の法務省が、アイスランドの市民権を獲得すれば、移送が可能になるという見解を示したのも、驚くほど「まとも」な姿勢である。実際、妥当な措置だとも思う。
 しかし、どうしても気になるのは、社民党も、政府も、当然フィッシャー氏の「思想」をよく知っているはずなのだが、そのことについてどう考えているのかということである。そういう「政治的思想」は別にして「法的措置」を人権的見地から優先しているというのであれば、本当に立派なのだが。また、アイスランドの議会で、フィッシャー氏の市民権がほぼ問題なく認められたというのも、ちょっと驚きである。アイスランドではフィッシャーはヒーローなので、「政治的思想」は不問に付すということなのだろうか。
 別にフィッシャー氏の「思想」について批判したくてこういうことを書いているわけではない。個人の「思想」を断罪する権利もない。ただ、問題のそうした側面についての事情が、メディアの報道を見ても、ネットで調べても全く分からないので、少し気持ち悪いというだけのことである。今回の件は、原則的には法的な問題だが、当然ながら同時に高度に政治的な事案である。その「真相」をこわいもの見たさでのぞいてみたいと思う一方で、我々一般人はそうしたことを知らないでいたほうが幸せに生きることができるのかもしれないとも思う。

「純粋なるもの」「戦う将棋指し1、2」「生きてこそ光り輝く」

少し前の本ばかりですみませんが、まあ古典的名著の紹介ということで。

 島朗「純粋なるもの」
 それまでの、人間的なドロドロした将棋指しのイメージを一新する本。個人的には、旧世代の「あまりに人間的な」棋士像も決して嫌いではないのだが、やはりあの島さんが書くと、将棋新世代の生態が鮮やかに浮かび上がる。また、文体がそれまでの将棋本とは全く違って、透明感があって格調が高いのである。人によって好き嫌いはあるかもしれないが。しかも、登場人物の行動や心理を島さんが「代弁」して語るという、彼にしか許されない書き方をしている。例えば、羽生さんについて書いている章から。

「幹線道路を走っていた羽生は、早めに右折のウィンカーを出し、対向車線の車がとぎれたことを念入りに確認しながら、静かな住宅街の小道へと入っていった。一度だけ左折し、道なりに左にスロープになっているエントランスへと円滑に車を乗り入れた。午後と夕方の曖昧なこの時間には駐車場にとめてある車はまばらで、彼はゆとりを持ってきれいにリバースで自分のスペースに車を止めた。」

 つい長めに引用してしまった。念のためにいっておくが、これを書いているのは羽生ではなく島朗なのである。そして、このお洒落な小説のような文体。感心するのを通り越して、思わず笑ってしまう。まさしく、島朗にしか許されない行為であろう。島さんには、将来「将棋小説」の新ジャンルを確立してもらいたいものである。
 実は、竜王を取った当時の島さんのことをあまり好きじゃなかった。あの頃は、少し突っ張ったようなところがあり、偽悪的な部分もあったので。多分、男のヤッカミや嫉みが多分に混じっていたとは思うが。どこかで、かつて田中康夫ファンだったと聞いたことがあるので、もしかするとその影響などもあったのかもしれない。
 しかし、あの頃と比べると随分イメージが変わってしまった。人格円満、高潔で、周りの誰も不快にさせることがない。よく分からないが、彼の人間にしても将棋にしても、最初から存在していたというより、長年の努力、研鑽の蓄積の末に形作られてきたものだという気がする。「努力する天才」とでも言うべきか。河口俊彦氏が確か同じような意味のことを言っていたのだが、将棋指しにはユニークな人が多いといえども、島さんほど「変わっている」人はいないと思う。勿論、最大級にいい意味で。

「戦う将棋指し」1、2
 将棋の内容より、将棋周辺の「噂話」に興味があるオバサンのような自分にはこたえられない本である。色々な棋士に、多ジャンルのインタビューアーが話を聞いている。特に面白いと感じたのは、ロッキンオン誌の女性編集者が、行方さんと三浦さんにインタビューしたもの。行方さんの、全く将棋指しらしからぬ部分がよく引き出されていた。多分、彼は将棋界にあっては永遠に「異質」な人であり続けるだろう。彼のそういうところが、好きになってしまうというインタビューだった。
 羽生さんのインタビューもあり、本の性格上、それほど突っ込んだものではないのだが、ここでも実に興味深いことを言っている。手を読んでいる状態について聞かれてのお答え。

「うーん、とにかくたくさん判断していかなきゃならないから、何かすごい飛び飛びな判断になっているような気が・・・飛び飛びな判断って、うーん、ここはこうなってこうなってこうなってコッチがいいっていうんじゃなくて、こうなったからコレで終わり、こうなったからコレで終わる、こうなったからコレでっていう、そういう飛び飛びの考えが非常に速いスピードで行きつ戻りつしている、という感じなんですかね。」

 サラッと言っているが、恐ろしいことが告白されている。要するに、読みを一手一手積み重ねるというのでなく、読みの過程を直感的に省略して、結果だけが瞬時にイメージできるというのだ。プロなら、ある程度この種のことが出来るのかもしれないが、言語的ではなくイメージ的に思考する能力が、羽生さんの場合並外れているのだろう。将棋の手を考えている間、羽生さんの右脳が異常に活発な働きをしているという有名な話を連想する。絶対にコンピューターソフトには真似の出来ない行為である。こんな怪物を相手に戦わないといけないプロ棋士に同情せずにはいられない。
 いつか、羽生vs将棋の「ディープ・ブルー」の対決を見られる日は来るのだろうか。それまでは是非長生きしたいものである。

石橋幸緒「生きてこそ光り輝く」
「ごきげんDEブログ」で、彼女のファンになって読んでみた。シリアスな内容なのだが、全然メソメソしたところや暗いところがない。あのブログでおなじみの独特のユーモアのセンスが、ある程度抑制されてよい形で出ている。内容は結構重いが、同時に楽しく読める本である。読後感が、とても爽快で素直によい本を読んだと思える。ただの「感動的な本」だと思って敬遠している人がいたらおすすめしたい。余計な説明は要らないという種類の本。彼女が十九歳のときに書かれた。

監督の人事考課によるプロ野球順位予想


 最近は野球を見るとしたら、もっぱら大リーグで、日本のプロ野球にはすっかりうとくなってしまった。(だって、どーみても大リーグのほうが面白いんだもん。)各球団の戦力を全然分かってないので、監督の人事考課だけで順位予想してみる。

セリーグ
6位 横浜
牛島さんは、スマートだし、「心臓に毛がはえていて」度胸も良い。しかし、どう見ても「マネージャー」タイプではなく、「評論家」だと思うので。もっとも、去年の落合さんも、絶対駄目だと思っていたので、やってみないと分からないが。
5位 広島
御大山本には文句なし。しかし、どう見ても世代交代の途上のような気がする。「昔の名前で出ています」という人たちが、出場できなくなるくらいじゃないとやはり苦しいと思う。
4位 巨人
堀内さんがどうこうというより、やはり「政治的」な火種を抱え込みすぎていると思う。っていうか、堀内さんがシーズン中にナベツネさんに更迭されるという、トンデモナイ予想をしてみる。
3位 中日
落合さんのマネージャーとしての非凡さは認めざるをえない。しかし、あそこの投手王国は、もともと「星野」「山田」という超一流の「投手コーチ」が築きあげてきたものだと思う。去年はその貯金で戦っていたが、今年はあのレベルを維持するのは無理だと見て。
2位 ヤクルト
若松さんは、過小評価されがちだが、きわめて優秀なマネージャーだと思う。「無為の力」って言うか、表に出て引っ張るタイプではないが、ちゃんとチームを掌握している。なかなか出来ることじゃない。しかも、ただの昼行灯でなく、ただ人がよいだけでなく根性もすわっている。かつて、テレ朝で、大下剛、東尾修という「こわもて」な面子と一緒に解説していたが、人がよさそうでいて、決してあの二人に負けずに言うべきことをいっていたのも忘れがたいし。
1位 阪神
岡田さんは、藤山寛美のような顔で損しているが、一番マネージャーとしては優れているのではないかと考えている。二軍時代も、完全にチームを掌握して、各人の能力を最大限に発揮させていたし。細かい戦術というより、チームをまとめ上げる親分肌のマネージーである。たいふーさんの意見に逆らうわけじゃないが、島野采配、というよりは「星野の影」におびえず、自分の好きなように野球できれば、良い結果が出るのではないかと思う。

パリーグ
6位 東北楽天
田尾さんは実にナイスガイだとは思うが、基本的に真面目な人だと思う。したがって、「戦力」通りに「真面目に」最下位に落ち着くのではないかと。
5位 北海道日本ハム
五位から三位が難しくて、一応順位をつけただけ。ヒルマンは大リーグの話を断って日本で監督やっているわけで応援したい。ただ、バレンタインと違って「真面目」なので五位にしたという程度のこと。プレーオフに出て、優勝してもなんらおかしくない。
4位 オリックス
仰木さん、普段はただのヨッパライのオヤジだが、マネージャーとしての辣腕ぶりは半端じゃない。戦力的には不十分な部分もあるが、必ずうまくチームをまとめ上げて、プレーオフ争いに食い込むと思う。
3位 ロッテ
バレンタインは戦術面で優れているというより、チームに活気をもたらす触媒効果の抜群に高い人である。ヒルマンと違って「真面目じゃない」のも高く評価したいところ。メッツ時代にワールドシリーズに導いたのはダテやスイキョじゃない。今のメッツの低迷を見るにつけそう思う。
2位 ソフトバンク
王監督については、特に文句をつけるところはない。戦力的にも、やはり西武とここが突出している。しかし、伊東監督の方を高く評価するので。
1位 西武
伊東さんはしっかりした野球理論がある上に、実に根性のすわった熱い人である。去年の日本シリーズの、あの猛抗議を見てそう思った。戦力的にはソフトバンクが少し上かもしれないが、彼の手腕でデッドヒートに持ち込んで、最後は勝負強く抜け出ると見て。

たいふーさんの辛口の批評を楽しく読みながら、もし将棋界についてこんなことをやったらエライことになるだろうなぁ、とちょっと思いました。将棋ももっとメジャーになって、ファンが好き勝手なことをいえる雰囲気になって欲しいものです。

ショック・・・。


 うーん、土佐さん負けちゃったのかー。別に応援する理由はこれといってないんだけど、やっぱり勝って欲しかったなー。っていうか、ほかのどんな重要なタイトル戦よりも、これだけは土佐さんに勝っておいて欲しいと思っていたんですけど。今は亡き早指し選手権で優勝した時も、随分応援したものです。最終局の対戦相手と、ライバルの対戦相手を見て、逆にすごくイヤーな予感はしていたんですけどね。今、「この世は闇だ」っていう気分です。

 だからというわけではないが、ビリー・ホリディの「ラストレコーディング」を聴いて傷心を癒しているところです。麻薬とアルコールで声はボロボロ、しわがれ声は老女のようだ。また、レイ・エリス・オーケストラがそれはそれは美しくて、残酷なくらいに彼女の声の質を浮き上がらせている。でも、これだけ深いところで人を慰めることの出来る声もめったにない。心に深い傷や悲しみを抱え込んでいればいるほど、よく理解できるし、その包容力は底知れない。一時「癒し系」という言葉がはやって、実にイヤな言葉だと思っていたけど、彼女の歌こそ本当の癒しと再生の音楽だと思う。晩年の彼女を好まないファンもいるのだが、少なくとも自分にとっては、一番分かりやすい「安らぎ」の音楽である。声のきたなさなど全く気にならない。
 このアルバムと対になる「レディ・イン・サテン」もよいが、冒頭に入っている「Im a fool to want you」が、聴くにはつらすぎる。これも深いところで癒される音楽なのだが、日常的に聴けるという種類のものではない。実は、この曲がかつてCMで使われたことがあった。たぶん感動した人間がそうしたのだろうが、いきなりテレビからこれが流れてきたら、ドキッとするし、正直やめて欲しいと思った。本当にどうしようもなく悲しい時だけに、引っ張り出して聴くことぐらいしかできないというような音楽なので。
 自分などがどうこう言うより、村上春樹氏がビリー・ホリディについて素晴らしい文章を書いているので、それを紹介しておいたほうがよいだろう。

「彼女の歌には体の中枢から自然にしぼり出されてくる原液のようなものーーそれは我々の存在理由に深くかかわってくるはずのものだーーが含まれていて、それが我々聴き手を圧倒し、包み込み、酔わせ、ノックアウトしてしまうのだ。」
「彼女のそんな歌を聴きながらウィスキーを飲んでいると、なんだか自分だけが重力の異なる海底かどこかを歩いているような気分になってしまう。とても深い場所だから上にはのぼれないし、うまく歩をはこぶことさえできない。」
(「村上朝日堂 はいほー!」の「LEFT ALONE(ビリー・ホリディに捧げる)」より)

最終段階の瀬川アマのプロ入り問題


 もはや、あとは具体的にどういう方法をとるかという段階まで進んでいるので、素人がどうこう言うべきことは何もありません。しかし、「盤上のトリビア」を読んで、また余計なことを書きたくなりました。具体的に論ずれば論ずるほど、問題の一般的本質が看過されるのではないかという気がするので。以下、「将棋の性質」「プロとは何か」という一般的な問題について、敢えて「当たり前のこと」をメモしておきます。
1.「将棋」「将棋指し」の社会的性格について
 いまや、将棋界も一応は堂々たる社会的地位を確立しています。将棋も将棋指しも、存在自体が自明のものと考えられがちです。しかし、プロが将棋をただ指して誰が強いかを競うだけでは、将棋界は成り立ちません。将棋ファンや一般の人間が注目して、それに新聞社などのスポンサーが乗って、「見てもらう」のでなければどうしようもないといえます。
 将棋が、盤面の真理を追究する芸術的な営為である一方で、平たく言うと「見られてナンボ」という広い意味での「芸能」だという視点を失ってはいけないと思います。その意味では、いくら現在の将棋界が制度的に細かいところまで確立されていても、常に社会的な関心に目配りして、柔軟に対応する必要があるはずです。「芸能」である以上は、官僚的な硬直した思考にとらわれて、「見る側」の関心に機敏に対応できないでいると、当然衰退の道をたどらざるをえないのではないかと考えます。これは、決してファンのわがままな感じ方ではないと思うのですが。
 別に制度を全部壊せといっているのではありません。その場その場に応じた、柔軟な対応が必要ではないかということです。
2.将棋の「プロ」とは
 現在の将棋界における「プロ」の定義は単純明快です。奨励会を抜けて「四段」になったものだけが「プロ」である。現在の奨励会制度は、将棋会の根本であって、それを簡単に揺るがすことは出来ないのはよく分かります。しかし、現実問題として今の「プロ」が、本当に「アマ」よりも絶対的に強いとはいえないことを決して無視できないはずです。瀬川アマに限らず、トップアマがプロを負かすのは日常茶飯事ですし、また奨励会の三段の人間の中にも、並の「プロ」より強い人間はゴロゴロしているはずです。
そういう誰も否定できない事実から目をそむけて、ただ「奨励会制度を守る」というだけでは、一般の人間は到底納得いかないでしょう。私などは、それでも熱心な将棋ファンなので、奨励会の重みが少しは分かっているつもりですが、ごく一般の人間が、今の将棋界の現状を見たら奇異に思うことは間違いありません。そして、多分、そういう一般の人間の素朴な感じ方のほうが正しいのだと思います。
 これについても、制度をぶっ壊せといっているのではありません。現状を踏まえた柔軟な対応をするのが、いわば「当たり前」に思えて仕方ないのですが。
 
 私の言いたいことは、以上のようなごく「当たり前のこと」を踏まえて、将棋界内部の方々に考えていただきたいということに尽きます。
 「盤上のトリビア」の冒頭で、現奨励会の方の意見が大きく取り上げられています。今まで書いたこと矛盾するようですが、あれを読んで、当然内部で必死に戦っている人間からすれば、あのように感じるのは当然だし、説得力もあり、重みがあると感じました。瀬川氏のプロ入りを後押ししようとしている山岸氏が、あえてあの意見を大きく取り上げたのも、意見の重みを感じずに入られなかったからではないかと推測します。私も、最初に書いたような一般的なことを、現在の奨励会員や退会者に面と向かってちゃんといえるかというと、とてもその自信はありません。むしろ、自分の無責任な態度に恥じ入ることでしょう。
 しかし、そうだからこそ、そういう真剣に生活をかけている方々の気持ちを汲むためにも、将棋界を運営している方々には、大局的に判断していただきたいと思うのです。本当に筋の通った判断をすれば、必ず長期的には内部の理解も得られるのではないでしょうか。現在の将棋界を運営している方々は、様々な人生経験をつんだベテランの方々ばかりです。内部の意見を真正面から受け止めつつも、いい意味での「大人の知恵」を生かした判断をしていただきたいと切望します。
 具体的にどうすべきかについては、私に何かいう資格も論じる能力もありません。ただ、ひとつだけ言うと、「フリークラス参入」と「奨励会三段リーグ」のどちらを選択するかがポイントになりそうなのですが、もし「三段リーグ」にすると、瀬川氏本人にとっても、奨励会の人間にとっても、あまり愉快ではない事態になるのではないかと心配なことだけ指摘しておきます。
 キレイ事ばかり書きましたが、今回の問題は、将棋界が社会的な注目を集めるための絶好の機会でもあるはずです。その意味でも、良い意味での「大人の知恵」が発揮されることを願わずに入られません。以上、素人の「意見」というよりは、単なる「お願い」でした。

「勝手に将棋トピックス」「瀬川昌司氏プロ入り希望問題リンク集」は、もず氏御自身の記述を含めて更新が続けられています。最近見てない方は、チェックされるとよいでしょう。

眞鍋脚本「真鍋と羽生の恋物語」の内容を推理する

 眞鍋かをりさんが、爆笑問題さんのテレビ番組で、何か脚本を考えるとしたら、羽生さんとの恋物語だと言ったそうです。(「勝手に将棋トピックス」「真鍋と羽生の恋物語?」参照)将棋フリークにして「眞鍋かをりのここだけの話」フリークのワタクシとしては、これは黙っちゃおれんと思って、脚本内容を考えてみました。
 妄想は膨らみに膨らみ、敵役に渡辺竜王を勝手に登場させたりしたのですが、羽生、渡辺両氏にかなり失礼な内容になり、とても公表することが出来ないのが残念です。まぁ、実に他愛もないラブストーリなのですが、最終シーンは、羽生からも渡辺からも身を引いた真鍋が、一人失意のまま赴いた沖縄の地の「海の家」でバイトをしながら、将棋上の仇敵でもあり恋敵でもある羽生と渡辺が、一致協力して新将棋連盟を立ち上げ、テレビの画面で笑顔でガッチリ握手しているのを、ひそかに涙して見るというシーンです。もう、これだけでどーゆーストーリーかは、十分分かってしまうし、「純愛系」ではない「コメディ系」なのもバレバレですが。アー、我ながらこの妄想癖、何とかしないといかんわ。
 とにかく、将棋界としては、ああいう旬のタレントさんが将棋に興味持っていると言ってくれているのを、見逃す手はないと思いますよ。とかいいながら、眞鍋かをりブログ宛に二度目のトラバしてしまいます。あれだけトラバが多いと、どうせ読まれやしないと思って気楽に出来ていいわ。

おとといの記事の補足(藤井猛著「四間飛車の急所1 進化の謎を解く」について)


おととい書き忘れたことを、つけ足しておく。
 棒銀戦法の章で、加藤先生式の仕掛けが紹介されている。結果的には、藤井式の4二金型の対策がピッタリで、以降指されなくなったということだ。しかし、「実戦ファイル」で紹介されている通り、A級順位戦のひのき舞台で、ほとんど誰も指さない棒銀を、自分の開発した手順で、権威の藤井九段に敢えてぶつけた加藤先生のことを、改めて尊敬せずにはいられない。他の戦法にも応用のきく「4二金型」を引き出しただけでも、加藤流の意義は十分だと思う。本来、加藤先生のような超ベテランではなく、バリバリの若手がするべきことだと思うのだが。
 それと、「玉頭位取り」の章を読むと、意外なほどにこの戦法に対する藤井評価が高そうなのに誰しも気づくだろう。もともと「玉頭戦好み」の藤井九段らしいとも言える。しかし、これを読んで「玉頭位取り」を戦法としてきわめてみようと思う居飛車党のプロ棋士はいないのだろうか。それこそ、加藤先生みたいな気概のある棋士は、現在の若手にはいないのだろうかと、弱い素人のクセにちょっと偉そうなことを言って見たくなる。(もしかしたら、単に自分が知らないだけで誰かいるのかな?)
 おととい、居飛穴対策で「4四銀を5三に引く手」のことを書いたが、あれだけでは何のことか分からないので具体的に説明しておく。今期の銀河戦の、櫛田六段vs中座五段戦を見ていたら、櫛田六段がこの手を指した。よくわかないが、何かすごくプロらしい手だなぁと思って、感心したのである。その時は、てっきり櫛田六段が実戦の中でひねり出した手なのかと思った。ところが、この本のP72を見ると、きちんと解説紹介されていたので驚いたのである。(具体的な手順は少し異なる。)自分が不勉強なだけの話。
 最後に、検索して見つけたこの本の紹介の記事のリンクをいくつかあげておく。どれも、とても質の高いもので読んでいて勉強になる。
「勝手に将棋トピックス」     「四間飛車の急所」
「白砂青松の将棋研究室」     「棋書紹介」の「四間飛車の急所1」
「Rocy-and-Hopperの寄せの構造」 「四間飛車総合の本」
「竜淵庵」            「この本を読め2005-3-3現在」
「棋書解説&評価委員会」     「四間飛車の急所1」

 (今、銀河戦の櫛田六段vs小林五段を見ていたら、偶然四間飛車側の「6六銀から5七銀」の手順が出てきたのですが、藤井本とは全く違う局面でした。)

藤井猛著「四間飛車の急所1 進化の謎を解く」

 またしても周回遅れで評判の高い本の紹介を。もともと、定跡書嫌いなのだが、最近特に読まなくなった原因と責任は、そもそも藤井先生にある。というのも「四間飛車を指しこなす本」全三巻があまりにも名著だったので。へっぽこ四間飛車党としては、自分で指すためにはこれだけで十分。「右四間」や「ミレニアム」などについては「島ノート」と「東大将棋振り飛車道場ソフト」で補えばよいし。
 しかし、この本は実際に「指す」ために勉強するのでなく、読んで鑑賞したり、知的スリルを味わうためだけでも十分に価値がある。一言で言うと「四間飛車定跡の歴史」の概観本である。大げさに言うと「将棋という文化」の芸術的深みを構築するのに寄与する本とも言える。現代のプロ将棋では、誰しも徹底的な「研究」作業を行っているが、あくまで個別に行っていて、体系だてて整理して叙述するという作業はまだまだこれからという段階だろう。
 例えば、チェスの分野においては、こうした作業についての伝統と文化が、極めてハイレベルに確立されているらしい。「若島正の読書日記」の2004-12-27「プロパラ掲示板」のNo143を読むとその辺の事情が分かる。(「勝手に将棋トピックス」「ボビーフィッシャーの足跡」で知った。)
 何しろその原著を読んでいないので、なんともいえないが、この藤井さんの本も、チェスの世界と比べればまだまだ端緒についたばかりの作業かもしれないが、こうした積み重ねが、将棋を名目だけでない本物の「文化」に育てる一助になるのだと思う。例えば、今すぐには無理かもしれないが、渡辺明竜王の「8語飛車戦法の歴史の概観書」など、期待したいものだ。戦法自体に興味がない私のような人間でも、読んでみたいと思うので。
 例えば、居飛車穴対策の歴史を、大山の時代にまでさかのぼって現在に至る「進化」を説明している。定跡を勉強するというより、上質の推理小説を読むような興奮と知的スリルを味わうことができる。最近よく見かける、「4四銀型」の居飛車穴対策のよってきた事情がよく分かった。ただ、テレビで観戦しているだけでは分からない背景が明らかになって、プロ将棋を見るうえでの楽しみ方にも深みが加わる。
 今期の銀河戦で活躍している、櫛田六段、中村四段も、この戦形を採用している。4四銀を5三にひく手なども、見ていて考えにくい手だと思っていたが、「基本手順」なのを改めて知った。単に当方の勉強不足なのだが。
 (「囲碁将棋チャンネル」サイトで4四銀型棋譜として、Aブロック中村vs熊坂、中村vs達、中村vs日浦、Cブロック櫛田vs大平、櫛田vs中座、を無料で見ることが出来る。)
また、「鷺宮定跡」や「新鷺宮定跡」の手順自体を知っていても、戦法が出現した歴史的経緯を述べよといわれたら、どれだけの人間が答えられるだろうか。この本を読むとそれが明快に分かり、ちょっとした感動を覚えることが出来る。 
 こう書くと、すごく難解な本と思われるかもしれないが、たぶん初段以上あれば「読む」だけなら十分可能だし、場合によっては級位者でも頑張れば大丈夫だろう。別に全部を覚えて実戦に活かさなくてもよいのだ。普通の本同様、とにかく楽しんで一読すれば、それで十分という本である。無論、この種の将棋本ばかりになっても困るのだが、こういうスタイルの本も十分「アリ」だと思う。

棋譜の著作権、引用、ブログの匿名性についての基本中の基本のメモ

1.棋譜の著作権
(基本資料) 
「もずいろ」「棋譜と著作権にまつわるメモランダム」
        「棋譜の扱いに関するトピックス」
上を読んでもらえば済むことですが、ちょっとばかり長いです。最低限のポイントだけまとめると、
「棋譜の著作権について、現行の著作権法に基づく正式な法的な判断は今のところ存在しない。あるとも、ないともいえない。」
「日本将棋連盟も、棋譜の著作権について明確な態度をまだ示していない」
 最初「棋譜の著作権があるなんていうのは、そのことで利益がある人間だけだろ、ないに決まってるわ」と思っていました。しかし、上を全て読むと、実際著作権法の条文に具体的に照らしても、「ある」と解釈するのも決して不可能ではないと感じました。勿論、「ない」と解釈するのも同じくらい、あるいはそれ以上に十分可能なのですが。とにかく現実に法的判断が下されないことには確たることは言えないわけですが、今後法的に争う事例が現れることも想定しにくい事情があります。
 将棋連盟が態度を明示していませんが、今後のネット社会のことを考えると、とにかく見解を示して欲しいところです。有料ネット中継、テレビ等との絡みもあるので「全面開放」というわけには行かないでしょうが、ある程度の時間経過を置いての自由という「常識的」な線を期待したいところです。
もっとも、囲碁のほうでは「棋譜の著作権が存在する」という見解が示されているそうでちょっと驚きます。法的根拠が不明ですし、囲碁のHPやブログを書いている人はどうしているのかと思うのですが。ちなみに、チェスでは、「棋譜の著作権」無しというのが、共通認識になっているそうです。
(以上述べたことは全て「もずいろ」で言及されていることですので、皆さんが私と同様に頑張って全て読まれてみることを希望します。)

2.引用について(将棋に限らず、一般の著作物からの。)
(資料)
著作権法第三十二条とその一般的解釈 審友会「引用と転載」のページ参照
 自分の場合、棋譜よりも著作物を引用することが多いので、個人的にはこちらのほうが重要です。上を読んでもらえば内容は明らかなので、説明は加えませんが、「引用」も全面的に自由なのではなく、様々な条件がつけられていることに留意すべきでしょう。なお、「引用」ではなくネットなど公的な場所での無断「転載」については著作権法違反になるので、注意が必要です。「リンク」についてのごく基本的な考え方も書いてあるので、参考にするとよいでしょう。(恥ずかしながら、このブログを書き始めた頃、その辺が分かっていなかったんです。)
ちなみに、審友会というちょっとジャンル違いのページを用いさせてもらったのは、簡潔にポイントがまとめられている上に「リンクフリー」と明示されているからで、気になる方は一応正式な著作権関係のページを調べてください。リンクは基本的に自由なので、どのページにもリンクしてよいのですが、相手先がリンク許可を求めている場合は、法的根拠はなくても、エチケットとしてそれに従ったほうがよいといえます。

3.ブログの匿名性について
(資料)「週刊!木村剛」「2004.05.13 モノ書きの老婆心 「匿名性」を護るために」
 最後は、最近あるサイトを経由して読んで面白いと思ったものを紹介しておきます。ブログは、誰にでも気軽に書けるのが魅力なのですが、どんなに私的なブログであっても、ネットの性質上公的な性格を帯びざるをえないわけで、そのことを常に頭の片隅に置いておく必要はあると思います。
 木村氏の主張は、その後も色々な内容にわたり、それらに対する猛烈な反論もあるようですが、それにはここでは立ち入りません。ただ、この記事で述べられていることは、ごくごく「常識的」で説得力があると、少なくとも自分は感じました。

 以上、今日はおバカな自分に対する確認事項として書いてみました。ほとんどの方にとっては意味のない記事だったかもしれません。

「最強将棋道場」


 いうまでもなく小学館から出て話題になった単発雑誌です。確か竜王戦の最中に出たのですが、いまさらながら紹介してみようかと。まぁ、出た本や雑誌をすぐ読まない変なクセがあるもんで。
 一応「小学生向け」なのですが、編集者の気合と努力とアイディアがギッシリつまっていて、本当に上出来です。大人が読んでも十分楽しめます。特に、四天王プラス渡辺のインタビューが白眉なので、それぞれについての簡単な感想を。
森内名人 
 誠実な人柄がよく出ています。特に「戦術家・作戦家」と呼ばれることについて、チェスの影響に言及しているのが興味深ところ。恐らく、ご自身でもされるので、チェスの世界における「戦術」研究の歴史的厚み、文化的深みをよく知っているのでしょう。「勝手に将棋トピックス」「ボビー・フィッシャーの足跡」で紹介されていた、カスパロフの著作のことを連想しました。
羽生三冠
 小学生だけに読ませておくにはもったいない。特に後半は実に「深い」内容になっています。簡単な言葉で述べているのですが、今年の正月の日経の小林研一郎氏との対談(「勝手に将棋トピックス」「羽生善治二冠の対談」参照)に決して負けない、本質的な将棋論になっています。羽生さんが、将棋指しであると同時に、超一流の「表現者」であるのは間違いありません。
佐藤棋聖
 一読して、やはりこの人は「緻密流」というより、「腕力派」「実践勝負派」「常識外派」なのではないかと感じます。一番「熱い」棋士だという気がします。ある意味、トップの中でも一番個性的な将棋を指す人なのかもしれません。
谷川棋王
 他の三人の谷川評が全てを物語っています。「お手本のような方」(森内)「完璧な人」(羽生)「美しい絵を作る人」(佐藤)。やはり本質的に「芸術家」であって、それがこの人の魅力でもあり、弱点でもあるのだと感じます。このインタビューを読んでいると「谷川浩司全集」を盤に並べたくなるはずです。こんなことを書いているヒマがあったら自分も・・ (笑)
渡辺竜王
 自分は竜王戦の頃から「にわか渡辺追っかけ」となって、ほとんどの記事に目を通していますが、知っているかぎりではこのインタビューがベストです。実に「らしさ」が出ています。さりげなくズケズケとすごいことを言う面が、自然に引き出されています。竜王に対してものを聞くときには、堅苦しくではなく、リラックスした感じで話させるのが一番よいのではないかと思います。漫画世代、デジタル世代なのだと、一番実感する記事でした。やはり、羽生さんとの対照的な個性の違いを感じずにはいられません。
 それと、「将棋界のトリビア」の記事も面白い。加藤先生の「うな重」については、ちょっとしたマニアなら誰でも知っているでしょう。しかし、具体的にどこの店のもので、値段がいくらかなのを、写真つきで紹介してしまっているのが、この雑誌のすごいところ。感心するとともに、思わず笑ってしまいます。
 頼まれもしないのに、こんなに宣伝してあげて、なんて自分ってイイ人なのだろうと我ながら思いますが(笑)、まぁ面白いので仕方ありません。

週刊将棋の瀬川問題記事を読んで

 具体的内容については、週刊将棋を見ていただくこととして、一般的にどういう対応がありうるかだけ、自分なりに考えてまとめてみます。
1. プロ入りを最初から拒否する
2. プロ入り(への道を含めて)を認める
フリークラスでの四段編入を認める
a 無条件に編入を認める
b編入テスト、対局を実施して、その結果で判断する
奨励会三段リーグへの編入を認める
a特例として認める
b奨励会の規定自体を見直す
 ざっと、こんな感じでしょうか。今までのことを考えると、もしかすると「1」になるのではないかと危惧していました。しかし、なんとなく、「2b」か「2a」になるのではないかと、少し楽観的に考え始めています。甘いんでしょうかね。
 それと、羽生三冠の意見が掲載されているのが注目されます。現在発売中なので、内容自体にはふれることが出来ませんが、羽生さんのような方が、そういう柔軟な考え方をしているのだと知って、ファンとしてはうれしいということだけ指摘しておきます。
 なお、週刊将棋では、一般ファンの考え方を募集して、次週でファンの視点を中心に紹介すると予告しています。「我こそは」という方は、どうぞ。
 shogi@mycom.co.jp にメール。但し、「瀬川問題」と件名に明記すること。 

 羽生さんの話と、関係するような、関係しないような話の蛇足を。先崎八段の「まわり将棋は技術だ」の中に、二人で対局を終えた後の、羽生、先崎の雑談の内容が紹介されています。以下は、その一部だけ。

「つらいよねえ」
「そうだよね・・・・。つらいけど、しかたないじゃん。」
(中略)
「なんともならないよね、いろんなヒトがいるから」
「自分の出来ることを正しいと思ってやるしかないよ」
(以下略)

引用をはしょったのは、重要なところだけ抜いたのではなく、全部抜き出すと「引用」しすぎだと思うので遠慮しただけです。全部の会話を読まないと、正しく伝わらないので、興味のある方は、必ず原文に当たられてください。決してこれだけで判断しないでください。
 さて、実を言うと、原文を全部読んでも、何のことを言っているのかは、明らかにはなりません。それもそのはず、先崎氏が敢えてそういう書き方をしているからです。カフカの小説のように、あらゆる解釈が可能であると同時に、あらゆる解釈を拒否しています。
 しつこいようですが、この部分を、例えば瀬川問題との関連で判断するようなことは絶対に避けてください。著者の先崎氏の意図に反しますので。あくまで、様々な解釈が可能な、面白い会話が読めるということを紹介しただけなのですから。
 ただ、これをもとにイロイロ読者が想像を膨らますことだけは自由です。せいぜい、皆さん原文にしっかり当たった上で、思う存分妄想してみてください。何か、変な紹介の仕方で申し訳ありませんが、なぜこういう書き方をせざるをえないのかは、分かってくださる方には分かってもらえると思いますが。

 今、「スピーチ」の「スピリチャル・ピープル」を流しながらこれを書いています。本来、ワタクシメはヒップ・ホップが(というジャンル分けで良いのかさえ知らん)分かるようなタイプじゃないんですが、なぜかこの人だけはピッタリ来るんだよなぁ。特に処女作?「スピーチ」が好きなんです。

棋士のブログを読める時代


 最近は、色々な棋士の方々のブログを読めるようになって、ファンにとってはありがたい時代です。特に女流の方々が熱心なようです。例えば、石橋女流四段の「ごきげんDEブログ」は、タイトル通りに読んでいてとても楽しいものに仕上がっています。また、「ねこのおさんぽ2」の、北尾女流初段は、ブログの熟練者のようで、様々なテクニックを駆使して、見ているだけで楽しい華やかなブログを提供してくれています。
 男性棋士の方はまだ少ないようですが、例えば、大平四段の「大平の本音」は、直球勝負でストレートに心情を吐露していて、読んでいて爽快です。
 その中でも、やはり一番有名なのは渡辺竜王の「若手棋士の日記」でしょう。今回、ファンサイトの終了に伴い、「渡辺明ブログ」に移行されました。日ごろの彼の言動を聞いていると、「ファンあっての将棋界」を意識してのサービスだと思われます。
 先崎八段も、著書「まわり将棋は技術だ」のあとがきで「将棋指しが名前を売ることが一番の将棋普及なのだ」と、批判を念頭に置きながら敢えて述べられていました。
 棋士がブログを書くことも、大きな意味では立派な普及活動だと思います。これからも、ますますたくさんの棋士の方々のブログが読めるようになりますように。若手だけでなく、例えば「青野ブログ」とか「島ブログ」とかを、是非読んでみたいものです。
(今、棋王戦第二局をネット観戦しながら書いているのですが、サッパリ分かりません。)

「大平の本音」

 瀬川アマのプロ入り問題、いろいろな意見があって、全部読むのがメンドイナーと思っている方、このひとつだけは読んでおいてください。絶対損しませんから。

「大平の本音」(大平武洋四段のウェブログ)の2/16「門戸開放」

 これを読んで、自分はちょっと感動してしまいました。自分も瀬川問題について一応書きはしたものの、所詮部外者の独り言で、今までの将棋界のこと考えると、多分何言っても無駄だろうなぁという虚しさが正直ありました。でも、こんな男が今の将棋界にもいるんですね。ものの言い方もケレン味がなくて実に良い。特に後半部分は、読んでいて胸のすくような思いがします。自分と似たような無力感を感じている方、是非読まれてみてください。瀬川さん以上に、大平四段のこと、応援したくなりました。

資本論を読む先崎少年


 順位戦B級一組の、先崎vs阿部戦が大変な大勝負になりました。A級最終局と同じくらい、注目されてもいいんじゃないでしょうか。

 先崎八段といえば、棋士の顔以外に「印税生活者」?としての一面も、いまや有名である。自分もエッセイの類を愛読している一人である。いかにも才気煥発の文章で、将棋に限らず、生まれついての天分、才能を感じさせる。彼の書くようなタイプの文章は、えてしてウケ狙いがかえってつまらなくなったり、イヤミになったりしがちなのだが、なんというかバランス感覚が抜群で、実にサマになっているのだ。ああいう軽めの文章をセンスよく綴るというのは、実はものすごく難しいんじゃないかなぁと思っていたのだが、御自身を「活字中毒者」と呼んでいるのを知って、なんとなくナゾが解けた気がした。
 トイレでも、電車でも、風呂でも、のべつくまなく活字を追っているそうである。先崎八段の文章は、一見軽めなのだが、そういう基礎がしっかり出来ている人が書いたものなのだ。基礎体力を十分につけた上で、敢えてハジケているのだとおもう。もし、その気になりさえすれば、いくらでも硬派な文章も書けるのだろう。我々シロウトが、下手にマネをしたら絶対ケガをするというタイプの文章だと思う。
 さて、その先崎八段、十四歳の頃、なんとマルクスを愛読していたそうである。たまたま一番多く置いてある文庫を選んだら、それがたまたま「共産党宣言」で、すっかりハマッてしまったのだという。しかも、「資本論」にまで読み進み、三巻ぐらいまで読破したというのだから恐れ入る。あの経済学的でもあり、哲学的でもある、難解な「価値形態論」を、恐らく何の予備知識もなく黙々と読んでいる先崎少年。ちょっと想像するだけで、おかしくて痛快ではないか。ところで、これを読んで、「さては先崎、隠れコミュニスト」と誤解する方がいるといけないから、念のために言っておくと、その後すぐパチスロに出会って、あっというまにマルキストから卒業したとの事。メデタシ、メデタシ。(なんのこっちゃ。)
(興味のある方は、「浮いたり沈んだり」所収の「活字中毒的生活」「『共産党宣言』、そしてパチスロ」をお読みください。)
 さてさて、そんな先崎八段の文章を読みながら感じるのだが、ああいう軽めの文章でありながら、けっして「今風」ではない。むしろ微妙に「古風」で「硬派」であって、ああいうヤンチャ坊主的なイメージとは反して、根本では、ごくごく健全な常識人だという気もする。自分のようなヨワーイアマには、先崎将棋を分析する能力も資格もマッタクないのだが、文章から推測するに、将棋のほうも自由な指し方をしているようで、本質的には正当派、常識派なのではないかと想像するのだが、どうだろう。
 作戦面では、ものすごく思い切ったことをする。確か、谷川棋王に対して大事な竜王戦の対局で、初手3六歩とやって、谷川さんをカリカリさせたこともあったっけ。でも、他のプロの先崎評を聞いていても、中終盤の指し手は、理にかなった正統派なのではないだろうか。むしろ、外見とかではフツーな佐藤康光さんとかの方が、「異常」なことを平気でやってのけたりするのでは。(勿論ほめ言葉のつもり)。羽生さんや森内さんも佐藤さんと同様のとこがある。先崎さんの健全な常識人の面が、むしろトップと戦うのに邪魔になっているのではないかしら。(全然具体的な根拠なく言っていて、ちょっとそんな気がしたという程度のことなので読み流してください。)
 先崎さんのことを「第二の芹沢」呼ばわりする声もチラホラ聞こえるが、それは全然違うと思う。A級から陥落したあとも、目立った活躍こそないものの、安定した勝率を上げているし、精神的にも充実して将棋に取り組んでおられるのではないかと思う。冒頭書いた通り、B1の最終局は本当に楽しみ。昇級に絡んでいる郷田、阿部のお二人も大好きなのだが、やはり先崎さんに頑張って欲しいと思う。
 王位戦リーグの初戦で渡辺竜王とあたるのも気になる、週刊将棋の先崎八段のコメントを読んだら、「教えをこうつもりで戦う」とか言っていたが、勿論本心は全然違うだろう。個人的には、その勝負に勝った方に、挑戦者になって欲しいと思う。

升田幸三著「勝負 人生は日々これ戦場」


 升田幸三のエッセイの復刊。なんというか、「将棋」と「人生」の達人が、筆の赴くままに闊達に語っている本である。本来、自分は日本的な「人生の達人」の語りに対して、斜に構えてしまうほうだ。かつて吉本隆明氏が、自身の不器用な生き方に照らして、人生の「達人」というスタイルに対する疑問のようなことを書いていて、共感を覚えたことがある。しかし、升田ほどの大物になると、経験によって語る言葉の一つ一つが生きていて説得力がある。単なるかっこつけのスタイルに、とどまっていないのだ。
 人間の柄の大きさを感じる。最近では、朝比奈隆さんに通じるものがある。豪放磊落でおおらかで、深いところの「教養」というべきものがあって、中途半端なインテリなどには太刀打ちできない懐の深さがあるのだ。勿論、朝比奈と升田では「教養」の質が全くといっていいほど違うが。とにかく、昔の人の中には、確かにそういう人間の大きさを無条件に感じさせる人がいたと思う。
 升田先生の大きな人柄に、本を読みながらじかにふれることが出来て心地よい。そういう本である。今の若い人たちが読んでどう感じるかは分からないが。
 自分が本当に若い頃、升田先生の「寄せ」の本を繰り返し読んだことがある。どちらかというと、初級中級向けで、基本的なパターンの問題を数多く解いて、寄せの基本を体で覚えていくという本で、とても優れていたと思う。最近の将棋本は専門的でむつかしいとよく言われるが、特に現代のトップ棋士に、そういう基本に立ち返るような本を書いてもらいたいものである。

週刊将棋2/9号


 「渡辺将棋とは 第四回」が面白い。森内名人の証言も交えて、渡辺将棋の本質に鋭く迫っていると思う。現在の将棋ジャーナリズムには珍しく、といったら偉そうになってしまうが。
 鈴木宏彦氏の記事の、渡辺竜王に関するエピソードも興味深い。

 棋王戦第一局、6三玉を例によって「マジック」と呼んでいる。確かに、控え室にいた阿部、井上といった本当に強いプロの人たちが気づかなったし、現に谷川棋王も見落としたのだから、すごい手なのは間違いないだろう。しかし、「マジック」という表現が適切なのかどうかとなると別問題だ。王将戦第一局の、5一桂の時以上に、「マジック」という表現はそぐわないと思う。単に「詰まない寄らない一手」ということで、文字通り「種も仕掛けもない」のだから。もっとも、記事のタイトルとして便利なだけで、厳密に言葉の意味にこだわっているわけではないよ、と言われば、それまでなんですけど。
 最終盤、正確に指すと一応「谷川勝ち」ということらしいが、やはりハッキリしないらしい。感想戦の検討には時間に限りもあるし、特に週刊紙の場合締め切りの問題もあるのだろうが、対局者でなくてよいから別のプロ棋士が終盤を徹底的に検討して一応の結論を提示するというシステムを出来ないものだろうか。専門誌の自戦記などで解明されるのかもしれないが、少なくとも自分などの一般的なファンはなかなかそこまでチェックできないと思うし。

 A級順位戦、今年は最終局に完全な消化試合がひとつもない。楽しみである。去年は、NHKさんが放送してくれるかどうか心配になるくらいあまり面白くない展開だったけど。 

あんたスゲーよ、真鍋さん、とトラックバックしてみる

突然ですが、全く畑違いのマイナーな将棋ブログを書いているものです。
以下「いかにして余は眞鍋かをりブログ教徒になりしか」(by内村肝臓)を説明させていただきます。

へぇー、将棋好きの古田さんがブログ始めるのかー。冷やかしで見に行ったろ。

なんだ、この眞鍋かをりブログって。どうせグラビアアイドルの小娘がクダラネー事書いてやがるんだろ。ムカつくけど、ちょっと見てみるか。

あれっ、なんだこれ、なんかよく分からんけどオモロイナー。古田さんの言うとおりだわ。これからも読んでみよっと。

他の将棋ブログ書いてる人から「コオロギ・オブ・ジョイトイ」のこと教えてもらった。うーん、コイツ、そこいらのお笑い芸人なんかよりよっぽどユーモアのセンスあるじゃん。

毎日のぞいてしまうようになり、なかなか更新されないのを残念に思うようになる。

こんなに自由にものを書けるのって、実はものすごいことじゃねーのかなー。

昨日の(2/7)の記事の、あまりに赤裸々な告白に一種の身震いと感動を覚える。真鍋さん、あんたスゲーよ。

今日の「真鍋が眞鍋ブログを考えた」を読む。不覚にも、「根っからの個人主義」あたりのくだりに涙しそうになる。

尊敬します、眞鍋さん。

こうして、オヤジの真鍋ブログマニアが一人誕生したのであった。

以下将棋ファンへのお詫びと断り
 前回の古田さんあてのトラックバックの時は「将棋の普及」という名目がありましたが、今回は弁明の余地がありません。日本将棋ブログペンクラブ会員第2986号資格を、ここに返上させていただきます。

「冗談」なんですかー


 「勝手に将棋トピックス」の瀬川アマプロ入り問題、「意見別派閥樹形図」、皆さん、もう見られましたかー。
 えーっと、自分の書いたことはどれに当てはまるかってゆーとー、あれぇー、いくつも○がつくぞぅ。○が多くつく人は成人病に注意ってか。いや、成人病どころか、痴呆の危機が・・。
 もずのダンナ、ここはひとつ、たまにはご自分の意見をビシッと言って、みなの衆に示しをつけてくれませんかい?
(本当に、知りたいと思っております。)

 「ごきけんDEブログ」で、なんと竜王の文体をパクル試みをしていた。面白いこと考えるねー。オイラも絶対やってみたいと思うのだけど、勿論そういうわけにはいかず・・。フフ。

 今日のこの記事、予告なく削除するかもしれません。ちなみに、今自分は完全にシラフです。

Livedoor 将棋ブログ・コレクション

 Livedoorで将棋フログを書き始めたのは、まったくの偶然です。無料なのをよいことに、他にジャンルごとにいくつものプロバイダーでレンタルブログを借りまくった際、将棋がたまたまココでした。(そーいえば、あの頃プロ野球参入で、ムチャクチャ話題になってました。)竜王戦の真っ最中だったこともあり、結局ここにばかり書く破目になり、実は自分が将棋より興味があるジャンルのブログはほとんど放置状態です。キッカケなんて分からないものです。
 さて、同じLivedoorの将棋ブログをいくつか紹介しておきます。(右のリンクには、知るかぎりのほとんどのLivedoorのサイトをリンクしてあります。)

「陽のあたる場所」
 ある時は投資研究家、ある時は「ハッシー」橋本四段の広報部長?といろいろな顔をお持ちなのですが、一番注目したいのは、駒作りをされていることです。カテゴリー「将棋」で、まとめて、駒を作る過程についての記事を読むことが出来ます。美しい駒の写真も、多数アップされています。実際に駒を作っておられる方が、その過程などを書いているブログは、とても貴重だと思います。

「日々の勉強@将棋」
 正当派将棋ブログ。言葉少なく簡潔に語られることが多いのですが、将棋に対する知識の深さと知性の高さを隠すべくもありません。

「ねこのおさんぽ2」
こんなところで取り上げてよいのか分かりませんが、北尾まどか女流の、どちらかというと私的なブログです。前から書かれていたようですが、最近Livedoorに引っ越してこられました。これ以外に、「将棋ブログ」という、単刀直入な題名のブログも書かれています。
 なお「ごきげんDEブログ」の石橋女流と交流が深いようです。石橋さんについては、ドキュメンタリーなどで気になる存在でしたが、ブログの、なんと言うか、すとーんと突き抜けるような明るさが、何かいいなぁとおもいます。

「はんぴんちぇん」
 詰め将棋についての本格的なブログ。内容、文章ともに、はっきり言ってむちゃくちゃレベルが高いです。
 自分は詰め将棋については全くのシロウト。看寿か宗看の、例の有名な長手数「煙詰め」を盤面に並べて「すげー」とか言っている無邪気なファンに過ぎません。しかし、「詰め将棋」の世界が「指し将棋」と同様、いやそれ以上の芸術的な空間を作り上げていることくらいは理解しているつもりです。昔、まだ強くなろうという気持ちがあった頃、「詰め将棋パラダイス」を短期間ですが購読していたこともあります。
 詰め将棋よりも、自分は詰め将棋関係の方々の書く文章に興味があります。皆さん、ものすごくこだわりのある完成度の高い文章をかかれます。ここも、その例外ではありません。でも、ただ堅苦しいだけでなく、一種の俳味のような軽妙な味わいもあるのです。そういえば、谷川棋王の文章というのは、あれって基本的に「詰め将棋作家」の文章だと思います。ご自分でつくられたり他の人の文章を読む過程で身につけられた文体だと思います。
 なお、「勝手に将棋トピックス」の去年の記事で、自分のブログに少しだけふれていただいた時、「はんぴんちぇん」についても美しい紹介文を書かれています。

中平邦彦著 「西からきた凄い男たち」と再び「棋士・その世界」について

 
 中平氏の近作は「続・棋士・その世界」とでもいうべき本である。地元の関西の現役棋士、往年の名棋士、羽生などの現代棋士、そして地元の谷川について存分に語っている。とても楽しいし、読む価値は十分ある。しかし、その一方で「棋士・その世界」が、それ以上にいかに優れた本かを感じずにはいられなかった。
 思うに、「棋士・その世界」を書いたときに、著者の心には書きたいことが山ほどたまっていたのではないだろうか。それが、ごく自然に、飾らない文章として形を成したといった印象がある。博識や雑学に邪魔されない、純粋な文章の喜びがあり、また、描く対象の往年の棋士たちが、筆者のスタイルに見事なまでにマッチして絵のようにはまり込んでいる。文章のスタイルとしては、坂口安吾の将棋観戦記のようなタイプがはるかに自分の性には合うのだが、個人的な趣味とは関係なく、直接心に訴えかけてくる力がある。いろいろな条件がうまく組み合わさって出来た名著だと思う。(特に、後半の各棋士論の部分。)

NHK杯、先崎八段の「ウッカリ」が出てしまって残念。わりと先崎さんは、その辺正直に言う方なので、多いようにも感じるが、全てをありのままに告白すると、プロ棋士って、どの程度対局中に「ウッカリ」するものなのだろうか。
 
 今日は、古田さんのブログに行った勢いで、トラックバック数のライバル、眞鍋かをりさんのブログにまで出向いたよき日でした。セクシーアイドルだからって、なめる事なかれ。これがなかなか面白いし、読ませるのだよ。クセになりそうな自分が怖いです。
 もし、今後自分の文体に微妙な変化が現れたり、絵文字を使い出したりしたら、眞鍋かをりの影響だと思っていただいて結構です♡♪

「反則」の古田敦也公式ブログトラックバック用記事

 今日はネタがないので、完全な反則攻撃に出ます。古田さんが将棋ファンなのをいいことに、臆面なくタイトル通りのことをやらせていただきます。

古田さん、谷川棋王の自筆原稿が、ファンサイトで読めるってご存知でしたか。最新ノートでは、今岡選手との駒落ち戦のことを書いていて、古田さんの話題もちょっと出ていますよ。
「光よりも速く」の光速ノート65
古田さん、今話題の渡辺竜王が、ネットで日記書いているってご存知でしたか。これがまた面白くて、また、竜王戦の「読み」の内容も紹介されたりしていて、絶対古田さんなら読まれたいのでは。
「若手棋士の日記」
古田さん、それ以外にも、実に面白い将棋ブログを個人で書いておられる方がたくさんおられるんですよ。右のリンクの欄など参考にして、よかったら遊びに行かれてください。

さて、今日のこの記事、個人的には大満足であり、会心の出来なのですが、恐らく「将棋ブログ界」(そんなものがあるとしたら)内での信用失墜は間違いなく、こんなことを書いているようでは、本サイトは近日中に閉鎖に追い込まれるものと思われます。
それでは、皆さんのサイトを古田さんがご覧になることを祈りつつ。残念ながらその可能性は、きわめて低いものと思われます。さようなら。

持将棋ルール、棋士別成績一覧、Googleについて


持将棋ルールについて
 持将棋ルールについて、「と金通信局」の エリオスさんが、「無条件の引き分け」案を提唱されている。「相手の玉を詰める」という将棋の基本ルールを考えると、本質的には「引き分け」が理にかなっている。ただ、なるべく勝負をつけようということで、現行の「判定ルール」が出来たのだろう。しかし、誰がどう考えても、心底納得いく判定法でないのが問題なわけだ。
 また、「相手玉位置への自玉トライルール」だと、勝敗に二つの基準が混在してしまうという、エリオス氏の指摘ももっともである。面白いアイディアであるのは確かなので、簡単に捨ててしまうのはもったいないとは思うが。
 自分には、どうすべきか正直よく分からないが、とにかく再検討の必要があるのだけは間違いない。将棋連盟や、棋士たちは真剣に議論してみたらどうだろう。ルールの改善につながるだけでなく、話題づくりにもなってよいと思うのだが。

棋士別成績一覧
 「将棋連盟 棋士別成績一覧」というすごいサイトがある。見ていただけければ分かるが、男女問わず文字通り「成績一覧」が一目瞭然である。どこかのサイトみたいに意味のない長文を量産しているところとは違って(すなわちココ)、確実に「役に立つ」サイトである。
 例えば、自分は前に少し書いた岩根忍の全成績を見てみた。知らなかったのだが、既に清水さんと二度戦って負けている。矢内さんにもやられている。でも、それ以外は全勝だけど。やはり、「有望だけど、タイトル取るのはそう簡単じゃなさそう」ということだ。
 清水vs岩根は、「鹿島杯」で実現していたようだ。そういえば、最近見るのを忘れていた。昔、目黒貴子さんが司会のころは、彼女のボケボケぶり(失礼)が可憐でよく見ていたんですけどね。

Googleについて
 最後に超個人的な話題を。少し前から、ここにGoogleの検索経由で来てくれる方もチラホラ出てきた。ちょっと気になって、自分でも「将棋 ブログ」とか「将棋 ものぐさ」で検索をかけると、随分早い段階で、本サイトが出てくるので驚いた。ところが、ある時期からURL (http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/)
だけ表示されて、サイト名も本文紹介も出ないという変な状態になってしまっているのだ。
自分は、サイト登録の作業など、一切していない。多分、Livedoorでブログを書くと、自動的に登録作業等をしてくれているのだろう。だから、Googleに出てくるだけで、個人的には大満足なのである。しかし、なぜそんなことが起こるのか、Googleでのサイトの表示順位の基準がどうなっているのかなど、謎が多い。
 どちらにしろ、ただ文章書いているだけでよいのだから、皆さんブログを始めるならLivedoorにしましょう。(笑)
 
 王将戦第一局、すばやくふれているブログが結構ある。ネットならではなのだが、残念ながら自分には、そうする「棋力」も「有料契約」も「生観戦する時間」もない。くやしー。いいのさ、「ジャーナル」や「丸ごと」や「週刊将棋」をじっくり見てから「後出しジャンケン」してやるんだから。(あんまり意味なさそうだなあ。)

中平邦彦著 「棋士・その世界」

 
 誰にでも、なんとなく訳がわかないけれども、ぴったりくるという本があるだろう。自分にとってはこの本が、まさしくそう。この本を始めて読んだのは、高校生のときか大学生の時か、忘れてしまったくらい昔のことだ。初版が、それよりも前の昭和49年というのだから、三十年前の本だ。
 一言でいうと、古きよき時代の棋士たちを、淡々とした筆致でしみじみと描いた本である。しかし、鋭い人間観察の裏づけがあって、決して「退屈」ではない。筆者独特の美学とスタイルに支えられた文章が本当に好きだった。久しぶりに読み返してみたが、やはり素晴らしいと思った。最近、自分はこのブログで「新時代の将棋」というようなことを、少し力みがちに書き連ねてきたわけだが、そんなことがどうでもよいと感じられるくらい、懐かしさがこみ上げてきて「やっぱり、昔は良かったなあ」という禁句がつい口からこぼれ出てしまう。 
 特に後半の、個別の棋士をとり上げた部分は、いったい何度繰りかえし読んだことだろう。将棋学徒小堀の一途さと孤独。天才芹沢の華やかさと自虐と絶望。大野の毒舌と子供のような人のよさ。謙信と良寛を兼ね備えた原田の人間的魅力。関根の実直さ。灘の昔かたぎの頑固さと豪快さ。塚田の飄々とした姿。有吉の熱血と明るさ。真善美を追及する加藤の純粋さ。まれにみる才人丸田。正直者の佐藤大五郎。人の良さと世代特有の屈折を共有する二上。さわやかで自由奔放な米長。繊細で華やかな内藤。そして、巨匠大山、大スター升田、若き日の中原。どれもこれも忘れがたい。本当に読むのは久しぶりだが、ほとんど全部記憶していたので我ながら驚いてしまった。
 勿論、昔の棋士だって、ただきれい事だけで済んでいたわけではないだろう。しかし、この本は、棋士の美点だけを、決して表面的な建前に陥ることなく、しっかり浮かびあがらせていると思う。現代の、何もかもが知れわたってしまうジャーナリズムでは到底不可能だろう。自分が、本当に懐かしく感じたのは、昔の棋士に対してというより、棋士に対する書き手の絶妙な距離のとり方、書き手と棋士の関係性に対してなのかもしれない。別に、ファンは棋士と日常付き合うわけではないのだから、何もかも全て知る必要などなく、棋士の本質的な美質だけを知ることが出来ればそれで十分なのだ。
 あーあ、本当に昔が懐かしいという気持ちが、どんどんこみあげてきて、どうにも抑えることが出来ない。自分もそれだけ歳をとったということか。

現代将棋の変化や将棋ルールなどをめぐって(羽生新春対談について)

 今日やっと、近所の図書館で羽生=小林研一郎対談のオリジナルを読みました。(梅田氏の要約で、ほぼ十分紹介されきっています。)相変わらず、ちゃんとした考えがまとまっているわけではないが、以下いくつかの論点について書き散らしておきます。

 崗棋というゲームを突きつめると、つまらなくなる可能性がある」ことについて。
(参考「勝手に将棋トピックス2005-1-6」「My Life Between Silicon Valley and Japan2005-1-3」
「お互いにミスがなく、完璧に近いとかえってドラマチックでなくなる可能性がある」(羽生二冠)
 現代将棋一般について述べているのだろうが、「もず」氏の指摘の通り、先日の竜王戦のことを、すぐ連想してしまう。「お互い将棋が、かみ合っていない」という言い方がされていたが、恐らくそういうことではないのだろう。すなわち、二人とも、最短距離の紛れのない勝ち筋を発見する能力が並外れて高いために、一度差がつくと、紆余曲折の生じる余地がなくなり、一見つまらなく見えてしまう。しかし、それはあくまで二人が最善を尽くして、また能力が高いためである。つまり、「つまらなく」見えても、プロが内容をしっかり説明してくれさえすれば、アマチュアにも水面下のスリリングさ、将棋の厳しさ、芸術性の高さを味わうことは可能であろう。 
 よく、「将棋の醍醐味は終盤のねじりあいにある」といわれるが、その考え方も再検討すべき時点にまで、将棋が進化しつつあるのかもしれない。確かにもどちらが勝つのか分からない終盤くらい見ていて楽しいものはない。しかし、そういう終盤の混乱を事前に封じこんでしまうというのも、立派なプロの技術だと思う。「もず」氏が、「羽生二冠こそ中盤を圧縮して、終盤を考えることができる能力が高いといわれる」と指摘していたが、今回の渡辺竜王の将棋を見ていて、同じようなことを強く感じた。
 お互いミスをしたほうが面白くなるといっても、指す棋士の立場としては意図的にそうするわけには行かないし、またミスの少ない将棋のほうが当然レベルが高いわけである。よく、「最近の将棋は人間味がなくてつまらない」という言い方を耳にする。確かに、表面的にはそういうことも言えるかもしれないが、「一見つまらなく」見える将棋に隠された、プロとしての将棋への突き詰め方のすごさとか、高い技術などを理解すれば、十分楽しむことはできるのではないだろうか。そして、それは別に将棋が強い人間だけに可能なのでなく、プロの棋士やプロ棋戦について書く人間が、きちんとアマチュアに説明しさえすれば、最低限の棋力さえあれば、「普通の将棋ファン」にも可能だと思う。
 ついでに言えば、将棋に人間的な戦いの味「だけ」を求めるのは、どんなものかと思う。自分は結構古いファンなので、中原、米長、加藤といった諸先生方の「人間的過ぎる」戦いの面白さはよく分かっているつもりである。しかし、それは、あくまで将棋の技術をきちんと追及した上での付加的部分に過ぎない。むしろ、将棋の技術を追求することを度外視して、ただ「人間味」を求めたり「昔は良かった」というのは、あまりに皮相的ではないだろうか。また、現代の棋士についても、将棋自体はシビアで「一見つまらなく」見えるにしても、例えば日記を書いている渡辺竜王にしても、関西の山崎六段にしても、実は人間的魅力は十分なのである。
 とにかく大切なのは、内実、実質の充実を追及して高めることである。それが、一見合理的過ぎて、つまらなく見えても、本当に合理性を追求したものには、確実に「美」が存在すると思う。大山に関連して何度も名前を挙げている坂口安吾も「日本文化私観」で、そのような意味のことを述べていて、自分は昔から深く影響されている。日本文化の場合、何かと内実の伴わない「伝統文化」が称揚されたりするが、どんなに外見が麗しくなくても、内実さえ伴っていれば良いのだ。
 先日、渡辺竜王の竜王戦の総括について書いたときにも、そのことをいいたかった。渡辺竜王の将棋は、徹底的に合理性を追求しているのではないかと思う。そして、そういう将棋はえてして「つまらない」と言われがちなのかもしれないが、そうした徹底的な合理性の追及にこそ、自分は本当の「美」を感じるのだ。極端な話、和服を着て対局しようがどうしようが、本当は、そんなことはどうでもよいことなのである。
 棋王戦で実現した、谷川vs羽生戦は、ゴールデンカードのわりには、将棋が一方的になってしまってつまらないことが多いといわれる。その原因も、実は今述べてきたことに関連があるのではないかという気がする。つまり、お互いに完璧度が高いので、一度差がつくと「つまらなく」見える将棋になるという意味で。
 羽部二冠と「かみ合って」面白い終盤になるといわれるのは、佐藤棋聖、郷田九段あたりである。郷田九段は、現代的な棋士とは程遠い個性的な存在である。また、佐藤棋聖も「緻密流」といわれるが、それは読む力が恐ろしく深いという意味であって、先崎八段が評していたが「実は良い意味でアバウトな将棋」というのが、正確なのかもしれない。要するに、終盤の力自慢の者同士が戦うと、やはり面白い終盤になるということではないだろうか。

⊂棋というゲームのルールについて
梅田氏の指摘の通り「突きつめるとつまらなくなる」のは、将棋だけのことでなく、あらゆるゲームに言えることなのかもしれない。その意味では、将棋のルールについても、タブー視せず検討を加える価値がある。
当面、第一に検討の対象になるのは「持将棋」についてであろう。現行ルールだと、持将棋になると、突然まったく別のゲームになってしまう。24などで「点数足りていますか」などとチャットしながら指すのくらいバカバカしいことはない。 
これについては、前回も紹介したが、鉄人六十八号氏の「持将棋と千日手」が、とても参考になる。実は、「相手玉の位置に自玉がトライしたら勝ち」というのは、先崎八段も、確かエッセイの中で主張していたと思う。最初、先崎八段の秘密サイトかと思ったくらいである。(笑)しかし、氏は、二十年前に既にそのルールを提唱し、なおかつ、改善修正案まで考えておられるのだ。先崎八段に教えてあげたいものである。
ちなみに、そういうルールになったら、実際どの程度の影響が出るのかは、自分の棋力では全く予測不能である。ただ、丸山九段あたりは、そのルールをいかした「定石」を生み出すくらいのことはしかねないのではないかという気がする。(ちょっと失礼な冗談)
 
F本将棋の美学について
羽生二冠の発言。「日本の将棋は、凝縮と純度の高さが特徴、俳句や短歌に通じる行間を読む日本文化らしさ」「チェスが、ダイナミックで直接的な力のぶつかり合いなのに対し、将棋は微細な違いが大きい違いになる。」いまさらながら、これだけ質の高い内容を対談で言える羽生二冠の表現力に感心させられる。
ただ、将棋の特徴についての説明はちょっと意外だった。将棋は一度死んだ駒を再利用できる特殊なルールなので、将棋が、もっとも直接的な力のゲームなのではないかと思い込んでいたので。(なにしろ、自分は将棋以外のゲームに無知なので困ってしまう。)それよりも「駒の力を小さくした」というのが、ポイントとして大きいのだろう。ただ、俳句や短歌との具体的なつながりや共通性、行間を読む、ということについては、もう少し説明を聞きたかったところである。

小林研一郎氏の、プラハの春については、やはり日経の記事でも紹介されていました。(ちなみに、自分が行ったのは去年の来日でなく、もっと数年も前の公演です。)テンポの速さについて述べていることなど、古楽器派の主張と関連させて論じてみたいのですが、これ以上書いたらさすがに迷惑だと思うのでやめておきます。(笑)
 
古田捕手が、ブログを始めたそうです。野球のことだけでなく、将棋のことにもたまにはふれてもらいたいものです。
古田敦也公式ブログ
たくさんトラックバックが欲しいということなので、早速この記事を送ってしまおう。有名人のブログにトラックバックするのは、自分が他で書いている音楽関係ブログで、奥田民生の「OTブログ」にして以来です。ああいう有名人のブログの場合、トラックバック数が多いので、わりと気楽にできるのがよいところです。

羽生二冠の年頭対談について

 「勝手に将棋トピックス」を、真面目に読んでいます。とても勉強になる一方で、ブログを書く意欲がどんどん失われていきます。(笑)
 最近では、羽生二冠とコバケンさんの対談についての記事が白眉。 
 (コバケンさんの方で言うと、なんと言っても、プラハの春でチェコフィルを振った「我が祖国」が最高でした。実は、それより前のチェコフィルの日本公演の時、自分はコバケン指揮の「わが祖国」を聴いた果報者である。普段、某ピアニストとは全く違う低俗な意味で「コンサートは死んでいる」とうそぶいて、めったに出かけないのに、気まぐれ起こして行ったのが、大当たりでした。) 
 さて、「勝手に将棋トピックス」で紹介されている、ご本人を含めた三人のきわめてハイレベルな意見は次の通り。
 「もず」氏  「羽生善治二冠の対談」「将棋の最善と面白さと」
 梅田望夫氏 「羽生さんの日経元旦対談が深いなあ」「ゲームの本質」
 将棋のルールに関して鉄人68号氏 「規則と戦法」「持将棋と千日手」 
 ハッキリいって、これだけ読めば、もうお腹いっぱいです。それでも、どんなに幼稚でもいいから自分なりの意見を書こうと思いましたが、考えがまだまとまりません。特に、将棋のルール自体に話が及んでは、全く手が出ない感じです。まあ、気が向いたら、何か書いてみるかも知れませんし、あっさり断念してしまうかもしれません。 
 梅田氏と、鉄人68号氏のサイト、リンクに加えさせていただきました。我ながら、ムチャクチャなリンク集です。 
 うーん、今日の記事で、自分が書いたのは「コバケンのコンサート行きました」ということだけだなあ。

将棋サイト紹介など

 年末の「将棋丸ごと90分」、加藤一二三先生がゲスト。「自画自賛型解説」、サイコーでした。ほとんど笑い死にしそうになってしまった。あれだけ自慢して全然イヤミにならないのは、人徳としか言いようがありません。

 NHKの新春お好み対局、「岩根忍」の御披露目の場になっていました。地力が違う上に、穴熊で暴れるという作戦を取られては、他のペアーはなすすべがないでしょう。「4一角」の瞬間、羽生二冠が思わずもらした「強い・・」が、全てを物語っていた。
 ただ、彼女が、女流のタイトルを、すぐにでもどんどん取るかについては自分は疑問視しています。われわれアマチュアは、奨励会員を過大評価しがちなので、「一級」と聞くと、驚いてしまう。しかし、千葉女流や矢内女流の例もあるように、中井さんも清水さんも、「奨励会員」にビビったり、すぐ負けるほどヤワとは思えないのですが、どうなることでしょう。

 突然ですが、リンクについて。色々考え方があるのでしょうが、インターネットでは、自由にリンクしあってよいという原則を尊重したいと思います。よく日本では「このサイトはリンクフリーです。」という文句を目にしますが、アメリカなどでは、そもそもそれは無条件の前提になっていて、そうした言い方自体が日本的でおかしいという意見もあるようです。やはり、日本の場合「認可制」的思考様式が、実際の官僚制のみならず、一般の人間の考え方にまで、無意識に浸透しているのかもしれません。(但し、将棋について、例えばファンサイトを運営している人が、棋士に迷惑をかけないよう、リンクをチェックするということなどは、心情的によく分かります。)
 とにかく、そうした考え方にのっとって、もったいぶらずに、気がついた将棋関係のサイトへのリンクを、右の欄にどんどん張ることにします。今回は、一覧だけですが、気が向いたら、サイト紹介文も書いたりして、さらにおいおいサイトも追加もしていくつもりです。お世話になっているLivedoorの将棋ブログも、律儀にも(笑)ちゃんと紹介しておきます。(「Livedoor Blogの将棋」のページで、記事を全部見ることができるようになっています。)
 ちなみに、「当サイトはリンクフリーです。」(笑)

また、ブログをせっかく書いているのだから、「トラックバック」と「コメント」機能をもっと使いたいと思っています。特に「トラックバック」は、自分の書いた記事を、ただ送ればよいだけなので、気楽でネットらしい良い機能だと思います。もっとも、自分もイザ送ろうとは思っても、やはりつい遠慮してしまっているのが現実なのですが。恐らく、日記とブログの根本的な違いだし、インターネット的な自由で活発な情報交換のための優れものの機能といえるでしょう。しかし、このサイトに限らず、有名将棋ブログでも、まだ十分活用されてないのが現状のようです。
 ちなみに、自分のところは「トラックバック」も「コメント」も大歓迎なので、よろしかったら気楽にされてみてください。(笑)あと、渡辺竜王あたりが「日記」から「ブログ」に転向してくれるとうれしいんですけどねぇ・・。

静かな日

今夜は24で、久しぶりに、たくさん将棋を指しました。
最近は、竜王戦に夢中で、観戦したり、それについて文章を書いたりばかりしていました。そのせいで、自分まで強くなった錯覚に陥ってていましたが、強烈に現実に連れ戻されてしまった。(笑) フツーに、三手詰めも見逃したし。
 まあ、このブログは、将棋について書いても、具体的将棋内容には、ほとんど触れないという、特殊な性格だから別にいいんですけど。
 そんなに強くなりたいとは思わないけど、内容に納得のいく、いい将棋を指したいとは思う。あんまり、雑な将棋ばかり指してると、勝っても負けても疲れるので。
 なんか、今日は静かな夜中です。

弦巻カメラマンの一枚

 最近、有名な「ひげのカメラマン」氏の手による「弦巻勝写真劇場」というサイトを発見して、よく遊びにいっています。そこで、とてもよい写真を見つけたのだ。
(右のリンク集の中にあります。)
 トップから、「過去の日記」H16.12.04で、写真と弦巻カメラマンの名文をご覧あれ。

 いかがでしたか。
 特に「キャバクラのウンヌン」には、腹を抱えます。弦巻カメラマンの、イタズラ心溢れる一枚ですね。
 私は、これを見て、とても幸せな気分になりました。
 それでは、おやすみなさい。明日からは、竜王戦です。

コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
Recent Comments
  • ライブドアブログ