女流独立問題関連

女流棋士ファン倶楽部 MINERVAについて

日本女子プロ将棋協会(LPSA)が、ファン倶楽部MINERVAについて広報文書を出しました。

MINERVA会員の皆様へお詫びとお願い

「これまで私ども17名は「所属は変わっても同じ女流棋士であることに違いないのですから、ファンクラブ事業は応援してくださる皆様のためにも今後も一緒に行っていきましょう」という呼びかけを、女流棋士個人のつながりや団体としての申し入れ、双方の弁護士による協議など様々な方法で再三にわたり行って参りましたが、残念ながら否決されてしまいました。ファンクラブには、ファンの皆様から大きなご期待をいただきながら、その責任を果たせなかったことは本当に心苦しく思っております。」
読んでいて、痛々しささえ感じてしまいます。なぜ、貴方たちが謝らないといけないの、と言いたくなります。LPSA側は、当初よりファン倶楽部等については、合同でやりたいという意向を示していました。

スポーツ報知「中井広恵女流6段に聞く…新団体「3つの“わ”」で基盤作り」

「所属は別でも女流同士、進むべき方向は同じ。私個人としてはイベントも共同でやるのが、良いのではないかと思います」
あの成功したイベントさえ、独り占めにしようとはしていないそうです。

一方、女流棋士会側からは、まだこの点についての正式発表はありません。それを一応待ちたいとは思います。

(6/23追記)
女流棋士会側からも正式の広報記事が出ました

女流棋士ファンクラブ MINERVA」会員の皆様へ

両団体とも、広報する姿勢があるのは歓迎すべきで、今後も続けていただきたいと思います。ただ、この問題についての本質は、やはり「ファンの立場」だと考えます。ファンとしては、恐らく両団体に好きな女流棋士がいて、一つのファン倶楽部で見たいというのが本音でしょう。だから、二つの団体に分かれていても、一応は「友好団体」のはずなのですから、当然この際は協力して事に当たるべきだと思うのですが。女流棋士会側には、完全にLPSAに門をシャットアウトすることなく、場合によっては一致協力、場合によっては建設的な競合というスタンスをとっていただきたいものだと思います。現在のようなかたくなな態度をとり続けていると、良心的なファンはどんどん女流棋士会を離れていってしまうのではないかと危惧します。
(追記終わり)


ただ、先ほどのLPSA側の文書中に、次のようなくだりがあります。

「 去る6月7日に行われました「社団法人日本将棋連盟女流棋士会平成18年度定例総会」で、将棋連盟所属の女流棋士39名により「今後『MINERVA』の運営は日本女子プロ将棋協会(LPSA)が行う。日本将棋連盟女流棋士会としてはファンクラブ事業に協力および共同参加はしない」との決議がされたと報告を受けました。」
驚くのは、「決議」とある以上、一部の人間の独断ではなく、女流棋士会が、(恐らく)多数の意思によってこのような決定を下したということです。当初より残留を主張していた人間たちが、独立組と考えに違いがあることにはいまさら驚きません。しかし、一般の女流が、こういう決議を是認したことに、すこしショックを受けてしまいます。

また、正式分裂直後の報道に次のようなものがありました。

スポーツ報知「女流棋士会、正式に分裂…新会長に谷川女流4段」

「ファンに対するイベントや普及活動について、谷川新会長は「こちら側のスタンスとして、混乱が予想されるので、当面は新法人とは別々にやっていきたい」と話した。」
「混乱」とありますが、あくまでそれは女流同士の話なはずです。完全にファンに対する視線が欠落していると感じるのですが・・・。

私以外に、一般の人間がどう感じているかの記事も紹介しておきます。

「ニュースなブログ」「女流棋士への応援は、これからは一歩引きたい」

この方の言われている「女流棋士」というのは、残留した人間に限定されています。

日本将棋連盟は、お世辞にもファンの声に良く耳を傾ける団体とはいえません。その庇護下にある現在の女流棋士会も、やはり似た体質なのだという印象を持たざるを得ません。
また、「日本将棋連盟」「女流棋士独立問題について」の中に、次のようなくだりがあります。

「連盟所属の意思表示をしておきながら、自らが連盟内に居る間に女流仲間の移籍勧誘等をする行為は信義にもとるのみか混乱をもたらす行為であり、このような行動は取るべきではないということが平成19年4月20日、残留を決めた女流棋士の会合で確認されました。」

この不自然な拘束がなんなのかということはおくとしても、ファン倶楽部の問題とあわせて、女流棋士会側がLPSA側にどういう態度をとっているのかが、あまりにも明らかです。
連盟とLPSAは一応建前上は友好関係のはずです。しかし、これらを読むと、女流棋士会にとってLPSAというのは「敵対団体」なのか、ということさえ言いたくなってしまいます。
一応最後に言っておくと、残留した女流が全てこういう考え方なのだとは思っていません。それも、正直すこし疑わしくなりつつあるのですが・・。



本当のところを言うと、こんな話を私はもう書きたくないのです。最後には明るい話題を、ってテレビのニュースみたいですが。もっとも、散々悲惨なニュースを聞かされた後で、「犬が猫を育てています」とかいわれても、ちっとも明るい気分にはなれないのですが。まあ、いいや。

「きよきよのしょうぎばんβ」 「和田柔大―森内戦」

(6/21追記) この記事は一年ほど前のものを、新サイトをはじめるに当たって再掲載されたものだそうです。

さんまのからくりTVの例の将棋少年が、森内名人と席上対局したそうです。きよきよさんも言われてますが、▲2四桂で勝ちスジすらあったそうです。あのパーフェクショニストの名人のことですから、もしも偶然に偶然が重なって最後まで行ったらどうしようと、多少は心配になられたのではないでしょうか(笑)。

女流棋士会 正式分裂へ

昨日の棋聖戦、夕方からちょっとだけ見ました。私が見はじめた時点では、既に竜王が相当追い上げていて、どちらが勝つのか全然分かりませんでした。どうも、このお二人は終盤で妙な波長の合い方をするようで、差がついていても必ずもつれて面白くなるようです。私の棋力では、棋譜だけ見て記事を書くのはしんどすぎるので、週刊将棋、囲碁将棋ジャーナル、「渡辺明ブログ」等を、全てカンニングした上で書く予定です。それに、このお二人の場合、感想戦でも、どちらも「言う」タイプなので、その点にも興味津々です。

女流棋士会の分裂について、簡単にまとめておきます。
まず、マスコミ各社の記事については、こちらで一覧を見ることができます。

「フレッシュ アイ ニュース」 「日本女子プロ将棋協会」クリップ

日本女子プロ将棋協会側のコメント

「日本女子プロ将棋協会」「お知らせ(2007/6/7女流棋士総会))

「ファンクラブや親睦会」について、この表現を見るとLPSA側としては共同でやってもいいという意向があるのかもしれません。

女流棋士会側のコメント

「日本将棋連盟」「女流棋士会新理事のお知らせ」

新会長の谷川治恵氏は、当初より残留を主張していた中心人物の一人です。また、同じく当初より独自の残留論を表明していた古河彩子氏も、理事に選出されています。
スポーツ報知「女流棋士会、正式に分裂…新会長に谷川女流4段」によると、「混乱」を避けるために、イベントや普及活動は別々に行う意向とのことです。

「さわやか日記」 6/8
「将棋の話」「まじめな私」 6/9更新分
「将棋の話」で、具体的な女流会長、理事の選出方法を知ることができます。特に、会長選出の推薦方式は面白いですね。学生時代の学級委員の選出のことを思い出してしまいました。二人辞退してしまったとのことですが、誰なのか、なぜ戦ってみなかったのかなど、やはり気になってしまうところです。
「まじめな私」に次のような記述があります。

「最も大切なことは地道な普及活動です。パフォーマンスやイベントではない。教える側が目立つのではなく、教わる側が光輝くような普及をする。」

普及については、その通りなのでしょうが、二つ目の文については・・。「イベント」については、一昨日も書いたように、一般のファンの関心を引くためにとても有効な手段だと思います。地道な普及の一方で、出来れば連盟側にも柔軟に取り入れて欲しいものだと思います。そもそも「パフォーマンス」能力については、氏が最も得意とされる分野ではないでしょうか。決して悪いことだとは思わないので、男女問わず、どんどんパフォーマンスして、ファンを獲得してもらいたいものです。

ある将棋ブログを読んで知ったのですが、囲碁将棋ジャーナルで女流棋士総会の模様が放映されたようです。私は二週連続して痛恨の録画ミスをしたので、見ていません。BSの将棋番組については、「せんす」事件についての当初の気の使い方とか、女流独立問題を全く報道しないことで、その「事なかれ主義」にすこし苛立ちを感じていました。しかし、「せんす事件」も映像を一部放映し、女流問題も報道したようです。但し、今回は連盟側も関係していることなので、LPSA側単独の報道も、今後望みたいところです。
また、ジャーナルの聞き手についても「将棋連盟の所属でなければいけない」などという規則は全くありません。LPSA側のファンも多いのですから、起用を考慮検討していただきたいと思います。とにかく、天下の大NHKとして、独立不羈の精神で番組制作されることを望みます。

以下は、完全に私的な感想ですのでご了承ください。
正直言って、一般の女流棋士が何を考えているのか、すこし分からなくなりつつあります。もしかすると、男性棋士の世界同様、女流も「むつかしい」世界なのかもしれません。
LPSA側には、とにかく気のあわない人間がいないだろうし、少人数集団なので、好きなように自由にやっていただきたいと思います。しばらくは、とにかく「自立」主義で行って、あまりあせらずに将来的に統一を果たして欲しいというのが、ファンの率直な希望です。無論、それを助けてくれる女流や男性棋士がいて、時期を早めてくれれば、それに越したことはありませんが・・。
なんだか、我ながら暗い調子で書いてしまいました。

女流棋士会分裂、ザンネン!byギター侍(ふるっ)


LPSAイベント関係の記事に、戎棋夷説 07/06/09を追加しておきました。

「勝手に将棋トピックス」の過去の女流独立問題関連記事一覧リスト

私みたいに偏った考えのものが、こういう公平中立で客観的な立場の方のリストを作ってもよいのかというのは、ちょっとあるのですが、とにかくどんな立場の人間でも安心して見られる共有財産、資料としてつくってみました。何より自分でこういうのが欲しかっただけなのですが、よろしかったらご利用ください。

「勝手に将棋トピックス」より女流独立問題関連記事一覧リスト

2006年11月25日 ■[将棋界] 女流棋士が日本将棋連盟から独立へ
2006年11月27日 ■[将棋界] 女流棋士が日本将棋連盟から独立へ(続)
2006年12月01日 ■[将棋界] 女流棋士が新法人設立へ 臨時総会で決議
2006年12月20日 ■[将棋界] 「女流棋士新法人設立準備委員会ブログ」開設
2007年01月06日 ■[将棋界] 女流棋士の独立への準備状況
2007年01月17日 ■[将棋界] 「女流将棋協会(仮称)基本理念(案)」発表
2007年02月04日 ■[将棋界] 女流棋士独立に関連していろいろ
2007年02月10日 ■[将棋界] 中井広恵女流六段インタビューなど
2007年02月19日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題についていろいろ
2007年02月22日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 準備委員会、連盟理事会の応酬など
2007年02月24日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 「米長邦雄の家」更新
2007年03月09日 ■[将棋界] 「女流棋士独立に日本将棋連盟理事会が『待った』」など
2007年03月12日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 2006年3月の米長邦雄永世棋聖の発言など
2007年03月13日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 2006年3月の「女流棋士会役員会便り」など
2007年03月16日 ■[将棋界] 「女流棋士 分裂の危機」など
2007年03月19日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 羽生善治三冠「分裂は良くない」など
2007年03月24日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 「独立か残留か」回答期限を延期など
2007年03月30日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 36名が残留届
2007年04月03日 ■[将棋界] 女流棋士独立派が新団体設立方針表明 など
2007年04月07日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 週刊新潮の記事 ほか
2007年04月10日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 週刊将棋上でコメント ほか
2007年04月23日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 最近の動き
2007年05月23日 ■[将棋界] 女流棋士独立問題 39名が日本将棋連盟に残留 他


こちらは、全然客観的ではない私有財産に過ぎませんが、私が女流独立問題について書いた記事を、右の欄のCategoriesの「女流独立問題関連」で、まとめて見ることが出来るようにしておきました。

名人戦第五局、青野九段の女流独立についての発言、週刊将棋

第五局、昨日の雷の影響で、夕方のBS録画がやはり途切れ途切れになっていました。森内名人の快勝のようです。どうも、今回の名人戦は終盤の息を呑むしのぎあいという展開にはならないのがすこし残念です。両者にいえることかもしれませんが、特に名人はよくなると、途轍もなくしっかりしているみたいだからねえ。
ただ、終盤で▲6七銀とはじいたところなんか、後手相当寄せそこなった感があるのですが。あれでも事件発生にならなかったのは、やはり大差だったのでしょう。森内流の△3三金から△4四金と盛り上がったのだけはいかにも「らしかった」。郷田さんは、プロなら一目らしい▲4四歩を逃すあたり、やはり歯車が狂っているようで、結局あの第三局の▲7五歩がと、このままでは言われてしまいそうです。
郷田九段は、事前インタビューで、「自分らしい将棋が指せそうですか?」と聞かれて、「自分らしく指したいというより、一生懸命指してその結果自分らしくなればいい」と答えていました。ちょっとした応答なのですが、なんとなく自分なりの確固とした考え方が出来ている人なのではないかと感じました。もっとも、それだけでは悲しい。次こそは、名勝負を見せて欲しいものです。名人は「永世名人」がかかるのだから、相当プレッシャーがかかるはずですが、どういう感じで対局にのぞむのかも注目です。
矢内さん、とにもかくにも元気そうで良かった。

近代将棋7月号の「実戦青野塾」の冒頭で、少し女流独立問題にふれられています。詳しい内容については、氏の卓抜な比喩による文章を読んでいただくとして、大雑把に紹介しておくと、今回の女流独立問題は残念だった、独立組は連盟からの独立にばかり気を取られて女流仲間への視線が不十分だった、独立実行をもうしばらくの期間辛抱して欲しかった、しかしとにかく頑張って欲しい、というようなことです。ものすごく良識的で公平な見方です。週刊将棋によると、青野氏は最高得票で理事当選したとのこと。理事としての活躍に期待してしまいます。
週刊将棋の記事で、初めて当選者の得票数を知りました。落選者の票数は省いていますが。この程度のことなら淡々と連盟自身やマスコミ各社がすぐに公表してもいいのではないかと思うのですが。会長互選の具体的内容についても、やはり週刊将棋で始めて分かりました。「情報公開」というありきたりな常套語をつい使いたくなってしまいます。
同じ記事中で、総会での議題「女流問題」について、事実関係の報告があった上で、「理事会からの意見表明はなし」とあります。新理事会になって、どうなるのでしょうか。
連盟から理事の担当部門などの発表がありました。
「日本将棋連盟」「新理事担当部署のお知らせ」

週刊将棋、勝又氏を「スーパーアドバイザー」に迎えて、8五飛戦法復活について特集しているのが面白かった。郷田九段が最初に指したという△2三歩、すごく地味な手です。これで戦法自体が見直されるというのだから、現在のプロの戦術研究は本当に細かいところまで研究しつくされているのだなあと、今更ながら実感します。

「今週の!」(片上大輔五段の対局ウォッチ)、地味な記事なのですがとても面白いです。プロの実戦で現れた手筋を見ると、「ほほー」(加藤一二三先生の口調で)と感心してしまいます。氏の言われるところの「プロの芸」です。特に二つ目の例の、受けが効かないところを、まったく別なところをいじって攻めることでしっかり受けてしまう手筋、盤面全体を使うというのはこういうことなのかと、素直に感服。

「勝手に将棋トピックス」更新休止関連記事リンク集、更新しました。

「日本女子プロ将棋協会」独立に寄せて

さっきまで結構しつこい雷でした。まだ名人戦のBS中継夕方分を見てないのですが、ちゃんと録れているのかすこし不安です。

「読売新聞」 「女流棋士17人が独立、新法人は「日本女子プロ将棋協会」」
「フレッシュ アイニュース」 「日本女子プロ将棋協会」クリップ

読売の記事にあるとおり、総会に西村専務理事も出席しており、とりあえずきちんと両団体が友好関係を継続するようです。「有限責任中間法人」で、法改正後は「新公益法人法施行後(平成20年)は一般社団法人とみなされる。」ことになる模様です。「フレッシュ アイニュース」は。以前から女流問題にとても熱心で、マスコミ関係の記事などが一覧でき、更新もまめなので便利です。

「日本女子プロ将棋協会」公式ホームページ

恐らく相当忙しい中、頑張って準備したようで、しっかりファンに広報しようという姿勢が明確です。

「設立総会写真レポート」、一期生の方々の表情が本当に印象深いです。こういう方々が頑張って参加されていることの意味は極めて重いように感じられます。

「ロゴマーク」「三つの「わ」」、女性らしいセンスがなんとなく感じられます。こういう女性らしい感覚を是非十二分に活用していただきたいものです。

「<お祝いメッセージ>樋口久子LPGA会長」
団体名のLPSAは、ここの影響が大きいのでしょう。樋口会長のメッセージがなかなか泣かせます。一部引用します。

「当初は試合数も少なく、「女子プロトーナメントのスポンサーになってください。」と、会員自ら全国各地でお声を掛けさせて頂きました。おかげさまで今では賞金ランキング対象トーナメント36試合はじめ数多くの試合が開催されるようになりました。全国のファンの皆様やスポンサー様はじめ様々な関係者のおかげと感謝しております。」

LPGAでも当初はこんな感じだったそうです。LPSAのメンバーも、これから頑張ろうという気になるだろうし、このメッセージは相当心強いしうれしいものだったと思われます。

「所属女流棋士一覧」
マッタク、花を持たせて写すというステキなアイディアを誰が思いついてしまったのでしょう(笑)。蛸島先生まで・・。やはり我々の世代にとっては、女流といえば、蛸島、林・・以下略。「泣く子も黙る蛸島」、とか言ったら怒られそうですねえ。まあ、こういう女流界のドン、というのもやはり怒られそうだね、が参加しているわけだから、この団体も大丈夫でしょう。さっき述べた一期生などベテラン組とあわせて、若手や後進のために道を開いたり準備するために尽力しているという印象を強く受けます。

「定款」
基本的には、日本将棋連盟のやり方を踏襲するようです。但し、経営に関しては、外部の力をどう取り入れて、女流自身の運営に取り入れるからついては、さらに検討の余地があるような気もします。後で、別のブログの紹介をする際にもう一度ふれます。
6/8追記 定款をロクに読まずにこの記事を書いたのですが、ちゃんと外部の力を導入できるものに最初からなっていました。改めて記事を書いておきました。


女流棋士、関係者ブログ

「ごきげんDEブログ」「日本女子プロ将棋協会設立」
「あっこ&ひろみオフィシャルブログ」「設立しました!」
「ひえぶろ2号店」「新団体設立」
「松本博文ブログ」「Wedenesday Mornig、3AM」

「エミュー」って・・(笑)。松本ブログを読むと、あまり無理しないでくださいと言いたくはなるってものです。対局との両立が当面は大変そうですが、頑張っていただきたいものです。

一般ブログより

「WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログ」「明日(もう今日)、
将棋の女流棋士新法人の設立総会」


さっき言った外部による経営の問題について、ここに書かれています。実際に経営に当たっている人物の意見なので、それ以外にも色々具体的に言われていて、とても勉強になります。

大変そうだなあという気持ちと、是非頑張って欲しいという気持ちが入り混じっていますが、とてもすがすがしいし気持ちいい。なかなか、今の世の中、こういう気分にさせてくれる出来事は、そうあるもんじゃありませんよ。独立おめでとうございます。

「日本女子プロ将棋協会」独立おめでとう!

今日はとにかく、おめでとうございますということで。西村専務理事も総会に同席されたとのことで結構なことです。とりあえず、関連記事がまとまってのっているサイトへのリンクだけはっておきます。

「フレッシュ アイ ニュース」 「日本女子プロ将棋協会」クリップ

女流棋士独立問題雑感17‐独立新法人参加オリジナルメンバー一覧

「女流棋士新法人設立準備委員会ブログ」での、各メンバーの自己紹介が一通り終わりました。とてもいいアイディアでしたね。ちょっとしたことなのですが、「ファンのほうを真正面に向いている」という態度が明快です。将棋の世界というのも、基本的には「客商売」です。その点では、他のスポーツとも芸能関係ともなんら変わりはないわけです。だから、彼女たちのしていることはいわば「当たり前」のことなのですが、これだけ新鮮に感じてしまうというのが、現在の将棋界にとっては不幸なのかもしれないとも思ったりもします。
それはともかく、自己紹介順に、一応全十七名の名前をあげておきましょう。(敬称略)

中井広恵
藤森奈津子
蛸島彰子
多田佳子
北尾まどか
島井咲緒里
藤田麻衣子
中倉彰子
中倉宏美
石橋幸緒
神田真由美
大庭美樹
大庭美夏
松尾香織
山下カズ子
寺下紀子
鹿野圭生

自己紹介には、それぞれの個性が良く出ています。ベテランと若手が一体になって楽しくやっているという雰囲気も良く伝わってきます。
最後にコメントを出した鹿野さんは、時々テレビの聞き手などで見かけますが、「キップのいい姐さん」といった風情のある人です。その彼女の自己紹介がなかなかふるっています。新法人に参加するのを「清水の舞台から飛び降りる気持ち」ですって(笑)。この場合絶対使ってはいけない表現だとは思うのですが、こういう関西ノリもなかなか楽しい。正直すぎます。でも関西からの参加はただ一名だそうなので、これくらいの肝っ玉がないとダメなのでしょう。大変でしょうが、本当に頑張っていただきたいものです。彼女の「伝説の発言」を、あとでみんなで大笑いできるようになるといいですね。
中井さんが公式コメントで言われていた通り、「他の女流が安心して参加できる環境を整える」という感じでやっていただきたいと思います。あとは、心ある女流や、心ある男性棋士や、心ある将棋関係者が何とかしてくれるでしょう。随分無責任な言い方ですが、そう信じなきゃやってられないのでね。「超楽観的」形勢判断で見守りつつ、とにかく応援のみは続けようなどと思っているところです。
あっ、そうだ。参加メンバーは、最初に書いた通りに、あくまで「オリジナル」に過ぎないということで・・・。

女流棋士独立問題雑感16−森下理事の証言について

将棋世界六月号に、「森下理事が見た女流独立問題」という記事が掲載されました。現在発売中なので、あまり細かく内容にふれるのはマナー違反だという気がするので、あえてなるべく実際に記事を読まないと分からないような書き方をしておきます。記事を読んだ方でないと多分イライラするだけだと思うので、将棋世界を是非購入しましょう!と、連盟に全面協力しておいてから、インネンをつける卑怯な戦術で・・。

とにかく、どんなことがあろうとも絶対にウソだけはいいそうにない人物(まあ、あくまでイメージですが)の証言なので貴重です。実際ここに書かれているのは、彼が知りうるかぎりのありのままの真実なのだと信じます。また、謙虚に御自分が残留派の主張ばかり聞いていたと反省されています。私などは,逆に独立派の主張のみに耳を傾けて・・、と反省しなければいけないのかもしれません。そう言われるだけに、かなり一部残留派の主張内容が明らかになっている内容です。少なくともこれを読むと一部残留派が何を不満に思っていたのかを「知る」事は出来ます。
具体的な一部残留派の主張内容については記事をお読みいただくとして、それについての感想を。まず、昨年12月1日の臨時女流総会での決議の解釈については、一応一部残留派の主張の通りだと思います。しかしながら、実際に準備委員会を設置して、そこからなんら独立を目指そうとしない委員会など果たしてありえるのでしょうか。またたとえ、法的にそういうことだとしても、それは結果としてそうであるということであって、そのことで独立派が「最初から知っていて意図的に騙した」というのは、単なる推測、憶測にしか過ぎません。すこし強い言い方をすれば「勝手に騙されたと思っている」とはいえないでしょうか。
次に、2月21日の棋士会についての記述について。まず、この記事を読むかぎり、独立派の証人は呼ばれてないようです。棋士会という一応公式の場で、片方の主張のみ聞くというのは、相当一面的だと思うのですが。さらに森下理事のその場での発言についてですが、あの言い方だと「騙そうとした」ということを前提事実として認めることになってしまい、そもそも独立派にそういう意図があったかは分からないわけなので少し気になってしまいました。
(5/9追記 コメントをいただいて気づいたのですが、「棋士総会」と「棋士会」を間違えていたので修正しておきました。また、これもご指摘を受けたのですが、記事をよく読みなおすと、棋士会側が呼んだのではなく、女流棋士の側から話をするために棋士会を訪れたと読むのが自然かもしれません。)
さらに、3月5日に女流棋士に対する説明会を開催した際のエピソードについて。あの文脈でのあの記述の仕方は、まるで独立派が「騙したことを認めて、反対者を相手にしない」とも取れるような記述です。しかし、公式の会議にあたって、そういう野次に対して取り合わなかっただけかもしれないし、これだけで本当は何も具体的には結論できないはずです。ややイメージ的に誤解を招きかねない記述なのではないかと感じました。
私は、一部の残留派に関しても女流に対してあまり批判的なことを言いたくないと思っています。しかし、女流棋士総会で、あまり独立に乗り気でないが採択を認めて、独立派が独立への動きを進めると反発し、棋士会で「騙された」と言い、自ら連盟への残留を希望し、早々に残留届けを出して独立派の退路を断つ、というのは、少なくとも個人的には好感を持つことが出来ないのです。無論、部外者には分からない様々な事情があるのでしょうが、少なくとも文句や主張があるのなら、独立派と徹底的に話し合うべきで、その訴えが連盟や男性棋士の方に向かうというのは、どんなものなのでしょうか。
一方、独立派に細かいところで全く問題がないとは言えないかもしれません。しかし、恐らくそのことを十分承知した上で、あえて独立組への参加を決めた女流には、好感を持たずにはいられません。まあ、主観的な感想を言っているだけにすぎませんが。
募金活動についての男性棋士の意見、雰囲気についての記述があります。あれについては、フーンそういうものなんだ、としか言いようがありません。森下氏のアドバイス通りに、独立派はさっさと独立して自分の道を行くべきで、もうあまり男性棋士には過大な期待をしないほうがよいのかもしれません。
さらに、一部報道されている「残留工作」について、森下氏は完全に否定されています。最初に書いたとおり、皮肉でもなんでもなく、森下氏は絶対ウソをいうような人物ではないと考えているので、この点についての彼の知りうることについては真実を述べているのだと思います。また、最近女流自身が、自らの進路についてブログ記事を書いています。

ひえぶろ2号店 やっと決まりました
和的日常 女流問題について
BANKANA! ご心配おかけしました

これらを読むと、進路の違いこそあれ、彼女たちがしっかり「自分の意思で」決断したのだと分かります。また、彼女たちが、「険悪な形での分裂ではない。」「分裂は女流にとって不幸なことだ。」ときちんと述べているのを読むと、すこしホッとします。客観的に見て、少なくとも「全て」の女流棋士に対して、何らかの圧力がかかったということではなさそうです。
但し、週刊新潮の記事(勝手に将棋トピックス参照)や、あまり週刊誌は信用できないという向きには、「松本博文ブログ」「April Come She Will」があります。何度も紹介して申し訳ありませんが、この記事は私の中で決定的な意味を持っているので。いくら独立派関係者だからといって、実名で書いているブログで、根も葉もないことを言いふらすというようなことが考えられるでしょうか。彼自身が「将来見聞きしたことをまとめた形に残したい。」といわれているので、それを気長に待つことにします。いうまでもなく、この問題については、今のところ部外者は推測でしか判断できないことなので。
森下理事が本当に素晴らしいと思うのは、途中からではなく、最初から「独立派の対局権利を認める方針」だったということです。記事の中に登場する島理事についても言えることですが、少なくともこの方々が理事ならば、いわゆる「メチャクチャ」を独立派に対してすることはないだろうという安心感や信頼感があります。また、この今回の記事のおかげで、あまりに一方的に独立派を応援する私の「眼鏡のレンズの歪み」が矯正されて、すこし冷静に考えることが出来るようになり感謝しています。とはいえ、独立派を完全に支持するという立場には、全く揺らぎはないのですが。
この記事を読むと、森下さんは、本当に人の話を良く聞く、それもすこし素直すぎるくらいに良く聞く人物だと感じます。私は、(というか全ての将棋ファンがそうでしょうが)森下さんの人柄を心から敬愛しており、それはこの記事を読んでもいささかも変わらず、むしろその思いは強くなったくらいです。それだけにご本人もいわれるとおり「独立組」とも一度虚心坦懐にたっぷり話し合っていただきたいものだと思います。団体は別になるとはいえ、今後も友好関係を維持するわけで、個人的には是非そのキーマンになっていただきたい人物だと思うので。
などと書いていたら、今期で森下先生も、島先生も理事を退任されるそうです。まだ現役バリバリなので、残念だけれども仕方ありません。羽生世代の存在や渡辺世代の台頭で、お二人とも厳しい立場におかれているわけですが、是非またタイトル戦に出ていただきたいと思います。ご本人たちには不本意かもしれませんが、もはやお二人とも我々オジンファンがまだまだ頑張っているところを見せて欲しいと希望を託すような年代になったのかもしれませんね(笑)。

ブログのコメント欄について

久しぶりに更新します。おととい、無事コートダジュールから帰国しまして、というのはマッカなウソで・・。


「ごきげんDEブログ」のコメント欄について、「さわやか日記」で問題とする記述があり、それを受けて問題コメントの削除等が行われました。

「ごきげんDEブログ」「本ブログのコメントについて」
 
いうまでもなく、匿名をいいことにコメント欄で好き勝手を書くことは決して許されません。それはともかく、この問題の具体的経過についてはもう何も言う気がしないので、個人的な感想だけ言うと「彼女の心中を察するに余りある」としか言いようがありません。もっとも、多分今は彼女の周りにも弁護士がいて、相談した上できちんと対応しているのでしょうから、その点については全然心配していません。

少し一般的な観点から、この問題について考えて見ます。
まず、「掲示板の管理者が書き込み放置で書類送検された」件がどういうものか興味があったので調べたのですが、多分これだと思います。

「学校裏サイト」初の立件 ネット掲示板で女子中学生実名中傷 放置の管理人

この管理人の場合、削除要請があったのを断り、さらに自分の身元に何重もの偽装工作をしていて(あえなく解析されましたが)きわめて悪質です。「確信犯」といってもよく、書類送検されてもやむをえないかもしれません。いうまでもなく「ごきげんDEブログ」とは、質が違います。まったくといっていいほど違います。当たり前ですが、いちおう確認で・・。
一方,書き込みの内容もこれは「悪質なイジメ」で決して許されないものです。但し、学校側からの厳重注意、あるいは停学処分といったペナルティでなく、「児童相談所へ通告」というところが、すこし引っかかりますが、・・。
こういう悪質なケースについては、法律的な処分もやむをえないでしょう。

但し、一般のブログにおいて「どの程度のコメントまでなら許されるのか」という問題はあります。
例えばAという芸能人の応援ブログのコメント欄に、「私はAと仲が悪いBが嫌いなので、彼女のキャラクターグッズを買うのは、お金をドブに捨てるようなものなので、真っ平ごめんだ」と書いた場合。
まず、コレが「常識的」に考えて、失礼で「よろしくない」のは議論の余地がありません。ブログの管理者の権限で削除されるかもしれません。
それとは別に、「法律的」に、この程度のコメントは問題になるのか。
例えば「名誉毀損」という観点から考えて、刑法にこういう規定があります。

第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
(全てに名誉毀損が適用されるわけでなく、条件を示している判例があります。)
1刑231/刑230/民709/民710に触れる行為(=誹謗中傷)があった
2(1)を受けた原告(=この場合は被害者と同義とする)が社会的信用を失い損害を受けた
3(1)と原告の被害・損害の間に関連性が証明された
4(1)を受けた際に、原告は反論できない環境にあった

このコメントについて、1は当てはまるでしょう。しかし、2がこの程度のコメントで成立するかは疑問の余地があり、3については「実際にグッズの売り上げが落ちる」という関連が証明されることはまずありえません。つまり、この程度のコメントで名誉毀損を成立させるのは多分無理なのでしょう。但し、法律の素人が勝手にそう判断しただけなので、決して信用しないでくださいね。さらに、名誉毀損以外に「侮辱罪」や民法上の規定などもあって、正直シロウトには調べれば調べる程よく分かりません。本当に確かなことを知りたいのなら「法律の専門家にきちんと聞く」のが基本でしょう。
ただ、この場合注意すべきなのは、「名誉の毀損」ということだけについてなら、本当に些細なことでも成立する可能性があるということです。有名な紀藤弁護士が指摘していますが、例えば「「最近の小泉首相は人相が悪くなった。疲れているのでは? 」と書くだけでも、名誉毀損になる可能性はないとはいえないのです。つまり、何か表現するという行為自体が、他人を批判、批評する行為にならざるを得ないからです。無論現実には罪は成立しませんが、たとえ個人のブログであってもものを書く人間は頭の片隅に入れておかなければいけないことでしょう。
その一方で、「表現の自由」の観点から、名誉毀損が適用されないことを示す条文も存在します。

(公共の利害に同する場合の特例)
第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
つまり”集修気譴浸実が、公共の利害に関する事実にあたり(「公共性」の要件と言われる)、¬榲が専ら公益目的であり(「公益目的」の要件と言われる)、真実の証明があれば(「真実性」の要件と言われる)、「罰しない」とされる。また名誉毀損は故意犯だから、判例上「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実だと誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があるときは、故意がなく、名誉毀損罪には該当しない」とされている(最高裁昭和44年6月25日判決)。

要するに、公共性、公益性のある話題については真実(だという根拠がある)の場合には「名誉毀損」のような内容でも許されるということです。将棋の場合で言うと、連盟や公の立場の人物について、真実(だという根拠がある)ならば許されるということ。この条文がないと、新聞や雑誌は商売にならないわけです。雑誌等が訴えられる場合も、どんなひどいことを書いていようとも、もっぱら「真実性」を議論することだけで罪が成立するかを争うわけです。もっとも、それは組織の新聞や雑誌だから可能なのであって、無力な個人がブログのコメント欄で好き勝手を書いても大丈夫というわけではないので念のため。

参考にしたリンクをはっておきます。
ネット上の名誉毀損に関する判例と解釈
ネット上の表現における名誉毀損の必然性
名誉毀損の法理

長々と退屈で初歩的な法律問題を書いてしまいました。要するに、法律的には、あらゆることが名誉毀損になる可能性がある一方で、実際に適用されるのには様々な条件があり、なおかつ「表現の自由」の観点から、ある程度は自由な記述が認められているということです。

それでは、やっと個人の一般的なブログのコメント欄について。要するに、よっぽど悪質な事実や実名の指摘がないかぎり、少なくとも「法律的」には過度に神経質になってコメントを監視、削除する必要はないといえるでしょう。但しあくまでそれは「法律的」にであって、あとはどの程度の「責任レベル」を管理者が設定するかという判断によるしかありません。各人の「良識」の判断基準でやるしかなく、それは当然個人の感覚によって差がでるところでしょう。

さらに、「匿名ブログ」と、棋士のような「実名ブログ」では事情が異なります。現在問題になっている棋士のブログについては、ブログ管理者が実名の人間である以上は、コメントに求めるレベルも高くせざるを得ないのではないかと思います。もしその棋士が「表現の自由」を重んじる立場で、なるべくコメントを削除したくないと考えても、それはやむをえないことかもしれません。もしコメント管理に苦労しているのならば、良くある「選択コメント反映」、即時に全てをのせるのでなく、自分が認めたものだけのせる、という方法をとるか、余裕のある別の管理者にコメント管理を任せるという方法もあるかもしれません。また、本当にメジャーな人間の場合、コメント管理が無理なのでトラバのみ受け入れるというところもあります。

但し、それはあくまでその個人の自由意志によってのみ行うべきで、他の人間がそれについて指図したり干渉したりするのが望ましくないのはいうまでもありません。棋士の皆さんは、その点で苦労が多いかと思いますが、無理な形でコメント欄にこだわらず、自分の対処可能な方法をとっていただければと思います。棋士のブログを読めることは、ファンにとっては大変楽しみなことなので、こんな問題でブログをするのをためらったり、やめたりする人が現れては、あまりに悲しすぎるので・・。


余計なことですが、「勝手に将棋トピックス」のコメント欄が掲示板化していますね。批判じみたことをいうつもりはありませんが、あれだと一般の人間がコメントする余地、というかこの場合文字通り「スペース」が全くないです。まあ、もずさんがどう思われているのか分からないし、判断されることなので、他人がとやかく言うことではないのですが。それに私は言いたいことはこのブログで全部吐き出してしまっていて、人様のところにコメントをつける余力は残っていなくて、別に実害とかはないわけなので・・。

Tumblrの「MONOGUSA collection」も更新中です。

女流棋士独立問題雑感15-日本将棋連盟の発表についての雑感

「女流棋士独立問題に関して」 「日本将棋連盟」

連盟側の立場、問題の経緯についてのコメント、残留する女流棋士の氏名などが、まとまった形で記されています。少なくとも、きちんと「広報」しようとする姿勢は感じられます。(「勝手には将棋トピックス」の記事がきいたのでしょうか。)こういう行為は、組織の自己防衛上も必要でしょうし、一般ファンとしても歓迎です。但し、内容をそのまま全部是認できるかというと、全く別問題なので、素朴に疑問に思ったことについてメモ書きしておきます。

まず冒頭に「理事会は新法人を立ち上げる女流棋士の皆さんに「独立」を勧めています」とあります。独立を認めているという好意的な読み方も一応出来ます、
しかし「勧める」というのは、何の目的でそうしているのでしょうか。本来、連盟にとって、女流が分裂するのは、なんらプラスでないはずです。「独立もやむなしで友好関係を維持する」というのならともかく、残留者がいる一方で独立を「勧める」という理事会の意図が不明です。これは揚げ足取りではありません。女流棋士の意思を尊重するにしても、それに対して連盟がどういうスタンスで対応し、どういう形を将来的に望んでいるのかという根本的な答えが、この問題が続いている間中、ずっとはっきりしないのです。将来的に、再統一させたいという気持ちなどサラサラないのでしょうか。


「寄付金」の問題について。まず「反対できることはありませんが」とありますが、なぜ反対するのかの具体的理由を知りたいと思います。それをきちんと説明しないと「愛媛新聞」のように、「金にまつわる連盟の迷走ぶりはいわばお家芸。」と書かれてしまいます。
また、「円満な独立を目指すのであれば、寄付の募集先、募集の方法などについて事前に説明があって然るべきであったと考えます」とありますが、独立準備委員会が公式文書で以下のように主張しているのは完全に無視ということなのでしょうか。

上記正式協議にて,準備委員から準備委員会による寄附金の募集について,ご説明を差し上げましたが,さらに,その場で,木村先生からも寄附金募集については法的に何らの問題がないとご説明を頂いております。その上で,弁護士錦織及び同宮坂より,法的には全く問題はなくても,将棋連盟の知らないところで準備委員会名義の寄附金公募の書類が多数出回るのは適当でないので,その場で将棋連盟理事会側に対し,下記書面を配布致しました。将棋連盟理事会側の出席者は,下記書面をお読みになり,特段の異議を述べられず,ご了解下さったところであります。また,実際の募集開始時にも,その旨準備委員から中島渉外部長にご連絡を差し上げました。
読売新聞2007年2月14日朝刊掲載記事についての見解」(2月19日)

せっかく広報するのなら、相手方の主張を受けて反論するならすべきで、自分のいいたいことだけ言うのでは「広報」とはいえないと思うのですが。(但し、独立委員会側もこの文書自体を削除してしまっています。理由は不明です。「勝手に将棋トピックス」に一部記録が残っています。)

「残留を巡る女流棋士間のトラブル」を読むと、女流の間に種々のトラブルがあったという事実を確認できます。実際残留を希望する女流棋士が、一部にいたのも事実なのでしょう。
「理事会は平成19年3月7日付で、55名の女流棋士全員に残留か独立かの意思確認を求めました。理事会は本来静観すべき立場ですが、事ここに至ってはこのような意思確認をせざるを得なかったのです」
とありますが、それをやる前に独立派と話し合ったり、行き過ぎた勧誘がないように要請したり、ほかにうつべき手段はなかったのでしょうか。独立派側の主張によると、再三の要請にもかかわらず、連盟は話し合いに応じようとしなかったとあります。ただ「残留か独立か意思確認する」だけでは、連盟としての管理責任を完全に放棄しているといわれても仕方ないと思うのですが。

意思確認の仕方について、「愛媛新聞」の「残留工作」という表現に対して、連盟は反論しています。無論、どちらが正しいのかは私のような部外者には判断不能です。他にも、週刊新潮の記事(「勝手に将棋トピックス参照」)や「松本博文ブログ」「APRIL COME SHE WILL」などがあるのですが、これについては、各人がどちらが正しいのかを、推測して判断するしかありません。推測するだけなら自由ですので。

「今後について」の中に「連盟所属の意思表示をしておきながら、自らが連盟内に居る間に女流仲間の移籍勧誘等をする行為は信義にもとるのみか混乱をもたらす行為であり、このような行動は取るべきではないということが平成19年4月20日、残留を決めた女流棋士の会合で確認されました。」とあります。
これって、逆にそういうことをしそうな女流が多数いるということを、外部に対して明らかにしていると思うのですが。もし、女流の意思を尊重するというのであれば、このような形の不自然な拘束をしても、なんら問題解決につながらないのではないでしょうか。。世間一般では「言論統制」といわれても仕方ないと思うのですが。こういう述べ方をしている箇所があると、ほかの部分についても邪推が生ずる恐れが多分にあると思うのですが、連盟はそういうことは一切気にしないのでしょう。

「平成19年4月20日付の女流棋士新法人設立準備委員会の文書を拝見しますと、合計しても17名に過ぎない立場にありながら、2倍以上の残留者に対し、新法人に入り一つになるように説得し続ける旨のスタンスが明示されております。このようなスタンスは混乱を引き延ばすことに繋がるばかりです。」
とあります。「17名に過ぎない」とありますが、連盟というのは少数派は主張を行うことも許されないという考え方の持ち主なのでしょうか。あまり民主主義の根本的な考え方にそぐわないと思うのですが、これも別に構わないのでしょう。こういうことを述べるから数を頼んで「多数派工作」をしたと疑われるのだとおもうのですが。
「混乱を引き伸ばす」といいますが、最後に自分で「女流の意思を尊重する」と明言している以上は、今後も残留組も(もちろん独立組も)もし考え方が変わったら、自由に行動する権利を認めるというのが論理的なはずです。

もう疲れました。あまりにつっ込みどころが満載なので、こんなに長文になったことをお許しください。やっと和解ムードなのに水を差すなよ、という声が飛んできそうですが、正直こういうのを読まされると、まだまだ前途多難だと感じずにはいられなかったものですから。
最後に言っておきますが、私は連盟の言うことなすことに反対という類の立場ではありません。少し前にも書きましたが、名人戦主催問題については、完全に連盟の基本方針は正しかったと思っています。
最初にも書きましたが、きちんと大局的見地に立った女流の将来像を、再度連盟には提示して欲しいと思います。けっして、それが出来ないなどとはみじんも思ってないので。

女流棋士独立問題雑感14―せっかくこっちは少し落ち着いてきたっていうのに

 おととい書いた、丸山真男「日本の思想」について、大事な引用部分を忘れていました。おとといの記事にも加筆してあります。

「その組織ならその組織の中で通用している言葉なり、外部の状況についてのイメージなりが、組織の外でどれだけ通用するのかということについての反省が欠けがちになる」

丸山氏は、単なる「思想家」というより一種の「預言者」だったのだなあと思います。もっとも、いくら丸山氏が的確な分析をしても、当事者の態度に全く変化がないので困ってしまいますが。それが、丸山氏の言うところの、日本人の無時間性、様々な意匠が変化しても基本的なものの考え方、性質が全く変化しない日本人的特性ということなのでしょう。丸山氏の論考中の「マルキシズム」などについてなど時代を感じさせる部分を別にすれば、ほとんど現在でもその分析が当てはまってしまっているのは、彼がすごいというより分析される側の変化のなさが問題なのだと痛感します。

週刊将棋の女流関係の記事を読みました。もっとつっこんだものをファンとしては期待してしまいますが、週間将棋のおかれた状況を考えれば、これだけ詳しく具体的に伝えているだけでも、良しとしなければいけないでしょう。
理事のお二人が、独立派の棋戦参加を明言されているのはとにかく結構なことです。
もっとも、あくまでそれは連盟ではなくスポンサーが決めることです。最後に毎日コミュニケーションズ社長室の談話が載っていますが、「ファンの皆さん、心配されなくても、ちゃんと独立派を棋戦参加させまっせ」と言っているように独立派を応援する立場からは勝手読みしてしまいます。他の新聞各社も恐らく同様で、仮に(あくまでも仮にですよ)連盟がどんなことを言おうとも、独立派を棋戦からはずすような暴挙は、自分たちの信頼失墜につながるのでするはずがありません。その点は完全に安心していいのだと思います。
それどころが、独立派のみを対象とした棋戦について、新たなスポンサーがどれだけつくのかを注目しています。

愛媛新聞の3/16コラム 女流棋士会分裂

踏み込んだ記事を書いています。かなり断定的な言い方をしている部分があって、大丈夫なんだろうかとも思ったりしますが、とにかく将棋にかかわるマスコミならば、中央の新聞も何かきちんとした形での記事を書いて欲しいなあと思います。もっとも、別に将棋の問題に限らずメジャーなメディアほど機能を果たしていないのは、現在では「常識」に過ぎませんが。

せんすぶろぐ  矢内女流名人の表彰式にて

せっかくやっと最近私は落ち着いてきたのに、またしても頭に血が・・。せんすさんがこんな記事を書かれるというのも、その場にいてよほど感じられることがおありだったのでしょう。
矢内さんも、あんな言い方をされては、かえって自分の行動を後悔したりして逆効果じゃないかと思うのですが。心理学の初歩です。
藤森さんも、あんな言い方をされたら「古い仕事」が終わったら「新しい仕事」の方を、それこそ百万馬力で行われるに違いなく、かえって逆効果だと思うのですが。これも、心理学の初歩です。
おととい書いた丸山真男の主張に関連させていうと、ある人物に安易な「イメージ」を付加させるのは現代人の悪癖です。しかし、この人物については、自ら進んでモンスター・イメージをつけさせたがっているんじゃないかと疑うことがあります。それでも私は良心的なので?モンスターイメージをつけようとは思いませんが、世間やマスコミはもっと短気で残酷なはずですが、そういうことは一切気にならないのでしょうか。

「タコツボ型社会」の問題点―将棋界の「仲間意識」をめぐって

先日ちょっとふれた丸山真男の「日本の思想」を読み返してみた。いくつかの論文や講演をまとめた本で、今日取り上げるのは「掘〇彖曚里△衒について」。
丸山は、まず「イメージ」の問題から語り始める。人間は、現実に直接ふれずに「イメージ」で物事を判断せざるを得ない。そういう「イメージ」というのは人間が外部の環境世界に対応するための潤滑油のようなものである。しかし、社会が複雑化するにつれ、直接に現実に触れることが不可能になるにつれ「イメージ」に頼る部分がどんどん大きくなる。それにつれて「イメージと現実がどこまで食い違っているか、どこまであっているかということを、我々が自分で感覚的に確かめることが出来ない」事態が発生する。

「イメージというものは段々層が厚くなるにしたがって、元の現実とはなれて独自の存在に化するわけでして、つまり現物から別の、無数のイメージ、あるいは本物と区別していえば化けものでありますが、そういう無数の化けものが一人歩きしている、そういう世界の中に我々は生きているといっても言い過ぎではないと思います。」

うーん。丸山論文をネタに、散々将棋界の悪口でも書いてやろうと思ったのだが、この指摘は私が女流独立問題について書いていることを考えると、とても耳の痛い話だ。特にこの問題の場合、外部にもれてくる情報がきわめて限定されている上に、はっきり言ってマスコミがまったく機能を果たしていないので、それこそ「勝手に将棋にトピックス」や一部の当事者のブログを頼りに私はなんとか手探りで書いている。当然「化けものイメージ」が混入してきてしまう。
例えば「独立派女流対残留派女流の対立」というステレオタイプなイメージ。昨日書いたように「船戸陽子blog」の写真が、その安易なイメージをぶち壊してくれたので゛私などは本当に助かる。自分のことを棚にあげていえば、イメージを作り上げるもっと多くの情報が欲しいところである。
もっとも、本当に賢い人間は私みたいに無謀なことは最初からしない。どこで読んだか忘れたが、この問題について「得ることの出来る情報がすくなすぎるので、私はこの問題について書きません」という記述があった。これが本来のまっとうな態度である。
いうまでもなく最悪にダメなイメージは「連盟のトップ=モンスター、独立の女流=革命の義士」というもの。さすがに私はそういうイメージでは書いてないつもりだが・・。

さて、おざなりな「自己批判」の儀式を済ませたので、次は「タコツボ型社会」について。丸山は「ササラ型」と「タコツボ型」の対比概念を提出する。「ササラ型」というのは、竹の先がいくつにも割れた形であって、元の部分の幹はしっかり共通している。ヨーロッパの文化は、かつては「総合的」な幹のしっかりした学問であり、そこから先端が枝に分かれている「ササラ型」であった。しかし、ヨーロッパでも学問の専門分化が進行するにつれ、各部門間の交流がなくなり専門分野ごとに孤立していく。まして、日本のヨーロッパの思想の受容の仕方は、本来の「総合的」側面を全く無視して、専門分野ごとの結論のみを、それぞれが隔絶した形で行ってしまった。そのため、共通の基盤のないため、分野間での不毛な論争が繰り広げられることになる。いうまでもなく、専門化して自分の殻に閉じこもっているのが、丸山の言う「タコツボ型」である。そして、それは学問の文化の話にとどまらない。

「政治や経済の組織だけでなく芸術の分野でも、文壇とか楽壇とか画壇とかいう「壇」、またはその中の何々サークルとか何々会というものが不断にタコツボ化の傾向を持ちますから、そこに属している仲間だけで通用する言葉なりイメージなりがおのずから発生するということになる」
「いわば組織の中と外というものが、いわゆるインズ(内輪)とアウツ(よそ)というものが峻別されることになります」
「その組織ならその組織の中で通用している言葉なり、外部の状況についてのイメージなりが、組織の外でどれだけ通用するのかということについての反省が欠けがちになる」

さてと、これでやっと将棋界の悪口が言える(笑)。というか、現在の将棋界について、これ以上分かりやすい批判は考えられないという内容である。「勝手に将棋トピックス」の「仲間だけなら全てはうまくいくのか」が、取り上げているのも、この問題に他ならない。
女流の問題について関連させると、ある棋士のブログに「この問題についての説明会があったが、とても和気あいあいとした雰囲気で、きわめて建設的な話し合いが出来た。第三者が間に入って険悪になるケースがある」という意味合いの記事があった。無論、楽しく話し合うに越したことはない。しかし、問題が実際にはきわめて深刻な状況で、なおかつこういう「建設的な話し合い」の結果、現在の深刻でやりきれない事態に陥っているのがまぎれもない事実である。批判めいたことを言いたくはないが、内部者意識と危機感の欠如に対して、アウトサイドの人間としては、やはり苛立たずにはいられないのである。
丸山はさらに言う。

「おのおののグループというものが、それぞれのおのおののグループがそれぞれ一種の少数者意識、やや誇張して言えば強迫観念――自分たちは、何か自分たちに敵対的な圧倒的勢力に取り囲まれているっていうような、被害者意識を、各グループごと特に集団のリーダーがそれぞれ持っているということになるわけであります。」

念のため言っておくが、丸山は現在の将棋連盟や女流独立問題について述べているのではない。そう錯覚するぐらいピタリと当てはまる分析である。「被害者意識」というのは、特に今回の連盟側の対応を見ていると、最重要キーワードにあげることが出来るだろう。さっき述べたが、連盟のトップがモンスターだというようなことは、まともな人間なら考えていない。そんなことは思わないが、自分たちは「被害者」だという意識で、実は他者に対してとんでもない重大な被害を与えてしまうのが、「被害者意識」の一番厄介なところである。
ところで、「集団のリーダー」のことは別にして、私が気になるのは、連盟のメンバーが、今回の問題についてどういう感じ方をしているかである。色々なことがアウトサイドの人間から言われているのに対して「現実がよく分かっていない」とか「外部者に口出しされる問題じゃない」と思っているのか、そうでないのか。
一般男性棋士の不気味な沈黙が続いているわけだが、もし外部者の見方に冒頭述べたような「イメージの・バイアス(偏向)」があるのならば、それを正すようなことを述べて欲しいと思う。別に「政治的」にどういう立場をとるかを述べる必要など全くないのだ。また、実際に誰もしていないわけではない。昨日紹介した「船戸陽子blog」の記事は、それこそ外部者の「イメージのバイアス」を正す作業を、とてもスマートな形で遂行している一例である。全く、男性棋士の諸君には彼女のツメの垢でもせんじて・・、ということまで言うと、これこそ部外者の偏見になってしまうのでやめておくことにする。
もっとも、最近一部の若手のブログで、この問題について意識的に発言しようとする人たちがポツポツ現れてきている。無論、実名で書くには私のような匿名ブログとは違って相当の覚悟も必要だろうが、述べ方の工夫次第では、いくらでも言えることがあるはずなので、大いに期待したいところである。また、ブログを持っていない大多数の棋士も、特に若手についてはそれぞれが、実際はしっかりした問題意識を持っているのに違いないと私は信じる。また、そう思わなきゃ、やりきれないしね。



昨日私のブログ名のことにふれたが、色々考えてみて「Shogi underground」というのはどうかしら、ってどう見てもネーミングセンスがゼロだね。だいたい意味不明だし。新法人の名称公募に対して、私は断固自粛しなけれはならないだろう・・。

高橋悠治pfの「バッハ・ゴールドベルグ変奏曲」を聴きながら。安っぽいコピーをつけるなら、「日本のグレン・グールドによるバッハの脱構築」といったところか。とにかく才気煥発な人である。本当に昔のことだが、旧新宿ピットインに、高橋悠治と富樫雅彦のデュオライブを聴きに行ったことがあるのだが、なにぶん寝不足がたたって気持ちよく眠り込んでしまった苦い思い出が・・。まあ私はその程度の聴き手である。

女流棋士独立問題雑感13‐別にはっきり線が引かれたわけじゃない

独立派の新法人準備も、着々と進んでいるようです。昔フランク・キャプラの「我が家の楽園」というとてもいい映画があったけれども、独立派の皆さんも「小さいながらも楽しい我が家」って感じで最初はあまり気張らずにやっていただきたいものです。
前にも書きましたが、むしろボールは我々に投げ返されていて、将棋界や社会が、今回の彼女たちの行動をどれだけちゃんと受け止めてあげられるのかが問われているのですから。彼女たちは我々の度量を測る試金石ともいえるのですが、それに呼応する動きが少しずつですが起きているようなのはうれしいことです。

さて、現在の小康状態になる前の、本当にゴタゴタしている頃にこんな記事が投稿されていました。

「船戸陽子blog」の「3/30」

彼女が「バブル」といっているのは、「残留表明した女流棋士には、仕事の依頼が殺到して、残留バブルがおこっており・・」という一部報道があったのを受けています。全体の書きっぷりといい、最後の締め方といい、本当にお見事。私は「独立派支持」ですが、こういうことをちゃんと述べてくれる人には、もうとやかく言う気はせず、それどころかいたく好感を持ってしまいました。こそこそ隠さずに、自分の立場をこういう形で述べているのも潔いし。
彼女はそういう立場なのですが、(彼女に「残留派」の呼称を使うのも失礼な気がするので使いません。もっとも、今後彼女がどういう道を選ぶのかは分からず、むしろ独立派にふさわしい人物のようでもあり、・・って、一人でも人数増えて欲しいからって、こんなネットで勧誘するなよ。)えっと、そういう立場の彼女が、このブログ上で、女流のとてもいい表情の写真を多数紹介してくれています。
それが、なぜか「独立派」のメンバーが多かったりするんだよねえ。偶然なのか意図的なのかは知りませんが、とにかく「ナントカ派なんていうのは私たちには関係ありませんよ」というメッセージは強烈に伝わってきます。写真の持つ力というのはやはり偉大で、文章で長々ブツブツ述べるよりも(まあ、私みたいにね)、報道されているように「女流が真っ二つに分裂した」のではないというのが如実に分かります。
そりゃそうです。経過をよく考えれば分かるように、今回の分裂劇は、彼女たち自身の意思によるとはほとんどいえない形で進んだのですから。当たり前のことですが、一番不幸なのは、我々ファンなどではなく、こういう形での分裂を強いられた彼女たちなわけです。
人間がある程度の人数集まれば、そりゃあ「みんな仲良く」というわけにはいかず、気が合うあわない、肌合いの違いというのは当然生まれるでしょう。しかし、今回の分裂については、そういう形での線の引かれ方は全くされていないのでしょう。むしろ仲のとてもよい者同士が別の派になったり、ぜんぜん感じ方の違う者同士が同じ派内にいたりして、アメーバ状にゴチャゴチャ入り混じっているのが実情ではないかと推測します。
だから、今後だってこのまま分裂したままの形が永続的に続くとはとても考えづらい。今、なんとか型にはめる力が働いているうちは、仕切りで区切られていても、その仕切りがひとたび壊されたら、一気に合流する力が働くはずです。
彼女のブログにのっている、とてもいい笑顔の女流棋士の皆さんの写真を眺めながら、そんなことを感じました。すぐに合流というのはもう無理なのでしょうが、将来的には(それも恐らくかなり早い時期に)、私はものすごく楽観しています。


このブログのタイトル、あんまり深く考えずに決めたんだけど、今頃になって結構ダサいんじゃないかって気づきました。例えば「遠山雄亮のファニースペース」とか、めっちゃかっこいいよね。とはいっても、さすがに安易に変えるわけにもいかず・・。

「MONOGUSA collection」更新を続行中です。今、私はこれをやっているときが一番楽しかったりします。

女流棋士独立問題雑感12-独立派の会見他

 独立派の新法人設立の会見がありました。詳しい記事へのリンクは「勝手に将棋トピックス」クンにその任務を任せるとして、(ってコラコラ、この恩知らずが)、とりあえず一番大事なのをヒトツだけ。

「女流棋士新法人設立準備委員会ブログ」の「女流棋士新法人概容」

 読んでいてとても気持ちがいいですね。まさしく「理想に燃えている」という感じでとてもさわやかで清々しく感じます。無論これから現実の厳しい壁にぶつかっていくわけですが、最初に正しい方向性を設定することは何より大切なわけですから。ネットでのレッスンその他、アイディアも豊富です。
また、既に支援を差し伸べるスポンサーもいるようで、「この世の中、捨てたもんじゃないぜ」って、涙が・・(ウソ。)でも考えてみりゃそうです、今この法人をスポンサーすれば、その団体もかなりイメージアップにつながること間違い無しですし。なお、新法人の名称を公募するそうなので、センスに自信のある方は是非。

北海道日刊スポーツの本郷昌幸記者が、「頑張って欲しい中井広恵さん」とブログ記事を書かれています。今後、マスコミ関係にもこういう動きが広まるといいですね。「全く、この世の中、捨てたもんじゃないぜ」って、またしても涙が・・。(しつこい。)

「daichanの小部屋」の「講座」に女流独立問題について書かれています。多分今の「雰囲気」を考えれば、これだけ書くのでも大変なことなのだと思います。その勇気に敬意を払います。今回ばかりは「嫁に内緒で?」なくてもいいはずです。夫婦の絆の深さを思うと「この世の中、捨てたもんじゃないぜ」って、涙が・・。(失礼だよ。)

「ごきげんDEブログ」の記事が削除された件について、いくつかのレベルでの感想を。
1建前レベル それでいい。自分を相手と同じレベルに落とす必要はないんだから。
2本音レベル よくあんな記事載せたなあ。本当に大変だったろうと思うけど、世論喚起には間違いなく成功したし。自分を捨石にするような行動は、なかなか.出来るもんじゃないと思う。
3心配レベル 削除の理由が建設的なものだといいなあ。例の「松本博文ブログ」で紹介された文書の「付録」なんか、まさか関係ないんだろうね。

「船戸陽子blog」には、女流棋士のとてもよい表情の写真が多数掲載されています。私など、どうしても「独立派対残留派」ということを書きがちですが、ああいう写真を見ていると女流棋士の皆さんに笑われてしまうという気がしてきました。まったく「この世の中、捨てたもんじゃないぜ」って、涙が・・。(もういいよ。)

女流棋士独立問題雑感11ー和解へ?


週刊将棋の記事を読みました。とりあえず、最悪な連盟との決裂という結果にはなりそうにもないので一安心です。以下断片的な雑感です。

 「私情は入らない」とか「礼を重んじ、先人を尊び」といった表現を見ると、やはり一部残留派と独立派の間には、結構根深い感情のしこりや不信感が多分あるのだろうなと感じてしまいます。無論勝手にそう感じるだけですが。なかなか、今すぐ「仲直り」というわけにはもう行かないのでしょう。
 「連盟にどうしても残りたいと希望する者が徐々に増え、理事の先生方を独立希望者との板ばさみにしてしまい」とありますが、週刊新潮その他の報道で伝えられている事態と、いったいどちらが正しいのかと素朴な疑問を抱いてしまいます。無論部外者には判断不能なのですが「『増えたのか』『増やされたのか』それが問題だ」と、ハムレットの口調を真似てみるしかありません。

 「松本博文ブログ」に掲載されてすぐ削除された文書について、ほとんど「ナントカ組」のようなスタイルと、余計な「付録」には神経を逆なでされるし、あれを見ると「残留打診書状1.2」がどういうスタイルのものだったか邪推せずに入られませんが、今回は(恐らくタイミングを考えて)「散々しかりつけた準備委員」の形勢判断が的確のような気がします。

 連盟側にすれば「独立派の独立行動を認めて、(恐らく)対局権利も認める」というのが、もう精一杯の譲歩だという感覚なのかもしれません。しかし、「ファンの声」というのなら、「全女流棋士に自由にどちらの派にいくかを気持ちよく意思決定させる」というもう一点を、加えて欲しいものだと思います。
 もっとも、その点についての問題でこれだけこじれてしまったわけだから、もう無理なのでしょう。万が一、それだけ実行してくれたら、週刊誌やネットその他の雑音がピタリととまることを100%保証するのですが。私も、もう女流の記事を書く理由が全くなくなって助かりますし。

 以下は、一般的な「男」と「女」の話です。女性の側に、根本的な誤解があると思うのですが、本当に「大人」の男なんてこの世にはひとりも存在しないんです。見かけは、貫禄があったり、たくましそうだったりしても、一皮向けば、純真で感じやすくて傷つきやすいナイーブな子供のような生き物です。いくら歳を重ねても、その本質には、なんら変化はありません。本当に「大人」な生き物は女だけです。もし、女がそこのところを勘違いして、男を自分たちと同じ「大人」として扱うと、傷つきやすいために、過剰反応してトラブルのもとです。「力」だけは男のほうが強いので、問題はどんどん厄介になります。だから、女は男を、子供としていつくしむように扱うしかないのです。全く、バカバカしくてやってられないと、女にすれば思うでしょうが。特に日本人の場合、その傾向が大きいのですが、「大人」の女性には、その点よくよく考慮していただきたいものです。

  「マリア・カラス」の名唱集、十枚組二千円というのを衝動買いしてしまったので、とりあえずバックに流して聴いています。ただ、彼女の歌は、さすがにバックグラウンドミュージックとしては全く不向きなので、一度集中して聴くしかないと覚悟を決めています。

匿名ブログについてのひとり言

 「ゴキゲンDEブログ」を見ると、独立問題に新たな動きがあったようです。ただ、今手元に週刊将棋がないんだよなあ。駅まで買いにいくのメンどくさいし、お酒飲みだしちゃったしなあ、明日の朝買うことにしよっと。そういえば、将棋から離れている間に週刊将棋も買うのやめてしまっていた。また、購入を再開しよう。
 でも、何が起きたのか気になるなあ。「勝手に将棋トピックス」さん、今日あたり更新してくれると助かるんだけど、
 などと言っていたら、mozuさんが、
「マッタクどいつもこいつも俺のことばかりあてにしやがって、何なんだ『お酒飲みだしたから』って、自分で調べろ、自分で!」
とあの温厚きわまりない方がついにキレたりして、
というのはタチの悪い冗談で・・。すみません。

 最近あるところを見てたら、女流独立問題について「ネット上で色々不満がくすぶっているけど、そういう意見を直接連盟とかにぶつけたらどうか」とか「そういうのって無意味」とかいう話を耳にした。(これは私の乱暴で歪曲した要約で、実際はもっときちんとした議論。)とにかくそれ聞いて、現在女流独立問題について、ほとんどいいたい放題状態で、匿名をいいことに書き散らしている自分としては、すっごく痛いところをつかれた気がして逆上しそうになった。これをきっかけにして「匿名ネット(掲示板。ブログ、HP、日記などすべて含む)」について少し考えてみることにする。

 女流独立問題のような広い意味で「社会問題」について匿名ネットで語るということは、当然実名で語るのとはまったく別の行為である。
 そうした匿名行為に対して、厳しい意見がすぐ飛んでくるだろう「自分で何の責任を負う覚悟もないくせに、えらそうに評論家気取りで放言するとは何事か。そういうのは卑怯で非常識な人間のやることだ。自分で何かするつもりがないなら黙ってろ。」
 皮肉でもなんでもなくこういう主張は正論なので、反論のしようがない。
 ただ、だからといって、匿名で書いていたことを反省して、実際に連盟に直訴したり、示威行為をしたり、場合によっては国会議員に立候補して・・、ということには勿論なりはしない。匿名で書いている人間にだって、自分の生活があるし、守ったり迷惑をかけたくない家族がいたりするので。
「だから、それなら黙っていればいいんだよ」
 そう、その通り。匿名で書く人間には常に頭の片隅に入れていなければいけないことがある。自分が責任を負わない立場で、気楽にものを言っていることを。
しかし、実名で責任を負ってはいえないことを、ある程度自由に言えるというのが、匿名ネットの基本価値、存在意義である。もし誰もが責任に縛られて、もの言えない社会になったら、どれだけ息苦しいことか。忌憚のない意見を、匿名である程度の自由で述べることが出来るというのは、一応「自由」な社会の最低基本条件といえる。
 結局「責任」と「自由」のサジ加減、バランスの問題になる。「匿名」といっても、人権を侵害するのは論外だし、だからといって遠慮しすぎて結局何も言わないのでは無意味。両者のバランス感覚がすべて。
 自分自身、女流独立問題を書いていて、そのことですごく悩む。こういう内容まで部外者が述べていいのか、でもある程度言わないと書いても意味がないんじゃないかとか。また、結果的にどうしても「エラそう」な言い方になってしまう。部外者がこの種の問題にコメントすると、どこまで書いていいのか、書いちゃいけないのかのバランス問題を避けられない。結局、そのことはあまり気にしないで思うところをある程度注意しながら言うしかないというのが単純すぎる自分なりの結論である。
 ただ、「えらそう」な内容を、全く読者に気づかせずに気持ちよく読ませるテクニックも本当はあるはずで、一ブロガーとしてはそういう技術を磨けることが出来たらとは思う。
 それと、結局責任を負っていないという事実には変わりがない。それはどうしようもないのだが、その変わりにこういう匿名ブログは何の実際の影響力も、直接現実にもたらせないという限界を最初からおっている。匿名ネットの主張を、現実の組織なりなんなりに届けるというのは基本的に無意味だと思う。ネットの社会と現実社会は、所詮別の世界なのである。現実になんら実効性をもち得ないかわりに自由な発言が保障されるというのが大原則である。無論両者に全く接点がないという意味ではない。
 自分としては、女流問題についてすごい乱暴な書き方はしているけれども、信じてもらえないかもしれないが、かなり書き方には気をつけているつもりである。ただ、さっき述べた「バランス感覚」は人によって全然異なる。私が書いている内容や書き方を「無難なことばかりに終始していて全然物足りない」と感じる人もいれば「あまりに、無責任、非常識で耐えられない」と感じる人もいるだろう。それはどうしようもないことなので、読む側に託すしかないのだ。

 匿名ブログ(に一応限定して考える)を書く意義って、いったいなんなのか。
1 とにかく思うところを文章にまとめる行為自体が有する意義、悪く言えば自己満足、良く言えば無償の楽しみ、自己充足
2それを他者に読んでもらえるという意義、何らかの楽しみや、読んでよかったという気持ちを与えることが出来るかもしれないという希望(最近の自分の記事は、これが欠如しすぎだ)
一応ここまでが基本だろう。これ以上を匿名ブログに期待するのは間違っている。ただ、女流独立のような社会問題について書くときは、一応次のようなレベルも考えられる。
3関係者の目に留まって、何らかの印象を与えて、考え方や行動に直接的ではないにしろなんらかの影響を与える
4当事者が匿名記事を読んで、自らの行動を反省し、問題解決に貢献して社会の役に立つ、って言うのは勿論冗談であって、こういうのはほとんど誇大妄想の入院寸前の世界であって、匿名ブログに本来期待することではない。
 せいぜいいいところ、3について、ほんのちらりと一瞬だけ考えるが、まったく期待しないというのが、現実的かつ健全な態度だと思う。

 今、この駄文を書きながら、きわめて重大かつ当たり前のことに思い至った。一般の将棋ブログというのは、基本的には「匿名ブログ」である。しかし、最近急増した棋士のブログはれっきとした「実名ブログ」である。当たり前に両者が共存しているが、両者は全く責任のレベルの異なるクラスに位置する。だから、「匿名ブログ」が「実名ブログ」と関係するには、細心の注意が必要である。自分の行動に照らして思い当たることもあるので書きにくいが、例えば次のような注意点が考えられるだろう
1 棋士ブログにコメントしたり、トラバする際は、匿名ブログ側も、責任レベルを「実名レベル」まで上げて行う(コメントの氏名は匿名だとしても内容は)
2 棋士ブログの記事を「匿名ブログ」がリンクしたり扱ったりする場合、普段と違って「実名のレベル」の発言を踏まえて丁重に扱う。
まず、1については、私自身このブログを再開する前は、初めてのブログだったこともあって、トラバしたりするのが楽しくて仕方なくて棋士ブログにもトラバしていた「前科」がある。内容自体は全く無難で問題のないものだったが、今いったことにはかなり無自覚だった。再開後は、なんとなく棋士ブログへのトラバもコメントも避けていたのだが。いや、ウソ、最近一度だけ某棋士のブログのコメント欄が少し荒れていたのを見て、場を和ませようとしてコメントした。ところが、後で見たら私自身の投稿が「失礼コメント」になってしまっていた、ああいうコメントひとつつけるのでも結構むつかしい。
 2については、最近も、私は棋士のブログからのリンクや引用を安易にしすぎていると今気づいた。リンクの仕方については、模範的とはいえないにしても、一応問題はない気がするが、最近の棋士のブログの紹介で、失礼な「匿名的」書き方をしていることに思い至ったので、直しておくことにする。
 もっとも「匿名ブログ」同士については、自由にやり取りしてもいいのではないかと思う。本来の匿名ブログの性質上。ただ、現実の将棋ブログについていうと、とうていそういう雰囲気じゃないのが少し残念ではある。まあ、将棋ファンの気質や、ファン数の絶対数の少なさが関係しているのかもしれない。
 
 ケイコ・リーの「ライブ1999」を聞きながら。品のない言い方で恐縮だが、彼女の声は「オヤジ殺し」で、私などもうメロメロだ。
「どうにも、こまったあー。こまった。」(男はつらいよの御前様の口調で)

女流棋士独立問題雑感10ー 将棋関係マスコミにのぞむこと

 都知事選は現職候補の圧勝でした。一応「想定内」(という表現も、もはや古くなりつつある)の結果ではあります。
 まあ、「都民の選択」ってやつですから、とやかく言うべきことはありません。でも、投票した人って、現職候補の政治思想や政策や現在マスコミで報じられている問題について、全部了解した上でしてるんですかね。特に「政治思想」について、私ぐらい以上のオジンならよく知っているけれども、・・。
 対抗候補については、早々に民主党の支持を受け入れたのが「大悪手」で「ほぼ敗着に近かった」んだと思います。後は「ただ指し続けただけ」という感じで。
都知事選が不可解なのは今に始まったことじゃありません。某タレント候補が「一切選挙運動にお金を使わず、ただ自宅で本を読んだりしている」だけで受かったこともありました。私も一応都民の一人で回りに住んでいる人たちもごくごく普通の人たちなんですけど、「都民」という抽象集合体が何を考えているのかまったく理解できず、不気味に感じます。
 さらに不可解だったのが「郵政選挙」。「郵政民営化」の問題というのは「善か悪か」の二元対立的問題でなく、プラスもあればマイナスもあって、その両者を冷静に比較検討すべきという問題です、さらに、実際に実行してみないと不透明な部分も当然ある。私は別に反対派ではありません。とにかく、それを選挙の一点集中争点に掲げて「改革か守旧か」という大義問題にすりかえたり、「刺客」をくり出す愚劣な選挙戦術には、本当にあきれ返っていました。「さすがに今回は自民党が惨敗して、小泉さんはやめるんだろうなあ」と思っていたのですが、あの通りの結果・・。呆然とするしかありませんでした。
 「都民」だけでなく、「国民」という名の抽象集合体のことも、もう私にはサッパリ分かりません。西部邁なら、はっきり「衆愚政治」というのかもしれませんが、私はその言葉が嫌いなので使いたくありません。
 まあ、「床屋政談」(これも、もう死語か)はこれくらいにしておきます。さっき、支持していた候補が負けた腹イセで「現職候補のことを皆ちゃんと『知って』いるのだろうか」と書きましたが、「知っていることの大切さ」は、女流棋士独立問題についてもいえることです。(うーん、我ながらなんて強引な話の展開の仕方。)

  現在の女流棋士独立問題について、何が起こっているのかをある程度正確に「知って」いる人ってどれくらいいるんでしょう。少なくとも、「勝手に将棋トピックス」の関連記事を全部読む労苦さえいとわなければ、ある程度のことは「理解する」ことができます。(外部に出てくる情報が限られていて、一般の人間には細かい正確なことは把握しきれないという問題は一応脇においておきます。)しかし、、将棋関係のマスコミの記事は、表面的な事実を一応伝えてはいますが、具体的な内実への踏み込みが、どれも不十分すぎるという印象があります。一般週刊誌がある程度書いているようですが、一面的だったり興味本位だったりして、 全体像を把握できるには程遠いでしょう。
 ということは、多数将棋ファンがいても、ある程度正確に状況を把握できているのは 崗ー蠅望棋トピックス」の存在を知っていて⊇流問題になぜかすごく興味がある変わり者で記事を熱心に読んでいる、ごく一部の人間に過ぎないということになってしまいます。(2ちゃんのことはあるが、私はあそこが個人的に性に合わないので話題からは除外。)
 まず「現状を正しく把握してよく知る」事が何より大切なのに、そのことについてかなり悲観的に考えざるを得ない状況です。先日、「囲碁将棋ジャーナル」で、独立問題が扱われなかったことを書きました。ささいなことではあるのですが私はすごくイヤな感じがしました。つまり、今のままだと「女流が分裂した」という既定事実のみが残って、なぜそうなったかなどについての問題が、多くの人の目にほとんどふれなかったり、意図的に隠蔽されたまま風化していくのではないかという恐れを抱くのです。
 将棋関係のマスコミというのは、難しい立場にあります。「将棋連盟」と良好な関係を保っていないと、おマンマの食い上げになる恐れがあるという意味で。
 しかし、もし連盟の意向に沿うままに報道しているだけでは、当然「マスコミ」としての機能を果たしているとはいえません。マスコミ人としてのプライドにかけて、(別に独立派を支持する党派的な記事を書けという意味ではなく)、具体的にありのままの正確な内容の記事を書くよう切望せずにはいられません。

 昨日、天気がいいので、近所にある桜並木の街道をドライブしてきたのですが、満開で既に散りかけている桜に圧倒されました。桜という木は、単に美しいだけでなく、日本人の心をものぐるほしくする魔力、妖気をたたえています。

女流棋士独立問題雑感9-自己反省、猛省

 「渡辺明ブログ」の「明日は講座収録」で、女流のことについて少し書かれています。「言えることはない」という内容なんですが、それはそれで別にいいんです。コメント欄を読むと、「意見を書かない」ということについて、偉そうに説教したり、教えをたれたりしている輩がたくさんいる。ああいうのって腹立つなあ、と思いながら読みつつ、自分が書いていたことも同類だと思い当たってしまいました。独立派を思えばこそといいつつ、男性棋士についてえらそうに指図するようなことを書いている記事。・・恥ずかしい。
 やっぱり、こういう話題について書くのは難しいんですね。誰にでも、mozuさんの真似が出来るというわけじゃないんだ。今女流についての記事を読み返してみたのですが、ほとんどを削除してしまいたい衝動に駆られます。ここ何日かの自分の興奮と努力はいったいなんだったんだろう。寅さん流に言うなら「恥ずかしきことの数々、日々反省をして過ごして」いかないといけないのかもしれません。もっとも、何かまた新しい動きがあったら、カーッとなって、・・。せめて書き方にはもう少し気をつけるようにしよっと。
  夜更けに、大好きな矢野顕子の「ピアノ・ナイトリィ」を静かに聴きながら。あまりに好きなんで、国内盤と輸入盤の両方持っています。(曲目が微妙に異なる。)特に友部正人の「愛について」は、聴くたびに年甲斐もなく涙が・・ 

女流棋士独立問題雑感8-投げ返されたボール

 独立派がひとたび独立宣言した以上、ファンとしては応援することくらいしか出来ないわけです。しかし、ココロある人ならば、イロイロ心配することでしょう。
「怒って飛び出すのはいいけど具体的計画はあるのだろうか、連盟とはどういう関係になるのだろう、他の女流の理解は得られるのだろうか、経営能力や先立つものはどうなのか、等々」心配しだしたら、それこそキリがありません。しかし、彼女たちを見ていると、我々の心配をよそにやるべきことを淡々と着々と進めていくような気もします。
 むしろ、このような彼女たちの行動を、我々がどう受け止めるのかこそが問題になってくるのではないでしょうか。「我々」というのは、残留届を「一応」提出した女流棋士、男性棋士、将棋関係者、将棋マスコミ関係者、一般将棋ファンの全てを含みます。彼女たちがこのような行動をとるように追い込まれた経緯を考えるにつけ、なおかつ細かいところを別にすれば彼女たちに大きな過ちは見当たらない以上、それをうけとめる「我々」の見識や度量が問われるのではないでしょうか。
 ボールは投げ返され、「我々」が逆にテストされているのです。しかも、相当に難しくて厳しくて厄介なテストを。安易に取り組んだら、赤点をくらうこと間違いなしです。せめて、追試での及第点くらいは取れるよう、「我々」がしっかり彼女たちの行動を受け止めてあげたいものです。
 
 独立宣言後にブログの更新がありました。

「ごきげん・DE・ブログ」の「先行独立決定!」

  そう、「先行独立」という表現が正確ですね。それにしても、彼女のコメントは常に前向きです。あんなことになったので、さすがに大変なんじゃないかなあと、まったく無関係の部外者でも少しは心配になったりもしたのですが、完全に杞憂のようです。
  そうそう、NHKの講座の初回を見ましたが、本当に元気そうな姿でした。渡辺竜王と完全に「対等」(笑)なのもいい。(エラソーという意味ではなく、自然に対等な感じでよいという意味です。)きっと、どんな苦難の時にも、希望を見出すように幼い頃から自然に鍛えられていて、それが体にしみついている人なのでしょう。

女流棋士独立問題雑感7祝 女流棋士独立へ他

 どうも展開が速すぎて、フォローしてこんなメモ書き程度のものを書くのも結構大変です(笑)。

「女流棋士新法人設立準備委員会ブログ」の「新法人設立にむけて」

 思い切った決断をしたものですが、とにかく頑張って欲しいと思います。何かモヤモヤしていたものが、一気に晴れた気分です。これからが大変でしょうが、ほとんどの将棋ファンは独立派を支持したり理解を示したりしているはず。どういうことをしてくれるのか、とても楽しみです。今日は、ゴチャゴチャ言わずに、皆さんの船出(へ向けての一歩)を素直にお祝いしておきましょう。とにかくガンバレ。久しぶりにポジティブな気分で記事を書けました。
 それにしても、女流の皆さんも棋士、やはり「戦う」のが好きなんですね。
 (窪田ブログの記事、冗談じゃなかったんだ・・。)

 今週の(3/30)の、「将棋ニュースプラス」の、「羽生善治インタビュー~王者の素顔」の中で、女流棋士について語っています。「当たり前」のことを言っているのですが、当たり前のことを当たり前のこととしてきちんと言ってくれる棋士が意外に少ないような気が・・。やはり彼は将棋界の宝です。 将棋指しとしてだけで゛なく、人間的にもね。念のため断っておきますが、このインタビューは、一連の騒動が急転直下する前に取られたらしきもので、彼の現在の考えそのままではありません。発言要旨は、

1女流棋界は、年数も経過し、人数も増え、組織もしっかりしてきて、世間的にも認められ、「なくてはならない存在」「これからももっと発展する存在」である。
2独立問題については、個人的にはいい方向で、例えば独立するなら独立するということで、まとまって進んでもらえればよい。その点、楽観的に考えている。
3男性、女性に関係なく修行するようになって欲しい。同じレベル、土俵、視線で。まだ絶対数が少ないが、女性棋士が普及する中で、新しい人材が出てくるはず。

なんて「普通」の考え方なんでしょう。素晴らしい。2については「勝手に将棋トピックス」の3/29の「女流棋士独立問題、羽生三冠の補足など」の記事にあるとおり、事態の進行に伴って、意見を修正(というと正確じゃないけれど)しています。要は「どんな結論になろうとも、女流の意思を尊重する」ということです。(もっとも女流自身の「意思」が本当に働いているケースといえるかが根本的な大問題ですが。)とにかく、現在の彼の考えがそうであることは、きちんと述べておかないといけないでしょう。
 恐らく将来将棋連盟の会長になるであろう人物の考え方はこの通りなのですが、「:現役」の方はどうかというと、日記に最近女流独立問題について書いていて、・・・(以下一ページ、ノートを破り捨てた形跡あり。修復不能)
  次の連盟の理事選っていつなんでしょうね。私はとにかく、今タイトルを持っている人たちが理事になるまで気長に待って、今は「将棋界」のことには極力見ないようにして「将棋」だけをもっぱら楽しみたいという立場だったんです。この問題がおきるまでは。たぶん「世代交代」を、十歩も、百歩も速く進めないといけないないのでしょう。そうしないと、・・。
 もっとも、本当は男性棋士は今すぐにでも行動を起こさないといけないはずなんですけれどね。名人戦主催問題に比べれば、棋士の「財布」はこれっぽったちも痛まない問題ですが、何より基本的な人間としての資質が問われているので。 とはといえども、今の男性棋士に何か行動を起こせというのは、今年の楽天イーグルスに日本一になれというのと同じことでしょう。所詮、夢、絵空事です。というと、楽天が「そんなに確率が低いわけないじゃないか」といって怒りだすに違いありませんけれど・・。

女流棋士独立問題雑感6-多数残留の内実

 昨日呑気なことを書いてしまいましたが、内実は・・。まあ、自分が知ったかぶりでピントはずれな事を書いたことなんてどうでもいいや。リンクをはっておきます。

松本博文ブログ April Come She Will

男性棋士諸君、これで構わないの?
誰か何とかしてくれーー。

女流棋士独立問題雑感5-残留希望者多数に

 中間派の雪崩現象が起こったようで、驚くような数字が耳に入ってきました。大勢は決したという印象を持ってしまっても仕方ないでしょう。しかし、独立派がコメントを出しているように、まだあきらめるのは早い。要するに、心情的には独立派にある程度は理解のある中間派(恐らくか一番の多数派)と、どういう関係を持つかということでしょう。例えば、中間派のメンバーの中に、独立派からも信用できて、連盟とも良好な関係を保てそうな人間がいたら、自分たちは一歩引いてリーダーに押し立て、女流を大きく割ることなく、円満な形で連盟と独立交渉を続ける等。
 そういう話し合いがもしうまくいかなかった場合ですが、独立派の人たちには、あまり早まった行動はして欲しくないというのが個人的希望です。かなり追い込まれている状況なので、急進的な行動を求めるメンバーもいるかもしれません。しかし、(多分いわれなくても十分分かっているだろうが)今のような少数の独立派で具体的なビジョンなしに飛び出してもどうしようもないわけですから。
 そういう場合は、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、長期戦に持ち込んだほうが賢明でしょう。どう考えても、(細かい問題は別にして)大義は独立派にあるのですから。(と少なくとも私は思う。)ここは、全員が大石蔵之介状態になって、静かに時を待ってみてはいかがでしょう。
 とにかく、現在独立派に名前が見えている魅力的なメンバーを、もし一時的であるにせよテレビ等でお目にかかれなくなっては、やはりファンとしては寂しいとしか言いようがありませんし。
 何か届くあての全くない手紙を書いてしまったような気分です。

女流棋士独立問題雑感4-女流棋士の地位と将来

ここまでつきあってくださった貴方、相当の変わり者ですねー。タルコフスキーの「ストーカー」に出てくるトンネルを見事脱出した者同様の勇者と認定します。(意味不明)さて、最終回は(さぞほっとしたでしょう?)、、そもそもの女流の地位と将来について。
 現在の女流の将棋界内における待遇を知ったのは、大庭美夏さんのホームページでの記述を数年前に読んだ時です。厚生年金には加入せず、棋士会での発言はおろか傍聴すら認められず、改善要望に対してもナシのつぶて等々・・。棋士会は奨励会を抜けた者のものだから当然だという「正論」が聞こえてきそうですが、やはり「今時女工哀史じゃあるまいしなあ」と、かなり暗然たる気持ちになったのをよく覚えています。 
 こう書くと将棋連盟は、女性差別的団体だと思えてきそうですが、独立問題に関連した「勝手に将棋トピックス」の記事で、中堅男性棋士のブログ内で、「そんなことは全然ない」とする主張やそれに肯定的なmozu氏の記述がありました。しかし、一般の大多数の男性棋士はそうだとしても、たぶん一部の棋士は・・、とやや釈然としない気持ちが残ります。
 (余談になりますが、大庭美夏さんは、相当筆まめで優秀な書き手・編集者だと思います。今回の女流独立での実に丁寧でしっかりしたHPでの記述もそうだし、女流棋士の公式HPを担当しているのですが、その中での「山田久美インタビュー」、あれはすごかった。私は、山田さんのファンなのですが、「こんなことまでしゃべっちゃっていいの」というくらい、文字通り彼女が丸裸になるような内容で、あまりにディープ過ぎて怖いくらいの出来。インタビューと筆記担当の大庭さん、すごいインタビューする人だなあと思いました。余談の余談になりますが、その山田さん、ファンサイトに自ら投稿した自筆の文章で、女流独立に関して、今後の進路について微妙なとり方の出来る書き方をしていたのが、ちょっと気がかりです。すみません、ここまで付き合ってくださった方は、ここいうマニアな話題にもついてきてくださると信じてつい書いてしまいました。)
 閑話休題、女流が、将棋界において、相当の貢献度があるにもかかわらず「正式棋士」でないために、きわめて中途半端な立場におかれているのはまぎれもない事実。そもそもの独立勧告が会長側からだったとしても、彼女たちが独立に向かう萌芽が確かに元からあったということでしょう。
 そういう現在の彼女たちの待遇について、当然改善すべきだとは思います。しかし、その一方で、女流棋士という職業については、一般のサラリーマン等とは、まったく別に考えるべきだというのが私の基本的な考え方です。(当たり前すぎるか)
 つまり、女流に限らず、男性棋士もそうですが、現在は何か確固とした職業のように思われますが、本質的には一般の組織人とは全く異なる「芸能の民」です。前にも書いたことがありますが、かつて江戸時代には、将棋棋士は、能楽師たち同様、「芸能の民」として俸禄を受けて生計を立てる存在だったそうです。つまり、「常民」ではない「遊民」だったわけです。つまり、田畑を耕して直接生産物を作るわけではないが゛、自分の芸を磨いて人々を楽しませることで、その報酬を得ていた存在ということ。現在は格段にスマートなしイメージの棋士についても、その本質は全く変わっていません。女流棋士にしても全く同じことがいえます。
 今回の独立問題に関連して言うと、一般の女性会社員がキャリアアップを目指して、独立会社を作ったりするのとは本質的に性格が違います。つまり、彼女たちは一般の生産企業とも、サービス業とすら全然違う、「自分の『芸』を含めた存在で人々を楽しませ」、そのことで報酬を得るという、手っ取り早くいうと広い意味での「芸能人」なのです。現在は、幕府ではなく、新聞というスポンサーや一般のファンが報酬を与えるように変わったわけですが、「芸を売って報酬を得る」という本質に変わりありません。
そういう立場のものが、本来安定した立場におかれえないのは、きわめて当然。それがこの職業の魅力でもあります。だから、現在不安を感じている女流棋士の皆さんは、本来自分たちがそういう存在だと開き直って欲しい。つまり、自分たちの芸が全然駄目ならどうしようもないが、もし芸が人々に受ければ無限な可能性を持つ存在として。「芸」といっても、「将棋の強さ」だけが問題じゃありません。男性棋士にしても、誰も見てないところで単に強いものを決めたところで無意味なように、「芸を魅せる」という要素が何より大切。単に強くてもクソ面白くもない男性棋士の対局よりも、実力面で劣っても、将棋に対する姿勢や魅せる要素の大きい女流の棋士を人々が好むことだって十分ありうる。それは、男女問わず「芸能の民」の宿命です。無論、基本的な「芸の研鑽」の裏づけも当然必要で、両者のバランスも大事になってくるわけですが。 
そういう新たな旅立ちを、どんな形になるにせよきることが出来る女性棋士の皆さんを、私は冗談じゃなくてうらやましいと思う。そういう「芸能」の民には、本来なろうと思ってなれるものでなく、ごく一部の「選ばれた人たち」にしかなれないのですから。その分、不安定要素も「常民」の何十倍もあるわけですが、なんてうらやましい生き方なんだろうと本当に思います。
現在女流棋士会がやろうとしていることは、男性棋界に比べて、はるかに「芸能の民」の意識が高いようにも感じられるし、「芸能の民」の正道をいっているという見方も出来ると思います。

 精一杯生きるだけ生き抜いて燃えつきちゃってください、女流棋士の皆さん。(燃えつきちゃいけないか。)

(おしまい)

女流棋士独立問題雑感3-独立派について

 前二回は、腹立ちまぎれの憂さ晴らしだったので、(あんなもの読まされる側はたまったもんじゃなないっすよね)、少し冷静に、独立派について、公平を期して(というよりは偽装して)簡単に。
 私自身は、単純明快に独立派を応援していますし、経過を見ていると、さぞかし腹の立つこと、基本的な人としての尊厳を否定されるような思いをしているであろうことは容易に想像できるところです。しかし、独立派が本質的にやるべきことはただひとつ、「なるべく良い条件で、連盟と良好な関係を保ちながら独立を果たすこと」これだけです。多分、独立派の耳には、私のような無責任な応援者の声が多数届いていて、「世論は我にあり」のような気分になっているのだと思います。勿論そうなる相当な理由は十分なのですが、そんな泡と消える一時的な人気よりも、「実」をとることが大切なはず。
 その意味では、連盟側が当初提示していた条件は(無論正式なものではなく、それがきわめて曖昧かつ猫の目のように変わるのでさぞかしイライラするであろう事は別にしても) もっと良いものだったはずです。それがこれだけ後退してしまったのは、いかに自分たちに非がなくても、やはり「結果責任」は負わなくてもいけないのではないでしょうか。連盟側の対応がどれほど大人気ない(ごめんなさい)としても、完全に敵に回してしまったのはやはりまずかったと思います。 とにかく、とにかくつまらない人気におぼれたりせず、責任者として実質的成果を挙げることだけを考えて欲しいなあと思う。
 あっ、たぶん独立派の賢明なトップは、言われなくても分かっているようなことを、今ちょっと飲んでいるために、おじさんの無意味な説教口調が出てしまった・・。
 最後に、何より話題沸騰の「ブログ問題」について。私が、こんな駄文を書きたくなった直接のキッカケも、勿論これ。もうそりゃあ、血が上ってしまって、・・以下不穏当なため略。でもね。そうはいっても、やはり、ルール違反はルール違反だと思うんですね。別に法的に違反しているということじゃないけど、やはり「人の道」に外れると思うんです。(また出た、おじさんのイラツク説教口調) 本当に弱い立場のものが、他の手段がなくて、こういう手法を用いることが有効なこともあるだろうが、今回がそういう手法が必要な「やむにやまれぬケース」とは思えないのです。 とはいってもブログを書いた人物が、さぞ苦しい思いをしているだろうと思うと、私のような無責任な野次馬の胸のほんの少しは痛む。昨日更新があったが、あれを読むとかえって痛々しく感じてしまうのは私だけでしょうか。勝手な思い過ごしだとよいのですが。
(続く)
 

女流棋士独立問題雑感2-独立派と残留派の対立

 昨日書いたことを読み直すと、あまりに表面的で格調の低いことばかり書いてしまったと猛省してしまいます。しかし、小生、今のところ「メロスは激怒した、奸佞邪智の・・」式に、単純に腹を立ててしまっているのです。なので、今日書く事も格調低いこと間違い無しなので、怒りを共有してくれる奇特な方のみ、お付き合いくださいませ。
 女流が、分裂の危機状態であることについて。なんといっても、一部女流棋士が、早々に連盟に残留届けを提出してしまったことに、本当にガックリしてしまいます。別に、反対意見を持つことはまったく問題じゃないし、部分的に伝わってくる「進め方に疑問がある」とか「独立自体が駄目というのではない」といった主張自体は、むしろ穏当なものです。しかし、なぜ、独立推進派と徹底的に話し合う作業をしないのか。反対なら反対でも残留派の指導的立場の人たちはメンバーに働きかけて、連盟に対しては「独立派を説得しますから」といって残留届けを提出するのを保留して、粘り強く話し合いを続けるくらいのことは最低限でもして欲しかった。この時点で残留届けを提出するというのは、独立派に死刑宣告するようなものです。共に活動してきた女流全体が危機の真っ只中にあるときに、何でそんな冷酷なことが出来るものなのかと思います。これは、もう理屈ではなくて「ムナクソ」の問題です。
 とはいえ、残留派の女流たちも、基本的には弱い立場であって、連盟の「踏み絵」の被害者と言えなくもないので、あまり厳しく叱責する気にならないのも事実です。届けの重さはどうしようもないが、まだ分裂したわけではないし、女流の棋士総会も今後あるようなので、ぜひ双方冷静に話し合って欲しいものだと感じます。
 今回、また提出のフォローがあったようですが、未提出者は正当な理由をつけて、ギリギリまで、態度を保留できないものかと思います。無論、部外者が口出しするようなことじゃないのですが。それと担当理事が「独立派にも対局権利は認められることになるだろう」と発言しているようですが、これは、連盟が女流棋戦を行うことを前提にしていて、どこに棋戦を行わせるかは、最終的にはスポンサーが決めることなので、「独立派は当然のこととして、残留者にも対局権利は与えられる」という言い方も可能なわけで、あまり意味のある発言とは思えません。
 昨日書いた、連盟と独立派の対立同様、独立派と残留派の対立についても、具体的な論点の違いがあるというより、進め方についての双方の感情的なもつれや不信感が゛大きいようにも感じます。理性的な話し合いの余地は十分あるのではないでしょうか・・。
  (続く)

女流棋士独立問題雑感1-連盟と独立派の対立

 このブログも、随分長らくほっぽらかしにしてしまいました。最近「勝手に将棋トピックス」で、女流独立問題の記事を読み続けています。それで、また何か書きたくなってしまいました。(普通誰でも、何か言いたくなるよね。)しかし、あそこに経過から分析からすべて書かれてしまっているので(誰でもそう思うよね)、思いついたことだけ書き散らしておきます。
 現在連盟と独立派の対立が深刻になってしまっているわけですが、見ていて困るのは対立する具体的なきちんとした理由が見当たらないということです。もし、何らか財政的なり何なり、対立もやむをえないという事情があればまだしも、ほとんど感情的なもつれだけで、これだけ深刻な状態に陥ってしまっているのではないでしょうか。それも、両者が互いに対立するというより、連盟側が勝手に機嫌を損ねているという印象です。
 連盟側が「弁護士を間に立てて対抗的だ」などというのは、勿論理由になりやしません。こういう場合、直接当事者同志がやりあうより、弁護士を間に立てて冷静に対応するというのがごくごく普通のことのはずです。それとも、たとえば中井さんが、会長や理事のところにやってきて、ニコニコしながら、「ひどいじゃないですかー、新聞社はそんなこといってないです。訂正してくださいよー、フフフ」とか言ったほうが、カドが立たないとでも言うのでしょうか。弁護士に「どなられた」というけれど、「近い関係にある弟子のような中井」とか「親心」とか本当に思うのなら、怒ったりせず、「この弁護士はこういう態度をとってているが、中井は決してこういう態度ではないはずだ」と思ってやれるくらいの信頼はあってもいいはずですし。とにかく、公の立場にいる人間が「弁護士を間に立てたからけしからん」などというのは、到底通用する話じゃないと思うんですけど。
 寄付の問題にしても、認めた認めないの問題はさておいて、なぜ寄付を嫌がるのかの理由が分かりません。「同じパイの取り合いになる」というのも、mozu氏が皮肉交じりに「一万円寄付したからといって、将棋世界の購入を控えるというわけじゃなし」、といっているように具体的な根拠に乏しい話です。なぜ反対なのかをきちんと説明しないと、連盟のお金についての考え方について邪推が生じかねないと思うのですが。
 女流棋士全員に、文書を送りつけて踏み絵をふましたのも、これまた、連盟全体にとって女流分裂が「百害あって一利なし」なのに、これもまた具体的なきちんとした理由が見当たらないといわざるをえません。「反対派が増えてきたので」というけれど、その実文書では、「残れば対局権利は保証する」とか言って、明らかに引き止めているのですから、子供の言い訳にしか聞こえません。連盟が女流の将来についてどういう全体像を描いているのかを提示して欲しいと思います。それをしないと、まるで分裂を望んでいるかのような邪推が生じる恐れがあると思うので。
 なんだか、書いていてどんどん気分が悪くなってきたので、もうやめて、気が向いたらまた続きを書くことにします。
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