コンピューター将棋

森下卓の電王戦リベンジマッチ

発端はやねうら王開発者の磯崎氏の発言である。
――もう、将棋ソフトはプロより強くなってしまっている。だからいい勝負にする方法を考えるべき。香落ちで戦うとか。
磯崎氏は去年の電王戦でもソフトの改変問題でも物議をかもした。私も最初は、けっ、けしからーんと単純な反応をしてしまったクチだが、具体的事情や磯崎氏のキャラクターが分かってくるにつれてちょっと考えを変えた。特に参考になったのはこのブログ記事。

土屋つかさのテクノロジーは今か無しか 第三回電王戦第2戦「やねうら王VS佐藤紳哉六段」について、あるいはやねうらおさんについて思うこと

ソフトの変更問題の具体的事情についてはさしあたり置いておくとして、磯崎氏はかなりユニークな天才肌職人肌の人物なのであって、とにかくベストの状態のソフトを出したかっただけだということである。
だから、今回のこの発言も、冷静に客観的にプロ棋士とソフトの対戦結果のデータをふまえて、よりよい状態での対戦を純粋に追求しただけの発言である…のかもしれない。
しかし磯崎氏のような天才がいとも簡単に見落としてしまうのは、フツーの生身の人間の感情、プライドっといった類のものである。
去年の佐藤紳哉もそれで激怒してしまった。我々凡俗の徒はなぜ佐藤が怒ったのかが簡単に分かるわけだが、磯崎氏はいまだに本当にはよく分かってないのではないだろうか。
でないと今回のような発言をプロ棋士が居並ぶ前でしてしまうわけはない。(ちなみに私はそんな磯崎氏が好きなのだけれども。)
というわけで、その場に居合わせた我らが森下卓は黙っていられなかったのである。誇り高いプロ棋士の代表選手のような存在なので。
森下は別にソフトが人間より既に強くなってしまったわけではないと主張する。
人間にはヒューマンエラーがあるので、持ち時間の制限、まして秒読みではどうしても間違えてしまう。だから、15分とか10分の秒読みならぬ分読みにして、なおかつ盤駒の使用を可能にすれば、そういうヒューマンエラーは防げるし、何戦戦っても全て勝つ自信があると言い放ったのだ。
序盤の細やかな感覚では、まだ人間がソフトより優位なので、そこで優位を築いてその後の中終盤でミスしなければ勝てるという考え方である。
という経緯で今回の、持ち時間がきれても一手10分考慮可能、常時盤駒を使った検討が許されるという破格の条件での対局が実現した。
しかし、正直に言うとどれだけやれるかについてはかなり懐疑的だった。なんせ、現在のソフトは強くなりすぎている。
まず、10分使って森下がミスを防げたとしても、今のソフトは特に終盤ではそれ以上のレベルの指し手を継続して多少の劣勢も逆転してしまうのではないかと思った。
さらに、森下は序盤での人間の優位を主張するが、現実にはソフトがプロ将棋における画期的な新手を次々に提示しているし、人間が優位どころか先入観のないソフトが新たな序盤戦術を開拓しつつあるので。
だから、森下の男気は買うけれども、ちょっと現実が見えていないのではないかと、やや冷やかな見方をしてしまっていた。
事前のPVでも数人のプロ棋士が、このルールは序盤でかなり大きいリードを奪えないと
役に立たないなのではないかと冷静に指摘していた。もっともな話である。
さらに対局直前にニコ生に登場した森下がこんなことを言った。
「私は序盤で大きくリードできると思っていたが、事前の練習の結果、今のソフトは序盤も洗練されてきていてなかなかリードを奪えないのが分かってきました。」
これには、私はオイオイと思わずにはいられなかった。そんなのシロウトの私だって知っている。こんな調子で本当に大丈夫かいなと。

しかし、昨日いや今朝まで続いた対局(まだ終わってないが)の内容結果を見て本当に驚いた。
ここは思いきり手のひら返しをしてしまおうではないか。森下先生ごめんなさい、私が完全に間違っていました。
まず、盤駒使用の効果を私は過小視していたようだ。森下は序中盤ではニコ生視聴者への解説も兼ねた様に喋りながら一手一手慎重に手を決めていたが、確かにその思考内容の言語化を参考にしても、人間(森下)の方がやはり細やかで自然な感覚だと納得させられた。
特に今回のツツカナは全般に少し変で、▲4九飛などは人間にとってはプロでなくても意味がないとは言わないにしてもよくない手であって、あんな手を森下の前で指してしまったら、
「えーーーっ、明らかにこれはありがたいと思うけどなぁ。」と何度も大声で言われてしまう羽目になる。
それでも別に均衡が破れたわけではないが、人間の感覚だとやはり作戦勝ち、ポイントをあげつつあるという展開になったと思う。森下が当初言っていたような大きな優位ではないにしても、感覚的なきめ細かさや自然さでは人間に軍配があがりそうだ。
その後もツツカナは千日手狙いにしてもやはり人間には考えにくい▲6九飛など指したのだが、結果的には森下の方から打開して、少なくても後手としては十分、少し良いしプロならばたいてい後手を持ちたいのではないかという展開に持ち込む。
とは言え、まだまだ僅差であってコンピューターソフトはこの程度は簡単にひっくり返してしまうのが通例だ。しかし、ここでも森下は盤駒使用をうまく生かして悪い手を指さない。中終盤で力負けしたり、人間が根気で負けて先にミスする展開にならなかった。これは、森下が盤駒使用の効果を力説していたのを素直に認めるべきだと思う。私などが予想していたよりはるかにミス防止に役だっていた。
そして、逆にツツカナの方が▲9四歩というこれまた人間的には謎の手を指し、そのあたりから徐々に森下側に形勢が傾いていく。それはツツカナ自身の評価値が認めていた。
その後はソフトらしく容易に崩れず、文字通り夜を徹しての戦いになったが、ここでも森下は10分を生かして脅威の精神力で慎重に指し続けて間違えない。ちょっとイヤな感じになったところもあったが、結果的にはリードを保ち続け、指し掛けの局面ではほぼ森下勝勢である。
最後の方は、森下も意識が朦朧としてきたそうで、寄せに行くと間違えそうなので、駒取りの安全策に徹したそうである。
だから将棋が終わらなかったが、森下らしい勝ちに行き方だったとも言える。序中盤は森下らしくなく歩切れに苦しんでいたが、結果的には駒台には駒があふれんばかりになり、歩も5枚=一森下をしっかり達成していた。
そして、最後は「これ、よく見たら私が指していたら先手はもう投了しかないですね。」と何度も言って森下節でしめくくったというわけである。
ツツカナがかなり不出来だったような気もする。しかし、以前からソフトはとてつもなく高いレベルの棋譜を残すかと思えば、標準以下の将棋も多く指すと指摘されていた。
展開にもよるが序盤のきめ細かな感覚、人間が正しく指し続けた場合のソフトの本当の中終盤力はどの程度なのか、やや劣勢になった場合に無意味な指し手を指してしまいがちな事など、現在のソフトの問題点が浮き彫りになったと思う。
とにかく森下アッパレである。とはいえ、まだ将棋が終わっていないのだが。

また、森下の人間的魅力も存分に味わえた。序盤中盤では自戦解説をしながらの対局となったが、棋士の思考を可視化してくれると同時に、「いやぁ、これはどうみてもありがたいです。」とか、「えーーっ、意味が分からない」などあまりにも率直すぎる森下節が炸裂していた。
昼間はちょっと私も観て笑ってしまっていた。が、夜に入ってさすがに自戦解説はやめていたが、いつまでも盤駒検討して「うん、これしかない。」と自分を納得させるようにして、残り2分の声がかかると対局盤に戻り1分の所で指し、また盤駒に戻ってのつぶやきながらの検討の無限ループを繰り返す姿には感動せずにはいられなかった。
深夜に、森下が広いガラーンとした対局場で、盤駒を使って黙々と、ではなくつぶやきながらだけど、検討する後ろ姿には思わず涙しそうになったのである。
囲碁のほうは普段の対局でもぼやくことが多くて、趙治勲や依田紀基が有名だか、こうして四六時中将棋でぼやき状態が映し出されるというのもすごかった。
例えば加藤一二三や石田和雄でこのような企画をしたらどんな事になるのか、考えただけでも恐ろしい。
夜、というか一晩中の解説は金井恒太と中村太地が担当していたが、二人ともなかなか洗練されたユーモアのセンスの持ち主で聞いていてとても楽しかった。
特に聞き手的役割をつとめた金井の名司会ぶりには驚いた。明るくきちんとしゃべりイヤミがなく、なおかつでしゃばらず細やかな神経で喋りすぎず黙りすぎず、真面目すぎずふざけすぎず、適度なしゃべりで番組をしっかり支えていた。私などは、永井英明以来のNHK杯の男性司会をやらせてもいいのではないかと思ったくらいである。
あれを見ていた奥様方で是非金井さんをうちの娘の婿にと思った方も多かったはずである?
そして、昼間にも解説をしていた佐藤康光が何と深夜に戻ってきていた。家で年越しそばを食べたりしてのんびりしていたが、二人の解説者に悪いと思い、また森下の勝ちを見届けたくてわざわざ車をとばしてやってきたらしい。漢、佐藤康光である。
但し、かつて羽生や森内をのせて佐藤が首都高を運転した際に、羽生や森内の顔色をなからしめたエピソードを知る身としては、徹夜明けの元旦に佐藤が車で無事家にたどりついたかだけが今回唯一気がかりだったことは言うまでもない。

2015以降の電王戦に向けての雑感 その3

カスパロフはディープブルーに負けてしまったが、そのカスパロフ自身が、人間が対局中にコンピュータで指し手を調べながら戦う「アドバンス・チェス」を考え出した。将棋プロ棋士とソフトが組むタッグチーム・マッチを実はチェスの世界では既に当たり前のように行っているらしい。
将棋の世界はまだハッキリした決着がついていないので抵抗感があるのかもしれないが、今回のタッグチームマッチは別に珍奇なものでもないし変なことでもないのだ。
ソフトが既に人間トップ超えたかどうかについては議論の余地があるかもしれないが、少なくともソフトに普通のプロと少なくとも同等以上の実力があるのは電王戦で実証済である。
だとすれば、高い実力を有するソフトを人間側が何らかの形で活用しようとするのはむしろ当然のこととも言えるだろう。
私自身は、先に書いた記事の通り、将来的には人間が巻き返すことも可能だと考えていてなおかつ期待もしている。だから、こうしてプロとソフトが真剣勝負で組んでお互いの読みや大局観の違いを明確にする試みは素晴らしいし人間側にとって大変プラスになると思う。
私のパソコンにも市販の激指ソフトが入っているのだが、ある局面でソフトの考えている指し手の候補を最大10手まで提示して、なおかつ読み筋を見せてくれる機能がある。あわせてその局面での評価値も。大変興味深い。
タッグマッチでも、基本的にはそれと同じ形になると考えれば良いだろう。指し手を決めるのはプロだが、その際にソフトの指し手の候補手、具体的な読み筋、評価値を参照できるというわけである。
各プロ棋士には当然読み筋があって真剣勝負なので真面目に読む。それとソフトの読みを一局を通じて比較検証する作業を続けるわけだから、当然人間とソフトの違い、あるいは強さの違いも、人間とソフトが直接対決する以上に実は明確になる。
但し、その為には対局したプロ棋士が具体的に率直に読み筋の違いを対局後に公開すればという条件付きだが。
こうした作業を何局も行ってデータを取れば、これくらい人間に役立つものはないはずである。人間がソフトに対して巻き返す第一級の資料になるはずだ。
それぞれの棋士の対応の仕方にも興味がわくところだ。例えば、西尾のようにコンピューター将棋を知悉している棋士なら、ソフトの読み筋を冷静に客観的に受け入れて、自身の読みとすりあわせながらベストの手を選択してきそうである。
一方、加藤先生などはあくまでソフトの読みは参考意見に過ぎず、あくまでご自分自身の指し手を貫かれそうだ。(それと加藤先生とやねうらおさんがどのような会話をかわすのかも興味の尽きないところだ。)
その中間が例えば中村太地あたりで、この前のニコ生会見で「コンピューターの指し手を参考にしつつ、そのままではつまらないので自分らしい将棋にしたい。」という意味のことを述べていた。
果たして、どの程度棋士の個性がでるのかも興味深いところである。
だから、結論としてはこのタッグマッチは単なるエンターテイメントでなく、きちんとした具体的な意義があるのだ。

また、興行的にも電王戦を見れば分かるように、広い範囲のライトな将棋ファンを巻き込むことを期待できそうだ。糸谷哲郎が若い頃に述べたように、「将棋は斜陽産業」だとしたら、そういう意味でも将棋界としては歓迎しない理由はない。
実は、私は個人的には古いタイプの伝統主義の将棋ファンであって、ドワンゴ的な演出に違和感を感じることもあった。しかし、電王戦の成功を見るとそんな小さいことは言う気にならなくなった。
それに、ドワンゴは独自の煽りの演出をしてはいるが、それでもスポンサーとして高圧的に連盟に接するようなことはせず、基本的には節度を守ってやってくれていると思う。
だから、昔ながらの将棋界をオールドファッションに愛している身としてもそんなに心配はない。
(最近の「モリシタ集め」をみると若干不安を感じると言いたいところだが、実はそういう私自身が「モリシタ集めを」楽しんじゃっているので何も言う資格はなさそうである。)
また、今更だけれども、ニコ生が人間の普通のタイトル戦の動画中継をしてくれているのも本当に将棋ファンにとってはありがたいところである。ちょっと昔のことを考えると夢のような話なのだ。
今回のタッグチームマッチは、プロ棋士とコンピューターソフトの共存共栄を謳っているが、将棋ファンとしても素直に連盟とドワンゴの共存共栄を願いたいところである。
色々な意見があるのは承知しているし、ここに書いたのはあくまで私の個人的な意見に過ぎないのだが、なるべく建設的にポジティブに考えたいというのが私の今の考え方である。

2015以降の電王戦に向けての雑感 その2

今年の世界コンピューター将棋選手権をリアルタイムでは見られなかった。先日、囲碁将棋チャンネルで勝又教授による特集番組があり相変わらず名解説だったのだが、とにかくソフトがさらに強くなっているのには驚きあきれてしまった。
とにかく終盤の読みが超人的なのである。実に粘り強い。とてもじゃないがダメそうな局面から、絶妙の一手をやすやすと見つけ出してきて簡単には土俵をわらない。こんなソフト相手に人間が勝つのは本当に大変である。
ソフトはまだ強くなり続けているのだが、当然その作業をしているのは人間である。基本的にはボナンザの機械学習と激指などがおしすすめてきた選択探索を進化させる手法以外に本当に革新的な技術的なブレークスルーは出ていないにも関わらずである。
ブログラマーの方々が優秀なのだろうが、人間の努力と知恵というのはたいしたものである。
結果は事前には大馬的存在だったAperyが優勝して、電王戦に出場経験のある有力ソフトが決勝に進めない波乱もあった。今や恐ろしく強いソフトが多数存在して実力は僅差なのである。
最近注目されているソフトに、NineDayFeverというのがある。基本的にはボナンザの評価値を使いながら、その欠点(例えば入玉での評価値など)を修正しているそうで、コンピューター同士の対局場のFloodgateで高レーティングをたたき出して今回は優勝候補の一角にもあげられていた。
ところが、実戦ではそのBonanzaに二回とも敗れてしまう。Bonanzaの弱点を補ったつもりが、その本家に負けてしまうというのが面白いところだ。何となく人間と機械の関係を象徴しているようで興味深かった。

さて、こんなコンピューターの終盤を見ていると、とても人間は特に時間のない状態では終盤ではたちうちできないのではないかと思ってしまうだろう。
しかし、昨日最後にも書いたとおりに私はそうは思っていない。現実を冷静に考えると、コンピューターは膨大な数の局面数を瞬時のうちに読んでしまう。人間の読む局面数などたかがしれていて比較にもならない。
それでも、なぜ少なくともある程度は両者がいい勝負になるかというと、人間には直感能力があるからである。
よくプロ棋士は直感で浮かんだ手がたいてい正しいという。人によってパーセントは違うが60%から80%程度だろうか。その直感能力の差が即棋士の才能の差である。
そして、現実の作業としては直感的に浮かんだいくつかの候補手をもとに実際の読みで検討検証して指し手を選んでいる。
その直感で手を把握する能力については、科学的な解明の作業も進んでいて興味深い。しかし、それは人間の脳のどの部分がどういう働きをしているかについての研究であって、本質的になぜ人間が直感で正しい指し手を把握できるのかは謎である。そういう科学的作業は重要で貴重だけれども科学がその謎を本当に解明することはできないと私は考えている。そもそも、まともな科学者なら最初からそういう事は意図しないで分析の範囲を最初からきちんと限定しているのかもしれないが。
今の人間の直感能力だと、それは100%正しいわけではない。間違えることもある。だからプロ棋士にとっても実際に読む作業は必須になってくる。
しかし、当然人間はその直感能力を鍛え上げることも可能である。今のソフトはこれだけ強くなってなおかつ先入観がないので人間が思考のクセで捨ててしまう手もきちんと提示してくる。
そして、そういうソフトと戦えば、短期的にはなかなか結果に結びつかなくても長期的には人間が飛躍的に直感能力をあげるのは決して不可能ではないのではないだろうか。例えば、例えば菅井の言うように10年後なら。
そもそも、私は人間はその直感能力を現時点ではまだ全然存分には働かせていないと思っている。羽生がかろうじてよくやっているが、それでも本来の可能性と比べればまだ微々たるものにすぎないと言うくらいに。
だから、人間が100%その直感能力を働かせることが出来たら、瞬時に正解手を指摘できる。もう読む必要などない。
短い時間だと膨大な手を読む機械にはもう勝てないというのも人間の間違った思い込みである。本来人間は正着を導き出すのに時間はいらない。一方、機械は必ず手を読まないといけないので必ず時間が必要である。だから原理的にはどんなに短い持ち時間でも人間の勝利は最初から決まっている。
とはいえ、現実には人間が100%その直感能力を発揮するのはなかなか難しい。しかし、少なくともその直感能力を、強いソフトの力を借りたりすれば、「常識的に」考えられているよりも飛躍的に高めることは可能なはずである。
ところで、人間が本当に100%直感能力を発揮できるようになったら将棋はどうなるだろうか?
今の名人戦のようにわざわざ二日もかけて指す必要などなくなる。直感力の達人の二人が、最初から最後まで完全なノータイム指しを続けて勝負は決着する。
いや、そうではないな。完全な直感力の持ち主は、将棋の結論が先手勝ちか後手勝ちか千日手か持将棋なのかも分かってしまう。
だから、二人が対局場に座って、記録係が振り駒をする。その結果を受けて片方が「負けました」と深々と頭をさげる。新しい名人の誕生だ。
――そんな未来はイヤだ。だから、神様は人間に100%の直感能力を与えなかったのである。

こんなことばかり書いていると読者がいなくなりそうなので、そろそろやめよう。というか、昨日のも今日のもかなり冗談が入っているので、あまりマジメに受け取られないようにお願いいたします。
さて、本当はタッグマッチについて、もっと現実的な話を書くつもりだったのだがまたしても脱線してしまった。それについてはまた回を改めて。

2015以降の電王戦に向けての雑感 その1

電王戦は来年で一応終わりにするそうである。再来年からはプロとソフトのタッグチームによるトーナメントを行うとのこと。
来年の電王戦に出場する棋士はまだ発表されていないが、どうやら通算勝率の高い若手精鋭を揃えた「本気と書いてマジの」メンバーになる模様である。
残念ながら人間(連盟)側の打つ手は一年ごとに一手ずつ遅れてしまっている。第二回が開催された時点で、少なくともコンピューター将棋に詳しい人間は既にソフトは並のプロを超えてしまっているのではないかという見方をしていた。
だから、本来はあの時点で来年出場するようなメンバーを出さないといけなかった。とはいえそれも結果論で、あの時点ではまだ実際に戦ってみないと分からないという部分があったのも事実である。
そして選出されたのはA級からC2まで、ベテランから若手までをバランスよく?配分したメンバー。ある意味、プロ棋士集団の平均サンプルとは言えるので、ソフト対プロ棋士という視点ではよい人選だったのかもしれない。
結果は人間側の一勝三敗一持将棋。
内容的にもA級バリバリの三浦がGPSに完璧に負かされたのが衝撃だったし、唯一勝った阿部光瑠も事前研究を存分に生かした結果で(彼の徹底的な研究と実力にケチをつける気は毛頭ない)、根性で持将棋に持ちこんだ塚田も将棋の内容は完全に負けだった。数字以上に厳しいものを感じさせた。
それを受けて第三回も人間側は少しレベルアップさせたものの基本的には第二回と同じ思考様式によるメンバー構成。大丈夫かと思ったが、ルールの問題があるのでややっこしい。ハードは統一され、さらにソフトを事前貸し出しして好きなだけ研究可能になりソフトの改良も禁止された。
特にソフトの貸し出しが大きいように思えた。阿部光瑠のように徹底的にソフトの欠陥を研究してつけば、別にベストメンバーでも勝てるのではないかと私なども思ったものである。
結果は人間側の一勝四敗。そして、内容的にもハード統一には関係なくソフト側が明らかに前年よりも洗練され強くなっているのが明らかだった。
ソフトの貸し出しについても、プロ棋士側がソフトの欠陥をつかずに堂々と戦いたいという棋士がほとんどで、結果に影響を及ぼさなかった。
唯一勝った豊島は超人的な事前研究で、YSSが横歩取りで△6二玉とするクセがあるのを事前に把握してそれを想定して戦った。
しかし、実はその後も研究で勝ちと分かっていたわけでなく、豊島は難しくて実際に指してみないと分からないと考えていた。実際研究とは全く違う手順になり、豊島は実質的には研究ではなく見事に自力で勝利を獲得したのである。
さらに、その後、当初は「ありえない手」とされていた△6二玉も他のプロも徹底的に研究した結果全く悪手と言えないのが判明して何局か実戦例も現れている。
ソフト側は当初からYSSに限らず多くのソフトが△6二玉を指すクセがあって、その判断が実は正しかったのが判明したわけである。
つまり、今のソフトはかなりの序盤部分でも定跡がなくても、プロと同程度、あるいはそれ以上の手を指せるレベルに達している。
さらに、ソフトによっては研究を警戒してかなり早い段階で定跡入力を打ちきっている。だから、人間がいくらソフトを事前貸し出ししてもらって好きなだけ研究しても勝てるというわけでは全くない。その意味で、プロ棋士側はソフト対策の手順を、「採用しなかった」わけではなく「採用できなかった」というのが事実に近いのだと思う。
来年の具体的なメンバーがまだ分からないが、もし豊島クラスを五人揃えたのだとしたら(正直、本当に豊島クラスの若手など五人もいないけれど)、それは注目するべき戦いになるだろう。
人間としてはもしかしたら勝てるかもしれないと思ってしまう。しかし、冷静に現実を考えると、ベストメンバーでも人間が勝ち越すのは難しいというのが妥当と言わざるをえないのではないだろうか。
具体的な数字を見るのが一番てっとりばやい。
電王戦のコンピューターの(引退棋士の米長を一応除外した)人間に対する通算成績は、七勝二敗一持将棋。勝率は777である。
今回のプロ棋士がバランスよく平均的なプロ棋士集団であることを考慮すれば、プロ相手の通算成績と考えても構わないだろう。
人間ならば新人のうちだけ驚異的な数字を残してその後に勝率が長期的に低落していくこともある。しかし、ソフトは人間と違って今後強くなることはあっても弱くなることは決してないのだ。
人間のプロ棋士でこんな勝率の者などいない。
いや、一人だけ気になる棋士がいる。羽生善治。現在の通算勝率が722である。
しかも、羽生の場合はほとんどの期間をトップクラス、若い精鋭とばかり指してこの数字である。つまり、プロの平均的な相手に対する数字ではないので、実質的にはもっと数字は高いはずである。多分今のソフトと同程度になるはず。(はい、また羽生オタのおなじみのアレが始まったかとつっこんでいいところです。)
冗談抜きに、羽生が本気でソフト相手に戦ったらどうなるのかは誰だって見たいだろう。
しかも、羽生は危機意識もすごくて、「もしソフトと戦うならばプロ棋戦を一年休場しないといけない。」とまで述べているのである。
いや、現在タイトルを保持している渡辺や森内だって楽しみだ。終盤力について渡辺は羽生にも負けないものを持ちあわせているし、森内も持ち時間が長ければほとんど終盤で間違えない。さらに、二人とも徹底的で用意周到な序盤準備という点で共通している。
だから、羽生、森内、渡辺の三人とも、やはりソフトと戦ったら期待できるし大注目になるだろう。
問題はソフトと戦う時期を既に逸したのではないかという点である。
電王戦は一応来年で打ち止め。その後については谷川会長と川上会長の話をきくと、来年の結果次第ではタイトル保持者とソフトの団体戦ではない番勝負を含めた戦いの可能性も一応否定はしないという感じだった。
つまり、仮に実現するとしても再来年以降である。
再来年だって?その頃にはソフトはどれだけ強くなっていることやら。今年のコンピューター将棋選手権を見てもソフトは呆れたことにまだ着実に強くなり続けている。基本的には今のやり方のままでも、まだ数年このまま強くなり続けそうなのである。
その再来年以降の時点で、羽生や森内や渡辺にソフトと戦えとは、少なくとも私はとても言う気にならない。
正直に言うと、彼らの出番があるとしたらギリギリでももう来年が限度だったような気がするのである。
最初に言った通りに、残念ながら人間側のソフトに対する指し手が、一手一手常に遅れて後手後手にまわってしまった。
余裕で堂々と構えて横綱相撲をとろうとしたら、大作戦負けに陥り、さらに相手は中終盤力も鬼のようでもはや手遅れ。島朗なら、もうとっくに投了している。
先に述べてきたような具体的事情を考えると、
やむをえなかった面もある。ソフトが予想以上の速度で強くなり過ぎたのだ。
残念ながら、チェスのカスパロフvsディープブルーのような晴れ舞台をつくる機会を将棋界は既に失ってしまったかもしれないのである。

さて、ここまでが「現実的」な話である。こここから私が本当に言いたいことを書く。突然言う事が変わっても驚かないでいただきたい。
電王戦に出場しリベンジマッチも行った菅井竜也が(表現は正確ではないかもしれないが)こんな意味のことを述べていた。
「確かにソフトは強いのですが、十年後には逆に人間がソフトより強くなっています。そのイメージも出来ています。」
「常識的」に考えればバカなことをいうなという事になる。何をドンキホーテのようなことを言っているのだと。
しかし、実は私は菅井の意見に全面的に賛成なのである。
ソフトは人間とは全く別の方法で着実に強くなっている。恐らく現時点では人間を抜いているしここしばらくはその状態が続くだろう。
そして、普通に考えるならば、機械はそのまま強くなり続けるが、人間はそういかずミスだってあるし歳もとるという話になる。
しかし、機械に出来ることはあくまで機械にできることである。対して人間の学習能力と発展能力は無限だ。だから、今のソフトから謙虚に学んでその強さや指し手に慣れて適応することは決して人間には決して不可能ではない。
例えば具体的には今のソフトは終盤が恐ろしく正確で強い。なおかつ、実は人間の感覚では思いつかない妙手をなんの先入観もなくソフトはいともたやすく提示してくる。それに今のところ人間はやられてしまっている。
しかし、それは単に現在の人間の終盤レベルがまだ十分ではなかっただけである。ソフトと徹底的に戦って終盤の自由な可能性と発想に人間が慣れれば、時間をかければいつか人間はソフトに対応できるようになるはずだ。
例えば、野球で昔は150キロ台のストレートを投げる投手はあまりいなかった。今はたくさんいるが、打者は対応できるようになっている。それは、マシーンを使えばその程度のスピードのストレートで練習して慣れることができるからだ。人間の適応力をみくびっていけない。機械にはない能力なのである。
だから、長期的には現在一番ネックになっている終盤力人間はソフトに対応できるようになるはずだ。原理的には。
さらに、序盤についても述べたようにソフトの自由な発想に人間が学ぶ環境が出来つつある。こちらについては、さらに人間の得意分野だ。機械より突きつめたところでは人間の方がよりレベルの高い序盤を構築する可能性が十分ある。
あくまで、現在の人間の序盤の技術や能力がまだ伸びきってもないし完成もされていないだけ。これもソフトの力を素直に借りれば、むしろ伸びしろでは人間が圧倒的に優位にあるはずだ。
菅井の具体的イメージは分からないが自分なりに考えてみるとこういう事になる。
単純な話である。人間の可能性は無限、機械の可能性は有限。もし人間が能力をすべて発揮したら、それこそ「十年後」にはソフトより強くなっているのはむしろ当然だと私は思う。
バカを言うな、チェスを見ろよ、既に人間を超えてしまって長いがもう追いつく見込みはなさそうではないかと。それは、チェスではもう機械に勝てないと人間が信じこんでいるからだ。そう信じている限り決して勝てるようにはならない。
菅井竜也は絶対的に正しいのである。

(タッグマッチなどについての話題は回を改めて書く予定です。)

菅井竜也の電王戦リベンジマッチ雑感

何せ大変な長時間の対局だった。将棋の内容やニコ生タイムシフトをある程度確認してから書こうと思ったが、全てを把握するのは到底無理。あくまで私が観た範囲でのゆるい雑感に過ぎないことをあらかじめお断りしておく。
対局前にもニコ生に菅井竜也が登場していた。いかにもピリピリした感じである。菅井は今時の若者には本当に珍しく、ギラギラしていて野心的で攻撃的でつっぱっていて体裁をつくろったりしない。黒澤明の「椿三十郎」で入江たか子扮するお方様が三船敏郎扮する素浪人を「まるで、あなた様はむき出しの剣のような方ですね」と評するのだが、菅井にも似たようなものを感じる。
私のようなオジサンにとっては、その若さと輝きが眩しすぎてちょっと照れくさいくらいである。と同時にその今時珍しい感じが羨ましく何とも好ましいのだが。
菅井は長時間の対局にも関わらず立会人よりも入室して気合万点の臨戦体勢。全くペース配分など念頭にない様子である。むしろ、自分の限界にとことん挑戦してやろうといった感じ。しかも、菅井のその姿勢は翌朝の終局までずっと維持されたのだった。
戦型は大変意外なものになった。電王戦の時に指した菅井本来の振り飛車ではない。また、最近菅井がよく指している横歩取りでもない。居飛車でも意外な矢倉。大穴中の大穴である。もし賭けていたならベラボウに高いオッズがついただろう。
菅井は終局後に戦型について聞かれて、「別に振り飛車党になるために将棋指しになったわけではありませんから。」と例によって颯爽とつっぱって答えていた。
ただ事前のニコ生のPVで、菅井は自分の振り飛車の師匠筋にあたる久保利明と仲良く出演していて、振り飛車党の永遠の教祖大山康晴までひっぱりだされていた。誰だって振り飛車でのリベンジ劇を予想する。ところが平気でそんなものを裏切ってしまう強さが菅井にはあるのだ。久保は弟子筋の菅井の局後の言葉をどんな気持ちで聞いたのだろうか。
菅井が矢倉にしたのは、事前研究した上でもっともこれが勝ちやすいと合理的に冷徹に判断したからに違いない。矢倉でも右銀の動きを保留する特殊な形でこれがコンピューター対策である。コンピューター対策ではよく指されるらしい。
結果的には角と銀の総交換になった。菅井の歩損だが、攻撃の銀と習甦の守りの銀の交換で角も手持ちにして飛車先の歩もきれている。人間同士なら作戦勝ちとまでは言わないにしても先手の気分がいいしまずまずと言えそうだ。しかし、コンピューターはそんな事を全く気にしないしこういうところから勝つのが本当に大変なのだが。
そして、将棋の展開としても振り飛車と居飛車の対抗型のようなジリジリしたおしひきではなく、わりと直線的な寄せあいになった。だんだん分かってきたが、コンピューターにはこういう将棋の方が勝ちやすい。あくまで相対的な話だが、横歩などの方が振り飛車の対抗型よりはスキがある。今回は矢倉だったが人間にもチャンスのありそうな形になった。一応菅井の事前戦略はある程度奏功したと言えるのではないか。
しかし、将棋はまだまだ先が長い。菅井が▲5二銀など工夫の攻めを見せるが、当然ながらコンピューターは決して簡単には形勢を損ねない。恐ろしく粘り強いのだ。
夜のニコ生解説は中村太地と矢内理絵子だった。中村は昼のお祭りの際の浴衣姿のままでの登場だった。矢内が「かっこいいですね、完璧ですね。」とさかんに冷やかす。やれやれ、矢内理絵子もこうしてお姉さん的に中村をからかうような立場になったのかい。
中村が何か弱点はあるのかと聞かれて(まぁ、これもすごい質問だよね)、弱点だらけです、男子校だったのでものすごく人見知りなんです、と答えていた。また、高校生時代にはミスタービーンや「こちら亀有公園前派出所」の両津勘吉に似ていると言われたとも。
またまたこの答も、女性ファンやオジサンファン(なぜか中村にはオジサンファンも多いのだ)、に「かわいい」とか言われるのだろうな、などと限りなくしょーもないことを考えつつ私は心地よく寝落ちしてしまったのだった。その間も心身を削って必死に考え続けていた菅井には本当に申し訳ない。
そして(何がそしてだかよく分からないが)、私は翌朝五時少し前に目をさます。ニコ生をつけると、佐藤紳哉と飯島栄治が例によって例によっての調子で話している。いや、そうではなく何となく空気が重い。飯島の方は悲壮感さえ漂わせている。
習甦の△1二玉がまるで人間の感覚のような絶妙の早逃げで、コンピューターに形勢が傾きつつあるらしい。いや、もう最近は「人間かのような」という形容詞は無意味だ。これくらいの手ならコンピューターは平気で指す。画面に表示されているponanzaの評価値を見てもやはりかなりコンピューター寄りである。
まずい。この終盤の段階でコンピューターが優勢になったらほとんど逃すことなどないのだ。
というわけで、私も憂鬱なまま諦め半分で局面を追っていた。ところが、菅井が必死に粘っているうちに局面がおかしくなってくる。菅井が馬をたたききって力強く▲3四銀と出たあたりでは、素人目にも人間がいけそうになった。まだ先手玉は安泰で、後手玉に対しては攻めが続きそうだ。ponanzaの評価値も急接近した。
ツイッターでは糸谷哲郎と某有望関西若手棋士が精力的に解説してくれていて、糸谷もようやく希望的な観測を述べ始めた。これだから将棋は分からない、早起きしてよかった、と私も前日のダラシない寝落ちのことはすっかり忘れ果てて俄然元気になってきたのであった。
但し、この辺の時間が微妙だったのが結果的には将棋に影響を及ぼすことになる。丁度朝の6時台で朝食休憩が7時から。そこまでいけば菅井は休憩時間の一時間でじっくり考えることができる。ところが、局面はいきなり寄せに行くか千日手を目指すかという判断を要するものになっていた。菅井は前夜の苦しい戦いで時間をつかって残りの時間がほとんどない。ゆっくり考えないですぐ決断しないといけない。
結果的には▲3二飛成としたのが敗着になってしまったようだ。あそこでは▲4三金と露骨に千日手を目指す順もあつたし、糸谷がツイッターで▲2四歩といういかにも筋のよさそうな攻めも指摘していた。
しかし、局後の感想によると菅井は焦ってしまって、攻めがつながるか成算がもてないまま、なおかつ千日手に出来るかどうかも分からないまま飛車をきってしまったらしい。
その瞬間、冷酷にponanzaの評価値がコンピューターよりに開いた。だが、菅井のこの時点での疲労を考えたら誰も責めることはできないだろう。
これがもう少し菅井が時間を残していたら、そしてこの決断の場面が7時の朝食休憩になったら。全ては結果論である。
とは言え、まだ菅井が絶望的というほどの局面ではない。何か食いついて攻めをつないだり粘る手段もありそうだ。そういった状態でようやく7時の朝食休憩に入った。菅井にとってここで一時間考えられるのは大きい。
というわけで、私も寝ぼけ眼で顔を洗ったり歯を磨いたり食事をしたり朝の用事をすませて、やれやれドッコラサと、パソコンの前に戻ってきて驚いた。棋譜コメントを見るとこう書いてあるではないか!
「7時2分、菅井が席に戻ってきた。菅井は朝食を注文しなかった。」
なんという菅井の意志の強さだろう。いやそんなものを軽く通り越してしまっている。
8時になって対局再開。菅井も一時間考えて落ち着いただろからまたひと粘りしてくれるかな?祈るような気持ちでまた観戦し始めたのだが…。
しかし将棋の神様は冷酷だった。習甦の△2五角が絶妙の好手。一分将棋の菅井は対応できずに以下はどんどん形勢が開くばかりだった。菅井はそのあたりの着手でちょっとあわてた感じだった。多分朝食を抜いての一時間の熟考が全て水泡に帰してしまったのだろう。何という残酷な時間。
最後の習甦の△3三金の決め方も実に強くも憎たらしくも冷静である。銀が入れば先手玉は詰めろになる。こういう手を当たり前のように指してくるのだから本当に困ってしまう。厳密には飛車きり以降に菅井にチャンスはなかったようだが、それでも仕上げの段階のコンピューターは強すぎた。
一方の菅井は、普段の対局だったらもう少し終盤で抵抗できたはずである。何といっても長時間の対局の末のこの時間切迫の終盤は過酷すぎた。まさしく、矢尽き刀折れて散った感じである。
それでも局後の菅井は、やっぱり毅然としていた。眩しかった。
翌日は天候が大荒れで雷をともなって大雨が降り注いだ。まるで菅井竜也の涙雨のように。

――菅井クン、お願いだからそのギラギラしたところをいつまでも失わないでください。

将棋における人間とコンピュータ雑感

将棋における人間とコンピューター雑感
続・将棋における人間とコンピューター雑感

最初の記事を書いたのが六年前、二番目の記事を書いたのは四年前である。
どちらも今ほどコンピュータが人間を追いつめてはいない状況だった。別に自分の先見の明を誇るわけではないが、ある程度は現在の状況を言い当てているはずだ。いや、原理的に当たり前のことを書いただけなので外す方が難しいとも言えそうだが。
最近の電王戦では、人間とコンピュータの共存共栄が叫ばれている。それには様々な側面があり、例えば人間が実際に生活していくのをコンピュータが手助けするという意味もあるだろう。
私が以前書いた記事で別の側面から主に述べたのはこういう事だ。人間は一見自由な存在に見えるが、実は生まれ育った環境(地域・風土・民族・国家等)の習俗制度教育によって徹底的に縛られていて、その思考も感情も意志も実は自由でなく機械的に反応していることが実に多い。いや、ほとんどそうだと言っても過言ではない。
将棋という純粋な思考の世界のゲームの世界でも、その人間のそうした無意識の被規定性のせいで、本当の意味では自由に考えられていない可能性がある。
一方、コンピュータは機械で本来自由ではないのだが、そのかわり全く先入観がない。環境によって汚されてないし思考のバイアスも存在しない。だから、コンピュータ将棋は「究極の外国人」として、人間の思考の癖や盲点を明示してくれる可能性もある。
その事で人間は自らの限定性を自覚して、コンピュータの力を借りることで人間本来の自由に到達できる可能性があるのではないか。
やや、大風呂敷をひろげながら、そのような「未来」を楽観的に予測してみたのである。しかし、正直に言ってコンピュータ将棋がそこまで人間に具体的に役に立つのかは疑心暗鬼だった。
ところが、コンピュータ将棋の進歩は恐ろしいまでに迅速だった。私が何の進歩もないままのうのうと六年間を過ごしている間に、もはや夢物語とも言えなくなりつつある。
具体的にはコンピュータ将棋が次々に人間将棋の定跡を塗りかえつつある。三浦弘行と戦ったGPSの新手、名人で森内俊之が採用したポナンザ新手、そして今回YSSやポナンザが指した横歩取りでの△6二玉型。どれも、人間の先入観を排した発見だった。人間が習慣的に正しいと信じ込んできた「定跡」に新鮮な目でコンピュータが再検証の作業を進めている。まさしく、人間の不自由な思考を先入観のないコンピュータが指摘しているのだ。
豊島将之がコンピュータと数限りなく指した上で学んだと述べた事も大変印象的だった。
まず、従来豊島は序盤重視だったが中終盤の重要性をコンピュータから学んだという。人間の現代将棋は研究全盛で、序盤を深く研究すればある程度勝つ可能性を高くできるとされてきた。研究しないとあっという間に負けてしまう。
ところが、コンピュータは今でも序盤はさほど精緻ではないのだが無難に序盤を乗り切れば、その圧倒的な力によって人間を中終盤で逆転したりねじ伏せたりしてしまう。豊島も練習で痛い目にあったらしい。
つまり、人間が序盤を徹底的に解明すれば後はある程度勝ちやすいというところまで将棋を進化させたと自惚れていたところに、コンピュータが「いや、中終盤はもっともっと奥深いものだし将棋はそんなに簡単なものではないよ」と異議申し立てをしたのである。
豊島もそもそもその深くて徹底的な序盤研究でのしあがってきた典型の棋士だが、その豊島も根本的に考え方を改めたというのである。
(念のため付言すると、人間も中終盤力の重要性はもともと十二分に認識していた。豊島も序盤だけでなく「中盤終盤と隙がない」棋士である。しかし、コンピュータはそれにもまして中終盤が深くて、現在の人間のレベルよりもより正確性が必要な事を人間に思い知らせたという意味である。)
また、豊島は従来中終盤を形にはめて考えてしまいがちだったが、コンピュータにもっと中終盤も自由に考えるべきだと学んだとも述べている。
特に将棋の終盤は指し手の必然性の度合いが高まって人間が自由に指せる可能性が低くなるというのが「普通」の考え方である。しかし、豊島はコンピュータの形にとらわれない中終盤の指し手に驚いて、もっと柔軟に自由に考えなければいけないと思ったというのだ。
まさしく、人間の思考の癖を何の偏見も先入観もないコンピュータが正した一例と言えないだろうか。

最初の記事では小林秀雄の「考えるヒント」の「常識」の中から小林と中谷宇吉郎が「棋の神様」をめぐってミニ漫才をしているのを紹介した。
それ以外に「メールツェルの将棋差し」の話も出てくる。十八世紀の中頃に将棋(チェス)
を指す自動機械が現れて人間に対して連戦連勝した。それをエドガー・アラン・ポウが、機械には人間のような判断ができるわけがないので、中に人間が隠れていると確信し、その人間が隠れるトリックを解明したそうである。
小林秀雄はそれを受けて、将棋というのはあれかこれかを判断しなければいけないから、単に電子計算機をどれだけ大型にしても不可能だ、それが「常識」というものだという結論に結びつけている。
言うまでもなく現在では小林のこの結論は間違いだ。人間にしかできない「判断」を現在のコンピュータソフトは「評価関数」を用いて数値化して「判断」できるようになっている。
いや、厳密には人間の「判断」とは違う。あくまで数値化する関数を作成してその点数が一番高いものを自動的に選択しているわけである。
だから、小林の「常識」も根本では間違っていない。コンピュータは選択する自動作業は行っても、人間のような本来の意味での「判断」はしないので。
つまり、小林が間違ったのは「判断」という言葉の適用範囲である。人間の判断というものも、実は自由なものではなく単なる機械的なプロセスに過ぎない場合も多い。将棋の人間の判断思考にしても、それを徹底的に言語化して明らかにすると、駒が得で玉がかたくて駒が働いていて等々コンピュータの言語に翻訳可能なものがほとんどなはずである。それを人間は全てをいちいち意識化はしないで行うだけで。
だから、突き詰めて考えると人間の本当の「判断」と言えるものが何なのかは通常考えられているほど自明ではない。
そして、コンピュータ将棋が人間の思考ほどは柔軟で精緻ではないにしても、ある程度それを言語化して評価関数にすると、むしろ人間の思考の癖や限界を明らかにできる可能性だってないとはいえない。
勿論、両者の思考法は基本的には全く別種なのだが、両者が共有できる「指し手の正しさ」の度合いによって、コンピュータが人間の思考の盲点を教えるのは不可能ではないし、実際に最近のコンピュータ将棋はそうした事を行い出しているのである。
そして、究極的には人間が自らの本当の「判断」とは何かをしる契機も与えてくれるかもしれない。

さて、今まではコンピュータ将棋の肯定的側面だけ述べてきた。現在、コンピュータ将棋は実力的には既に人間のプロと互角か上回るかのレベルに既に達している。但し、現在のコンピュータ将棋が「将棋の神様」レベルに近づいているかというとそれは明らかに否だと思う。
今回の第五局が象徴的だったが、コンピュータが本当に正しい理想的な手順で勝っているかは大変疑問なのだ。△1六香や角を詰ましにいった順は人間的にはきわめて筋悪である。しかし、それは人間の偏見で理解がまだ及ばないだけでああいう指し方が本来正しいのだ、と言われてもそれは疑問のように思える。
つまり、あの順というのはああすれば負けにはなりにくいという順であって結果的にはコンピュータが体力勝ちしたが、実際にはあのあたりでポナンザ自身も評価をさげている。
人間が見て異筋なだけではなく、コンピュータ自身もあの指し方が素晴らしいとは言えない事を(コンピュータらしく率直に)認めているのだ。
人間の理解力には限りもあるし先入観もあるが、しかし全く間違っているわけではない。現在のコンピュータ将棋は、大変力は強いのだけれども時として粗暴で未完成な側面もみせるのである。それでも、圧倒的な力があるので結果的には勝ってしまうのだが。
よく言われるように「評価関数」についても、人間プロとコンピュータでは全く違う。これもどちらが正しいかは水掛け論になってしまうのだが、冷静に客観的に見てコンピュータの評価が激変して人間の判断の方が正しかったという事も多い。逆に実はコンピュータの評価が正しかったという場合もあるが、多分まだその種の判断では人間の方がまだ正確なのではないかと私は考えている。
(これも一応付言すると、それも人間の先入観だと言われてしまえばどうしようもないのだが。)
つまり、少なくとも私は現在のコンピュータ将棋をこう捉えている。
現在のコンピュータ将棋は、将棋の神様の完璧とは程遠いところにある。しかし、圧倒的な物量の思考力でその感覚的な弱点や鈍感さといった弱点を楽々と補って既に人間を凌駕しつつあると。
但し、従来と比べると評価関数の評価も格段に正確になったし序盤の弱点もかなり解消されて進歩の途上ではあると。
しかし、本質的なところで言うと、もしこのまま新たな技術上の大きなブレークスルーがない限り、感覚的な弱点を物量で補うという基本形式は変わらないような気がする。
だから、前半で述べたようにコンピュータは人間の先入観を正すという批判機能は果たせても、新たな将棋の積極的な価値は生み出さないままこのまま強くなり続けるのではないだろうか。
もっともそういうコンピュータに負けつつある人間側の将棋も、まだまだ不完全だと認めざるをえないだろう。
将棋の神様とは程遠い二つの存在、人間とコンピュータがお互い不完全なまま競い合っているのが現状だと言えなくもない。
誤解しないで欲しいが、人間のプロ棋士やコンピュータのプログラマーを侮辱したくてこんな事を言っているのではない。両者とも大変真剣に人間の叡智を傾けて努力しているのは誰でも知っている。
そうではないのだ。現在のコンピュータ将棋は、現在の人間将棋ひいては人間そのものの未熟さを映しだす鏡なのである。その事で人間将棋が自らを知ることが本当に最近具体的に可能になっているのだと実感する。

コンピュータ将棋には偏見や先入観がないと再三再四述べてきた。羽生善治は人間ではもっともクセのない棋士である。無個性が個性であって、決して指し手が固定した形にとどまらない。いわゆる「羽生マジック」も決して奇をてらっているのではなく、単に先入観で指し手を決めないだけである。
羽生が人類最強なのは決して偶然ではないような気がする。コンピュータという先入観のない鏡の力を借りて、人間の側も無駄な個性や自己主張やエゴを捨て去ることで進化していくのかもしれない。
最後はやはり羽生ファンの妄言になってしまった。もうやめよう。

電王戦第五局 人間屋敷伸之の将棋とコンピュータの将棋

電王戦が終わった直後からずっと体調を崩していた。あれは電王熱だったのだろうか?もう一週間以上経過してしまって今更感が強いのだが、今年の電王戦の全ての将棋について書いてきたので第5局についても振り返っておく。
屋敷伸之がいつも通りクールに登場。屋敷はプロ棋士の中でも最も感情面が安定しているタイプだと思う。
屋敷で忘れられない話。屋敷がまだ奨励会時代で若い頃、後輩の鈴木大介と一日中二人で対局し続けたことがあった。実力的には当時屋敷が上で何度やっても鈴木は勝てない。意地になった鈴木がそれでも挑み続けたが屋敷は全くゆるめてくれず鈴木はひどい目にあった。プロになってからもそのトラウマからか屋敷になかなか勝てなかったという。
その時の話について聞かれた際の屋敷の弁がふるっている。「あぁ、なかなかやめないなと思っていました。」と例のニコニコ顔で。普通ならあまりに相手が勝てなかったら少しは手加減したくなるだろう。ところが屋敷はあのニコニコ顔で平然と鈴木を負かし続けた。屋敷といえば棋士の中でも温和な人格者で通っているが、なかなかどうしてそのプロとしての勝負師根性はたいしたものだ。
しかも、屋敷の場合は意地悪して負かし続けるのではなく単に冷静に「なかなかやめないな。」と考えて相手を痛めつけ続ける事ができる人なのである。
電王戦PVに米長邦雄が登場して、コンピュータと戦う場合に、気合いでとか勝とうとかしてはよくないと述べていた。米長が実によく分かっていた先見の明に驚かされるが、屋敷こそコンピュータ相手向きの棋士とも言える。あくまで冷静にその局面での最善手を積み重ねてゆくプロフェッショナル。
将棋は相掛かり風の出だしから横歩取りに。屋敷はこうした方が横歩に誘導できる確率が高いと事前研究していたのかもしれない。屋敷らしく、きちんと冷静に序盤の準備を進めてきた感じがして頼もしい。
コンピュータは、横歩と角換わりだと他の戦型と比べてやや指し手の精度が落ちるというのがプロ共通の見方のようだ。あくまで相対的な話であって、それでも恐ろしく強いのだが。
第三局の豊島と違い、屋敷は横歩の「青野流」という早めに▲5八玉とする形を採用。プロでも最新流行の課題型である。
そして、ポナンザはまたしても△6二玉。第三局と形は違うが。ポナンザはアマチュアのチャレンジ企画でもやはり△6二玉を指していたそうである。
人間の将棋では、後手玉は△5二玉と中住まいにしてバランスを保つか、あるいは△4一玉として中原囲いにするかが玉の位置の常識である。
しかし、どうもコンピュータは総じて△6二玉として左に囲うのがよいと判断しているらしい。確かにそれは立派な考え方であって、もしそれで問題ないならコンピュータが人間定跡の常識に疑問を投げかけている一例と解釈できるのかもしれない。
実際、直近の将棋で菅井竜也は第三局の形から△2三銀を入れてからの△6二玉を、豊島将之も△5二玉△2三銀としてからの△6二玉を試している。もともと人間でもあった形ではあるのだが電王戦で本格化した感じた。まるでタイトル戦で指された手が流行するように。
(但し第三局のあのタイミングでの△6二玉だけはないようだ。あれは敗着でも悪手でもないという事だったが、やはりあそこでわざわざ▲2一角と打たせるプロはいないのではないかしら?)
その後も屋敷の指し手ははやい。この△6二玉以降の展開もある程度予想していたようである。ツイッターで西尾明もこのようにつぶやいていた。
私が連盟でponanzaと指したときと23手目まで同じ将棋で笑ってしまった。そのときは偶然にも勝てたが。屋敷九段も当然念頭に入れてある局面だと思います。
しかし、△2六歩と垂らされたあたりで屋敷の手が止まる。なるほど嫌らしい悩ましいよい手だ。やはりポナンザは強い。やはりずっと研究通りというわけにはいかないのが将棋である。
以下、さばきあって屋敷、飛車とポナンザ、金桂香の三枚換えに。屋敷にとっては大変大きい駒損なのだが、後手は遊んでいる駒も多いので駒の効率で勝負という人間らしい大局観である。そして、驚くべきことにこれだけ駒得していても現在のコンピュータは決して楽観せずそれなりに難しいと理解しているようである。基本的にコンピュータ有利の評価値だったが、駒得ほどは離れていなかった。
午後になって渡辺明がゲストで登場。いきなり、「意外にここは狭いっすね。」「それに暑いし。」とネガティブつかみで笑いを取っていた。ヒールっぽくふるまいながら決して憎めず笑ってしまう独特の芸風?を確立しつつある。
コンピュータはやはり自分が有利と判断していたが、渡辺等の検討では人間もまだまだやれるのではないかという評価だった。▲6五桂のところでじっと▲6八銀としまる手を渡辺は推奨していていかにもプロらしいよい手なのでさすがだと思った。関西で検討していた糸谷哲郎もやはり▲6八銀おしだったようである。
屋敷は▲6五桂としたが、これも悪いわけでなく本譜のように△5四金から取りにこられるのが気になるが金を打たせて重くするという終始一貫した方針とも言える。というわけで後手ポナンザの駒得はさらに広がった。
そして驚きの一手△1六香がきた。
これは人間のプロ棋士には絶対指せない手である。渡辺が言う。
「これで負けたらねぇ。△1六香は人間には絶対考えないですからね。観戦記者の方に△1六香を聞かれたら、そんな手はないでしょうと答えますからね。普通に考えると悪い手です。だから、これがもしいい手だったらコンピュータは相当強いという事になります。」
人間にとっては感覚的にはありえない手、将棋でこういう手は指してはいけないと教わる手、分かっていても恥ずかしくて指せない手なのだ。
たまたま、この手の時にポナンザ開発者の山本さんの表情が映し出されていた。どう思われているのでしょうがと聞かれて、渡辺「マジっすか」という感じですか。これには笑ってしまった。山本さんは将棋もかなり強いのでこの手がどういう意味なのかもすぐ分かるはずなので。
しかし、局後屋敷はこの△1六香もやってくるかもしれないと思ったそうである。やはり練習でコンピュータの異質性をよく理解していたようだ。解説の深浦康市も「ちょっと穿った見方かもしれませんが、屋敷さんは練習で大駒をエサにするやり方を学んだのかもしれませんね。」と述べていた。
本局は今回の電王戦を通じても内容的に一番人間将棋とコンピュータ将棋の質の違いが端的に出た。
その後も驚きの順は続く。何とポナンザは角を詰ましにくる順に出た。持駒を投資してさらに駒得は拡大できるが人間的には決して筋はよろしくない。
もしも弱いアマチュアがこれをやったら、「将棋というのは角ではなく王様を詰ませるゲームなんですよ。」「こんな役に立たないところにベタベタ駒を打ったら美しくないでしょ」なとど優しく酷評される事請け合いである。
佐藤康光もあまりのことに角の五手詰がとけなくなってしまう有様だった。
しかしながら、実際問題としてこのあたりのポナンザの指し方は決して間違いだったとは言いきれない。それが人間にとってはつらいところだ。やはり駒損は大きくて体力勝負負けしてしまうかもしれないので、このコンピュータの異筋で筋のよくない指し方も決して切り捨てる事ができないのだ。
もっとも実はポナンザ自身もこの辺の指し方に確信を持っていたわけではないらしい。山本さんが自戦記(前半後半)を書かれているが、この辺りでは評価が落ちてきていて、山本さんも不安になっていたそうである。
それは逆に言うとある意味すごいことでこれだけ駒得していてもそれほど簡単ではないのをポナンザ自身が理解していたことになるので。
その状態で△1六香、角の詰ましに続く驚きの第三弾が。△7九銀である。
これまた人間的には筋悪もいいところなのだ。弱い人間がやったら「王手は追う手、玉は逃さないように下段に落とすのが基本です。」とまたしても注意されてしまうだろう。佐藤も深浦も真意をつかみかねていたし、渡辺もあまりにも寄せが薄すぎると感じたようである。それが人間の感覚、直感というものである。いや、プロじゃなくても素人にも普通ない手だと経験的にすぐ分かる。それくらい違和感のある手なのだ。
ところがよく調べてみるとこれも決して悪い追い方ではなかった事が判明する。どうにも困ったものだ。さきほどの△1六香や角詰ましはまだ本当の終盤ではなかったが、こういう最終盤だとコンピュータはもうほとんど間違えない。人間の感覚や読みがそれに追いつかないだけ。山本さんまでもこの追い方はコンピュータの水平線効果が出たのではないかと危惧されたそうなのだが。
それでも、実はまだここまできてもまだ局面は難しかった。これはどれだけ賞賛しても足りないが、ここまで屋敷が粘り強く局面の均衡を保ち続けることに成功していた。恐るべき超人的な強さなのである。これだけ指せるプロはどれだけいるか分からず、やはり屋敷の実力が本物なのは証明していたと思う。
しかし、しかしながらだ。将棋はどれだけよい手を積み重ねても終盤で一手間違えると一気に奈落の底に落ちる。▲8一成香がウッカリで△8三歩とされてジ・エンド。
人間にはトッププロであっても常にこれがある。だって「人間だもの」(みつを)。
ところがコンピュータはどれだけ時間が切迫してももう決してこの種の大きな落手は犯さない。
というこれまた人間とコンピュータの違いを象徴する形で勝負がついてしまった。
屋敷の対局姿はこれまたかっこよかった。常にクールに感情を乱さずに盤上の最善手のみを追求する姿はまさにプロフェッショナルだった。
本局は内容的に一番人間とコンピュータの将棋の違いが出た。なおかつ、人間的には感覚的には到底容認しづらい指し方をコンピュータがしても将棋を成立させてしまうおそるべき力技を人間にみせつけたのである。ある意味、きれいに負かされるよりも人間にとってはショッキングな内容だった。
渡辺明はブログで、「とんでもないものを見た、という気分です。」と渡辺らしく率直に述べている。
電王戦の総括についてはまた改めて書きたいと思う。
最終盤でこんな会話があった。
深浦「この△8三玉の形は佐藤先生、何となくお好きじゃないですか?」
佐藤「何か皆さん私の将棋を勘違いされてないですか?」
そう、あの佐藤康光でもコンピュータ将棋にはとてもじゃないがついていけない。本局はそういう将棋だった。

電王戦第四局 森下卓と戦った森下卓

まず、第三局の補足から。船江恒平の観戦記、豊島将之の自身のツイッターでの証言などがアップされた

第3回 将棋電王戦 第3局(筆者・船江恒平 将棋棋士五段)
マイナビ 人間が勝つ鍵はどこにあるか「第3回将棋電王戦」第3局 - 豊島七段・会心の勝利に見えた横歩取りの深淵なる世界 (1) これまでの電王戦にはないオープニング
豊島七段のツイッターでの発言(アカウント 西遊棋実行委員会で)
(△6二玉について問われて)
62玉は有力な手の可能性もあると思います。少なくとも私は数時間はこの手について考えていますが、悪手と断定することはできません。
船江は△6二玉が敗着ではないと断言している。さらに、豊島自身は敗着どころか悪手と言うことすらできないと述べている。マイナビの記事によると、豊島が船江に△6二玉の後の変化を50手ほど説明したが、それでも豊島は結論が出ずに難しいと説明したという。
そして、豊島が△6二玉について数時間程度考えたというのも意外だった。もっと△6二玉を重点的に徹底的に調べたのかと思ったので。
とはいえ、プロが数時間考えるのは大変な事で実際一つの変化を50手先まで掘り下げている。但し、あらゆる変化を隅から隅まで調べ尽くすという感じではなかったらしい。実際、豊島は△3一銀では△4四角を本線に考えていた。
つまり、豊島は△6二玉があるのは知っていたがその直後に自分の研究から外れてその後はほとんど自力で指し進めたわけである。
その意味で、イメージと違って豊島は△6二玉に対してほぼ実戦だけで考えて一局全体を指しきったことになる。▲2一角を研究はしたがあれは研究しなくてもプロなら誰でもすぐ見える手なので。

第四局の舞台は小田原城。森下卓は和服姿で登場した。全く緊張している様子はない。それどころか、この大舞台を楽しもうとする余裕のようなものさえ感じられた。さすがに修羅場をくぐりぬけてきたベテランである。
他に登場した若手も度胸はそれなりに座っているが、ここまで強烈な存在感を放射してはいなかった。電王戦でこういうのは米長邦雄以来だろうか。昔の棋士には大変濃い人間味があったが森下は本当にギリギリその最後の世代なのかもしれない。
それにしても、佐藤紳哉にしても今回の森下卓にしても、正直言って普段はここまでは棋士の魅力を感じなかった。電王戦効果の一つだと思う。
ツツカナの先手で後手の森下は得意中の得意の矢倉を受けてたった。事前に宣言していた通り特別な策を準備するのでなく、普段人間と指すのと同じように。
ツツカナの方は▲1六歩が少し早い。現代では飛車先をつかない矢倉で▲4六銀▲3七桂と攻撃態勢を整えるのが主流。そうしないで、▲2六歩やこの端歩二手を優先するのが加藤一二三得意とする「加藤流矢倉」である。
加藤流は現在は少数派で飛車先を突くのを保留して形に含みを持たせる「飛車先不突き矢倉」が現代的な考え方である。
ただ、▲8八玉や▲2六歩を先にするのが加藤流では多い。だから、ツツカナは加藤流の定跡を採用したのではなく、恐らく既にここでは定跡入力をきってあってツツカナが自力で指していたのだと推測される。
そしてツツカナはさらに▲1五歩と早々に端歩を突きこした。プロでは大変珍しい。しかし、端を先に取るのが大きいと考えるのも立派な考え方なので、ここら辺も最近のコンピュータソフトが人間定跡を根本から洗い直している一例とも言えるのかもしれない。
但し直後に▲4六銀と出たのは人間の感覚だとややバランスを欠く。端をとった上にこの銀や桂馬を使おうとするのはちょっと欲張りすぎで図々しいのだ。午後にニコ生に登場した本家の加藤一二三もこの▲4六銀は問題なのではないかと指摘していた。
コンピュータらしい自由な発想だが当然後手は△4五歩と反発して矢倉を盛り上がってくる。プロの感覚だと恐らく矢倉の後手ならまずまずと考えるのではないだろうか。矢倉は基本的に先手が主導権を握って猛烈に攻めることが多いので。プロでもひたすら攻めまくられるのはあまり嬉しくないのだ。
以上述べたような微妙な「感覚的」な判断はコンピュータには理解できない。だから、今回の第三局まで全てに言えるが基本的には人間が最低でも少し作戦勝ちまでにはこぎつける事ができた。
ところがコンピュータはその後に駒がぶつかりあうと突然やたら強くなるのだ。もうその辺の素人では相当作戦勝ちできても全く無意味になってしまう。いや、最近はプロでも似た感じになりつつあるのが恐ろしい。

小田原城では丁度「おでんサミット」を開催していた。現地では理事の片上大輔やレポーターの藤田綾がおでん試食レポーターをつとめている。
昔「おれたちひょうきん族」で、片岡鶴太郎がたけしに熱いおでんを食べさせられる定番ネタをやっていた。片岡が後ろから羽交い絞めにされて、沸騰していうるおでんを「ちょっとそのガンモは」とか言いつつ最後は煮汁まで飲まされて「いい加減にしろっ」ときれるバカバカしいがつい笑ってしまうおなじみの展開。
そんな事になったら面白いなと思っていたら、
その後登場した高見泰地もやはりおでんを試食したら、たまたま?熱かったらしくて「あつつ」とまるでリアクション芸人のようなことを藤田綾とやっていた。まさかプロ棋士がひょうきん族をやる時代になるとは。驚きである。ちなみに、第四局観戦記担当の西村京太郎さんまでおでんを食わされていた。
さらに、ニコファーレでは御大加藤一二三や司会の山口恵梨子とともに、藤井猛と行方尚史が仲良くプリクラ写真に自動修正最大限のクリクリまなこでおさまっていた。プロ棋士が中心のバラエティ番組がおめみえする日はもはや遠くない。と思ったら、加藤一二三や桐谷広人は既にバラエティの常連なのだった。

そんなこんなの間にも将棋は進み、森下が気合よく先攻した。対するツツカナの▲2六歩が実に落ち着きはらった手。これを省略して端桂から急いで攻めたいところだが後手に早い手がないとみきっているかのようだ。行方もこれには驚き感心していた。現在では人間よりコンピュータの方が堂々として大きい指し方をすることもあるのだ。
さらに▲5六歩は最初から後手が突進してきたいところでなおかつ後手が歩切れを解消できるので、やはり人間の感覚では意外な手。コンピュータの指し手に悪手は少ないが人間にとっては感覚的には驚く手が多いので人間は指していてさぞ疲れるだろう。
以下進んで△6九金と打ったところでは先手の角が死んでいる。角金交換になるので普通に考えれば後手の森下がよいに決まっている。
コンピューターソフトは全般的に角金交換や角銀交換を平気でするところがある。コンピュータは駒の損得だけでなく駒の効率など総合的な基準で評価関数をつくっているのでこういう事が起きる。
特に最近のコンピュータソフトは単純な駒の損得以外を重視するようになってより強くなったのだが、実は昔からこの角金(角銀)交換をしてしまう傾向はあった。
今から七年前に渡辺明とボナンザが戦った際にも、渡辺はそれを知っていてその展開に持ち込むように狙った。実際はそうはならなかったのだが、ボナンザ開発者の保木邦仁さんなどは「そうなったら困ります」と述べたりしていたものだ。今ほどソフトが強くなかったのどかな時代の話である。
当時はソフトの単純な欠陥という事で話は済ませたのだが、現在はそうも言いきれなくなってきている。というのは、本局も後手は角金交換には成功したが、それでは実際に具体的にどうよくするのかというと大変難しかったので。
後手が良さそうだけれども全然簡単ではない。
先手の4筋5筋の位も大きい。歩も得している。だから、他の総合的な局面の要素も加味して考慮すると単純に角金交換でよいとは言えなくなりつつあるのだ。
コンピュータ将棋は単にたくさん読むだけでなく、そうした「大局観」(局面の捉え方)でも人間にとって脅威になりつつある。と言ったら言い過ぎか。
ここで後手はできれば一気に決めたいのだが、ニコ生や控え室で深く検討するとそんなにスッキリとは勝てそうにない。まして、森下はそのようにバッサリ斬りにいく棋風ではないのだ。
従って、森下は△4七金ともたれていったが、これまたコンピューターらしく▲2八角と辛抱されるとそんなに簡単に攻められない。もはや持久戦気味である。人間にとっては不安のある展開になってきた。

そのあたりでニコ生には加藤一二三が登場した。加藤は同じ話を何度も繰り返すところがあるが、電王戦で加藤を初めてみるファンも多かっただろうからよかった。もっとも加藤の話は桂文楽や古今亭志ん生の落語のように何度同じ「噺」を聞いても面白い。ほらっここでこうきた、あるいは今日はどんな感じで喋るのかなと楽しめるので、もはや古典芸能の域に達している。
加藤はもし来年も電王戦があれば出場を検討されているそうだ。その際に、「電王手くん」は熱に弱いそうなので加藤得意のストーブを相手に当てる刑の執行も考えているなどジョークも交えてと絶好調だった。すると、行方がすかさず「先生、あれ3000万円するそうですよ。」とつっこみ、これには加藤先生も「いやぁ」という感じで額に手を当てて笑うのだった。
ちなみに、ネットではそれでは対抗して電王手くんに滝の音を出す機能をつけたらどうかという対案が提出されていた。加藤はタイトル戦の際に滝の音がうるさくて何度も滝を止めている。
また、加藤と行方が対局した際に、加藤が後ろにまわって盤面を本当に見るのかという話題に。行方によると「別に迷惑ではなく、本当なんだなと感動した」との事。
他にも小田原市長が登場しておでんサミットこくち等熱弁を振るっていたが、その話が終わった瞬間にカメラがまだ現地のままなのに局面の事を話しだしたり、やはり藤田綾に好きなおやつを聞かれたら完無視でやはり局面について滔々と語りだした。
加藤一二三は心底将棋が好きでなおかつ根っからの自由人なのである。

加藤が登場して独演会を繰り広げているあたりが本局のポイントだった。
ツツカナの▲7七銀がコンピュータらしい驚きの手。後手はただでさえ△8五桂と跳ねてきたいところなのだ。森下はこれに幻惑されたのか△5八歩成。藤井が本局で疑問だったのではないかと第一にあげた手である。そして、弱い素人にも感覚的におかしいのはすぐ分かる。さらに、こういう人間側がちょっと自然でない感触のよくない手を指すとコンピュータソフトの評価値が必ずと言っていいほどすぐ反応するのだ。
本局でニコ生の評価値担当だったボナンザもこの手でコンピュータ側に評価が傾いたし、局後にツツカナ開発者の一丸さんもこの手で一番評価値が動いたと述べられていた。
わざわざ拠点の歩を消して駒を交換してしまってはもったいない。だから本譜のように△3八金とするのだがこの金がソッポに行ってしまっては普通は幸せになれないとしたものである。▲1七角と逃げられたら強引に香車を取って攻めに使おうというのかもしれないが人間的感覚だと「筋悪」であって、むしろこういう指し方は少し前までのちょっと弱いコンピュータが得意とするところだった。勿論よくないという意味である。
ところがツツカナは角を逃げずに角と金をアッサリ交換してくれる順を選んできた。これは人間側からするとラッキーである。遊んでしまいそうな金が角と交換できたのだから。
またしてもツツカナが角金交換してしまうクセがでてしまったのか。
藤井流の解説だと「すごい筋の悪いリーチであがっちゃったみたいな。」という事になる。
これは後手も何とかなったかと思ったのだが、それが冷静に局面を見直すと先手の陣形がすっきりしてしまっている。中央に位を二つはって伸び伸びとした形。歩も三歩手持ちにして、一方後手の森下は歩ぎれ(持駒に歩がない事)。
実は森下が歩ぎれになるのは大変珍しいのだ。森下は何か歩を突き捨てられたらよほどのことない限り「同歩」とありがたくいただく人だ。だから、森下の駒台には持ち歩が溢れることになり歩が五枚で業界用語では「一森下」と言われるくらいである。
さらに、そもそも先手の厚みのある陣形自体が実は森下好みなのだ。ニコ生に登場した長岡裕也もツイッターでつぶやいていた銀杏記者も「まるで先手が森下先生のように見えます。」と同じことを偶然述べていた。
これが本局では一番衝撃的な出来事だった。矢倉の達人の森下相手にツツカナがまるで森下のような指し回しをみせたのだ。人間のプロではなかなかこんな離れ業はできない。藤井も行方も言っていたがツツカナはソフトの中でも大変「人間的」な将棋を指す。本局のように中央に厚みを築いて圧倒する指し方は大変人間的なのである。行方はまるで往年の中原誠のようだとも表現していた。
森下卓は森下卓を相手に指すことを余儀なくされたのだった。
ツツカナが▲7八玉とじっと寄って自陣の金銀に近づけつつ端攻めから先逃げしたのも人間のようである。人間でも高段者くらいにならないとなかなかこんな手は落ち着いて指せるものではないだろう。
夕食休憩後の▲4四金も印象的で落ち着いたかと思うと突然攻めてくる。ソフトだから流れがないので一手ごとに何をしてくるか分からない。しかもこの攻めは的確だったらしい。以下はどんどんボナンザの評価値も開いて観戦側は何となくもはや諦めムードになっていた。
しかし△5五香がさすがの勝負手。▲同銀△3七角と進むと意外に難しい。いや、それどころかプロが寄ってたかって研究しても簡単にはツツカナ勝ちの順が発見できなかった。その間もボナンザは大差でツツカナ持ち。こういう場合、もはや最近はコンピュータを信用してしまうのだが、実はツツカナは去年終盤に大きなミスをしている。
だから、本当に先手勝ちかどうかが疑心暗鬼になったのだが、最後にツツカナが▲5四角と打ったのが決め手だった。藤井行方は結局この手を発見できなかったし控え室もギリギリになって誰かが指摘したようだ。
しかも、この手は詰めろなのだがそれも人間には(プロでも)簡単には分からない。結局行方が詰手順を発見して人間の面目を保ったが指したツツカナだけでなくボナンザもこれを指摘していた。瞬時にこれくらいの詰めろは読めてしまうのだ。全く恐れ入るというか困ってしまう。
第一局の習甦に続いてツツカナの快勝である。角金交換のあたりはむしろ後手がよいはずかもしれないが、そう簡単ではなくその後は完全に力でねじ伏せてしまった感じだった。
昨年と比べるとソフトは明らかに強くなってきている。二年連続負け越しになった事よりも将棋の内容がファンにはショックである。しかもハード統一、ソフト貸出改良禁止の条件で。
私は去年はソフトが勝ち越したがGPSの将棋をのぞけばどのソフトにも弱点があって普通に戦っても人間に勝機があると思っていた。しかし、今年は普通に戦うともう人間が勝つのは難しいのではないかというのが正直な感想である。勿論私の個人的見解だが。だから横歩で普通に(最初に書いた事情の通り結果的にはそういう事だった)戦って勝った豊島は本当にすごかったと思う。
藤井と行方がツツカナの「大局観」に感心していたが、それが現在の状況を端的に表していると思う。本来コンピューターに「大局観」はないのだが、そのように見えてしまうくらいまでにコンピュータ将棋のレベルが来たのである。
人間にとっては悲しい結論になりそうだが、絶対にコンピュータにはできない「自虐ジョーク」のとっておきを紹介して終わりにしよう。
山口「藤井先生ソックリのソフトが現れたら?」藤井「そうなったら私は最後まであきらめませんよ。最後まで何があるか分からないから。」


(付記1 森下九段の事前練習について)
対局後の森下九段の発言要旨
・最初のソフトの貸出を受けた際には持ち時間10分か20分秒読み30秒で一日に何番も指していた。
・11月末に新しいソフトがきてからは、疲れるのでソフト同士の対局を観戦するのが一ヶ月程度続いた。
・年が明けてから日が近くなりやらなければいけないと思ったが、一番指すと厳しくて何番も指すという感じはなかった。
・豊島さんの対局の後、持ち時間5時間で秒読み一分の対局を序盤から中盤の入口まで20番を四日間で指した。

この会見を受けて森下九段が練習対局不足研究不足だったのではないかという意見がネットであった。実は私も森下さんにしては少なすぎると感じた一人である。
しかし、今回もう一度メモを取りながら会見を確認すると「年が明けてから、厳しいながらも一日一局程度は指すようにしていた。但し一日数局は指していない。」という意味のようにも解釈できると感じた。
会見の印象だと豊島YSS戦の後にしか本格的な練習対局をしていないような印象を受けがちだが、もしかすると違うのかもしれない。
もし年明けに毎日一局でも指していたならば、それほど研究不足とは言えない気もする。(豊島七段と比べたら酷だろう。)
会見では森下九段も言葉を尽くせなかった可能性があるので、特に年明けの研究実態について森下九段のこれからの発言で明らかになるかもしれないので現時点での判断は差し控えようと思う。

(付記2 森下九段の盤駒使用の特別ルールについて)

森下九段は人間対コンピュータの対局について特別なルールを設定すべきという持論だそうである。人間には読みのミスがあるので、それを防止するために盤駒を使用して考えるのを許可するべきではないかという意見である。

まず本質的に人間とコンピュータの戦いは異種格闘技である。猪木vsアリと同じでそもそも両者のルールが異なるので当然共通ルールを新たに設定する必要がある。
しかも、猪木とアリは二人共人間だが今回は人間とコンピュータである。だから全く異なる存在の対戦だからどのようなルールを設定してもよいのが原則、基本だと思う。
その意味では森下九段の提案も別に退ける理由はない。また、今回のソフト貸出修正禁止ルールも原則面だけなら何ら問題はない。
そういう原則面と現実的判断は別問題としてある。
人間が普通に人間と将棋を指す際には盤駒を用いない。最高峰の名人戦でもそうだ。だから、コンピュータと指す際にもあくまで盤駒を使うのを見たくないと私は(あくまで私の主観的現実的判断として)考える。もしそれで人間のミスの可能性が増えてもそれは仕方ないだろう。
ソフトの側の制限については、原則としては人間の過去の棋譜を全て事前入力させて記憶させるのも「不公平」といえる。しかし、現実的にはソフトがどんな手段を用いるかに人間は興味がないのだから(少なくとも私はそう)、ソフトがどういう手段を使っても構わないと思う。
だから、ソフトの事前貸出しくらいはいいとして無制限にソフトの改良を許可し、ハードもクラスタ等あらゆる手段を認めて良いと思う。(勿論、これも原則論でなく私の現実的判断。)
それ以外に両者の力関係を考慮してルールを決めるという「現実的判断」もあるだろう。特にドワンゴさんが今後しばらく電王戦を続けたいなら。しかし、私自身はそんな事をしてまでもいつまでも人間とコンピュータの戦いを見続けたいとは思わないのがどうだろうか。
言うまでもなく、この問題については各人意見が異なっても全くおかしくない。私のものも含めて絶対的に正しい意見など存在しないだけで。

電王戦第三局記事の再補足

(「アンチコンピューター戦略」と「正々堂々」について)
最初の記事で「アンチコンピューター戦略」の指し方と対照させるために「正々堂々と」という表現を用いました。これを「アンチコンピューター戦略」が正々堂々としていなくて卑怯である、場合によっては豊島七段の今回の指し方までも正々堂々としていないように解釈されてしまったケースが本ブログに対する直接の反応に限らず、電王戦第三局についてのネット全般の反応を見ているとあるようです。
しかし、私自身は「アンチコンピューター戦略」が卑怯だとも思っていませんし、まして豊島七段の今回の指し方は「正々堂々」としていたと思っているくらいなのです。
あくまで対照するために使った表現なのですが、確かに「正々堂々」などという言葉を使うとそういう誤解を招きかねませんし言葉の使い方が安易だったとは思いますので、今後は「アンチコンピューター戦略」と「非アンチコンピューター戦略」(冴えない言い方ですが他に言い方も見つからないので)と言いたいと思います。これだとあまり価値判断は入らないと思いますので。
また、「アンチコンピューター戦略」という言葉も便利なのでつい使いましたが、こちらももう少し正確に定義する必要がありそうです。
まず狭く定義すると
1最初から人間相手に指すのとは全く違う手順を用いてコンピューター特有の欠陥を意識的につこうとする指し方
広く大雑把に定義すると
2 とにかくコンピューター相手に対する特別な準備や指し方
しかし、よく考えると2については、人間がコンピューターと指す時点である程度はこうなるのが必然なので定義としてあまり意味がないかもしれません。
一般的にこの用語がどう使われているのか分からないのですが、少なくとも私は今後、1の意味で使いたいと思います。
その意味では米長先生が電王戦でボンクラーズ相手に用いた作戦は1の定義だと「アンチコンピューター戦略」になります。
一方、今回の豊島七段の指し方は、豊島七段の立場では人間相手と同じ横歩取りの定跡を指していて、たまたま相手が△6二玉という珍しい手を指しただけなので、「アンチコンピューター戦略」には該当しないことになります。
そして、今回の菅井さん、佐藤さんの指し方もやはり該当しません。
ところで、最初の記事で米長先生の事についてふれた通りに、私は「アンチコンピューター戦略」には肯定的な立場で、米長先生の電王戦直後にもこのような記事を書いています。

将棋ソフトのボンクラーズが米長永世棋聖を破る(第1回将棋電王戦)

(豊島七段の今回の指し方、電王戦のレギュレーション)
今回の豊島七段は、事前にYSSと練習対局を重ねて、この形だと△6二玉と指す可能性があって、それをある程度想定して事前に深く研究していました。
人間と人間の対局でも、当然事前研究はしますし、対戦相手の個性に応じて指し手を予想して研究します。それは今回と同じですが、人間相手とコンピューター相手で違うのは、指し手の再現性の高さの程度でしょう。
人間だと作戦をその場で次々に変えて想定研究以前に手が変わる可能性が高いし、また想定手順に誘い込んでも相手が研究されているのを察知して違う手を指してきたりもするかもしれません。
しかし、今回は特にソフトを事前に貸し出して、なおかつそれと同じソフトを本番でも使うというレギュレーションでした。
従って、事前練習対局を数多くこなせば、少なくともコンピューターがどういう確率でどういう指し手をしてくるかが予想しやすくなります。だから、豊島七段も△6二玉の可能性を想定して事前に深く研究できたのでした。
(但し、やねうら王のような局後学習のあるソフトだと話は別です。)
勿論、豊島七段はルール通りにできるベストを尽くしただけであって一切問題はありません。また、豊島七段に何かケチをつけようというわけでも決してありません。この発見のための徹底的な準備も敬意に値しますし、後述する将棋の内容の点でも実はこの△6二玉以降勝つまでいかに大変だったかがプロの証言で明らかになっていますし、局後のインタビューも前の記事で書いたように大変立派でした。
(私はもともとクドクド書いてしまうクセがあるのですが、正しく伝わるようにいつも以上にクドくなっているのは自覚しています 笑。すみません。)
私がこういうことを書いているのはあくまでこういうレギュレーションだとどういうマイナス面があるかを検証したいからです。
さて、これはあくまで結果をみるとなのですが、豊島七段という将棋界最高峰の頭脳を長時間駆使して、ソフトの定跡入力の欠陥を指摘しただけという見方もできてしまうわけです。もし、YSSが一手だけ定跡入力を伸ばして△5一玉か△4一玉を入れてあればこういう事にはならず、実に贅沢でもったいない人間の頭脳の使い方だったとも言えます。
(ただ、豊島七段が△6二玉以外も広範に研究したこと、またソフトと練習することで将棋自体について学ぶ点があったのは勿論です。)
それと、YSS開発者の山下さんの名誉の為に付け加えておくと、この△6二玉はソフト同士の対局では何局か出ていて後手が勝っている事実があり、また定跡をどこまで入れるかの判断はソフト開発者の様々な要因を考慮した上での難しい総合判断でしょうから、単純に定跡入力上のミスとも言いきれないでしょう。
この問題と関連して、今回のレギュレーションについて、「第三回将棋電王戦公式ガイドブック」の中で、谷川浩司会長がソフト貸し出しとソフトの内容変更禁止措置についてこのように述べています。
(「これは100%ドワンゴさんの希望です。将棋連盟としては、プログラマーがパソコンをプロ棋士に提供した後も改良できるようにして欲しいと相当抵抗したんですけれどね。」)
谷川会長は公平性の観点や棋士のプライドで発言しているわけですが、それに加えてソフトの改良を認めれば、本番が練習をした手順の再現に近くなってしまう可能性(今回の第三局は練習そのままの再現には全くなっていませんが)を低くする事ができるかもしれません。
もし来年も電王戦があるのだとしたら、谷川会長はご自分の意見を貫かれるとよいでしょう。「そんな事をしたらますます人間が勝てなくなるよ。」という声が聞こえてきそうですが、個人的にはその方がスッキリするのではないかと考えます。
ドワンゴの話題が出たので付言しておきますが、第二局の騒動の際にドワンゴの川上会長が、自らの誤ちを潔く認めて謝罪して旧ソフトに戻したのは立派だと思いました。あの規模の企業のトップがあのように振る舞うのはそう簡単なことではないような気がします。

(将棋の内容について)
プロ棋士等の意見もネット上にあがっています。

渡辺明ブログ 電王戦とか。

△6二玉はこの局面ではないが別の形では玉をあちらに持っていくことがある事を指摘しています。
(対して、別に行く必要性はないところで▲2一角と踏み込むのは研究での成算があったのが伺えますね。)
他に無難に指そうと思えば指せるところを▲2一角と直接咎めに行ったのは研究で自信があったのだろうという事ですが、明確には書いていませんが▲2一角でも意外に難しくてよく調べてみないといけないというニュアンスのような気もします。

daichanの小部屋 第3局、勝ち。と、コメントについて。

結局は中終盤のねじり合い、腕力の勝負になるわけで、昨日の将棋も、そうなることを覚悟しての踏み込みだったはずです。
具体的には▲2一角に△4四角や、その後の△4四角で△4五桂など、本譜より良かったと思われる対応がいくつかありました。
対応にミスがあったために、結果的に一気に差がついてしまったという印象です。
かなり具体的に書かれていて▲2一角で決まりというわけではなく、ある程度成算があったので踏み込んだが、それで勝ちというわけではなくその後の激戦も覚悟していたという見方です。
また、むしろその後のYSSの対応に問題があったという見解で、それはツイッターで私が最も棋力を信頼している方も同じ意見を言われていました。その方は△9九角成が問題だったのではというご意見でした。

遠山雄亮のファニースペース 第3回電王戦第3局 YSSのログを調べてみました

△6二玉が大悪手で将棋は終わり、というのはいくらなんでも短絡的というか、将棋はそんなに簡単ではないはず。初見では悪い手だと思ったが、そういう手が革命的な手になる可能性もある。結果だけで判断してはいけない。△6二玉〜△2三銀が成立すると、横歩取りに新たな風が吹くかも。
やはり▲2一角ではまだ分からないという意見で、さらに△6二玉を積極的に評価できる可能性にも言及されています。
その他にもYSSのログで具体的にソフトの傾向、人間の検討との比較等を書かれています。

山本一成とPonanzaの大冒険 電王戦第3局 豊島七段とYSSの観戦記

コンピューター同士の対局でも二局△6二玉が出て結果は両方とも後手勝ちだった事を紹介されています。当然どのソフトも鬼のように強いので、実はそんなに簡単に先手勝ちではない事を証明しているのかもしれません。

というわけで、これらを総合すると△6二玉は直後に▲2一角と直接咎めにいくことができるので危険は危険。但し、その後の展開は決して簡単ではなく、むしろその後にYSSが間違えて形勢が開いてしまったというのがプロの見方のようです。
私などは▲2一角と打てれば温泉気分なのですが(苦笑)、そんなに将棋は簡単ではないということなのでしょう。
従ってYSSの敗着は、△3一銀とか△9九角成等であって△6二玉ではないのかもしれません。
但し、これらの記事でも△6二玉の後に▲2一角と打たれた場合に、具体的にどうすれば後手がよくなるのかまでは示されていません。
また、形勢が難しいにしても▲2一角の局面で喜んで後手を持ちたいというプロはあまりいないのではないでしょうか。
もし、さらに詳細に調べて「難しいにしても△6二玉の後に後手がよくなる変化はでてこなかった」という結論になれば、やはり「△6二玉が敗着」となる可能性もまだある事だけは指摘しておきます。
とりあえず、船江さんの観戦記に注目ですね。



(4/6追記)
第三局について豊島さん本人や船江さんの意見を第四局の観戦記の中で紹介しました。

電王戦第三局記事の補足、修正

昨日は豊島将之七段が快勝したのが嬉しくて珍しく当日に記事をアップしたのだが、今日読み返すと考えがまとまっていないまま書いている部分、言葉足らずな部分、書き忘れた事も多いので補足を。
まず、昨日の記事タイトルについてだが、豊島七段の指し方が「アンチコンピューター戦略」だと言っているわけでなく、豊島の今回の用意周到な指し方、作戦を通じて「アンチコンピューター戦略」一般、人間とコンピューターが戦う意味について考えてみたかったという意味である。
具体的に豊島の指し方について。事前研究でYSSが△6二玉を指してくる可能性があることを知ってある程度それを狙ったのは事実だろう。
但し、船江の証言を信じるならその確率は5%程度という事なので(何に対しての5%なのかも不明だが)、それだけを狙ったのではないのも明らかである。YSSも事前研究で様々な指し方をしてきたはずなので、豊島はその全てに対応できるように準備していたはず。横歩定跡は広範多岐に渡っているので、その為には豊島の深い定跡研究知識が必要だったのは言うまでもないだろう。
その意味では、今回の豊島は「横歩取り」という戦型を普通に指したとも言え、最初からコンピューターソフトの欠陥だけをつこうとする純粋な「アンチコンピューター戦略」とは全く異なる。
但し、△6二玉という手は横歩の定跡では初歩的な間違いと言ってもいいくらい問題の多い手なので、結果的にはコンピューターの欠陥を端的につく形になったし、豊島もそれをある程度意識的に想定はしていたという事だ。
△6二玉についても本譜を見ると豊島が簡単に勝ったように見えるが、実は△1四角のあたりではまだ先手勝ちと言えるほど簡単な局面ではない。実際大変強い人が、ソフト相手にこの△6二玉に遭遇して直接咎めに行って負けてしまったという証言もある。
だから、その後の豊島の見事な指し方はどんなに賞賛しても足りない。まして、今回は事前研究とは違う筋になって自力でその場で指している部分も多いので。
但し、やはり△6二玉という手は基本的には成立しない手だと思う。あの手が即敗着だったという考えに変わりはない。
そして、横歩の定跡であの部分で普通なら△5二玉とするか△4一玉とするかは、定跡ではかなり基本的で疑問のない部分だ。ましてYSSはこの△6二玉で苦戦に陥った経験もあるので、そこの部分の定跡を変えておく必要があった事だけは間違いないと思う。
(なお、昨日紹介したやねうらおさんの記事の、「序盤に時間を使うべき」という指摘を紹介したが、その点や将棋全体の評価について(やねうらおさんらしく 笑)、次々に追記されているので興味のある方はご覧いただきたい。)
とは言っても人間の「定跡」は決して絶対的なものではない。今回はたまたまかなり初歩的な部分でのミスだったが、逆にコンピューター将棋が人間の定跡を覆すのも最近では珍しくない。一番有名なのは、昨年の三浦vs GPSでのGPS新手だろう。また、名人戦で森内俊之がponanza新手を用いて羽生善治に快勝した。
その意味では、コンピューターソフト側としては定跡部分を早めに打ち切って自力で読ませるのは、現在のコンピューター将棋のレベルを考えると大変有効な手段である。一方で今回のような結果になるリスクも当然ある。そして、ソフト開発者は将棋の専門家ではないのでその線引きが大変難しいだろう。
昨日は、人間側の「アンチコンピューター戦略」と「正々堂々路線」の対照を述べたが、コンピューター側の「正々堂々路線」としては、定跡を一切入れずに初手から完全に自力で戦ってみる実験があってもよいのかもしれない。どうなるのか大変興味がある。
現在、人間側にとって一番コンピューター将棋が具体的に役に立っているのは、この従来定跡の検証とコンピューター新手の発見である。だから、今回はコンピューターが△6二玉という大失敗をしたが、こうした試行錯誤を通じて定跡研究をしてくれているのを人間は感謝するべきなのかもしれない。今回はダメだったが、もしかすると人間がここだけはこれしかないと思っている基本中の基本の定跡部分にも絶対に誤りがないとは言いきれないので。
コンピューター将棋と定跡という点では第二局でも興味深い例があった。

第三回 将棋電王戦 第2局(筆者・河口俊彦 将棋棋士七段)

やねうら王はノーマル四間飛車にして居飛車穴熊に無条件に組ませたが、現在プロではこうした指し方はほとんど見られない。
河口俊彦は若い頃の現役時代に、居飛車穴熊が本格的に登場しだして猛威を振るっていた頃に被害にあった振り飛車党である。当時はまだ藤井システムもなく、居飛車穴熊にいいようにやられていたのだ。
( △8六歩では、△4二金引と固め、以下先手が▲2六歩から「銀冠り」に組んだら△3二金寄とさらに固める。これが振り飛車側には嫌なのである。昔はみんなそう指した。)
つまりこれが当時の「定跡」(あるいはプロが常識的に指していた順)なのである。玉をさらにかためるのは現代的な考え方だ。
さころが、やねうら王も実はこの順をちゃんと考えていたというのだ。
( 終ってから磯崎さんに「第2図のところでは、後手△4二金引がよく指されたんですけどね」と言ったら「それも予想していました」これには絶句。まるで大山名人みたいだ。)
つまり定跡を知らなくても、現在のコンピューターは人間が指す「定跡」を自力で発見する能力があるわけだ。河口はベテランなのでその順を知っていたが、若い佐藤は恐らくその順を知らずに仕掛けた。でも、コンピューターは自力でその順を発見していたと。
仕掛け自体は決して悪くないし佐藤の棋風に沿ったものなのだが、河口はこの仕掛けが「敗因の一つとなった」と分析している。
これからもコンピューターが次々に従来定跡を覆す新手を発見するだろうし、それは人間にとってむしろ歓迎するべき事だろう。

(その他)

昨日書いた豊島の3手目の「秘策」については昨日のニコ生で具体的に紹介されていたそうである。▲7六歩△3四歩に対して▲9六歩とのこと。私は昨日あまりニコ生を見られなかった。

豊島は事前に何局くらい指したかと聞かれて、数えきれなくて1000局はいってませんが三桁、但し序盤ですぐやめたものも多いので最後まで指したのはそれほど多くないと答えていた。実に豊島らしい誠実な答え方だと思った。

会見で豊島が事前にコンピューターと多く対局して何を学んだかと聞かれていた。第一点として、コンピューターは中終盤がたいへん強くて、序盤よりも中終盤を重視するように考え方が変わったそうである。豊島は徹底した序盤研究に定評があり、豊島の躍進にはその部分も大きかったのだが、人間相手でなくコンピューター相手にして中終盤の重要性が分かったというのは何とも言えないところである。実際、豊島はコンピューター相手に終盤逆転負けする事も多かったのだという。
第二点。従来豊島は中終盤で形にとらわれてしまう事か多かったが、コンピューターの終盤をみてもっと自由に形にとらわれないようにする必要があると感じたそうである。コンピューターは機械である。ところが今のレベルだと、むしろ人間より「自由」な発想の手を指せているというのだ。
こうした豊島の話を聞いていると、コンピューター将棋が人間の技術向上に既に十分に役に立っているような気がする。
そして、それを身につけることができたのは豊島の「人間」としての素直な心であり、勝てたのも技術面だけではなく、豊島の「人間」としての柔らかい素直な心のおかげのようにも思った。

電王戦第三局 豊島将之の用意周到、あるいは「アンチコンピューター戦略」をめぐって

対局開始前のニコ生で解説の久保利明と野月 浩貴が思わせぶりな予言をしていた。豊島将之が三手目に何か秘策を出すかもしれないというのだ。
だが、出だしは▲7六歩△8四歩▲2六歩と普通だった。どうも、秘策はYSSが二手目に△3四歩とした場合の事だったらしい。それが▲1六歩だったのか、自分からいきなり角交換してしまうのか、あるいは他の手だったのかはよく分からない。
豊島が事前研究した際には、△3四歩と△8四歩の割合は7対3程度だったらしい。確率の低い方が出たわけだが、豊島は勿論こちらにも周到な準備があった。
この出だしだとプロならば角換わりになる事が多い。しかし、豊島がいきなり▲2五歩と伸ばしたので角換わりにはならずに、後手の出方次第で相掛かり系か本譜の横歩取りの将棋になる。そして、こうするとYSSが横歩にするのが多いのを豊島は想定していたようだ。つまり、普通とはちょっと違う指し方をする事で、後手に横歩取りにするように誘導したわけである。これが、「豊島の戦略」の第一歩だった。
豊島が横歩を選んだのは後述する大変具体的な理由があるのだが、それ以外にツイッターの大変強い方に教えていただいたところによると、コンピューターソフトは、居飛車対振り飛車の対抗型ではどちらを持っても大変強いそうである。それと比べると、横歩取りと角換わり系統だとやや指し手の精度に欠けるケースもあるらしい。今回の第一二局でもよく分かったように対抗型の押し引きになるとコンピューターが抜群に強いことだけは間違いない。
しかし、「豊島の戦略」はもっと具体的なものだった。YSSは少し進んだ局面で、プロの定跡ならば△5二玉と中住まいにするか△4
一玉と中原囲いにするかの二択のところで△6二玉とするクセがある事を豊島は事前研究で把握していた。今回観戦記を担当する船江恒平も豊島からその情報を得て酒席でその後の手順まで聞いていたそうである。しかも、△6二玉の可能性が5%とまで分析していた。「豊島の戦略」は実に精緻である。(潤記者担当のモバイル中継による情報)
それでは、なぜ△6二玉が指されないのか。理由は単純明快、本譜の▲2一角があるから。
△5二玉ならば▲2一角には△3一金とすれば玉が▲4三角成を防いでいるし、△4一玉ならば▲2一角とされても玉が3二の金を守っている。どちらも▲2一角は成立しない。
だから△6二玉はプロの定跡にはないのだ。このようにプロの定跡は様々な変化を調べ尽くした末の精髄であって、定跡から外れてしまうと様々な陥穽が待ち構えている。プロの長年の歴史的知識の集積体なのである。
その意味でYSSがこの△6二玉を定跡として入れていなかったのが今回は大きなミスになってしまった。ツイッターで勝又清和がツイッターでこのように説明している。
(電王戦トーナメント見たときから気になっていたのですが、山下さんは修正していなかったのですね。アンチコンピュータ以前の話で、△5二玉か△4一玉くらいまでは定跡として入れておくべきだったでしょうね。)
コンピューターソフトは全てを自力で指しているわけではなくて、序盤部分についてはプロ将棋の定跡をある程度の手数までは入れてある。その部分は考えないでいくつかの定跡からランダムに選んでいる。その定跡部分でYSSには致命的な入力不足があった。
しかも、YSSは実は電王戦トーナメントでもこの△6二玉を指してしまって大苦戦に陥ったことがあるそうである。(結果はYSSが大逆転勝ちしたそうだが。)直すチャンスもあったわけで、開発者の山下さんにとっては痛恨のミスだろう。
と言っても、コンピューターは必ずしも定跡がないと指せないわけではない。序盤であっても自力で正解を見つける能力は現レベルのソフトならば十分ある。しかし、それにはある程度時間をかけて考える必要があるのだ。その辺の事情について、やねうらおさんが説明していた。

やねうらお−俺のやねうら王がこんなに弱いわけがない。電王戦第三局について思うこと

(YSSは序盤に時間を使わなさ過ぎる。今回の第三局でも序盤早々、定跡を抜けたところで62玉と指してしまった。これが大悪手である。YSSでも、もっと時間をかければこんな大悪手は指さないはずだ。)
序盤に時間を使わない設定にしているために△6二玉を手拍子で指してしまったわけだ。まるで弱い人間のように。ちゃんと考えればYSSは△6二玉が大問題なのは理解できるのに。
結論を言うと、実はこの△6二玉の時点で将棋が終わってしまった。勿論、相手が豊島レベルのプロだという条件付きだが。
その後のYSSの△3一銀というのが豊島の事前研究ではなかった手でたいてい△4四角で豊島は本譜の順を深く研究していなかったそうである。しかし、幸い以下もほとんど必然手順なので豊島は時間をつかわずに決断よく指し手をつなげていく。
専門的には豊島にとって他にも気になる手順はあったようだが、それでも基本的には先手の人間がずっとかなり良い事にはかわりなく押し切った。豊島の技術の高さ、安定性を褒めなければいけないが、豊島でなければ勝てない将棋というわけではなかった。
終盤に勝敗決した状態でYSSが指した△1四金も話題になった。こんなところに金を受けても何の役にも立たない。露骨に言ってしまうと完全な無駄手なのである。
たまたま、この手の時にニコ生では谷川浩司が出演していたが、コメントに困って一瞬かたまってしまい、「コンピューターのこういう手は久しぶりに見ました。」と述べるのが精一杯だった。
コンピューターは自分の形勢が著しく悪くなると、時折こういう手を指すことがある。理由は「水平線効果」というもののためだ。山下さんも恐らく水平線効果のせいだろうと局後に述べられていた。詳しくはこの用語のウィキペディアを参照していただきたい。
簡単に説明すると、コンピューターがどうしようもなくなった際に、将棋がすぐ終わってしまわないようにその場しのぎでただひたすら手数を伸ばそうとして無意味な手を連発してしまう現象である。
コンピューター将棋と戦った経験がある方なら、こちらが完全に勝ちになった時にコンピューターが無駄な王手攻撃を延々と続けてくるのを知っているだろう。アレである。
つまり、本来感情などないはずのコンピューターが、自分が負けになると突然ブチきれてなりふり構わずに暴れるわけだ。町道場のおじさんでも、ここまではしないだろうというくらいに。面白いものである。

さて、この将棋を本質的にはどのように評価するべきだろうか。
YSSの敗因は簡単に言うと△6二玉のところの定跡入力不足、あるいは設定考慮時間の短さという事になってしまう。それだけで将棋が終わってしまった。普通に考えれば将棋として素晴らしいとは言えない。
一方、豊島の立場から言えば、この欠陥を発見するためには大変な事前準備と勉強が必要だった。千局近くYSSと戦ったそうである。豊島の立場からすると、純粋に研究して相手の欠陥をついただけ。その事自体は決して非難されるべきことではないだろう。
それとは別に、こうして人間とコンピューターが戦う意味を考えてみよう。「アンチコンピューター戦略」という言葉がある。
人間が人間相手に戦うのとは全く別の手法、指し方でコンピューターの欠陥をつこうとする行為を意味する。
今回の豊島の指し方は、それに当てはまるかどうかは微妙なところだ。豊島の方は普通に横歩取りの指し方をしているだけで、コンピューターが勝手に間違えたのをとがめただけという意味では別に「アンチコンピューター戦略」ではない。
しかし、事前研究によって△6二玉を狙い撃ちしたという意味では広い意味では「アンチコンピューター戦略」とも言える。
どちらなのかは言葉の定義によるのでどちらでもよい。問題はとにかくこの種の指し方が人間とコンピューターの戦いで意味があるかだ。
コンピューターにこうした欠陥がある以上は人間がそれをつくのは当然だという考え方がまずある。その事でコンピューターは欠点を修正できるから。ただ、人間にとっては人間にそういう知恵がある証明になっても、本来の自分たちの将棋の技術向上には結びつきにくい。
一方、コンピューター相手でも普段と同じように正々堂々と戦うべきという考え方もあるだろう。それだと人間が負けるリスクが増えるが、その変わり普段と同じ指し方をしているので人間の将棋の問題点も浮き彫りになって、人間将棋の技術向上につながせる可能性はある。
そういう意味では人間も堂々と戦うにこした事はないのだが、勿論現時点での人間とコンピューターの力関係も具体的には関係してくる。つまり、コンピューターの方が強いのに人間が堂々と指してただ負けるのではそれこそ無意味なので。
現時点はその意味で微妙なポイントにあると思う。第一局の菅井竜也は習甦とほぼ互角だったし、佐藤紳哉もやねうら王と互角程度だったらしい。それならば、プロ棋士側が堂々と戦って勝ちたいと思っても不思議ではない。
ところが実際には二局とも基本的にはコンピューターの強さが目立つ内容だった。
その意味でプロ棋士の中で最も先見性があったのは米長邦雄である。後手でいきなり△6二玉と指したのは、疑問の余地のない「アンチコンピューター戦略」である。定跡を外してなおかつ最初からコンピューターの苦手な入玉を想定している。あれには、「米長たるもの、正々堂々と戦うべき」という批判も多かったが、今ならば少なくとも誰もが米長の意図だけは理解できるはず。米長は実に頭の良い男だった。
さて、とはいえ人間が「アンチコンピューター戦略」を貫くべきか、あるいはやはり正々堂々と戦うべきなのかは難しい問題である。
それについては各棋士が考えなおかつファンは将棋を見て判断するしかない。強引に言ってしまうと、それだけが電王戦の意義なのかもしれない。

最後に豊島将之について。事前の準備も、対局態度も、対局後のインタビューも実に立派だった。
事前研究では、最後の方は本業の将棋の研究会を犠牲にしてまでYSSとの対戦に没頭したそうである。一日10時間程度、総対局数も数えきれなくて、1000まではいかないが三桁なのは間違いないという本人の弁である。徹底的な事前準備であって簡単に出来ることではない。
会見では、「YSSを貸し出していただいて、たくさん対局を重ねることで自分の将棋がよい方に向かっているように感じていて、山下さんに大変感謝しています」という意味の事を述べていた。
山下さんの方も、「豊島さんに大変な数の事前対局をしてもらってありがたいし、もし豊島さんの将棋に役立ったのならば嬉しいです。」と。
実に「さわやか流」の会見であった。米長邦雄も喜んでいたことだろう。

(追記)補足記事を書きました。
電王戦第三局記事の補足、修正

(3/31月 再追記)再補足記事を書きました
電王戦第三局記事の再補足

電王戦第二局、佐藤紳哉の本気の対局姿

いきなり、やねうら王の初手が▲1六歩。しかし、これは別に挑発ではない。やねうら王の初手はランダムに設定されていて、たまたま端歩になってしまっただけである。
以下△3四歩▲7六歩△8四歩▲1五歩と進んだ。初手の端歩を別にすれば佐藤康光が得意にしているオープニングである。現代将棋においては、もはやそれほど奇異ではない。
もっとも、やねうら王に佐藤康光のような意図があったわけでもない。佐藤康光の考えは、相手が端を受けるかどうかによって自分が居飛車にするか振り飛車にするかなどにして、少しでも得をしよう、自分の形を保留して対応しようという現代将棋の思想である。
現在のコンピューターソフトは強いがさすがに序盤でそういう事を考えるまでには至っていない。多分これから後も当分。単なるサイコロの目を振る確率の遊戯が行われただけである。
つまり、初手の端歩も阪田三吉の衒気でもないし、オープニングも佐藤康光の緻密変態流現代将棋思想でもない。
以下、佐藤紳哉が無難に対応して、やねうら王はノーマル四間飛車を選択した。さらに、佐藤は一直線に居飛車穴熊に組み、やねうら王は普通の美濃囲いにした。
これは現在のプロの将棋ではほとんど見られなくなった形である。というのは、囲いのかたさでは居飛車穴熊の方が上なので、居飛車が手をつくって暴れれば「穴熊の暴力」によって、居飛車が相当勝ちやすいとされているから。藤井システムは振り飛車でも自玉の囲いを後回しにしてでも居飛車穴熊を牽制しようとする思想であって、本譜のように何の工夫もなく相手に居飛車穴熊に組ませてしまうのは「消えた戦法」なのである。
しかし、そうは言っても厳密にはそれで居飛車がいいという事でもない。あくまで居飛車の方が人間同士の戦いでは勝ちやすいというだけの事。
現に少数派ではあるけれども、プロでもノーマル四間で無条件に居飛車穴熊に組ませて退治しようとする棋士もいる。そして、実はそういう指し方で振り飛車が居飛車穴熊を退治したりすると、拍手喝采されたりもするのだ。
居飛車穴熊は大変現代的な優秀な作戦だけれども、実は観ていてあまり楽しい将棋ではない。「穴熊の暴力」で振り飛車がねじ伏せられるのはちょっと理不尽な感じもするのだ。
そもそも居飛車穴熊というのは大変片寄った駒組みで、四間飛車の美濃囲いのようなバランスのとれた美しさはない。現在の人間の力のレベルでは居飛車が勝ってしまいがちだが、本当に振り飛車が正しく指せば十分戦えるのではないかと私などはひそかに考えている。大山康晴も(現代とは居飛車側のテクニックが違いすぎるが)、そういう指し方で居飛車穴熊を退治していたのである。
だから、大変皮肉なことだけれども、コンピューターにそういう役割を期待する事もできる。現在のコンピューターは多少の作戦負けは気にしない(と言うか序盤はそういうレベルに達していない)ので、こういう形も平気で指す。(第一局の菅井の先手中飛車も実は現在のプロレベルだと先手の明らかな作戦勝ちではあった。)
電王戦で私は勿論基本的には人間の棋士を応援している。ただ、一般論としてはコンピューター将棋によって人間将棋の考え方の偏りや欠点が修正される事があってもよいと思っている。この居飛車穴熊という指し方も実戦的には人間だと居飛車が勝ちやすいのだが、実は「人間的な美意識」には反するところもある。だから、何の先入観もないコンピューターが、その力技でもし居飛車穴熊の欠陥を証明してくれるなら私はむしろ歓迎である。逆説的だが、人間の直感的な美の感覚を、機械が証明してくれるかもしれないのだ。テクノロジーは本来人間を自由にして開放してくれるものである。
だから、私はコンピューター将棋が人間を超える事には何も抵抗はないし、もしそれが人間将棋の技術向上に役立ってくれるのならば大歓迎すべきだとも思う。なおかつ、そういう事態になっても人間が指す将棋に価値がなくなるはずもない。それは、先進分野のチェスを見ても明らかだ。
とは言っても、本局に関して私は佐藤紳哉を全力応援していたわけだが。
局面は進んで、佐藤が佐藤らしく決断よく仕掛けた。そして、コンピューターは桂損をしながら穴熊の頭を崩す変な言い方だが「人間的な実戦的な指し方」を選択してきた。
基本的には桂得の人間が有利なはず。但し、穴熊の頭に▲1四歩と迫っていてコンピュータにも主張がある。わずかに後手ペースだがまだまだ難しくて先が長いというのが客観的な評価ではないだろうか。
但し、その後に急に局面のバランスが崩れてしまう。やねうら王が▲6四歩から▲6五歩と継ぎ歩をして▲6四歩と垂らしてきた。局後の感想によると、佐藤紳哉はこれを完全にウッカリしてしまったらしい。
その直後の△8三飛は素人が見てもいかにも感触が悪い手である。佐藤はウッカリして落胆していたためにこう指してしまったのかもしれないが、ニコ生で木村一基が指摘していたように、まだしも△5五歩と捌きにいった方がよかったのかもしれない。こういうところが人間らしいところで一回ミスをするとそれを引きずって悪手を重ねてしまうのだ。
その後のやねうら王の▲7三歩成以下の手順が的確でコンピューターがかなり優勢になったように見えた。
しかし、実は見かけほど差は開いていなかったようだ。佐藤が△1八歩とたたいたのを手抜きして玉の近くにと金をつくらせてしまったのもやや疑問で結構大変である。
さらに佐藤の△6四歩が大変良い勝負手で先手も対応が難しい。しかも、やねうら王は▲同角として△6三香と打たせてしまった。人間の目には大事件である。
局後にやねうらお氏が明かしていたが、ここでやねうら王は▲3一角成と切る手が成立すると読んでいたのだが、ここでそれだと悪いと気づいて軌道修正したそうである。実際に控え室のソフトも▲3一角成を当初は優勢と捉えていたのが実はダメだと気づいたそうである。
そして、ここでのコンピューターの辛抱が絶対人間には出来ないものだった。やねうら王は何と角を見捨ててただで取らせる順を選択したのである。そして、冷静に考えるとこれがあの局面ではベストの選択だったようである。
つまり、「角をきれると思っていたが、私は完全に間違っていました。ごめんなさい。仕方ないので角をただであげます。」という反省態度なのだ。人間だとプライドや悔しさが邪魔してできない。負けだと分かっていても角をきってしまうかもしれないところである。
佐藤がミスをひきずってしまったのとある意味対照的だった。と言ってもだからと言ってそういうコンピューターをえらいとは言えないが。
とにかく、その後で▲4八金引くと冷静にされると、先手玉を寄せるのは簡単ではない。むしろ、後手の穴熊に対しては手数がかかるが、確実な寄せが待っている。むしろ後手の人間があせらされている感じである。
ここで、佐藤は△6七香成としたが、これがあまり寄せにはすぐ役だっていなかった。ここでは控え室が指摘していたように△8九竜と桂馬を拾っておくのもあったのかもしれない。以下本譜と同じように穴熊に迫ってきても△2四歩▲1五飛に対して入手した桂馬を2五に王手で打てる。それでも難しいのかもしれないが本譜を考えると随分マシなのではないだろうか。
なお、この場面でツツカナは何と△4一角を推奨していたそうである。ただ、3二に駒を打ってくるのを防いだだけでなおかつ守備向きではない生角が二枚並んでしまうし攻撃力も激減してしまう。人間の感覚ではありえないし絶対指せない手だが面白い発想である。
以下、佐藤も随分頑張ったがやねうら王がきっちり勝ちきった感じだった。
第一局では習甦が序盤中盤終盤と隙なく完勝したし、去年のGPSvs三浦弘行もそうだった。しかし本局は終盤でコンピューターにも隙があって大変面白い将棋になったのである。基本的にはコンピューター将棋は終盤が恐ろしく強いのだが、実は毎回ノーミスというわけではないのだ。これは去年の電王戦でも分かった事である。

さて、対局者の佐藤紳哉は朝から鬼のような表情で迫力満点の対局姿だった。苦悶しながら頭をフル回転させてまるで指し手を絞り出してくるかのようで、大変かっこよかった。しかも、それが終局までずっと続いたのである。こうしたものすごい集中力をずっと維持できるのは並大抵のことではない。命懸けで将棋にたちむかっている人間の姿がそこにはあった。
聞くところによると、佐藤は今回に限らずいつもこういう鬼気迫る対局姿であるそうだ。
佐藤は、NHK杯でのインタビューなど、「すべり系お笑い」で売り出してきた。しかし、この対局姿を見ると全くそんな事をする必要はないと思う。
棋士は真剣に対局している姿が一番美しいのである。

電王戦第一局の菅井竜也に見る「人間らしさ」

電王戦は盤外戦の方が話題沸騰になってしまっている。その話題については、私はツイッターで適宜つぶやいているし、あまりブログで改めて書きたいとは思わない。ここでは主に将棋の内容などについて考えてみる。
まず、これは記事タイトルとも関係するのだがブログ記事を紹介する。

生きてみた感想 電王戦第一戦感想―「強さ」とは何か

人間の「弱さ」を克服する行為の「強さ」を論じつつ、人間とコンピューターの違いを考察している素晴らしい記事である。ここでは、もう少し将棋の具体的内容に即して考えてみたい。
先崎学が第一局の観戦記を書いている。

第3回 将棋電王戦 第1局 観戦記(筆者・先崎学)

50手目の△4六歩から56手目の△4二飛をこの将棋のポイントと捉え、「習甦は、なにげなく鬼であった。△6五同歩や△4二飛など、指されて見れば当然の手だが、実戦ではなかなか指しにくい手なのである。」と解説している。
コンピューター将棋はもはや終盤だけが鬼強なのではないのだ。こういう中盤の押し引きにおいても、実に的確な手を指してくる。しかも、指されてみれば当然でも人間的な感覚だと気が付きにくいところにまで読みが行き届いている。
それに対して菅井が▲5七金と間違ったために形勢を損ねてしまう。正解は▲5六金でそれは「プロがいう「指が勝手に動く」手で、いわゆる第一感中の第一感なのだ。まったく、魔が差したとしかいいようがない。」なのだった。
つまり、中盤の一番肝心な勝負所で、コンピューターの方は地味ながら実に的確でやや意表をつきさえするレベル以上の手を積み重ねたが、そのために人間の方は精神的に動揺してしまって普段なら一目で指せる正解手を逃してしまったわけである。
なんとも「心の揺れがない」コンピューターと「心のある」人間の違いが際立つ展開になってしまった。
電王戦対局の後に行われた対局で、菅井は佐藤天彦(言うまでもなくプロの中でも強敵中の強敵である)相手に、序盤から自由自在で奔放といってもよい指し回しをみせて終始圧倒して快勝していた。実に思い切りがよくて手が伸びていた。人間相手だと。こういうのが本来の菅井将棋なのである。
ところが、電王戦では序盤から長考が目立ち、指し手にも思い切りや切れ味に欠けていたと言わざるをえない。明らかにコンピューター相手に指すプレッシャーのせいである。
ニコ生の解説は鈴木大介と中村太地が担当していた。鈴木が「私相手だと、菅井さんは考えずにバシバシ指してくるのにおかしいなぁ。私がなめられているのかなぁ。」と言って笑いをとると、中村も自分相手でも菅井さんはそうですと同調していた。
電王戦という舞台のプレッシャーもあるのだろうが、菅井が習甦の実力を認めていた事も勿論あるはずだ。
(「練習は随分したの」と訊くと「はい、95勝97敗です」と即答されのけぞった。200局ちかく指したというのはすごい局数である。)
(菅井の97勝95敗だったという説もある。)
大変な数の練習対局を菅井はこなしている。そして結果はほぼ互角だが、おそらく習甦にボロボロにされた将棋もあっただろうし現在のコンピューター将棋の実力もよくわかったはずである。現在プロでも菅井に対してこれだけの結果を残せる者はそうはいないのである。だから、当然本番では慎重にならざるをえなかったのだろう。
終盤では先崎も指摘しているが△5二歩も好手だった。△5六歩と攻めてこられるのがイヤで、生で見ている際にはこの△5二歩はありがたいのではないかと感じた。そう言っていたプロもいる。ところがよく調べてみるとこれが冷静な好手なのだ。別にコンピューターは意識してやっているのではないが、「厚みで押したかと思うと急に△5二歩のような冷静な好手を指され」と人間には感じてしまう。困ったものである。
他にも実際には指さなかったのだが△5一歩という渋い手も習甦は考えていて、これまたよく調べると好手なのである。こういう歩はトッププロがタイトル戦で指して周囲をうならせるレベルの手ではないだろうか。やはりコンピューターの終盤はおそろしく強い。
また、現地でponanzaやGPSを使った検討も行われていてそれをある程度ツイッターで知ることが出来たのだが、終盤の急所ではどのソフトも同じ手を指摘している事が多かった。終盤で人間は間違えるがソフトは間違えない。本当に参ってしまう。
さて、冒頭で紹介したブログ記事では一般的な視点で人間の素晴らしさを指摘していたが、具体的に考えてみると今回は残念ながら菅井の「人間らしさ」が弱点として働いた部分が多かったと言わざるをえない。実力の問題以外で。
まず、事前の研究対局ではほぼ互角の成績だったのに、やはり本番のプレッシャーなのか指し手にかたさが目立ったこと。
人間相手にはあまり長考せずに強気に指すのが菅井なのに、コンピューター相手を意識しすぎて手が伸びていなかったこと。
急所の局面でコンピューターは常に冷静だった(当たり前だ)のに対して、菅井は意表をつかれて動揺して当たり前の手が指せなかったこと。
現在のコンピューター将棋はただでさえ強い。しかし、本局などを見ているとそれ以前に人間が自分の精神的な「弱さ」を克服しなければいけないという具体的な課題をつきつけられているように感じた。

第二回電王戦 NHK「情報まるごと」の三浦弘行

電王戦について語りたい事は山ほどある。同時に、書きにくいことも同じくらい多い。そして既に多くのことが語られすぎている。
第五局を受けて、NHKの昼間の情報番組「情報まるごと」で三浦弘行のインタビューがあり、大変興味深かった。
既報の通り第五局はGPSの圧勝だった。あの将棋は、三浦がGPSの攻めを引っ張り込みに行き、攻めがつながる受けきるかという勝負になった。だから投了図が一方的だとしても、結果としては「仕方ない」という言い方も出来る。しかし、あのGPSの指し方には「たまたま攻めがつながってしまった」では決して済まされない凄みがあった。
三浦の具体的な発言をきいてみよう。
「序盤で有利な態勢を築いておいて、中終盤でコンピューターの計算能力が及ばない、もう追いつかない、そういった局面にしてしまうという、それが狙いだったのですけれども。」
第四局までを見ても、いまだにコンピューターソフトの序盤には基本的な欠陥が残っている。端歩を簡単に突きこさせる、飛車先の歩交換を安易に許す、角金交換をしてしまいがち、無理攻めをしてしまう、等等。率直に言ってソフトでなく人間が同じ序盤をしたら、「まずは初段を目指しましょう」と言われかねない粗さがあるのだ。
そして、そのコンピューターの序盤の欠陥を端的につこうとしたのが去年の米長邦雄の△6二玉だった。賛否両論だったが、あれは明確な「アンチコンピューター戦略」であって、その意義はむしろ今年の結果を受けてようやく評価されるはずである。米長は大変頭のよい人だった。
三浦が選んだのは矢倉の「脇システム」。矢倉の定跡の中でも一直線の変化になりやすい。深いところまで研究可能だ。そして三浦は「脇システム」において棋界でも有数のスペシャリストなのである。
だから、GPSが多少定跡をプログラムで入れてあっても、必ず序盤でよく出来るという三浦の計算があったはずだ。
但し、「脇システム」は普通の人間の矢倉の定跡であって、ソフトの序盤の隙を突く「アンチコンピューター戦略」ではない。それが結果的にはGPSに利した。
三浦のちょっとした工夫は▲6八角。前例としてはマイナーだが三浦自身にも二局経験がある。以下△7五歩▲同歩△同角が前例。三浦もそれを想定していた。
三浦「ここで△8四銀と。今私が歩得をしていますが、その歩を取り返さずに、取り返せるところですが、△8四銀と攻めに転じる手が、なかなか人間には想像できないあまり考えない指し方だなぁと思います。」
現に三浦は意表をつかれてここで長考している。但し、この△8四銀がよい手だと思ったのではなく、ここで攻めてきてくれるのならば「指せる」と三浦は考えたそうである。それは控室等の検討でも同意見だった。人間の「感覚」だと、ここで歩を取り返さずに攻めて来るのは、やや指しすぎ・無理だという感覚なのである。勿論、ハッキリそれで先手がいいということではないにしても、普通のプロ将棋だとこういう「感覚」にない手を指すと人間のプロ将棋同士の将棋では負けてしまう可能性が高い。
三浦「若干ありがたいと思いました。局面をうまくリードできるのではないかと思いました。」
ところが、ここからGPSが細いきれそうな攻めをつなぐ技術が絶品だった。こういう細い攻めをつなげる事にかけては渡辺明が人間では抜群の名手なのだが、その渡辺すらブログでGPSの攻めに素直に感心している。

渡辺明ブログ 電王戦終わる。

三浦も率直にこう言う。
「思った以上に私の方が指せているというわけではなかったと気づきまして。局面が進むにつれて、こちらとしてはリードをしなければいけないという思いがあったので、ただなかなかリードを奪えないことに苦しんでいた時間が長かった。それはやっぱり焦りにはつながっていたと思います。」
GPSが冴えまくっていた一方で、プロ棋士仲間の評価としては、三浦の調子がいまひとつだったとも言われた。その辺りはこの心理的な焦燥が原因だったのかもしれない。
「80手目ですかね、もうGPSは間違えないだろうと、その時にこの将棋は勝てないだろうと覚悟を決めましたね。」
結果として、GPSの圧勝。またしても三浦の正直な言葉が続く。
「一言でいえば怪物だったなぁと思います。対局していて分かったのですけれども、まだGPSの強さを完全に自分では引き出せたとは思っていないんですよね。まだGPSには余裕というか隠された強さがあるというのが、対局してみてよく分かったので。」
単に展開で偶然三浦が負けたということでは多分ないのだ。細い攻めをつなげる用意周到な抜群に深い読み。さらに人間の感覚では否定される△8四銀を指せる先入観のなさ。人間はまだ「大局観」ではコンピューターを凌駕しているといいたいのだが、むしろコンピューターの「大局観」が既に人間を脅かしているのではないかとまで言いたくなる強さだった。
勿論、コンピューターは手を純粋に読んで数値化して評価しているだけなので、本当の意味では人間のような「大局観」はない。しかし、そういう計算だけで既に人間の研ぎ澄まされた感覚を超えることもあるのが恐ろしいところである。
第四局までは、ソフトの強さとともに必ずその弱点や脆さも感じさせた。しかし、この第五局のGPSについては佐藤紳哉を習って言うならば「序盤、中盤、終盤と隙がないよね」だったのである。それが第四局までとは本質的に異なる第五局の衝撃だった。
但し、先述したように序盤の展開でコンピューターの力が発揮しやすかった事は考慮すべきかもしれない。
NHKのアナウンサーが多少残酷だがよい質問をする。
「三浦八段すら敗れてしまう現状ではコンピューターにもはや人は勝てないのではないでしょうか?」
三浦「まぁ、かなり厳しい質問なんですけれど.....」
(しばし間があって)「まぁ、なんとか弱点を見つけなければいけないとは思っていますけれどもね。」
これはこのように解釈してしまう事が可能だ。「普通に戦うと、ちょっと厳しいので序盤で変わった工夫、アンチコンピューター戦略をしないともはや厳しいのかもしれない。」
これを述べているのは、その辺のアマチュアではない。A級が長く、羽生の七冠の一角を崩し、今期も最後まで羽生と名人挑戦を争った超一流のプロの発言なのである。
三浦の実直な人柄がますます好きになりつつも、古くからの将棋ファンとしてはショックを受けずにはいられないというものである。

将棋ソフトのボンクラーズが米長永世棋聖を破る(第1回将棋電王戦)

マスコミ報道等はこちらにリンクがまとめられています

詰将棋メモ 第1回将棋電王戦、ボンクラーズが米長永世棋聖に勝利

詰将棋メモ 米長永世棋聖、将棋ソフトと対戦(こちらで棋譜を再生できます。)

ニコニコニュース 米長永世棋聖「築いた万里の長城、穴が開いた」 電王戦敗北後の会見 全文

さて、対決の意味等についてはこんな告知PVがあった。

ニコニコ動画 【米長邦雄永世棋聖 vs ボンクラーズ】プロ棋士 対 コンピュータ 将棋電王戦 告知PV

ホルスト
「惑星」の「火星、戦争をもたらす者 」の勇壮で劇的な音楽に乗って、ものすごくかっこいいのかそうじゃないのか、真面目なのかふざけているのかよく分からない素晴らしい出来になっている。今回はニコニコ動画が中継などで盛り上げたわけだけれども、このPV一つ見ただけでも純粋将棋ファン以外の層にも訴えかけることに成功していたと思う。

将棋は先手ボンクラーズの▲7六歩に対して後手の米長邦雄永世棋聖の△6二玉。昨年末に行われたプレマッチでも米長はこの手を指して惨敗したが再度採用した。
米長は対局後の会見で(上リンク記事参考)、この手を将棋ソフトボナンザ開発者(保木さん)に教わったと明かした。ボンクラーズはボナンザを元に成り立っているソフトで、評価関数(将棋の局面を判断する基準とその思考結果を数値化して優劣の判断をする関数)はボナンザとあまり変わらない。従って、ボナンザ開発者の意見は具体的根拠のある重要なものである。ツイッターで教えてもらったが具体的に△6二玉(周辺)の位置が評価関数の穴なのかもしれないということだそうである。
それと、二手目△6二玉は将棋の定跡にはない手なので、ソフトはいきなり3手目から自力で考えなければならず事前に入力してある定跡手順を利用できない。
また、局面自体が漠然とした明確な目標を設定しにくいものになるので、ソフトが考えるのに苦労する可能性がある。
そうした狙いである。実際、米長は左辺から金銀を盛り上がって制圧することに成功する。ボンクラーズは飛車で歩交換をして上下左右に移動するだけを余儀なくされた。普通の将棋ならば後手の作戦勝ちと言えるだろう。
つまり、米長の△6二玉は成功した。あくまでボンクラーズというソフト専門の戦術である。自力で判断できる人間相手には通用しない。
米長に普通の矢倉等で対抗することを期待したファンも多かったはずだが、事前に米長は数多くボンクラーズと戦って、特に短い持ち時間ではかなり苦戦したようである。つまり、ソフトのレベルがが普通に戦うとかなり厳しい強さに既に達しており、このような工夫をこらさざるをえなかったのである。
チェスの世界では既にコンピューターが人間を超えてしまっているが、人間がチェスと戦う際にもやはりこのような戦術を用いるのが普通だったそうである。

戎棋夷説 12/01/15

従って、米長の△6二玉は、人間がコンピューターと戦う上での戦術的工夫であって別に奇策ではないということである。そして、このように一応ソフトの序盤の欠点をつくことには成功した。だから、今後プロ棋士がソフトと戦う上で重要な先例にもなるし具体的成果も残した事を素直に評価するべきだと思う。勿論、人間がごく普通に戦ってソフトに勝てるならばそれにこしたことはないのだが、現在はソフトのレベルが高くなりすぎているのだ。

しかし、局面は後手が左辺で押さえ込みに成功したとはいっても、玉は不安定な形で後手が自分から攻め込んで勝つというわけにいかない。
後手の人間が先手のソフトに期待するのは、先手が苦し紛れに無理攻めしてくれることであり、それに乗じて攻めをきらして入玉してしまうことである。実際、少し前までのソフト(特に攻めるのが大好きなボナンザ系のソフト)は、無理攻めして自爆してくれることも多くて、それが人間の狙い目だった。
ところが、今回のボンクラーズは実に辛抱強かった。暴発せずに歩交換を繰り返して飛車の左右上下運動を繰り返して我慢した。勿論、コンピューターなので我慢しているわけではないのだが、今回は米長の押さえ込みが完璧だったので動こうにもさすがに動きようがなかったのかもしれないが。
逆に辛抱をきらしてしまったのは人間の方だった。△8三玉から金を4二から5三に盛り上がった。駒を集めてきてさらに盛り上がって自然なようにも見えるが後手陣には隙が出来ていた。
▲6六歩から角を5七に転換させる。後手の△7五に狙いをつけたのだが金が5三にあがってしまったために△3一角の受けの応援がきかない。また玉が8三にあがっているために8筋の飛車先が通っていない。
仕方なく△3四歩とするよりないが、再度▲6六歩から角交換を迫る。しかし、後手が角を交換してしまうと▲7二歩が厳しい。△同飛には▲6一角、玉か銀で取ると飛車の横ぎきが消えて▲2二角と打たれてしまう。
やむなく角交換を拒否したが、今度は7筋に狙いをつけられて以下手早く攻め倒されてしまった。もともと玉形が不安定なので手がついたら、もうひとたまりもない。
以上、ニコ生での渡辺明竜王の解説の要約なのだが、なんとコンピューターは相手の形の隙に敏感に的確な反応しているのだろう。
まるで練達のベテラン棋士のようである。動けなくなったら「仕方ないよ」とばかりに気のない様子で飛車を動かし続けていて、後手が油断して隙を見せたら急に座り直して正座になって熱心に読み出して見事にとがめてくる。コンピューターなのでそういうこととは全く異なる思考回路で動いているわけだが、結果的には人間のように思えるくらいにレベルがあがっているのだ。
米長はそんなコンピューターの辛抱を「大山のようだ」と表現していた。しかし、実際は大山以上に辛抱がきくし、それを別に我慢してやっているわけでもない。さらに、先手番だから千日手を打開しないとという思想自体がないし、打開しないとみっともないという人間のプライドとも無縁なのでたちが悪い。
コンピューターは純粋に読む能力だけでも既に脅威だか、さらに今回の展開で人間的な心の揺れが皆無なのも強力な武器なのだと感じずにはいられなかった。

それと、コンピューター側で言うと、今回ボンクラーズは手の内をほとんど明かして戦っていた。24で昼夜問わず戦い続けていたのもそうだし、開発者の伊藤さんは米長宅に行って練習用のボンクラーズを設置したそうである。恐らく対局条件等も、ほとんど連盟主導で決められたのだろう。それでいて、この結果である。例えば、ソフト側があらゆる情報を隠して人間に事前研究させないようにしたらどうなるのか、そんなことも考えてしまった。

ニコ生で解説していた渡辺は、現在のコンピューターの実力を率直に評価している感じだった。大変客観的で冷静な見方をする渡辺が言うと、とても説得力がある。以下はその発言の内容のまとめ。
ボンクラーズは24で3300点を出している時点で30秒将棋では既に全然人間がかなわないのは分かっている。持ち時間3時間でもこれだけ指せる。但し3時間ならやりようはあるとは思う。今日の米長先生の序盤のように。
引退されているとはいえ米長先生に勝ったらその事実は重い。(矢内 もうプロに近いレベルですか)、いや、「プロに近いレベル」という言い方はもう当てはまらないという気がします。
ソフトがもうこれ以上強くなることはあるんですかね?」(矢内 次に竜王がソフトと戦ったら勝つ自信はありますか?)楽観はできないですね。普段の大きな対局と同じ気持ちで戦うという感じですね。
かなり危機感をもっていることは間違いなさそうだ。但し、少し前の朝日のインタビュー
では、まだ人間の方が強いと思うし、将来的にもひとどく負かされることはないと思うと発言していた。だから、本当にどう思っているかは渡辺に実際に聞いてみないとハッキリとは分からないのだが。

ここまで来ると、コンピューター将棋が人間の将棋を超えるXデイももう夢物語ではない。
そうなった時の人間側の反応は様々なのだろうが、私の場合は単純明快である。
将棋の世界は無限に近いといっても有限で究極的には計算可能で解がある。だから、そういう世界で計算速度が人間より迅速な機械が勝っても別に驚くことではない。そのことで、直感で正しい手をつむぎだすプロの人間棋士の素晴らしさにはなんら変わりがない。チェスの世界だって、とっくに機械が人間を超えたが、それで人間のチェスが廃れたなどという話は聞かない。将棋だって同じことだ。最初はショックかもしれないが、すぐ慣れるだろう、と。
とは言っても、実は今はこれを言うべきではないかもしれない。折角、人間が強いのかコンピューターが強いのか、ハラハラドキドキできる時期なのだから、必死に人間を応援して楽しんだ方がいいのかもしれない。
それに、こんな悟ったようなことを言っていても、例えば羽生善治とか渡辺明という固有名詞が、もしコンピューターに負けたら、やはりかなりショックだろうし。このお二人には是非とも我々の楽しみを少しでも長く伸ばしていただきたいものである。

それに、どんなにコンピューターが強くなったとしても、こんな素晴らしいジョークを思いつくことが出来るのは、やはり人間だけなのだ。

虚構新聞 米長、敗退…最強将棋ソフト「ボンクラーズ」に迫る

囲碁将棋チャンネル特番「コンピュータからの挑戦清水市代女流王将 vs あから2010」感想

解説:勝又清和六段聞き手井道千尋女流初段、清水さんとあからの対局を解説した囲碁将棋チャンネルの特番である。
なお、以下の時間で囲碁将棋チャンネルで再放送がある。
1月23日(日)22:00から23;38まで

対局当時にも色々話題になった。しかし、もう忘れかかっているところもあるので、以下、この番組で新しく知った事を含めて要点のメモ。

・1984年にコンピューター将棋は小学生名人と対戦して完敗している。だいたい5級程度だった。ちなみに、当時の小学生名人は、現在の窪田六段である。
・「あから」は、将棋で現れる可能性のある局面数、10の224乗をあらわす「あから」にちなんでつけられた。
・今回、本体コンピューター以外に使われた「クラスター」(房)について、勝又先生が分かりやすい比喩で説明。「100人の社員がいる会社の社長(親コンピューター)が、まず読んで、有効だと思う手の順位に応じて60人の社員(子コンピューター)、30人の社員(子コンピューター)、10人の社員(子コンピューター)と振り分けて読ませる。さらに、その子のリーダーが孫へ割り当てるという方法。有効な方法と認識されているが、多くのコンピューターを使うためにトラブルの危険があるために、今回は合議でクラスターに割り当てる票数は意識的に抑えられた。
・あからが採用した4手目△3三角戦法。清水さんの将棋を分析して角換わり系の将棋に弱いと判断しての選択。YSSに特別にこの戦法を強く主張するプログラムを入れたが、実は直前にバグを発見。他の戦法を選ぶ確率が低いながらあったが、その対応をプログラマーの「合議投票」で決めて、そのまま直さなかったが、無事△3三角が選ばれたという裏話も。
・△3三角戦法は、去年の王座戦で、藤井が羽生相手な採用した。今回の大盤解説担当だった藤井は、苦笑いしていたとか。
・あからが採用した△2五桂ポンは、先に駒損するので、従来のコンピューターには指しにくかった。当然のように指してくるのは、コンピューターの評価関数が駒の損得だけでなく駒の効率などを考慮できるようになった証拠である。
・△4四角は、人間の感覚だと違和感があるが、「駒のきき」を重視する評価関数の影響もある。
・それに清水が角をあわせて△7七同角成に清水は自然な▲同金だった。藤井は▲同桂として、バランスをとってコンピューターに手出ししにくく組む順を指摘。実は、コンピューターは飽和状態になった局面の指し手が苦手なところがあるので、鋭い指摘ともいえる。
・二度目の△4四角を見て激指の鶴岡さんは、コンピューターが勝つのではないかと思ったそうである。こういう手が出るとコンピューターは強いとのこと。
・△4五同桂はGPSとYSSが主張。過激なボナンザは△7七角成を、大人な激指は△5三角を主張していた。ソフトの個性が顕著に出た場面。
・皆が驚愕した△6九金。激指はやはり大人な△4四角。GPSとボナンザが強く主張。やはり、この手も合議でもめた。
・△5七角。清水の▲7八金を見てGPSやボナンザはひよって受けの手を考え出したが、今度は激指が怒り出して△5七角を強く主張。さっき自分は△4四角と落ち着いて指したかったのに攻めちゃったじゃないかと。結局、激指の主張が通った。
・清水の▲7七銀では▲7七桂としておけば大変だった。大盤解説ではこれでむしろ先手優勢と解説していた。次に▲7四桂打の、つなぎ桂が厳しい。それを、局後に、藤井、佐藤康光、勝又で検討して藤井が△7一玉を発見。それで、あからが少し良いのではないかという結論だった。さらに、それを後日に激指の鶴岡さんに確認したら△7一玉も読んでいた。すでにこのあたりでは、実際少しコンピューターがよかったのかもしれない。そして、コンピューターのこういう終盤での読みは的確である。


(以下は私の感想です)

清水さんも、▲6六金など力をみせて、終盤までいい勝負をしていた。前半に時間を使いすぎたの響いて、後半惜しい着手もあったが、事前の一般の予想のことを考えれば、よく指していたといえるのではないだろうか。清水さんが、終局後のインタビューで、もっとコンピューターは意外な手を指してくるかと思っていたが人間の感覚に近いと感じた、と述べていた。評価関数の改善で指しての質が変ったことは指摘されていたが、こうして公式の場でしっかり一局を指してみて清水さんが言った言葉なので説得力がある。こうして実際に人間ときちんと指ささないと分からない部分もあるので、大きな収穫があった。
清水さんは白い着物がよく似合っていた。また女流名人戦でも着ればいいと思うのだが、さすがにゲンが悪いので無理だろうか。どちらにしても、清水さんは難しい役割をいつも通り堂々立派に果たされていたと思う。
はやめに△4四角と手放すのは、人間の感覚だと少し早いという印象もありプロもそういっていたようだが、逆に激指の鶴岡さんがこの手に手ごたえと自分らしさ(という表現をコンピューターに使うのもおかしいが)を感じていたというのも興味深い。コンピューターの指し手が人間的になってきたといっても、まだ中盤あたりまでは微妙な感覚の違いがあるように思う。人間側からすれば、それがつけこむ隙ともいえる。しかし、それもコンピューターらしい大局観として素直に学ぶこともできるレベルに達しているような気もする。少なくとも、△4四角は具体的に簡単にとがめることができる手ではなかったし。
藤井が、局面のバランスをとって飽和点にもってくる指し方を指摘していたそうである。そして、コンピューター将棋は、まだそういう局面が苦手と。羽生が言っていたが、プロ将棋では、お互いの手を消しあって有効な指し手が難しくて、むしろマイナスにならない手を指すように工夫すると述べている。つまり、プロ将棋の高度な部分がコンピューター将棋に対抗するキーポイントになるのかもしれない。逆に言うと、そういう部分でないと対抗できないくらいコンピューター将棋が成熟してきているともいえるのだろうか。もし、コンピューターが「羽生の手渡し」のような手を指すようになったら、人間は本当にピンチなのかもしれない。
コンピューターの合議の過程での各ソフトの個性も面白かった。ボナンザと激指は対照的な個性で、その合議の過程を誰でも擬人化してのべたくなるだろう。「個性」は人間の特権だと思われているが、実は将棋で「個性」と呼ばれているのは指し手に表現されている特徴のことであり、コンピューター・ソフトに「個性」があっても不思議ではない。今のところ、総体としての「人間」と「コンピューター・ソフト」の違いはあるが、それもかなり見えにくくなってきているような気もする。将来的には、人間もコンピューターも同等に各人(各体)が個性を競う時代が来るのだろうか。もしそうなったら、ちょっとした悪夢でもあるが。
藤井、佐藤、勝又の検討のことでも分かるように、やはり現在のコンピューター将棋の終盤力は相当なものである。それは、我一般ファンも、タイトル戦でのGPS将棋のツイッターの読みをみながら薄々感じていたところである。但し、どちらかというと個々の手をコンピューターが当てるかどうかで見てしまうので、線としての終盤全体ではどうなのかという疑問点もあったが、こうして清水さんと実際に指した終盤を見ると、率直に言って男士プロでも終盤については対抗するのが大変なレベルに来ているのではないかという気がする。プロの中でも、トップから色々なレベルがあるが、コンピューターかどの辺りに該当するのかは、素人には分かりにくいところである。それこそ、実際に戦ってもらわないと分からない。
△3三角戦法を選択するプログラムのバグのエピソード一つとっても、コンピューター将棋をを開発している技術者の方々は、一生懸命ながらもユーモアをもって楽しんで取組まれているという印象である。合議のプログラムを担当された保木さんは、倒れてしまうくらい大変だったそうだが。
将棋上では「人間」と「コンピューター」の対決という形だが、コンピューターを開発しているのは、勿論人間である。人間がその叡智をフルに発揮しなければ、例えば近年の評価関数の劇的な改善など不可能だっただろう。それを、ボナンザやGPSのソースコードの公開など、お互いがライバルながら、科学者が共同研究して真理を求めるように共同して取組んでいる姿には好感が持てる。
本質的には人間vsコンピューターではなく、人間と人間の叡智が競いあっているのだ。

続・将棋における人間とコンピューター雑感

先日、「運命の一手 渡辺竜王VS人工知能・ボナンザ」がNHKのBSで再放送された。この番組について、私は初回放送の際に感想記事を書いたので、ここ数日検索して見て来てくださる方がいらっしゃる。その記事自体は、私がコンピューター将棋について全く無知な状態で書いたので、内容的に不十分だったり過ちに近い部分も多数あるのだが、最後に書いていることだけは今もその考えに変りはない。
一方の保木さんも、なかなか魅力的な人物である。最後に述べていた言葉がとてもよかった。
「ボナンザは一秒間に四百万局面を読むが、それを軽く渡辺竜王の脳が凌駕していて、訓練された人間の脳のすばらしさを認識し、やはり人間の知性は素晴らしいと思いました。」
ソフト開発者が言うからこそ、重みもあるし感動的である。
これも以前書いたが、究極的に「計算可能」な将棋というゲームでは、ソフトが人間の名人より強くなる日もいつかは来るだろう。しかし、そのこと自体はゲームの性質上、人間にとっては決して恥ではないのだ。
むしろ、コンピューターの冷徹かつほとんど無限な計算力に、一瞬の直感等の能力をフル稼働して対抗する人間の脳の神秘、人間の能力のすごさを思う存分楽しみ、誇りに思えばよいのだと思う。
コンピューター将棋については、具体的な話題を含めて折を見て書いてきたのだが、今回は人間とコンピューターというやや漠然とした問題について論じてみる。しかし、実はこの問題についても既に一度書いている。

ものぐさ将棋観戦ブログ 将棋における人間とコンピューター雑感

本質的な問題なので、ここに書いていることと今も考え方は変っていない。一応今回書くことだけで完結するように努めるが、この記事に書いてあることを前提にして論じるので、余裕のある方は出来ればまずこれを読んでいただけるとありがたい。
周知の通り、ここ数年でコンピューター・ソフトは飛躍的に強くなり、今やプロに迫る勢いである。そこで、この数年の変化に関連して考えていることを今回補足で書いてみよう。
一番の本質的な変化は、コンピューター・ソフトの「評価関数」の精緻化だろう。度々、自分の記事の紹介になるが、その辺の事情については、こちらにまとめてある。

ものぐさ将棋観戦ブログ 世界コンピューター将棋選手権雑感

「評価関数」というのは、コンピューター・ソフトが局面の優劣を判断する際の基準になる関数である。これによって、自分がどの程度優勢か劣勢かを数値化してはじきだすわけである。GPSのツイッターでおなじみの、あの数字である。
古い弱いソフトでは、単純な駒の損得だけで局面を判断しがちで、そのため評価関数が人間の感覚とはかけ離れて結果的に指しても非人間的だった。
それを、二番目に紹介した記事中の勝又先生の分かりやすい説明を参照していただきたいが、駒の効率や配置を評価関数に組み込むことが開発者ののアイディアで可能になった。そのため、単なる駒の損得だけでなく、その場の形に応じたより人間的な指し手が可能になった。それは、現在のトップレベルのソフトの将棋をみれば一目瞭然である。
ただ、その際に問題点が存在する。今述べた駒の効率や配置を計算するにあたって、将棋は複雑すぎて人間の手計算では難しい。そこで登場するのがボナンザ式の「学習」である。ソフトに人間のプロの棋譜を多数データとして与え、それを自動的に学習させることで、駒の効率や配置(駒の損得)をふくめた評価関数をつくりあげる。そして、現在トップのソフトは全て何らかの形でこの「学習」方式を取り入れている。
つまり、コンピューターが局面を判断するにあたって、完全にオリジナルなコンピューターだけの思考を行っているわけではないのだ。間接的にではあるが、人間の将棋を「真似」することで評価関数の精度をあげている。
そこで、テーマの人間とコンピューターの関係になるのだが、実は現在の将棋の世界においては、完全な人間とコンピューターの対立が存在するわけではない。あくまで人間の指す将棋のデータをもとにしながらコンピューターに役に立つ言語へと翻訳する方式を採用しているからだ。
一方で、人間らしい直観力や形の把握能力や流れを考える力や美的感覚のセンスなどなどがある。他方、コンピューターは完全に自前の思考ではない。あくまで、今いった人間の様々な能力が詰まった棋譜をもとに、なるべくそういう人間の判断に近づけて判断できるように努力を払っているというのが本質だ。その評価関数においては、つまり人間になるべく近づけようとしながら、一方で機械が人間を凌駕する計算力で、その差をカバーしようということである。
しかし、今の議論は単純化しすぎで、実は現在の「学習」による評価関数には別の側面もあると思う。先ほど述べた人間だけの能力というのは確かに素晴らしいものだが、その一方で人間は自分の経験に基づいて物事を先入観を持って主観的に捉えてしまう危険が常にある。将棋で言うと、いわゆる「よい筋」にだけこだわって、「異筋」の好手に気がつきにくい。
コンピューターの評価関数は、人間の棋譜を参考にして学ぶが、勿論そのままではない。コンピューターの一切際曖昧なところに翻訳する。また、そうしないとコンピューターには役に立たない。だから、その翻訳の経過で人間的な細心な緻密な判断が失われるかもしれないが、その代わりに人間的な偏見やクセが消し去られるという建設的な効果も期待できるのではないだろうか。
さらに、コンピューターは手を片っ端から(実際はある程度選択しながらのことが多いが)読む。人間のように、直感で最初から大部分の手を捨ててて幾つかの候補に絞り込んだりしない。その結果、人間が習慣でつい見逃してしまう手を、コンピューターが先入観なく発見できる可能性だってある。
それは、実際に起きていることで、対局者のみが気づいて検討しているプロが全く想像もしていなかった妙手を、例えばGPSがいとも当り前のように指摘するのを何度も目撃している。
まとめると、人間には人間だけの芸術的できめ細やかで直感的な思考が可能だが、一方で経験則にとらわれて新しい非凡な発見をしにくい。一方、コンピューターは、人間と違って融通の利き思考が出来ないのが欠点だが、そのかわりまっさらな目で先入観なく新しい発見が出来る。
なるべく、具体的な評価関数の問題と関連させて論じてきたが、それは人間とコンピューターの一般的な関係について言えそうだ。そのことについては、最初に紹介した記事で書いているのでここでは詳しく繰り返さない。説明を省いて結論だけ書いておく。繰り返しになるが、ここまで読んで興味を持った方は記事を是非読んでください(笑)。
まず、現在の将棋において、人間もコンピューターも、将棋の「解」を将棋の神様のように理解しているわけではない点では同じである。別の方法、道をたどって、両者ともなるべくその「解」に近づこうとしている。
その際、基本時には人間の人間的な能力が大変有効で、まだ人間がコンピューターを本質的な将棋の把握能力では優越している。コンピューターも、局面把握においては人間的な思考を「真似」せざるを得ないのが現状だ。
一方、人間の指す将棋には、どうしても伝統的経験的な因習の限界が付きまとう。本当に客観的に将棋の神の視点でみることが、かえって人間的な能力が邪魔になって曇らされてしまうことがある。一方、コンピューターはその能力がまだ不十分だが、偏見のない目で将棋の神様だけの知る真理に近い澄んだ見方を出来ることも稀にではあるが出来る。
2010年12月の時点で、具体的なコンピューターソフトについて、今言ったような状態になっていると私は考えている。
先の記事を書いた時には、今言ったこようなことになれば「いいな」という書き方をしていた。しかし、現在それがある程度実現に近づきつつあるのでではないかと感じている。勿論、まだ全然達成はできてないとは思うが。
そして、私が理想として先の記事で書いたことは流石にまだ夢の夢だ。つまりこういうことだ。まず人間の素晴らしい能力がある、しかし、その能力には人間的な弱点かせあるので、それを偏見のないコンピューターの視点で明らかにする。そして、そのコンピューターの力を借りて、人間が自分の能力を冷静に見つめ直して、さらにら人間的なな能力を高めていく、ということ。
私は人間とコンピューターが対立するものではなく、お互いを利すると考えている。人間が本当にコンピューターの力を十二分に活用して自分を高めることが出来た時に、はたして何が起きるのか。
人間は完全に自由になるのだ。




囲碁将棋チャンネルの世界コンピューター将棋選手権特番感想

囲碁将棋チャンネルで、今年の第20回世界コンピューター将棋選手権の特番があった。この大会については動画を含めた素晴らしい中継が例年行われており(このページで如何に紹介する棋譜を全て閲覧可能)、それを全て見た人は全体像を把握出来ているかもしれないが、私は後から棋譜を中心に並べただけなので、ポイントがよく分からない部分もあった。現在は、棋譜をみただけではよく分からないくらいコンピューターソフトのレベルが格段に進歩しているのだ。その意味でこの番組は大変ありがたかった。解説は「勿論」勝又六段。聞き手の熊倉さんが、とても自然で素直な反応で番組に華をそえていた。

現在のコンピューター将棋を語る上で欠かせないのは、勿論ボナンザである。自動学習による評価関数(形勢判断基準のこと)作成で技術的なブレークスルーを成し遂げた上に、ソースコードの一般公開、さらにコンピューター将棋協会のライブラリー登録により、誰もがボナンザを利用して大会に参加することが文字通り可能になった。今回は、そうした「ボナンザ・チルドレン」の活躍ぶりが注目された。そうした自体を受けて、二次予選ではボナンザメソッドを使ったプログラムは2チームしか決勝に進出できないという制約までされたそうである。

初日の第一次予選では「稲庭将棋」が一身に話題を集めていた。将棋ブログでも一番このソフトが多く取り上げられていたのではないだろうか(笑)。それだけインパクトがあった。一切歩を突かずに専守防衛に徹して、相手の時間切れを狙うという作戦である。そして、稲庭将棋の画面には冷酷にも(笑)、相手の残り時間のみが表示されていたという。論より証拠、この局面をご覧になれば分かるように、相手は穴熊の上に伸び伸びとした陣形を築き上げているが、稲庭将棋が各筋に二つ以上の駒のききがあり場合によってはさらに応援もきくので、弱いソフトだと手出しが出来ないのである。稲庭将棋は見事? 一次予選を通過した。
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二日目の二次予選では、激指やYSSといった強豪も登場。この二チームは、ボナンザの自動学習ではなく、ずっとハンドメイドで評価関数をつくって進歩してきたソフトである。しかし、昨年ボナンザ勢に圧倒されて決勝で低迷し、ついに両チームとも今年は評価関数にボナンザ方式を採用しての参戦。つまり、純粋な手づくりの評価関数のソフトは、少なくとも上位ではついに絶滅してしまったのである。他にも、ボナンザを並列処理して、昨年の優勝ソフトのGPSをフリーの大会で破ったボンクラーズなども注目された。どちらにしても、あらゆるソフトにボナンザの影がちらつく大会となった。
勿論、稲庭将棋だけは例外である(笑)。二次予選での戦いぶりも注目されたが、やはり強豪ソフトには通用しなかった。稲庭が負けた瞬間に、他の開発者たちが一斉に歓声を上げ、稲庭の開発者の方が苦笑するという場面もあった。なかなかの見事なヒールぶりであるし(笑)、真面目な話としてはコンピューター将棋に対して面白い問題提起をした意義はきちんと認められてしかるべきだろう。

二次予選 9回戦 芝浦将棋 - 激指より。棋譜の57手目以降を見たいただければ分かるが、芝浦将棋がこわいこわい受け方をしてしのぎきってしまっている。木村一基でもこうはいかない。要するに、コンピューターは「こわい」という感覚がないのでとにかく寄らないとさえ思えば、どんなこわい順にでも平気で飛び込んでしまうのだ。図は後手の上下からの挟撃か受けにくそうだが、▲8八香が勝又六段いうところの「ピッタリ」の受けで先手玉がつかまらないそうである。
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最終日の決勝には、前年度優勝のGPSも登場。開発者の金子さんによると、ボナンザの自動学習、激指の実現確率探索、さらに東大将棋系の迅速な詰み検索などを全て取り入れているそうである。現在のコンピューターソフトを象徴する総合型のソフトともいえるのだろうか。さらに、今回は東大の300台のコンピューターをつかうという気合のいれようだった。女流の清水さんと戦う場合もとんでもないハードが使われそうなので、そういう意味でも注目された。
一方話題のボナンザは、「ボナンザ・フェリス」として、去年ボナンザの合議制で結果を残した文殊との協力を得ての参戦だった。
決勝 2回戦 GPS将棋 - 激指より。これは、私も大会直後に棋譜を見て感動した。GPSが見事な端攻めを決めて快勝したのだが、まるで人間ーそれもかなり強いプロクラスーが攻めをつないでいるかのようだったからである。勝又六段が指摘していたのは、下図の74手目あたりで、既にGPSは自分が優勢と判断できていたそうである。激指の穴熊が丸々残っていて駒の損得がなほとんどないのにもかかわらず。そして、その後の手順を並べていただければ分かるように、あざやかな端攻めを決めて、その形勢判断が正しいことを証明した。そもそも、端攻めが先にどんどん駒の損するので、ソフトには考えにくかった筈なのだが、人間のようにソフトが指せるよわうにっなた代表例といえるだろう。
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決勝 4回戦 Bonanza Feliz - 激指より。ボナンザがうまく攻めているように見えて、激指が巧みな反撃を見せる。図の△6六金打!歩頭の金。勝又六段は「羽生名人のようだ。」と表現していた。▲同歩だと△同馬が、先手玉への詰めろになっているのだ。ボナンザも看破して他の受けをしたが、最後はボナンザが詰み探索ルーチンを搭載していないのが響いて頓死をくらってしまった。
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決勝 4回戦 GPS将棋 - 習甦より。GPSの攻めがほどけないようだが、習甦が素晴らしい受けをみせる。図の△4一銀!▲同金ととると、次に▲3二銀と打っても後手玉が詰めろ担っていない!なので攻めあいで負け。以下もまるで長沼さんのように、というよりは長沼さんでもこうはいくだろうかという強靭な受けで受けきって、最後は悠々と攻めて勝ち。羽生名人も以前「コンピューターソフトは受けの方向で強くなる」と予言したそうである。
csa124手

最終的には激指しが優勝。開発者の鶴岡さんは、強くなった原因の7割はボナンザの自動学習のおかげと言われていた。謙虚で素晴らしい。
勝又教授も「ソフト開発者は皆、仲がよい。」と指摘されていた。確かに、開発者同士が仲良く談笑する場面が何度も映し出されていた。勿論、開発者同士もライバルなのだろうが、ソフトを強くしたいと言う目標では一致していて、ある種共犯的に共同戦線をはって、ソフトを強くしているのかもしれない。




第20回世界コンピュータ将棋選手権

かつて、ロラン・バルトは引用だけで出来上がっている書物を書きたいとして、おかつそういう書物こそ理想の書物なのではないかと言った(かどうかいきなり記憶が曖昧で定かではない)。
コンピュータ将棋選手権についてまとめ記事を書こうと思ったのだが、リアルではちゃんと見ていない上に。詰め将棋メモさんの膨大かつ楽しいなリンクを辿っているうちに、すっかりやる気が失せた。下手なまとめ記事を書くよりも、それらの記事の中から面白い箇所を引用した方が良いのではないかという気がしてきたのだ。かつて、菊地成孔が伝説の「ティポグラフィカ」のアルバム"God says I can't dance" のライナーで書いたように「パクリとサンプリングに飽き飽きした」時代にふさわしく。
と言うのは、私がまとめ記事を書く根気を失った言い訳に過ぎない。以下にあげる記事で興味深いものを読まれたら、今回何が起きたか自然に分かるようになっているはずだ(ほんとかよ)。引用箇所は別に重要なものでははなく、私が勝手に面白いと思ったところであることに過ぎないも、あわせてお断りしておこう。
最後に、私がいたく気に入っている菊地のライナーの該当箇所を勝手に強引に完全に「引用」しておく。
パクリとサンプリングに飽き飽きした神がヘッドフォンを外しながら叫ぶ"これじゃ踊れないよ"
(変拍子の鬼、「ティポグラフィカ」)

ちなみに作者曰く「Bonanzaに3回に1回は勝てる」らしいです
稲庭将棋が強すぎてこまるw 毎日がEveryDay!

コンピュータ将棋界に颯爽と現れた「ボナンザ」と、そのライブラリを利用して強豪と化し増殖する「ボナンザチルドレン」の様子に当てはまる。
やがてループ界から現実界にも侵食を始めたリングウイルス。ボナンザチルドレン(とその他コンピュータ将棋)も、現実界に進出し、プロ棋士を凌駕していくことだろう。今後も脅威を増し、プロ将棋界の権威を失墜させ、破壊していくのだろうか。一方で、それに対抗する「ワクチン」は現れるのだろうか・・・。
少なくとも、「稲庭将棋」はワクチンにはなれなかったようだ。
floodgateとループ界 将棋の神様〜0と1の世界

▲GPS将棋−△ボンクラーズ戦では、中継で「300台のうち何台かは(無理攻めを)止めようとしなかったの?」という声も聞こえ、

東ハトつぶつぶコーンが美味しい日 センプレ・アタッコ仮設倉庫

それにしても今年のソフトは、ひょろりとした新人レスラーが筋肉をつけ始めたときのような迫力を持っている。その腕っぷしは、まだ小橋健太ほどの太さはないけれど、しかしはっきりとうなりをあげはじめた。たしかにとんちんかんなこともたまにやらかすが、これだけ体力があると、そのとんちんかんをとがめてから勝ちに導くのは容易なことではありません。
第20回コンピュータ将棋選手権 電子書籍、ヴォーカロイド、そしてコンピュータ将棋

発案者は伊藤果七段です。「飛車が自陣内を動く様子がくるくる回る風車を連想させ」*4ることから風車と名付けられましたが、この陣形、ご覧の通り隙がなくて受けには強い反面どこから攻めればいいのか分かりません。つまり「先手でも千日手歓迎」で、相手が動いてきたところでカウンターを狙うのがこの戦法の骨子なのです。
第20回世界コンピュータ将棋選手権に鬼将会登場 三軒茶屋 別館

私の理解では、ボナメソは4万局とかで全部サーチして結果を貯めておいて、最後に評価関数を更新するので分類としてはバッチ学習になりますだから8coreで一ヶ月かかったりする(深さが3とかなので)激指はなんと8深さで学習してるそうで、それができるのはオンライン学習だからと思います。その場ですぐ評価値を更新するオンライン学習だから、8深さなんて学習が可能になるわけです。(ただ、これをやるとノイズに弱くなるし、初めたときの棋譜の性質に引っ張られるので、 そう簡単にはうまく行かないはず。ボナメソがまとめて更新するので、ある意味、 平均化されて、ただしく神の方向を目指せるわけです)
2010-05-04 小宮日記


どうも、コンピュータは端攻めを苦手としているらしい。端攻めは、何歩かを打って(捨てて)例えば桂馬と香車を交換する、なんていう攻めになるわけで、駒損−駒損の手をコンピュータの指標で「良い手」とするのは難しいとのこと。端攻めが苦手というと「穴熊に対して端は攻めないのか?」と熊倉先生が質問していたが勝又先生曰く、そのあたりが随分改良されてきたらしく2回戦▲GPS将棋対△激指戦で▲GPS将棋が指した9三歩など目覚しい進歩と評していた。
第20回世界コンピュータ将棋選手権の解説会に行ってきました いつも笑顔で

これは以前からBonanzaに対して言われていることで、Bonanzaは詰将棋ルーチンをあえて入れていないとのことですが、過去の対渡辺明竜王戦の終盤で痛恨の読み落としで敗れたのもこのあたりに問題があったと思われます。今大会でも最後の最後になってバタバタと敗戦へと転げ落ちていく場面が多々見られました。
第20回世界コンピュータ将棋選手権 最終日 Thinking every day, every night

大会終了後全ての棋譜を見て私が印象に残った事は、戦法について。前回大会と比べて振り飛車が減り、相居飛車のわりと新しい戦法が多く見られたように感じました。これはどこに原因があるのでしょう。また振り飛車の将棋は全体的に古い形(角道を止めるタイプ)が多く、プロで大流行の(角道を止めない)力戦振り飛車の将棋がすごく少なかったように思います。
コンピューター将棋選手権など 遠山雄亮のファニースペース


たとえると、300人分仕事ができる人が一人いるよりも300人の部下を使う上司は大変という感じで、故障の可能性が増えたり、リソースの取り合いが起こったり、分担した仕事が上層部の方針変更で無駄になったり等、性能が上がらない要因が色々あります。
世界コンピュータ将棋選手権報告 駒得少年の冒険


ただ、会場で、激指が激指っぽくなく、「決勝のソフトの指し手は皆同じに見える」といわれていた人がいて、なるほどなあと感心しましたYSSもかつてのYSSとは別人なのかもしれません。学習するということは、プログラマーが与えた人格がどんどん失われるのだろうと思います。これは、手動の辞書の人工無脳と、マルコフ連鎖の人工無脳にも言えることと思います。
bonanzaはなぜ凶暴なのか? 小宮日記

囲碁では、局面評価を諦めるという大胆な発想が注目されています。簡単に言うと、適当に着手した結果、後にその手が有利になるのか不利になるのかをシミュレーションして、着手の良し悪しを判断するのです。 これは、モンテカルロシミュレーションというやりかたです。*7 こうした戦略をとるAIを用いて、9路盤なら人間相手に十分な強さになっているそうです。
第20回世界コンピュータ将棋選手権  アブストラクトゲーム博物館

保木氏に「null move pruning」について質問した。大会2日目のネット中継で激指の鶴岡氏とパス手について何やら語っていたので、その確認。ボナンザの「null move pruning」は(ネットで調べて出てくる)普通の手法。「パスしてやったのに自分が良くなる」=「相手が悪手を指した」という考え方に基づいて悪そうな手をカットする。これに対して、激指やGPSの実現確率探索では(読みが深くなると)良さそうな手のみを生成する。この際に良さそうな手の一つとしてほどほどに良い、穏やかな手としてパス手を候補に入れる。「パス=最善手じゃないから」(後ろ向き)と、「パス=そんなに悪くない」(前向き)ではずいぶん考え方が違う気がするが。いずれにせよ将棋世界の連載で抱いた違和感は解消した。
第20回世界コンピュータ将棋選手権 主砲射撃指揮所

コンピューター将棋の話題 vol.1

1 第14回コンピュータ将棋オープン戦 (2010年4月4日開催)

第14回コンピュータ将棋オープン戦 中継サイト

このオープン戦には、おなじみのGPS以外にも人間の今泉健司さんが参加したのが注目された。今泉さんは、元奨励会三段で、退会後にも近年三段リーグ編入試験に合格して奨励会で戦われていた強豪である。また、2手目△3二飛戦法の開発により、将棋大賞の升田幸三賞を受賞された。そういうほとんどプロとも遜色の無い実力の持ち主がどういう戦いを見せてくれるのか、今秋のコンピューターソフトと清水女流二冠の対戦の行方を占う上でも注目された。
今泉さんは、現在ブロでも猛威を振るっている、石田流や先手中飛車を採用されていた。対GPS戦では、先手で石田流を採用してうまく立ち回ったかに見えたのだが、GPSも粘り強く対応して力のこもった攻防が展開する。そして迎えた下図。今泉さんが▲8三桂と後手の飛車を詰ましたのに対してGPSが指したのは△7二飛!
csa62手


自分から飛車とと金(歩)を交換にいくのだが、そのことで後手玉にとって目障りで圧迫感を与えていると金を消すことが出来ればよいという大局観である。まるで人間のようだ。いや、人間でもこの手をさせる人はどれくらいいるのだろうか。もしGPSの棋譜でなく羽生さんの棋譜だと言って見せたら「羽生マジックだ」と叫んでしまうのではないだろうか。
以下、GPSが今泉さんを負かしてしまった。
さらに、このオープン戦では「ボンクラーズ」という新星ソフトが登場して、GPSも今泉さんも負かしてしまう。コンピューター将棋も戦国時代のようである。

A級リーグ指し手1号 インサイド・ボンクラーズ

開発者の方が解説されているのだが、ど文系の私には正直チンプンカンプンである。いろいろな方に教えていただいたところ、
A ボナンザの探索エンジンを使用している、いわゆる「ボナンザ・チルドレン」の一つである。(ボナンザがソースコードを公開したことで、このようなことが可能になった。)
B 「複数プロセス」検索という方法で複数のコンピュータを活用して、1つのプログラムの検索速度を高速化している。
ということのようである。やはりボナンザ・チルドレンで、これとはまた別の「合議」の手法を用いる文殊というソフトも成功をおさめていたが、こういった、「複数プロセス」検索、並列探索、合議といった様々な手法を用いることでオリジナルのボナンザをさらに強くすることが可能なようだ。従って、今年度の世界コンピュータ将棋選手権では意外な無名ソフトが突如優勝をかっさらうということもありえない話ではないのかもしれない。

2 GPSが「珍しく」みせた弱点について

王将戦ではGPSがゴキゲン中飛車▲5八金右の超急戦で▲4四角の「GPS新手」を発見したり、終盤でのスマートな勝ち方を指摘したり(私のブログでも紹介した)して、最近GPSの強さが際立っている。GPSの強さ、読みの鋭さについては、twitteでの棋譜解析をご覧になられている方には、最早説明不要だろう。
一方で、GPSの問題点といえそうな局面もあった。
久保が王将位を獲得した将棋で、最後に奇跡的な三連続限定合い駒で自玉が詰まないというのがあった。その際、控え室の検討では事前に気付き、羽生が詰ましにいってしまった時点で、久保勝ちを結論づけていた。ところが、GPSは先手羽生有利の判断が長く続き、なかなか久保勝ちに気付けなかった。こうした現象が、詰む詰まないの段階で起こったのはちょっと意外だった。
将棋世界連載の「コンピューターは七冠の夢を観るか?」4月号によると、探索を効率化させる方法を用いる反面、いわゆる読みぬけのようなものが生じることもあるようである。コンピューターは単純な詰みの局面以外は無制限に先を全て読むわけではないので、とくに王手が長い攻防、あるいは穴熊のように何度も超手数の攻めや受けを繰り返す展開が苦手なのだろうか。片上六段がtwitterで、このように指摘していた。
王手が長く続くと、前の評価に引きずられてうまく引き返せない、ところがあるように思うのです。
さらに、棋王戦第四局で、久保が強烈な端攻めで勝ちきった際にも、控え室はかなり早い時点で端の重大さに気付いて久保よしと判断していたが、GPSがなかなか気づけないということもあった。再び片上六段のtwitterより。
GPSは人間の直観である端攻めを大疑問手と判定。読みの中ではむしろ先手から攻めてるしw
端・玉頭の攻防は人間に残された砦のひとつ。なのかどうか。
端の攻防については、人間の大局観でも正確な判断が難しいので、コンピューターソフトにとっては苦手なのかもしれない。
このように、GPSにも、恐ろしく強い部分と弱点があるようだ。それは人間と同じであろう。(近い)将来に本気で人間がコンピューターと戦う際には、こうした弱点を徹底的につく方法が追及されるようになるのかもしれない。

3 大山康晴十五世名人の「予言」

これについては方々で取り上げられているので、ご存知の方も多いのかもしれないが、とてもインパクトがあるので改めて紹介させていただく。

将棋ペンクラブログ 大山・升田のコンピュータ将棋観

大山康晴十五世名人
「人間が負けるに決まってるじゃないか」
(東公平「升田式石田流の時代」より)
大山名人はコンピュータに将棋をやらせることに反対して「人間が負けるに決まってるじゃないか」と予言していた。
実に冷徹な現実主義者らしいものの言い様である。「負けるかもしれない」ではなく、「負けるに決まっている」とは。
大山の勝負哲学には、「将棋において必ず人間は間違える。」というのがあったという。また、そういう間違いを誘うような指し方も意識的にしていた。そんな大山からすると、「間違えない」機械は、大山流の勝負術を用いることができない困ってしまう存在だったのかもしれない。
これは、コンピューター将棋についての予言としてよりは、むしろ大山将棋の本質を考える上で貴重な証言なのかもしれない。


一応、また気が向いたにらコンピューター将棋については書くつもりで「vol.1」としましたが、このまま続編が出ない伝説のジャズアルバムのようになるかもしれません。
なお、コンピューター将棋については、以下のページが大変充実していて、こちらを見ていればほとんどの出来事は追えるはずです。

詰将棋メモ コンピュータ将棋2010
詰将棋メモ 情報処理学会が日本将棋連盟に「コンピュータ将棋」で挑戦状
詰将棋メモ 第20回世界コンピュータ将棋選手権

コンピューター将棋と人間のプロ棋士が本格的に対決へ--情報処理学会が日本将棋連盟に「コンピュータ将棋」で挑戦状

情報処理学会が日本将棋連盟に挑戦状を叩きつけ、日本将棋連盟もこれにこたえて対戦を受諾。今秋にも、コンピューターソフトと清水市代女流二冠の対戦が正式に決定した。

社団法人・情報処理学会 ブレ(本件に関するFAQ)スリリース
(本件に関するFAQ)
日本将棋連盟 コンピュータからの挑戦状
コンピュータ将棋協会blog 日本将棋連盟への挑戦状

各メディアの記事リンク(google検索)

情報処理学会が「コンピュータ将棋を作り始めてから 苦節三十五年 修行に継ぐ修行 研鑚に継ぐ研鑚を行い 漸くにして名人に伍する力ありと 情報処理学会が認める迄に強い コンピューター将棋を完成致しました」と自信の程を示せば、日本将棋連盟も「挑戦状確かに承りました いい度胸をしていると その不遜な態度に感服仕った次第」と答え、丁々発止である。
コンピューター将棋と女流棋士界が同じ生誕35年ということで、女流棋士の代表的存在でもある清水市代が対戦相手に決まった。
なお、現在の将棋界では、奨励会というプロ養成期間を成績優秀で卒業した者のみが本当の将棋プロでとされ、今のところ男性しかブロ棋士はいない。女流棋士はそれとは別枠の女性プロであり、女流棋士だけによる棋戦を行っている。清水市代は女流将棋界を牽引してきた第一人者である。(最近では、現役高校生の里見香奈が清水から女流名人位を奪い、世代交代も進みつつある。)
ちなみに、実力的には、清水など女流棋士トップ=あるいは<奨励会三段(プロ一歩手前)<普通のレベルの男性プロ<羽生善治等トッププロという感じなのではないかと言われている。つまり女流棋士のトップは男性プロとほぼ遜色ない実力の持ち主だが、羽生といったトッププロと比べると、実力面ではまだ及ばない。
つまり、今回はコンピューター将棋とほぼ男性プロクラスの棋力の女流トップとの対戦である。従って、どちらが勝っても今回で人間とコンピューターの勝負に決着がつくというわけではない。今回の発表によると、段階を追ってコンピューター将棋が人間のプロ名人(現在は羽生善治)に挑戦するプロセスを結果次第では辿っていくということのようだ。
一方、コンピューター将棋の現在の実力はどうか。当初は将棋の場合はチェスと比べるとソフト開発が難しいとされ、アマチュア初段から低中段程度のレベルが長く続いた。指し手も人間とは全く感覚の異なる駒得のみ重視の筋の悪い将棋だった。それが、技術開発のノウハウの蓄積で、アマチュア高段に近いレベルにも達し、指し手も次第に人間の感覚に近づいていく。
さらに、ボナンザというソフトが、コンピューター将棋の世界での技術的ブレークスルーを巻き起こす。従来のソフトが局面の形勢判断を人間の手作業に頼っていたために複雑多岐な将棋の構成要素に対応できていないという難点があったのだが、ボナンザは将棋の棋譜をコンピューターに自動で学ばせる「自動学習」のメカニズムを取り入れることに成功する。そのことで、より人間に近い自然で柔軟な対応力のある形勢判断が可能になった。
(コンピューターは、指し手の組み合わせを(ある程度は)片っ端から読むのだが、折角たくさん読んでも、読んだ局面が優勢なのか劣勢なのかを正確に判断できないのが従来の一番大きな弱点だった。)
ボナンザは、初出場のコンピューター将棋選手権で優勝するという快挙をなし遂げる。それ以降、コンピューター将棋のレベルが飛躍的に高まり、現在はほぼプロに匹敵するレベルにまで達していると言われる。
さらに、ボナンザの開発者が、ブログラムのソースコードを公開して誰でもそれを参考にしたりもそのまま使うことが可能になり、多くのソフトが自動学習を取り入れ、現在は「自動学習」全盛時代といわれる。(但し、従来の手づくり方の「激指」という有名ソフトもトップレベルの実力を維持しており単純にはいえない。なお、「激指」も「選択探索」という手を読む方法上の技術的ブレイクスルーに成功したソフトである。)
現在は、多くの強豪ソフトが競合する戦国時代である。また、現在twitterを利用して、コンピューター選手権で優勝したGPSなどのソフトが、ネット中継されるプロのタイトル戦を解析する試みを行っている。それを観ていると、とくに将棋の詰めの段階の終盤では、ソフトはトッププロの指し手をかなりの高い精度で的中させ、場合によってはプロの妙手を事もなげに言い当てたりしている。将棋には様々な総合的な要素が存在するが、現状ではある部分では一般プロを既に凌駕しているのかもしれないという印象さえある。
従って、情報処理学会が日本将棋連盟に挑戦を申し入れたのは時宜を得ているといえよう。表面的には、エンターテイメント的なやり取りが両者の間でなされているが、コンピューター将棋側は本気なのである。また、将棋連盟側がどういう認識なのかは知らないが、人間側にとっては既に実は厳しい状況なのではないかという見方をする人間も多いのだ。
実際、エキシビジョンマッチではあるが、コンピューターソフトが、トップアマや奨励会三段経験者(プロ一歩手前)を次々に圧倒的な内容で負かしている。その負かされたトップアマが、プロとの交流戦で若手有望格のプロを多く負かしているのだ。

コンピューターソフトと人間プロの対戦では、2007年にボナンザと渡辺竜王の対戦が有名である。結果は渡辺竜王の勝ち。但し、予想に反してボナンザが渡辺竜王を苦しめ、終盤ではボナンザが勝ちになる手順すらあった。しかし、基本的にはまだ人間とは差があって、竜王が順当に勝ったという印象だった。しかし、ボナンザがそのとき使っていたのは、現在と比べると、もはや「かなり弱い」バージョンであり、コンピューターのその後の実力の飛躍振りは著しい。
日本将棋連盟は2005年の秋よりコンピューターソフトとプロ棋士・女流棋士の公式対局を禁止してきた。今回は、ボナンザ・渡辺戦以来の公式対局であり、今後の展開も含めて目が離せない歴史的な出来事(の始まり)なのである。

さて、簡単に今までの経緯をまとめてみたが、今回の注目点についていくつか。
今回挑戦を受けることになったのは、清水市代女流二冠である。当初、対戦相手としては里見香奈女流名人が予定されていたそうである。それに対して、里見が先輩のタイトル保持者を立てて、清水と矢内女王に優先的に聞いてみて、もし二人とも辞退した場合に自分が対局すると答えたそうである。経験実績上、おそらくまず清水に話が行ったものと思われ、それで清水がコンピューターソフトとの対戦を受諾したのだと推測される。現在のソフトのレベルの高さを、清水ならば当然知っているはずで、決して喜んで戦うという心境ではないはずだ。しかし、逃げずに戦うことを選択した。そこには、女流の第一人者としての自負やとプライドが感じられる。さらに、うがった見方かもしれないが、現在売り出し中の高校生女流名人の里見香奈が万が一にも傷を負わない様に「守った」ともいえる。とにかく清水の心意気は素晴らしいと思う。

気になる大全相手のコンピューターソフトについて。
Q:対戦ソフトウェアは既に決まっているか
A:合議アルゴリズムを用いる方針になっています。複数のソフトウェアを疎結合で並列計算させて、それらの意見を集約して、次の一手を決定する手法です。現在のところ、限られた実験では効果が認められており、これを実際の対局に用いる方向で検討しています。個々の参加ソフトウェアの候補は、プロジェクトに現時点で参加しているGPS将棋、Bonanza、激指、YSS、TACOS、柿木将棋などです。
(本件に関するFAQ より)
つまりコンピューターソフト選手権優勝の最強単独ソフトでなく、いくつかの有名ソフトを合議させたソフトを用いるということである。実際に、この合議制は有効に機能しており、本家ボナンザに対して、ボナンザの複数の子を合議させた「文殊」というソフトが勝利したこともある。それを、現在の有力ソフトを総動員して行おうというのだから、コンピューター将棋側の並々ならぬ決意が伺える。実際にうまくいくかどうかは未知数で、場合によっては単独ソフトの可能性もあるようだが、仮にうまく行った場合には文字通り「最強ソフト」が登場する可能性もある。


Q:対戦に使用する計算機は何を使用するのか
A:現在のところ、東大、京大、筑波大などの並列処理大規模計算機環境のグリッドを使う方向で検討しています。バックアップ体制として、Xeonマシンを複数並列に繋いだ環境も並行して整備する予定です。最終的には一か月前に決まります。
(本件に関するFAQ より)
使うハードについても、コンピューター将棋側は本気である。現在のソフトは、家庭のパソコン程度の環境でも十分強い。それを、最高のハードを利用しようというのだ。この点が、今までと一番異なる点で、これがとのような影響・変化を生み出すのかが、一番読みにくい部分なのかもしれない。チェスのカスパロフが、巨大なディープ・ブルーと戦ったのと似たようなイメージをすればよいのだろうか。

とにかく、コンピューター将棋側は、あらゆる可能な手段を尽くして戦う準備を整えている。人間側も、徹底的な研究、バックアップ体制を整えて、清水個人に任してしまわないようにしていただきたい。

最後に、人間とコンピューターの勝敗のつけ方について一言。出来れば一番勝負と言うのは避けてほしい。将棋というゲームは、ある程度実力者があっても、弱い方が展開次第では勝つことも可能である。大駒一枚くらい差があっても、弱い方が勝ってしまうこともありうる。だから、最低でも三番勝負以上の設定をして欲しいと思う。

なお、この話題についてはセンプレ・アタッコ仮設倉庫さんが毎日書かれていて、本稿を書く上で大変参考にさせていただいた。

王将戦2010第五局の最終盤でGPSが指摘していた簡明な勝ち方

第五局は名局になった。久保が▲6五銀という意表の手で見事に捌けば、羽生が飛車取りを放置しての△7八馬というそのまま次の一手問題になりそうなマジックで返すという、両者の持ち味が存分に出る展開になった。
ところが、局後に最後のところで久保が▲3五桂としておけば、難解だった事が判明。一応よく調べると羽生勝ちという事の様ではあるが、十分に検討した結果分かる難しい変化で、実戦の時間のない中で、もし指されていればどうなっていたかは分からない。
しかし、私がここて紹介したいのは、その少し前のところでGPSが指摘していた読みである。(私自身が気付いたのでなく青葉記者のtwitterのつぶやきでこれを指摘している人がいたことを知った。)
GPSのtwitterより。
gpsshogi [(102) △3六桂] -3029 ▲1八玉△7九飛▲4三飛成△1三玉

2010王将5局a100310103手

本譜は▲1八玉に対して羽生は△2八金と清算する順を選んだ。ごくごく自然である。しかし、GPSは-3029の評価値で分かる通り、△7九飛と打っていれば、ほとんど終了級でしたよと主張しているのだ。
△7九飛は次に△3九飛成が詰めろなので、先手は詰めろで迫らなければいけない。▲4三飛成は▲3二竜以下の簡単な詰めろだが、なんとここで△1三玉の絶妙の早逃げ!
2010王将5局b100310106手


つまり、▲3二竜とすると、竜の横ききがなくなるので、後手が△2五桂と跳べるので先手玉が詰んでしまう。また、▲3二角成が後手玉への詰めろになっていないのだ!(一応ソフトにかけて確認した.)かといって先手に持ち駒がないので適当な受けもない。ということで、簡明に後手勝ちというのがGPSの主張である。これは、ある意味▲3五桂の変化よりもショッキングなのではないだろうか。GPSおそるべし。



「コンピュータ将棋を用いた棋譜の自動解説と評価」について

今年度の世界コンピューター選手権で優勝したGPS開発者の金子知適先生が、twitterを利用した自動棋譜解説について論文を書かれている。

金子知適 「コンピュータ将棋を用いた棋譜の自動解説と評価」

大変興味深い内容なので、コンピューター将棋に興味がある方は読まれてみることをおすすめする。
その中で、具体的にプロ将棋を解析した内容について論じている部分があるので、将棋ファンの立場から簡単に感想をまとめておく。
 
4 実験結果:コンピューター将棋による実況
4.1 形勢判断がおおきく変化した局面の検証

4.1.1 控え室の評価と一致した局面

twitterでGPSやBonanzaや大槻将棋がプロ棋戦の自動解析を開始してから、我々ファンは中継を見ながらコンピューターソフトの読み筋や局面評価を参照することが可能になった。その際、特に個人的に印象的なのは、トッププロが人間ならではの大きなミスを終盤で犯してしまった場合に、ソフトが決して見逃さないということである。
具体的には次のようなことを何度も体験した。
?大きな疑問手がでて控え室がざわめく。「これはなんだ、だいじょぶなのか」
?ソフトの評価値を見てみると、直前の手から疑問手で評価値が大きく変動したり、プラスとマイナスが反転したりしている。
この論文中で挙げられている例のうち、竜王戦挑決第一局(図10)と新人王戦第一局(図11)については、どちらかというと分かりやすい一手バッタリである。この程度ならある程度のアマチュアなら、自力で理解できるかもしれない。
しかし、竜王戦決勝トーナメントの羽生vs片上戦(図9)の場合、かなり強いアマでなければ、すぐにはっきりした疑問手とは理解できないと思う。この対局の場合、確か渡辺竜王が控え室にいて問題を指摘していたので、我々ファンも疑問手だといわれて理解したという感じだったと思う。(但しプロにとっては、やはりすぐ分かるレベルのミスのようである。)
しかし、GPSは、この手できちんと評価値を変えていた。かなり高いレベルでコンピューターがプロ将棋を理解できているのだなと観戦していて感じた。正直言ってかなり驚いた。他にも、こういうレベルの「普通のアマチュアには、すぐに疑問手とは分からない」レベルの手を、コンピューターソフトが冷徹に指摘できているという印象がある。逆に言うと、コンピューターソフトは、最早終盤では人間のような大きなミスを犯す可能性が低いということだと思う。あくまで「大きな」ミスという条件付だが。

4.1.2 GPS将棋の読みが及ばなかった局面

金子先生は、客観的に謙虚にGPSがブロ将棋を理解できなかった例もあげられている。但し。プロがミスした例がとても分かりやすいのと比べると、それほどはっきりした間違いというわけではなく、人間より罪は軽い(笑)という印象を受けてしまうが、どうだろうか。
王座戦挑決(図13)については、これは確かに大きなコンピューターの大きなミスといえるかもしれない。コンピューターの読みが、後手玉の頓死の筋を見逃してしまっている。当然勝敗に直結する。コンピューターの得意な詰みの領域で、こういうミスがでるのは不思議だが、何手先まで読むかの設定などと関係しているのだろうか。なお、頓死の筋を見逃さないように修正を加えられているそうである。
王位戦第四局(図12)については、△6九銀の時点では、既に後手の深浦勝勢で、以下数手で木村が投了した。それをGPSは理解できなかったということなのだが、それでも直前で-1000程度としていて、後手がかなり良いことは理解できているのだ。つまり、後手勝勢であることを認知するのが遅れただけで、これはそれほど大きいミスとは思えない。
竜王戦挑決第三局(図14)についても、GPSは先手が良しと認識できなかったとされている。この将棋は森内が▲6二角成とじっと成ったのがいかにもらしい好手で、以降後手にチャンスはなかった将棋と「対局後は」言われた。しかし、実況では、どうも先手が良さそうとしながらも、まだまだ後手にも何か手段がありそうだと控え室では検討が続いていた。GPSも先手有利を認知するのが少し遅れただけで、それまでもほんの少しの先手マイナス値評価で、別に先手が悪いと認識しているわではない。これも、ひれほど大きなミスとは思えない。というよりは、森内の▲6二角成の時点で、コンピューターが先手勝ちを見切れていたらこわすぎる(笑)。
最後の王位戦第七局(図15)。これも難解な終盤戦で、GPSの評価値がゆれて、先手勝ちを認識できていなかった例とされる。しかし、この本譜の順も本当にギリギリのきわどい手順だし、しかも先手玉の入玉がからんでいる。恐らく入玉の局面評価はコンピューターにとって大きな難点・課題だろうし、ここでも正しくどちらがいいかを数値化して評価するのは至難の業だろう。
この部分は、あくまで評価値が大きく変わった場合について論じられている。しかし、終盤の場合は、最早多少の評価値のゆれよりも、実際に正しい手順で指せるかどうかがポイントである。現在のコンピューターソフトのレベルでは、むしろ評価値が多少不正確でも、指してくる手は的確ということが多いのではないだろうか。また、実際、人間ののトッププロでも、難解な終盤では大まかに勝ちそう負けそうという直感はあっても、本当に最後の最後までよく分からずに指していることが多いのだと思う。羽生さんの手が震えるのだって、本当に最後の最後なのだ。
だから、コンピューター将棋の終盤を評価するためには、評価値の動きも大切だが、それ以上に具体的にどういう手順の読みをしているかを具体的に分析するのが大切だと思う。勿論、そのような作業は私程度の棋力のアマチュアの手にはあまるし、それこそプロ棋士の助けが必要だろう。
その一例として、将棋世界の1月号から始まった片上六段によるシリーズがある。早速読んでみたが、GPSの読みについて、片上六段が自分の読みを披露して人間とGPSの読みや感覚を比較検討するという興味深い内容になっている。

コンピューター将棋の実力という面から感想を述べてきたが、それ以外にGPSがプロ将棋を自動解析して、一手ごとに形勢判断して数値化して表示してくれていることで、我々アマチュアは鑑賞が楽しくなったという側面も決して見逃せないだろう。将棋は専門性が高いので、ほとんどのアマチュアは解説なしでではプロ将棋を理解できない。その際に、かなり実力の高いソフトが、得点ボードのように形勢判断を全ての手で表示してくれるというのは、大変ありがたいことである。そういう、将棋鑑賞の助けになっている側面も、我々ファンは決して見逃してはならないし、また、ソフト開発者の方々に感謝すべきだろう。

コンピューター将棋雑感

コンピューター将棋関連の話題をいくつか。

竜王戦第三局で渡辺竜王の会心の一手△7九銀をGPS将棋が言い当てて話題になったが、竜王戦第四局でも、森内挑戦者の工夫の一手△2二角もコンピューターソフトが言い当てていた。この手については控え室のプロも驚いていたし、またしても似たようなことが起こった。しかも、この局面はコンピューターが最も得意とする終盤ではなく中盤の「構想力」を問われる場面での一手なのである。この一手に限らず、全般にソフトはもはや終盤だけが突出して強いわけではなく、駒がぶつかった以降の中盤でも相当なものだという印象を受ける。但し、この△2二角は必ずしも良い手というわけではなかったようだが。
中央公論の勝又六段と梅田望夫さんの対談でも、「構想力」については何度も言及されている。人間独自の能力でコンピューターに欠けているのが「構想力」だと。
勝又 序盤から中盤にかけては、攻めるべきか、受けるべきか、いったい何を目的にすればいいのか、茫洋としているというのが将棋とというゲームの特徴です。序盤から中盤で求められるのが、大まかに先の局面を見据える「構想力」であり、「大局観」です。
ただ、「構想力」の適用される範囲として、コンピューターは既に中盤のある程度の時点でも人間に近い「構想力」を示すことが出来るようになっているのかもしれない。
もっとも、序盤の定跡部分での構想力はさすがにまだコンピューターでは無理なようである。プロが本気で序盤からコンピューターソフトが利用している入力定跡の隙を突こうとすれば、序盤で大差をつける可能性が高いのかもしれない。それについても、「必ず大きな作戦勝ちに出来る」という感じでは最早ないような気もするのだが。

人間とコンピューターの比較ということでは、イベント「将棋と科学」でのソフトvsトップクラスアマの対局が参考になる。

コンピュータ将棋の最前線』中継ページ

ここではコンピューターが相手を詰ましているにもかかわらずプログラムミスで投了してしまうというアクシデントがあり、将棋の神様0布世界「将棋と科学」公開対局:人類、屈辱の勝利で紹介されている。
しかも、コンピューター将棋の(実質)二勝の内容が凄まじい。
谷崎さん vs「文殊」では、後手の谷崎さんが一手損角換わりを採用して最新形に。定跡部分から外れて、図は後手が馬を作ったのに対して文殊が▲6八角と自陣角を放ったところ。
谷崎monju45手

人間的なパッと見の感覚だと、馬を作っている後手の方が先手の角との比較で良いと思うのではないだろうか。中継サイトでは勝又六段の動画解説がフルに見られる(素晴らしいサービスである)のだが、先生も普通は▲6八角のようなで手では後手が悪いはずがないが、ソフトの感覚も馬鹿にできないからなぁという言い方をされている。ちなみに、ソフトは自分が微差ながら良いと判断しているのである。実際、この後文殊は自陣に▲5六銀と、これは人間的な感覚でもいかにも筋や味の良い手を指して、実にうまく指していくのだ。この辺の指し回しを見ると、一概にコンピューターは「構想力」ではダメだとは言えないように思えてくる。感想戦で登場した谷崎さんも▲6八角なら自分がいいだろうと思ったが、実際によく考えてみると難しく、コンピューターの大局観に驚いたと率直に述べられていた。

二局目の稲葉さん vs「GPS将棋」では、後手GPSの四間飛車に対して稲葉さんが居飛車穴熊にガッチリ囲い、GPSは藤井システムではなく堂々と銀冠で対抗。
稲葉gps57手

プロでは振り飛車が避けることが多い形である。ところが、その後振り飛車側から突っかけて、うまく攻めをつないで圧倒して押しつぶしてしまった。アマチュア振り飛車ファンがプロの振り飛車党に見せてもらいたいような指し方をGPSがやってのけているのである。人間よりも「力」に自信があるといいたげとでも言うか。
棋譜も中継ページで並べることが出来る。実際に見たらコンピューター将棋の強さ、(実質)勝ったことよりもその内容に驚くはずである。
勝又さんと梅田さんとの対談では、人間の「先入観」について面白い話が出ている。ふつう、人間の感覚では角の方が金より価値が高いので、無条件に交換してしまうことなどありえないというのが「常識」「先入観」である。
勝又 しかし、ボナンザは角と金を交換することがままある。「ボナンザ攻め」と話題になった手ですが、ボナンザは角と金の点数にあまり差をつけず、金と銀に無さをつけているんです。このボナンザの評価に対して、プロ棋士の間では、思い当たる節があるという声が多かった。確かに言葉では「角は金より価値がある」というけれど、実戦では結構交換するし、金と銀にはだいぶ差をつけて考えているよな、と。僕にとっても再発見でした。
つまり、コンピューターソフトの先入観のない思考によって、人間が自分たちが気づかずにしていた思考を再発見、意識化できたということである。
無論、人間にはコンピューターにはない能力がある。しかし、コンピューターのとらわれのない考え方によって、人間が自分たちが無意識に考えていることを意識化したり、あるいは慣習的に正しいと信じ込んでしまっている思考を修正することさえ可能なのかもしれないのだ。
人間とコンピューターの関係を単に敵対的に考えるのではなく、コンピュータの思考により人減の思考のありのままの姿が照射され、そのことにより人間も自分の能力や傾向を把握して自己認識し、さらに最終的には人間がコンピューターには本当に不可能な思考能力のギリギリの可能性をさぐるという形になってもらいたいものである。
コンピューターソフトは、既にそのように人間を「助ける」事が可能なレベルに達しているのではないだろうか。

竜王戦第三局渡辺竜王の名手△7九銀周辺のコンピューターソフトの読み

竜王戦第三局は、通常角換わりで先手を持って指せると考える森内と、いや後手を持って指せるという渡辺が真正面からぶつかり合う、いわば思想対決の様相を呈した。意地の張り合いのように前例のある将棋を猛烈なスピードで辿り、初日の封じ手時点で、既に二日目の夕方のような局面になっていた。森内の封じ手が新手で、金をそっと逃げておく意表の手。いかにも用意周到に準備し、満を持しての一着という感じで、森内にしてみれば、渾身の研究手であり、シリーズの流れを変える会心の一手になるはずだったのではないだろうか。しかし、その後に森内に予定変更があったこともあり、渡辺の堂々とした対応と切れ味鋭い寄せによって粉砕されてしまった。渡辺の充実ぶりがうかがわれる一局であり、単なる一勝という以上に、勝ち方の内容という点でも大きな意味を持つ一局であったように思われる。
ところで、終盤に渡辺が放った△7九銀が、控え室にいたそうそうたるプロの面々も気がつかなかった名手で、その場にもいた谷川の光速流のようだとも評された手である。ところが、実はtwitterでプロ将棋の解析をしているGPS将棋がこの手を指摘していた。そのことをtwitterで指摘していた人も数名いたし、またこのブログにもまとめられている。

将棋の神様〜0と1の世界〜 第22期竜王戦第3局:将棋ボット三強による終盤の読み筋まとめ

ここでは、さらにもう少し具体的にプロとソフトの比較をして簡単にまとめてみよう。残念ながら私自身に指し手自体を分析する力はないので、表面的ななデータの対照に過ぎないことをあらかじめお断りしておく。データとして使わせていただくのは以下の通りである。

第22期竜王戦中継サイト
NHK BSの阿部八段の解説
GPSのtwitter
Bonanzaのtwitter
大槻将棋のtwitter

93手目森内△3三角の局面
渡辺森内93手

プロの検討例△8七歩▲同金△3九飛▲4九歩△2三銀でどうか。
GPSの読み[(93) ▲3三角] -595 △3九飛▲4九歩△同飛成▲8八玉△7九銀▲9八玉△6八銀成▲同金△3八龍▲7八金打△7六歩 (136sec)
いきなり△3九飛と打つ手を当てている。ただ、プロの検討では以下▲8八玉△8七歩▲9八玉とされた時にどうすればよいかが分からないということであった。また、GPSは▲4九歩と中合いして飛車の守りを消す手を考えている(それだけでも凄いと思う)が、この順はBSで阿部八段も言及してして、ここで中合いすると堂々と取られて先手は歩切れになって▲2三歩と垂らす手がなくなってしまうので無効だと解説していた。先に△8七歩としてもらうと、既に一歩手に入れているので中合いしても、まだ歩が残っていて攻めに使えるということである。
ちなみに、ここでGPSが余計な▲4九歩を途中に入れてしまっているものの、既に△7九銀を指摘していることにも注目したい。

94手目渡辺△3九飛の局面
渡辺森内94手

プロは前述の通り、このように先に飛車を打つと△8七歩▲9八玉の時の後手の手が分からないとしている。この時点でも△7九銀はどのプロも見えていない。
GPSの読み[(94) △3九飛] -741 ▲8八玉△7九銀▲同金△8七歩▲7八玉△7六桂▲6九銀△6八桂成▲同銀上△7六歩▲2二歩 (39sec)
このようにこの時点でGPSのみが驚くことに正しい手順で渡辺の名手△7九銀を指摘していたのだ。
ちなみにBonanzaと大槻将棋は△7九銀でなく先に△8七歩を入れるように推奨していて、それで後手が十分指せるという形勢判断である。さらに、形勢判断ということでは、この辺りではまだプロもはっきりしたことをいえてないが、どのソフトも二日目が開始して数手の時点で既に後手の渡辺優勢という判断を早い段階でしている。数値化しての判断なのではっきりさせざるをえないのだが、興味深いところである。

95手目森内▲8八玉の局面
渡辺森内95手

プロの検討は前手と同じ状態。
ここでGPSは読みを変えてしまっている。[(95) ▲8八玉] -634 △8七歩▲9八玉△8八銀▲4九歩△3八飛成▲2三金△3一玉▲2四角成△7七銀不成▲同桂△7六桂 (171sec)
△7九銀でなく△8七歩を第一候補に変更している。プロは▲9八玉とされた時に分からないと言っているわけだが、GPSはこの順で後手良しといっているわけである。どうなのだろうか。どちらにしろ、人間と違って「分からない」で済まさずに必ず潔く読み筋を示してくれるのがコンピューターのありがたいところと言えるだろうか(笑)。
ちなみに大槻将棋もこの筋を読んでいる。
95 手目 ▲8八玉まで (後手優勢) [-1287] ▽8七歩打 ▲9八玉 ▽8八銀打 ▲7九歩打 ▽7九銀 ▲8七金 ▽6八成銀 ▲2三歩打 ▽3二金打 ▲2二金打 ▽2二金 ▲2二と ▽2二飛 ▲6八銀 ▽1九成桂 ▲2二馬 ▽2二玉 ▲4五成銀

96手目渡辺△7九銀の局面
渡辺森内96手

ここに至ってプロは驚き感動したというわけである。詳細については棋譜解説の山崎&阿部の漫才?を参照されたい。なぜ、この手が人間プロの盲点になったかについては、安用寺孝功六段が中継プログで分かりやすく解説している。
寄せに入る場合、銀、桂、歩と持っているなら、普通銀はとどめに残し、桂と歩で何か手を作ってと組み立てるのがセオリーです。△7九銀は全くの逆ですし、しかも自玉が裸ならなおさらです。
つい△8七歩打などに目が行き、いきなり自玉も危ない状態で銀を捨てていくのに心理的抵抗があって最初から読まないということなのだろう。
逆に言うとコンピューターには全く先入観がないので△7九銀も読めるというわけである。今回はGPSが見事的中させたが、当然Bonanzaも大槻将棋も読んでいて上位候補には入っていたはずで、最高点の分岐にはその手が入っていなかっただけということなのだと思う。
但し、ここまでの分析だけでも分かる通り、コンピューターのの場合、相当いい筋はをはずさず読んでくるが、ピンポイントで精密機械のように一筋の勝ち筋を発見するという感じではない。この後も渡辺竜王は最短の厳しい寄せで一気に森内を投了に追い込むのだが、ソフトは必ずしも渡辺のスマートな寄せをこの後も指摘出来ていない。但し、恐らくこうしても勝ちという筋はきちんと指摘しているようではある。
プロが分からないと言っていた先に△8七歩打を入れての▲9八玉の変化について、人間プロがどういう結論を出すのかもちょっと知りたいところである。本譜の渡辺の△7九銀が鮮やかかつベストであることは間違いないにしても、△8七歩打 ▲9八玉の変化でもやはり渡辺勝ちだったのかどうか。
個人的にはGPSが部分的に△7九銀を指摘したことよりも、3ソフトが口をそろえて指摘して後手が良しと判断し、人間が今ひとつ分からないとした△8七歩打 ▲9八玉がどうだったのか、コンピューターの判断がもしかすると正しかったのかどうかということの方が大きい問題のような気がするのである。
全体的な印象としては、本当のトッププロというのは、唯一それしかないという一筋の勝ち筋を、素晴らしい直感と読みで探り当てるのに対して、コンピューターは安定して最善手あるいはその周辺を積み重ねてくるという感じである。そのかわり、人間のように終盤でとてつもなく大きなミスは犯さない。実際、プロの将棋をソフトが解析していて、プロが大きな疑問手を指すと、たちまち敏感にソフトが反応するのを何度も目撃した。
例えて言えば、ゴルフでプロの人間が超ロングパットを天才的に一発で沈める力があるのに対して、コンピューターは一発で入れるのは無理でも、間違いなくピンそば50cm以内に寄せてくるとでも言うか。人間の場合ワンパットで決めることもあるかわりに、強く打ちすぎてグリーンからこぼれ落ちることもあるが、コンピューターはそういう「人間らしい」ミスは絶対犯さない。
どちらにしても、コンピューターがこれだけ強くなると、もはや無視するわけにはいかない事だけは確かである。

GPSによる羽生vs片上戦解析についてのメモ

昨日の竜王戦の羽生vs片上は、角換わりの定跡形から、そのまま難解な中終盤へと突入するという現代将棋らしい展開になり、見ごたえのある将棋だった。最後は、ややあっけなく終わってしまったが、実は際どい変化が最後まであったらしい。
ところで、昨日はgpsshogiのtwitterで、一手一手の読み筋と数値化した形成判断が開示されていて話題になっていた。
あそこで示されている手順というのは、他にも膨大な変化を読んでいる中での、たまたま一番得点が高かった一分岐である。だから、あれだけ見てGPSを正しく評価するのは、勿論無理である。
ただ、少なくとも言えそうなのは、(たまにわけの分からない順を読むことはあるにしても)、特に終盤に近づくにつれて、プロでも一応読みそうな順をちゃんと見つけ出しているということである。だから、アマにとっては勿論、プロにとっても「参考意見」としては、手がかりにはなるレベルに既に達していると言えるかもしれない。
但し、プロの特にトップレベルの場合、ある程度正しい筋が見えるだけでは全然足りない。むしろ、有効と思われる多数の変化の中から、ほとんどただ一通りの勝ち筋を正確に見つけ出さなければいけないことも多いらしい。昨日の控え室の検討と照らし合わせてみても、そこで候補として上げられる手を、GPSもある程度の精度で言い当てているが、「正解」を言い当てるところまでは至っていないというところなのではないだろうか。
それと、数値化された形勢判断については、具体的な読み筋よりも、やはり見劣りする。昨日も、かなり早い時点から、ずっと羽生が有利という評価をし続けていたが、プロの見方では、どちらかというと片上が有望で、最後の方で羽生がよくなったという感じらしい。これは、コンピューターの最大の弱点が評価関数の精度なので、ある程度仕方のないことだろう。
GPSなどコンピューターを、例えば人間ではどういうタイプの棋士なのかと考えてみると、恐ろしくよく読むのだけれども、大局観が悪くて、その場の形勢などについてはかなり鈍感だけれども、読む力が凄いので、うまく筋に入ると強い相手でも負かしてしまうタイプという感じだろうか。
昨日の将棋では、片上が局後に悔やんでいたのは最終盤の△6六歩、あそこでは既に悪いながらも、もっと際どくする順があったということである。つまり、あの手がはっきりした敗着だった。実は、そのことをGPSは「理解」していた。直前の[(81) ▲7九桂] 241から[(82) △6六歩] 1247と、突然急激に先手の有利度が増大している。つまり、△6六歩に問題があったことを、残酷なまでに数値化して表現しているのだ。これは、ちょっと恐ろしい話である。

世界コンピューター将棋選手権雑感

既報の通り、今回の選手権では下克上の嵐が吹き荒れ、従来の有力ソフトが下位に低迷して、GPSが優勝した。もっとも、GPSも前々からあったソフトということなのだが、今回の最大の特徴は「自動学習」ソフトが完全に席巻したことだった。GPSも「自動学習」を大幅に取り入れたことで、強くなったらしい。それには、先般ボナンザのソースコードが公開されたことが当然大きく関係している。ボナンザ複数台によるボナンザチルドレンというよりは、ボナンザ複合増殖体の文殊が、本家をさしおいて三位入賞したのも面白かった。去年まではトップの力を保っていた完全に人間の手だけによる激指とYSSは一気に決勝全体で下位に転落するという憂き目に会った。
もっとも「自動学習」といっても、評価関数の大元の部分は人間が決めて、それをどう具体的に局面に適応させるかをプロ棋士の棋譜などをコンピューターが「自動学習」するというやり方である。基本のコンセプトは人間が決めて、その実務をコンピューターが担当する図式。はたしてこの方式というのは、人間の指す将棋とどういう関係性を持つのだろうか。素人には分かりにくい問題である。
当然プロ棋士の棋譜を使って学ぶのだから、人間が指すようにうまく「真似る」というのが基本だ。しかし、その大元のコンセプトはプロ棋士が設定したものではなく、必ずしも将棋をブロのように理解しているわけではないプログラマーが決めている。
今週の将棋まるごと90分に勝又六段が出演して、コンピューター将棋について解説していた。例えば、玉の近くにいる金は評価が高い、逆にそっぽにいる金は評価が低いということを、徹底して考えさせるようである。比喩として言っていたのは、例えば、一枚の絵画の配置で、どこに花瓶があり、果物があり、背景がありといった絵の構図を全て数値化して計算するようなものだと説明していた。先ほどの金の位置のような分析を全ての駒の配置や関係を考慮して徹底的に「自動学習」させているらしい。
そのことで、従来どうしても純粋駒得至上主義で、本当に終盤の大切なところでも駒を損しないように考えすぎるところがあったのが、駒損を気にせずに人間のように終盤切り込むことが可能になったのだという。ボナンザが渡辺竜王戦で、切りこんなでいれば勝ちという手があったのだが、今ならその手をコンピューターが指すことも可能かもしれないとも。
要するに、コンピューター将棋の致命的欠陥だった評価関数部分が、自動学習を用いることで格段に進化して、人間の感覚にも近づいてきているということのようだ。その際、先ほど説明した駒の配置効率関係を分析するには、人間の力だけでやるのは大変で、コンピューターに自動学習させたほうが、結果が出ているということである。
さて、そういうやり方が人間の指す将棋と、果たしてどういう関係を持つのかという問題に戻る。
コンピューター将棋は、二つの原理で成り立っている。まず、現局面の形勢が良いか悪いかを数値化して判断する「評価関数」。それと、とにかく手をしらみつぶしに(あるいはある多程度選択して)、「手の組み合わせを出来うるかぎり全て調べる能力」。
後者の能力で、コンピューターは人間を凌駕しているわけだ。勿論、その場合、あくまで単純に数多く瞬時に調べる能力という意味であって、人間は不必要な組み合わせを読むのを省略する能力で対抗するわけだが。
「評価関数」については、(今のところまだ)人間が絶対優位である(と思う)。人間の場合は、いちいち厳密に数値化しなくても、ここが急所とか、それは筋が悪くて駄目だとか、「ある程度は」判断できる。特にプロのトップはそういう能力に長けた人たちだ。
それに対して、現在コンピューター将棋は、プロの棋譜を学んで人間に近いような判断が出来るように学習している。但し、その原理は人間的な曖昧模糊とした直覚的判断ではなく、あくまで理路整然とした幾何的な駒の働きや価値の評価である。
両者を比較すると、人間のほうがはるかに局面に対して柔軟に即座に反応できる、各局面ごとに考え方を変化させることも可能だ。融通が利くのである。一方、コンピューターの方は、常に首尾一貫した原理主義者である。あくまで駒の全体の価値や働きを整然と分析して、それを局面の判断基準とする。融通がきかない代わりに揺らぎがない。先ほど、人間は直感的に優れた筋を抽出できると言ったが、それは逆に言うと自らの経験にとらわれて、普通ではありえないが実は最善の手順を見逃す危険性もあるということだ。
両者には一長一短があると思う。通常考えているように、その種の判断では人間が絶対的優位にあるのではなく、「先入観」の一切ないコンピューターにも長所はあるはずなのだ。
ただ、繰り返しになるが、、そのコンピューターが学ぶよすがとしているのは、現時点ではあくまで人間の将棋である。だから、今言ったコンピューターの「先入観」のなさが、人間の棋譜を学ぶことで汚されている可能性だってないとは言えないだろう。
現時点では実現不能なようだが、本物の「コンピューター将棋」の純粋理想形は、将棋のルールだけを教えて、あとは「評価関数」の大元もコンピューターが自力で考えるということだろう。それと比べると、現在の状況は、出来るだけ数多く読むというコンピューターの基本的特性と、うまく形勢判断出来るように人間の棋譜を自動学習させて評価関数をなるべく人間らしくするという折衷型といえるかもしれない。徹底的に読むだけは読むけれども、判断能力については人間から学ぶと言うやり方。
だから、さらにコンピューター将棋がブレイクスルーして、人間と本当の意味で対抗する、あるいは超えるために必要なのは、いまだ残存している「人間味」を消去する知恵なのかもしれない。
無論、現在のやり方のままでも、各部分の進歩によって人間を超えてしまうことは可能なのかもしれないが、さらに未知なるコンピュータ将棋をみてみたいきもする。怖いもの見たさでもあるのだが。
先ほどちょっと書いたが、要するにコンピューターが評価関数を自分で考え出すことができるようになるかどうかといううのがポイントなのだと思う。仮にそのやり方が実現可能ならば、プロの棋譜を「自動学習」するにしても、なるべくそれを真似して人間に近づくという態度でなく、コンピューターが人間の将棋を「批評」し始めるかもしれないのだ。そうなったらほとんど悪夢だ。でも、幸いなことに今のところそんなことになる恐れはないらしい。
だから、我々はせいぜい「2001年宇宙の旅」を観ながら、人工知能のハルが人間のように感情を持ち出すのを見て慄然とするくらいですむというわけである。

ものぐさ将棋観戦日記 1/31(土) 王将戦、ボナンザ4(追記あり)

王将戦第二局は深浦完勝。序盤早々に出た△2五桂は、もはやゴキゲン中飛車ではおなじみの手筋ではある。しかし、こういう一見素人っぽい筋がタイトル戦でも依然として登場するというのも、現代将棋ならではということなのだろうか。
深浦は、この手に象徴されるように、相変わらず踏み込みが良い。去年の王位戦第七局の△3七角成もそうだったが、タイトル戦の大きい勝負では少しやりにくそうな手を決断よく選択し、またそれがうまくいくことが多いのだ。最新形の著書も書いているだけあって、やはり序盤の研究知識が深く、羽生もなかなか序盤作戦でよくさせてもらえていない。
第三局以降も、序盤からお互いの主張がぶつかり合う、厳しい勝負になりそうである。

Bonanza v4.0.3 が公開された。しかも、思考部ソースファイルまで公開している。保木さんは、やはりかなり独特な価値観の持ち主のようである。コンピューター将棋の世界では、第二次ボナンザショックとも言われている。将棋ソフト界のみならず、オープンソースのこととも関係してくる問題である。保木さんがどういう考え方をされているのか、聞いてみたいものだ。
詰将棋メモさんの関連リンクを読んでみたが、やはりコードのことなので、その道の方々の書いている記事が多く、文系素人の私にはよくわからない。いや、全然分からない。素朴な疑問をズラズラ並べてみよう。

ボナンザのソースを、ちょっとだけ変えて、新しいソフトだと主張することは許されるのか。コンピューター将棋選手権に出場できるのか。
どうも、道義的な問題は別にして、一応こうしてオープンにしてしまった以上は、可能?

改良を部分的に加えたとして、簡単に強くなるものなのか。どの程度の熟練知識のある人間が、成果を挙げる可能性があるのか。評価関数部分を、将棋のことをよく理解している人間がいじると、飛躍的に強くなったりするのだろうか。
これも、現にソースの全体が与えられている以上、部分的に局面評価の基準に関わる部分をうまく改良する人間が出で来る可能性もなくはないような気もするのだが、どうなのだろう。

コンピューター将棋選手権で、「ボナンザチルドレン」が台風の目になる可能性はあるのか。
ボナンザチルドレンが、ボナンザ親を破るのみならず、他の有力ソフトを蹴散らしたりするかもしれないと、コンピューター将棋の人たちに対して無責任にサディスティックな発言をしてみよう。まあ、多分そう簡単にはいかないような気もしますけれどね。

それにしても、保木さんはあっさりオープンにして、自由に使ってくださいという道を選んだ。例えば、有志を募ってボナンザ改良共同プロジェクトを始めるというやり方だってあったと思うんですけどね。

あと、根本的な初心者の疑問だけど、例えばボナンザ(他のソフトもそうだけど)のソースとして、特許をとるというようなことは不可能なのだろうか。どの部分を特許と主張できるかが性質上難しいのかな。

(追記)著作権関係で、Bonanza Version 4.0.3の READMEファイルを読んでみたら、著作権が保木さんに属する旨書かれた上で、「変更・転載は自由です。」とありました。.

将棋における人間とコンピューター雑感

小林秀雄の「考えるヒント」の「常識」で、小林が中谷宇吉郎博士に問う。

―もし、将棋の神様同士が対局したらどうなるだろう。
―馬鹿なことを言うな。
―とにかくどんなに時間がかかってもいいから、もししたらどうなる。
―無意味な結果になるだけだ。
―先手必勝か後手必勝か千日手になるんだな。
―そういうことだ。
―じゃあ振り駒で決まるんだな。
―無論そうだ。
―もし、神様なら振り駒の結果もお見通しだな。
―そうだ。
―じゃあ、神様を二人仮定したのが間違いだったということだな。

(そのままの引用でなく私の要約です)
きれいなオチがついているが、これが将棋というゲームの変わらぬ本質なのである。どんなに指し手の可能性が天文学的数字で、人間にも現在のコンピューターにも計算不能だとしても、あくまで組み合わせの可能性は有限である。究極的には計算可能だし、結果も分かっている(はずの)ゲームなのである。
もし無限の時間をかけたら、人間にもコンピューターにも、答えを出すことは可能なことには変わりない。現実的には、そんな時間がないだけだ。
人間とコンピューターを対立させて考えがちだが、本質的に両者の置かれている立場は全く同じなのである。つまり、本来は有限なのだが、現実的な制約で、全てを読むことは不可能な者同士が、別の方法で「解」に近いものを手探りしている状態である。両者の手法にはなはだして違いがあるだけのことだ。
では、両者の手法には具体的にどのような差があるか。人間ならば、局面の「流れ」を読みとったり自分で構成することが出来る、ある局面を見て、その意味を数値位的でなく豊かな意味関連図として直感的にきめ細やかに把握できる。等々。一方、コンピュータのやり方は、もっと野蛮で力づくだと。
ある程度、それは正しい。しかし、実は人間の「流れを読む能力とか「直感的な把握能力」というのは、実は突き詰めて考えると人間だけの特権ではない。現在、コンピューターが局面を評価するのはある点における「評価関数」である。点で評価しているのだから、コンピューターに流れは理解不能だ。
しかし、それはあくまで、現在のコンピューターのレベルの問題に過ぎない。人間が漠然と「流れ」と言っているものだって、細かく詳しく分割して思考過程をたどれば、具体的要素に還元きるはずである。まして、将棋は芸術と違って、ルールがきちんと決まっていて、究極的には計算可能な世界なのである。つまり、人間の言語をコンピューターの言語に翻訳する手間さえ惜しまなければ、「流れ」だって、一応理論上はコンピューターにも理解可能なはずなのである。他の人間の「直感能力」についても同じことが言える。あくまで、計算可能な将棋の世界においてという限定付きだが。
人間というのは、どうしようもなく自惚れの強い生き物である。将棋という、本来人間がコンピュータに負けても、なんら不思議がないゲームにおいても、実際そうなったとしたらプライドを傷つけられるだろう。
むしろ、現在人間が将棋に対して取っているアプローチには、多分には恣意的な側面があるのではないかと思う。それまでの伝統的な指し方、「かくあるべし」とか、主観的な美意識に無意識のうちにとらわれてしまっている。将棋を指すのが現在はほとんどが日本人なので、当然日本人特有の思考様式や感性の歪みだって、知らず知らずのうちに混入しているに違いないのだ。
現代将棋において「常識を疑え」という考え方が、雪崩を打ったように現場にもちこまれている真っ最中である。それも、あくまで旧来の人間的バイアスを正そうとする、ごくごく自然な欲求に基づいているのかもしれないのだ。
そういう意味で、コンピューターは、人間の敵になるどころか、人間的な主観の誤りを正してくれる貴重な存在とさえいえるだろう。コンピューターは、「先入観」など存在しない、まっさらな心の持ち主だからである。基本的に、コンピューターは人間の敵ではなく、人間の物事の理解を正したり深めたりしてくれるきわめて有能な助手と考えるべきなのではないだろうか。
但し、そういう原理とは別に現実の問題点が存在する。それは、現在のコンピューター将棋が、必ずしも王道を行って強くなっているとは言えないからだ。現在コンピューターが使用している「評価関数」は、膨大な要素の組み合わせによって成り立ち、コンピュータ自身の「学習」によって厳密な検証作業を経ているとはいえ、まだまだ未熟である。と、少なくとも人間の私は思う。その評価関数の成熟の足りなさを、圧倒的な計算能力で補って、力技で現時点まで強くなっているのではないかと思う。(この点については、特にコンピューター将棋に詳しい人間には異論があるところかもしれないが。)
つまり、人間が経験や直感によって蓄積してくることによって、たとえ人間的な主観による過ちを内包しているとしても、少なく現時点では、コンピューターよりは、はるかに「正しく」将棋を理解しているのである。あくまで相対的な話だが。
もし理想を言うとするならば、人間は自らの自惚れをサッパリ捨て去ってコンピューターに謙虚に学ぶべきだ。しかし、存念ながら、現時点のコンピュータの将棋理解が、それに値していないのだ。今後のコンピュータが、正しく人間に役立とうとするならば、現在の方向性で計算力を高めていく以上に、人間の思考を出来うるかぎり意識化して、コンピュータの言語に翻訳するよう努めるべきといえるだろう。
渡辺明と保木邦仁の「ボナンザvs勝負脳」で、保木さんが印象深いことをいっていた。
面白いのは、当初、コンピューターチェスの指し手は、チェスプレイヤーたちからすれば、揶揄すべきような手であった。「あんな手を指すなんて、やっぱり機械だな」「美しくない、ただ力ずくの手だ」というわけである。ところがそんな中傷に対して文字通り聞く耳を持たないコンピューターはどんどん強くなっていった。そしてディープブルーが世界チャンピオンを負かすにいたって、「コンピューターチェスの指し手には知性を感じる」という印象に変わってきたのだ。これは意外なことだが、人間というものはそんなものなのかもしれない。コンピューターにしてみれば、単なる計算結果なのだが、その一手、たとえばポーンをひとつ前に進めた手に、人間は奥深さを感じた。「渋い!」というわけである。
現在のコンピューター将棋についても、ある程度これと同じことが言えるかもしれない。人間の美意識とか価値判断能力などというものは、案外当てにならないものなので。しかし、先述したように、あくまで「人間」の判断能力によれば、まだまだ将棋はチェスレベルには達していないと思う。人間の自惚れに過ぎなくないことを望むが。
さて、ここまで意図的にコンピュータを評価する方向で書いてきた。あくまで、私はいわゆる(悪しき幻想としての)「人間的要素」をあまり高く評価しない立場だからである。しかし、当たり前だが人間は、コンピュータに劣る存在ではない。では、今日コンピューターになくて人間にあるものとは何か。曰く、感情、意志の力、芸術的な構想力。少なくとも将棋という計算可能な世界から飛び出せば、そこは人間の一人舞台のように思える。
しかし、意地悪な見方をする誰かが言うだろう。感情とか芸術制作力とかいっても、現実の具体的材料や各人の肉体に制約された性向の組み合わせに過ぎない。それが自由に思えるのは人間の幻想だ。人間は、徹底的に隅々まで条件付けられた存在に過ぎないのだと。そこから宿命論や、ある種の宗教へはあと一歩である。
確かに、実は人間は自分で思うほどは自由な存在ではない。様々な条件付けや刷り込みの結果の、行動や感情の発露を、自由意志と勘違いしがちな悲しい動物である。しかし、そういう事実を徹底的に直視しぬいたところに、恐らく人間の本当の自由は訪れるのだ。自らの不自由を徹底的に知る者のみが、本当の自由を知ることが出来るのである。
その意味で、将棋の世界というのは、加算可能な有限の世界であって、究極的には「不自由」な世界なのだが、人間が「自由」を知るためには、逆説的に好条件ともいえるのだ。あくまで、限界を認識した上で、その中で人間がギリギリの何が出来るのかを生体実験できるのだから。
私は、現在のトッププロ棋士たちは、まさしく自らの身を将棋に捧げきってそういうことを行っている人たちなのだと思う。将棋に対する興味以外に、彼らに対するきわめて「人間的」な共感や憧れが根底にあるのだ。
いや、現在のトップだけではない。加藤一二三先生は、まさしく、不自由な世界で自由を見つけようとして、いつまでたっても楽しく戦い続けている勇者である。
分かりにくい文章の流れかもしれないが、私が本当に言いたかったのは、将棋に対して、決してコンピュータには不可能で、人間だけにしか存在しない特権的な「人間味」に対する徹底肯定だったのである。

第18回世界コンピューター将棋選手権雑感

もう少し情報が出揃ってから書こうと思っていたのだが、とりあえず気づいたことだけメモ書きしておく。関連リンクは、こちらを参照。

詰将棋メモ 第18回世界コンピューター将棋選手権

アマトップがコンピューターに連敗したのは、歴史的な事実ではある。しかし、将棋ファンなら周知の通り、将棋というのは、かなり実力差があっても、一発入って勝てるゲームである。大駒一枚くらい強い相手に勝つこともあれば、逆の相手に負けることもある。一度形勢を損じてしまうと挽回不能になりやすく、それと矛盾するようだが、恐ろしく大差でもひとつ間違えるとあっという間にひっくり返るゲームである。それが将棋のスリリングな面白さだが、一度や二度負けたからといって、実力とはすぐにはいえない。
今回の、コンピューター将棋の内容は、素晴らしくて決して恥ずかしくない内容だった。また、敗れたアマの方々は、お二人ともとても人柄がよくて、潔く負けを認めていた。しかし、ソフト開発者側が、しっかり謙虚に認めていたように、感覚としては、まだアマトップのほうが上だということなのではないかと思う。
アマトップ相手の将棋の内容は素晴らしかったのだが、コンピューター同士の将棋の棋譜を見ると、少なくとも人間の感覚から言うと「あまり筋がよろしくない」手が散見される。これは、弱い私だけでなくアマ高段者の英さんも、同じような感想を書かれていた。恐らく、トップアマやプロが見たら、そういうソフトの将棋の荒さのようなものは、一目瞭然だろう。そういう弱点の多い将棋をたくさん見た後、アマの二人は対局したので、ちょっと油断のようなものもあったのではないかと、推測してしまう。
とにかく、ソフトの指す将棋は、人間の指す将棋とは、やはり相当違う。その原因としては、コンピューターは読む手の多さでは人間を凌駕しているが、局面判断の「評価関数」が人間と比べるとまだまだ粗雑で未熟なのだということが言われる。また、どんなに弱い人間でもある程度は感覚的に分かる「筋のよさ」というようなことをコンピューターは、まったく理解不能なのである。
ということで、少なくとも人間の目からすると、いまだにコンピューターは「強くても筋悪」だと思える。しかし、このように、かなり実力で人間に肉薄してくると、そういう価値判断自体にも自信が薄れてくる。人間が「筋がよい」と思い込んでいるのは、実は人間の思考や感覚の習性惰性に過ぎず、シンプルな評価関数で、(人間の)いわゆる筋や形にこだわらないで指してくるソフトのほうが、実は将棋の正しい指し方なのではないかと。そういう仮説を一応立てることは出来るが、やはり個人的には、まだコンピューターは手が読めるが、将棋は分かっていないと考えている。果たして、これは人間の傲慢、思い上がりなのだろうか。今後のコンピューターの進歩ぶりが、答えを出してくれるだろう。
プロ棋士たちは、わりと素直にコンピューターの強さに驚いて認めているようだ。ただ、コンピューターの指す将棋を見て、その将棋の質をどう考えているのかを、知りたいところではある。
勝又六段が、コンピュータの強さは、ソフトだけでなく、ハードが飛躍的に進歩していることにも原因があると指摘していた。これは、さすがにきわめて重要なポイントである。コンピューターの感覚的な筋悪と実際の強さのギャップについても、このことは有効な説明になるだろう。但し、そういうハードの力技に頼って、コンピューターが人間を追い抜くというのは、望ましいことではない。要するに、将棋の本質をコンピューターがよく分からないままに、計算力だけで負かすということだから。そうなったら。人間にとっては、悪夢であり屈辱である。しかし、そういうハードの飛躍的な進歩というのは、厳然たる事実として存在するのだ。
それと、今回決勝に残った8ソフトのうち、5つがボナンザ式の「自動学習」を取り入れていたそうだ。人間の利職人的で芸術的作業で強くなってきたYSSの開発者が、学習が強いかもしれないといっていたのは象徴的だった。ただ、「学習」といっても、良く誤解されがちなように、プロの多くの棋譜を学べば学ぶほど、ソフトが強くなるというわけではない。プロの将棋の感覚を上手にとりいれるためには、棋譜をうまく消化して学習する必要がある。自動学習といっても、今のところは大元の基準は人間が設定しているはずなので、本当の意味でコンピューターが自力で学習しているというわけではないのだ。
ただ、なるべく人間が余計なことをせず、手をかけないようにするほうが強くなりやすいというのは、きわめて示唆的ではある。
それにしても、相変わらずボナンザは良く攻める。そんなに攻めなくたっていいじゃないかというくらい攻める。今回も、上位ソフトには勝ち越したが、下位ソフトに足をすくわれて三位だった。やはり、とびっきり「人間的」なソフトであることは間違いない。
棚瀬将棋は、前回はプログラムの不都合で詰みを逃し、今回は時間切れの負けで優勝を逃したが、やはりこのソフトが今後最強になってくる可能性が高いのではないかと感じた。ちなみに、このソフトも確か「学習」ソフトである。
全体の印象としては、人間が考えるよりもコンピューターは勝手にどんどん強くなっているという感じを受ける。それも、将棋のセンスをデリケートに学ぶというよりは、ひたすら力技で。なんとなく、人間には望ましくない方向で、ソフトが強くなってしまっているのではないかというのが、ごくごく個人的な感想である。
コメントを承認制にさせていただいています。反映まで時間がかかりますが、お気軽にどうぞ。
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