羽生善治

羽生善治の解説

NHK杯の解説に久々に羽生善治が登場した。羽生は不思議な人で、歳を重ねるごとにかえって若返っている感じがする。肉体、外見上は勿論年齢それなりに変化しているのだが、心がどんどん柔らかくなって、人を惹きつけずにはいられない明るいオーラを放射しているようにも見える。何か見ているだけで気分がよくなるのだ。
と、相変わらず気持ち悪くてごめんなさい。
羽生は若い頃は、もっと鋭角でこわいようなところもあった。実際、若い頃は諸発言でもかなり尖ったところがあったし、恐らくただの「いい人」ではないし、本質的には非常に厳しい人なのだと思う。多分その本質は今でも変わらない。
しかし、そのままで歳を重ねながら、心の状態は硬化せずに、むしろより無防備に柔らかくなっているかのようだ。肉体と違って人の心は歳をとらない。ああいう歳の重ね方をしたいものだが、普通の人間にはなかなか難しいものである。

一方で、久々に羽生の解説を聞いていて、私はちょっと緊張してしまった。というのは、序盤から将棋の内容について、シンプルながらも鋭い発言を散りばめて、具体的な将棋の内容について普段より意識して集中せざるをえなかったから。
最近、私は以前にもまして怠惰な「観る将」になりさがってしまっており、プロ将棋を観戦しながらたいてい他の作業もしていて、ひどい時は退屈すらしてしまう。だが、羽生の場合は、別に面白おかしく話すわけではないのだが、本人が解説する対象の将棋について過剰なまでに深い関心興味を抱いているのが伝わってくるので、こちらも真面目に将棋について考えずにはいられなくなるのだ。
私の好きなピアニストにクララ・ハスキルという人がいる。この人は別に派手な演奏や自己表現があるわけではないのだが、その音は限りなく澄んで深く、心の奥底まで深い余韻を残す。
また、彼女の演奏を聴いていると、その楽曲の構造をきちんと意識して聴かずにはいられない。クラシックについても、私は享楽的に怠惰に聴くのが好きなのだけれども、彼女が妙なエゴによる主張をせず、純粋に対象の楽曲の本質に向き合おうとするために、演奏者の存在よりも、楽曲について意識的に直面せずにはいられなくなるのである。
羽生の将棋解説にも似たところがある。話術ということではもっと面白い棋士はいくらでもいるのだが、羽生も純粋に将棋自体に深い理解の欲求があるので、それが見ている弱いアマチュアにも伝染するのだ。
羽生善治もクララ・ハスキルも恐ろしく「無私」の人である。
将棋と音楽(特にクラシック)はよく似たところがある。本当の意味で正しく理解するのは大変なことだ。厳密にはプロレベルでなければ「分からない」。
そういう奥深さや厳しさが魅力であるのだが、だからといってプロだけが楽しめるものではないと思う。当然理解の程度には人によって差があるが、本質的なところでは誰でも大事なところは理解できるのだと私は信じている。
音楽についてはとにかく楽譜を読めなくても聴いて分かる部分もあるが、将棋でもその本質は変わらないと思う。
そして、羽生はプロの頂点にいる人にもかかわらず、将棋の本質は誰にでも理解できると考えているような気がする。話が長くなるのでここでは省略するが、私は羽生と梅田望夫さんの対談を読んでその事を確信しているのである。
本物のプロはそういうものだ。恐ろしく自分の分野について謙虚である。弱い、あるいは理解が不十分なものに対して決してバカにしたりしないし、それどころか本質的な理解ではどの人間も同等だと考えるものなのである。中途半端に道に習熟しているものに限って、ビギナーをバカにしたりするものだ。

とにかく、私は羽生の解説を緊張しながら楽しんで見終えた。

羽生の解説を聞くだけで、香車一本強くなる。

……少なくともそんな気がしてしまうのだ。

羽生善治名誉朝日杯(仮称)

まずは、昨日の記事の補足を兼ねて序盤について。
昨日の記事についてコメントをいただいた。
西尾さんの「矢倉△5三銀右戦法」が手元にあるので調べてみると、本譜43手目▲1七桂の順はやはり後手がよいとのこと。代えて、ここで▲1四歩△同歩▲1三歩△同香▲1七桂△2四銀▲2五桂として、桂香交換を確定しておく指し方が有力だそうです。
昨日は羽生善治の「変わりゆく現代」将棋に書かれている内容を紹介したが、この本のオリジナル原稿はとても古い。だから、当然その後△5四銀についても研究が進んでいるはずである。
その一例として若手精鋭の西尾明六段の著書の研究手順を教えていただいたのだが、西尾もやはり▲1七桂とする順については(「変わりゆく現代将棋」同様)後手よしと見ているそうである。但し、紹介手順が先手としては有力だと。
現代将棋の研究は本当に徹底されているので、渡辺新手△3三銀が主流だとしても、昔から有力とされている△5四銀についても当然研究されているはずだ。西尾の例以外にも当然色々水面下の研究があるのだろう。
森内がこの手順を知っていたかどうかは不明だし、また、知っていてこの順でも不満だと思っていたのかなどはとても素人には分からない。
また、羽生の方も「変わりゆく現代将棋」時点以降に△5四銀についての研究があったはずで、現在の見解もよく分からない。
そもそも、羽生は渡辺との竜王戦で第六局で▲7九角が渡辺新手△3一玉に打ち破れたのを受けて、第七局では自身の著書では後手の△5四銀が有力だと書いていながら▲2五歩を採用しているわけである。
羽生の本の中でも後手が指せそうとしながらも、「難解ながら」という留保をつけたりしている。
羽生の場合は最新の課題局面で、先手後手の両方を持って、しかも両方で勝ってしまってきた事がよくあった。羽生は将棋はそんなに簡単なものでなく、どちらかが定跡研究で有力だとしても、実戦ではそんなに簡単に勝ち負けが決まらないと考えているフシがある。現に竜王戦第七局も勝敗を決めたのは定跡研究ではなかったわけだし。
だから、今回の朝日杯についても森内と羽生という超一流棋士が本当に考えていたことなど素人には分かるはずもない。と言ってしまうと身も蓋もないが。
今回についても(昨日書いた事を含めて)、トッププロの将棋について素人が幼稚な推理ゲームを試みているだけなのである。
少なくとも森内は△5四銀に対する確固たる対応は準備できていなかったようである。そして、羽生がこの大事な将棋で△5四銀を採用してくるからには、何らかの新手を準備しているかもしれないという警戒もあっただろう。そして、その中から▲1七桂とする順を選んだが、その後に▲5九飛のところで大長考したところを見ると、予定の▲2五桂では何か誤算があってうまくいかないと読んでの予定変更だったのかもしれない。
▲5九飛はちょっと不自然な手でとりあえず序盤の駆け引きでは羽生が一本とったのかもしれない。しかし、将棋はそれで終わるほど簡単ではない。
実戦でも、森内が▲5六歩から機敏で、その後後手としてもどうすればよいのか難しそうである。
しかし、その後の羽生の△3八銀がいかにも羽生流だった。ゲスト解説していた谷川も、いかにも羽生さんが好きそうな銀打ちだと述べていた。
今回は3八だったが、2七の「羽生ゾーン」に銀や金を打って飛車をいじめるB面攻撃をするのは羽生のお家芸なのである。
率直な森内は感想で「これで方向性が分からなくなりました。」と述べている。特に短い時間でこんなことをされたらたまったものではないだろう。
しかし、森内も▲8六銀から角を7七に据えて後手玉を睨んで迫力十分である。
このあたりで解説の山崎がさかんに「ここは△3三角しかないでしょう。」と力説していたが、ことごとく羽生が指さずに会場の笑いを誘っていた。
山崎という人はサービス精神旺盛で、羽生がもしかすると指さないと分かっていて敢えてこういう事を言っておいて、外れた際の自虐的笑いを取ろうとするところがあると思う。面白い人である。
山崎の名誉の為に言っておくと、感想戦で羽生も△3三角は有力だと認めていたのだが。
森内が▲4四銀としたところでは、後手はどうするのだろうかと解説で言っていたのだが、△6五金がさすがの手で、攻めの軸の角をいじめながら△7六金のすりこみの厳しい攻めも見据えている。
この当たりの両者の攻防は実に見応えがあった。個人的には、やはり羽生ファンにとって最もこわいのは相変わらず渡辺と森内である。
その後の▲4一銀が森内によれば敗着だそうである。感想戦でも羽生が単に▲2四歩から攻めていくのがイヤだったと指摘していた。
しかし、▲4一銀も一見とても厳しいので、これが悪手だというのはとてもレベルの高い話ではある。しかし、こういう紙一重の急所を羽生は見抜いているのかもしれないのだが。
その後も先手の▲2四歩以下の攻めがたいそう厳しくみえたのだが、△6八角で受かっているそうである。最後飛車をきってしまうと、先手玉が詰めろになってしまうらしい。即座にそれを山崎が指摘していたのは流石だった。
森内もそれを読んで飛車をきらずに我慢した。簡単には自爆せずに▲6六歩として、一瞬後手もどうするのかと思って見ていたら、羽生はあわてず騒がず△3二金。よく見れば(よく見なくても)味よし道夫でこれが決め手ではないか。プロなら一目なのかもしれないが、弱い素人は、この手に一番感心してしまったのであった。
結果的には羽生の強さが際立ったとは言え、やはり羽生森内の濃厚さは存分に味わえた。準決勝では「渡辺世代」の二人が挑んだわけだが、率直に言うと将棋の密度が決勝とは違いすぎた。どれだけ羽生世代の人たちはいつまでも強いんだ。
羽生は今年度、早指し棋戦で初戦で三連続敗退してしまって、「ついに羽生も年齢面の..」
などと囁かれもしたが、この朝日杯では単に勝つだけではなく早指しでの圧倒的な力量や技術や駆け引きを見せつけた。
というわけで、実際には存在しない名誉朝日杯を記事タイトルにしたくなるというものである。

朝日杯決勝羽生vs森内に潜む「変わりゆく現代将棋」の変化

朝日杯決勝は羽生が勝利して朝日杯三連覇を遂げた。
後手の羽生が急戦矢倉でやや古い形を採用したのだが、それについて感想戦において二人で次のような会話がかわしたそうである。
森内九段「羽生さんの本に書いてあったと思うんですけど、思い出せなかったですね」 羽生名人「よく覚えていません」
とても和やかな雰囲気だったようだが、素人なりに調べてみると羽生の恐ろしい勝負術が明らかになった。
急戦矢倉については、渡辺と羽生が永世竜王をかけた竜王で画期的な変化があった。
まず、第六局において、先手羽生後手渡辺で急戦矢倉になった際に、△5五歩▲同歩▲同角と進んだ場合に、朝日杯では▲2五歩としたわけだが、ここで▲7九角とするのも有力である。
そして、羽生の「変わりゆく現代将棋」でもこの順に触れられていて、その時点の羽生の研究では先手が指せるという結論になっている。
ところが、この▲7九角に対しては、竜王戦で渡辺がその後手順が進んでの△3一玉という新手を披露。そしてこの手がうまく行って後手が快勝したのである。つまり、羽生の本で急戦矢倉に対する結論とされていた▲7九角で先手良しというのを渡辺が当時覆したわけである。
それを受けての竜王戦第七局でも、先手羽生後手渡辺の急戦矢倉になり、羽生は▲7九角ではなく▲2五歩とした。
それに対して従来は羽生が朝日杯で指した△5四銀が定跡だったのを渡辺が△3三銀としたのが第二の新手で、以下伝説の激戦になったものの結果的には渡辺が制して永世竜王を獲得したわけである。
とにかく、この△3三銀新手が有効であることは認められて、その後も研究が重ねられている。急戦矢倉における最新のテーマでありつづけているはずだ。
ところが、羽生は朝日杯でその渡辺新手でなく従来の△5四銀をぶつけてきた。
そして、私が積ん読になって神棚に飾ってあるだけの「変わりゆく現代将棋」を調べてみると、この▲2五歩△5四銀、さらに進んで朝日杯で森内が▲5九飛としたところで普通に▲2五桂とする変化についても詳述されている。
結論だけ言うと、羽生の本では、様々な変化について「先手が好んで飛び込む変化とは思えない」などとして最後に「先手があまりうまくいかなかった」と書かれているのである!
この▲2五桂以外の変化についても、△5四銀が有力だと述べていて、だから羽生は▲2五歩では▲7九角とすべきで、それなら先手が指せるという本の構成結論になっているのである。
分かりにくいので再度まとめると、
1. △5五角の時に、▲7九角が最有力だったが、それが渡辺の△3一玉新手により後手も指せる事が分かった。
2. 従って、5五角の時に▲2五歩が見直されたが、それにも渡辺の△3三銀という新手が出て後手も指せる事が分かった。
3. その後研究は進んでいるが基本的には渡辺新手をめぐる究明が中心になっていた。
4. しかし、そもそも羽生自身は「変わりゆく現代将棋」で、▲2五歩に対しては△5四銀でも後手が指せるという研究認識をしていた。

つまり、最新研究だけしていると4の部分がエアポケットになるという事だ。
それを朝日杯というきわめて短時間の将棋で羽生は採用して、いきなり森内に対応を求めたわけである。
中継を見ていたら、羽生が△5三銀で急戦矢倉の意思表示をした際に、森内が手で顔を覆って「まいったな」という感じであるようにも見えた。
森内は事前の準備が徹底的なので、矢倉の先手についてもきちんと準備をしていたはずだ。しかし、多分急戦矢倉は想定していなかっただろう。
同じ朝日杯で去年も決勝で羽生が意表の先手中飛車にして、後手の渡辺が愕然とする様子が映し出されていた。羽生は恐ろしい勝負師なのである。
さて、冒頭の二人の会話はのどかめいているが、勝手読みすると実は恐ろしい。
森内は定跡の▲2五桂でなく▲5九飛とする際に、あの短時間の将棋では異例ともいってよい大長考をしている。
「羽生さんの本を思い出していました」は冗談めかしているが、ある程度本当で、▲2五桂に対しては羽生が後手で指せると書いていたのを森内は驚異的な記憶力で思い出してしまったのではないだろうか。そして、実際に読みをいれても▲2五桂ではなかなかうまくいかない事がわかった。そして、苦心した上で▲5九飛と変化した。だが、実戦ではあまりうまくいかなかったようである。
一歩、羽生が「よく覚えていません」というのは、さすがに自分の本についてはありえなくて、以上のような緻密な計算のもとに△5四銀をぶつけてきたのではないかと思う。
以上、全て素人の勝手な推論なので間違いの可能性の方が大きいような気もするが、少なくともこのようなバックグラウンドがあることだけは言えるのではないかと思うのだが。

序盤についてこの記事で補足しておきました。

THE21ONLINE羽生善治インタビュー

THE21ONLINE羽生善治インタビュー

とても良質なインタビューで読み応えがあった。
前半の情報に固執せず情報を捨てる勇気が必要という話は将棋の世界に限らず、現在の情報過多な世界で我々が生きていく上での重要なヒントになるだろう。
後半の、「5%しか見えていなくても、全体像についての仮説を立ててみる」というのは、羽生の将棋の強さの秘密が明かされたようでもある。
かつて、渡辺明が、自分もよく天才と言われるが、本当に天才だと思うのは羽生さんだけで、よくわからない局面で結果的に勝ちにつながる手順を選択してくる、という意味のことを述べていた。
まさしく、普段から5%で全体像を把握しようとするイマジネーションの訓練をしているからこそ、普通は判断できない局面でも見通しを立てる事が可能なのかもしれない。
そして、実際の具体的な将棋の話では、以下の部分がとても興味深いし、ちょっとこわい話だとも思った。
 たとえば、ある一手を指すのに60分かかった場合、その間にいろんな指し手の選択肢が棋士の頭の中で浮かんだはずです。『それは何だったのか?』『その手を指さなかったのはなぜなのか?』をイメージすることで、その棋士がやろうとしたことについての仮説を立てるのです。

羽生の棋譜並べは、単にその指し手をなぞるだけではないのだ。勿論、プロ棋士なら棋譜以外の変化手順も考えながら並べるだろう。しかし、羽生の場合は、もっとリアルに対戦相手が、どのように考えるかをイメージしているようなのだ。
そして、実際にその相手と対局した際に、相手の反応をみながら、研究しながら立てた仮説を検証するというのである。
対戦する前から、具体的に相手の将棋をイメージして、それを実際の対局で確かめるという。
対戦相手にとっては迷惑な話だ。事前にどういう将棋の考え方をしているかをイメージされ、実際の対局でそれを試される。
そして、場合によっては、「あぁ、この人はあそこまで考えていると思ったけれども、それほどではないのだな。」と判断をくだされてしまうかもしれないのだ。
さらに、多くの場合は負かされてしまうわけだ。
この話を読んで思ったが、羽生は具体的な対戦相手の個性に応じて指す実戦派なのかもしれない。そもそも羽生は、将棋は一人では指せず、自分が手を指したら相手にすっかり一度ゆだねてしまい、またそれを受けてキャッチボールしていき、二人でつくりあげていくものだという考え方である。だから、相手を具体的にイメージして訓練するのが必要だと考え、またその行為自体が好きなのかもしれない。
羽生の場合、ある対戦相手にある程度の期間苦戦したりしたあと、急にまったく負けなくなってすっかりカモにしてしまうケースが多々ある。あれは、羽生の地力がでてくるという面以外に、こうした羽生のイメージトレーニングのおかげなのかもしれない。
将来、羽生が引退してから各棋士についてどのように考えていたかの本を書いてもらいたいと思う。それは、単なる棋譜解説にとどまらず、それぞれの棋士の個性をクッキリと照射する名著になるはずだから。

王座戦が終わって

なんせ、ここのところの佐藤天彦の充実ぶりも将棋の内容の良さも勢いも凄すぎた。だから、いくら私が強度の羽生ファンでもさすがに今回はちょっと大変なのではないかと思っていた。それなのに追い込まれたところからのこの防衛。今まで何度も言われてきたことだが、羽生善治とは一体何者なのだろうか?
佐藤天彦の最近の大きな武器になっていたのは後手番での横歩取りである。横歩取りは定跡研究がきわめて重要な戦型で佐藤も大変深いところまで研究しているようだ。
しかし、こと研究ということなら、他にもよく調べている若手棋士はいくらでもいるだろう。いや、むしろ佐藤以上によく知っている若手棋士もゴロゴロしていそうだ。
しかし、佐藤の場合はそうした定跡研究よりも、中終盤以降の力が抜群に強い。トップレベルでも群を抜く深い読みがあると同時に、多少悪くなった局面でも決して崩れず粘り強く指し回して何とかしてしまう。
最近、ソフトが人間の定跡研究を力で打ち負かしてしまうのを想起させるような力強さがあるのだ。だから、ここのところ後手の佐藤の横歩取りを先手で回避する棋士も多いくらいだった。
しかし、羽生は(当然ながら)佐藤の後手横歩を全く避けなかった。羽生も横歩取りでの先手勝率が異常なくらい高いのだ。今回は先手横歩の最強者と後手横歩の最強者の対決でもあった。
とはいえ、ここのところの勢いを加味すると、羽生ファンの私でも若干の不安は正直あった。
結果は三局横歩になって羽生の二勝一敗。
第一局と最終局で羽生が勝ったわけだが、どちらも途中からは羽生がちょっとした隙をついて一気に大きな優勢を築いていた。その深い読み、というよりは局面の急所を直覚的に把握する力はさすがとしかいいようがない。
ここのところ、佐藤の後手横歩相手にこんな勝ち方ができる棋士はほとんどいなかったのだ。
引退間際の中原誠先生は、最後まで強い若手をバッサリ斬っていた。全盛期の羽生までもが、中原先生相手に一方的に負かされていたものである。やはり、もともとの深い読みと
、それよりも局面の急所を把握する直感と努力だけでは決して身につけられない独特な大局観のなせるわざであった。
中原先生と今の羽生を簡単には比較できないが、今回の羽生の勝ち方をみていてちょっとそれを感じた。羽生の場合は横歩の定跡型をまっこうから受けての戦いで、基本はその中での読みの深さの比重が高いが、それ以外に経験による大局観や、中原や羽生という本物の天才にしかない何かを感じずにはいられなかった。
これで、羽生は棋聖戦での豊島、王位戦での広瀬、この王座戦での佐藤天と、それぞれ全くタイプが異なる若手の代表格を次々に退けた事になる。本来三人とも恐ろしく強いのだ。世代のことを考えると普通ではありえない。
(再度)羽生善治とは一体何者なのか?
どうも、羽生は「もう1人のフジイ」が檜舞台にあがってくまで、しっかり待ち受けて頑張り続けるつもりのようである。
とはいえ、客観的に見ると羽生が今まで通りの強さを発揮できているかというと勿論そうは言えない。特に今年度は早指し棋戦でのつままずきが目につく。年齢により一番対応が難しくなるのが早指しなので仕方ないところもあるだろう。むしろ、四十を超えての羽生の早指しでの強さが異常すぎたのだ。とはいえ、羽生の場合はこの後、また早指しでも巻き返してくる可能性もあるような気もするのだが。
また、得意の王座戦での防衛もこれで三年連続のフルセットである。若手の猛追も急なのである。他の棋戦でも、大事なところで有望な若手にしとめられるケースも多くなってきた。それぞれとても強い若手だけれども、従来の羽生はこの辺には全くと言っていいくらい星を落とさなかった。これは、羽生よりも若手のレベルが全般的にあがっている証拠というべきだろう。
羽生も人間なので(おいっ)当然衰えるし、それ以上に現在は若手の全般的なレベルが昔と比べると格段にあがっている。だから、これからは当然羽生にとって厳しい戦いも多くなってくるはずである。
しかし、今回の羽生の勝ち方を見ていると、そういう状況でも、決して若手には真似のできない大局観で、相手を気がつかないうちにバッサリ斬ってしまって、相手の力が出せないまま終わるというケースはむしろ増えるような気もしている。

佐藤天彦は、独特のキャラクターで自他ともに「貴族」とか言われている。正直、私のような心の狭いオジサンは、それってどうなのナンジャラホイなどと思っていたものである。
しかし、今回の王座戦中での発言などを見ていると、勝負だけに執着せずにタイトル戦を盛り上げることも考えていたようである。また、最終局の直後にもツイッターで、冷静に将棋の内容を分析するとともに、素直にタイトル戦にでられたことの感謝を述べていた。
佐藤天彦という人はかなり大らかで人間の器が大きいのだろう。「貴族」を自称しているのも、恐らくその大らかさのなせるわざである。いい意味での鈍感さと図太さがありそうだ。
豊島や広瀬は羽生と戦った後にボロボロになっているが、どうも佐藤は平然と立ち直ってその経験をプラスに生かしてしまいそうな気がしている。
佐藤天彦は渡辺明とも仲が良い。この二人はここのところ大事なところで戦って佐藤が連勝した。渡辺としては心穏やかでないところもあるはずなのだが、今まで通り佐藤と仲が良いようである。王座戦では、佐藤にタイトルをとらせてあげたい旨の発言もあったようだし、第一局ではプライベートで対局場にかけつけて、佐藤を応援しながら検討していたようである。これも、もしかすると先述したような佐藤の人柄のよさや大きさのおかげなのかもしれない。
とはいえ、今後この二人はますます大事なところで戦う事が増えてくるだろう。
名人戦のA級での全勝対決後での名人戦棋譜速報の対局後の写真が興味深かった。逆転負けをくらった渡辺が、ソッポをみてかたまっている。数分全く両者声が出なかったそうである。
渡辺にとってはひどい逆転負けだったので、その悔しさが主で、感想戦が一度始まったら二人できさくに会話していたようである。
とはいえ、これからはますます二人のシビアな真剣勝負が増えてくるはず。当面、棋王戦でタイトル戦の直接対決する可能性がある。(羽生さんも負けちゃったからね。うぅぅ….)
この二人の場合はタイトル戦で相まみえる事があっても恐らく仲がよいままだろう。佐藤も大らかだし、渡辺もあのようにサバサバしたわりきった人柄の良さがあるので。
とはいえ、やはり本当のギリギリの勝負では二人が深いところで正面衝突せざるをえない。やはり、深い信頼関係で結ばれて(今もそれには全く変わりがない)羽生と森内も、度重なる勝負でただの仲良しではいられなくなった(はずである)。
悪趣味だという謗りを受けそうだが、無責任なファンはそういうガチな真剣勝負を見たいのだ。そういうところから本当の名局も生まれてくるのだから。

さて、最近里見香奈さんが奨励会の三段リーグで戦いだした。彼女の体調については、皆さん同様に私も小さな胸?をひそかに痛めていたわけである。
里見さんはあのように一見とても大らかでホワワンとしているので多少の事は大丈夫だろうと考えてしまっていたのである。
しかし、女流とのかけもちの過酷さ、注目度の高さを考えると、若い彼女には想像を絶するプレッシャーがかかっていたはずである。今もそうだけれども。
だから、脳天気に騒いでいた私も海より深く反省もしたし、寅さんのように「日々反省の日々をすごしています」というハガキを旅先の遠方から出したりもしていたわけである。
とにもかくにも、今は彼女が奨励会や女流で対局してくれているだけで幸せである。彼女に注目が集まるのは仕方ないのだけれども、特に奨励会については今のところは一人の三段なのだから、いちいち対局結果を報じたりするのはできればやめて欲しいと思ったりもする。
とりあえず、里見さんと先に述べた「もう一人のフジイ」が戦う可能性があるのを考えてコッソリ胸踊らせていたいと思う。

「人間的、あまりに人間的な」行方尚史の名人戦 その2

第四局の終盤でも分かるように、行方は羽生とも十分互角に戦う力がある。今シリーズの第二局も行方の会心譜で、羽生もふっとばしてしまうきれ味だってある。王位戦でも結果は出なかったが、唯一だけど勝った将棋は終盤の鋭さを発揮した将棋だった。
行方は若い頃から終盤力には定評があったが、
今年度あの熾烈なA級を勝ち抜いたことでも分かるように、序盤の研究も怠りなく全局を通じて手厚く戦い抜く底力も身につけてきた。もともと、粘り強い指し回しの将棋だったが、しっかりした研究に裏打ちされた円熟の境地に達しつつあるのだ。
だから、一般の前評判とは違って、今回の名人戦ではもっと勝っても全然不思議ではなかった...はずなのである。筆者は行方がとても好きなのだけれども、正直それ以上に羽生ファンなのであって、今回かなり行方を恐れていた。
できればもつれたシリーズの末に行方の顔も立てた上で羽生さんに防衛して欲しい。でも、本当に第七局までいったらはたして心臓がもつだろうか――ファンはファンで余計なことを考える事で結構多忙なのである。

そして迎えた椿山荘での開幕局。行方が深い研究で▲6八飛を試した。正直、昔の行方では考えられないくらい(失礼だ)研究が隅々まで行き届いている。行方もある程度自信をもって、充実した気持ちで指したはずである。
ところが、羽生の柔軟な対応力がそれを上回る。形にとらわれない△4三金左から△5三金寄。地味だけれどもこの手順が今の羽生の円熟を象徴する素晴らしい着想だった。シリーズ随一と言っても良い。行方をして「しびれました」と言わしめた。
後手の羽生がよくなったが、それでもまだまだ将棋は分からない。ところが、61手目で行方は投げてしまう。
盤外でも先手がどう粘るのか難しいとはいわれていた。しかしながら、ニコ生解説の「卒直居士」森下卓が述べたように、本来行方は終盤型でこの程度の差の将棋をひっくり返すことで生き延びてきた棋士なのである。
名人戦史上最短手数記録を更新。
行方が感想で述べているように、深く研究した上で指した▲6八飛が羽生の柔軟な構想でうちくだかれたショックも大きかったのだろう。十二分に準備して勢い込んで指したところ出鼻をくじかれて嫌気がさしてしまつたのかもしれない。
しかしながら、本来そうだとしてもまだ敗勢というほどではなかったようなので、普通に考えればシリーズの今後のことを考えればベストの抵抗をして羽生に楽をさせないようにすべきだろう。多分現代の若手棋士なら必ずそうする。
しかし、多分行方は大変デリケートで人間的なのだ。名人戦舞台初登場の緊張感や、構想がいとも簡単に打ち破れたショックで戦意を喪失してしまったのかもしれない。それが行方らしいと言えば行方らしいのだけれども、羽生相手にこんな「美しい」戦い方をしていては勝つのは望み薄である。正直に告白すると、私はもうこのシリーズは終わったとまで考えてしまった。
行方にはファン(や棋士仲間)に愛されてやまない人間味がある。それが必ずしも勝負にプラスするとは限らないのだ。残念ながら。
しかし、行方はそのままズルズルしはいかなかった。なぜだかよく分からないが第二局に現れた際には第一局の事など忘れたように元気一杯意気軒昂だった。それが人間的な円熟によるものか、行方が近年もった家庭のおかげなのか――あるいは全てを忘れさせてくれるアルコールの力なのか――はよく分からないが。
行方は今シリーズの前夜祭のあいさつで、「羽生さんと違って私行方をご存知ではないかもしれませんが」とか盛んに言っていて、中継ブログで文字おこしだけ読んでいた私は、前夜祭にくるファンくらいなら行方さんくらい知っているでしょ、何を言っているのよ、なめちゃんは、と思っていた。
ところがニコ生中継で現地にいた室田伊緒によると、行方はそういう自虐的な挨拶をすることで会場の心をつかんで味方にひきこむ雰囲気をつくっていたとのこと。ナルホドである。前夜祭でも行方流で元気いっぱいだったらしい。
そして将棋の方も快勝した第二局以降は、むしろずっと行方の方が強気で押し気味だった。あの羽生もちょっとタジタジだった。
しかし、第三局は終盤の一瞬のミスで転落、第四局は前記事で書いたとおり羽生の底力に根負け、第五局も理想的に攻めていたが羽生の△2七銀打を見落としていたそうで、攻めがつながらなくなり入玉を許し、以下徹底抗戦するも羽生の冷静かつ正確無比な指しまわしの前に敗れ去った。
どれも終盤でやられたわけで基本的には技術的な問題だし、また二日制の長時間対局に対応しきれなかったとも言える。
最終局の連盟大盤解説を担当した藤井猛は、行方の敗因は41歳という年齢のせいだと述べたそうである。では羽生はと聞かれて、羽生さんは超人ですから年齢は関係ないと答えたそうな。
そうした要因もあるのだろうが、例えば最終局を観ていて私などはこう思った。行方は羽生の△2七銀打をウッカリしてすでにそこではむつかしくなっていたのかもしれない。しかし、その後▲2五桂とあまり時間をかけずに指している。この桂馬を使わないとお話にならないという自然な手に見えるが、これには羽生の△3九飛が攻防の絶妙手でさらに大きく形勢を損ねたようにも見えた。
つまり、行方は感情の起伏が大きくて充実して思いとおりに指している時は滅法強いが、一度ミスしたり予想外のことが起きると素直に動揺して悪手を重ねてしまうようなところがあるような気がする。これ以外にも終盤で似たようなことを感じることも多かった。行方の「人間的な」ところが勝負には邪魔になるのだ。
一方の羽生は先述の△3九飛をすぐにでも指したくなりそうなところ、ジックリ読みを入れて夕休をはさんで指していた。落ち着いたものである。
さらに、入玉をした後も方針考え方具体的指し手が普通の将棋と違って大変難しそうなところを、常に冷静沈着に的確な指し手を積み重ねて終局図まで見事にたどりついてみせていた。
藤井が言うように羽生は「超人」である。単に指し手が正確だということではなく、恐ろしく心の揺れをコントロールするのに長けているという点でも。
第一局では、アッサリ投げてしまった行方だが、最終局は入玉されてからも気合い十分で鋭く迫り続けていた。しかし、それをことごとく羽生に正確にかわされていたのは何とも皮肉だったが。
しかし、少なくとも羽生を最後まで苦しませ続けた。もし、あの入玉後のようにシリーズを通じて指したら本当に少なくとももっと勝てたような気もする。
それが本来もっともやらなければいけない第一局ではなく、最終局の負けが濃厚な局面で出たのが行方らしいと言えなくもない。
今回は、とてつもなく強い「人間的な、あまりに人間的な」棋士と「超人」棋士の戦いだった。将棋は基本的には技術が全てだがそれ以外の要素もやはり重要なのかもしれない。

少し前にNHK杯でハッシーの二歩が話題になった。相手は行方である。
橋本が二歩を指して直後は二人とも気づかなかったが、まず行方の方が「ああああああ」と声をあげると、顔をおおってまるで自分が二歩を指したかのように落ち込んでいた。
「ああああああ」と声をあげるおかしみと、相手を思いやる今時珍しいような心のやさしさが、あれぞ行方である。
やはり、「人間的な、あまりに人間的な」「棋士」――ではなく「人間」である。その点では羽生もかなわない。


(その1の記事はこちらです。)

「人間的、あまりに人間的な」行方尚史の名人戦 その1

今回は第四局が何といっても名局だった。序盤は行方が△8二飛など細心な配慮でうまく羽生の攻撃を完全に封じ込んでしまった…ように見えた。
純粋な二歩損で右辺も先手の羽生からとても手がだせない形のように見える。完封寸前。こういう場合、将棋界では「島朗先生なら投了してもおかしくない局面ですね。」と言うのが通例になっている?
しかし、羽生も▲2三歩と放り込み、決然と後戻りできない桂馬も跳ねてギリギリの攻めをつなごうとする。
後手は△6九角や△3六角と受けて完全にきらしにいく指し方もあったようだが、行方は強気に△3六歩。ものすごい手つきだった。
こわいところもあるがハッキリ勝ちにいった手で、行方の精神的充実を感じた。こういう踏み込みを敢えてしないと羽生には勝てないと経験で知っているのかもしれない。
とはいえ、完封寸前に見えたようだが局面がほぐれて一応先手も攻めの形になった。後手もこわい。
特に局面が進んで▲2四飛と取られそうなところを逃げたところは、ニコ生解説の渡辺明も「ここで後手にいい手がないと、アレアレこれはおかしいですよー(誰かの口調みたいだ)、ということになります。」と述べていた。
しかし、行方は△3五銀打という好手をきちんと準備していた。入玉しようとする玉の進路を塞ぐので指しにくいが飛車をいじめて取るか封じ込めば良いという好判断である。
ギリギリの終盤でこういう冴えた手が指せれば通常はもう勝ちである。但し、普通の相手ならば。これで改めて後手良しがハッキリしたように見えたが、羽生はその後も実にしぶとい。
渡辺によると、行方が△3五玉と逃げ出したのがやや危険で、すかさず▲1七銀と飛車取りに当てながら入玉を阻む手を指されてまた局面がちょっと分からなくなる。
それでも△9五歩の端攻めが確実な迫り方で、難しいながらもまだ後手か残していそうだという評判だった。次の△9六歩の取り込みが詰めろ。
それに対して▲9八歩と受けたが、渡辺は当初錯覚して97に駒を放り込んで詰みだと思ったが最初に先手が桂馬で取れば後手が△9六桂を打てず詰まない。
つまり、▲9八歩に対して、さらに後手は先手玉に詰めろを何らかの形で続けなければならない。そんなに簡単ではない。
羽生は▲9八歩を着手する際に、ほんの少しだけ震えた。これは、勝ちになったというよりは、それまでずっと負けだと思っていたのだが、もしかすると何とかなるかもしれないという意味だったのかもしれない。
その辺りを渡辺は「▲9八歩に対してどう詰めろをかけてくるんですか、と羽生さんは主張しているのかもしれないですね。」というような言い方をしていた。
渡辺の解説は手の指摘も的確な上に両対局者の考え気持ちの分析も明晰で素晴らしかった。まるで、ピエール・ブーレーズの「春の祭典」のスコアの解析のようで曖昧なところが一つもなく全てがレントゲンの光線のもとにさらされる感じだった。本局の素晴らしい終盤戦の醍醐味を渡辺のおかげでよく理解できたのである。
しかし、その時点では行方も全く不安な様子は見せず力強い手つきでの着手が続く。行方も羽生も自分が勝ちだと主張しているように見える。何とスリリングな終盤。
行方が準備していたのは端を清算して玉を7九に落としてからの△4六桂の詰めろだった。これまた気づきにくい手順の詰めろだが先手も受け方が難しい。
行方はここでは勝ちだと思っていたらしい。羽生が指した次の一手の▲6八銀打以外は。
これも銀を投入すると攻め味がうすくなるので打ちにくい銀である。また、節約して金を引いたりする事も考えられ。渡辺がその順で後手玉を頓死させる順を解説してやりたくなりそうだが、行方はそれらを全部読んでいて勝ちと見切っていたそうである。何という深い読み。
しかし、羽生の銀受けがそれをも上回っていた。羽生は「あそこはあの一手」と述べたらしいが、これは羽生にしか言えないセリフだろう。
既に一分将棋だった行方はこれに対応できなかった。△5八角に先手が5九に香車を受けて攻めがつながらなくなってしまう。ここでは後手が龍を入っていればまだ激戦が続いたようだが、それよりも羽生の▲6八銀打に凄みがありすぎたと言うべきだろう。
その後も、素人には全然簡単ではないのだが(笑)、▲9九歩とか▲7七金打ちとか当然とはいえ後手にとってはきつい手が続いて確実に先手が勝ちに歩を進める。いつものことだが、羽生の仕上げはからい。いや、そうではなく確実正確なのである。
最後の▲8八玉で、羽生の手は大きく震えた。今度こそ正真正銘の勝利宣言である。
羽生の脅威の粘りに瞠目させられたわけだが、行方のもともと定評ある終盤力にも感嘆するしかなかった。超一流プロの技術にウットリしてしまう終盤。
行方はしぼりだすように投了をつげた。その後もうつむいて顔をさかんにおしぼりで拭いている。観ていて痛々しいのだが、このように感情をストレートに表現するところが行方の魅力でもあるのだ。
渡辺によると「羽生さんは、終局後にわりとすぐ相手に声をかけるタイプなのですが、行方さんの様子を見て何も言えないのでしょうね。」このあたりも指し手だけでなく的確な解説だった。
行方のあの落胆ぶりは、あの良かった将棋を勝ちきれなかったか、落としたかという気持ちの表れである。またプロ棋士も観戦者ももともと相当後手がよくて、久々に羽生の鬼のような大逆転勝ちだという見方だった。当初は。
しかし、渡辺がブログに書いていた通り、冷静に考えると後手がよかったにしても、ハッキリ勝ちにする手順は難しくて、実はそれほどの大逆転ではなかったのかもしれない。
真の羽生マジックとは、このように一件大差に見えても実は意外に難しい順をほとんど本能的に選択できる事なのかもしれない。羽生自身も意識的には相当苦しいと考えていたのかもしれないが、結果的には意外にむつかしい順を無意識に選択できているとでもいうか。
かつて、渡辺が羽生のどういうところが天才かと問われ、「分からないところで結果的に勝ちになるような順を羽生さんは選んでいることが多くてあれは他の棋士ではありえない」という意味のことを述べていたのを思い出した。

さて、記事タイトルの内容にまだたどりついていないが、第四局を語るだけでもう力尽きた。続きはまた回を改めて。

王座戦第五局、羽生vs豊島の終盤戦

羽生善治先手で第三局同様に横歩取りの将棋になった。但し、横歩とは思えないような居飛車振り飛車の対抗型のような落ち着いた展開に。
こうなると、羽生の自然にいつの間にかポイントをあげていく老練のテクニックが存分に発揮される。
途中ではかなり豊島将之が苦しいと言われていたが、決して暴発せずに我慢して機をうかがい、終盤では追い込みをみせて白熱の展開になった。
というよりは、羽生が実に思いきった寄せ方を実行したために、「事件」になりかけたのである。
まず、135手目の▲8二同龍。ここは龍をじっと引いていても十分とされていたところを、いきなり踏み込んだ。控え室では悲鳴が上がり、ニコ生解説の阿久津主税も驚いていた。
はたして、ちゃんと寄るのか?
さらに、次の羽生の手がさらなる波紋を呼ぶ。
▲9一銀!
何だこれは。
指し手が進んで、▲9三歩から▲9四歩と打ち直して9三に歩を成るという実に凝った手順だと判明。羽生の意図は理解できたし、何という歩の手筋かと思われた。
しかし、対局後に冷静に振り返ると、▲9一銀では▲9三銀が簡明。これでハッキリ先手が勝ちだったという結論がでたようである。
但し、▲9一銀で負けというわけではなく、その後豊島が最後に△5一金としたところで△5二金上としておけば難しいが、それでも先手が残せそうという結論だったようである。
だから、▲9一銀は(羽生本人が言うほどは)悪い手ではなかった。
そうは言っても、▲9三銀で明快に勝ちだったのだから、そちらの方が良かったに決まっている。
実際、歩を使って苦心惨憺して9三に成っているのだから、最初から9三に銀を打っておけばよかったという話になる。
羽生はこの時もう一分将棋だったと思うが、むしろフツーな▲9三銀でなく、フツーでない▲9一銀からの歩の手筋が見えてしまったことが驚きである。羽生の羽生たるゆえんと言えないこともない。
しかし、例えば渡辺明なら「たとえ羽生さんが指そうが、悪い手は悪い手っすよ、ハッハッハッ」と言いそうである。いや、羽生自身も実は渡辺に負けないリアリストなので、▲9一銀はひどかったと素直に認めるはずだ。というか、実際に局後にすぐ認めた。
また、恐らく最新のソフトにかけてみれば、もしかするとこの辺りはすぐ分かってしまう事なのかもしれない。

しかしながら、今まで書いたことは全て局後に判明した結果論にすぎない。
例によって、ニコニコ生放送で白熱の終盤が克明に映し出されていた。
豊島の方は、あんな終盤でも冷静そのもの。じっと静の姿勢を保ち続けている。
一方の羽生は、せわしなく動き続ける。龍をきるあたりから、苦吟して指し手を求め続け、手も震え、指した駒をきちんと置くのがやっとという感じだった。
今まで何度も修羅場をくぐりぬけてきた人とは思えないように、局面になりふり構わず没頭していた。かっこよく指そうなどという気持ちなど毛頭なくて、まさしく全身全霊を将棋に捧げきっていたのである。
だから、観戦者たちの反応も圧倒的だった。羽生の思いきった寄せに驚いたというのもあるだろうが、何よりあの羽生の姿に誰もが魅了されずにはいられなかったのである。指し手の善悪とは関係ない。
勿論、将棋は技術を競うゲームなので冷静な検討反省も必要で、▲9一銀は明らかによくない手だった。しかし、その事とあの羽生の鬼気迫る対局姿の凄みは別の話である。
竜王戦第一局のハワイでの前夜祭で糸谷哲郎が面白い挨拶をしていた。

竜王戦中継plus 対局者あいさつ

是非全文を読んでいただきたいが簡単に要約すると、
ハワイや日本にはシャーマニズムの伝統があり、一神教と違って、神そのものに語りかけようとする。将棋にも似たところがあって、神(のメタファー)を目指す。勿論、たどり着くことはできないが、それを目指そうとする。そして、そのように将棋を指したい、
という事だった。
羽生の本局の対局姿は、まさしく真摯なシャーマンそのものだった。
シャーマンは神にはたどりつかないかもしれない。しかし、真剣に近づこうとする行為自体が尊いのである。もしかすると、神自体が人間に嫉妬するかもしれないくらい。
だから、結果的にいくらソフトで解析されようが、人間の指す将棋の価値はいつまでも失われないのである。

糸谷哲郎の竜王挑戦とそれとはあんまり関係ない将棋を観る行為についての一考察


竜王戦は既報の通り糸谷哲郎の挑戦が決まった。あのように糸谷は将棋もキャラクターも個性的そのものである。対して森内俊之竜王は羽生世代のなかでも意外に古風なところがある。
だから、糸谷の盤上の指し手に対しても盤外の振るまいに対しても森内が困惑戸惑いを示す局面も期待できなくはない.....などと言ったら怒られてしまうだろうか。
私は何となく、渡辺明が森内竜王に挑戦したもう10年以上前の竜王戦を思い出してしまうのだ。あれも若き渡辺の指し手や振る舞いの異質性に森内が耐えて戦うようなシリーズだった。ちょっとだけそんなものの再現にも期待してワクワクしてしまうのだ。

さてところで私はご存知の通りかなり重症の羽生ファンである。当然あの夜遅くはまるで世界の終わりのように絶望のどん底に沈んだわけである(当たり前のように言うな。)
そんな夜には当然ながら異常な妄想がとめどもなく拡がっていく。

我々の暮らす世界はこの世界だけが唯一では決してない。それ以外にも無数無限の平行世界、パラレルワールドが同時存在する。だから、この世界では羽生は負けたが他の世界では羽生が竜王に挑戦している。
そして、もし仏教の唯識のような考え方を採用するならば、この世界はこの私の心が全て生み出した夢に過ぎない。そして、世界で起きている全ての出来事は私の責任である。
だから、羽生が負けたのも私のせいだ。あまりにも羽生が負けて欲しくないという思いが強すぎてそれがネガティブな思考として実現してしまったわけだ。
いや、私だけのせいではない。この世界は基本的に私の意識が創造した所詮夢に過ぎないが、そこに登場するあなたがたが実在しないわけではない。あなたがたも、それぞれが無限のパラレルワールドを自分の中に抱えており、その中からこの世界を選んだのだ。だから、羽生が負けたのはあなたがた全員のせいである。
勿論、糸谷勝ちを切望していた人もたくさんいるだろう。その人たちの真っ直ぐな思考の願望は強力だったというわけである。おめでとう。
ところで、羽生自身はどうか?羽生も勿論自分でこの世界を無数のパラレルワールドの中から選んでいる。しかし、羽生には私たちのように「負けたらどうしよう」というようなネガティブな思考のエネルギーはほとんどない。そうでなければ、この世界で羽生が生で七冠を達成できたりするものではない。いくら羽生が強くても。
だから、真相はこういう人だ。羽生はただ純粋に竜王復位を願っていた。ところが、私あるいはあなたのようなファンが応援するあまり「負けて欲しくない」という強烈なネガティブエネルギーを放射しすぎてしまった。その総和量にさすがの羽生も勝てなかったのである。
だから、羽生ファンが「どうしても永世竜王に」というエゴ的な欲を完全に放棄しさえすれば良い。そうしたら、羽生はほっておいてもいつか勝手に永世竜王になるだろう。

・・・・というような妄想が頭の中をうずまきながら、その晩あけたジャック・ダニエルがあっという間に空き瓶になるのを眺めていたところまでは何とか覚えている。
翌日もひどい二日酔いに苦しめながら極度の憂鬱は続いた。さすがに、少しはまともな頭に回復してこのように考えた。
何で羽生本人でもないのに、赤の他人の私がこんなに苦しんでいるのだろう。バカみたいではないか。
いや、それも前々からよく分かっていた事だ。羽生を応援すると言いながら、私の愚かなエゴが羽生という勝者と自己同一視して勝利の快感を共有して味わおうとしているだけだ。羽生を応援しているわけではなく、私のエゴが快楽を追求しているだけ。
勿論、そんなものは「愛」ではない。徹底的な自己中心性であって羽生にも迷惑なだけだ。
と頭ではよく分かっている。ところが感情が納得してくれない。
しかし、今回極端な悲しみの中で(笑ってしまうが)、私の中で何かがはじけた。こんな愚かなエゴにつきあっていて何になるのだろう。何度も言うが羽生にも迷惑なだけなのに。
そんな自分が限りなくおかしくなったのである。一瞬にして悲しみは消えた。
将棋というのは勝ちと負けがハッキリしたゲームである。そもそも、そのこと自体が非人間的といえば非人間的である。そして、それに対して無邪気にこの棋士やあの棋士を応援する我々ファンの心の中にも、代理してもらって勝利の快感に浸ろうとする心理がひそんでいる。そんな野暮なことは今さら誰も言わないけれども。
いや、それは他の全ての勝負事にも言える。例えば私の愛してやまないプロ野球。
私は巨人ファンなのだが、これだってよく考えてみれば馬鹿らしいことだ。たまたま、子供の時にみた長島や王や高田や柴田や末次や土井や黒江や柳田や森が忘れられなくていまだに巨人の勝ち負けに一喜一憂している。何の関係もないのに。
さらにアンチ巨人というものがいる。巨人の親会社のオーナーが嫌いだったり金にまかせた補強が大嫌いで巨人が負けることを切望する。何かが負けることで歓喜する。「正義」の追求。単なる野球にすぎないのに。
そういう意味では、巨人ファンの方が(相対的には)まだマシである。やっぱり親会社のオーナーが嫌いだったり金の力の補強に後ろめたさを感じながらも、何かを愛そうとはしているから。親鸞も言っているではないか。
「善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」と。いや、別に巨人ファンが悪人というわけではないが、少なくとも巨人ファンもアンチもどっちもどっちだ。
話が迷走しすぎた。
さて、それでは勝負を離れたら将棋なんてつまらないものだろうか。決してそんな事はない。
私は少なくとも羽生の将棋以外は冷静に(微苦笑)見ることができる。そして、これが勝負とは関係なく面白くて仕方ないのだ。
結果的には勝負はつくが、それに至るプロセスがスリリングそのもので楽しくて仕方ないのだ。
だから、私にとっては羽生の将棋以外は観ていて無条件に楽しい。いや、実はそのプロセスにおいて一番私を夢中にさせるのが羽生の将棋なのだが、本当に大事な勝負になるとそれができなくなってしまう。
恥ずかしながら今回の竜王戦挑戦者決定戦もそうだし、実は今春の名人戦もそうだった。もう内容なんかどうでもよくて、ただ羽生が勝つことだけを祈っていた。当然観ていても全然楽しくない。
ところが、今回の竜王戦挑決で私の中で何かがついに壊れた。遅まきながら、やっと勝負だけにこだわる愚かさが理屈ではなくて体感できた。分かりやすく言うとついに悟りを開いたのである。
だから、糸谷に対しても心からおめでとうと言えるし、竜王戦も思う存分楽しめるはずである。とてつもなく高い授業料だったけれども。
今も王位戦が戦われている。勿論、羽生が勝たなくてもいいということではない。多分、羽生が勝ったら今まで以上に単純に喜べるだろう。負けたらガッカリするだろうが、相手に小声ながらおめでとうとも言えそうである。

・・・、えっ、バッカだなぁ。何を今さら分かりきったことを言っているんだ、私は以前からそうしていました、ですって?参った、私だけだったのか。大変失礼いたしました。

というわけで、私よりも数段人間的に優れた読者諸賢のためにそろそろブログも再開しようと思っております。


羽生善治の「右腕」長岡裕也

昨晩テレ朝で放映された番組のタイトルである。さすがに「右腕」とまで言われたら長岡も照れてしまうだろうが、そういう番組タイトルなのだから仕方ない。そして大変面白かった。
八王子の将棋道場での二人の初対面動画まで残っていた。羽生にしっかりと挨拶する長岡少年。今の長岡の落ち着いた性質は既に見て取ることができる。しかし、羽生をじっと見つめる憧れの目だけは他の少年と少しも変わらないのだった。
二人の対局、いわゆるVSの様子もカメラが追う。驚いたことに羽生は普段の公式対局の時と全く同じである。大きなモーションで将棋に没頭し、たまたま苦しい将棋だったらしく声を上げて苦吟する。これが羽生善治。練習の将棋でもタイトル戦でも一度将棋を指し始めたら100%没頭してしまう。
羽生が「負けました」と言って頭を下げる。長岡の勝ち。長岡本人によると練習対局での勝率は一割から二割とのこと。いくら羽生が強いといってもやはりこの数字は驚異的である。少なくとも羽生が少しも緩めていないのだけは間違いない。
ところで、カメラは二人の練習対局だけ追っていたが、いわゆる序盤の局面指定の最新研究手を長岡が講義するような事はやっているのだろうか。しているような気もするし、羽生はあまりそういう事を欲張ってやらないような気もする。どうなのだろう。
オマケ的に長岡と夏目三久アナが駒落ち対局。夏目アナは将棋のルールも知らず、長岡は玉だけ。プロの強さを教えようというありがちな企画で、こんなのいらないと思っていたのだが、大変面白いことに。
夏目アナが「えっ、どうしようかなぁ」とか言いながら指した手が初手▲7六歩。何も教わらないでたまたま角道を開けたらしい。これには「おおおっ」となってしまった。結構勘がよいのだろうか。
長岡二手目△4二玉に対して、夏目アナ、「いっちゃおうかなぁ」と言いながら指したのが何と▲3三角成。いきなり攻め込んだのはよいものの、残念ながら玉で取られちゃう。夏目アナ、大人しそうに見えて実は超攻撃な性格か?
というわけで大笑いしたのだが決してバカにしているわけではない。初手▲7六歩といい、この手といい展開的に盛り上げるためには理想的な指し手であって、やはりこういう人は何か持っているのかもしれない。
私はほとんどテレビを観ないので、先日豊川孝弘がやはりテレ朝番組で取り上げられた際に初めて夏目アナを見た。有吉弘行やマツコ・デラックスといった超曲者相手に、ほわーんとしたおっとりしたオーラながら、自分のペースでしっかり喋っていてなかなか大物ではないかと思ったのだが。
そして番組の締めの部分での夏目アナの発言。
「将棋は一人の世界で個人との戦いだと思っていたのですけれども、羽生さんと長岡さんのようにお互いに尊重しあってみんなで強くなっていく世界なのだと感じました。」
これには、またしても、「おおおおっ。」まさしくその通りであって、現代将棋は共同の研究によって序盤定跡、中盤の感覚、終盤の技術も猛烈な速度で進化してきたのだから。
夏目アナ、勘がよいだけでなくて大変賢いのかもしれない。
さて、今日は羽生善治についてでも長岡裕也についてでもなく、実は夏目三久アナについて書きたかったのがそろそろバレたと思うのでもう終わりにしよう。

CSテレ朝チャンネルの朝日杯番組

昨晩、朝日杯の番組がCSの朝日チャンネル2で放映された。合計四時間超という贅沢なつくりである。
まず、テレビ朝日の田畑祐一アナの羽生善治への準決勝直前のインタビューから始まる。
「こんな対局直前のインタビューはあまりないのと思うのですが、お邪魔ではないですか?」
田畑祐一は新日本プロレス中継も担当していたアナウンサーである。これが蝶野正洋ならば、「わかっているんならインタビューなんかするなや、こらあああ」という定番の展開になるわけだが、勿論羽生がそんな事を言うはずもなく、インタビューは穏やかに進んだ。
豊島将之にもインタビューしていたのだが、どちらにも賞金1000万円の使い道を聞いていたのが普段の将棋番組とは違っておかしかった。いつもとは勝手が違うインタビューに豊島が「何なんだろう、このおじさん。」というような目で当惑しながら答えていたようにも見えた。きっと私の気のせいだろう。
いきなりインタビューだったが、その後はすぐ対局中継(録画)にはいって、余計な前振りとか説明もなく、スポーツ中継のように実況に徹する番組のつくりが大変よかった。編集なしの完全中継である。
中継の仕方も、対局生盤面とワイプで対局者二人の表情を常に映し続ける斬新なやり方。別室の控室に田畑アナ、解説の阿久津主税、朝日新聞の将棋担当の山口進氏の三名がいて大盤などなしに実況席のようにデスクに三人横並びになってその音声だけを映像にかぶすやり方。時に対局者だけ抜いた映像や対局場全体の映像にかわるが、基本的には対局者二人の表情、様子を視聴者はずっと見守ることが出来る。この中継の仕方は大変よいと思った。
画質も大変良くもマイクも対局者の息遣いまで拾っていた。
こうしてずっと観ていると、やはり羽生は対局中の動きが大変激しい。完全に静の豊島と対照的である。恐らく将棋にそんなに詳しくない田畑アナもすぐそれに気づいて指摘していた。
お得意の両手で頬っぺたをはさむ「『ムンクの叫び』ポーズ」も何度も出てきたし、両手で頭をかかえたり(田畑アナによると「頭皮マッサージ」)、とにかく常に動いていて表情も豊か。加藤一二三が、「私と同じくらい動きが激しい」と言うのもうなずけるというものである。いかにも、全精力を傾注して対局に集中している様子が伝わってきた。
午後の決勝の渡辺明戦の前でも直前インタビューが行われていた。午前の対局の様子を見て、これは一日二局は結構過酷だなぁ、と思ってみていたら二人ともことの他元気である。二人とも将棋が強いだけではなくて、体力も大変なものがあるのだろう。
将棋は田畑が「大変貫禄のある方」と呼ぶ渡辺がペースを握る。そして、ポイントとなった三枚換えの場面は、二人とももうこうするしかないと△5五角までバタバタと進んだ。二人ともそれほど表情も変えずに。ああなれば必然手順なので当然なのかもしれないが、こういう勝負の呼吸を含めて二人の様子を実際にずっと観ていられるのは楽しい。
決勝では森内俊之もゲストに呼ばれていたが、やはり田畑アナの問いが新鮮である。「羽生さんは服にはそれほどこだわらないようですが、森内さんはスリーピースでピシッと決められていますね。」これには、森内も「そんな事は言われた事がないので嬉しいです」と当惑気味に笑っていた。
当日の関東は記録的な大雪で羽生スーツ着用でスノーブーツといういでたちだった。だから田畑アナはこんな事を言ったのだろうか?(考えすぎです。)
また、羽生が席を立ってトイレに向う様子もカメラが追っていたが、羽生の歩き方がなんと言うか、ぬき足さし足忍び足のような感じだった。これもスノーブーツでドカドカ歩いて音が出ないように気をつかったのだろうか?(だから考えすぎです。)
豊島に対しても「きゅん」と呼ばれることについてつっこんでいた。豊島は、最初は照れくさかったがもう慣れました、と。さらに「それは豊島さんを見ていると女性ファンが『きゅん』とするからだそうですね。」これには、豊島も「そうなんですか?」と照れるしかなかった。
勿論将棋の解説も大事だが、基本的には娯楽番組なのだから、多くの人に見てもらうにはこういう会話も適度にあってよいのではないだろうか。
将棋は羽生が驚異の大局観から勝ちになったわけだが、渡辺が完全に負けを悟った際に顔をおおう様子が何とも印象的だった。当日のニコ生でもこの様子は確認出来たのだが、現代技術の高画質で観る事ができると迫力が違う。
この朝日杯の番組は来年以降も是非続けてもらいたいし、他の番組でも参考にしてもらいたいところがあつた。
締めは田畑アナによる優勝者の羽生へのインタビュー。やっぱり、最後まで賞金の使い道を聞いていた。明らかにこれは狙っている。
羽生は「まぁ、これからゆっくり考えます」と軽くかわしていた。
しかしもし、蝶野正洋ならば、「オマエいつまでそんな事言ってるんだこらああああ、いい加減にしねえか。」と頭からビールをぶっかけられていたはずなのは言うまでもあるまい。
(田畑アナのウィキペディアによると、実際蝶野にビールを頭からかけられた事があるという。)

永瀬拓矢の羽生善治観

朝日新聞の観戦記、▲羽生vs深浦(観戦記 後藤元気)の中で、永瀬六段の興味深い話が紹介されていた。

朝日デジタル 「リード広がる 第72期将棋名人戦順位戦A級8回戦 第40局第5譜」
(朝日デジタル トップページ 会員登録すれば無料でこの記事も閲覧可能。)
( 永瀬六段による羽生評は、「直線的な将棋を意識され、完璧主義だと思います。すべての面でトップの存在であり、万能であるがゆえ棋風はほとんどないのではないか」。
 そして「完璧主義だからトップに君臨できているのですが、その点が(勝負としては)狙い目だとも思っています」と加えた。曲線的と見られることが多い羽生将棋を直線的、また完璧であることが狙い目とは、面白い視点ではないだろうか。)
後藤記者指摘の通りに、羽生の将棋は曲線的だというのが一般的な見方である。それはアマチュアだけでなくプロでもそうである筈。
では、永瀬の発言をどう解釈すべきか。よく見ると「直線的な将棋」と言っているのではなく、「直線的な将棋を『意識され』」と述べている。つまり常に直線的な将棋を指すという意味ではなく、斬りあいで一直線に勝てる場合にはそういう将棋に飛び込むことを厭わないという意味ではないだろうか。
それならば理解できる。羽生は、もっと確実な勝ち方が出来るだろうと思える局面でも、全く恐れをしらぬかのように危険もある変化を平気で指す。
普段、羽生が曲線的な将棋を指すのが多いのは、なかなかプロ同士の将棋ではそうはならず押したり引いたりが必要だからなのだろう。羽生は将棋の展開によって、「直線的」と「曲線的」を使い分けていて、ただ常に最短の厳しい変化も常に「意識」はしている、と。だから、永瀬は羽生を「完璧主義者」と呼ぶのだ。
そう考えると、永瀬が「その点が(勝負としては)狙い目だ」と述べる理由も何となく分かってくる。
永瀬は棋王戦本戦で羽生に二連勝して将棋ファンを驚かせたが、その二局目は永瀬先手で矢倉の最新定跡の課題型だった。具体的には、先手が▲4六銀▲3七桂戦法で、後手は△9五歩型を選び、それに対して先手が▲2五桂と攻めていく形だ。
渡辺明が竜王戦で森内俊之相手にこの古くからある形を採用した。それまで先手が苦しいという評価に疑問を呈して、その後のプロの公式戦でも注目を集めて何局か指された。
そして、この形は矢倉でも相当に終盤の深い形まで研究が可能である。プロの将棋は公式対局以外に水面下で膨大な研究が行われていて、この▲永瀬vs△羽生戦もそういうよく研究されているであろう形になった。そして、終盤の最後のところで永瀬が羽生を破った。
つまり、永瀬は羽生が「直線的な将棋を意識して」いるために、最新流行形の定跡のギリギリの変化に決して逃げずに踏み込んでくること予測してこの形を選択したのではないかしら。
そして、「完璧主義者」の羽生を研究将棋にひきみ、羽生が中終盤で自由なイマジネーションを発揮する余地がないようにして、終盤の一瞬の隙をついて勝ったと。
以上述べたのは、勿論私の推測に過ぎない。しかし、この永瀬の羽生評を聞いて、すぐに私はこの将棋の事を考えたのである。もしそうだとしたら、何とシビアでプロフェッショナルな考え方だろう。
その永瀬羽生戦で我々ファンは「羽生さん相手に矢倉を指すなど百年はやい。」なとど好き勝手な事を言っていて羽生勝ちを全く疑わないでいたわけだが、いかにファンなどというものは、お気楽で何も分かっていないものか。
永瀬一人だけは、獲物に狙いを定めたハンターのように、プロらしい考えに徹して将棋を指していたわけだ。あっぱれである。

角を銀のように使った羽生善治

王将戦第四局では何と言っても羽生の▲7九角が印象的だった。
羽生陣は6八と5七に金がいて、角を7九に引いても二重に角道が止まっていて活用の目途が立たない。
しかし、終盤で結果的にこの7九の角は後手の攻めが詰めろになるのを防ぎ先手玉が左に逃げていく余地をつくっていた。
例えば振り飛車の金無双では2八の銀を3九にひいて左の守りを強化しつつ壁銀を解消して玉の逃げ道を確保する方法は一応ある事はある。
しかし、今回は角である。ニコ生解説の深浦康市は「羽生さんは、角をまるで銀のように使っていました。前代未聞でしょう。」と驚きを隠せなかった。
厳密には▲7九角のあたりでは羽生の方が苦しめで、羽生自身も得意の表現で「つまらない将棋にしてしまった。」と感想を述べてていたようである。しかし、その後渡辺の方にもミスが出て羽生有利に逆転し、最後は使いようのなかった7九の角が受けにおいてちゃんと働いたから将棋は皮肉というかよく分からないものだ。
結果論になってしまうが、▲7九角は苦しいながらもいい辛抱で、逆転への道を開くことになった、という感じだろうか。
スポニチの今朝の記事でもこの▲7九角を取り上げていた。

羽生3冠タイに…マジック出た!渡辺王将の猛追振り切る
(「本紙観戦記者の加藤昌彦氏は「久保利明九段との王将戦で似た手を見た」と指摘した。この日、大阪・心斎橋のスポニチプラザ大阪で大盤解説会に臨んだ、ゴキゲン中飛車の第一人者で元王将の久保は覚えていた。
 「羽生さんとのこの戦型で出た手です。見た瞬間は理解しづらかった。▲7九角は名手だと思います」)

気になったのでその将棋の棋譜を調べてみた。第59期王将戦七番勝負第2局▲羽生vs△久保である。
将棋はやはり後手久保のゴキゲンに対して先手羽生が超速▲3七銀から二枚銀。本局と同じ。そして、後手の久保がやはり7六に銀を進出させて先手玉を圧迫。羽生はやはり▲7七歩と打ってあやまり、さらに8八の角を7九に引いている。
但し、この場合の羽生陣は6九金5八金の形で角道が通っている上に後手が△5六歩と5筋から攻めてきた局面での角引きだった。だからわりと自然な手に見えた。
それを恐らく羽生自身も覚えていて本局に応用したのではないかと思う。但し、今回は二枚の金で角道が二重に止まっていたのできわめて奇異な手に感じられたというわけである。
羽生は最近経験の重要性をよく説いているが、本局の▲7九角ではそれが出たのではないだろうか。それも、同じ手でも全く違う状況で頭を柔軟に使って。
この辺りが羽生の非凡なところである。だから、羽生将棋は単に強いだけでなく、観ていて抜群に楽しいのだ。


羽生結弦金メダル記念羽生善治関連つぶやき集

羽生(はにゅう)さん金メダルおめでとうございます。となると、当然?我らが羽生(はぶ)さん絡みでのネタつぶやきが出てきます。私の目にした範囲でちょっとだけ。いや、ネタでなくちゃんとしたつぶやきもまじっていますが。
と言うか最後のつぶやきだけは紹介したかったの。それだけです。
ごめんなさい、ごめんなさい。

















朝日杯における羽生善治の大局観

朝日杯の当日、関東地方は朝から大雪だった。外出された方々はさぞ大変だったろうと思うが、家にこもって雪景色を楽しみながら豪華メンバーによる朝日杯の準決勝と決勝をニコ生中継で楽しめるなどこれ以上の贅沢はない。
雪景色にピッタリな森田芳光監督「キッチン」の野力奏一作曲のサウンドトラック「満月」をかけながら、雪景色をバックに「将棋エッセイコレクション」の写真を撮ってみたりして(あっ、宣伝してやがる)、私は朝からゴキゲン中飛車だったのである。単なるバカである。
雪は関東では何十年ぶりの記録的なものになり、翌日雪かきが大変な事になり、さらに本日激しい筋肉痛に苦しみながら現在このブログを書くことになろうとは愚かなその頃の私は想像だにしていなかったのだった。雪国の皆さんには本当に申し訳ない。
さて(何がさてだ)、朝日杯の準決勝は何と言っても森内vs渡辺の竜王戦対決再びが注目だった。竜王戦では森内が渡辺を圧倒したが、短い時間ではどうか?
渡辺先手で角換わりになったが、先手では珍しく穴熊に囲った。いかにも渡辺らしい発想である。そして猛攻をかける。あとは渡辺の攻めがつながるか森内が受けきるかだけである。竜王戦の時と同様に「盾と矛」の対決になった。二人とも実に棋風に忠実である。
結果は渡辺が攻めをきっちりつないで快勝。▲3八に打っておいた桂馬が実に攻めによくきいていた。やはり短い時間での渡辺の反射神経は抜群である。相手がちょっとでも隙を見せるとあっという間にもっていってしまう。竜王戦のプチリベンジも果たした。
羽生vs豊島は豊島先手で後手羽生の△5三銀右急戦矢倉(但し、この形は実際は急戦にならない事が最近は多い)。羽生が雁木に組む。プロではほとんど「消えた戦法」になりつつある雁木だがこの形に限っては有効らしい。一方、豊島は穴熊に組んだ。若い渡辺と豊島が穴にもぐったのが現代の将棋界を象徴している。
そこから羽生が△3九に角を打ってぶったぎりやや強引な攻めを見せる。あまり強くないアマチュアがしそうな攻めで、もし弱い人が指したら「筋が悪いねぇ」と言われてしまうかもしれない。まして、先手は穴熊で後手はうすい雁木である。ちょっと常識では考えられないのだが、これで指せるという発想が浮かぶのが羽生である。決勝でもみせることになる羽生の大局観だ。頭が柔らかくて常識にとらわれないのである。
とはいっても難しそうな局面が続いたのだが(むしろどちらかというと豊島持ち)、豊島が指し方に苦労している間に羽生は着々とポイントをかせいで最後は大差になってしまった。中盤のわけがわからない局面で急所を感覚的に直観する羽生の強さが出た将棋である。
圧倒的に攻めつぶした「剛」の渡辺と、いつの間にかよくなっていた「柔」の羽生、それぞれが二人らしい勝ち方で決勝に進んだ。
決勝は振り駒で渡辺先手に。私はその時点では、矢倉の▲4六銀▲3七桂戦法後手△9五歩型▲2五桂を予想した。竜王戦で渡辺が先手で再開拓した形。王将戦第一局でも渡辺先手羽生後手で指していて羽生は棋王戦で永瀬相手に後手を持って、(羽生ファンとしては信じられない事ではあるが 笑)、二つとも負けている。しかし内容は負けとはいえなくていかにも改善の余地がありそうだった。
この二人は矢倉の別の形でもまるで意地をはるかのように何度も同じ形を指している(竜王戦とNHK杯などで)。だから、今回もこれを予想かつ期待した。
と思ったら先手の渡辺の初手は▲2六歩だった。私としては「ドヒャー」である。こうなると矢倉は基本的にはなくて、相掛り、あるいは角換わりか本譜の横歩取りだから。渡辺の真意は不明だが、よく考えたら準決勝の初手も▲2六歩だった。この短い時間であの矢倉の複雑で深い読みが必要な形は回避したのか、あるいは具体的に気になる変化があったのか、単に相掛りか横歩か角換わりを指したかったのかは分からない。初手▲7六歩だったら羽生がどうしたのかもちょっと知りたいところである。
横歩取りで羽生がちょっとした工夫を見せたのだが、渡辺の対応が自然かつ的確で後手の飛車が狭くて感覚的には先手を持ってみたそうな感じになった。準決勝でもそうだったが渡辺の短い時間での対応能力は凄まじい。感覚的にも非常に卓越していて、羽生が相手でも場合によっては相手のちょっとした隙につけこんで一気に押し切ってしまうのである。生観戦しながら、私はどうもそういう展開になってしまいそうなのではないかと危惧していた。
さらに、▲6六角に対して羽生が△4一飛とひいたために、後はほとんど必然手順で先手の金銀香と後手角のいわゆる「三枚換え」になった。将棋では金銀と大駒の「二枚換え」でも金銀が圧倒的に有利とされている。まして香車も加わった「三枚換え」だ。普通に考えると既に将棋が終わっていてもおかしくない。
ところがニコ生解説の佐藤康光によるとその後△5五角と打って結構難しいとのことだった。とはいえ、私は疑心暗鬼で、さすがに先手がよいいのではないかと思っていた。
それが、その後手順が進むと本当に難しいのが私にも分かって来た。いや、それどころか後手が残している変化が多そうなのだ。驚くべきことである。
結局わりとはっきりした形で後手が残してしまった。ニコ生で二人の様子が映し出されていたが、負けがハッキリして渡辺が愕然としたように明らかにガッカリする様子が印象的だった。それはそうだろう、いくらなんでも普通なら少なくとも悪いとは考えにくい将棋がこうなってしまったのだから。
一方の羽生はもう逃さないとばかりに盤面集中。最後の方では何度も何度も確認するように読みをいれて、「勝ちを確信した際の手の震え」も観ることが出来た。
渡辺はプロ的には簡単な詰みでも最後まで指したが、これは公開対局におけるファンサービスだろう。分かりやすいように。渡辺はこんな時でもファンのことを忘れないタイプなのである。
三枚換えでも指せるという羽生の大局観がまたも出た将棋になった。羽生渡辺では竜王戦のパリ対局がそうだったし、今年度の順位戦でもあった。そして正直者の渡辺はどちらも率直に羽生の大局観を認めている。
今回渡辺がどう言うかが注目されたが、大盤解説会に二人が登場して、少しコメントしただけである。三枚換えの局面について、渡辺は「そんなに自信があったわけではない」と述べて、羽生は「さすがに悪いと思った。」そうである。具体的には、直後に▲5六銀と飛車交換を挑んだところではじっと桂馬を取っておかれたらという話だった。詳しい事は週刊将棋や将棋世界で分かるだろう。
少なくとも普通では絶対不利の「三枚換え」でも多少不利かもしれないが意外に難しい順を選んだ羽生の大局観が秀逸だった事だけは間違いない。羽生は、ほんんど本能的にあるいは経験を蓄積した知慧の力によって局面のバランスを取る事が出来る。これだけは他のどの棋士にもない能力と言えそうだ。本局でも序盤のゆるみない渡辺の指し方は素晴らしかったし、渡辺も間違いなく大天才なのだが、それでも羽生だけはどこかちょっと「違う」ような気がしてならない。

朝日杯中継サイト
▲渡辺vs△森内の棋譜
▲豊島vs△羽生の棋譜
▲渡辺vs△羽生の棋譜

死闘シリーズの末の投了図―王座戦 羽生vs中村

正直に告白すると、第四局が終った時点でも私はまだ中村太地挑戦者の事を本当には評価していなかった。
大変な激闘続きで羽生善治をギリギリまで追いつめたのは事実だ。第三局ではあの羽生をバッサリ斬って捨てて見せた。勿論、私にだってその実力の高さはよく分かった。
しかしながら、特にもつれた将棋では(その将棋の素晴らしさに全くケチをつける気はないし私も心底感動したけれども)、冷静に考えると羽生が珍しい事に終盤でいくつもミスを重ねてしまっていた。あれだけの激闘でパーフェクトを求めるのが無理なのは承知だが、それでも今までの王座戦の羽生はほとんど間違えなかった。それが何度も勝機を逃したり逆転しそこねたりを何度も繰り返していた。それだけ中村の指し手が粘り強くて質が高かったとは言えるが。
この王座戦と平行して行われた渡辺明との二局の対局では羽生は完璧だった。特に順位戦は、渡辺が用意周到な新手の仕掛けを敢行して渡辺が一本取ったように見えたが、羽生の反撃が思いのほか厳しくて結局は羽生の完勝、会心譜になった不思議な将棋だった。
渡辺もブログで「まるで竜王戦のパリ対局のようだった」と相変わらず正直に述べていた。その竜王戦の将棋は、渡辺が誰が見てもいいという展開だったのに、進んで見ると羽生の指し手によって渡辺が困っていたという将棋。羽生の大局観に対して、やはり当時の渡辺は正直に驚き賞賛していた。
そのように、渡辺相手の二局では羽生は鬼神のようにとんでもなく強く完全無比だったのである。
それと比べると、王座戦の羽生はミスが目立っていた。中村がもはや若手トップクラスの実力である事は誰も否定しないだろうが、しかし渡辺のレベルに既に達しているかと言えば疑問符がつくだろう。多分中村本人だってそれはよく分かっている筈だ。
だから、私は率直に言って王座戦の第四局までで中村の大健闘ぶりに素直に敬意を表しつつも、まだ本物とはいえないのではないかとひねくれて考えていたのである。まして、第五局の前で「歴史が変わるか?」とか「若武者中村よ勝て!」とか大騒ぎされればされるほど、「へぇ、そんなもんなんですかねぇ」と天邪鬼振りを大いに発揮していたのである。どうしようもない羽生信者と言われてもまぁ仕方のないところではある。
しかし、それは実は第四局が終るまでの事だった。第五局は最後は羽生の一方的な勝利になった。しかし、このシリーズを通じて私が一番中村の凄みと可能性を感じ、なおかつ(何様だと言われそうだが)心底中村の将棋を認めたのはこの第五局だったのである。
将棋は羽生先手、中村後手で横歩取りに。羽生は▲6八玉型を採用。その数日前の王将リーグの対△谷川戦で羽生自身は21年ぶりに採用した形である。その際は谷川がちょっと変わった対応をしたのだが、本局の中村は正々堂々と応じ、羽生は▲6八玉から▲5八玉と敢えて手損して対応する作戦に出た。
(ちなみに、この大切な王座戦の直前に平気で手の内を晒してしまうのが羽生らしいところではある。例えば、渡辺竜王は竜王戦のために対策を残すと戦術を用いることもある。別に卑怯ではなくそれが普通の合理的な考え方とも言えそうなところだ。)
羽生の手損作戦は高級戦術ではあるが、同時に先手の利を放棄するとも言え、中村に正々堂々と対応されて、やや先手としては面白みのない展開になってしまった。羽生も局後によく用いる表現で「作戦としてはつまらなかった」と述べている。
しかし、羽生もそこから右銀をどんどん中央に進出させ、ニコ生解説の屋敷伸之も当初は羽生の攻めがうるさいのではないかと見ていた。またしても羽生の不思議な大局観が出たのか?
ところが、中村の受けが強靭かつ強気そのものだった。屋敷は△4四歩は△4三金を準備したしっかりした受けでむしろ後手がよいのではないかと言い出す。しかし、中村はさらにそれを上回る強気な受けで△4五歩!これは、先手の攻めをまっこうから受け止めた上で切らして決着をつけてしまおうというそれは強い強い手である。
しかも、これは普通の対局ではない。王座のかかった、しかも第四局では中村にとっては惜しい将棋を落として普通なら心理的には多少なりとも萎縮してしまいそうな状況での将棋である。しかし、中村はそこでも全くひるまず、むしろ羽生に対して正面から喧嘩を売ったのだ。その度胸たるや尋常ではない。精神力も並外れている。
そして、実際冷静に考えても少し先手が攻めをつなげるのが難しいのではないかと屋敷はこの辺りではずっと評価していた。屋敷の判断は的確さのものなので多分そういう事で間違いなかったはずだ。
しかし、中村はさらに△6五歩と屋敷が予想しない強い受けの手を続けて羽生の攻めを引っぱりこみにかかる。私は羽生ファンなのだが、この辺は中村の強気な受けがこわくて仕方なかった。なぜ、この大事な将棋で若い中村がこんな将棋を指せるのだろうかと。同時に、羽生勝利を祈りつつも、中村もこんな将棋をさせるのならタイトルを獲る資格は十分あるなとフト思った。頑固な私もようやく中村の将棋の強さ―技術面と精神面をあわせもった―に気づき素直に認めざるをえなかったのである。
そのあたりでは屋敷はどんな手を検討しても先手の攻めが続かないと言っていたのだが、ニコ生コメントで▲7三桂成から▲9五角と打つ手が指摘されて、それを調べると有力だと分かった。本当に先手にとっては唯一有望な攻め筋である。
そして、羽生はアッサリ▲9五角を指した。さすがである。但し、よく検討してみるとそれで先手がよいということではなく、あくまでそれでやっと難解、むしろ屋敷は後手もちという評価で夕食休憩に入った。
夕食休憩後、屋敷がやや後手もちとしていた6四の地点で全て清算してしまう順ではなく、中村は△8四角の順を選んだ。これも強気な手で何か先手の攻めがあればおわりである。その意味で中村の指しては終始一貫していたが、どうもここはさすがに強気すぎ攻めを呼び込みすぎだったようである。この周辺の感想コメントがないので分からないが、屋敷指摘の▲7三角成△同角▲6四金△同銀▲同銀△同角▲同飛△6三銀▲6六飛△5五角▲3七角という展開ならどうだったのだろうか。
とにかく、本譜の展開は羽生の強烈な攻めが炸裂してしまった。わりとシンプルに▲2六桂と据えた上での▲7三銀成らずで一瞬のうちに将棋が決まってしまった。後は最後まで中村も意表の手で抵抗するがノーチャンスだったようである。
というわけで最後は崩れてしまったが、むしろそこに至る中村のしっかりした読みに裏打ちされた上での堂々として強気な受けは本シリーズでも私には一番印象的だったのである。
今回はニコ生中継もあったわけだが、羽生はとても落ち着いているように見えた。
席を外した羽生が対局室にゆっくりと入ってくる。ふと歩みをとめると記録係の机の向こうから悠々と盤面の方をみおろす。そこでは若い中村が一心不乱に読みふけっている。ちょっとこわいような光景だった。
勿論、羽生にとっては単なる自然な振る舞いに過ぎないのだが、修羅場をくぐりぬけてきた王者の風格が自然と滲み出てしまうような絵だった。
さて、中村は▲6一角まで指して投了したのだが、これがツイッターでは「美しい投了図」として話題になっていた。既にプロを含めた多くの方がその意味を語りつくされていて、私などには新たな意味を付け加える事など出来ないのだが、一応自分なりにその「美しさ」の説明を試みて終わりにしよう。
▲6一角は詰将棋のようなきれいな手である。この捨て駒の手筋によって後手がこの角を玉でとっても飛車でとっても後手玉は詰む。まず、この投了図自体にそういう美しい形式感がある。
しかし、この投了図に達するまでにはこの王座戦のシリーズではあまりにも色々な事がありすぎた。何度も何度も形勢が入れ替わり、解説者も混乱のあまりに悲鳴をあげる延々と続く終盤戦。第四局では、中村がほとんど勝ちのところで羽生が何と打ち歩詰めの筋で逃れて九死に一生を得てかろうじて首をつないだ第四局。中村は王座獲得にまで本当にあと一歩で手が届いていた。
この最終局では最後はハッキリ羽生勝ちが決まってしまっている。ある意味で言えば、中村はどう指してもどこで投げても同じことである。本来なら「あぁ、もうやめたやめたっ」と叫んで駒をぶちまけたいところだろう。
しかし、中村は既に自分の負けを(残酷なことに)ハッキリ認識した状態で、ある時は頭を抱えある時は過去のどの局面が問題だったのだろうかと振り返りながら指し続けていく。その様子はニコ生に映し出されていた。いや、映し出されていてしまったと言うべきか。
そして、中村は最初に述べたように形式的にはとてもスッキリした美しい局面で静かに駒を置いた。
つまり、投了図には、それまでの激闘の跡やや中村の後悔や未練がこめられている。ところろが、その投了図自体はとてもキレイなので、シリーズ全体の激しさとは裏腹な余韻と静かな気品を感じさせてくれるので「美しい」のである。


(王座戦中継サイト)

渡辺明の羽生善治観―SWITCHインタビュー達人達 福永祐一×渡辺明より

昨晩にNHKのEテレで放映された競馬騎手の福永祐一さんと渡辺明の対談番組。
渡辺明が、ちょっと腰をひけながら馬にニンジンを食べさせる姿、競馬の騎手姿に着替えて馬の模型を乗りこなして颯爽と...というわけにはいかなくて、福永さんに「かっこよくならないなぁ」と言われてしまう姿、盤の前でチョコケーキをほうばってやはり福永さんに「シュールな光景だ。」と言われてしまう姿。
渡辺の(失礼ながら)、「かわいらしさ」が端々に滲み出る番組でもあった。
福永さんは、競馬騎手というよりは、何となくストイックな格闘家のような雰囲気のある人で、二人の対談自体もとても興味深かった。二人とも大変な実力者であるにもかかわらず、羽生善治と武豊というスーパースターと戦う宿命を背負っている点でも立ち位置がちょっと似ている。
ここでは、番組の中で渡辺明が羽生善治について率直に述べている大変貴重な言葉を紹介しておこう。
「天才肌ですよ。いやボクも天才とよく言われるんですけれど、羽生さんは天才肌だとボクは思いますね。多分、他にあんまりこのヒト天才肌という人はいないですかね。羽生さんは天才肌だと思います。
何かいいとこいいところにこう・・・何と言うか説明が難しいんですけれど、当然勝率は高いわけじゃないですか、それで勿論技術的に強いんですけれど、まぁそうは言っても羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。まぁそれを全て読みきってやっているわけではないのは分かるんですけれど。
最初は本当にはじめて対戦する時はもう緊張して目の前に羽生さんがきた段階で、もうさっきの福永さんのダービーのアレじゃないですけれど、のまれますよね。二回目以降は少しは指せるようになりましたけれど。よく羽生さんの将棋ってどういう将棋かと聞かれて困るんですよね。個性がないので。弱点がないんですよね。」
渡辺らしく「自分もよく天才と言われるんですけれど。」と言い放つ。「自分も天才と言えば天才っすよ。でもそんな事はなんでもないんです。」とでも言わんばかりに。
プロ棋士の世界は天才集団である。既にプロになれる時点で十分に「天才」である。その後天才たちの戦いが始まる。
渡辺明や羽生善治やその他の超一流棋士たちは「天才中の天才」である。もう努力だけではどうしようもならないおそろしい世界だ。
その天才中の天才の中でも、さらに天才の渡辺が羽生の事を「天才肌」だと表現する。
「天才」ではなく「天才肌」である。つまり才能という意味での「天才」など(あくまで)渡辺にとっては大したことではない。天才にも理解しがたい言葉では表現できない何かが「天才肌」なのだ。渡辺は将棋だけでなく言葉の使い方も大変正確無比なのである。
「羽生さんも技術的にカバーできないところがあったとしても、結果的にもう勝つような手順にいっているみたいなところですよね。」というのは何というおそろしい言葉だろう。技術や読みじゃないところでほとんど本能的に勝つ手順を選んでしまうところが羽生にはあるというのだ。それが天才中の天才中の天才の渡辺にとっても、「天才肌」としか言いようのない部分なのである。
そしてそれを本当に盤の前で向かい合って理解できているのは渡辺明他数名のプロ棋士だけのはずだ。我々凡人には伺い知る事の出来ない―限りなく嫉妬せずにはいられないと同時におっかない―世界である。

福永さんがフトこんな事を言う。
「努力している人でも楽しんでいる人には勝てないです。」
武豊さんを意識して言われた言葉のようにも思えるが、この言葉はそのまま羽生善治にも当てはまると思った。渡辺はどう感じたのだろうか。

NHK「羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」再放送雑感

初めて放送をご覧になった方はお分かりだと思うが、この対談は内容自体がかなり深くて難しい。なので、いきなりこんなものを観せられてしまっては、ただ内容を追うだけに必死だった。「向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。」(小林秀雄「ランボオ」)
その後、私はこの対談が書籍化されたものを何度か読んだ。一応、対談内容は理解したつもりだったのだけれども、今回二人が語り合う映像をただ見つめていると、自分が本では何も理解していなかった事に気づいた。吉増が本の後書きで述べていたように、「言葉によらない思考」を二人はしていたのである。

だから、私も頭で理解する事はハナから完全に放棄して、ただひたすら映像だけを眺めていた。ある方がツイッターで呟いていたが、これは音楽である。映像詩というと安易だが、タルコフスキーの映画のようなものだ。
私は若い頃に、タルコフスキーの「ノスタルジア」が日本で限定公開されたのを渋谷かどこかの映画館で観た。その際にパンフに蓮實重彦と武満徹の対談が収録されていたが、武満が「タルコフスキーは全然難解じゃない。これは音楽なのです。」という意味の事を述べていた。この番組もそうだ。内容の晦渋さを理解できなくても伝わる部分があって、それが対談「内容」よりも大事なのだ。

だから、対談した二人以外に番組を編集した人間も(誰なのか知らないが)実は大変大切な役割を果たした。カザルスの「鳥の歌」が何度も挿入される。あまりに映像にはまっている。
カザルス本人を使っているのだろうが、私は同じNHKのある番組を思い出した。
N響のチェロ主席奏者の徳永兼一郎が死の間際にホスピスで「鳥の歌」を弾いたドキュメンタリー番組。「最後のコンサート  チェロ奏者・徳永兼一郎」
徳永は古いファンなら昔の映像でご存知だろうが、N響を支えたチェロ奏者で、独特な風貌と情熱的な弾き方が忘れがたい。例えば、ロブロ・フォン・マタチッチが最晩年に来日してベートーヴェンの第七やブルックナーの第八を指揮したのが伝説になっているが、これらも確か徳永は弾いているはずである。
実は、たまたまベートーヴェンのCDを数日前にたまたま店頭で見つけて購入して聴いてその凄さに改めて驚いたばかりなのである。
その徳永がガンに侵されて、最後の日々をホスピスで過ごしながら、ミニコンサート開いて、この「鳥の歌」を弾いた。体の一部がきかない状態で。深い心にしみる「鳥の歌」だった。

羽生が吉増のことを、「想像しているのとは全く違った。こんな人もいるのだと思った」と明るく述べている。吉増のこのキャラの立ちようは尋常ではない。
あの澄みきった目。言葉を確かめるように、同じ言葉を何度も繰り返してかみしめるように語るクセ。足を痛められていたせいなのかもしれないが、低い椅子に体育座りするチャーミングでちょっとおかしみを誘う姿。

しかし、何と言っても吉増の言葉のプロフェッショナルである。事前に収録されたインタビューでは、羽生の将棋についての言説を「翻訳」といみたいという余裕の態度だった。
ところが、羽生が(今ではこんな事はしないだろうが)、「狂気」についてストレートの剛速球を吉増について投げつけると吉増の様子が変わってくる。完全に追いつめられて、羽生の剛速球に対応するだけで必死だ。しかし、吉増らしく決して逃げずに誠実そのものの答え方をしている。
羽生は攻守のバランスの取れた将棋だと言われるが、本質的には猛烈な攻め将棋なのである。羽生が本当に純粋でいて鋭い目線を吉増に向ける。あれは睨みつけているのではなく、ただ無心に相手を見ているのだ。それが「羽生睨み」の正しい解釈である。
そして、羽生が次々に剛速球を投げつけている過程で、強風によって障子がいきなり吹き飛んで外れる。これをツイッターである方は、「(ありは)吉増先生の心の闇を聞いている時なんですよね。あれは、やめて!もうこれ以上」と述べていた。
あれはとても単なる偶然には思えない。ユングがフロイトと超常現象について議論していたが、二人の意見は対立したが、突然、ユングの耳にはバカンという大きな爆発音が聞こえてきた。 隣の本箱のなかからしたようだと思ったユングは、物が落ちてきやしないかと、とっさに立ち上がった。 それにつられてフロイトも立ち上がった。 「これこそ霊媒による外在化現象ですよ」と語るユングにたいして、フロイトは「ばかなことをいうな!」とこたえた。
これをユングは「シンクロニシティ」の例として説明している。
録画を観るとこの辺りでは、対談のバックで激しい風の音も聞こえる。映画のように。吉増はこの対談の録画を何度も繰り返してみて、スローモーションでも観たそうである。多分ここではないかしら。

音ということでは、他にもたまたま工事をした轟音がバックに流れるところもある。話が深くなっていく過程で。偶然の音までも対談に加担している。

吉増は、羽生に追いつめられて「狂気」からギリギリのところで逃げながら詩をつくっていると述べている。しかし、吉増が「私の旅は光が射す場所を求めての旅なのだ」を朗読するシーンなどを見ると、十分「狂気」を感じる。
吉増剛造もそうだし、やはり羽生と素晴らしい対談をした朝吹真理子もそうだが、彼らは日常的な退屈な時間とは異なる空気を吸って生きているような人たちだ。それは、彼らの作品だけでなく(朝吹の『流跡』は恐ろしい作品だ)、ちょっと普通でないものを醸し出している彼らの姿を見ると文学など何も分からなくても我々は感じ取る事が出来る。
羽生はというと、普段は普通そのものだ。しかし、将棋ファンなら知っているだろうが、対局に没頭しきった際の姿は普通じゃない。いや「狂気」を十分に感じさせる。
羽生は誰とでも素晴らしい対談をするが、やはり人間の根源の「狂気」を抱え込んでいる人間を前にすると、本気を出すのかもしれない。

一箇所だけ具体的な対談の内容にも触れておこう。羽生が将棋を指している時の思考について述べている部分。

「海にもぐっていくような感覚が深ければ深いほど、時間の流れもあっという間に流れていきます。意識というものがなくなっていくというか。充実していたなとか集中していい将棋が指せたというのは本当に滅多にないのですが、そういう時間を経験できたのは将棋のおかげと思っています。」
「私も自然を見るのが好きですが、人間の一人の存在ってこんなに小さいとか、こんなに自然が大きいという事を実感します。(将棋は)苦しい状態も多いので、もどかしさのような状態がずっと続くのですが、そういう時間を経過して、そういう時間を使って、そういう深く集中した時とか、自分が小さい存在だと感じるのは、私の場合は日常生活ではないので、それは何物にも代えがたいという感じはしています。」
このお二人の本の対談でも、アイルトン・セナの話が出てくる。羽生はセナのファンだったそうだ。
セナもスピードの限界で何かを感じる人だった。ある時、F1でセナが優勝した際に、その直後に車に搭載されているマイクから異様な異音が流れ続けた事があった。何かと思ったら、セナが叫び続けていた。完全に忘我の状態である。セナも羽生同様に、自分を失うがしかし同時にそれがとてつもなく深くて時間がなくなった状態を体験したのだろう。
羽生やセナは限界状況において、そうした状態を瞥見する。それは、一歩間違えれば狂気におちこむ。
しかし、人が完全に平静な意識の状態でそれを体験できたら、多分それは「悟り」である。というのは容易すぎるが。

「羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」の再放送が決定

三ヶ月前ほどに、NHKのEテレへ本番組のリクエストを募る記事を書きましたが、再放送が決定致しました。今週末の深夜の放送です。

5月12日(日)午前0時〜(11日土曜の深夜) 
(Eテレセレクション・お願い!編集長」の枠での放映です。)

再放送決定!「未来潮流「羽生善治・吉増剛造 盤上の海 詩の宇宙」

結局752Eね!のリクエスト投票と、67件のコメントという多数の要望が集まりました。
告知に協力していただいた、「玲瓏」様、「羽生無双流羽生善治応援ページ」様、ツイッター等で拡散に協力していただいた皆様ありがとうございました。
そして、再放送を実現していただいたNHK・Eテレのオク編集長様にもこの場を借りて感謝申し上げます。
吉増剛造さんは、本年度に 旭日小綬章を受章されています。
素晴らしい番組ですので是非ご覧ください。

日本将棋連盟でも告知されています。

「未来潮流 羽生善治・吉増剛造 盤上の海 詩の宇宙」再放送のお知らせ

(追記あり)NHKに「羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」の再放送をリクエスト中

1997年1月18日に「未来潮流 羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」という番組がNHKで放映されました。
現在NHK ONLINEでは、過去に放送した番組についてリクエストを募り、100人の賛同を得られると再放送を検討しているそうです。
ツイッターで私とフォロー関係にある方が、上記番組をリクエストされ、現在投票期間中です。
番組に興味のあり賛同していただける方は以下のページより投票をお願いいたします。
単純に「Eね!」ボタンを押すだけで、登録等は必要ありません。
なお、番組に思い入れのある方はコメントもつけられます。(必須ではありません。)
100「Eね!」で再放送が検討されますが、2/5(火)現在で45「Eね!」で、まだ半数ほど残っている状態です。
投票結果はすぐには反映されず、数日ごとに更新されるようです。
2013年1/18にリクエストの投書をされて、投票ページに掲載されたのが2/1(金)。投票期限が二週間なので一応2/15(金)程度だと思います。ただハッキリしないので出来れば協力していただける方は早めに投票をお願いいたします。
また、賛同していただける方は、出来ましたらクチコミ、Twitter、Facebook、ブログ、HP等での拡散もお願いいたします。Eテレもそうした行為を認めて推奨しています。

めざせ100Eね!「未来潮流 羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」

(Eテレ お願い!編集長って何?)


(以下)
「羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」について

将棋の羽生善治さんと詩人の吉増剛造さんの対談の模様で、書籍化もされていて、NHKの教育テレビではその後半の模様が放映されました。

「天才棋士・羽生善治と、現代詩壇を代表する詩人・吉増剛造。透徹した二人の感性が出会い、実現した驚異の〈対局〉。盤上の譜面が表現する宇宙が、詩の世界と通じ合う瞬間を捉えた対談を収録。」(内容紹介より)

異ジャンルの羽生さんと吉増さんが両者と交遊のある英文学者の柳瀬尚紀さんの仲介で対談したものです。
とにかく両者の鋭い感性がぶつかりあった大変深い話になっています。特に将棋と詩の「狂気」についてお二人が延々とはなされるところは見所だと思います。
吉増さんも対談中で、このような事は普段話さないと言われていますし、羽生さんも多分今はこんなことを話されないと思います。単なる普通の「対談」ではなくて、二人が遭遇する事で起きた「事件」が記録されています。
羽生さんは優れた対話をいくつも残していますが、この吉増さんとのものと作家の朝吹真理子さんとのものが白眉だと私は思っています。
特に書籍ではなく映像では、お二人の話す様子が全て見ることが出来るので貴重です。私も、初回放送を見たのですが、もう記憶が曖昧です。従って私自身も再放送を切望しますし、特に見てない方にはお薦めしたいところです。

私自身も拙いながらその内容をブログで紹介した事があるのでよろしければご参考に。

羽生善治・吉増剛造「盤上の海、詩の宇宙」を再読して

さらに、今回この記事を書くに当たって本格的な優秀な書評をみつけたので、是非こちらもご覧ください。

三浦俊彦のページ 書評★羽生善治、吉増剛造『盤上の海、詩の宇宙』(河出書房新社,1997年8月刊)

(2/13 水 追記)

本日193Eね!に達して、NHK様に再放送を検討していただける事になりました。
Eね!の投票をしていただいた皆様、各種の拡散、告知をしていただいた皆様、コメントをしていただいた皆様、本当にありがとうございました。
なお、一応投票期限は15金だと思われますので、さらなる投票やコメントもお願いいたします。
後は皆様と共に、再放送が実現するのを祈って待つ事にします。

再放送検討中 「未来潮流 羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」

(3/8金 再追記)

既に再放送を検討していただける状態ですが、現在でもまだ投票がコメントが可能なようです。
3/8現在で528Eね!、コメント数59件まで達しています。番組に興味のある方で、投票、コメントがまだの方がいらっしゃいましたら下記ページよりどうぞ。勿論、投票数とコメント数は多いにこした事はないでしょうから。

再放送検討中 「未来潮流 羽生善治・吉増剛造 盤上の海、詩の宇宙」

(5/9追記)再放送が決定いたしました。こちらの記事をご覧ください。

第38回NHK杯決勝 中原NHK杯vs羽生五段

決勝戦なので事前インタビューもある。中原、大山、永井にはさまれて羽生はさすがに緊張気味。今と違って表情がかたくて動かない。当時はベテランにとっては無気味だったかもしれない。
羽生は一番印象に残った将棋として、準決勝の谷川戦をあげていた。負けにしたと思ったが△5五馬でいい勝負になったかと思ったと。
今は加藤戦の▲5二銀が一番有名だが確かに将棋の内容ということでは、谷川戦が一番良いい将棋だった。というか、他の名人経験者はほとんど一方的に攻めまくってバッサバッサと斬り捨ててしまったのである。
羽生が先手で相掛かりの出だしから、▲3六飛として縦歩取りを狙い△3三金と受けさせてひねり飛車。当時はよく指された形である。今以上に毎回違う形を指していた感じだ。
当時の羽生の勝率7割八分だという話になったが、解説の大山が言う。
「でも、羽生さんでも10年15年すれば6割台に落ちますよ。」
ところが、それから25年経った今でも羽生の通算勝率は七割台である。
連盟のページで調べると、現在羽生の通算勝率は07239だった。これは信じられない数字である。
同世代のトップ棋士には勿論七割台などいないし、それどころか六割の後半も数えるしかいない。かろうじて深浦と木村が六割五分をギリギリ超えているくらい。
いや、それどころか若手を含めた全棋士でも渡辺でさえ、すでに七割をきっている。新人を除くと七割台は既に豊島と菅井だけである。羽生は化け物だ。
羽生がいきなり▲6五歩と仕掛ける。とにかくこの頃の羽生は超積極的だ。その直前に大山が「羽生さんだからいくんじゃないでしょうか」と言い当てていた。大山は手も相手の性質も的確に読んでいる、というよりは何も考えずに本能的に察知している。
羽生が気持ちよく桂馬を▲6五に跳ねて▲6四歩の拠点の歩もつくり飛車角も相手陣の急所を睨んでいる。自陣は金銀四枚がついた美濃。理想的な展開である。一方の中原陣は△3三金の悪形がたたって、とてもまとめにくそうなひどい形だ。
先手の大作戦勝ちだし、現代の感覚だとほとんど先手が必勝といいたくなってしまう。中原はこの△3三金形も経験豊富で得意にしていたようだが、羽生は現代的な感覚でこれなら先手が完全にいけると見てこの形を選択したのかもしれない。
しかし、どうハッキリよくするかは別問題だが、羽生の攻め方が強烈だった。角と飛車をづ次々にたたききって、あっという間に▲6三にと金をつくってしまった。豪快でなおかつ流れるような攻めである。プロ同士の将棋ではなかなかこううまくはいかない。
当時の王者の中原をNHK杯の決勝という大舞台で、いいようにたこ殴りしてしまった感じである。
但し、大山は「まだ難しいところもある。」と指摘していた。実際中原にも勝負に持ち込む順もあったのかもしれないが、あまりに急激に攻め込まれたのでさすがに動揺したのか粘りのない順を選んでしまう。
一方、羽生はその後もゆるみなく寄せ続けて結局、羽生の完勝譜が出来上がった。
大山の解説は簡潔。ポイントの手をズバリと指摘する。しかも、それが的確そのもので羽生の指し手を途中からは最後までずっと当て続けていた。わりとわかりやすい展開になったこともあるが、やはり大山の局面の急所を一目で見抜く力は尋常ではない。
羽生が最近よく「大山先生は読んでいない。、局面をただ見ているだけで、急所に手が行く。衝撃だった」と述べている。解説ぶりを見ていても、必死に読んで手をみつけるというよりは、局面をパッと見ただけで本能的に手が正しく浮かぶという感じだった。たたき上げの職人芸だし、大山はやはり将棋の神様である。
そして、大山は自分ではあまり駒を動かさずに、モニターを見たまま符号だけを言って永井が一人で必死に駒を動かしていた。あの永井を単なる駒操作係としてあごで使ってしまうのは大山くらいのものだろう。そういう意味でも「神様」ぶりを発揮していた。
今では何と言っても加藤戦の▲5二銀が有名だが、むしろ一局全体を通じてではこちらの方が完璧だし私には衝撃的だった。あの中原をいとも簡単に粉砕してしまったのである。
中原も表彰式のインタビューで、「ちょっと、一方的にやられちゃいましたからね。あんなにどんどん来られるとは思ってなかったです。」と苦笑交じりに話していた。
羽生はインタビューで、「一番喜んでいるのは両親だと思います。」と述べていて初々しい。また、うまくいう言葉がみつからずに言葉が出てこなくなる場面もあった。常に的確な言葉が飛び出してくる今の羽生では考えられない事だ。羽生もまだ当時十八歳だったのである。

第38回NHK杯準決勝 谷川名人vs羽生五段

司会の永井英明が、「今日は平成の将棋界を占うような大一番になるかと思います。」といきなり盛り上げる。
紹介で谷川浩司を「第十七世永世名人」に一番近い人、羽生善治を「第十八世永世名人になると噂されている。」とも。自ら「私は今日は最初からちょっと興奮状態です。」
ただ、第十八世が森内俊之になると予想できた人間はこの時点ではもしかすると誰もいなかったかもしれない。(イヤミじゃないです・・。
羽生は初期ビートルズのようなきれいなマッシュルームカット。
和服姿で気合の入っている谷川の初手▲7六歩に対して、羽生はすぐには指さない。谷川がお茶に手を伸ばす。すると、ちょっと遅れて羽生もお茶に手を伸ばす。その様子を見て、谷川が遠慮したのか、お茶を膝の上に乗せて待つ。羽生は全く気にした様子もなく、お茶を先にすする。それを待ったかのように谷川もお茶を飲む。
ちょっとしたことだが、少なくとも対局時には完全に自分の世界に入ってマイペースな若き日の羽生と、細かい気配りの谷川の対照といったら勝手読みすぎるだろうか。勝手読みついでに言ってしまうと、この後の羽生ペースで進む二人の対戦を暗示するかのようだ。
戦形は後手の羽生が相横歩取りを選択。当時は、相横歩取りは先手が指せると言われていた。そこに敢えて羽生が踏み込んだ。
「羽生の頭脳」で、羽生はあらゆる戦型で従来の定跡の再検討を行う。この頃のNHK杯の作戦選択も、従来の常識を打破って指そうとするような意志も感じる。この、相横歩取りも当然「羽生の頭脳」に取り上げられていて、詰みの段階まで書かれていた。
私も本を読んで真似をして相横歩取りを指してみたのは懐かしい思い出だ。勿論、本のようにいくわけはなかったのだが。
その羽生の研究を警戒したのか、谷川は飛車角総交換型を避けて、飛車をひく形を採用した。
羽生が先に馬をつくったが谷川も馬をつくりかえして、相横歩取りの出だしにしてはじっくりした戦いに。先手は▲5五の位をとっているが歩切れ、後手は歩を山のように持っている。
谷川は着物姿で若い頃から、やはり品のある対局姿。しかし、勿論若いことは若い。今よりも表情はやや厳しめで、闘志がある程度は表面に出ている。
昔から静謐そのものの対局姿という印象があったが、改めて昔の映像を見ると若干感じが違って面白い。現在の谷川は、さらに気品て、品格が着物を着ているようで洗練の極みに達している。。
解説の森が冗談めかして言う。
「羽生クンはまだ高校生ですからねぇ。高校生がこんなに落ち着いていちゃいけないですよ。普通はもっとね、喜んだり悲しんだり、ワッとかギャッとか言ってくれた方が高校生らしくていいと思うんですがね。どうなんでしょう。」
勿論、今は誰でも羽生の底抜けに明るい陽性な側面もよく知っている。しかし、この当時の対局姿は確かに対局だけに集中しきっていて、そういうところは見えてこない。ベテラン棋士にとっては無気味なところもあっただろう。
将棋は渋い展開が続く。若い人間同士の対局なのだが、羽生のベテラン相手の対局よりも、相手の手を殺しあっていてベテランの将棋のようだ。森も、この二人は自滅するような手を指さない、相手に手を渡すのがうまいと指摘する。
当時のNHK杯を観ていると、さすがに現在との質の違いを感じる事もあるが、この二人の対局に関しては現代将棋を見慣れた感覚でも全く違和感はない。
聞き手の永井は、わりと簡単な変化でも、実際に駒を動かしてくれる。なかなかの職人芸。やはり駒を動かしてくれた方が分かりやすいという人も多いだろう。この辺りは現在の女流の聞き手の方々にも、見習ってどんどん実践していただきたい。
それにしても、本当に二人ともじっと手を渡す手が多い。羽生の力をためる△3三桂、谷川の▲3九玉、羽生の△1五歩等等。羽生vs森内の百番勝負の本の棋譜を並べた際にも感じたが、羽生は若い頃から手をわたす手段を既に体得していた。多分、本質的にそういう将棋なのだろう。ベテラン相手にストレートに粉砕する将棋も多い一方で、こういう指し方も既に出来ている。
将棋はお互い辛抱した末に、谷川がようやく飛車をうまく捌いてよくなったように見えた。
ところが、羽生も△8五飛浮きからの△5五馬で今度は逆に豪快に捌きかえす。今度は、急に羽生がよくなったように見えた。お互い辛抱の末の派手な攻防は大変見応えがあった。
以下は羽生が正確無比な終盤の速度計算できっちり勝ちきる。
序盤の相横歩取りという作戦選択、中盤のじりじりした手渡しの続く高度なねじりあい、終盤の派手な技のかけあいと、とても内容の濃い将棋だった。
このトーナメントは、若き羽生が勢いにのって名人経験者をバッサバッサと斬って捨てた将棋も多い。しかし、この二人の将棋は、がっぷりよつに組んだ力のぶつかりあい。二十年前の将棋だが、感覚もきわめて現代的だった。
羽生が、当時の将棋界に劇的に革命を起こしたわけだが、谷川もその先駆者として現代的な感覚を持つ棋士だった。そのことを感じさせる将棋である。そして、二人は今でも第一線で活躍し続けている。

いよいよ、来週は決勝の中原戦。加藤戦があまりにも有名だが、60周年記念番組で見た際に、私はむしろこの中原戦の流れるような鮮やかな攻めに衝撃を受けた。解説は大山である。こちらも見逃せない。


今甦る伝説の▲5二銀―NHK杯 加藤九段vs羽生五段

なんて大袈裟なタイトルをつけるのだと笑わないで欲しい。昨晩の放送は期待に違わぬ、・・いやそれ以上の素晴らしさだった。

解説は米長邦雄。見所を永井英明に聞かれて、
「両天才ですね。本当の両天才。その他には加藤さんの咳の聞き所があると思うんですね。」
いきなり軽いジョーク。この頃の米長は本当に「さわやか流」で、実に楽しい解説で盛り上げる。
角換わりの出だしから△3二金のところで加藤一二三がいきなりの長考。一応△3四歩として横歩取りにする可能性もあるが、加藤はほとんど指さない。
そして考えに考えた末に、やっぱり△3二金。
勿論、米長が黙っていない。
「だいたい考えると別のことを考えるんでしょ。時間を使うと考えた手を指したくなるんですよ。でも、加藤さんは、長考して普通な手を指して平然としているんですよ。それがどうしても分からない。」
角換わりに進んで羽生がいきなり▲2七銀。棒銀の意思表示である。米長が「おぉおぉおぉ」と叫ぶ。加藤がさかんに咳きこむ。
「加藤さんの咳を聞いてください。驚いているんですよ。」
羽生善治が選択したのは居玉のままの棒銀の積極策。加藤の得意戦法、お株を奪ってしまった。
但し、この指し方は現在ではほとんど見られない。この対局に限らず、この頃の羽生は急戦でいきなり仕掛ける積極的な戦いが目立つ。ベテランの大家相手に全くものおじせず、むしろ攻撃的である。
加藤は今と比べるとかなり細いのだが、米長によるとかなり太ったそうである。当時48歳。実に若々しい。
「加藤さんと初めて対局したときの感想戦で、加藤さんは将棋盤の底まで読んでいるんじゃないかと思いましたね。よく読んでいましたね。読みの深さは天下一品ですね。ぼくの五倍以上は読んでますね。いつも。
ただ、加藤さんは誤魔化すとか、いい加減とか、省略ができないんですね。そういう面では私の方が長けているかもしれません。」
当時の米長と加藤は仲が悪い事で有名だった。対局でも盛んに当たったが、米長が「顔はあうけど気はあわない。」と言って、加藤がムッとしたという話は有名だ。
しかし、こうして認めるところはちゃんと認めている。でも、最後に自分の優位をちゃんと言っておくのも米長らしい。
ちなみに、永井によると、当時加藤は色紙に「一に読み二に読み三に読み」と書いていたそうである。
羽生が相変わらず、時折「羽生にらみ」を見せる。大変眼光が鋭い。今の羽生よりこわいくらいである。
米長が分析する。これは将棋に夢中になっていて、将棋盤を鋭く見ている視線が、そのまま相手や横に向かっているだけだと。別に相手を威圧しようとしているのではない。そして、この盤に向ける羽生の鋭い視線が羽生の猛烈な進歩の理由だと。
その通りだろう。羽生の対局姿には、時として無意識な忘我の瞬間が今でも訪れるが、若い頃は今以上に本当に将棋に集中しきっていた。その姿が映像に残っている。
将棋は羽生が棒銀からいきなり▲1五歩から仕掛けて激しい戦いになった。のっけから大変な局面である。その間も米長節は全開。
「加藤さんは読むことを楽しんでいるようなところがありますね。形勢が自分が少し苦しいかなと言うところで空咳が出るんですね。」
「172センチだそうですね。彼(羽生)は。背はどうだと聞いたら、172センチでもう止まりましたと言っていました。将棋の方はときいたら、いやそれはとか何とか言って笑っていましたよ。」
羽生が▲4八玉と玉自ら戦場に向かって受けたのも実に強気。とにかくこの頃の羽生の指し手には勢いがある。
「二人の違いというのはね。加藤さんは若い頃は大変早指しだったの。子供の頃はお喋りで、奨励会時代に先輩の有吉さんが「ピンちゃん、うるさいよ」と叱ったくらい早口で喋る少年だったらしいですね。
羽生五段の方はね、静かでしょ。ちょっと体つきから谷川浩司と似たところがありませんか。物静かで。
それがこの少年はうんと考えるの。のべつまくなし考えるの、この人は。
中原誠先生が見てね、『羽生君はあんなに考えていいのかなぁ。』と言った位考えるの。」
これも羽生の本質の一つだろう。若い頃からストイックにとにかく読みまくる習慣が出来上がっている。最近は大局観を強調するが、今でも長持ちしているのは、そういう厳しい作業を若い頃から怠ってこなかったからだろう。羽生世代皆にある程度はいえそうなことだが。
将棋は相変わらず激しいそのもの。羽生の斬り合いの▲2四歩を米長が当てる。
「この間、新人王戦の優勝戦がありましてね、羽生対森内。第二局を見ていて、終盤でここはこう指すここはこう指すと手を当てたんですよ。そしたら控え室に棋士が十人くらいいましてね、米長先生よく羽生クンとおんなじ手があたると感心して褒められたんですよ。あれ、私は喜ぶべきなんだろうか。」
そして、いよいよクライマックス。いきなり、ただ捨ての▲5二銀。伝説の一手である。
米長がまたもや咆哮する。
「おおおおおおお、やった。やったやった。」
マイクの音声が少し割れるくらいの大声。この米長の反応も伝説の一部だろう。
飛車でとっても金でとっても後手玉は即詰み。一撃必殺の一手だ。
そして、あまりに勢いよく打ったために乱れた銀を、加藤が手で触れて直す。それを、羽生がそれは私の駒ですよという感じで自分で再度触れて直す。しかし、それでも加藤はめげずにもう一度銀に手を出して直す。
伝説の▲5二銀は両対局者によって三度も触わられたのであった。
米長が、なんだかよく分からないけれどもゲラゲラ笑い出す。
「いい手だったねぇ。あそこに銀を打ったのは。」
以下、そのまま一気に羽生の勝ちである。加藤投了。
永井が「向こうにちょっと研究に」と米長を促す。
米長が「いや、研究じゃなくて勉強ですよ。」
米長は冗談めかして言っているが半ば本気だ。米長は若手に頭を下げて序盤の研究を乞い、念願の名人を獲得する原動力にしたのだった。
感想戦。
この頃の羽生は、今とは違って、言葉少なで声も小さく自分からはほとんど喋らない。でも、これは別に猫をかぶっているのではなく、当時の周囲の強烈な大人たちに本当に圧倒されていたのだろう。但し、ものおじしている様子は全くないのだが。その分盤上では全く遠慮なしなのだ。
米長がいきなり、「強い坊やだねぇ。」
羽生が▲1五歩のいきなりの仕掛けについて「昔、本で見たような。」米長「加藤さんの本で読んだんじゃないの。」
本の仕掛けのようにやられては加藤もたまったものではないだろう。羽生の序盤は今と違って結構あらっぽい。
加藤が羽生の飛車成に対して飛車をぶつける変化を検討するが思わしくなくて、すかさず米長「そんなに怒らんでもいいじゃないですか。」
▲4八玉について。米長「よくあがったねぇ。」加藤「その一手だから。でもその神経がね(と言って米長を見て笑う。)」
羽生の▲1七桂について。加藤「その桂馬を軽視していたんですよ。」米長「桂馬を軽視というのはシャレなの?」加藤「(苦笑して)そうじゃないんですけれどね。」
羽生の▲2七香について。対して△4五桂なら難しかったという検討。米長「しかし、それよりも香車を打った少年の心意気を褒めるところだね。そして▲2四歩と打っていた決死隊の。」永井「すごいですねぇ。」
本当にこの時期の羽生は激しい一直線の斬りあいの手が目立つ。
そして▲5二銀の場面。よく分かっている永井が「ちょっとそこ止めてください。もう一度見ていたいですよ。恐ろしいものですねぇ。」
そうなんだけど、加藤にとっては結構残酷である。
しかし、加藤は加藤らしく率直に認める「きっびしーーい手がありましたね。」
米長「狙っていたのか?」羽生が小声で「いや、この直前に気がつきました。」
米長が「もうここは泣きたいところだね。よく泣かなかったね。」と加藤にとどめを刺して感想戦はなごやかに終った。

懐かしのNHK杯 大山十五世名人vs羽生五段

昨日の順位戦A級の羽生vs高橋も凄まじかった。少し羽生が指せそうというところから、高橋が放った▲4四桂が中継で「怒りの桂打ち」と評された鋭い一着で、一気に高橋に形勢が傾いた。まるでランボー怒りの桂打ちである。
以降は羽生が完全に守勢に追い込まれて苦しい展開になった。必死に受け続けるがどこまでいってもつらい。
しかし、高橋も二度明快な勝ち筋を逃してしまう。それでも、▲1六角が絶妙の攻防手でついに勝ちになった・・ように見えた。
ところが、羽生の△1八角に控え室が騒然としだす。指されてみると簡単な詰み筋である。しかしプロには盲点になりやすい筋だったらしい。
羽生が勝ちのない将棋で、ほとんど唯一の逆転の筋で辛勝した。逆に高橋は魅入られたように唯一の負け筋に飛び込んでしまった。高橋にとっては無念の一局である。
本局までの二人の対戦成績を知って驚いた。高橋2勝で羽生21勝、1997年から羽生が13連勝中だそうである。
信じられない数字である。高橋は若い頃からいくつもタイトルを獲得してA級在位も長い。
その文句なしの一流プロが、羽生に二回しか勝っていない。しかも、最近は15年間勝たせてもらっていないのだ。
しかし、本局を見るとこんな将棋まで羽生が勝ってしまうからこんな結果になってしまうのだろう。羽生は本当に恐ろしい人である。

さて、懐かしのNHK杯、一回戦で山口英夫、二回戦で福崎文吾(残念ながら放送はなかった)を連破して、いよいよ大山康晴十五世名人の登場である。
今週のAERAに羽生のインタビューが掲載されていたが、その中で羽生は大山についてこのように述べている。
「大山先生は手を読んでいないんです。ただ見てるだけ。見てるだけで急所に手が行く。頭で考える感じではない。非常に感覚的なものとして捉えている。だから、何を、どう思ってその手を選んでいるのか、さっぱりわからない。衝撃的でした。大山先生のすごさです。」
この頃の羽生は「頭で考える」ことに特に徹底していたように思える。大局観と言うよりは、徹底的に具体的に読み込むことで、従来の棋士を粉砕し続けていた。
そこに、「頭では考えない」大山との邂逅である。面白くないわけがない。
先手の羽生が居飛車、後手の大山が中飛車。
羽生が棒銀のように3筋から急戦を仕掛けたのに対して、大山は飛車を7筋に振り直して袖飛車で居飛車の玉頭を攻める対策。大山はこの形の経験が豊富だそうである。
さらに、戦地が左辺に移り羽生が端にのぞいた角で後手の△6四銀を狙って後手の受けが難しそうに見えた。先手玉には金銀三枚がついているが、後手玉は金銀がバラバラでとてもまとめにくそうである。
以下も羽生も若き日の羽生らしく鋭くストレートに攻め込んで、大山陣はほとんど崩壊寸前にも見えた。
ところが、羽生が一方的に攻め込んだ瞬間に大山が△7二飛とした手が角ごしに先手玉を睨んだハッとさせる手だった。飛車が逃げつつ先手の攻めを止めてしまった。「受からないと思っていても受かっている」大山の受けである。
これには驚いた。若き羽生の剃刀のような鋭くて激しい攻めを、まるで魔法のように受け止めてしまった。大山も局後の感想戦で「ここはうまく騙したと思ったんだけどね。」と述べていた。
この辺りが羽生が大山に「衝撃を受けた」ところだろう。理詰めで論理的な攻めを、感覚的に急所をみきわめる受けでその力を吸い取ってしまったようだった。
但し、局面はまだまだ難しい。羽生はひるまずに鋭く攻め続けて、大山も勝負手を逃したようで、最後は羽生がハッキリ勝ちになって終局。
結果的には羽生の快勝だったのだが、むしろハイライトは大山の鍛えの入った受けだった。羽生もこんな受けは多分体験した事はなかっただろう。
そして、冒頭で述べたように現在の羽生は、大山のすごさを盛んに語っているし、自らも年齢を重ねるに従って、若い頃の「頭の読みの将棋」に独特の「大局観」を加味した将棋に変質してきている。
そういう羽生の原点、大山将棋の職人技も堪能できる将棋だった。

昨日も書いたが、この後夜十時から伝説の加藤一二三戦である。
また、囲碁将棋チャンネルでは月曜日の昼十二時から、10月から放送していた分の再放送を最近始めたようである。今までの分を見逃した方も、それでほとんど見ることが出来る。

懐かしのNHK杯 羽生五段vs山口七段

10月から囲碁将棋チャンネルで「懐かしのNHK杯」と称して過去のNHK杯の録画の放映が始まっている。
現在放映進行中なのが、第38回大会。羽生善治が、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と歴代名人経験者を次々に撃破して優勝して、若き天才羽生の名を天下に知らしめたトーナメントである。加藤一二三戦の▲5二銀は伝説になっている。
私的なことだが、私は実はこれらを生で見た記憶がない。いや、別に年をごまかしたいのではない。余裕で見る事が出来ているはずなのだが、なぜかを考えたら、当時は私が一番仕事と遊びに超多忙な時期で将棋どころではなかったのである。今風に入るとリア充期であった。多分、日曜の午前も多分家ほとんどいることなどなくて、完全に将棋から離れていた時期である。
だから、何とこの貴重な映像を私は多分どれも初めて見ている。なんという幸せな事だろう。よい時代になったものだ。
ここでのデビューから数年の「羽生五段」が何とも言えず鮮烈な印象を与える。現在の羽生は人格円満で陽気で誰をもひきつけずにはいられない魅力がある。対局時に見せる集中した際の「こわさ」も、羽生の一面に過ぎない。
しかし、この頃の羽生には、もっとむきだしの刀のようなところがある。黒澤明の「椿三十郎」で、三船敏郎の椿三十郎に対して入江たか子の奥方が「あなたは、むき出しの刀のような方ですね。いつもギラギラしていて。でも、本当にいい刀というのは鞘におさまっているものですよ。」と諌めるシーンがある。
この頃の羽生は、将棋に集中して相手を倒す事だけに集中しきっている。有名な「羽生ニラミ」も今より分かりやすい。でも、それは意識してやっているのではなくて、多分全部無意識なのだ。
その前の王者の谷川が、全く静謐にして上品な対局態度だったので、その差がきわだったのだろう。羽生は、(多分今でも)根底においては大変な激しさと厳しさを持っていて、それが決して俗的ではなくストレートにオーラになってあらわれている。今見ていてもドキドキしてしまう。
しかし、その激しさというのが、いわゆる普通の人間のドロドロした闘争本能といったものではなくて、あくまでピュアで澄みきったパッションなのだ。Rシュトラウスの「サロメ」で、サロメがヨハネの純粋で澄みきったオーラに欲情するシーンがあるのだが、(誠に不適切な比喩で申し訳ないけれども)、この頃の羽生のオーラももまったく混じりけのない純粋なものである。今の羽生にも見られないものだ。
当時の大変人間味溢れるベテラン棋士たちの前に座ると全く異質である。そして、将棋自体も、合理的に全く迷いなく相手を打ち倒していこうとする気概に溢れている。
現在の羽生は大変安定しているけれども、本質的には大変鋭角な気質があって、あやうい不均衡をなんとか保って維持しているようなところもあると思う。羽生のそういう部分がむきだしになって映像に保存されていて、今見ても大変スリリングなのである。
トーナメント一回戦の対戦相手は山口英夫七段。若き日に自ら開発した「ひでちゃん流中飛車」をここでも採用している。5筋の歩を突くのを保留する中飛車で、必要のない手を後回しにする現代将棋の感覚を先取りしているとも言える。
当時既に40を越えていた山口はNHK杯初出場。いきなり大変な相手とぶつかってしまった。当時の棋士では当たり前だったが、対局開始直後からいきなり煙草をふかしているのが何とも様になる。今の棋士にはないかっこよさがある。
将棋は、ひでちゃん流中飛車に対して、羽生が左美濃に組んで右銀急戦で気合よくしかけた。それに対して山口が△6五歩と伸ばして△6四角と据える余地を残す振り飛車がよくやる指し方をみせた。
しかし、この場合は6四に桂馬を金銀両取りにな打たれる傷があるのを羽生にきっちりとがめられてしまう。以下、駒得を自然に重ねながら着実にリードをひろげてゆく。全く曖昧なところのない自然で合理的な指し方である。当時の棋士が羽生にやられた典型のような将棋だったのだろうか。
最後は一手違いを完全に見切って、一手差ながら大差の完勝を決めた。こんなに気持ちよく将棋が勝てるものかとホレボレする将棋である。将棋の展開、相手にもよるのだろうが、今の羽生の曲線的な将棋とは違う、ストレートで明快で爽快な将棋だ。
解説は原田泰夫。山口の師匠である。聞いていて心地よい原田節の名調子。原田によると山口を若い頃に広島で世話したのが松浦卓造。松浦が山口の才能を見込んで、原田に弟子として世話してくれるように頼んだそうである。
ちなみに松浦卓造は左美濃の考案者。原田によると、松浦は広島の山の丘の岩に座って、景色を一望しながらどういう玉の囲いがいいかアイディアを練って、この左美濃を思いついたそうである。古き良き時代の話。それを羽生が偶然だが採用していたというわけだ。永井英明の名聞き手ぶりも懐かしい。最近亡くなられて、将棋世界にも追悼記事が載った。
さて、現在放送は三回戦の大山康晴戦まで進んでいる。明日の金曜夜十時からは、ついに伝説の加藤一二三戦の放映である。囲碁将棋チャンネルをご覧になれる方は、お見逃しのないように。

羽生善治が王座を奪還その3 2012王座戦第四局 渡辺vs羽生

王座戦中継サイト
棋譜(千日手局)
棋譜(指し直し局)

古い映画だけれども「ハスラー」というのがある。ポール・ニューマン扮する若きハスラー・エディ・フェルソンが、ジャッキー・グリーソン扮するベテランハスラー・ミネソタ・ファッツと戦うシーンがとても良かった。
腕前だけで言うとエディの方が既に上で、最初の方は連戦連勝し続ける。慢心したエディは酒を飲みだしてしまう。
しかし、戦いは長期戦に及んでいつしかミネソタ・ファッツが巻き返し、一昼夜を超える死闘の末にファッツが最後は完勝する。
その際、戦いが夜戦に及んでゲームの休憩時間に、エディは疲れが出てきてぐったりしているのに対して、ミネソタ・ファッツは悠々と落ち着いて歯を磨き、顔を洗い、服を調え、髪をきちんととかして次のゲームに備える。そのシーンのミネソタ・ファッツが本当にかっこよくて忘れがたい。
いや、渡辺ファンは誤解しないで欲しい。決して、エディが渡辺でファッツが羽生だなどと私は言いたいのではない。
だいたい渡辺は決して慢心なんかしていないし今でもストイックに謙虚に精進を続けているし、逆に羽生ファンの立場から言えば既に渡辺の方が腕前が上だなどどといったら、本ブログのコメント欄は抗議でたちまち炎上してしまうだろう。
そうではないのだ。二人と置き換えることなど不可能だ。敢えて言うなら、羽生と渡辺の場合は、二人とも同時にファッツ的な人間的な強靭さも持ち、エディ的な才気、才能も兼ね備えている。
大変に内容が濃密な激闘の末に夜中に千日手になり、その30分後に指し直しになった。こうなってくると、将棋の技量の勝負であると同時に、体力・精神力の勝負にもなってくる。
つまり、ファッツのように疲れきっていても身だしなみを整えて戦いに挑むことの出来る心のありようも大切になってくるような気がする。
私はニコ生中継で、深夜の対局が始まった際の羽生と渡辺の対局姿を目を皿のようにして凝視していた。将棋よりも二人の様子が知りたくて。
しかし、少なくとも私の目には二人とも、全く疲労の様子はみえず、シャキンとして戦っているように見えた。
ただ、近くで見ていた行方は「渡辺さんが疲れている感じですね。背中が丸まっています」と述べていた(21手目棋譜コメント)
一方、羽生の方には本当に全く疲れの色が見えなかった。羽生の方が渡辺よりも一回り年上なのである。羽生は最近42歳の誕生日を迎えたところだ。対局の前にはチェスの対局イベントまでこなしていた。
本当に信じられないような体力の持ち主なのである。いや、将棋の場合は普通の「体力」とはちょっと違う。盤の前に長時間座り続けて動かず、頭だけをフル稼働させ続ける。肉体と精神の両方が恐らく猛烈に疲弊するはずだ。
だから、体の基本的強さが必要であるにしても、やはり精神、心の強さが一番重要な気がする。将棋の技量だけでなく、そういう面でも羽生は並外れているのではないだろうか。

将棋は先後入れ替えて、先手の羽生が矢倉を選択。今回の王座戦では先手で全て角換わりではなく矢倉だった。先手の矢倉に自信があるのか、角換わりの後手に有効な対策があると考えているのか、多分両方のような気がする。
一方、渡辺は後手矢倉では△9五歩型を採用する事が多い。特にこの二人の戦いだと、NHK杯や竜王戦で何度も同じ形を指定局面のように戦った事がある。
ところが、モニターを見ていると渡辺が珍しくどうするか迷っているように見えた。分岐点の△8五歩のところである。気合よくとばす渡辺にしては(重要な分岐点であるにしても)やや多めに時間を使っていた。
もしかすると、渡辺は現時点では△9五歩型に今ひとつ自信をもてないのかもしれない。そういえば、今回の王座戦では後手では急戦矢倉を連採していたのも、それと関係があるのかもしれない。
この二人の戦いは迫力満点の終盤が何より魅力だが、二人とも終盤力が図抜けているだけに、序盤の作戦のもつ意味も大きい。今回は、渡辺がこの指し直し局でも急戦矢倉でも、後手矢倉で本当に自信をもって指せる作戦がなかったのかもしれない。
逆に、2008年の竜王戦では後手の急戦矢倉があの時点ではとっておきの作戦だったし、二年後の竜王戦では後手での△6五歩型の角換わりに絶妙な工夫があった。
つまり、この二人の戦いは大変高レベルなので、その時点で後手で有効な作戦を見つけられるが大変重要なポイントになっていると思う。
そして、今回の後手の羽生は王位戦でその優秀性に苦しめられた藤井流の角交換四間、さらに二手目△3二飛があった。
終盤力がほぼ互角なだけに、冷静に考えるこの二人の場合は後手番の作戦次第でタイトル戦全体の結果が決まるといっても過言ではないのかもしれない。
将棋は先手が先に銀を損するがそれを代償に攻める「先手銀損定跡」になった。行方が経験も豊富なそうで、この形のポイントを分かりやすく解説していた。
「この将棋は、後手の苦労が多い将棋なんです。つらい時間が長いので、持ち時間の長い対局では指しにくいと思っています」(行方八段)(53手目棋譜コメント)
後手は駒得しても延々と受け続けなければならず、攻め味もないので苦労の多い将棋ということのようである。
ちなみにどうでもいいことだが、行方は夜戦になってからは実にいきいきしていて解説も冴え渡っていた。さすが夜型?である。行方も永瀬を見習って千日手王をめざせばいいのではないだろうか。千日手になるくらいの時間に元気になってくるのだから。
この将棋も後手が銀を投入してがっちり受けたようにも見えたが、羽生もさすがに細そうな攻めをうまくつないで、端にと金をつくったあたりでは先手成功である。しかも、先手玉が金が二枚並ぶなかなか詰めろがかからない(矢倉ではよく出る)形になっているのが心強い。
以下、羽生がなんとなく珍しく寄せをぐずったようにも見えたし、渡辺もうまく粘ったが、▲6六桂なども落ち着いていて、どこまで行っても結局後手が苦労し続けれないといけない将棋だったのかもしれない。
羽生もその後は落ち着き払って▲3二の金で3三と3四の銀を次々に取った。どうもこの辺り以降は決して焦らずに勝ちに行く方針に決めたようだ。
渡辺の△8三馬もいかにも意表をつく手で、指された瞬間はまた終盤で何か出したのかと思った。しかし、これは普通に金を打って受けたのでは勝ち目がないと見た一種の勝負手だったのだろう。
堂々と(冷静に)▲5三飛成と銀を取られて、このあたりでハッキリしたようだ。羽生はこの辺り次々に三枚の銀を取っている。
ちなみに、この△8三馬を即座に大悪手と断じていた大内はさすがだ。誰もが渡辺の終盤力をつい信用してしまうが、自力で疑って正しい事をきちんと指摘していた。ベテランらしかった。
以下羽生は徹底的に受けに回って不敗の態勢を築き上げる。結局3二にいた金が→3三→3四→4三→5三→6三と相手の駒を取りながら着実に一歩一歩後手玉に近づいて寄せに役立った。最後はいかにも羽生らしい「決してあせらない」終盤の仕上げである。
終盤最後の方で手が進まない間に、ニコ生では、浦野が再び「ジャパネット」ぶりを発揮して自著の宣伝に余念がなかった。そして、コメントによって本人にも「ジャパネット」のあだ名がついたのが伝わったのである。さらに、Amazonで浦野本が一位を含めた上位を占めてバカ売れしていることが、ニコ生コメントを通じて伝えられた。
ニコ生視聴者数は、なんと何十万単位で今回は視聴者数の新記録を達成したそうである。浦野はその分かりやすくて独特のユーモアのセンスのある解説で、将棋普及に貢献した。本が売れたのはそのご褒美である。
但し、「ジャパネット」浦野のあだ名だけはご本人もちょっと不本意かもしれない。浦野はご本人もしているツイッターでは一部で、「アイドル」とか「マッチ」とか呼ばれていることを、大きなお世話ながら付言しておこう。
そんなこんなでの?、羽生の王座奪還である。その最後の方の様子については、一昨日の記事の冒頭で記した通りだ。

これで羽生は一年だけ足踏みしたが、王座通算20期獲得である。大山康晴の同一タイトル獲得記録である王将20期と並んだ。
そして、羽生が渡辺にタイトル戦で勝ったのは、2003年の王座戦以来。最終局で羽生の手が震えた事で有名なシリーズだ。
その後は、初代永世竜王、永世七冠をかけた伝説の2008年の竜王戦、その二年後の竜王戦、二十連覇をかけた去年の王座戦と、ことごとく渡辺がものにしてきた。
羽生にとっては常に節目の記録の際に、渡辺が立ちはだかってきたわけである。記録よりも世代が下の渡辺に敗れるのは、羽生にとっては今まで長年守ってきた第一人者の地位が脅かされるということだ。かつて、一時森内にも追いつめられた事があったが、持つ意味の重みが違う。
とはいっても、羽生ももう齢四十を超えている。下の世代のトップに世代交代していくのが自然な流れだろう。
ところが、羽生は今回その流れを自力で完全に食い止めて見せた。それも、この第四局で見せたようにあらゆる意味で若々しくてタフな将棋で。
最近の羽生の将棋を見ていると、衰えるどころか逆に若い頃にはなかった凄みさえ感じさせる。それは銀河戦の決勝でも島朗が解説で力説していた。
羽生は、今まで当初は苦手にする棋士がいても、その相手との対戦を重ねて慣れて何かを一度つかんでしまうと、その倍返し―どころ何十倍返しで完膚なきまでにやり返してきた。ここではその具体的な棋士名をあげることはやめておこう。渡辺戦についても、最近徐々に羽生が巻き返してきている。
それでは、渡辺はそういった棋士の列に名前を連ねてしまうのだろうか?
私にはそうは思えない。今回は内容的にも羽生が完全に押していた。それは渡辺自身もブログで認めている。
ただ、今回でも第一局では渡辺しか出来ないようなやり方で羽生を負かしていた。本当にこの二人の将棋は、張り詰めた緊張感がすごい。そして勝敗についても、その時々によってどちらに傾くか分からないスリルがある。
だから、多分今後も当分は互いに勝ったり負けたりを繰り返してゆくのではないだろうか。
ただ、その際に今後大変なのは、むしろ渡辺の方だろう。何しろ年は自分の方が若いのに、年上の羽生が衰えるどころか新境地を開拓してますます油断ならぬ大変な相手になっているので。

でも、結局この二人については第一局でも紹介した3月のライオンの中の名セリフを再掲するしかなさそうだ。
思いっ切り技をかけても 怪我しない
全力で殴っても同じ位の力で殴り返して来てくれる
そりゃ渡辺も羽生にあたるのはうれしかろーよ
そしてそれは羽生にしたって同じ事
お互いにお互いが相手の事を 力いっぱいブン回しても
壊れないおもちゃだと思ってるからな
ちなみに、原作では「羽生」にあたる「宗谷名人」は、いかにも羽生のイメージがある。一方、「渡辺」にあたる「隈倉九段」は、大変大柄で逞しい体格で足のサイズも30センチの巨漢である。実際の渡辺とは全然違う。
しかし、その厳しくて迫力満点な将棋は、まさしく渡辺のイメージなのである。
「隈倉九段」は「宗谷名人」に名人戦で負けて、旅館の壁を蹴破る。勿論、渡辺はそんなことはしない。(多分そんな力もない。)
しかし、渡辺のことだから、心の中では旅館の壁を蹴破るくらいのことはしているに違いなく(余計な説明かもしれないが、それくらいの悔しさを抱いてと闘志を燃やしているだろうという意味だ)、羽生ファンとしては次の渡辺とのタイトル戦が楽しみであると共に、ちょっとこわいのである。
ただし、我々ファンと違って羽生は恐らく何も恐れたりしない。
そういう二人の対決だから面白い。

(完)

羽生善治が王座を奪還その2 2012王座戦第四局 渡辺vs羽生

王座戦中継サイト
棋譜(千日手局)
棋譜(指し直し局)

さて、紆余曲折あって結局は居飛車左美濃vsノーマル三間飛車に。現在ではほとんど見かけない形になった。
そもそも、現在では左美濃に対しては藤井流の攻略システムが決定版になっている。藤井システムというと居飛車穴熊対策が有名だが、その前に左美濃撃破の完全なシステムも藤井は構築していてそれは現在でも有効である。「藤井システム」という題名の左美濃攻略だけに絞った本もある。
その場合は四間飛車で玉を△7一まで囲って左美濃の最大の弱点の玉頭を狙って藤井らしく振り飛車側から動いてどんどん攻めるのだ。
というわけで、1、現在は角道を止める振り飛車が激減、2、左美濃に対する振り飛車の対策が完成されているといった何重の理由によってほとんど見られない。
それが、前回述べたような序盤の経緯によって、歴史が何十年前の形に突然遡ったわけである。当時は、この振り飛車の△6五歩と位をとる形が一番有効とされていた。(藤井システムでもこの△6五歩は同様に大切なポイントだが。)
そして、経験値や実戦をリアルタイムで見た多さでは羽生が圧倒的に有利になった。しかし、渡辺の序盤センスも経験不足など全然感じさせないものだった。
角を4六から3七に転換して相手玉を角筋で睨み、振り飛車が位を取ってきた6五歩を逆に狙って逆襲する。ごくごく自然な指し方だけれども、まだまだ互角のようにも見えた。
しかし、羽生が力技で局面の流れを変えに出る。50手目の△4四銀がそうである。これは大胆不敵な手だ。
この瞬間に先手は▲6四歩から▲7五歩と猛攻する事が可能だ。特に▲6四歩△6二金とへこまされる形は普通ならば耐えがたい。一方的に攻めまくられる危険がある。
本局の羽生は、こういう「やってこい」という挑発的な手が多かった。そもそも、△3二飛△4二銀が居飛車の態度次第では大乱戦になるし、その後ももう一度飛車先を受けずに挑発して、さらにこれである。
渡辺は、どちらかと言うとこういうのを真っ向から咎めに行きたいタイプだと思うのだが、今回はどれも自重した。実際は▲6四歩を入れずに単に▲7五歩。
今回は対局が深夜にまで及んだので、感想戦は簡単に済まされた様で、対局者の考えが全く分からない。だから、この手についても推測するしかないが、とにかく渡辺は▲6四歩まで入れるのはやりすぎだと考えたのだろう。
つまり、今回はずっとある程度は羽生の側の主張が通っていた。勿論、全て具体的な読みに裏付けられた話だが、シリーズ全体を通じて、羽生の側に今までの渡辺戦ではなかった余裕のようなものも感じた。
以下、渡辺が一歩的に攻める展開にはならず、羽生も金を6四に打ちすえて6筋と7筋の位を逆に奪還し返すことに成功した。要するに△4四銀の強手が通ったようにも見える。
さらに、△7二飛と回って総攻撃を見せて力をためた手が理屈ぬきに感触の良さそうな手。こういうのは弱い素人にも感覚的に良さが理解できる。段々後手のペースになってきたように思えた。
さらに、先手が▲6八歩と辛抱しておさめたところに△3三桂。ここにきて遊び駒の活用である。よく言われるように振り飛車は左桂がうまく活用できればよくなる。その基本に忠実な手でもある。
こんなところでじっと手を渡すのがいかにも羽生流。いつもの羽生らしさなのだが、これまでの渡辺戦で羽生はあまりに気合が入りすぎて無理に攻めようとして失敗する事もなぜか多かった。やっと羽生も渡辺相手に平常心で普通に指せる様になってきたということか。逆に言うと、羽生にそういう焦りを生じさせるくらい渡辺が強くて厳しい将棋を指すという事である。
行方をはじめとして控え室は後手が良さそううという判断だった。森内だけは先手を持ちたいと言っていて行方が素直に動揺していたが、多分プロの素直な感覚だと後手がいいと感じるのではないだろうか。
特に振り飛車党ならば、左辺の厚みが大きい上に、飛車も攻撃に控えていて、さらに左桂まで捌けているのだから、基本的に何も文句のない局面なのではないかと思う。
しかし、このまま簡単に終らないのが羽生vs渡辺である。渡辺も決断よく飛車角を渡して後手玉をとにかく薄くしておく。必然の手順で仕方ないところもあったのかもしれないが、実戦的な指し方である。
そして、後手が一度108手目で△2九飛成と一度ゆるめたところでは、既に何となくはっきりしない局面だ。後手の次の△7六桂が厳しいが手番は先手。▲6一銀といやらしくひっかけて△7六桂に▲9七玉と逃げたところでは先手も結構抵抗力がある。この後の後手の△9三玉もそうだが、この形は手が稼げるのだ。
逆に後手玉に先に詰めろがかかった。もはや勝敗不明で、逆に先手勝ちの変化も出てきた。121手目で▲8八金とした場面は、後手玉が詰めろ。先手玉は詰まない。超難解ながらも、もしかするとついに先手が勝ちになったのではないか(後手は△7一金と犠打して千日手を目指すしかないか)と言われだした瞬間・・。
羽生の△6六銀。
歩の頭に捨て駒の銀。これが後手玉に対する▲6六桂の詰み筋を消していると同時に、先手玉への詰めろになっている。芸術的な詰めろ逃れの詰めろ。
誰も考えてなかった。理屈ぬきに「羽生マジック」である。とにかく、こんな手が浮かぶ事自体が素晴らしい。控え室のプロたちもネットで観戦していた我々も唖然呆然。現地で大盤解説していた森内も、こんな手を見れたのが嬉しくて仕方ない様子だったそうである。
しかし、それは観戦者だけではなかった。渡辺明も実に正直者の彼らしく、この手にビックリしている。局後の感想でも「△6六銀がすごい手で」と述べているし、自身のブログでも「千日手局、最後は勝ちになったのかと思っていましたが△66銀とはすごい手があるものです。」と悪びれずに書いている。
普通なら、こんな絶妙手を指されたら悔しくて口にするのもいやなのではないだろうか。ところが、渡辺はそれを素直に認めて感心して、さらにこんな手を見られたのを喜んでいる節すらある。
渡辺はなんという男だろう。いや、彼に限らず本物のプロ棋士はこういうすごい手を少年のように喜んでしまうところがあるのではないだろうか。
加藤一二三も自著の中でこのように述べている。(過去の私の記事でも紹介した事がある。)
「私の角が二枚並び、大山棋聖の飛が二枚並んだ形は心を打たれるもので、まず二度と出ないと思う。私は対局中この形に進行したときに、大きな喜びを覚えていた」
羽生もそうだ。先日流れた七冠当時のインタビューで、将棋は苦しいが、その中で何か正しい指し手を発見出来た喜びはなにものにも変えがたいという意味のことを述べていた。
我々ファンはどうしても勝敗だけで見てしまうが、当事者の彼らはたとえ相手の指した手であってもそりが素晴らしい手であるならば純粋に喜んでしまうのではないだろうか。我々人間には分からない神々の人間の理解を超越した快楽があるのではないだろうか・・。
さて、現実の世界に戻ろう。実際にはこの△6六銀には▲7八銀上という対応もあったようだ。棋譜コメントでは伊藤四段が指摘していたし、GPSも読んでいた。コンピューター将棋の終盤力の高さの証明である。
単に先手玉の詰めろを消しているだけでなく本譜であらわれた△8九金以下の千日手の順も防いでいる。後手としては攻め方が難しい。普通の攻め方では詰めろが続かない。
しかし、ツイッターで強い方に教えていただいた順をここでは紹介しておこう。
▲7八銀上以下△8九金▲同銀△7七銀不成▲6三飛。
金を捨てて△7七銀不成が再びこれが詰めろ逃れの詰めろ。しかし、▲6三飛が先手玉への△8五桂打以下の詰めろを消している。(△7三桂が8五に跳べない。)
▲6三飛自体は後手玉への詰めろではなく、後手から先手への詰めろは何通りかかかるが、その攻防の組み合わせが超難解ということだそうである。少なくとも本当に強い人でも簡単に勝ち負けを読みきれないようである。
これについては将棋世界や新聞観戦記を待つしかないだろう。
本譜は△6六銀に▲同歩としたために千日手コースに突入した。
夜十時を過ぎて、この激闘の末に千日手。もう、いいじゃない、勝負なんかつけなくてもといいたくなる。しかし、将棋の場合はこんな時でも指し直さなければならせない。
立会人の大内が対局室に入ってきて、二人に何かを告げている。30分の休憩とはいえない休憩をはさんで指し直し。
当然テレビならば長いCMが入るだろう。私もこの続きは明日にさせていただこう。
ちなみにニコ生解説の浦野真彦は、前日深夜まで順位戦を戦っての解説でここでの千日手。本当に大変だ。アマチュアに分かりやすい解説をしつつ、自著の詰将棋本などの宣伝もまるで「ジャパネットたかた」よろしく巧みに行っていた。
しかし、浦野もこの時点ではネットで「ジャパネット」のあだ名がつけられて、なおかつamazonで浦野本がバカ売れしているの事をこの時点では知る由もなかった・・。

(続く?)

羽生善治が王座を奪還その1 2012王座戦第四局 渡辺vs羽生

王座戦中継サイト
棋譜(千日手局)
棋譜(指し直し局)

日が替わって午前一時過ぎになって、やっと勝負の趨勢が見えてきた。先手の羽生玉は金銀を次々に打ち据えてガチガチに再構築され全く寄らなくなり、後手の渡辺玉は粘っても結局は寄ってしまうのが時間の問題である。
しかし、渡辺は気合を込めた手つきで指し続ける。角をきらずに何度も逃げる鬼の辛抱をして決して自爆だけはしない。全く先に光明が見えない絶望的な状況で、渡辺は決して折れずに本当に最後の最後まで指し続けた。
午前九時に始まった対局が大激戦の末に午後十時過ぎに突然千日手になり、30分の休憩をはさんで指し直し。お互い持ち時間がほぼ一時間の状態で指し直し始めて、終局は午前二時を過ぎていた。計17時間の激闘。
最後は(当然なことながら)羽生が堅実に受けて、渡辺にとっては投げるタイミングを失する展開になってしまったこともある。
しかし、この二人の勝負では2008年の竜王戦第四局のことがある。羽生の勝利が目前だったように見えたところから、羽生がコップの水を飲んでいる間に、渡辺がフト自玉が打ち歩詰めで逃れる順を発見する。ほとんど投了も考えていた渡辺がそこから息を吹き返して勝利。さらに、三連敗後の四連勝。
本局の最後まで諦めない渡辺を見ていて、その時の姿がオーバーラップした。この執念と精神力が渡辺の強さである。今回はあの時と違って渡辺が逆転する可能性はほぼ0%に近かったが、それだけに指し続ける渡辺に凄みがあった。
と同時に、私は羽生ファンなのでタイトル獲得の瞬間を切望しながらも、こういう絶望的な状況で黙々と指し続ける渡辺の姿に、ちょっと何とも言えない気持になった。今回に限らず、将棋の大きな勝負では最後の瞬間に勝者よりも敗者が強烈な印象を残す事がよくある。今回もそうだった。
渡辺はタイトルを失冠するのは、なんと今回が初めてである。あの羽生でも、渡辺からタイトルをもぎとる為には、激戦の千日手を経て17時間もかかったのである。

午前9時に先手渡辺の▲7六歩で長い一日が始まった。いきなり後手の羽生が二手目△3二飛。後手で藤井流の角交換はある程度予想されていたが、これはさらなる変化球である。
「私の座る位置からは指し手が見えなかったんですが、後手番で駒がカチャッと重なる手はほとんどないので、これは何か起こったなと思いました」(行方八段)―二手目棋譜コメントより
行方はあまり朝が得意ではないと言われる。前日の晩も恐らくおいしくお酒をいただいたことだろう。そんな行方の目を覚ます「カチャッ」。「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」・・ではなく、「行方の眠りを覚ます△3二飛 カチャッの音で二日酔い飛ぶ」である。
とはいえ、この二手目△3二飛は、かなり有効な作戦で、特に本譜でも出た四手目△4二銀の佐藤康光新手は大変な高勝率を誇っている。但し、初手に▲2六歩とされるとこの作戦は採用できないので、後手が振り飛車党の際には先手の居飛車党は▲2六歩で作戦を封じる事が出来る。
問題は、後手が羽生のようなオールラウンダーの場合だ。初手▲2六歩だと△8四歩以下相掛かりもあるので矢倉などを指向するなら▲7六歩だが、それだとこの△3二飛がある。
現に去年の順位戦A級でも渡辺相手に後手の谷川がこの△3二飛を採用して勝っている。名人挑戦争いに大きな影響を及ぼす将棋だった。
また、将棋世界誌の「イメージと読みの将棋観」でも、この形が取り上げられた事があり、渡辺はなかなかここまで研究が及ばない、振り飛車党相手なら▲2六歩で防げるなどと言っていたと記憶する。
というわけで、この△3二飛は実は後手の作戦としては意外に最初から可能性があったのかもしれない。
特に、最近は藤井流の角交換振り飛車が大流行しており、羽生もよく採用しているので角交換系の振り飛車をするのなら、こちらも選択肢としては考えられた。
但し、この△3二飛△4二銀は先手がどんどん飛車先を突いて交換すると序盤から大乱戦になる可能性がある。後手はそれを覚悟する必要があるが、過去の実戦例を見ても後手も十分戦えるし羽生も自信があったということなのだろう。
最近羽生はチェスをよく指している。この前の日曜日も、女子欧州王者のアルミラさん(大変魅力的な人だった)と時間切れ二番勝負を戦い二局とも引き分けていた。他にもたくさんチェスを指している。
その時も羽生は相手の得意を外す作戦を採用していた。将棋の場合は、最近は何でもありで合理的になったけれども、まだ少しだけ「堂々と相居飛車で」という感覚もわずかながら残っているような気がする。だから、羽生が今回△3二飛を採用したのも意外とされた。しかし、純粋な戦術面から考察すると今まで述べてきたたようにこの△3二飛も十分考えられた。
日本的でないチェスはより合理的というイメージがあるので、羽生が今回△3二飛を採用したのは、最近羽生がチェスを多く指している事と関係がないのではないかと私は感じた。
但し、私はチェスの事情を全く知らない。チェスに詳しい方によると、チェスでは△3二飛のようなマイナーな戦術を採用しては勝てないということだそうである。将棋の△3二飛がどの程度「マイナー」といえるのかによるのかもしれないが。
さらに、▲2五歩に対しても羽生は飛車先を受けなかった。ここでも当然▲2四歩以下の激しい変化が考えられたが、渡辺は自重。しかも決断は比較的早かった。
研究していたのか、持久戦でいくと決めていたのかは分からない。まずじっくり玉をかためてというのも渡辺流の個性だが、同時に咎められるならば厳しく咎めるというのも渡辺らしさなので、真意は渡辺に聞いてみないと分からない。
そして、渡辺はじっくり駒組みを進めつつ左美濃(天守閣美濃)を採用。渡辺としては珍しい。持久戦なら渡辺は居飛車穴熊がトレードマークなので。
しかし、この場合は振り飛車側の角筋が開いたままなので、下手に穴熊にすると普通の三間飛車よりも角筋をいかした猛攻を受ける可能性がある。藤井システムの要領で。
従って渡辺は高美濃にしたと推測されるが、それを見届けてから羽生は△4四歩と角道を止める。
ちょっと損なようだが、さらに進むと左美濃対三間飛車の懐かしい形になった。▲中原vs△大山などで多く指された形である。
つまり、羽生は角道を止めても、羽生が若い時によく見たり自分でも指した形で十分勝負できると考えたのだろう。「羽生の頭脳」でもこの形がとりあげられているそうである。
但し、この形は▲谷川vs△羽生の竜王戦の有名な将棋でもあるという。だから、渡辺は実戦経験はなくても、この形はある程度知っていたはずだ。特に渡辺は修行時代に谷川の将棋を実際に盤に並べて深く考えたというから。
とはいえ、実戦経験があるのと本の知識だけでは、やはり大きな違いがある。△3二飛の採用といい、この形に誘導したことといい、羽生の戦略家ぶりが今回は目立った。
渡辺vs羽生では、どちらかというと渡辺のほうが用意周到な戦略家ぶりを遺憾なく発揮して、それに羽生が受身になることが多かった。そういう意味でも本局は珍しかった。羽生もついに渡辺に少し慣れてきたのだろうか。
これを天上で見ていた大山康晴が、「この後は自分に三間飛車を持って指させてくれ」と懇願したかどうかは知る由もない。

序盤の話だけで、すっかり長くなった。しかも今回は二局もある。一回ここできって明日以降続きを書かせていただくことにする。
いや、こうして話がなかなか進まないのは私の責任ではない。最近は、様々な面白いブログが出来ていて、それらで一回完結しないのが流行っている?
私は以下に紹介するブログの真似をしたまでのことだ。抗議はこれらのブログ作者たちにお願いしたい。
私のブログを読まれる方なら既にご存知かもしれないが、もしまだという方はいらっしゃったら是非。私の記事などより両方ともよっぽど面白いので。

気が散る前に
(元島研メンバーによるイベントについてのレポ・・というよりは創作?)
ものぐさ記念対局自戦記:第1回
ものぐさ記念対局自戦記:第2回
(両方チェスの自戦記なのですが何も分からない将棋ファンの私が読んでも面白いです。)

(続く・・・?)

「七冠・羽生善治 将棋の宇宙を語る」

NHKのEテレで、羽生善治が七冠当時のインタビュー番組が再放送された。
1996年2月16日放送。羽生の七冠にいたる、あるいは少年時代から現在にいたるドキュメンタリーフィルム。それと、中心部分として小阪修平によるインタビュー。
当時羽生は25歳である。その発言から、私が面白いと思ったものを、要約していくつか紹介してみる。

「勝つことだけにこだわると指す手が制約される。プロの世界が進歩すればするほど、制約が大きくなって、つきつめると皆同じような将棋になってしまう。そういう部分から解放されないと、新しい発想や従来になかった手を見つけにくいと考えている。
人間なので無意識に安心したい楽にしたいと言う部分がある。前にあった形に頼りたくなる。そういう部分から解放されたい。」

羽生世代たちによって、定跡研究が進み序盤の体系化が既にかなり進んでいた時代の発言である。
現在は、さらにその定跡化体系化が著しく進んで、羽生の言う「制約」がさらに進んでいる。
羽生はそういう中で、この頃から意識的にそういうものから自由に逃れる指し方を望んでいた。それは基本的に今も変わらないと思う。
勝つためには現代ではなおさら定跡研究の「制約」を離れる事が難しくなっている。羽生といえども完全に自由に指すのは至難の業なのだが、常にそのことを意識して指しているのは感じられる。
例えば佐藤康光も「自由」に指しているが、それは意識してと言うよりは自分が思うように好きに指すと自然と人と違うといった感じだ。
羽生は、そういう佐藤を羨ましいと思っているかもしれない。だが、少なくとも羽生はそういう事態を俯瞰的に意識して指しているという点では現在でも珍しい数少ないタイプのような気がする。

「現在は、「勝負」というよりも盤上の真理を考える人が多くなっている。現在の将棋は形にこだわらない。昔は美学もそうだし、綺麗な形にこだわるところがあった。」

例えば、羽生が名人戦で米長に挑戦して名人を獲得した際に、第一局で先手中飛車を採用した。当時は中飛車など名人戦で用いるべき戦法ではなく素人の作戦だという考え方も一部にはあった時代だ。
しかし、羽生世代は作戦として有効ならば、形にはこだわらず、当時はまだ邪道ともされた穴熊などもどんどん採用した。「盤上の真理」のためには、それが合理的だと考えたから。
しかしながら、現在の若手と比べると、相対的には羽生世代は「綺麗な形」や「筋」を指すようにも感じられる。例えば、初期に糸谷が郷田と対戦した頃は、郷田がその感覚の違いに絶句したものである。
現代将棋は、「綺麗な形にこだわらない」ことをとことん突き詰めている。角換わり系や一手損、ゴキゲンなどなんでもありの世界に突入している。
多分、当時の羽生もこここまで「形がこわれる」とは予想しなかっただろう。

「(「羽生マジック」について。)
自分では普通に指しているつもり。他の人とは感覚が違うのかもしれない。
閃きも大切だが、何か手を閃いて読んでダメだと思った時には、あまり選ばない。
むしろ、読んでみて分からない、どうなるんだろうという場合に、そういう手を選ぶ事が多い。
将棋は最後まで読みきれる事などありえない。将棋では、10手先20手先に自信を持てない局面が必ず二度か三度ある。手が限定される終盤の前では特にそうなので、そういう局面の捉え方では他の棋士と異なるところがあるのかもしれない。
形勢が悪くなったときは逆転を期待していない。ベストを尽くして負けたならば仕方ないと思っている。」

これは、多分当時の羽生と現在の羽生で一番変わっていない点だと思う。
特に面白いと思うのは、羽生が中盤以前では「読んでみて分からない、どうなるんだろうという場合に、そういう手を選ぶ」と述べている事。
確信を持った順を選ぶのではなくて、分からない順を選ぶというのだ。ここには、後年の羽生がよくいう「将棋は他力」の思想、考えてもどうしても分からないところがあるという考え方があらわれているような気がする。
自ら「よく分からない」ジャングルに進んで
突入していくのだ。羽生の棋風の本質と関連してくる発言のような気がするのだが、どうだろうか。

「普段の生活と盤上は全く別だと思っているので、そういうスタンスでやっている。」

当時は、このように爽快にわりきっていた。そのことで、当時の将棋界に羽生世代は革命を起こしたのだ。
但し、現在はこれほど簡単にはわりきっていないような気もする。

「(チェスでコンピューターが人間に勝ったことについて)
チェスの世界が将棋の世界より、(全ての面で)多分十年以上進んでいると思う。だから、10年後に将棋の世界で同じ事が起きても不思議ではない。なぜなら、現在の人間将棋のレベルはそれほど高くないので、コンピューターが人間を凌駕してもおかしくない。」

羽生は将棋の世界を意外に冷徹に現実的に当時から捉えていたことが分かる。
だから、現在のコンピューター将棋の強さについても、意外に羽生が一番冷静に受け止めて分析しているような気もした。

「盤上で考えていて、苦しそうだったり険しい表情をしていても同時に楽しいという側面もある。この先どうなるのかを考えていて楽しい。無限の可能性の一部でも、考えていてそれが正しい事もあるので、それが楽しいこともある。」

羽生は、あれだけ将棋に深く没入していながら、将棋が基本的には「楽しい」と考えている。それは、多分羽生に限らず超一流棋士に共通するところなのではないだろうか。
例えば、加藤一二三もそうだ。私が過去に書いた記事でも紹介したが、加藤は対局中にこんなことを感じているのだ。
「私の角が二枚並び、大山棋聖の飛が二枚並んだ形は心を打たれるもので、まず二度と出ないと思う。私は対局中この形に進行したときに、大きな喜びを覚えていた」


「将棋の面白さと同時につらいのは、自分の全てが出てしまうところ。自分のいいところ、わるいところ、きれいなところきたないところが全部出てしまうところ。」

この発言を聞いて私はドキッとした。しかしか、弱い素人にもこれは何となく分かる。
一枚の棋譜自体から、それを指した人間の全人間性を洞察することが恐らく可能なのだ。
その棋士と現実に長時間付き合うよりも、迅速に正確無比に。
観る将棋ファンにとっては、それがプロ将棋の最大の魅力でもある。


同時放送された、「迷走〜碁打ち・藤沢秀行という生き方〜」についても過去に書いた事があるので、興味のある方はよろしければご覧ください。

藤沢秀行と坂田栄男の封じ手をめぐるせめぎあいーNHK「迷走〜碁打ち・藤沢秀行という生き方〜」より

羽生善治王位が防衛 2012王位戦第五局

王位戦中継サイト
棋譜

後手の藤井が藤井システムを採用。今シリーズは、角交換型四間飛車を中心に戦ってきて、なおかつ序盤では作戦勝ちをおさめ続けてきた。ところが、カド番に追い込まれた状態でのシステム採用である。
藤井のシステムへの愛着のようなものも感じるし、また、システムを見たがっていたファンの期待にここで応えるのも何とも藤井らしいところだ。
但し、(特に後手番での)藤井システムは最近ほとんど観られなくなっていた。その辺の歴史については勝又清和「最新戦法の話」「第三講 藤井システムの話」に詳しい。
今回改めて私も再読してみたのだが、いかに実に精密で微妙な駆け引きによってシステム定跡が進化してきたのがよく分かる。
ここでは、そういう細かい話は全て省略して本当に要点だけをまとめると以下のようになる。
・振り飛車にとっては居飛車穴熊が天敵で振り飛車党は対応に苦慮していた。
・そこに藤井が居玉のまま穴熊に組む前に襲いかかって居飛車を叩き潰してしまう藤井システムをひっさげて登場。
・居飛車も無条件には穴熊に組めなくなり様々な対応を模索し始める。穴熊にすると見せかけて急戦にして後手の居玉の弱点をつくなど。
そして、その急戦の代表が本局の▲5五角急戦である。
後手が穴熊対策で△6四歩と早めに突くところに▲5五角と飛び出してその歩を狙い、後手が△6三銀等と受けたところに、角を転換するのではなく、▲3五歩と仕掛ける。その際、後手の形が乱れているのがプラスになっている。
この居飛車の作戦が大変優秀で、システム側はうまい対応が見出せずシステム自体が下火になる大きな原因にもなっていた。
実際、過去にも▲羽生vs△藤井でもこの形で戦って羽生が勝ち、藤井に「もうこの戦法は指せない」とまで言わせたことがある。
(なお、棋譜コメントで羽生がこの形で先後両方で勝っているのが紹介されているが、後手では作戦では必ずしもうまくいかず羽生の終盤力で何とかした将棋もあった。)
というわけで、この▲5五角急戦は、ちょっと大袈裟に言うと後手藤井システムの命運を握る重要型、重要定跡なのである。
藤井がこの大きな対局で採用してきたからには、当然何らかの対策、修正案、新手を準備しているものの期待された。
ところが、何と先に新手を出したのは羽生の方だった。37手目▲1六角。羽生らしいふんわりとした玄妙な角で意味や意図を簡単に説明できない種類の手だが、結局これが好手だったらしい。
感想戦で、藤井はこの手を考えてなかった(研究していなかった)ことを率直に認めている。
本来なら、藤井システムは藤井の土俵で誰よりも知り尽くしているし深く研究もしているだろう。まして、今回満を持して採用したからには、新たな研究の裏づけがあったはずだ。
ところが、その将棋でアッサリ羽生に新手で出し抜かれてしまう。これは、手の良し悪し以外の面でも藤井には精神的にこたえたのではないだろうか。
それにしても、超多忙な中で研究家の藤井相手にタイトル戦で有効な新手を提出してくる羽生には驚かされる。今回は事前に藤井システムもかなり予想されていたので、羽生も重点的に研究してあたためていたのかもしれないが。カド番でシステムをやっと採用した藤井がそれにぶち当たったのは不運だった。
今シリーズは、序盤だけだと千日手指し直しを含めて藤井の5勝0敗というくらいに藤井の序盤術、序盤感覚が冴えわたっていたが、この羽生新手によって、初めて羽生が序盤でうまくやったか少なくとも互角以上になったのだから。
とは言っても局面はまだまだ難しそうに見えた。しかし、感想戦を見ると▲5四歩が入ったあたりでは既に先手がよくなっていたそうである。
しかしながら、後手も角成から迫ってきて大変そうに見えたが、▲6八玉の早逃げ(一度目)など羽生の受けがまたしても正確にして絶妙。第三局でもそうだったが、藤井に攻めさせておいてギリギリに、しかしそれでいて余裕を持って残してしまう受けは流石である。藤井が攻め将棋ということもあるが今シリーズは羽生の受けも印象的だった。
藤井の攻めが段々細くなってきたあたりでは既に先手勝勢と言われだす。そして、△4六歩を手抜いて▲3一飛と打った辺りでは、完全に勝ちを読みきったかようにも思われた。
ところが最終盤で一波乱に起きかけた。羽生の二度目の▲6八玉の早逃げが洒落た手のようでいて危険だったらしい。羽生は指した瞬間にイヤな感じがして、藤井はもしかするとと思ったそうである。感想によると先に▲5三歩成を入れておけば何の問題もなかったとのこと。
実際△6五歩とされた場面では次の△6六歩が厳しくて先手は後手玉に詰めろをかけなければいけない。控え室が決め手をなかなか発見できない中、大内先生が▲3二龍引が詰めろあることを指摘。そして、程なく羽生もその手を指した。
後で棋譜だけ見るとこれで勝ちということになるのだろうが、生で見ている際にはドキドキした。ライブならではである。羽生も危ない橋をわたったが▲3二龍引があってホッとしたというところではないだろうか。

結果的には四勝一敗で羽生が防衛。しかし、先ほど述べたように序盤だけなら逆の結果である。
特に今回は、それほど定跡が確立していない角交換四間飛車で、研究というよりはその場で秀逸な構想を立ててくる藤井のセンスにプロアマ問わず唸らされたのである。
そして、この角交換四間飛車(とその類型の将棋)は、若手振り飛車党の間で大流行の兆しがある。やはり、藤井は作戦、戦法のパイオニアなのだ。
また、昨今は初日は定跡型を猛烈な勢いでたどるだけというケースも多かったが、今シリーズは初日からプロの構想力を緊張感を持って楽しんで観る事が出来た。
一方の羽生は、相変わらず中終盤力が鬼過ぎる。特に前局の第四局は、(実際には僅差だったらしいが)あの逆転勝ちの仕方はインパクト十分だった。
よく将棋界では「将棋というのは、最後には羽生が勝つゲームである。」という軽口が叩かれる。今回はまさしくそんな感じのシリーズだった。初日は藤井の世界、二日目は羽生の世界という分かりやすいシリーズだったのかもしれない。

今回は中継サイトでは、対局者の様子を連続静止画中継していた。終局後の様子も伝え
ていたのだが、そこには里見香奈が両対局者の様子を食い入るように見つめ、また一言たりともその言葉を聞き逃さないぞという様子で、ずっと熱心に見続ける姿が映し出されていた。
彼女が「いつの日か、わたしもこの場に」とひそかに思っていたかどうかは知る由もない。



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