Shography's blog

何でもいいの

元気にしています。

長いことブログの更新をしないので、プロバイダ-に「広告」を入れられそうです。

皆様ご心配してくださってありがとうございます。
私は相変わらずの2,3の弊害があるものの見た目には丈夫そうで元気です。

2時間待ってリハビリ(マッサ-ジ)を7分ぐらいやってもらうことを一か月も続けた後、自分で毎日ラジオ体操でもやればいいことにやっと気が付き今2,3回(笑)やったところです。
また、読んだり、書いたり、考えたりなどの情緒的感情に乏しいことを感じています。これは今まで病院通いで終日費やすなどが多かった所為でその余裕がなかった、また病院の待合で2時間、3時間待っても、本ひとつ読む気がしないのは首筋が痛くなるためでもあります。首にブロック注射をしていましたがこれも止め、今刺激の強い湿布を貼ってどうやら凌いでいます。

土曜日には、年一回の「蕎麦打ち会」に出席しました。でも自分で打つことはせず、作業は人に甘えて、ただいただくことにのみ専念しました。とはいえ、こまごま(葱を切ったり、汁を作ったり、お茶碗を並べたり)はしましたよ。

今日は午後から、公民館でやっているというヨガ教室を覗いてみることにしています。明日は、公民館の「書道」と仲間だけでやっている「英語」の日なので少し準備をしておかなければ・・・。こんな風で、少しづつ日常に戻れるのではないかと思っています。

もう一回17日、投与です。

第10回花音朗読会を聞いてきた。

いつもお出で下さる志村建世氏http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/が感想を載せてくださったのでそのままご紹介します。

入間市在住の「花てぼ」さんが参加している朗読の会の「第10回・花音(かのん)」を聞きに行ってきました。例年会場にしている「入間市文化創造アトリエ」の「アミーゴ」という施設が、なかなか風情のある建物なのです。
 今回のプログラムは、宮沢賢治「やまなし」の朗読、芥川龍之介「藪の中」の群読、森瑤子「ディオリッシモ」の朗読、それと「歌詩を読む」と題した、みんながよく知っている歌の歌詞を、朗読として読み聞かせるという、斬新な企画から成っていました。
 中でも強い感銘を受けたのが「藪の中」の群読でした。かなり昔に読んで、知っているつもりだった作品ですが、登場人物の「検非違使に問われたる木樵りの物語」「同・旅法師の物語」「同・放免の物語」「同・媼の物語」「多襄丸の自白」「清水寺に来れる女の懺悔」「巫女の口を借りたる死霊の物語」が、それぞれの人の口で語られることによって、リアルな迫力をもって立ち上がったのには、心底から驚きました。ぜひ、原作者に聞かせたいと思いました。
 この「藪の中」は、事件の関係者の語ることが、その立場によって変転することにより、結局何が真実であったかわからなくなる、人間の「心の闇」を気付かせる作品で、「藪の中」と言えば難事件の代名詞のようにも使われる名作です。その作品が、多人数の朗読によって、はじめて原作者が意図した通りの説得力を発揮したように感じたのでした。
 失礼かもしれませんが、きょう登壇した人たちが、そこまでの「深み」に達して読んだのかどうかは、別次元の問題なのです。一編の小説として書かれた「藪の中」が、舞台劇の台本でもないのに、原文のまま朗読されただけで、演劇の空間でなければ作り出せないような「人間についての無限の闇」を描き出して見せたことが驚きだったのです。
 芥川龍之介がこの「藪の中」を書いたとき、実験的な意欲があったことは、ほぼ確実でしょう。それは著者自身が明快な見通しをもっていたのではなく、人間性の不可解を予感していたことの告白のように思われます。そうでなければ、芥川は自ら死ぬことはなかった。命をかけて小説を書いた男は、永遠の「藪の中」を残して去って行ったのです。
 
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(↑志村氏撮影)

最後の出し物「歌詩を読む」が終わって、司会者が「これで全部終わりました。・・・・・・お気をつけてお帰り下さい」という寸前、もう一つプログラムがあるよと一人が司会者の背後から囁く。「これが花音の特徴なのですよ。」と言えば、お客さんの中から「それ演出でしょう?!」 笑いが起こって、無事「ご一緒に歌いましょう」となる。

「第10回・朗読の小部や・花音」プログラム

昨日の「花音」公演のプログラムです。
メンバ-の一人が作ってくれたこのきれいなプログラムが(表紙もいい)沢山余って、捨てるのが惜しかった。


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も少し大きく載せたかったのに小さくなって残念。拡大して見てください。
「藪の中」で私は「多襄丸の白状」の部分を読んだ。
※「歌詩を読む」
    歌詩を朗読した後、発表の年、作詞(作曲)者、歌った歌手を明かすという趣向。
①「人生いろいろ」
②「およげたいやきくん」
③「珍島物語」(平成8年・作詞作曲:中山大三郎・歌:天童よしみ。私はこれを読んだ)
④「奇跡の人」(さだまさし・作詞作曲)(一人が中心で読むが他の者が大阪弁でちゃちゃを入れる)

※「ご一緒に歌いましょう」では次の歌を歌った。
①村祭り(秋晴れを予想してずっと前から決めていたので)
②北帰行(出だしの音程が合わず、聞いたことのないおもしろいハ-モニ-を醸していた)
③学生時代
  あの天候だから、帰りを気にする方にはこのコ-ナ-は省いた方がよかったかもしれない。それでもみなさん、今日の公演がよかったことを口口にしてくださり、初めての方が「また知らせてくださいね」と言って帰られたり、私たちの始める前の危惧もなんのその、お客様の人数は少なくても充実した満足の一日だった。



第10回朗読の小部や・花音

衆議院選挙と同じ、あと一週間に迫りました。

やっとチラシを載せるにことができました。
場所は、
西武池袋線・仏子駅北口下車、徒歩5分「アミ-ゴ」です。

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今日は最終的なまとめをやりました。
私自身、昨日は体調絶不調でどうなることかと心配しましたが今日は比較的良くなっていてホッとしました。練習不足もありますが、みんなではりきっています。
当日のお天気はあまりよくないようですが、ご都合のよろしいかたはどうぞお出かけください。

昨夜はあわてた。

38度以上の熱が出たら、夜中でも病院へくるようにと言い渡されていた。夕方、風がいやに冷たく感じる。素足の足首が冷たい、手に触れる水がまた特に冷たい。何か変。そういえばこの頭から首にかけての痛みが異様。そう、だるいような、これは風邪をひいた時の身体の具合ではないかと初めて気が付く。昼間、全くできていない朗読を思い切って読んでみなければと、声にした。そのあと、喉が痛く感じていたこともあった。
7時過ぎ、熱をはかった。しまった!37、7度ほどある。困ったな、もうすぐ8度に達しそう。病院へ行く用意をする。食事はすんで、夫は一杯やった後だ。タクシ-の電話を確かめておき、先ず、病院へ電話する。受付の人にこれこれしかじかで病院を訪れたいと告げる。私の主治医は手術中で連絡をとることはできないとのことだったので、私は他の先生をお願いしたいと食い下がる。他の外科の先生が電話に出られる。私はまだ38度にはなっていないが、時間の問題みたいに告げる。私が思うほど先生には真剣みがない。38度になってからもう一度電話してくださいとのこと。私は病院へすぐ行けるような準備を整えて、熱を測り続ける。38度にはすぐになった。なぜか先ほどのようにあわてない。電話に出られた先生があまり冷静だったからだろう。8時から38.1度が長い間続き、そのうちに下がった。もう病院には行かないで早めに寝た方がよさそうと決めこんだ。でも眠り着けない。夫はずっと起きていると言う。11時ごろ「熱は出ていないか」と尋ねる。私は「下がっているみたい。でも眠れない」といいながら起き上がって、誘眠剤を飲む。この誘眠剤このまえからちっとも効かないと感じている。一時間経っても目が覚めている。でもそのうちに眠ったのだろう。ひやひやの夜だった。

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プロフィール

花てぼ



絵は誕生日(2月14日)の花。遊工房さんよりいただきました。

「花てぼ」とは、九州で昔、子供が野に出て遊ぶ時提げてまわった素朴な 「かご」のことです。よく、れんげや、つくしなどを摘んで遊んだものでした。

「Shography」とは私の造語で、書道のShoと、「書道」の英語、calligraphyから捩ったものです。

埼玉県在住
朗読することが好きですが、故郷・長崎のことばで語るのも楽しいです。
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