Shography's blog

何でもいいの

カメラを向けられてVサイン(ピースっていうの?)

あれはそろそろ止めて欲しい。いつのころからかチョキじゃないよ)をして映っている人を見ると吐き気を催す。京都で修学旅行生にカメラを向けると、違うことなく全部が全部Vサインをするので姉もとても残念がっていた。普通の表情を撮りたいのにと。何故みんなと同じことばかりしてよろこんでいるのだろう。不思議だ。
舞子さんは「ピース」ってやらなかったな。

続き

ハウステンボスを後にして夕方、後の三人と「弓張の丘ホテル」で待ち合わせ8人で泊る。折悪しく夕食のレストランからのサンセットも九十九島の眺望も臨めなかった。


翌日10時チェックアウトして、そのホテルから山道を二曲り半したところに、姉の友達(長崎に行く時から、高速バスの切符など買っておいてくれて一緒に行った人で、この方(毎年のように学生達を海外に連れて行くボランティアをしていると仰っていた)のログハウスがある。町中に本宅はあるが、今は生活の拠点をここに移して、夫婦で畑を楽しんでいるとのことで、畑に案内してもらう。


  
みんな、野菜作りなどに興味のある者ばかりで、話に花が咲き去りがたそうだったが、11時半の船で九十九島めぐりが控えていたので山を下りた。九十九島、高いところからの眺望は効かなかったので楽しみだった。みんな子供のように船旅を楽しんだ。船を降りてから、先の畑のオーナーの方が持たせてくださったチマキを頂く。母や長姉が作るのと同じで竹の皮で三角にまかれてあり懐かしくおいしく頂く。

5月8日
いよいよ明日、故郷を発ち京都へ向かうので、荷作りなどして、のんびり過ごす。

5月9日
京都へ着いて、真っ直ぐ宿に向かうことになり、市バスに乗る。銀閣寺辺りのバス停だったと思う。乗り込んでくる人を見て目を疑う。「入間の人・・・」と私は口にする。その人も最初何が起こったか信じられないと言った感じ。私も自分とその人の関係は何であったか思い出せないでいると、その内にあちらの方から私の名前を呼んでくれる。かって私がコーラスに入っていた時の仲間の方だった。
先ずは、宿の世話もしてくださった姉の友達が、二人とも務めていた「日本バプテスト病院」を案内してくださる。ここでも「偶然」が。その姉の友人は私の高校の時の同級生のお姉さんだった。

5月10日
銀閣寺、平安神宮、近代美術館、清水寺。
姉は四か月ほど前、「おばあちゃん」になった。古着屋を通りがかり、私と一緒にいろいろ物色した挙句気に入った着物を見つけた。4500円の値が付いている。
姉「4000円にしてもらえませんかって言おうか」
私「そんなこと言ったら、はい、4000円でいいですよと言われるよ。少しまかりませんかと言って交渉するのよ。」
姉は意を決してレジーの傍にいる女主人のところへ。女主人「お勉強してあるお値段になっていますので」(これを京都弁で)としぶる。
姉「今度できた孫娘にアメリカへ持っていきたいのです。」
女主人「・・・・・・じゃ、4000円で・・・」
私達は、これでは満足しない値段。交渉の仕方も知らず、しばらく二人とも黙って店員さんの顔を見ている。この間結構長かったなぁ。店員さん折れて、「アメリカまで持って行かはるのどしたら(こう言ったかわからない)・・・・3500円で」そう言われて私達二人とも「ニコっ」。満足してお買い上げとなった。


夕方、祇園へ行き、姉の希望で、お友達の親戚の人に頼んであった舞子さんを特別に写真に撮らせてもらうことになった。


「小芳さん」という舞子さん。


「どうぞご贔屓にしておくれやす。」

5月11日
 金閣寺、西陣、二条城


  5月12日
昨夜テレビで、建仁寺で金澤翔子さんの書展が行われていると言う情報を得て、東京へ向かう前に寄る。


金澤翔子さんはNHKドラマの「平清盛」の題字を書いておられる。
               


 


 


 5月13日
この日から16日まで埼玉の家で過ごす。
13日は、娘と息子夫婦が来る。ランチを子供たちが用意する。エディさんはフライドチキンが好きなので息子達に頼み、姉の為にはバッテラやお菓子など娘が買ってきた。娘はサラダも作った。姉たちは和菓子が好きなのでどこへ行っても求めていたが今回は洋菓子を試してもらった。

14,15日、夫は四国方面へ同窓会に出かける。
14日、姉が友達に会うことになっていたので、お二人の方と国立新美術館で会う。「大エルミタージュ美術館展」の切符を買っていたが、同時に姉の好きな(私も)「セザンヌ」が行われていて前もってわかっていればそちらにするのだった。

15日、私の友達でその息子さんが「馬」の勉強でフロリダにしばらく住んでいて、姉たちを訪ねたことがあった。その母親になる人だが、姉に会いに来てくれた。


16日、姉たちは家から初めて富士山を見た。
よく晴れた冬の日などはばっちり見える茶畑あたりへ行ってみたが、もう霞がかかっていて見えなかった。近くの公園をゆっくり散策した。お天気も爽やかで気持ちがよく、姉は花や、園児たちの写真を撮った。
姉は日本滞在中子供たちにもよくカメラを向けたが、日本の子供たちはかわいい服を着ていると言っていた。若い人達のフリフリの服も好みで、「何にでもレ-スやフリルがついているのね。」と言っていた。彼女は大体、ルノア-ルの絵にあるようなエレガントなものが好きでいつも自分の絵の材料として人や景色を見ている。


17日、帰国
朝4時起き。5時には家を出て、また高速バスで成田へ向かう。
日本滞在は何もかもうまく行き満足していた。出発にはまだ時間があったが手続きを済ますと私達を気遣って、中で休んでいるから私達にもう帰るようにという。私達は彼らが搭乗口を通り過ぎるのをしかと見届けて任務を終えた安心から、空港内のお店をゆっくりまわって帰ることにした。途中、電車の中で「もう出発したころね」などと話しながら帰宅した。


ああ、それなのに、彼らに大変なことが起こっていた。その飛行機は、整備不良とかで出発が大幅に遅れ、しかも一旦飛び立ってからやはり調子がおかしいというのでまたターミナルに引き返して何か部品の交換(腕時計かなんか壊れたみたいに)をして再び飛び立ったのだそうだ。ああ、怖い話。彼らはアメリカ国内で乗り変えなければならなかったが、その予定していた飛行機にも乗れず、またまた時間をそこで費やし、家の近くの飛行場まで迎えを頼んでいた人とも会えずさんざんな目にあったとのこと。
今はちゃんとあちらの家にいるから安心。

以上で今回の旅行記を終わります。


ハウステンボス・山の上のホテル・九十九島巡りクルーズ

5月6日、7日
三夫婦、長姉と妹で、夕日が沈む九十九島の夜景が素晴らしいという佐世保の「弓張の丘ホテル」で一泊することにした。
それに先だって、姉達と私達と妹5人は、ハウステンボスへ。そこは姉が前回来た時に気に入ったところでオランダ育ちのエディさんに是非見せたいと思って計画に入れていた。しかし、ハウステンボスは経営者が変わったこともあって、以前のイメージとは少し変わっていた。入場してすぐに「ドラゴンクエスト特集」みたいな催しが行われていたのには驚いた。またチューリップの季節は過ぎ、もう少しすると薔薇で一杯になりそうな気配だった。でも景色はあいかわらず美しいし、よくこのような大規模のテーマパークができたものだと思う。

    これは所謂、その宮殿ではない。他の一部の風景

ハウステンボスとは、オランダの女王さまが住んでおられる宮殿のことをいうのだそうで、姉は、「・・・テンボッシュ」のように発音していた。この正真のパレス・ハウステンボスはこの施設の一番奥にある。前回来た時、この中が素晴らしかったので期待していたが、なんと「ドラゴンクエスト」で充満していてがっかり。

  


妹は名ガーデナー・ 陶器市

5月5日
大阪の姪たちと入れ換わりに、山口県から妹夫婦と犬がやってきた。朝方4時ごろだった。
にもかかわらず、昼前にはもう、妹は庭樹の手入れを始めた。私など気が付きもしない松の芽を摘むのだ。初めは手で、後では長鋏を使っていた。どこかでやったことがあるのか「この摘んだ後の状態を見るのが快感なのよねえ。」とのこと。
姉も彼女とは少しでも長く一緒に過ごしたいと言って会いたがっていた妹だ。
彼女は末っ子で私と少し年齢が離れている。私と姉が年がくっついていてよく行動を共にしていたのに対して小さい頃彼女はよその子と遊んでいたように思う。
私達他の姉妹と違って、背がスラーっとして(昔は、)顔立ちもよい。
父の姉にきれいな人がいたがその人に似ているとよく言われていた。
今では、私にブーケ付きの野菜を送ってくれたりする(以前ブログに載せた)気持ちの優しい妹だ。
着る物はガレージセールなどで、私達の分まで買っておいてくれたりする。そういえば姉も、ここ何年も着る物は買ったことがないと言っていた。彼女のは頂き物ばかりだそうだ。

陶器市は目と鼻の先でやっているから、私達は期間中ちょこちょこと何度も出かけた。 

 
このところ、若い人に人気の「白山」の売り場。ゆすらうめさんもお気に入りらしい。いえ、手前の乾物屋さんは、毎年ここに出しているようだが椎茸とか海の幸の乾物とか買うところ。


バーベキュー・救急車騒ぎ

5月4日
長姉の家でバーベキューパーティー。




総勢16人ぐらいいるが写っていないのが残念。
みんなで、ああ、おいしい、ああ、楽しいとやっている最中、この左に座っているおばさんに異変が・・・。
お手洗いに立とうとして、ふらっと板張りに倒れるようになったらしい。私はしばらく家の中で何が起こっていたのか気がつかないでいた。「看護婦さんが二人も付いているから・・・」とか言っている。誰か救急車を呼んだらしい。静かな休日のその辺りに、けたたましいサイレンと共に入ってきて担架が運び込まれた。そのうちに、そのおばさんの子供たちも駆け付ける。近所の人が「ミズコさんな、どげんさしたと?」と心配そうにやってくる。誰か署員に、その時の様子を説明している。
やがて、彼女は救急車で病院へ。残っている者は気が気ではない。
「私が梅酒をすすめたから」と姉。聞けばそのおばさんは日頃、アルコールは一滴も飲まないとのこと。それでふらっとしたらしい。そのうちに、大阪の姪(看護婦)とその子達が帰る時刻になって兄夫婦が駅まで車で送って行く。


そうこうしていると、さっきのおばさんの子供夫婦が、大きなスイカを抱えてやってくる。おばさんはもう救急車に乗る時から気分は回復していたらしく、病院で何も処置することもなく帰されたとのこと。
これにてみなホッ。めでたしめでたしでお開きになった。

夜、私は7人ほど集まる同窓会に出かけた。


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花てぼ



絵は誕生日(2月14日)の花。遊工房さんよりいただきました。

「花てぼ」とは、九州で昔、子供が野に出て遊ぶ時提げてまわった素朴な 「かご」のことです。よく、れんげや、つくしなどを摘んで遊んだものでした。

「Shography」とは私の造語で、書道のShoと、「書道」の英語、calligraphyから捩ったものです。

埼玉県在住
朗読することが好きですが、故郷・長崎のことばで語るのも楽しいです。
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