力ない雪が・・・  2017年02月09日20:10  (これを更級日記①とする)

先日、「古典の会」に出られなくて、電車の中で読んだところ。

(足柄山を越えて駿河の国に入った。)
富士の山はこの国なり。わが生ひいでし国にては、西表に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青をぬりたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色こき衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山の頂のすこし平ぎたるより、煙は立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。

富士の山があるのはこの国である。私の育った上総の国では、西方に見えていた山である。その山の姿は、全く世間に類のないようすをしている。風変わりな山の姿が、紺青を塗ったようであるところへ、雪が消える時もなく積もっているので、濃い色の着物の上に白い衵(あこめ)を着たかのように見えて、山の頂上の少し平になっている所から煙は立ちのぼる。夕方は火が燃え立つのも見える。
(講談社学術文庫・「更級日記」より)

”濃い色の着物の上に白い衵を着たかのよう”という表現がいかにも少女的であって好きなところ。また富士山から煙が上がっているのを見たということを書いた文献を初めてみた。
また、この部分は小泉八雲が富士山のことをこう表わしているのを思い起こさせる。
「・・・・・一瞬振り返ると、神々しい光の中で、海と空が同じ澄んだ薄い青色に溶け込んでいた。・・・・・・ただひとつそびえたつ、その雪の高嶺は、薄もやに霞む絶景で、心が洗われるように白い。太古の昔からなじみのあるその輪郭を知らなければ、人はきっと雪だと見まがうことだろう。山の麓の方は、空と爽やかに色が溶け合ってしまい、はっきりとは見えない。万年雪の上に夢のような尖峰が現れる姿は、まるでその山頂の幻影が、輝かしい大地と天との間にぶら下がっているかのようだ。これこそ、霊峰不二の山、富士の山である。」