Shography's blog

何でもいいの

2009年09月

「徒然草」 第百二十一段 と ペット飼育のことども

電車で出かける時は小さな本をバッグにしのばせる。今は、古典のグル-プで読み始めた「徒然草」の文庫本だ。それで今日電車の中で何段か読んだうちのこの一段。


養い飼う物には馬・牛。つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかがはせむ。犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家ごとにある物なれば、殊更に求め飼わずともありなむ。その外の鳥・獸、すべて用なき物なり。・・・・・・・・・・・省略・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
凡そ、「珍しき禽・奇しき獣、国に育なわず」とこそ、文にも侍るなれ。


つまり、馬と牛は人間の生活に不可欠のものだから、飼育してよい。また犬は家を外敵から守る働きが人間より優れているからぜひとも飼うべきだ。しかし、どこの家でも飼っているので、殊更にいい犬を探してまで飼う必要はない。その他の鳥や獣はすべて必要のないものだというのである。あれれれ、金魚については兼好さんはどう思っているのだろう。


ひところサファリパ-クなるものが流行った。今も健在なのだろうか。私は気候、風土の違う日本のような場所に広い草原などに棲む動物を閉じ込める(どのくらい広いかよく知らない)などは反対である。とすると、と自問してみると・・・・・昔からある「動物園」にも反対ということになる。コンクリ-トの檻の中で飼われている動物たち、あれで動物たちは満足しているのだろうか。していないと思うからだ。反面、動物園は子供たちに夢を与えるし、大人も楽しい思いをしたことはある。巨大な水族館も流行りだ。ああ、どうしよう、これにも私は反対なのか、・・・自分に問うている・・・単純。・・・前に戻って、一応サファリパ-ク様(よう)には反対と言っておこう。そういうところにいる動物が実際生息しているのは現地で自然の中で見るべき、というのが私の持論。現地に行けない者は映像などで我慢する、ということになっても。

ペットの飼い方のマナ-が問題になる。私がよく見るのは殆ど犬を連れている人だが、排便・排尿は家でするよう躾けることはできないのだろうか。飼い主は公の場でさせる場合ウンチは何とか始末しているように見かけるがオシッコは垂れ流しにさせて平気でいるようだ。これをなんとかして欲しいと思う。
徒然草、この段の最後「珍しき禽・奇しき獣、国に育はず」とこそ文にも侍るなれ。」
これは、「珍奇な鳥・獸は、自国内に持ちこんで飼育すべきでないと古書(書経)にも記されている。」というのだが、何かワシントン条約の先駆けのようでおもしろい。

 原文、「されど、家ごとにある物なれば、殊更に求め飼はずともありなん。」の訳は「けれどまあどこの家にだっているものだから殊更に求めて飼わなくてもすむものといえよう。」というのもある。こちらの方がよさそうだが、この一文、いづれにしても私にはわかりにくい。


庶民の願いを聞きとって!

9月21日 
用事で川越へ行く車の中で、
私:罪滅ぼしにお寺にでも行きたいな。
夫:どんな悪いことをしたんだ?
私:もう何年も墓参りなんてしていないし。
 夫は、なんだ、そういう意味かと安心した様子。考えてみれば今日は敬老の日、お彼岸でもありお寺詣りとははなかなかの思いつきではないかと妙に感心して・・・・・。

川越と言えば喜多院。どこでもよかったがとりあえず思いつくのはそこ。喜多院の手前、すぐ近くの「成田山新勝寺別院」で先ずお参り。その後、すでに2:30になっていたが喜多院の鳥居をくぐる。私は特にここの五百羅漢に会いたかったが、以前とは違って、本院拝観料との共通券を求めることになっている。夫は何回も見たからと、川越の町の方を散策してくるというので、4時に駐車場で会うことにして別行動をとる。
本院はその後の知識も少しは増していたと見えて興味深く拝観し、いざ五百羅漢像へ。ここはゆっくり見て回りたいから絶対一人のほうがいい。入るとすぐに誰かが、背後で言う「耳」という言葉が聞こえてきた。ずっと見て回ると、さっきの人はこのことを言っていたのだろうか、羅漢様はみんな長い大きな耳をしている。気になると、どうしてもここで解決しておきたい。何人かの人に「羅漢様達はどうしてみんな耳が長いのですか。」と尋ねる。通りがかりのガイドボランティアの方をひっつかまえて(実は丁寧に断って)尋ねる。「ああ、それは・・・」と口ごもるガイドさんに私はふと何か聞いたことがあると思いついて「たくさんの人の願いや悩みを聞いてあげたのでそうなられたのでしょうかね。」。すると「いや、何か耳に垂らしていたからじゃないんですか。よく仏像にあるじゃないですか。」とシニアのガイドさん。「ああ、そうですね。ありがとうございました。」とお礼を言ってそこはそのままにまた見て回った。ユ-モアのある羅漢像は見あきないが夫との約束の時間が迫っているので、あと半分は見られないまま、またゆっくり来ようとそこを出ることにした。一つ収穫は、亡き母の顔によく似た羅漢様を見つけたことだ。しばらく立ちすくんでしまったものだった。

羅漢=阿羅漢、梵語で arhan 尊敬・供養を受けるのに値するという意味。仏教の修業の最高段階、また、その段階に達したひと。http://kawagoe.web.infoseek.co.jp/

羅漢様だけではない、仏像の耳はどうして大きく長いのか。やはり調べたくなった。次はインタ-ネットで検索して、あっちこっちから取り出してまとめたもの。

仏像の耳が長くて大きいのは
庶民の心からの声を漏らすことなく聞いてほしいという切なる願いが込められている。
眼・耳・鼻・舌・皮膚などの感官は内なる世界と外なる世界の交流の窓口のようなもの。そのうち耳は外界の音や声を捉え聞き分けるはたらきをする。内耳の奥に三半規管があるがこれは、耳は聞くためだけでなく姿勢を正すためにあるのではないか。仏教では耳に「導護自身」いわゆる、その人を安全なところへ導き護るという働きがあるといわれている。


「耳が長くて大きい」、以外の仏像の特徴
◎手には「水かき」に似たものがついている。これは、「漏らさず救い取って欲しい」という願いを表現するもの。
◎眉間に「白毫(びゃくごう)」と呼ばれるものがついている。これは「心を見る第三の目」と言われ、漏らさず光を放って救い取って欲しいという願い。


立像について
阿弥陀如来像は初めは坐像であったがやがて立像になる。しかもさらには、一歩踏み出した立像が多くなる。これは座ってばかりいないで立ちあがって自分たちのところへ歩み寄って欲しいという庶民の願いが込められている。


とのことです。ここまでくれば翻って政治のことを思わずにはいられないのが人情でしょう。しかし、これは特に今の前の政権を牛耳っていて、庶民を可愛がってくれていた人たちに捧げたい投稿ではある。


加治丘陵・散策

9月19日 
駿河台大学の秋の公開講座の一つ「加治丘陵の自然観察」に参加しました。
写真は沢山撮りましたがほんの一例。
桜山展望台まで、往復一時間ばかりのコ-スを途中お話を聞きながら二時間半ほどかけての観察会でした。


 
一番気に入った「ヤマジノホトトギス」

 

名前はあとで調べますが、右側(下に行っています?)の植物、「黒真珠」と仮に名づけます。うそですよ。

シュウカイドウ

「加治丘陵」で検索すると沢山の例がありますが、一つだけ載せておきます。
http://www.city.iruma.saitama.jp/midori_sizen/kaji_kyuryo/kajikyuryo_midokoro.html


「カタバミ」とだけ聞いています・・・・トリアングラリスでした。

この植物、正式名は? ハ-ト型の葉なのです。一応「友愛」と名付けますね。



調べました!オキザリスの一種で トリアングラリス/紫の舞 またはサニ-らしいです。
トリアングラリス(葉が三角形とでも言うのでしょうか)には、他に銀の舞、緑の舞など沢山ありました。
上に葉がハ-ト型と書いたのは、「カタバミ」の項を調べたとき、葉がハ-ト型をしているとあったので、「え、これはハ-ト型はしていないけど」と思いながらも、この植物をカタバミと思い込んでいたので、このことをハ-ト型と言っているのかとつい書いてしまいました。雑草でよく見るカタバミは本当にハ-ト型をしていますね。


スパ-ティフィルムと折鶴ランを寄せ植えにしていたら、トリアングラリスが出てきました。
土に球根(と書いてあった)がくっついていたのでしょう。


奥の細道・・市振(いちぶり)の関・・・一つ家に遊女もねたり萩と月  

朝旅立つに、我々にむかひて、「行方知らぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかのう悲しくはべれば、見え隠れにも御跡を慕ひはべらん。衣の上の御情に大慈のめぐみを垂れて結縁せさせたまえ。」と涙を落とす。「不憫のことにははべれども、我々は所々にてとどまる方おほし。ただ、人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならず恙なかるべし。」と、言ひ捨てて出でつつ、哀れさしばらくやまざりけらし。

一つ家に泊まり合わせた女たちが、「これから伊勢までどういったよいかわからなく旅路が心配で心細く悲しゅうございます。見え隠れにもあなたさまたちの跡をついて参ろうと存じます。お坊様(芭蕉も曾良も僧形をしていた))のお情けで仏様のご慈悲のお恵みをお分かちくださって、仏道に入る縁を結ばせてくださいませ。」
しかし芭蕉は「旅の途中であちこちで滞在しなければならない。人が行く後をついていきなさい。」と言ったが、哀れに思う気持ちがやまなかった。それでこういう句を作った。
一つ家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月 
(同じ一軒の屋根の下に浮き世離れしたわたしのような人間と艶めかしい遊女が隣り合わせた。ふと目を外にやると、庭には萩が咲き乱れ、その上に明るく澄んだ月の光が照らしていることよ。遊女を萩に自身を月に例えたという説も。)

句だけ知っていた私は「この句はうたのすけさんに捧げます」などと心の内で冗談を考えていた。
しかし、芭蕉は前の晩、となりの部屋から聞こえてきた遊女たち(二人いるらしかった)はこういうことを話していた。「白波のうちよせる浜辺に身をおちぶれさせて、この世に身をさすらわせ、夜ごとかわった客とはかない契りを交わすのであるが、毎日、前世の報いとして罪深い行為を重ねなければならないとはどんなに運の悪いことでしょう。」という件があったのだ。







『鉄の家具展』 西田光男+PAGEONE

 会期:9月19日(土)~9月23日(水)10:00~17:00
 19日(土)15:00~17:00  デモンストレーションを行います。
 会場:WHO Spiral gallery(隙屋)
静岡県浜松市北区三ケ日町都筑946-23
 053-526-7522(期間中のみ通信可能)
 詳しい地図はこちらから
  
  

 興味のある方はお出かけになってはいかがでしょうか。  
                            
                    初めて絵文字の入れ方を発見したあ!

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花てぼ



絵は誕生日(2月14日)の花。遊工房さんよりいただきました。

「花てぼ」とは、九州で昔、子供が野に出て遊ぶ時提げてまわった素朴な 「かご」のことです。よく、れんげや、つくしなどを摘んで遊んだものでした。

「Shography」とは私の造語で、書道のShoと、「書道」の英語、calligraphyから捩ったものです。

埼玉県在住
朗読することが好きですが、故郷・長崎のことばで語るのも楽しいです。
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