Shography's blog

何でもいいの

2010年02月

入間市書道展


                 般若心経

以前ブログに載せたものに似ている。あれをそのまま書道展に出そうかとも思った。しかし、いざ、あれをとなると字の勢いなどに問題となるところも出てくる。やはり書きなおすことにした。しかし無心で書いた最初のあの一枚がどうしてもよく思われた。「あのように書こう」という意図が気持ちの中にあるとなかなかうまくいかない。結局は、「願文」や日にちを付け加えたこちらを出品した。



 

特別展示の拓本 「重建狭山茶場碑記」(左)と「重開茶場碑」(右)




頭はからっぽ

ここ一週間ばかり、朝2時ごろ寝ると言う日が続いた。昼間は何かと出なければならなかったので、それよりもっと大事なことは夜の時間に、ということになったのだ。ある日は、目覚ましのつもりで飲めないコ-ヒ-を(酒ではない)夜も飲んだ。しかし睡魔はどうしてもやってくるわけだから、毎日コ-ヒ-を飲んでいると二、三日もすれば慣れて眠れなくなるということはなくなるだろうという魂胆もあった。なんとも計画性がなく馬鹿なことをやっている。
今日昼、気を張っていたことが終わり、二時ごろ昼食を(ははは、何を食べたかって?金目鯛ではないが鯵の丸干しがあってよかった)摂ると、パソコンに向かってみたが、何を読んでいるのか、何が書いてあるのか少しも頭に入らない。頭は眠っていたようだ。冷たいものが口元にと思ったら涎を垂れていた(ごめん、気持ち悪くして)。パソコンの前にうつむきになった。眠ってしまいそうだったので、「こりゃあ、寝よう」とソファに横になった。ぐうぐう寝ることはできない。私は昼寝というのはできない。でも少し寝たかもしれない(できている)。明日は入間市書道展の搬入と飾り付けに朝から出ることになっている。今夜は早く床に就こう。こんな記事を投稿するのだろうか。うん、する。


俳句 2010年2月

一貫性なく、思いついたように自作俳句を載せているが、3月にはどうなるかわからない。


毘沙門の阿吽虎像の冬ざれて(びしゃもんのあうんとらぞうのふゆざれて)
神楽坂の毘沙門天。堂の内外のきらびやかさとは全く逆に、阿吽の虎の像は灰色にくすんで形もはっきりしないほど摩れていた。


角形に刈り込まれたる姫椿(かくがたにかりこまれたるひめつばき)
姫椿は山茶花の別名。うちの団地の山茶花の木は、まるごと角柱になっている。「角刈り」が男性の髪形をおもわせるので対照的に「姫椿」を用いた。

春疾風金魚素早く身を躱す(はるはやてきんぎょすばやくみをかわす)
じっとしている五匹の金魚が風の音に驚いたように動く。句材に困る時の家の金魚、よく助けになってくれる。

涅槃西風信心薄き吾なれど(ねはんにししんじんうすきわれなれど)
こうしたくなるシチュエ-ションがあったのだが、最近、お坊様などとお知り合いになって、作らなければよかったと思っている。

春の野や花いちもんめ嫁を取る
一度披露した句で恐縮。 ♪ ・・・ちゃんを取りたい はないちもんめ ♪


 


おかしいったらない、おいしいったらない

やはり夫のお土産は魚の干物(金目鯛)でした。





ラジオドラマ本番前、椅子はお客様用。
全部埋まった。
先生はすごくよかったと褒めてくださいました。


つまらない写真でどうも。


生まれ来る子はみんなかわいい

「あ、今日はおかあさんの誕生日。ごめんね、居なくて。」 私は「居ても居なくてもどうってこたあないよ。」と心では思っていてもそんなことは言わない。夫は私などにはちょっと照れくさくて言えないというようなことを平気でさらっと言ってのける。彼は本当にそう思って言っているのだが、私はかわゆくない。「いいよ。そんなこと!」と答えるだけ。夫はそのような言葉を残して二泊三日の同窓会に出かけた。
最近、誕生日ったって自分のことは本当にどうってことはないなと思っていた。しかし、今それではいけない、自分が生まれた時の母のことを想ってみたいと思った。
今朝、夫を駅まで送ろうとすると車はバリバリに凍っていた。道も滑りそうな感じだった。このところ朝早く、と言っても8時過ぎなのにこんな時間でさえ家の外に出ることはないことを恥のように感じたりもした。
 私が生まれた時の状況は親にもあまり聞いたことはないが、このように冷たい朝だったかもしれない。暖房とてなく、湯たんぽなど足元に入れてくれたのだろう。親たちは赤ん坊に風邪をひかせてはいけないと必死だっただろう。もっとも母は私の前に、一人は亡くしたが4人の子供を産んでいるので、慣れていると言えば慣れていたのだろうが、2月と言えば昔はもっと寒かっただろうし、既に子供が多くいる中、食糧難もあって大変な苦労だったと思う。私は2歳の時百日咳を起こして死ぬ目にあったそうで、その時の両親の愛情のそそぎようは並大抵ではなかったように聞いた。
 さて、私は長女を2月1日に実家の近くの産院で産んだ。シンとする畳の部屋で子と二人で過ごした一週間というものは心は満たされ至福の時だった。産湯をつかったばかりの子が私の隣に寝ている。窓から冴えた月の光が差し込んでその子の顔を照らした。そのなんとかわいらしかったことか!私は名前が付くまでその子を「きさらちゃん」と呼んだ。
私は私たちの間になんでこんなかわいい子が生まれたのだろうと思った。今思えば(みなさんもそう仰っている。わが子はかわいかったと)、生まれ来る子はみんなかわいい、かわいくない子なんているものですか!


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プロフィール

花てぼ



絵は誕生日(2月14日)の花。遊工房さんよりいただきました。

「花てぼ」とは、九州で昔、子供が野に出て遊ぶ時提げてまわった素朴な 「かご」のことです。よく、れんげや、つくしなどを摘んで遊んだものでした。

「Shography」とは私の造語で、書道のShoと、「書道」の英語、calligraphyから捩ったものです。

埼玉県在住
朗読することが好きですが、故郷・長崎のことばで語るのも楽しいです。
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